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妖怪学雑誌 利用統計を見る

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(1)

妖怪学雑誌

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

21

ページ

145-366

発行年

2001-05-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004688/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

目號憂第  O■  賓 井上博士所藏額声

三㌍罎

 ■ぎ●宮崎⑳狐沙羨    O購磯第一姐  畠一鎗一定苗︻債⋮︵十±ハ冒︹︶ ⋮理皐灘丙天鰺雷︵十六頁︶  純距債串部門偶合篇壬ハ貰︶    O講満錆二褒 一心魂篇門■象魯︵主ハ貰︶ 一宗教拳部刊禽宙窟︵†六頁︶ 一敦貸暴寵門智祖纏︵士ハ頁︶ O綾 行 明治舟三年 四月十日

妖怪学雑誌

(3)

妖 借 皐 館 館

妖怪學雑誌鑛壷櫨

論 武 翼 怪 拍       妖借研鷺舎養  井上胸了鋤 驚昂④衰専寓鞠②夢亘嵩中民磯灘’玖虞極あ者竜借白ず、膚猫蕊猿駕鵜②み貸儀 なるぽあらず更●鶏舗偶な皇鶯鵠℃艇娠鷹φづ礎鬼吠畳本◎,鴫ス﹀鯵虞犠㊧讃, 癬◎ふ東婆馨橿磁灘冑毒ト宴き恒混ぱ※抱覧欝月奪ぬ灘勢稟*鴨禽撤恵人領 輻写風も鷲持‘一¢して沃艇ならぎる技逡しば食◎戚冑窪擦六●賦骨鯖儀な﹀. 鷺蝉轡∧は銅る練鷲O貴孫駕繍存して毅薮硲蜜戴竜停鰻し.茜皇▲、東驚れ茎令 線養し牢強ら鷺お亮する一軒脇病て壷るを畑ら望飛島0壱す晶鴨、葺錆の百る慨 婁る夕=客苗畑する胞aず.茸葺呑中に傍鶴す6毛の蹴‘、之塗燥伍ε呼目ずして伺 老紹はん哨皇し人の簿ぴ且O欝糠蔵、債廣の朕任允萎是簿疹饗ε紘由叉驚や黄島       ヘ一¥ (巻頭) 全24冊を再刊するために発行され 論説・雑録・雑報等 た。その際, を付加して雑誌の形態とし,平均 100頁ほどで構成された。収録に あたっては,既刊部分である講義 と哲学館・京北中学校等の広告は 削除し,妖怪学に関する記事を雑 誌の発行形態のまま収録した。 発行所 妖怪学雑誌社(哲学館内)

5

サイズ(タテ×ヨコ)

L

220×149mm 2.刊行年月日 第1号(明治33年4月10日)か ら第26号(明治34年4月25日) 毎月10・25日の  までの1年間,   2回発行 3.句読点  あり 4.その他 『妖怪学講義』 は 『妖怪学雑誌』 『哲学館 初版の出版形態である 講義録』「第7学年度妖怪学」 §霞内斌斑研姥愈へ導島ぺL唐㌧くぬ主⇔     泉  是     戯婿 くば曾登●禽妖量璽鷺轡へ向げ 明治三十三年趣月派日印規        峯許鰯銅 明拍三十三皐翅月十厨鞭行   費行看愛紺曝者  京京宙小苓厨竃原冑+八砲培 井上■了   印ゴ麟 者  i苦爵〒暴×竃 佐久聞衡袖   印, 磨  涜 、 京蓑宙毛玩茸恒猿驚一丁麟卓︹蒼培蝕警葱楽奮纂↓工欝

  獲行所 ‖ 妖怪曇雑誌麗

      貧肩書田書5+皇8        妖二

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妖怪学雑誌

号︵明治三十三年四月十日発行︶

妖怪学雑誌広告︵過般の広告に﹁妖怪学講義﹂とありしを﹁雑誌﹂と改む︶  本雑誌は毎月二回︵十日および二十五日︶発行。毎号、左の数欄を設く。   論説  雑録  雑報  講義  ﹁論説﹂および﹁雑録﹂は妖怪研究会長、文学博士井上円了氏の起草および談話にかかるものを掲げ、﹁雑報﹂ は全国各地の報道にかかる妖怪事実を掲げ、﹁講義﹂は先年、井上博士より宮内省へ献上して、天覧の栄をかた じけのうせる、妖怪四百余種の講義を掲ぐ。その編目は左のごとし。   総論  理学部門  医学部門  純正哲学部門  心理学部門  宗教学部門  教育学部門  雑部門  この八大部門中には、古今東西の妖怪不思議に関する事項は、大小にかかわらず、たいてい網羅し尽くせり。  その他、毎号巻初には、妖怪不思議、あるいは神秘霊妙にわたる図画、写真等を掲ぐ。まず本号には、井上博       さんけい 士が日本全国を一周し、各所の神社仏閣へ参詣の節、拝受せられたる御守り札を集めて、荘麗なる額面を作り、 朝夕尊重に捧持せらるる宝物を縮写して巻首に掲ぐ。ゆえに、本号を購求せられたるものは、また、これを尊重 に保存せられんことを望む。  次号以下続々、珍奇希有の図画を掲ぐべし。        *       *       * 145

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百悪千去千福万来

井上円了博士所蔵額面縮写

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       いしゆう  余は全国の神社仏閣の御守り札を彙集して、他日、一大額堂を建立する意なれば、諸国の有志者より続々御 守り札を恵贈あらんことを懇望す。御恵贈の節は、これを大切に捧持するはもちろん、本雑誌にそのことを掲記 し、もって厚意に答謝すべし。  余が昨今もっぱら研究するところは、長寿法、無病法、感通法なれば、医薬医療を用いずして病気の全治した る特例、および精神感通の実例あらば報道あらんことを請う。今後の雑誌へは右に関する実験を続々掲載して、 読者の一覧に供すべし。    以上二件       東京市小石川区原町哲学館内 井上円了 拝白 論  説 妖怪学雑誌      宣ハ 怪  払柵      妖怪研究会長 井上円了述       こ り   てんぐ  世界の広き、万物の多き、そのうちにはいくたの妖怪あるを知らず。幽霊、狐狸、天狗のみ妖怪なるにあら ず、天変も妖怪なり、地異も妖怪なり、発狂も妖怪なり、ペストも妖怪なり。しかのみならず、妖怪の方面より       きんじゆう これをみれば、天地も日月も、山川も草木も、禽獣も人類も、耳目も精神も、一つとして妖怪ならざるはなし。 仏教のいわゆる三界六道はみな妖怪なり。ああ、吾人はかかる妖怪世界に生存して、妖怪の空気を呼吸し、その 生まるるや、いずれより来たりしを知らず、その死するや、いずれに向かいて去るを知らず。病患の発するも、        47       ほうこう       ユ 災難の起こるも、自らこれを前知するあたわず、五里霧中に彷復するものなり。これを妖怪と呼ばずして、なん

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といわんや。けだし、人の迷いかつ苦しむは、妖怪の妖怪たるを知らざるによる。なかんずく、病患の期し難        48 く、生死の定まりなきは、人の最も迷うところなり。故をもって、いかなる豪傑も、死期に臨んでは神仏に哀れ ー みを請い、いかなる博識も、災難にあいては宗教に心を動かさざるはなし。古今数千年間の歴史上、東西幾億万  いきりよう の生霊が、終身その心を苦しめたるは、全くこの点にあり。  ゆえに余は、多年この迷苦を除きて、安楽を与うる道を発見せんと欲し、古今東西の哲学および宗教につき、 もっぱら生死、禍福の理を講究して今日に至れり。これ、余が妖怪研究に従事したるゆえんにして、また、その 結果を世間に報道するゆえんなり。  妖怪の種類すこぶる多くして、そのいちいちを列挙し難しといえども、もし、その大要につきてこれを分かた   ぎかい  ごかい  かかい  しんかい ば、偽怪、誤怪、仮怪、真怪の四大種となるべし。そのうち偽怪、誤怪最も多く、ほとんど十中の七八分を占む るがごとし。しかして、仮怪、真怪はわずかに二三分に過ぎず。しかれども、もし妖怪の道理を究め尽くすに至 らば、一切の妖怪みな真怪となりて現ずべし。人みな妖怪を恐るべきものとなすは、真怪を知らざるによる。も し、その心中に真怪の道理を明らかにするに至らば、この多苦多患の世界が、たちまち楽園、霊境となり、仏教      しやばそくじやつこう のいわゆる娑婆即寂光の実際を見るに至るべし。  ゆえに、余の目的は全く偽怪、誤怪、仮怪を払いて、真怪をあらわすにほかならず。偽怪は霧のごとく、誤怪 は煙のごとく、仮怪は雲のごとく、真怪は明月のごとし。仮怪の迷雲を払うにあらずんば、いずくんそよく真怪 の明月を見ん。もしそれ、中秋三五の夜、万里雲晴れて月まさに中するに当たりては、人みな天地の霊妙を感ず るがごとく、胸中の迷雲晴れわたりて、心天ただ真怪の明月を仰ぐに至らば、その歓楽果たしていかんそや。生

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死、禍福より生ずるあらゆる不平も苦痛も、たちまち消滅し去るべし。  しかりしこうして、真怪のいかんは、妖怪の門に入りて、その理を究め尽くすにあらずんば知るべからず。ゆ えに、もし世間に生死の道に苦しみ、禍福の理に迷いて、これを払い去らんと欲するものあらば、請う、来たり て真怪の道理を講究せよ。 妖怪学雑誌 雑 録 妖怪窟雑話︵︹第一回︺︶ ︹不思議庵主人︺  世間の妖怪談中には、人の故意に作れるもの多ければ、いかに不思議らしく見えても、ことごとく信ずること        やましろ はできませぬ。その一例として、御一新前の出来事なれども、ここに偽怪の一話を述べましょう。昔、山城の国        き え 伏見町に市郎兵衛と申すものがありましたが、平素深く仏教に帰依して、仏前の勤め怠ることなく、暇さえあれ     さんけい         ちようもん    せつしようかい         のみ  か ば御寺に参詣して説教を聴聞し、殺生戒を持ちて、蚤や蚊までも殺さぬほどの信者でありしゆえ、近所近辺に        ほとけさま       あみだ ては、市郎兵衛殿と呼ばずに、仏様と名づけておりました。その仏様がある夜の夢に、阿弥陀様の来現ありて        なんじ 御告げあらせらるるには、﹁われは汝が隣家の門口の土中に埋められて、年久しく隠れておるが、汝が信心のあ つきに感じ、特にそのことを頼むから、早く土を掘りてわれを出だせ﹂と仰せられしと覚ゆるや、間もなく夢が さめ、いかにも不思議に思い、翌朝早速、隣家の主人にその夢知らせの次第を語りけるに、主人これを信ぜずし       49       1 て、土を掘ることを許しませぬ。そうすると、その後毎晩続きて七日の間、同じ夢知らせがありました。そこ

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で、隣家の主人もやっと承知して、門口の土を掘り五尺までに達したれど、なにも見当たりませぬ。よって、・王 人は夢の妄なるを言い張りて、再び掘ることを許さざりしも、市郎兵衛は強いて請い、さらに一尺余り掘り下げ たれば、仏身の銅像が出て参りました。そこで、隣家の主人も大いに感服し、たちまち近所近辺の大評判とな り、みなこれを聞きて﹁感得の妙である﹂と申しました。その後、地頭の役人が、右両人の挙動に疑わしきとこ ろあるを怪しみ、これを捕らえて吟味せしに、両人大いに恐れ、白状して申すには、その前年互いに相談の上、       かんけい ひそかに仏像を土中に埋めおき、このごろ夢に託して利を得ようと企て、かく好計をめぐらしたる由をくわしく 述べ、かつ罪をゆるされんことを願いました。       かいだんべんもうろく  その話は﹃怪談弁妄録﹄と題する書中に出ております。ずいぶん世間にはかかる好物が多かろうと思います が、己の利欲のために神仏を道具に使うとは、さてもさても驚き入りたる次第である。さぞ、神仏もこれには閉 口せらるるでありましょう。世に妖怪退治の必要なることは、この一例につきても分かります。 150 雑 報        長野の怪談       えちこ  近ごろ、信州長野市に一大怪事起これり。そは同市横沢町字弁天坂に住する県属岩下神太郎氏方にて、越後産 の下女一人を雇い入れてより以来、なにものの所為にや、その影も姿も見えざるに、昼夜の別なく、障子に穴を       お あけ、あるいは下駄の緒を食い切りておくかと思えば、今ここにありし物品が、たちまち隣家の畑に飛び去りて        くし あるを見、またその下女の衣類より櫛類に至るまで、ときどきズタズタに断ち切られたるを見る等、実に奇怪千

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妖怪学雑誌       す    くだぎつね 万なり。近辺の評判にては、これは善光寺付近に棲める管狐の所為なりといいて、実地見聞に出かけるもの、 いたって多しという。﹃信濃毎日新聞﹄の報ずるところによれば、その下女は越後東頸城郡棚広村、羽深某の長          ぼくちよく 女にて、性質いたって朴直なるものなり。かつ、その家の資産も中等の農家なれば、生活には別に差し支えな       お じ ければ、山間におるよりは都会に出でて奉公せんと思い、長野市に住める叔父を頼みて奉公先をたずね、岩下氏 の方に雇わるることとなれり。岩下氏の実話なりというを聞くに、人の力にて及ばぬ所の木の枝に、下駄のかか りおりしこと、破られたる障子を繕うとき、下の方を貼れば上を破られ、上の方を貼れば下を破らるる等の奇怪 なること、たびたびありし由。また、世間の風評を列挙すれば、ある知人の宅に遊びに行くとき、かむらせし小       み そおけ 児の帽子が、いつの間にか岩下氏の味噌桶の中にありしこと、白き物が一夜その下女と狂い戯れおりしこと、岩        きつね 下氏の令息、令嬢までが灰色の狐を見たりしこと、下女に赤飯を炊きて与えしに、一飛びに大峰山に至り、間 もなく立ちかえりしこと等、実に不思議なりという。  かかることは世間に多くある怪談なれば、あえて不思議とするに足らざれども、妖怪学を講究せざる人には、 奇怪に思わるるも無理からぬことなり。        怪   音  本年一月中旬、東京本郷区根津宮永町三十三番地、林勝次郎方の床下にて、聞き慣れぬ太鼓の音起こり、はじ       たぬきばやし めは低くかすかにして、次第に音高くなり、終わりには騒々しきほどに聞こゆ。これぞ世にいわゆる狸離子の 類ならんとて、一家挙げてこれを恐れ、ついに同町の巡査派出所へ訴え出でたれば、巡査一名出張して取り調ぶ るに、まさしく床下にあたりて、あるいは遠く、あるいは近く、たちまちにして緩、たちまちにして急、千変万 151

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化の調子は、実におもしろく聞こゆるにぞ、巡査も不思議に思い、床板をはがして正体を見届けんとせしに、音       52 はパッタリやむかと思えば、はるかに隔たりたる場所にて、かすかにポコポンポコポンと打ちはやすように聞こ ー ゆれども、その正体はさらに見当たらざりきという。爾来、引き続き毎夜同刻限に、例のごとく怪しき物音始ま りしとのことなりしが、これは誤怪の一種に相違なかるべし。        変幻男子  前月の﹃読売新聞﹄に、号を重ねて米国の怪談を掲げ、﹁変幻男子﹂と題し、ひとたび死したる男子が、再び その形を現して、﹁自分は決して死したることなし﹂といい、しかもその証跡を挙げて説明したる事実を述べ、   み ぞ う 古今未曾有の怪談なりといえり。その大要を示さば、    ひとたび死して埋葬したる男が、突然、他の地方に現れ出でて、やがて自分の葬られたる土地に帰りきた   り、﹁自分は決して死したる覚えなし﹂と言い張りて、大いに世人を驚かしつつあるうち、彼はあたかも大     な       がぜん   地に舐められたるごとく、俄然、姿を隠して行方知れず。この男に関係したる二、三の人物は、むなしくそ       もんちやく   のあとに残りて、大悶着を生じたる一怪事なり。  また、去月の﹃都新聞﹄でも、幽霊談と題して数十回を重ね、幽霊を実験したりし事実を集めて、霊魂の不滅 と幽霊の実在とを証明せんことを試みられたり。その怪談は次号に譲る。        深川の幽霊騒ぎ  東京深川区松村町九番地、飯島某の所有にかかる同番地の貸屋に、本年一月ごろより、毎夜二時過ぐるころに     もうろう なると、朦朧として怪しき人影が見ゆるゆえ、飯島方はもちろん、同町内の大評判となり、たれがしの幽霊が出

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       こうず か ずるのだと言いはやせるより、ある好事家がその事実を探知せしに、飯島の隣家鈴木某というものありて、飯島    ロつら に深き怨みを抱きながら死亡したり。その後三十五日を経て、飯島の女房が流行感冒の心地にて枕につきしが、 病体ようやく重くなり、ついに鈴木の亡霊を見るに至り、それより幽霊の評判おちこちに伝わりしという。かか る幽霊は仮怪の一種にして、あえて怪とするに足らざるなり。        宮崎の狐葱き談  去るころ、﹃宮崎新報﹄の報ずるところによれば、同県東諸県郡にて、光村某と西岡某との両人が、金円調達        きつね のため、鵬豊野村に赴き、やがてその用事も済み、焼酎の馳走に銘酊して、己の村に帰る途中、光村が狐に誘 われて競の中に入り・その挙動の怪しかりし粟を記せり。・れ、狐懸.にあらずして悪なり。世間にては狐    たぶらか の人を証すを知りて、酒の人を証すを知らず。 妖怪学雑誌、 広 告      妖怪研究会規則 第一条︵目的︶ 本会は東京市小石川区原町、哲学館内に設置し、通信をもって妖怪に関する事項を研究するを目  的とす。 第二条︵方法︶ 本会は妖怪研究の方法として、今回発行の﹃妖怪学雑誌﹄を毎月二回︵十日および二十五日︶会  員へ配付すべし。       こり てんぐ いぬがみ 第三条︵科目︶ 研究の項目は、狐狸、天狗、犬神、幽霊、鬼神、奇草、異木、妖鳥、怪獣、異人、奇病、鬼火、 153

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         ぽくぜい        こぎよう  神灯、魔法、仙術、卜笈、陰陽、五行、人相、家相、鬼門、方位、天堂、地獄、吉凶、禍福、霊験・感通・  天災、地変等、およそ四百余種なりとす。 第四条︵入会︶ 本規則に従い会員たらんと欲する者は、なにびとを問わず、いつにてもこれを許す。ただし入会  の節は、必ず左の書式に従い、入会金および会費を添えて申し込むべし。   妖怪研究会申込書 第二回目よりは申し込みと記せずして会費送金通知と記すべし 金何程也 入会金 第二回目よりはこの項記入に及ぼず

金何程也会費何月分闘朋

 合計金何程也     何為換       国  郡  町  村 右送金者      妖怪研究会会員 可    誰   年号月日     ︵注意︶ 国郡、住所、姓名は楷書にて記入し、もし住所を転じたる場合には、必ず旧住所何々、新住所     何々と、姓名の右傍へ新旧両住所を併記しおくべし。書状の表紙にも、なるべく姓名の上に、国郡町村     のほかに妖怪研究会会員と記入あるべし。 第五条︵会費︶ 会員たらんと欲する者は、左の表に従い入会金および会費を納むべし。 154

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会   費

地方居住者

東京市内居住者

両料兼修驚

一  カ  月 三 十 五 銭 三 十 三 銭

六+四銭ヨ曇

銭十二金金会入 ニ  カ  月 七  十  銭 六 十 六 銭 一円二十八銭 絶謝切一用代券郵

三カ月︵避

一    円 九 十 四 銭 ↓円八十二銭

半年︵同上︶

二     円 一円八十八銭

三円六十四銭

一年︵同上︶ 四     円

三円七十六銭

七円二十八銭

ただし、左記の資格者には特別に入会金を免除し、もしくは減額すべし。 入会金全免 入会金半減 哲学館館友館賓、軍人、警察員、もしくは学校、 申し込みにして、会員章、証書等を要せざる者 学会、役場、寺院等の団体の 哲学館創立員、公私諸学校教員および生徒にして、 しくは貧生にして、学校または役場の証明ある者 その校の証明あるもの、 も 妖怪学雑誌 第六条︵納期︶ 会費は毎月三十日限り翌月分を前納すべし。もし既納の会費尽くるときは、さらに送金あるまで  雑誌の発送を停止す。 第七条︵領収︶ 入会金および会費を納金するときは、雑誌を配付するをもって別に領収証を発送せず。もし、発 155

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 行期日後十五日以上を過ぎて雑誌到着せざるときは、その旨郵便をもって通知すべし︵もし、返事を要する場  合には、往復端書をもって問い合わすべし︶。 第八条︵退会︶ 本人の都合により会員を辞したるとき、すでに受領したる残金あれば、これに対する雑誌を送付  し、現金をもって返還をなさず。もしまた、会費滞納ニカ月以上に及ぶときは退会とみなすべきをもって、雑  誌の再送を請う場合には、さらに入会の手続きをなすべし。 第九条︵送金︶ 入会金および会費送付方は東京市小石川区原町、哲学館内妖怪研究会へあて差し出し、郵便為替  ならば、払い渡し局名を駒込郵便局として取り組むべし。 第十条︵質問︶ 会員にして、妖怪事項に関し、あるいは雑誌中の講義に関し疑問あるときは、通信をもってこれ   ただ  を質すことを得。ただし、質問は本会編集部において取捨を行い、その応答すべき分は雑誌上に掲載すべし。 第十一条︵標章︶ 会費既納半年に達したる者には会員章を授与し、満一年以上研究せる者には研究修了証を授与  すべし。      寸   u      イ    目ハ ○本会支部規則  会員五名以上ある場所には本会支部を設くるを得。支部はあらかじめ幹事一名を設け、その  者より会ロ貝の姓名を報知し、かつ、毎月各会員の会費を集めて送金すべし。ただし最初申し込みの節は、会費  のほかに各員の入会金を合送するを要す。支部の設ある場所へは、本会よりその幹事へあて各会員の雑誌を合  送し、ほかに同会控え本として毎回一部ずつ無代価にて贈呈すべし。ただし、控え本の郵税は本会へあて毎月  二銭︵郵券代用不苦︶の割合をもって寄送すべし。支部にして、もしその義務を果たさず、その資格を失いた 156

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 る場合においては、その設置を取り消し、かつ贈呈の取り扱いなさざるべし。 ○貧学篤志者特待法  貧学篤志者にして入会金および会費を自弁することあたわざる者には、会員五名以上を  募集して本会へ通知するときは、支部の規則に準じ、当人へ雑誌一部ずつ無代価にて贈呈すべし。ただし、そ  の取り扱いはすべて支部規則によるものとす。

第二号︵明治三+三年四月二+五日発行︶

妖怪学雑誌 広  告  本号挿入の図画は、台湾に居住せる館友、足立格致氏より寄贈せられたる仏像を縮写したるものなり。これ を、かの地にて仏像として崇拝する由なれども、その果たして仏像なるや、はなはだ疑わし。これを仏像とすれ ば何仏なるや、これを仏像にあらずとすれば何像なるや、これ、一つの疑問なり。ゆえに、ここにこれを妖怪の 一種として本号に掲げ、もって読者の判断をまつ。        こうにん      せいらい  次号にはインド人が深く秘蔵する御守りを掲ぐべし。これ、館友大宮孝潤氏がかの地より齎来するものなり。  今後毎号、﹁論説﹂には多く真怪談を掲げ、﹁雑録﹂には多く偽怪談を掲ぐる意なれば、真怪および偽怪に関す る事実材料は、続々寄贈あらんことを望む。  ﹁雑報﹂は各地の妖怪に関することを、大となく小となく、ことごとく集録して世間に報告するはずなれば、 これまた読者諸君の報道を請う。 157

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本雑誌は、一部定価二十五銭、一カ月五十銭、三カ月↓円五十銭の割合なるも、妖怪研究会加盟者に限り、左 の入会金および会費寄送あれば、毎月二冊ずつ配達すべし。   一、入会金二十銭︵入会の節一回これを納むべし。もし、すでに会員となりしものの紹介をもって入会する    ときは、その半額十銭を納むべし︶   一、会費、一カ月分三十五銭 ●ニカ月分七十銭 ●三カ月分前金一円 ●六カ月分前金二円 ●一年分前    金四円なり。  その他は妖怪研究会規則につきて見るべし︵規則は本号中間の色紙にあり︶。    明治三十三年四月二十五日       東京市小石川区原町哲学館内  妖怪研究会 論  説 妖怪学雑誌

     医療医薬を用いずして諸病を医治する方法を論ず     井上円了述

 この問題は余が多年研究するところにして、妖怪学項目中に特に﹁医学部門﹂を設くるは、その研究の結果を 世人に示さんがためなり。今日の医学といい、医術といい、いずれもわれらの肉体にもとづき、決して精神の方 面よりするものにあらず。しかるに、われらの一身は肉体と精神との両面より成るものにして、あるいは肉体の 方面より病気を起こすことあり、あるいは精神の方面より病気を発することあり。これと同時に、その病気を治 するにも、肉体の方面よりと精神の方面よりとの二途なかるべからず。しかるに、今日の医術はひとり肉体の方 159

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面より治療を施すものなれば、余、別に精神の方面より治療する方法あるべきを知り、多年その研究と工夫とに につ し 日子を費やせり。近ごろやや発見するところあれば、その考案を掲げて世評を請わんと欲す。       こう  この精神的治療法は、今日の医学にもとづきたる治療法とは全く相反し、毫も医薬を用いざるものなれば、第 一に診察料、薬代の費用をのぞくことを得べし。ゆえに、この方法にしてひとたび行わるれば、世間の医者はた ちまち飢渇に苦しむに至らん。されば、その法を名づけて医者殺しというべし。余、もし医者殺しの法を発明し たりとの評判、全国の医者社会に伝わらば、あるいは暗殺せらるるに至るも計り難し。されど、余は決して今日     はいせき の医術を排斥するにあらず、肉体的治療法と精神的治療法と並び行われんことを望むものなり。ゆえに、暗殺の 恐れも飢渇の苦もなかるべし。しかして、その方法のいかんは、﹁医学部門﹂の講義に譲る。 160 雑  録

妖怪窟雑話︵第二回︶

不思議庵主人  妖怪学を研究すれば、自然に世態、人情のありさまを知ることができる。とかく世間の学者は、己の学問に深       うかつ くなればなるほど、世間の道理に暗くなり、極めて迂闊なる議論を立てて、俗人に笑わるることが多い。これは 学者の通弊であります。この弊を救うには、妖怪学を研究するが第一である。そのわけは、妖怪学は無知、無学 の俗人を相手にし、その言語、動作を材料として研究する学であるから、案外、下等社会の人情が分かります。 例えば、余が去るころ田舎道を歩行しておる間に、その近辺の老婆連中が二人一緒に歩きながら話すところを聞

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くに、]人は、﹁私は今年中、精々働きかつ倹約して、孫どもに着物↓枚をこしらえてやりたい。そのほかには、        さんけい なんにも望みはない﹂といい、一人は、﹁子供や孫の着物には別に心配はないが、来年はぜひ成田山へ参詣した い。それさえできれば、死んでも残り多いことはない﹂と申しておりましたが、学者は人間の目的を大層らしく 言い触らすも、右らの老婆連中の目的は、着物一枚と成田山参詣のほかにないとは、おもしろいではありません       とびしま か。それよりは一層興味ある話は、羽後の酒田港より海上四十里を離れて飛島と名つくる島があるが、その島に は馬がおらない。よって、ここに居住せる八十余の老婆が申すには、﹁世間には馬という獣があるそうだが、生        しか 涯一度見て死にたいものである﹂といった話がある。また、その島にて小児が泣くときは、これを叱るに﹁酒田 へ追いやるぞ﹂といえば、必ず泣くことをやめると申します。これらは妖怪学研究の好材料である。 妖怪学雑誌 雑 報       ﹁都新聞﹂の幽霊談 ﹃都新聞﹄幽霊談中、ややおもしろき一例を抜きて左に記せん︵渡辺某氏の話︶。       さむらい   これは維新前のおはなしですが、私の郷里の藩中に名前はチョイと忘れましたが、二百石取りの侍がお       はまぐり  りました。この男、元治元年長州征伐の際、七月十九日の蛤御門の戦いに加わりまして、手痛く働いてお  るうちに、敵の鉄砲玉にあたってあえなき戦死を遂げたが、国に残っておる女房はそれとも知らないから、  サテこのごろはなんとしておいでなさる、出陣以来ついぞ一度の消息もないが、どうかまあ無事でいて下さ       ね  ればいいがとクヨクヨ心配しながら、夜の子の刻ころまでねむりもせずにふさいでおると、たちまち表の戸 161

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  をトントンたたく音がする。ハテナ、この夜ふけにだれだろうと寝床から起きて灯をつけ、表の戸を開ける   途端に、冷やっこい一陣の夜風がさっと吹いてきて、手に持った灯火がプッときえてしまった。ブイと見る        おつと       でだち     つつそで にらやまがさ   と、戸の外にたたずんでいたのは紛れもない良人の姿で、出陣のときと同様の打扮で、黒の筒袖に韮山笠を       しゆざや       しおしお   かぶり、朱鞘の大小さえ腰に挟んでいたが、顔の色はなんとなく竜鐘としてやつれはてたさまであるから、   女房は驚いて、﹁オヤ、お帰り遊ばせ﹂というと、先も物言いたそうに一足二歩前に寄ったかと思う間もな     こつぜん       や   く、忽然とその姿が消えて、あとに残るものは夜嵐の音ばかりだ。そこで女房は二度びっくり。﹁さては野   かん       わらわ       いたずら   干などが、妾の心配しているその虚に突き込んで悪戯をしたのであろう。アア、ばかばかしい目にあった﹂   とこぼしながら、そのまま寝てしまった。すると間もなく、頭役から蛤御門の役に戦死したという通知が来   たから、全く幽霊であったかと三度びっくりしたということですが、不思議にも、その幽霊の現れたときと   戦死したときとは、同夜同刻であったといいます。        浅草の誤怪  浅草東仲町料理店松田方にて、花見客のいっぱい集まりて酒を傾けておる最中に、突然、徳利が倒れ、杯が覆 り、寄せ鍋がこぼれる等、大驚ぎが起これり。よって、その原因を探究せるに、松田の隣家なる魅製造業横山太 左衛門方にて、三馬力の粉ひき器械を据え付けて、運動を始めたることが分かり、別に不思議にはあらざれど、 近所の迷惑一方ならねば、運動中止の談判を始めたりという。        横浜の船幽霊  横浜山下町、ある商会の倉庫船三浦丸は、ある神社の神木をもって造りたる船なるがゆえに、妖怪出ずるとの 162

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妖怪学雑誌 風説高く、だれ一人として船番するものなく、ただ三木甚左衛門と申す漁者]人、弁慶の勇を奮い、船番をなし いたるに、去月十五日の夜、青き衣を着けたる大入道が枕頭に現れ、甚左衛門をにらみつけて、首筋を締めんと        き       たいらの とももり するに、甚左衛門出刃包丁を手に取り、無二無三に斬りてかかりしに、大入道は︹平︺知盛の幽霊のごとく消え 失せたりという。これ心理的妖怪なれば、﹁心理学部門﹂の講義につきて研究するをよしとす。        川崎の妖怪屋敷  神奈川県橘樹郡川崎町在大師河原に住する羽田仲次郎方にて、四、五日前より毎夜のごとくに、いずこよりと      がれき       いたずら も知れず、瓦礫の宅内に飛びきたるより、はじめのほどは全く近所の小児の悪戯ならんと思いいたるも、そのつ ど戸外を取り調べみるに、さらにさる形跡の見えざるのみならず、夜々次第にその度数を加え、果ては二十余た       こ  り びの多きに及べるときさえありて、いかにも不審の晴れざることのみ多く、たちまち狐狸、妖怪の所業なりなど   こうせっ    けんでん との巷説さえ喧伝さるるに至りしかば、川崎敬言察署長らは一昨昨夜わざわざ同家に出張して、その瓦礫の飛びき       くま たれる方向を実見するに、全く上より落ちきたるようにも見ゆれば、同家の人をして隈なく天井を取り調べしめ たるも、その原因らしきものを認めざるより、さらに隣家の捜索に及びたりしも、今もって原因を発見せざる 由。かくのごとき場合には、原因は戸外にあるにあらずして、多く家の内にあるものなれば、その心得にて捜索 するを要するなり。        怪しき音        しゆうしよう  信州南佐久郡相木村の森林中、その地の氏神として祭れる社殿あり。先月二十日ごろより終宵奇異の音を放        みようほうれんげきよう ち、その響き、あたかも妙法蓮華経信者のたたく太鼓のごとし。これ誤怪の一種にして、多分、社林中にすめ 163

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 ふくろう る臭の音ならん。先年、尾州丹羽郡青木村の社林にこれとひとしき怪音ありしが、その原因は老樹の体内に空 洞ありて、その内部に臭の巣を作りて住みおりし故なるを発見せり。また、福島県石川郡石川町にもこれに類す          みみずく る怪事ありしが、こは角鳥の声なりき。 164

第三号︵明治三士二年五月+日発行︶

会  告  第一号に広告せしがごとく、余輩は自今もっぱら長寿法、無病法、感通法を研究して、その結果を妖怪研究会 員に報告せんと欲す。ゆえに世間に医薬医療を用いずして病気の全治したる実例あらば、報道あらんことを望む。       ぼくぜい  かんし   ごぎよう   みくじ  従来、運命を前定する方法として、ト笠、干支、五行、御圏等を用いたりしも、今日の学理に照らして、一 つも取るべきものなし。ゆえに、余は会員諸氏とともに研究して、文明世界に適応せる新法を考定せんと欲す。 近日、余の考案を本誌の上に掲げて諸氏の批評を請い、かつ諸氏がこれにつきて実験せられんことを望む。  過日、諸国の神社仏閣の御札、御守りを寄贈あらんことを求めたれば、その後、二、三の諸氏より速やかに御 恵贈の厚意にあずかり、感謝の至りなり。なお、今後、続々御寄贈の恵を得んことを望む。  今回発行の本誌には、特に﹁雑報﹂欄を設けて、最近の妖怪事実をいちいち報道するつもりなれば、会員諸氏 より、ときどき御報告を寄せられんことを望む。    以  上      妖怪研究会長 井上円了

(24)

妖怪学雑誌 インド教徒護身霊符     ∼ ’.、≠’き

麿騰騰

亘戦.W

・ぺ…メ麺 ら.・:㌧歯・

叢1

鐙  漁

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詫 在インド哲学館得業生大宮孝潤氏寄贈 165

(25)

 第二号は発送期日大いに延滞し、読者諸君より非常の督促に接したるは、実に申し訳なき次第なるが、右は全 く雨天数日間引き続き、巻首の写真版を調製することあたわず、ために延滞するに至りしことなれば、よろしく  すいじよ 御推恕あらんことを望む。  妖怪研究会に加盟せんと欲するものは、前号および前々号の色紙に広告せる規則にもとづき、入会金二十銭、 一カ月三十五銭︵三カ月分一時前納は一円、半年分前納は二円︶、送金次第、毎月二回ずつ本雑誌を配達すべし。  会員章は目下図案中につき、出来上がりは本月下旬か来月上旬なるべし。よって、今一カ月間御猶予を請う。    以  上       妖怪研究会および妖怪学雑誌社 166 払目開 説

妖怪学と諸学との関係

井上円了述  ヤソ教者は神をもって全知全能の体となすも、余は妖怪学をもって全知全能の学となさんとす。なんとなれ ば、妖怪学は万学に関係し、これを研究するには万学に通ずるを要すればなり。まず天文、地質、気象に関する 妖怪は、天文学、地質学、気象学に関係し、禽獣、草木、人身に関する妖怪は、動物学、植物学、生理学に関係 し、精神の変態を論ずるときは、精神病学、心理学に関係し、鬼神、霊魂の有無を論ずるときは、宗教学、純正       ぎかい  ごかい 哲学に関係し、知力の変態に関しては、教育学、論理学に関係することあり。偽怪、誤怪に関しては、政治、法 律に関係するところあり。ゆえに、余は妖怪学をもって全知全能の学となす。

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 ここに降石の怪あり。さきに長野市弁天町に起こり、後に神奈川県川崎町に起こる。もし、これを人為に出ず        ふくしゆう るものとせんか。しかるときは、精神の変態すなわち一種の発狂より生ずるか、または復讐あるいは悪戯の故 意に出ずるか、二者中の一におらざるべからず。これを一種の発狂とすれば、心理学および精神病学の問題とな り、これを故意に出ずるとすれば、裁判上、警察上の 問題となるべし。もしまた、その原因を人力以外の神力 に帰するときは、宗教学の問題となり、物理の作用に帰するときは、物理学の問題となるべし。一妖怪にして、 諸学に関係することかくのごとし。他は推して知るべきなり。  諸学に、事物の常態を論ずる部分と、変態を論ずる部分あり。その変態を論ずる部分は、みな妖怪学の範囲な        うんおう り。しかして、常態は事物の表面にして、変態は裏面なり、常態は皮相にして、変態は緬奥なり、前者は思議す       ひけつ べきものにして、後者は思議すべからざるものなり。ゆえに、妖怪学は宇宙の玄門を開き、事物の秘訣を究め、 諸学の奥義を示す学なりと知るべし。換言すれば、不可思議の学なり。ゆえに、この学を研究しきたらば、自然 に不可思議の妙趣、妙味を感得するに至らん。もし人、この多苦多患の世界にありて、いやしくもその心中に快 楽の別天地を見んと欲せば、妖怪学を研究するにしかず。余、自らこれを実験せり、人また、なんぞ疑わんや。 雑  録 妖怪学雑誌

妖怪窟雑話︵第三回︶

︹不思議庵主人︺ 日本の事実談と称する中には、シナの事実を模擬して作為せるものがときどきあります。妖怪談中にも往々和 167

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 どうてつ 漢同轍の事跡があるが、偶然の暗合としては、あまりできすぎておるように思われます。今、その一例を示さ          たんかい ば、依田︹学海︺翁の﹃諦海﹄中に、左の一事実を掲げてある。    田中丘隅︵武州八王子の人︶、かつて岳母の病を詐う。鰻.竺つを買い・携えて山路を過ぐ・警て嬬を   羅するを見る。喜びて曰く、﹁魚肉は鳥肉にしかず。余、しばらくこれに代えん﹂すなわち、魚を蒼に置き、   推を取りて去る。猟夫、後に至る。驚きて曰く、﹁替中魚あり、大いに奇なり﹂その徒に与え、はかりて日        よ       みこ   く、﹁神ありてこれに葱るにあらざるを得んや﹂巫を召してこれを問う。巫、ことさらにそのことを張大に   す。愚民これを信ず。魚を蹴に飼い、貨を集めて隷。を建つ・すでにして風雷大いにおこる・里人鰍蹴す・       きよシつし   巫、ますます脅かすに神異をもってす。曰く、三早祀をさかんにせざれば、まさにもって大いにその民を害   せんとす﹂と。民、ますます恐れ、巫に請いてこれをまつらしむ。すでに期あり。丘隅これを聞きて、村民        しんしん  ちん   にいいて曰く、﹁僕に術あり、よく神瞑を鎮す。ただ、われのなすところ、これ見よ﹂と。すなわち、夜ゆ        たきぎ   きて祠をこぼちて魚を取る。その材をさきて薪となし、あぶりてこれを食す。村民大いに驚き、みな丘隅   をとがむ。よって、その故を告げ、かつ笑いて曰く、﹁世に神と称するもの、多くはこの類なり。神、あに   信ずるに足らんや﹂        ふうそくつう  以上は日本の事実談である。しかるに、シナにもこれに類したる話あること、﹃風俗通﹄に見えております。       よしふる      ことわざぐさ その話は貝原︹好古︺氏の﹃諺草﹄の中にも引いてあるが、余はこれを左に和訳して示しましょう。     ちゆうよう      のろ    汝南鯛陽に、田において磨を得るものあり。その・王、いまだゆきて取らざるなり。商車十余乗、沢中を       ほうぎよ   経て行く行く望むに、この磨の縄に着くを見る。よって、持ち去りてその不事なるを思い、一飽魚を持して 168

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その所に置く。しばらくありて、その主、ゆきて得るところの磨を見ず、ただ飽魚を見る。沢中は人の道路  にあらずして、そのかくのごときを怪しみ、大いにもって神となす。転々相告語して病を治し福を求むる        ししや      しゆうふ    いちよう  に、多く効験ありという。よって、ために祀社を起こす。衆巫数十、帷帳鐘鼓︹あり︺方数百里、みな来た   とシつ し りて濤祀し、号して飽君の神となす。その後数年、飽魚の主、来たりて祀の下をへて、その故を尋問して曰  く、﹁これわが魚なり。まさになんの神あるべきや﹂堂に上りてこれを取り、ついにこれをこぼつ。伝に曰  く、﹁物の集まる所、ここに神ありというは、ともにこれを奨成するのみ﹂ これはシナの事実であるが、前の話に暗合するは、いかにも不思議であります。 妖怪学雑誌 雑 報        士冗 、じ 荷        ==口      ”イ  昨今、フランスの魔術師デルヘンス氏およびテップ嬢来朝し、築地ホテルにおいて演じたる読心術の模様を聞 くに、デルヘンス氏あらかじめ見物人に小札を与えて、思うところを書かしめ、テップ嬢は目をおおわれたるま ま、見物人の書きしとおりの仕業をなす。例えば、見物人が自分の帽子を取れとか、あるいは眼鏡を外せとか、 あるいは花を折りきたれとか書きおけば、そのとおりの挙動をなすなり。嬢は黒き手巾をもって目をおおわれた       のうちゆう れば、その書きたる文字が、本人に分かるべきはずなし。しかるに、嚢中のものを探るがごとく、]つも誤る ことなきは、実に不思議なりという。また、デルヘンス氏は魔術の刀なる一芸を演じたり。その仕方は鋭利なる ナイフをもって、見物人の腕足もしくは首などを切りつけ、見物人をして真に切れたるがごとくに思わしめ、し 169

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      きず かも毛ほどの疵をも与えざる法なり。二者いずれも奇怪千万なるも、もしその聞くところをして事実ならしめ ば、手品の一種なるがごとし。しかれども、自らその現場を実視するにあらざれば、なんとも批評を下し難し。        提灯のおどり        いんし      ちようちん  岡山市中に白毛大明神と称する淫祠あり。去るころ祭典を行いたりしに、多くの提灯の中で、ある一つの提 灯に限りて自然におどり始めたり。しかるに、愚俗輩が寄り集まり、これはなにか神の意にかなわぬことありし        きとう      いなり ならんとて、修験者を呼びて祈薦を頼みたれば、ある老婆に白毛稲荷が乗り移りて申すには、﹁岡山市中に数十 カ所の稲荷があるうち、自分ひとり祭らるるは不本意である﹂とのことにて、人々その言を信じて、なるほどと 感じ合えりとそ。愚俗の迷信は大抵この類なり。        火屋に人面  昨年のことなりしが、尾州葉栗郡宮田村大字南野、織物業栗本福太郎方にて、ある夜、工場につるしてあるラ       ほ や ンプが、十一時ごろにわかに薄暗くなり、たちまち左図のごとき人面が、火屋の裏面にあらわれ、一同図らずも 大声を発して叫びたり。その声に応じて大勢駆けつけ、これを熟視するに、眉、目、鼻、口等、確かに描きしご       とくそなわって、その頭部には毛髪乱れたるなど、いかにも奇怪       おんりよう に現れたり。よって近辺の評判には、なにがしの怨霊ならんと      どきよう て、祈信、読経を請うに至れり。これ偶然に出でたるものにし て、あえて怪しむに足らず。例えば、着物の影が障子に映りて、 偶然に人面と現るることあるも同様なり。 170

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妖怪学雑誌        火 渡 り        たなかだてあいきつ     すんしゆう  去月、駿州富士郡にて火渡りの式を挙行するを聞き、田中館︹愛橘︺理学博士自らこれを実験せんと欲し、ひ       まき そかにその地に至りて火上を渡れり。その説によるに、薪を積み重ね、その内部に木葉をみたし、これに火を点 じ、一時は火勢炎々として燃え上がるも、薪のことごとく火に化したる後に、その中央よりこれを両断して、左 右に分開せり。ここにおいて、内部の木葉は灰に化しながら火の上を覆い、人のこれを渡るころには、自然に下 の火をして足を害せざらしむるの助けとなる。ゆえに、その上を渡りて火傷せざるも、あえて怪しむに足らずと。        大黒柱の怪        けいじつ   か い       ・      頃日、甲斐国北都留郡七条村にて、ある家の大黒柱の割れ目よ       けげん       り水を滴り、実に怪語の至りなりとの報に接せり。要を摘みて示       さば、大黒柱は栗の木にて作られたるものにて、その長さはおよ       そ二間半にて、階上まで貫き、二階の畳の上に二、三尺ばかり出       でたるのみにて、屋根裏まで達しおるものにあらず、その大きさ       は一尺一寸角なり。滴る水は終日にあらず、あるいは午前八時ご        ろ、あるいは午後十時ごろ、あるいは終日出でざることもあり。       その家屋は二、三十年前に建築したりしものなり。大黒柱の割れ       目は四方にあれども、水の出ずるは前方一面に限る。その他は図       面につきて知るべし。これ、いまだ実地を見聞せずして即時に判 1 1 1i 川酬    l l    l

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171

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断し難きも、もしその実を知らんと欲せば、試みにその割れ目をうがちて、その原因を探るにしかざるなり。        インド人の守り札       こうにん  本誌の巻首に掲げたる図は、インド人の携帯せる守り札にして、大宮孝潤氏の、遠くセイロン島より寄贈せら れたるものなり。同氏の書面を左に転載す。    この貝葉書は、ヒンズー教徒が自己の生命よりも大切に思いなす、駆邪符または守護符にこれありそ候♂   もし、これを懐中にして旅行すれば海陸とも安全に、これを懐にして敵と争えば必ず勝ち、悪魔、流行病の       ぞロつら   類、決して寄り付くことあたわずと信ずるところのものに候えば、彼らはこれを得んがためには、実に少   なくとも四、五ルピーより十ルピーくらいまでの金を投じ、ある一種の曼陀羅︵マンダラ︶師に託して図写   を請い、常に身にまとって秘蔵し、決して他人に示さずというほどのものにこれあり候。当地の仏教信徒中          バ ラモン   にも往々、かの婆羅門教者の曼陀羅を信ずるものすくなからず候えば、この符はある仏教者に託してようや   く探し求めたるものに候。中央の神像はナーラーヤナと称する神にて、ヴィシュヌ神の化身なる由に候。周        じゆもん   囲の文字は当地シンガリーの文字に候えども、その語はいわゆる秘密なる呪文にこれあり候ゆえ、たといこ   の文字を読み得るものにも、その意味を了解するあたわざる由に聞き及び候。ここに小生が疑惑いたすとこ   ろのものは、この呪文にこれあり候。この画中の呪文はもちろん、この他いずれの呪文にも、呪文なるもの   は必ず首に哺︵オム︶の字を冠し、最後に娑詞︵スワカ︶の字を付し、この時、娑詞なる文字は、婆羅︹門︺   教の呪文には決して欠くべからざるところにて、仏教中には決してこれあることなき由に候。のみならず、   曼陀羅︵図画または偶像に向かいて呪文を唱うることの総称︶なるものは、全くインド教者に属するものな 172

(32)

妖怪学雑誌 ること明白に候ところ、本邦仏教中、特に密部内にはこの曼陀羅をもって主とするのみならず、必ず庵、娑 詞の文字これあり候は、いかがの故にてこれあり候や。後来、十分の研究を要すべきことと存じ候。右貝葉 書ははなはだ粗末なるものに候えども、得難き珍奇のものに候間、失礼ながら拝呈つかまつり候。

第  四 号︵明治三十三年五月二十五日発行︶

会  告      妖怪研究会  御守り、御札は続々諸方より御寄贈あり、誠に感謝の至りなり。自今、なお引き続き御寄贈の恵を垂れんこと を請う。  会員章は調製になお時日を要するにつき、今しばらく御猶予を請う。  会費尽きたるときは、さらに送金あるまで雑誌の郵送を中止するをもって、なるべく会費尽きざる間に送金あ るべし︵一カ月三十五銭、三カ月分前金一円︶。 新著広告

駕続妖怪百談定価二+五銭郵券四銭

  右は妖怪研究会会員の申し込みに限り、当分のうち特別に一部十九銭にて渡すべし。ただし、郵税は別に相   添うべし。      哲学館内 妖怪研究会 173

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   ●怪物の書跡 文政七年、東京赤坂伝馬町村木氏の家に出でたる 怪物の書なり。その字﹁此屋受罪﹂と読むべし。 ●駿台白狐の書︵井上円了所持︶

冬︵ノゐ

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  ●狐の怠状 下野国宇都宮成高寺の什物

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ゆ、元遺のたいを

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174

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妖怪学雑誌 論 両冊 説

     卜笠論       井上円了述

       ぼくぜいか  未来の吉凶禍福をいちいち前知予定するは、人力のなしあたわざるところにして、古来、ト笈家の言うとこ ろ、決して信ずべからざるなり。たといその予言の的中することあるも、これ、いわゆる﹁当たるも八卦、当た らぬも八卦﹂にして、その結果よく百発百中、千発千中を得るにあらざれば、ト笈そのものの上に信を置くこと        えきぜい      きぼく あたわざるなり。かつ、ト笈は易笠にせよ亀トにせよ、その種のなんたるを問わず、今日まで民間に伝わるもの は、すべて非道理的のものにして、学術上論ずべき価値あるものにあらず。そのうちひとり易学においては、シ ナ哲学中最も玄妙なるものにして、学術上講究するに足るといえども、これを人事に応用して、即座に未来の吉 凶禍福を予知せんとするに至りては、非道理的のはなはだしきものなり。ゆえに、余はト笈排斥論者の一人な り。  従来のト笠は、その原理、その応用ともに非道理的のものなるも、もし今日の学理にもとづきて別に道理的の 方法を考定するに至らば、ト籏そのもの必ずしも排斥するを要せんや。今日は百般のこと、みな旧を脱して新に つく際なれば、ト笠そのものもまた一段の改新を要する時機なり。しかれども、未来の吉凶禍福はとうてい人力 の予知しあたわざるものなれば、いかにト笈を改新すとも、これによりて運命の前定を望むべからず。ただ、余        ちゆうち は人力の微弱なるために、往々取捨選沢に迷うことあり、猶予躊蜘して決することあたわざることあり。かく のごとき場合に、ト笠の助けによりて己の意向を定むるは、今後人事の複雑なるに従い、いよいよその必要を感 175

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ずべし。ゆえに、今日以後のト笈は、単にこの 事を目的とし、従来の非道理的に代うるに、道理的のものをも       76 ってせざるべからず。しかるときは、ト麸必ずしも排斥するに及ばざるなり。余、これにつきて一つの考案あれ ー ば、他日その大要を開陳して、世間の批評を請わんとす。 雑 録

妖怪窟雑話︵第四回︶

不思議庵主人   日ある紳士、突然妖怪窟に来たり余に面会を求めたから、余はこれに﹁なんのために来たるか﹂と問えば、       な む あ み だぶつ 紳士が申すには、﹁このごろ、ある商人一鏡を持ちきたり、光をもってその面に触れしむるに、﹃南無阿弥陀仏﹄ の六字がその面より反射して前面の壁に現れ、いかにも不思議に見えました。しかしてその価を問えば、数百金 にしてすこぶる高価なれども、もし真にかかる不思議が仏の力によりて現るるものならば、数百金をなげうつ も、あえて高価とするに足らず。もし、仏力にあらずして、人工あるいは他の原因によりてしかるものならば、 数十金なお高しとす。願わくは、その果たして仏力なるかいなやを審判せよ﹂といわれました。よって余は、 ﹁これ、商人が利を得んと欲して、ことさらに仏力に託したるにあらず。古来、一般に魔鏡と称して、古き寺な どにあるものにして、世人その原因を解せざりしをもって、ただ一にこれを仏力の不思議に帰したるも、今日は 物理的作用によりて生ずるゆえん明らかなるに至りたれば、別段不思議とするに足りませぬ。余がこのことにつ き、過日の﹃読売新聞﹄に掲げたる説明あれば、↓覧ありてしかるべし﹂とて、左の一節を示しました。

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妖怪学雑誌    古来、神社仏閣の宝物中に魔鏡と称するものあり。その鏡たるや、光線のこれに触るるときは、その面よ       ろくじみようこう   り種々の影像あるいは文字を反射するの妙あり。例えば、観音の像を反射し、あるいは六字名号を反射す   るの類これなり。今その原因を考うるに、その反射するところの幻影は、全く鏡の裏面に存する仏像、ある   いは名号なること疑いなし。もし、裏面に仏像のごときものありて、最初より多少の凹凸あるときは、その   鏡面をみがく際に、自然に表面にも多少の凹凸を現すに至る。かくして、表面にいやしくも多少の凹凸あれ   ば、その光線を反射する度において全面一様なることあたわず、したがって裏面の影像を表面に反射するに   至るなり。よって今日は、これに魔鏡の名を命ずるの不当なるを知る。  紳士、これを一見して大いに悟るところありたるがごとく、感謝して去りました。余は元来、仏力の不思議を 信ずる一人なるも、その不思議は決してかかる浅はかなるものにあらずと信ずるものである。もし、仏力の不思 議はこのくらいのものとすれば、神仏は手品師か魔術師に類するものにして、崇拝するに足りませぬ。古代の人 知未開の時代ならば、かく考うるもなおゆるすべきも、今日の開明世界にありてかかる迷信を有するは、言語道 断と申してよろしい。もし人、活眼を開ききたらば、天地万物ことごとく神仏の霊光の中に現れ、一大世界全く 不思議の妙境に化するに至りましょう。さすれば、一魔鏡のごとき、決して不思議として驚くに及びませぬ。      井上先生の非妖怪説を聞きて感あり    原  宏 平    君によりまなびのみちのひらけなば       あやしきもののなき世ならまし       えちこ       ︵同氏は越後国北蒲原郡新発田町町長なり︶ 177

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雑 報        骨 相 学  京都商業学校長高橋邦三氏は、先年、英国滞在中骨相学を研究し、大いに発明するところあり。爾来これを実 地に応用して、また大いに得るところありたる由なるが、去るころ︹五月十五日午後︺、哲学館講堂において数百 名の生徒に対し、骨相学の要領を講述し、かつ実地の試験を行われたり。氏の説によれば、骨相学は頭脳の発達 により、知識、感情等の動作を推測する学にして、今を去ること百有三年前、ゴール氏はじめてオーストリア、 ウィーン府において主唱せし以来、諸大家の賛成を得てようやく発達したるものなり。その原則とするところは 左の数条なり。

第第

第三 第四 第五 およそ心的機能の中枢は脳の皮質にあり。 脳の皮質は単一なる機関にあらずして、個々特殊の機能を有するいくた機関︵一名中枢︶の集合府な り。 頭蓋骨の外形は脳の外形とほとんど同様のものたるをもって、頭の外形をみて脳の外形を推知し得べ し。 他点︵すなわち次項に挙ぐるところの諸点︶異ならざるときは、各機能の強弱はこれをつかさどると ころの機関、すなわち中枢の大小に比準するものなり。       い じよう 脳の組織、身体の資質、健康の良否、練習の有無、ならびに身辺を囲続するところの諸般の状態 は、各機能に著しき影響を及ぼし、遅速、鋭鈍の差をきたすものなり。 178

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妖怪学雑誌   第六 各機能は個々に働き、あるいはやむことあり。また、数個連合して働き、あるいはやむことあり︵遺      伝、疾病等を得るの場合においても、個々にこれを得るあり、また数個 集にこれを得るあり︶。  氏はこれを骨相学と称せずして、生理的心理学と称せり。しかれども、これを一科の学と称するは穏やかなら ず、むしろ一種の術と称すべし。わが国には、古来いまだ骨相術を講じたるものなきも、人相術を専門とするも の多し。しかれども、いまだ一人の今日の学術に考えて研究せしものあるを見ず。余輩は、人相家が心理学を研 究して、その理を人相術に応用し、もって一段の革新を実行せられんことを望む。        大貫の怪談  近刊の﹃奥羽日日新聞﹄は報じて曰く、﹁遠田郡大貫村役場に、近ごろ雨天の夕べには、屋内において多勢の 泣き声またはののしる声など聞こえ、そのものすさまじさいわん方なく、ために宿直するものなきに至りし﹂ と。果たしてしかるやいなや。        車上の妖婦  また、﹃都新聞﹄は報じて曰く、﹁赤坂新町五丁目といえば、柴垣、生垣打ち続きて、昼も閑静なるところなれ ば、夜はいとど寂しくして人通りさえまれなるが、五、六日前の夜の九時過ぎごろ、小雨そぼ降るその中を、空 車をひきつつ一人の車夫の来かかりしを、フトいずこよりか立ち現れし怪しの男小声に呼び止め、﹃麻布十番ま でのせてゆけ﹄というに、どうせ帰途と喜びて、車賃もきめず打ち乗るを、そのままひいて駆け出だすに、男は        べ 車上より声を摸﹃+番へはゆくものなれぱえAフ急に田心い出したる用事あ鵬氷川神社の近辺の知り辺に立ちm 寄りて帰らん﹄というに、車夫は委細承知と韓を後ろへ回し、言われしままに氷川神社の辺りまで来たりしは、

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      だんな      ほ ろ 小夜更けの十時ごろなり。歩みをとめて回顧し、﹃旦那、モー氷川神社の前まで参りました﹄といいつつ母衣の        80 中をすかし見れば、確かに男と見たりし車上の客は、いつしか女と変わりおりて、しかも年若き美人なり。車夫 1       ひつじよう は、これはとばかり打ち驚き、必定怪性ならんとおそれおびえてたたずむを、客はホホホと打ち笑い、﹃お前さ ん、なんだねえ、ソンナにビックリしなくっても、よいじゃないかえ、ここでちょっとおろしておくれ﹄と、手       たましい       てのひら に銀貨一個を載せたまま、車を降り、これを車夫に渡すに、車夫は魂身に添わず、もらった銀貨を掌に握 り、一生懸命に車をひいて、あとをも見ずににげ出だし、往来繁き町に出てホッと息つき、もらった銀貨をしら      しじみ べ見しに、蜆貝でも石でもなく、掌に汗握った湯気の立てど、二十銭の銀貨に相違なければ、どうしたことか       ふいちよう と疑いながらも胸なで下ろし、不思議不思議と仲間の者に吹聴すれば、﹃己も一昨夜、氷川の前で二十銭にあり        かいわい ついた﹄と申すものもありて、その評判、今は界隈に隠れなしとか。察するところ、その付近に住する狂女など が、男の装いにてさまよい出でて、かかる戯れをするなるべし﹂と。        ぎかい  さすれば、これもまた偽怪。        釜鳴りの怪        かま      ほ らがい  茨城県筑波郡島名村、斎藤弥輔氏の報に、﹁その村内三、四カ所に釜鳴りの怪事あり。その音、法螺貝の声に 似たり﹂と。その説明は﹃続妖怪百談﹄に出でて、釜内の水蒸気の作用が、物理学のいわゆるリズムをなすもの     こう にして、毫も怪しむに足らざるなり。よろしく本書につきて見るべし。        幽霊および悪魔の図  幽霊および悪魔は、人々の想像をもって描きあらわしたるものなれば、その形状、古今東西同じからず。も

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し、これを比較して研究するはすこぶる興味あることにして、かつ講学上益するところ少なからず。 後発行の本誌には、続々各国の幽霊および悪魔の図を掲げて、読者に紹介せんとす。 ゆえに、今

第 五 号︵明治三十三年六月十日発行︶

妖怪学雑誌 妖怪研究会報告        ニこつろう 一、 カの諸氏より神社仏閣の御守り札を御寄贈下さり、御厚意の段、深謝の至りに御座候なり。     東荘甚治郎君  渡辺 宗全君     谷川 亮念君  押小路蓮秀君 二、妖怪問題は種々実験を要すること多ければ、なるべく各所に支会を設置し、本会より提出する問題につき実   験せられんことを望む。支会規則は本号色紙に掲げたる本会規則中に見えたれば、よろしく=碗せらるべ   し。その規則中にあるがごとく、支会設置の場所へは無料にて、本会雑誌を毎号一部ずつ贈呈すべし。 三、差し当たり実験願いたしは、目下脚気流行の折柄なれば、本号﹁雑録﹂中に掲げたるマジナイ中、第四法に   つきて、病者の上に効験ありやいなやを試みられんことを望む。        のうしゆう 四、本会長井上館主は、きたる七月中旬より能州各郡巡回せらるるにつき、その地方の有志者にして妖怪学の   講義を聞かんと欲するものは、前もって本会へ申し込み下されたく候。 181

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