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いちはら文化財ガイドの

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国・県・市指定文化財ごとに イメージカラーで区別されています 国指定文化財 県指定文化財 市指定文化財 建造物 彫刻 工芸品 歴史資料 天然記念物 考古資料 無形民俗 有形民俗 史跡 名勝 それぞれの文化財のジャンルごとに マークが表示されています

発行:市原市教育委員会 〒290-8501 千葉県市原市国分寺台中央1-1-1 TEL0436-22-1111(代) http://www.ichihara-chb.ed.jp/board/

(2)

月崎駅 上総大久保駅 養老渓谷駅 16 297 297 297 297 14 140 13 13 169 81 32 32 24 409 P48 P54 P56 P50 P52

市原市全図

五井 駅 八幡 宿駅 内房 線 姉ケ崎 駅 小湊鉄道 海士 有木駅 上 総山 田 駅 光 風 台 駅 馬立 駅 上総牛久駅 上総川間駅 上総 鶴舞駅 里見駅 高滝駅 飯給駅 上総久保駅 市原IC 養老 川 椎 津川 養老川 高滝湖 上総村上 村田 川 上総三又駅 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●●● ● 武田家住宅 菊間天神山古墳 姫宮古墳 八幡神社社殿附棟札 木造随身立像 府中日吉神社本殿 奈良の大仏 熊野神社の大銀杏 奈良本泉寺のシイ巨木群 法行寺木造薬師如来坐像 石造十三重塔 木造不動明王坐像 蓮蔵院木造聖観世音菩薩立像 木造千手観音菩薩坐像 円満寺石造宝篋印塔 大塚ばやし 江子田金環塚古墳出土一括遺物 上総国分尼寺跡 上総国分寺跡 将門塔 国分寺薬師堂附厨子 神門5号墳  小倉家住宅 祭囃子 小湊鉄道蒸気機関車 二子塚古墳 医王寺石造宝篋印塔 姉崎天神山古墳 鶴窪古墳 六孫王原古墳 薬王寺 木造薬師如来坐像 薬王寺の算額 浮彫六地蔵石幢 飯香岡八幡宮本殿 飯香岡八幡宮拝殿 飯香岡八幡宮の夫婦銀杏 漆塗金銅装神輿 大太刀 当世具足11領及び残欠一括 光善寺石燈籠 薬王寺木造聖観音菩薩坐像 2…

いちはら歴史物語

10…

国指定文化財

  11…上総国分寺跡   12…上総国分尼寺跡   13…飯香岡八幡宮本殿   14…西願寺阿弥陀堂附厨子   15…鳳来寺観音堂   16…道しるべ・上総国分寺・国分尼寺   17…道しるべ・「王賜」銘鉄剣 18…

県指定文化財

    19…飯香岡八幡宮拝殿/府中日吉神社本殿   20…木造聖観音立像/木造地蔵菩薩坐像   21…木造薬師如来坐像及び両脇侍立像附神将立像/     木造金剛力士立像   22…木造聖観世音菩薩立像/      木造薬師如来坐像及び両脇侍立像三軀   23…漆塗金銅装神輿/小湊鉄道蒸気機関車   24…江子田金環塚古墳出土一括遺物/大塚ばやし   25…鶴峯八幡の神楽/市原の柳楯神事   26…上高根の三山信仰/神門5号墳   27…姉崎天神山古墳/二子塚古墳   28…大福山自然林/飯香岡八幡宮の夫婦銀杏   29…高滝神社の森/道しるべ・神門古墳群   30…道しるべ・小湊鉄道蒸気機関車   31…いちはら紀行・更級日記 32…

市指定文化財

  33…石造十三重塔/常住寺の五輪塔・宝篋印塔附板碑/     医王寺石造宝篋印塔   34…円満寺石造宝篋印塔/光善寺石燈籠/     薬王寺浮彫六地蔵石幢   35…将門塔/国分寺薬師堂附厨子/     高滝神社社殿附末社社殿   36…真高寺山門/八幡神社社殿附棟札/     小倉家住宅   37…木造薬師如来坐像/木造薬師如来坐像/     鋳造三尊形本地仏懸仏   38…両界大日如来坐像/不動明王坐像/     木造釈迦如来坐像   39…木造阿弥陀如来坐像/木造聖観音菩薩及び二天立像/     木造聖観音菩薩坐像   40…木造不動明王坐像/銅造阿弥陀如来立像/     木造十一面観音立像   41…木造随身立像/木造千手観音菩薩坐像/     木造地蔵菩薩立像   42…大太刀/当世具足11領及び残欠一括/養老川西広板羽目堰   43…薬王寺の算額/根本神社の神楽/牛久ばやし   44…祭囃子(五井新田祭囃子)/菊間天神山古墳/姫宮古墳   45…吉野1号墳/鶴窪古墳/六孫王原古墳   46…奈良の大仏/熊野神社の大銀杏/奈良本泉寺のシイ巨木群   47…道しるべ・武田家住宅(国登録文化財) 48…エリア地図 58…いちはら紀行・市原市埋蔵文化財調査センター 59…資料編 養老川西広板羽目堰 常住寺五輪塔・宝篋印塔附板碑 法泉寺木造聖観世音菩薩 及び二天立像 木造地蔵菩薩立像 鶴峯八幡の神楽  吉野1号墳 長栄寺木造十一面観音立像 牛久ばやし 竜渓寺木造釈迦如来坐像 光厳寺両界大日如来坐像 不動明王坐像 西願寺阿弥陀堂附厨子 鳳来寺観音堂 鋳造三尊形本地仏懸仏 真高寺山門 大福山自然林  日光寺木造聖観世音菩薩立像 上高根の三山信仰  称禮寺木造薬師如来坐像及び 両脇侍立像三躯 根本神社の神楽  医光寺木造阿弥陀如来坐像 橘禅寺木造薬師如来坐像及び 両脇侍立像附神将立像 木造金剛力士立像 木造地蔵菩薩坐像 高滝神社の森 社殿附末社社殿

いちはらに人が住み始めてから

3万年の月日が流れました

その悠久の歴史を雄弁に物語るかのように

数々の遺跡や文化財が遺されています

いまに生きるわたしたちは

いちはらをかたちづくる文化の流れに

触れることができるのです

好奇心のおもむくままに

あなたもいちはらの歴史を旅してみませんか

高滝湖の夕陽

(3)

月崎駅 上総大久保駅 養老渓谷駅 16 297 297 297 297 14 140 13 13 169 81 32 32 24 409 P48 P54 P56 P50 P52

市原市全図

五井 駅 八幡 宿駅 内房 線 姉ケ崎 駅 小湊鉄道 海士 有木駅 上 総山 田 駅 光 風 台 駅 馬立 駅 上総牛久駅 上総川間駅 上総 鶴舞駅 里見駅 高滝駅 飯給駅 上総久保駅 市原IC 養老 川 椎 津川 養老川 高滝湖 上総村上 村田 川 上総三又駅 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●●● ● 武田家住宅 菊間天神山古墳 姫宮古墳 八幡神社社殿附棟札 木造随身立像 府中日吉神社本殿 奈良の大仏 熊野神社の大銀杏 奈良本泉寺のシイ巨木群 法行寺木造薬師如来坐像 石造十三重塔 木造不動明王坐像 蓮蔵院木造聖観世音菩薩立像 木造千手観音菩薩坐像 円満寺石造宝篋印塔 大塚ばやし 江子田金環塚古墳出土一括遺物 上総国分尼寺跡 上総国分寺跡 将門塔 国分寺薬師堂附厨子 神門5号墳  小倉家住宅 祭囃子 小湊鉄道蒸気機関車 二子塚古墳 医王寺石造宝篋印塔 姉崎天神山古墳 鶴窪古墳 六孫王原古墳 薬王寺 木造薬師如来坐像 薬王寺の算額 浮彫六地蔵石幢 飯香岡八幡宮本殿 飯香岡八幡宮拝殿 飯香岡八幡宮の夫婦銀杏 漆塗金銅装神輿 大太刀 当世具足11領及び残欠一括 光善寺石燈籠 薬王寺木造聖観音菩薩坐像 2…

いちはら歴史物語

10…

国指定文化財

  11…上総国分寺跡   12…上総国分尼寺跡   13…飯香岡八幡宮本殿   14…西願寺阿弥陀堂附厨子   15…鳳来寺観音堂   16…道しるべ・上総国分寺・国分尼寺   17…道しるべ・「王賜」銘鉄剣 18…

県指定文化財

    19…飯香岡八幡宮拝殿/府中日吉神社本殿   20…木造聖観音立像/木造地蔵菩薩坐像   21…木造薬師如来坐像及び両脇侍立像附神将立像/     木造金剛力士立像   22…木造聖観世音菩薩立像/      木造薬師如来坐像及び両脇侍立像三軀   23…漆塗金銅装神輿/小湊鉄道蒸気機関車   24…江子田金環塚古墳出土一括遺物/大塚ばやし   25…鶴峯八幡の神楽/市原の柳楯神事   26…上高根の三山信仰/神門5号墳   27…姉崎天神山古墳/二子塚古墳   28…大福山自然林/飯香岡八幡宮の夫婦銀杏   29…高滝神社の森/道しるべ・神門古墳群   30…道しるべ・小湊鉄道蒸気機関車   31…いちはら紀行・更級日記 32…

市指定文化財

  33…石造十三重塔/常住寺の五輪塔・宝篋印塔附板碑/     医王寺石造宝篋印塔   34…円満寺石造宝篋印塔/光善寺石燈籠/     薬王寺浮彫六地蔵石幢   35…将門塔/国分寺薬師堂附厨子/     高滝神社社殿附末社社殿   36…真高寺山門/八幡神社社殿附棟札/     小倉家住宅   37…木造薬師如来坐像/木造薬師如来坐像/     鋳造三尊形本地仏懸仏   38…両界大日如来坐像/不動明王坐像/     木造釈迦如来坐像   39…木造阿弥陀如来坐像/木造聖観音菩薩及び二天立像/     木造聖観音菩薩坐像   40…木造不動明王坐像/銅造阿弥陀如来立像/     木造十一面観音立像   41…木造随身立像/木造千手観音菩薩坐像/     木造地蔵菩薩立像   42…大太刀/当世具足11領及び残欠一括/養老川西広板羽目堰   43…薬王寺の算額/根本神社の神楽/牛久ばやし   44…祭囃子(五井新田祭囃子)/菊間天神山古墳/姫宮古墳   45…吉野1号墳/鶴窪古墳/六孫王原古墳   46…奈良の大仏/熊野神社の大銀杏/奈良本泉寺のシイ巨木群   47…道しるべ・武田家住宅(国登録文化財) 48…エリア地図 58…いちはら紀行・市原市埋蔵文化財調査センター 59…資料編 養老川西広板羽目堰 常住寺五輪塔・宝篋印塔附板碑 法泉寺木造聖観世音菩薩 及び二天立像 木造地蔵菩薩立像 鶴峯八幡の神楽  吉野1号墳 長栄寺木造十一面観音立像 牛久ばやし 竜渓寺木造釈迦如来坐像 光厳寺両界大日如来坐像 不動明王坐像 西願寺阿弥陀堂附厨子 鳳来寺観音堂 鋳造三尊形本地仏懸仏 真高寺山門 大福山自然林  日光寺木造聖観世音菩薩立像 上高根の三山信仰  称禮寺木造薬師如来坐像及び 両脇侍立像三躯 根本神社の神楽  医光寺木造阿弥陀如来坐像 橘禅寺木造薬師如来坐像及び 両脇侍立像附神将立像 木造金剛力士立像 木造地蔵菩薩坐像 高滝神社の森 社殿附末社社殿

いちはらに人が住み始めてから

3万年の月日が流れました

その悠久の歴史を雄弁に物語るかのように

数々の遺跡や文化財が遺されています

いまに生きるわたしたちは

いちはらをかたちづくる文化の流れに

触れることができるのです

好奇心のおもむくままに

あなたもいちはらの歴史を旅してみませんか

高滝湖の夕陽

(4)

【原始・古代編】

関東でも類をみない古さの石器

馬蹄形の大規模貝塚

大型の環濠集落

東日本最古級の神門5号墳

「王賜」銘鉄剣・・・

原始古代のいちはらは

常に歴史のうねりの中で

大きな役割を担ってきました

旧石器時代∼古墳時代 山倉1号墳出土の人物埴輪 「王賜」銘鉄剣が発見された 稲荷台1号墳の発掘調査 三嶋台遺跡の人面付弥生土器

2

(5)

いちはらは房総半島の中ほどにあり、温暖な 気候と豊かな自然に恵まれ、太古の昔より多 くの人々が暮らしてきました。ちはら台の草 刈遺跡から、関東地方でも最も古い時期の旧 石器がみつかっています。3万年程前の人が つくった石器です。市内最古の縄文土器(草 創期)は、中高根の南原遺跡で出土しており、 その後、天神台遺跡(前期)・草刈貝塚(中 期)など各所にムラがつくられ、西広貝塚や 祇園原貝塚(後期∼晩期)など大規模な貝塚 が築かれます。人口は急激に増えたことでし ょう。弥生時代には稲作もはじまり、市原条 里制遺跡で水田の跡が確認されています。根 田代遺跡をはじめとする環濠集落がつくられ、 身分格差による争いごとが起こり始めたこと をうかがわせます。 ﹁王賜﹂ 銘鉄剣   銀象嵌 に よ る銘文が みられ る

人が住み始め、

ムラや貝塚がつくられる頃

古墳時代に入ると養老川、村田川流域の有力 な豪族たちが大規模なお墓(古墳)を造るよ うになりました。東日本でも最古級といわれ る神門5号墳にはじまり、姉崎天神山古墳や 二子塚古墳などの大規模な前方後円墳を築造 する土木工事が行われたのです。神門古墳群 では北陸や東海、近畿など遠方からの土器が みられます。稲荷台1号墳から出土した「王 賜」銘鉄剣は、大和朝廷との強い結びつきを 感じさせます。山倉1号墳の人物埴輪は、埼 玉県鴻巣市の生出塚遺跡でつくられ、運ばれ たものです。他にも江子田金環塚古墳の純金 製耳飾など、これらは、いちはらの地が古墳 時代を通じて強大な勢力を誇った豪族達の拠 点であったことを顕示しているのです。

時代を謳歌した

豪族たちの古墳

草刈・根田遺跡など 各地から旧石器出土 南原遺跡(中高根)から 市内最古土器出土 聖徳太子摂政 前方後円墳の築造衰退、 方墳・横穴墓が作ら れるようになる

3

前30,000 (諏訪) 天神台

(6)

前方後円墳の消滅

上総国府の設置

国分尼寺の七堂伽藍

荒久遺跡の淨瓶

『更級日記』と菅原孝標女

稲荷台遺跡出土の緑釉陶器

造塔の寺は「国の華」と謳われた

上総国分寺の七重塔が

天平の光と影に聳えていました

【古代編】

飛鳥・奈良∼平安時代 木造薬師如来坐像(称禮寺) 全国尼寺跡でも最大規模の上総国分尼寺跡 全国尼寺跡でも最大規模の上総国分尼寺跡 全国尼寺跡でも最大規模の上総国分尼寺跡 荒久遺跡から出土した仏具(灰釉浄瓶) 荒久遺跡から出土した仏具(灰釉浄瓶) かいゆうじょうへい かいゆうじょうへい 荒久遺跡から出土した仏具(灰釉浄瓶) かいゆうじょうへい

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(7)

6世紀前半に朝鮮半島より伝えられた仏教は、 新たな文化として、また律令国家の基本政策 として日本中に広まります。二日市場廃寺や 光善寺廃寺など、古代いちはらにも寺院が建 てられます。これらは古墳に代わる権威の象 徴(氏寺)ともみられています。律令国家体 制の中で、いちはらには市原郡と海上郡が置 かれていました。聖武天皇の「国分寺建立の 詔」以降、8世紀後半には上総国分寺と国分 尼寺の整備が始まりました。上総国分寺は下 野や武蔵の国分寺に次ぐ規模の寺域を誇り、 上総国分尼寺は全国でも最大規模のものでし た。菅原孝標の女が残した『更級日記』は、 市原の国府に育った幼い頃の思い出と都へ戻 る旅立ちの場面からはじまります。市原台地 の眼下に拡がる条里制遺跡などからは、古代 道の一部が発見されています。 平安時代後期、上総では平忠常の乱が起きる など社会情勢が不安定となります。荒廃した 田畑を拓き、開発領主たちによって新しい村 々も生まれました。在地領主などの主従関係 が再編成され、武士団による中世的社会の基 礎が築かれるのもこの頃です。いちはらの村 里には、この頃の仏像彫刻が数多く伝えられ ています。巨像彫刻を代表する風戸日光寺の 木造聖観音立像(P.20)や鉈彫りの技法を伝 える引田蓮蔵院の木造聖観世音菩薩立像(P.22)。 上高根称禮寺には三尊が揃っている木造薬師 如来坐像(P.22)。「わらしべ長者」の昔話 に出てくるような観音信仰や、病気平癒を願 う薬師信仰などが、平安時代の人々から連綿 と伝わっていることを物語っているのです。

仏教の伝来と

国立寺院の建立

中世的社会の台頭

飛 鳥 ・ 奈 良 時 代 平 安 時 代 ■…国指定文化財 ■…県指定文化財 ■…市指定文化財

歴史年表

全国尼寺跡でも最大規模の上総国分尼寺跡 市 国 県 荒久遺跡から出土した仏具(灰釉浄瓶) かいゆうじょうへい 645 710 741 774 794 868 877 884 935 1020 1028 1180 平安京遷都 前廣・神代・高瀧神 社従五位下を授く 姉 ・嶋穴神社正五 位下を授く 姉 神社正五位上、 建市神社従五位下を 授く 平将門の乱始まる 菅原孝標が上総介の 任を終えて帰京 (更級日記) 平忠常の乱 ■日光寺聖観音立像 (風戸) ■蓮蔵院聖観音立像 (引田) ■薬王寺薬師如来坐像 (不入斗) ■称禮寺薬師三尊像 (上高根) ■法行寺薬師如来坐像 (大作) 源頼朝が兵を率いて 上総国に入る 県 県 県 市 市 大化改新、東国に国 司を派遣 上総国府設置される 市原・今富・二日市 場などに古代寺院 平城京遷都 国分寺建立の詔 ■上総国分僧・尼寺 建立 大伴家持上総国守と なる 国

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(8)

上総介平広常の死

遺領の再配分

御家人や寺社の所領の展開

鶴峯八幡宮に伝わる鎌倉神楽

禅宗様の仏堂

関東式宝篋印塔の建立

武家政権の都“鎌倉”との

緊密な繋がりを背景に

中世を旅する人々によって

新しい文化がもたらされました

【中世編】

鎌倉∼安土・桃山時代 迫力ある表情の 木造金剛力士像(橘禅寺)

6

(9)

古代末期に上総国一円を領していた上総介平 広常の遺領は、千葉氏や北条氏など、鎌倉幕 府の御家人達や寺社領として再分配されます。 特に、十三世紀半ばごろからは、足利氏が代 々上総の守護職に就くなど、その関りを強め ていきました。袖ヶ浦から市原の立野に向か って、まっすぐに貫く道。“鎌倉街道”の地名 を今に伝えるこの道は、武家政権の都“鎌倉” と上総国の中心地である市原を結ぶ幹線道路 でした。沿道には市が立ち、領主層や職人、 遊山の者などが行き交い、物資と文化を運ん できました。仏教説話『沙石集』に載る高滝 の地頭の話や、養老地区に伝わる善光寺様式 の阿弥陀如来像、上高根常住寺の関東式宝篋 印塔などにその一端を知ることができます。 中世の後期に入ると、天皇の実権喪失や将軍 権威の低下を受けて、新たな社会構造の構築 が模索され始めます。上総においても十五世 紀の半ばに武田信長が入部すると、木更津の 真里谷城を拠点として、その支配圏を拡げて いきました。やがて市原は、武田氏・里見氏・ 北条氏が争う戦国の舞台となります。佐是城・ 椎津城・犬成城・池和田城といった中世城郭 が、市内各所に築かれていきました。十六世 紀の終わりに、秀吉方として入部した徳川軍 は北条氏や武田氏方の城であった椎津城や池 和田城などを落し、その手中に収めます。八 幡宿の飯香岡八幡宮に奉納されている大太刀 は、本多弥八郎正綱が徳川家康の武運長久を 願って、天正二十年(1592)に刀匠平井和泉守 に鍛えさせたものと言われています。

かまくら道を旅する

中世の人々

市原の戦国時代と

中世城郭の消長

鎌 倉 時 代 南 北 朝 時 代 室 町 時 代 安 土 ・ 桃 山 時 代 ■…国指定文化財 ■…県指定文化財 ■…市指定文化財

歴史年表

市 国 県 北条氏が市原北部、長南武田 氏と里見氏が市原南部を支配 市原の諸城が秀吉軍に入り、 徳川家康の旗本地となる ■本多正綱、飯香岡八幡宮 に大太刀奉納 (八幡) 家康が検地を行う、市原郡 の総石高は4万8430石 関ヶ原の戦い ■山口地蔵菩薩坐像 上杉氏、上総国守護となる ■将門塔(国分寺所在の宝 篋印塔・惣社) ■常住寺宝篋印塔(中高根) ■足利義満、飯香岡八幡宮 に神輿を寄付(八幡) 南北朝統一 京都北山に金閣寺造営 ■鋳造三尊形本地仏懸仏(古敷谷) ■府中日吉神社本殿(能満) ■光善寺石燈籠(市原) 武田信長、上総に侵入し、 支配する ■飯香岡八幡宮本殿(八幡) ■西願寺阿弥陀堂(平蔵) ■鳳来寺観音堂(吉沢) この頃、椎津城築城 上総国が武田・里見・北条 の三氏の争いの舞台となる 里見軍を破った北条軍が西 上総に侵入する 三船山で北条軍を破った里 見氏が再び西上総を支配する 室町幕府滅亡 源頼朝、征夷大将軍となる ■法泉寺木造聖観音菩薩(武士) 足利氏、代々上総国守護となる ■橘禅寺薬師三尊像・金剛 力士像 (皆吉) ■光厳寺両界大日如来坐像(大和田) ■銅造阿弥陀如来立像(櫃狭) 鎌倉幕府滅亡 1364 1372 1384 1392 1397 1404 1418 1456 1495 1564 1568 1573 1576 1590 1592 1594 1600 1192 1256 1262 1274 1333 市 県 市 市 市 市 県 県 市 県 市 国 国 国 市

7

(10)

直轄地や旗本などの相給

五大力船や房総往還

北斎漫画に描かれた

飯香岡八幡の夫婦銀杏

出羽三山の梵天供養

小湊鉄道蒸気機関車

戦後日本の経済復興を目指して

京葉臨海工業地帯を中心に

こんにちの市原市へと

発展してきました

【近世・近代編】

江戸∼明治・大正・昭和 小湊鉄道を走った蒸気機関車 養老川西広板羽目堰 五井新田祭囃子のバカ面踊り

8

(11)

市原の地域は、幕府のお膝下として直轄地や 大名・旗本の相給による知行地となります。 米・味噌・薪炭などの物資は、海浜部で五大 力船に積まれ、近世都市江戸へ供給されまし た。房総往還などの陸路も発達しており、久 留里藩の参勤交代や、高倉観音・笠森観音へ の参詣にも利用されました。水戸光圀や葛飾 北斎なども、飯香岡八幡宮へやってきました。 市内には三山塚が数多く知られ、大塚ばやし などが梵天供養に奉納されました。五井大宮 神社の春季大祭は、あんばマチ(祭)とも呼 ばれ、あんば信仰の伝播を物語っています。 飯給真高寺の山門には初代伊八の彫刻もみら れます。庶民の交流や信仰を窺わせます。 大政奉還・廃藩置県。市原市は木更津県の時 代を経て、千葉県市原郡となりました。郡役 所は八幡宿に置かれています。大正時代に入 ると、房総西線や小湊鉄道が敷設されます。 沿線には電灯もともりはじめました。戦後の 経済復興をめざして、臨海部は埋め立てられ、 京葉臨海工業地帯として発展しました。企業 の誘致に伴って、たくさんの人々が移り住ん できました。学校や住宅地の整備を推し進め るため、昭和38年には北部5町が合併して 市原市が誕生しました。また、昭和42年に は、南部の1町1村も合併し、ここに一郡一 市の市原市となったのです。養老渓谷から臨 海工業地帯まで、海の幸、山の幸に恵まれた 市原は、水稲や果樹栽培などにも適し、魅力 ある故郷として発展しています。

江戸時代の市原

現代の礎を築いた

近代の歩み

江 戸 時 代 近 代 ︵ 明 治 ・ 大 正 ・ 昭 和 ︶ ■…国指定文化財 ■…県指定文化財 ■…市指定文化財

歴史年表

市 国 県 徳川家康、江戸に幕府を開く ■薬王寺浮彫六地蔵石幢 (不入斗) ■飯香岡八幡宮拝殿(八幡) ■国分寺薬師堂(惣社) ■根本神社神楽始まる(馬立) ■高滝神社社殿(高滝) ■竜渓寺釈迦如来坐像 (石川) ■真高寺山門(飯給) ■八幡神社本殿(菊間) ■薬王寺算額奉納(不入斗) ■奈良の大仏(奈良) 江戸相撲力士・小柳常吉 (上高根出身)、大関となる ペリー来航 牧野好徳(馬立出身)、遣米 副使の従者として渡米 ■牛久ばやし始まる(牛久) 徳川慶喜、大政奉還 五井周辺で義軍官軍が戦闘 展開 ■祭囃子(五井新田祭囃子) 始まる(五井) 鶴牧藩・菊間藩などが県と なり、後に木更津県に編入 ■渡辺善右衛門、西広板羽 目堰を造る 石川倉次(鶴舞)、日本点字考案 日清戦争(∼1895) 日露戦争(∼1905) この頃、宮原立太郎が(惣社出身) X線医学を研究 国鉄木更津線・蘇我∼姉崎 間が開通 第一次世界大戦(∼1918) 小湊鉄道開通(五井∼里見) ■上総国分寺跡、国史跡に指定 太平洋戦争始まる(∼1945) 立野信之(平田出身)、 「叛乱」で直木賞受賞 姉崎・五井・市原・市津・ 三和町合併(市原市の誕生) 東京オリンピック開催 南総町・加茂村が市原市と 合併 1603 1644 1691 1715 1727 1748 1789 1804 1851 1853 1860 1862 1867 1868 1871 1885 1890 1894 1904 1912 1914 1925 1929 1941 1952 1963 1964 1967

∼体制と庶民文化∼

市 県 市 市 市 市 市 市 市 市 市 市 市 国

9

(12)

上総国分尼寺跡

恵まれた自然環境と古くからの歴史を誇る市原。

上総国府が置かれ、その要であったこの地には、

全国最大規模の国分尼寺跡をはじめとする、

我が国を代表する文化財が守り継がれています。

(13)

11

P 西門 七重塔心礎 神門5号噴 神門瓦窯跡 市原市 市民会館 市原市役所 上総国分寺跡 市役所

上総国分寺跡

か   ず   さ   こ   く   ぶ   ん   じ   あ   と

七重塔の復元模型

The remains of Kazusa-Kokubun-ji temple

MAP 所在地 見 学 問合せ P48 D-3 惣社1-7-1他 自由 0436-23-9853(教育委員会) 国分寺は天平13年(741)に聖武天皇の詔によっ て全国60余国に建立された国立寺院で、各地方 における仏教や文化の中心となりました。上総国 分寺の寺域はおよそ13.9万㎡に及び、全国でも最 大級の規模を誇ります。飛鳥の大官大寺式伽藍配 置を持ち、発掘調査では、金堂・講堂・塔・中門・ 南大門・西門・回廊が検出されています。付近に は瓦窯跡や寺を運営するための付属施設などが多 数確認されているほか、七重塔の基壇と大きな心 礎石が見られます。なお、現在は医王山清浄院国 分寺が法燈を伝えています。 ・交 通  JR五井駅から  国分寺台行き小湊バス  市役所下車徒歩5分 ・駐車場  20台 市原市役所1階ロビーには 七重塔の復元模型(1/20 サイズ)が展示されていま す。文化財散策とともに、 天平のランドマークタワー の姿に触れてみてはいか がでしょう。 てんぴょう        しょうむ       みことのり あすか    だ い か ん だ い じ し き が ら ん こんどう こうどう とう   ちゅうもん なんだいもん  かいろう がよう い お う ざ ん せ い じ ょ う い ん こ く ぶ ん じ     ほうとう 西門跡平面復元 七重塔心礎石 W.C

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市役所屋上から望む 9:00∼17:00 無料 月曜、祝日、年末年始 史跡上総国分寺跡の北東約700mにあり、僧寺と 一体化して機能を果たした、今から1250年ほど 前に建立された寺院です。寺域は約12.3万㎡にお よび全国につくられた尼寺跡の中でも最大規模を 誇ります。金堂・中門・回廊・講堂・鐘楼・経楼・ 尼坊・東西門などの中心伽藍の他に、寺を運営す る上で必要な大衆院・修理院・賤院等の施設が発 掘調査によって確認され、全国に先がけて全貌が 明らかになりました。中門・回廊などの建物は当 時の工法によって復元されており、往時の姿を偲 ばせます。 こんどう しょうろう きょうろう にぼう ちゅうもん たいしゅういん すりいん せんいん ぜんぼう かいろう こうどう ・交 通  JR五井駅下車、  国分寺台行き小湊バス市役所  下車、徒歩10分 ・駐車場  展示館駐車場20台、市役所 映像や復元模型の展示によって、国分寺建 立の時代的背景や史跡の特色を楽しく学べ ます。 老人福祉 センター P 市原市役所 市原市 中央消防署 市役所通 り 市役所 P49 D-4

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八幡 宿駅 飯香岡八幡宮 P 千葉銀行 八幡支店 飯香岡 通り 白金 通り W.C 千葉 鴨川 線 ロータリー

「一国一社の国府八幡宮」と呼ばれる由緒ある古 社で、創建は白鳳年間と伝えられています。正面 3間・側面2間の総丹塗や銅版葺の屋根が印象的 な入母屋造。太い木組や組物・彫刻・面取角柱な どの部材は力強く簡素で、室町時代末期の特色を 示しています。県内の神社建築においても重要文 化財に指定されているのは、佐原市にある香取神 宮本殿と本社のみです。かつては前面に遠浅の海 が広がり、潮干狩りや海水浴客で賑わったもので したが、昭和30年代後半からの埋立てによって 今の姿となっています。 はくほう そ う に ぬ り        ぶき い り も や づ く り        くみもの       めんとり か と り じ ん ぐう ・交 通  JR八幡宿駅下車徒歩3分 ・駐車場  20台 境内にある、市原出身の作家・立 野信之の小説「流れ」の一節が刻 まれた碑。文中の「海岸べりの神 社」とは、飯香岡八幡宮のことを 指しています。 24

飯香岡八幡宮本殿

い い が お か は ち ま ん ぐ う ほ ん で ん

The Inner of Iigaoka-hachimangu shirine

MAP 所在地 見 学 問合せ P49 A-4 八幡1057-1 自由 0436-23-9853(教育委員会)

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NTT 電話交換 センター 平蔵川 297 西願寺 P

鎌倉時代に入ると、禅宗の影響を 受けた新しい建築様式が生まれま す。それが禅宗様です。扇のよう に並ぶ垂木、角のように張り出し た尾垂木、柱の端に観られる粽造 り、縁側の切目縁など、細部にま で神経を研ぎ澄ました武家社会の 幽玄な厳しさを、西願寺阿弥陀堂 や鳳来寺観音堂の隅々に見ること ができます。

西願寺阿弥陀堂

厨子

さ い が ん じ あ み だ ど う    ず し

Amida-do and small shrine of Saigan-ji temple

MAP 所在地 見 学 問合せ P57 C-6 平蔵1360 自由 0436-23-9853(教育委員会) 平蔵の光堂と呼ばれ、平蔵城の城主であった平将 経が鬼門守護のために建立したと言われています。 堂は正面3間・側面3間の三間堂で、屋根は茅葺 の寄棟造です。外部の軒回りは二重の扇垂木で、 軒の出が深く、三手先詰組とともに美しい構成と なっています。また、内部の組物や架構は、県内 の禅宗様の建造物の中でも本格的な様式をとって います。昭和2年の解体修理の際に墨書が発見さ れ、明応4年(1495)、鎌倉の名人大工二郎三 郎により建立されたことが明らかになりました。 へいぞう   ひかりどう      たいらのまさ つね   き も ん し ゅ ご のきまわ       おおぎたるき み て さ き つ め ぐ み よせむねづくり かやぶき ぜんしゅうよう じろう さぶ ろう かこう ぜんしゅうよう たるき おだるき ちまきづく きりめえん ゆうげん ぼくしょ ・交 通  小湊鉄道上総牛久駅から  大多喜行きバス  あみだ畑下車徒歩2分 ・駐車場  20台 あみだ畑

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吉沢学園 吉沢 公民館 吉沢入口 鳳来寺 観音堂 加茂・長南線

鳳来寺観音堂

ほ  う ら  い  じ  か   ん   の   ん  ど う

Kannon-dou of Hourai-ji temple

MAP 所在地 見 学 問合せ P57 C-5 吉沢237-1 自由 0436-23-9853(教育委員会) 中世城郭吉沢城の鎮護のために、今は廃寺となっ た善福寺に建立された茅葺寄棟造の三間堂です。 本尊は千手観音菩薩坐像で、日頃は秘仏とされて います。西願寺阿弥陀堂よりやや小振りの方行堂 ですが、扇垂木・二手先詰組などに本格的な禅宗 様式のみられる建造物です。建築年代は西願寺同 様、室町時代後期と推定されます。昭和41年の 解体修理の際に、現在の位置に移築されましたが、 観音堂から程近い善福寺跡には、今でも礎石が残 されています。紅葉の季節、仏堂は一枚の日本画 となります。 きっさわじょう    ちんご ぜんぷくじ      かやぶきよせむねづくり    さんげんどう さ い が ん じ あ み だ ど う おおぎだるき    ふ た て さ き つ め ぐ み        ぜんしゅう ようしき ・交 通  小湊鉄道上総牛久駅から  湯原行き小湊バス吉沢入口  下車徒歩10分 ・駐車場  2台 国指定の重要文化財となっている三 間堂は、県内に6宇あります。西願寺 同様「光堂」と呼ばれる宝珠院観音堂 (印西市)・県内建造物では最古の墨 書銘(文明4年・1472年)をもつ栄福 寺薬師堂(本埜村)や泉福寺薬師堂 (印旛村)、石堂寺薬師堂(丸山町)で す。これらは一見素朴な建物ですが、 趣のある外観と軒下の垂木や組物に は見ごたえがあります。 171 ぼく しょめい       えいふく じやくしどう       せんふくじやくしどう いしどうじやくしどう たるき

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みちしるべ

Q

A

Q

&

A

調べるほどに興味深い

16

上総国分寺にも七重塔があったそうですが、

どれほどの高さだったのですか?

建立の詔に「それ造塔の寺は兼ねて国の華たり」 と謳われているように、七重塔は国分寺の象徴と も言えるものでした。しかし、残念ながら今なお          残っている塔はありません。          上総国分寺跡に現存する礎石          の大きさや基壇の規模などか          ら推測される塔の高さは63m          以上と考えられます。          10階建ての市原市役所庁舎          をも凌ぐ高さを誇っていた七          重塔は、はるか彼方の海上か          らもその姿を見ることができ          たでしょう。

Q

A

国分寺という地名は全国に多数ありますが、

どうしてなのですか?

国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇が国情不安を鎮めるため、「国 分寺建立の詔」によって諸国に建立を命じた、いわば国立寺院です。僧 寺と尼寺の組み合わせで、国府の近くに造営されました。時代と共に大 規模な七堂伽藍はその姿を消しましたが、国分寺跡として伝えられてき たのです。そして今、市原市役所の建つ国分寺台はもちろんのこと、東 京都国分寺市(武蔵国分寺)・鹿児島県国分市(大隈国分寺)など、多 くの地名としてその名を留めています。

上総国分寺・国分尼寺

市原市役所庁舎 上総国分寺七重塔 法隆寺五重塔 50m 25m てんぴょう しょうむてんのう こんりゅう みことのり むさし おおすみ うた そせき きだん し ち ど う が ら ん そう じ に じ こくふ こくふ

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Q

「王賜」

&

A

銘鉄剣

Q

Q

A

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銘文拡大図 鉄剣全体像︵研ぎ出し修復後︶

古代国家の成立に深い関わりか?

稲荷台1号墳(山田橋)出土

鉄剣に刻まれていた銘文には、どのような意味が

あるのですか?

鉄剣には、表裏それぞれ6文字の銘文が銀で象嵌されていた と推定されます。表は「王から下賜された剣です。敬んで持っ ていなさい」といった意味があります。また、裏側は「此廷」 以外の文字は不明ですが、「此の刀は○○○である」(○○ ○には吉祥句か)という意味を表すと考えられます。現在の ところ、日本で最古の象嵌銘文であり埼玉県の稲荷山鉄剣と ともに、東国の古代国家形成を考える上で重要な資料です。

銘文にある「王」とは、

誰のことを

指しているのですか?

この「王」については諸説あり ますが、畿内の大王説が有力で す。稲荷台1号墳が造られたの は、出土した須恵器の特徴から 5世紀後半頃。当時の日本は 「倭」と呼ばれ、雄略天皇など で知られる讃・珍・済・興・武 の五王の時代にあたります。国 内を統一しつつあった王の影響 力が、東の市原の地まで確実に 届いていた証としてみられます。

A

ぞうがん お う し め い て つ け ん きない わ さん ちん せい こう ぶ ゆうりゃく す え き か し

(安)

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古来より育んできた文化を伝える“時”の懸橋

原始の植生を今に伝える自然林

人々の精神文化を支える寺社や仏像彫刻

畿内との交流を物語る史跡など

それらが全て、

“時”

の懸橋、文化遺産です。

県指定

県指定

飯香岡八幡宮拝殿

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297 市原小入口 21 八幡神社 市原小 郡本 郡本郵便局 飯香岡八幡宮 P 千葉銀行 八幡支店 飯香岡通 り 千葉 ・鴨 川線 白金 通り ロータリー 八幡 宿駅 24 P49 A-4 八幡1057-1 自由 0436-23-9853(教育委員会) P49 C-5 能満589-2 自由 0436-23-9853(教育委員会) 五井本納線 能満神社 正面3間・側面2間で正面に庇をもつ三間社流 造です。純粋な和様式で、装飾が少なく簡素 な建築物です。庇下に高床板を貼る見世棚造 で、左右の縁はつきません。当初部材に残る 釿や大鋸の工具痕などから、建立年代は15世 紀中頃と推定され、飯香岡八幡宮本殿(P.13) と同時期の建築と考えられますが、建立当初 の部材を多く残していることは貴重です。中 世能満城の一角にあり、何らかの関係がある ものとみられます。日吉大神の使いである猿 の狛犬が出迎えてくれます。 ひさし づくり かんそ みせだなづくり ちょうな おが のうまんじょう わようしき さんげんしゃながれ

上総府中を偲ばせる

三間社流造の静かな存在感

光圀・北斎・勝海舟、

様々な人々が神に向かいあった空間

・交 通  JR八幡宿駅下車、  郡本経由辰巳団地行きバス、  能満神社下車徒歩1分  ・駐車場  なし 正面5間・側面3間の身舎に梁間3間の向拝 庇が付き、本殿と同様に総丹塗の建物です。 弊殿によって本殿と接続される、いわゆる権 現造の形式を取っています。屋根は銅板葺の 入母屋造で、正面に唐破風および千鳥破風が 付いています。細い木組、彩色された海老紅 梁・木鼻・蟇股内彫刻など、本殿にくらべて 華麗であり、建築年代の差がみてとれます。 現在の建物は、墨書銘によって元禄4年(1691) に再建されたことがわかりました。 もや ひさし ごはい そうにぬり かえるまた きばな へいでん げんづくり ごん い り も や づ く り りょう え び こ う か ら は ふ ち ど り は ふ ・交 通  JR八幡宿駅下車  徒歩3分 ・駐車場  20台

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とりやストアー 風戸公民館 144 日光寺 鶴峯八幡宮 山口屋 商店 木像地蔵 菩薩坐像 八坂神社 山口町会 自治会館 168

20

像高3.32m、木彫像としては県下最大を誇 ります。製作年代は11世紀前半ごろと推定 されており、県内の木彫像の中でも最も古 い作例の一つに数えられます。仏像彫刻で は珍しい桜の巨木の一木造です。頭部から 地付けまで内刳りが施されており、両腕は 肩で矧ぎ付けられています。温容、慈悲に あふれた威厳のある面相と均整のとれた肢 体には古典的な風格があり、房総地域の仏 像彫刻史上に欠くことのできない貴重な作 品と言えます。日光寺所蔵。 ほうじゅ くぎょう しゅじょう ざぞう し たい うちぐ は もくちょうぞう にっこうじ しゃくじょう び よせぎ づくり しっぱく のうえ

桜の巨木で形作られた

県内最大かつ最古級の木彫仏

高さ2.73mで、坐像の地蔵菩薩では日本最 大です。左手に宝珠、右手に錫杖を持つ比 丘形は、衆生の苦しみを救い、願いを叶え る姿ですが、この像は特に救済力の大きさ を表わしているようです。ヒノキ材の寄木 造で、肌の部分は漆箔、衲衣にはベンガラ 彩色が施されています。頭部は江戸時代の 面長な顔立ちに替わっていますが、重ねた 衣の構成や彫りの深さ、膝を大きく張る特 徴から鎌倉時代の作風をとどめた南北朝時 代の作と考えられます。山口地区管理。

日本最大級の地蔵菩薩坐像は

力強く豊かな体躯が特徴

木造聖観音立像

も く ぞ う し ょ う か ん の ん り ゅ う ぞ う

Standing Sho-Kannon ,wood

MAP 所在地 見 学 問合せ P52 B-1 風戸81 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会)

木造地蔵菩薩坐像

も  く  ぞ  う じ  ぞ  う  ぼ   さ   つ   ざ   ぞ  う Seated Jizo-Bosatsu,wood MAP 所在地 見 学 問合せ P56 A-1 山口270−1 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  小湊鉄道上総久保駅下車  徒歩30分 ・駐車場  8台 ・交 通  小湊鉄道光風台駅下車  徒歩15分 ・駐車場  5台

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21 409 橘褝寺 牛久小

21

中尊の薬師如来坐像は、像高83cmの寄木 造。両脇侍の日光・月光菩薩は像高約1.09m の一木割矧造で、三尊ともカヤ材です。如 来像の背板に墨書がみられ、弘長元年(1261) に橘禅寺が焼失したので、翌年常陸公蓮上・ 信濃公新蓮の両仏師により、新造されたこ とが記されています。本像は確実な製作年 代と仏師名がわかる資料として彫刻史上重 要な作例です。また、2体の神将立像は、像高 1.06mの一木造で、橘禅寺焼失前の12世 紀後半の像であり、もとより一具の二天像 であったとみられます。橘禅寺所蔵。 

再興された薬師三尊に秘められた

村人たちの信仰心

迫力と量感に満ちた

阿吽の呼吸に注目

両脇侍立像

神将立像

木造薬師如来坐像及び

もくぞうやくしにょらいざぞう りょうわきじりゅうぞう しんしょうりゅうぞう

Seated Yakushi-Nyorai and two Attendants,Standing Shinsho,wood

MAP 所在地 見 学 問合せ P54 D-2 皆吉6 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会)

木造金剛力士立像

も く ぞ う こ ん ご う り き し り ゅ う ぞ う

Standing Kongo-Rikishi ,wood

MAP 所在地 見 学 問合せ P54 D-2 皆吉6 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  小湊鉄道上総牛久駅下車  徒歩30分 ・駐車場  10台 よせぎ づくり りょうわきじ にっこう がっこうぼさつ いちぼくわりはぎづくり せいた ぼくしょ こうちょう ぶっし にてんぞう きつぜんじ きつぜんじ きつぜんじ いちぐ ひたちこうれんじょう し な の こ う し ん れ ん 両像とも松材の寄木造で像高は2.40mです。 大づかみな肉どりは量感にあふれ、憤怒の 表情に迫力があります。阿形像の後頭部内 面にある墨書には、「弘長三年(1263)八月 十七日」の紀年銘と「常陸坊」、「尾張坊覚 念」の両仏師名が記されています。また吽 形像の首部内面には「橘寺聖僧」と「文 永(1264∼75)」の銘があります。本尊 の薬師三尊の墨書銘にも「常陸公」、「弘 長二年」とあることから、一連の造像であ ることがわかります。橘禅寺所蔵。 よせぎづくり ふんぬ あぎょうぞう  ぼくしょ        こうちょう ひたちぼう       お わ り ぼ う か く ねん ぶっし ぎょうぞう       き つ じ ひ じ り そ う うん えい   ぶん 阿形像 吽形像

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稱禮寺 NTT 電話交換 センタ 薬師堂 143 MAP 所在地 見 学 P51 B-5 引田94 非公開(33年に1度のご開張時のみ) MAP 所在地 見 学 問合せ 市原市全図 上高根1095 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会) 問合せ 0436-23-9853(教育委員会)

秘仏の鉈彫像が伝える

厳しくも優しい観音の姿

平安時代につくられた薬師仏のなかで、中 尊と脇侍がそろって伝存している例は県内 でも少なく、この点が高く評価されていま す。三尊ともカヤ材が使用されており、伝 統的な一木割矧造(一木の像を割り、内側 をくりぬいて接合する技法)によって造ら れています。古像としての量感と穏和な整 いを併せ持っており、衣文を浅く彫り出す 技法にも、平安時代後期の仏像の特色を見 ることができます。称禮寺管理。

谷間の村落に伝わる三尊は

小ぶりながらも量感ある造り

木造聖観世音菩薩立像

も く ぞ う し ょ う か ん ぜ お ん ぼ さ つ り ゅ う ぞ う

Standing Sho-Kanzeon-Bosatsu ,wood

木造薬師如来坐像及び

両脇侍立像三軀

もくぞうやくしにょらいざぞう りょうわきじりゅうぞうさんく

Seated Yakushi-Nyorai and two Attendants ,wood

・交 通  小湊鉄道馬立駅下車  徒歩20分 ・駐車場  1台 カヤ材の一木造で高さは1.05mです。鉈彫 りと呼ばれる作風が特徴で、仕上げ前の荒 彫りの段階で丸ノミの痕を整然と刻んで、 木彫独特のリズミカルな表現を生み出しま す。平安時代前期を過ぎてからみられるこ の作風は全国的にも珍しく、県内では3例 が知られていますが、11世紀頃とされる蓮 蔵院像は県内で最も美しく気品も備わって います。胴を引き締め、腰を少し左に振る 体躯にも、観音の慈悲がこめられています。 蓮蔵院所蔵。 いちぼくづくり  なたぼ  たいく じ ひ れんぞういん やくしぶつ      ちゅう そん わきじ さんそん いちぼくわりはぎづくり えもん しょうらいじ 鉈彫り(腰部分)

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小湊 タクシー サンプラザ 市原 徳政内科 クリニック コン ビニ 東口 ロータ リー 西口 ロータリー 小湊鉄道 小湊鉄道 蒸気機関車 蒸気機関車 小湊鉄道 蒸気機関車 五井駅 飯香岡八幡宮 P 千葉銀行 八幡支店 飯香岡通 り 白金 通り 千葉鴨川線 ロータ リー 八幡 宿駅 25 飯香岡八幡宮には、中世・近世・現代の3 代にわたり、一の宮、二の宮、三の宮、若 宮の12基の神輿があります。このうち、中 世の神輿は、照り起りのある宝形造の屋根 や基台周辺の瑞垣を板玉垣にするなど、室 町時代の建築・工芸様式を示しています。 また、一の宮の天井板から発見された至徳 元年(1384)銘の墨書は、神社の縁起と 一致します。写真は一の宮で高さ1.65m、 幅1.14m。屋根の4面に菊と桐の紋を交互 に浮彫しています。 て    むく      ほうぎょうづくり みずがき  いたたまがき  ぼくしょ        えんぎ しとく きり うきぼり

「至徳」銘の神興が魅せる

伝統工芸技術の粋

現在展示されている3両のうち2両(写真右 と中央)は、大正14年に小湊鉄道が開業し た際、アメリカのボールドウィン社より輸 入された6輪連結10輪タンク機関車です。 重量38t、全長9.8m、昭和38年まで走り ました。他の1両はイギリスのべイヤー・ピ ーコック社製で、日本鉄道が輸入した4輪連 結10輪タンク機関車です。昭和21年から 25年まで小湊鉄道を走りました。重量は36t、 全長は11.3m。いずれも小湊鉄道が所有し、 五井機関区に保存されています。

市原の近代化を牽引した

3台の蒸気機関車

漆塗金銅装神輿

う る し ぬ り こ ん ど う そ う み こ し

Red-lacquered portable shrines decorated with gilt bronze fittings

MAP 所在地 見 学 問合せ P49 A-4 八幡1057-1 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会)

小湊鉄道蒸気機関車

こ み な と て つ ど う じ ょ う き き か ん し ゃ

Kominato railway steam locomotive

MAP 所在地 見 学 問合せ P48 C-2 五井中央東1-1-2 自由 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR五井駅下車徒歩1分 ・駐車場  2台 ・交 通  JR八幡宿駅下車  徒歩3分 ・駐車場  20台

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297 ←市 役所 稲荷台 通 り P 埋蔵文化財 調査センター 文化財センター 市原中 G.S 中央武道館 市原小 江子田金環塚は6世紀前半に造られた古墳 で、馬具・工具・武器・装身具などが合わ せて359点出土しました。その中には、同 種の馬具においては県内最古の例となる装 飾馬具や、純金製の耳環を含めた装飾品な ども確認されています。この古墳が瓢箪塚 古墳から金環塚と名称を変更したのはこの 耳環の出土によるものです。養老川流域最 奥部の古墳群に属しますが、下流域の古墳 群と同様に畿内政権との深いつながりを物 語る資料です。 そ う し ん ぐ こんじき じかん ひょうたんづか え ご だ きない

首長が身にまとった

金色に輝く耳飾り

出羽三山信仰に基づいて、梵天納めの日 (20年に1度)に奉納されていたとされる おはやしで、現在は海保神社の祭礼日など に演じられています。大太鼓1、小太鼓2、 笛1、鉦1の構成で、神田ばやし系統の曲 目ですが、太鼓の動作が大きく派手なのが 特徴的です。大塚ばやし保存会が結成され ており、最近では大編成で演じられるなど、 祭礼に限らず活躍の場も広がっています。 ぼ ん て ん お さ かね で わ さ ん ざ ん

派手な太鼓の所作

見栄えのある祭ばやし

江子田金環塚古墳出土一括遺物

え ご だ き ん か ん づ か こ ふ ん しゅ つ ど い っ か つ い ぶ つ

The artifacts of Egoda-Kinkanzuka tumulus

MAP 所在地 見 学 問合せ P49 D-5 能満1489(埋蔵文化財調査センター保管) 要問合せ 0436-41-9000

大塚ばやし

お お つ か ば や し Otsuka-Bayashi MAP 所在地 見 学 問合せ P51 B-4 海保地区 海保神社祭礼日(毎年3月15日直近の日曜) 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR五井駅から  中央武道館行き小湊バス  埋蔵文化財センター(終点)  下車徒歩2分 ・駐車場  100台 大型可   (中央武道館第二駐車場) ・交 通  JR五井駅から  帝京大学病院行き小湊バス  中谷下車徒歩35分 ・駐車場  3台 館 山 自 動 車 道 13 森厳寺 海保神社 海保霊園

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秋の大祭の日に、境内に仮設される神楽殿 において奉納される十二座神楽です。以前 は春の大祭に神楽を奉納しており、秋には 流鏑馬が行われていました。この神楽は、 鎌倉の鶴岡八幡宮から伝わったといわれて おり、同八幡は、鎌倉の鶴岡八幡宮、館山 の鶴谷八幡神社とともに「関東の三鶴」と 称されることもあります。現在は鶴峯八幡 神楽保存会が結成され、文化財としての伝 承が図られています。 かぐらでん や ぶ さ め つるがおかはちまんぐう つ る が や は ち ま ん じ ん じ ゃ

遠く鎌倉より伝わった

八幡神社の秋の風物詩

飯香岡八幡宮の秋季大祭にまつわる神事で す。柳は神降臨のための霊木で、八幡神は武 神であるため、柳で作った楯であるとの説も あります。柳楯は市原地区の司家が1年交代 で調整しており、柳の小枝25本と青竹5本を 使って毎年新調します。市原を出た柳楯は二 日かかって飯香岡八幡宮へと到着し(右図参照)、 そこから大祭が始まります。大祭では神輿を 先導して町内を巡回し、その後本殿内に安置 されます。翌年正月14日のドンドン焼きの際 に焼かれます。 れいぼく つかさけ しんじ ぶ しん みこし

市原の台地上から二日

がかりで運ばれる柳の楯

鶴峯八幡の神楽

つ   る   み   ね   は   ち   ま   ん   の   か   ぐ   ら

Kagura in Tsurumine-hachiman shrine

MAP 所在地 見 学 問合せ P52 B-1 中高根269 鶴峯八幡神社の秋の大祭(10月の第3日曜日) 0436-23-9853(教育委員会)

市原の柳楯神事

市原の柳楯神事 ルートマップ い  ち は ら の や な ぎ だ て し ん じ Yanagitate-Shinto in Ichihara MAP 所在地 見 学 問合せ P49 B-4 市原、五所、八幡 毎年旧暦の8月15日 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  小湊鉄道光風台駅下車  徒歩20分 ・駐車場  6台 とりや ストアー 風戸公民館 144 日光寺 鶴峯八幡宮 A 297 16 館山自 動車道 B C A D E F G H A…司家(柳楯調製) B…光善寺(出振舞) C…市原八幡(拝礼) D…阿須波神社(拝礼・旅の祈願) E…五所小学校校門(五所出迎え) F…五所町民館(柳楯引渡式・出振舞) G…五所橋(一ノ宮出迎え) H…飯香岡八幡宮(秋季例大祭)

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コン ビニ 戸隠 神社 上総 国分寺跡 雷電 池 神門5号噴 直径33m、高さ5mを測る円形の墳丘と、 西側に張り出した長さ約5.5m、幅5mの 突起部分を持ったいちじく形をした墳形で、 幅6mの周溝をめぐらせています。その墳 形は前方部が未発達で、典型的な前方後円 墳となる以前の過渡的な様相を示していま す。また、その出土品から3世紀後半、つ まり古墳時代の最も初期のものと判明し、 県内はもとより、東日本でも最古の古墳と 考えられています。 ふんきゅう か と ふんけい ぜ ん ぽ う ぶ

古墳時代の到来を告げる

東日本最古級の古墳

神門5号墳

ご   う   ど   5   ご   う   ふ   ん Goudo tumulus 5 MAP 所在地 見 学 問合せ P48 D-3 惣社5-5-1 自由 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR五井駅から  国分寺台行き小湊バス  市役所下車徒歩5分 ・駐車場  20台 国分寺駐車場使用 市原市は出羽三山(山形県月山・羽黒山・ 湯殿山)への信仰がとても盛んな地域です。 なかでも上高根では、毎年夏に三山の登拝 を続けています。集落から離れた山腹には、 行を行うための行屋(宝暦4年・1754年 の棟札あり)が残ります。行屋の前には梵 天を立て、8日講や20日講など、行屋に 集まり祈祷し、囲炉裏を囲んで共同飲食を 行うなど、今も信仰がいきづいています。 社会構造や生活形態の変化に伴って急速に その本来の姿を失いつつある民俗行事の多 いなかで、古くからの伝統を守り続けてい る本事例は貴重なものです。 で わ さ ん ざ ん   ぎょう てん ぼん きとう ぎょうや ほうれき こう

今なお残る

出羽三山への篤い信仰

上高根の三山信仰

か み た か ね の さ ん や ま し ん こ う

The belief to Sanyama in Kamitakane

MAP 所在地 見 学 問合せ P52 C-1 上高根地区 要問合せ 0436-23-9853(教育委員会)

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二子塚 古墳 平成通り 千葉 鴨川 線 JR内房 線 24 明神小 姉崎 天神山 古墳 鶴窪 古墳 青葉 台小 明神小 姉崎 高校 13 市原茂原線 千葉 鴨川線 釈迦山 古墳 全長130m、前方部幅50m、後円部径67m を測る、姉崎古墳群において最大規模の前 方後円墳です。発掘調査は行われていませ んが、前方部が後円部より約5m低く、前 方部が細長い形状などから、築造年代は姉 崎古墳群中でも早い時期の4世紀後半頃と 推定されています。4世紀代の古墳として は南関東でも最大規模を誇り、養老川下流 域の勢力が重要な位置を占めていたことを 示しています。 ぜ ん ぽ う こ う え ん ふ ん ちくぞう 

東京湾にのぞむ

うなかみの首長墓

姉崎天神山古墳

あ ね さ き て ん じ ん や ま こ ふ ん Anesaki-Tenjinyama tumulus MAP 所在地 見 学 問合せ P50 B-2 姉崎2489他 自由 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR姉ヶ崎駅下車  徒歩30分 ・駐車場  なし 低地の砂丘上に立地する前方後円墳で、全 長106m、前方部長54m、後円部径52m を測る、姉崎古墳群中の一つです。昭和22 年に行われた発掘調査により、鏡・首飾り・ 冑片・銀製腰佩等、数多くの副葬品が出土 しました。また、これに先立って、昭和20 年(1945)に発見された石枕(現在は國學院 大学にあります)は重要文化財に指定され ています。また築造は5世紀の中頃と推定 されています。姉 神社管理。 ぜ ん ぽ う こ う え ん ふ ん かぶと      ようはい        ふくそうひん いしまくら こくがくいん ちくぞう あねさき

重要文化財の石枕が出土した

代表的な中期古墳

二子塚古墳

ふ   た   ご   づ   か   こ   ふ   ん Futagozuka tumulus MAP 所在地 見 学 問合せ P50 A-2 姉崎1762他 自由 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR姉ヶ崎駅下車  徒歩15分 ・駐車場  なし 石枕(國學院大学考古学資料館)

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君津環境整備 センター 大福山自然林 展望台 養老渓谷駅→ 柴田博子 児童画美術館 飯香岡八幡宮 夫婦銀杏 P 千葉銀行 八幡支店 飯香 岡 通 り 白金通り 千葉鴨川線 ロー タリ ー 八幡 宿駅 MAP 所在地 見 学 問合せ 市原市全図 石塚字杉賀畑546 自由 0436-23-9853(教育委員会) 白鳥神社の杜として古くから保護されてき た自然林で、これまでに樹木112種、草木 272種、シダ類44種が記録されてます。 森林の階層構造もよく発達し、主にスダジ イ・アカガシ・モチノキ・タブノキなどが 生い茂っており、典型的な照葉樹林を構成。 ハイキングなどにも格好のスポットとして、 市民に親しまれています。山頂近くにある 展望台の南方からは、梅が瀬渓谷から房総 丘陵の山々と九十九谷が織りなす見事な眺 望が楽しめます。 しらとり        もり く じ ゅ う く た に

房総の自然を満喫できる

山頂からの眺め

社伝によると、天武4年(675)3月、八 幡宮勧請の際に、勅使桜町中納言季満卿に よって植えられた記念樹であると伝えられ ています。地上2.8mのところから二股に 分かれて相対しているので、この夫婦銀杏 の名がつけられました。葛飾北斎の漫画に も登場するなど、その存在は江戸時代から 広く知られていました。太さは目通り約 11m、高さは各々16mと17mを測ります。

北斎の漫画にも登場する

樹齢1300年超の大銀杏

大福山自然林

だ い ふ く ざ ん し ぜ ん り ん

Natural forest in Mt. Daifuku

飯香岡八幡宮の夫婦銀杏

い い が お か は ち ま ん ぐ う の め お と い ち ょ う

Couple ginkgo in Iigaoka-hachimangu shrine

MAP 所在地 見 学 問合せ P49 A-4 八幡1057-1 自由 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  JR八幡宿駅下車  徒歩3分 ・駐車場  20台 ・交 通  小湊鉄道養老渓谷駅下車  徒歩90分 ・駐車場  15台 かんじょう       さ くらまちちゅうなごんすえみつ か つ し か ほ く さ い め ど お 24

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高滝小 高滝湖 市原市国保 市民病院 81 高滝神社 高滝神社 高滝神社 高滝 P 約16,000㎡に及ぶ高滝神社社域を覆い、 島状の独立丘陵上に発達した杜。閉鎖的な 森林生態を示し、暖帯林の特徴をもつ自然 林が尾根伝いにまとまっています。尾根の 北面には樹高20mを越える巨木のほか、 クリ・クヌギなど落葉広葉樹が繁茂。アラ カシ・ヒイラギなど常緑広葉樹も混生して います。また、南面はシダが多く、タブノ キ・アラカシ・ウラジロガシ・カサキなど が混生し、自然林の植生をよく示しています。   もり  

原始の植生を伝える

神の森

高滝神社の森

た   か   た   き  じ  ん  じ ゃ  の   も  り

The forest of Takataki shrine

MAP 所在地 見 学 問合せ P56 B-2 高滝1、2-1、2-2 敷地内不可 0436-23-9853(教育委員会) ・交 通  小湊鉄道高滝駅下車  徒歩約10分 ・駐車場  20台 高滝神社駐車場

みちしるべ

Q

&

A

東日本における古墳時代のあけぼの

神門古墳群

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Q

A

東日本最古といわれる「神門5号墳」はいつ頃造られたのですか?

古墳時代とは「古墳」が造られた時代のことです。では最初に造られた古墳 は一体どれなのでしょうか? この答えは現在でもはっきりとしていません。 邪馬台国の卑弥呼を葬ったお墓(西暦250年頃)が最初の古墳であるとい う説があります。その墓の場所については諸説ありますが、弥生時代が古墳 時代へと変わることは、お墓の変化がひとつのポイントです。房総半島では 弥生時代の方形周溝墓から、前方後方墳や前方後円墳へと変化します。神門 古墳群はこの変化の過程を表す形のお墓なのです。そこからは、東海地方や 近畿・北陸といった遠方から持ち込まれた遺物がみつかっています。そのよ うな各地方を集約することのできる大きな力が働き、神門古墳群というお墓 をつくることで、東日本の古墳時代への胎動が動き始めたのです。 (神門5号墳・4号墳・3号墳) ご   う   ど   こ   ふ   ん   ぐ   ん や ま た い こ く     ひ み こ ほうけいしゅうこうぼ         ぜんぽうこうほうふん    ぜんぽうこうえんふん

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みちしるべ

Q

A

たんじょうじ      こみなと さとみ きよすみやま 所在地 交 通 五井中央東1-1-2 JR五井駅下車徒歩1分

 Q

&

A

アメリカ仕込みの五井生まれ

小湊鉄道蒸気機関車

Kominato railway steam locomotive

小湊 タクシー サンプラザ 市原 徳政内科 クリニック コン ビニ 東口 ロータリー 西口 ロータリー 小湊鉄道 小湊鉄道 蒸気機関車 蒸気機関車 小湊鉄道 蒸気機関車 五井駅

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小湊鉄道の蒸気機関車は、後ろ向きに走ったって本当ですか?

内房の五井から誕生寺のある外房の小湊まで、参詣の人々を輸送しようと、 小湊鉄道は大正14年に開業しました。小湊鉄道の会社名は、この時の夢 実現にむけてつけられたものです。始めは里見駅まで、後に上総中野駅ま で延長されていますが、清澄山の堅い岩盤に阻まれて、ついに誕生寺まで 辿り着くことができませんでした。創業当時の蒸気機関車は、アメリカボ ールドウィン社製の最新鋭。部品で輸入し、五井で組み立てられました。 上総中野駅には回転台がないため、五井へ向かう時は客車を鼻先で引きつ つ、後ろ向きに走ったのです。

小湊鉄道の

沿革

大正 6年 5月19日  創立(本社 千葉市寒川町) 大正14年 3月 7日  鉄道第1期線営業開始(五井∼里見25.7km) 大正15年 9月 1日  鉄道第2期線営業開始(里見∼月崎4.1km) 昭和 2年 9月28日  電灯及び電力供給事業営業開始(鶴舞駅に発電所跡) 昭和 3年 5月16日  鉄道第3期線営業開始(月崎∼上総中野9.3km) 昭和 3年 8月19日  本社市原市五井へ移転 昭和22年 7月 1日  自動車事業(乗合バス)営業開始 昭和48年12月 7日  五井∼上総牛久間単線自動信号装置使用開始 平成 7年 2月 1日  同区間ATS(自動列車制御装置)使用開始

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寛仁4年(1020)9月3日、作者上総介菅原孝標女が、父の任国である 上総国を出発する時に筆を起こし、康平元年(1058)、夫の橘俊通と死 別するまでの約40年間を和歌と共に綴った回想録です。10歳の時に父孝 標・義母・兄・姉とともに上総国府のある市原に来た作者は、草深い東国 の一地方都市で、夢多き少女時代の4年間を過ごしました。学者や文学の 家柄の末子として生まれた作者は、都で流行している源氏物語にあこがれ、 早く都に帰りたいと人目を忍んで薬師仏に祈っていました。しかし、ひと たび帰京の日が近付くと、遊びなれた所を去る少女らしい複雑な心境が顔 をのぞかせます。  近年、その頃の道路跡が発掘されました(P.49地図内古代道跡参照)。 律令体制によって計画的に整備された「官道」です。道は市原の台地上を 山田橋から郡本へと北上し、市原で低地におりて海岸線の道へと向かって います。孝標女が牛車で揺られた道かもしれません。 五井駅東口前の通りには「更級通り」の愛称が つけられ、孝標女のモニュメントが建てられています 稲荷台遺跡 古代道跡の発掘調査風景

都への憧憬と市原への思慕

繊細な乙女心が覗く旅の始まり

更 級 日 記

いちはら

紀行

亥の海道遺跡 古代道路面 かんにん こくふ ぎっしゃ かずさのすけすがわらのたかすえのむすめ こうへい たちばなのとしみち

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さ     ら     し     な     に     っ     き

(34)

かつて、万葉集に「海上潟」と詠まれた静かな入江

そこにそそぎ込む母なる川

臨海から渓谷まで、

「海幸彦」

「山幸彦」の棲む市原は

そっと、私たちの暮らしを見守っています

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と “

国分寺薬師堂 ア イ

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参照

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