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『ペリー日本遠征記』にみるシーボルト

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Academic year: 2021

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今から152年前の1853年(嘉永6年)6 月3日、アメリカ合衆国のマシュー・ペリ ー提督が軍艦4隻で開国を求め浦賀沖へ来 航した。ペリーはこの日本遠征を前に、我 が国についての幅広い事前研究を周到に行 って目的を成功に導いたのである。

この研究には当時の鎖国体制の中、ヨー ロッパで唯一交渉が保たれていたオランダ から来日していた人たちの著作が使われて いた。ペリーとその幕僚達は遠征の終了後、

アメリカ議会へ宛てた報告書『ペリー日本 遠征記』(Narrative  of  the  Expedition  of  an American  Squadron  to  the  China  Seas a n d   J a p a n . 3   v o l s .   W a s h i n g t o n [D.C.],1856.)の中で、オランダ商館の医師 として長崎の出島に来ていたドイツ人、フ ランツ・フォン・シーボルトについて、「彼 は目新しい事実や資料を集め、その観察と 調査の結果を『日本―日本記録集成―』と いう著書にまとめ、世に出した」とし、さ らに彼をエンゲルベルト・ケンペルやカー ル・ペーテル・トゥンベリーの二人の出島 滞在者による傑出した研究業績と共に、「オ ランダとの通商が始まって以来の、最も優 れた情報提供者」であるとも述べ、その業 績に高い評価を与えている。

しかし、シーボルトはペリーの日本遠征 とその目的を事前に察知し、遠征準備中の ペリーに対して様々な働きかけをしていた。

このシーボルトの動きはペリーとその幕僚 達を悩ませ、『ペリー日本遠征記』には彼ら の怒りにもなって現れている。中でも、シ ーボルト自身がペリーの遠征隊の一員に加 わりたいと申し出ている点については、シ ーボルトが日本国内から持ち出しを禁じら れていた地図をオランダへ持ち帰ろうとし て発覚した所謂「シーボルト事件」で、事

件に関与した幾人かの日本人を死に至らし めており、「日本から追放されたといわれて いる人物を同行させることでなんらかの悪 影響が生じ、自らの使命遂行が危ぶまれる ような事態をさけるために、あらゆる権勢 家や最高権力者の推薦を退けてでも、シー ボルトを遠征隊の船に乗せることを頑とし て拒絶し続けたのだった」と記載している。

さらに、ペリーの日本遠征終了後にシー ボルトが出版した小冊子で、「日本を開国さ せたことに関して、アメリカ人にではなく ロシア人に感謝しなければならない」と述 べている点について、ロシアがペリーの日 本遠征に時期を合わすかのようにプチャー チン艦隊を日本へ送っていることから、ア メリカの交渉が紛糾して武力行使に至った 場合、ロシアがこれを仲介して漁夫の利を 得ようとしたものとして、ペリーは「シー ボルトが、ロシアのスパイではないか」と 疑っている。またシーボルトがオランダ国 王へ日本が開国するよう勧める親書を出す ように上申した点など自らを誇る文章を捉 えて、「教養ある医師にふさわしい謙虚さが ない」とも述べ、ペリーとその幕僚達のシ ーボルト観は激怒の域に達している。

日本人にとってシーボルトは、出島滞在 中に「鳴滝塾」を開いて蘭学者の育成に努 め人々から信頼を集めていた姿と、「シーボ ルト事件」の当事者としての姿の両面を持 った存在である。日本を開国に導いたペリ ーもシーボルトについては、日本研究者と しての業績を高く評価しながらも一方では 彼の振る舞いを厳しく咎めていたのである。

本学図書館のスペシャル・コレクション

「NIPPONALIA(西洋言語で書かれた日本 研究書)」は、このように日本を取り巻く外 国の歴史の一こまを教えてくれるのである。

(文中の引用は、『ペリー艦隊日本遠征記』栄光教育 文化研究所、1997.より行った。)

おく まさよし

(司書・図書館事務長兼管理運営課長)

本学図書館のスペシャル・コレクションより(1) 

ニッポナリアと対外交渉史料の魅力 

『ペリー日本遠征記』にみるシーボルト 

奥 正敬 

参照

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