− 1 9 −
プ ー リ ン ア ミ ヂ ュ ヮ ー
波照間島の豊年祭と祈年祭
畠 山 篤
は じ め に
プ ー リ ン
豊 年 祭
1 ミ ョ ー ク チ ェ 2 カ ン パ ナ 3 プ ー リ ン
4 ア サ ヨ イ ( ア サ ニ ケ ー と も )
ア ミ ヂ ュ ヮ ー
祈 年 祭
1 ア ミ ヂ ュ ヮ ー
2 ア サ ヨ イ ( ア サ ニ ケ ー と も ) 3 ユ ー ニ ケ ー
は じ め に
フ カ ナ ス メ ー ペ 一 ニ ス
波照間島は、富嘉(外とも表記する)・名石・前・南・北の5部落で構成されている。この
イ リ ム ラ ア リ ム ラ
島の発展は西から東へ向かっており、年中行事も本来は西村(富嘉)と東村(南・北)が中心 であったが、後に両者の中間に位置する前部落が開け、人口も現在最も多い部落になっている。
そして、名石はこの前からの分れであるという。現存する5部落の中、富嘉は最も湧水量が豊 かであり、歴史の浅い所ほど水が乏しいという。島にあっては、水の多寡が島の発展に決定的
な働きをしているようである。
いしずえ
古記録『八重山由来記』や島の伝承をみても、島の礎を築いたといわれる兄弟の年の順に、
マ ッ ト ゥ リ ワ ー
島の発展過程が窺われる。まず長男がいろいろと苦労を重ねた末に真徳利御嶽を定め、その拝
ア ー ス ク ウ ガ ン
所として富嘉部落に阿底御嶽を作る。次いで次男がこの長兄に刺激されて隈なく島内を調べて
シ サ パ ル ワ ー
白郎原御嶽を定め(島のことばで調べることをスサバルというので、これにちなんだ名称とい
ア ラ ン ト ゥ ウ ガ ン ミ シ ュ ク ウ ガ ン
う)、その拝所として南と北に新本御嶽と美底御嶽を作った。三男は2人の兄の働きをみてあ
ア バ テ ィ ヮ ー
わてて阿幸俣御嶽を定め(島のことばであわてることをアバチルというので、これにちなんだ
ブ ス ク ウ ガ ン ブ イ シ ウ ガ ン
名称という)、その遥拝所として大底御嶽を作り、その妹が同じく名石に大石御嶽を作ったと
ピ テ ィ ヌ ワ ー ウ ツ ヌ ワ ー イ チ ヤ マ ミ ー ヤ マ
いう。三つの野の御嶽とそれらの遙拝所である5つの内の御嶽を、「五山三山」というが、五 山三山にまつわる兄弟の伝承は、島の歴史を端的に示している。
そこで、今回の調査は歴史の最も古い富嘉を中心に調査した。
プーリンは米と粟の収穫祭であり、アミヂュワーはその豊作を祈願する祭りである。いずれ も基本的には共通した祭祀形態をとっている。その理由は、結果(豊年)は原因(祈年)に類
‑ 2 0 ‑
似していなければならず、これを逆に言えば原因は結果に直結しなければならないという呪術
ナ オ ラ イ
的な要求にあるであろう。祭りの次第は、諸準備を整えてから神を迎え、それから直会に入る。
カ ン シ ン
次いで巻踊りが行われる。その間を貫くように神客が5部落を巡って歓待され、雨乞いの道行
プ ー リ ン ア ミ ヂ ュ ヮ ー
きをする。そして、翌日は後宴である。豊年祭と祈年祭との間には20日程の期日があり、また
ウ ヤ シ ン カ ン シ ン
島の指導者・役人を親客と称して神客と共に5部落をめぐることもしていた。しかし、今は生
ウ ヤ シ ン
活改善の一環として祭りを連続させ、親客も廃止した。それでも、神事そのものだけは神を樟
プ ー リ ン ア ミ ヂ ュ ヮ ー
って改めていないという。こういうわけで、波照間島の収穫祭と祈年祭はかなり古来の生活文 化を伝えていると思われる。
プ ー リ ン
豊年祭
1 ミ ョ ー ク チ ェ
ピ テ ィ ヌ ワ ー カ ン ミ チ ピティ
神の来臨する野の御嶽や神道という神の通り道そしてその他の聖地を清掃する日である。野
ヌ ワ ー
の御嶽は普段立入りを禁じられているが、この日ばかりは島外の男女も入ることを許される。
ツ カ サ ウシュトゥ
清掃には司とパナヌファー(司を補佐する神人)と老人達(60才から73才までの男子。以前は
ム ラ ブ サ ー
50才から73才までであったが、平均寿命が延びて改正された)と村補佐(祭りを手伝う男性)
ナ ガ
とカマガー(内の御嶽を清掃したりして管理する男性。村補佐とともに一年任期である)が中
ヌ パ ナ ジ ピ テ ィ ヌ ヮ ー フ ダ ニ ン
の小道を通って野の御嶽に入り、作業をする。各々清掃する区域が決っている。生産人(15才 から50才までの男女)の中、この祭りの準備に割り合てられた者が、御嶽の周囲の小道(真徳マットゥ
リ ワ ー ア リ パ ナ チ イ リ パ ナ チ プ ー リ ン
利御嶽の場合は巡る方向によって東の小道・西の小道といっている)に入り、豊年祭に使用す
ヤ ー ゾ ー レ ー ヒ ー
る薪や料理を用意する屋(料理の家ともいう)の材をとる。
プ ー リ ン
掃除が終ると、司とパナヌファーが、部落民の健康と豊作そして豊年祭の成功を祈願する。
ミ シ ミ シ ム ラ ブ サ ー
祈りが済んだ後、御嶽に行った全員は神酒を振舞われる。神酒はこの日に備えて村補佐が各戸 から一合ずつ集めた米で作ったものである。その作り方は、米を御飯として炊き上げ、冷やし
こ
た後これに水と生米を加えて石臼で挽き(今は機械で挽く)、袋に入れて漉す。そしてこれに
ミ シ マ ッ ト ゥ リ ワ ー
砂糖を加える(昔は入れなかった)。大体3.4日で醗酵する。神酒を飲む場所は、真徳利御嶽 の場合、この先男子禁制とされ、また神女が履き物を脱いで奥に入るところの広場である。聖 地の清掃は大体午前中で終る。
ト ゥ ニ ム ト ゥ フ タ モ リ
この日の夕方、各御嶽のヤマニンヂュは元家に集まり(富嘉の場合は保田盛家に集まる)、
祭りを執り行うために必要な諸係りを決めろ。係りは次の通りである。
プ サ ー ク パ ン
○イショ補佐:祭りに必要な魚と蟹(神撰にする時だけ蟹をクパンという)をとる係り。昔 は各部落に指定された浜があり、そこに小屋掛けして寝泊りをしながら魚を御嶽に送った。
今は廃れかけて買った魚でまかなうことが多いが、それでも富嘉などはまだ漁に行ってい
ツ カ サ
る。今廃止しているところも、司が願いをしているので繋っているという。
サ キ プ サ ー サ キ
○酒補佐:泡盛を準備する係。酒というと泡盛をさす。税務所がうるさくない時は粟と米で
− 2 1 −
各家が泡盛を造っていたので、これを集めていた。今は島の酒醸所とか共同店から買い求 めている。
○ポッツァーポー:ポッッァーポーとはまな板のことで、ここでは調理全般の責任者を指す。
以上は男性が務める。
ミ シ プ サ ー ミ シ
○神酒補佐:米を各家から集めて神酒を作る係り。今は米を買って作り、後で清算して各戸
ミシ
割りにしてお金を集める。神酒の配膳から後片付けまでする。
コ ー シ ー ア タ コ ー シ ー コ ー シ ー
○菓子当り:サーニ餅を菓子という。菓子作りは婦人会がするが、これに責任をもつ係りで ある。この他、長命草やもやし。アダンの実を味噌や胡麻で混ぜ合せたマンズーという料 理も作る。
ダ ー グ ア タ
○道具当り:祭りに使う食器などを準備する係り。
サ ー プ サ ー サ ー
○茶補佐:茶ニンとも称し、お茶を出す係り。以上は二人ずつの女性が務める。
そして、右からイショ補佐を除いた係りをゾーレーという。ゾーレーとは台所の意である。
ム ラ ブ サ ー
要するに、調理に関わる者をこう言うのである。この他、村補佐とカマガーがいる。これらの
ゾ ー レ ー ヒ ー
諸係りは祭りの裏方であって、5部落の御嶽の傍に臨時に設営された台所の家はいつも多忙を きわめている。
2 カ ン パ ナ ( 神 花 )
祭りの料として数え年7才から73才までのヤマ(ムラとも)ニンヂュ1人当り5勺の米(こ
グ ソ ミ
れを5勺米という)を村補佐が集め、この日にその部落の御嶽を祀る司に納める。この神に供
カ ン パ ナ
える米を神花という。(写真1)
司はこの中から3合花をとって、阿底御嶽の司に届ける。島の歴史が阿底から始まっている
ピ ト ウ
からである。昔はこの3合花をオーセー人(部落会長・総務・幹事)に届け、彼らはこれを持 ってまず阿底御嶽の司に納め、それから大石・大底・新本・美底各御嶽の司の家を巡って豊年
祭の祈願をしていた。
カ ン パ ナ ブ ザ ス ケ グ ス イ
司は神花を床に供え、タチグシン(泡盛を入れた銚子。グシンとは沖縄で「五水」とも表記
クスリ
するもので、薬と同義であろう。泡盛は薬でもあったわけで、これを入れた銚子の立ち姿から タチグシンと名付けられたと思われる)と塩も供えて祈願する。祈願の主旨は、昨日と同じく 村人の健康と祭りの成功を祈るところにある。この祈りは大体午前中に終る。そして、司は午
カ ン パ ナ
後神花の中から9合花をとって御嶽に持参し、神花の拝みが済んだことを神に報告し、マソミ
(真正面の義である。内の御嶽の中の最も聖なる区域で、男子禁制である)に供える。
プ ー リ ン ツ カ サ ハ ナ グ ミ ダ ー
それから明日の豊年祭の下準備をする。5部落の中、富嘉・前・南の司は、花米田からとれ
カ ン コ ー シ ー ハ ナ グ ミ ダ −
た初米で神菓子を45個作り、翌日マソミの神前に供える。花米田は今砂糖黍畑になっているが、
カ ン コ ー シ ー ヒ ー ク パ ン
神菓子は昔通りに作る。御嶽の傍のゾーレーの家でも各々蟹を調理し、サーニの葉を洗い、米 を水に漬け、道具を整えている。各元屋でも料理の準備におわれている。
− 2 2 −
3 プ ー リ ン
カ ノ エ ト ラ ブ サ ー
プーリンは庚寅の日に行う。早朝から各補佐が御嶽に集まり、本格的な準備を始める。
ブ ザ ス ケ ー
司とパナヌファーは一番座の床の間に線香を上げて神に今日1日の使命を伝えた後、9時頃
ア ー ス ク
阿底御嶽に集まる。ここでオーギンあるいはウッチャーギ(共に上から着る衣という意)とい
ト ゥ ニ ム ト ゥ フ タ モ リ ミ シ シ ュ ヌ ザ ラ ナ カ ザ ラ
う神衣裳を着用し、元屋である保田盛家に来る。まず火の神を拝む。供物は神酒(角皿と中Ⅲ
ク パ ン
に盛りつける)・グシン・花米・マンヅー・蟹の5品である。司の唱える祝詞の主旨は、アミ,
ア ラ タ カ ナ ー タ カ ブ ー タ カ
ヂュワ−そして節祭以降行われる3度の作り願い(新崇べ・中崇べ。大崇べ)の祈願通り豊作に
ク ン ジ ュ ー ク ン ペ ー
なったことを報告し、感謝することにある。そして、全員が九十九拝をし、それから神撰の神
シ ブ サ ス ケ ー
酒とグシン(泡盛)を司を始めとするパナヌファーが廻し飲みする。次いで床の間に移り、上 と同じことを繰り返す。拝みはこれで終る。
プ サ ス ケ ー ツ カ サ
次いで祝いの座に入る。床の間の傍に司とその後継者並びに司の補佐役のパナヌファーが座
ツ カ サ
し、他のパナヌファー達は司達に向って縁側の方に座る。神撰のタチグシンが神女達に廻し飲 みされる。下座の神女がタチグシンの廻る後から酒の肴として塩を少し配る。この間に次々と 料理が運ばれる。頃を見て司はパナヌファーに大体次のような挨拶をする。今日のめでたい日 に当り、この家の元の座。この座にみんなそろってゆっくりし、祝いをしましょう。これに対 して、パナヌファーの最年長者もほぼ同じことを返答する。
次いでウナマス(神事用語で、御繪の意と思われる。線切りにした長命草を添えた刺身であ
シ ュ ヌ ザ ラ
る)を添えた角Ⅱ(木製で4本の足があり、左右に把手−これが角の形をしている−がある。
ミ シ シ ュ ヌ ザ ラ
外側に黒漆、内側に赤漆を塗っている)が配られ、神酒を盛ってからく角Ⅲ>を全員で斉唱す る。歌詞は次の通りである。
シ ュ ヌ ザ ラ
<角Ⅲ>
1 キ ユ ガ ピ ヌ ク ガ ニ ピ ド ゥ ニ ガ ヨ ル 今 日 の 日 の 黄 金 日 を ば 願 う
2 カ ン ク パ ナ ウ イ ク パ チ ( ナ と も ) タ ボ ラ リ ( ニ ガ ヨ ル と も ) 神 饒 花 上 饅 花 を 賜わる(願う)
3 ナ ウ リ ユ ヌ ミ ギ リ ユ ド ゥ ( ( と も ) ニ ガ ヨ ル ( タ ボ ラ リ と も ) 直 り 世 の 実 り 世 を ば 願 う ( 賜 わ る )
(ケ)
4 ナ ウ リ ユ ヌ ミ ギ リ ユ ヌ ミ ボ ギ ニ 直 り 世 の 実 り 世 の お 陰 で
5 ニ ゴ タ ム チ シ ヂ タ ム チ タ ボ ー ラ リ 願 っ た よ う に 手 擦 り し た よ う に 賜 わ り
( ユ ) ( ユ ) ( ユ )
6 シ ェ ヌ ザ ラ ン ミ ョ ー ヌ セ ヌ ザ ラ ミ ョ ー ヤ ウ ィ ス 角 皿 の 立 派 な 角 皿 を 差 し 上 げ る 7 ナ ガ ム ラ シ パ タ ユ ( ム と も ) ラ シ タ ボ ー ラ リ 中 盛 ら し 端 溢 ( 盛 ) ら し て 賜 わ る 8 ウ ヌ ニ ガ イ ウ ( ョ と も ) ヌ カ フ ド ゥ タ ボ ラ リ ( ニ ガ ヨ ル と も ) こ の 願 い こ の ( 世
の ) 果 報 を 賜 わ る ( 願 う )
( 嚇 子 詞 ) ピ ャ ー シ ヨ ー ピ ャ ー シ ヨ ー ユ ワ ナ ウ ル ユ ー ス ー ナ ウ ル 嗽 せ よ 嗽 せ 世 は 直 る 世 ぞ 直 る
− 2 3 −
この歌が終ってから飲み干す。歌詞にかなり異同がある。まず2.3.8のニガョルとタボ ラリに混乱がある。プーリンは感謝祭なので全てタボラリであるともいうが、これは文脈から 定まることでもある。後考を俟たなければならない。この他、係助詞ドゥが(になったり、パ
ユ ム
ナがパチ、あるいはウがヨに変り、溢ラシが盛ラシともなっている。また、部落によって歌の 順序や節の数に若干の違いもある。しかし、これらは口承伝承ではしばしば見られる現象であ
る。
各節の構造は共通している。すなわち、初めに提示したことを同趣旨の別のことばで言い換 え、これを感謝(あるいは祈願)のことばで受けとめている。この繰り返しで、祭日や神撰・
神酒を讃美しながら神聖化し、敬虐な祈りや豊かな稔りへの感謝の念を強調している。全体の 構想は、まず祭日の吉日であることを祈り、次いで神饒となる穀物を祈願通りに下さったこと に感謝し、お陰で神酒を溢れるほど角皿に盛って神に捧げ、村人もそれを頂戴できるという配 列である。そして8で世果報を戴いた(あるいは更に願う)ことを総括している。そして最後 に雛子詞で、世果報・稔りが理想通りになると嚇したてている。いずれ、一年間の祈願が成就 して豊作になったことに感謝するのが、本歌謡の主題である。
シ シ プ ラ シ ン
この歌は、本来の祝いの座では一番毎にまず接待役(2,3名いる)が歌い、次いで客がこ れを復唱するという形式をとるものである。主人・接待役も客人も共に豊作物の収穫を喜んで
シ ン
いるのである。そして、この様に歌い終えた後、客が次の様に謝辞を述べる。
○シェヌザラミュームヤウミシャグウガミタユ角皿の御神酒を戴いてありがとう
(ミュームヤは角皿の対語で同義語と思われる。ウガミタユは拝んだというのが本義で あるが、ここでは感謝して拝むことである。)
シ シ プ ラ
すると、接待役がこう唱える。
○ マ ー ヌ カ ー ジ ヨ 一 真 の 風 よ
このことばの語義を、真の風よとも真の梶よともいう。すなわち、立派な風が吹いて作物がよ く出来る意ともいい、また真の梶によって船の方向を誤らないように、事柄が美事に完遂する 意だともいうのである。いずれも祝いの座に叶った解であるが、前者の説がより説得力を持つ
ゴ フ ヂ ュ ー ウ
ていると思われる。すなわち、島では耕作に好都合な天候を「五風十雨」(風が五ほど吹いて
フ ン シ
雨が十ほど降るという意。風土のことを沖縄では風水というのと通じているであろう)といっ ているから、海人的発想をする後者より、農耕に根ざした発想をする前者の解が正鵠を射てい るだろうと考えるのである。このことばにはよく分からないところもあるが、いずれ来年の豊 作も間違いない、どんぴしゃり、祈願成就という程の意かと思われる。
次いで、中皿(今は普段使う椀一アボ皿という−になっているが、以前はもっと小さい神事
ミ シ ナ ガ ザ ラ
用の椀であった)に神酒を盛り、左右に揺らしながら次のく中皿>を全員で斉唱する。
ナ ガ ザ ラ
< 中 皿 >
㈲
1 ニ ウ ス イ ヌ ウ ミ シ ャ グ ユ ム ト ゥ シ バ ド ゥ ユ ワ ナ ウ ル 根 覆 い の 御 神 酒 よ こ れ を元にすればこそ世は直る(ニウスイは根覆いすなわち根に士をかけて作った穀物
− 2 4 −
ネ ウ シ
の意とも言えば、プーリンの執行される寅の日に合わせて子・丑の日に神酒を作ること
* ウ シ
から子・丑の意であるとも言う)
2 エ ー ナ カ ザ ラ ヌ ウ ミ シ ャ グ ユ ン チ リ バ ド ゥ ( ン ケ レ バ ド ゥ と も ) ユ ワ ナ ウ ル ェ ー 中 皿 の 御 神 酒 よ こ れ が 満 ち れ ば こ そ ( こ れ を 飲 め ば こ そ ) 世 は 直 る 3 エ ー ウ ヤ ギ ヨ ナ ウ ル ピ ャ ン ガ ヨ ナ ウ ル エ ー 富 裕 の 世 は 直 る 小 躍 り し て 世 が 直
る
口ウムィスイスィティ思いを籠めて注ぎ注ぎして下さり(ウムイは思い、スイは酒を 注ぐことという。ティは接続助詞)
ウマサカバサ美味しく香りよく(ウマサは味のよさを、カバサは香りのよさをい う)
ウガムョーンナ戴いてありがとうよ(ウガムはたくさん戴いたので感謝して拝む意で ある。ヨーンナは強意の終助詞)
白イラヨーカバサイラヨー香りよろしく(イラヨーは未詳であるが、掛け声かもし
れない)
ミョーワイスヨーンナーどんどん差し上げましょうよ
日の曲は3番とも若干異なるが、大体同じ曲想のもとに歌われる。この(一)も本来は斉唱する
シ シ プ ラ
ものではなく、接待役が歌う勧酒歌である。1と2は同一構造を持っている。すなわち神酒を 提示し、これを豊作(富貴)の根元とし、酒器に満たして飲めば、豊作になるとする。そして
タ マ モ ノ
3で、豊作の程度を飛躍的であると讃美している。今出されている神酒は今年の豊作の賜であ るが、その神酒がより一層の豊作をもたらす、いわば富の拡大再生産を図る聖なる飲み物であ
シ シ ブ ラ
るというのである。そして、これを接待役が歌い、次の謝酒歌としての。をみると、この(一)は 酒の徳を讃えながら客人に酒を勧める歌だということがわかる。
シ ン シ シ プ ラ
ロ白の歌も本来全員が斉唱するものではない。口は客が歌い、白は接待役が歌うものである。
元来宴は主人・接待役と客人がいてはじめて成り立つものである。元屋での宴ではこの関係が 変則的で明瞭でないが、それでも司とその補佐役がパナヌファー達に対座して、客に対する主
人・接待役の立場を一応とっている。
そこで、この歌を本来の祝いの座にもどしてみると、その意味が浮き彫りにされる。既に述
シ シ ブ ラ シ シ プ ラ
ベた様に㈲は接待役の勧酒歌であった。これに対して、口は接待役の篤いもてなしによって美
シ シ プ ラ
味しく酒を飲んだと客が謝意を表わす、いわゆる謝酒歌である。すると、接待役は更に酒を勧 めようとして、日の勧酒歌を歌うのである。実に丁重なもてなしである。こうして歌い終えて
から、客は次の様に謝辞を述べる。
○ノーリユーミーリユーウミシャグウガミタユ直り世稔り世の御神酒を戴き
ましてありがとう
ニ ゲ ー
最後に酒(泡盛)を盛った盃を左右に揺らしながらく願いの歌>を斉唱する。この歌は沖縄 で祝いの席で必らず真先に歌われる御前風なので、省略する。歌い終ってから飲み干す。ここ のあり方は、本来の宴と同じである。これで宴は終る。もし今年で数え年73才になる神人がぃ
一 2 5 −
れば、ここで隠退の挨拶をする。
フ タ モ リ
宗家である保田盛家での儀式が済むと、一旦阿底御嶽に戻る。ここで2手に分かれ、パナヌ
パ ナ グ ミ ク パ ン サ キ ミ シ フ タ モ リ ケ ー ア ー ス ク ゲ ー ミ シ ュ ク
ファー3名が供物(花米・蟹・泡盛・神酒・保田盛井一阿底井とも−の水)を持って美底御嶽
(この御嶽は北部落の御嶽と同名であるが、これとは別の聖地で、富嘉部落の西海岸にある)
シ マ モ ト
ヘ行き、神を迎えてくる。大多数の神女は、司と共に本家筋に当る島本家に行き、保田盛家で
モ ト ヒ ダ
行った儀式と同じことを繰り返す。次いで同じく本家筋の本比田家にも行き、前半まで同じ儀 式をするが、祝いの座だけは設けない。本比田家を出る時刻は、大体正午頃である。
ピティヌワー マ ッ ト ゥ リ ワ ー
それから、野の御嶽である真徳利御嶽へ行き、神を迎えてくる。道中は長く、また真夏日に
ミ シ
照らされたり、俄か雨に濡れたりして、かなりきついものである。それだけに、供物(神酒・
ピ テ ィ ヌ ワ ー ケ ー フ タ モ リ ケ −
野の御嶽の粥など)を頭に戴せ、保田盛井(阿底御嶽の傍にある)の水を入れた瓢を手にし、
グ サ ン
ダッチゴー(御嶽によって木の種類が異っている)で作られた神の杖を突いて、原生林そのも
ワ ー
のともいうべき御嶽に出入りする神女には、自然を神と崇めてそこから世果報を得ようとする 強力な呪的能力が備わっていると感ぜずにはいられない。途中坂があり、そこで東方へ向かつ
グ サ ン
て拝む。御嶽の前で神の杖を置き、中頃で履物を脱ぐ。更に奥の拝所(御願場)に黒ずんだ石
ミ シ ケ ー
があり、これに水をかけ、次いで神酒と粥をまつる。拝んだ後、これらの供物を少しでも口に して帰路につく。途中坂でまた東方を拝む。道中人に会っても決して口をきかないのが、昔か らのしきたりである。(写真2)
1時頃2手に分れた神女達は神の御伴をして阿底御嶽にもどる。司と2名程の補佐役のパナ ヌファーを除いて他の神女達は帰宅する。
また一方、元家の保田盛家は神饅を持ってバルシヌフツ(島の西海岸にある)に行って祈願 する。これは、保田盛家の先祖が始めて稲と粟を栽培し、島中に広めたという由来に基いてい
る。
ツ カ サ
司達は御嶽内のマソーミに供物を捧げ、香炉に線香を焚き続けて祝詞を唱え続ける。部落で 上げる供物は、9合花3膳・花米3膳・マンヅーとタチブ(ウとも)セ(細く切った魚の干物
ク パ ン ミシ
で、極めて塩辛いものである)3盆、タチグシン2本、蟹3膳、ウナマス(御繪)3皿、神酒
カ ン コ ー シ
の入った角皿3式、同じく中皿3式、神菓子2膳(1束5個で、各膳に5束.4束供える)、
吸物3膳などである。
次いで、司が供物を捧げて自らの世果報を感謝し、宗家の保田盛家を始め島本家、本比田家 からも供物が出て祈願される。この3元家の供物は各々決っている。これには3元家の先祖の 家系(この3元家は兄妹であったともいう)に由来するという。それからパナヌファー、そし て一般のヤマニンヂュの供物を供えて祈る。1人分ずつ祈るので、夕方までこの祈りは続けら れる。他の4つの御嶽でも、大体以上の式次第を経ている。
カ ン シ ン
2時頃パナヌファーの中から選ばれた9名の神客は御嶽に集まり、神衣裳を着用してマソー
カ ン コ ー ス ー
ミに祈り、神撰の神菓子を戴く。これを食べて力をつけてから村々を巡るのだという。そして
カ ン シ ン ブ ー シ ブ ス ク ア ラ ン ト ゥ ミ シ ュ ク
神客の1人がピパーズの葉を吹き鳴らすのを合図に、一行は大石・大底・新本・美底の各御嶽 を巡る。昔はこの草笛を吹く儀式が終るまで口笛を禁じられていたという。
一 珊 一
カ ン シ ン
神客のあわただしい動きと平行して、拝殿中で長老組の感謝の拝みがあり、引き続いて祝い
の座に入っていろ。
カ ン シ ン パ ナ グ ミ ク パ オ ン カ ン ミ ツ
神客は線香と花米とピパーズの草笛を持参し、積榔扇を手にして神道を行く。この群行に行 き合うことは厳しく禁じられ、昔は一行を見かけると恐れて隠れたという。殊に男性を嫌って
ウ ヤ シ ン カ ン シ ン
いるので、今は廃止された親客(村の役人で、男性が務める)も神客が次の御嶽に着いた頃を
カ ン ミ ツ
見計らって出発したという。神道は昔ながらの道で、今は畑の畔道になったりして難渋を極め
ゲ ー
るところもある。そして、途中、2ケ所の井戸(富嘉部落を東へ出た所にあるバシケの井戸と
ゲ ー
南部落の北西にある井戸)を左廻りに3回巡る。
シ シ ブ ラ カ ン シ ン
各御嶽ではマソーミの前に莫麓を敷き、料理を作り、接待役2.3名も控えて、神客を迎え る準備が済んでいる。各御嶽での神客を迎える式次第は次の通りである。
ツ カ サ ツ カ サ
1神客は持参した花米と線香を草笛を吹いて司に手渡す。司はマソーミにいて祈り、最後
カ ン シ ン ク ン ヂ ュ ー ク ペ −
に神客共々九十九拝をする。
2司はマソーミから出て、神客に大体次のような挨拶をする。「今日は神のお祝いに当っ ているので、富嘉村から9人の神客が神発ちをし、五山三山の農作物がよく収穫できたこ とへのお礼を述べて下さい。」すると、神客の最年長者は司とほぼ同じことを言い、最後 に「収穫のお礼を申し上げるために来ました」と述べる。この挨拶のことばは大体決って
カ ン ク バ ナ
いる。昔はもっと丁寧に播種から刈り取り、神撰花を供えるまでの過程を全て羅列し、収 穫の喜びを述べ上げたという。
3神撰のマンヅーのお下りを出す。男性はこの神撰のマンヅーを食べてはいけないという。
ミシ
4 神 酒 を 出 す
5神菓子を神客1人当り5個を配る。
シ ン プ ラ
6神前に供えたタチグシンを司が勧める。そして、肴としてタチブセを接待役が数本配る。
タチブセの代りに塩を用いる時もある。これを二度繰り返す。1度目は司の分、2度目は 部落全体の分という。
7茶と茶菓子を出す。6と7が逆になる時もある。
8酒(泡盛)、天ぷらなどの料理、吸物、刺身などを盛りつけた本膳が配られる。
シ ン プ ラ
9接待役の代表格の人が歓迎の挨拶をし、神客の代表者が返答をする。挨拶の内容は2と
トゥ
ほぼ同じことである。昔はこの後取り交わしの盃、トゥルムチ(取り持ちか)の盃と称し
シ シ ブ ラ
て接待役が2回酒をお酌して廻ったという。
シ ュ ヌ ザ ラ
10ウーナマスを肴に神酒の盛られた角皿が配られ、<角皿>を歌ってから飲み干す。(写 真3)
11、続いて中皿の儀が同じ様に行われる。
ニ ゲ ー
12、盃に酒が盛られ、全員でく願いの歌>を斉唱してから飲み干す。
シ シ プ ラ ガ ン シ ン
13、接待役が挨拶をし、神客の代表者が謝辞を述べて、宴は終了する。
神客の戴いた手土産は袋に入れて左肩にかけて持ち帰る。昔は女の子をお供にして持ち帰ら
ウ タ ケ
せるほど歓待されたという。以上の祝の座の式次第は典型的な宴の単位で、プーリンとアミヂ
− 2 7 −
ユーワーの宴は常にこの形式をとる。この単位は、よく見ろと更に2分できそうである。すな わち、前半部(2〜7)は神撰のお下りを中心とした神人共食であり、後半部(8〜13)は新 たに用意された神酒を中心とした神人共食なのである。
カ ン シ ン
最後の美底御嶽での宴が終ると、神客は拝殿の西側に生えている呪木マーニの葉をスーパー
(鉢巻き)にして前に結び、雨乞いの道行きの仕度をする。
そして、まず神客の代表が次の様な拝みのことばを述べろ(この例は以下4例ある。順次A
〜Dで記す)
プ ー リ ン
<豊年祭の雨乞い>
A イ リ ミ ョ ー ダ キ オ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ イ リ ミ ョ ー 嶽 に お ら れ る 尊 い 神 ナ リ ミ ョ ー ダ キ オ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ ナ リ ミ ョ ー 嶽 に ( 以 下 、 上 に 同 じ ) ク ム ヤ パ ナ オ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ 雲 の 上 に 云 々
ガ リ ヤ パ ナ オ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ ガ リ ヤ の 上 に 云 々
ブ ー ミ ャ ー ス ー ミ ャ ー オ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ 広 い 野 原 に 云 々
ユ ル ヌ イ シ マ ン ド ゥ ス ヌ ナ ナ ン デ ィ オ ー ル ウ ヤ ー ン ヌ ト ゥ ー ト ゥ 夜 も 昼 も 7 回 も通っていられる大きな尊い神
シ ー ム ス ビ ユ ー ム ス ピ シ ョ ー ル ウ ヤ ー ン ト ゥ ー ト ゥ 手 を 合 わ せ て 願 う 立 派 な 尊 い神
キ ュ ー ヌ カ ン ヨ イ ウ イ ヨ イ ヌ ア タ リ オ ー リ フ カ ム ト ゥ ナ カ ム ト ゥ カ ラ ハ コ ナ
( フ ) ( フ ) ( フ )
ノ ク ナ ナ ナ ッ ノ ク ナ イ ッ ッ ノ ク ナ 卜 ウ ロ ー リ オ ー リ カ ン ヨ ミ シ ャ ウ イ ヨ ミ シ ャ アリオール今日は神の祝いに当っており、富嘉部落から9人・7人・5人(聖数に合 わせている)の神客と一緒にお通りになって下さい。神を拝まして下さい。神老祈らして 下さい。
フ ト ゥ ヤ ス ガ ム ト ゥ ヌ ザ ー ニ ー ヌ ザ ー カ ン シ ケ ー シ ウ イ ス ケ ー シ タ ボ ラ ラ オ ー リ イ ユ ウ ゴ ン ア ギ ス マ タ ボ ラ ラ オ ー リ 何 も 分 か ら な い が 、 阿 底 御 嶽 の 元 の 座 に 神 を案内させて下さい。立派に祈りをさせて下さい。
ク パ オ ー ン
この様に祈ってから、神客は右手の檀榔扇を大きく上下させながら次の歌を歌う(以下全て この所作をする)。歌は全て同じ曲で歌われる(その順序はこの場合算用数字で示すが、道中 適宜歌われる4つの歌は○でまとめておく)。(写真4)
1 イ リ ミ ョ ー ダ キ ウ ト ゥ ヌ シ ヨ ー ホ ア ミ ユ タ ボ ラ リ イ リ ミ ョ ー 嶽 の ウ ト ゥ 主 よ ヨーホ雨を給われ(以下、ヨーホー雨を給らりが全てにつくので、省略する)
2 ナ リ ミ ョ ー ダ キ バ カ ル ヌ シ ナ リ ミ ョ ー 嶽 の 若 主 よ 。 3 ク ム ヤ パ ナ ア ミ ヌ ヌ シ 雲 の 上 の 雨 の 主 よ 。
4 ガ リ ヤ パ ナ ミ ヂ ヌ ヌ シ ガ リ ヤ の 上 の 水 の 主 よ 。
そして歩きながら次の歌を歌う。この歌はプーリンの時だけに歌われるもので、各所の特定 の場所で歌われる歌以外の場で、道中適宜歌われる。これにはプーリンの祈願の趣旨がよく示
されている。
− 2 8 −
○ カ ン ク パ ナ ニ ガ ョ ル 神 撰 花 を 願 う
○ ウ イ ク パ ナ ニ ガ ヨ ル 上 撰 花 を 願 う
○ ナ ウ リ ユ ド ゥ タ ボ ラ リ 直 り 世 を 給 わ れ
○ ミ ギ リ ユ ド ゥ タ ボ ラ リ 稔 り 世 を 給 わ れ そして、更に歩きながら、
5 タ バ ル グ ン タ ナ シ ヌ タ ミ シ ョ ー リ タ バ ル グ ン タ ナ シ の 為 に 尽 し て 下 さ い 。 次いで、メーパナジから東方を向いて次の様に祈る。
Bアルピンガスオールウヤーントゥートゥ東方におられる大きな尊い神(以下、
Aのブーミャー云々の唱え言を続けろ。)
それから次の様に歌う
6 ア ル ピ ン ガ ス ヌ ピ ギ リ カ ン ウ ヤ ガ ミ 東 方 の 男 ( 兄 弟 ) の 親 神 。 7 シ マ ダ ミ ヌ タ ミ シ ョ ー リ 島 民 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。
8 ヒ ン タ ミ ヌ タ ミ シ ョ ー リ 上 に 同 じ
サ カ ン ガ
次に逆迎えをしている美底御嶽の司に向って、こう歌う。
9 シ ヂ ル ベ ヌ タ ミ シ ョ ー リ 手 擦 り 部 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。
ツ カ サ
10カザリベヌタミショーリ飾り部の為に尽して下さい。(手擦り部も飾り部も司のこ とである。手を擦って神に祈り、神前を飾ることから、この別名を持つ)
次に、道中の歌を1つでも歌い、美底御嶽の司の逆迎いを受ける。司たちも神客の歌に合わ
ク パ オ ー ン
せ、同じく積榔扇を同じく上下させながら神客を招く。まず司が大体次の様な挨拶をする。
「今日は神饅花、上撰花を上げる神のお祝いに当っているので、富嘉の阿底御嶽から神客が神発 ちなさり、五山三山の拝みをなさって、またお戻りになる。この御嶽の逆迎いの盃を受けて下
シ ー ジ ャ ウ ヤ
さい。」すると、神客の年長者が、司とほぼ同じことを述べ、最後に「逆迎いの盃を戴きます」
と、謝辞を述べる。この挨拶のことばは御嶽によって若干の相違があるが、大体型通りのもの である。こうしてから酒肴を戴く。以上の逆迎えのし方は、以後の逆迎えでも同じである。
マ ス
次いで、道中の歌を歌う。次に北部落に入る手前にあるナマサ田に向かい、
マ ス
1 1 ナ マ サ マ シ タ ミ シ ョ ー リ ナ マ サ 田 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。
また道中の歌を歌い、北部落と南部落の境界の十字路に来ると、東方を向いて次の様に祈る。
C ア ル ピ ン ガ ス オ ー ル ブ ナ リ ガ ミ ト ゥ ー ト ゥ 東 方 に お ら れ る 女 ( 姉 妹 ) の 尊 い 神
(以下、Aのプーミャー云々の唱え言を続ける。)
次いで、次の様に歌う。
1 2 ア ル ピ ン ガ ス ヌ ブ ナ リ ガ ミ 東 方 の 女 ( 姉 妹 ) 神 。 1 3 シ マ ダ ミ ヌ タ ミ シ ョ ー リ 島 民 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。 1 4 ク ン ダ ミ ヌ タ ミ シ ョ ー リ 上 に 同 じ
そして、道中の歌を歌う。次いで、新本御嶽を向いて、
1 5 ア ラ ン ト ゥ ヌ ウ ヤ ガ ミ タ ミ シ ョ ー リ 新 本 御 嶽 の 親 神 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。 1 6 メ ラ ン ト ゥ ヌ ウ ヤ ガ ミ タ ミ シ ョ ー リ 上 に 同 じ
− 2 9 −
次いで、東方の高那崎の方を向いて、次の祈りを唱える。
Dタカナザシクナリザシオールウヤーントゥートゥ高那崎におられる大きな尊 い神よ。(以下、Aのブーミャー云々の唱え言を続ける。)
次いで、次の様に歌う。
17タカナザシウヤガミ高那崎の親神。
18シマダミヌタミショーリ島民の為に尽して下さい。
19フンタミヌタミショーリ上に同じ。
次いで逆迎いをしている司を向いて、9.10を歌い、それから逆迎いをする。
次いで、道中の歌を歌う。それから大底御嶽を向いて、
20ムトゥブシクウヤガミタミショーリ大底御嶽の親神の為に尽して下さい。
21ナカブシクウヤガミタミショーリ上に同じ それから大底御嶽のメーパナジを向いて、
メ ー ムイ
22メーパナジヌウヤガミタミショーリ前パナジ(ここをケーシ森ともいう)親神の
為に尽して下さい。
次にペナバリに向いて、
23ペナバリヌウヤガミタミショーリペナバリの親神の為に尽して下さい。
次いで、逆迎いに出ている大底御嶽の司に向って9.10を歌い、逆迎えをうける。
次いで、歩きながら司の山田家の西側を向いて、
24ミザシシュヌタミショーリ目差主の為に尽して下さい。
25シムヤマヌタミショーリシムヤマの為に尽して下さい。
26シュヌバクシュヌタミショーリシュヌバク主の為に尽して下さい。
27サクアタリヌタミショーリサクアタリの為に尽して下さい。(目差主もシュヌバク
主も島役人の役名という)
次いで、長田御嶽を向いて、
28ナタヤマヌウヤガミタミショーリ長田山の親神の為に尽して下さい。
次いで、歩きながら、
29タカタミチヌタミショーリタカタ道の為に尽して下さい。
ゲ ー
次いで、道端のクパシ井を向きながら、
30クバントゥギザナシヌタミショーリクバントゥ井の為に尽して下さい。
31ピサタヌウヤガミヌタミショーリ平田の親神の為に尽して下さい。
次いで、マニ山に向って、
32マニヤマウヤガミヌタミショーリマニ山の親神の為に尽して下さい。
そして、ここで石野家の逆迎えを受ける。
次いで、道中の歌を歌う。それからブナバリを向いて、
33ブナバリヌウヤガミタミショーリブナバリの親神の為に尽して下さい。
次いで逆迎えに出ている大石御嶽の司に向って9.10を歌う。それから逆迎えを受ける。
− 3 0 −
マ ン
次いで、道中の歌を歌い、南のパナスク田を見ながら、
3 4 パ ナ ス ク マ シ タ ミ シ ョ ー リ パ ナ ス ク 田 の 為 に 尽 し て 下 さ い 。 次いで、カンチアザマナグの拝所を向いて、
3 5 カ ン チ ア ザ マ ナ グ ウ ヤ ガ ミ タ ミ シ ョ ー リ カ ン チ ア ザ マ ナ グ の 親 神 の 為 に 尽 し て 下 さ い。
次いで歩きながら、
36ヤフクマシタミショーリヤフク田の為に尽して下さい。
37ネマスヌコッチタミショーリネ田のコッチの為に尽して下さい。
38サバナコッチタミショーリサバナコッチの為に尽して下さい。
タ カ ナ パ
次いで、道中の歌を歌い、高那割り(ここは断層になっていて急坂であり、雨が降ると水が 溢れる。しかも海の生きた貝も岩下から出ることから、この島の高那崎に通じるといわれ、こ
タ カ ナ パ リ
の地を高那割という)の低地を行く時に、わざわざ飛び越える所作をして、次の様に歌う。
39タカナザシタミショーリ高邦崎の為に尽して下さい。
40タカナバリクヤオーリ高那割りを越えて、
タ カ イ パ リ
高那割の近くの三叉路で少し休み、また歩きながら道中の歌を歌う。そして、道に沿った田 を見ながら、
41ユナバリドゥヌタミショーリユナバリドゥの為に尽して下さい。
42ナイシャマシヌタミショーリナイシャ田の為に尽して下さい。
43イショーマシヌタミショーリイショー田の為に尽して下さい。
44ブネマシヌタミショーリブネ田の為に尽して下さい。
45サコラマシヌタミショーリサコラ田の為に尽して下さい。
プ ニ ヤ マ
次いで、富嘉部落に入ってから道中の歌を歌う。そして、大山御嶽を向いて、
46ブニヤマヌウヤガミタミショーリ大山の親神の為に尽して下さい。
次いで、道沿いの田を見ながら、
47ブニマシヌタミショーリ大田の為に尽して下さい。
48フンダマシヌタミショーリフンダ田の為に尽して下さい。
49ケーマシヌタミショーリケー田の為に尽して下さい。
そして、阿底御嶽の前で1〜4を改めて歌い、次いで逆迎えに出ている司を向いて9・10を 歌い、逆迎えを受ける。それから阿底御嶽の拝殿に入る。雨乞いの道行きはこれで終了する。
以上、雨乞いの神歌はいたって多いが、その原理は容易に察知ができる。A〜Dの箇所で呼
カ ン シ ン
びかけられた神々が豊作の鍵をにぎる水の神であり、この神々を神客が招来し、道中を案内し ている。そして、この神々の名を挙げて雨乞いしている神歌が、A〜Dの拝みのことば以後に 歌われる(1〜4)。(6)。(12)。(17)である。そして、その他の神歌で、その神々の恩恵を 蒙ろうとするもの、すなわち道に沿ってある御嶽や拝所、田そして島の主だった人々、島中の 人々を一つ一つ隈なく列挙し、雨を給われと祈願しているのである。一つ一つ丁寧に列挙し、
同じ主題を繰り返すのは、呪術の常で、一つの例外もなく慈雨に恵まれたいという願望の表わ
− 3 1 −
れである。神客の出発に当ってAで西方の水神に祈願した後、1〜4を歌ったが、西の阿底御 嶽に着いた時もまた1〜4を歌うのは、道行きのとじめである。B・C。Dの神が東方にいる のに対して、Aの神だけ西方にいる。そして神客の道行きは東から西へと移動するので、まず 目的地の西方の神を挙げ、途中でB・C。Dの神をも案内して、終点でもこのAの神を顕揚す
カ ン プ ド ゥ
るというのは、極めて理に叶った構成である。この雨乞いの神事は、引き続き神踊りへと繋が
って行く。
ウ ヤ シ ン
こうして村々を巡る神客と一足ずらしながら、以前は親客(島の公の仕事につく有力者で構
ウ ヤ シ ン
成される)も、神客同様に歓待をうけていた。親客は名石部落にある公民館を出発して、富嘉、
名石、前、南、北の各御嶽を巡る。そして、最後の美底御嶽での祝いの座が終るや巻踊りが行 われ、次いで美底のメーンパナジで逆迎えをされ、ここでも巻踊りがされる。次いで、同じよ うに新本御嶽、大底御嶽の司からも逆迎えをされ、巻踊りをして、公民館に帰る。そして、こ こでも又巻踊りが盛大にされた。道中、松明をともして送るが、北の人は南まで、南の人は前 まで、前の人は公民館までというように順にお供したという。更に昔は親客は駕篭に乗って村 村をめぐっていたが、首里王府が崩壊して新時代を迎えた時、初代の駐在員(警官)が介入し、
カ ン シ ン
徒歩になったという。神客の次に村役人が廻ったというのは、島における祭政一致の統治方式 を遺留していると考えられる。親客は、生活改善の一環として今日省略されている。
カ ン シ ン ウ ヤ シ ン ブ ヤ イ マ シ ン シ ン
神客、親客の宴を終えた富嘉以外の4部落は、引き続き長老客、司とパナヌファーの客、イ
ブ サ ー シ ン シ ン シ ン
ショ補佐の客、ヤマニンヂュ(ゾーレイ)の客の祝いをする。昔は各客の祝いが終る毎に巻踊
りをしたが、今は全ての篝の祝いが終ってから踊っている。そこで、善の祝いが早く済んだ御
嶽では、神客が雨乞いの神歌を歌って帰る頃に、すでに巻踊りをしていることもある。
カ ン シ ン
さて、阿底御嶽に帰った神客は、マソミに祈った後、保田盛家で行ったのと同じ祝いの座に つく。この頃すでに日はとっぷりと西の海に落ちている。この祝いの座と少しずらしてイショ
ブ サ ー シ ン
補佐の客の座も設けられ、宴たけなわとなる。(写真5)
シ ン ブ ヤ イ マ シ ン
こうしてみると、富嘉部落だけ他部落と各客の祝いの順が違うことがわかる。まず長老客が
ウ ヤ シ ン カ ン シ ン シ ン
次いで親客が、そしてしばらく間をおいて神客と司とパナヌファーの客が合同でなされ、最後
シ ン カ ン シ ン
にイショ補佐などの客が行なわれることになる。これも、富嘉が神客を出すために時間的な制
約をうけて生じた形態である。
カ ン ブ ド ゥ
引き続き拝殿で司が香炉を拝み、神踊りが始まる。男性がこの踊りを見ることは禁忌で、イ
カ ン シ ン
ショ補佐なども目を向けなかったというが、幸いにも今回は見学を許された。踊り手は、神客 を務めたパナヌファーの中から司によって3名指名される。その3名は神衣裳を脱いでマソー ミの方を向いて横に並び、司とその補佐役のパナヌファーの歌に合わせて踊る。一歩進む毎に 両手を上下させる所作を3回繰り返し、ヨーニヨーナヨーニのところで両膝を軽く5回打って
元に戻る。歌は9番まである。(写真6)
カ ン ブ ド ゥ
< 神 踊 り >
1キョーヌピドゥニガヨルヨーヨーニヨーナヨーニ今日の日をぱ願うよ(ヨー ニ以下は掛け声なので、以下省略する)
− 3 1 −
2 ク ガ ニ ピ ド ゥ ニ ガ ヨ ル ヨ ー 黄 金 日 で あ る よ う に 願 う よ 。 3 カ ン ク パ ナ ニ ガ ヨ ル ヨ ー 神 饒 花 を 願 う よ 。
4 ウ イ ク パ ナ ニ ガ ル ヨ ー 上 撰 花 願 う よ 。 5 ナ ウ リ ユ ド ゥ ニ ガ ヨ ル ヨ 直 り 世 を ば 願 う よ 。 6 ミ ギ リ ユ ド ゥ ニ ガ ヨ ル ヨ 稔 り 世 を ば 願 う よ 。 7 ニ ゴ タ ム チ ニ ガ ヨ ル ヨ 願 っ た よ う に 願 う よ 。 8 シ ジ タ ム チ タ ボ ラ リ 手 擦 り し た よ う に 戴 い て 。 9 ウ ヌ ニ ガ イ ニ ガ ョ ル ョ こ の 願 い を 願 う 。
カ ン シ ン
祭日の聖なる日であることを祝った1.2以下の歌詞は、神客が道中で歌う一般的な雨乞い の歌が中心になっている。そして、曲も神客の雨乞いの曲想とほぼ共通している。してみると、
カンプドゥ
この神踊りを神客の雨乞い神事のまとめとみるべきであろう。神客によって案内された4ケ所 の神々が阿底御嶽に集合しているので、この神々に豊作を感謝するとともに来年の雨を祈願す るのが、そのねらいであると思われる。なお、神踊りが9番で終るのも、9が聖数だからであ る。以上のことは、アミヂューワーの神踊りの場合も基本的に同じである。
こうして神踊りが済むと司もパナヌファーも神衣裳を脱ぎ、この日の正式な神行事は終る。
この頃およそ10時で、神女達にも長い緊張に耐えた後の開放感が溢れる。そして、小豆の入っ
ケ −
た粥が神女達に振舞われる。神踊りの終了と共にイショ補佐を慰労する宴も終る。
なお、パナヌファーの身内に忌中があった場合、3年間祝いの座の3つの歌も歌えず、神踊 りの場にも同席できない。また、神客にも選ばれず、次の巻踊りにも参加できないという。死 の忌みは厳しく守られているのである。
引き続き、エネルギッシュな巻踊りが行われる。神女はもとよりヤマニンヂュの老若男女が 踊りに加わる。米作りをしていた時は、その豊年にちなんで章を鉢巻きにしたが、今は主産物 である砂糖黍の葉を用いている。この鉢巻きは、踊りが終ってから係りに返さなければならな いほど神聖なものである。銅鍵でリズムをとってジラバを歌い、右廻りに踊る。始めは緩やか
ナ ガ グ チ ペ ー マ ル グ チ
に(これを詠め口という)、そして次第次第に急迫したテンポになる(これを早口という)。
輪の中に1人入って、酒を人々に劉軽に振舞って景気づけをする。この日の巻踊りのジラバは、
<角皿>やく雨乞いの歌>を主体にしたものである。それを次に少し上げておく。()は掛
け声である。(写真7)
。(ヤンサー)キューガピヌ(ハーリ)コガニピドゥタボラリ(ヨーンナイー)
。(サー)カンクパナ(ハーリー)ウイクパナタボラリ(ヨーンナイー)
。(サー)ナウリヨバ(ハーリー)ミギリヨバタボラリ(ヨーンナイー)
ペ ー マ ル グ チ
この様にして次第に早口になる。
。(へイヤーヘイヤー)キョーヌヒヌサニサニ(ヨーホ)クガニヒヌサニサニ(ヨーホ)
(サニサニはめでたい、面白い位の意)
。(へイヤーヘイヤー)ミルクユワタボラリ(ヨーホ)クガニヒヌタボラリ(ヨーホ)
・フカムラムチャワリ(ヨーホ)クガニ(ウヤギとも)ムラムチャワリ(ヨーホ)
− 3 3 −
(ムチャワリは繁昌する意)
こうして即興で次々と歌い続ける。以上を前歌という。次いで中歌が続く。
1東カラ舟ヌ来ンチョーハーユイヤサビアガヘヌドンキャハナイサーハメヨハメヨユワ
(ン)
ナウル(ハーユイヤサ以後は繰り返しなので、以下省略する)
2 大 原 カ ラ 水 ヌ 来 ン チ ョ ー 3 ナ ユ ヌ ユ ヤ ン ド マ シ ャ オ タ ヨ ー
4 イ キ ャ ヌ ユ ヤ ン ド マ シ ャ オ タ ヨ ー 5 ナ ユ ヌ 舟 ン ア ラ ヌ ソ ョ ー
6 ア ン ダ ラ ー ド ワ シ ャ ワ ル ヨ ー
7 米 ダ ラ ー ド マ シ ャ ワ ル ヨ ー 8 富 嘉 ヌ 村 ン マ シ ャ ワ ル ョ ー 9 ウ ヤ ギ 村 ム シ ャ ワ ル ヨ ー 最後に後歌が歌われる。
1ウブヌ下ギサマヤヨホナイトゥムルザシファヌブネヨ
2ナユヌ世ドトゥバラシチャヨホナイイキャヌユドトゥバラシチャヨ 3ナユヌ世ヤアラヌソヨホナイイキャヌユンアラヌソヨ
4ムンナマスユヤンドヨホナイカキナマスユヤンドゥヨ 5ムンブラバギサマヤヨホナイアハマムカラブリヤワリヨ 6カキトゥラバギサマヤヨホナイアハマムカラブリャワリヨ
ミ ー ナ ガ イ チ ナ ガ
その時の状態で三流れで済ます時もあるが、五流れになる時もある。昔は沢山のジラバがあ ったが、今は殆んど滅んでいる。興奮がさめて阿底御嶽の祭りが終るのは、11時頃である。昔
はもっと盛大で、深夜の2時頃に終ったこともあったという。
なお、昔はプーリンの日に島を東西に2分して綱引きをしたという。5部落の中間にある前 部落を分割して東組・西組に分かれ、各々旗頭もあった。旗の図柄は、東が太陽、西が月であ
ったが、この図案をめぐって紛争が起り、それ以後綱引きを止めているという。
4 ア サ ヨ イ ( ア サ ニ ゲ ー と も )
ア サ ヨ ア サ ニ ゲ ー
翌日は朝祝い(また朝願いとも)である。これは前日の後祝いであるというから、いわゆる
後宴に当る。
阿底御嶽では9時頃からマソーミに供物を上げながら、プーリンが無事済んだことを感謝し、
ブ ャ イ マ シ ン
これから先の万作を祈願する。これが一通り済む頃、招かれて既に拝殿に来ている長老客がマ
ク ン ジ ュ ー ク ン ペ ー
ソーミに向って九十九拝をする。
シ シ ブ ラ
この後祝いの座に入り、接待役が登場し、昨日の残り物で接待する。接待役が、長老組のおか げで神行事が無事に終ったことを感謝し、来年も雨が降って作物がよくとれ、収穫物を神に供 えると共に人々も腹一杯食べて幸せになりたいものだと挨拶する。すると、最長老も、ほぼ同
− 3 4 −
シ シ プ ラ
趣旨のことを述べ、今日も招いてくれたことを感謝し、村人や接待役の幸せを願うという謝辞 を述べる。次いで、神前のタチグシンのお流れが上座から下ってくる。そして、ウーナマス付 の神酒の盛られた中皿が配られる。長老達の話題は専らケートボールのことに集中し、1日に 1回はケームをしないと寝つけないなどと話している。そこにはいかにも後宴らしいのどかな 雰囲気が漂っている。これを前述の宴の単位と照らし合わせると、その次第は不鮮明である。
しかし、神事が先にあり、挨拶のあと料理も型通り出るのは、宴の単位の基本をふまえている ことを示している。
司は先の祈りが終ると、次は保田盛家の前にあるメーパナジに供物を捧げ、当主と共に祈る。
宗家は特別なので、この様に独自に朝願いをするのである。
それからマソーミに戻り、供物を捧げてカマガーの交代式を行う。新旧のカマガーは拝殿に おり、務め上げたカマガーは99拝して神へ1年間の無事を感謝し、新任者は33拝してこれから
ブ ヤ イ マ シ ン
先の1年間の無事を祈願する。11時頃に長老客の宴は終了する。縁の下で祭りを支えるゾーレ イ(調理係)は、昨日に引き続いてここまで務める。
ブ ザ ス ケ
次いで、長老組は保田盛家と島本家を訪れ、床の間に向って九十九拝した後、酒と天ぷらな の料理で接待される。本比田家には行かない。
オ オ ミ ネ ブ ニ ヤ マ
それから大嶺家の拝所である大山御嶽を訪れ、99拝した後同じくもてなされる。大嶺家は屋
カ ラ イ モ
号を大史といい、八重山に一族の根を張る名家で、その先祖に中国から唐芋を伝来したと伝え
コ ー コ ー
る波照間高康がいる。この御嶽の司祭は元屋の長女が務める。その司祭者は阿底御嶽のパナヌ ファーでもある。宴半ばでハリクバナのジラバをみんなで歌う。ここで歌われてからでない と、畑仕事でこの歌を歌ってはいけないという。これは、昨日の神客出発時のピパーズの草笛
ブ ザ ス ケ
の場合と同じ考え方に基いている。そして、最後に大嶺家に招かれ、床の間を拝んだ後、また
酒盛りを続ける。
富嘉部落の場合、宴は結局5回催されたことになる。いずれも神事を先にしてはいるが、回 を重ねる毎に略式化が進むのは当然のことで、宴会におけるいわば2次会、3次会に相当する ものである。他の4部落の場合も、各々の事情に応じながらも、基本的には富嘉と共通した次 第を経ている。
ア ミ ヂ ュ ワ ー
新 年 祭
1 ア ミ ヂ ュ ワ ー
ミ ヅ ノ エ タ ツ
アミヂュワーは、プーリンから20日程間をおいてから壬辰の日に行ったが、今は生活改善の 一環としてプーリンと一括して行われる。このため、以前は数日前から行われたアミヂュヮー の準備も、前日の午後から(すなわちプーリンの朝願いが終ってから)始まる。補佐も別の人
カ ン パ ナ
人に変り、新たな作業を始める。富嘉・前・南の司は、神花の日と同じく神菓子を作る準備を
する。