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しかし 時の推移とともに 民間航空を取り巻 く環境 特に経済的環境は自由化の方向に変化し 航空会社に対する規制も 国際と国内とを問わず 廃止または緩和する必要が生じた このような 必要に応じてとられた方策が 一般的に 場合に よっては包括的に 航空自由化 liberalization of air

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Academic year: 2021

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航 空 政 策 に 期 待 す る も の

連 載 第 1 回

はじめに 10 年近くも昔のことである。ある証券会社の研 究員が訪ねて来て、日本の航空政策について語り 合ったことがある。その時、その研究員は「日本の 航空政策には、中長期を見据えたビジョンがない。 その上、世界の動きを敏感に察知し、それを取り 入れる機能に欠けている。そのため日本の航空会 社の競争力は低下するばかりだ」と語っていた。 彼は具体的には航空自由化の遅れと、空港現代化 の停滞を指摘したかったようである。 ちなみに、彼は米国東部の大学院で学んだ人で、 IT(情報技術)、特に経営工学分野について一家 言を持っているように見受けられた。 彼の指摘は、果たして今でもそうなのか? 4 回に わたるこのシリーズでは、この問題を現在の問題と して、民間航空の原点に立ち返って検証してみたい。 航空自由化の軌跡 ■ 航空自由化の定義 航空自由化という言葉は、その類語と共にいろ いろな場合に使われている。そもそも 1946 年の バミューダ協定や、それをモデルに各国が結んだ 二国間航空協定は、それらが作成された時代を 反映して、航空会社に対する規制の厳しい内容と なっていた。

航空自由化と航空協定

関東学院大学 法学研究科 元教授

坂本 昭雄

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しかし、時の推移とともに、民間航空を取り巻 く環境、特に経済的環境は自由化の方向に変化し、 航空会社に対する規制も、国際と国内とを問わず、 廃止または緩和する必要が生じた。このような 必要に応じてとられた方策が、一般的に、場合に よっては包括的に、航空自由化(liberalization of air transport)と呼ばれるものである。 米国は19 7 8 年に国内航空のデレギュレーション (airline deregulation)を実施した。類語として使 われているデレギュレーションはde-regulation、 つまり規制廃止の意味である。米国は国内航空に 関する路線への参入や運賃などの経済規制を思い 切って廃止してしまった。 また、国の内外でオープンスカイ(open skies)と いう言葉がしばしば使われている。これは国際航 空に関する用語であるが、それが多様に使われる ことの懸念から、米国は 1 9 9 2 年にその定義を 定め1、それを構成する11の要素をリストアップした。 そのうち、路線、参入、輸送力および運賃に関する 自由化が、その核心的要素(core elements)であ ると、一般に理解されている2 これら 3 つの言葉をどう使い分けるかは、それ ぞれの内容によって判断される。 ■ 航空自由化の流れ 航空自由化のルーツは、米国の国内航空のデレ ギュレーションであると一般に考えられている。 米国のデレギュレーションは、その誕生の経緯 から、当初は「経済的実験」などと、やゆされて いた3。ところが、それが IT(情報技術)の発達 時期と重なったため、航空会社は IT を縦横に利 用して、自由になった航空運送のために新しいビ

1:US DOT, Order No.9 2-8-13, 19 9 2.

2:Brian F. Havel, In Search of Open Skies, 19 9 7, p. 2 1~2 3. 3:坂本昭雄、「甦れ、日本の翼」、2 0 0 3 年、85頁以下

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ジネス・モデルを作り上げた。その結果、米国の国 内旅客は著しく増加し、逆に航空運賃は大幅に低 下して、デレギュレーションの正しかったことが実 証された。 その成り行きを注意深く見守っていた EU は、 航空自由化を漸進的に進めることを決め、その第 1弾として 1987 年に航空自由化パッケージ1を採 択し、年を隔てて 1990 年にパッケージ 2 を、そし て 1992 年にパケージ 3 を採択した。EU は米国と 異なり、複数の国家から構成される連合体である ところから、EU 域内の航空自由化は必然的に国 際航空の自由化を伴うことになった。 1989 年にはベルリンの壁が 崩壊し、東西諸国 の融合により、グローバル市場経済への道が開け、 1993 年末に貿易体制としてガット・ウルグァイ・ ラウンドが実質的に合意された。航空分野では、 1994 年 に I CAO(International Civil Aviation Organization =国際民間航空機関)が国際航空運 送会議を招集して、国際航空の自由化提案を行い、 航空自由化の何たるかを明らかにした。 1995 年、米国は 17 年振りに新しい国際航空政 策を公表し、バミューダ協定に代わる航空協定と してオープンスカイ協定を諸外国と結ぶことを方 針とした。今ではその協定相手国は 90 を上回って いる。 アジア太平洋地域では、米国とオープンスカイ 協定を結ぶ国が増える一方、2001 年には APEC (Asia-Pacific Economic Cooperation = アジア 太平洋経済協力会議)の肝いりで進められた多国 間自由化航空協定(MALIAT)が発効し、世界で 初めての多国間オープンスカイ協定が誕生した。 その一方、中国は 2004 年に米国と航空自由化を 前提とする協定を結び、一部の地域と特定の航空 業務を自由化するとともに、2008 年からは米中間 の航空運賃を完全に自由化した。 EU は 2005 年に、米国との間で懸案だったオープ ンスカイ協定に仮調印し、2007 年にそれを一部修 正の上、正式に調印した。それは 2008 年 3 月に発 効し、大西洋を跨ぐオープンスカイが実現した。 このように、最近の 30 年間に航空自由化は世界 図表 1 航空自由化の流れ 年 出来事 1978 米国内航空のデレギュレーション 1987 EU 航空自由化パッケージ1採択 1989 ベルリンの壁の崩壊 1990 EU 航空自由化パッケージ2採択 1992 EU 航空自由化パッケージ3採択 1993 ガット・ウルグァイ・ラウンド実質合意 1994 ICAO 国際航空自由化提案 1995 WTO(世界貿易機関)発足米新国際航空政策公表 1996 米独航空自由化取極調印 1997 米シンガポールオープンスカイ協定調印米マレーシアオープンスカイ協定調印 1998 米台オープンスカイ協定調印米韓オープンスカイ協定調印 2001 多国間オープンスカイ協定調印・発効 2004 米中部分的航空自由化協定調印 2005 米印オープンスカイ協定調印米タイオープンスカイ協定調印 米 EU 自由化航空協定仮調印 2007 米 EU 自由化航空協定調印 2008 米 EU 自由化航空協定発効米豪オープンスカイ協定調印

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の趨勢となり(図表1)、これを無視して民間航空 を効率的に運営することは、ほとんど不可能に近 い状況になった。 ■ 節目となった 1990 年代 今、改めて振り返えると、現在元気な航空会社は、 そのほとんどが 1990 年代にとられた政策に裏付 けられている。 例えばドイツのルフトハンザ航空(LH)は、1999 年以来、世界の国際航空運送実績4で首位を占め、 現在でも精力的に業績を拡大し続けているが、その 源泉は 1990 年代にあったと考えられる。 1993 年、LH は世界的な航空自由化を見越して グローバル戦略を立て、ドイツ政府の協力を得て 米国のユナイテッド航空(UA)とコードシェアを 含む企業間協定を結び、サービスの拡大を図った。 他方、ドイツを EU とのオープンスカイの鍵と考え ていた米国は、それを機にドイツとの航空自由化 を迫り、1996 年 2 月に航空協定を自由化する取極 の仮調印にこぎつけた。しかし、ドイツは、米国が LH と UA との企業間協定の独禁法適用除外を認 めない限り正式調印には応じないとの態度をとり、 同年 5 月、米国が条件付きながら適用除外を認め たことから取極の正式調印に踏み切った。 LHは新しくなった航空協定を足掛かりに、そし て UA との協力関係をバネに、米国などへサービ スを拡大するとともに、1997 年には UA と組んで スター アライアンス(Star Alliance)を立ち上げ、 グローバル戦略を具体的に推し進めた。 この年代にはアジアでも大きな変化があった。 シンガポールをはじめとする幾つもの国が航空自 由化に向けて舵を切り、併せてそれを支える空港

4:IATA, WATS, Inter na tiona l Scheduled Tonne-Kilomet res   Flown, 2 0 0 0 ~ 2 0 0 8.

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の整備に当たった。その結果は今日の航空運送実 績に表れている(図表 2)。例えば、1993 年に仁 川の大規模空港建設に着手し、1998 年に航空自 由化に踏み切った韓国の大韓航空は、その後急速 に躍進し、国際航空貨物運送の分野では、2004 年以来トップの座を保っている5。ちなみに香港は、 1997 年に限定的ながら航空を自由化する協定を 米国と結び、翌 98 年に新空港を開港した。 まさに 1990 年代は、世界の民間航空にとって 大きな転換期だったのである。 新しい航空協定 航空が自由化されれば、それに伴い必然的に副 作用も発生する。従って、航空を自由化する政策 には、自由化と共に副作用を防止する手立てが必要 になる。その点、米国がこれまでに結んだオープンス カイ協定は、バランスのとれた内容となっている。 米国のオープンスカイ協定は、先に述べた1992 年 の定義に準拠してつくられてはいるものの、協定の 相手国によって内容にばらつきがあり、具体的 には、より現実的かつ進化したものになっている。 それらを概観すれば、まず協定が自由化の主な 対象としたのは、航空会社の指定数、路線、運輸 方式、輸送力および運賃の5つである。 航空会社の指定数については、それを無制限 とした。路線については、原則を「後背地点―自 国内地点―中間地点―相手国地点―以遠地点」とし、 多くの協定では貨物専用便についての路線を設け、 「相手国―いかなる地点」とした。両者の違いは 「第7の自由」6が含まれるか否かである。運輸方式 については、便の運航と運送方法に弾力性を持 たせ、地点の順序、便名の結合、チェンジ・オブ・ ゲージ7などを自由にした。輸送力については、 使用航空機の選択と便数を自由にし、協定によっ ては、当事国がスケジュールや運航計画を認可の 対象とすることを禁止した。運賃については、市場 での商業的考慮に基づく運賃導入の自由を認め、 不公正運賃の排除を目的とする以外の当事国の介 入を禁止した。 次に協定が副作用防止のために規定したのは、 航空安全の確保、航空保安(Aviation Security) の維持および公正市場の確保の3つである。航空 安全については、ICAO の安全基準の遵守を義務 付け、その最低基準を下回る指定航空会社に対し ては、運営許可の留保、取消、停止または制限が できるとした。航空保安については、一般国際法 のほか、3 つの航空犯罪防止条約および1つの議 定書8に基づく行動を義務付け、犯罪予防と緊急 事態の場合における当事国の相互協力を規定した。 図表2 IATA 上位 1 0 社の国際線輸送実績(2 0 0 7 年) 注:輸送実績は百万有償トンキロ、ANAは 33 位、日本航空は 11 位 出所:IATA WATS 2008 順位 航空会社 輸送実績 1 ルフトハンザ航空 20,366 2 エール フランス 16,894 3 シンガポール航空 16,681 4 キャセイ パシフィック航空 15,569 5 英国航空 14,667 6 大韓航空 14,396 7 エミレーツ航空 14,245 8 KLM 12,358 9 ユナイテッド航空 10,675 10 アメリカン航空 9,812

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P R O F I L E 坂本 昭雄(さかもと・てるお)1927 年東京都生まれ。50 年 東京商科大学(現、一橋大学)卒業。52 年東京商科大学研究 科中退。同年第1期フルフライト留学生。53 年日本航空入社。 83 年 IATA 法律委員会委員長。91年から関東学院大学法 学研究所を経て同大学法学部教授、同大学大学院法学研究科 教授。2000 年退職。現在、日本空法学会理事。 さらに協定上の航空保安条項違反に対しては、 場合によって運営許可の取消などができるとした。 公正市場の確保については、独占禁止法または 公正取引法の適用を前提として、特に運賃につい ては、上述したように当事国の介入が可能である ことを明記した。 多くの協定では、これらに加えコードシェアなど の企業間協定、チャーター航空、営業所設置など の商業的事項などについても規定を設けている。 なお、先に述べた多国間オープンスカイ協定も、 以上とほぼ同じ内容の規定を設けている9 かつてバミューダ協定がそうであったように、 オープンスカイ協定も漸次テンプレート化の傾向に あるが、現段階でそれが一般化されたとまでは言 い切れない。特に EU は航空自由化のさらなる深 化を求めており、今後の去就を見守る必要がある。 おわりに 今、民間航空は世界的な経済変動などを背景に、 再び曲がり角に差し掛かっている。だからと言って 航空自由化が逆戻りするとは考えられないが、何ら かの制度的調整が行われる可能性は否定できない。 航空運送の現実と、それを取り巻く環境とを直 視し、それらを慎重に分析することが必要である。

5:IATA, WATS, International Scheduled Freight Tonne-Kilometres, 2005 ~ 2008. 6:自国地点を含まない、相手国と第3国間の運送の自由 7:同一路線上で輸送力の異なる航空機に積替運送をすること 8:1963年の東京条約、1970年のヘーグ条約、1971年のモントリオール 条約及び1988年のモントリオール議定書 9:上記 8 の外交文書すべての当事国でないと、この協定には加入できない。 航 空 政 策 に 期 待 す る も の

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