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A1
可C E R 13
(2004)
,p.57-60
蟹 ケ 杜 神 社 に つ い て
本
尾
日本海に面する京都府宮津市に「蟹ケ杜神社j と呼ばれる神社があることは一般には殆ど知られ ていない. ここではその神社の謂われや経緯 ・現 状について紹介する. 蝦 ・蟹 に 関 す る 話 題 に 興 味 を 持 っ て い る 筆 者 は,ある日 ,新聞の折り込み広告に「節分祭は三 社詣」と題する記事を発見,その中の「蟹ケ杜神 社J
という活字に釘付けにな った (写真1 ). 日 頃か ら付近の住民に「住吉さんJ
と呼ばれて親し まれているその神社は (写真2 ),実は拙宅から 僅か数キロしか離れていない同じ市内にあること がわか った. そこで善 は急げとばかりに , ご都合 を伺 って,後日宮司さんの伊 来佑峰氏 (写真3 ) を訪ね,その由来などについてお尋 ねした次第で ある. 以下はその時の聞き取り内容である (平成11
年7
月7 日)•
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「蟹ケ社j の名前の載 った新聞折り込み (3神社名のみを示す)Hiroshi
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延喜 5年 (901年) の頃,気持ちの良いある晴 れた日, 小寺 (現京都府宮津市字小寺) の百姓市 助翁が海辺で魚獲り (魚 釣 り ? ) をしていたとこ ろ, ふわふわと舟で一人の老人が近寄ってきた . そ して 「自分は住吉の大神で あ る.J
と名乗り, 図2 現在の蟹ケ社住吉神社 (蟹が築いたとの謂われ のある土山はこの右手奥) 図3 伊来佑蜂宮司と奥さん58
蟹ケ社神社について 「休憩する場所に案内せいJ
とお っ しゃ った. そ こで市助翁は小寺の洞 (ほこら ) に陸路案内し た. そこは現在の国道27号線から1 5 0 mほど 山手 に入 った現宮津市脇地区である. さてせ っかく案内したのだが,そこはあ ま り居 心 地 が よ く な か っ た の で 市 助翁 は少し離れた (直 線距離で5 0 0 m ぐらい ),別の所を探し案内した. それが現在,住吉神社が所在する 宮津市字上司小 字蟹ケ杜である . そこは砂浜の海岸線から1 0 0 m位 陸寄りの海辺に ある. 最初の場所に ,時間 的にど のくらい留 まっていたのかは分からないとの こと. さである日,その神社の場所から海に通じる道 を市助翁が掃除した (写真4 ). するとその翌日 , 社の右裏手に小山が何と 一夜にして出来上がって いたと 言 う (写 真5 ). 実 は 前 の 晩, 海からワタ リガニが大挙して上陸し,そこに 土の山を築いた のだと 言 う (なぜ蟹の仕業 とわか った の か ? ). 図4 同神社から海 (栗田湾) を望む . : 1 幽圃 ¥
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以来,そこを蟹ケ杜と称し,神社を「蟹ケ杜神社」 ( 正式には「蟹ケ杜住吉神社J) と呼ぶようにな っ たということである . 以上が伊来宮 司 (大正6
年11
月18
日生 まれ, 当 時83歳) のお話 である . 残念なことに現在,上記 にまつわる古文書 の類は一切残 っていないし,蟹 に関する文献 ・物件もないとのことであ った. な お,伊来氏は平成12年8月9日,御病気で他界さ れている (享年84).
ところで,上記のことをうかがってから後,平 成13
年7
月8
日, 同神社の氏子総代長で,情報誌 「蟹ケ杜」を編集 ・発行されている宮崎卓氏 (元 栗田中学校校長) に,神社の斜め前にあるご自宅 で,蟹ケ社神社の由来等についてお聞きする機会 を得た. 以下はその時の内容である ① 神社に つ いて 延喜5年 (901年) の頃,ふわふわと小舟に乗 っ てきた神様を,漁師の市助が小寺の嗣に案内した. そしてその後,現在の場所に移 った (理由は不詳). 時代は下 って,慶長元年の頃 (1600年代) に社 殿が,そして嘉永元年(1848
年) に拝殿が完成し, 明治28
年に修復して現在に到 っている. 昭和17年 (1942年) に神社は郷社に格上げされた ② 蟹伝説と不波祭 案内した 翌 日,蟹の大群により 一夜にして土山 が 築 か れ て い た 上 司 ・ 小 寺 で 現 在 , 喧 嘩 祭 り の 異名を持つ,I
不波祭り」が毎年秋季に催されて おり,かつぎ手達は「ウワー!J
と叫ぶ.こ れは「不 波一」から来ているようである. 御輿は海辺と神 社を7往復するという (7は吉兆だか ららしい )• この蟹伝説の内容は前出 「蟹ケ社」 にも同様の 内容で紹介されている (宮崎, 2000). 現 在,神 社本殿の左 に「不破 J ( 明治28
年8
月建之 ), そし て 同 右 側 に 「 蟹 ケ 杜J
(平 成11
年 神 無 月 献 之 ) の 大きな木版が飾られている (写真6
,7 ).
境 内南西部に丈2 mほ どの石造句碑があり (宮 崎, 2001),I
蟹 ケ 森 秋 晴 る 々 日 や 不 破 祭 」 山 添 山青,と 詠 われている . なお宮 崎氏は, 目下神社参道の右手 に 「蟹 塚J
図5 蟹が築いたとの謂われのある土山. うっそうと を立てる計画があるとお っ しゃっ ていた. 完成 が 樹木が生い茂 っている (裏手から ) 待ち遠しい.本 尾 図6 境内正面左手にある「不破