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本組よこ/本組よこ_椎名_P215-263

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全文

(1)

イタリア憲法の家族条項および

国家と家族の関係についての家族法的考察

(3

・完)

―ファシズム下における国家による家族への介入の歴史とともに―

目 次 序 章 はじめに 第1章 イタリアにおけるファシズム法体制の成立と崩壊 1.イタリアにおけるファシズム法体制の成立 2.レジスタンス活動によるファシズム法体制の崩壊 第2章 ファシズム下における国家による家族への介入 1.実行されなかった女性の参政権 2.ファシズム期の社会および子どもの教育への介入 3.人口増加政策のための家族への介入 (社会立法、労働立法および刑法改正) 4.ファシズム下の家族法の改正(1942年家族法) (以上・第95号) 第3章 イタリア共和国憲法における家族条項の制定過程 1.イタリア共和国憲法の制定の状況と共和国憲法の特質 2.家族条項の制定過程 (以上・第96号) 第4章 家族条項についての判例および学説の展開 1.イタリア憲法の家族条項における国家と家族の関係について 2.夫婦の平等と家族の一体性について 3.嫡出子と非嫡出子の平等について 4.家族法の改正へ 第5章 まとめ 1.本稿までのまとめ 2.結び (以上・本号)

(2)

第4章

家族条項についての判例および学説の展開

1.イタリア憲法の家族条項における国家と家族の関係について (1) 国家と家族の関係についての議論 イタリア共和国憲法には,第29条,第30条,第31条に,以下のように家 族についての規定が置かれた。 第29条 ! 共和国は,婚姻に基づく自然共同体としての家族の権利を承認する。 " 婚姻は、家族の一体性を保障するために法律で定める制限の下に, 配偶者相互の倫理的及び法的平等に基づき,規律される。 第30条 ! 子を養育し,訓育しおよび教育することは両親の義務であり,権利 である。子が婚姻外で生まれたものであっても,同様とする。 " 両親が無能力の場合は,法律は,その責務が果たす措置を講ずる。 # 婚姻外で生まれた子に対する法的及び社会的保護は法律で定める。 この保護は適法な家族構成員の権利と両立するものとする。 $ 父の捜索に関する規定とその制限は法律で定める。 第31条 ! 共和国は,経済的及び他の措置により,家族の形成及びその責務の 遂行を助成する。大家族に対しては,特別に配慮を行う。 " 共和国は,母性・児童・青少年を保護し,この目的に必要な施設を 助成する。 憲法制定後、これらの家族条項をめぐって問題とされたのは、国家と家 族の関係であった。 216

(3)

国家と家族の関係については,本稿第3章で記したように,すでに制憲 議会で激しい議論が展開されたのであるが,憲法制定後も語句の解釈をめ ぐって,学説上議論が戦わされた。それは憲法第29条1項「共和国は,婚 姻に基づく自然共同体としての家族の権利を承認する。」の「自然共同体 (societa¯ naturale)」という語をめぐる自然法思想主義(giusnaturalismo)

と歴史主義(storicistico)の対立であった (1)

自然法思想を根拠とする立場は,カトリック思想を基礎に置き,憲法に 規定された「自然共同体(societa¯ naturale)」という語句を,「自然法にお ける社会(societa¯ di diritto naturale)」と解し,家族は国家の起源であり, 国家や実定法以前に存在し,生来の権利を保持する共同体として,自律性 および自己決定の権限を有する存在であると位置付けた (2) 。そしてこの立場 は,教会法や自然法を根拠として,家族に対する国家の介入や命令は一切 認められないと主張した。 これに対して,歴史主義の立場は,主として共産主義の立場から主張さ れたものであるが,この立場は,「自然共同体(societa¯ naturale)」という 語句に特別な意味を持たせず,また家族の自律という点についても,それ ほどこだわらず,むしろ家族を抽象的な存在ではなく具体的な存在として, 歴史的に複雑に発達する存在と位置づけるものであった。「自然共同体 (so-cieta¯ naturale)」という語句は,家族の制度の優位の根拠として理解され てはならず,単に家族個人の人格的発達の保障のための社会組織としての 積極的憲法的保障として理解されるべきであると主張した (3) 。 そしてこの歴史主義の立場からは,自然法思想の立場に対して,つぎの ような批判がなされた。すなわち自然法思想の立場は,家族を抽象的な存 在として位置づけ,カトリックの家族モデル(婚姻を基礎とする家族の形 成,離婚の禁止,非嫡出子の犠牲の下の嫡出子の保護,旧態依然とした女 性や妻の地位などが指導原理とされる家族)を押しつけるものであるとし た (4) 。また歴史主義以外の他の立場からも,自然法の思想の立場が依拠する

(4)

教会法や自然法は,現在のイタリアの法制度とは直接には関わりがないと いう批判がなされている (5) 。 憲法制定直後は,以上のような議論がなされたが,その後この対立はほ ぼ解消され,現在では第29条1項の「共和国は,婚姻に基づく自然共同体 としての家族の権利を承認する。」の規定については,国家の介入からの 家族の自律の保障の原則が確認されたことに大きな意味があるとされてい る (6) 。そして,現在では,国家からの家族の自律の保障の原則は,集団とし ての家族それ自体の権利を認めることに意義があるのではなく,むしろ家 族の中の個人としての家族員の権利の保障に意義があるととらえられてい る (7) 。 こうした家族内部の個人の権利の保障をとくに主張している学説として は,ザニーニ(Zanini)の見解がある (8) 。ザニーニによれば,憲法第29条1 項の自然共同体(societa¯ naturale)の規定が,市民の権利の保障として憲 法第1部に置かれていることから,個人主義を強く打ち出した規定である とし,その上で,家族は個人の愛情や物質的要求によって結びつけられた, 完全な任意の集団(aggregazione spontanea)として現れたものであると する。ここから家族は,自律性を有する法人格を有する存在ではなく,た だ個人の私生活に不可欠な共同の結果として,自然で(naturale)任意の 共同体(societa¯ spontanea)として理解されるものであるとする。このよ うに,家族についての「自然共同体(societa¯ naturale)」の語は,法的意 味を欠いた「任意の共同体(societa¯ spontanea)」の意味において解釈さ れるべきとする (9) 。 またアウレッタ(Auletta)の見解も,家族の構成員の権利の保障を重 視する (10) ものであるが,この見解によると,憲法第29条は,家族について婚 姻を基礎とする自然共同体と規定するが,家族は法的に形成されるもので はなく,現実に自らの人格を発展させ,生活の基本的要求を満足する中で, 愛情を共有する関係を形成するという人間の自然で自発的な要求によるも 218

(5)

のであるとする。その結果,家族は法的主体性を持たないし,家族個人に 対して,自律性を持たず,したがって集団としての家族は,権利も義務も 持たず,法的主体性は,家族個人に帰属するものであるとする。 これらのザニーニおよびアウレッタの見解は,ともにファシズム下で集 団としての家族の利益のために家族個人の利益が害された歴史的反省を根 拠にしている。アウレッタは,この点について,「家族の利益,要求,必 要について語る語句に欺されてはならない。それは実際は,別な家族の利 益を示す際に用いられる語句である。……また家族個人の利益は,優位す る家族の利益という名目で犠牲にされたのである。」と述べる (11) 。またザニ ーニは,「家族の法人格を否定するのは,過去のファシズム時代に,家族 固有の集団的利益により,個人の利益が犠牲にされたという歴史的経験に よるものである。ファシズム時代には,アントニオ・チク (12) のような著名な 学者の支持者を得て,個人の利益が犠牲になった」と指摘する (13) 。 このように,現在では,国家による家族への介入を阻止するという原則 については,団体としての家族に法的な意味を持たせず,個人主義原理の 下に,家族個人の権利の保障という趣旨にとらえられている。 (2) 家族条項における家族の保護の趣旨 以上のように,イタリア憲法では,国家からの家族への介入の阻止およ び家族個人の権利の保障が,憲法第29条1項の趣旨であるとされる。しか しもう一方で憲法は,第30条,第31条において,家族の保護をも定める。 そこで第30条および第31条の内容が問われることになる。 すなわち,憲法第30条3項は,「婚姻外で生まれた子に対する法的およ び社会的保護は法律で定める。」と規定する。この婚外子に対する法的社 会的保護については,平等原則の理念からどのような保護がなされうるの かが大きな議論となり,憲法裁判所で多くの憲法判断が下された。この点 については,後に詳しく考察することにする。

(6)

また憲法第30条2項は,「両親が無能力の場合は,法律は,その責務が 果たす措置を講ずる。」と定める。この場合の無能力は,法的および精神 的無能力のみを意味するのではなく,さらに財産的・身体的および倫理的 不適格も意味するとされる。それゆえ「無能力」とされるケースには,親 が世話する能力を欠いている場合,すなわち愛情を欠いたり,世話しない ために子を遺棄する場合も含まれる (14) 。この場合には,憲法は,立法者に子 どもの保護のための立法を求める。 さらに憲法第31条は,第1項で「共和国は,経済的及び他の措置により, 家族の形成及びその責務の遂行を助成する。大家族に対しては,特別に配 慮を行う。」と定め,第2項において「共和国は,母性・児童・青少年を 保護し,この目的に必要な施設を助成する。」と規定する。この第31条の 規定の本質は,プログラム規定とされ,綱領的性格とされる (15) が,この第31 条の規定は,家族の形成や家族の役割の遂行のために,憲法第38条 (16) に基礎 を置く社会保障制度の領域として,母性・児童・青少年などの家族の保護 のための制度を国および州に課するものである。そして具体的には,家族 の保護のための制度とは,家族の生活の充実や新しい家族の形成を可能に するために,税の軽減や勤労日の法定(憲法第36条2項) (17) や女子勤労者の 権利や報酬を受ける権利(同第37条) (18) ,健康の保護の権利(同第32条) (19) の保 障や憲法第34条2項の (20) 義務教育の無償の制度および同条第3項における 「能力があり成績の優れた者は,資力がなくとも,進級し,上位の学校に 進学する権利」の保障,同条第4項の「奨学金,家族手当および他の措置」 などを意味するとされる (21) 。 2.夫婦の平等と家族の一体性について 新しくイタリア憲法の第29条第30条第31条に,家族に関する規定が制定 され,夫婦の平等など新しい原理が盛り込まれた結果,ファシズム以前に 制定された家族法は,憲法の内容と相容れないものとなった。そこで憲法 220

(7)

の内容を実現する家族法の改正が求められたが,その改正は容易ではなか った。家族法改正のための議論は,1960年代に開始したが,国内の種々の イデオロギーおよび文化的対立,すなわちカトリック思想を基礎とする立 場と自由主義者や共産主義者などの世俗の立場の対立が障害になり,よう やく家族法の改正が実現したのは1975年であった (22) 。その結果1975年に家族 法の改正が実現するまで,ファシズム下に制定された家族法と憲法原理と の齟齬の是正を求めるために,多くの裁判が提起されるに至った。結果的 にこの間に憲法裁判所で示された憲法法理が,改正の原動力となり,憲法 裁判所は重要な役割を担うことになる (23) 。 その家族法に関する規定のうちで,第一に憲法裁判所で問題提起がされ たのは,憲法第29条2項に関するものであった。憲法第29条2項は,「婚 姻は,家族の一体性を保障するために法律で定める制限の下に,配偶者相 互の倫理的及び法的平等に基づき,規律される」と規定する。このように 憲法第29条2項は一方で配偶者相互の倫理的法的平等を規定したが,他方 でその平等原則の制限として家族の一体性を定めたため,配偶者の平等が どの範囲で認められるかが問題となったのである。この問題は,判例も変 遷の過程をたどることになった。 (1) 妻の不貞と夫婦間の平等原則 まず憲法裁判所に裁判が提起されたのは,刑法典第559条第1項の姦通 罪 (24) における夫婦間の不平等の問題であった。姦通罪は,妻の姦通だけを処 罰し,夫の姦通は処罰しないとして,夫婦間で異なる取扱いを行っており, 平等原則を定めた憲法第3条および夫婦の平等を定めた憲法第29条違反と して訴えが提起されたのであった。 しかし,この姦通罪の不平等の問題についても,憲法裁判所は当初は合 憲判決を下し,夫と妻との姦通についての対応の違いを容認した。 〔1〕1961年64号判決 (25) (刑法典の姦通罪が合憲とされた判決)

(8)

憲法裁判所は,刑法典第559条1項の姦通罪の規定を以下のように判断 して,合憲とした。 「夫の不貞も,一定の状況の下では,配偶者の不貞として,家族の一体 性を崩壊させることに影響を与えることは否定できない。しかし立法者は, 妻の不貞行為は,家族の利益および家族の構造からも,種類や重大さの点 からも,夫の不貞とは異なると考えたのである」とし,妻の不貞がどのよ うに家族の一体性を損なうかを具体的に述べた。「妻による家族の崩壊行 為は,家族全体および社会の道徳を損なう結果となり,そのため教育上お よび道徳規律上とくに健全な道徳原理が支配すべき家族に,心理的動揺を もたらすのである。また他者と抱擁する母親の観念は,青少年の子,とく に性生活のイメージや刺激を受ける年齢の子に,影響をもたらすものであ る。また夫の子ではない子が家族に入り込む危険もある。それは場合によ っては,厳格な要件の下で否認訴訟がなされるが,法により推定がなされ ることになる。これらすべての要因は,立法者に影響を与えている。」と した。 このように,憲法裁判所は,憲法第29条2項の平等原則の制限としての 家族の一体性について,夫の不貞行為も家族の一体性を損なう原因になり うることを認めたが,妻の不貞行為は,未成年の子に対して教育上および 道徳上悪影響をもたらすことまた婚外子が家族に入り込む危険性があるこ とから,姦通罪について規定する刑法典第559条を合憲とした (26) 。 〔2〕1968年126号判決 (27) (姦通罪についての違憲判決) しかし,7年後の1968年の126号判決において,憲法裁判所は,根本的 に態度を変え,夫と妻の不貞行為について異なる取扱いをしている姦通罪 の規定の刑法典第559条1項,2項を,以下のように述べて憲法違反と判 断した。 「夫は罰を受けずに夫婦の貞操の義務を侵すことができ,他方で妻は, 多かれ少なかれ厳しい処罰を受けるという原則は,女性が過去において, 222

(9)

法的に無能力とされて多くの権利を奪われ,夫に従属した地位にあった時 代に遡るものである。その当時から,社会生活は多くの点で変化した。す なわち,女性は完全な権利を取得し,家族や共同体に対する経済的社会的 生活への参加は,男性と対等になるまでに至った。一方で,姦通の問題に おける異なる取扱いは,いくつかの先進国では犯罪としないという原則を 取っているにもかかわらず,イタリアでは依然として変わらないままであ る。」とした上で,「夫婦の平等の原則については家族の一体性の優位を認 めるが,その優位は,その夫婦間の平等の取扱いが家族に危険を与える場 合のみである」と,家族の一体性を制限的に解釈した。そして「一方で夫 の姦通を法的な問題とはせず,他方で妻の姦通のみを処罰する法は,妻を 夫より劣位の地位に置き,妻の尊厳を侵害するものであり,被害や不貞を 堪えることを強いるものであり,刑法上保護するものではない」とした。 さらに「姦通は,夫の姦通も妻の姦通も疑いなく家族の一体性への危険 を有するものであるが,法が夫婦間で異なる扱いをする時,この危険は, 両配偶者の行為への影響という点からも,心理的結果という点からもより 重大となる。それゆえ,刑法典第559条による差別は,家族の一体性を保 障するものではない。」とした。 このように,この1968年の憲法裁判所の判決は,時代の社会状況の変化 を認め,女性の歴史的劣位の地位に言及し,そして姦通行為が夫によるも のであれ,妻によるものであれ,家族に危険をもたらすものとして位置付 けて,家族の一体性の保障の内には含まれないとして,刑法典第559条に 違憲判決を下した。 〔3〕1968年127号判決 (28) (別居原因についての民法典第151条 (29) が違憲とされた 判決 民法典第151条1項は,妻の不貞はすべて別居原因としながら,夫の不 貞については,2項において,その事実が妻に対する重大な侮辱を構成す る場合のみに別居原因となるとしていた。この民法典第151条が夫婦の平

(10)

等を定める憲法第29条に反するとして争われた事案において,憲法裁判所 は,民法典第151条を以下のように憲法違反であると判断した。 まず憲法裁判所は,配偶者の不貞が身上別居を生じさせるか,いかなる 場合に別居原因となるかは,立法者の自由であるとした上で,「家族の一 体性から正当化できない夫と妻との差別は認められない」とし,民法典第 143条の下では,両者は等しい貞操義務を課されるにもかかわらず,民法 典第151条は,夫の不貞については,妻に重大な侮辱を構成する場合のみ 別居原因となるとするのは,夫に特権を与えるものであるとし,この夫婦 間の異なる取り扱いは,家族の一体性を理由として正当とされるものでは ないと判示した。 (2) 夫の妻に対する扶養義務と夫婦間の平等 憲法第29条の夫婦の平等の原則は,妻に利益のみをもたらしたのではな かった。妻に利益をもたらし夫に不利益をもたらすことが,反対に平等原 則に反するとして,違憲判断が下った事案もある。 民法典第145条1項は,夫は妻の生活の需要に必要なすべてのものを妻 に提供することを要するとして,夫の妻に対する全面的な扶養義務を規定 するが,2項に規定する妻の夫に対する扶養義務は,夫が充分の生活手段 を有しない場合には,夫の生計に寄与することを要するとして,妻の夫に 対する扶養義務には,条件が付されていた。そこで,夫と妻とで異なる扶 養義務を規定している点が,平等原則に反するとして争われた。 〔4〕憲法裁判所1966年46号判決 (30) (夫の妻への扶養義務についての民法典第 145条 (31) が違憲とされた判決) この事案は,両配偶者とも無責により合意別居に至った妻が,別居の際 に,夫に扶養手当の請求を行ったものである。ただし妻が公務員で,夫の 受け取る給料よりわずかに劣る程度の収入を得ていたことから,民法第145 条で規定する夫婦間の扶養義務の不均衡が問題となった。(なお民法典第 224

(11)

145条は,第156条により別居における無責の配偶者に対して準用される。) この事案において,憲法裁判所は,以下の理由で違憲判決を下した。 憲法裁判所は,平等原則に対する家族の一体性の制限は,例外的場合と 解するので,その適用は,制限的に解釈されなければならないとした上で, 「配偶者が別居している場合には,共同生活は終了しており,経済面でも 物理面でも,精神的側面でも,家事に対する妻の協力は,その要件は欠け ており,一体性の要求により異なる扱いを行うことの根拠がない」と判示 した。 〔5〕憲法裁判所1967年144号判決 (32) (夫婦間で異なる扶養義務を定める民法 典第145条が合憲とされた判決) お互い相手の有責行為を主張し別居を申し立てたが,両者の有責行為は 認定されず別居の申立は却下された。しかし妻に対する扶養手当の支払い が夫に命じられたため,夫婦間の扶養義務に対する民法典第145条の違憲 性が争われた事案である。 この申立に対して,憲法裁判所は,以下の理由で憲法に反しないと判示 した。 すなわち,民法典第145条が扶養義務について夫婦間で異なる責任を定 めるのは,民法典が異なる地位を定めていることを基礎にしている。つま り家族の一体性を保持するために,民法典は父権(patria potestà)をはじ めとして,妻に優位する広範で特別な権能である夫権(potestà maritale) を,夫に与えたのである。ここから民法典は,妻の保護という特別な義務 を夫に課しており,妻の生活状態にかかわらず妻の生活の需要に必要なす べてのものを妻に提供する義務が夫に課されているのもこの理由によるも のであるとした。 このように,この判決は,父権の優位の結果として,夫の妻に対する扶 養義務を位置付けるのであった。 〔6〕憲法裁判所1969年45号判決 (33) (夫の妻への扶養義務を規定した民法典145

(12)

条についての合憲判決) この1969年45号判決は,先の判例と同じく,民法典第145条第1項にお ける夫の不利益について平等原則違反が問題にされた11件の事案について, 併合して下された判決である。ただしこの事案が先の〔4〕1966年46号判決 の事案と異なる点は,夫の有責行為により裁判別居に至った点であった。 この事案において憲法裁判所は,以下のように判示して,民法典第145 条1項を合憲と判断した。 憲法裁判所は,同種の事案である1966年の46号判決の事案と本件とは, 共同生活の終了が夫の違法な行為によるものであるという別居の原因にお いて決定的に異なるものであるとした。そして「無責の夫に関する事案を, 本件に形式的に等しく適用することは,両配偶者の関係において,立法者 が配慮する実質的平等を犠牲にすることになろう。」とし,「不法行為の被 害を受けた者に不利益をもたらし,不法行為を与えた者に利益をもたらす ような対応はできない。」と判示した。 さらに「この異なる取扱いは,家族の一体性の保護の要求にも適合する ものである。実際に別居について有責である一方配偶者が,共同生活の破 綻以前の法制度によって,優遇されて利益を得る法制度は,家族の破壊を 容易にすることになるであろう。」とした。 〔7〕憲法裁判所1970年133号判決 (34) (扶養義務についての民法典第145条が違 憲とされた判決) 〔5〕1967年144号判決および,〔6〕1969年45号判決では,扶養義務につ いての民法典第145条が合憲とされたが,同規定に対して一転して違憲判 決が下された事例である。 憲法裁判所は,妻と夫で異なる義務を課している民法典第145条1項に ついて,以下の理由で憲法違反であると判断した。民法典第145条におい て,夫の妻に対する義務としての夫が妻の生活に必要なすべてのものを妻 に提供する義務と,妻の夫に対する義務としての夫の生活に寄与する義務 226

(13)

とは,同等の価値を持つと判断した。しかしその要件が,夫の妻に対する 扶養義務は,妻の経済状態を考慮せずに無条件であるのに対して,妻の夫 に対する扶養義務は,夫が充分の生活手段を有しない場合と条件が付され ている。裁判所はこの異なる取扱いは,家族の一体性の趣旨から,正当と は認められないと判断した。 (3) 財産関係における夫婦間の不平等 〔8〕憲法裁判所1973年91号判決 (35) (配偶者間の贈与(donazioni)を禁止 (36) し た民法典第781条 (37) に対する違憲判決) 配偶者間の贈与を禁止した民法典第781条に,以下の趣旨で違憲判決が 下された。 すなわち婚姻を締結する時点まで,贈与の禁止の規定は,婚約者間には 適用されない。それゆえ,民法典第781条は,婚姻は夫婦の倫理的法的平 等の下の婚姻を規定する憲法第29条と相容れないとして違憲判断が下され たのであった。 この配偶者間の贈与の禁止は,婚姻した配偶者を,事実婚など他の男女 の結びつきと差を設けるものであり,判例もその不都合さを認めていた。 そして時代の経済的社会的現実や家族の現実の要求に合わないものと学説 上も批判がなされていたものである (38) 。 〔9〕憲法裁判所1974年187号判決 (39)

(別産制(il regime separazione dei beni) を規定した民法第215条 (40) に対する合憲判決) 1942年の民法典の規定は,1865年の統一民法典の制度を踏襲したもので ある。そして統一民法典は,ナポレオン法典の影響を強く受けて規定され たものであったが,夫婦財産制については,ナポレオン法典とは対照的に 別産制(il regime separazione dei beni)を採用していた

(41)

。しかし別産制 は,財産や自己の労働による収入を持たず夫の収入に依存せざるを得ない 妻については,家事労働による協力や貢献がなされているにもかかわらず,

(14)

財産的に評価されないことが実質的な平等を保障しないと批判されていた (42) 。 当該判決は,別産制の問題点を,以下のように指摘しながらも,その是 正は,立法によるものとして,合憲判決を下したものである。 すなわち,憲法第29条は,財産関係の制度にも,適用されるとし,現行 法が,勤勉に家事労働を行い,母および妻の義務の履行のための活動に貢 献したが,自律した職業を持たない女性について,身上別居の際に,現行 法が適切な法的保護を行っていないのは議論の余地がないとした。そして 家族経済や家内企業の預貯金に対して,金銭で算定するのは困難としても, 夫婦別産制は,主婦の自己犠牲や勤勉さによってもたらされた寄与につい て,夫婦の努力の結果の預貯金を投下して不動産や動産を夫の名義で取得 した場合に,有効な保護を欠いたままであると問題点を指摘した。 以上の別産制に対する当該判決による問題点の指摘は,1975年の家族法 の改正において,法定夫婦財産制について,別産制から共有制(il regime legale di comunione dei beni)に改める強いきっかけとなった

(43) 。 (4) 姓の使用と平等原則 〔10〕憲法裁判所1970年128号判決 (44) (有責別居における妻の姓使用に関する 不平等についての民法典第156条5項 (45) についての違憲判決) 配偶者の身上別居が妻の有責行為により生じた場合に,夫の姓を使用す ることを禁止しているにもかかわらず,他方で夫の有責行為によって生じ た別居において,その夫の姓の使用によって妻に損害を生じる場合に,夫 の姓の不使用を規定しない民法典第156条5項が憲法違反と判断された。 この判決によって,1975年の家族法の改正後,結合姓が認められるよう になった。 (5) 親権と平等原則 親権においては,父権(patria potestà)として,父親の地位が母親に優 228

(15)

位した。その父権は,「権限(titolarità)」と「行使(esercizio)」とに分け られ,「権限」は父母ともに帰属するが,「行使」は父親だけに認められた。 婚姻中は,親権は父親によって行使され,障碍事由がある場合にのみ,母 親によって行使されるにすぎなかった (46) 。 〔11〕憲法裁判所1964年9号判決 (47) (無能力者奪取の罪の告訴権についての 刑法典第574条についての違憲判決) 当該1964年9号判決は,刑法典第574条の無能力者の奪取の罪 (48) において, 告訴の権利が父親にしか認められていないことについて,夫婦の平等を定 める憲法第29条2項に反して違憲であると判断した。 憲法裁判所は,まず父母双方に告訴の権利を認める告訴の一般原則を規 定する刑法第120条 (49) に言及した。そして刑法第120条の告訴の一般原則と, 無能力者の奪取の犯罪の告訴とは,各々異なる性質を有すると判断した。 すなわち,告訴についての一般原則を規定する刑法第120条は,無能力者 を補佐し無能力者を代理して告訴する権利であるのに対して,無能力者奪 取の犯罪は,父権に対する犯罪として規定されたものであり,この第574 条の告訴の権利は,「犯罪の被害者としての自己の権利として行使する」 ものであるとして,両規定の区別を認めながらも,裁判所は,「このよう な犯罪や被害者の区別は,犯罪の本質や影響に対応するものではなく,何 よりも,刑法典の第2編第11章の規定の位置から導かれなければならな い」とした。そして,「未成年者の奪取は,父権を行使する地位によって のみ区別されるべきではなく,家族の社会的,倫理的,情愛的利益の実質 全体において区別されなければならない。」とし,第574条は,家族の社会 的倫理的情愛的利益において,保護されうる家族の援助および家族に対す る犯罪として位置付けられるので,父権を現実に行使しない親であっても, 家族の利益の保護から排除されてはならないとし,その制限は配偶者の法 的平等の原則から逸脱することになると述べた。 〔12〕1967年102号判決 (50) (父にだけ与えられる父権の行使について合憲とさ

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れた判決) 1967年102号判決は 父権の行使を父のみに与え,子の財産の管理を含 めて民事上の行為すべての代理権を父にのみ与えるという民法典第316条 (51) および同320条 (52) が,憲法第3条,同第29条2項,同第30条に違反するとし て争われた事案である。憲法裁判所は,これに対して,父権の行使におけ る父親と母親との地位の差異は,憲法の平等原則に反しないと下記のよう に判断した。 すなわち民法典第316条により,子は親の権能に服するとしており,父 の方針に合致すれば,母親も父権を行使できるのであるとした上で,母の 権能は抽象的権限しか有さないが,実質的効力に欠けるというものではな いとした。民法典の第316条および同第320条の父親の意思の優位の趣旨に ついては,「民法典では父の意思の優位が認められるが,その差異は制度 趣旨に根拠を求めることができる。いかなる人間の集団も,ひとつの意思 を形成するために手段を必要とする。それは家族が倫理的基礎を置く制度 であり,子の養育や教育の社会的目的の実現のために機能する制度であっ ても,家族社会において,存在せざるをえない。」とし,「父権における父 親の意思の優位は,前述の意思統一の要求の結果であり,またそれは憲法 第29条2項の配偶者の倫理的法的平等の範囲に含まれるので,民法典第316 条は憲法の条項に反するものではない。子を養育および教育する上での婚 姻の社会的目的に到達する手段として,家族の一体性のために家族の長が 統率するという理由によって,憲法第29条に民法典第316条および第320条 が反するという意見を排除する。」 このように,憲法裁判所は,父権を父親にだけ与える制度は,家族の意 思を形成するという要請によるものなので,配偶者間の平等原則への侵害 とはならないと判断した。 〔13〕1969年54号判決 (53) (父のみの無能力者奪取の罪の告訴権について合憲 とした判決) 230

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無能力者の奪取の犯罪を定めた刑法典第574条における告訴の権利につ いて再び憲法判断が争われた事案である。この告訴の権利が父親にだけ与 えられている点について,前述したように1964年9号判決において,憲法 の平等原則に違反するという判断が憲法裁判所 〔11〕 で下されたが,本判決は以 下のような趣旨で,合憲判断を下した。 すなわち,配偶者の一方にのみ認められる不合理な特権という配偶者間 の差異については,父権の行使の保護が根拠とされるであろう。なぜなら 父権の行使は,権利だけでなく義務をも課するものであり,その不履行は, 親権の失格(民法典第330条)となり,子に損害を与える場合には裁判所 の処置(同第333条)を受けるのである。裁判別居の場合には,子の監護 についての裁判官の特別命令の不履行に対しては,父権の行使者は,刑法 上制裁を受けるのである(刑法典第338条)とし,夫のみに告訴権を認め ている刑法典第574条を合憲とした。 (6) 小括 以上のように憲法裁判所は,憲法第29条2項の夫婦の平等を制限する家 族の一体性の解釈について,初期の〔1〕1961年の64号判決は,旧来の家族 観および夫婦観に立って,妻だけを処罰する姦通罪を合憲とした。その理 由は,夫の不貞も妻の不貞も,家族の一体性を崩壊させる危険性を有する ことを認めながらも,子に対する道徳的教育的見地および夫の子ではない 子が家族に潜入する危険性から,妻の不貞行為の方が家族の一体性を損な う危険性が大きいというものであった。これに対して,7年後の〔2〕1968 年の126号の判決は,女性や妻が,過去の長い間にわたって従属した地位 に置かれたことを認め,現代の女性が男性と対等の権利の下に社会生活に 参加していることを考慮している。そして不貞行為自体は,妻によるもの であれ夫によるものであれ,ともに家族の一体性を損なうものであり,夫 と妻とで差別を行うべきではないとして,違憲判決が下された。前者の〔1〕

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1961年の合憲判決は,妻の役割を子の養育保護という家庭的役割に限定し て位置づけ,女性に厳しい道徳的規律の遵守を求めるものであった。これ に対して,後者の〔2〕1968年の違憲判決は,女性の役割を家庭役割に限定 せずに,社会への共同参加という新しい社会状況に目を向けている。この 女性の役割及び地位の判断の違いが,憲法判断の分かれ目になったといえ る。1960年代前半の裁判官の女性観は,憲法がモデルとする職業活動など 様々に社会へ参加する女性像や家族像 (54) とは異なり,家庭役割だけを担う旧 来の女性像や家族像に立っていた。しかし,このように1960年代の後半か ら,男性と対等に社会に参加するという女性の現代的役割を評価し,旧来 の思想を基礎とする規定について,違憲判断が下されるようになっていっ た。 父権については,無能力者の奪取の罪についての告訴権について,〔11〕 1964年判決は,犯罪の内容や本質から実質的に考察して違憲判決を下した。 すなわち〔11〕1964年9号判決は,単に形式的に父権の侵害と解するのでは なく,未成年者の奪取が,家族の社会的,倫理的,情愛的利益の存在全体 に対する犯罪であるとして,父にしか告訴権を認めない刑法の規定を憲法 違反とした。しかしその5年後の〔13〕1969年の判決は,形式的な判断に重 点を置き,未成年者の奪取の罪における告訴権を父親にのみ認める規定に ついて合憲判決を下している。このように,違憲判決が覆った趣旨は,そ の2年前に下された〔12〕1967年の判決が,家族の集団的特質から,その意 思の形成のために,父権の優位を積極的に評価したことが,影響している と思われる。すなわち〔12〕1967年の判決は,〔13〕1969年の合憲判決の2年 前に父権を父親にのみ認める民法の規定を合憲と下した。〔12〕1967年の判 決は,子どもの教育など家族集団の社会的目的のためには,父権の意思の 優位は,家族の一体性から必要であり,平等原則に反しないとしたのであ った。〔13〕1969年54号判決は,父権が権利だけではなく,義務をも課され るという理由で,父権が不合理な特権というには当たらないということも 232

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本稿の 判例番号 判決年および 判例番号 憲法 判断 条文 憲法判断の内容 〔14〕 1960年54号判決 合憲 民法典467条468条 577条 非嫡出子と3親等の親族が 競合する代襲相続権 〔1〕 1961年64号判決 合憲 刑法典559条 姦通罪 〔11〕 1964年9号判決 違憲 刑法典574条 無能力者奪取罪における夫 のみの告訴権 〔4〕 1966年46号判決 違憲 民法典145条 夫の妻に対する扶養義務 (夫も妻も無責) 〔15〕 1966年92号判決 合憲 遺族年金の規定 姦生子の遺族年金権 〔12〕 1967年102号判決 合憲 民法典316条320条 父権の不平等 〔5〕 1967年144号判決 合憲 民法典145条 夫の妻に対する扶養義務 〔2〕 1968年126号判決 違憲 刑法典559条 姦通罪 〔3〕 1968年127号判決 違憲 民法典151条 別居原因としての不貞 〔6〕 1969年45号判決 合憲 民法典145条 夫の妻に対する扶養義務 (夫は有責) 〔13〕 1969年54号判決 合憲 刑法典574条 無能力者奪取罪おける夫の みの告訴権 〔16〕 1969年79号判決 違憲 民法典467条577条 嫡出家族がいない場合の非 嫡出子の相続 〔10〕 1970年128号判決 違憲 民法典156条5項 有責別居における妻の夫の 姓の使用禁止 〔7〕 1970年133号判決 違憲 民法典145条 夫の妻に対する扶養義務 〔17〕 1970年205号判決 違憲 民法典593条 非嫡出子の遺贈を受ける権 利 〔18〕 1973年50号判決 違憲 民法典539条545条 546条 非嫡出子と尊属とが競合す る場合の遺留分 〔8〕 1973年91号判決 違憲 民法典781条 配偶者間の贈与禁止 〔19〕 1974年82号判決 違憲 民法典575条 尊属と非嫡出子の相続 〔20〕 1974年121号判決 違憲 民法典279条 姦生子への養育,教育,訓 育への権利 〔9〕 1974年187号判決 合憲 民法典215条 別産制 〔21〕 1974年237号判決 違憲 民法典284条2項 準正の要件 (筆者作成) 【1975年の家族法改正までの憲法の家族条項についての憲法裁判所の判例の推移】

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合憲判断の根拠のひとつとしている。 また夫婦の財産関係については,〔9〕1974年187号判決において,別産制 の問題点が指摘されたが,それを改めるのは,立法者の権限であるとされ た。すなわち別産制は,家事労働に従事した妻の寄与について法的保護を 欠いており,特に別居の場合には,夫に利益をもたらし,妻に不利益を課 す制度であると問題点が指摘された。この判決が下された1974年は,家族 法が改正される1年前であり,夫婦間の実質的平等という観念が広く行き 渡り,別産制では専業主婦の家事労働による貢献が家族の財産に反映され ず,実質的平等に反すると判断されたものである。 また夫に不利益をもたらす逆差別だとして,夫の妻に対する扶養義務に ついて裁判が提起されたのが〔4〕1966年46号判決である。この判決は家族 の一体性を保障するための平等原則の例外は,制限的に解されなければな らないとした上で,この事案が,両配偶者の無責による合意別居であり, 共同生活が終了していることから,一体性を基礎づける前提は失われてい るとして,違憲判断が下された。これに対して,〔5〕1967年144号判決は, 両者の有責行為が認定されなかったにもかかわらず,夫の妻に対する扶養 義務を規定した民法典第145条は合憲とされた。その根拠は,民法典は, 父権として,夫に妻より優位する特権を与えていることから,夫には妻を 保護する義務があるとしたものである。この判決では,夫と妻は対等な地 位にある婚姻生活のパートナーではなく,妻は夫の庇護の下にある従属し た存在として位置づけられている。また,〔6〕1969年45号判決は,夫の不 貞などの有責行為によって,裁判別居に至った事案である。この判決の事 案からいえば,別居に至り共同生活が終了した点は,1966年の事案と同じ である以上,前記の〔4〕1966年46号判決の家族の一体性の要件を形式的に あてはめれば,夫の妻への扶養義務は否定されることになる。しかしこの 判決は,夫が有責の場合には,適用されないとして,平等原則違反とは判 示しなかった。この判断は,妻の自立能力の有無や共同生活の終了ではな 234

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く,有責主義の思想が平等原則の判断基準となっている。 しかし,〔7〕1970年133号判決では,夫の妻に対する扶養義務が妻の経済 状態を考慮せずに無条件であるのに対して,妻の夫に対する扶養義務が, 夫が充分の生活手段を有しない場合として条件が付されていることは,家 族の一体性の趣旨と相容れないとされた。それ以前に夫の妻に対する扶養 義務が合憲とされた1967年の判決は,民法典において夫が妻に優位する特 別な権能を与えられている効果として,夫の妻に対する扶養義務が課され るとした。しかしその後夫の広範な特別な権能について違憲判決が積み重 ねられた結果,妻は夫の庇護の下にある従属した存在ではなく,対等な地 位にある者として,夫の妻を保護する義務が否定されたものと思われる。 以上のように,憲法が夫婦の平等原則に設けた唯一の制限である家族の 一体性について,憲法裁判所は,当初は女性や家庭のモデルを従来の家庭 役割に求めて,家族の一体性の優位を広く認めていた。憲法で新しい家族 像が規定されたにもかかわらず,戦後になっても,裁判官の女性像や家族 像は1942年のファシズム期の家族法における家族像や女性像と変わらず, 憲法における女性像や家族像とは異なるものであった (55) 。 1960年代の後半から,裁判官自身も社会や文化の変化の現実を受け入れ て,裁判官の描く女性像は,徐々に男性と対等に社会に参加する女性とい う女性像に変化し (56) ,憲法原理と合致しない規定について,違憲判断を繰り 返して下すようになった。その結果,裁判所は,家族の一体性の概念を著 しく狭く解釈するようになった。こうした判例の蓄積が,夫婦の平等を実 現するための家族法の改正に結びついていった。 3.嫡出子と非嫡出子の平等について 憲法の家族条項に関する第三の問題点は,非嫡出子 (57) の法的地位であった。 憲法第30条は,第1項において,「子を養育し,訓育しおよび教育するこ とは両親の義務であり,権利である。子が婚姻外で生まれたものであって

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も,同様とする。」と規定し,さらに同条3項は,「婚姻外で生まれた子に 対する法的及び社会的保護は法律で定める。この保護は適法な家族構成員 の権利と両立するものとする。」と定めた。このように憲法第30条は,非 嫡出子と嫡出子の平等を定め,養育,訓育,教育について,非嫡出子につ いても親の権利であると同時に義務であり,これは立法によって補われな ければならないと規定した。しかし問題となるのが,第3項において非嫡 出子の保護が適法な家族構成員の権利と両立するものとするという制限を 与えていることであった。 したがって,適法な家族すなわち嫡出家族の権利と両立する非嫡出子の 保護の内容が問われることとなり,この問題についても,憲法裁判所は変 遷の途をたどるに至った。 (1) 相続法上の非嫡出子の法的地位 当時の民法典における非嫡出子の相続における法的地位は,嫡出子の法 的地位とは大きく異なるものであった。非嫡出子が嫡出子と競合する場合 には,財産の三分の二が,遺留分として留保されるが(民法典541条),非 嫡出子の取得できる相続分は,嫡出子の取得分の二分の一であり,また嫡 出子の相続分は財産の三分の一を下まわってはならないとされた(民法典 第574条 (58) )。非嫡出子は嫡出子と異なり,嫡出尊属との競合を受け,生存す る尊属と非嫡出子の遺留分は同じとされた(民法典第545条)。嫡出尊属, 配偶者および非嫡出子が競合する場合は,非嫡出子が取得する分はさらに 縮減された(民法典第546条)。また遺言においては,非嫡出子は法定相続 で取得しうる以上のものを遺言で受け取ることはできないとされ(民法典 第592条),これに反した遺言は無効とされた(民法典第599条)。また非嫡 出子は,自己の尊属に対する代襲相続は,原則として認められなかった。 代襲相続権は,嫡出卑属にのみ認め(民法典第467条),例外的に非嫡出子 に代襲相続が認められるのは,尊属が配偶者も,卑属も,またはその尊属 236

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も,兄弟または姉妹もまたはその卑属も,また三親等内のその他の嫡出親 族も残さない場合のみに限られた(民法典第577条 (59) )。 (2)非嫡出子の法的平等についての憲法裁判所判例 当初,憲法裁判所は,次の判決のように,非嫡出子の権利を認めるにつ いて,積極的ではなかった。 〔14〕1960年54号判決 (60) (代襲相続権から非摘出子を排除していた民法の規 定を合憲とした判決) 本件判決は,非嫡出子の相続権を制限する民法典第467条 (61) ,第468条, (62) 第 577条 (63) を憲法第30条3項に反せず合憲とした。 当該事案は,被相続人には,配偶者および嫡出の卑属もなく,唯一兄弟 がいたが,この兄弟はすでに死亡しており,その兄弟には婚外子が一人残 されていた。代襲相続についての民法典第467条,第468条,第577条によ れば,被相続人の3親等内の親族は,代襲相続によって相続人となるが, これに対して,非嫡出子の代襲相続権は認められなかったため,非嫡出子 である原告は,憲法第30条3項の両立すべき嫡出家族の範囲は,非嫡出子 の父親が婚姻によって形成した家族のみであり,3親等の親族は含まれな いとして,民法の代襲相続の規定の憲法第30条3項違反が,争われた事案 であった。この主張に対して,憲法裁判所は,以下のように判示して合憲 判断を下した。 すなわち第467条および第468条は,自己の尊属または傍系親族の相続財 産を受け取ることができないかまたは欲しない嫡出の卑属にのみ代襲の権 利を与えており,第577条の規定は,直接的に,相続人の子の非嫡出子に,3 親等内に相続人の親族がいない場合にのみ,相続することを認めていると し,憲法第30条3項の非嫡出子の保護の趣旨は,相続人の嫡出家族に属す る者がいない場合であり,非嫡出子の保護については,立法者のみが規律 できるものとした。

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このように,本件判決は,憲法30条3項の嫡出家族の概念について,3 親等内の親族まで含まれるとして,非嫡出子よりも3親等の親族の権利の 優位を認めた。 〔15〕1966年92号判決 (64) (遺族年金の権利からの姦生子の排除を合憲とした 判決)

親を戦争で失った姦生子(i figli adulterini)が,遺族年金(pensioni di guera)を求める権利について,姦生子を排除している遺族年金の規定1950 年8月10日法律第648号が,憲法第30条3項に反するとして争われた事案 について,憲法裁判所は以下の理由で合憲と判断した。 まず,姦生子への法的対応の趣旨は,嫡出家族と姦生子が競合する場合 に,姦生子の権利を認めることは,嫡出家族の遺族年金の範囲を縮減する 危険を有すると立法者が危惧したことによるものであるとした。そして姦 生子と乱倫子の地位は,社会通念に従えば,その地位は他の非嫡出子と同 等ではないことには疑いがないものであり,それゆえ姦生子が遺族年金の 権利から排除されたことを専横と考えることはできないと述べ,これは憲 法第3条の規定と矛盾しないと解するに十分な理由があるとした。 以上のように,憲法裁判所は,非嫡出子の権利の制限について,合憲判 決を下したが,その後憲法裁判所は,非嫡出子の代襲相続権の制限につい て,次のような違憲判決を下した。すなわち,被相続人に配偶者または嫡 出子の卑属がいない場合および3親等内の親族がいない場合にのみ,非嫡 出子に代襲相続権を認める民法典第577条および第467条について,〔14〕 1960年54号判決は合憲判断を下したが,次の判決により,違憲判断が下さ れた。これはその後憲法裁判所の姿勢が,違憲判決に転じる契機となった 重要な判決であった。 〔16〕1969年79号判決 (65) (非嫡出子の代襲相続権の制限について違憲とした 判決) 憲法裁判所は,憲法における非嫡出子に対する保護の内容や制限は,民 238

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法などの下位の法律によってまず実現させるために,抽象的に非嫡出子の 利益(favore)を憲法規定したものではないとした。すなわち,憲法は, 非嫡出子に対して,抽象的な保護ではなくすべての法的社会的保護を保障 するものであるとし,子の地位への適切な保護として,(嫡出家族員が存 在しない場合)法制度は,非嫡出子に相続を含むすべての領域で同等にす ることと異なることを行なってはならない,と判示した。このように本件 判決は非嫡出子の憲法的保護が具体的な内容を意味するものとしたが,た だし本件判決において,非嫡出子を嫡出子と同等に扱うとした本件事案は, 嫡出家族がいない場合であった。したがって憲法裁判所は,嫡出子との関 係においては,「ただし,憲法は非嫡出子を嫡出子とすべて同等にしたと いうつもりはない(どちらかというと,嫡出子に対する非嫡出子の権利の 範囲は,一般法の立法者の裁量権限による合理性の基準によって,嫡出子 の優位に従って決定されなければならない。)」と述べている。そして,嫡 出家族の内容については,憲法裁判所は「非嫡出子の父の婚姻により形成 された家族であり,配偶者と嫡出子より構成される」とした。その結果, 「非嫡出子の親が結婚もせずに嫡出の子を持たない場合には,憲法第30条 3項の趣旨において嫡出の家族を有しないことになるので,嫡出子に帰属 するであろう代襲権が非嫡出子に認められなければならない」と判断して, 違憲判決を下した。 この事案は,嫡出子またはその卑属等の嫡出家族がいない場合に,非嫡 出子について嫡出子と同等の保護を与えることを明言したのであり,非嫡 出子と嫡出子とが競合する場合に,非嫡出子と嫡出子とを同等に扱うこと を命じたのではない。この憲法裁判所の判例の意義は,憲法第30条におけ る両立すべき嫡出家族の権利と規定する嫡出家族の概念について,それま で3親等内の親族までをも含むとされていたのを,非嫡出子の父親および 婚姻関係にある妻および嫡出子と範囲を狭め,それに反する民法典の規定 を憲法違反としたことであった。

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その後もうひとつの重要な憲法違反の判決が下された。それは,非嫡出 子の遺贈を受ける権利についての判決であった。 〔17〕1970年205号判決 (66) (非嫡出子の遺贈を受ける権利を制限していた民法 典第593条1項を違憲とした判決) 民法第593条1項 (67) は,遺言者が嫡出子またはその卑属を残した場合には, 民法典第279条の態様の親子関係にある認知され得ない非嫡出子は,嫡出 子の二分の一を越える相続分を遺言により得ることができないと定め,ま た同条2項は,遺言者に配偶者がいる場合には,相続財産の三分の一以上 を得ることができないとしていたが,これらの条項を憲法違反と判断した ものである。 判旨によれば,「遺言者は,自由に第三者のために処分でき,処分しう る財産全体をその者に遺贈しうる。しかし非嫡出子に対しては,同様に処 分することができない。それゆえまさに社会的・人的地位である婚姻外で の出生について,認知され得ない非嫡出子は,嫡出の家族以外の第三者と 比して,その内容においても規定の目的においても,正当化できない不利 益を強いられ,不当な地位にある。」として,違憲判断がなされた。 〔18〕1973年50号判決 (68) (非嫡出子と尊属との競合における非嫡出子の遺留 分に対する違憲判決) 憲法第30条3項における両立すべき嫡出家族の範囲について,先の判決 により非嫡出子の父親と婚姻関係にある配偶者および嫡出子と解されたこ とから,第539条 (69) ,第545条 (70) および第546条 (71) は,法定相続において,非嫡出 子が尊属と競合する場合には,嫡出子に留保された遺留分に比して,非嫡 出子は劣位に置かれており,憲法第30条3項違反と判断された。 〔19〕1974年82号判決 (72) (尊属との競合についての民法典575条が違憲と判断 された判決) 憲法第30条3項における嫡出家族の範囲について,非嫡出子の父親と婚 姻関係にある配偶者および嫡出子と解されるようになったことから,親に 240

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配偶者や嫡出子がいない場合に,親の尊属と認知または裁判宣告された非 嫡出子との間の競合を認めた第575条 (73) が憲法第30条3項に反して違憲と判 断された。 〔20〕1974年121号判決 (74) (姦生子などに扶養の権利だけを規定する民法典第 279条が違憲とされた判決) 1974年121号判決は,姦生子など父性の宣告を求めることのできない非 嫡出子の親に扶養義務だけを課している民法典第279条 (75) の違憲性が争われ た事案において,憲法第30条1項の「子を養育し,訓育しおよび教育する ことは,それが婚姻外に生まれた子であっても,両親の義務であり,かつ 権利である」との文言を基礎にして,父性の裁判を提起できず認知されえ ない子であっても,教育,訓育および養育についても権利を有することを 肯定した。 〔21〕1974年237号判決 (76) (準正の要件についての違憲判決) 1974年237号判決は,共和国の長の命令によって与えられるべき準正の 条件を規定した民法典第284条2項 (77) の違憲性が争われた。事案は,父親が, 自己の婚姻の民事効果の終了宣告の後に,自己の非嫡出子を認知し準正を 求めた。しかし父親には成人の嫡出子がおり,その嫡出子の同意を得たが, 嫡出子の存在が問題となり,準正が認められなかった。民法第284条2項 の規定は,準正の要件として,請求する親に,嫡出子もまたその後の婚姻 によって準正された子も,またその卑属も有していないことを規定してい たからである。そのため民法典第284条2項の規定が,平等原則を定めた 憲法第3条および憲法第30条3項に違反するのではないかということが争 われた。裁判所は,配偶者の同意を規定する同様の規定が成人の子と等し いとはいえないとして合理性に欠けると解し,嫡出の家族の構成員の保護 に絶対に不可欠とは思われない保護を規定しているとして,憲法第3条に 反すると判断した。

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(3) 小括 以上非嫡出子について平等原則違反が問題となった憲法裁判所の判例を 概観してみたが,〔14〕1960年54号判決および〔15〕1966年92号判決に見られ るように,非嫡出子の相続権において,憲法裁判所は,当初は,憲法第30 条の嫡出家族の利益との両立を根拠に合憲判決を下した。そして嫡出家族 の範囲について3親等内の親族までを含むとして,嫡出家族の優位を広く 認めた。 ただし憲法裁判所は,これら合憲判決においても,非嫡出子への不平等 な法の対応を容認したのではなく,憲法裁判所は,立法なしに,憲法第30 条によって,非嫡出子の法的劣位を改めることに慎重であったのである。 それは,〔14〕1960年54号判決において「非嫡出子の保護は,民法典の家族 の制度や相続の制度に至るまで,多くの規定について根底からの見直しが 必要である。立法者は,非嫡出子の最大の保護に至るまで定めなければな らないであろう。地位の決定およびその結果として,場合によつては,相 続の領域においても認められる。ただし適法な家族の構成員の権利との両 立しうるものであるが。」と述べていることからも見て取れる。そして,〔15〕 1966年92号判決では, 「非嫡出子とくに姦生子(adulterini)や乱倫子(in-cesutuosi)の差別的な法的地位は,社会意識と完全に両立しうることが 必要と思われる」と判示して,憲法判断が社会意識から乖離することを危 惧している。 しかし憲法裁判所は,非嫡出子の地位を改める家族法改正案が示された 1960年代後半から,立場を改めて違憲判決を次々と下して行った。 その第一歩となったのが,〔16〕1969年79号判決である。この判決では, 嫡出家族の優位は認めながらも,その嫡出家族の範囲を,非嫡出子の父親 の婚姻による妻および嫡出子に限定し,それ以外の3親等内の親族を嫡出 家族から排除し嫡出家族の概念を改めた。この判決で示された新しい嫡出 家族の概念により,その後〔18〕1973年50号判決において,非嫡出子が尊属 242

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と競合する場合に,嫡出子の相続分より少ない相続分とされた民法の規定 が違憲とされ,〔19〕1974年82号判決は,親に配偶者や嫡出子がいない場合 の非嫡出子の相続分を定めた民法典の規定について憲法違反が下された。 以上のように憲法裁判所は,相続における非嫡出子の権利を嫡出子と同 等にするために違憲判決を下して行った。ただしここで注意しなければな らないのは,これらの違憲判決が下された事案は,嫡出家族が存在しない 場合であり,嫡出子と非嫡出子が競合する場合に,嫡出子と非嫡出子を完 全に同等に扱うというものではない。違憲判決の第一歩となった〔16〕1969 年79号判決においても,「ただし,憲法は非嫡出子を嫡出子とすべて同等 にしたというつもりはない(どちらかというと,嫡出子に対する非嫡出子 の権利の範囲は,一般法の立法者の裁量権限により合理性の基準によって, 嫡出子の優位に従って決定されなければならない。)」と判示している。し たがって憲法裁判所は,非嫡出子と嫡出子が競合する場合に,非嫡出子と 嫡出子の平等を求めて,違憲判決を下したのではなかった。しかし,この ように憲法裁判所が,非嫡出子に嫡出子と同等な地位の保障を実現するた めに違憲判決を下し続けた結果,これらの判例法理は,1975年の家族法改 正における,相続分における非嫡出子と嫡出子との平等の実現に向けた強 力な原動力となった。 4.家族法の改正へ (1) 家族法の改正の経緯 以上のように,イタリア憲法裁判所は,当初は妻に対する夫の優位およ び嫡出家族に対する非嫡出子の法的劣位について,合憲判決を下したが, 1960年代後半から夫婦の平等および嫡出子と非嫡出子との同等の地位の保 障に向けて,違憲判決を重ねていった。また家族法の改正に先立って,1967 年には特別養子制度が規定され,1970年には離婚法が制定されるなど社会 の意識にも変化が見られた (78) 。こうした憲法裁判所の違憲判決や社会意識の

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変化により,ようやく1975年に家族法の改正が実現するに至った (79) 。1948年 の憲法の制定から家族法が改正されるまで,実に27年を要したのであった。 1975年の家族法の改正は,他のヨーロッパ諸国に較べると遅い改正であっ たが (80) ,その改正にあたっては,他の国々の状況,たとえば工業化にもとづ く社会および経済の発達,地方から都市への人口の移動,家族の核家族化, 女性の解放,青少年の自立の早期化,家族の領域におけるヒェラルキー制 度の減退などを充分に検討して行われた (81) 。この家族法の改正の実現により, 戦後の成熟した社会制度が,カトリック思想を基盤とする伝統的な農村の 文化的形態による家族像を覆したことになった (82) 。わが国では GHQ の指令 により,家族法の改正が戦後すぐに実現し,法律上の平等を早くに獲得し たのに対し (83) ,イタリアは,自らの手で憲法を改正し,議論を経て家族法の 改正を得たために,個人の尊厳に基づく家族法の実現には時間を要するこ とになった。しかし時間をかけただけ新しい家族法秩序には,理念と現実 のギャップは少なく,現実をそのまま容認した家族法とされる (84) 。 (2) 家族法の改正の内容 1975年5月19日第151号の改正の目的は,配偶者の平等および嫡出子と 非嫡出子の平等の完全な実現をめざすものであった (85) 。具体的には,以下の 内容について改正が行われた (86) 。 a )婚姻年齢の引上げ(男16歳女14歳から男女ともに18歳へ) b )仮装および人違いに関する婚姻無効原因の拡大 c )身上関係においても財産関係においても,子に対する関係におい ても,家族の運営における配偶者間の平等の実現 d )身上別居の原因としての有責の廃止 e )共有財産制の導入(87) f )嫁資の廃止 g )家族の財産の廃止および財産基金(fondo patrimoniale)の設立 244

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による代替 h )母親にも子にも父性の否認権の付与 i )姦生子の認知 m)非嫡出子の相続上の地位の平等 n )家族生活の運営における配偶者間の対立の場合における裁判官の 介入の規定 (3) 相続分における嫡出子と非嫡出子の平等の実現 以上の家族法の改正は,家族の領域において画期的な変革をもたらした が,その中でも特徴といえるのは,嫡出子と非嫡出子の相続分の平等であ る。 相続について,民法典の旧規定第2編の第2章第1節嫡出血族の相続 (Della sucessione dei parenti legittimi)と第2節非嫡出子およびその血族 の相続(Della sucessione dei figli naturale e dei loro parenti)は,親族の 相続(Della succesione dei parenti)というひとつの章に統一され,第566 条には,非嫡出子も相続の主体に付加され,嫡出子および非嫡出子は父お よび母を,等しく相続すると改められ,嫡出子と非嫡出子が平等に規定さ れた。改正法第542条は,配偶者と子が競合するとき,親が,嫡出子であ れ非嫡出子であれ唯一人の子だけを残している場合には,この者には,財 産の二分の一が留保されると規定する。また子が複数いる場合には,嫡出 子および非嫡出子すべて平等に分与され,三分の二の相続分が留保される (88) 。 また姦生子の相続法上の地位も改められた。改正前の民法典第580条に おいては,相続人の資格および数,および相続財産に比した終身扶養料 (assegno vitalizio)しか認められず,いずれの場合でも,親子関係が宣告 されまたは認知され得た場合に権利を有するであろう相続分の年金(ren-dita)を越えることはできず,そして第594条には遺言者が彼らのために 処分しなかった場合に,第580条によって定められる限度まで,終身扶養

参照

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