ウ ン ザ と シ ヌ グ
一一一
− 伊 平 屋 島 田 名 の 年 中 行 事 一
白田
山 篤
はじめに地理=人文=神人組織=田名の神人組織=男と女の祭り=ウンザミーヌイシヂチ の由来讃=シヌグ=腰当て
ウンザミ神酒作り=前日の祈願=神撰=舟送り=葦入り=現在の葦入り=ヌイシヂチ=一 門の集い=ティルクグチー後宴=各戸廻り=ウンザミ踊り=神歌と儀礼
シヌグ神驫=シヌグ屋=トーガメ=新ンヂーーウムイ=二度ンヂー=三度ンヂー=竹馬=
大城グェーンナートゥンジャマ=臼太鼓=シヌグ踊り=現在のシヌグ
は じ め に
イ ヘ ヤ ジ マ イ ゼ ナ ジ マ イ ヘ ヤ ド
伊平屋島は伊是名島とともに伊平屋列島と称せられている。この列島は沖縄本島と伊平屋渡
モ ト ブ
という渡海の難所に阻まれ、一つの圏を形成している。本部半島から列島に向かうと、一つの 島に見えていた列島は次第に本来の姿を現わし、伊是名島と伊平屋島に分れる。この航路は昔 ながらのコースなので、手前の伊是名島をメージ(前地)、後ろに控える伊平屋島をクシジ (後地)とも称している。この両島には幾つかの属島があり、これも両島に近づくにつれて波間
グ シ カ ワ ジ マ ウ リ ガ ミ ジ マ ヤ ガ シ タ ジ マ ヤ ナ ハ ジ マ
に姿を見せ始める。伊是名島の属島は具志川島・降神島・屋下島・屋那覇島、伊平屋島の属島
ノ ホ ジ マ ィ ヘ ャ
は野甫島である。そこで、この伊平屋列島のことを、この両島に属する島々をも含めて伊平屋
ナ ナ パ ナ
の七離りともいっている。
ナ ナ パ ナ
沖縄本島の側から七離り(七つの離島)と呼ばれたのも、その自然的な地理条件によるが、
一つの生活圏・文化圏を作り上げているからでもあろう。行政上も同じ区域になっていた時代 が長かった。稲作も盛んであり、稲の豊作を主として祈る神歌(ティルクグチ)が歌われるの もこの列島である。琉球王朝の発祥地もまたこの列島である。伊平屋島は第一尚氏の、伊是名
ウ マ ジ マ
島は第二尚氏の生り島(出身地)なのである。なぜ沖縄本島から離れた列島に強力な支配者が
ヤ マ ト
生れたかは、容易に解明しがたい課題である。地理的に日本に近く、その文化の刺激を最も受 けやすかったことも関係しているであろう。いずれ、この列島が一つの生活圏・文化圏を形成
していることは確かである。
両島のいずれも一応歩くだけは歩いてふたが、範囲があまりに広すぎ、私の手には余るもの であった。そこで、神人組織が最も整っていて、年中行事に昔日の面影をよく留めていると思
ダ ナ
われる伊平屋島の田名部落に焦点を当てることにした。
伊是名島の神人組織は第二尚氏の血統を重視し、王権の護持をその使命とした別格のもので、
大いに研究意欲をそそられ た。しかし、神人の欠員が 多く、また在任していても 島 外 に 出 て い る 場 合 が 多 く、実感を伴った聞きとり が殆どできなかった。
伊平屋島には、北から順
ダ ナ マ エ ド マ リ ガ キ ヤ シ マ
に田名・前泊・我喜屋・島
ジ リ ノ ホ
尻そして野甫の5部落があ
マ ェ ド マ リ
る。前泊は今でこそ島の玄 関口になっているが、元々
ダ ナ
は寄留地であり、田名を名 目上の親として成立した部
シ マ ジ リ ガ キ ヤ
落である。島尻は我喜屋を 元島として枝分かれした部 落で、神人組織から祭りま
ガ キ ヤ
で が 我 喜 屋 の 主 導 下 に あ
ノ ホ
る。野甫は伊平屋島の南端
ノ ホ ジ マ
に位置する小島・野甫島に あり、それなりに完結した
ノ ホ
生活を営んでいる。野甫の 特徴は地理的な制約から稲 作を営めないが、伊平屋島 に舟で渡って稲を作ってい たことである。こうして承 伊 平 屋 列 島 の 位 置
1
g l 田 毫
喜 層
野
具志川島
や
伊平屋列島
〃〃叫切0
〆
伊是名島
屋下島 伊くO
b伊江島 平 屋 渡 僧本勵
蕊
ダ ナ ガ キ ヤ
ると、伊平屋島の本来的な特徴や古さは、田名と我喜屋にありそうである。
ダ ナ ガ キ ヤ
田名と我喜屋の古さは、兄弟始祖伝承を持つことによってもわかる。ある時、島を襲撃した 敵によって島人はことごとく殺されたが、たまたま避難していた兄妹が命拾いをし、後に夫婦
ガ キ ヤ
になって島建ての祖になったというのが、その口伝の大略である。しかし、現在の我喜屋の神 人組織はほとんど滅亡し、一人の神女を残すだけになったのに対して、田名の方は古来からのダ ナ
神人組織をかなり残しており、信仰心も篤い。神行事は、それを直接的に支える神人によって かなり左右されるものである。だから、昔日の盛観はないにしても、かつての名残りを比較的
ダ ナ
よく留めているのは、田名の神行事であると知られる。こういうわけで、年中行事の調査地を
ダ ナ
田名に絞ってぶた・
イ ヘ ヤ
それでは、田名の神人組織はどうなっているであろうか。伊平屋ノロを頂点とする神女が20 名おり、これをハンズナーと呼んでいる。その語義ははっきりしないが、ハンはあるいは神
田名周辺の地図
いるようである。元々の田名にはイヘヤノロ、田名の南西の方向にあった久里(クサトゥ)に はテンノロ、田名の北西の方向にあったカヂナにはアサトノロがおり、そして各々の一族に根 神あるいはウクディ神がいたわけである(17名)。ウンザミの際の主役は、海神であるオーシ ドゥガミ・ユームイガミ・ユートゥイガミ・イシドゥーガミの4名である。なお、海の神では ないが、ハミシガミはハーミという魚にちなんでシマの人ノ々を助ける神であるという。ハーミ という魚が人を助けた伝承が下地にあるようである。
現在の田名にはハンズナーを出していない一族もあるが、この門中は神人制度が出来上った 以後に移住したものと推測される。神女としての務めは終身なので、神役の継承は前任者の死 後に行われる。ハンズナーが病気や老齢のために祭祀に出席できない時は、一族の女性の中か ら代理を出す。ハンズナーはもとより代理も出ない時は、一門に不幸が起るというので、祭り の時には形だけにしる関係する全員が揃うことになる。
男の神役としては、ダナンサーと称されている大田名の比屋(ウフダナヌヒャー)と、その 次位に位置づけられたユヌシンサーと称せられる世主の比屋(ユヌヌシヌヒャー)がいる。い ずれもハンズナーと同じく終身制であったが、戦後ユヌシンサーは廃止され、ダナンサーは3
ダ ナ
年あるいは2年の任期で部落の集会で選出されている。田名ンサーは田名屋(ダナヤー)と御 嶽そして拝泉(ウガミカー)であるシンジャガーを管理している。しかし、かつてのユヌシン
↑ ○ ク バ 山 御 嶽○
繩▲
アカシ浜
も−−トウンチビ御嶽
鋤
−御 ウ ツ カ
田 / 名
▲
アサ岳
前 岳 ( 前 も
幹
▲
も)
○
獄 マーヂャ#御 嶽
サーも、アサギ(神殿・
今は存在しない)の東隣 に家を持ち、田名ンサー
と同じく神域の管理を職 掌としていたという。し てみると、これは実際の 仕 事 は ユ ヌ シ ン サ ー が し、田名ンサーはノロに 匹敵するような信仰心を 持って彼に指示を与える だ け で あ っ た よ う で あ る。
神人ではないが、祭り の時の補佐役として、サ ニモ1名とアサギンサー 2名がいた。サニモはハ ンズナーの雑用を受け持 つので、30代の働き盛り の女性が選ばれた。アサ ギンサーは男の神役の下 働きをしたが、男女に関 係なく選ばれたようであ る。この2名は1年任期 で、班(組シンカともい う)から選ばれ、その任 期が終ると次の班に受け 継いだ。田名の班は大体 12班に分れているが、人 口の増減によって若干の 変動がある◎アサギンサ ーの語義は、ダナンサー や ユ ヌ シ ン サ ー の 語 義 か ら 類 推 す る と 、 ア サ ギ
(神殿・祭殿)の比屋で
−
あることが分かる。祭場であるアサギに詰めて神行事に関する伝達などの雑用に従事したこと から、このような尊称が生れたものかと思われる。このサニモとアサギンサーは、戦後廃止さ
神 女 の 神 名 と 出 自 の 系 統
1
2
神 名
イン、ヤノロ (伊平屋祝女)
テンノロ(天祝女)
出自の系統(屋号)
国吉系統(アカリヘーク)
新垣系統(クスクイ)
3 ア サ ト ノ ロ (安里祝女) 仲地系統(ナカチヤ)
4 ハミシカミ(ハミシ神) 諸見系統(スンベーチン)
5 ナ ダ シ ノ ガ ミ 平田系統(アサトグヮー)
6 オ ー シ ドウガ ミ 仲里系統(ナカドウ リ)
7 ユ ー ム イ ガ ミ 前里系統(メートゥヤー)
8 ニエート ウイ ガ ミ 仲川竹二系統(シマジリヘーク)
9 イ シ ドウ一 ガ ミ 与那嶺系統(ヨナミヤー)
10 ユ チ ナ ガ ミ 知念系統(チニ ン チヨ イ)
11 ナ ミ ノ セ ー ク ラ ガ ミ
(ハと
仲村系統(ナカダ
いへ
一 ク)
12 ヒ ド ノ ト イ マ シ ガ ミ 大城・比嘉系統(ヒヂャオンナ)
13 ヒ ド ノ シ ヌ イ ガ ミ 新垣系統(クンヂャーガーギン)
14 ノ ダ キ ト イ マ シ ガ ミ 伊礼系統(タルラ)
15 トダキトイマシガミ 前原系統(メウラ)
16 ボ タ ン ガ ミ 新垣系統(トヂョヤ)
17 (大神加那志)
" 、 ラ タ キ ノ オ カ ミ ガ ナ シ ー 大見謝系統(?)
18 ト ダ キ メ ー ク ル オ カ ミ 比嘉系統(ニ シ ヌ ジ 、 一ク)
19 メ ー ヌ オ ー ク ラ ガ ミ 安里系統(アサトヤ)
20 フ ダ キ ト イ マ シ ガ ミ 比嘉ゴゼ系統(ヒガゴロヤ)
れている。それでも、サニモに相当する人だけはどうしても必要らしく、手当てを出して働い てもらっている。この外に、各班にジーガサという使い者が1名おり、祭りの時に班単位の仕 事をしている。このジーガサも1年交代である。
田名の年中行事の中からウンザミ(ウンジャミとも)とシヌグを選んでぷた。この2つの行 事は沖縄本島の北部ならびにその周辺の離島や与論島・沖之永良部島にかけて流布する大折目
(大きな祭り)である。ウンザミはウナイ折目(女の祭り)と言われるのに対して、シヌグはウ
(ユとも)キー折目(男の祭り)と言われ、切り離しがたい対になっている。祭日もお盆(旧 暦7月)の直前か直後の亥の日に行う例が多い。大折目というだけあって、この祭りを挙行す るに当って物心ともに負担が多かったせいか、ほとんどのシマ(部落)では一年交代でこの祭 りを行っている。しかし、田名の場合は2つとも連続して毎年催している。祭日も、ウンザミ はお盆のウークイ(お送り)が済んだ翌日(7月16日)から2日間執り行い、シヌグは中1日
(18日)おいて19日から3日間執り行うことになっていた。特にウンザミ(海神祭)は現在で も一門が一堂に集まる唯一の機会で、シマ(村落共同体)が最もにぎわい、同族意識が高揚す
る時である。
ウンザミとは海神の意で、海の彼方から来臨する神々を指す。この祭りはこの海神を迎え、
島の繁栄を予祝してもらった後、送り返すというものである。この祭りの神送りをヌイシヂチ というが、これは乗連の義である。神々を送り出す時、神人が各門中から出す馬に乗って行列 を組むことから、この名称が生れている。シマ(部落)ではウンザミのことを「神送祭」と表 記しているが、これはこのヌイシヂチからも分かるように、神送りが主になっているからであ
る。
このヌイシヂチについては、次のような由来讃がある。昔、喜界ケ島のノ瘤(祝女)が首里 に上ってやがて帰途についたが、運悪く台風に遇い、伊平屋島田名の東海岸・アカシ浜に避難 した。そこで、田名のノロ(祝女)を頂点とする神人たちが彼女たちを歓迎して交流を深め た。こうして渡海安全を祈念しながら鬼界ケ島のノロー行をアカシ浜から見送ったのが、ヌイ シヂチ(乗連)の行事だという。鬼界ケ島ではこの頃、この船出したノロを迎える祭りをして いるとル、う。ヌイシヂチの後、豊作祈願を中心としたティルクグチ(神歌)が歌われるが、こ れは田名の人々に歓待されたお礼として鬼界ケ島のノロが残した置士産だという。
この由来認によると、船出するのは鬼界ケ島のノ瘤であって、海彼の神ではない。しかし、
海彼の神の送迎が本来の姿であり、これに鬼界ケ島のノロの去来という歴史的な事象が上乗せ されたものかと思われる。このことは、鬼界ケ島のノロの置土産といわれるティルクグチをゑ ても言えるようである(後述)。以上のように、ウンザミは神女たちが中心となって催す女の
祭りである。
これに対して、シヌグはシマではこれを『男児祭」と表記しているように、男の子(1才児か ら3才児まで)の健やかな成長を祝福することを主題とした祭りである。また、元服間近い元 気一杯な少年たちが悪魔払いという活躍の場を与えられ、性に目覚めた行為をしている。そし て、神代から伝わるという初々しい恋を主題とした歌謡(トゥンザマ・道歌ともいう)が歌わ
△後岳
< 田 名 部 落 の 略 図 > Oウッカー御嶽 田 名 屋 ノ ロ 殿 内
O O
シンジ
③
至アカシ浜
勺 1 L
ウ フ グ シ ク
れ、男子の出世栄達を願ったかと思われる歌謡(大城グェーナという)も歌われる。そして、
この祭りの司祭者は田名ンサーを中心とした男の神役である。以上のように、シヌグは年令階 梯的な男性社会の祭りである。
田名部落の略図を上げ、ウンザミとシヌグに関わる聖地・祭場を示しておく。田名は北方の
ク シ ダ キ
後岳を腰当てにして、生活条件のいい南向きの傾斜地に立地している。ウッカー御嶽の神に抱 きかかえられることによって、心安らかな生活を保障してもらおうとしているのである。田名
ク サ テ イ ウ フ ダ ナ ブ シ
におけるこの腰当て信仰は、めでたい時に歌われるく大田名節>にもよく示されている。
トヨ ウ フ ダ ナ シ マ ク シ ダ キ ク サ マ エ モ リ マ エ ウ フ ダ ナ プ シ
○だんじゅ響まりの大田名の村や後岳を腰当て前森前なち(大田名節)
フ ン シ ー
(とても評判の高い大田名の部落は、後岳を腰当てにし、前森を前にして、風水もよく、
見事に繁栄している)
ダ
そこで、部落の神域もウッカー御嶽に最も近くて、部落を見下ろせる位置にある。今日、田
ナ ヤ ー ド ゥ ン チ
名屋並びにノロ殿内と神アシャギ(跡)並びにユヌシンサーの家(現公民館)との間に小・中
ダ
学校(跡)があって大きく離れているが、これは学校建設のために引き離したものである。田
ナ ヤ ー ド ゥ ン チ
名屋もノロ殿内も元はアシャギとユヌシンサーの家のすぐ上手にあったが、神域の上手に学校
ド ゥ ン チ ダ
は作られないというので、この2つがもっと山の手に改めて作られたのである。ノロ殿内と田
ナ ヤ ー ド ゥ ン チ ダ ナ ヤ ー
名屋は東西に隣接して建っているので、ノロ殿内をアガイドゥンチ(東殿内)、田名屋をイリ
ドゥンチ(西殿内)とも称している。
ウンザミとシヌグは、他のシマと同じく省略が目立っている。そこで、神人をはじめシマの 人たちの好意で、できるだけ昔の形を復元して象ることができた。心から感謝申し上げる次第 である。しかし、私の聞き違いや見誤りのため、なにかと不足なところがあるかと思う。それ
らについては更にお教えをうけて補足・訂正していきたい。
ウ ン ザ ミ
ウンザミは旧暦7月16日・17日の2日間にわたって行われる。この祭日の3.4日ほど前に
ミ キ クミ
神酒(ウンサクとも)を作り、祭りに備える。材料の米は班(組シンカ)単位で集める。各家 庭から適当な量の米(3合とも1升ともいう)をジーガサが集めて田名屋に持参し、区長がこ
ガ ー
れをまとめてハンズナーに渡す。この米をシーヂャー井の水でうるかし、やわらかくする。こ れをアサギの庭に置き、村の14.5才の娘たちに噛ませる。こうして2.3日ほどすると自然 に発酵し、祭日には飲承頃になる。
7月15日はお盆のウークイ(お送り)の日である。御先祖様をお送りした後、オーセドゥガ ミ(大勢頭神すなわち立派な船頭神の意で、海神4名の中の最高神である)・伊平屋ノロ・ナ ダシノガミ・ハミシーガミそして田名ンサー(比屋)の5名が仲里家(オーセドウガミの出る 元屋)に参集し、翌日から始まるウンザミの日程を確認し、祭りの成功を祈願する。特に好天 気になるように祈るが、これは海神の渡海安全を願ってのことである。
仲里家での集りの様子は、次の通りである。前庭に席を敷いて祭場にする。神人の配置は、
この祭りの主役であるオーセドウを中心とし、ハンズナーの中心的な神女と男の最高の神役が
ウ フ ヂ ン
これを取り巻く形をとる。全員神衣裳を着て参列する。神衣裳とは、白い大衣を羽織り、白い 手拭い(ハミサーヂという)を鉢巻きにしたものである。男の神人は羽織り。袴姿である。前
日の祈願とはいうものの、こうしてゑると海神はすでにシマに来臨していると推測される。各 神人の前には村から出されたオームチ(鬼餅)2 個とウンサクと酒(沫盛)が供物として出され
る。線香や花米・水花などは供えられていない。
サニモという女性の補佐役が神人たちの接待に従 事している。以上の儀は、5.6年前から中止さ れている。
一夜明けた16日は、ウンザミの始まりの日であ る。各家庭で神撰となるオームチ(鬼餅)を作 る。ヂーガサが一軒あたり一斥(オームチ7.8個 分)を集め、これを夕方までにアサギに供えた。
各家庭では、この夜に訪れる海神たちに供えるオ ームチも準備しておく。
仲 里 家 の 家 屋
サニモ
GJOZC
屋ノロ シノ シ ー
門
< 前 日 の 祈 願 >
夕方、海神を除く 神人たちが神衣裳を つけてアサャギに参 集 し 、 フ ナ ウ ク イ
(舟送り)の儀をす る。神人の揃った頃 を見計らい、男の神 役が仲里家に海神4 名を迎えに来る。海 神4名の中の最高位 にあるのがオーセド ゥで、これは大船頭 の義である。次位は ユ ー ム イ で 、 こ れ は
梶取りの義のようで ある。次の位はユー トゥイで、これはア カ(舟底にたまった 海水)取りの義であ る。最後はイシドゥ で 、 碇 の 係 り で あ 海神4名は、神衣裳
Z4.,②, ロ ロ ノ ノ ーロ
塁???? .??? Ec
丑 名 ン 比 屋
¥ 内 の 神 人 の 配 濯
イシドウ
自
ユートゥイ ユームィ オーシドゥ
(影屋)
" " { ;
汁 の 』
ー 柱 ア シ ャ ギ
<舟送り神事の図> ↑
る。この4神が一体となって始めて神の舟は円滑に渡海できるのである。海神4名は、神衣裳 を身につけ、弓に模した棒を持ってアシャギに向かう。海神にはナレクという14.5才の女の 子6名が従う。ナレクは海神のお供であって、白衣裳を着ている。
アシャギ内の神人の配置は図の通りである。()で括った海神の席は指定された席であるが、
この日は座らない。海神は、アシャギに着くと、アシャギの西隣りに臨時に設けられたカギヤ
カ ギ ヤ ー
一(影屋)に入り、東向きに座る。影屋は殿内の傍に生えているマーニの葉で屋根だけを葺い
カ ギ ヤ −
た仮屋である。影屋の前には2本の杙がうってあり、これとアシャギの2本の柱を縄で結んで 細長い空間を作ってある。これを作るのはユヌシンサーの務めであった。この空間こそは、海 神が乗って帰る舟に見立てられたものである。そして、この舟は東側を向いているという設定 である。というのも、村の東方のアカシ浜から船出することになっているからである。
カ ギ ヤ ー オ ー ム チ
海神が影屋の所定の位置に座って全員が揃うと、部落から集めた鬼餅を神格に従ってアサギ ンサーが分配する。
それから神酒(ウンサク)の配膳が始まる。伊平屋ノロと田名ンサーの酒器は特に大きな椀
● ● ●
である。神人に配られる酒器はユヌシと称される。その語義は世直しすなわち幸福を新たにも たらすものということである。全員が合掌した後、伊平屋ノロと田名ンサーとの乾杯を機に他
■可■■﹃泡︒﹃I
=
◎−
︒ OOOOOOo0︒◎
ー
◎
P
OoOOOO
I
M
一
■
の神人たちも神酒を飲むb
ウ ン ザ ミ
次いで、女性のアサギンサーが海神に神酒を勧める。海神は立ってユヌシを受け、これを左 右に3回揺らしてから飲承干す。この時、海神は何か小声で歌うが、何を歌っているのか全く 聞えず、後でも教えてもらえなかった。謝酒歌でも歌ったのであろうか。こうして海神に3回 給仕して飲んでもらう。海神がこれから帰るので、その別れの盃だという。最後に、ナレクの 6名にも神酒を勧める。
オ ー
次いで、海神を除く16名のハンズナーたちは魔を払うといわれる葦を持って、舟に見立てら
オ ー
れた縄囲いの周りに立つ。葦とはセークノヨシといわれる植物で、見事な穂を出している。こ
オ ー
の植物は湿地によく生え、放置した水田に繁茂しやすい。ウンザミに用いる葦はユヌシンサー
オ −
の家の傍に生えているもので、その準備はユヌシンサーがしていた。この地の葦はこのウンザ
オ ー
ミの時以外に採取してはいけない呪物であった。葦は強くて美し↓、穂を出すので、嘉例(カリ ー)のものとされ、アンヂキャー(追込承漁)にもこれを用いているという◎
海神は手を上下させながら神歌を歌う。この神歌は現在ではほとんど聞きとれないほどの小 声になっている。8〜10節程度の神歌である。後でハンズナーに訊ねても秘伝ということで教 えてもらえなかった。渡海安全の予祝歌であることだけは予測できるが、正確な歌詞を知りえ ないのは残念である。ただこの時の歌か、明日のマジキナーのハンタで歌う神歌かは不明であ るが、「オーシマスガキ」という一節があるという。「大島へ早く行こう」という意味で、
鬼界ケ島へ早く着こうとしていると説明する。しかし、このオーシマの元の意味は海彼の神の 国のことかと思われる。「奥武島」の名義を考える時に参考になる伝承である。
オ ー オ ー
次いで、海神4名は他のハンズナーが持つ葦よりも一際大きな葦を手にし、縄囲い(舟)に 乗り込む。初めは艫(西の方)にオーセドゥが立ち、海神全員が「ウメーヌカー」(漕ぎ出そ う)と掛け声を掛けると、他のハンズナーたちは、「ウシ」(はい)と答える。このやりとりを 3回繰り返す。次にオーセドゥは舳先(東方)に行き、同じことを繰り返す。こうして艫と舳 先を3回往復する。昔は渡海は並の働きではできないというので、神歌を声高らかに歌い上 げ、神衣裳もはしょって渡海の様を熱心に演じたものだという。
こうして、翌日の海神の船出を予祝し、天気に恵まれた船旅であることを祈願して、舟送り
(フナウクイ)の儀は終る。
この後、16名のハンズナーは帰宅するが、海神4名は仲里家に集まり、それから部落中の各
ム ラ マ ー イ
戸を廻って(村廻りという)、悪魔払いをし、翌日の好天気を祈る。この時、各家のかまどの
オ ー オ ー イ
後ろに一本の葦を入れていくので、この儀を「葦入り」といっている。
オ ー イ ア ガ リ
4名の海神は東西の2手に分かれて「葦入り」をする。部落の東の方面はオーセドゥとイシ
イリ
ドゥーが分担し、西の方面はユームイとユートゥイが分担する。東西の区分けは中道(中筋と も)を境界線にしているようである(あるし、はハーラ川を境にしているともいう)。海神2名 はナレク3名を供にして家々を訪れる。この時、各家では男を全員外に出し、女ばかりが海神
オ ー
を迎える。海神はカマドの後ろに葦を一本入れて悪魔払いをし、その家の繁栄を祈る。家人は
オ ー ム チ サ キ
海神を歓待し、家によっては庭に鳶を敷き、奇数個の鬼餅と酒(沫盛で、ウグシーともいう)
を海神に捧げて謝意を表わすとともに、渡海の安全を祝福する。お供物は供のナレクがもらっ
オ ー イ
て自分のものにする。各戸廻りは夜明け頃までかかったという。葦入りの儀の意義については、
一家の繁栄を祝福することにあるということ以上のことは聞き出せなかった。しかし、その詳
オ ー イ
細は明日の午後から歌われるティルクグチに述べられているようである(後述)。葦入りを終
オ ー イ
えた海神は一旦仲里家に帰り、休息をとる。以上の葦入りの儀は、現在は省略している。
火 の 神
田名ンサー
千 ヒドノシヌイ○→ 9 2 区 長
ノダキトイマシO, 一○フダキトイマシ
ヒドノトイマシ○一・ 40メーノオークラ ナミノセークラ0−, Oトダキメークル
ユ チ ナ ○ ‑ @ o C ハ ラ タ キ
ナ ダ シ ノ O + 一 ○ ボ タ ン
ろろらろろろろろわトダキトイマ〃
滝蹴字字三
・台、童之》;
田名屋
薦
シ ド ウ ー ートウイ ームイ ーシドゥ
イユユオ
<現在の舟送りの儀の配置>
フ ナ ウ ク イ
現在のく舟送り>は簡略化が著しいが、一応ここでまとめておく。一夜明けて17日に執り行
カ ギ ヤ ー
っている。現在アサギはないので、祭場を田名屋に移している。影屋も設けず、舟に見立てた 縄囲いも、もっと写実的に布で舟を模している。祭場の敷設や祭具は、ほとんど田名ンサーが 整えている。神人の配置は図の通りである。アシャギ内の配置と比較して、神人の配置が逆に なっていることに気づく。これは田名屋の管理者という存在が、ウンザミが神女中心の祭りで あるという論理に優先した結果かと思われる。<写真1>
16名のハンズナーが田名屋に揃った頃を見図らい、田名ンサーが海神を仲里家に迎えに来
ウ プ ガ ー ガ ー
る。海神は連れ立って部落の神道を通って田名屋に向かう。途中で産井であるクンヂャー井を 拝し、お水撫で(額に井戸水を撫でつける)をする。海神が田名屋に着くのは10時頃で鳶に海
オ ー ム チ
神が座したのを機に鬼餅が分配される。鬼餅の料は部落から出す費用と伊平屋ノロ並びに田名 ンサーの出す費用でまかなわれている。次いで、神酒を飲む。海神にはノロ以外の若いハンズ ナー4名が神酒を給仕する。海神はユヌシを揺らしながら神歌らしきものを唱するが、小声で
フ ナ ウ ク イ
全く聞えなかった。次いで、<舟送り>が始まるが、艫と舳先での所作は一度だけであり、掛
フ ナ ウ ク イ
け声にも力が篭もらない。形ばかりで、寂しいことである。<舟送り>はこうして10時半頃に
○今伊①
○今
終る。そして、マジキナーヌハムタに向かう。ここからは大体昔ながらの式次第と同じであ
る。
フ ナ ウ ク イ
17日はヌイシヂチ(乗連)の日である。上述したように、現在は前日のく舟送り>の儀も一
緒にしているが、それを除いて式次第を述べる。
昨日と同じく、神人たちはアサギに参集する。ハンズナーはいつもの神衣裳の外に、マーク という冠り物を頭に巻く。マークとは、輪状に藁を編んで、これに数本のガヂュマルの生気溢 れる小枝を挿し立てた呪物である。ガヂュマルの小枝は、太陽に当って成長のよい東方に向い た枝から採るようにしている。ガヂュマルの若葉が白い神衣裳とコントラストをなして美し い。田名ソサーの連絡を受けて海神も参列するのは10時頃である。神人たちに給されるのはお
茶程度である。
海神が到着すると、神人全員は直ちに部落の東端にあるマジキナーヌハンタ(涯)まで歩い て行く。マジキナーのハンタは神の地で、涯になっている。サキ(チとも)のモー(崎の野)
ともいわれるように、野にもなっている。このハンタは普段はハナシチのハンタというが、祭 りの時に限ってマジキナーのハンタという。このハンタの野に東方のアカシ浜に同いて海神4 名を先頭に整列し、海神が神歌を歌う。ここでも小声でやはり全く聞きとれなかったし、後で
も教えてもらえなかった。しかし、海神だけが手を上下させて歌い、8〜10節程度のものなの
フ ナ ウ ク イ
で、アシヤギ(現在は田名屋)で歌ったく舟送り>の神歌と同じものかと推測される。海上安全 の祈願を反復することによって安全の保障を得ようとしているものかと思われる。<写真2>
マジキナーのハンタを下りたハンズナーたちは、各々の出自の一門が仕度した馬に乗り、ア カシ浜に向かう。この馬は、一門の元屋の当主が田名川で洗い、馬具をつけて準備したもので ある。馬の口取りも本来は元屋の当主の任務である。ハンズナーに事情があって参列できない ことがあっても、この馬だけは出さなければならないことになっている。そして、一門はこの 各々のハンズナーの後ろに従ってアカシ浜に行くことになっている。ハンズナーが行進する順 位も決っている。まずオーシドゥを先頭に、ユームイ・ユートゥイ・イシドゥの海神が先に立 つ。それからハミシー・伊平屋ノロ・テンノロ・アサトノロ・ナダシノ、そしてそれ以下は く神女の神名と出自の系統>に書いた順、すなわち10番のユチナ以下が続く。
こうしてみると、ハミシーとナダシノはノロ(それも伊平屋ノロ)の補佐役をしているよう である。主だった神人の打ち合せでもあった仲里家の集合にも参列し、ハンズナーが全員揃う 時もノロの左右に控えている。そして、今また馬の行列でもノロの前後に位置づけられている
のである。
それはともかく、このように一門あげて磨き上げた馬に一族の神女を乗せたので、否応なく 同族意識が掻き立てられ、華美を競うことになった。神女を乗せた20頭の馬が連なる様ば壮観 で、それでこの神送りの日をヌイシヂチ(乗連)というまでになったのである。水田耕作をし ている田名も現在では機械化が進承、馬の調達が苦しくなっている。また元屋が没落している 一族もあって、昔ほどの華やかさを失っている。しかし、それでも祭り全体を通してみると、
ヌイシヂチが最もにぎやかな晴の場である。<写真3>
アカシ浜のナートゥンチピ(川の尻すなわち川口の意)に着くと馬から下り、海彼の神・竜
オ ー
宮の神を祀るナートゥンチピ御嶽を拝し、海に突き出た岩鼻に立つ。そして、手にしている葦 を海面に投げ込んで海の凪ぐのを呪し、全員で渡海安全を祈ってダンヂュカリユシを歌う。沖 縄では一般に知られた旅立ちの祝い歌であるが、一応上げておく。
○ダンヂュカリュシヤイラディサシメシェルオネノツナトレバカジヤマトモ だんぢゅ嘉例吉や選で差しめしえる御舟の綱取れば風や真艫(本当に嘉例吉の 舟は、日を選んで出航するものだという。お舟の綱をとると、風は真艫に吹く°)
こうして、海神を送り返し、神人たちも村人も帰路につく。マジキナーのハンタの下の三叉 路で流れ解散し、そのま上各々の門中の元屋に帰る。時間は大体お昼頃になっている。
元屋に帰ったハンズナーは神衣裳を脱ぐが、マーク(冠り物)の扱いには注意し、屋敷内の 誰にも触られない所に捨てる。特に伊平屋ノロの場合は、ノロ殿内の屋根の上に捨てるのを慣
例にしている。
20の元屋では各々に一門の者を迎える準備に忙しい。元屋を失った一門は、田名屋などの殿 内の前に鳶を敷いて座を設ける。ヌイシヂチで高められた同族意識は、午後の一門(マガラと いう)の集いへと導かれる。1時頃から一門の人達は酒肴を携帯して参会する。お供物を仏壇 に供え、ハンズナーと元屋の当主がウンザミの終了を先祖に報告する。次いで、両人の酒盃の 交換がなされる。当主はハンズナー(根神ないしはウクデイに相当する)のお蔭で一門が栄え ていることを言上して献盃し、ハンズナーもまた一門の、特に元屋の当主の健康と繁栄を祝福 して献酒する。以下、分家の格と参会者の年令順にハンズナーと酒杯(沫盛)の交換がなさ
れ、祝福と感謝のやりとりが行き交う。
この一族(マガラ)の集いは血のつながりが基本である。父と子がその一門の元屋に参上す るのは当然であるが、嫁いできた妻はその実家の元屋に行くのである。夫婦であっても、出自
が別のマガラであれば分れ分れになるわけである。
シ ー ミ ー
一門が寄り合うのは、このウンザミの時だけで、盆・正月・清明祭でもこのような顔合せは しない。このため、この日の話題は一族の絆を深めることを主題にすることが多い。たとえ ば、機械化のあおりで馬が減少しているので、馬の調達をどうするかとか、傷んだ馬具の修理 をどうするか、などということが話し合われる。馬の装いが一門をまとめる象徴になっている ようである。そこで、このマガラの集いは、一門の姓名の由来を知り、系図を辿ることに熱心 になる。自分たちのルーツを求める意欲はシマ(部落)を出た者に特に強く、ウンザミにはで きるだけ子や孫を引き連れてくるようにしているようである。
以下、歌舞音曲を交え、一族の交流を深める。ウーシドゥ(仲里門中)・アサトノロ(仲地 門中)・ヒドノシヌイ(新垣門中)の宴に私も加えてもらい、懇意にさせてもらったのは、あ
りがたいことであった。
夕方4時頃から田名屋でティルクグチの儀が行われる。元々田名屋で行っていたかは確認し ていない。ティルクグチは鬼界ケ島(チチャジマ)のノロが歓待されたお礼に置土産にした神 歌だという・そのノロー行はアシャギで歓待されたわけであるから、ティルクグチを歌うのも
アシャギであるのが筋であるかと思う○現在の田名屋での神人の配置ほこの日の朝と同じであ るが、もしアシャギで行うとすると、前日の配置と同じことになろう。田名ンサーの傍には区 長や村の男たちも数名座している。
神送りの無事に終ったことを神に報告し、全員が礼拝する。神酒を注いだユヌシが配られ、
全員が飲む。この後、区長(部落幹部)が挨拶する。その趣旨は、ウンザミが無事に終了した のも神人のお蔭であるとして謝し、今後も精進してほしいというものである。
次に、ティルクグチを歌う。ティルクとは太陽神のこと、:クチとは口すなわち言葉の意で、
チ ヂ ン
全体で太陽神の言葉ということになる。歌い方は、村の男が打つ鼓とバンズナーたちの打つ手拍一 子に合わせて、村の男1人が一節を歌うと、残りの男たちがこれを復唱するというものである。
復唱する男は現在は数名になっているが、昔は20数名にも及ぶことがあったという。<写真4>
そのティルクグチの歌詞を示す。片仮名の部分はできるだけ発音通りに表記し、次にこれに 義を加えて漢字平仮名交りに記し、最後に()で訳を記した。よく分からないところも多い が、大体の意味は通っているかと思う。なお、段の区分と通し番号は、内容を把握するために 便宜上つけたものである。以下、同じ要領である。
<ティルクグチ>
一 段
1シマヌウヤノウメーウテイ島の親の御前居て(島の親の御前に居て)
2クニヌウヤノウメーウテイ国の親の御前居て(国の親の御前に居て)
3ユカリグトゥシャ(サとも)リライ良かり事しやりらい(良いことをしましょう)
4カフナグトゥシャリライ果報な事しやりらい(果報なことをしましよう)
二 段 (ヤ)
5ワガウトガ(オトジャあるいはオトドヤ)イモヨーリ吾が兄弟いもようり(私の兄 弟は来なさい)
( イ ) ( ヤ )
6ワガウナリイモヨーリ吾が姉妹いもようり(私の姉妹は来なさい)
(サ)
7ユカリグトゥシャリライ良かり事しやりらい(良いことをしましょう)
8カフナグトゥシャリライ果報な事しやりらい(果報なことをしましょう)
三 段
(二)
9ワラピナヤヌーナガ童名が何名が(家主の童名が何々である者が)※ヌーナの箇 所には各家庭の戸主の童名を入れて歌う)
(二)
10ウクヌナヤヌーナガ奥の名や何名が(家刀自の名が何々である者が)※ヌーナの箇 所には各家庭の主婦の名前を入れて歌う)
11ヤグラヒャクムチヤウリ(ムチヨリとも)屋蔵百持ちやうり(倉を百も持ちなさい)
12カシラアンユヨウリ頭あんゆようり(頭になりなさい、の義か)
四 段
13ハチヌファワティダヤリ初の子は太陽やり(初めの子は太陽神である)
14ウフヌファワチヂヤリ奥の子は月やり(女の子は月神である)
15テイダガナシワンヤリ太陽加那志吾やり(太陽の神様は私である)
1 6 オ ク ガ ナ シ チ チ ヤ リ 奥 加 那 志 月 や り ( 妻 の 神 様 は 月 で あ る ) 17テイルクミガハヂミているくゑが始承(てるく神の始め)
18ナルクミガノダティなるくゑが宣立て(なるく神のおことば)
( キ ) ( ル )
19チチャカラドハジミ鬼界からど始承(鬼界ケ島からの始め)
( キ ) ( ル )
20チチャカラドノダテ鬼界からど宣立て(鬼界ケ島からの神のことば)
(キ)
2 1 チ チ ャ ヌ シ マ ユ ヨ リ 鬼 界 ぬ 島 ゆ 依 り ( 鬼 界 ケ 島 に 依 り )
(キ)
2 2 カ ニ ヌ シ マ チ チ ョ ロ チ 金 の 島 ち ち よ 降 ろ ち ( 金 の 島 一 徳 之 島 と も い う が 、 鬼 界 ケ 島 の称辞とも思われる−に依り降り)
2 3 ダ ナ ヌ フ ァ ガ カ ケ ジ マ 田 名 ぬ 子 が 掛 け 島 ( 田 名 の 子 が 支 配 す る 部 落 ) 2 4 ダ ナ ヌ フ ァ ガ エ エ ジ マ 田 名 ぬ 子 が 得 々 島 ( 上 に 同 じ )
2 5 シ ム シ ザ キ フ サ テ ィ 澄 む し 酒 欲 き て い ( 澄 ま し 酒 一 神 酒 一 が 欲 し く て )
(上)
2 6 シ ル マ ミ ヂ フ サ テ ィ 白 真 水 欲 き て い ( 上 に 同 じ ) 2 7 ト ゥ ク ヌ ユ ヌ ヌ シ ガ 徳 ぬ 世 ぬ 主 が ( 徳 之 島 の 支 配 者 が ) 2 8 ト ゥ ク ヌ ワ カ ザ ラ ガ 徳 ぬ 若 ざ ら が ( 上 に 同 じ )
(ラ)
29マシチョレバフサティましちよれば欲さてい(ましちよれ−楽しゑ?−が欲しくて)
30タノシミパフサティ楽しみば欲さてぃ(楽しゑが欲しくて)
(キ)
3 1 ア ラ チ ワ カ ザ ラ ガ あ ら ち 若 ざ ら が ( あ ら ち 若 按 司 が ) 3 2 ア ラ チ ワ ウ ト ミ ガ あ ら ち 若 乙 女 が ( あ ら ち 若 乙 女 が ) 3 3 ヤ マ ヂ カ サ ト ー ト サ イ 山 司 尊 と さ い ( 山 の 神 を 尊 承 )
(キ)
3 4 タ チ ヂ カ サ ト ー ト サ イ 嶽 司 尊 と さ い ( 上 に 同 じ ) 五 段
( キ ) ( キ )
35イシチョラバチチョロチ石清らぱちちよ降ろち(石清ら−堅く実った稲の実か一を ぱ愚ぎ降ろし)
( キ ) ( キ )
36カキチョラバチチョロチ金清らぱちちよ降ろち(上に同じ)
37カヤノハノイネナリ茅の葉の稲生り(茅の葉のように稲が実り)
38シギノハノアワナリしぎの葉の粟生り(しぎの葉のように粟が実り)
39フィトゥムトゥガフタムトゥ−本が二本(1本が2本に枝分れし)
(ツ)
40フタムトゥガトゥチムトゥ二本が十本(2本が10本に枝分れし)
41イシミテテユラショリ石実てて寄らしより(石実一石のように堅い実一といって寄 ら せ て 下 さ い ) ゞ
42カニミテテナピカショリ金実てて扉かしより(金のように堅い実といって扉かせて 下さい)
43アブシカタワカラン畦形分からん(畦の形が分からないほど稲が実っている) ;
(チ)
44アヂラテキユシラン畦らてぎゆ知らん(畦というものを知らないほど実っている)
45グンガチガナラバ五月がならば(五月になれば)
4 6 ル ク ガ チ ガ タ タ ( 六 月 が 立 た ぱ ( 六 月 に な れ ば )
47アチヌカマムチムチ秋の鎌持ち持ち(秋一収穫の時一の鎌を手に手に持ち)
(し)
48アチヌイラナムチムチ秋ぬいらな持ち持ち(上に同じ)
(リ)
49ムツマタニカイミチ六つ俣に刈い満ち(六本柱の高倉に刈り満たし)
50ヤツマタニチミミチ八つ俣に積象満ち(八本柱の高倉に積んで満たし)
5 1 ム ツ マ タ ヤ ク ミ グ ラ 六 つ 俣 や 米 倉 ( 六 本 柱 の 高 倉 は 米 倉 だ )
(ヨ)
52ヤツマタヤゼニグラ八(四)つ俣や銭倉(八一四一本柱の高倉は銭倉だ)
53ムツマタヤタミグラ、六つ俣や溜象倉(六本柱の高倉は貯え倉だ)
(キ)
54ヤツマタヤシチグラ八つ俣や質倉(八本柱の高倉は質倉だ)
55クンドゥカラシルザイ今度からしるざい(今度からシルザイー未詳一)
56ハジミカラナルザイ初めからなるざい(初めからナルザイー未詳一)
57ヤグラチミミチョリ:屋蔵積承満ちより(屋蔵に積承満たし)
(キ)
58アチチヨウイミチョリあちちようい満ちより(アチチヨウイー屋蔵か−に満たし)
59フチャグチヌアチョリ外口ぬ開ちより(高倉の外口が開いたら)
60ウチグチヌアチョリ内口の開ちより(高倉の内口が開いたら)
61シムシザキイダショリ澄むし酒出しより(澄まし酒を出されよ)
62シルマミヂイダシヨリ白真水出しよりjx(白い真神酒を出されよ)
63テイルクミニマツリているくゑに捧り(ているくゑ神に捧げよ)
64ナルクミニノダティ:なるくぷに宣立て<なるくみ神に感謝せよ)
六 段
65ティルクミガュルグトゥているくゑが言る事(ているく承神が言うことは)
66ナルクミガイルグトゥなるくみが言る事(なるくゑ神が言うことは)
67クチマササアヤピンロ正さあやびん(ことばに正しさがある−適中する−)' 68クトゥマササアヤビン言正さあやびん;(上に同じ)■■
69ワンフクティカラヤ吾誇ていからや(私が楽しんでからは) 70ワンスクティカラヤ吾歓ていからや(私が歓んでからは)
(リ)
71ヤニガトゥシナラバ来年が年ならば(来年になったなら)
(リ)
72ムカウトゥシナラバ向かう年ならば(上に同じ)
73ユクンザキショワリ良くん酒(あるいは栄え)しよわり(良き神酒一あるいは栄
え−をやろう)
74マタンカフショワリ又の果報しよわり(又の果報をやろう)
75ムツマタガヌシナリ六つ俣が主なり(六本柱の高倉の主になれ)
76ヤツマタガヌシナリ八つ俣が主なり(八本柱の高倉の主になれ)
77ヒャクサワキチョワリ百歳わきちよわり(百歳まで生きよ)
78ムムトゥワキチョワリ百年わきちよわり(上に同じ)
79ダナガヌチエラサ田名の命得らさ(田名の命を得させよう)
8 0 ク ニ ガ ヌ チ エ ラ サ 国 が 命 得 ら き ( 国 の 命 を 得 さ せ よ う )
81ダナスュイアマヨリ田名主ゆい余より(田名の主より命が余りなさい)
8 2 ク ニ ス ユ イ ヌ ク ヨ リ 国 主 ゆ い 残 よ り ( 国 の 主 よ り 命 が 残 り な さ い )
(ファ)
83アヤサワニオイザティ綾差羽に老いざてい(綾差羽一綾なす雛のことか−ができる まで)
(パ)
8 4 ミ ガ チ バ ニ オ イ ザ テ ィ ゑ が ち 羽 に 老 い ざ て い ( 承 が ち 羽 一 綾 差 羽 と 同 義 か 一 が で き るまで老いて)
( ジ ) ( ワ キ )
8 5 イ シ ク シ マ ナ ル ハ ケ 石 く 島 な る は け ( 石 の よ う な 島 に な る ま で )
( ジ ) ( ワ キ )
86カニクジマナルハケ金く島なるはけ(金のような島になるまで)
七 段
( キ ) ( サ )
87イチシラニシャリライ行ち際にしやりらい(行く間際になった)
(サ)
8 8 タ チ シ ラ ニ シ ャ リ ラ イ 発 ち 際 に し や り ら い ( 出 発 す る 時 に な っ た )
全体は88句からなっている。そして、その奇数句と偶数句は対句になっている。いわゆる典 型的なクェーナ形式をとっている。この詞章上の対句仕立ては音楽の上にも現われ、旋律に対 偶関係が認められる。すなわち、奇数句と偶数句の旋律は似ているが、明らかに違っているこ
とも素人目にすらわかる。
ト ウ ン チ
ー段は、殿内(あるいはアシャギ)という聖なる場所だけで歌う特別な詞章である。部落内 の一般家庭で歌う時は、二段から歌う。聖なる祭場で歌う時は、それなりの改った気持ちの表 明が必要で、「島(国)の親」すなわち島建てをした先祖の霊に敬意が払われている。ここで
シ マ
いうシマとは共同体(村落)を指し、クニ(国)と同義になっている。ここには、村が一つの
ク ニ
完結した世界を形成していて、一つの国でもあるという意識がよく伺われる。この段の発言 は、神人(神を祭る者)の立場からなされていると考えられる。
各家庭で歌う時は、二段から始める。この段はめでたい神歌を歌うに当っての触れで、兄弟
・姉妹の参集を呼びかけ、神徳に与ることを勧めている。ここも神人あるいは氏子の立場から
の発言であると思われる。
三段では各家々の主人と主婦の名を呼び立てて、その富裕を予祝する。この段はこの神歌全 体の主題を端的に示している。海彼から来訪する神がシマの家々に世果報(幸せ)をもたらす
という立場が明確に示されている。この段は神の立場からの発言なのである。
四段は五段と一連のものであるが、神の来歴を語る部分と稲の豊作を予祝する部分とで区分 してぷた。この両段はいずれも神の発言であると思われる。
四段は神の来歴を述べ、この神が田名に来て幸福を与えようとした経緯を語っている。原初 の時空に始めて生れた神が太陽神(男神で、その名もティルクミすなわち太陽神)であり、そ の妻が月神(女神)であるというように、まず己れの出自を明らかにしている。
次いで、この太陽神は鬼界ケ島に降臨したが、田名が饗応するであろう神酒(稲作の豊穣の 証しである)を楽しく飲ませてもらいたいあまりに、徳之島の按司(支配者)の捧げる神酒を 楽しく飲攻ながら旅をし、若々しい按司や乙女の住む田名の御嶽の神を尊崇して来たと述べる。
これは海の彼方から来訪する神の道行きである。よく分からないところも多いが、大よそは上 の通りであろう。
海彼の太陽神がどうして鬼界ケ島そして徳之島を経由して田名に来るように信じられている かという疑問は当然生れる。道の島を南下するように語る神の道行きの部分は、伊平屋・伊是 名両島に流布する類型的なティルクグチと比較しても特徴的な部分である。この疑問には、鬼 界ケ島のノロー行が台風避難のために田名に寄ったという伝承が答えてくれそうである。海彼 から来訪する太陽神は、ウーセドゥ神(船頭の神)を始めとする舟子の神が繰る舟で田名に来 訪し、伊平屋ノロ以下のシマの人々の歓待をうけた後、幸福をもたらす呪詞(ティルクグチ)
を与えて海彼に帰る。鬼界ケ島のノロー行もまた道の島を南下して田名を訪れ、伊平屋ノロ以 下の人,々に歓待された後、呪詞を与えて鬼界ケ島に帰る。両者の往来のあり方はほぼ一致して いる。相違は海彼とシマを往来する者が神か神人かであるだけだが、これにしても結局は同じ ことで、遠来の貴い者に対する遇し方は一つなのである。徳之島の世の主(按司)が鬼界ケ島 のノロー行を遇した方式もまた、神迎えの式次第だったはずである。神の語りがいつのまにか 特定の神人や英雄の語りにすり替りやすいのも、両者の偉大さ・異常さを尊ぶ遇し方にある。
このように、四段の道行きの条は、外来神が来臨する方式と他島の神人が来訪する仕方が重ね 合わされて出来上ったものと思われる。琉球(あるいは古代日本)で普遍的に行われていた祭 りの構造に、一回生起的な歴史上の出来事が上乗せされて生れ落ちたのが、四段の道行きだと 推測するわけである。鬼界ケ島のノロの発言と思わせる箇所はこの他にもある。
シ マ
五段はかなり長大で、この神歌の中心的な部分である。部落の生業である稲作の豊穣を予祝
. シ マ
している。ティルクミ(太陽神)は部落の人,々から歓待されて神酒を飲ゑたいので、実の堅い 見事な稲種をシマ人に与える。この稲種が茅やシギのように運しく成育して良質な実が畦がわ からなくなるほどに実る。みんなで収穫して倉に積承上げるが、収めきれないほど豊作になる。
この穀倉こそ富の象徴だと喜び、この富の余りで神酒を作り、ティルクミ(太陽神)に捧げて 感謝する。そして、神のお蔭で豊作になったその余剰を神に捧げることによって、一層の豊作 がまた与えられるわけである。ここに神の力を軸にした稲作の祭式的な拡大再生産のメカニズ ムが窺われる。
伊平屋列島の他のシマのティルクグチでは、9月から6月の収穫までの稲作りの過程をもっ と克明に叙述し、神のことば通りに稲作が確かに実現することを強調している。この点、田名 の場合は生育過程の描写が粗いようである。
五段も神の発言か神人の発言か迷うところがあるが、大方は神の立場からの発言かと思われ
る。
六段は、まず主神であるティルクミ(太陽神)のことば(呪言)がそのま上実現されるほど の威力あることを強調する。そして、神は今年も歓待されたが、来年も神酒をもって歓待する
ジ マ
ならば、今年以上の豊作を授けることはもとより、長寿をも保障し、更には田名部落が永遠に
シ マ
堅固であることをも保障する。各家庭の幸せばかりではなく、部落全体の安泰をも図るのであ る。詞章の中には神を祭る者の発言らしく思われる部分もあるが、大方は神の立場に立った発