学位論文の内容の要旨
論 文 提 出 者 氏 名 坂本 和陽
論 文 審 査 担 当 者 主 査 宗田 大
副 査 星 治、森田 定雄
論 文 題 目 An anatomic study of the structure and innervation of the pronator quadratus muscle (論文内容の要旨) <要旨> 方形回内筋は浅頭と深頭に区別され,各頭がそれぞれ固有の機能をもつと考えられている。し かし,各頭の形態に関するバリエーションについては一定の見解が得られていない。また,各頭 への神経支配様式についても詳細な調査が行われていない。そこで,本研究の目的は,方形回内 筋の形態と神経支配について明らかにすることである。東京医科歯科大学解剖実習体26 体 46 側 を用いて,各頭の起始,停止,形状,筋束の走行方向を観察し,各頭への神経の筋内分布を調査 した。また,深頭の付着部位をマッソントリクローム染色を用いて組織学的に観察した。各頭は, 形状や走行方向の異なる様々な筋束で構成されていた。深頭の最遠位の筋束は尺骨頭に向かって 伸びており,組織学的にみるとその筋束は尺骨茎状突起の基部にまで及んでいた。浅頭を支配す る神経は深頭を貫き,橈骨の前面に広がって浅頭に分布していた。深頭の最遠位の筋束が茎状突 起の基部に付着していたことから,方形回内筋は尺骨頭と手根骨との衝突を防ぐために重要な役 割を果たしていると考えられる。また,浅頭への神経が橈骨前面を内側から外側へと広がって分 布していたことから,橈骨遠位端骨折の手術の際は,方形回内筋の機能を温存するために橈骨内 側部での操作に注意する必要がある。 <序論> 方形回内筋は浅頭と深頭の区別可能な2 つの頭をもち,浅頭は尺骨から橈骨へ横走し,深頭は 近位尺骨から遠位橈骨へと斜走するといわれている。また,深頭は遠位橈尺関節の関節包にも付 着すると報告されている。これらの形態学的特徴にもとづいて各頭はそれぞれ独立した機能をも ち,浅頭は前腕の回内に,深頭は遠位橈尺関節の安定化に作用するとされる。しかし,2 頭の解 剖学的バリエーションや深頭と遠位橈尺関節との関係については未だ統一された見解が得られて いない。 方形回内筋は前骨間神経によって支配される。前骨間神経が方形回内筋に進入するときの分枝 の数に関する報告や前骨間神経が方形回内筋内で広がる際の分岐のパターンに関する報告はこれ までにもなされているが,方形回内筋各頭への前骨間神経の神経支配のパターンについての調査 は行われていない。
- 2 - 本研究の目的は,方形回内筋の浅頭と深頭の形態と両頭への前骨間神経の神経支配のパターン を明らかにすることである。 <対象と方法> 本研究には東京医科歯科大学解剖実習体26 体 46 側(男性 7 名,女性 19 名,平均年齢 76.7 歳) を使用した。観察には実体顕微鏡を用いた。 方形回内筋の形態の観察には,20 体 40 側を使用した。方形回内筋の前面と後面を明らかにし, 前面で浅頭の起始,停止,形状,筋束の構成を観察した。その後,浅頭の停止を橈骨の前面から はがし,内側に反転して,深頭の起始,停止,形状,筋束の構成を観察した。 方形回内筋の神経支配のパターンの調査には,4 体 4 側を使用した。前骨間神経の走行,分岐 を明らかにし,その後,筋内神経分布を調査した。特に,分枝が浅頭,深頭のどちらに分布して いるかについて注意深く観察した。 2 体 2 側を使用して深頭の付着部を組織学的に検討した。方形回内筋,遠位橈尺関節を含む標 本を再固定,脱灰後にパラフィンで包埋した。横断面で5 ㎛に薄切し,マッソントリクローム染 色で染色した。 <結果> 方形回内筋は全例で浅頭と深頭に区別された。浅頭は尺骨の内側面と前面から起こり,橈骨の 前面に停止した。深頭は尺骨の外側面と前面から起こり,橈骨の内側面と若干の幅をもって前面 にも停止した。浅頭と深頭の間には疎性結合組織が存在していた。起始や停止の違いと疎性結合 組織の存在によって,両頭の区別が可能であった。 浅頭および深頭を構成する筋束の数の組み合わせは多様であった。浅頭もしくは深頭が2 つ以 上の筋束で構成されていた例は40 側中 32 側(80%)であった。 浅頭が2 つ以上の筋束に分けられる場合,それぞれの筋束には形状や走行方向に明らかな違い が認められ,筋束と筋束の間には腱組織もしくは脂肪組織が介在していた。深頭も同様に,それ ぞれの筋束には形状や走行方向に明らかな違いが認められた。3 筋束で構成される例では,浅頭 と最も後面に位置する深頭との間に中間的な筋束が存在していた。4 筋束で構成される例では, より小さな筋束に分割されており,隣接する筋束の走行方向は互いに異なっていた。深頭の一部 は遠位橈尺関節の関節包に付着していた。また,深頭の最遠位の筋束は,40 側中 24 側で尺骨頭 に向かって伸びていた。最遠位の筋束を組織学的に近位から遠位に追跡した結果,その筋束は尺 骨茎状突起の基部にまで及んでいた。 前骨間神経は,3 本ないし 4 本の枝に分岐して方形回内筋の後面から筋内に進入した。これら の枝のうち,深頭に分布する枝は深頭の中でさらに細かく分岐していた。浅頭に分布する枝は, 深頭を貫いて橈骨の前面を内側から外側へと,また尺骨の前面を外側から内側へと広がっていた。 このような傾向は調査を行った4 側において共通していた。しかし,主として深頭に分布する枝 から分岐した枝が浅頭に分布する場合や,逆に,主として浅頭に分布する枝から分岐した枝が尺 骨頭に向かって伸びる深頭に分布する場合も観察された。
<考察> 方形回内筋の浅頭と深頭は様々な筋束の組み合わせで構成されていた。本研究では,浅頭もし くは深頭が2 つ以上の筋束で構成されていた例は 40 側中 32 側(80%)であり,Stuart(1996) による 40 側中 8 側(20%)という報告よりもより細かく区分された。しかし,形状や走行方向 の異なる様々な筋束は確かに観察しうるといえる。 深頭の最遠位の筋束が40 側中 24 側で尺骨頭に向かって伸びており,さらに,組織学的検討に よってこの筋束が尺骨茎状突起の基部にまで及んでいることを観察した。この結果はこれまでに 報告のない新しい所見である。筋束の走行方向を考えると,この筋束の収縮は,尺骨を近位に移 動させ,尺骨を橈骨に引きつける力を生じさせることができると推測される。 手関節疾患を有する場合,尺側の痛みを訴えることがある。尺側の痛みはしばしば尺側の手根 骨に尺骨が接触することによって生じるとされ,その病態は尺骨突き上げ症候群と呼ばれる。尺 骨茎状突起基部に伸びる筋束の存在は尺骨頭と手根骨の衝突を抑制するのに重要な役割を果たし ている可能性が考えられる。 前骨間神経は方形回内筋にある一定のパターンをもって分布していた。深頭を支配する神経は 細かく分岐して深頭に分布しており,浅頭を支配する神経は深頭を貫いて橈骨および尺骨の前面 に広がって浅頭に分布していた。方形回内筋内の前骨間神経の筋内分布は Frohse and Fränkel (1908)によって調査されているが,浅頭と深頭の神経支配のパターンの違いについては報告さ れていない。 浅頭と深頭で神経支配のパターンが異なるということは,手術を行う際に有効な所見であると 考えられる。橈骨遠位端骨折の手術の際,橈骨の前面で方形回内筋を外側および遠位縁で切離し 内側へ避けたり,方形回内筋を切離せずに方形回内筋と橈骨との間にプレートを挿入する場合が あるが,どちらの方法を選択したとしても,方形回内筋内の神経が橈骨の前面を内側から外側に 広がっていくことから,橈骨内側部の操作に注意することが望ましいといえる。 本研究の限界は,方形回内筋の形態と神経支配という解剖学的な視点でのみ行われていること である。今後は,尺骨茎状突起基部に付着する最遠位の筋束がどのように尺骨に作用するかとい う運動学的な視点による研究が必要であり,解剖学的所見と運動学との整合性を明らかにしてい く必要がある。 本研究での重要な所見は2 つある。1 つ目は,深頭の最遠位の筋束が尺骨の茎状突起の基部に まで及んでいたことであった。このような付着によって,方形回内筋は尺骨を近位に移動させる 力を発揮させることができると推測され,尺骨突き上げ症候群患者の方形回内筋の評価は非常に 重要であろうと考えられる。2 つ目は,浅頭を支配する神経が橈骨の前面を内側から外側に広が っているということであった。このような神経支配のパターンを考慮すると,橈骨遠位端骨折の 手術の際には,橈骨前面および内側部の操作に注意することが望ましいと考えられる。 <結論> 深頭の最遠位の筋束は尺骨の茎状突起の基部にまで及んでおり,方形回内筋と尺骨突き上げ症 候群発生に関係がある可能性があると考えられた。また,浅頭を支配する前骨間神経は橈骨の前 面に広がって浅頭に分布しており,橈骨遠位端骨折の手術の際には浅頭への神経支配に充分考慮
- 4 - することが望ましいと考えられた。