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鳥頭冠と鳥翼冠

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(1)

ヘレニズム〜イスラーム考古学研究 2019

鳥頭冠と鳥翼冠

Bird-Shaped and Winged Headdresses

石渡美江

Mie Ishiwata

はじめに 

 かつて筆者は、ユーラシア草原地帯の樹木状立飾りをつけた冠や被り物について研究し、

このような冠や被り物が、黒海沿岸から草原地帯を経て、朝鮮半島にまで流入しているこ とを明らかにした(1)。その後、樹木状立飾りをつけた冠が、日本の三昧塚古墳や藤ノ 木古墳から出土した冠にも影響を与えたことにも言及してきた(2)。しかし、ユーラシ アの冠や被り物の中には、樹木状立て飾りだけでなく、動物や鳥の頭(以下、鳥頭冠と記 す)や鳥の羽(以下、鳥翼冠と記す)を付けたものがあり、それらが樹木状立飾りをつけ た冠や被り物と同様に、ユーラシアのかなり広範囲で出土している。また、これらの冠や 被り物は実物以外にも、貨幣や印章、銀器、絵画などにも表されている。

 ササン朝の鳥翼冠や鳥頭冠について、ササン朝の周辺諸国の冠や中国の仏教美術の中に 採用されていることを林良一が記述している(3)。また、ササン朝の冠が法隆寺の四騎 獅子狩文錦の人物が被る冠に影響を与えているが、ササン朝の冠と同じ冠飾の冠では無い ことを、桑山正進が考察している(4)。

J.A.

ラーナーは中央アジアの印章に見られる動 物の付いた冠を挙げて、その中で鳥の付いた冠に関しても研究し、遊牧民の影響であると している(5)。景山悦子や檜山智美は、ササン朝のペーローズの鳥翼冠や三日月冠がエ フタルの時代に、ソグドを通して中国に流入したことを記述している(6)。

 一方、中国の鳥翼冠や鳥頭冠について原田淑人は、中国唐代の服飾史において、鶡の羽 を左右に挿す鶡冠(かつかん)について、墓から出土する俑と文献の両方から考察してい るが、唐代だけで他の時代の鶡冠については言及していない(7)。その後、孫機は漢代 から唐代に至る時代の鶡冠について考察し、武官の冠であることを記述している(8)。

 本稿では、西アジアや中央アジア、中国に見られる鳥頭冠や鳥翼冠、被り物を、実物だ けではなく、貨幣や印章、銀器、壁画などに表された冠や被り物を挙げて、なぜ冠や被り 物に鳥や鳥の羽をつけるのか、その意義を考察したい。また、中国に流入したササン朝の 鳥頭冠や鳥翼冠が、中国の文物にどのような影響を与えているかを考察したい

 

(2)

各地から発掘された鳥や鳥の羽をつけた冠 西アジア

 ここでは各地域の出土遺物に見られる鳥頭冠や鳥翼冠、被り物を挙げてみるが、実物は もとより国王や首長の発行する貨幣、印章、銀器などに見る図像も取り上げることとした い。

 アルメニアのエレブニ遺跡では、大きな土器の中から前

5

4

世紀のリュトンと共につ ぶされた状態のリュトンが出土した。そのうちの一つのリュトン〈紀元前5世紀〉は、先 端に馬に乗っている人物の全身像が装飾されたリュトンで、腰にアキナケス型の短剣を付 け、頭に鷲が装飾されている冠帽を被っていた(9)(図1)。鷲については、アケメネス 朝ペルシアのアルタクセルクセス2世の軍旗が、黄金の鷲が翼を広げているものであるこ とを、クセノポンが記述している(10)。エレブニ遺跡は前

8

世紀頃からウラルトゥが 支配していたが、ウラルトゥの崩壊後にアケメネス朝の総督府が置かれた。リュトンの騎 士は、服装から見て身分の高い人物で、アケメネス朝支配下の総督であろうと

B.G.

ルコー ニンは考察している(11)。

 アルメニア王国のティグラネス二世(在位紀元前95

-

55)の発行した四ドラクマ銀 貨(図2)には、二羽の鷲を装飾した被り物が見られる。ティグラネス二世は、紀元前1 世紀にコーカサスからリディアやシリアにまでアルメニアの領土を拡大したが、その後 ローマと戦って敗れた。ティグラネス二世の貨幣には、頭の上に三角の飾りがある頭巾の 様な帽子に、二羽の鷲が背中合わせに付き、その間に太陽が配置されたものである(12)。

クリミア半島ミトリダテス山出土のフンの冠〈3

-

4世紀〉は、広幅の冠帯の上に大鷲が 羽を広げたものである。広幅の冠帯は全面四段に貴石が象嵌され、冠帯の正面と左右を わける枠に縄目文様が入り、その上の鷲も冠帯と同じように一面に貴石を象嵌している

(13)。このような貴石を象嵌したものは、クリミア半島シンフェロポリ近郊から出土し た金製の装飾や新疆ウイグル自治区イリ波馬出土金製剣鞘〈4

-

6世紀〉などでも出土し

図1.騎士装飾リュトン、エレブニ遺跡 出土 前

5-4

世紀

図2.アルメニア、ティグラネス二世銀貨、

1

世紀

Mie Ishiwata, Bird-Shaped and Winged Headdresses

(3)

Japan Societyfor HelleniStic-iSlam arcHaeological StudieS 2019

ていて、ユーラシアの草原地帯にかなり広範囲に見られる。ピョートル大帝・シベリア ・ コレクションの黄金製品の一つである帽子飾り(紀元前4世紀)は、大きな鷲グリフォン が両足で羊をつかんでいる様子を表したものである。このような文様は、パジリク一号墳 から出土したサドルのカバーなどにも見られる。鷲の肩の部分には、今は鱗状になってい るが、かつてはこの部分に貴石が象嵌されていた。尾羽の所に溝があり,四つのループが ついていて、この部分は本物の鳥の羽を装飾するための装置であった。裏には、羽の上に 二枚の板が取り付けられ、ループが六つあり、布あるいは皮の帽子の前飾りとして取り付 けられたものであろう(14)。 

 紀元前

2

世紀にイラン、ペルセポリス周辺地域を支配していたペルシス王朝のオートフ ラテスが発行したコインには、ヘルメットの上に羽を広げた鷲が付いている。       

 また、イラク北部の都市ハトラの神殿より発掘されたサナトゥルク一世の肖像は(

2

世 紀)、七宝繋ぎのチュニックにズボンを穿き、頭の上に鷲が羽を広げた冠帽をかっぶって いる(15)(図3)。

 一方、ササン朝ペルシアの王の冠は、鳥頭冠、鳥翼冠、城壁冠などがあり、鳥頭冠はア ルダシール一世(224-41)、シャープール一世(242-272)、オルムズド二 世(303-09)、鳥翼冠はバフラム二世(276-93)、バフラム四世(388-

399)、ペーローズ(459-484)、ホスロー二世(591-628)、アルダシー ル三世(628-630)、ブーラーン女王(630-631)、ヤズドガルド三世(631

-651)によって用いられている(16)。

 アルダシール一世はいくつかのタイプのドラクマ銀貨を発行しているが、その表の面に 一羽の鷲をヘルメットに装飾したものがある(図4)。また、イラン南西部、タンギ・ア ブにあるアルダシール一世騎馬戦勝図摩崖浮き彫りには、鳥頭形のヘルメットを被った王 の姿が刻まれている。シャープール一世の発行したドラクマ銀貨には、大きな鷲の頭を付 けたヘルメットを被っている肖像が見られる。オルムズド二世の鳥頭冠は、頭髪を包んだ

図4.アルダシール一世ドラクマ銀貨、

3

世紀 図3.サナトゥルク王の肖像、ハトラ、

2

世紀

(4)

コリュンボスの下に、大きな鷲が真珠をくわえているものである(17)(図5)。また、

イラン、ナクシュ・ルスタムにあるホルムズド二世騎馬戦闘図の摩崖浮き彫りには、大き な翼の猛禽類が真珠をくわえた装飾の冠を被り、槍を持って戦う王の姿が刻まれている

(18)。

 以上、鳥頭冠を挙げたが、次に鳥翼冠を挙げてみる。鳥翼冠はバフラム二世、バフラム 四世、ペーローズ、ホスロー二世、アルダシール三世、ブーラーン女王、ヤズドガルド三 世が使用している。バフラム二世は、コリュンポスの左右に鳥の羽を付けたものである。

西ジョージアのサルヴェシ村から発見された「バフラム二世とその家族」の銀製キュリッ クス杯は、葡萄唐草と鳥が装飾された中に、バフラム二世とシャプルドゥフターク王妃、

皇太子の三人の胸像を四つのメダイヨンの中に入れたものである(図6)。この図像の中で、

王はコリユンポスの左右に鳥の羽を付けた冠を被り,皇太子は馬の頭の冠を被り右手に環 を持ち、王妃は右手に花を持っている(19)。このような肖像は、王権の叙認式を表し ているものであると、

B.G.

ルコーニンは考察している(20)。

 バフラム四世が発行したディナール金貨は(図7)、王の胸像が正面を向いて描かれて いて、それをみると、コリュンポスの前に城壁のような飾りを付け、左右に鳥翼を装飾し たものである。ペーローズはコリュンボスの前に三日月を置き、珠のようなものをその下 に付けて左右に鳥翼を飾り、さらに頭の周りを城壁で飾り、正面に三日月を装飾した鳥翼 と城壁を併用した冠である(図8)。ペーローズの後は、ホスロー二世まで百年近く鳥頭 冠も鳥翼冠も用いられなかったが、ホスロー二世以後カワード二世を除き、ヤズドガルド 三世まで鳥翼冠が用いられた。ホスロー二世のものは冠帽の中心に柱を立てて、その上に 星と三日月を付け、柱の中間に鳥翼を装飾し、さらに冠帽の周りに城壁と三日月を付けた ものである。同じような形の冠はアルダシール三世、ヤズドガルド三世まで同じである。

ただ、ブーラーン女王の場合は、冠帽のうえに立つ星や三日月、鳥翼は同じであるが、冠 帽の装飾が異なっている。

中央アジア

 鳥翼冠はガンダーラの仏教美術にも取り入れられ、カニシカ王(

2

世紀半)の発行した

図6.バフラム二世とその 家族を表した銀器、

3

世紀 図5.オルムズド二世ドラクマ

銀貨、

4

世紀 図7.バフラム四世ドラク

マ銀貨、

4

世紀 石渡美江 鳥頭冠と鳥翼冠

(5)

ヘレニズム〜イスラーム考古学研究 2019

コインには、頭に鷲や隼を載せた冠を被るファッロー神が表されている(図9)。フヴィシュ カ王のコインには、右手に鷲あるいは隼を持っている図像が見られる。鷲や隼はクシャー ン朝で、王権を象徴するものである。ファッロー神は、クシャーン朝で重要な神格の神で あり、習合して毘沙門天になり、その結果兜跋毘沙門天の宝冠に鳥が付いているのである

(21)。さらに、ヘラクレス神と習合し、釈迦牟尼の守護者である執金剛神として金剛(バ ジュラ)を持って表されている。鳥翼冠を被った執金剛神は、仏教の東漸とともに中国に 入り、雲崗石窟やキジール千仏洞などに見られる。また、鳥頭冠はクシャーン朝の豊穣や 財宝を司るファロー神の冠にも見られる。

 ウズベキスタンのトプラク・カラ都城址で発掘された銀貨には、鷲の形をした鳥頭冠を 被った人物が刻印されていた(図10)。この人物はホレズム王ワザマル〈3世紀〉で、

ホレズムをクシャーン朝の従属から独立させた最初の王であった。ワザマルの鳥頭冠は、

貨幣以外でも彫刻が発掘されていて、冠の鳥の部分が残され、眼光の鋭い鷲で表されてい る(22)。

 次に、中国山西省大洞南郊北魏墓M109号墳から出土した銀碗には、アカンサス葉の 間に四つのメダイヨンがあり、それぞれのメダイヨンに人物の胸像を配したものである。

その一つに鷲のような鋭い嘴を持つ鳥頭冠を被った人物が表されている。報告者はこの墓 を北魏が洛陽に遷都する以前の墓で、469〜477年頃の墓であるとしている(23)。

しかし、銀器は中国で作られたものではなく、西方からの輸入品であり、アカンサス葉や

図8.ペーローズ

(5

世紀

)

、ホスロー二世

(6

世紀

)

ドラクマ銀貨

図 9. カ ニ シ カ 一 世 ス タ テール金貨、

2

世紀半

図10.ワザマル王の銀貨、

3

世紀

(6)

鳥頭冠などから考慮すると、3-4世紀に中央アジアで作られた銀器であろうと考えられ る。

 4世紀半にバクトリアに起こったキダラ・クシャーン朝は、ドラクマ銀貨を発行してい る。キダラ・クシャーン朝は4世紀半にバルフを奪い、その後ガンダーラまで征服した。

キダラ・クシャーン朝と呼ばれるのは、ドラクマ銀貨にキダラ・クシャーン族の王と書か れていたからで、『魏書』では寄多羅と記述されている。銀貨にはササン朝ペルシアのバ フラム四世の冠を模倣し、頭の上にコリュンボスをつけ、正面に城壁と左右に鳥の羽をつ けたものである(図11)。この王朝は、5世紀半に中央アジアから南下したエフタルによっ て滅ぼされた(24)。

 5世紀頃のバクトリアの国境警備隊長サゴロホの印章の印泥には、正面を向いた鳥が付 いた鳥頭冠を被っている(25)。また、6世紀半にエフタルが衰退した頃、カピシ国な いし漕国の王朝のネザーク・シャーが発行したドラクマ銀貨は(図12)、鳥翼冠の中央 に雄牛を装飾した冠を被った胸像が、刻印されている(26)。

 ウズベキスタン南部のブドラッチ都城址より発掘されたテラコッタは、頭部だけで胸部か ら下を損失しているが、頭部に鳥の羽を左右に付けた鳥翼冠を被り、頭部の後ろに円光をつ けたものである。このテラコッタは6〜7世紀の様式のものであるとされている(27)。 鳥翼冠はタジキスタンのピャンジケント遺跡の壁画にも描かれている。ピャンジケントの 第

VI

室で発掘された饗宴図を描いた壁画(7〜8世紀)には、正装をした人物が描かれ、

図13.ソグドの鳥翼冠、ピャンジケン ト出土、

7-8

世紀

図14.ソグドの鳥翼冠、ピャンジケント 出土、

7-8

世紀

図11.キダラ・クシャーン模倣貨、

4

世紀半

図12.ネザーク・シャー発行コイン

Mie Ishiwata, Bird-Shaped and Winged Headdresses

(7)

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真珠を装飾した冠帯の上に三日月を正面に装飾し、その左右に鳥の羽を付けた鳥翼冠を 被っている(図13)。同じ第

VI

室から出土した壁画の断片には、中央に花のような飾り を付け、左右に鳥の羽を付けた鳥翼冠を被った人物の横顔が描かれている。また、別の壁 画の断片の中には、鳥翼冠を手にとって、まさにヘルメットの上に付けようとしていると ころを描いたものが出土している(図14)。ヘルメットの下の部分は損失しているので、

どのような人物が被っているのか明らかでないが、このような冠を装着することは、ソグ ド王のような人物の戴冠式であろうと考察されている(28)。これらの人物は、衣服や 剣などの持ち物からソグド人の王侯貴族であろう。鳥翼冠を取り付けた冠帯は、貴石を嵌 めた四角と丸の台があり、このような装飾の手法がウズベキスタン南部、ダルベルジン・

テペ出土の金製首飾りなどに用いられている(29)。法隆寺の四騎獅子狩文錦(

7-8

世紀)

に描かれている人物の横顔正面には、四角の中に四角をはめこんだ装飾が描かれている。

これらも貴石を金の台に嵌め込んだ様子を描いたもので、ソグドの冠と同じ形のものを表 していると考えられる。

 ホレズムやキダラ・クシャーン朝、ネザーク・シャー、ソグドなどの貨幣や壁画に表さ れた鳥頭冠や鳥翼冠は、ササン朝ペルシアの冠の影響であろう。

中国

 中国では内蒙古伊克昭盟ハンギン旗阿魯柴登から出土した冠や漢代から北魏時代の画像 石、石窟寺院の彫刻、唐代の俑などに鳥頭冠や鳥翼冠を被った人物が見られる。

 伊克昭盟ハンギン旗阿魯柴登から出土した冠は、厚い金片を半球形にして、表面に四頭 の羊と羊を襲う四頭のオオカミを打ち出したもので、(図15)その上には、大きく翼を 広げた鷹が乗っている。鷹の頭部と頸部は二つのトルコ石で作られていて、頭と頸、尾が 動くようになっている(30)。このような鷲鷹類が羊や山羊を襲う図柄は、ピヨートル 大帝シベリア・コレクションの帽子飾りやパジリク一号墳のサドル ・ カバーなどと同じ文 様である(31)。なお、この冠と共に出土した動物装飾のある金製の輪を報告者は冠と しているが、冠ではなく、頸を飾るトルク(首輪)であろう。

 中国では阿魯柴登から出土した冠とは別に、戦国時代になると鶡冠(かつかん)と呼ば れている冠がある。鶡冠は前漢時代より文献に記述され、画像石などに描かれている。洛

図15.金冠、阿魯紫登出土、

1

世紀 図16.塼に描かれた鶡冠、洛陽出土、後 漢代

(8)

陽出土の塼に描かれた鶡冠を見ると、冠の上に二枚の鶡(やまどり)の尾羽を付けたもの で、ササン朝や中央アジアの鳥翼冠と異なっているが、別のスタイルの鳥翼冠であると考 えられる。

 漢代の鶡冠は、洛陽出土画像塼(図16)や徐州市銅山洪楼から出土した車馬、人物、

珍禽異獣を描いた塼に、戟を持った

3

人の頭の左右に鶡の尾羽が見られる。また、そのよ うな冠は、北魏時代の李萬寿墓石室

(5

世紀

)

や寧懋石室(

5

世紀)の入り口の左右に線刻 された武将の頭上に、鶡の尾羽を挿しているのが見られる(32)(図17)。鶡の尾羽を 用いた冠は、高句麗の武官の冠にもあり、舞踊塚古墳や雙楹塚古墳の壁画にも

2

本の羽を 挿した冠を被った武人が描かれている。この冠について、シベリアや大陸のシャーマニズ ムが影響したと言う説もあるが(33)、筆者は中国から流入したものと考える。

 唐代になると、鶡冠は背の高い冠の前飾りに羽を広げた鶡そのものをのせるようにな り、冠の左右から後ろに掛けて覆っている壁面に羽のように描いたりするものもある。

そのような冠は、独弧思貞墓、独弧思貞夫人元氏墓、西安南郊唐墓、金郷懸主墓、堰師 杏園M1902墓(図18)などから出土した武官俑(34)、浜名梱包シルクロード・

ミュージアム所蔵武官俑などにみられる。天王像では、鶡を付けた兜を被った堰師杏園M 1928墓三彩天王俑(図19)、甘粛省葉家保出土三彩天王俑、などがある(35)。中 国の鳥翼冠や鳥頭冠は、武官の冠に用いられている。ただ、唐代になると、西域の風俗が 流入し、鶡冠も鳥そのものを冠に付けたものに変化していった。

 また、中国の鳥翼冠とは別に、西域から流入した鳥翼冠も山西省雲崗石窟第10窟の 栱門の門神像(図20)や第8窟の門神像(

5

世紀)、安陽宝山寺石窟大住聖窟の天王像

(589)、などに見られる(36)。山西省雲岡石窟第10窟の栱門の門神像や第8窟の 門神像の鳥翼冠を、鳥の羽を二枚重ねて表していると景山悦子は記述しているが(37)、

二枚重ねているわけではなく、この像の顔が少し横向きになっているので、右側の羽を大 きく描いたところから、このような鳥翼冠になったのであろう。大英博物館所蔵毘沙門天 画像(5世紀)にも鳥翼冠が描かれている。

 一方、菩薩の冠にも西域から流入した鳥翼冠が見られる。敦煌莫高窟276窟には、鳥 翼冠をかぶる文殊菩薩像(隋代)が描かれている。同じ莫高窟の

5

7窟の仏説法図には、

図18.武官俑、堰師 杏園

1902

墓出土、

7

世 紀

図 1 7. 石 室 を 守 る 門 衛 の 鶡 冠、

洛陽出土、北魏時代

図19.天王像、堰師杏 園

1928

墓出土、

7

世紀 石渡美江 鳥頭冠と鳥翼冠

(9)

ヘレニズム〜イスラーム考古学研究 2019

結跏趺座をした仏陀を中心に菩薩や比丘が描かれていて、右側の菩薩の中に鳥翼冠を被っ た菩薩が見られる。四川万仏寺遺跡から出土した二菩薩立像の左右に立つ供養菩薩の冠に も鳥翼が付いている。この彫刻の菩薩の衣服には、X状の天衣など中国的な特徴が見られ るので、菩薩の冠もかなり中国化している(38)。

 また、安伽墓(579)の棺床屏風の野宴商旅図、史君墓(579)の饗宴図、虞弘墓

(592)の饗宴図など、中国に移り住んだソグド人の石槨の中に、鳥翼冠を被った図像 が見られる(39)。このような鳥翼冠は、ピャンジケントの壁画と同じような構造であ ると考えられる。

 

鳥や鳥の羽を冠や被り物に装飾する意義

 以上、西アジアから中国までの鳥頭冠や鳥翼冠を挙げてきたが、この地域の王や首長は、

なぜこのような冠や被り物を被ったのであろうか。

 まず、これらの冠や被り物に表された鳥の種類を挙げてみると、それらは猛禽類の鷲や 鷹の種類である。鷲や鷹は古代メソポタミアやイランでは、大空を支配するものとして力、

冨、栄光、世界の保護者など王権のイデオロギーを象徴するものであった。アッシリアの トゥクルティ・ニヌルタ一世がバビロン征服の記念に建てた宮殿の壁画には、聖樹と山羊、

イチジクなどの文様の他に鷲が描かれている。また、ニムルド出土の宮殿の浮き彫りには、

聖樹と有翼神人像が彫刻されているが、有翼の顔の部分は鷲、鷹のような猛禽類になって いる。先頃

IS

によって破壊されたイラクの古代都市ハトラの神殿から発掘されたサナトゥ ルク王(2世紀)の彫刻には、頭部に鷲が翼を広げた冠を被っている。

 ゾロアスター教では、鷲が戦勝を司る神ウルスラグナの化身とされていて、クシャーン 朝のカニシカ一世金貨の裏に刻印されたウシュラグノー神(ウルスラグナ神)の頭に鷲あ るいは隼を懐いている(40)。ウルスラグナ神は風、牡牛、馬などの10種類の生き物 に変身するとされていて、その第7番目がウルスラグナ鳥で鷲、鷹、隼などの猛禽類である。

それゆえに、ウルスラグナ神の化身である鷲や鷹を、冠や被り物に用いたのである(41)。

アケメネス朝では軍旗にも使用されていたことを、クセノポンが記述している(42)。

アケメネス朝支配下のアルメニアの総督が鷲の付いた帽子を被っていることも、ウルスラ グナ神を守護神としていたのであろう。また、アルメニア王国のティグラネス二世の被り

図20.門神像、雲岡石窟第

10

窟、

5

世紀

物に鷲がついているのも、アケメネス朝やアルサケス朝 などの影響を受けたものであろう。その後成立したササ ン朝の王の冠は、鳥頭冠や鳥翼冠が用いられた。ササ ン朝の王で鳥頭冠の使用した例は、アルダシール一世、

シャープール一世、ホルムズド二世の冠で、鳥翼冠はバ フラム四世、ペーローズ,ホスロー二世、アルダシール 三世、ボーラーン女王、ホルミズド五世が用いている。

 また、古代インドにおいて鷲は太陽であって、天井か ら乳を振りちらし、太陽の足すなわち光線は地上の水を

(10)

再び吸い上げるとされている(43)。即ち、鷲は天空を支配する太陽とむすびついて、

農作物や家畜の繁殖に関係するものと考えられていた。

 一方、中国の鳥翼冠は鷲や鷹のような鳥ではなく、鶡の尾羽を用いている。鶡(やまどり)

は雉科に属し、勇猛果敢で死に至るまで戦うため、武官の冠にその尾羽が用いられた。鶡 冠は『漢書』藝文志の鶡冠子の記述に「楚人、居深山、以鶡為冠」とあり、顔師古の注に「以 鶡鳥羽為冠」とある。鶡冠子は楚の隠者であり、深山に棲んでいて、鶡の冠を被っていた。

また、『後漢書』輿服志下の武冠には、「以青系為緄、加雙鶡尾、豎左右、為鶡冠云」とあ り、武官の冠として用いられていたことが明らかである。武官の冠としては、洛陽出土画 像塼や徐州市銅山洪楼から出土した車馬、人物、珍禽異獣を描いた塼などに描かれている。

それらは李萬寿墓石室(

5

世紀)や寧懋石室(

5

世紀)の入り口の左右に線刻された武将 の頭にも、鶡の尾羽を挿した冠がみられる(44)。『新唐書』の儀衛志には、「 皆服鶡冠、

緋衫裌 」 とあり、唐代においても鶡冠が用いられていた。しかし、唐代の鶡冠は、前代の ものと形が異なったものであった。鶡冠は背の高い冠の前飾りに羽を広げた鶡そのものを のせるようになり、冠の左右から後ろに掛けて覆っている壁面に羽のように描いたりする ものもある。また、杜甫の漢詩の中に「几に陰りて粛条として鶡冠を帯ぶ」とあり、ここ では隠者の冠としての鶡冠である(45)。おそらく、この冠は鶡の尾羽をつけたもので あろう。

おわりに

 以上、西アジアから中国に広がる鳥頭冠や鳥翼冠を挙げて,その意義を考察してきた。

西アジアや中央アジアでは、鷲や鷹がゾロアスター教の戦勝を司る神であるウルスラグナ 神の化身であることから王や領主、武官の冠として用いられた。鷲のような大鳥が動物を 掠う図柄の冠は、大空を支配するものとして力、冨、栄光、世界の保護者など王権のイデ オロギーを象徴するものとして、草原地帯においても冠に使用された。中国では鶡が勇猛 果敢な鳥の象徴として、武官の冠に用いられた。地域によって鳥の種類が異なっているが、

鳥翼冠や鳥頭冠は、ユーラシアの広い範囲に用いられていたことが明らかである。

 次に、中国へ流入したササン系の鳥頭冠や鳥翼冠についてふれておきたい。中国では鳥 頭冠や鳥翼冠が皇帝の冠ではなく、武官の冠として使用されていた。ササン系の鳥頭冠や 鳥翼冠は、仏教寺院の彫刻や壁画、ソグド人の棺床屏風や石槨などに描かれている。仏教 寺院の彫刻や壁画には、執金剛神や毘沙門天、天王像など仏陀を守る守護神の冠や菩薩の 冠に見られ、仏教と共に中央アジアを経て中国に流入したものと考えられる(46)。仏 教美術の中に見られる鳥頭冠や鳥翼冠は、日本にも兜跋毘沙門天の宝冠として伝わってき ているのである。一方、中国に在住したソグド人の墓から出土した棺床屏風や石槨にも、

鳥翼冠が描かれている。それは彼らがソグド人コロニーの指導者である薩宝や軍府長官の 一つである大都督であった人々で、中央アジアから来た彼らの出自を示すために、棺床屏 風や石槨の中に、鳥翼冠を被った姿を彫刻したものと考えられる。

 また、突厥のビルゲ・カガンの金冠には、鷲のような鳥と唐草状の立て飾りが装飾され

Mie Ishiwata, Bird-Shaped and Winged Headdresses

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Japan Societyfor HelleniStic-iSlam arcHaeological StudieS 2019

ているが、鳥と樹木状の立て飾りであり、草原地帯の冠である。弟のキョル・テギンの頭 部像は、ホショー・ツァイダム遺跡から発掘され、背の高い冠に鳥が羽を広げている装飾 がされていて、中国の武官の冠によく似ている。おそらく、中国の鶡冠の影響であろう。

(1)石渡美江、1997、「樹木状立飾冠の系譜と意義」『古代オリエント博物館紀要』vol. IX、45-

69頁。

(2)石渡美江、2001、「黄金の帽子飾りから見た東西交渉」『季刊文化遺産』october vol. 12、62-

65頁、(財)島根県並河万里写真財団、松江。

 石渡美江、新井 悟、2004、「冠の意義ユーラシアから見た三昧塚古墳」『学術調査報告書VII, 茨城の埴輪』250-260頁、茨城歴史館、水戸。

(3)林良一、1962、『シルクロード』107-113頁、中央公論美術出版、東京。

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図版出典

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図5.田辺勝美、1992 図6.Harper, P.O. 1981 図7.筆者撮影

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図14.Azarpay.G.,/Belenitskii.A.M./ Marshek. B.I./DresdenM.J, 1981, 図15.田広金、郭素新()、1986

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参照

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