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(1)

ラマレラ村はインドネシア東部のレンバタ島南海岸に位置する捕鯨民の村である。プレダン ( ) と称する木造帆船を用いて、手投げ銛でマッコウクジラやイトマキエイなどを捕 獲し、山の民と農作物を物々交換する経済システムを維持している。こうした山の民との共生 関係と伝統捕鯨を含めたものがラマレラ捕鯨文化である。

年をラマレラ捕鯨文化の大きな転換期と捉え、本稿では、 年から 年までの 年 間におけるマッコウクジラ捕獲記録と変遷の歴史を記載し、インドネシア社会の近代化により ラマレラ村でも捕鯨、漁法などにさまざまな変化が現れたことを見ていきたい。

漁法については船外機搭載の小型動力船の普及によってプレダンの出漁が激減して《プレダ ン銛漁》から《動力船銛漁》への転換が図られ、捕鯨形態についてもクジラの潮吹きを陸上か ら目視したときに バレオ ( ) の掛け声とともに 出漁するバレオ捕鯨に移行しつつあ る。また、 年 月に新たな漁法である動力船による夜間操業の流し網漁を導入したことに より、《動力船銛漁》から《動力船網漁》へと漁業の転換が図られ、昼間操業のプレダンによ る銛漁と漁期の《レファ( )捕鯨》は衰退の可能性がある。

キーワード:捕鯨 マッコウクジラ ラマレラ捕鯨文化 近代化 銛漁 流し網漁

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沖縄国際大学社会文化研究 Vol.12,№1 2010年4月

1994年〜2009年

江上幹幸 小島曠太郎

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はじめに

ラマレラ村はインドネシア東部のレンバタ島南海岸に位置している捕鯨民の村である。プレ ダン( )と称する木造帆船を用いて、手投げ銛でマッコウクジラやイトマキエイなどを 捕獲し、山の民と農作物を物々交換する経済システムを維持している。クジラ肉を媒介とした 山民との共生関係は

!

年の歴史を持っている。ラマレラ捕鯨と物々交換による山民との共生 関係を、地域社会を含めての《ラマレラ捕鯨文化》として捉えることができる。

筆者たちがラマレラ村で捕鯨文化の調査を本格的に開始したのは、

'

年の予備調査を経て、

!

年1月からである。

'

年7月

(

日に初めてラマレラ村を訪れ、翌日にレバラ村のパサー ル(定期市)で女性たちによる物々交換の光景に衝撃を受け、翌 日にはプレダンに同乗して 銛漁に参加し、初出漁でマッコウクジラが出現したことが決定的な調査動機となった。当時は 伝統的な捕鯨文化を色濃く残していたが、数年後の 世紀以降はインドネシア社会の近代化に 伴いラマレラ村でも社会全般や捕鯨、漁法などにさまざまな変化が現れている。

漁法については船外機搭載の小型動力船サパン (

)

)

(注1)

の普及

(注2)

によってプレダンの出

漁が激減して《プレダン銛漁》から《動力船銛漁》への転換が図られてきた。同時にプレダン

捕鯨においても、5月から9月までの漁期レファ( )に全プレダンがほぼ毎日出漁し、銛漁

(3)

をおこないながらマッコウクジラ出現の機会を待つ《レファ捕鯨》はしだいに見られなくなっ た。ここ数年はプレダンを毎日稼働させずに、銛漁をおこなう動力船が海上でクジラを発見し た場合あるいはクジラの潮吹きを陸上から目視したときに出漁 バレオ ( )の合図声が かかり緊急出漁させる、筆者たちが《バレオ捕鯨》と称する捕鯨形態に移行しつつあった。

そして 年4月に新たな漁法である動力船による夜間操業の流し網漁を導入したことによ り、《動力船銛漁》から《動力船網漁》へと漁業の転換が図られ、昼間操業のプレダンによる 銛漁と《レファ捕鯨》は衰退の可能性があると判断した。

したがって 年を《ラマレラ捕鯨文化》の大きな転換期と捉え、本稿では 年から 年までの 年間におけるマッコウクジラ捕獲記録と変遷の歴史を記載し、データを提出するこ とを目的とする。つづく「インドネシア、ラマレラ村 年間のの捕鯨記録と分析(Ⅱ)」では、

本稿で不足した記録を補足し、捕鯨と銛漁のその後の展開、特に網漁についての考察を加え完 結としたい。

1.ラマレラ捕鯨文化

(1)ラマレラ村の概観

インドネシア共和国は1万 の島に2億 万人が暮らす島嶼国家である。行政上 の州 があり、ラマレラ村のあるレンバタ島は東ヌサトゥンガラ州に属する。レンバタ島は 年に ひとつの島だけでレンバタ県として東フローレス県から分離した。レンバタ島は南緯8度の熱 帯に属し、面積は ㎡で沖縄本島( ㎡)とほぼ同じ、人口はわずか 万人である。

島民のおもな生業は農業で焼畑耕作によりトウモロコシ・陸稲栽培をおこなう。捕鯨はラマレ ラ村と隣のソロール島ラマケラ村だけの独自の文化である。

ラマレラ村は行政区としてはレンバタ県ウランドニ郡ラマレラ上村とラマレラ下村からなり、

約 人が暮らす。捕鯨をおこなう人々はこの地の先住民ではない。伝承によると最初の祖先 は 世紀ごろにインドネシア東部諸島からこの地に移住してきた、もともとサメ・ウミガメ・

イトマキエイなどの銛漁をしていた海民である。その後、西部諸島からのグループと島内山間 部からのグループが段階的にこの地に移住し、現在 三つのグループ・ 氏族が存在する。ま た、村には焼畑農耕民である先住民が現在も居住している。

宗教は住民のすべてがカトリックの信徒である。イエズス会宣教師が 年にレンバタ島で 初めての洗礼をラマレラの地でさずけ、それ以来の伝統で教育水準はとても高い。

男女の分業が確立しており、男は海に・女は山にという暮らしを守っている。男性は銛漁で

マッコウクジラ・マンタ・イトマキエイなどを捕獲し、小舟による流し網漁でトビウオなどの

魚を得ている。また、造船大工、建築大工としても長けている(小島・えがみ )。 女性

(4)

は行商「プネタン」( )や定期市でクジラ肉などを主食であるトウモロコシなどの穀物と 物々交換し、塩作り、石灰作り、機織りをおこない、イカットとよばれる絣織物は世界的に有 名である(小島・江上 )。

(2)ラマレラ村の伝統捕鯨と銛漁 世界でも稀な熱帯捕鯨をおこな うラマレラ村の伝統捕鯨は、全長 のプレダンに 〜 人ほどの 漁師が乗り、手漕ぎで 以上あ る巨大なマッコウクジラに挑み、

銛 打 ち 手 「 ラ マ フ ァ 」

( )が手投げの離頭銛を 打ち込んで仕留める突取捕鯨法で、

筆者たちは《プレダン捕鯨》と呼 称している(写真1)。

年間 頭ほどを捕獲しているマッ コウクジラ以外にも大型魚を捕獲

するが、生死をかけて捕獲するマッコウクジラはラマレラ語で「コテクラマ」 ( ) と呼称し、他の獲物とは異なってさまざまなタブーがあり、漁法をはじめ、部位の分配も捕鯨 慣習法に則り厳密に定められている(小島・江上 )。

何よりも重要な獲物は、その大きさゆえに村中に肉の配分がいきわたるマッコウクジラであ るが、プレダンの銛漁ではそれ以外にも多くの種類の獲物を捕獲している。

おもな捕獲対象はゴンドウクジラ類・シャチ・アカボウクジラ・イルカ類の鯨類、魚類では マンタ・イトマキエイのエイ類とジンベエザメ・シュモクザメなどサメ類やマンボウ、カジキ、

マグロ、シイラなど、そのほかにアカウミガメ・タイマイ・オサガメなどのウミガメ類も捕獲 している。銛漁では、海上で目視のできるほとんどすべての生物を捕獲対象としているが、ヒ ゲクジラ類は捕獲対象から除かれている。現在ではプレダンのほかに、船外機搭載の動力船が マッコウクジラを除いてプレダンと同種の獲物を対象に銛漁をおこなっている。

(3)物々交換による共生的関係

女性がおこなう物々交換の方法には行商と定期市の二つがある。定期市は山の民と海の民が 出会う場所で、週に一度決まった曜日に開催される市であり、 ウランドニとレバラの市が知ら れている。行商は歩いて山の村に向かい物々交換をする方法で、「プネタン」と称する。真夜 写真1 プレダン捕鯨 前方で潮を吹くマッコウクジラ

に手漕ぎのプレダンで挑む

(5)

中の3時頃出発して、クジラ肉などと交換した キロほどの重い穀物を頭上運搬して、午後に 村に戻るのが一般的で、行商は男たちの捕鯨と同じくらい命を賭けた過酷な仕事である。

定期市場や行商で物々交換される産物のうち重要な農産物は主食のトウモロコシ、そしてバ ナナである。農産物は6本が交換の基準単位で、この単位を「モガ」( ) と称する。ク ジラ肉一切れは2モガの価値が決められ、トウモロコシやバナナ 本と交換される(小島・え がみ )。

ラマレラの人々はクジラや鯨油という特殊な交易産物を持ちながらも、 世紀から歴史的に 島外との交易をまったく行なっていない( )。 それは移住民であるラマレラ の人々が先住民との共生的関係を構築するための戦術であったと推定される。

クジラを原始貨幣として機能するように島内のみに流通させ、その価値を維持させることが ラマレラの民にとって重要だったと考えられる。そのことにより物々交換経済を継続させ、そ れに支えられて緊密な共生社会を構築していくということが、主食を生産できない海民が、移 住地での生き残りをかけた生計戦略であったと私たちは考えている。捕鯨の近代化と貨幣経済 に移行しつつあるラマレラ村が、主食であるトウモロコシの獲得だけは、現在も山の民との物々 交換経済によっている事実は、そのことを物語っている(江上 )。

2.1990年代のプレダン造船と捕鯨、動力船銛漁

年間の捕獲記録図1を参照すると 年以降 年代の不漁が顕著である。長期にわたる 不漁の原因は不明であるが、ひとつにはラマレラ村南東海域の自然現象がマッコウクジラの回 遊に影響を及ぼした要因として考えられる( )。 年のレレック ( ) 半島沖海底火山イレ・ホバル山 ( ) の活動と 年7月 日にワイテバ ( ) 湾で起きた地震・津波がそれである。

捕鯨頭数のデータをみるかぎりは捕鯨がほぼ終焉を迎えそうであった 年代に続く 年 代からはプレダン捕鯨の復活が始まっている。プレダンを解体して新たに改造する新造プレダ ンの造船(プレダンと動力船は船名を持つ)が毎年おこなわれ、それとともにクジラの捕獲頭 数も増加傾向を示している。

プレダン造船(斜体は船名を表わす)は 年の を皮切りに、 年に 、 の2隻、 年に 、 の2隻、 年に 、 、 の3隻、 年に 、 の2隻と5年間で 隻が改造 された。 年に 、 、 の3隻、 年に 、

、 、 の4隻、 年に 、 の2隻が改造・新

造され8年間で 隻が新しくなった。そして 年に が改造され、現存する 隻

(6)

すべてが新船となった。

世紀に入って動力船(小型船に船外機を搭載)の時代を迎えることになるが、動力船が 隻に増加した 年を動力船銛漁への移行期と同時にプレダン捕鯨の技術転換期と捉え、それ に い た る ま で の 年 か ら 年 ま で 7 年 間 の プ レ ダ ン 捕 鯨 に よ る マ ッ コ ウ ク ジ ラ

( )捕獲頭数をみていきたい。また、動力船の稼働状況と主要獲物であるマンタ

( )の捕獲データも参考に加える。

筆者たちが予備調査をおこなった 年7月に船小屋に存在したプレダンは 隻 (その後解体されて現存しない 、 、 3隻を含む)であった。

稼働していたプレダンは 隻あり、そのうちの3隻は同年に改造された新船である。この年捕 獲したマッコウクジラは8頭、クジラに次ぐ主要獲物であるマンタは 匹、中型イトマキエイ

( )は 匹である。

当時5隻の動力船( 、 、 、 、 )が存在したが、銛漁を専 門におこなう漁船としてよりむしろ人と物資の運搬を主目的に使用されていた。同年に5隻の 動力船が銛漁で捕獲したマンタは 匹である。もっとも活動的な が 匹を捕獲し、他の

図1 年別マッコウクジラ捕獲頭数(1960〜2009年)

年度 捕獲頭数 年度 捕獲頭数 年度 捕獲頭数 年度 捕獲頭数 年度 捕獲頭数 総数 1960 26 1970 37 1980 ― 1990 12 2000 10

1961 31 1971 43 1981 ― 1991 15 2001 35 1962 ― 1972 36 1982 8 1992 10 2002 28 1963 ― 1973 23 1983 2 1993 8 2003 18 1964 ― 1974 23 1984 7 1994 10 2004 14 1965 34 1975 21 1985 11 1995 40 2005 5 1966 15 1976 ― 1986 9 1996 18 2006 4 1967 25 1977 21 1987 7 1997 22 2007 43 1968 43 1978 15 1988 7 1998 31 2008 34 1969 56 1979 15 1989 4 1999 6 2009 5

小計 230 小計 234 小計 55 小計 172 小計 196 887

【備考】 ―は記録なし 40頭以上 5頭以下

(7)

動力船は2〜4匹の捕獲に過ぎない。

年は3月 日に海難事故が起こり、総勢 名が乗り込んだ3隻のプレダンが 行方不明になり、3日後に全員無事救助された。この事故によって2隻のプレダン

と を失ったが翌年と翌々年に新造された(小島 年)。 この年からクジラの 捕獲記録をとり始め、捕獲日と捕獲プレダン名のデータを本稿に記載している。この年のマッ コウクジラ捕獲頭数は 頭、マンタは 匹である。プレダン2隻が改造されている。

年にはプレダン2隻が改造され前年に消失した を新造し、マッ コウクジラ捕獲頭数は 頭にのぼり四半世紀ぶりの大漁となりピークを示している。またマン タも 匹の豊漁である。

年にはプレダン1隻が改造され、消失した ほか3隻が新造されて復 活し、造船ラッシュとなった。マッコウクジラ捕獲頭数は 頭、マンタは 匹である。この年 動力船 が稼働を始めて 匹のマンタを捕獲している。他の動力船もそれぞれ、

頭、 9頭、 5頭、 2頭を捕獲し合計捕獲数は 匹を数え、5隻で プレダン 隻の捕獲数に並ぶほど動力船銛漁におけるマンタ捕獲効率はよいことが分かる。こ の年動力船 は操業を中止している。

年にはプレダンは1隻が改造、 1隻が新造され、ほぼ全船の 隻が一新され た。この年のマッコウクジラ捕獲頭数は 頭、マンタは 匹である。小型イトマキエイ ( ) が豊漁となり 匹の捕獲があった。動力船は3隻が船外機の不調で稼働できず

と のみが銛漁操業している。2隻で8匹のマンタと小型イトマキエイ 匹を捕獲してい る。

この年には 年ぶりに人身事故があった。6月4日に 隻で7頭のクジラが捕獲されたが、

クジラが暴れて7隻中4隻が転覆し、 の漁師の左足に銛綱が絡まって負傷し、

病院で膝から下を切断して失った。このときには動力船 が を曳航してク ジラを追っている。日本のテレビクルーが撮影で村に入っていたが、写真家一人のみが動力船 に乗ってこのときの漁を取材し、転覆の光景を傍観していたと漁師たちはいう。その後 は翌年の4月までクジラは捕れずに終っている。

年のマッコウクジラ捕獲頭数は 頭と豊漁になった。マンタは 匹、中型イ トマキエイ 匹、小型イトマキエイ 匹を捕獲している。この年も動力船の銛漁操業は と 2隻であり、マンタ 匹、中型イトマキエイ0匹、小型イトマキエイ4匹と不漁であっ た。

年は年初頭からマラリアが蔓延し死者が相次ぐなど不吉な年として記憶され る。また、レンバタ島が東フローレス県から分離してレンバタ県が発足した年でもある。

マッコウクジラ捕獲は8月 日を最後に年間6頭という不漁となった。マンタは 匹、中型

(8)

表1 ラマレラ村年表(1999〜2009年)

年 マッコウ

捕獲頭数クジラ ラマレラ村の漁に関する出来事 レンバタ県とラマレラ村の出来事 インドネシア国内の出来事 1999 6頭 11・12月 動力船3隻でゴンドウクジ

ラを21頭捕獲

10月15日 レンバタ県発足 10月 ワヒド新政権発足

「動力船銛漁」 *ラマレラ上村出身のピテル・ケラ フ氏が県知事代行

*地方行政法および中央・地方財政 均衡法の法律制定

ラマレラ上村出身ソニー・ケラフ氏 が環境大臣就任

2000 10頭 1月〜3月 動力船3隻でゴンドウクジ ラを26頭捕獲

地方自治政府によるインフラ整備 (ラマレラ上村まで自動車道路工事) 5月6日 上村と下村を繋ぐ伝統的階

段が道路拡張工事で崩壊

2001 35頭 1995年以来の豊漁 8月 メガワティ新政権発足

4月 動力船10隻に増加「動力船銛漁」

へ移行

4月29日 動力船の捕鯨参加が村の掟 として承認され「動力船参 加式プレダン捕鯨」導入

8月4日 県知事にアンドレアス氏就 任

ピテル・ケラフ氏敗れる 2002 28頭 5月8日 村史上初、プレダン「ジャワ

テナ号」船外機を搭載して初 出漁「動力プレダン」導入

8月25日 県都レウォレバ町からラマ レラ上村までトラックバス 路線開通

10月12日 バリ島爆弾テロ事件

2003 18頭 漁期の不漁が顕著 定期船航路の廃止、陸路での輸送に移行 動力船とペアを組むプレダンがマッ

コウクジラ捕鯨で優位にたつ

往復定期トラックバス2台に 8月20日 ラウンド二郡発足 2004 14頭 5月 動力船21隻に増加

「動力船銛漁」普及

3月30日 レウォレバ町中央市場全焼 10月21日 ユドヨノ新政権発足

*地方行政法、中央・地方財政均衡 5月 プレダン出漁が減少 ラマレラ村までの往復定期トラック 法が改正

バス4台に増加 12月26日 スマトラ島沖大地震津波 5月 「動力プレダン」船外機搭載用木

枠が固定式に

5月 3頭捕獲以後捕獲なく漁期の不漁 2005 5頭 5月 プレダンの出漁激減

7月12日 動力船4隻でザトウクジラ 捕獲ラマレス史上初

1月 石油燃料不足による高騰 県都地域で携帯電話が利用可能になる

6月から地方首長直接選挙が開始 10月21日 石油燃料126.6パーセント

大幅値上げ 3月 レンバタ島干ばつで凶作になる

8月11日 15ヶ月ぶりにクジラ捕獲 6月3日 国営電力会社による電力供給ラ マレラ村に初めて電気が入る 2006 4頭 「動力プレダン」は4隻に増加 6月2日 直接首長選挙でアンドレアス

氏 県知事再選(2011年まで)

5月27日 ジャワ島中部地震死者約 6,000人

漁期に捕獲なし 8月26日 県政府が金・銅鉱床の探鉱 を許可

1989年以来の深刻な不漁 12月 ラマレラ村で携帯電話が利用可能に 2007 43頭 1月28日 初の日曜日捕鯨

5月2日 ラマレラ史上最大18mの白い 巨鯨捕獲

36年ぶりの大漁

「動力船参加式プレダン捕鯨」普及

アメリカの環境団体Photovoicesが村民 にデジタルカメラ50台を6ヶ月間貸与 写真展後ラマレラ村の記録保存のプ ログラム開始

(WWF、フォード基金、ナショナルジ オグラフィック共催)

3月6日 西スマトラ地震死者73人以 上

4月30日 WWFインドネシアがソロール諸島 海域環境保護船「コテクラマ」号の進水式 7月 ラマレラに水産高校開校 11月20日 Photovoicesがラマレラで

村にて写真展開催 2008 34頭 動力船26隻に増加、動力プレダン8隻

に増加

ラマレラ村までの往復定期トラック バス6台に増加

1月27日 鳥インフルエンザ感染死者 100人に

捕鯨は「バレオ捕鯨」へ移行 5月24日 石油燃料平均28.7%値上げ

2009 5頭 3月 地方政府網漁船2隻を村に援助 4月 夜間操業「動力船流し網漁」導入 8月 「動力船流し網漁」本格化 プレダンは「バレオ捕鯨」で稼働

5月14日 マナド国際海洋会議にて

「サウ海海洋保護」制定、レ ンバタ島海域は除外される

5月11日 マナドで国際海洋会議開催

7月 ラマレラ沿岸で他地域船による 爆弾漁が活発化

10月29・30日 第1回 「Festival Baleo 」 を村で開催

7月8日 直接大統領選挙 10月20日 ユドヨノ新政権発足

(9)

イトマキエイ 匹、小型イトマキエイ 匹で前年並みの捕獲数である。動力船は が新た に操業を開始し、 と を含め3隻が稼働した。

この年のクジラ不漁による危機を救ったのは動力船銛漁である。休漁期に入ってからの4ヶ 月間に3隻の動力船は体長約3〜5メートルの小型クジラであるコビレゴンドウ( ) を 頭捕獲した。記録的な大漁であり、その内訳は 月に4日間で 頭、 月に3日間で9頭、

年1月に2日間で6頭、2月に4日間で 頭、3月に3日間で7頭と、 回の捕獲機会 があったことになる。

年5月に始まる漁期までマッコウクジラの捕獲はなかったので、マッ コウクジラの半分ほどの体長を持つゴンドウクジラを多数捕獲した動力船はマッコウクジラ6

〜7頭分の肉を供給し、村の食糧確保を支える救世主となった。これ以降動力船の新造が相次 ぐ背景となった重要な出来事として記録される。プレダン1隻が改造され、 隻が揃う。

マッコウクジラ捕獲頭数は 頭で2年連続の不漁となった。動力船 が新たに操業、 も復帰して本格的に操業を開始し、 動力船5隻が稼働している

3.21世紀の捕鯨と漁の変遷

(1)社会とインフラ整備

ラマレラ村に変化の兆しが見え始めた 年から 年まで約 年間にわたるおもな事項を 年表に示した(表1)。 漁の変化をみる前にまず、社会の変化とインフラの整備を概観する

(江上

)。

年にスハルト体制が崩壊して 年 月にワヒド新政権に代わり、地方分権化が推進さ れたことが変化の大きな要因となっている。新政権の政策として中央から地方への分権と地方 自治強化(地方行政法と中央・地 方財政均衡法の法律制定)が推進 され、県・市主体の地方自治政府 が多数成立した。 年 月 日 にレンバタ島が東フローレス県か ら分離してレンバタ県が発足した。

任期 年までの県知事臨時代行 にはラマレラ上村出身のペテル・

ボ リ オ ナ ・ ケ ラ フ (

)氏が就任した。

その後ペテル氏は

年まで県議

写真2 伝統的な階段(グリペ)崩壊

(10)

会議長に就任している。ワヒド新 政権内閣の環境大臣にはペテル氏 の実弟ソニー・ケラフ(

)氏が就任して村の大きな話 題となった。

レンバタ県政府の最重要課題は 道路整備であり、 年になって 地方自治政府によるインフラ整備 が急ピッチでなされ、ラマレラ村 に自動車道路ができることになっ た。経済的にも村は活況を呈した。

年5月6日に上村と下村を繋 ぐ 伝 統 的 な 階 段 「 グ リ ペ 」 ( ) が道路拡張工事で崩壊し たことは、村の変化と近代化を象 徴している。先人たちが崖を穿っ て築いた階段はラマレラ村の歴史 そのものを刻んでいる。あらゆる 伝統文化が爆音とともに崩れ落ち るような思いがするほど、グリペ の破壊は衝撃的であった(写真2)。

詳細は後述するが翌 年には動力船6隻が新造されて5隻が稼働し、計 隻が操業するこ とで、プレダン銛漁から動力船銛漁への移行と同時に動力船の捕鯨への参加が正式承認される エポックメーキングな年となった(写真3)。

年8月、 年からのプロジェクトである道路建設が完成した。念願であった県都レウォ レバ町から毎日一往復する定期トラックバス路線が 日にラマレラ上村まで開通し、町への日 帰りが可能になった(写真4)。 これにより、 年には長年親しんできた定期船航路は廃止 された。

年8月 日に新しい郡、ウランドニ ( ) 郡が発足し、ラマレラ上村・下村と もこれまでのナガウトゥン( )郡から編入した。郡都は定期市の開催されるウラ ンドニ村 ( ) に置かれた。

年に4台に増加した定期トラックバスの普及は伝統的な女性の行商にも大きく影響した。

定期的に出かける山間の行商もトラックバスを利用して行くようになった。何時間もかけて歩 写真4 町からラマレラ村までトラックバス開通

写真3 船外機を搭載した動力プレダン

(11)

いて行った村はわずか 分ほどで到着する。トウモロコシやバナナが入った荷物を頭上に載せ て山道を歩く姿はこの年以降消えつつある。便利になった反面、現金を必要とする行商へと変 化した。同年は動力船銛漁が普及した年でもあり、軌を一にして男女のライフスタイルが一変 した年として記録される。

年6月3日には、夜間 時から翌朝6時までの 時間のみではあるが国営電力会社に よる電力の供給が開始され、鯨油ランプの夜は消えた。つづく 年 月には携帯電話の利用 が可能となり、道路・交通・電力・通信のインフラがほぼ整い、貨幣が必要とされる経済シス テムへと移行していった。 年には従来からある幼稚園、小学校2校、中学校についで水産 高校が開校され、中等教育が受けられるようになった。

(2)捕鯨・漁の変遷

伝統漁法に変化の兆しが見られたのは、やはり 年頃からである。前述のように 年末 から 年初めの休漁期に、船外機搭載の動力船3隻( 、 、 )が突取式による

《動力船銛漁》でゴンドウクジラ 頭を捕獲する大漁となった。これが契機となり、 年以 来6隻( 、 、 、 、 、 )だった動力船が 年の 新造以降、 年に1隻( )、 年に6隻(

, 、 、 、 Ⅱ、 Ⅱ)が新造された。計 船体のうち稼働している動力 船は 年では 隻を数えている。

動力船の増加が捕鯨法にも画期的な変化を

見せた。動力船の捕鯨への参加である。 年4月 日のラマレラ慣習協議「トブ・ナマ・ファ タ 」 ( ) で ク ジラを捕獲したプレダンを動力船 が曳航して帰航した場合には、捕 獲した部位のうち、「キレ」(

) と呼ばれる胴部の一部を動力船 の船主、乗組員に分配されること が決定し(図2)、 プレダン捕鯨 への参加が正式に承認された(写 真5)。

マッコウクジラが浮上するのを

確認すると、動力船はその場所ま

でプレダンを曳航してクジラを追

い、捕獲後もプレダンを曳航して

図2 マッコウクジラ分配図

(12)

村へ帰るという方法で間接的に捕 鯨に参加することになった(写真 6)。 筆者たちはこれを《動力船 参加式プレダン捕鯨》と呼称する。

動力船ではマッコウクジラ捕鯨は できない。船体が小さいこと、転 覆時の船外機破損・紛失の危険性 などが捕鯨に使用できない理由で あるが、もっとも重大なことはラ マレラ村の捕鯨慣習法に違反する ことである。

世紀に入った 年は動力化 へ移行した年、また捕鯨に動力船 参加が正式に承認されたラマレラ 捕鯨史におけるエポックメーキン グな年として、 「動力船元年」 と いえる。動力船の船外機の費用は、

首都ジャカルタなどで成功した裕 福な者、近郊都市部で公務員や教 員として給料生活をしている者な どが各氏族内で負担している。ま た、歴史的経緯によりプレダンを保有できない氏族であるエバオナ( ) 氏族、タナクロ ファ ( ) 氏族も動力船は所有することが可能である。

動力船がクジラの追尾にプレダンを曳航するという方法で捕鯨に参加することで捕獲確率が 高くなったためか、1月から6月まで9回の捕獲機会に 頭のクジラが捕獲された。

しかし、7月から8月に3回の捕獲機会があり4頭を捕獲したが、すべてのクジラは大暴れ して大半のプレダンを破壊し、 漁の伝統に反するとクジラは必ず暴れる という祖先からの言 い伝えを思い出し、村人たちはクジラに恐怖感を抱いていた。一回の捕獲機会に複数のクジラ を捕獲する可能性が増したこともあり、この年は 頭の豊漁になった。

年5月8日ラマレラ捕鯨史上画期的な出来事があっ た。プレダンの船尾に着脱式木枠を装着して船外機の搭載を可能としたプレダンの考案、すな わち《動力プレダン》の出現である(写真7)。 プレダン は船尾の木枠に 馬力 の船外機を搭載して出漁し、浮上したクジラにいち早く追いつき、船外機を外して動力船に移 写真5 慣習的協議「トブ・ナマ・ファタ」

写真6 マッコウクジラを捕獲したプレダンを動力船で

曵航する

(13)

したのちマッコウクジラを捕獲し た。これ以降、プレダンと動力船 の2隻を所有するグループが2隻 ペアを組んで捕鯨することにより、

クジラ捕獲頭数に明らかな差が生 じた。新漁法の優位性は動力船と 組んだ 、

が多くを捕獲している事実から明 らかである。

年になって、 、

そして新たに動力化 した の3隻で 頭のうち半数以上の 頭を捕獲し、独占状態に近いことが見て 取れる。手漕ぎプレダンでの捕獲機会が絶望的に限定され、動力船の造船が加速されていく。

また、漁期に捕獲回数2回で捕獲頭数 頭と漁期にクジラが獲れない傾向が現れている。

年には史上初となる船外機搭載用の固定式木枠「スピ」

( ) を備えたプレダン が稼働している。動力船は 、 、 、 、 、 Ⅱ、 の7隻が新造され、

Ⅱは所有者が変わり に改名した。船体総数はプレダンの 隻を上回る 隻に増加し た。プレダンのグループでは、 プレダンと専属の動力船の2隻を所有するスタイルが普及する。

動力船での銛漁が普及してプレダンの出漁が激減した年で、 プレダンは5月の数週で毎日の 出漁を取りやめている。若者が動力船で出漁したがり、 プレダンは最低8人と定められた乗組 員の確保が困難になり漁に出られなくなったのである。漁期にクジラが回遊してこない傾向が 著明になり、 5月に3頭獲れただけで漁期は終了した。この年はプレダン銛漁から動力船銛漁 へ転換した年として、 年についで重要な年として記録される(写真8 9)。

年はマッコウクジラの年間捕獲頭数わずか5頭という不 漁に見舞われた。そのほかに動力船銛漁でシャチを3頭捕獲し、 7月 日には動力船4隻で史 上初となるザトウクジラを捕獲した。動力船は1隻 が新造された。

年は 年以来の深刻な不漁年となった。1月から3月までの休漁期に4頭捕獲された だけ終わってしまう。その他の鯨類では5月に動力船銛漁でアカボウクジラを1頭捕獲してい る。動力船は2隻

!

"

が新造された。

年は前年まで2年続きの

不漁を打開するべく、 カトリック教会神父の許可を得て、 1月 日に初めて日曜日バレオ出漁 写真7 動力プレダン・ジャワテナ号の初出漁で船外機

を搭載する

(14)

での捕獲が実現した

(注3)

。 漁期入 り翌日の5月2日には体長 mで 頭部の白いラマレラ捕鯨史上最大 の雄鯨を捕獲し、 これ以降年間捕 獲数は 頭という 年ぶりの歴 史的な大漁年となった。

この年は環境保護団体の活動が 村で活発におこなわれた。アメリ カの環境団体 「

」が 村民にデジタルカメラ 台を6ヶ 月間貸して、 写真展とセミナーを 開催した(写真 )。 同時に ( ) イン ドネシアがソロール諸島海域の環 境保護活動のための船「コテクラ マ( ) (マッコウクジラ)」

号 を 活 動 さ せ た 。 動 力 船 は 、 の2隻 が解体され消滅した。

年は一度に複数のクジラがと れて 頭の大漁になった。新たな 傾向として、 毎日の漁は動力船銛 漁に従事してプレダンは稼働させ ず、 クジラの潮吹きが陸上から目 視したときに「バレオ」の合図が かかり出漁して捕鯨する《バレオ 捕鯨》が多くなった。また、 稼働 しているプレダンは約半数の8隻 が船外機搭載可能な船体となった。

動力船は3隻 、 、 が新造された。

写真8 動力船の出漁風景

写真9 マンタを捕獲し、帰漁した動力船

写真10 カメラマンに選定され「フォトボイセス」のキャ

ンペーン T シャツを着た村の若者

(15)

年はインドネシアの環境保護活 動も活発化して、 マナドの「国際海洋会 議」(

) におい て 「 サ ウ 海 海 洋 保 護 区 」 (

) が 政府によって制定された(図3)。 国際 海洋会議前のラマレラ村民・関係者の強 い反対と調整により、レンバタ島を含む Ⅱはサウ海海洋保護区の対象から 除外された。

漁期に入る直前の4月に大型の網が動 力船 と によって本格的に導入されて漁獲効率の大幅な向上が見られた。網漁 の技術革新が顕著になり、 副産物として新たな漁獲資源も加わり、 捕鯨・銛漁と網漁の併存す る新たな時代を迎えた。

夜間操業の《動力船流し網漁》を主体として、 昼は浜で網具の手入れや補修をしながら、 マッ コウクジラの回遊を目視してから出漁する《バレオ捕鯨》へと大きく変容する可能性が考えら れる。また、 この年ベテランのラマファ4人が引退し、 世代交代がすすんだことも時代の流れ を象徴する出来事として記録される。動力船は2隻 と が新造され、 船体は 隻を 数える。漁期のプレダン銛漁では3週間ほどの操業で2隻がコビレゴンドウ、 イルカ類などの 獲物を捕獲したにすぎない。マッコウクジラも5頭捕獲したのみであった。

4. マッコウクジラ捕獲記録

(1)50年間のマッコウクジラ捕獲記録

ラマレラ村でのマッコウクジラの捕獲記録が残されているのは 年以降である。 年か ら 年までの 年間の年別捕獲頭数は図1に示してある

(注4)

。 記録のない年が6回ありデー タとしては不十分であるが、 現在までに 頭のマッコウクジラが捕獲されている。記録のな い6年を考慮して半世紀でわずか 頭余りである。これだけの頭数で 人近い村人の生活 が 年間にわたって成り立ってきた事実は、 マンタ・イトマキエイなども捕獲して生きる糧に なっているとはいえ、 計算上では1頭で村人 人を1年間賄っていたことになり、 クジラの 持つ重要性は際立っている。

年代は7年間のデータしかないが

!

頭の捕獲であるから年平均捕獲頭数は

!"

頭、

図3 サウ海海洋保護区

出所 http:// www. coraltrianglecenter . org/

(16)

年代は9年間のデータで 頭の捕獲であるから年平均捕獲頭数は 頭となる。 年代 の不漁については前述したが年平均捕獲頭数は である。記録に残されている最多捕獲頭 数は 年の 頭、 次いで 年と 年の 頭で、 頭の捕獲数を数えた 年は歴史に残 る大漁の年になった。いっぽう5頭以下という極端な不漁の年も5回だけであり、 大漁に先立 つ 年と 年の不漁は捕鯨史のなかでも深刻だった事実が浮びあがる。

(2)16年間のマッコウクジラ捕獲記録

年以降 年間に 回の捕獲回数があって 頭のマッコウクジラが 捕獲されているが、 全捕獲記録一覧(年・月・日・曜日・プレダン名・応援プレダン名)を掲 げた(図4)。

全捕獲記録にもとづいて年別捕獲回数と捕獲頭数を図5に示した。統計か らマッコウクジラ捕鯨は安定したものではないことが分かる。およそ4年間の好漁のあと2年 間不漁がつづく傾向があるように見受けられる。 年間の年平均捕獲頭数 頭、 年平均捕 獲回数 回、 捕鯨機会一回のあたりの捕獲頭数は 頭になる。

年代は 年間に 頭で、 年平均捕獲頭数約 頭と平均に比べやや少ない。前半の5年

図5 年別マッコウクジラ捕獲統計(1994〜2009年)

年 捕獲頭数 捕獲回数 年 捕獲頭数 捕獲回数 年 捕獲頭数 捕獲回数 総数 捕獲頭数 捕獲回数

1994 10 7 1999 6 6 2004 14 8

1995 40 18 2000 10 5 2005 5 2 1996 18 7 2001 35 22 2006 4 4 1997 22 8 2002 28 14 2007 43 14 1998 31 13 2003 18 10 2008 34 10 2009 5 2

小計 121 53 小計 97 57 小計 105 40 323 150

(17)

図4 マッコウクジラ捕獲全記録(1994〜2009年)

回数 頭数 年 月 日 曜日 プレダン名 応援プレダン名

1 1 1月 4日 火 ケバコプカ クルルス、ソゲテナ、ケナプカ、ジャワテナ、バカテナ、テティヘリ 2 1994 1月 4日 火 クルルス ジャワテナ、バカテナ、ソゲテナ

2 3 1994 3月 3日 木 バカテナ 記録なし 3 4 1994 3月 10日 木 ナラテナ 単独捕獲 5 1994 3月 10日 木 マヌラブロロ バカテナ 4 6 1994 4月 23日 土 ソゲテナ 記録なし

5 7 1994 5月 14日 土 バカテナ シカテナ、マヌラブロロ、テティヘリ、コポパカール 6 8 1994 5月 23日 月 テティヘリ 記録なし

7 9 1994 7月 11日 月 テティヘリ ナラテナ

10 1994 7月 11日 月 コポパカール ドルテナ、ジャワテナ、ソゲテナ、マヌラブロロ 8 11 1月 11日 水 ケナプカ バカテナ、ナラテナ、テティヘリ

9 12 1995 2月 24日 金 ケナプカ 記録なし 13 1995 2月 24日 金 テティヘリ 記録なし 10 14 1995 2月 27日 月 ドルテナ 記録なし 15 1995 2月 27日 月 ケナプカ 記録なし 16 1995 2月 27日 月 ジャワテナ 記録なし 11 17 1995 3月 21日 火 ドルテナ 記録なし 18 1995 3月 21日 火 ケナプカ 記録なし 19 1995 3月 21日 火 ソゲテナ 記録なし 20 1995 3月 21日 火 バカテナ 記録なし 12 21 1995 3月 29日 水 ドルテナ 記録なし 22 1995 3月 29日 水 ジャワテナ 記録なし 23 1995 3月 29日 水 ソゲテナ 記録なし 24 1995 3月 29日 水 テティヘリ 記録なし 25 1995 3月 29日 水 コポパカール 記録なし 13 26 1995 4月 10日 月 ドルテナ 記録なし 27 1995 4月 10日 月 ソゲテナ 記録なし 28 1995 4月 10日 月 ケナプカ 記録なし 29 1995 4月 10日 月 シリテナ 記録なし 30 1995 4月 10日 月 バカテナ 記録なし 14 31 1995 4月 28日 金 ケナプカ 記録なし 32 1995 4月 28日 金 バカテナ 記録なし 15 33 1995 5月 15日 月 ナラテナ 記録なし 34 1995 5月 15日 月 マヌラブロロ 記録なし 16 35 1995 6月 7日 水 ドルテナ 記録なし 36 1995 6月 7日 水 ケナプカ 記録なし 37 1995 6月 7日 水 シカテナ 記録なし 17 38 1995 6月 16日 金 ナラテナ 記録なし 18 39 1995 6月 19日 月 ケナプカ 記録なし 40 1995 6月 19日 月 マヌラブロロ 記録なし 19 41 1995 6月 23日 金 ドルテナ 記録なし 20 42 1995 7月 10日 月 ドルテナ 記録なし 43 1995 7月 10日 月 コポパカール 記録なし 21 44 1995 7月 19日 水 ケバコプカ 記録なし 45 1995 7月 19日 水 ソゲテナ 記録なし 22 46 1995 8月 2日 水 ソゲテナ テティヘリ、ナラテナ

47 1995 8月 2日 水 マヌラブロロ ドルテナ、ジャワテナ、シカテナ、シリテナ、コポパカール、クルルス 23 48 1995 8月 10日 木 バカテナ 記録なし

24 49 1995 8月 25日 金 ソゲテナ 記録なし 25 50 1995 10月 31日 火 バカテナ 記録なし 26 51 5月 20日 月 ソゲテナ 記録なし 52 1996 5月 20日 月 バカテナ 記録なし 53 1996 5月 20日 月 クルルス 記録なし 54 1996 5月 20日 月 テティヘリ 記録なし 55 1996 5月 20日 月 ナラテナ 記録なし

回数 頭数 年 月 日 曜日 プレダン名 応援プレダン名 49 111 1998 6月 30日 火 ケナプカ 記録なし

112 1998 6月 30日 火 ソゲテナ 記録なし 113 1998 6月 30日 火 ブイプカ 記録なし 114 1998 6月 30日 火 プラソサパン 記録なし 115 1998 6月 30日 火 バカテナ 記録なし 50 116 1998 7月 3日 金 ホロテナ 記録なし

51 117 1998 9月 14日 月 ホロテナ コポパカール、プラソサパン

52 118 1998 12月 1日 水 デモサパン プラソサパン、ブイプカ、バカテナ、ドルテナ 53 119 1998 12月 12日 土 プラソサパン マヌラブロロ

120 1998 12月 12日 土 デモサパン ホロテナ、バカテナ、ブイプカ 121 1998 12月 12日 土 クルルス ドルテナ

54 122 3月 2日 火 クルルス ドルテナ、ケバコプカ

55 123 1999 3月 4日 木 ナラテナ ソゲテナ、デモサパン、マヌラブロロ、ブイプカ 56 124 1999 6月 11日 金 マヌラブロロ 単独捕獲

57 125 1999 7月 8日 木 テティヘリ 単独捕獲

58 126 1999 8月 2日 月 ホロテナ ナラテナ、デモサパン、ホロサパン 59 127 1999 8月 21日 土 バカテナ 単独捕獲

60 128 5月 8日 月 ムコテナ 単独捕獲 129 2000 5月 8日 月 ドルテナ 単独捕獲

130 2000 5月 8日 月 テティヘリ ケナプカ、クルルス、デモサパン 61 131 2000 5月 11日 木 ソゲテナ プラソサパン、ボリサパン

132 2000 5月 11日 木 バカテナ マヌラブロロ 62 133 2000 5月 19日 金 ドルテナ クルルス、コポパカール

63 134 2000 7月 10日 月 バカテナ ドルテナ、テティヘリ、ホロテナ、ムコテナ 64 135 2000 8月 8日 火 プラソサパン バカテナ

136 2000 8月 8日 火 マヌラブロロ ホロテナ、ムコテナ 137 2000 8月 8日 火 クルルス ドルテナ、ナラテナ 65 138 1月 5日 金 ホロテナ 単独捕獲 66 139 2001 1月 23日 火 マヌラブロロ ムコテナ

140 2001 1月 23日 火 ブイプカ テティヘリ、クルルス 67 141 2001 3月 28日 水 ドルテナ ホロテナ

142 2001 3月 28日 水 マヌラブロロ 記録なし 68 143 2001 4月 9日 月 ドルテナ 記録なし 144 2001 4月 9日 月 デモサパン 記録なし 145 2001 4月 9日 月 プラソサパン 記録なし 69 146 2001 5月 3日 木 ドルテナ 単独捕獲

147 2001 5月 3日 木 ムコテナ プラソサパン、ケナプカ 70 148 2001 5月 30日 水 ブイプカ 記録なし

71 149 2001 6月 8日 金 ドルテナ 記録なし 150 2001 6月 8日 金 クルルス 記録なし 72 151 2001 6月 27日 水 テティヘリ 記録なし 73 152 2001 6月 30日 土 マヌラブロロ 記録なし 153 2001 6月 30日 土 クルルス 記録なし 74 154 2001 7月 11日 水 ブイプカ 記録なし 75 155 2001 8月 2日 木 ホロテナ 記録なし

156 2001 8月 2日 木 ムコテナ マヌラブロロ 76 157 2001 8月 4日 土 マヌラブロロ ブイプカ 77 158 2001 8月 14日 火 テティヘリ ドルテナ、バカテナ 78 159 2001 8月 20日 月 テティヘリ ドルテナ

160 2001 8月 20日 月 ナラテナ 単独捕獲 161 2001 8月 20日 月 ブイプカ マヌラブロロ

79 162 2001 9月 21日 金 プラソサパン デモサパン、ボリサパン、ソゲテナ、テティヘリ 80 163 2001 9月 29日 土 デモサパン ケナプカ、ドルテナ、プラソサパン 81 164 2001 11月 15日 木 ホロテナ 単独捕獲

165 2001 11月 15日 木 デモサパン ムコテナ 166 2001 11月 15日 木 プラソサパン マヌラブロロ 回数 頭数 年 月 日 曜日 プレダン名 応援プレダン名

26 56 1996 5月 20日 月 デモサパン 記録なし 57 1996 5月 20日 月 プラソサパン 記録なし 27 58 1996 5月 29日 水 ケナプカ 記録なし

28 59 1996 6月 18日 火 ブイプカ ジャワテナ、ナラテナ、プラソサパン 60 1996 6月 18日 火 デモサパン ドルテナ、クルルス、ホロテナ 29 61 1996 10月 28日 月 プラソサパン 記録なし

30 62 1996 11月 11日 月 ケナプカ 記録なし

31 63 1996 12月 6日 金 ドルテナ テティヘリ、プラソサパン 32 64 1996 12月 20日 金 ドルテナ ケバコプカ、ソゲテナ

65 1996 12月 20日 金 ケナプカ 記録なし 66 1996 12月 20日 金 クルルス 記録なし 67 1996 12月 20日 金 デモサパン 記録なし 68 1996 12月 20日 金 プラソサパン 記録なし

33 69 1月 6日 月 ドルテナ マヌラブロロ、ケバコプカ、デモサパン 70 1997 1月 6日 月 バカテナ ソゲテナ、ナラテナ

71 1997 1月 6日 月 プラソサパン ブイプカ 72 1997 1月 6日 月 クルルス 単独捕獲 34 73 1997 1月 11日 土 ドルテナ テティヘリ

74 1997 1月 11日 土 マヌラブロロ ナラテナ、プラソサパン 35 75 1997 2月 12日 水 ドルテナ 記録なし

76 1997 2月 12日 水 ケナプカ 記録なし 77 1997 2月 12日 水 ナラテナ 記録なし 36 78 1997 3月 12日 水 ドルテナ 記録なし 79 1997 3月 12日 水 デモサパン 記録なし 37 80 1997 3月 21日 金 ナラテナ 記録なし 38 81 1997 5月 6日 火 ケナプカ 単独捕獲 82 1997 5月 6日 火 マヌラブロロ ブイプカ

39 83 1997 5月 23日 金 ボリサパン クルルス、ソゲテナ、ホロテナ 40 84 1997 6月 4日 水 ドルテナ ホロテナ、ホロサパン

85 1997 6月 4日 水 ケナプカ ナラテナ、デモサパン 86 1997 6月 4日 水 ケバコプカ コポパカール 87 1997 6月 4日 水 シリテナ マヌラブロロ、ジャワテナ 88 1997 6月 4日 水 シカテナ クルルス、プラソサパン 89 1997 6月 4日 水 ボリサパン 単独捕獲

90 1997 6月 4日 水 バカテナ ブイプカ 41 91 4月 6日 月 デモサパン 記録なし 92 1998 4月 6日 月 プラソサパン 記録なし 42 93 1998 4月 22日 水 ブイプカ 記録なし 94 1998 4月 22日 水 プラソサパン 記録なし 43 95 1998 4月 30日 木 ドルテナ 記録なし 96 1998 4月 30日 木 ホロテナ 記録なし 44 97 1998 5月 15日 金 プラソサパン 記録なし 45 98 1998 5月 19日 火 ドルテナ 記録なし 99 1998 5月 19日 火 テティヘリ 記録なし 100 1998 5月 19日 火 ブイプカ 記録なし 101 1998 5月 19日 火 バカテナ 記録なし 46 102 1998 5月 22日 金 ジャワテナ 記録なし 47 103 1998 5月 25日 月 ソゲテナ 記録なし 104 1998 5月 25日 月 ドルテナ 記録なし 105 1998 5月 25日 月 ケバコプカ 記録なし 106 1998 5月 25日 月 コポパカール 記録なし 107 1998 5月 25日 月 シカテナ 記録なし 48 108 1998 6月 27日 土 クルルス 記録なし 109 1998 6月 27日 土 ホロテナ 記録なし 110 1998 6月 27日 土 ブイプカ 記録なし

( の月・日は筆者たちが捕獲に関わったクジラ)

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