な(笑)、と思ってしまいます。 荒谷 確かにプロ野球というトップ アスリート集団の中で、50歳まで活 躍するのは並大抵のことではないと 思います。体力、筋力、精神力、視力 など、よく衰えることがなかったです ね。 山本 衰えはありました。でも、それ を何とか技術でカバーしようという 気持ちでやってきました。練習方法 や考え方を自分なりに工夫しながら、 置かれた境遇の中で何とかしようと いつも考えていましたし、練習も毎年 入団してくる20歳前後の若い選手と 同じ量だけやり、投手としての体を維 持してきました。 荒谷 何か特別な健康管理をされ ていたのですか。 山本 50歳までできた健康な体を くれた両親にまず感謝しなければい けませんが、指導者の方々や周囲の 人たちに恵まれていました。入団29 年目に一度だけインフルエンザにか かりましたが、練習は28年間皆勤賞 ものです。そう考えると、体調管理は 高いレベルでやれていたと思います。 荒谷 私は子どもの頃からプロ野球 ファンです。昌さんのことはずっと応 援していたので、お目にかかれると あってとても楽しみにしていました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 2015年10月7日、史上初の 50歳での登板を最後に引退される まで、中日ドラゴンズ一筋に活躍さ れ本当にすごいと思います。この間、 最多勝3回、史上最年長41歳での ノーヒットノーラン達成、通算200勝 を42歳で達成。プロ生活32年、実働 29年は歴代最長だそうで、さらに プロ通算219勝のうち140勝を30歳 以降に記録されるなど、その球歴は まさにレジェンドそのものです。 山本 そう言っていただくと恥ずか しいかぎりです。現在、野球解説者、 スポーツコメンテーターとして活動さ せていただいていますが、その立場 で振り返ると、自分のことながらよく もこんな厳しい世界でやってこれた 苦しいトレーニングも、朝の洗顔のよ うに習慣にしてしまえば苦にならなく なります。 荒谷 1988年8月。セントラルリー グで首位を争っていた中日ドラゴン ズに、無名の若手投手が突如現れ、 スクリューボールを駆使して、あっと いう間に5勝し優勝に貢献したこと を思い出します。鮮烈な印象でした。
株
式
会
社
日
立
産
機
シ
ス
テ
ム
取
締
役
社
長
荒谷
豊
野
球
解
説
者
山
本
昌
さ
ん
2 0 1 8年 新 春 対 談 50歳まで投げ続けた 球界のレジェンド、 奇跡の球歴 MASA YAMAMOTO YUTAKA ARAYA「悔いはあっても後悔はない」
野球の神さまも認めた、
ひたむきに歩んだ32年間。
球界のレジェンドと呼ばれる元中日ドラゴンズの山本昌さん。 1984年にドラフト5位で入団して以来、50歳を越えるまで日本を代表する左腕投手として活躍されてきました。 2018年の幕開けに当たり、日立産機システム情報誌「VoltAge21」にお招きし、 その栄光の歴史と挫折にも負けない生き方を通して、 荒谷社長とともにビジネスの世界にも通じるこだわりの流儀についてお話しいただきました。 飛躍のきっかけとなった フロリダでの 運命的な出会い 2006年9年16日 ノーヒットノーランを達成 (写真提供:ベースボール・マガジン社)な(笑)、と思ってしまいます。 荒谷 確かにプロ野球というトップ アスリート集団の中で、50歳まで活 躍するのは並大抵のことではないと 思います。体力、筋力、精神力、視力 など、よく衰えることがなかったです ね。 山本 衰えはありました。でも、それ を何とか技術でカバーしようという 気持ちでやってきました。練習方法 や考え方を自分なりに工夫しながら、 置かれた境遇の中で何とかしようと いつも考えていましたし、練習も毎年 入団してくる20歳前後の若い選手と 同じ量だけやり、投手としての体を維 持してきました。 荒谷 何か特別な健康管理をされ ていたのですか。 山本 50歳までできた健康な体を くれた両親にまず感謝しなければい けませんが、指導者の方々や周囲の 人たちに恵まれていました。入団29 年目に一度だけインフルエンザにか かりましたが、練習は28年間皆勤賞 ものです。そう考えると、体調管理は 高いレベルでやれていたと思います。 荒谷 私は子どもの頃からプロ野球 ファンです。昌さんのことはずっと応 援していたので、お目にかかれると あってとても楽しみにしていました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 2015年10月7日、史上初の 50歳での登板を最後に引退される まで、中日ドラゴンズ一筋に活躍さ れ本当にすごいと思います。この間、 最多勝3回、史上最年長41歳での ノーヒットノーラン達成、通算200勝 を42歳で達成。プロ生活32年、実働 29年は歴代最長だそうで、さらに プロ通算219勝のうち140勝を30歳 以降に記録されるなど、その球歴は まさにレジェンドそのものです。 山本 そう言っていただくと恥ずか しいかぎりです。現在、野球解説者、 スポーツコメンテーターとして活動さ せていただいていますが、その立場 で振り返ると、自分のことながらよく もこんな厳しい世界でやってこれた 苦しいトレーニングも、朝の洗顔のよ うに習慣にしてしまえば苦にならなく なります。 荒谷 1988年8月。セントラルリー グで首位を争っていた中日ドラゴン ズに、無名の若手投手が突如現れ、 スクリューボールを駆使して、あっと いう間に5勝し優勝に貢献したこと を思い出します。鮮烈な印象でした。
株
式
会
社
日
立
産
機
シ
ス
テ
ム
取
締
役
社
長
荒谷
豊
野
球
解
説
者
山
本
昌
さ
ん
2 0 1 8年 新 春 対 談 50歳まで投げ続けた 球界のレジェンド、 奇跡の球歴 MASA YAMAMOTO YUTAKA ARAYA「悔いはあっても後悔はない」
野球の神さまも認めた、
ひたむきに歩んだ32年間。
球界のレジェンドと呼ばれる元中日ドラゴンズの山本昌さん。 1984年にドラフト5位で入団して以来、50歳を越えるまで日本を代表する左腕投手として活躍されてきました。 2018年の幕開けに当たり、日立産機システム情報誌「VoltAge21」にお招きし、 その栄光の歴史と挫折にも負けない生き方を通して、 荒谷社長とともにビジネスの世界にも通じるこだわりの流儀についてお話しいただきました。 飛躍のきっかけとなった フロリダでの 運命的な出会い 2006年9年16日 ノーヒットノーランを達成 (写真提供:ベースボール・マガジン社)大きな力になりましたね。 山本 新しい球種を覚えるために、ア イクさんが大リーグの有名な投手を 何人も紹介してくれたのですが、一つ もモノにならなかったんです。そんな時、 チームメートの陽気な内野手が遊び で投げていた変化球を見て、その場で 教えてもらい試してみると手応えがあ りました。次の試合で投げたら屈強な 見るからに威圧感のある相手打者が 何と空振りしたんです。教えてくれたの は大投手ではなく4軍の内野手。そう 考えるとこれも運命的な出会いでした。 荒谷 何かを学ぼうと、必死になって いたから引き寄せた運だったのでしょ うね。 山本 はい。また、留学中の半年間で 150回投げさせてもらいました。日本 では4年間で50回も投げていなかっ たので、大切な実戦経験を積むことが できました。さらにナイトゲームを数多 く経験したことも財産でした。日本では 練習や二軍の試合は日中に行われる ことが多いので、たまのナイトゲームで 山本 入 団してからの4年 間は毎 シーズン終了後に、今年こそクビと言 われるかも、とハラハラしていました。 鳴かず飛ばずだった1988年春、米国 フロリダ州のベロビーチで行われた春 季キャンプに参加し、そのままロサン ゼルス・ドジャース球団傘下の4軍の チームに、留学という形で残されまし た。右も左もわからない中、最初は敗 戦処理投手として投げていました。 荒谷 帰国後の活躍を考えると、この 時期に驚くような進化、成長を遂げた と思いますが、その秘密は何だったの でしょうか。 山本 当時は進化したという実感は ありませんでした。ただ、ドジャースの オーナー補佐兼国際担当だったアイ ク生原さんに、投手としての基礎を徹 底的にたたき込んでいただいたことは 忘れられません。アイクさんは私の野 球人生を決定づけてくれました。また、 技術的には左投手独特のスクリュー ボールという球種をマスターできたこ とがあります。 荒谷 スクリューボールは当時の日 本では投げる人はいなかったので、初 めて見た時は驚きでした。まったく新 しい武器をいち早く身に付けたことは はカクテル光線の中の捕手がすごく小 さく見えて、ストライクが入る気がしな かったものでした。 荒谷 海外での厳しい経験が昌さん を飛躍させてくれたのですね。当社で もグローバル化を推進するために、で きるだけ若いうちに海外の仕事の仕 方や文化を学ばせるようにしています。 昌さんのように、海外で暮らしながら 戦い続けるという経験はかけがえのな いものだと思います。 山本 そうですね。何かにトライして 成功したら、次にもっと難しいことに挑 戦する。それができたら以前には難し かったことが、できて当然のことになり ます。この姿勢を身に付けたことが成 長だったのかなと思います。 荒谷 成長のきっかけはフロリダ留学 でしたが、その後ずっと野球を続ける ですが、それまでのコーチング技術の 中では見えていなかったことを言葉に し、わからせる力が小山先生にあった のでしょうね。理論を現実的なモノに 結びつけるためには、スポーツではト レーニング、メーカーでは設計力が必 要で、試行錯誤しながら何かをつくっ ていくという面では通じるところがある と思います。昌さんは、それまでの投手 がやってこなかったことをやられたと 言えますね。 山本 自分は皆さんに導いてもらった だけです。自信がないので、言われてい いなと思うことを素直にできるんです。 自信があったら最多勝の翌年に「小山 先生、一緒にフォームつくりましょう」 とは言えません。4軍の内野手に変化 球の投げ方を教えてもらうこともでき なかったと思います。 荒谷 あくまでも自分の実力を正確 に把握されていますね。仕事でも、自 分の実力がわからないと打つ手を間 違えます。自分の実力を知り、足りなけ れば勉強して新しい技術を取り込む。 営業なら、もっとお客さまにいい提案 ができるように工夫する。昌さんも同じ ようにされてきたと思います。それに チャレンジ精神がおありだと思います。 思いました。3日たつと体が絶好調に なり、驚いたことに投げたボールが飛 び抜けてよくなったという経験をしま した。以来、先生と相談しながら、毎年 毎年、投球フォームの改善にも取り組 みました。 荒谷 投球フォームをあえて変えるの は勇気がいることだと思いますが、モ ノづくりという視点で見ると毎年技術 をレベルアップさせていくことと同じな のでしょうね。 山本 そうかもしれません。こうやって 体を使ったらもっと力が出るとか、膝 の角度をこれだけ変えたらもっといい 感じで投げれるとか、それまで知らな かったメカニカルな理論を身に付ける ことができました。その結果、1997年 には最 多 勝を獲 得 。小山先 生に出 会った30歳以降で140勝を積み上げ、 50歳まで投げることができました。 荒谷 体をいかに使い、いかにケアし ていくかを理論的に学んだことで、投 手寿命が飛躍的に延びたわけですね。 私たちの工場でも「見える化」が重要 ことができた秘訣は何だったのですか。 山本 投手としての体を維持し、進化 させるという面ではスポーツトレー ナーの小山裕史先生と出会えたこと が非常に大きかったと思います。2年 連続で最多勝を獲得したあと、1995 年に膝を痛め、2勝5敗と成績も振る わなかったのでオフに手術を受けまし た。翌年、リハビリをしていたら、小山 先 生が 開 発したマシンが球 団のト レーニングルームにあったので、試し たところ感触がよく、シーズン終了後 に直接お目にかかることにしました。 荒谷 どんな方だったのですか。 山本 最初は、正直、ちんぷんかんぷ ん。この人 何を言っているんだろう (笑)、と思ったくらいです。柔軟性と強 さ、しなやかな動き、スピード、加速度 などの向上に効果がある、と言われて いますが、当時は見えない部分が見え てきたような感じがしました。珍しいト レーニングだなと思いながら先生の指 導通りにやってみると、「あれ、いい じゃないか、こんな感覚初めてだ!」と 勢いの力で 勝利を重ねた20代から、 理論の力で勝ち続ける投手へ
大きな力になりましたね。 山本 新しい球種を覚えるために、ア イクさんが大リーグの有名な投手を 何人も紹介してくれたのですが、一つ もモノにならなかったんです。そんな時、 チームメートの陽気な内野手が遊び で投げていた変化球を見て、その場で 教えてもらい試してみると手応えがあ りました。次の試合で投げたら屈強な 見るからに威圧感のある相手打者が 何と空振りしたんです。教えてくれたの は大投手ではなく4軍の内野手。そう 考えるとこれも運命的な出会いでした。 荒谷 何かを学ぼうと、必死になって いたから引き寄せた運だったのでしょ うね。 山本 はい。また、留学中の半年間で 150回投げさせてもらいました。日本 では4年間で50回も投げていなかっ たので、大切な実戦経験を積むことが できました。さらにナイトゲームを数多 く経験したことも財産でした。日本では 練習や二軍の試合は日中に行われる ことが多いので、たまのナイトゲームで 山本 入 団してからの4年 間は毎 シーズン終了後に、今年こそクビと言 われるかも、とハラハラしていました。 鳴かず飛ばずだった1988年春、米国 フロリダ州のベロビーチで行われた春 季キャンプに参加し、そのままロサン ゼルス・ドジャース球団傘下の4軍の チームに、留学という形で残されまし た。右も左もわからない中、最初は敗 戦処理投手として投げていました。 荒谷 帰国後の活躍を考えると、この 時期に驚くような進化、成長を遂げた と思いますが、その秘密は何だったの でしょうか。 山本 当時は進化したという実感は ありませんでした。ただ、ドジャースの オーナー補佐兼国際担当だったアイ ク生原さんに、投手としての基礎を徹 底的にたたき込んでいただいたことは 忘れられません。アイクさんは私の野 球人生を決定づけてくれました。また、 技術的には左投手独特のスクリュー ボールという球種をマスターできたこ とがあります。 荒谷 スクリューボールは当時の日 本では投げる人はいなかったので、初 めて見た時は驚きでした。まったく新 しい武器をいち早く身に付けたことは はカクテル光線の中の捕手がすごく小 さく見えて、ストライクが入る気がしな かったものでした。 荒谷 海外での厳しい経験が昌さん を飛躍させてくれたのですね。当社で もグローバル化を推進するために、で きるだけ若いうちに海外の仕事の仕 方や文化を学ばせるようにしています。 昌さんのように、海外で暮らしながら 戦い続けるという経験はかけがえのな いものだと思います。 山本 そうですね。何かにトライして 成功したら、次にもっと難しいことに挑 戦する。それができたら以前には難し かったことが、できて当然のことになり ます。この姿勢を身に付けたことが成 長だったのかなと思います。 荒谷 成長のきっかけはフロリダ留学 でしたが、その後ずっと野球を続ける ですが、それまでのコーチング技術の 中では見えていなかったことを言葉に し、わからせる力が小山先生にあった のでしょうね。理論を現実的なモノに 結びつけるためには、スポーツではト レーニング、メーカーでは設計力が必 要で、試行錯誤しながら何かをつくっ ていくという面では通じるところがある と思います。昌さんは、それまでの投手 がやってこなかったことをやられたと 言えますね。 山本 自分は皆さんに導いてもらった だけです。自信がないので、言われてい いなと思うことを素直にできるんです。 自信があったら最多勝の翌年に「小山 先生、一緒にフォームつくりましょう」 とは言えません。4軍の内野手に変化 球の投げ方を教えてもらうこともでき なかったと思います。 荒谷 あくまでも自分の実力を正確 に把握されていますね。仕事でも、自 分の実力がわからないと打つ手を間 違えます。自分の実力を知り、足りなけ れば勉強して新しい技術を取り込む。 営業なら、もっとお客さまにいい提案 ができるように工夫する。昌さんも同じ ようにされてきたと思います。それに チャレンジ精神がおありだと思います。 思いました。3日たつと体が絶好調に なり、驚いたことに投げたボールが飛 び抜けてよくなったという経験をしま した。以来、先生と相談しながら、毎年 毎年、投球フォームの改善にも取り組 みました。 荒谷 投球フォームをあえて変えるの は勇気がいることだと思いますが、モ ノづくりという視点で見ると毎年技術 をレベルアップさせていくことと同じな のでしょうね。 山本 そうかもしれません。こうやって 体を使ったらもっと力が出るとか、膝 の角度をこれだけ変えたらもっといい 感じで投げれるとか、それまで知らな かったメカニカルな理論を身に付ける ことができました。その結果、1997年 には最 多 勝を獲 得 。小山先 生に出 会った30歳以降で140勝を積み上げ、 50歳まで投げることができました。 荒谷 体をいかに使い、いかにケアし ていくかを理論的に学んだことで、投 手寿命が飛躍的に延びたわけですね。 私たちの工場でも「見える化」が重要 ことができた秘訣は何だったのですか。 山本 投手としての体を維持し、進化 させるという面ではスポーツトレー ナーの小山裕史先生と出会えたこと が非常に大きかったと思います。2年 連続で最多勝を獲得したあと、1995 年に膝を痛め、2勝5敗と成績も振る わなかったのでオフに手術を受けまし た。翌年、リハビリをしていたら、小山 先 生が 開 発したマシンが 球 団のト レーニングルームにあったので、試し たところ感触がよく、シーズン終了後 に直接お目にかかることにしました。 荒谷 どんな方だったのですか。 山本 最初は、正直、ちんぷんかんぷ ん。この人 何を言っているんだろう (笑)、と思ったくらいです。柔軟性と強 さ、しなやかな動き、スピード、加速度 などの向上に効果がある、と言われて いますが、当時は見えない部分が見え てきたような感じがしました。珍しいト レーニングだなと思いながら先生の指 導通りにやってみると、「あれ、いい じゃないか、こんな感覚初めてだ!」と 勢いの力で 勝利を重ねた20代から、 理論の力で勝ち続ける投手へ
から、こんなことをしたら野球の神さま に助けていただけないなと考えながら 行動をしていました。プロ野球の世界 では力の接近した者同士が真剣勝負 をするわけですから、ほんのちょっとし たことで勝ち負けが決まると思ってい ました。自信がないから、勝ち続けてい ても何で勝てるんだろう、いつ勝てな くなってもおかしくないな、と思ってい たほどです。 荒谷 日本を代表する投手でありな がら、ここまで謙虚でいらっしゃるのか と驚きです。最近のビジネス環境では グローバルな競争がますます激しくな り、スピード感をもって大胆に会社を リードしないと世界の動きについてい けませんが、トップとして昌さんのよう な実力を理解して手を打っていく謙虚 さは必要です。 山本 謙虚というより、正直、自信が なかっただけです。よくぞ32年もプロ の世界にいたなと思っているんです。 ただ野球が好きでしたし、こんなに すばらしい世界にいて一年でも長く やらなければ損じゃないか、と思って いました。 荒谷 野球が好きだったことが最大 のモチベーションだったわけですか。 山本 野球が大好きだというだけで は、長く続けることはできなかったと思 います。「昌さんから元気をもらってい ます」「励みにしています」と言ってい ただけるファンや同世代の方たちのた めに、少しでも長く続けようと思えたこ とも大きな力でした。自分だけではす ぐ挫折しそうになるのですが、周りに そうさせてもらえなかったのはありが たいことです。チームと名古屋のみな さんにかわいがってもらえ、本当によ かったと思っています。 荒谷 周囲の期待に応えながらチャ レンジすることで生きがいを感じてい ければ、うまくいくのでしょうね。 山本 ええ。野球でも会社の中でも、 必要とされる存在でありたいと思えば、 何をすべきかがおのずと見えてくると 思います。一生懸命やっている人がど んどん引き立てられる組織は強いので ビジネスでも見ならう点が多いと感じ ました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 ところで打者を抑え込むコツっ てあるんですか。 山本 野球は確率論だからコツでは ないと思います。ヒットを打つ確率、 ホームランになる確率、凡打する確率、 三振の確率、あらゆる確率は局面局 面で変化するので、自分に有利になる ようサイン通り1球1球投げるだけです。 荒谷 私たちの仕事も確率に左右さ れます。まずお客さまからの引き合い がないとご発注につながりませんが、 野球の打者のように3割ご発注いた だければ一流だと言っています。2割 ならもっと引き合いを増やす取り組み が必要で、それはやはり足を使って動 くことです。引き合いが少ないのであ れば、受注率を上げるためにお客さま にいい提案をしていかなければなりま せん。 山本 そうですね。野球でもまず自分 の足で走ることが大切です。無駄のな い効率的なトレーニングも重要です が、まずは走るべきだと思います。 荒谷 地味ですが足腰を鍛えること は大切ですね。 荒谷 ふだんの生活の中で、野球を 続けるために心がけてきたことはあり ましたか。 山本 人として選手として、ちゃんとし たことをしようといつも思っていました。 ふだんの行動もグラウンドでの行動も、 しっかりしておけば周りの皆さんが味 方になってくれることがあります。自分 は大した素質もなかったし、臆病です
山本 昌
M a s a Y a m a m o t oProfile
通算成績 581試合 219勝165敗5セーブ 防御率3.45 188cm/87kg 左投げ左打ち 1965年8月11日生まれ。神奈川県茅ヶ 崎市出身。「球界のレジェンド」の異名を持 ち数々の大記録を達成してきた名投手。 現役32年間を中日ドラゴンズ一筋で活躍 してきたフランチャイズプレイヤー。1984 年に日本大学藤沢高校からドラフト5位 で入団。入団4年目のアメリカ留学を機に 才能が開花し、シーズン途中に帰国すると すぐさま1軍に定着し、無傷の5連勝で リーグ優勝に貢献する。その後はチーム のエースに成長。3度の最多勝に輝き、 1994年には沢村賞を受賞。2006年には 史上最年長41歳でのノーヒットノーラン も達成し、以降も数々の歴代最年長記録 を樹立してきた。2008年には通算200勝 を歴代最年長の42歳で達成。2015年に 史上初の50歳での登板を最後に現役を 引退。50歳での現役、プロ生活32年、実 働29年はいずれも歴代最長で、プロ通算 219勝のうち半分以上の140勝を30歳 以降に記録。また40歳以降でも46勝をあ げ、記録にも記憶にも残る投手として知ら れる。引退後は野球解説者、スポーツコメ ンテーター、企業や学生向け講演の講師、 ラジコン、クワガタのブリーダー、競馬やス イーツなど多彩な分野で活躍中。 山本 昌 オフィシャルウェブサイト http://yamamotomasa34.comPRESENT
山本昌さんの 直筆サイン入り ボールを プレゼント! 本誌同梱のアンケート用紙をご返送いただいた 方の中から抽選で10名様にプレゼントいたします。 はないでしょうか。 荒谷 同感です。私は、全社員に、3つ のキーワードを使って自分も周りも成 長できる働き方を訴えています。 Aggressive : 積極的にやりましょう。 (受け身にならないように) Creative : 創造的に自分で考えてや りましょう。(指示待ちにならないように) Initiative : 率先してやりましょう。 (誰かがやってくれると思わないように) というような意味です。 山本 わかりやすいし、すごくいい言 葉だと思います。 荒谷 ありがとうございます。成功す るためには準備が必要ですし、行動力 を発揮しなければだめです。知恵を 絞ってお客さまにいい提案をするなど、 できることをすべてやってこそ成果が 上がり、さらに上のステップをめざすこ とができると考えています。だから、み んなが自らのモチベーションを高め、 楽しく生きがいをもって働ける環境づ くりにも心を配っています。 山本 大切なことは、野球でも仕事で も同じですね。 荒谷 さて、2018年はどんな年にさ れていきますか。 山本 いつかはもう一度ユニフォーム を着て日本一をめざしたいと思ってい ます。野球解説者としては3年目にな るので、将来につながるよう幅広く勉 強をしていきます。また、日本の国民的 スポーツである野球がもっと盛り上が るように、小学生や中・高生たちに少 しでもアドバイスできれば、と願って います。 荒谷 当社は今年が中期経営計画 の最終年度に当たるので、事業基盤 をさらに強化し計画通り目標を達成 するとともに、次の成長につなげてい きたいと考えています。昌さんは、自ら の力をよく理解した上で怠りなく準備 をし、新しいことにもチャレンジして結 果を出されてきたことがわかり大変感 銘を受けました。 山本 ありがとうございます。これから も野球界に、ぜひ貢献していきたいと 思います。 荒谷 ぜひご活躍ください。いつかは ドラゴンズのユニフォーム姿を拝見し たいですね。 山本 頑張ります。今日はとても楽し かったです。 荒谷 こちらこそ。本日は本当にあり がとうございました。 何気ない ふだんの心がけや行動が 勝利につながるから、こんなことをしたら野球の神さま に助けていただけないなと考えながら 行動をしていました。プロ野球の世界 では力の接近した者同士が真剣勝負 をするわけですから、ほんのちょっとし たことで勝ち負けが決まると思ってい ました。自信がないから、勝ち続けてい ても何で勝てるんだろう、いつ勝てな くなってもおかしくないな、と思ってい たほどです。 荒谷 日本を代表する投手でありな がら、ここまで謙虚でいらっしゃるのか と驚きです。最近のビジネス環境では グローバルな競争がますます激しくな り、スピード感をもって大胆に会社を リードしないと世界の動きについてい けませんが、トップとして昌さんのよう な実力を理解して手を打っていく謙虚 さは必要です。 山本 謙虚というより、正直、自信が なかっただけです。よくぞ32年もプロ の世界にいたなと思っているんです。 ただ野球が好きでしたし、こんなに すばらしい世界にいて一年でも長く やらなければ損じゃないか、と思って いました。 荒谷 野球が好きだったことが最大 のモチベーションだったわけですか。 山本 野球が大好きだというだけで は、長く続けることはできなかったと思 います。「昌さんから元気をもらってい ます」「励みにしています」と言ってい ただけるファンや同世代の方たちのた めに、少しでも長く続けようと思えたこ とも大きな力でした。自分だけではす ぐ挫折しそうになるのですが、周りに そうさせてもらえなかったのはありが たいことです。チームと名古屋のみな さんにかわいがってもらえ、本当によ かったと思っています。 荒谷 周囲の期待に応えながらチャ レンジすることで生きがいを感じてい ければ、うまくいくのでしょうね。 山本 ええ。野球でも会社の中でも、 必要とされる存在でありたいと思えば、 何をすべきかがおのずと見えてくると 思います。一生懸命やっている人がど んどん引き立てられる組織は強いので ビジネスでも見ならう点が多いと感じ ました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 ところで打者を抑え込むコツっ てあるんですか。 山本 野球は確率論だからコツでは ないと思います。ヒットを打つ確率、 ホームランになる確率、凡打する確率、 三振の確率、あらゆる確率は局面局 面で変化するので、自分に有利になる ようサイン通り1球1球投げるだけです。 荒谷 私たちの仕事も確率に左右さ れます。まずお客さまからの引き合い がないとご発注につながりませんが、 野球の打者のように3割ご発注いた だければ一流だと言っています。2割 ならもっと引き合いを増やす取り組み が必要で、それはやはり足を使って動 くことです。引き合いが少ないのであ れば、受注率を上げるためにお客さま にいい提案をしていかなければなりま せん。 山本 そうですね。野球でもまず自分 の足で走ることが大切です。無駄のな い効率的なトレーニングも重要です が、まずは走るべきだと思います。 荒谷 地味ですが足腰を鍛えること は大切ですね。 荒谷 ふだんの生活の中で、野球を 続けるために心がけてきたことはあり ましたか。 山本 人として選手として、ちゃんとし たことをしようといつも思っていました。 ふだんの行動もグラウンドでの行動も、 しっかりしておけば周りの皆さんが味 方になってくれることがあります。自分 は大した素質もなかったし、臆病です