Ⅰ 研究テーマ
子どもたちの人権感覚を高めるための,学習のあり方を探る
Ⅱ テーマ設定の理由
○ 子どもたちの人権感覚を高めるには,福岡市の子どもたちの実態を深く掘り下げ,その課 題から学習を計画的に仕組んでいくことが不可欠である。 ○ 現在子どもたちは,携帯電話やパソコンなど,自分だけの世界に没頭できる多くの道具に囲 まれて育ってきている。いつも“個”の世界にいるために,公共の場において自分の行動を 律するという感覚が希薄になっている。コミュニケーションの能力の低下と言うよりコミュ ニケーション自体が育っていかないような環境にいるために,自分の感情を相手にわかるよ うに伝える手段も知らないまま育っている。そのため,些細なことで相手にひどい言葉を投 げつけたり,自分の感情をうまく伝えられずに暴力に訴えてしまう子どもが増えてきている。 ○ 子どもたちに,自分の気持ちを伝えることと,相手の気持ちを理解する感覚と,そのため の手段を教えるための手立てがいる。そのための新しい教材づくりと,『ぬくもり』をはじ めとする様々な教材を活用し,子どもたちに実体験をさせていくことが必要であると考える。 以上の理由から,このテーマを設定した。Ⅲ 研究の目標等(*目指す子ども像,子どもの育成の視点から)
○ 子どもたちの人権感覚を高めるために,『ぬくもり』をはじめとする様々な教材を活用し た取組を,福岡市全体に広めていく。Ⅳ 研究の実際
1 研究編
(1)あらゆる差別をなくすための入り口としての「ガイジ」発言の指導の実際 ① 学校現場で,人権に関する事象に対する取組を行う際に,壁となるものは何か(教師の 悩みや学校体制など)。 ② 子どもの本音を引き出すための授業をどうつくっていくのか。 ③ 教師が自分自身の差別性と向き合っているか。 ④ 差別のおかしさに気付く子ども,差別を自分ごととして捉える子どもを育てているか。 ⑤ 教師が子どもたちの日常の人間関係をしっかりと捉えて指導しているか。そのための集 団づくりを大切にしているのか。 (2)セクシュアル・マイノリティについて ① 研究推進委員が,まずこの課題について学んでいく。 ② 教師自身が「知らない」ことで,学級や学校の中で傷ついている子どもたちがいるかも しれないこと,教育の現場で子どもと関わる私たちがこの問題を正しく知ることの大切さ について発信していく。 以上のことについて,研究推進委員の実践を通じて,夏期研・実践交流会などの機会に発信 していく。2 実践編
(1) 「ガイジ」発言に関する教材を使っての授業実践から ① 「ガイジ」発言の指導を行うときは, えてして左のようなジレンマに陥りやす い。 特に,実際の授業に関しては教師が構 えすぎてやたらと力が入りすぎたり,「子 どもたちにどう教えればよいのだろう …」といったプレッシャーを感じてしま ったりすることが多いようである。その 一方で,授業を行うこと自体が教師の中 でノルマ化してしまい,ややもするとそ れが指導の目的となってしまうようなケ ースも,見られるようである。 ② 「ガイジ」発言の指導は,ガイジとい う言葉を使ってはいけないという禁句 指導だけではその効果は少ないと思わ れる。なぜならば,子どもたちはその 言葉の意味を十分に理解しきれないま ま,単に友達をからかったりするため の道具として使っていることも多いか らである。 したがって,禁句指導だけでは,子 どもたちはガイジの言葉を他の言葉に 置き換えてしまう可能性がある。これ では,真の解決にはならない。 ③ 指導において本当に大切なことは, 「人の心を傷つける道具として『ガイ ジ』の言葉を使うことをおかしいと思 う心」を育てることであろう。また, 同時に周囲の間違った差別的な言動に 対しても,「これはおかしいんじゃな いか…?」といった違和感を感じる心 情を養っていくことも大切であろう。 このようなことが,わたしたち教師 が子どもたち一人一人に育て磨いてい きたい人権感覚である。④ ここで確認しておきたいことは,「ガ イジ」発言の指導にあたっては,対処 療法的な指導に偏ることなく,意図的 かつ計画的に子どもたち一人ひとりの 内面に響く指導をを心がけるというこ とである。 そのことが,全ての差別的な言動を 許さないという人権感覚の芽生えと育 ちにつながっていくものと思われる。 ⑤ 『ぬくもり』部会では,指導のキー ポイントとして,「他人(ひと)ごと」 から「自分ごと」への自己改革という ことを挙げている。 これは,傷ついた人の心の痛みを自 分の痛みとして感じられることはもち ろんのこと,それだけでなく他者の言 動のおかしさにも気づき,さらに自分 自身にもある差別性を見抜いて,それ に向き合い改善していけるようになる ことを意味している。 ⑥ では,実際に授業に取り組む際には, 指導内容としてどのようなことをおさ えていくことが必要なのであろうか。 その内容として,ア:「ガイジとい う言葉の差別性に気づく」こと,イ: 「その言葉で傷つく人の気持ちが分か る(言われた人だけでなく,障がいの ある人や家族など)」こと,ウ:「そ の言葉をつかってしまった人の間違い を指摘できる」ということである。 この三点をしっかりとおさえて指 導していくことが大切であると考え る。
⑦ 子どもたちへの指導で問われるの は,他にもある。それは,教師自身の 人権感覚である。 「ガイジ」とは,障がいをもった児 童を指した,差別的な言葉である。こ の言葉の差別性に気づかせ,それを自 分ごととして考えさせていくために は,まず教師自身が障がいをどうとら えているかということが問われてく る。さらに,子どもたちにどう障がい と向きあわさせていくかということ も,重要な要素となってくる。 ⑧ 左はある小学校6年生へのアンケー ト結果より明らかとなった,子どもた ちの障がいのとらえかたである。 ここで注目したいことは,「自分は 健常者である」「自分はガイジという 言葉を使ったことはないので,差別と は直接は関係ない。」という意識が強 いことである。これは,子どもたちが 障がいや「ガイジ」という言葉を使っ た差別と距離をもって生きているこ と,すなわち他人(ひと)事として生 きている傾向の強いことを意味して いる。 ⑨ このような意識の子どもたちに指 導を 行 っ てい く 際 ,や はり 大 切 にな って く る のは , 子 ども たち の 実 態か らス タ ー トす る と いう こと で あ る。 子ど も た ち一 人 ひ とり の心 と 正 面 から 向 き 合っ て , 子ど もた ち の 本音 の声 を 聞 き, 子 ど もた ちの 姿 に 学び なが ら , 教師 自 身 も 自 己変 革 を して いく こ と が, 心 に 響く 指導 と な ると 思わ れ る 。
⑩ 子どもの本音を引き出した授業の実 際 読み物資料「言葉の意味を」 (教育委員会編集)(道徳) ⑪ この授業の最後に,子どもたちからは,「これからは『ガイジ』という言葉の 意味 を よ く考 え て 生活 して い き たい 。 」 「も しク ラ ス で『 ガ イ ジ』 とい う 言 葉が 聞か れ た ら, ぼ く はす ぐに や め させ て い きた い。 」 と いう 前 向 きな 発言 が 次 々と 聞か れ た 。 す る と ,一 人 の 子 が 小 さ く 手 を 挙 げ て 立 ち 上 が っ た 。そ の 子 は 小 さ な 声 で 意 外 な こ と を 話 し 始 め た 。「 わ た し はこ れ か ら 差 別 を す る か も し れな い… 」。一 瞬 , 教室の中が静まり返った。担任が「どうして?」と尋ねると,その子はこう続けた。 「わたしは,友達に『きもい』とか『うざい』とかすぐ言ってしまう。お母さんに 対しても,ひどい言葉で反抗したりすることがある。このような言葉を使う心は, もしかしたら『ガイジ』という言葉を使わせる心と同じだと思う。だったら,まず 私はこんな『きもい』とかいう言葉を使わないようにすることから始めないと…」 子どもの言葉を聞いて,担任は初めてその発言の真意を理解することができた。そ して,子どもが自分の考えていたことよりも,もっと深いところで心を揺らしている ことに気がついた。それは,教師が子どもに学んだ瞬間であった。そして,このまま でこの授業を終わらせることはできないと考えた。
⑫ この授業での課題はなんであったのか。担任は,それを「 子どもたちの心のゆら ぎを事前にしっかりと予測し,そして受け止め,それを授業の中で深めてやれなかっ たこと。」であると考えた。子どもたちは,教師が思っているよりもずっと自分ごと でこの差別をとらえることができるという前提に立ち,自分ごととしてとらえさせる ような授業が必要であるのではないか… そう考えた。だが,どのような授業をすれ ばよいのかわからない。 すると,特別支援学級の担任が,こうアドバイスを送ってくれた。「先生のクラ スの子たちは,わかたけ学級の子どもたちとなんの違和感もなく交流できているよ。 積み重ねがしっかりと根付いているよ。だから,わかたけ学級の子たちのことをダイ レクトにクラスの子どもたちに投げかけていったらいい。障がいについて,そこから 考えさせると,あの子たちならしっかりと自分ごととして考えてくれると思うよ。」 この言葉を受け,わかたけ学級の子どもたちのことを考えさせながら,もう一度 障がいについて,そして「ガイジ」発言について自分ごととして考えさせていくこと にした。 ⑬「 本 当 に だ れ に も 悪 く な い の 」 (『 ぬ く も り 』研 究 推 進 委 員 編集 )を 活用した実際の指導例(道徳) ※ わかたけ学級→O 小学校特別支援学級
⑭ この授業では,これまでの総合的 な学習の時間で学んできたことをも とにしながら,「だれもがハンディ キャップを感じずに生活できる社会 を築きあげていくためには」という テーマで話し合う場面を設けた。 子どもたちは,目に障がいのある 人や足に障がいのある人などの生活 について,自分なりの考えを出し合 った。 ⑮ そこで,最後に「わかたけ学級の子たちにとって,学校が楽しいと思えるために 大切なことは何だろう。」と問いかけた。 担任は,その答えとして「心」「思いやり」という言葉を考えていたが,子ども たちから出された言葉は,意外なものであった。「心なんていうのはあたりまえだよ ね。その先にあるものは何だろう。」と,さらに深く考えようとし始めたのであった。 担任は,また子どもたちから何か大切なことを学んだような気持ちになった。そ して,正直に子どもたちにこう告げた。 「ちょっとまって… 実は,先生は『心』『思いやり』という言葉を準備していた。 でも,先生よりも,みんなはずっと深く考えてくれた。先生に一週間時間をください。 もう一度,みんなと話し合いたい。」 教師が子どもに学ぶことの大切さを,あらためて感じた瞬間であった。
まとめに代えて ~実際に授業を行ってみて,教師が大事にしていきたいこと~ ○ いろいろな立場から考えさせること,特に言った側の立場から考えさせることによって 「自分も言うかもしれない」と,自分の差別性に気付かせることで,「他人ごと」から「自 分ごと」になっていく,ということ。 ○ 子どもの本音を大切にし,教師もともに考え,一緒に授業を作っていこうとする姿勢で 臨むこと。 (2) セクシュアル・マイノリティについて ① 経過 セクシュアル・マイノリティのことがメディアで番組になったり(NHK「ハートをつ なごう」),市人研の機関誌「アクセス」に連載されたり(48号~50号),夏期研で 「多様な性」の分科会が開かれたりと,セクシュアル・マイノリティのことが正面から取 り上げられるようになってきた。 『ぬくもり』研究推進委員会でも,人権問題として取り組む必要を感じて,教材化する ことを検討している。しかし,それには,まず研究推進委員自身が学ぶ必要があるので, 基礎的な知識を学ぶことや,実際に話を聞くこと等から始めることにした。 また,身近にいるであろうセクシュアル・マイノリティの子どもたちが,少しでも早く, 少しでも安心して毎日を送ることができるようにと考え,学校現場の先生たちに早く情報 を伝えるために,現時点までの取組について発信することにした。 ② 「多様な性」基礎知識 ○性の4つの指標 ・身体の性・・・性染色体,性腺(卵巣・精巣),内性器・外性器,性ホルモンなどに よって決まる生まれながらの生物学的な性 男女に二分して性別を決定する基準を設けることは難しい。 (母子健康手帳の性別の欄は 男・女・不明 ) ・心の性・・・・自分のことをどう思っているか←男女に二分できない。 ・社会的な性・・社会が決めている「男らしさ」「女らしさ」―地域・文化・時代によ って異なる。 ・性的対象・・・どのような人に恋愛感情を持つか―人によって様々であるし,恋愛感 情を持たない人もいる。 ○セクシュアル・マイノリティとは・・・便宜上の分類・名前(当てはまらない人もいる) LGBT L・・・レズビアン(女性の同性愛者) G・・・ゲイ(男性の同性愛者) B・・・バイセクシュアル(恋愛・性愛の対象を性別に依らない) T・・・トランスジェンダー(身体の性別と心の性別が一致しない)
IQ I・・・インターセックス(生まれながらに性腺の性と外性器とが一致し ていない) Q・・・クエスチョニング(特定の枠に属さない。典型的な男性・女性で はないと感じる人) ○ここから学ぶこと ・性のありようは多様であること・・・セクシュアリティの上での多数派は,「男性」 「女性」というものさししか持たないことが多い。そのことが,セクシュアル・マイ ノリティの人たちの生きにくさをつくっている原因の1つといえるのではないか。 ③ 家族との出会い 「NPO法人 LGBTの家族と友人をつなぐ会」から,1人のお母さんに来ていただ いて,研究推進委員で話を聞いた。その中で,私たちの社会が性的少数派を肯定的に受け 入れてはいないことや,マイノリティの人の生きにくさに気付いていないことなどがはっ きりしてきた。 メディアやネットで得られる情報に,セクシュアル・マイノリティに肯定的な情報はご く限られている。「ふつう」に仕事を持って「ふつう」に暮らしていく道はないかのよう に見える。また,学校では,男女に分けられる場面で困り感が生まれる。 ④ 教師の対応のポイント ○一人一人にあった対応 ○対話・・・何が困るか/どんな対応をしてほしいか ○誰に共有していいのか確認する・・・誰に話していいのか,話してほしくないのか ○この問題に関心があることなどをふだんから発信し,「相談しやすい」先生であること ○他の子の「ホモ キモイ」等の発言に対して,明確に注意したり,子どもたちに考えさ せたりする。 ○学習として取り組む・・・小学校の内から,「カップルの形,家族の形はいろいろある」 ということにふれさせる。 ⑤ アンケートから ○ 「セクシュアル・マイノリティについて」は,知らないことが多かったので,人権 感覚を磨く上でも大事な研修でした。 ○ セクシュアル・マイノリティの講話は今回で2回目でした。1回目の時は,「そう いう人もいるんだな」と少し他人事でしたが,この前,とても親しかった友人がバイ セクシュアルだということを知りました。高校まではそうではなかったのですが,大 学になって同性の人と付き合い始めたそうです。聞いたときは驚きましたが,すんな りと受け入れられました。やはり,「人」としてその人を見て,受け入れることが大 切だと思いました。でも,これを子どもに教えるとなると難しいと感じました。 ○ LGBTの学習のように,当事者の思いを知ることから始める方が,本質的なこと が伝わる授業になるのではないかと思います。 ○ 今まで性同一性障がいと思われる子を担任したことがありますが,自分自身,保護
者,そして本人,それぞれどうしていいのかわからないことが多く,早くこの話を知 っていればと思いました。でも,これからそういう子に,どう対応していけばいいか, ヒントになったので参加してよかったです。 ○ 今,一番気になっていることだったのでお話が聞けて本当によかったです。体育の 着替えはどうしたらいいのか,悩んでいます。 ○ 勉強になりました。教材化が楽しみです。 ⑥ 参考になる書籍 ○「NHK『ハートをつなごう』LGBT BOOK」太田出版 ○「ボクの彼氏はどこにいる?」 石川 大我 講談社文庫 ○「ダプルハッピネス」 杉山 文野 講談社文庫 ○「『好き』の?(ハテナ)がわかる本」 石川 大我 太郎次郎社エディタス ○「同性愛って何?」 伊藤悟・大江千束他 緑風出版 ○「カミングアウト・レターズ」 RYOJI・砂川 秀樹 編 太郎次郎社エディタス ○「タンタンタンゴはパパふたり」(絵本) 文/ジャスティン・リチャードソン&ピーター・パーネン 絵/ヘンリー・コール 訳/尾辻かな子,前田和男
Ⅴ 研究推進委員会としての成果と課題
1 成果 ○ 「言葉の意味を」や「本当にだれにも悪くないの?」の「ガイジ」発言を扱った資料 を使い,授業を行ったことで教師の気付かなかった児童の本音を引き出す指導ができ た。 ○ 人権に関わる事象でも増加傾向にある「ガイジ」発言についての実際の指導方法の在 り方の研究を進めていった。その中で,教師は児童生徒の人権感覚を磨き,行動力を身 につけさせるための努力をしているが,教師自身の人権感覚を磨くことの大切さにも気 づくことができた。 ○ 授業中の児童の発言から,子どもたちの本音を引き出したり,教師自身の価値観を見 直したりすることが,大切であることを実感できた。 ○ セクシュアル・マイノリティについての学習会を通して,セクシュアル・マイノリテ ィの当事者や家族の方の思いやつらさ,今の社会の問題点を知ることができた。また, 教育現場でできること,そのことに教師としてどのように向き合えばよいかを考える機 会となった。 2 課題 ○ 「ガイジ」発言についての指導を行う際に,特別支援学級とそのほかの学級の交流や 連携の在り方について考えていく必要がある。 ○ 「ガイジ」発言についての指導では,結果的に禁句指導に終わっている場合がある。当事者との出会いや,その思いや心情に踏み込んだ指導が大切であることを,さらに発 信していく必要がある。 ○ 研究推進委員が,セクシュアル・マイノリティについての学習を,今後も継続してい く必要がある。