推意の文化相対性とグライス的理性
三木那由他
2016/10/21
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序
本稿では,現在の語用論の諸理論にはグライス的理性とでも呼びうるものが万人に共通してあるという仮定 がおかれていること,そして推意の文化相対性ゆえにこの仮定がそのままの形では維持できないということを 論じる.これにより示されるのは,万人に共通の理性というものは,もちろん人間固有の認知能力を「理性」 と呼ぶならば完全に退けることはできないにせよ,従来の議論で想定されているよりも小さな役割しか果たし ていないということである. 語用論とは,現在の言語学において音韻論,形態論,統語論,意味論と並んでひとつの分野をなす営みであ る.その主な対象は,コミュニケーションの場面における言語表現の使い方である.例えば私たちは「きょう これから雨だよ」と言うことで,きょうは出かけるのをやめたいという内容を伝達することができるが,これ は用いられた文そのものの意味を超えた内容であり,むしろその文の特定の場面における使用によってもたら されている.こうした文そのものの内容とは区別される伝達内容は,「推意(implicature)」と称され,語用論 の研究対象の典型となっている.これ以外にが語用論の領域に含まれている現象として,文を用いるときに自 明視されている内容を示す「前提(presupposition)」や,文を用いることでなされる主張や疑問といった行為 を表す「言語行為(speech act)」,さらに場合によっては具体的な文脈で意味が決定される指示詞や指標詞の ふるまいなどがある.Sperber & Wilson (1986/1995)以来,語用論はコミュニケーションのその標準的なモデルとしていわゆる 「推論モデル(inferential model)」を前提にしている.そしてこのモデルの創始者と一般に目されているのが イギリスの哲学者グライスである.まずはこの推論モデルの特徴と,コミュニケーションの成功可能性の問題 を手掛かりに,推論モデルの背後にはある種の理性主義が横たわっていることを論じる.
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コミュニケーションの推論モデルとグライス的理性
Sperber & Wilson (1986/1995)では,コミュニケーションをとらえるモデルとしてコード・モデル(code model)と推論モデルの二種類が区別されている. コード・モデルによれば,私たちの用いる言語表現やその他の記号はメッセージと対応関係にあり,暗号の ようにメッセージを表現へとコード化し,逆に表現を解読してメッセージを復元することができる.話し手が 念頭に置いているメッセージを聞き手に伝達するという営みを「コミュニケーション」と呼ぶなら,コード・ モデルのもとでのコミュニケーションは,(1)話し手が心にメッセージを抱く,(2)メッセージをコード化する 表現を話し手が発話する,(3)聞き手が表現を受け取る,(5)聞き手が表現をデコードしてメッセージを復元
するというプロセスのもとでなされるということになる.こうしたコミュニケーション観は目新しいものでは なく,イギリス経験論の哲学者ロックが語を観念の名前としたときに念頭に置いていたのは,こうしたコミュ ニケーションのモデルであると一般に理解されている. コード・モデルがメッセージと表現の暗号表的な対応を仮定していたのに対し,そうした仮定抜きにコミュ ニケーションを理解しようとするのが推論モデルである.推論モデルによれば,話し手は自身の念頭に置く メッセージを推論させるような手掛かりとして発話を行う.聞き手はその発話から話し手の意図を読み取るた めの推論を行うことで,それに込められたメッセージを復元する. グライスがこうした推論モデルの出発点と目されるのは,彼の提示した話し手の意味の理論と呼ばれる分析 と,推意の理論と呼ばれる語用論理論の二大柱による. 話し手の意味とは,話し手が発話によって何かを意味するという現象を総称する用語である.Grice (1957) によれば,話し手Sが発話xによってpということを意味するというのは次と同値として分析される. Sはある聞き手Aに対して次のことを意図してxを発話する: 1. Aがpと信じること, 2. AがSの意図1に気づくこと, 3. AがSの意図1に気づいたことが理由の一部となってpと信じること. その後,同様にして話し手の意味を特有の意図を伴った発話と見なす立場からの分析がいくつも試みられ, この流れは一般に「意図基盤意味論(intention-based semantics)」と呼びならわされているが.いずれも大 枠として話し手の意味の成立条件が「S は……p……ということを意図してxを発話する」という文の真理 条件と一致すると見なし,この「……」をそれぞれ異なる仕方で埋めるものとなっている(Strawson 1964; Grice 1969; Schiffer 1972; Harman 1974; Bennett 1976/1990; Grice 1982; Neale 1992; Davis 2003; Green 2007).この意図基盤意味論の持つ重要な想定は,話し手が何を意味しているかは話し手の心理状態によって 決定されるというものである.すなわち,話し手が持っている意図の内容がもっぱら意味されている内容を決 定するということだ. 意図基盤意味論において話し手の意図がもっぱら意味される内容を決定するということは,三木(2014)で 論じた問題を生じさせる.すなわち,話し手が何を意味するかは話し手の自由となり,そして適当な心理状態 を備えている限りで,話し手はおよそいかなる発話によっても,所有する意図に対応した事柄を意味すること ができることになるという問題である.これはかつてMacKay (1968)がDonnellan (1966)における確定記 述の指示的用法に関して与えたのと類比的な批判である.Donnellan (1966)は,定冠詞「the」と普通名詞句か ら構成される確定記述が,そこで述べられている属性を持つ対象をピックアップする帰属的用法(attributive use)と,何であれその記述によって話し手が意図した対象をピックアップする指示的用法(referential use)と を持つと論じているが,MacKay (1968)の批判の要点は,ドネランの説明が正しければ指示的用法において 指示対象と用いられた表現のあいだには,話し手が適当な意図を備える限りで何ら体系的な関係がある必要 もないことになるというものであった.すなわち話し手は指示したいものを任意の確定記述で指示できるよ うになるのではないかという批判である.これは確定記述の指示的用法に向けて述べられた批判であったが, Donnellan (1968)は,それがむしろ意図基盤意味論という営みへの批判となっていると適切に指摘している. 一般に,話し手の意図と話し手の発話とは,他の話し手の心理状態次第でいかなる関係も取りうる(xという 発話は,pと信じさせたいという意図とxはpを聞き手に信じさせるのに十分だという信念によっても,¬p と信じさせたいという意図とxは¬pを聞き手に信じさせるのに十分だという信念によってもなされうる). 意図基盤意味論は話し手の意図が話し手の意味する内容を決定すると定めることにより,意味と発話との関係
を分断するのである. では,聞き手はいかにして話し手が意味する内容に到達するのであろうか? これに対する意図基盤意味論 からの基本的な回答は,「話し手の意図を推察することによって」となるだろう(see Buchanan 2010).しか し,いかなる推論のもとで聞き手は話し手の意図を推察できるのだろうか? グライスの推意の理論はこれを 扱っている.グライスの哲学において,話し手の意味の理論と推意の理論は,いわば話し手が何かを意味し, 聞き手がそれを理解するというコミュニケーションにおける,話し手の側の理論と聞き手の側の理論という相 補的なものとなっている. 推意の理論の詳細は次節に回すが,その核となるのは「協調原理(Cooperative Principle)」とグライスが呼 ぶ原理である.協調原理は,「発言を行う際には,それがなされる段階において,いま従事している会話の目 的や方向性が求めているような発言をせよ」(Grice 1975, p. 26)とまとめられる.さらに協調原理に従うと いうことは,量,質,関係,様態の四つの格率に従うことであると特徴づけられる(Grice 1975, pp. 26-27). 量 1. 発言を(会話の目的にとって)必要なだけ情報のあるものとせよ. 2. 必要以上に情報のある発言をするな. 質 真なる発言をなすように心がけよ. 1. 偽だと信じていることを言うな. 2. 十分な証拠のないことを言うな. 関係 関連性を持て. 様態 明瞭たれ. 1. わかりにくい表現を避けよ. 2. 多義性を避けよ. 3. 簡潔たれ(不要な冗長を避けよ). 4. 順序立てよ. 協調原理は,人々が(おおむね)従っているということが単に経験的に確かめられるといったものではな く,グライスの考えでは会話というものの営みから超越論的に要請されるものであるとされている.すなわ ち,「会話/コミュニケーションにとって中心的な目標(情報の授受,他者との影響の与えあいなど)を気に する者なら,協調原理と諸格率に全般として従ってなされているという仮定のもとでのみ有益になるようなや り取りに参加することへの関心を持つことが期待されなければならない」(Grice 1975, p. 30)とグライスは 主張する.これはつまり,有益な会話に参加している者ならば,その事実ゆえに協調原理に従ったやり取り に参加しているものと見なされなければならないということである*1.それゆえ,協調原理はそれに従ってい ないやり取りはまともな会話とは言えないようなものとなり,それゆえに話し手と聞き手が共通して従って いると想定される原理となる.推意の理論の肝は,話し手の発話と話し手が協調原理に従っている(従おう としている)という前提から,聞き手は話し手が発話によってその字義的意味を超えて伝達しようとしてい る内容を復元することができるということである.こうした字義的意味を超えた伝達内容が,一般に「推意 (implicature)」と呼ばれている. さて,話し手の意味の分析と推意の理論から,グライスが思い描いていたコミュニケーションの図式が見て 取れる.話し手は何らかの意図を形成し,その意図に従って発話を行う.このとき,その意図が適当なもので *1こうした議論の立て方には,およそ知覚が成立するには何が成立していなければならないかを論じたカントからの影響があるだろ う.
あるならば,話し手はその発話によって何かを意味する.聞き手はその発話と話し手が協調原理に従う(従お うとしている)という仮定から,その場面においてその発話で話し手がなそうとしていることを推測し,それ によって話し手が伝達しようとしている内容を復元する.この際,コード・モデルが想定する暗号表のような ものが用いられていないことに気を付けてほしい.話し手の抱く意図とその発話のあいだにはコードのような 関係はない.そして,聞き手はデコードによってではなく,話し手の意図への推測によって意味を復元してい る.暗号表による対応ではなく聞き手による推論をコミュニケーションの基礎的要素と見なす点で,グライス がもたらした見方はまさにコミュニケーションの推論モデルとなっている. さて,ここまででコミュニケーションのコード・モデルと推論モデルの対比,さらにグライスが話し手の意 味の分析と推意の理論によって推論モデルを提示していたことを見た.この推論モデルは関連性理論において その理論的基礎として採用されて以来(Sperber & Wilson 1986/1995),語用論における標準モデルとなって いる.実のところグライス派語用論,関連性理論,ポライトネス理論といったさまざまな理論は,推論モデル を採用したうえで聞き手が発話を前提に行う推論の特徴づけをさまざまな異なる仕方で試みているものと捉え られる. しかし,推論モデルにはある疑問点がある.それは,話し手の意味と聞き手が推論によって到達する内容と の一致がどのように保証されるのかという疑問だ.もちろん,実際のコミュニケーションで話し手と聞き手の 意思疎通が常に完全になされているというわけではない.しかし,日常の会話の場面において,話し手と聞き 手の意思疎通は,ほとんどの場面で大きな問題を生じさせない程度に緩やかに一致していると言っていいだろ う.少なくともそうした一致は,単なる偶然の一致よりも十分な根拠を持ったものだと考えていい.コード・ モデルにおいては,そうした事実は暗号表の共有によって説明される(むろん,そうした共有がいかに起きて いるのかというさらなる問題はあるが).だが,推論モデルはいかにそれを説明するのだろうか? この関連で,一般に意図と行為は一対一には対応しないということを述べておくべきだろう.例えば傘を取 るという行為を考えてみよう.状況を明確にするため,窓の外では雨が降っていて,私はそれを明らかに見て いるとしよう.そして私は傘を取った.私の意図は何であろうか? 自分の身を雨から守ろうという意図から 傘を取ったのだろうか? いや,誰かに傘を持たせようと意図したのかもしれない.あるいは単に傘がちゃん と開くか確認しようと意図したのかもしれない.そのいずれであるかは,私がそのとき抱いているさまざまな 信念や他の心理状態,あるいは当該の意図以外のさまざまな意図に依存している.これから出かけようという 意図を持っており,かつ濡れたくないと欲しており,濡れずに出かけるには傘を持っていく必要があると信じ ているなら,私はおそらく自分の身を雨から守ろうと意図して傘を取ったのだろう.だが,友人が出かけよう としていて,その友人は傘を持っておらず,雨に濡れたくないと思っているといったことを私が信じ,しかも 傘を渡すことが友人の欲求をかなえると信じ,そしてそれをかなえたいと欲しているなら,私が傘を取るのは 友人に傘を渡そうという意図のもとでであろう.行為と意図を対応付けるには,行為者の心理に関する無数の 背景が必要となるのであり,そうした背景次第で行為と意図の結びつきはおよそいかようにでも変わるのであ る.これは,行為からその意図を推察するという推論が,一般に非演繹的であることに由来している. 話し手の意味に立ち返ると,すでに私たちは話し手の意図と話し手の発話は,話し手が適当な心理状態を備 えている限りでおよそどのようでもいいということを見ていた.これはいま述べた意図と行為との結びつきの 多様性の具体的な現れでもある.そのうえで,意図と行為を一意的に結びつけることは豊かな背景なしにでき ない以上,聞き手の推論における話し手の意図と行為の結びつきもまた多様でありうる.とりわけ話し手と聞 き手が初めてやり取りをしたような場合にはそうだろう.従って,まず話し手は抱く心理状態次第でいかよう にでも意図と発話を結びつけることができて,しかも聞き手は話し手の心理に関する想定次第でいかようにで も話し手の意図と発話を結びつけることができる.話し手の抱く意図と聞き手が推察する意図が一致するに
は,この二重の「いかようにでもありうる」を突破し,共通の意図に到達しなければならない.推論モデルは これがいかに実現されているのかを問わねばならない. 三木(2009)はグライスにおいて話し手と聞き手の意思疎通を保証するものを探る試みだった.言語哲学の 脈絡では取り上げられることの少ないGrice (2001)のような文献を手掛かりにそこで論じたことは,以下の ようにまとめることができる. • グライスにとって,意味の理論は心の哲学の一部であり,ひいては理性的動物としての人間を理解する 営みの一部であった. • 話し手の意味が話し手の独特の意図によって分析されることにより,意味の理解の問題は心理帰属の問 題となる.そしてそれは,行動を前提に,その行動を説明する心理を結論する推論を行うということに なる. • 人間に共通の理性とは,妥当な一群の規則によって理由を与えようとする能力である.この能力は,理 性を備えたものなら誰でも到達可能であり,到達することが望ましいような理想的な論証に接近しよう とするものである. • 話し手と聞き手は理性を共有する以上,話し手の発話から話し手の意図を推測する際にも,理性に照ら して妥当な論証にできるだけ近づこうとする.それにより,話し手と聞き手はおおむね同じように話し 手に心理帰属する根拠が得られる. • これはすなわち,話し手と聞き手がおおむね同じように話し手の意味を理解しようとする根拠があると いうことである. 要するに,グライスは理性の普遍性と,その普遍性ゆえの人々の推論パターンの同型性を持ち出し,それに より話し手と聞き手が同じ発話に同じ心理を結びつけようとすると考えていたのである. もちろん,現在の語用論者が明示的にこうした哲学的主張を行っているわけではない.しかし,グライスが 至った立場は推論モデルに一般的に要請されるものだと考えられる.というのも,推論モデルが意思疎通を保 証するには,暗号表の共有に訴えることができない以上,なされる推論パターンの共有に訴えるしかないから だ.「理性」といった古典的な用語に基づくグライスの記述は古めかしくも見えるが,要点は話し手と聞き手 は推論パターンを共有していて,その共有された推論パターンをともに用いるがゆえに意思疎通がなされると いうことである.発話とその背後にある話し手の意図を結びつける,人間に共有された推論パターンを,ここ では「グライス的理性」と呼ぼう.本稿でこれまでに述べたのは,推論モデルは一般にグライス的理性を必要 とし,それがなければ意思疎通を単なる偶然の一致以上のものと見なすことはできないということである. 以上のように,コミュニケーションの推論モデルの出発点と目されるグライスの主張を参照しながら,推論 モデルはグライス的理性を要求するということを見た.本稿では以下において,グライス的理性というこの想 定の疑わしさを論じていく.そのためにまずは次節で,聞き手が発話から行う推論,いわゆる語用論的推論が 実際にはどのように特徴づけられているのかを,本節より詳しく見ていこう.
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語用論的推論
現在,語用論における標準的な理論となっているものには,大きくグライス派語用論(Grice 1975),新グラ イス派語用論(Levinson 2000),関連性理論(Sperber & Wilson 1986/1995),ポライトネス理論(Brown & Levinson 1987)がある.これらは必ずしも相互排他的な理論ではなく,実際に例えばGrice (1975)では,先 に述べた四つの確立に加えて丁寧さ(politeness)に関する格率を何らかの仕方で付け加えるという可能性も触れられている.またこれら四つの理論のなかで,新グライス派語用論は推論モデルに基づく語用論的推論の理 論ではなく,むしろ語用論的現象とされながら言語規約に基づいて分析できる事柄について論じたものであ り,他の三つとは毛色が異なる.新グライス派語用論は,むしろ本稿の主張したい道筋に沿った理論であるた め,ここでは他の三つ,特に前節で論じたグライスの議論から生まれているグライス派語用論に特に注目し, 語用論的推論というものがどのように特徴づけられてきたのかを見てみよう. グライス派語用論とは,グライスが推意の理論として体系化したメカニズムに基づく語用論的理論である. グライスは,まず発話によって話し手が言っていることと推意としていることを区別する.簡単にまとめる と,話し手の伝達内容のうち,用いられた言語表現の字義的意味に由来し,それゆえに取り消すことのできな い内容が言われていること(what is said),言語表現の字義的意味そのものには含まれないがその文脈で伝達 され,伝達する気がなければ話し手が取り消すことのできる内容が推意と呼ばれる.すでに前節で見たよう に,グライスの考えでは,話し手がその文脈において特定のことを言っているという事実と話し手が可能な限 り協調原理に従っているという想定とをもとに,聞き手は話し手の推意を計算する.グライスによると,聞き 手における推意の計算は次のようになる.またここで描かれているパターンは,グライスにとって話し手の意 味の理論と推意の理論が同じものの二つの側面を描いており,推意の理論がコミュニケーションにおける聞き 手による話し手の意図の推察をとらえるものだという前節の議論を裏付けている. 会話の推意を計算する一般的なパターンは次のように与えられよう.「彼はpと言った.彼が格率や少 なくとも協調原理に従っていないと想定する理由はない.qと考えているのでない限り,彼がこんなこ とをしようはずがない.彼がqと考えているという想定が要請されることが私にわかることを彼は知っ ている(し,彼が知っていると私が知っていると知っている).彼は,私がqと考えるのを妨げるよう なことを何らしていない.彼は私にqと考えさせようと意図している,もしくはそのように考えること を少なくとも許容する気がある.ゆえに彼はqを推意としているのだ」(Grice 1975, p. 31) 要するにグライスの考えでは,話し手が協調原理を守ろうとしているはずなのに,それに一見するとそぐわ ないことを言っている場合,話し手は言ったことそのもの以外の何らかの命題を聞き手に伝達しようと意図し てそのようにしており,その付加的な伝達のレベルで協調原理に従っていると想定され,聞き手はそのように して話し手の発話と協調原理とのあいだをつなぐような命題を探ることで話し手の意図に到達するわけであ る.先に述べた四つの格率は,より具体的に話し手がどのような仕方で協調原理を外見上破り,そしてそれに よっていかなる推意をもたらしているのかを分類・分析するのに用いられる.以下,グライス自身の挙げる例 をいくつか見てみよう. (1) A: I am out of petrol.
B: There is a garage round the corner. (Grice 1975, p. 32, 例文(1))
この例において,Bの発言は額面通りにはAの語った状況に対して無関係なことを言っている.もしもそ う感じないとしたら,それはBはガソリン・スタンドが開店しており,そこでガソリンが手に入ると思ってい るとすでに想定しているからだろう.実際,この想定さえあればBの発言は状況に適切に関連するものとな る.それゆえ先に特徴づけた推論によって,聞き手はBがそうしたことを推意としていると結論することが できる. (2) 君は僕のコーヒーのクリームだ.(Grice 1975, p. 34) 自明なことだが,「君」と呼ばれる相手が人間であるならば,この発話によって言われている文字通りの内
容は偽であり,普通の状況ならば話し手は当然そのことを理解している.従って,額面通り受け取ったならば 話し手は質の格率に違反し,ひいては協調原理に従っていないことになる.しかしここで,話し手はここから 推察される別の内容,例えば(グライス自身が明確な解釈を示してくれているわけではないが)聞き手は話し 手の人生から苦しさを減らしてくれる存在だといったことを話し手は思っているのだと想定したならば,話し 手が協調原理に従っているという仮定を維持できるかもしれない.その場合,話し手はそうした内容を推意と するだろう.
(3) a. Miss X sang “Home Sweet Home.”
b. Miss X produced a series of sounds that corresponded closely with the score of “Home Sweet Home.” (Grice 1975, p. 37) この例は会話ではなく,二つの可能な発話として(a)と(b)が対比され,話し手が(b)を選んだというふう に理解してほしい.(a)と(b)は真理条件的には変わらないか,少なくとも大きな差がなさそうだが,(b)は 明らかに冗長であり,話し手があえて(b)を選ぶなら,話し手は一見したところ様態の格率に,ひいては協調 原理に反しているように思える.しかし,話し手がミスXの歌には音程以外に何かまずい点(声量が不足し ているなど)があり,そのことを伝えようと意図してあえて(b)を選んだ((a)を選んでも聞き手はそのよう には思わないだろう)とすると,話し手の選択は正当化され,協調原理が守られることになる.このとき,話 し手はそうしたことを推意としていることになる. これらはごくわずかな例でしかないが,パターンは一貫している.話し手は文字通りに受け取ると協調原理 に反していることを言っているように思われるが,伝達内容を付加することで協調原理に反していないことに なるという場合に,話し手はその内容を推意として伝達していることになるのである.ここでは,この推論が 何らコード的なものに依存していないということが重要だ.聞き手はただ状況を認識し,話し手が言った命題 を理解し,あとは話し手が協調原理を守るという合理性を持っていると仮定しさえすれば,適当な推論ができ ることとなっているのである.コード的なものがかかわるのは言われた命題の理解に関してのみであり,そこ から先はすべて合理性に関する推論だけで遂行される.そうした推論が話し手の実際の意図と合致しがちなの は,すでに述べたように話し手と聞き手によるグライス的理性の共有によって説明されることとなる. 他の語用論的理論である関連性理論,ポライトネス理論も,原則的には同じ枠組みで動いている.異なるの は,会話の格率として何を措定するかである.関連性理論はグライスの四つの格率のうち,関係の格率(関連 性理論においては「関連性の原理」と呼ばれる)だけを残して残りを廃棄する.関連性理論の論者たちの想定 では,推意の計算はすべて関連性の原理のみから説明可能であり,グライスが他の格率に基づいて説明してい た事例も,実際には関連性の原理による推意のなかに含まれるとされる.ポライトネス理論はグライスが軽く 可能性に触れるだけでそれ以上追求しなかった丁寧さの格率というアイデアを具体化したものである.ポライ トネス理論によれば,私たちの会話にはポライトネスに関する原則があり,これへの見かけ上の違反もグライ スが他の格率について述べたような形で推意をもたらす. これらすべての理論は,何らかの一般的な推論パターンによって,聞き手は話し手の提示した命題とそのと きの状況,話し手の合理性の仮定から特定の命題に到達することができ,しかもそれが話し手の意味への到達 をもたらすと想定している.これまでも述べたように,この図式がコミュニケーションのおおむねの成功を説 明するためには,グライス的理性の共有が要請される.これに加えて,これらの理論はある帰結を持つ.それ は,グライス的理性を共有するものであれば,同じ推論パターンに従って同じ結論を出す,あるいは少なくと もそうしたものを目指そうとするという帰結である.実際,そうでない限りこの図式は機能しない.従ってこ れらの語用論的理論がもたらす立場は,ある種の普遍主義ないし理性主義である.その立場によれば,私たち
はグライス的理性の持ち主である限りにおいて普遍的に同じように発話を理解し,コミュニケーションに参与 することとなる.この立場からのさらなる帰結は,語用論に関して文化相対性は基本的に生じないということ である.むろん,発話におけるコード的な側面としての言われていることについて,文化相対性はあるだろ う.しかし,上記の図式において,言われていることが把握されたあとの推論はもっぱらグライス的理性に駆 動されてなされているだけであった.そこに文化相対性のもぐりこむ余地は想定されていない.いや,想定さ れたならばグライス的理性に従う限り私たちは一様な結論に向かうという,推論モデルを成り立たしめる前提 が崩される以上,そうした余地を想定することはそもそもできないのである. だが,私たちは果たして共有された普遍的な理性のもとで,誰しも(少なくとも理性的には)同じように推 論し,会話に参加しているのだろうか? 次節では,それが疑わしいということを論じていく.
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推意の文化相対性
前節までで見たように,推論モデルとそれに基づく語用論理論は,その根本においてグライス的理性の共 有という想定に根差しており,ゆえに語用論的推論について文化相対性を認める余地を持っていない.しか し,Levinson (1983)では,ポライトネスに関する言語ごとの違いが指摘されており,対照語用論(contrasive pragmatics)的な研究の必要性が主張されている.またWierbicka (2003)はこうした観点から,グライスの 理論やポライトネス理論を批判している.こうした流れに加えて,近年ではLepore & Stone (2015)によっ て,語用論的推論をめぐる見方の哲学的な方向からの反省が試みられている.ただし,これらの批判は推意の 理論やそれに類する他の語用論的理論そのものにもっぱら向けられており,本稿のように,その根底にあるコ ミュニケーション・モデルやそれを成り立たしめるグライス的理性の想定といった背景に踏み込んでいるわけ ではない.本節では,主にLepore & Stone (2015)の議論を参照しながら,前節でみた普遍主義がいかに失 敗するのかを論じていく.このことから帰結するのは,グライス的理性が少なくとも従来想定されていたよう な意味ではコミュニケーションに効いておらず,それゆえそれを前提とする推論モデルは疑わしく,またそれ をもたらした話し手の意味の分析と推意の理論の二本柱によグライスのコミュニケーション論もまた疑わしい ということである. ルポアとストーンの重視する事例のひとつに,Horvat (2000)で語られている英語と日本語の違いがある. ホーヴァットによれば,(4)は英語の(5)へと翻訳される(Horvat 2000, p. 117).すなわち,(4)と(5)は同 じ命題を表現している. (4) 聞かせていただけませんか?(5) Can you do us the favor of making us listen?
しかし,日本語話者は(4)を通常の状況で容易に話をしてほしいという伝達内容として理解できるのに対 し,それと同じ命題を表す(5)を英語話者はしばしばそのように理解できず,そのため日本語を学習する英語 話者は日本語話者との会話に困難を持つことがある.もしも日本語話者も英語話者も同じ推論パターンに従 い,そしてコード的なものを用いずに同じ命題からは同じ推意を読み取るのであれば,こうした違いは生じな い.だが実際に違いが生じている以上,日本語話者と英語話者の推論には何らかの違いがあるものと考えるし かない.このことは,グライス的理性の共有に基づく枠組みを疑わしくさせる. 同様の現象は,ほかにもみられる.Wierzbicka (1985)では英語とポーランド語が対比され,(6)は多くの 状況で飲み物を客に提供したいという伝達内容を持つのに対し,そのポーランド語への翻訳である(7)は状況 が整ってもそのような解釈を受けないと指摘されている.
(6) Would you like a beer? (7) Mia lbys ochot¸e na pivo?
こうした事例は現在,さまざまな言語の対照のもとで研究されているが,はっきりわかっているのは,推意 に関する言語相対性は,グライスらの枠組みが容認するよりも一般的であるということだ. だが,それでもなお推意の理論は推意の言語相対的でない側面をとらえている,といった形で維持すること ができるだろうか? できないというのがDavis (1998)で論じられていることだ.ディヴィスはさまざまな 具体例を用いて,協調原理に基づく推論の結論が特定の命題に収束しないということを論じている.それゆ え,推意の理論はそもそも説明力が不十分であるということになる. こうした事態からの哲学的含意を引き出してみよう.グライスは次のような流れのもとで一連の理論を構築 している. 1. 話し手の意味は話し手の意図によって分析できる. 2. 話し手の意味の聞き手による理解は,行為から心理への推論として分析できる. (a)話し手の意味の聞き手による理解は特に,推意の理論という形でとらえられる. 3. 話し手の意味と聞き手の理解の一致は,話し手と聞き手の推論の一致によって説明される. 4. 話し手と聞き手の推論の一致は,特定の推論パターンを目指す性質としてのグライス的理性の共有に よって説明できる. この立場からの帰結が,語用論的推論に関する普遍主義であった.いまこの普遍主義が疑わしい以上,これに 至るグライスの議論の一連の流れが疑わしくなる.それゆえ,グライス的理性の想定や,話し手の意味の分析 と推意の理論の二本柱に基づくコミュニケーションの理解,それによってもたらされる推論モデル,それらす べての出発点たる意図基盤意味論はすべて再考を迫られることになる.
だが,グライスの枠組みに代わって,ほかの見方を提供することはできるのだろうか? Lepore & Stone (2015)とDavis (1998)は同じ結論に達している.それは,語用論的推論はかなりな程度で規約(convention) に基づいているというものだ.私たちがふつう言語規約という場合には,自然言語の意味論や統語論にまつわ る規則を意味する場合が多い.だが語用論的推論が言語相対的ならば,語用論的推論についても言語ごとに異 なる規約が関与しているというとらえ方がもっともらしいだろう.そうした規約は従来の意味では言語規約に 含められないかもしれないが,むしろ言語規約の内実を拡張し,言語ごとに異なるコミュニケーションの規則 を含むような仕方でとらえることによって,グライスの枠組みに生じた問題を解決することができる.この立 場を,普遍主義に対比して「規約主義」と呼ぶことができよう. では,語用論的推論に関して規約主義を取ったなら,ほかのグライスの枠組みについてはどのようなことが 言えるのだろうか? まず,話し手の意味と聞き手の理解の一致は推論のパターンの共有というより,規約の 共有に多くを負っているということになるだろう.これは推論モデルからコード・モデルへの回帰となる(た だし拡張された意味での言語規約を「コード」と呼ぶ限りで).さらに,推意の理論はグライスの想定してい たような形ではなく,むしろ推意にかかわる言語規約の特定という形で展開されることになる.さらに,私た ちは意図基盤意味論という発想もまた疑わなければならない.なぜなら,いまや語用論的推論をもたらすもの が規約であり,話し手と聞き手を結びつけるものもまたこうした規約であるというのならば,私たちはもはや 話し手が自身の意味することを主体的に決めるという立場を放棄することになるからである.それはむしろ, 話し手が用いる規約が決定することになる. 本稿では,さまざまな語用論的立場が,グライスの枠組みを通じてグライス的理性に基づく普遍主義を暗黙
の裡に採用しているということを論じてきた.そしてその普遍主義を疑わしくさせるものとして,近年注目さ れている語用論的推論の言語相対性という現象を取り上げた.本稿の論じたところでは,こうした現象は単に 興味深い言語現象というのではなく,グライス以来の語用論を支配してきた重要な前提を退けるに足る,そし てそれによりコミュニケーションに関する理性中心主義と話し手中心主義への揺さぶりを生じさせるに足る現 象である.
5
結論
本稿で論じたのは,グライス以来の語用論が,グライスの枠組みによってグライス的理性を中心とした普遍 主義を採用しているということであった.そしてそれが推論モデル,ひいては話し手の意味に関する意図基盤 意味論からの帰結であるということも論じた.さらに,推意の言語相対性という現象が論じられていることを 指摘し,そのことがもたらす哲学的な帰結として,上記のようなグライス的理性,推論モデル,意図基盤意味 論という互いに絡み合った一連のフレームワークが疑わしくなるということを論じた. とはいえ,このことは語用論に関する全面的な相対主義をもたらす必要はない.実際,異なる言語の話者で もある程度の習熟によって大きな誤解なく会話を成立させることはいつでも可能だろう.それゆえ,人間に普 遍的に備わっている知的能力はいずれにせよ会話にかかわっているに違いなく,それをグライスに倣って「理 性」と呼ぶこともできる.本稿で論じたのは,そうした理性の働きはグライスが明確に示し,グライス以降の 語用論的理論が暗黙の裡に想定していたほどには大きなものではないということである.参考文献
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