瀋陽の日本留学フェアに参加しました。
日中学院報
2014.11
編集発行人・吉田隆司 毎月1回、1日発行 定価1部100円/1年1000円(送共) 郵便振替 東京00100-0-38184 〒112-0004東京都文京区後楽1-5-3 TEL. 03-3814-3591 FAX. 03-3814-3590 Website…http://www.rizhong.org/ E-mail…[email protected]476
A先生の新語コーナー 引 き こ も り の 男 女 。〝 宅 〟に は 家 に 出 し な い と い う 意 味 が あ る 。昨 年 康 的 な ラ イ フ ス タ イ ル 」大 会 の 席 き こ も り は 健 康 に 良 く な い と し 、「 の 取 れ た 」生 活 を 心 掛 け る よ う 呼 で 言 う 「 オ タ ク 」は 中 国 語 で 〝 御 た ま に こ の 2つ の 言 葉 が 混 同 し 注 意 が 必 要 。zháinán zháinü
倉石賞記念連続講演会
―倉石武四郎先生没後40年を記念して―
今年は倉石武四郎先生が逝去されて40年を迎えます。 日中学院では没後40年にあたり、連続講演会等の活動を企画しています。 第一弾の當作靖彦先生のご講演に続き、第二弾は中国の詩人であり谷川 俊太郎の詩の翻訳を数多く手掛けられている田原先生にご講演頂きます。 田原先生が詩人になるまでのお話しや詩の翻訳の際の工夫などについて お話し頂きます。 倉石武四郎先生とは… 民間中国語教育に尽力された、倉石先生のお気持ちを垣間見る事の出来 る、一文がありますので、ご紹介します。 われわれは今日のことば0 0 0 をおさめるとともに、今日のこと0 0 を まなばなければならない。かくしてはじめて今日ないし今日以後、 中国のひとびとのこころ0 0 0 をとらえることができようというものである。 中国との友好は、けっして相互の利益によってのみ結ばれるものでは 第二弾:田原先生講演会 時 期:2014 年 12 月 13 日(土) 13:00∼15:00 頃 場 所:日中学院 対 象:どなたでもご参加頂けます。 参加費:無料※参加ご希望の際は、事務局にご一報ください。 田原(Tián Yuán)先生 1991 年来日。日本語による詩集 『石の記憶』で詩壇の芥川賞とも 呼ばれるH氏賞を受賞した。 中国語と日本語で詩作を続ける一 方、日本現代詩人の作品を中国語 に多数翻訳。中でも谷川俊太郎の 翻訳を多く手掛けている。 田原先生の詩集2冊は日中学院図書館で貸し出し中です!秋は収穫の季節。さて、今年はどんな収穫がある だろうか…朗読大会の開催準備中、ふとそんなこと を思っていました。 日中学院では2005年より別科生による朗読大会を 実施してきましたが、おかげさまで、今年で10回目 を迎えました。毎年30組余りの皆さんが参加する活 気あふれる大会となっておりますが、今年は日中学 院の創設者、倉石武四郎先生の没後40年を記念し、 「日中学院倉石賞記念朗読大会」としてさる10月4日 に開催されました。 別科の学生の皆さんの他、ゲスト出演者として、 日本語科の留学生の皆さん、横浜シュタイナー学園、 関東国際高校、日本大学文理学部中国語研究会、上 智大学、慶應義塾大学法学部、日中学院校友会の皆 さんがご参加くださいました。43組、160名余りの 朗読参加者の方々を含めて、二百名余りの皆さんを 日中友好会館F 1の大ホールにお迎えし、盛大な朗 読会となりました。 落語家の楽生さんと斎藤さんの絶妙な司会進行も 会場を大いに盛り上げてくださいました。 出演者の皆さんは、一つ一つ発音を大切にしなが ら課題文を朗読していましたが、クラスによっては、 小道具を使ったりバックミュージックを流したりし て、演出を工夫して楽しむ姿も見られました。ゲス トの大学生の皆さんは“狼来了”の魔術的な声使いが 印象的でしたし、高校生と大学生のグループが演じ た“守株待兔”は、工夫を凝らして、格別な味わいを 出しながら、会場を笑わせてくれました。 は、 読書の喜びを感じさせてくれましたし、小学生の子 供たちの は、あたかも中国にいるかのよう な錯覚を覚え、会場から驚嘆の拍手が鳴りやみませ んでした。子供たちには、心から感謝したいと思い ます。また、校友会の は、日本人の心を的 確に捉えた中国人作家、氷心の文章を情感豊かに表 現し、これから訪れる冬を通り越して、満開の桜の 春の息吹を感じさせてくれました。 今年も課題文が多岐に渡りましたので、皆様、 様々な楽しみ方ができたのではないでしょうか。 を聞けば、日光や箱根の紅葉の絶景を思 い出す人もいるでしょうし、 、いや“落 地生根”の感慨を噛みしめる方もいるでしょう。 は、春を迎える種が光に出会う歓喜を思 う存分表現していますし、 を聞いて母親を懐 かしく思い出した方もおられたことでしょう。 は、しっとりとした余韻を残し、“充沛的生 机”を与えてくれました。 日本中国語教育学会会長 平井和之先生、桜美林 大学孔子学院院長 楊光俊先生、また久しぶりに日 中学院にゲストとして参加してくださった元専任講 師で神田外国語大学の安海生先生、NHK中国語講 座講師の陳淑梅先生は、初級、中級、ゲスト、上級
及び応用の方々の朗読について、発音の大切さ、心 を伝える重要さ、外国語を学ぶ心得、朗読の醍醐味 などなどについて、大変興味深いお話を聞かせてく ださいました。朗読会の最後に先生方が異口同音に 言われた という言葉は、学生の皆さんに とって大変、大きな励みとなったことでしょう。 新しい試みとして、大会の終了後には、学院の 302、303教室で交流会が行われましたが、多くの方 が参加してくださいました。朗読の余韻を楽しみな がら歓談したり、連絡先を交換して交友を広めるこ ともでき、充実した一日になりました。 この度の大会は、「収穫の秋」「芸術の秋」を十分 に実感させる大会となったのではないでしょうか。 朗読を楽しむ学生の皆さんの姿は、爽やかで清々し く、大変印象深いものとなりました。異郷で働き、 暮らす異邦人の私にとって、故郷の言葉の響きを存 分に楽しむことができ、大きな励みと癒しとなりま した。まさに大いなる収穫の秋となりました。あり がとうございました。 別科担当 胡興智 私は今年3月日中学院を卒業した後、大学に編入 をしました。大学では日中相互理解を深めるため 日々課外活動をしております。今年大学の夏休みに その活動の一つである「日中相互訪問プロジェク ト」に参加しました。それは自らの中国語レベルを 上げるためと日中間の学生交流を目的とした活動で 北京に短期留学しました。 この活動のメインとなるのが日本人と中国人で行 う討論会です。其々のテーマにそって討論し結果を まとめ、日本人と中国人の意見は文化の違いでどの ような変化があるのか考察する事を目的としていま す。2週間で話し合ったテーマは「電子媒体の普及 と紙媒体の衰退」、「報道リテラシー」、「日中恋愛比 較」など合わせて8つの題についてディスカッショ っている言葉(土豪 { 成 金 }、 {去年4月金相場が降 下した時に金の大量 買いをするおばさん達}など)が上位を占めている という違いがみられました。その他のディスカッショ ン結果も授業の課題にも役立つのでまとめています。 討論会以外の時間でも2週間中国語づけでレベル アップができ、北京での経験を生かしこれからの活 動の糧にしていきたいと思います。そして来年は参 加者側ではなくスタッフとして実行し今後の飛躍を 目指します。
(2014年10月号より) 続いて小さい話をしたいと思います。尖閣諸島と 竹島の問題です。尖閣諸島と言いますけれども、5 つの島を全部合わせても山中湖と同程度の大きさで す。竹島に至っては大体日比谷公園程度の大きさで す。島は小さいのです。 日本は戦争に負けて、アメリカ、イギリス、ソ連、 中国のポツダム宣言(1945年7月26日)を受諾しました。 そのポツダム宣言には領土について何と書いてある か。第8項に「アメリカ、イギリス、中国が1943年 11月に出したカイロ宣言の条項は履行せらるべく、 また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国 並びに吾等の決定する諸小島に極限せらるべし」と 書いてあります。 ではカイロ宣言には何と書いてあるか。「日本は 第一次大戦以降、太平洋、中国及びその他から略取 した一切の地域より駆逐されるべし」。これがカイ ロ宣言の条文です。それを守られねばならないと、 ポツダム宣言で改めて言われたわけです。特に中国 が強調するのが、日本の主権は「本州、北海道、四 国、九州以外は、吾等の決定する諸小島に極限され るべし」の部分です。決めるのは「吾等」、つまり 連合国です。それなのに、もともと中国領の釣魚島、 つまり尖閣諸島をなぜ日本は返さないのか、と言っ ているのです。これは中国の有力な論拠になってい ます。 実際の経過はどうだったのでしょうか。 日本列島は1945年8月を以て連合国軍の占領下に 入りました。そして連合国軍最高司令部、いわゆる GHQが日本の行政府は何処まで管轄するかを決め ました。1946年1月29日の「連合軍最高司令部訓令 677号」(SCAPIN677)がポイントです。 これに何が書いてあるかと言えば、「北緯30度以 南の南西諸島はすべて日本の施政権下から離れ、連 合軍の直接管理下入れる」とあります。北緯30度と いうのは屋久島の少し南です。これは、占領行政命 令ですから、ポツダム宣言に言う「吾等の決定する 諸小島」とは直接の関係はありません。でも、この 命令によって、北緯30度以南の島にいる日本人の官 吏は、日本に帰るように追い出されました。統治権 がなくなったのです。 同じ677号で朝鮮半島に関しては、済州島、鬱陵 島、竹島を日本の領土から除外されました。つまり、 尖閣諸島も、竹島も、沖縄と同じように昭和21年1 月に日本の主権から外され、日本の主権の及ばない 所になりました。 尖閣について言えば、その時に当時の中華民国が、 この切り離された南西諸島に含まれる尖閣諸島は、 自国の島だから、返してくれ言っていれば、私は 100%そうなったと思います。その前に、台湾と澎 湖島を返す式典が、1945年の10月にありましたが、 その時にでも、釣魚島は中華民国の領土だと、一声 上げていれば当時の連合国が反対する理由は何もな かったはずです。ですが、言わなかった。ポツダム 宣言には「吾等の決定する諸小島」と言いながら、 その後の6年間、「吾等」は何も決定しませんでした。 そのまま、1951年9月のサンフランシスコ講和条約 まで来てしまったのです。 そして、サンフランシスコ講和条約を結ぶ時に、 占領軍に権限を託されて沖縄を支配していたアメリ カは、沖縄を日本に返還せず、アメリカの支配下に 残しました。講和条約第3条の領土条項には何と書 いてあるかと言えば、「アメリカが支配している南 西諸島は、将来アメリカが国連の委任統治領にする 提案をしたときには、日本は反対しない」と書いて ある。どういうことかと言えば、日本の物でないと されても、つまり日本領から沖縄を外されても文句 は言いません、という条文がサンフランシスコ講和 条約です。そこには、尖閣については何も書いてあ りません。 1952年には前に賠償のところで触れた日華平和条 約が締結されました。平和条約ですから当然、領土 に関する条項もありますが、そこにも尖閣諸島につ いては一言の言及もありません。 さらに20年が過ぎ、1972年5月17日に沖縄返還協 定が締結されました。そして南西諸島はすべてまと めて日本に返還すると決まりました。その中に尖閣 諸島もふくまれていました。このあたりから、中国 も台湾も釣魚島は中国領だと言いだしたのです。日
日中対立の根源を探る(2)
講師:田畑光永
日中学院校友会講演会 2014.7.19本の主権下から釣魚島が離れ、連合国が管理してい るときに、連合国の有力な一員である中華民国が、 元々は我々の領土だから返してくれと言えば、他の 連合国は、前にも言ったようにおそらく反対はしな かったはずです。しかし言わなかった。その理由に ついて、あとから蒋介石は国際友誼のためだったと か言っていますが、忘れていた、気が付かなかった、 としか思えません。それで、結局日本に戻ってきて しまったのです。 最初に言いましたが、何度も住民が変わっている ヨーロッパでは、固有の領土などという概念はあり ません。ですから大事なことは一番最近に、どのよ うな国際間の約束が行われたかです。元々はとか、 昔はとか、言うことはあまり意味がありません。 中国は魚釣島の存在を忘れていて、自分が有利に 権利を主張できる時期を無為にやり過ごしてしまっ たのです。ここがこの問題のポイントです。中国は いかにも日本が悪いように言っています。彼らに言 わせると、日本はポツダム宣言を受諾しておきなが ら、それを守らずに釣魚島を占拠していると言うの ですが、敗戦後の日本には、ポツダム宣言に背くよ うな元気はありませんでしたし、しようと思っても できるわけはありません。 また中国はサンフランシスコ平和条約も日華平和 条約も、中華人民共和国と無関係なところで結ばれ た条約だから、それらには縛られないとも言ってい ます。台湾がした約束は守らないというのも一つの 理屈ですが、それなら、中国が国連で台湾の議席を 引き継いで常任理事国に収まっているのは筋が通り ません。台湾と無関係に新規加盟国として国連に加 盟すべきでした。 1971年5月17日に日米間で沖縄返還協定が調印さ れますが、その2か月前の3月15日、この日に初めて 在米中国大使館(当時の中華民国大使館)は、アメリ カ国務省に魚釣島は中国領だという口上書を持って べてできて、2ヵ月後に調印という時期になってそ のような事を言われても困る」と。 しかも、このころは非常に微妙な時期でした。キ ッシンジャーがパキスタンから、北京に電撃訪中す る下話を中国としていました。一方では繊維摩擦と いうのがきびしくて、台湾と日本からの繊維製品の アメリカへの輸入を減らそうという交渉が行われて いました。日本、中国、台湾の関係が、非常に微妙 でした。 ですから、一度まとまった協定を調印直前に変更 するなどはアメリカとしてもできない。それで、仕 方なくアメリカは、沖縄の施政権は日本に返すけれ ども領有権問題にはアメリカはどちらの肩も持たな い、という論法を編み出したのです。本来、施政権 と領有権は一体のものですが、アメリカは台湾の顔 を立てて、その2つを無理に分けて、領有権にはア メリカは拘わらないから、当事者同士で話し合って 決めてくれという態度に出たのです。それ以来、ア メリカの態度は変わっていません。 1945年の敗戦から沖縄と一緒に日本に返還される までの27年間、尖閣諸島は日本の施政権下から離れ て、52年までは連合軍、その後の20年間はアメリカ 軍の施政下にありました。その間に、自分のものだ と言えば返ったのに、それを言わなかったのですか ら、中国の悔しい気持ちは分かりますが、それは手 遅れだと思います。 竹島はどうでしょうか。竹島も元々無人島ですか ら、客観的にどちらの物とは決められないと思いま す。どちらからも、人が行って漁などをしています から、竹島に上陸したという記録は日韓両国にあり ます。 戦後のSCAPIN677号では、済州島、鬱稜島、竹 島は日本の施政権下から外す、とされました。この 3つの島は朝鮮半島を囲むいちばん外側の島です。 そこから朝鮮半島に近い島は皆、韓国の領土という
たちが今、あらためて口惜しさをかみしめているこ とをわれわれは冷静に受け止めなければならないと 思います。「侵略の定義は決まっていない」とか、 「南京大虐殺はそんなに大規模ではない」とか、「従 軍慰安婦は強制連行されたものではないから、どこ の国にもあった売春にすぎない」とか、自らの非を 割り引くような主張は口惜しさをかみしめている相 手の気持ちを鎮めるどころか、逆にいきり立たせる だけです。その意味で最近の日本の安倍内閣のして いることは賢明とは言えません。 尖閣諸島の領有権問題にしろ、従軍慰安婦問題に しろ、「領土紛争はない」とか、「解決ずみ」とか、 相手を怒らせるような対応でなく、きちんと向き合 って相手の言い分を聞くべきだと思います。別に不 必要な譲歩をしろというわけではありません。特に 尖閣諸島については現状の法律的枠組みを双方が確 認し合えば、感情的にならずに、それこそ1978年に 鄧小平さんが言ったように「後世の人間の知恵」も 出てくるのではないか、と思います。 田畑光永氏 1960年東京放送(現TBS)に記者として入社。 中国政治を主たる専門領域とし、田中角栄首相の日中 国交化正常化の際にも、同行取材を行った。 『JNNニュースコープ』のメインキャスターや香港支 局長等を歴任した。 定年後は、2006年までは神奈川大学教授を務めた。 現在インターネット上に、護憲・軍縮・共生を掲げる ブログ「リベラル21」を開設している。著訳書多数。 韓国は怒りました。しかし、韓国は連合国には入 っていませんから、講和条約交渉で発言する権利が ありませんでした。韓国の弱みは、日本とは戦わな かったことです。だから、昨年、朴クネ大統領は中 国へ行ったとき、西安に抗日ゲリラ軍の記念館を建 てるように要請しました。韓国も戦ったという証拠 を残すことに努めています。とにかく、発言権がな いままに、竹島は韓国領から外れてしまいました。 なぜこの変更が行われたのかは分かりません。韓 国は日本がロビー活動で連合軍に書き直させたと怒 っています。しかし、ロビー活動で書き直させたと すればそれはそれで仕方がありません。日本には発 言権はありませんでしたが、お願いする自由はあっ たはずでしたから。 一方、当時は朝鮮戦争が非常に激しく戦われてい ましたから、北朝鮮が朝鮮半島全部を支配すること もないとは言えない情勢でした。ですから軍事的な 観点から朝鮮半島の一番外側の竹島は情報拠点とし て、自由陣営が押さえておいた方がいいと意見があ ったことも確かです。ここに、情報基地を置いて北 朝鮮の状況を探ろうというのです。 ですから、日本のロビー活動で竹島が韓国領から 外されたのか、あるいは朝鮮戦争によってそうなっ たのか、それともその両方か、それは分かりません。 ですからサンフランシスコ講和条約には竹島は日本 領とは書いてありませんし、韓国領とも書いてあり ません。 韓国にしてみれば。一旦は、竹島は韓国領と認め られたのに、それがはっきりしなくなったのですか ら、なんとも腹立たしいでしょう。その気持ちは分 かります。 以上が小さい話、尖閣諸島と竹島の領有権問題の 現状です。それが中国の経済大国化がもたらしたア ジアの政治構造の変化、つまり日本なにするものぞ という雰囲気が中国、韓国に濃厚になってきた環境 の中で大きな政治問題となっているのだと思います。 ではどうすればいいか。日清戦争に始まった日本 の中国への侵略と韓国の植民地化、しかも前半で言 いましたように、日本は第2次大戦で敗れたにも拘 わらず、戦後の東西対立のおかげで大きな幸運に恵 まれ、それに相応しいペナルティも払わずにいち早 く復興を成し遂げました。この歴史に中韓両国の人
図 書 室
だ よ
り
大家好!今月も旅をとおして中国語を身につけ ようと思います。 ●『旅で楽しむ中国語会話』 日中通信社CD付き 「別冊聴く中国語』シリー ズの一冊で、鉄道旅行をしな がら中国語を学ぼうという趣 旨の下に編集された本。文化 遺産や英雄の足跡を尋ね、自 然が作る奇観、ご当地グルメ 等に触れながら中国語が学べ る。全6章より構成され、まずは高速鉄道に乗っ て北京から天津へ。第2章では北京から大連→吉 林→哈爾賓へ。どの章も出発地はすべて北京。太 原で刀削麺、桂林では 、西安では を食し、洛陽では竜門石窟、少林寺等を見学。杜 康酒を飲んで酔拳に挑戦?第5章は西安。壮観な 兵馬俑博物館に、大雁塔、碑林博物館と悠久の歴 史を堪能。最終章は美しい町並みで有名な青島。 その中でも特に有名な八大関へ。ドイツ占領時代 の欧風建物が残っているという。旅の終わりはビ ールと蒸し餃子で。章と章の間には鉄道を利用す るための情報や旅で使える一言フレーズが紹介し てある。DVDではないので、想像の翼をひろげ、 専ら耳を鍛えることが出来る。きっと学習への良 い刺激になるでしょう。 ●『街なかの中国語』MP 3 CD付 孟国主編、井田綾訳 東方書店 旅に出れば、団体旅行では ない限り、衣食住・両替等何 でもほぼ自分でやることにな る。現地での中国語は教室で 先生が話す中国語とは、速さ だけではなく随分違う気がする。この本の原書は ≪旅を楽しむために≫ ●『中国語発音の最大の壁 声調完全マスター』 胡興智著 コスモピア(株)MP3付 旅に出たからには話さなければならない。先ず は発音と声調の関門を突破しよう。本書付属の MP3には5時間分もの音声が詰まっている。ひた すら聞いて、ひたすら発音。 ●『中国語発音マスター』 CD付 高田裕子著 大修館書店。 これでもう、現地でタクシー運転手に“听不 ” とは言わせない。 ≪今だから日本紹介≫ 中国で友達が出来たら、やっぱり日本のことを話 したい。 ●『中国語で日本のことを話してみる』 秦燕・芳沢ひろ子著 中経出版 ●『中国語対訳で紹介する日本のすべて』 陳淑梅著 日本文芸社 〈今月の新着図書・DVD〉 ・『口からはじめる中国語パズル式作文トレーニ ング』CD 2枚付 李軼倫著 白水社 ・『戦前外地の高校野球』川西玲子著 彩流社 ・『国と世紀を変えた愛』富永孝子著 角川書店 ・『サンザシの樹の下で』DVD 監督:張芸謀 その他多数。詳細は掲示をご覧ください。 〈寄贈〉 下記の方々より寄贈がありました。 ありがとうございました。 ●洪秀瑛様(72年別科生)より 『90年の沈黙をこえて(関東大震災50周年報告集)』 ●匿名様 『遇羅錦春の童話』 ●匿名様 『捜索』DVD ●吉田光穂子様 『水滸伝』 ●趙海成様より 『 ①〜⑤』DVD■耳目 ●ワークショップのお知らせ 在校生の方に向けたワークショップを開催します。 「中国語墨絵で、年賀状に挑戦!」 日時:2014年11月8日(土)13:00 〜 15:00 場所:日中学院 費用:無料 ※別途実費500円(当日) 申込:電話もしくは直接受付にお申込み下さい。 定員:20名(定員になり次第締め切ります) 皆様のお申し込みお待ちしています。 講師:唐涛 日中学院日本語科2期生。 中国新文人画のメンバー。 1987年来日。1992年以降、 個展、グループ展多数。 1995年「国展95」(書道) 国展賞受賞。 寺院の天井絵等を多数手掛ける。 また、近年陶器の個展も開いている。 ●おめでとうございます! 第1回日中通信社 日中友好中国語作文コンクール 佳作「中国弟弟」 本科2年 山本美紀子同学 第32回全日本中国語 スピーチコンテスト東京大会 北京市人民対外友好協会会長賞 本科研究科 中西真同学 それぞれ受賞されました。 ●授業のお休みなどのお知らせは、 日中学院HPからご覧頂けます。 調べる途中で、複数のネットに、 中国では箸を横に置くと食事の 終了のサインになるという記載を 目にしました。そこで、早速講師 室で何人かの先生に聞いてみた ところ、ご存じの先生は居ませ んでした。 箸の縦置きについても、今後リ サーチしていきます。 日本と中国のちょっとした違い も調べていきたいと思います。 (D) その他、講座情報も掲載されて います。是非一度ご覧ください。 HP:http://www.rizhong.org/ ●Facebookも随時更新中です! 学院の活動等も公開しています ので皆様の「いいね!」をお待 ちしています! ■編集後記 日本と中国の小さな違いを募集 したところ、別科の方から「なぜ 中国の箸は縦に置くのですか?」 という質問が寄せられました。