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三沢 典彦
日本の遺伝子組換え農作物・食品の現状
出来事についても考察してみたい.
2. 品種改良と遺伝子組換え技術
我々が現在食物として摂取する農作物はすべて品種改 良の賜物であり,何百年~ 2 万年もの長い年月をかけて,
人為的に選抜・交配が繰り返され,今日の姿となってお り,自然界の営みのままに任せておいても存在しえなかっ たものである.このような品種改良では,交配可能な同種 または近縁種間での交配が行われるが,交配ごとに両親の 相同遺伝子(2 セット)のどちらか1つずつが受け継がれ,
その組み合わせは偶然に任せられるため,品種改良の目的 とする形質を示すものを選抜し,かつ目的に合わない形質 を排除することを繰り返し,最終的に目的とする形質のみ を示すような遺伝子の組み合わせを有する個体が選抜され る.一方,遺伝子組換え技術(モダンバイオテクノロジー と呼ばれる.本稿ではバイオと記載)は分子生物学の発展 を契機として 1970 年代に開発され,1980 年代に入ると 遺伝子組換え農作物の開発のための研究が行わるようにな った.遺伝子組換え農作物は欧州(EU)では GM(genetically modified)crop と呼ばれているので,本稿でも以後,GM 作物と記載したい.この技術によると,交配可能な種に囚 われることなく,基本的にはすべての生物種の中から目的 とする機能を有する遺伝子を選び出し,その遺伝子のみを 改良したい作物に直接組み込むことにより,その作物の品 種改良を行うことが可能になる.したがって,遺伝子組換 え技術は,品種改良の幅や可能性を広げるだけでなく,品 種改良にかかる時間を短縮する技術であると言うことがで きる.一方で,ヒトを始めとした動物等の遺伝子を植物に 導入し働かせることは自然界では起こりえないことなの で,倫理的・宗教的立場から懸念が表明されることがある.
ただ,遺伝子組換え技術を利用した農作物の品種改良を放 棄することは,科学技術立国としての日本の立ち位置を危 うくすることは疑いのないことであると言える.この危惧 はすでに現実のものとなりつつある.たとえば,米国の農 作物の単収は,ここ数十年を見ても着々と増加しているの 1. はじめに
2006 年に実施された遺伝子組換え技術・農作物・食品 についての意識調査1)によると,全体の 62% が遺伝子組 換え食品を食べることに不安を(やや)感じており,その 理由として多い順に「安全性の確認が不十分だから(77
%)」「予期せぬ悪影響がきっとあるから(46%)」「子孫 への影響が心配されるから(40%)」が挙げられている.
さらに,最近話題の TPP(環太平洋パートナーシップ協定)
への参加の是非を巡る議論の中にも,「TPP に入ると遺伝 子組換え食品が米国からどんどん入ってくる危険性があ る」と言うようなことを主張する反対派知識人をしばしば 見かけるが,この言い方には遺伝子組換え食品は安全性に 問題がある(または安全でない)と言うことが前提となっ ている.現在,日本の消費者の多くは,遺伝子組換え農作 物・食品は安全性に問題があるので,食品からはできるだ け排除するべきものであると考えていると思われる.しか しながら,このような認識は,誤った情報または科学的根 拠のない話題に基づいて植えつけられた悪のイメージ(感 情論)の上に形成されている場合が少なくないと筆者は考 えている.本稿では,主として日本における遺伝子組換え 農作物・食品の現状を,事実または科学的知見(査読付き の学術論文に発表された知見)に基づいて概説していきた い.さらに,そのような悪いイメージを生んだ原因となる
Norihiko Misawa, 石川県立大学 生物資源工学研究所 著者紹介[略歴]1981 年京都大学農学部農芸化学科卒業
/ 1983 年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻修士 課程修了/ 1983 年~ 2001 年キリンビール(株)(主任)
研究員/ 2001 年~ 2008 年(株)海洋バイオテクノロジー 研究所分子設計領域長/ 2008 年~ 2010 年キリンホール ディングス(株)フロンティア技術研究所主任研究員/
2010 年石川県立大学生物資源工学研究所教授,現在にい たる.この間,1991 年~ 1992 年コンスタンツ大学客員 研究員
[専門分野]植物または大腸菌を宿主とするパスウェイエ ンジニアリング
2%)等,世界 29 カ国で栽培されている.先進国(10 カ 国)と発展途上国(19 カ国)における GM 植物の栽培面 積がほぼ拮抗しており,両者ともに利益を得ている.ま た,従来は GM 作物の栽培に消極的とされていた EU でも 2010 年には,新たにチェコ,スウェーデン,ドイツが参 入し,EU でも計 11 カ国が GM 作物の栽培を行っている3). なお,2010 年に EU は,2 億 7 千万ユーロを使った,25 年間,130 以上の EU 研究プロジェクトの研究成果を総括 して,「GM 生物が環境及び食品・飼料の安全性に関して,
慣行農法・有機農法と比較して,より高いリスクを有する という科学的証拠は存在しない.」との最終結論を出して いる4,5).
日本でも,バイオの産業利用に対する期待感から 1980 年代前半には,多くの日本企業が,この中には食品会社や 化学会社だけでなく製鉄会社やゼネコンも含まれるが,遺 伝子組換え研究を行うための設備を設置し,バイオによる 農作物や医薬品の開発のための研究を行うようになった.
しかしながら,予想以上にバイオの実用化には時間がかか ると経営者が認識したことや 1991 年のバブル崩壊による 景気の後退を契機とした本業回帰志向の高まり等があり,
多くの日本企業がバイオ(特に植物バイオ)の開発から撤 退していった.そして後述するように,日本における遺伝 子組換え農作物の産業化力が凋落する大きな契機が 1999 年に訪れることになる.サントリーホールディングス(株)
が 2010 年に青花を咲かす GM バラの商業栽培を実施した ものの,日本では現在,GM 作物(食料・飼料用)の商業 栽培は全く行われていないし,近々商業栽培される目途も 立っていない.
4. 遺伝子組換え農作物の安全性と利用
GM 作物には大きな期待がかけられた一方で,GM 作物 を栽培することによる生物多様性への悪影響や,GM 作物 を食品または飼料として摂取した場合のヒトまたは家畜へ の悪影響の可能性が危惧された.このため,最新の科学的 知見に基づいて,生物多様性影響評価試験や食品または飼 料としての安全性評価試験を実施し,安全性が確認された GM 作物のみ,栽培や利用が認められる仕組みが世界的に に対して,日本の単収の増加は少なく,現在では,米国の
2/3 程度のレベルに留まっている2).輸入ダイズの価格の 推移を表 1 に示した(日本のダイズの自給率は 5%).こ の例のように,ダイズに限らず,GM 作物と非 GM 作物の 価格差は開きつつある.後者の価格は年々高くなっていく ばかりか,非 GM トウモロコシ(トウモロコシの自給率は 四捨五入すると 0%)のように,たとえ高いお金を払って も入手するのが困難な非 GM 作物も出現しつつある.
3. 遺伝子組換え農作物の開発と栽培
最初の GM 作物は,米国 Calgene 社(現在は Monsanto 社の一部門)によって 1994 年に商品化された「Flavr Savr」(フレーバーセーバー;日持ち)トマトであり,
polygalacturonase 遺伝子の発現を抑制することにより細 胞壁の分解活性を抑えたものであった.完熟した状態で 収穫して市場に出せるため,トマト商品の風味や栄養価 は向上したが,元のトマト母本の品質に問題があったた め,1997 年に市場から姿を消した.なお,Flavr Savr ト マトでは細菌由来のカナマイシン耐性(aminoglycoside 3'-phosphotransferase II)遺伝子が GM 植物の指標(マー カー)遺伝子として使われたのであるが,1992 年に本遺 伝子の使用も含めて FDA により安全性が審査され安全で あると評価されている.この意義は大きく,その後の GM 作物の栽培に本マーカー遺伝子は広く使われた.なお,現 在に至るまで,この薬剤耐性遺伝子の使用により,環境,
及びヒトの健康に悪影響を及ぼしたと言った報告はなされ ていない.1996 年以降,米国に本拠地を置く多国籍企業 Monsanto 社や DuPont 社等により,除草剤耐性 GM ダイズ,
害虫抵抗性 GM トウモロコシ,害虫抵抗性 GM ワタ,除 草剤耐性 GM ナタネ(セイヨウナタネ)等が商品化された.
GM 作物の世界の作付面積は年々増加していき,2010 年 には 1 億 4,800 万 ha に達した.これは日本の農地面積 の 32 倍に当たる.2010 年の GM 作物の国別の作付面積 と栽培作物を表 2 に示した.米国の 6,880 万 ha(世界に おける GM 作物の栽培農地全体の 45%)を筆頭に,ブラ ジル(同 17%),アルゼンチン(同 16%),インド(同 6
%),カナダ(同 6%),中国(同 2%),パラグアイ(同
単位:円 /60 kg 平成 14 年 平成 19 年 平成 20 年 平成 21 年 非遺伝子組換え大豆 ① 3,758 3,745 5,315 4,753 遺伝子組換え不分別大豆 ② 3,228 2,945 3,985 3,090
対比(%) ① / ② 116 127 133 154
注: 価格は、日経市中相場における暦年の平均価格(税抜)である。
また、平成 21 年の価格は平成 21 年 1 月から 9 月までの平均価格である。
表 1.輸入大豆の価格の推移2)
パンフレット,「遺伝子組換え農作物」について).これら の GM 作物は家畜の飼料としての利用のほか,液糖や水飴
(トウモロコシ)または食料油(「サラダ油」:ダイズ,「キ ャノラ油」:ナタネ,「綿実油」:ワタ)の原料として使用 されている.これら GM 作物の輸入量は膨大で,2010 年 には,我が国の米の生産量(800 万トン台)の約 2 倍(約 1,700 万トン)に達している6).
生物多様性評価試験は日本では「カルタヘナ法」に基 づいて着実に実施されている.GM 作物(品種ごと)の 導入されている.日本での規制は厳格で,GM 作物の一つ
一つの品目(品種)ごとに個別の上記評価が要求され,安 全性に問題が無いと評価されたもののみについて,輸入,
流通,使用,栽培などが認められている.日本では現在,
害虫抵抗性 GM トウモロコシ,除草剤耐性 GM ダイズ,
除草剤耐性 GM ナタネ,害虫抵抗性 GM ワタ,除草剤耐 性 GM アルファルファ等の作物の品種について,国内での 栽培(実際には栽培されていない),及び食品または飼料 としての輸入,流通,使用が承認されている(農林水産省
順位 国名 栽培面積 栽培作物
1 米国 6,680 万 ha トウモロコシ、ダイズ、ワタ、
ナタネ、テンサイ、アルファルファ、
パパイア、スカッシュ 2 ブラジル 2,540 万 ha ダイズ、トウモロコシ、ワタ 3 アルゼンチン 2,290 万 ha ダイズ、トウモロコシ、ワタ 4 インド 940 万 ha ワタ
5 カナダ 880 万 ha ナタネ、トウモロコシ、ダイズ、
テンサイ
6 中国 350 万 ha ワタ、パパイア、ポプラ、トマト、
アマトウガラシ 7 パラグアイ 260 万 ha ダイズ
8 パキスタン 240 万 ha ワタ
9 南アフリカ 220 万 ha トウモロコシ、ダイズ、ワタ 10 ウルグアイ 110 万 ha ダイズ、トウモロコシ 11 ボリビア 90 万 ha ダイズ
12 オーストラリア 70 万 ha ワタ、ナタネ 13 フィリピン 50 万 ha トウモロコシ 14 ミャンマー 30 万 ha ワタ 15 ブルキナファソ 30 万 ha ワタ 16 スペイン 10 万 ha トウモロコシ 17 メキシコ 10 万 ha ワタ、ダイズ 18 コロンビア 10 万 ha 未満 ワタ
19 チリ 10 万 ha 未満 トウモロコシ、ダイズ、ナタネ 20 ホンジュラス 10 万 ha 未満 トウモロコシ
21 ポルトガル 10 万 ha 未満 トウモロコシ
22 チェコ 10 万 ha 未満 トウモロコシ、ジャガイモ 23 ポーランド 10 万 ha 未満 トウモロコシ
24 エジプト 10 万 ha 未満 トウモロコシ 25 スロバキア 10 万 ha 未満 トウモロコシ 26 コスタリカ 10 万 ha 未満 ワタ、ダイズ 27 ルーマニア 10 万 ha 未満 トウモロコシ 28 スウェーデン 10 万 ha 未満 ジャガイモ 29 ドイツ 10 万 ha 未満 ジャガイモ
計 1 億 4,800 万 ha
表 2.2010 年に遺伝子組換え(GM)作物を栽培した 29 ヵ国における国別栽培状況3)
の消費者運動に大きな影響を与えることとなったようだ.
本誌は食品,化成品,医薬・農薬など様々なジャンルの商 品 192 個の名前を挙げ,各々について見開き 2 ページを 宛てて評論し糾弾する内容である.ただ残念ながら,記載 された内容には,科学的に検証されていない懸念に関する 断言的記述や科学的根拠に乏しい記述が多く見られるよう だ.GM 作物に関する箇所では,キリンラガービール(遺 伝子組み換え推進企業がつくる)と日本モンサント ラウ ンドアップ(除草剤なんていらない)が槍玉に挙がってい る.前者の記載内容8)を要約すると,「キリンラガービー ルの副原料には,『安全性が確認されていない』害虫抵抗 性 GM トウモロコシが混じっており,この殺虫毒素が健康 に悪影響を及ぼす可能性があり,『アレルギーを起こす可 能性も高い』.遺伝子組み換えを推進している企業の製品 をすすめるわけにはいかない.」と言うものである(鉤括 弧は筆者が追加).鉤括弧で示された部分が事実でないこ とは今までの説明通りである.
さらに同時期に,Nature 誌に「遺伝子組換え植物の花 粉はチョウ(オオカバマダラ)の幼虫を傷つける」との論 文9)が発表され,これに呼応するような形で「スナック 菓子の一部にわが国で安全性未承認の遺伝子組換えトウモ ロコシ品種由来の原料が含まれていた.」と国内の消費者 団体により発表された.マスコミが大々的に取り上げたこ ともあり,この年の夏には GM 作物・食品反対の雰囲気(世 論)が形成されていった.Nature 論文の第一著者の Losey 博士(コーネル大学)が「自分の実験結果を生態系と関連 させるのは間違いである.」(米国 Bio 協会ホームページ,
1999 年 6 月 10 日)と指摘したことや,厚生省と農林水 産省の研究機関が,未承認の GM トウモロコシの原料が スナック菓子に含まれているか調べ,その可能性は無いと の調査結果を 2000 年 3 月 31 日に発表したことは,マス コミにより報道されることはほとんどなかった10).なお,
Losey らの実験結果が自然環境では起こる可能性は極めて 低いことはその後,多くの研究により示されている7). 急速に盛り上がった GM 作物・食品反対の世論に対応 するような形で,1999 年 8 月 10 日に日本政府(農林水 産省)は,2001 年から組換え食品の表示義務化を決定し た.具体的には,「遺伝子組換え」と「遺伝子組換え不分別」
を義務表示として,遺伝子組換えでない(遺伝子組換え体 5%以下は許容量)を任意表示とした.また,油やしょう ゆのように加工度が高いものや主原料でないもの(上位 3 位未満または 5%未満)は表示対象品目でないとした.こ れらの動きの中で,キリンビール(株)は「2001 年から 副原料トウモロコシ(コーンスターチ:表示対象品目)を 全面的に非組換え体にすること」及び「Flavr Savr トマト の研究開発を凍結すること」を 8 月 23 日に経営会議で決 競合による優位性(GM 作物が野生植物を駆逐しないか),
有害物質産生性(GM 作物が野生の動植物や微生物などを 減少させないか),及び,交雑性(GM 作物の近縁種が交 配により GM 作物との交雑種に置き換わることがないか)
の 3 つの項目について評価試験が課せられており,生物 多様性への影響が生じる恐れが無い(可能性が極めて低 い)と評価されたもののみ,栽培や流通などが承認されて いる.一方で,日本の消費者の多くが,この制度があるこ とを知らないと思われる(たとえば引用文献 1)).この原 因の1つは,正しい事実を伝えるべきマスコミ(新聞,テ レビ等のマスメディア)が,GM 作物に反対する運動家ま たは評論家(学者)の科学的証拠のないコメント(たとえ ば,科学的に検証されていない懸念に関する断言)をその まま流すことにあると思われる.最近の例を1つ挙げたい.
2010 年 5 月 23 日の読売新聞に「遺伝子組み換えナタネ,
伊勢湾周辺に自生・交雑」と言う記事が載った.これは,「遺 伝子組み換え食品を考える中部の会」の調査により,キャ ノラ油用に輸入しているナタネの種子を伊勢湾から水揚げ して加工工場に輸送する間に種子が落ちて発芽して生育し ているものがいくつか見つかったと言う報告である.この ことを紹介する記事内で「同会は『交雑によって生態系が かく乱される危険性が高い』と指摘している.-中略-
同会は河川敷などに繁殖しているセイヨウカラシナとの交 雑を懸念する.すでに愛知県内で交雑のセイヨウカラシナ が見つかっており,GMナタネを調査,研究している四日 市大非常勤講師の河田昌東さんは,生命力の強いセイヨウ カラシナが交雑で除草剤耐性を持てば,『一気に広がって 在来の植物を駆逐してしまう』.GMナタネの抜き取りな ど,行政が対策を取る必要があると指摘する.」と記載し ている(鉤括弧は筆者が追加).これを見ると,専門的知 識のない通常の読者は「GM 作物は環境に悪影響を及ぼす もの」と感じると思われる.しかしながら,すでに説明し たように,輸入した GM 作物については,たとえ国内での 栽培を意図しなくとも栽培した場合の厳格な環境影響評価 試験を課せられており,国内で GM 作物が生えることも織 り込み済みの上で,生物多様性に悪影響を及ぼす危険性が 極めて低いと判断されたものである.したがって,もし上 記記事の鉤括弧で示した部分が本当なら,この GM ナタネ を承認したのは間違いと言うことになり問題であるが,そ のような事実は確認されていないし7),今後そうなる可能 性も考えにくい.
5. 遺伝子組換え農作物・食品に関する 1999 年の出来事 1999 年 5 月 20 日に雑誌「週刊金曜日」の特集号「買 ってはいけない」8)が発行された.これは 200 万部を超 えるベストセラーとなり,当時の消費者だけでなくその後
定しマスコミにリリースした.これを切っ掛けに,他のビ ール会社を始めとして食品会社が一斉に原料から GM 作物 の排除を始めた.
6. 遺伝子組換え農作物・食品に関するその後の出来事と 現状
1999 年におきた出来事は,その後の日本における GM 作物・食品の栽培・利用や GM 作物の研究開発に深い影 を落とすこととなった.北海道を始めいくつかの地方自治 体は,国とは別個の条例・指針等を策定し,将来的な GM 作物の商業栽培まで実質的に排除しようとしている.前述 した GM 原料を含む食品・飼料は現在でも「表示対象品 目でない」ものがほとんどである.さらに,任意表示であ る「遺伝子組換えでない」は,納豆や豆腐といったダイズ 製品などに目立って見られるように広く表示されている.
消費者はこれを見るにつけ,「GM 食品はよくないもの(ま たは品質が劣るもの)」との印象をもつに至っても無理は ない.悪い消費者イメージを恐れる日本の食品会社が表示 義務のある食品原料として GM 作物を使うのは未だ厳しい 状況にあると言える.そのような環境のなか,GM 作物の 研究開発を行っている日本の民間企業はほとんど無いのが 現状である.2005 年には,日本の代表的な植物バイオの 研究開発会社であった(株)植物工学研究所が閉鎖されて いる.さらに,2010 年 6 月に山田正彦 衆議院議員が農 林水産大臣に就任すると,植物バイオのパブリシティに関 する重大な出来事がおこった.日本消費者連盟から「遺伝 子組み換え作物リーフレットの回収を求めます」との抗議 文が農林水産大臣と文部科学大臣宛てに提出されていたの であるが,これを受けるような形で,農林水産省(農林水 産技術会議事務局)が作成したリーフレット類(「正しく 知ろう! 遺伝子組換え農作物」や「『遺伝子組換え農作 物』入門プログラム」など)の配布が突如中断,廃棄処分 にされ,同省の解説ホームページが明確な理由も経緯も明 らかにされることなく長期間,閲覧不能になるという異常 事態が生じたのである.抗議文の説明部分では,GM 作物・
食品の危険性に関する科学的証拠のない断定表現が目立つ が[たとえば「遺伝子組み換えがうまくいったかどうかを 見分けるために抗生物質耐性遺伝子を使います.『これら が様々な悪影響を及ぼします』が,そのことを教えていま せん.」(鉤括弧は筆者が追加)],このような抗議文の主張 に日本政府が同調し採用したように見えることは残念なこ とである.
7. おわりに
植物関連の諸学会,ILSI や食品安全情報ネットワークな ど,GM 作物・食品について発信された情報に対して科学 的立場から検証を行い,科学的根拠のある情報を発信すべ く地道に活動している機関(または人々)は少なくない.
ただ,GM 作物・食品に対して日本の消費者に悪いイメー ジを植え付ける原因となるような出来事(特に 1999 年の 出来事)に対して,間違った情報部分を指摘し科学的根拠 のある反論をタイミングよく,わかりやすく消費者に提示 できなかったことは,我々植物バイオの研究者(専門家)
の反省材料だと思う.本稿は,このような反省の上に遅れ 馳せながら発表するものである.話題の性質上,生々しい 政治的なイベントにも触れざるをえなかったことはご容赦 いただきたい.読者の皆様が GM 作物・食品について再考 する機会になれば幸甚である.
謝 辞
丁寧に査読いただきました ILSI Japan バイオテクノロ ジー研究部会長・橋本昭栄氏に感謝します.
引 用 文 献
1) 社団法人農林水産先端技術産業振興センター(STAFF),
「遺伝子組換え技術・農作物・食品についての意識調査報 告書」,2006 年 3 月
2) 橋本昭栄「植物の工業的利用最前線」に係る市民講座 2010 年 6 月 30 日
3) ISAAA(国際アグリバイオ事業団)Brief 42(2010)
4) ILSI(特定非営利活動法人 国際生命科学研究機構),「ERA プロジェクト調査報告」,2011 年 12 月
5) http://ec.europa.eu/research/biosociety/pdf/a_decade_
of_eu-funded_gmo_research.pdf
6) 橋本昭栄「遺伝子組換え農作物について-世界の動向と 我が国の現状-」,STAFF newsletter Vol. 22, No. 5, 2011 年 5 月 15 日
7) ILSI Japan Report Series「遺伝子組換え食品を理解する II」,2010 年 9 月
8) 船瀬俊介,三好基晴,渡辺雄二,山中登志子,週刊金曜日(編 集委員:落合恵子,佐高 信,椎名 誠,筑紫哲也,本多勝一)
特集号「買ってはいけない」,1999 年 5 月 20 日 9) J. E. Losey, L. S. Rayor, M. E. Carter, Transgenic pollen
harms monarch larvae, Nature 399, 214 (20 May) 1999 10) 大澤勝次,田中宥司 責任編集,遺伝子組換え食品-新し
い食材の科学,学会出版センター,2000 年 6 月 1 日