造形活動における手の巧緻性の発達
―ハサミ操作の観察記録の分析から―
佐藤寛子
1)A Study on Growth of Skillfulness in Fingers and Hands in Art Activities;
Analysis of Observation Record when Using Scissors
SATO Hiroko
Abstract
This paper is an extraction of one case from a fact-finding survey of “thumb with metacarpophalangeal (MP) joint hyperextension laxity (instability)” in infants. For one girl, the state of thumb MP joint hyperextension when using scissors was followed up from 4 years 0 months to 5 years 8 months. This girl had thumb MP joint hyperextension when using scissors, but at 5 years and 8 months, she learned stable scissors skills in the extension ROM (up to 10 °). It should be noted that this girl, who had thumb MP joint hyperextension, learned by herself how to skill scissors without hyperextension. On the other hand, infants with hyperextension other than her use scissors in the state of thumb MP joint hyperextension. Focusing on bones and muscles, we analyzed the growth process of the thumb MP joint and consider the points for infants with thumb MP joint hyperextension to learn how to use scissors without hyperextension.
Keywords
: infant, art activities, scissors, metacarpophalangeal joint hyperextension laxity, development Ⅰ . はじめに 1 母指MP関節過伸展症 ハサミを用いた幼児の造形活動を観察する と、両手でハサミを閉じようとする様子や、 「疲れた」や「痛い」といって中断している 様子を見かける。確かに、厚紙や段ボールな どの抵抗の大きい対象物は、片手の力だけで 切ることが難しかったり、長時間のハサミの 使用で筋が疲労したりする。しかし、その中 には、ハサミの開閉時に母指中手指節(以下、 MP)関節が過伸展状態となり、握力が十分 発揮されない場合がある。この母指 MP 関節 が過伸展となる症状を「母指 MP 関節過伸展 症(母指 MP 関節不安定症)」という(図1)。 1)静岡産業大学経営学部 〒438-0043静岡県磐田市大原1572-11)School of Management, Shizuoka Sangyo University 1572-1 Owara, Iwata, Shizuoka, 438-0043, Japan. 図 1 母指の骨と関節
― 26 ― 母指 MP 関節が動く範囲を ROM(関節可 動域)といい、角度で表示する。運動方向は 基節骨が手背側へ反ることを伸展、反対に手 掌側に曲がることを屈曲といい、伸展 10°、 屈曲 60°が ROM 参考可動域1)であり、国際 基準とされている。過伸展とは手背側に 10° を超えて反る状態である(図2)。 2 母指MP関節過伸展症とハサミの使用 ハサミは開閉運動である。ハサミを閉じる ときは「屈曲」、「尺側内転」、「掌側内転」の 運動方向であり、「長母指屈筋」と「短母指 屈筋」(短母指外転筋、母指内転筋は補助的 作用)、「母指内転筋」(長母指屈筋、長母指 伸筋は補助的作用)が働く(表1の1. ~3.)。 ハサミを開くときは「伸展」、「撓側外転」、「掌 側外転」の運動方向であり、「長母指伸筋」、「短 母指伸筋」、「長母指外転筋」、「短母指外転筋」 が主力筋として働く(表1の1. ~3.)。 その中で母指 MP 関節に働くのは、屈曲 では長母指屈筋と短母指屈筋、伸展では長 母指伸筋と短母指伸筋である(表1の1. 運動方向:屈曲・伸展)。ハサミを閉じると きに、母指 MP 関節が過伸展状態であれば、 長母指屈筋と短母指屈筋が働いていないこ ととなる。足りない力を補おうとして、MP 関節の近位(体幹から近い方)では短母指 屈筋と母指内転筋が緊張するため、遠位(体 幹から遠い方)ではハサミの柄に当てた基 節がより伸展(手背側に反る)する。それ は当該関節の過伸展状態をさらに進めるこ ととなる。 またハサミを開くときに、母指 MP 関節が 過伸展であれば、長母指外転筋と短母指外転 筋が十分に働いていない状態となる。その力 を補うために伸筋群は緊張し、MP 関節の過 伸展が進む。 表 1 ハサミ使用時の母指の運動方向と関係 する筋・関節
(Table1 Muscles and Joints related to the Direction of Movement of the Thumb when Using Scissors) 1.運動方向:屈曲・伸展 閉じる 屈曲:長母指屈筋、短母指屈筋(短母指外転筋、母指内転筋は補助的作 用) 開く 伸展:長母指伸筋、短母指伸筋 関節 MP関節 2.運動方向:橈側外転・尺側内転 閉じる 尺側内転:短母指屈筋、母指内転筋 開く 撓側外転:長母指外転筋(長母指伸筋、短母指伸筋は補助的作用) 関節 CM関節 図 2 母指 MP 関節の可動域 (Fig. 2 Range of Motion of Thumb Metacarpophalangeal Joint)
3.運動方向:掌側外転・掌側内転 閉じる 掌側内転:短母指屈筋、母指内転筋(長母指屈筋、長母指伸筋は補助的 作用) 開く 掌側外転:長母指外転筋、短母指外転筋(短母指伸筋は補助的作 用) 関節 CM関節 3 握力と手の巧緻性 富岡卓博と平野敦子は独自に編み出した粘 土棒握り測定法により、幼児の握力を調査2) した。「年少児は、握力が弱いい(ママ)ために、は さみを開けたり閉めたりすることが自由に出 来ない。つまりはさみを自分の思い通りに扱 えない。しかし、年中児になると、力もつく ためにはさみをだんだん自由に扱えるように なる」3)とし、ハサミの開閉には握力が関係 すると指摘した。加えて、教師は安全性への 指導はあっても、ハサミの使い方に踏み込ん だ指導はほとんど蔑ろになっており、適切な ハサミの選定や使用方法についても検討して いる。 阿部宏行は握力と巧緻性の関係4)に加えて、 小学校の第 3 学年を対象に指力の測定調査5) を行っている。ハサミによる切断検査から「厚 口の表紙用紙の切断で著しくはみ出ている児 童と指力との関係をみると、指力の数値の低 い児童が多い」6)との結果から、巧緻性と指 力7)の関係について指摘した。。 山村雅宏はハサミで形を切り抜く能力につ いて、3 歳児以上の幼児を対象に、巧緻性や ハサミの持ち方の調査を行った。その中で、 年少組の場合はハサミを握ることができて も、開くことができないとの現場の教諭から の指摘を報告している8)。これは手指の機能 の発達において、ハサミを閉じるときに働く 筋の運動である「屈曲」や「内転」が、ハサ ミを開くときに働く筋の運動である「伸展」 や「外転」に先行することを示唆するもので ある。 また、加藤友紀子、吉野宏志、加藤象二郎 は、ハサミ使用時の手指動作について筋電図 を用いた調査9)を行った。その中で、母指が 不安定な状態でハサミを使用する場合、中指 と人差し指の独立した動作が発達していない ため、最も力の入りやすい母指を使用してハ サミを操作することとなり、その結果、ハサ ミの開閉は大きくなり、刃先を中心に使用す る操作になるため、複雑な図形の切り抜きは 不得手となると報告している。前述の富岡ら は「動刃(母指を入れる環に繋がる方)」だ けを動かし、「静刃(他の4本、あるいはそ のいずれかの指を入れる環に繋がる方)」を 動かさずに用いると、切りたい線から離れる ことが少なく、安定した作業ができる10)と母 指の安定した動き、つまり母指の安定の必要 性について触れている。 以上より、ハサミの操作には「握力・指力」 と「母指の安定」が必要であり、それらは手 の巧緻性と関係する。 ハサミを閉じるときは、屈曲、尺側内転、 掌側内転が働くが、屈曲と掌側内転は握力の 主な運動方向である。前述したように、母指 MP 関節過伸展の場合、一部の筋が働いてい ない、または十分に働いていないため、握力 が十分発揮できていない。 さらに母指 MP 関節不安定症と言われるよ うに、過伸展状態の MP 関節を随意に動かす ことが難しい場合がある。この母指の不安定 性は、ハサミの操作とその巧緻性における課 題である。 4 母指MP関節過伸展症と発達 母指 MP 関節過伸展症罹患幼児の手指の 機能の発達を追跡した調査は管見した限りで は見当たらない。先天性が疑われる症例につ いては、Eiken O. が「母指 MP 関節過伸展 症の長掌筋腱の固定術(“Palmaris Longus-Tenodesis for Hyperextension of the Thumb Metacarpophalangeal Joint”)」11)の中で、母
― 28 ― 指 MP 関節過伸展症の要因は先天性、もしく
は外傷であり、主訴は疼痛や関節の不安定性、 精密把握や握力把握の弱さであると報告して いる。また、Zhongyu Li、Ethan R. Wiesler、 Beth P. Smith、 and L. Andrew Komanは「MP 関節過伸展弛緩を伴う小児母指バネ指の外 科的治療(“Surgical Treatment of Pediatric Trigger Thumb with Metacarpophalangeal Hyperextension Laxity”)」12)の中で、100 名 の母指バネ指症状の子どものうち、母指 MP 関節過伸展症を併発している7名のいずれも 当該関節が 60°以上の超過伸展であり、手術 時の月齢は 26 ヶ月から 82 ヶ月で、平均月齢 は 46 ヶ月、7名のうち5名(残りの2名の うち、1名は外傷性)は、出産後、すぐに過 伸展であることがわかったと報告している。 これらは先天性が疑われる症例報告である。 また、福永拙らは先天的な全身性の関節弛 緩症である Ehlers-Danlos 症候群の児童8症 例13)について報告している。スポーツドク ターの米田實は全身性の関節弛緩症が増加傾 向にあり、過度な柔軟性は成長期の子どもの 関節にとって危険因子であると警鐘を鳴らし ている14)。これらは母指 MP 関節過伸展症に 言及したものではないが、先天性の関節弛緩 症に関する報告である。
Yoshida R.、 House HO、 Patterson RM、 Shah MA、 Viegas SF. は「 母 指 MP 関 節 の 動きと形態(“Motion and Morphology of the Thumb Metacarpophalangeal Joint”)」15) の 中で、第 1 中手骨の骨頭の弧の角度が本症と の関係を報告している。対象が成人であるこ とから、弧の角度が経年変化によるものなの か、先天的なものなのかについては不明であ る。発生学的に、第 2 から第 5 中手骨は長管 骨の成長点である骨端軟骨が遠位端にあるの に対し、第1中手骨のみ近位端である16)こと から、遠位部である骨頭の形状は近位端より も先天的な形状を保ち、成育環境の影響をう けにくいのであれば、やはり吉田らの報告も 先天性が疑われる。 一方、弓道選手の弓の持ち手は、訓練によ り母指 MP 関節が 90°近くまで伸展すること から、習慣による過伸展症も存在する。 以上より、母指 MP 関節過伸展症は、先天 的な要因と外傷や関節リウマチなどの疾病、 習慣といった後天的な要因を持つと考えられ る。 そして外科的治療を必要とする先天性の重 度罹患者の存在は、外科的治療に至らない先 天性の軽度罹患者の存在を示唆する。実際に 保育所における幼児の造形遊び場面の観察調 査では、ハサミの使用において軽度罹患幼児 の存在が認められている17)。現状は軽度罹患 幼児の実態は未明である。そこで「幼児の母 指 MP 関節過伸展症の実態調査」として、① 本症罹患幼児の実態調査、②本症罹患幼児の 発達過程、③本症罹患幼児へのハサミの使用 における援助・指導法の導出と検証、④先天 性の本症の解剖学的・機能学的要因の調査を 目的とした研究を行う。本論では②本症罹患 幼児の発達過程に関する 1 事例について報告、 検討する。 Ⅱ . 事例報告 1 調査内容 1) 目的 これまでの幼児の造形遊び場面のハサミの 使用について母指 MP 関節過伸展状態の観察 を行い、母指 MP 関節過伸展症軽度罹患幼児 の存在(13 名中 3 名)とハサミの使用におけ る保育者の援助について報告した。 本調査はこれまでの記録を、本症罹患幼児 の手指の機能の発達に着目して検討すること が目的である。 2) 研究協力園 研究協力園である認可こども園 A 園は、 2017 年の改訂により、保育所保育指針と幼 稚園教育要領の整合性が図られたことを踏ま え、環境を通した保育・教育に力を入れてい る。そこから生まれる幼児の自発的活動とし ての遊びを中心に据えた自由保育の実践園で ある。幼児は園の環境計画の中で自然にハサ ミに興味を持ち、保育者が見守る中、見よう 見まねでハサミを用い始める。保育者は幼児 の自発性を尊重しながら、安全なハサミの使 用に留意し、個別に援助を行っている。ハサ ミは刃を下向きにして、数個の筒状の入れ物
に5、6本ずつ立てて保管されている。幼児 は園内を自由に往来し、異年齢での遊びが日 常である。 以上より、本調査の対象園に適すると判断 した。 3) 実施日 2018 年 4 月 28 日(土曜日)午前・8 月 10 日(金 曜日)午前・12 月 27 日(木曜日)午前 2019 年 8 月 5 日(月曜日)午前・7 日(水曜日) 午前・9 日(金曜日)午前・12 月 28 日(土曜日) 午前 4) 対象 ハサミに興味を持ち始める2歳児から、ハ サミで造形遊びを楽しむようになる5歳児が 対象である。自由保育の環境下でハサミを用 いて造形遊びをする様子を動画撮影した。 5) 調査方法 発育発達途上である幼児の手指の関節可動 域は安定せず、個人差が大きいことから、特 例を除いて撮影記録による観察調査が勧めら れる18)。そこでハサミを持つ手元を中心に、 ipad を用いビデオ録画した。母指 MP 関節の 状態を確認できたら、次の園児の撮影に移っ た。ハサミで切断するときの動刃と静刃の開 閉を 1 分前後(断続的な場合は通算で)観察 し、母指 MP 関節が一度でも過伸展状態とな れば、本症罹患幼児と判断した。映像記録は 研究資料として持ち帰り、別日にて分析し、 カルテに記録した。 6) 倫理的配慮 本研究は静岡産業大学倫理審査委員会の審 議を経て実施している。調査にあたっては、 保護者に文書と口頭で本研究について説明 し、研究協力承諾書に自署、合わせて同意撤 回書にて、自由意志にていつでも研究協力を 辞退できること、それによって何ら不利益の 生じないことを説明した。 記録したデータは、厳重な管理のもとに筆 者が5年間保管し、複製は行わない。記録デー タの廃棄については第3者の監視下におい て、筆者が適正に処理する。
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Ȧ2 gXr5ǁ3GƠŒ MP ɼDZɧĕǍȍĺġ¨5ɝɐɀƌ
(Table2 Follow-up of Infants with Thumb MP Joint Hyperextension in the Use of Scissors)
ʙɧĕʗ10~ŃȖ3ÌGʘƸľKÖ@ëÐ6ĕʗ0ʤ10ŃȖ3ÌGʘEĔź5ëÐ6K) Ɯ¨ ɀƌ ųŸ MP ɼDZɧĕƸľ gXrKɺ0 gXrKɹ#G0 4 Ɯ 0 yž 2018. 04.28 ɧĕ ĕɧĕ 5 Ɯ 4 yž 2019. 08.05 ɧĕ ĕEĔź ĕEɧĕ ĕEĔź 5 Ɯ 8 yž 2019ʚ 12.28 ĕEĔź (DŽǁǷ) ʗƟo{uʘ ĕEĔź ʗDŽǁǷʘ ʗƟo{uʘ 表 2 ハサミの使用における母指 MP 関節過伸展症罹患幼児の追跡調査
(Table2 Follow-up of an Infant with Thumb MP Joint Hyperextension in the Use of Scissors) *過伸展(10°以上手背に反る)状態を含む場合は●、伸展(0°~10°手背に反る)から屈曲の場合は〇を付けた。
2 調査結果 母指 MP 関節過伸展症が疑われる女児1名 の 4 歳 0 ヶ月、5 歳 4 ヶ月、5 歳 8 ヶ月のハ サミの使用状況の動画撮影記録を観察したと ころ、母指 MP 関節過伸展状態に変化がみら れたことがわかった。4 歳 0 ヶ月では常時過 伸展状態であったが、5 歳 4 ヶ月では過伸展 状態と伸展(0°~ 10°)からわずかな屈曲 状態が混在するようになり、5 歳 8 ヶ月では 過伸展状態となることなく、ハサミを使用す るようになった(表 2)。 4 歳 0 ヶ月では、ハサミを開くときも閉じ るときも、母指 MP 関節は過伸展位であった。 5 歳 4 ヶ月では、過伸展が見られる一方で、 以下の試行錯誤が繰り返された。厚いトイ レットペーパーの芯を切ろうと、ハサミを持 つ手を回外、回内方向に回して、前腕の力を 発揮しようと試みたり、母指とハサミの指穴 が接する場所を変えたり(偶然に変わった可 能性もある)した。トイレットペーパーの芯 を持っているほうの手も回外、回内、手関節 の屈曲、伸展方向に変えて試みていた。 5 歳 8 ヶ月では、ハサミを開くときも閉じ るときも、母指 MP 関節は過伸展となること なく、安定したハサミの操作ができるように なった。画用紙を切断していたので、保育者 が声掛けをして、段ボールの端切れを渡した ところ、画用紙と同様に母指 MP 関節は伸展 0°よりわずかな屈曲を呈した状態で切断す ることができた。そこで他動可動域19)にて母 指 MP 関節の伸展角度を確認したところ、本 児が母指 MP 関節過伸展症であることは変わ りなかった。 Ⅲ . 考察 1 幼児の生活・遊びと発達 保育者に本児のエピソードをヒアリングし たところ、本児は日頃から、折り紙を折る、 絵を描く、ハサミやのり、セロテープ等の道 具や材料を用いた造形遊びを楽しむ時間が多 いとのことであった。本園は自由保育が活動 の中心である。遊びは子どもの主体性に委ね られる。さらに、造形遊びを好む本児は、自 宅においても造形遊びをしていると考えられ る。母指 MP 関節が過伸展にならないハサミ の操作法を本児が独力で体得したことは、手 指を用いる造形遊びを通して、母指外転筋や その補助筋が強化され、母指 MP 関節の角度 を調整する筋群のコントロールができるよう になったと推測される。そして、ハサミを使 用する経験を重ねる中で、試行錯誤し、厚い ものや硬いものの切断にもチャレンジしなが ら、安定した操作法を体得したのであろう。 そうであれば、母指 MP 関節過伸展症軽度罹 患幼児が日常の造形遊びの中で、母指 MP 関 節に負担のかからない、安定したハサミの操 作法を自ら獲得する手立てを示唆する事例で ある。 一方で造形活動に従事している成人におけ る母指 MP 関節過伸展症罹患者も存在する。 弓道選手の弓の持ち手のように過度な使用に より過伸展を生じる場合もあるが、両手に過 伸展症状がみられる場合は、先天性である可 能性が高い。精密把握を中心とした造形活動 に従事しながら、独力で体得することなく本 症に悩まされている成人もいることから、母 指 MP 関節過伸展症は軽度であっても複数の 要因が想定される。 以上より、保育の現場においても、造形遊 びや活動を通して、独力で母指 MP 関節が過 伸展にならないハサミの操作法を体得した本 児のケースと、体得できていない他児のケー スがあり、後者への援助の手がかりを前者の 事例から導出することが目指される。 2 母指MP関節過伸展症の解剖学・機能学的 所見と発達 1) 骨の発達 母指 MP 関節は第 1 中手骨と第 1 基節骨か らなる関節である(図1)。母指の第 1 中手 骨の骨形成は特殊である。指骨のような長管 骨は、発育期では骨端の軟骨組織の中の骨端 核を中心として骨化し成長する。中手骨は骨 端核が遠位端に位置するが、母指の第 1 中手 骨は近位端に位置するのが特徴である。つま り、MP 関節の関節頭である第1中手骨の骨 頭の形状は、他指に比べ、早期に形状が固定 すると思われる。1章4項で紹介した吉田ら
― 32 ― の研究では、中手骨骨頭の形状と本症の関与 を指摘していることから、先天性の本症の要 因の一つである可能性がある。この指骨・指 節骨の発育は、2 歳頃から骨端核が現れ、5 歳頃には全てに認められ、14 歳頃には骨端線 (骨端軟骨組織と骨体との境界)は狭くなり、 18 歳で閉鎖する20)。 母指 MP 関節の掌側には、2 つの種子骨が 関節を越えて走行する腱中に介在する。種子 骨はその部位の摩擦を軽減するために発生す るといわれる。しかし、幼児期にまだ存在せ ず、14 歳頃から認められる21)。 以上より、幼児期は指骨・指節骨、種子骨 の形成過程であることから、母指 MP 関節は 緩く、不安定であると思われる。また、骨は 2 歳で一度全て置き換わり、軟骨組織が骨化 していくことから、ハサミの導入時期や適切 なハサミの選定について検討が必要である。 2) 筋の発達 母指 MP 関節は、屈曲では長母指屈筋、短 母指屈筋(短母指外転筋、母指内転筋は補助 的作用)、伸展では長母指伸筋、短母指伸筋 が関与する。「上肢機能の成熟は近位部から 遠位部へと進行していく」22)、「近位の発達的 要素は非常に見落とされがちであるが、遠位 のスキルの問題点を解く鍵であることがよく ある」23)のように、筋は体幹に近い肩から遠 位の指先へと発達を辿る。手指の筋の運動は、 姿勢を含め、上肢の筋の発達(支持性)や他 指の筋との協調性と関連しながら分化し発達 する。同様に、手の筋が近位から遠位へと発 達を辿るとすれば、母指 MP 関節の屈曲に働 く長母指屈筋は母指末節骨に付着することか ら、最も遠位に位置する筋であり、機能的発 達が遅い可能性がある。 手指機能の発達について、12 ヶ月児までを 以下に概観24)した。 満期産新生児:屈筋の緊張が優位な状態で あり、母指は手掌の内側に入れるか、外側に 出した状態で一般的に握りこぶしを作ってい る。把握反射が強く、上肢が外転し、肘が伸 展すると開く。 1 ~ 2 ヶ月児:把握反射は認められるが、 握ったものを大人が取るのは容易くなる。反 射的に毛布をひっかいたり、握ったりする。 3 ~ 5 ヶ月児:把握反射から持続的で随意 的な把握に置き換わるが、母指の関与はなく、 他指の活発な屈曲による。 5 か月:対称的な手掌握りへ発達し、手が 対象物の形に適応し始め、触知覚の発達を伴 い、手から手への持ち替えが始まる。 6 ヶ月児:空間で随意的に物を放すことは できず、投げつけるようにして放すか、手を 開くために上肢全体を外転させる。指を屈曲 して物を把握するが、母指は内転した状態で ある。母指の末節部はたいてい屈曲しており、 大きな物を把握するときの手指は手掌の橈側 部に対して物を押し付け、母指を対立させて いる。手指の分離したコントロールがまだで きず、一貫した手掌把握(palmar grasp)と 橈側 - 手掌把握(radial-palmar grasp)が出 現するが不完全である。物を手から手へ持ち 替えができるようになる。 6 ~ 7 ヶ月:手内筋の活動を通して手指の コントロールを獲得する。 7 ~ 9 ヶ月頃:握力が強くなり橈側 - 手掌 把握が出現する。 8 ヶ 月 頃: 橈 側 - 手 指 把 握(radial-digital grasp)が出現する。 9 ヶ月頃:不完全な指尖を使ったつまみが 出現する。示指による指差し(pointing)や 三指握り(three jaw chuck)といったより分 離した把握パターンを使うようになる。さら に手に持っていた物を空間で意図的に放すよ うになる。 10 ~ 12 ヶ月頃:両手動作が始まり、両手 動作の巧緻性が発達する。また、10 ヶ月頃は 母指と示指のより抹消の指腹部の間で小さな ものをつまむ指腹つまみ(pincer grasp)が できるようになる。 12 ヶ月頃:母指と他指の指尖で、母指を 大きく回旋しながらつまむ、指尖つまみ(tip pinch)ができるようになる。 手指の機能の発達について、把握反射から 随意的把握に置き換わった後の過程をみる と、手指の屈筋に関しては、母指よりも他指 が先行している。母指は他指に比べ、機能し 始めるのが遅く、屈曲が伸展に、内転が外転
に先行するようである。
幼児は遊びの中で、手指の機能を高める筋 を強化し、筋力や関節を適度にコントロール する調整力をつける。分離したコントロー ルができるようになれば、指尖つまみ (tip pinch)、指腹つまみ (pulp pinch)、側腹つまみ (side pinch, key pinch) が可能となる。このよ うな過程を経て、ハサミと出会う。 本児は母指 MP 関節過伸展症であるが、ハ サミの操作に関しては、過伸展状態となるこ となく操作ができるようになった。母指の様 子はハサミを開くときは掌側外転からしっか りと橈側外転し、末節はわすかに屈曲してい る。つまり、長母指外転筋が強力に働き、長 母指屈筋をコントロールし、母指基節はわず かに屈曲した状態である。ハサミを閉じると きは、開いたときの母指 MP 関節の角度(伸 展から屈曲)を維持しながら、回旋するよう に掌側内転と尺側内転に運動している。母指 MP 関節の安定を維持しながら、運動方向を 転換するには、筋や関節をコントロールする 必要がある。 ハサミの指穴の環部分と接する母指基節の 部位についても改めて観察した。過伸展位を 取ったときは母指 MP 関節上、または基節骨 底に接していた。母指の外転の動きからみる と、母指手根中手(CM)関節を起点として、 遠位であれば動きは大きくなる。つまりハサ ミを大きく動かすことができる。MP 関節に ハサミの指穴の環が接すれば、基節の遠位端 であることから、基節との接点の中では最小 の動きとなる。そこで母指を大きく開こうと して伸筋群に力が入る。その結果、MP 関節 の伸展角度は大きくなり、過伸展が進む。 母指 MP 関節が不安定であることから、随 意に過伸展を緩めることが難しい場合は、長 母指屈筋が付着する末節を屈曲することが、 過伸展の調整に有効であることが、これまで の調査から導出されている。屈筋は伸筋の拮 抗筋であることから、屈筋の緊張は伸筋を弛 緩することとなるからである。 3 今後の課題 ハサミの使用における母指 MP 関節過伸展 状態の観察は、造形遊びの中で罹患幼児を認 めるには有効であった25)。しかし、母指 MP 関節過伸展罹患幼児の罹患状況を調べるに は、ハサミの使用を観察するだけでは不十分 である。本児のケースであれば、本症を罹患 しながらもハサミの使用においては過伸展位 を呈さないからである。幼児を対象とした母 指 MP 関節過伸展状況を調査するには、他動 可動域の計測が必要である。 さらに先行研究では 12 ヶ月~ 48 ヶ月の幼 児期に関して「この年齢での ROM は、動き の程度よりむしろ、把持パターンや手の使い 方について、より詳細に記述する必要がある」 26)との記述があるように、把持に拮抗する伸 展運動についての実態調査は着目されてこな かった。しかし、本症が散見されるのであれ ば、幼児を対象とした母指 MP 関節の伸展角 度を測定するための新しい方法の開発が求め られる。 本論文は、令和元年度 静岡産業大学特別支 援研究「母指中手指節関節(MP 関節)不安 定症の統計的調査」による研究成果の一部で ある。 図 3 母指の指節と部位の名称
(Fig. 3 Name of the Phalanx and Part of the Thumb)
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引用・参考文献
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12) Zhongyu Li,Ethan R. Wiesler, Beth P. Smith, and L. Andrew Koman,“Surgical
Treatment of Pediatric Trigger Thumb with Metacarpophalangeal Hyperextension Laxity”,Hand (N Y). Dec; 4(4), 2009, pp.380–384. 13) 福永拙,戸澤興治,佐藤美由紀,津村弘, 片岡晶志,藤原作平,岡本修「Ehlers-Danlos 症候群の児童8症例」第 21 回日 本整形外科学会骨系統疾患研究会記集, 2009,pp.51-53. 14) 米田實,「成長期のスポーツ外傷と障害」 2008,米田病院公式ウェブサイト,2019 年8月 10 日 <https://yoneda.or.jp/pdf/ slide1.pdf> <https://yoneda.or.jp/pdf/ slide4.pdf>
15)Yoshida R., House HO, Patterson RM, Shah MA, Viegas SF.,“Motion a n d M o r p h o l o g y o f t h e T h u m b Metacarpophalangeal Joint”, J Hand Surg Am. Sep;28(5), 2003, pp.753-757. 16)上羽康夫『手 その機能と解剖』株式会 社金芳堂,1985,pp.67-70. 17)佐藤寛子「ハサミの使用における母指中 手指節関節過伸展症の幼児への援助の検 討 - 手の巧緻性の観点から -」『美術教育 学』第 41 号,2020,pp.155-166.
18) Anne Henderson, Charlane Pehoski 編著 , 園田徹,岩城哲監訳『子どもの手の機能 と発達第 2 版治療的介入の基礎』医歯薬 出版,2010,pp.377-382.
19)Cynthia C. Norkin, D. Joyce White,前掲, p.8. 自動可動域とは被験者が介助される ことなく,関節の自動運動を行なった時 の関節可動域である。一方,他動可動域 とは被験者の力によらず,検者が関節を 動かした時の関節可動域である。 20)上羽康夫,前掲,pp.67-70. 21) 同,p.69.
22) Case-Smith- Jane,Pehoski Charlane 編, 奈良進弘,仙石泰仁監訳,大沢浩司,落 合裕昭,金田実,菊地華織,古郡恵他訳『ハ ンドスキル―手・手指スキルの発達と援 助』協同医書出版社,1997,p.11. 23) Anne Henderson, Charlane Pehoski編著,
24)Rona Alexander,Regi Boehme, Barbara Cupps 編著,高橋智宏監訳『誕 生から 1 歳まで 機能的姿勢―運動スキ ルの発達』協同医書出版社,1997,p.324. 25)佐藤寛子「造形行為における『母指中手 指節関節過伸展による不安定症』の課 題の検討」『環境と経営』第 24 巻 2 号, 2018,pp.107-117.
26) Anne Henderson, Charlane Pehoski編著, 前掲,pp.379-380.