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独占的競争と再生産 : 一般的利潤率法則を中心とし て

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Kyushu University Institutional Repository

独占的競争と再生産 : 一般的利潤率法則を中心とし て

溝上, 孝夫

https://doi.org/10.15017/4480713

出版情報:經濟學研究. 51 (6), pp.29-46, 1986-09-10. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

―—般的利潤率法則を中心として一一

溝 上

目 はじめに

独占的競争の問題性 独占部門の参入障壁 独占資本と非独占資本 暫定的結論

1 次 2 3 4 5  

ー はじめに

資本主義経済の運動法則を明らかにすること を課題としたマルクスの『資本論』が再生産論 体系としての構造をもっているように,独占資 本主義段階においても, その経済的運動法則の 解明は再生産論という視角からおこなわれなけ ればならないということができるであろう。

『資本論』体系と独占資本主義論をいかに関連 付けるかという問題についてはこれまで枚挙の 暇がないほどの数の論考が著わされてきた。そ してこれは常に独占資本主義に関する論争の中 心的な位懺を占めている。それはこの問題が独 占資本とは何かということを明らかにすること でもあるからである。ところで,故・宇野弘蔵 氏に代表されるような,独占資本主義の原理的

=法則的解明を不可能と考える立場は,独占資 本主義をひとつの歴史的発展段階として位置付 けるためのものではあっても,資本主義の再生 産構造そのものの内部にこのような発展をもた らすような要因の存在を明らかにしていないと いう点で問題を含むものであると言わなければ

ならない。自由競争段階における資本主義の再 生産構造のなかから発展が必然的にもたらされ たものとしなければ,独占資本主義段階の動態 的な再生産構造は理解しえないであろう。動態 的な発展ということは資本主義経済の再生産構 造の本質であるとしなければならないのであ る。また独占資本主義の法則的解明が可能であ るとする立場にもさまざまな方法論的対立が存 在する。 しかし独占資本主義段階に固有の法則 性が見出されるとすれば, それは何よりもまず 再生産がいかなる過程の中で行なわれているの かということに関わるものでなければならない のである。

ここでまずはじめに独占資本とは何かという ことを明確にしなければならない。独占資本主 義とはまずーロで言えば,生産主体としての資 本が相互に同質的でなくなり,独占資本と非独 占資本に分裂し,前者が再生産過程において決 定的重要性を持つようになった資本主義の発展 段階であるということができるであろう。自由 競争段階における資本の同質性という前提が崩 壊したことによって経済的運動法則に本質的変 化が生じている。まず一般的利潤率法則につい ての問題が最も重要な変化として考えられるこ

とになるのである。

ところで,独占資本主義を解明する場合, ず独占資本を独占価格の設定者として第一義的

‑ 29  ‑

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に規定することができるかもしれない。 しか し,このような価格の再生産過程における位置 付けを明らかにしない限り,それだけでは不充 分であるといわなければならないであろう。ま ず独占資本主義の再生産構造を法則的に解明す ることが独占資本主義論の課題なのである。一 般的利瀾率については独占価格論の問題として これまで論じられてきた。ところが,一般的利 潤率概念の再生産論における意義は独占資本主 義段階においては価格論のみにおいて示される

ことはできなくなっているのである。このこと を明らかにすることが本稿の課題である。

2 独占的競争の問題性

独占的競争というものをどう捉えるかという 問 題 で あ る が , ま ず 一 般 的 に い え ば そ れ は 自 由競争に対しての独占的競争である。このよう な独占的競争を行なう主体を資本規模という点 から見てみる。自由競争段階においても,資本 に大小の格差は存在していたが,それは一時的

.偶然的なものであり,本質的意味を持つもの ではなかった。大小の格差は固定したものでは なく,流動的なものであった。しかし更に重要 なことは,このような諸資本が個別の産業部門 や市場に属していたということである。周知の ように,現代の巨大企業は復数の産業部門・市 場 に ま た が っ た コ ン グ ロ マ リ ッ ト ・ 多 国 籍 企

1)  コングロマリット及び多国籍企業について宮崎 義一氏は次のように定義されている。

「多国籍企業は,多数の国々において子会社を設 立し,生産活動を行なうが,単に各国ごとに利潤 の極大を追及するのではなく,すべての子会社を 総括して全体としての利潤の極大をグローバルに 追求する企業であるといわれている。これと同様 に, コングロマリットは,合併により産業を越 え,市場を拡大しながら生産活動を行なうが,単 に各市場ごとに利潤の極大を追求するのではな

1)であるが,これに対して自由競争段階にお いては,資本は単一の産業部門・市場という枠 組みの中で捉えられるのである。言い換えれば それは,具体的に一企業=ー工場という形で存 在していたのである凡

以上のように,自由競争と対比して示される 独占的競争においては,まず第一に競争主体の 大小の格差が長期的・固定的となり,本質的に 種類の異なる二つのものになっているというこ とができる。もちろんここで長期的・固定的と いうのは,このような区別が絶対的であり,永 遠に続くということではない。独占資本主義の 再生産過程の中で,この格差を持った「関係」

が機構的に再生産されるということである。第 ニに,より重要なことは,独占的競争は個々の 産業部門の枠を越えた複数の産業部門にまたが って展開され,さらには銀行資本も含めての競 争であるということである。すなわち,金融資 く,すべての子会社を総括して全体としての長期 的利潤の極大を生産販売の面で追求すると共に金 融面でも短期的な利潤極大を追求する企業といっ てよいだろう」(宮崎義一 玉井龍象 西 川 潤 宮本憲一『現代資本主義論』筑摩書房, 1977  年, 73ページ)。

2)  白川 清『制御資本主義論』亜紀書房, 1981 年,第II章を参照されたい。

3)  金融資本概念の要約として鶴田禍彦氏の次の言 葉を引用しておく。

「資本は, きわめて一般的にいえば, 自己増殖す る価値の運動体であるが,金融資本の成立以前の 資本は,特定の企業や産業の枠にとらわれていた のであって,そのような企業や産業の枠をこえて 存在するところに,金融資本の特質があるといっ てよい。したがって,金融資本は,その内部の労 働者の搾取をつうじてはもとより,さらにそれに くわえて,独占価格の設定や金融的支配をつうじ て,長期的には,グループ全体としての資本増殖 率を最大限のものにしようとするものである」

(鶴田満彦『独占資本主義分析序論』有斐閣, 1972 年, 60ページ)。

独占資本主義段階の競争主体は金融資本である と言うことができるが,再生産構造の解明という 視角からは特に現実資本の運動を中心に位置付け る必要がある。そこで以下では,このような金融

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本がこのような競争の主体なのである匹 独占とは自由競争の制限あるいは否定として 捉えられるのではなく,本質的に形態の異なる 競争を展開するものとして把握されなければな らない。通常,独占資本はその利潤を極大化す るために,協調的行動によって高価格を設定す るものと考えられる。独占を部門内での協調と して把握することは,そのこと自体は誤りでは ないにしろ,それだけでは全く不充分であると いわなければならない。確かにこのような部門 内での協調が自由競争段階とは異なる独占資本 主義段階に特徴的な事態であるということは否 定できない。しかし,独占的競争は個々の部門 の枠を越えて展開されるところにその本質があ るのである。すなわち,このような特徴付けで は 独 占 資 本 の 行 動 様 式 を 十 分 に 把 握 し え な い し,独占資本主義段階の再生産構造も解明しえ ないと言わざるをえないのである。

このことを視点を変えてみてみる。例えば,

独占価格について見てみると,一部門内に成立 した協調によって設定される価格は独占価格で あるが(もちろん厳密には寡占価格と言うべき であろうが)叫しかしここから得られる利潤が 独占利潤の全体なのではない。この部門とは直 接関係のない金融的諸操作によって得られる利 潤も独占利潤の大きな源泉として位置付けられ

資本を必要に応じて独占的巨大資本として示すこ とにする。

4)  独占概念と寡占概念は同じではない。価格論の 問題としては,独占価格は,例えば参入阻止価格 論におけるように, 寡占理論から説明されてい る。しかし独占概念は本来個々の市場の問題に還 元することのできないものである。すなわち独占 とは個々の部門の需要一供給構造として規定され るものではなく,多部門的展開としての独占的競 争そのものから規定されなければならない。この 点については,拙稿「独占概念と競争論の展開に 関する一考察」(『経済論究』 60号, 1984年)を参 照されたい。

なければならない。独占利潤のこのような部分 をむしろ独占資本主義の解明において,より重 重なものと考えることができるかもしれない叫 さらに,複数の産業部門にまたがって投資行動 を行なっている巨大企業を考えてみれば,ある 産 業 部 門 で 独 占 資 本 が 協 調 す る か 競 争 す る か は,その部門のみの所与の諸条件から一義的に 決まるものでないことは明白である。ある一つ の産業部門内でいかなる戦略を採用するかは,

ほかのすべての産業部門との関連のなかではじ めて評価されることである。ある一つの部門で 協調を可能にするような条件が存在したとして も,そのことから直接的に協調が成立するかど うかは言えないのである。

ところで,独占資本主義の再生産構造を解明 することが独占資本主義論の中心的課題である と考えられるわけであるが,このような立場か らすると,例えば金融的利得を独占利潤の中心 的部分であるとして,その源泉や諸形態を解明 するという接近方法によってこの課題をはたす ことができるであろうか。まずこのことを簡単 にみてみることにする。

この金融的利得を重視する方法は独占価格論 的接近方法に対する批判のなかから出てきたも のである。例えば森岡孝二氏は,通説的な独占 価格論における価格決定機構の解明は「独占」

価格と言いつつも,実は「理論的には競争価格 の一形態としてとらえる」6) という 「重大な問 題点」7) を含むものであると言われている。す なわちこの方法は,既にその作用を停止してい るとされる平均利潤率の法則を独占価格の基準

5)  池上惇氏や森岡孝二氏らが特にこのような立場 から独占資本主義を解明されている。

6)  森岡孝二『独占資本主義の解明』新評論, 1977 年, 136ページ。

7)  同上書, 136ページ。

(5)

に す る と い う 誤 り を お か し て い る こ と が 批 判 さ れ て い る 。 こ の よ う な 理 由 か ら 独 占 価 格 の 法 則 的 解 明 は 方 法 論 的 に 不 可 能 で あ る と さ れ , 独 占 価 格 を 「 独 占 の 結 果 と し て 連 合 し た 生 産 者 た ち が市場に強制するもの」8) と し て 規 定 さ れ て い る 。 そ し て こ の よ う な 独 占 価 格 を 独 占 利 謁 の 源 泉 と し て ば か り で な く , 金 融 的 利 得 を 獲 得 す る た め の 手 段 と し て の 側 面 か ら 位 置 付 け ら れ て い る 点 が 特 徴 的 で あ る と 言 え よ う 。 氏 は こ の 両 者 を「相互補完的関係」9) に あ る と 言 わ れ て い る が , や は り よ り 重 要 な も の と さ れ て い る の は 金 融 的 利 得 の ほ う で あ る と 言 う こ と が で き る で あ ろう10)

言 う ま で も な く , 独 占 資 本 が 金 融 的 利 得 を 手 に 入 れ る た め に は , そ の 社 会 に 剰 余 価 値 が 生 産

・再生産されていなければならない。金融的利 得 は 剰 余 価 値 の 再 分 配 で あ り , 結 局 は 労 働 者 階 級 か ら の 一 層 の 収 奪 で あ る か ら で あ る 。 独 占 資 本 主 義 の 再 生 産 構 造 の 基礎 の 上 に 金 融 的 術 策 が 展 開 さ れ , 利 潤 の 再 分 配 が 行 な わ れ る こ と に な る と 言 う こ と が で き る で あ ろ う 。 し か し , こ の よ う な 金 融 的 利 得 を 独 占 利 潤 の 中 心 的 部 分 と し て独占資 本 主 義 を 解 明す る 立 場 に お い て は 再生 産 と い う 視 角 は 希 薄 と な ら ざ る を え な い 。 も と も と 金 融 的 利 得 そ の も の が 直 接 的 に は 社 会 の 再 生 産 構 造 と は 離 れ た と こ ろ で 獲 得 さ れ る も の だ か ら で あ る 。 し か し 金 融 的 利 得 を 目 的 と す る 独 占 資 本 の 行 動 は 全 体 的 な 再 生 産 の 枠 に 規 定 さ れ て い る し , ま た そ れ に 一 定 の影 響 を 及 ぽ す も の で も あ る 。 独 占 資 本 主 義 論 の 方 法 と し て は 再 生 産 構 造 の 解 明 の 上 に 金 融 的 利 得 の 位 置 付 け が な さ れ る 必 要 が あ る と 言 わ な け れ ば な ら な い の で

8)  同上書, 263ページ。

9)  同上書, 254ページ。

10) この点について詳しくは前掲拙稿を参照された しヽ。

ある。

このように独占資本主義段階の再生産構造の 解 明 が 必 要 な の で あ る が , こ こ で こ の 再 生 産 構 造 と い う こ と に つ い て 触 れ る 必 要 が あ ろ う 。 再 生 産 構 造 と い え ば ま ず 『 資 本 論 』 第 二 部 第 三 篇 で与えられている再生産表式を思い浮かべるこ とができる。 しかし最初に述べたように,「資 本 論 」 は そ の 全 体 が 体 系 的 に 再 生 産 と い う 視 角 から展開されたものであるということができる の で あ る 。 ま ず 労 働 価 値 説 そ の も の が 資 本 制 社 会 の 再 生 産 と い う 視 角 か ら 展 開 さ れ て い る と 言 うことができるであろう。周知のようにマルク スは1868年7月11日付けのクーゲルマンに宛て た 手 紙 に お い て 「 一 定 の 割 合 で の 社 会 的 労 働 の 分割の必要」11)を価値論の歴史貫通的な内容と して示し, 「科学とは, まさに,どのようにし て価値法則が貫かれるか,を説明すること」12)

であるとしている。言い換えれば,「資本論」

全 体 が 「 科 学 」 と し て , ど の よ う に し て 価 値 法 則 が 貫 か れ る か , す な わ ち 社 会 的 労 働 配 分 が い か に し て 実 現 す る の か と い う こ と を 解 明 し て い るのである。資本主義社会の再生産を可能にす る社会的な労働配分のメカニズムの解明が行な わ れ て い る と 言 う こ と が で き る の で あ る 。 自 由 競 争 段 階 に お い て は,一般的利潤率を中心にし て , よ り 高 い 利 潤 率 を 求 め る 諸 資 本 の 競 争 に よ っ て こ の 価 値 法 則 は 現 実 化 し て い た 。 す な わ ち , 部 門 間 の 資 本 移 動 と い う 形 で , 労 働 力 の 社 会 的 配 分 が 実 現 し,資 本 主 義 社 会 の 再 生 産 が 可 能 と な っ て い た わ け で あ る13)。『資本論』第三

11)  マルクス・エンゲルス『資本論書簡」岡崎次郎 訳,国民文庫版(2), 162ページ。

12)  同上書, 163ページ。

13)  もちろんこの過程は部門内・部門間の競争によ って実現されるのであるが,ここでは簡単にする ために部門間競争としてだけ取り上げることにす る。

‑ 32‑

(6)

部第二篇の一般的利潤率の問題はこのような再 生産の視角から展開されていると言うことがで きるであろう。このように,自由競争段階での 社会的再生産過程における一般的利潤率概念の 意義をみてくると,独占資本主義段階において も労働力の社会的配分の法則が理論的に解明さ れる必要があることが明らかとなるであろう。

ところで,独占資本主義が成立•発展してく るなかで,金融資本による協調や調整の及ぶ領 域が自由競争段階とは比べものにならない程に 拡大してきている14)。自由競争段階におけるよ うな,市場を所与のものとして受け取る資本と は異なり,独占資本主義段階においては,巨大 独占資本は一定の範囲で市場をコントロールす ることができるまでになっている。このような 独占資本の力によって社会的労働配分すなわち 資本移動が必ずしも価格というメカニズムによ らずに可能となってきていることは否定できな い。この価格そのものが独占資本によって設定 されているのである。例えば企業集団における 相対取引や紐付き販売などをみると,個々の企 業の短期的な利潤獲得よりも,グルーフ゜全体で の長期的な利潤の極大化が目的とされているこ とが見て取れるのであるが,このような安定的 な取引を可能とするまでに市場が組織化されて いることが独占資本主義段階の特徴であると言 うことができるであろう。もっとも,現実の独 占資本主義が,ヒルファーディングが構想した ような組織資本主義ではなく,あくまでも競争 を本質とする資本主義の枠組みの内部での組織 性・計画性である以上,総体としての無政府生 産から脱却することはできないこともまた明ら 14)  森岡氏は,部門の枠での協調と部門間での無政

府生産を独占資本主義段階の特徴として示されて いる。(前掲書,第3章参照。)

かである。

たとえ部門内で協調が成立し,価格や生産量 を調整するという場合においても,さまざまの 合理化努力によりコストを引き下げて利潤を増 大させたり,より付加価値の高い代替的な新製 品の開発を行なったりする個別資本の行為まで も規制することはできない。部門内での協調も 言わば外観的なものであり,その内部にこれを 絶えず破壊しようとする諸資本の競争という本 質があることを指摘しなければならないのであ る。また多部門・多市場的な競争主体として位 置付けられるような集団の内部の問題として考 えてみても,組織性.計画性が限られた範囲の なかでしか可能でないことは明らかである。例 えば企業集団においても,それぞれの部門の枠 での協調が上に述べたように不安定なものであ るうえに,それぞれの集団の頂点に立つひと握 りの大銀行や大企業によるコントロールも必ず しも完全なものとは言えない。社長会などにお いても,必ずしも集団内部の調整をスムーズに 行なえるわけではないことは明らかである。さ らに,このような調整が完全に行なわれえたと しても,社会全体での無政府生産が止揚されな い限りその内部での調整は常に不完全性をさら けだすことになるのである。

ところで,自由競争段階においては労働力の 社会的配分が一般的利潤率を基準とした競争過 程のなかで達成されるのに対して,この独占資 本主義段階においては労働力の社会的配分つま り資本移動は何を基準として行なわれるのであ ろうか。まず自由競争段階においては,一般的 利潤率は一定額の資本投下に対して当然要求で きるものとして資本家の意識のなかにも成立し ていた。つまり, 「同じ大きさの資本は同じ期

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間には同じ大きさの利潤をあげなければならな いという観念」15)である。この当然手にするこ とのできると考えられる利潤よりもさらに大き い特別利潤を求めて資本家達は互いに競争した のである。 この過程において一般的利潤率16)

は「決して単に理論的な重要性をもっているだ けではなく,資本にとって実際上の重要性をも っているのであって,資本の投下は長短の一定 の期間のいろいろの変動と平均化とを計算にい れて行なわれるのである」17) とされている。す なわち,一般的利潤率概念は資本家の意識のな かに現実に存在し,その資本移動の基準となる のである。これと同じように独占段階の資本が 当然要求できると考える利潤率というものは存 在しないのであろうか。

独占価格論においては,価格設定がその当該 部門の個別の事情に関わるものとされている限 り,独占資本が独占資本として当然要求できる 利潤率というものは存在しえないといわなけれ ばならない。個々の部門ごとの特殊利潤率が資 本規模の格差の固定化のために成立しえないの で,全部門に共通する一般的利潤率も成立しな いものと考えられているのである。この問題に ついては次節で考察することとして,金融的利 得を中心に独占資本主義を解明する立場から は,この労働配分=資本移動の問題はどう扱わ れるであろうか。

まず,森岡氏は,先にも示したように,独占 15)  マルクス「資本論J

m .  

219ページ。岡崎次郎 訳. 国民文庫版(6), 344ページ。以下ディーツ版 原書ページ数のみを記す。

16)  これは直接には「市場価格と市場価値」(第二 篇十章標題)の問題として論じられているが.こ のことは「必要な限定を加えれば.生産価格にも あてはまる」(同上書, 208‑209ページ)のであ る。

17)  同上書, 200ページ。

価格論における方法論的な難点を指摘されてい るのであるが,さらにこのような独占価格論と いう方法一般に対して, 「独占価格を独占資本 主義に特徴的な社会的分業編制の素材的・地域 的連関や産業諸部門間の連結・依存・従属関係 とかかわる一定の秩序をもった独占的価格体系 として論ずるような観点は「原理」的にしめだ されている」18)点を問題にされている。すなわ ち,独占価格論が独占資本主義段階の再生産構 造を解明するうえで有効な方法ではないことを 示されているのである。そしてさらに,「批判 的に克服すべきは,……独占価格論そのものの 取り扱いにまといついている経済理論のとらえ 方や伝統的経済法則観である」19) と述べられて いる。言い換えれば, この「伝統的経済法則 観」とは「プルジョア的「反独占」思想」20)の ことであり, 「その思想はまた, 資本主義的独 占および独占価格に本質的に含まれる意識的計 画的規制原理をみぬけない」21) という点を指摘

されているのである。

氏が独占価格論が社会的分業編制に関わる観 点を看過している点を批判されているのは全く 正当であると言わなければならない。また独占 価格が意識的計画的規制原理を本質的側面とす る点の指摘についても同様である。ところが,

独占価格について,それが社会的分業編制と関 わるものである点を強調されている氏が,自由 競争段階での一般的利潤率概念がそもそも社会 的分業編制と関わるものであった点を看過され ているかに思われるのは不思議である。氏は独 占段階における一般的利潤率法則の失効を主張

18)  森岡,前掲書, 258ページ。

19)  同上書, 283ページ。

20)  同上書, 283ページ。

21)  同上書, 283ページ。

‑ 34 ‑

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される論者のひとりである。氏も自由競争段階 において一般的利潤率法則がもっていた再生産 論上の意義を位置付けられることなく,その成 立条件のみを考察されているにすぎないと言わ なければならない。もちろん,「意識的計画的」

という事態を自由競争段階に見出すことはでき ない。しかし,社会的分業編制そのものは意識 的にしろ無意識的にしろ,社会が再生産される ためにはなんらかの過程のなかで達成されなけ ればならないものである。このことの認識が労 働価値説の立脚点であったということは先に述 べたとおりである。「意識的計画的」というこ とは社会的労働配分を実現するうえでの自由競 争段階と独占資本主義段階の区別の特徴付けを 与えるものではあるが,社会的労働配分という 本質そのものは変わらないのである。この本質 の独占資本主義段階における現象形態を解明す ることが独占資本主義論の課題であると言わな ければならない。

もっとも,先に引用した所からも明らかなよ うに,氏は独占資本主義段階における「社会的 分業編制」という問題の存在を独占資本主義論 の課題として認識されてはいる。しかし氏が社 会的労働配分と関わる独占価格の問題性につい てそれ以上の展開を行なわれないのは, 部門 内 協 調 ・ 部 門 間 無 政 府 生 産 と い う 命 題 が そ れ 22)  例えば,氏は参入阻止価格論について次のよう

に述べられている。

「参入阻止価格論は, ……プルジョア寡占理論 の一種であって,プルジョア価格理論一般がそう であるように,資本主義的独占に特徴的な部門の 枠での生産の意識性と計画性を理論的に承認しよ

うとしない……」(同上書, 141ページ)。

独占資本主義段階における意識性・計画性をこ のように部門の枠での問題として捉えれば,独占 価格における社会的労働配分=資本移動の意識性

・計画性の問題については触れることができなく なるのは必然的帰結であると言えよう。しかし実 は,社会的労働配分=資本移動は独占「価格」の

を阻んでいるものと思われる22)。逆にみれば,

そのことが組織資本主義論に対する批判ともな っていると言えるのではあるが,社会的分業編 制そのものという経済的本質と組織資本主義と いうこととはなんら関係がないことはもはや繰 り返す必要はないであろう。結局,氏において は独占価格と独占資本主義の再生産機構との関 連はなんら明らかにされることなく終わってい

ると言わなければならないのである。

一般的利潤率法則の社会的分業編制に関わる ものとしての意義を強調したが,もちろん独占 資本主義段階になるとそれまでと同じ形で一般 的利潤率法則が成立することはできなくなる。

言わば,形態が変化するのである。社会的分業 編制を本質として,その形態変化と考えうるの か,あるいは一般的利潤率法則成立の条件それ 自体の消滅によってこの法則を全面的に否定し なければならなくなっているのかどうかを明ら かにしなければならない。そのために,独占価 格論における参入障壁の問題と,次に独占ー非 独占への資本の二極分化ということの二点につ いて検討を加えることにする。

3 独占部門の参入障壁

まずはじめに,独占価格論における一般的利 潤率法則の取り扱いについて見てみることにす

る。

独占価格の法則的解明を行なう場合の基本的 立場は,大きく二つに分けられる。費用価格+

平均利潤+独占利潤とする説ー一この場合,非 独占部門にはそれに対応するマイナス分が平均 利潤部分に生じるものとされる一ーと,費用価 みによって規制されるのではないという点が重要 なのである。

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格+独占利潤として,この独占利潤を平均利潤 とは直接に関係付けない立場との二つである。

前者の立場は一般的利潤率法則が独占段階にお いても,なんらかの形で貫徹しているというこ とを前提としている。後者の立場は独占段階に おいて全部門に通用する一般的利潤率の存在を 否定するものである。この一般的利潤率法則の 否定は例えば見田石介氏によれば,同一部門内 に独占資本と非独占資本が存在し,利潤率格差 が固定化するために部門の特殊利潤率が成立し えなくなっているということから説明されてい る1)。一般的利潤率成立の条件が独占資本主義 段階において消滅しているという認識からこの 法則を全面的に否定されるのである。このよう な一般的利潤率成立の条件そのものを問題に し,そのような条件が存在しないということか ら,この法則の失効を説かれる方法は確かに説 得的であると思われる。しかしマルクスは「本 質的でない偶然的な相殺される相違を別とすれ ば,産業部門の相違による平均利潤率の相違は 現実には存在せず,また,資本主義的生産の全 体制を止揚することなしには存在できないとい うことには少しも疑う余地はない」2) としてい た。つまり,一般的利潤率法則は資本主義的生 産に本質的なものとして位置付けられていたの である。そこでまず,独占資本主義段階には一 般的利潤率法則が成立しないものとして独占価 格論を展開する立場を検討することにする。

全部門に共通する一般的利潤率というものを

1)  氏は次のように述べられている。

「各部面に標準的な生産条件があり, 同一の市 場価値があり,超過利潤とともに標準的な利潤率 があって,後者をもつ中位の椋準的な資本が大半 をしめていること,この特殊的利刷率の条件が同 時に平均利潤の条件である, と言うことができ

る」(見田石介「価値および生産価格の研究J新 日本出版社, 19̲73年, 83ページ)。

2)  マルクス『資木論jIII,  162ページ。

基礎におかずに独占資本主義の価格法則を解明 する方法として参入阻止価格論がある。ところ で,参入阻止価格論の代表的論者のひとりであ る北原勇氏は独占価格の収奪的性格を示す基準 としての「銀念的範疇」として生産価格の存在 意義を認められている 。すなわち,氏におい ては一般的利潤率法則は全面的に否定されてい るわけではない。高須賀義博氏はこのような北 原氏の主張に対して,「現実にそれを成立させ る基礎がない時に,それを「観念的」に表象す るのは経済学者の頭の中で行なわれた恣意的抽 象の産物でしかない」4) と批判されている。

一般的にいえば,独占価格論においてはこれ まで主に,独占利潤の大きさや収奪的性格をあ らわすための基準として一般的利潤率の概念が 用いられてきたということができるであろう。

すなわちそのような利潤の「源泉」を明らかに するための概念である。源泉という言葉をカッ コにいれてみたが,それはまず独占利潤の源泉 は独占価格のみではなく金融的利得がその大き な割合を占めるに至っているからであるが。さ らに重要なことは,これまでの一般的利潤率概 念の位置付けが先に考察したような労働力の社 会的配分,言い換えれば価値論の本質を展開す る場としての一般的利潤率概念として行なわれ ていないということである。利潤の源泉を明ら かにする概念としてだけではなく,このような 資本移動と関わるものである点が看過されては ならない。自由競争段階において一般的利潤率

3)  北原勇「市場構造と価格支配_独占価格論序 説」「経済学年報』第五集, 141ページc

しかし氏は直接に価格形成に関わるものとして この一般的利潤率を位饂付けられているわけでは

4)  高須賀義博「現代価格体系論序説』岩波書店, 1953年, 148ページ。

‑ 36‑

(10)

法則がもっていたこのような意義は独占資本主 義段階においてもなんらかの形で貫徹するもの と考えなければならないのである。確かに.独 占価格の大きさや収奪的性格を明らかにするこ とは独占価格論の重要な課題のひとつであるこ とは間違いない。しかし,独占資本の収奪的性 格は独占価格のみにおいて示されるものではな く,金融的術策の展開によって獲得される独占 利潤においてもやはりその収奪的性格は明白に あらわれているのである。この二つの源泉の関 係を理論的に明らかにする必要があると言わな ければならない。さらに後者の場合は,実質的 な生産力の基盤から直接もたらされる利潤でな いことは明白である。そこでこのような利潤を 求める資本の行動を独占資本主義段階における 停滞性•寄生性をあらわす典型的なものとして 位置付けることができるであろう。

独占価格論の問題性としてはこのような「源 泉」論より以前に,まず再生産論的な問題とし て設定される必要があると言わなければならな ぃ。そこでここでは,参入阻止価格論として独 占価格が解明される場合の参入障壁と,それが 先に示したような独占的競争において持つ意義 を必要な限りで考察する。参入阻止価格論の内 的構造そのものには触れない。それが立脚する 前提条件としての参入障壁についての検討のみ を行なうことにする。まず内在的批判を行なう ためには,その立脚点の検討からはじめなけれ ばならないと言うことができるであろう。

高須賀氏は,独占部門に存在する参入障壁と して次の五つの要因を示されている。つまり,

1)必要最少資本量の膨大化, 2)技術的・制 度的要因, 3)需要の状態, 4)既存独占資本 の報復力, 5)例外的高利潤,である5)。これ

5)  同上書, 195‑197ページ。

らは相互に別々の要因としてバラバラに作用す るのではなく,「必要最少資本量の膨大化」を 中心として作用するものと言えよう。ほかの2)

5)の「要因の総和」は, 1) の要因に「は ねかえってくる」のであり,それゆえ「必要最 少資本量の膨大化」を「参入障壁の第一として あげなければならぬ」というわけである。この

「必要最少資本量の膨大化」とは言い換えれば,

マルクスが示した「あるひとつの事業をその正 常な条件のもとで営むために必要な個別資本の 最小量」6) が生産の集積の進展にともなって増 大するということである。

ところで氏は,独占資本主義段階における参 入障壁の問題としては,この要因はそのような 巨大な資本の調達難の事ではないとされてい る。巨大な額となった必要資本量をなんらかの 手段で調達しうる資本が少なからず存在し,必 要最少資本量の膨大化という要因はそれ自体と

しては当該部門への新たな参入者を締め出すこ とはできないのである。すなわち氏は,「独占 の成立期ではなく,それが主要産業において確 立してくると,どの独占資本も内部資金の集積 能力および外部資金の調達能力は高まり,他産 業への投資可能な資金の確保は比較的容易」

となると考えられている。またこのことはアメ リカや日本で経験的に確認されることであると 言われている。このような点から,独占資本の 資金調達能力の高さの為に必要最少資本量の調 達難は「大きな参入障壁ではない」と評価され るのである。そこで氏によると,「参入障壁に とって重要なのは,その調達ではなくて,参入 に失敗した場合の損失・危険の大いさが必要最 少資本量の膨大化に伴って加速度的に大きくな

6)  マルクス「資本論JI, 654ページ。

7)  高須賀,前掲書, 195ページ。

‑ 37‑

(11)

る」8) という事態なのである。たしかに独占資 本主義成立後の再生産過程を理論的に明らかに するためには,氏の言われるように資金調達難 そのものを参入障壁としえない点はまさにその 通りであると言えよう。

ところでしかし,このように独占資本の「資 金調達能力」の高さに注目される氏が,反対に 危険負担あるいは危険分散の能力の増大に言及 されていないことはいかにも不思議である。一 般的にいえば,先にも述べたように独占資本主 義段階になって再生産過程に対する組織性・計 画性は飛躍的に高まってきている。つまり,無 政府生産を特徴とする資本主義的生産様式の枠 内でのことではあるが,命がけの飛躍として特 徴付けられる最終消費財部門においても,大量 に収集可能となった情報によって,かなりの程 度正確な市場の予測が可能となってきている。

さらに情報そのものを操作することでこのよう な市場をコントロールすることもある程度可能 となってきているといえよう。このような状況 のなかで,参入の失敗の可能性についてもかな りの程度客観的に評価されることになる。ここ では直接このような一般的な問題を取り扱うこ とはできないので,当面の論点に必要なかぎり でこの危険負担.危険分散能力についてみてみ ることにする。例えば,独占資本は多角経営化 によって収益の安定化を実現することができる が,そのために新しい部門に資本投下を行なう 際に直接自らそれを行なうのではなく,子会社 の設立や,あるいは共同出資会社などによる方 法をとる場合がある。そのような方法をとるこ とによって,参入に失敗した場合の損失の負担 を軽減することが可能となるのである。また,

新しく参入した部門において当面見込まれる損 8)  同上書, 196ページ。

失を他の部門からの利益で負担する,いわゆる コングロマリット巨大企業における「内部補助 活動」などもそのような危険負担能力のひとつ の現われかたであると言えよう。

独占的競争という場合,それが単に自由競争 の制限という規定では捉えられない新しい内容 を持つものである点が重要なのであるが,危険 負担・危険分散能力の増大はまさにこれに関わ るものであると言うことができる。つまり,先 に述べたような多部門的展開を独占的競争の基 本形態として位置付けることなく,逆にこのよ うな競争を基本的な論理構築の枠組みから排除 したところに参入阻止価格論は成立しているの であるということができるであろう。高須賀氏 も「資本規模の増大に伴って製品多様化」が進 む点を指摘されてはいる叫しかし残念ながら,

「以下の展開では, 製品多様化・多角経営化に よる市場構造の複雑性も,製品差別化や非価格 競争の問題も捨象した」10) とされているのであ る。氏が捨象されたような競争様式こそ実は独 占的競争としての重要性をあらわすものである のに,氏の方法は独占を解明するのに一企業=

ー工場を単位とする自由競争をもって規定され ているといわざるをえない。現代資本主義にお ける競争主体が個別部門的なものではないこと を指摘されているのに,その肝心の問題を捨象 されていると言わなければならないのである。

このように考えてくると,巨大な独占資本に とっては,独占部門の参入障壁は原理的には自 由競争段階におけると同様に存在しないものと 仮定して議論する事が可能であると言うことが できる。また,独占的競争における投資の意思 決定を調整しうる主体として企業集団のような

9)  同上書, 129ページ。

10)  同上書, 137ページ。

‑ 38 ‑

(12)

場合を考えてみると,グルーフ゜内の個々の巨大 企業が互いの主要業種に新たに参入する必要が ない事は明らかであろう。このような場合には 参入障壁によって独占的競争を規定しえないこ とは明白である。もちろん非独占資本にとって はやはりこの参入障壁が立ちはだかっているの であるが,そのことの意味する内容は次の節で 検討することとする。

ところで,生産力の発展に伴う固定資本の巨 大化は自由競争段階と比べて明らかに独占資本 主義段階の特徴であると言うことができる。こ れはすなわち,以上で問題にした必要最少資本 量の膨大化ということであるが,それが調達可 能である限り,また失敗した際の損失を回避す る事ができる限り,理論的には資本移動に対し て制限とはならないとみなすことができるので ある。自由競争段階においても,固定資本の固 定性に因る資本移動の制約は当然存在した。例 えばマルクスは, 「本来の生産ー一工業や農業 や鉱業など一ーではどの部面でも資本が一つの 部面から他の部面に移動するのにはかなりの困 難があり,特に,既存固定資本のために移動は 困難である」11) としている。またそのことによ って再生産過程の均衡化は阻害され,再生産は 変動の過程のなかで達成される他はなかったの である。 しかしそのようななかで, 「数年にわ たる一定の循環について見れば平均利潤は他の 諸部門のそれとだいたい同じになるのである。

そして,資本はやがてこのような経験を計算に 入れるようになるのである。」12) このような資 本家の観念が実際上の重要性を持つこと,すな わち資本投下と関わるものであることは既に述 べたとおりである。独占段階においてこのよう

11)  マルクス『資本論」

m ,

218ページ。

12)  同上書, 218ページ。

な固定資本の固定性は一層増大したのだが,他 方ではそれを乗り越える方法も多様化したので ある。そこでは単に資本移動が制約されるとい うことではなく,それが新しい形態で展開され るのである。その際,例えば「資本家の補償理 由」13) として考察されていた資本家の意識の問 題などは,このような独占資本主義段階におい てはさらに重要性を増していると考えられるで あろう。このような問題の解明が独占資本主義 論の課題であると考えられるのであるが,その ためにまず参入障壁の持つ意義を考察したので ある。参入障壁としての「必要最少資本量の膨 大化」は独占的巨大資本にとっては参入阻止要 因とはならないと考えなければならないことが 明らかとなった。すなわち参入障壁の内実であ る「必要最少資本量の膨大化」は決して独占的 競争に,単に競争制限=部門内協調という形態 を与えるのではなく,独占的競争という新しい 競争形態そのものをもたらすものであると言わ なければならないのである。

ところで,大島雄一氏は参入阻止価格論の方 法を批判されて次のように述べられている。

「一般的にいえば,独占価格・独占利潤の多 少とも法則的な形態を考えるばあいには,資本 移動の制限に由来する規定ー一「参入阻止」要 因 は こ れ で あ る ― を 排 除 し な く て は な ら な い。なぜなら,独占段階にあっても,独占資本 相互間には資本移動の決定的制限は存在しない からである。独占資本相互間では株式取得や銀 行等による信用供与をとおして,さらには直接 的合同をとおして,部門間の障壁をのりこえる ことはさして困難なことではない。したがって 独占価格・独占利潤の規定も,独占的競争にも とづく独占利潤率の均等化傾向が貫徹してい 13)  マルクス『資本論』第三部第二篇十二章三節。

‑ 39 ‑

(13)

るという前提の上であたえられるべきであろ う。」14)

この独占資本相互の間には資本移動に決定的 制限が存在しないとされる主張は全く正当なも のであると言わなければならない。非独占資本 にとっては,必要最少資本量の膨大化という事 態は独占部門への本質的な参入阻止要因として 厳然として存在しているのだが,巨大独占資本 にとってはこのことは決して本質的な参入阻止 要因とはならないのである。そして独占資本主 義段階の再生産構造を解明する上で重要な事 は,このような独占資本にとって参入障壁が存 在するか否かということである。つまり,独占 資本が部門間の資本移動を制限されているとし なければならないかどうかが問題なのである。

独占資本主義段階の再生産過程は金融資本とし ての巨大独占資本の運動を中心にして展開して いるのであるが,そのことからすれば,非独占 資本あるいは一般的にいえば中小企業が独占部 門に参入する事が困難になっているという事態 が問題の本質なのではないことは明らかであろ う。独占段階における一般的利潤率法則の意義 すなわち資本移動の問題として考えれば,独占 資本にとって部門間の資本移動が制限されてい るか否かという事が問題の本質なのである。独 占資本主義論の問題をこのように考えてくる と,なぜ非独占資本にとっての参入障壁が本質 的な問題として位置付けられてきたのかという ことがあらためて問題とされなければならない ことになるのである。

そこで次に独占資本と非独占資本の関係につ いて必要な限りで考察を行なうことにする。

14)  大島雄一『増補版 価格と資本の理論』未来 社, 1974年, 396‑397ページ。

4 独占資本と非独占資本

はじめに断わっておくべきことは,ここで考 察する非独占資本の問題はこれまで中小企業論 として様々な方面から深甚な考察が行なわれて きた学問分野におけるそれとは同じものではな いということである。中小企業の問題は産業構 造論の一重要分野である。産業構造について は,本稿において再生産構造として,そのもっ とも抽象的な考察を行なっているわけである が,同様に中小企業の問題についても,もっと も抽象的なレベルの問題として取り上げてみた い。独占資本主義が歴史的に成立してきたもの であると同様に,非独占資本としての中小企業 の問題についても歴史的・具体的に考察するこ とは不可欠であるといえよう。しかし独占資本 主義を既に成立したものとして前提し,その一 般的な再生産構造を論理的に解明するという課 題においては,中小企業についても独占ー非独 占の関係の再生産としての取り扱いが必要であ るということができるであろう。更にそのうえ で,ここでは独占資本主義段階における一般的 利潤率法則の意義という問題と関わる限りで,

この非独占的中小資本を考察することにする。

独占資本と非独占資本の関係は,これまでの独 占価格論においては資本規模の格差として扱わ れてきた。自由競争段階では資本の同質性が前 提されていたのだが,しかしこのような枠組み のなかに資本規模の格差という概念を導入する ことによって独占資本主義を解明することはで きないのである。そのことを明らかにするため に必要な限りで中小資本の問題を取り扱うこと にする匹

1)  なお,非独占資本と中小企業とはもちろん同じ

‑ 40 ‑

(14)

まず,大企業と中小企業との間には資本規模 の格差が存在する。そこで両者の間では採用し うる技術は同じではなく,そこに技術的な格差 が生ずるのであるが,そのことは同一産業部門 内での生産コストに格差をつくり出すと言うよ りむしろ,それが別々の産業部門となる必然性 を示すものと思われる。同一部門の内部でコス トの異なる二つのグループが存在するものとみ なすのではなく,それらを別々の部門として扱 うべきであると思われるのである。というのは まず事実として,高度に寡占化が進行した産業 部門,我々の言う独占部門においては非独占的 中小資本は存在しないということが明らかに認 められる。次に同じ分野の商品を生産している 場合を見てみると,採用する技術に格差が存在 するとすれば,高コストを余儀なくされる資本 がそのような技術で生産を続ける為には,少数 の商品種類に特化する必要があろう。これに対 して,低コストで生産を行ないうる企業はこの 技術的優位性を利用してそのような中小資本を 支配し従属させることができるようになる。こ のようにして,その分野には少数の中核的企業 とそれに直接・間接に支配される従属的企業群 が生ずることになる。しかしこのような分野を 纏めて単一の産業部門として考えるのには無理 があることは明らかであろう。それぞれを個々 の産業部門として取り扱わなければならない。

まず,一つの産業部門の内部に新しい生産技術 を 採 用 し た 資 本 と そ う で な い 資 本 と の 間 で 上 概念ではない。独占概念を一部門内での需要一供 給構造の問題として考えれば,産業部門によって はいわゆる巨大企業でなくても独占企業が存在す ることになる。しかし独占概念とはこれまでに明 らかにしたように,このような個別部門的なもの ではないのである。そこでここでは,独占資本=

巨大企業,非独占資本=中小企業として取り扱う ことにする。

位,中位,下位の格差が生じることは当然であ る。これは独占資本主義段階になってもなんら かわりはない。この事と上述の採用しうる技術 的な格差による資本の分化とは全く別の事態で ある。このようにして二重化した資本は第一義 的には別々の多数の産業部門として捉えられな け れ ば な ら な い 。 そ し て そ れ ぞ れ の 部 門 に 上 位,中位,下位の格差が存在することになるで あろう2)。このような多数の産業部門のなかに,

非独占的中小資本が参入しえない独占部門とそ の他の非独占部門とが二重化して存在すること になると考えられるのである。

そこでこのような二重化が成立したなかで,

一般的利潤率法則が貫徹するか否かが問題なの である。ここではまず,非独占部門内部に一般 的利潤率が成立すると考えうるか否かを検討す る。もちろんこれには一般的利潤率が独占部門 と非独占部門とに二重化あるいは階層化して存 在すると考える立場も含むものである。

独占を自由競争の制限ということから規定す る立場からは当然に非独占部門には自由競争状 態が残るとされなければならない。もっとも,

自由競争が残ると言っても,これが自由競争段 階におけるそれと全く同じものではないことは 当然である。独占資本の市場支配に伴って非独 占部門における競争は一般に過当競争として現 象すると考えられる。このような生き残るため 2)  独占資本のもつ技術開発力と資金調達能力のた めに新生産手段の採用は直ちに他の競争相手にも 広がるものと仮定することができるかもしれな い。その場合,寡占化が高度に進んだ部門ではこ の上位・中位・下位の格差はほとんど存在しなく なるかもしれない。しかしこのことによって新生 産手段の採用による特別剰余価値を求める競争か 消滅するわけでは決してない。コストを低下させ るためのあらゆる手段が開発され採用されるとい うことに変わりはないのであり,このような事態 から直ちに協調と停滞性が導き出されるわけでは ない。

‑ 41‑

(15)

の激烈な競争が異常な状態としての過当競争と して捉えられるにしろ,むしろこれを正常な状 態と考えるにしろ,本質的には自由競争の一種 として捉えられることになるのである。すなわ ち,非独占資本は独占部門に参入する事は不可 能なのであるが,非独占部門相互の間では資本 移動が制限されていないので,そこに平均利潤 率が形成されるものと考えられることになる。

非独占的中小資本はこのような利潤率をめぐっ て原則的には自由な部門間の移動を行なうもの

とされるのである。

ところで,独占資本と非独占資本との関係に おいて重要な事は,それが支配・従属関係であ るということには誰しも異論のないところであ ろう。非独占資本は単に資本規模の小さい(そ れに伴い従業員数の少ない)中小企業というだ けでなく,独占的巨大企業に支配され従属して いる資本であるという事は明白である。そこで 問題なのはこの支配・従属の内実である。まず このような関係は当然収奪を伴うものだが,独 占資本は収奪のみが目的なのではなく,例えば 日本の自動車産業における部品産業育成に見ら れるように,系列企業に対しては良質の部品供 給者である事を要求し,その経営内容に対して もまた無関心ではありえないのである。独占資 本を中核とした安定的な取引関係が求められる のであると言えよう。独占的巨大資本にとって 中小企業は独占利潤を収奪する源泉であると同 時に,他の独占資本に対しての低コスト・高品 質という競争上の優位性を実現する手段でもあ るのである。このように,非独占資本は独占資 本に直接・間接に従属しているので,自由競争 段階におけるように自分の意志で資本移動を行 なう事は不可能であると言わなければならな い。非独占資本は独占資本からの一定の独立性

をもってはいるが, しかし非独占部門間で自由 に移動が行なわれ,そこに一般的利潤率が形成 されると考えるわけにはいかないのである。

このように独占資本と非独占資本の関係を支 配・従属関係として捉えると,中小資本が必要 最少資本量の膨大化した独占部門に参入しえな いという事は始めから明らかであると言えよ う。ある部門に参入するか否かというような重 要な決定は独占資本に支配され従属している非 独占的中小資本が自律的に決定しうる問題では ないと考えなければならない。非独占資本にと って,自由な部門間資本移動という枠組みのな かにそれらが参入しえない独占部門が存在して いるのではなく,この部門間資本移動さらには 部門内での競争も独占資本の支配のもとで行な われているのである。ここにおいて,独占(非 独占)概念を自由競争という枠組みのなかから 規定するという方法の欠陥は明白であると言え

よう。

ところで,非独占資本の取得する利潤は資本 の利潤として考えられるにしても,独占資本が 取得する利潤とは質的に異なるものであると言 わなければならない。非独占資本も資本として 自己増殖を目的とするものである事は独占資本 となんら変わりはない。また非独占資本のなか の最底辺層において「労働者との相互遠流関 係」3) が認められるとしても,そのような中小

・零細企業が資本である限りは利潤を目的とし た生産を行なうことに変わりはない。このよう な資本の利潤を「監督賃金」とみなす事が誤り であることは当然である。利潤と賃金の区別は 量的なものではなく,資本一賃労働関係という 質的なものに規定されているのである。 しか

3)  佐藤芳雄『寡占体制と中小企業J有斐閣, 1976 50ページ。

‑ 42 ‑

(16)

し,非独占的中小資本の取得する利潤が「監督 賃金」的性格を持つことも事実である。という のは,これらの資本は資本一賃労働という関係 だけでなく,独占資本との支配・従属関係のな かに位置付けられているからである。このよう な関係のなかで,例えば部品生産企業が技術革 新によって獲得する特別利潤は,それがほかの 同種の部品生産企業に同じ技術が普及する以前 に親会社による単価切り下げ圧力によって消滅 するであろう。親会社はこの子会社の持つ技術 水準を十分に知っているので,この特別利潤を 吸いとるか,そのままにして資本蓄積を行なわ せるかは政策的に決定しうる問題である4)。っ まり非独占資本は利潤を獲得し蓄積するという 目的とは裏腹にその利潤の一部分しか取得しえ ないという関係のなかに置かれているのであ る。もちろん現実には無政府生産という大枠の なかでのことであるので,必ずしもこの通りに は進行しないであろうが,支配・従属関係のな かにおいては,非独占資本の自己増殖には制限 が加えられるという点が本質的な問題であると 考えられるのである。この制限とは量的なもの であるだけではなく,自律的な部門間移動が制 約されているという点で質的なものでもある。

すなわち,この子会社が行なう新投資について も自律的に決定しうるものではなく親会社の政 策に従属するものと考えなければならない。

自己増殖を目的とする資本の本質からすれ 4)  自動車の部品取引に関して浅沼寓里氏は次のよ

うに述べられている。

「完成車メーカーとしては,短期的な部品値下 げのメリットと,長期的な部品メーカーの体質改 善に伴って期待できるメリットとを比較考量し て,適当な線で値下げ要求を止めることになる。

この線がどこであるかは.完成車メーカーごとの 状況判断によるであろう」(「自動車産業における 部品取引の構造」『季刊現代経済J58,  1984年, 44ページ)。

ば,非独占的中小資本といえども独占資本と同 じように,資本一賃労働関係において利潤を獲 得する資本として理解しなければならない。し かしこの資本としての本質そのものに制約が加 えられているという点が本質的な変化をもたら すのである。すなわちこのような非独占的中小 資本の利潤と独占利潤を同列に論じる事はもは や不可能となっている。質的な問題を抜きにし て量としてだけ関係付けることはできないと言 わなければならないのである。

ところで,独占利潤と非独占利潤が質的に異 なるものであるとすれば,そのような非独占部 門 に 平 均 利 潤 率 が 成 立 す る か 否 か と い う 問 題 は,独占資本を中心とした社会的再生産構造に とっては本質的な問題ではないと言うことがで きるであろう。

本間要一郎氏は次のように述べられている。

「少数の巨大企業がその生産の大半を掌握し ている基幹的な産業部門と,多数の中小企業が ひしめき合っている比較的生産額の少ない諸部 門との間には,それぞれの部門利潤率を平均化 せしめるような機構はもはや存在しない。……

「資本家的共産主義」の崩壊こそ, 自由競争段 階と対比した場合の,独占資本主義の基本的特 徴の一つにほかならない。」5)

すなわち氏は見田氏と同様に独占資本と非独 占資本に資本が二重化的に分裂することによっ て,社会的総剰余価値という共通の源泉からの 利益の平等な配分に預かるという「資本家的共 産主義」が崩壊することによって一般的利潤率 法則の失効を説かれるわけである。しかし,独 占利潤と非独占利潤を質的な区別をせずにひっ くるめて考えることは再生産の機構を解明する 5)  本間要一郎『現代資本主義分析の基礎理論』岩

波書店, 1984年, 83ページ。

‑ 43 ‑

(17)

上で疑問のあることはこれまで述べたところか らも明らかであろう。資本一賃労働という関係 だけでなく,この資本の内部に独占資本一非独 占資本という新たな関係が生じている。このこ とが独占資本主義段階の特質であることは誰の 目にも明らかであるが,それに伴って利潤にも 質的区別が生じているものとしなければならな い。この区別を量的な差額に還元することはで きないのである。そして言うまでもなく,独占 資本主義社会の再生産構造の解明において主要 な問題となるのは独占資本の取得する利潤のほ うである。

ところで, 「資本家的共産主義」ということ には独占資本も非独占資本も資本である限りは 同じ,すなわち平等な分け前に預かるというこ とが含まれているほかに,それらは社会全体の 剰余価値が分配の対象となるということを意味 している叫しかしながら, 一般的利潤率の概 念は必ずしも社会的総資本が対象となるもので はないと考えられる。確かに「資本論」第三部 第二篇「利潤の平均利潤への転化」においては 社会的総資本に対しての一般的利潤率としてそ れは示されている。しかしこれは一般的利潤率 というものの概念を理論的に明らかにするため の方法としてとられたものとは考えられないで 6)  平瀬巳之吉氏は「平均利潤は全国民市場を想定

しなければならない」(「独占分析の型と批判」未 来社. 1975年, 142ページ)とされて.「二重の平 均利潤率」という概念がそもそも「平均」利閥率 概念にたいする語法違反であると言われている。

独占資本主義の静態的な分析として考えれば,

そのように言わなければならないかもしれない。

しかし.再生産の動態的過程を解明する論理とし ては,平均利潤率概念を氏のように狭く捉え.そ れによってこの法則の失効を主張することは有効 な方法ではないと言わなければならないのであ る。ただし,あとの「二重の平均利潤率」が語法 違反であるという指摘は正当に受けとめられる必 要がある。

あろうか。社会的再生産過程すなわち労働配分 を実現するものとしての資本移動が展開するな かで一般的利潤率の法則が貫くのであるが,こ の資本移動を実現する関係を示すためには当然 すべての資本がこの法則に従うものとして示さ れなければならない。このようにして第一義的 に規定された一般的利潤率はしかし実際には必 ずしもすべての資本と関わるものではないので ある 。 このような平均化に関わらない資本が 存在しても構わない。例えば先に示したような 非独占資本の取得する利潤は独占資本の利潤と 質的に異なったものとして考えることができる が,このような資本は独占資本主義段階におけ る社会的再生産過程において本質的な役割を果 たさないような「一般的」でない資本として考 えられる。非独占資本は自律的な競争主体では ないと考えられるからである。そしてこの場合 は,そのような資本は一般的利潤率の形成には 参加しないものとして考えられるのである。す なわち一般的利潤率法則は社会的労働配分とい う歴史貫通的本質を表わすような資本移動,す な わ ち 社 会 的 再 生 産 過 程 全 体 に と っ て 「 一 般 的」な資本の移動と関わるものであると考えら れる。例えばマルクスは「資本論』第三部第三 篇十四章で利潤率の傾向的低下に反対に作用す る諸原因の一つとして,当時の社会的再生産構 造のなかでは一般的ではなかった株式会社を引 き合いに出して, 「これらの資本は一般的利潤 率の平均化にはかかわらない」8) ものとしてい 7)  例えばマルクスは「特定の生産部面にある資本

がなんらかの原因によってこの平均化の過程に引 き入れられないようなことがあっても,少しも変 わりはないであろう。その場合には,平均利糾 は,社会の資本のうち平均化の過程にはいる部分 に対して計算されるであろう」(「資本論J皿, 183ページ)としている。

8)  「資本論』

m ,

250ページ。

‑ 44‑

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