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宮座の社会人類学的調査Ⅳ-奈良県生駒郡平群町福貴畑の事例- 利用統計を見る

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(1)

宮座の社会人類学的調査?-奈良県生駒郡平群町福貴

畑の事例-著者

高橋 統一, 清水 浩昭, 芳賀 正明, 高尾 公矢, 松

本 誠一

著者別名

TAKAHASHI Toichi, SHIMIZU Hiroaki, HAGA

Masaaki, TAKAO Kimiya, MATSUMOTO Seiichi

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

16

ページ

11-34

発行年

1981

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010225/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

宮座

社会

人類学的調

ーーー

奈良

県生

駒郡平

群町福

貴畑

の事

ーーー

え カ1 き 奈良 と 大 阪 の 県 境 に は 生 駒 ・ 信 貴 の 緩 や か な 山 な み が 横 た わ る が 、 こ の 生駒山 の 東 側 一 帯 は い わ ゆ る 生駒 谷 で 、 そ の 山 麓 に 生 駒神社が あ る 。 こ こ の 生 駒祭 の 神 事 に つ い て は 、松 平斉光「 祭」 ( 一 九 四 三 年 、 日 光 書院 ) の 終 章 で 流 麗 に 活 写 さ れ て い る が 、 祭儀組 織 た る 宮 座 に も若干言 及 され て い る 。 宮座は 生駒 谷 に 点 在 す る 多 く の 集 落を擁 す る 大 規模 な も の で 、 そ れ ら が 上 そ れ ぞ れ が さ ら に 四 座 に 分 れ て 計 八 座 で 構 成さ れ る 。 -下 の 二 座 に 分 れ 、 こ う し た 宮 座 の 構 造 を 松 平 氏 は 詳 し く調 査 さ れ よ う と し た が 、 あ ま り に 複 雑 で 他日 を期 す こ と に し た 。 そ の 後、 昭 和 二 十 七 年 に 再調査 を試 み ら れ た が 、 終戦前後 の 混 乱 ・ 変 動 に よ っ て 生 駒祭 も衰微 し 、{呂座 組織も ま た 弛緩 し て し ま い 、 調査 は 事 実 上 あ ま り成果が あ が ら な か っ た 。 当時、 私( 高橋) も 調 査 に 参 加さ せ て い た だ い て い た の だ が 、 そ こ で 、 生 駒山と 信貴 山 の 間

、グリ

に あ る 平 群谷 に 足 を の ば し 、 平群 の 官 座 の 概 略を 調 べ て み た 。 こ の と き の 調査報 告 は 「平群 の 宮 座」 (「 社 会 と 伝承」 一 九 五 七 年 ) に ま と め 四

{呂座

の社

会人類

学的調査

VI

VI

松芳高

本賀橋

高清

矢昭

尾水

/7-. 、 企!三品入 I1コ

誠正統

一明一

で あ る 。 今回、 こ こ に 報 告す る 論 文 は 、 前回 の 調 査 か ら す で に か な り の 年 月 が 経 過 し て し ま っ た が 、 前稿 で は 果 し 得 な か っ た集中調査 を 、 今回新 た に 他 の 四 氏 と の 共 同研究と し て 、 平群 で 試 み た 結 果 の 報 告 で あ る 。 さ て 今回 の 調 査 の 折 、 ほ ぼ 三 十 年 ぶ り に 生 駒神 社を再訪し て み た が 、 荒 れ る ま ま に な っ て は い る も の の 、 広 い 境 内 に は ま だ 八 座 の 座 小 屋 が 遺 っ て し か し 聞 け ば 、 宮座 は 神 社 の 在 る 一 分 お り 、 往時が 偲ば れ た (写真1 )。

ナパタ

と 菜 畑 の 二 集 落 に ど う や ら 現 存 す る の み で 、 盛 大 な 生 駒 祭 の 神 事 も 全く衰 微 し て し ま っ て い る と い う 。 一ニ 十 年 前 で さ え 至 難 で あ っ た官 座 の 構 造 の 解 明 は 、 も う 絶望的 で あ る 。 と こ ろ で 、 平群 で は ど う で あ ろ う か 。 幸 い に 平 群 の 宮 座 は 生 駒 の よ う に 大規 模 で な く 、 各 集落ご と に 単 独 で 組 織さ れ て お り 、 社会 H 文化変 化 に よ る 影 響 も 少 な く 、 三 十 年前 の 様 相が ほ と ん ど そ の ま ま み ら れ る 。 こ れ は 一 つ に は 、 平群 、が 大 阪市や奈良市 に 比 較 的近 い に も か か わ ら ず、 手前 の 生 駒 ほ ど 都 市化が 著 し く な い こ と に も 依 る で あ ろ う 。 実 際、 近鉄生駒 線 で 菜 畑 ・ 一 分 か ら 平 群 に 入 る あ た り ま で は 、 盛 に 宅地開発が すす ん で い る も の の 、平群 に 入 る と 急 に 山 深 く な り 、 M隠 れ

(3)

宮座

の社

会人類

学的調査

羽 里、 平群?を 思 わ せ る 景 観 に な る 。 集中 調査地 に 選 ん だ 福貴畑 に 至 っ て は 、 ま さ に こ の 感 を つ よ く す る 。 こ の 福 貴畑を選 ん だ 理 由 に つ い て は 次章 で 述 べ る が 、 今 回 、 平群 の 宮座 を 調 査 す る に 至 っ た 経 緯 は 概 ね以上 の 通 り で あ る 。 な お 、 本調 査 に 当 っ て 地 元 各位 の 御懇篤 な御協力を い た だ い た が 、 そ の う ち 特 に 次 の 方 々 に厚 く御 礼 を 申 し 上げ た い 。 生駒神社社務所 の 谷 野 あ き、 平群町教育委員会 の 湯 川銀次郎 及び塚 信 一 、 福貴畑 の 前 川 又 三 郎 及 び 森 田 一 夫 の 諸 氏 。 ま た 、 調査団 の 一 員 と し て 台湾 か ら の 留学生 (東洋大学 大学院 )、 林秀光 氏 が 参 加 し た こ と を 付 記 し て お く。 そ れ か ら 本稿 の 執 筆分担 は 次 の 通 り で あ る が 、 全 員 で 十 分 に 討 議 し 、 高 橋が そ れ を と り ま と め た 。 ま え カミ き 高 橋 第 章 高 尾 第 章 清 水 第 章 芳 賀 第 四 章 松 本

第一章

調査地の概況

今回 の 集 中的調査 は 福 貴畑 の 宮 座を中心 に 行 っ た が 、 予備調査 の 段 階 で

ピヨウドウジ

シモガイト

コシキヅカ

は 平 群町 の 福 貴畑以外 の 集 落 (具体 的 に は 三 里 ・平 等寺 ・下垣内 ・ 越 木塚な ど ) の イ ン フ オ i マ ン ト か ら も 当 該集落 の 宮 座 に 関 す る 聞 き 取 り を 行 っ た 。 そ の 結 果、 福貴畑 の 宮 座が① 多 く の カ イ ト (垣内 ) が 集 ま っ て 宮 康を構成 し て い る こ と 。 ②宮座が 株座 か ら 村 座化 へ の 移行 を し て い る の で は な い か と 思 わ れ る こ と 。 そ の こ と に 関連 し て ③ 宮座 と 一 応 別 の 「 イ ト ナ ミ 講 」 (後 述) が 存 在 す る こ と な ど の 諸 点 で こ こ の 宮 座に絞 っ て 集 中的 調査 を実施 し た わ け で あ る 。 福貴 畑 は 奈良 県生駒郡平群町 に 属 す る 。 平群町 は奈良盆地 の西北部 に 位 置 し 、 東 は 奈 良市、 西 は 東 大阪市 と八 尾市、 南 は 生駒郡三 郷 町 、 北 は 生 駒 市 に 接 し て い る (図 1 参 照)。 福貴畑へ は近鉄生駒 線の平 群駅 で 下 車 し、 平 群町 の 西側 に 位 置す る 生駒山 地 の 東 斜面 の 段 々 畑 の 聞 を 登 る 。 徒歩約四十

カタ

五 分 で 福 貴畑 の カ イ ト の 一 つ で あ る 明 心 に辿り着く (な お 、 別 に 片 福貴 に 至 る 道も あ る )。 明 心 か ら 山 の 頂 上に 向 か っ て カ イ ト が 点 在 し 、明 心 か ら 一 番奥 の カ イ ト の 西庄 ま で は 徒 歩 で 約十五 分 の 距 離 で あ る 。 標高 二 六 O J 一一一 三 0 メ ー ト ル の 聞 に 各 カ イ ト が 点 在 し て い る( 写真 2 Y福貴 畑 の ム ラ と し て の 成立時期 を 明 ら かに す る こ と は で き な い が 、 明治十 五年 の 「 大和 田町 村誌集 」 に よ れ ば 、 当時福貴畑 の 戸数は 一 一 八 、 人 口 六 五 O で あ っ て 平 群 村 ( 当時 は 明 治村 と 呼 ば れ て い た ) の な か で も 最大規模 の 大 字 で あ っ た こ と が わ か る 。 現在平群町 は 二 十 の 大 字 に よ っ て 構 成さ れ て い る (図 2 参照) が 、 福貴

(4)

宮座

の社

会人類

学的調査

VI

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平群町の地理的位置

図1

平群町の大字配置図

図2 至福賞 @東本願寺系 @西本願寺系 一一カイト・組境界 。宮座加入戸 e宮座・イトナi講加入戸 ><宮座非加入戸

福貴畑のカ イ ト及びイエの配置

図3

(5)

宮座

の社

会人類

学的調査

VI 畑 の よ う に 距 離 的 に 離 れ て い る い く つ か の カ イ ト か ら な るタ イ プ と 大 字内 部が 近接す る 複 数 の カ イ トに 分れ て い るタイ プ と が あ る 。

ナルイγ

fオミチ

マカミザト

現在 の 福貴畑 は 明 心 ・ 鳴 石 ・ 片 福貴 ・ 大 道 ・西 庄 ・ 高 峰 の 六 カ イ ト に よ っ て 構成され て い る 。 か つ て は 高 峰 の 出 ガ イ ト で 峯 と い う カイト も あ っ た が 、 現 在 は な く な っ て い る 。 各 カ イ ト の 戸 数 は 明 心 二 十五戸、 鳴 石 九 戸 、 片福貴 十 一 戸 、 大道 七 戸 、 西庄 十 七 戸 、 高峰十五戸、 計 八 十 四 戸 か ら な っ て い る (図 3 参照)。 昭和 二 十 八 年当 時 で は 、 明 心 二 十 五戸 、 鳴 石十五戸、 片福 貴十戸、 大道 七 戸 、 西庄十八 戸、 高峰 十 七 戸 、 計 九 十 二 戸 で あ る か ら 、 鳴石が 減少 し て い る 以 外 は 大 き な 戸 数 の 変 化 は み られな い 。 福貴畑 は 明 治期以降 つ ね に 農 業 に 依 存 し て き た 。 明治 期 は 米 麦 ・ 野菜が 中 心 で 、 と く に 3」 ぼ う d は 品 質が良く大 部分が 大阪方面 へ 出荷さ れ 、福 貴 畑 の 名 物 と い わ れ て い た 。 と ころ が 、 明治末 期 か ら 大 正 期 に か け て 次 第に 菜種 ・ 相 ・ 桑 ・ 養 蚕 ・ 果 樹 ・ 草 花 な ど に 比 重 が 移 っ た 。 こ の 時 期 に まず福 貴畑 に 花 作 り が 入 っ て き て 、 そ こ か ら 平群 町 の 各 集落 に 伝 わ っ て い く の で あ る が 、 福貴畑に 花作 り が 入 っ て き た契 機 は 、 当時花栽 培 の 本 場 で あ っ た

コウダチ

現在 の 大阪府 八尾市神立 か ら 福 貴畑 の 人 達 が 、 菊 の 苗 を も ら っ て き て 作 つ た こ と に よ る と い わ れ て いる 。 福貴 畑 は 高 地 に あ る た め に 、 低地 に 比 べ 秋 が 早 く、 菊は五日 か ら 十 日 は 早 く 咲く。 こ れ が菊作り に 有 利 な 条件と な っ た わ け で あ る 。 明治 末 期 に 米 一 石 が 十 一 円 で あ っ た 頃、 一 畝 の 菊 畑 か ら 十 円 の 収 益 を あげ る こ と が で き た と い わ れ る か ら 、 米作 に 比 べ は る かに利益 が 多 か っ た こ と が わ か る 。 従 っ て 、 菊栽 培 に 主 力が注 が れ る が 、 大 正 末 期

(3)

に 福 貴 畑 の 人 々 と 菊 の 仲買商 人 と の 聞 に ト ラ ブ ル が 生 じ 、 仲買商人 が 福 貴 畑を中心 と す る 菊 作 り 農家を 圧 迫 し はじ め た 。 昭和 の 初 期 に 福 貴畑 で 古く 四 か ら 花作り を し て い た 二 十 四 名 が 組 合 (福 貴畑 園友会) を結 成 し て 大 阪 の 問屋 に 直 接売込 んだ 。 好余 曲折 を へ て 昭 和五、 六 年 項 に 「大阪花市場株式 会社」 が 問 屋 ・小 売商 ・園 友会 に よ っ て 設 立 され、 販路が 開拓され て い く 。 一 方、 そ の 当 時園友会 に 所 属 し て い な か っ た 福 貴 畑 の 人 た ち が 中 心 に な り 他 の 大 字 の 人 々 も 加 え て 、 「福貴畑 花丹 組合連合会 」 を組 織す る が 、 昭和 七 、 八 年 頃 に 両組 合 は 合 併 し 、 昭 和 二 十 四 年 に 「平 群花井出 荷組 合」 が 結 成され今日 に 至 る 。 福貴畑 の 菊 作 り は 戦 争中 一 時 衰退 し た が 、 戦後 は 復 活 し 、 今 日 で は 低 地 の 休 耕聞 を借受け て 行 わ れ る ほ ど に な っ て い る (写真 3 参照)。 各栽培 農家が そ れ ぞ れ 固 有 の 出 現 在 で は 組 合もさ る こ と な が ら 、 荷市 場を持 つ 場 合も 少 な く な い 。 福貴畑 の 農 業 は 菊 栽培 を中 心 に 展 開 し て き た が 、 今 日 で も そ う し た 状況 に 変 化は み ら れ な い 。 農業 セ ン サ ス に よ っ て 専 兼業別農家戸数 の 推 移をみ る と 、昭 和 三 十 五 年 で は 農 家戸数九 十 二 戸 の う ち 専 業農家 は五 十 四 戸 (五 十 八 ・ 七 % )、 第 一 種兼業農家は 三 十 一 戸 ( 三 十 三 ・ 七%)、 第 二 種 兼業農 家 は 七 戸 ( 七 ・ 六 % ) で あ る が 、 昭和五十年 で は 農家戸 数 七 十 七 戸 の う ち 専業農家 は 四 十 二 戸 (五 十 四 ・ 五 % )、 第 一 種兼業農家 は 十 四 戸 (十 八 ・ 二 % )、 第 二 種 兼業農 家 は 二 十二 戸 ( 二 十 七 ・ 三 % ) で あ り 、 農家戸 数 お よ び 第 一 種兼業農 家 が 減 少 し 、 第 二 種 兼業農 家が 漸増 し て い る 。 次 三 男 の 場 合 に は 福 貴畑内 に 分家す る よ り も 、 他地域 へ 出 る も のが 圧倒 的 に 多く、 最 近、 長男 で も イ エ は 継承 す る け れ ど 大 阪市 ・ 奈良 市 な ど へ 勤 め に 出 る も の が 多 く 、 親が健在な う ち は 農 業 を 手 伝 う程度 で あ る 。 従 っ て 、 農業就業者 の 老 齢化 は年を 追 っ て 進 ん で い る 。 次 に 、 ム ラ (大字) の組織 で あ る が 、 福貴畑 は 行 政的 に 平群町 に 属 し て

(6)

い る た め に 区 と し て 扱 わ れ て い る 。 区寄 合 は 区 長 一 名 (大総代 と 呼 ば れ る ) -評議 員 七 名 (大字役員 ・ ム ラ で は 議員 と 呼 ば れ る ) の 計 八 名 に よ っ て 構 成さ れ て い る 。 区長 の 任 期 は 二 年 で 選挙 に よ っ て 選 ば れ 、 選出母 体 は 福 貴

キヅキ

畑全 体 で あ る 。 以前 に は 区長が 杵築神社 の 氏 子 総代 を 兼 務 し て い た が 、 現 在 は 兼 務 し て い な い 。 評議員 は カ イ ト の 代 表 で あ っ て選出母体 は 各 カ イ ト で あ る 。 カ イ ト の う ち 戸 数 の 多 い 明心だ け が 二 名 の 評 議員を選出す る こ と が で き る が 、 そ れ 以 外 の カ イ ト は 一 名 ず つ で あ る 。 明 心 は カ イ ト内 で 二 組 に 分 か れて い る 。 な お 、 評議 員 は 二 年 任 期 で あ っ て 選 、挙 に よ っ て 選 ば れ 、 カ イ ト 内 で 葬 式が あ れ ば 葬 儀委員 長を務め る ほ か 、 農家総 代 と し て 農 業協 同組合 な ど と の 連 絡を す る 。 各 カ イ ト か ら 選出 さ れ た 評 議 員 に よ っ て 評議 員会 (大字役員会) を 構 成 し 、 毎月 一 回程度 の 割 合 で 区長宅 に集 う。 次 に 、 神社関係 で あ るが、 福貴畑 の 神 社 (杵築神社)ll祭神 ・ 素 英鳴 尊ーー は 一 番奥 の カ イ ト 西 庄 の は ず れ に あ る 。 神社 の 入 口 左 側 に 十 三 仏 の 地 蔵尊が ま つ ら れ 、 右側 に は 石燈龍 が あ る 。 石段を 登 り つ め る と 座 小 屋 が そ の 中 央部を ぬ け る と 内 庭 の 左 側 に 社 務所 ・ 右側 に 本社 及び 観音堂

ジγジヤタインヲウ(4)

があ る 。 観音堂 内 に は 二 メ ー ト ル 近 い 寄 木造 の 深沙大将 立像 が あ る 。 神社 あ り 、 の 創 杷 は わ か ら な い が 、 秋 の 大 祭 (十 月 十 五 日 ) の 湯 立 て 行 事 で 用 い ら れ る 湯 釜 に は 「天和 三葵 亥入月口 口 」 ( 一 六 八 三 年 ) と あ る 。 以上、 福貴畑 の 概 況を み た が 、 平群 町 の な か で も 福貴 畑を含 む 山間 傾斜 地集 落 は 依 然 と し て 農 村的性格 を 強 く も っ て い る の に 対 し て 、 そ れ 以 外 の 地 域 は 近 年急 速 に 都 市化が 進 み 、 平群町 か ら 電車 (近鉄〉 を 利 用 し て 約 四 十分 で 大 阪 の 中 心 部 に 出 ら れ る た め に 、 大阪 の ベ ッ ドタウ ン と し て の 性 格 を 持 つ よ う に な っ て お り 、 今後も 人 口 増 加が 予想 さ れ る 。 平群 町 の 人 口 動

宮座

の社

会人類

学的調

VI 態を み る と 、 昭和 二 十 二 年 に は 六 、 七 一 九 人 で あ っ た が 、 そ れ 以 後 は 漸 次 減少傾 向を一不し 、 昭 和 三 十 五年 に は 六 、 一 四 一 人 と な る 。 昭和 四 十 年 か ら 増加 の 傾 向が み ら れ 、 昭和 四 十 五 年 に は 七 、 八 九 九 人 と 激 増 し 、 そ れ 以 後 も漸 次増 加 し 、 昭和 五十 四 年 に は 一 六 、 四 七 三 人 と な っ て い る 。 昭和 四 十 年代 か ら の 人 口 増 加 は 昭 和 三 十 年 か ら 平 群町 に 住 宅団地 が 造 成 さ れ た こ と に よ る 社 会増 加 で あ る 。 人 口 増加 に と も な っ て 平 群町 の 農村的性 格 が 次 第 に 弱 め ら れ て き た 。 農家戸数は 昭和 三 十 五 年 に 七 八 九 戸、 昭和 四 十 五 年 に 七 O 九 戸、 昭和五十 年 に 六 五 八 戸 と漸 減 し て い る し 、 第 一 次産業就業者 の 割合も 昭 和 三 十 五年 に 四 十 九 % 、 昭 和 四 十 五年 に 一一一 十 一 %、 昭和 玉 十 年 に 二 十 三 % と 漸減 し て い る 。 現在 の 平 群 町 は 総 じ て 、 農村的 性格 と ベ ッ ドタウ ン と し て の 性 格 の 両 方 を あ わ せ も っ て い る が 、 近 い 将 来 に は 福 貴畑を含 む 山 間 傾斜地集落 に も 都 市化 の 波 が 押 寄 せ る も の と 考 え ら れ る 。 第 二 章 家族 ・ 親 族 ー 、 家族 「国勢調査」 の 家 族分 類 に 則 し て 、 福 貴畑 の 家族構成 を み る と 、 「そ の 他 の 家 族」 (国勢調査 で は 、 「そ の 他 の 親 族世帯」 と な っ て い る )が 多 く 、 「核家族」 は 三 割弱 で あ る 。 こ の 家 族構 成を同居 世代 数と関 連させ て み る と 「 三 世 代 の そ の 他 の 家 族」 が 最 も多く、 つ ぎ が 「夫 婦 と 子 供 か ら な る 家族」 と な っ て い る (表 1 参 照)。 こ の ような家 族構成を 反映 し て 続柄構成 は 、直系尊 卑属が 比較的多 い (表 2 参 照)。 ま た 、 家族規 模も、 五 人 な い し 六 人 の 家 族が多く、 平均家族員 五

(7)

宮座の社会人類学的調査

同居世代数と家族構成

総 VI

続柄構成

一一竺

|単 独l仰の

斗|夫

| の

婦 1夫婦と | 片 親 と 1*

み !子 供|子 供|家

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族 | 家

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1( 1. 2)

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1( 1. 2) 18(21. 4)

1

3( 3.6)

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7( 8.3) ! 50(59.5)

I

2( 2.4) 152 (1809.5) 28 ( 333.3) 52 ( 619.0) 47.6) 84 (1000.0) 75 ( 892.9) 20 ( 238.1) 4 ( 、,ノ、Bノ、】ノハhu nhU AV 只U QU 戸D っ“ つμ fFt、、 〆tk、〆t\ 44 qO 1i 一 一 つ白 内4 -F 、ノ1ノ1ノ、J1ノ0 8 3 5 4

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表1

子の配偶者

京市

抗馬

は 、 四 ・ 九 四 人 で あ る (表 3 参照)。 表2 父 兄 世 自己

家族員数別家族数

家族員数| 家族数(%)

84 (100.0) 1 人 1 ( 1. 2) 2 人 6 ( 7.1) 3

6 ( 7.1) 4 人 15 ( 17.9) 5 人 28 ( 33.3) 6

18 ( 21. 4) 7 人 8 ( 9.5) 8 人 1 ( 1. 2) 9 人 10 人 11 人 一 12

I

1 ( 1. 2) 表3 つ ぎ に 、 こ の 家 族構 成 を 素 材 に し て 、 こ の ム ラ の 家 族構造 を推 察 し て み た い 。 ま ず、 一 世 代 を 三 十 年 と し て 福 貴畑 の 世 代別人 口 構 成 を 区 分 し て み た 。 す る と 、 こ の ム ラ は 、 一二 つ の 世 代 が 積 重 な る 構 成 と な っ て い る 。 こ の 一つ の 世 代 を 、 世代」 (0 1 二 十 九 歳層) 、 か り に 、「子 「親 世代」 ( 一ニ 十l五十九歳

独| その他の

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1 (0.2)

I

蝋79.3) 131(77.1) 125(77.2) 73(88.0)

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3 (1. 8) 37(22.8) I 2 (1. 2) I 34(21. 0) I 1 (0.6) 9(10.8) I 4 (4.8) I 4( 4.8) I 1 (1. 2)

代[

総 数! 415(100.0) o �29歳170(100.0) 130�59歳, 162(100.0) 160�89歳I 83(100.0) 層 )、 「祖父母世代」

世代別人口構成と家族構成

表4 十

1 (1. 2) 数 総 世

白司E::也司

品三〈日司

一六 昭和53年以降

(直枝族)

昭和52年

(核家族)

4人/ 昭和50年

(直枝族)

昭和49年

(物)

昭和48年

(物)

昭和47年

(物)

M家における最近の家族変動

図4

(8)

ーλ十 九歳層 ) と す れ ば、 こ れ ら の世代は、 そ れ ぞ れ 、 どの家 族 に 帰 属 し て い る の で あ ろ う か 。 こ の 関連 を み る と 、 各世 代 と も「その 他 の家族」 で 生 活 し て い る も の が 多 く 、 と り わ け 「祖父 母世代 」 、 その傾向 が 著 し い の で あ る 。 と す れ ば 、 福貴畑の 人 々 は 、 生涯を 通じ て「その 他の家族」 で 生 活 を お く る こ と が 一 般的 で あ る と 考 え ら れ る (表 4 参照) 。 さ ら に 、 「住民基本台帳」 の転出 ・ 転入状況 と 家 族構成 と の 関連を検討 し て み た い 。 M家 に お け る 最 近の家 族変動 状況を事 例 と し て こ の 問題を考 察 し て み る と 、 図示 し た よ う に 、 転 出 ・ 転 入 ・ 結 婚等 に よ っ て 特 定時点ご と に 家 族構 成が 若干変 化 し て い る 。 し か し 、 昭和 五 十 三 年 以降は 、 こ の ム ラ に お け る 一 般的な 家族構成 で あ る 「 一一一世 代そ の他 の家族」 ( こ こ で は 、 「 三 世代直 系 家族」 と し て 図 示 し て お い た ) と な っ て 、 現在 に お よ ん で い る (図 4 参 照) 。 こ の よ う に 、 こ の ム ラ の家族は、 人 口 流 出等 に よ っ て 一 時 期 「核家族」 (「夫婦家族 」) 化 す る こ と も あ る が、 基本 的 に は 「直系家 族制 に 立 つ 直 系

(6)

家族」 で あ る と い え よう。 し か し 、 一定期 間 に 限 っ て「 直 系 家族制 に 立 つ 夫婦 家族」 も 許 す条件が 存在 し て い る の で は な か ろ う か 。 2 、 親 族 今回の調査 で は 、 こ の ム ラの親族 関係を質 的 に分 析 し 得 る よ う な 資料を え ら れ な か っ た 。 そ こ で 、 こ こ で は 、 こ の ム ラ 内 に お け る 親 族関係を数 量 的 に 分 析す る に と ど め ざ る をえな い 。 ま ず 、 福貴畑内 に 二 戸 以 上 の親族 を も っ 家 と も た な い 家 と を 分 類 す る

宮座

の社

会人

類学的調査

VI

カイ ト別親族数の分布

竺手数i些I_!___-トI-!

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総 数1 84(100.0)1 25(100.0)1 9(100.0)1 17(100.0)1 15(100.0)1 7(100.0)' 11(100.0) 0 戸1 14( 16.7)1 3( 12.0)1 2( 22.2)1 4( 23.5)1一 1 1( 14.3)1 4( 36.4) 3

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表5 と 、 親族 を も っ 家が 約八割、 も た な い 家 が 約 二 割 と な っ て い る (表 5 参照)。 そ れ で は 、 そ れ ぞ れの家は、 ム ラ 内 に 何戸 位の 親族 を も っ て い る の だ ろ う か 。 こ れ を 多 い 順 に 列 記 し て み る と 、 五 戸 が 三 家 族企 一了 六 % )、 四 戸 が 八 家 族 (九 ・ 五 % )、 三 戸 が 六家族 ( 七 ・ 一 % )、 ニ 戸 が 二 十 四 家 族 ( 二 十 八 ・ 六 % )、 二 戸 が 二 十 九 家族 ( 一一一 十 四 ・ 五 %) と な っ て お り 、 一 家 族平均 一 ・ 六 九 戸の親族を 福貴畑内 に も っ て い る こ と に な る 。 こ れ を カ イ ト 別 に み る と 、 高峰、 明 心 が 比 較的 多く の親族 を 保 持 し て い る の に 対 し 、 片福 貴 は 、 比較的 少 な い よ う に 思 わ れ る (表 5 参照)。 つ ぎ に 、 各 カ イ ト が 、 ど の カ イ ト と 「 密」 な 、 あ る い は 「疎」 な親族関 係 に あ る か を み る と 、 明 む は、 「密」 な る 関 係 に あ る カ イ ト が 多 い の に 対 し て 、 片福貴、 大道 は「疎」 の関係 に あ る カ イ ト が 比 較的多 い (図 5 参 照)。 最 後 に 、 以 上 の よ う な 数 量的分析 と若干 の聞 き み ら れ る 特 徴的 な 点 を列記 し て お き た い 。 取 り 調査資 料 に 基 づ い て 、 こ の ム ラの 親族組織 に ま ず 、 祖先 中心的 な 親 族組 織 で あ る が 、 本家が 福貴畑 内 に な い 例 、 本家 が 他 村 へ 転 出 し て し ま っ た 例等 々 か ら 判断 す る と 、

山山

骨骨骨

ト-払川

北町

んV

よ う に 思 わ れ る 。 こ の よ う な 状況が 逆 に 、

台岳恥レ

ま た 、

(9)

宮座の社会人類学的調査

VI

片福賞

自筆

両 密(あるカイトにとって、もっとも親族関係戸が多いカイト)を示す。 疎(あるカイトにとって、 まったく親族関係戸がないカイト)を示す。

注)侍醐

八 的 な 親 族組 織を福 貴畑内 に は り め ぐ ら せ る こ と に な っ て い る の で は な か ろ

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う か 。 第三 章 宮座組織 と その儀礼 ー 、 宮 座 組 織

カイト問およびカイト内の親族関係網

昭和五 十 四 年 十 月 現在 (調査時 点) に お け る 、 福貴畑 の 官 座加入戸数は 入十 戸 で あ る 。 前述 し た よ う に 、 福 貴畑全体 の 世 帯数は八十 四 戸 で あ る か

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ら 、 現在官座 に 加 入 し て い な い イ エ が 四 戸 あ る こ と に な る 。 こ の う ち 二 戸 は 、 以前 は 、 宮康 に 加 入 し て い た が 、 創価学会 に 加 入 し て い る こ と を 理由 (他 の 座員が 退座 を ひ き と め た に も か か わ ら ず )自発 的 に 脱 退 し た (い ずれも 昭 和 三 十年代) イ エ で あ り 、 あと の 一一 戸 は 、 明 心 の西浄 寺 と 片 福貴 の 南 通寺 の 住 職 を し て い る イ エ で あ る。 し た が っ て 、 完全な全戸加入 と い う わ け で は な い に し て も 、 現在 の 福 貴畑 の 宮 座 は 、 村座 で あ る と い っ て よ 関5 わ れ わ れ の 聞 き 取 り 調 査 に 基 づ け ば 、 昭和 二 十年代 前 ム ラ の 中 に 座 衆 (宮 座 に 加 入 し て い る イ エ ) と 非 衆 (官座 に 加 ぃ 。 し か し な が ら 、 半 ま で は 、 入 し て い な い イ エ ) の 区 別が あ り 、 座衆 は五十戸程 で あ っ た と い う (昭和 二 十 年代前半 の 正 確 な 世 帯数 は 把 握 で き な い が 、 参考 ま で に 、 昭和 二 十 八 年 の ム ラ の 全 世帯数 は 九 十 二 戸 で あ る l1第 一章 参照) 。今 日福 貴畑 に 残 さ れ て い る 宮座関係 の 記 録が 、 昭和 三 十 一二 年 に 改 調され た 台 帳 (写 真 4 ) し か な く、 さ ら に 古老 た ち の 記憶 に も か な り綬 昧な点 が あ る た め 、 宮座 に 加 入して い た イ ェ 、 そ の 正 確 な数、 非衆が 宮座 に 加 入 し た 時 期、 そ の 際 討議 さ れ た 内容等、 当時 の 正 確 な実態を 把 握す る こ と は 困難 で あ る 。 た だ 、 こ

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の 古 老 た ち の 記 憶 の 暖 昧さ に 関 し て い え ば 、 か つ て 座 衆 と 非 衆 と の 間 に は か な り 明 確 な 一 線が画 さ れ て お り 、 両者聞 に は あ る 程 度 の 対立感 情も存 在

(凶〉

し て い た節が 聞き取 り に よ っ て 窺 わ れ る と こ ろ か ら 、 現在 の ム ラ の 住 民感 情を考 慮 に 入 れ た 意 図 的な面も多 分 に 予 想 さ れ 、 ま た 古 い 記 録を 一 切 残 し て い な い と い う 事情 に も 、 同様 の 考慮が な さ れ て い る の で は な い か と 推察 さ れ る 。 と に か く 、 右 の よう な 事 情 で 、 た と え ば 座 衆 の 構成員 は ム ラ の 中 の 特 定 の イ エ 筋 の も の で あ っ た の か 、 あ る い は ま た 非衆 は ム ラ の 新 し い 構成員 で あ っ た の か と い う ような (座衆 の 分家は無条件 で 加 入 で き た と の こ と で あ る )、 わ れ わ れ が 最 も 知 り た い と 思 う こ の ム ラ の 村 落構造 及び 村落形成 に 関 し て 、 事実 に 裏 付 け ら れ た 考 察を行 う こ とは、 ひ と ま ず 諦 め ざ る を 得 な ぃ 。 そ れ で も な お 、 われわれ の 聞 き 取 り 、 が 及び 得 た 範 囲 で 一 つ わ か っ て い る こ と は 、西 庄 に非衆 で あ っ た イ エ が か な り 多く あ る と い う こ と で あ る (西 庄 の イ エ が す べ て 非 衆 で あ っ た と い う 情 報 は 得 て い な い 。 そ の 他 に 大 道 に ニ 戸 、 明心 に二 戸 あ っ た と い う 情報も 入 手 し て は い る が 、 こ れ ら を 全部合 わ せ て も 、 考 え ら れ る 非 衆 の 総 数 に は 達 し な い 。 し た が っ て 、 他 に も 、 特 に 次 章 で 述 べ る 「 イ ト ナ ミ 講 」と の 関 係 で い え ば 、 西庄 ・ 明 心 ・ 高 峰を中 心 と し た カイ ト に さ ら に 何 名 か ず つ の 非 衆が 存在 し た こ と が 予 想 さ れ る ) 。 と こ ろ が 他 方 で 、 こ の ム ラ の 神 社 は 西 庄 に 澗 ら れ て い る と い う 動 か し 難 い 事実が あ る 。 も し 西 庄 に 非 衆が 多 か っ た と い う 現 象 が 単 な る 偶 然 で は な い と す れ ば 、 こ れ を ど の よ う に 説明す れ ば よ い の で あ ろ う か 。 西 庄 に 神 社が 組ら れ て い る と い う 事実 は 、 西庄 が こ の ム ラ で 一 番奥 の 高 台 に あ る こ と か ら し て 、 一 向 に不 自然 な こ と と は 思 わ れ な い 。 そうだ と す れ ば 、 一 つ 推測

宮座

の社

会人類

学的調査

VI さ れ る こ と は 、 西 庄 に 神 社を租 っ た の で は な く 、 神社 が 置 か れ た 後 に 西庄 と い う カ イ ト が 形 成さ れ た の で は な い か と い う こ と で あ る (当 然 そ の 場 合 ア」品a晶 、

』t

西 庄 の 全成員が 非 衆 で あ っ た と い う 証拠が 必 要 に な る が )。 も ち ろ ん、 こ の 解 釈 だ け で は 他 の カ イ ト に も 存在 し た ( と 思 われ る ) 非衆 に つ い て は 何 ら説 明 さ れ た こ と に な ら ず、 依然と し て 問題 は 残 る の で あ る 。 や は り 、 非衆 は 遅 れ て ム ラ 入 り を し た イ エ で あ り 、 た ま た ま そ れ が 酉庄 に 集 中 し た と 解 釈する の が 妥当 な線な の か も し れ な い 。 残念 な が ら 、 座衆 ・ 非衆 の 問 題 に 関 し て は 、 こ れ 以 上 言 及 し 得 る 言 葉を 卓すこ作品、1 、

伝炉争J.yu,刀

「以前 か い ず れ に し て も 、 福 賞 畑 に お い て は 戦後 間も なく、 ら 非 衆 の 聞 に 加 入 し た い と い う 希望 が あ り 」、 ご つ の ム ラ の 中 で 座 ま た 衆 ・ 非衆 の 区 別 が あ る の は よ く な い 」 と い う 事 情 に か ん が み て 、 非衆 の 一 括加入 を 認 め 、 村座制 へ と 移行 し た こ と だ け は 確 か で あ る 。 そ の 意味 で 、 株座 制 か ら 村 座制 へ の 移 行 と い う 宮座 一 般 に し ば し ば 見 出 さ れ る 変 化 の 特 徴を有 し て い る 。 さ ら に 、 こ れ も聞き 取 り に の み 依 拠 し た 情 報 で あ る が 、 戦前 の か な り 早 い 時 期、 福貴畑 の 宮 座 は 北 連中 と 南 連 中 の ニ つ に 分 か れ 、 前者 は 明 心 ・ 鳴 石 ・ 西庄 の 三 カイ ト 、 後者 は 片 福 貴 ・大 道 ・高 峰 の 三 カ イ ト の 座 員 か ら 成 つ て い た と い う (西 庄 は い ず れ に も 入 っ て い な か っ た と い う 情報提 供も あ り 、 それが 事 実 だ と す れ ば 、 前述 の わ れ わ れ の 推 測 と ど こ か で 符 合 す る こ と に な ろ う か )。 北連中 ・ 南連中 は そ れ ぞ れ 北 氏 子 中 ・ 南 氏 子 中 と 名 そ の 後、 称 を 変 え 、 最後 に 福 貴畑氏 子中 に 統 一 さ れ て 今 日 に 至 っ て い る と の こ と で あ る (右 の こ と を 裏 付 け る 一 つ の 証 拠 と し て 境 内 に あ る 座 小 屋 に 「北連中」 「南連 中」 の 銘 の あ る 明 治年 間 の 二 枚 の 絵 が 掲げ ら れ て い る )。 一 方 、 若

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宮座

の社会人類

学的調査

VI ナ カ と い う青年組織 が あ っ て 、 そ れ も 北 と 南 に 分 か れ て い た と い う 。 見 双分 組織を連想 さ せ る もの で は あ る が 、 そ の 由 来 ・ 機能等 に つ い て は 不 明 で あ り 、 も ち ろ ん 、 今 日 の 宮座組 織 及びそ の 儀 礼 に そ れ を 暗示させ る も の は 皆 無 で あ る 。 宮座組織 の 構 成 は 、 ま ず ト ウ ヤ (当家) に 関 し て い え ば 、座 が 年 に 二 回 、 すな わ ち 新 暦 一 月 七 日 の 正 月 座(別名、 観音さ ん の 座 ) と 、 同 じ く新 暦 十 月 十 四 日 の 秋 祭座 (別名、 そ れ ぞれ 五 軒 ず つ の お 宮さ ん の 座 ) が 聞 か れ 、 ト ウ ヤ が割 り 当 て ら れ る 。 そ の 際 、 同 一 年 度 に 閉 じ イ ヱ が 二 度 ト ウ ヤ に な る こ と の な い よ う に 、 正 月 座、 秋祭 座 そ れ ぞれ別個 に 順番が う ま く 割 り ふ ら れ て い る 。 た だ 、 現 行 の トウ ヤ 順 番 は 、 前述 し た よ う に 昭 和 三 十 三 年台 帳が改調さ れ た 際 に 新 た に 定 め ら れ た も の で 、 当時 は 一 回 の 座 に 七 軒 ず つ 当 る よ う に な っ て お り 、 し か も 必 ず西庄 の イ エ が 一 軒 入 る よ う に 配 慮 さ れ て い た 。 そ の 理由 は 、 座 の 膳 椀を特 に 所 有 し て い な い た め 、準 備 の 都 合上、 神社 の あ る 西 庄 か ら 一 軒出 て も ら う こ と に し た と の こ と で あ る 。 し か し 、 昭和 四 十 二 年 正月 座 よ り ト ウ ヤ は 五 軒 に 変 更さ れ 、 ま た 退 座 し た イ エ が 数 戸出 て い る 関係上 (前述した 二 戸 の 脱 退 の 他 に 転 出 に よ る 退 座 が あ る )、 現 在右 の 西 庄 の イ エ を 一 軒 入 れ る と い う 規 定 は 必 ず し も 守ら れ て い る わ け で は な い 。 ち な み に 、 昭 和 五 十 四 年 秋祭座 の 場 合 は 、 片福貴 ニ 軒 、明 心 二 軒 、 西庄 一 軒 で あ っ た 。 ま た 、 ト ウ ヤ の 家 族 ・ 親族に不 幸が 生 じ た 際 に は ( こ れ を 「ブ ク が か か る 」 と い う )、 次 の 当 番 の イ エ と 順 番 を か わ っ て も ら う の が 一般的で あ る 。 た だ し 服喪 期間が 死者と の 続 柄 に よ っ て 三 ヶ 月i 一 年 程 の バ ラ ツ キ が あ り 、 そ れ ぞ れ の ケ lス に よ っ て 柔 軟 に 対 応 し て い る よ う で あ る 。 そ れ 以外 の 不 浄 禁忌が ト ウ ヤ に 適 用され る こ と は な く 、 ま た あ ら 。 た ま っ て ト ウ ヤ が 精進 ・潔 斎す る こ と も な い 。 ト ウ ヤ の 具 体的 な役 割 に つ い て は 次 節の 宮座儀 礼 の 項 で 触 れ る が 、座 の 準 備 と 座 当 日 の 給 仕 に 限 ら れ 、 年聞 を 通 じ た 神社 の 運営は、 次 に 述 べ る 宮 議 員 ・ 氏 子 総代が 当 る こ と に な っ て い る 。 ト ウ ヤ 以 外 の 役 職 と し て 、 九名 の官議 員 と そ の 互 選 に よ っ て 選 ば れ る 一 名 の 氏 子 総代が あ る 。 宮議員 は 各 カイ ト ご と に 選 出さ れ 、 任期 は カ イ ト に よ っ て 二 J 四 年 と 異 な る 。 九名 の 、 カ イ ト ご と の 内 訳は、 明 心 ・ 西庄 ・ 高 峰各 二 名 、 片福 貴 ・大 道 ・鳴 石各 一 名 で 、各 カ イ ト の 戸 数 に 対 応 し て い る 。 氏子総代の任期 は 特 に 定 ま っ て お らず、 現在 氏 子 総代を し て い る M 氏 は 十 年程継続 し て そ の 任 に あ る 。 と こ ろ で 、 こ の M氏 は 七 十 六才(調査時点)の ム ラ で も 最長老 の 一 人 で あ る が 、 宮議員全 体 で み れ ば 三 十 代 ・ 四 十 代 の 人 も い て 、 宮議員 と い う も の が 必 ず し も ム ラ の 長 老 た ち に よ っ て 占 め ら れ る 役職 で は な い と い う 点 、 さ ら に 前 述 し たよう に 、 ト ウ ヤ は 各イ エ を均等 に 回 る 単 純 な 輪 番 制 で あ る と い う 点 を 合 わ せ 考 え る と 、こ の 福 貴畑 の 宮 座 は 、 現状 を 見 る 限 り で は 従 来 わ れ わ れ が 主 張 し て き た 祭杷長老制 と し て の 宮 康 と い う性 格が 、 き わ め て 稀 薄な組織 で あ る と い え よ う 。 氏 子 総代 ・ 宮議員 の 主 要 な 任 務 は 、年中行事 と し て 催され る 五 つ の 祭 ( ニ 月十八日 ・ 祈 年祭、 八月 十七日 ・ 観 音祭、 十 月 十 五 七 月 十 四 日 ・ 竜 王 祭、 日秋大祭、 十 一 月 二 十 五 日 ・ 新 嘗祭) を と ど こ お り な く遂 行す る こ と 、並 び に 神社 に 関 わ る 年 間経費を 維持 ・管 理す る こ と であ る 。 神 社 に は 、 か っ て 二 反 足 ら ず の 畑 が あ っ た が 、 現在 で は 神 社 の う し ろ に あ る 山 が唯 一 の 財 産 で 、 固有 の 収 入 源 は な い 。 し た が っ て 、 年間経 費 は 、 各 イ エ よ り徴収す る 初 穂料 に よ っ て 賄 わ れ る 。 こ の 初 穂 料 の 徴 収 は 、 米 一 升分を時価 に 換 算

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し て 、 毎年決め ら れ る 等 級割 に 基 づ い て 行 わ れ る 。 昭和五 十五年 の 場 合を 例 に と る と 、 米 四 升 か ら 五 合 刻 み で 米 一 升 ま で 、 七 つ の 等 級 に 分 け ら れ

そ の う ち 三 升 ・ 二 升 五合 ・ 二 升 の 等 級 に 半 数以上 (合 計 四 十 六 戸 ) が集 中 し て い る 。 各イ エ の 等 級割 当が 、年 に よ っ て 大 幅 に 変 動す る こ と は な い が 、 家族 に 不 幸 が 生 じ た り 、 そ の イ ヱ の 景 気 の 良 否 に よ っ て 若 干 の 異 動が 行 わ れ て い る 。 こ の 他 に 、 臨時 に 多 額 の 出 費が 生じ た 場 合 に は 、 そ の 都 度初穂 料 と 同 様 の 等級 割当を行 っ て 各 イ エ よ り 徴収 し て い る 。

2

、 宮 座 犠 礼 前節 で も 述 べた よ う に 、 宮座 は 一 月 七 日 の 正 月 鹿 と 、 十 月 十 四 日 の 秋祭 座 の ニ 回 開催 さ れ る 。 こ の う ち 、 正 月 座 の 方 は 新年 の 顔 合 わ せ と い っ た 色 彩が濃 い が 、 秋祭座 の 方 は 、 翌 十 月 十 五 日 に 行 わ れ る 杵 築神社 の 秋 の 大 祭 と直結す る 神 事儀 礼 と し て の 性 格が 強 く 表 れ て い る 。 わ れ わ れ (高橋 ・ 芳 賀) が 直 接参与観察で き た の も 、 昭和五十 四 年 十月十 四 日 の 秋 祭 座 で あ る の で 、 以 下 の 記 述も そ れ に基づ い て 行う こ と に す る 。 ま ず 十 四 日 の 宮 座 に 先 立

、 ト ウ ヤ は 十 二 日 に 各 イ エ を 回 り 、 当 日 の 参加 ・ 不参加を確認 す る 。 参加 者 か ら は 折 代 ( 七 百 円 ) と 汁 代 (百円 )を 、 不参加 者 か ら は 汁 代 の み を 徴収 し 、 そ の 代金 で 必 要 な材料を購入す る 。 翌 十 三 日 は 、 神さ ん に あ げ る 膳 の 準 備を行う。 こ の 膳 は 、 中央 に 型 押 し し た 円錐 状 の 御 飯、 そ の 前 方 に 二 皿 、 後方に 三 皿 そ れ ぞ れ に 三 個 ず つ の イ モ ク ル ミ (ゆ で た サ ト イ モ の 上 に 、 ク ル ミ ア ン と 呼 ば れ る 、 大 豆 を す っ て 塩 味 で 調 理 し た も の が か か っ て い る 111 次章 で 述 べ る イ ト ナ ミ 講 の 席 で 供 され る ク ル ミ モチ の ク ル ミ も 、 甘味 で あ る 点 が 異 な る が 、 同様 の も の で あ る )

宮座

の社

会人類学的調査

VI の 盛

れ た 素焼 の

を 置 き 、 ウ ル

の 木 の 枝 で 作 っ た 箸 を 添 えた

の で あ る (写真 5 1 十 五 年 程前ま で は 、 宮座 の 列 席者 た ち も こ れ と 同 じ も の を 食 し て い た そ う で あ る が 、 現在 で は 神さ ん だ け に 供 え、 座 の 出 席者 は 仕 出 屋 か ら 取 り 寄 せ た 折 詰を利 用 し て い る 。 十 四 日 当 日 、 ト ワ ヤ は 朝 か ら境内 ・ 社 殿 ・ 座 小 屋 等 の 掃 除を 行 い 、 前 日 準備 し た騰 の 盛 り つ けを し て 神さ ん に 供 え る 。 こ の 膳 は 全 部 で 七 謄 用意 さ

ミヤ

れ 、 そ れ ぞ れ 、 杵築神社本社、 小宮さ ん (本 社 の 左 手 に あ る )、 観音さ ん 、 深沙大将 、 不動さ ん 、 阿弥 陀さ ん (以上 回 体 は 、 本社右 手 に あ る 観 音堂 に 安置 さ れ て い る )、 地蔵さ ん (境 内 下 の 石段登 り 口 に あ る ) に 供 えら れ る 。 一 方 、 ト ウ ヤ の 主 婦が 中心 に な っ て 、 境内 の 社 務 所 の 横 に あ る炊事 場で、 豆腐汁 (甘味 の つ い た み そ汁) を持 与え る 。 な お 、 各 ト ウ ヤ は 、男子 一 名 (戸 主 に 限 ら ず 、 息 子 11原 則 と し て 長 男 11ー で も よ い )、 女子 一 名 (賄 い の 裏 方が で き る 主婦が 原則) ず つ を 出さ な け れ ば な ら ず、 全部 で 男 玉 名 、 女 五 名 の 計 十名 で 任 務を担当 す る (昭和 五 十 四 年 度 の 場 合、 ト ウ ヤ の 一 軒 は 戸 主 が 死 亡 し て お り 、 息 子 が ま だ 中 学 生 で あ る た め 、 主 婦 の み が 参 加 し 実 際 に は 九 名 で あ っ た )。 午後 一 時 、 和 服 正 装 な い し 洋服 の 参 加者が 境内に 集 ま り 、 本殿 に 参 拝 し た 後 、 座 小 屋 に用 意さ れ た 座 に 着く (座小屋 は 石 段 を 登 り き っ た す ぐ の 所 に あ り 、 小屋 の 真 中 は 境 内 に 通 じ る 通 路に な っ て い る 。 当 日 は 、 こ の 通路 を板 で ふ さ ぎ 一 室 と し て使用す る li写真 6 111 ) 。座 順 は 図 6に 示 し た 通 り で 、 正 面 向 か っ て 左 に 氏 子総代、 右 に 大総代 ( こ の 大 総代 は 、 第 一 章 で 述 べ た よ う に ム ラ 役 で あ っ て 宮 座組 織 に は 直 接関係な い の だ が 、 座 に は 列 席 し て い る )、 以下両側 に 原 則 と し て 年 齢順 に者 座す る が 宮議 員 は 年 齢

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宮座

の社

会人類

学的調査

福貴畑官座の座)1頂 (昭和54年10月14日 )

口81才

大 総 代

氏子 総 代

(宮議員) 54才口

図 6 が若く て も 上 座 に 着 く (写真 7)。 参加者総 数 は 十 六 名 で 、

口79才

口75才

VI

口74才

口70才〔宮議員〉

0 トウヤ

) 49才口

) 44才口

0最年長の トウヤ

口63才

口57才

。 " "

) 37才口

芳賀口 。

74才口

72才口

69才口

高橋口

H 昭和 五十 四 年 度 の 場合、 トウ ヤ 以 外 の そ の う ち 氏子総代を含 め た 宮議員 の 出席 者 は 六 名 ( 三 名 が 欠 席) で あ る 。 右列五 番 目 の 宮 議員 は 年 齢 か ら い っ て 本 来 な ら 、 一 般 座員 の 座 順 に 従 っ て い る 。 こ れ が 原 則 に 最上座 に 着 く べ き で あ る が 、 反 す る 稀 な 例 外 で あ る と い う よ り は 、 当 日 参 加者が洩 ら し た 「座 に 来 て 、 互 い に 席 を譲り 合 わ な い た め に 、 年長順 に し て い る に す ぎな い 」 と い う 表 づ く も の で は なく 、 現 に 示 さ れ る 如 く、 座順そ の も の が必ず し も厳格 な役職及び 年齢規 準 に 基 か な り 便 宜的 な も の で あ る こ と の 表 れ と 見 る べ き で あ ろ う 。 下 座中央 に 最年長 の ト ウ ヤ 、 そ の う し ろ に 他 の ト ウ ヤ が 控 え る 。 ト ウ ヤ は 座 の 給 仕 に 当 る が 、 最年長 の ト ウヤ だ け は 、 紋付羽 織 に 扇 子 を 携 え ーーー 写真 8||) 。 て 、 座 の 始 ま り か ら 終 り ま で 着 座 し て い る (他 の ト ワ ヤ も和服正 装 で あ る ト ウ ヤ も 座 の 給 仕 は 男 女性 は 座 に 着 く こ と が で き ず、 子 の み で 行 い 、 女 性 は 裏 方 の 仕 事 に 徹 し 表 に は 一 切 出 て こ な い 。 一 同 着座 の あ と 、 氏 子 総代、 大総代の順 で 簡 単 な 挨 拶を行 い 、 次 い で ト ウ ヤ を 代 表 し て 最 年長 ト ウ ヤ が 一 言挨 拶 の 後 、 進行役 と な っ て 座 が 進 む こ と に な る 。 ま ず 、 「ご い つ と さ ま に 、 お っ ゆ さ し あ げ ま す 」 の 合 図 で 全 員 に 前 述 の 豆腐 汁が 注 が れ 、 薬味 と し て 各 自 焼 ト ウ ガ ラ シ を適 量 と っ て 汁 に 入 れ 、 氏 子 総代を先 頭 に し て こ れ を 飲み 干す。 同様 に 、 「ご い つ と さ ま に 、 お み き が さ が り ま し た の で お 召 し 上 が り 下 さ い 」 の 合 図 で 、 氏子総 代 か ら 順 に 神 酒 が 注 が れ 、 各自 こ れ を あ け る 。 こ こ ま で は ほ と ん ど 私語も交 さ れ ず、 き わ め て 厳 粛な雰 囲 気 の 中 で 座 が 進 行す る 。 全員 に 神 酒 が 回 り 終 る と 、 再 び 豆腐 汁が 注が れ 、 各自折詰を 開 け て 箸 を 着 け 始 め る 。 「ご い っ と さ ま に 、 粗茶 を さ し あ げ ま す 」 の 合 図 で 酒 が振舞 わ れ 、 自由な談笑 で 座 が 賑 や か に な る 。 た だ し 、 歌 な ど は 一 切 歌 わ れ な い 。 座 の 始 ま り か ら 一 時 間 半 ほ ど 経 過 し た 頃 、 氏 子 総代が 「み な さ ん 、 よ ば れ て く れ は り ま し た か 」 と 問 い か け 、 一 同 「よ ば れま した」と 返 し た と こ ろ で 、 「 そ ん な ら 、 ト ウ ヤ さ ん 、 こ の 御 膳 ひ い て く れ は り ます か 。 どう も御苦労 さ ん で ご ざ り ま し た 」 と挨拶 し て 、 座は終了 する 。 全体 で 二 時 間に 満 た な い も の で は あ っ た が 、 簡素な中 に も 落ち着き の あ る 格 調 高 い 宮 座 で あ っ た 。 た だ 、 当 日 参 加 の 座 員 一 同 も 認 め て い た よ う に 、全 構成員 八 十 戸 の う ち 、 ト ウ ヤ も 含 め て 出 席者、 が 二 十 一 名 し か な く 、 宮議員 さ え 全員揃 わ な い と こ ろ を み る と 、 宮座が 本来果 してき た と 思 わ れ る 共 同体結合 の 機 能が低 下し て い る こ と は 否 め な い 事 実 で あ る 。 こ う し た 傾 向 は 、 戦後 こ の ム ラ 、 が 花栽 培 に 積 極 的 に か か わ るよう に な っ た こ と と 無関 係 で は あ る ま い (第 一 意 で 述 べ た よ う に 、 現在約 八 割 近 く の イ エ が 、 何 ら か の 形 で 花作り に 携 わ っ て

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い る )。 す な わ ち 、 花作 り が そ の 最 盛期に は 休 む暇 も な い 程 に 多 忙な作業 で あ る た め に 、物理 的 に 宮 座儀礼 に 参 加 す る 時 間 が と れ な い と い う こ と が 、 そ の 一 つ の 理 由 と し て あ げ ら れ る 。 事実、 時 聞 に 幾 分余裕 の あ る 正 月座 の 方が 比 較 的出席率が い い と い う こ と は 、 こ れ を 裏付 け る も の で あ る 。 し か し 、 こ う し た 物理的制約以上 に 指 摘 さ れ な け れ ば な ら な い の は 、 花栽培 の 広範 な導入 に よ り 、 個 々 の 農 家が、 一 つ に は 収入 優先 主 義 に 傾 い て い る こ と、 さ ら に は 括 の 出 荷を め ぐ っ て 、 ム ラ の 外 部 と の 結 びつきを強め る こ と に よ っ て 、 伝統的 な ム ラ の 結 束 を 維 持す る こ とに 消極的 に な っ て い る と い う こ と で あ る 。 こ の 花 の 出 荷 に 関 し て 付 け 加 え る な ら ば 、 各農家 は、 大阪 を 中 心 に そ れぞれ個別 の 出荷先 を 持 っ て お り 、 ム ラ と し て 集 団的 に 外部社 会 と 結 び つ い て い る の で は な い 。 こ の 点 か らも、 ム ラ び と の 共同体意識を 弛緩 さ せ る 要因が導 き 出 せ る よ う に 思う。 も ち ろ ん 、 他 の 多く の 農 村 で も 指 摘 で き る よ う に 、 こ の ム ラ に お い て も 、 三 十 代以下 の 若 者 た ち の 多 く は ム ラ を 出 て い る か 、 ム ラ に い て も 、 大阪市 -奈 良市を は じ め と す る 都 市部 に 通 勤先を持 っ て い る の が 一 般 的 で あ る 。 し か し な が ら 、 右 に 述 べ た よう な福貴畑 の 共 同体意識 の 弛 緩が 、 こ う し た 若者 の 一 般的 な動 向 に よ っ て 引き起さ れ て い る と い う よ り も 、 む し ろ ム ラ で 花 栽 培 に 従 事 し て い る 四 十 代以上 の 戸 主 層 の 聞 に 現 わ れ て き て い る こ と の方 を 重 視 し な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 こ れ は 、 わ れ わ れ の 印 象 で あ る が 、 福貴畑 で 現 在、 ま が り な り に も 伝統 的な宮 座儀 礼が 維持 さ れ て い る の は、 宮市盟 運営 に 関 し て か な り 積 極的 な意を注 い で お ら れ る 、 い ま の 氏 子総 代 の M 氏 の 力 に 預 る と こ ろ が 大き い ような気 が し な い で も な い 。 そ の 意味 で 、 今後 の 変遷過 程 に 注 目 し た い と こ ろ で あ る 。

宮座

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学的調査

VI 最後 に 、 十 四 日 夜 か ら 翌 十 五 日 に か け て の秋 祭 に と も な う 神事儀礼 に つ い て 簡単 に 触 れ て お こ う 。 十 四 日 の 夕 方、 青年団 の 有 志 、が境内 に 集 ま っ て 、 明治年 間 よ り こ の 神 社 に 保 存さ れ て い る 、 大 人 の 背 丈程 もあ る 大 き な 提燈 (写真 9) 四 個 と 小さ な 提 燈 四 個を特 製 の 台 座 (写 真m ) に 吊 し 、 灯を と も す 。 か な り 力 の い る 作 業 な の で 、以 前から若者 の 仕 事 で あ っ たよう だ が 、 か つ て は 日 中 か ら 提 燈を吊 し て い た の が 、 昼間 若者 た ち が 勤 め で ム ラ に い な い た め 、 帰宅後 の 夕 方 に 行 わ れ る よう に な っ た そ う で あ る 。 夜 は ム ラ の 人 た ち が 適 宜参 拝 に 訪 れ る 。 翌 十 五 日 は 、 午前九時 前 に 氏 子 総代・宮議員 が 社 務 所 に 集 合 し た 後 、 こ の 神 社 の 神主を依頼し て い る 王 寺・竜 田 神社 の 一 方 、 同時 に 、 社殿前 神 主 の 先 導 で 、 社殿 に お い て 神事が と り 行 わ れ る 。 の 境 内 で は 、 同 じ 竜 田 神 社 の 亙 女 さ ん が湯立 て 儀 礼を行う (写真 日) 。 こ の 湯立 て に 用 い ら れ る 釜 は 、 こ の 神 社 に 古 く か ら 伝 わ る も の で か な り 傷 み が 激 し い が 、 天 和 三 年 ( 一 六八 三 年 ) の 刻印が 読 み と れ る (写真 ロ) 。 こ の 日 の 神 事 に は 、 一 般 の ム ラ び と の 参 加 は ほ と ん ど 見 ら れ な い が 、 近所 の 主 婦 三 名が 手 伝 い も 兼 ね て 参 加 し 、 亙女さ ん の 御 戚 い を 受 け て い た 。 神事が 終 っ て か ら 、 出席者が 社務所 で 昼 食を兼ね た簡単 な飲食を行 っ て 、 行事 は す べ て 終 了 す る 。 第四 章 イトナミ講 福貴 畑 の ム ラ 組織 と し て 挙 げ ら れ る も の は 、 カ イ ト と 大字 の 自 治組織 、 宮康 と 氏 子 組 織、 イ ト ナ ミ 講、 伊勢講、 老 人 会、 婦人会、 青年回、 4 H ク ラブ な ど で あ る 。 こ の 中 で も イ ト ナ ミ 講 は 、 特定 の カ イ ト に ま た が る 、 イ エ 単 位 の 宮座的形態 を一 市す集団 であり、 ま た 福 貴畑 の 村落形成、 官座の変

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官座

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会人類

学的調査

VI 遷過 程 と 深 い 関 わ り を も っ て い た の で は な い か と 思 わ れ た の で 、 と く に 注 目 し た 。 し か し 残 念 な が ら 、 イ ト ナ ミ 講 に 関 す る 文 書記録 類 は 得 ら れ ず 、 そ の 歴 史、 起源や 変遷過 程は 明 ら か に で き な か っ た 、が、 こ こ では イ ト ナ ミ 講 の 組 織 と 儀 礼 (宴) の 現 状 に つ い て の 記 述を中心 に し て 、 イ ト ナ ミ講 を 通 し て 福 貴畑 の 村落形成 過程 を 把 握 す る こ と が で き る か、 若干 の 検 討を最 後 に 述 べ て み る こ と に す る 。 な お 、 な ぜイ ト ナ ミ と い う 講名 で 呼 ば れ て い る の か は 、 明 ら か な伝承が な い 。 ー、 イ ト ナ ミ 講 の 組 織 福貴畑 の イ ト ナ ミ 議 は 少 な く と も 現 状 で は、 信仰的講 で も 相互 扶助 を す る 経 済的講 で も な い 。 年 番 ト ウ ヤ の 家 で 、 議員 で あ る イ エ の男性 (原則 と し て 戸 主ま た は長 男) が トウ ヤ 賄 い の 料 理 を 共同 飲食す る 、 一種 の 社 交親 睦講 だ と 言 え る 。 議員 に よ る と 、 「イ ト ナ ミ は 呑 み 食 い 講 」 で あ り 、 有財 産も なく 旅行も し な い 貧 乏講 」 で あ る が 、 そ の 飲 食 の 座 が 楽 し く 、 つ て は そ れ に 出 席 す る こ と は 誇り で あ り 、 ま た 権威 の あ っ た 講 で あ る と い 相 円ノ。 イ ト ナ ミ 講 の 構 成単 位 は イ エ で あ り 、 そ れ を 「イ ト ナ ミ 講 社 の ウ チ (イ エ) 」 と 呼 ん で 、 非講 員 の イ エ と 区 別 す る 。 講社 の ウ チ は 調 査 時 で 二 十 六 戸 で あ り 、 カ イ ト 別 戸 数 は 片 福貴 十戸 、 大道 七 戸 、鳴石 八 戸 、明 心 二戸 で 、 四 カ イ ト に ま た が っ て い る 。 片福 貴 の 寺 二 戸 、 鳴石 の 一戸 (金 属加 工 業 )、 明 心 二 十 四 戸 は非講 員 の ウ チ で あ る 。 西庄 と 高 峰 の 両 カ イ ト は 昔 か ら イ ト ナ ミ に は 関 係 し て い な い 。 伝承 で は イ ト ナ ミ 講 は 本 来十八 戸で 始 め た も の で 、 そ の 十 八 戸 の 系 統 と そ の一 分家 は 成 員権 を も っ 一 方 、 同 じ カ イ ト 内 に も 四 講員 家と非講員家 と が あ っ て 、 非講員家 が イ ト ナ ミ 講 加入を望ん で も 、 カ込 つ て は 断 ら れ て い た 。 つ ま り 以 前 の イ ト ナ ミ 講 は 旧 十 八 戸 筋 に よ る 株 講的 形態を と っ て い た の で あ る 。 こ の 十 八 戸 筋が 現 在 の ど の イ エ に 連 な る か 、 は っ き り 確 認 し 得 て い な い 。 古 く か ら の 議 員家 は す べ て 宮 座 の 座 衆 で あ っ た と い う (図 3 参 照)。 イ ト ナ ミ 講 の 組 織上 の 最 近 の 変 化 は 、 昭和 四 十 七 年頃 に 、 そ れ ま で 非 講 員家 で あ っ た 鳴石 二戸、 大道 二 戸を新 規 に 講 社 の ウ チ と し て 迎 え た こ と で あ る 。 こ れ に より、 片福貴、 大道、 鳴石 に つ い て は 、 ほぼ 村講的 形態 に 変 わ っ た 。 こ の 時 の 改 革 理 由 は 、 同 じ カ イ ト 内 で 交 際上 の 区 別 を す る の は 好 ま し く な い と い う 考 え 方 と 、 後述 の 後継者数減少傾 向 に 対 し て 、 イ ト ナ ミ の 座 の 「十 八 名 定員制」 を 維 持 す る た め の 要 請が あ っ た か ら で あ る 。 こ の 三 カ イ ト 中 に も現 在、 非講員家が あ る が 、 こ れ は イ ト ナ ミ加入希望 を も た 共 な い た め で あ る 。 明 心 で は 古 く か ら 二戸 だ け 加 入 し て い た と さ れ る が 、 ど ?ト う し て 二戸 だ け な の か は 不明 で あ る 。 当然 の こ と な 、が ら転出 し て 講 を 脱 退 し た イェ、 住居 は 福 貴 畑 に も つ が 、生 活 を 大 阪中 心 に し て い る た め 、 当面講 を 休 ん で い る イ エも あ る 。 な お 、旧 十 八戸 筋 と 思 わ れ る イ エ の 分 家 で 、 イ ト ナ ミ に は 出 た が 、 官座 の 方 は 非 衆 で あ っ た と 自称す る 一 例 を 得 て い る 。 さ て 、イ ト ナ ミ 講 社 二 十 六 戸 の 内 か ら 、 実際 に イ ト ナ ミ の 宴 に 出席し て 座 に 並 ぶ の は 十 八 人 で あ る 。 こ の 十 八 人 は イ エ を代表 す る 男性戸主 も し く は そ の 後 継者 であり、 本人 の 都 合が 悪 い 場 合 は 必 ず 父 親 か、 近親 の 男 性 を 立 て る 。 十 八 人 の 内 に は 、 講社 の ウ チ の 代 表者が 年長 順 に 講 入 り す る 。 イ エ に 適 齢 の 男 性、 が い な い 場 合 は 、 休 む こ と に な る 。 イ ト ナ ミ 講 は ま っ た く 男 の 講 で あ り 、 トワ ヤ の 主婦も表 面 に は 出 な い 。 昭和 五 十 四 年 の 講 員 を 例

(16)

に、 そ の 組 織上 の 特徴を説明す る と 次 の 通 り で あ る ( 表71 序 列 表 7 ニェ-�呼

老2老Z 称 昭和

五 十 四 年

のイ

昭 出 ト

和 生 ナ

九 九年ミ 講 九二月員 四 五 七六 九入 イー 十十十十十十十十 八 七六五四 三二一

トウヤ

花2 嫁7 A B C 十三・五 十四・四 備考 (四十五歳) 一一同期講入り し一一一一一1 同 期 講 入 り 一一同期講入り 同 期 講 入 り 講 入 り は 年 長順 制 で あ る 。議 員 の 交 代 は 最 高位者が 脱退 し 、 末位 に 新 入 (二十二歳) D E 十四・六 が 入 る こ と で 行 わ れ る 。 原則 と し て 年 に 一 人 ず つ の 交 代 で あ る が 、 講員 の F 十八・一二 二十コ了五 転出 ・ 死亡 な ど で 中 位 に 欠 員 が 生 ず る と 、 上 位者が 留年 し た り 、 複数 人 が G H 二十三・六 九・九 同時講 入 り し て 定 員を 欠 か す こ と は な い 。 同期講入者 の 聞 で も 、 J ノ、 BIK の 例 の よ う に 、年長順 の 序 列がつく。 十 八 名 の 内 で は 講 入 り 順 の 序 列 が あ る 。 K 二十五・一 十六・十一 二十七・一 三十・十 一一十八・三 三十一・四 三十二・三 一二十二・五 L M N 。 P Q R

宮座

の社

会人類

学的調査

VI 年長者が 下位 に 回 っ て い る の は 、 た と え ば I J は 昭 和 四 十 七 年頃 に 新 た に 講社 の ウ チ と な っ た イ エ の 戸 主 であり、 L は ム コ 養子 とし て 講 員 に な っ た 。 い ず れ も 講 入 り 時 の 候 補者中 で 年 長 順 に 講 入 り し た こ と に 変 わ り は な ぃ。 講入時は 「花嫁さ ん 」 と呼ば れ、 ほ ぼ 中 間 位 で ト ウ ヤを 勤 め 、 やが て 「 二 老 さ ん 」 ご老 さ ん 」 と 呼ば れ、 イ ト ナ ミ 講 で 最 高 の 権 限 を も っ 。 成 員 の 入 れ替 え は 一 老 の 権 限と責 任 に お い て 行 わ れ る 。 年長順制 な の で 次 の 新入者は 自明 で あ る 、が、 一一一月頃、 該当者宅 に 一 老 が 赴 き、 当 人 の 入講を確 認 し 、 各講員 に 紹 介 し て 回 る 。 途中脱退者 が 出 た り、 新入 者 が な か っ た り す る と 、 二 年 続 け て 一 老の地位 に 留 ま る こ と も あ る 。 と こ ろ で 、 同期講入 者 は 同 時 に 講を抜け る 原 則 な の で 、 CやE F な ど は 一 老 に な れ ず に 講 を 抜 け る可 能性 が あ る 。 宴席 で そ の こ と を し き り に 残 念が る 情 景 も 見 ら れ た が 、 こ の 同 期講入者 の 同期退出 原則は、 彼等 の 聞 で イ ト ナ ミ に 出席 し て 飲 食す る 回 数 に 差 が な い よ う に 、 と い う 一 つ の 平等原理 が 作 用 し て い る か ら で あ る と と も に 、 一 老 に な れな い 者も出 る と い う の は 、 イ ト ナ ミ で は 全員 が 等 し く 一 老 に な る こ と よ り も 、 年番 ト ウヤ制 を根 本 に お い て 、 「招 い て く れ たイ エ に は 必 ずお返 し を し た い 」 と い う、 均衡 的 な 互 酬 原 理 の 方 が 強 い か ら で あ る 。 そ れ は 「呼 ば れ た 人 は 呼 ん で 返 す」 「損 得 な し 」 と い う 講 員 の 言 葉 に 顕 著 に 表 わ れ て い る 。 こ の 点 を、 図7 に よ っ て説明す る と 、 エ ゴ 国 は 講 入 り 後 、 山 か ら 汀 の 家 に 年 々 招 か れ て 、 九年 目 に は 自 ら ト ウ ヤ に な り 、

J

UUカEI の 上 位者 に 「お 返 し 」 を す る 。 そ れ と 同 時 に 国 か らおを招く。 講入り後十 七 年 目 に は お か ら 「 お 返 し 」を受け て 、 エ ゴ に と っ て 序 列 の 近 い 叩 か ら 口、 四 か らお と は 直 接 「呼 ん だ り 、 呼ば れ た り 」 の 損 得 な し の 関 係 が 成 立 す る 。 一 方 、 1 二五

(17)

官座

の社

会人類

学的調

VI

間同

叩泊四ぬ紅白泊目一お一昨 η国・mmnmmM2笠幻潟mm判明乱泣注目一回一 国 19 20 21 22 23 24 25 26 27 9mロロ日HtMM

4

目別紅mnM泊

26

9年目 l

ワμηοAA戸りにuntQUQd

イチロウ ウ ニニ ロ 10

11

12

13 14 15 16

17

困:

1年 目

イトナミのトウヤ制モデル(9 年目 トウヤの場合)

図7

ト ウ ヤ

ハナヨメ 議入り 共食 し た だ け の 関 係 に な る 。 か ら 8、 加 か ら詰 ま で の 遠 い 序 列 の 者 と は 直 接交 換 の な い 、 単 に 同 じ 底 で つ ま り、 年齢 の 遠 い 戸 主 と は あ ま り 濃 い 関 係 は も た ず 、 濃 い 薄 い 二 種 類 の 関 係が 十 八 年間 に 形 成 さ れ る こ と に な る 。 ま た エ ゴ は 十 八 年間 に 延 べ 三 十 四 人 (イ エ ) と 共 食す る こ と に な り 、 結局十 一一六 八 名 定員 制 の 下 で す べ て の 講 社 の ワ チ と 、 宴を 通 し て 交 際 を 重 ね る こ と に な る 。 序列 の 遠 い イ エ と は 直 接 の 損 得関係を も た な い が 、 親 子 二 代 に わ た っ て 共 食関係をも っ可能性 は 大 き い 、 と 言 え る 。 と こ ろ で 、 エ ゴ に と っ て 9は 「呼ば れ な か っ た が 、 呼 ん だ 」、 幻 は 「呼 ば な か っ た が 、 呼ば れ た」 と い う 一 方的 な損 、 ま た は 得 の 関 係 に な る 。 図7 は 順 調 に 毎 年 一 人 ず つ 講 員 の 交 代 が 行 わ れ た場合 の モ デ ル で あ っ て 、現 実 に は 途 中脱退者も あ る の で 、 トウ ヤ の 序 列も上 下 に 変 動す る 。 そ の た め 各 議員が そ れ ぞ れ に も つ 互酬関 係 は 画 一 的 で な く 、 損や得 の 一 方的関係 の あ り 方も各人 に よ っ て 異 な っ て く る 。 講員 に と っ て 「 損 得 な し 」 が 理 想 な の で 、 我 こ そ そ れ を 実現 し よ う と 「 お 返 しが済 ん で い な い の で 、 一 老 さ ん 、 抜 け な い で く れ 」 と か 、 あ れ こ れ 宴 席 で 交 渉談議 が 出 る 。 お返 し の や り 残 し は 気が か り の 種 と な る し 、 お 返 し を す っ か り 受 け た 上に 、 さら に 余 計 に 招 か れ た 者 に は「得をし た 」 と い う 表現が さ れ 、 めぐりあわ せ の 運 の 良 さ が 談 笑 の 種 と な り 、 う ら や ま し が ら れ る 。 要 す る に 完 全 な均 衡が 理想 と な っ て い る の で あ る 。 戦争 中 は 戦死者 も 出 て 、 講を し ば ら く 中断 し 、 戦後 は 二 十 二 年 頃 に 再 開 し た 。 中断以 前 に は 十 六 人 制 と し た期 間も あ っ た 。 現講員中 に 同 期講 入 り の 組 合 せ が 多 い の は 、 戦死者 を 出 し た そ の あ と の 補 充 の た め で も あ る 。 ま た、 戦前 は く じ 引 き で 宴 へ の 出 席者を 決 め た こ と も あ っ た と い う 。 こ の 点 で 、 現行 の 年長順講 入制を か な り 古 い 時 代 か ら の も の と み る の は 留保 し な く て は な ら な い か も 知 れ な い 。 講 入 年 齢 に つ い て 尋 ね る と 、 か つ て は 結婚 前 の 二 十歳 位、 あ る い は 十 七 歳 以 上 を 適 齢 と し た 、 と も い う 。

シユ

トウヤ (施 主 と も い う ) は イ トナ ミ の 飲 食物、 膳椀 、 会場 の す べ て を 提 供 す る 。 餅米 だ け は 各 戸 で 用 意 し た の を トウ ヤ で 集 め て 、 餅 を 措く。 か っ

(18)

て は 官座 に ア ル キ (後述) と い う 役割を半固定 的 に 引 き 受 け た 人 が い て 、 イ ト ナ ミ の ト ウ ヤ は そ の 宮 康 の ア ル キ を使 っ て 餅 米を集め た 。 ト ウ ヤ 手 伝 い に は 、 他所 の 親戚や近 隣 の 講社 の ウ チ か ら 来 る 。 宴席 の 給 仕 に は、 ト ウ ヤ と 同 じ カ イ ト の 講 員{ 永 か ら 、 十八 名以外 の 男 性 が 出 る 。 座 に 並 ぶ 息 子 に 父親が 給仕す る 場 合も あ る 。 過去 に お い て 、 トウ ヤ の 出 す料理 は 豪 勢 に な り が ち で あ っ た 。 餅、 汁、 ご は ん 、 酒 は 定 ま っ た も の だ が 、 以前 は ヤ キ モ ノ の た め に タ イ や 棒ダ ラ な ど を 大阪 の 天満市場 ま で 買 い 揃 え に 行 っ た り、 マ エ ザ シ キ ・ イ ト ナ ミ ・ ラ ク サ ク と い う 三 日 続き の 宴 を 催 し たト ウ ヤ も あ っ た 。 派 手 に な る 傾 向 に 対 し て 、 た び た び 倹 約が 唱 え ら れ 、 魚 は 切 り 身 と す る と 決 ま っ て も、 い つ し か 頭 と 尻 尾 だ け を 切り 落 し た 切 り身が供さ れ た り し た 。 ャ キ モ ノ は 現在、 折詰 と 改 め ら れ 、 一 老 が 仕 出 屋 に 発注 す る こ と に な っ て い る 。 トウ ヤ に な る た め に は 、賄 い 経 費等 の 準 備 の 他 に は こ れ と い う 要件は な ぃ。 トウ ヤ に 不 浄忌 避 な ど の 守 る べ き 宗 教的義務も と く に な い 。 2 、 イ ト ナ ミ 講 の 宴 イ ト ナ ミ の 宴 は 旧 暦 十 月 十 ニ 日 に 行 わ れ る 。 講員 に と っ て 稲 の 刈 入 れ 前 に 宮 座が あ り 、 農作業 が す っ か り 終 わ っ て か ら イト ナ ミ を す る (稲作農家 の 場合。 花栽 培 は 別 )、 と い う季節感 が あ る 。 昭和 五 十 四 年 は新暦 の 十 二 月 一 日 に 、 片福 貴 の K 氏 宅 で 催 さ れ た 。 K 氏 は 福貴畑 で も 貴重な、 若手 の 花作り 農家後継者 で あ る 。 当 日 正 午 過ぎ、 トウ ヤ 近 く の 空 地 に て 招 か れ た 講 員十 七 人 が 待 ち 合 わ せ る 。 全員 、 和装洋装 の 晴 れ 着 に 身 を つ つ み 、 洋服 の 場 合も 扇 子 は 携 え て い

{呂座

の社

会人類

学的調査

VI

ナカ

一 老 を先 頭 に 行列 で ト ウ ヤ 宅を訪問。 中 ニ ワ (玄関士 る 。 全員が 揃う と、 間) か ら 中座 敷 に 上 が り 、 す で に 中 座敷 の 下 座 で 待 ち受 け て い る ト ウ ヤ に

シキ

一 人 ず つ 一扇 子 を 前 に 置 い て 挨 拶を し て ( 写真日 )、 一 老 よ り奥座敷 の 上 座 か ら 序 列 順 に す わ る 。 代理 人 は 末 席 に 回 る 。 わ れ わ れ (芳賀 、 松本) も異例 の こ と と し て 末 席 で 議 員同 様 に 共 食 の 機 会 を 与 え ら れ た 。 一 同 着座 の 後 、 ま ず 「 シ ョ シ ュ ウ の 茶」 の 給 仕が あ り 、そ れ を 欽 み 干 し 、 議員 の 手 で 空 湯呑 み を 末 座 に 送 る 。 つ い で 膳 、 火鉢が 配ら れ、 料理 の 最 初 は 吸 い 物 が 給 仕 さ れ る 。 トウ ヤ の 勧 め、 一 老 の 合図 で そ れ に 箸 を つ け る 。 次 に お み き が 注 が れ、 同様にト ウ ヤ と 一 老 の 言葉 で 盃 に 口 を つ け る 。 こ れ を 機 に 折詰を開き、 脚をあぐら に し 、 静寂を破 っ て 歓談 が 始 ま る 。 膳 に は ク ル ミ モ チ (前述) もあ る 。 餅 の 調 製 は 、 一 斗 の 餅 米を午 前 三 時 頃 よ り ト ウ ヤ に お い て 蒸 し 始 め 、 杵 で 掲 き 上 げ る 。 直径 十 五 セ ン チ ( 大 き さ はト ウ ヤ に よ り 工 夫 、が 加 え ら れ る ) の 丸 餅 で 、 お か わ り が た っ ぷ り 用意 さ れ て い

(は

)

る 。 こ の 白 ア ン の 餅は イ ト ナ ミ の 時 だ け で 、他 の 祝 い 事 に は 小 豆 ア ン の 餅 、 正 月 の 雑 煮 は サ ト イ モ で あ る 。 ク ル ミ モ チ は 柔 ら か く て 大 き い の で 、わ ら の 末 で (ゆ で た まご を 糸 で 切 る よ う に ) 適当な大 き さ に 切 っ て 口 に 入 れ る 。 以前 は 餅 で は な く 、 大盛飯 で あ っ た 。こ の 餅 は ト ナ リ 近 所 に も 配 ら れ る 。 二 時 過 ぎ か ら 一 時間余り、 中休み を と っ て 、 一 同 戸外 へ 散歩に 出 て 腹 ご な し を し た り 、 帰宅 し て 休 む。 作業中 の 非 講員 の 傍 へ 行 っ て 、 完談 を し か け た り し た こ と も あ っ た と い う 。 中休み の 後 は、 ぐ っ と 酔 い も 回 り 、 一 段 と 座 が 賑 や か に な っ て く る が 、 歌舞 は 禁 じ ら れ て い て 、 も っ ぱ ら 会話 の 妙 が 楽 し ま れ 、 盃 の や り と り を (給仕人 が ) 媒介 に 、 当 意即妙な漫 才 が 繰 り 広 げ ら れ て い る 感 が あ る 。 タ 七

参照

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