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兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造--水島工業地帯の影響圏に包摂されたある高原農村の場合---香川大学学術情報リポジトリ

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兼業農家群の間に散在する酪農業

の地域的展開と農業構造

一水島工業地帯の影響圏に包摂された ある高原農村の場合一 石 原 照 敏 Ⅰ.はしめに ⅠⅠ.地域と農業構造 ⅠⅠⅠい 酪戯の導入とその立地 ⅠⅤ.酪農経営の地域的相違 Ⅴ.酪農の立地とその条件 ⅤⅠ.酪農民経済と牛乳市場 ⅤⅠⅠ..酪農の地域的発展傾向と農業 構造 ⅤⅠⅠⅠ… むすびにかえて Ⅰ 国内の食糧に依存すれば,外国の食糧軋依存するよりも,たとえコストが高 くかかるとしても,−・国の自立と国民の食生活の恒常的な発展のためには,食 粒の自給体制を確立しなければならない。このような考え方が妥当であるとす れば,日本においても,単に米だけでなく,次第に,国民の基本食糧となりつ つある畜産物をも自給するために,既耕地の集約的利用(例えば水田裏作)や 低利用地の開発を推進せざるをえなくなる。かくして,日本に.おいても,位 置,気候,土壌,地形などの不利な条件のため,穀作にほ適さず,低利用のまま に.とどまっていた,寒冷地帯や山地地帯などは,冷涼さ,土壌の劣悪さ,地形 の傾斜性などの条件の下でも栽培しうる牧草や飼料作物に依存した牧畜,例え ば酪農に.よって高度に開発されることになるであろう。このような開発ほ− それが進展するとすれば一人口が減少し,兼業農家の多発した地域の経済生 活の向上のために.も寄与することになるはずである。 日本の低利用地のなかに∴は,北海道・東北地方などの寒冷地帯の平坦面や台 地,中部・四国・九州地方などの高位の山地や高原,つまり高冷地帯の傾斜面 などのほかに,中国・四国地方などの低位の山地や高原の傾斜面がある。中 国・四国地方の低位の山地や高原の傾斜面は,地形の傾斜性などのため,平野

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J974 香川大学経済学部 研究年報14 ・− 2 − 郎とくらべて利用度は.低かったが,古くから開発されていた。しかし,最近, 阪神や瀬戸内の工業地帯の影響などによる人口減少や兼琴農家の増加,資源 開発方法の転換などのために,低利用状態に逆行している。食粒自給体制の確 立が要請されるようになれば,このような地帯の牧畜,例え.ほ酪農による開発 がやがて日程にのばるようになるであろうが,経済地理学の分野から,こ・のよ うな開発に層与するためにほ.,経済地理学にイ可ができるかをわれわれは見極め なければならない。経済地理学が,科学としてこの立場を堅持しながら,このよ うな開発を推進するために.寄与しうる道ほ,やほり酪農の地域的展開の実態と そ・の要因を解明し,いかなる地域で酪農が発展し,いかなる地域で酪農が発展 しないかを地域類型的な傾向法則の探求を通じて明らかにすることにあるであ ろう。 かつて述べたように,酪農の地域的展開ほ.,位置的・自然的条件紅基礎づけら れた,牛乳の生産・流通過程の地域的態様によって規制されているものと考え られるり。われわれほ,牛乳の生産過程紅おける最も基本的な生産手段ともい える農地の経営規模に焦点を合わせて,それと酪農の地域的展開との照応関係 を分析した結果,日本の酪農は欧米と比較して放牧地が少なく,農地経営規模 が狭小なことに備色をもつが,それでも1970年代匹.,▲耕地経営規模の大きい道県 で発展し,逆の場合にはその発展が緩慢であった2)。これほ一L種の傾向法則とで もいうぺきものである。われわれはさらに実証的研究を墓ねて,このような傾向 法則が,地域ピと紅.,いか紅貫徹しているかについて検証しなければならない。 われわれがかつて研究した中国山地の山麓傾斜面においてほ,山麓に.造成さ れた草地と谷間に.立地した裏作可能な水田をはじめとする農地の経営規模の大 きい地域に.酪農が発展しつつあった3)。そこでは畑地が少なく,兼業農家も多 くなかった。このような研究を踏まえたうえで,われわれは,人口減少が著し いだけでなく,水島・総社などの工業地帯の影響圏に包摂されたこともあって 多数の兼業農家群が発生した,畑地の多い,吉備高原の農村(岡山県高梁市) 1)石原照敏,「1970年代における日本の酪農業の地域的展開と農薬構造」,『地理』弟16 巻第6号,1974年6月,11ぺ−ジ。 2)石原照敏,「前掲稿」,11−21ぺ一汐。 β)石原原敬,「山麓傾斜集約酪農地域における草地と酪農−ニ川ジヤ−ジ一地域の 急傾斜草均一」,『鞄理学評割算35巻館谷号,壬962年写月,Z6−44ぺ−ジ。

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兼業農家群の間に散在する酪農業の坤域的展開と農業構造 −β− を事例研究の対象としてとりあげ,実態調査に基づいて4),このような高原傾 斜地帯紅.おいては,酪農がいかなる地域で発展し,いかなる地域で発展しない かを明らかにしようとした。われわれほ.,こ・のような研究が,商工業の発展と ともに多数の兼業農家が発生した,わが国農村に.おける経済生活の向上と金程 資源の開発という国民経済的要請に応ずるために,いささかなりとも寄与する ことができればさいわいであると思う。なお,実態調査に.際しては.,岡山大学

法文学部河野通博教授のと指導をいただいた。記して謝意を表する。

ⅠⅠ 本稿でいう地域の最小単位は集落で ある。この最小単位地域は,歴史的・ 経済的・行政的な連帯性を有する旧村 という,さらに.拡大された地域に包摂 されている。こ.の旧村に」ほ低次の商業・ 行政・教育などの中心地がある。こ.の 旧村は.,行政的・経済的な連帯性を有 する市という,さらにいっそう拡大さ れた地域に包摂されている。 タンクロ−リ−が牛乳を集めるバル ク集乳所は,旧村単位に.設置されてい るし,高梁市農業協同組合には旧村別 の酪農部がある。さらに.いっそう拡大 された市域には高梁市農業協同組合が おかれているだけでなく,明治乳業の 高梁集乳工場(高梁市松山)が設置さ れている。 地域を構成する最も基礎的な要素ほ

土地である。高梁市の総面積228.9う撼

のうち,その74.1%ほ山林(面積171.02 5km +† 第1図 高梁の位置と旧町村名 4)本稿で利用した資料は,その出所を付記したもの以外は,すべて,筆者の実態調査 によるものである。

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J974 香川大学経済学部 研究年報‘14 ■− ■J − k丁度)であり,田は14.83k戒(6.48%),畑は9.08k適(3.96%),原野は6.16kd(2.69 %)を占めているにすぎない5)。山林面積のうち圧倒的紅多いのは,全山林面 積の85.93%を占める私有林(面積146.96k戒)であって,市有林ほ.,全山林面 積の6.66%(面積11.39kr貞),財産区有林ほ,全山林面積の4.03%(面積6.89k戒), 国有林ほ,全山林面積の3.38%(面積5.78k戚)を占めている軋すぎない6)。全山 林面積の41%ほ広葉樹林,38%ほ針葉樹林(松林)である。 高梁市でほ.,高梁川およびその支流に画したところ軋急傾斜地があるが,一

般的にほ,酪農に適した高原状の地形が多い。農家1戸当たり耕地面積ほ.,昭

和45年紅71ア−ル(水間ほその58.8%で,畑地が平野よりも比較的多い),農家 1戸当たり農地面積ほ約80ア−ルにすぎない7)。畑地が比較的多いこ・とが酪単 に.適しているとはいうものの,兼業農家が多発した状態の下で,経営農地を拡 大し得るか否かが酪農の地域的展開を規制する基本問題といえるのではなかろ うか。本稿では,農業構造というものを農業に.とって最も基本的な生産手段で ある農地(耕■地および採草・放牧地)の経営規模の問題として考える。 ⅠⅠI l.明治・大正期に.おける搾乳場の立地 明治29年,上房郡松山村(旧高梁町の−・部)の柳井重富と川上郡高倉村東三 省は(当時,県獣医の秋山遍三,橋本正が北海道および石川県に.出張の際,そ の斡旋に・よフて)ホルスタイン種を購入した。これが現高梁市域内での乳牛導 入の端緒である。岡山県でほすで咤明治10年代,真庭郡勝山町,邑久郡大伯村, 川上郡成羽町などに乳牛が導入されているから,高梁市ではそれよりも若干お くれて導入されているが,それでも岡山県ではかなり早く導入された方であ る。高倉村の衆三省が購入した牝牡2頭ほ.「その成結の特に記すべきもの見ざ る」の紅対して,松山村の柳井重宣の購入した1頭の牡花園号は「種牡として の成績頼著に.して」備中地方(小田,浅口)の乳牛改良に貢献し,花園号の系 統をひく雄藩とく(牛の子)の多くは,浅口,小田両郡に.おいて育成せられ, 5)山林原野ほ高梁頂産業課台帳(昭和48年10月現在),耕地は昭和45年世界農林業セン サスによる。 6)高梁市産業課台帳(昭和48年10月現在)による。 7)股界農林業センサス紅よる∩

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兼業農家群の間紅散在する酪農業の地域的展開と虚業構造 −5 一 両郡のホルスタイン種普及の源泉となった(この種牡牛ほ後紅小田郡金浦町石 井三郎の手に移った)。 大正元年には上房郡に搾乳場5戸がみられ,大正5年,搾乳場4戸,乳牛12 頑,大正10年,搾乳場1戸,乳牛8頑,大正13年に.は搾乳場1戸があり,ホル スタイン牝7頑,牡1頑を飼養していた。搾乳場ほ大正元年の5戸を最盛期とし て,その後,減少しているし,高倉村では大正期には統計上でほ乳牛はみられ なくなっている(上房郡内の乳牛ほすべて旧高梁町内のもの)。大正13年,岡山 県の搾乳営業者は136戸,乳牛1,011頭,農家の乳牛飼養老(阪神の育成牛とし て飼養)1,728戸,2,389頭であって,とくに邑久,和気,上道3郡とノJ\田,浅 口2郡に集中しているわけで,現高梁市域の乳年数は前掲のように極めて少な く,しかも,すべて搾乳業者匹.よるものであった8)。その後,松山村の乳牛がど うなったか,正確な統計は得られないが,「上房,川上地方では乳牛の発達はも ちろんその血液を混じたるものすら今日では認め難い9)」と大正14年に記され ていることからも大体の事情は推察できる10)。明治29年に乳牛を導入しつつ も,その後発達しなかった原因匿ついて,隣接した川上郡成羽町の場合,「和種 牛の産地であったためと交通運輸の便を欠くこと11)」と記されていることが高 梁の場合に.も参考になる。当時,高梁町に.は窪田牧場があっただけである12)。 2.欝2次大戦後の酪農の原料産地(高原)立地 昭和25年に・は,交通が便利で,高梁市街に近接した旧高梁町と玉川村に.乳牛 飼養農家があり,旧高梁町では,乳牛飼養戸数6,乳牛19頑(昭和24年1ケ年 の搾乳戸数1,搾乳牛12頭)。玉川では乳牛飼養農家数1,乳牛2頭(同搾乳戸 数1,搾乳牛1頑)であった。玉川の,伯備線備中広瀬駅に.近い玉では,昭和 24,25年頃,酪農を共同で行ったが,失敗した。昭和29年,高梁市の乳牛は31 頑で,昭和25年より若干増加し,立地も変化した。つまり,昭和29年匿.は,旧 高梁町では乳牛はみられず,玉川でも僅か4頑が飼養されているに.すぎない (昭和28年,旧高梁町では,和田の市乳業者,窪田寿夫によって乳牛10頭が飼 8)岡山県内務部,『岡山県の乳牛』,大正14年。 9)岡山県内務部,『前掲雷』,大正14年。 10)岡山県内務部,『前掲啓』,大正14年。 11)岡山県内務部,『前掲杏』,大正14年。 12)牛乳新聞社,「全国乳業著名簿」,『大日本牛乳史』,昭和9年,130ぺ一汐。

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J974 香川大学経済学部 研究年報14 ー 6 − 寒されていたという統計ほある)のに,高原部の旧村で乳牛飼養が芽生え,宇 治11頑(本郷,陰地),落合9頑(原乱 市場),中井7頭となっている。こうし て,現段階における酪農の原料産地(高原)立地の原型が現われている。 高原上の諸集落の中で乳牛導入の最も早い集落は宇治の本郷と陰地である。 昭和27年当時,農協組合長笹冶健夫(元市議)さんのもとで,長谷川利夫さん をはじめ先駆者的な農家(1ヘクタ」ル前後で比較的経営規模小)が会合をも ち,経営規模の零細さを酪農に.よってノ補完することを企図して−,昭和28年,南 部の総社,玉島から乳牛10頑を導入した。これについで,落合の原田でも,昭 和29年,若原さんを申JL、に乳牛が導入された。先駆者の苦労はなみ大ていのも のではなかった。乳牛を和年並の飼養技術で取扱って失敗する農家も現われた り,和牛生産地帯であるだけ紅.家畜商の勢力も根強く,家畜商の妨害を克服し なければならなかった。牛乳販売市場も開拓されていなかった。原田の若原勉 民夫人ほ搾乳開始当時ほ高原の下の旧高梁町濫近いところまで牛乳曜を背負っ て急傾斜の坂道を往復したという。本郷では最初ほ成羽町の市乳業者のところ まで牛乳催をバスに.積んで送乳したが,バスの車掌がいやがるので,搾乳開始 後2年半はどたって,高梁牛乳(窪田寿夫)に.交渉した給果,やっと高梁牛乳 が集乳車を回してくれるようになり,1升50円で年乳を販売したという。 昭和32年には備中集約酪農地域の指定とともに高梁市もその北限地帯に含ま れるに.至るわけであるが,当時の酪農の地域的展開をみよ う。第1表のよう 紅.,昭和32年には,乳牛飼養農家134戸,乳牛179頭であり,頭数でほ昭和29年 の約6倍増している。地域的紅.ほ,昭和29年の乳牛飼養の核を中心として,乳 牛飼養が地域的に凝」大しているだけでなく,新た紅,茶鼠 家地,陣山などに 乳牛飼養の核が発生し,依然として高原上の部落を中心として発展している。 陣山と茶屋紅ついて,乳牛導入のいきさつを見よう。障山ほ経営規模の比較的 大きい純畑地帯(開拓地)であるが,一・時ほ1戸当たり30ア−ル位も煙草を栽 培していたといわれているが,連作に.よる病害の発生を契機として煙草栽培を やめるものが多くなり,酪農の方へ指向するように.なった。最初は農林省の預 託年21頭を導入した。茶屋ほ.経営規模の比較的大きい田畑地帯であるが,昭和31 年頃,伊賀常雄,島田峰太郎さんなどが最初ほ岩手県から8,9頭の乳牛を導入 した。経営規模の比較的大きい農家が畑地の効果的利用を考えて酪農軋入った。

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兼業農家群の問に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −7一 策1表 乳牛頭数の推移 〔往〕昭和37年乳牛頭数の合計は995頭になるが原資料のまま993頑として掲載した。 〔資料.)昭和32年緊急畜産センサス,昭和35年世界農林業センサス,昭和37年明治乳 業調査,昭和40年農業センサス,昭和45年他界農林業センサス,昭和46,47, 48年高梁市産業課調査 昭和37年に償,欝1・2表のように,酪農家戸数381,乳牛993頑(内搾乳牛458 頑),酪農家率約10%,酪農家1戸当たり2.6頑(同搾乳牛1・2頑),牛乳販売屋

1,812トン(日晶約5万トン),牛乳販売代金5,972万円(酪農家1戸当たり年

15,7フラ円,搾乳牛1頑当たり年13万円)となった。昭和35年世界農林業センサ

スに.よると高梁市の農産物販売額ほ約3.7億円であるから,昭和36年度の牛乳 販売代金5,972万円ほその約16%にあたる。昭和36年度の農産物販売額の増加, センサスの過少評価を考慮すると,昭和36年度紅,牛乳販売額は高梁市農産物 販売額の約10%程度に.あたり,牛乳ほ米,煙草についで高梁市の商業的農業の 三本柱の一つになった。 昭和37年の旧村別牛乳生産量をみると,中井(高梁市全牛乳生産還−の19・6 %),松原(同17.7%),巨瀬(同16.9%),宇治(同15.6%),落合(同11・4%)の 5ケ旧町村で10ケ旧町村を含む高梁市牛乳販売品の81%を占めている。酪農家 率も松原16%,宇治15%,巨瀬12%,中井11%,落合10%であって,他の旧町 村は10%に.達しない。従って,高梁川の西側の高原部,松原,宇治,落合の群

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ヱ974 香川大学経済学部 研究年報14 第2表 乳牛に関する諸統封 ・− ∂ − 〔注〕昭和37年は明治乳業調査(昭和37年3月31日現在)による(ただし出荷乳愚は 昭和36年度中のもの)。 昭和48年は高梁市産業課調査による(ただし搾乳牛頭数は昭和47年のもの,酪 農家率は昭和48年の酪農家数を昭和45年の農家数で除したもの)。 と,中井,巨瀬の群と紅酪農の比較的発展した地帯がある。これほ和牛飼養密 度の比較的高かった地帯とはぼ山・致しているように・みえるが,和牛飼養密度の

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兼業農家群の間紅散在する酪農業の地域的展開と農業構造 − 9・− 比較的高かった高倉,川面ほ.酪農の比較的発展した地域から脱落しているし, さら紅詳細に集落別紅みると乳牛飼養密度の高い集落と和牛飼養密度の高い集 落とほ異なっており,高原部の集落で地域的分化傾向が認められる。すなわ ち,昭和35年,仝農家1戸当たり乳牛1頭以上を占める集落は,障山,山際, 同じく0.7−1頑の集落は本郷,同じく0,5−0.7頭の集落ほ原田,陰地,茶屋, 中細であるが,同年,和牛の飼養密度の高い集落とほあまり一・致していない。 乳牛飼養密度の高い集落でほこれまで飼養していた和牛を自動耕転機の導入と とも紅放逐しつつ乳牛を増加したわけである。昭和35年,山際,障山では和牛 より乳牛の数がはるかに多いし,本郷,中絶,茶屋では乳牛の数ほ和牛の数に 匹敵するまでにたち奉っている。 ⅠV l.多角経営から複合経営へ 昭和35年,酪農の比較的発展している前述の7集落に仝農家1戸■当たり乳牛 0.3−0.5頑を飼養する集落,巨瀬の友末,落合の川乱,川面の家地,津川の花 田,高梁の小高下を加えた12集落(以上12集落で高梁市全乳牛の52%を占め る)における農産物の解合わせ状況をみると,第3表のよう紅.,叫・般に.主穀1 第3表 農産物販売牒卜位 〔資料〕昭和32年緊箸畜産センサス

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J974 ーー jり − 香川大学経済学部 研究年報14 位の集落が圧倒的に多く(8集落),2位の農産物では工業作物(煙草)4集落, 雑穀2集落などとなっており,酪農ほ12集落のうち6集落でようやく2,3位 に現われている紅.すぎない。このように酪農は主穀,雑穀,煙草などとの経営 的,地域的紅多様な組合わせの中の一部門として行われているのである。もち ろん,乳牛飼養二′まはとんど牛乳生産を目的としており,乳牛の生産育成を目的 とした経営は巨瀬に.1戸しかない。 高梁市の酪農が西日本の水田地帯で−・般に認められる米と酪虚の比較的単純 な組合わせでほないということは,高梁市が田畑地帯(1戸当たり71アールの 耕他の内,田58.8%,畑41.2%)であって,岡山県でも零細な農業経営構造に おいて,水田=米だけでなく,畑=煙草,麦,雑穀,飼料作物という複雑な離 合わせにおける経営の−・部門として酪農が行われているこ.とを示している。し かし,酪農の発展しつつある集落では,このように複雑な構造は変化しつつあ るし,既に先進的な経営でほ.,米と酪農という比較的単純な経営が行われてい る。酪農の進展とともに,飼料作物と土地利用面で競合し,乳牛飼養と労力面 で競合する煙草作を排除する傾向が次第に強まっている(例えば, 茶屋の12酪農家の中で煙草を栽培している農家ほ.僅か2戸紅すぎなくなった)。 また,酪農は.伝統的な和牛を駆逐しつつある(例えば,昭和37年,本郷の8酪 農家の中で和牛飼養農家は僅か1戸に.すぎない。高架橋の農家を経営規模別に みて.も1ヘクタ−ル以上では乳牛だけ飼養している農家が牛飼養農家の10%を 占めている)。こうして,高原の田畑地帯の経営合理化は,酪農の発展しつつあ る集落では次第に米と酷遇(集落の前斜面の畑地飼料作酪農と樹枝状の高原内 低地の米作)という方向に複合化への道を歩みつつある。これほ松原の神原な どに‥おける米と果樹作への方向と同様の傾向である。一斉では,松原の陣山の 田畑地帯における酪農専業経営の発展も注目すべき傾向である。こうして,立 地条件紅応じて,次第に.,農業地域分化が進展しつつある。 2.酪農の階層性における地域的相違 まず,成乳牛(2才以上)の頭数別乳牛飼養戸数をみると,第4表のよう に・,昭和35年,高梁市では1−2頑飼養層が圧倒的に多いが,宇拾では3−4 頑飼養層5戸が現われ,松原の3−4頭飼養層3戸がこれについでいた。宇治 では多頭飼養化傾向がかなり現われ,3頭飼養廟4戸,4頭飼養層1戸となっ て,3頑以上飼養層は経営数でほ全乳牛飼養農家の11%にすぎないが,全乳牛

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兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と虚業構造 一二」リー 第4表 乳牛飼養頭数別農家数 〔資料〕昭和32年緊急畜産センサス,昭和35年他界農林業センサス 昭和40年農業センサス,昭和45年世界農林業センサス の2割を占めて1、る。中井では3−4頑飼養屑2戸,落合でほ同1戸が現われ ている。これらの4ケ旧町村以外では3−4頑以上飼養層は現われていない。 高梁市では,昭和35年に朋,1−2頑飼養が圧倒的で,依然として乳牛飼養の 零細性を示している。しかし,昭和40年から伺45年にかけて,5頑以上飼養周 が次第に増加し,遂に昭和49年には4頑以上飼養層よりも5頑以上飼養屑の方 が多くなり,4頑以下飼養層32戸,5頭以上飼養屑94戸(5−9頭飼養層45戸, 10−14頭飼養層18戸,15−19頭飼養層16戸,20−加頑飼養層10戸,30−49頭飼 養層4戸,50−99頭飼養層1戸つとなって,多頭飼養化傾向が現われてきた13)。 次把,昭和32年の耕地規模別の乳牛飼養農家数をみると,高究市全体では1 へクタ−ル前後の耕地規模層が乳牛飼養農家の85%(乳牛飼養農家のうち,0.5− 1へ・クタ」−ル層で48%,1−1.5ヘクタ・−ル層で37%),1.5へクタ−ル以上層で 6%を占めている。しかし,旧村別に.みると,宇治と松原でほ.昭和32年に・も1 へクタ−ル以上層乳牛飼養農家の割合が高い。宇治では1へ・クタ−ル以上乳牛 13)両党市産業碍調蛮による9

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−J2− 香川大学経済学部 研究年報14 Jタ7蜜 飼養農家が乳牛飼養農家の74%,松原では同83%である。昭和35年にも地域的 にほ.昭和32年の傾向と類似している。すなわち,乳牛飼養農家のうち,1へ・ク タ−ル以上層の割合が松原(67%),宇治(50%)では比較的高く,とくに松原 でほ乳牛飼養農家のうち,1.5ヘクタール以上層の割合が20%を占めている。 昭和35年,宇治でほ成乳牛3頭以上層5戸のうち,4戸が1へ・クタール以上 層,松原でほ成乳牛3頭以上層はすべて1.5ヘクタール以上層である。もちろ ん,当時,高梁では成乳牛2頭以下飼養で,1ヘクタ−ル前後を経営する農家 が圧倒的に多い。昭和45年にほ.,宇治よりも松原と巨瀬で,多頭飼養層と排他 経営規模とのむすびつきが強くあらわれてきたことほ注目される14)。 V

l.飼料基地一畑・水田・草地一

前述したような農業構造を有する酪農ほ,いかなる地域に,いかなる立地条 件の下で存立しているのであろうか。前述した原田のある農家の牛乳生産費禍 査によると,第5表のよう紅,昭和36年,成乳牛2頑,育成牛1頑の経営で飼 料費15.2万円であるが,そのうち自 給飼料費ほ3.3万円で,仝飼料費の 22%紅すぎない。しかし,養分換算 に.よって−自給飼料率をみるとTDN (全可消化養分)で59.3%,DCP (可消化粕たん自貿)で43%となっ 策5表 牛乳生産費内訳(昭和36年) 乳牛償却費 建物 〝 大農具〝 償 却 費 計 】 32,150! 2叫 ふすま)である15)。この農家の飼料

その他雑費159,902卜

5451作付面積ほ延1・17へクタ・−ル(畑71 ¶「■;表靂 ア ̄ル,水田表作32ア ̄ル,牧草地 合 計 弓 244,391 7ア−ル,畦畔7アール)となって 〔資料〕高梁市酪農経営改善計画審 14)世界農林業センサスによる。 15)高梁市酪農経営改醤計画書によるp

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兼業農家群の問に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −J3− いる。これは一つの事例にすぎないので,集落別の乳牛飼料自給度をみると, 乳牛飼養がなされており,月つ調査された55集落の中で,粗飼料でほ46集落が 「はとんど自給」となっており,濃厚飼料でほ32集落が「5割以上自給」であ って,「はとんど自給」ほ13集落にすぎず,「2割未満自給」さえ8集落となって いる。この調査でほ濃厚飼料でも「5割以上自給」が最も多く,かなり自給さ れているようであるが,現段階でほこ.の程度の自給率があるとはみられない岬。 飼養規模の拡大とともに,濃厚飼料の購入が増加し,濃厚飼料の大部分は購入 されているとみて間違いない。しかし,高梁市でほ,飼料の大部分を購入濃厚 飼料にト依存する都市近郊の酪農とは異なって,雅飼料は不十分でほあるがはと んど自給されているとみられる。 昭和35年,高梁市酪農家の飼料(主に.粗飼料)基地の地目別内訳ほ,畑地飼 料作物155ヘクタ−ル(酪農家1戸当たり49ア−ル),水田裏作飼料作物61ヘク タール(同18ア→ル),牧草地35.7へクタ−ル(同1.1ア−・ル),牧野公4ア」− ル,畦畔8へクタ−ルである17)。このように粗.飼料基地面積のうち,約62%が 畑地,24%が水田で,牧草地は14%紅すぎない(牧野面積は広いが,はとんど 利用されていないので計算から除いた)。これらの飼料基地への依存度は地域 的紅ほ若干の相違がある。どの集落でも,隠地飼料作物軋対する依存度が最も 高いが,松原の陣山(開拓地)と中井の山際では畑作地帯であることから,飼 料ははとんど畑地に依存している。陣山でほ牧草(昭和37年,ラジノクロ−バ ー,レッドクロ−バーなど,昭和49年に腰主として,イタリアンとソルゴー),山 際でほ,昭和35年,胃刈とうもろこ.し,巨瀬,宇治,中井でほ水田裏作の飼料 作物(レ∵/ゲ,イタリアンライグラス)紅依存する度合が他の旧村よりは目立 っている。昭和35年,宇治の水田裏作面積11.4へ・クタ−ル(水田の8%),巨瀬 12.7ヘクタール(同6%),中井16.7へクタ−ル(同13%)となって−いる。昭 和45年紅ほ,欝6表のように.,宇治の58へクタ−ル(大地山),中井の17.5ヘ クタール,松原の16.2ヘクタールを峰じめとして改良された草地面積が増加し ているのが特徴的で,高梁市の酪農ほ.牧草畑,裏作飼料作物のはかに.,改良さ れた草地に.依存する度合が昭和35年当時よりもほるかに.高くなっている。しか 16)昭和32年緊急畜産センサス紅よるq ま7)帝究市塵業琴調査匿よる。

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香川大学経済学部 研究年報14 第6表 等 地 面 積 叫ノ才 一− J947 〔資料一〕岡山県高架橋産業課調査 し,改良された草地ほ子牛の育成場などに使用されている場合が多い。 このように酪農の飼料基地を評価すると,高梁市の酪農がまず何よりも飼料 を主として依存している畑地の多い地域に配置していることほ容易に理解され る。事実,1戸当たり畑地面積の多い高原部の集落紅,乳牛飼養頭数の多い集 落があるわけである。その典型は前述したように陣山と山際である。しかしな がら,1戸当たり畑地面積の多い集落が必ずしも乳牛飼養密度の高い集落では ないという事実ほ,多額の資力を要する酪農経営では資力とその基礎である耕 地規模に規制されることを示し,乳牛飼養農家の大部分は.耕地70アL−ル以上層 であるから,・一応の指標として1戸当たり耕地面積70ア−ル以上を有する集落 の分布図を参照すると乳牛飼養密度の高い集落ほ1戸当たり70ア−ル以上の集 落に▲含まれることになっている。しかし,1戸当たり耕地70ア−ル以上を有す る集落がすべて必ずしも乳牛飼養密度の高い集落ではない。これほいうまでも なく畑地にせよ,耕地規模にせよ,高梁市の自然的・経営的・市場的条件の下 でほ,酪農しか発達させえないというものではないという条件の下で,商業的 農業のいずれに・重点をおくかは農家の主体的条件に.依存する度合がかなり高い ことによる○とりわけ,高梁市の酪農ほ未だ初期段階に位置しているし,高梁

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兼業農家群の問に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −∫∂一 滴では酪農にとって決定的な意味をもつ立地条件が未だ存在していないだけ に.,この点ほ強調されねばならない。事実,本郷にせよ,原田にせよ,茶屋に せよ,すでに述べたように,酪農の先覚者がおり,その指導と影響によって酪 農は発展してきたのである。 2.酪農発展の制約要因としての原料資源(飼料)の問題 高梁市酪農における原料資源としての飼料の問題ほ,まず第1に乳量の季節 的変動紅盾按関連がある。昭和48年に生産された乳鼠の月別変動をみると,牛

乳生産塁は3,4,5月に多く,9,10,11,12月に少なくなっている。これ

は.春はイタリアンライグラス,夏ほソルゴーなど比較的飼料に恵まれてし、るの 紅・,ソルゴーの収穫の終わった秋からイタリアンライグラスがまだあまり生長 していない冬にかけて飼料が枯渇することと関連がある。冬の飼料不足ほ東 北,北海道など,寒地酪農に比較するとあまり目立たないが,秋の飼料不足が とくに目立つようである。西南暖地でほ.,夏は耕地の大部分紅飼料ではなく, 水稲を栽培するこ.とも加わって,夏から秋にかけての飼料不足が共通の問題と なるが,とくに高梁市は瀬戸内海寡雨地帯であるうえに,高原上の畑地の水利 条件の劣悪さも加わって,昭和30年代においてほ,夏の飼料が十分に生育しな いととが問題であった。酪農の比較的発展した集落は高原上の斜面に億置する が,援傾斜面に位置する山際,障山,茶屋,家地,花田の諸集落にせよ,かな りの急傾斜面に位置する原田,川乱,陰地,本郷,中組に.せよ(山際,陣山は 畑作地帯,その他の諸集落は田畑地帯),高梁川,有漢川筋よりもー・段と高い吉 備高原上に位置するだけでなく,高原内の小河川からさえも離れて,若干高 い傾斜面上にあり,主要な飼料基地である畑地は.集落の周辺斜面紅,牧草地 は集落から若干離れた山頂平坦面にそれぞれ立地するために.,水利の便に恵 まれていない。事実,畑地は.はとんど潅漑されていない。畑地港漑が行われて いる面積ほ第7表のよう紅高梁市の畑地の僅か15%にすぎず,酪農の比較的発 展した旧町村でも極めて−少ない。従って,昭和37年,畑地に.は夏ほ主紅耐乾性 作物である青刈とうもろこ.しが栽培されていたが,それすら十分に生育してい ない状態が各地で認められた。しかし,その後,耐乾性作物(例えばソルゴーー) が導入され,夏の飼料不足問題はある程度緩和され,昭和48年には.,夏の飼料 作物である青刈とうもろこしやソルゴ−が収穫されてから,イタリアンライグ

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琴川大学経済学部 研究年報14 ヱ974 ・lJ6−− 第7表 畑地藤池を行っている農家 のある集落について ラスが生長するまでの端境期の飼料不 足が問題になっている。 山頂平坦面に立地している牧草地で は問題ほさらに深刻に.なる。高梁市最 大の牧草地である大池山草他について これを養よう。大池山草地ほ宇治の遠 原の北西,直線距離1.5−2鹿部,同集落 からオート三輪で約15分の位置紅あ り,高梁市で高度は最高の海抜664m の大池山上にある。かなりの傾斜のあ る屈曲した牧道を登ると山頂紅綬斜面 があり,ここに牧草地が造成されてい る。かつて,大地山は和牛の放牧地と して利用されていたといわれているが,〔’資料〕昭和40年農業センサス 牧草地が造成されるまで高梁市有地として荒蕪地紅近い状態のままで放棄され ていた。昭和35年,牧草地としての可能地30−・40へクタ−・ルのうち,約10へ・ク タールが120万円の経費(国3,県3,地元4の割合)を投じてプルトーザ−で開 拓され,ラジノクローーバ−−,オ−チヤ−ドグラス,ぺレニエル,レッドクロ− バ−,イタリアンライグラスなどの牧草が混播された。大池山は市有地である ため,市から借用(3ケ年無償,4ケ年目から10ア−ル当たり100円払)され ており,事業主体ほ農場で,受益者ほ.現在遠原の酪農家4戸である。経営規模 1ヘクタ−ル前後の酪農家に対する飼料基地確保を企図して改革地化されたわ けであるが,昭和37年に,筆者が見学した時にほ播種された牧草もところどこ ろしか生育していなかったし,生育した牧草も枯れかけているものが多かっ た。今後は頂上に.畜舎をつくり尿を分散する封画もたてられており,やがて堆 厩肥も多患紅施肥されれば,牧草の夏枯れが現在よりも防がれるであろうが, やほり耐乾性の牧草(例えばス−タングラス)を播種するとか,より根本的に ほ濯水施設の整備が要請されるように思われる。この大池山草地はその後荒廃 した。これほそこまで牧草を刈りに.のぼっていた遠原の酪農家がやや老令化 (50−60才)したことにもよるが,他に現金収入を求める必夢性から草刈労働

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兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 …J7− をやめたからである。しかし,その後,昭和39年からの草■地造成事業(約4,000万 円,国庫補助7割5分,残りは市が負担)によって,この荒廃した草地(いま は哺育場となっている)の近く紅,55九αの牧草地が昭和44年に完成され,カ− チャード,イタリアンライグラス,ぺレニエル,ケンタッキ」−・などの牧草が播 種されている。これは公社(農協,市,酪農家)によって,子牛放牧場として 経営されていて,昭和50年の初めに,高梁市全域の子牛約100頑が放牧されて おり,その際,預り賃ほ1日1頑420円である。この牧草地は市有地(宇治の 財産区)であり,10年契約で公社との間に負貸借契約が結ばれてヽ、て,1年に

10万円が賃借料として公社から宇治の財産区に支払われている。牧草地は9ブ

ロックに分けられて,子牛はそこに.1年中放牧されている。こ.の牧草地は高原 の頂上部にあるが,近くの谷には水槽がつくられており,水がポンプアップさ れているので,濯水施設は・一応整備されたといえるが,1年中放牧されて1、る ため,牧草地が雪に覆われた時など,子牛は十分に飼料を摂取するこ.とができ ているかどうかなどの問題は残されている。しかし,牧草地について,最も問 題になるのは,折角,造成された牧草地も他の目的に転用されたり,荒蕪地化 しているという事実である。第8表に.掲載された牧草地の造成計画地ほ一一応は 開拓されて牧草地となったが,昭和49年現在,宇治の遠原の牧草地が哺育地と して,松原の障山の牧草地が牧草畑として残って−いるほかは転用されて煙草栽 培地となったり,宇治の本郷,広岩の奥地にある山頂平坦面に造成された高畝 牧草地(5ヘクタ−ル,本郷・広岩の酪農家が利用していた)のよう紅荒蕪地 化したものが多い。 第2に飼料の絶対的不足の問題がある。筆者が調査した高梁市酪農家10戸に ついてみることにしよう(第9表)。この10戸のうち,4,5頭飼養の酪農家6戸 ほ.第10表のように,1戸当たり飼料作付地田畑80ア−ル前後に達している。そ して,第11表のように.10戸のうち,7戸が畑地のはとんど全部を飼料畑化して おり,畑地においてほもはや飼料畑の拡大の余地がはとんどない。もちろん, これらの10戸ほ飼養規模の比較的大きい先覚者的な酪農家でもあるし,少数事 例でもあるので早急に一一般化することは危険である。事実,高梁市全体の飼料 作面積は僅かであることは前述した。未だ畑地面積の限界まで飼料作を拡大し ていない帝展家が多いのである9 しかし,4,5頭程度の多頭飼萄化段階です

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香川大学経済学部 研究年報14

第8表 草地造成地,計画地(昭和36年現在)

ヱ974

−Jβ −

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兼業農家群の間に散在する酪農柴の地域的展開と農業構造 ーJ9 ︵容監窓富︶糎 腺 嘩 鯉 哨の堆 琴佐屋紙︵の 栗城監︵N 将刃裏側照糎鮒 ︹亥糾︺ ︵−︹廼︺

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ヱ974 香川大学経済学部 研究年報14 第10表 飼養頭数別飼料掛面積(除苛地) − 20 一触 〔注〕1)作付延面積ではない 〔ニ資料〕第9表より作成 算11表 畑面積のうち飼料畑の割合 〔資料〕第9表より作成 でに零細な畑地面積では飼料栽培地の増加も限界に達していると判断して間違 いない。もっとも畑地の飼料輪作体系は例えば第9表のようになされでおり, 10アール当たりの収最もあまり高くないのでよりいっそうの集約化の余地も残 されている。けれども,そこ.にも限界があるであろうし,やほ.り,飼料栽培規 模の拡大が要請されざるをえない。第12表のように,水田における飼料栽培をみ ると10戸のうち7戸の農家では,経営する水田面積の2割前後(1戸当たり20 ア−ル程度)が裏作飼料畑化されているにすぎない。従って,今後,水田裏作 飼料畑の拡大の余地があるよう紅みえるが,水利条件紅由来する二毛作化の困

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兼業農家群の間に.散在する酪農業の地域的展開と農業構造 一之トー 第12表 水田面積の内裏作飼料作付地割合 〔資料〕第9表より作成 難性によって,こ.こにも障害 がある。高梁市の水田は一・毛 作田が多く,欝13表のように, 昭和35年,高梁市仝水田の77 %,昭和45年同89%であり, 酪農が比較的発展しつつある 松原・宇治・中井・巨瀬。落 合などの高原上の村では落合 を除くと−・毛作田の割合が平 均水準より高いのである(も ちろん,落合でも酪農が発展 しつつある高原上の集落では −・毛作田が多い)。これほもち ろん北陸などのように積雪の 第13表 1 毛 作 田 1毛作軋/一ノ/ /′一/水田面積 面 積 il15 1」コ 昭 351昭 45 1 高梁市 旧高梁町 旧津川村 旧川面村 旧巨瀬村 旧玉川村 旧落合町 旧中井村 旧字漁村 旧高倉村 旧松原村 〔資料〕昭和35年,45年世界農林業センサス 影響ではなく,高原上の谷間 水田も水利の便紅恵まれていないことに.よるのである。高原内の小河川も谷が 浅くて,水源が不足するに.もかかわらず,溜池が少ないという点と関係があ る。地図上に目立つほどの溜池といえば,落合の新城池とか巨瀬の秋葉山麓の 溜池位降すぎないのである。これは.隣接の賀陽町では,高梁市と類似した吉備 高原上に立地するにもかかわらず,水田地帯が広いためか,溜池が極めて多い

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香川大学経済学部 研究年報14 ∫夕74 ー 22 − 事情とは著しい対照をなしている。このような事情のために,宇治の鴫木川・ 河戸川流域(第2次大戦中,暗渠排水も行われた)とか,巨瀬の有漢川支流の 宮瀬・友末・尾原の三つの谷などを除くと,濯排水施設は完備していないわけ である。第14表のように,暗渠排水を行った田の面積をみても,高梁市水田の 僅か13%,(宇治24%,巨瀬15%)程度に.すぎない。従って水田を乾田化し得ない のである。高梁苗の水田ほ−・般に重粘土質性で, 第14表 暗渠排水を行った田について 水もちほよいので,冬の間は 完全湿田というよりも半湿田 のままで放置されている水田 が多いのであるが,それでも 耐湿性の強いれんげさえも容 易に・栽培しえないのである。 こ.のように,飼料作拡大に対 する制約条件が多い状態のな かで,どのようにして活路が 見出されつつあるのであろう か。昭和37年,本郷のある農 家は40−50ア−ルの経営水田 のうち嶋木川流域の裏作可能 な25ア−ルの水田紅イタリア ンライグラスを栽培し,米と 〔−資料〕昭和40年農業センサス の輪作を確立しているが,この農家の残余の水田ほ.,液排水施設の整備されて いない山よりの地点にあるので裏作として飼料栽培がなされ得ない。そこで飼 料の不足を補うために,兼業農家の水稲収穫後の水田を20ア−ル借地してえ.ん 麦を栽培していた18)(このえん麦ほ乾草機にかけられて越冬飼料にされる)。 このような,水田を借地した飼料栽培ほ昭和37年,本郷を中心として遠原にも あり,宇治で20戸の農家が2ヘクタ−ル程度の水田を借地していた。しかし, その後,田植機が導入され,早植になったこともあって,袋作のイタリアンラ イグラスが1匝lはどしか刈取れなくなったため,袈作のための水田の借地ほむ 18)この借地の代償として,借地した水田を耕起したうえ把,10ア−ル当たり750円程 度を返礼としている。

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兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造:+−「2β− しろ減少している。そ・の代りに,昭和49年現在,畑地の借地が増加している。 例えば,昭和49年,宇治のH氏が自己所有地1.2ヘクタール、のはかに,出稼老 の畑1.3へクタ、−ルを借地して,イタリアンライグラスやソルゴーを栽培して いるのがそれである。その際,契約ほ渾なる口約束で,借地料は10ア−ル約1 万円である。昭和49年,酪農家16戸の約1割が2−3ヘクタールの畑を借地し て牧草や飼料を栽培している。こ.れに類似したものとして,松原の割出(ワルデ) の酪農協同経営が,陣山の離農者の耕地2ヘクタ−ルの牧草を購入してい為も のとか,あるいは同経営が,近隣の−・般農家から乾草1キロを20円,生草3・75キ ロを7円で購入しているというのがある。しかし,昭和44,5年頃,経営者が出稼 に行くよう紅なって脱農化したので飼料の購入もなされなくなった。昭和49年 現在,宇治では1.5−2へ・クタ−ル程度の飼料煩から,立ち売りで飼料を1キ ロ4−5円で購入しており,飼料購入ほなお続けられている。また,巨瀬の塩 坪に住んでいるHさんの場合,昭和37年当時,自家の近くの水利の使が悪い水 田を飼料専用岡としているというのがある。この農家では経営の零細さ(耕地 73ア−ル,田63ア−ル,畑10ア−ル)を克服するために,積極的に・酪農を主体 とした田畑輪環の方向に進みつつある。この農家ほ搾乳牛2頭を飼養し,飼料 畑10ア−ル,水田飼料専用間7ア−ル,水田裏作飼料閻30ア−ルを経営してい る。今後,搾乳牛を4頑,水田飼料専用圃を30アールに増やす封画をたててい る。水稲作30ア−ルで約8,9万円の粗収入よりも,搾乳牛2頭,水田飼料専 用閻30ア−・ルの粗収入約25万円の粗収入の方が有利だとの計算をたでて−いる。 酪農経営ほ赤字だといっても労賃収入を所得とみる家族労作経営ではそういう 可能性もあり得る。もちろん,こ.の農家の場合は水利の便の悪い棚田を田畑輪 環闘に.かえても,他の農家の水稲栽培に支障をきたさないという好条件があ る。一・方では山林原野での牧草地造成という方向に活路が見出されつつある。 造成された牧草地は,主として,山頂平坦面に分布し,散在的では.あるが,飼 料補充の役割を果たしつつある。牧草地には公・共・私有の相違があり,公有 ほ大池山の場合で述べたように借地契約,共私有は委託契約によって酪農家が 利用している。第8表のように,昭和36年までの既造成地39へ・クタ−ルのう ち,公有ほ15.4へククーールで,遠原の大池山10.4ヘクタ・−ル,楢井の5へクタ ールがそれであり,私有ほ12.7へクタ」−ルで,巨瀬の塩坪,宮瀬,茶屋各1へ

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J974 香川大学経済学部 研究年報14 −− ヱ一一 クタ・−ル,中井の嘩々2.7ヘクタ−ル,花木1ヘクタール,宇治の穴田4ヘク ター・ル,松原の大津番,後春木各1ヘクタ−ルがそ杵であり,共有は中井の津 々6へクタール,松原の陣山5へクタ−ルがそれである。牧草地でほ土地生産 力が低いので,1戸当たり20ア−ル程度の牧草地を経営しているにすぎないの で,牧草地の役割はそれはど大きくほないし,山頂平坦面立地は労働生産性向 上にとって好条件でほない。造成された牧草地での飼料栽培の例をあげると, 茶屋のある農家でほ,昭和35年秋,造成された20アールの牧草地にクローバ− とオー・チヤ−ドグラスを播種したが,あまりよく生育しなかったので,昭和36 年秋,再排転して,イタリアンライグラスを播き,12月まで1匝l刈り取り,翌 年3−6月まで3回刈取った。 以上のように,零細耕地規模に加.えて,水田裏作さえも現状のままでは不可 能な半湿田の多い土地条件の下で,飼料の不足を借地飼料栽培,近隣農家から の購入(飼料作と乳牛飼養の分業),田畑輪環,牧草地造成によって−充足しょ うとしているが,それぞれ,それなりの可能性を秘めつつも上述したようない くつかの陸路が横たわっていることほ無視できない。 3.牧草地造成と山林原野の所有,配置 上述した陸路の中で最も基礎的なものが排他経営規模の零細性であるとすれ ば,その陸路を打開するため紅牧草地の造成が必要濫なるのは当然である。高 梁市では一・般に集落から牧草地までそれほど遠いわけではない。しかし,集落 と山頂平坦面に立地した牧草地との間にほ傾斜地があり,牧草の維持,管理, 刈取,運搬等のため紅ほ,この傾斜面を通過しなければならないため匿,この ような牧草地立地の状態ほ労働生産性向上の障害となるだけでなく,維持,管 理(例えば堆厩肥の施肥)を十分なし得なくする。第6表のように造成されて いる157.5ヘクタールの牧草地も類似した条件のところに立地している。傾斜 面がゆるやかな巨瀬,松原付近の牧草地は,立地条件からみでそれ程の障害は なさそうである。しかし,それにしても牧草地造成にとって,もう少し立地条 件に恵まれた地域はないのかという点が問題である。たしかに・,高梁市の場合 は,巨瀬と中井にまたがる秋葉山・祇園山,巨瀬と賀陽町との境把.ある山頂平 坦面は集落からかなり距離があるので,第2図のように市有地が多いとはい え,立地条件からみて,牧草地形成の適地とはいえない。しかし,遠原付近の

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兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −25− 水田に隣接した山麓傾斜面とか祇園 山・秋葉山山麓綬傾斜面の集落近接 点,松原西部の松岡付近の平埋面な どほ立地条件からみで比較的恵まれ た草地形成可能地であろう。とはい え,このように比較的恵まれた地点 紅ほ㌧第2図のように,共,私有地が 多いので,所有関係に.よって制約さ れる点が少なくない。酪農の比較的 発展した5ケ旧町村の山林所有関係 は第15表のように乳牛飼養農家の多 くが含まれている耕地70アール以上 層でほ山林1−3へクタ・−ル層とい うのが最も・−・般的な形態である。山 林5ヘクタール以上所有者は−・般に 極めて少ないが,酪農の比較的発展 した5ケ旧町村のうち,宇治(5ヘ クタール以上所有者が山林所有者の 18%)と中井(同20%)ではかなり 第2図 林野所有区分 ある。しかも,宇治と中井でほかな り大きな山林所有者がいる。宇治では山林50ヘクタ−ル以上所有者と30−50へ クタ−・ル所有者ほ耕地30−50アール所有にすぎず,農家というよりも山林所有 者である。 第16表のように,昭和35年現在で過去5年間の林産物販売額別林家数で100 万円以上の収入がある戸数が宇治と中井では若干でほあるが存在しており,こ こに山林の林業経営的利用と酪農的利用との対立の基礎がある。遠原に近接し た山麓傾斜面の草地適地も非農業的山林所有者に所有されている面積が広く て,草地化がなされ得ず,逆に立地条件からほ草地にあまり適さない山頂平坦 面(例えば大池山)が草地として開発されざるをえないという矛盾が生じてい るのである。巨瀬・松原・落合では山林は農家が1−3へ・クタ・−ル程度を所有

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香川大学経済学部 研究年報14 第15表(A)山林所有者,所有面積別戸数 J974 − 26−】 〔’資料〕昭和35年世界農林業センサス 第15表(B)経営耕地面積別・山林所有規模別戸数(宇治) 〔資料.〕昭和35年世界農林業センサス している場合が多いわけで,酪農家紅とっては自己所有の草地適地が集落近接 点に存在していなくて−,非酪農家所有の草地適地が集落付近にあるという山林 所有の自然発生的,分散的,非合理的配置が,牧草地利用との間に矛盾を生じ ている点がみられるわけである。例えば,巨瀬の宮瀬から仲畝,鴨木にかけて 10ヘクタ−ル程度の草地適地(綬傾斜,集落に近接)があるが,私有林であっ て,酪農家の所有になっていない場合とか,茶屋にもト2へ・ククーール程度の適

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兼業農家群の閲に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −27一 発16表 過去5年間の林産物販売金額別林家数 〔資料.〕昭和35年世界農林業センサス 地があるが,六名部落の公有林であるといった場合である。松岡兎のある酪農 家の家の裏側に草地に適する林地があるが,これほ非酪農家の所有地なのであ る。昭和37年当時,立木を50年育成して,1ヘクタール600石で120フラ円(石

2,000円),1年当たり2.4万円という数字と牧草地50ア−ルで乳牛1頭,年13万

円という収入は,労農部分を収入とみる農民的採算では牧草地の方が有利だと 考えられるのだが。 ⅤI l.酪農経済の基礎楓造 高原上の集落では棚田が極めて多く,耕地の集団イL 水田の区画,農道など 極めて不十分な状態であり,これは労働生産性向上の大きな障害となるもので ある。用排水路,農道の整備などを縫伴して区画整理を行った面積は第17表の ように高梁市の水田の僅か7%にすぎないし,昭和35年2月までの5年間に耕 地の集団化を目的として交換分合を行った農家数は高梁市全体で僅か53戸,し かも巨瀬46戸,宇治7戸にすぎないのである。こ.ういう状態に加えて高梁市酪農 の技術水準も低い。昭和36年,ミ.ルカ−は僅か13台で,酪農家の僅か4%が所 有しているにすぎない。昭和45年に・おいても,帝梁市で蛛ミ.ルか−91台(2才

(28)

− ヱβ −− 香川大学経済学部 研究年報14 J974 第17表 区 画 整 理 以上の乳牛を飼養する農家 212戸)を所有しているにす ぎない。しかし,昭和49年 現在,松原の酪農家2声に パイプラインが導入されて いるのは注目すべきであ る。昭和36年,高梁市全体 でサイロは223基で,酪農家 だけが所有しているとして も,1戸当たり1基になら ないのである。巨瀬・宇治 でほ1戸当たり1基をやや 越えているだけである。昭 和49年現在では,気密サイ ロという新型サイロが普及 し,技術はかなり改善され てきた。昭和49年現在,酪 農家は自動耕転機を所有し ているし,昭和37,8年頃 〔注〕1)用排水路,県道の整備などを随伴して行 ったもののみ 2)耕地の集団化を目的として行ったものを 計上し,区画整理に.伴うものを除いてある。 〔資料〕昭和40年農業センサス から農用トラクターを導入し,1,261の酪農家が15−16台の農用トラクタ−を導 入している。こうして,技術水準はかなり向上してきたが,耕地基盤がそれに ともなって整備されておらず,これが労働生産性向上の障害となっており,ひ いてほ酪農経営の収益性を低める重要な条件となっている。 酪農経営はこのような条件の下で,果たして収益をあげ得ているであろう か。高梁市で調査した牛乳生産費調査紅よると欝18表のように生乳100極当た り第1次生産費ほ1,958円,100極当たりの生乳販売価格は2,667円であるので, かなり黒字になっているようにみえる。しかし,この牛乳生産費調査を検討す ると,昭和34年,農林省の牛乳生産費調査で100毎当たり566円に見積もられて いる飼育労働費がこの生産費調査でほ全々計上されていないし,自給飼料費が 極めて安いのも日給飼料生産の労働費を計上レていないためのようである9従

(29)

兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −29 ̄

って,家族労働費を生産費に・計

上すると酪農経営の採算は赤字

となり,当然,利潤部分は発生し

得ないことになる。しかし,労

賃を所得とみる小農的採算の下 でほ第18表のように・2頭搾乳の

酪農経営で粗収入32.6万円(内

庭とく4.85万円),酪農所得11万

円(1頑当たり5.5万円)とみる

高梁市の調査は大体事実と山致 しているようである。しかし, これを高梁頂酪農経営の全体に 一般化しうるか否かは問題であ

る。明治乳業の調査に・よると,

昭和36年の1頭当たり粗収入約

13万円(但し,昭和36年の乳価

は昭和35年の乳価より毎当たり

6.29円高く,昭和36年,毎当た

り32.96円である)であるので,

昭和35年皮の乳価の下で,1頭

当たり産乳量5,500隠で,1頑当

たり粗収入14.6万円というの

は高梁市の中で1頑当たり産乳 晶が高い経営のものであって, これを・−・般化することはできな

い。高梁市の酪農経営改善計画

書によると,昭和35年の現況と

これが高梁市の1頭当たり平均 (昭和31年全国平均年1頭当たり 第18表 農 業 所 得 〔−資料〕高梁市酪農経営改善計画書 して1頭当たり年間乳忌3,300毎となるが, 乳量とみて大体間違いないようであるから

4.21鋸わ,昭和35年1頭当たり粗収入8.8万円程度となり,これ−が昭和35年の商

(30)

香川大学経済学部 研究年報14 J974 ーー 3℃ − 梁市の平均水準ということになり,所得も大体想像がつく(高梁市では前述し たように.飼料自給率ほ高くないと考えられるし,1頭当たり搾乳患も全国平均 よりもほるかに低いだけでなく,備中集約酪農地域の小田・笠岡よりも低いと いわれて1、る。これほ産乳鼠の低い乳牛が導入されたうえに,導入開始以来, 未だ日が浅くて,管理技術の未熟,品種改良の未発展など紅よるものである。 高梁市の酪農先進地の宇治でほようやく昭和37年頃から低能力牛を放逐して, 兵庫県氷上,岡山県落合などから高能力牛を導入しつつあるし,県有牡牛の種 付紅よって品種改良がなされつつある)。昭和48年皮の高梁市産業課の調査によ ると,飼料専用田1.7ヘクタール,その他の畑3ア−ル,−㌧毛作水田5アーール, 野草地70ア−ルを夫婦2人で経営して,乳牛15頑(経産牛11頑,未経産牛1頭, 育成牛3頭)を飼養する陣山(松原)のW酪農家の場合,牛乳100毎当たり生 産費ほ5,516円,1日(8時間)当たり所得ほ4,697円,成牛換算1頭当たり所 得は90,319円,農業従事者1人当たり所得は605,178円,成牛換算1頭当たり 純収益78,379円,農業従事者1人当たり純収益525,138円となっており,これ が高梁市の中位の酪農家の経済状態とみて差支えない。この平均水準を基準と して,主として乳牛の牛乳生産性と飼料自給度の違いによって,高梁市域内部 でも,地域別・階層別の粗収入,所得の差が生じているものと考えられる。 高梁市の酪農民経済は別の観点から考察すると,前掲の牛乳生産費調査(昭 和35年度)によっても牛乳販売代金に対する購入飼料費の割合は43%にも達す るのであって(昭和34年の全国平均と同程度),岡山県二川など草地依存の酪農 経営よりも著しく高い。従って,この観点からも酪農経営の不安定性ほ免れ得 ないわけである19)。 このように,高染市の酪農経営の現段階は,飼料の多くを草地,畑地の自給 飼料に依存した低コストの経営ではない。このような条件紅ありながら,昭和 32−35年の乳牛2.7倍増ほ,同年間の全国乳牛1.3倍増と比較して,伸び率が高 いだけでなく,周辺地域,とりわけ美星町とともに岡山県北部の同年間の伸び 率よりもかなり高いのである。これはどのように説明されうるのか。昭和40年 代における酪農の地域的発展の新しい傾向を適切に評価するためにも,われわ 19)牛乳販売代金のうち,購入飼料費の割合が約3割を越える経嘗は不安定経営といわ れている。

(31)

兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 −3J− れはこの理由を解明しなければならない。美作集約酪農地域よりも集約酪農地 域指定がおくれた備中集約酪農地域の一部である高梁市でほ.,集約酪農地域指 定の年である昭和32年以降において酪農が伸びたわけで,昭和32−35年の間の 乳牛増加率の高さも基準年(昭和32年)の絶対数が少ないととと関係があり, 絶対数,乳牛飼養密度からみるとそれ程酪農が発展しているわけではない。こ のような酪農初期に特徴的な現象ほ後進酪農地で認められる現象にはかならな い。しかし,後進地でも酪農の伸びる条件がなければ急速な進展は.みられない わけである。従って,一一・休その基礎条件は何かが問題となる。 2.酪農発展の基盤 この問題は高架橋農業の生産構成,とくに作目構成と関連があるのでほなか ろうか。高梁市では経営規模の零細な田畑地帯という基礎構造の下で,米と煙 草と和牛という伝統的な商業的農業が営まれてし、たわけであるが,一ゝ般に比較 的安定的な米によってさえも,水田面積が耕地の約半分しかないので農業所得 を安定させ得ないことほ純水田地帯とは比較紅ならないはど深刻である。ま た,畑作においても高梁市の畑地に.おける商業的農業の中心である煙草で,昭 和37年当時,10ア」−ル当たり10万円,昭和49年10ア−ル当たり31.9万円の粗収 入をあげ得るとほいえ,技術的条件から,昭和49年,1戸当たり42ア−ル的確 度しか煙草栽培を行い得ないし,労働が激しいので,煙草作による所得向上に も限度がある。現段階においてほ,米は比較的紅安定しているので棄て難い。 しかし,煙草作ほ前述したような状態であるので,耕地経営規模の大きい農家 でほ,所得向上のために煙草を何かに転換する必要が生ずる(経営規榎の小さ い農家ではここで農業を続ける限り,労働集約的な煙草を棄てるわけに.ほいか ない場合が多い)。酪農ほ飼料栽培によって畑面積をはとんど消化し得るし,多 頭飼養化すれば煙草作より以上の農業所得,しかも日々の現金収入を獲得し得 る。食生活の高度化を背景とする牛乳消費の増大という条件の下で,原料とし て牛乳を求める乳業メ−カ−の政策乳価,それ紅呼応して展開される酪農政策 等が高梁のような農業基盤を通じて作用するところに,米作・煙草・和牛の多 角経営から,米作・酪農の複合経営への道を歩みつつある根拠があるといえる のでほ.ないか。しかし,前述したように,生産コスト低下によって地域的に靡 20)高梁市盛業課謁査紅よる。

(32)

香川大学経済学部 研究年報14 J974 ー β2 一

位を誇り得る可能性もないし,都市近郊のように瀾対的に高乳価基盤を維持し

得る地域でもないだけに,拡大再生産は容易でほない。事実,山林を売ったり,

和牛を放逐した資金を乳牛導入の資金にあてている者が多い状態である。従っ

て,高梁市のような経営的・市場的条件の下では,新たな酪農家の成長や既酪

農家の頭数規模拡大には他の地域より以上に,政策的な融資や補助金の問題が

小農資本を補完する意味で重要にならざるをえない。それにもかかわらず,農

業構造改善資金一つを見ても,このような生産基盤の■地域差が考慮されている

よう‥鱒軋監えず,生産の地域的不均等発展を益々拡大して行くという危険性す

ら内包していることが憂慮されるのである。例えば,乳牛導入融資(近代化資

金)の利率をみても,1年すえ置き4ケ年払7分5座の利子というのはいかに

もきびしい条件である。西欧の場合の類似した融資は利率2−3分にすぎない

1乙、 のである。 3.明治乳業の原料生産地的性格 高梁市内で生産された牛乳(昭和36

年,1,8i2tン,日鼻約5トン=27石,

昭和48年,3,585トン,日長約10トン= 54石)ほ,昭和37年現在,欝3図のよ うな集乳路線によって明治乳業高梁集 乳所に集荷される。高梁集乳所で集荷 された牛乳は夏期の・一・時期にほ阪神の 明治乳業西宮工場に送乳され,市乳化 される。この場合,関西牛乳株式会社 の30右横タンクカーにより西宮まで4 −5時間で到達する。昭和36年には夏 季20日間位,阪神の市乳化されたが, 昭和37年には7月未から8月にかけて 阪神の市乳化され,次第に市乳化の度

N辛

→ 合が高くなった0冬季を中心として1 5km ________ 年の大部分の間は明治乳業笠岡工場に 送乳され,乳製品(粉乳・バク・−)に 第3図 集乳路線

(33)

兼業農家群の間に散在する酪農業の地域的展開と農業構造 一∂β− 製造されている。従って,高梁ほ酪農に関しては明治乳業の原料生産地として

の性格をもち,主として乳製品原潮乳地帯として発展してきているが,、近年,

阪神の市乳地帯としての性格も加わってきた。このような状況ほ,昭和49年に

おいても変わっていない。 もともと高梁酪農の開始当時は生産された牛乳は高梁牛乳(窪田寿夫経営)

とか成羽勘の市乳業者など,いわゆる搾乳業者的な小市乳業者に販売されてい

たわけであるが,昭和32年,備中集約酪農地域に指定されるとともに,岡山県

牛乳市場を三分割する雪印乳業津山工場(美作集約酪農地域),オハヨ−(旭束

集約酪農地域)と並んで,明治乳業笠岡工場(備中集約酪農地域)の集乳圏た

含まれるに至ったわけである。かくして,高梁の酪農は一−・挙に・大資本の傘下に

入ったのである。

明治乳業(昭和44年,資本金70億)は,わが国の三大乳業メ・−カ−の一−・つで

あり,昭和46年度の有価証券報告書によると株主数の僅か0・31%を占めるにす

ぎない大株主(10万株以上)によって株式の55%が集中され,しかも,そ・の大

株主の中心ほ,欝1勧業銀行一日本生命一朝日生命などの大銀行,大保険会社

である。笠岡工場はもともと山陽煉乳株式会社(資本金25万円)として大正13

年笠岡町に創立され,最初は森永と提携して森永ミルクを製造したが,昭和8

年5月,明治製菓乳業部門に買収され,その傍系会社となったが,昭和11年合

併され,のちに明治乳業笠岡工場となっている。昭和37年には,明治乳業高梁

工場を設立するために,高梁市松山の用地を買収し,同年6月,集乳工場(敷地

面積8,550mヲ,従業員11人)として生乳の冷却処理を開始した。当初は生乳を

最終製品にまで仕上げる工場を建設する予定であったが,乳鼠不足のため,そ

の計画ほ断念され,買収された用地の・一部偲市に返還された○

高梁の牛乳流通過程は,昭和37年当時,明治乳業一層連一酪農家という系統

でなされており,大抵の地域でみられる乳業メ−カ一−酪農組合−酪農家とい

う系統とほ異なっていた。昭和37年当時,酪農組合さえも結成されていなかっ

た(生産者協議会琴度のものが結成されているにすぎなかった)。集乳所設備

(ク」−ラ−スデーレヨン,貯乳タンク)は完全に明治乳業経営のものであった

し,明治乳業によって脂肪率の検査さえなされていた。しかし,昭和45年にほ,

集乳所も農協所有とななり,岡山県酪連会員に属する農協(高梁市農協・巨瀬薦

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