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富士川英郎『江戸後期の詩人たち』

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Academic year: 2021

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研究者と図書館

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 今は無き小沢書店のPR誌『Poetica[ポエ ティカ]』第3号(1992.1-2)の特集は、当時同 社から著書、訳詩集を12点刊行していた富士川 英郎だった。特集記事は小説家、中村眞一郎と の対談で始まり、川村二郎、那珂太郎、佐伯彰 一、平川祐弘、沓掛良彦ら10名の執筆者が氏へ のエッセイを寄せ、終わりに富士川英郎の自筆 年譜が付されている。

 富士川英郎はその対談の中で、「…シュニッ ツラーあたりのウイーン派とか、カイザーリン クとか、トーマス・マンとかゲオルゲ、リルケ、

ああいった人たちが好きですね。」と述べてい るように生粋のドイツ文学者である。だが、氏 の数ある著書の中で、出版後高い評価を受け、

広く読者を獲得したのは『江戸後期の詩人たち』

(初版麦書房、のち筑摩叢書、現在平凡社東洋 文庫816)である。文芸評論家の川村二郎は同 誌のエッセイ『温雅な導師』の中で「富士川英 郎氏の数々の著作のうちから、こちらにとって 格別印象深く、感謝の思いも深い一冊を選び出 せといわれたら、ほんの一瞬考えるかもしれな いが、ほとんど躊うことなしに、『江戸後期の 詩人たち』と答えるだろう。」と述べている。

富士川英郎は同書筑摩叢書版あとがきの中で、

「本書はこの江戸後期、つまり安永・天明の頃 から幕末に至る約百年間の漢詩文の変遷のごく あらましを記述したものである。」と述べ、さ らに、「これよりさき、私はかねてから森鷗外 の史伝を愛読し、そのうちでも『伊沢蘭軒』に 最も惹かれて、くりかえしてこれを読んでいた。

周知の通り、この史伝の前半部にはその主要の 人物として菅茶山が姿を現しているが、私はそ れを読んでいるうちに、茶山に次第に興味を覚 えて、彼の生涯や詩についてももっと詳しく知 りたいと思うようになった。そして茶山の詩集 を手に入れて、ほぼ彼の詩風を知ることができ たが、次にはそのような茶山が出現するまでの 江戸時代の詩の流れや、彼以後のその移りゆき、

つまり茶山の詩の前後左右を窮めようとして、

いろいろな詩人のいろいろな詩集をひろく読み あさっているうちに、いつのまにか、江戸後期 の詩史のだいたいの見取り図のようなものが私 のなかにできあがってしまっていたのである。」

と述べている。

 現在入手できる東洋文庫版のオビには「日本 の漢詩は江戸後期に初めて世間に幅広く普及し た。大正から昭和に至り忘れられた漢詩文の豊

かな富を悠々たる筆致で現代に蘇らせた名著」

と書かれている。本書の名著たる所以はどこに あるのか。先にあげた『温雅な導師』のなかで、

川村二郎の次の言葉はまさに正鵠を射ている。

 『江戸後期の詩人たち』は、…むしろ、ドイ ツ文学に対する時と同様の、詩の言葉への愛情 に満ちた理解と、穏かなゆとりある享受とが、

この本でもうかがわれたのだと言ってよかった。

日本の詩と西欧の詩とを、分けへだてなく平静 に享受することのできる、知識と認識と感受性 との熟達した共同作業、その作業の成果として の文章のいかにも自然なよどみなさ、ほかでも ないこの文章の自然が、自分(川村)なりに東 西の詩をひとしく愛しながら、その愛にふさわ しい表現を見出しにくいと思っていた後進には、

まことに啓発的に感じられた。…なまじいに西 欧と日本とを比べて、誰と彼は似ている、某は 日本のボードレールだ、といった具合に述べ立 てる…その弊から富士川氏はさわやかにまぬか れている。そこからも『江戸後期の詩人たち』の、

いささかも作為性を伴わない、自然のままに温 雅な説得力が、静かに輝き出ている。

 富士川英郎は明治42年(1909)2月16日、東京 市本郷区西片町9番地に、父富士川游、母カズの 四男として生まれた。父は高名な医史学者であっ た。17歳の4月、旧制広島高等学校文科乙類に入 学、在学中、茅野蕭々訳『リルケ詩抄』を耽読、

高村光太郎『ロダン』を読んで感動、ゲオルク・

ジンメルにも傾倒した。昭和7年3月(1932)、東 京帝国大学独逸文学科を卒業、その後旧制第六 高等学校(岡山市)教授、旧制佐賀高等学校教 授を歴任、40歳の昭和24年(1949)9月に東京 大学教養学部助教授となった。以後、昭和44年

(1969)に定年退職するまで、東京大学教養学部 で比較文学比較文化課程の講義を担当、その後 は玉川大学で教鞭を執り、晩年に至るまで旺盛 な著述活動を行なった。平成15年(2003)没。

かげやま たつや(教授・中国文学)

中国のほんの話(66)

富士川英郎『江戸後期の詩人たち』

~ 江戸漢詩人は外国文学者の先輩 ~

蔭山 達弥

中国のほんの話 6 6

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