• 検索結果がありません。

考古学と自然科学との融合による歴史津波の実態解明: 沖縄地域学リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "考古学と自然科学との融合による歴史津波の実態解明: 沖縄地域学リポジトリ"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Author(s)

仲座, 栄三; 入部, 綱清; 徳久, 氏琉

Citation

沖縄防災環境学会シンポジウムin青山学院大学概要集: 25

-30

Issue Date

2013-03-16

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/20069

(2)

考古学と自然科学との融合による歴史津波の実態解明

1 はじめに 3.11大津波災害の後,津波防災に対する想定津 波は,これまでの 100年に1度程度の頻度で発生 する規模から,数千年に 1度の頻度で発生するよ うな大規模なものへと拡大された.しかしながら, 災害史を歴史資料などに基づいて1千年前まで遡 れたとしても,それ以上に遡って詳しい記述を見 出すことは困難で、ある. 特に,沖縄の場合,現存する歴史資料のほとん どは 15世紀以降のものであり,数千年にもまたが っての記述資料を見出すことは困難である.した がって,沖縄における大規模津波の繰り返し特性 を,歴史資料などから知ることは不可能と言える. 3.11以降,大規模津波の繰り返し特性を知るの に津波堆積物の解析が注目されている.例えば, 堆積物の炭素同位体 (14C) を用いた年代測定や地 層に含まれる火山活動の痕跡を基にした年代判定 などにより,発生年の同定が可能であることなど が報告されている. 海岸のほとんどがサンゴ礁を伴う沖縄の場合, 津波の発生とその年代の推定には,陸上に打ち上 げられたサンゴや員類の化石の 14Cを用いた年代 測定に拠ることが多い.河名らは,津波によって 陸上に打ち上げられたと想定されるサンゴ岩塊な どの 14Cを測定し,今日までの 2500年間に計5回 程の津波が発生した可能性が高いと指摘している. 過去の津波に対するこうした科学的調査結果が 出るに及び,考古学的調査においても津波痕跡と 想定される年代の同定に こうした調査結果が参 照されるようになった. しかしながら,最近筆者 らの調査結果からは,サンゴ化石が示す年代と津 波発生年とは必ずしも一致しないことが指摘され ている. 本研究では,これまで考古学的な立場と自然科 学的な立場とでそれぞれに独立して議論されてき た津波痕跡について,考古学的調査と自然科学的 な調査とを相互に関連づけて議論することにより, 津波の発生年をより明らかにすると共に,その実 態を推定しようとするものである. 琉 球 大 学 工 学 部 仲 座 栄三 ・入部綱清 琉球大学 島l興 防 災 研 究 セ ン タ 一 徳 久 氏 琉

2

.

津波石の年代測定による津波発生年の推定 牧野 (1961)は,沖縄県石垣島の東海岸沿いに 無数に点在するサンゴ起源の巨大な岩が,明和津 波によってサンゴ礁から打ち上げられたものであ るとし,

r

津波石(つなみいし)Jと命名した. 沖縄の石垣島に点在する津波石の中でも,大浜 小学校側にある津波石は,石垣島最大の大きさと 判断されている.牧野はこれを「津波大石(つな みうふいし)Jと呼んだ(以下,これを大浜津波大 石と呼ぶ).そして,この巨大な岩は明和大津波に よって打ち上げられたものであるとの推論を与え た. 加藤 ・木村 (1983)は,大浜津波大石に近い宮 良湾内の干潟上に存在する巨大な岩(以下,宮良 津波大石と呼ぶ)に付着したサンゴ化石の年代を 測定し,明和津波の発生年に近い年代を得た.後 に,加藤 (1987)は,この岩に付着したサンゴ化 石の年代測定によって,おおよそ 3000年前とする 年代を得た.これらの結果から,石垣島南部海岸 には,約3000年前から明和津波の発生年までの聞 に,この岩をさらに打ち上げるような大津波は発 生していないとする推測を与えた. 図-1 石垣島大浜小学校側にある津波大石 (標高10mに位置しおおよその形状は一周 38m, 高さ

6

.

5

m

)

(3)

木村(1985)は,大浜津波大石が陸起源のもの であり,琉球石灰岩が浸食によって取り残された ものであるとの推定を与えた.これに対し,河名 ・ 中田 (1987,1994)は 大浜津波大石を含め石垣 島に存在する多くの津波石及び宮古島東平安名崎 に点在する巨石に付着するサンゴ化石の年代測定 から,これらの巨大な岩の多くが明和津波よりも 遥か以前に打ち上げられたものであるとの推定を 与えた.また,これらの巨大な岩を打ち上げた大 津波を「沖縄先島津波」と呼んだ.その発生年は, 付着化石等の示す年代の平均的な値である 2000 -2400年前と推定されている. 一方で,宮古島の北西に位置する下地島の巨大 な岩「通称:帯大岩jの発生年についても,論争 はあった.これについて,河名 ・中田 (1987)は, 当地域の津波石に付着している化石の年代測定結 果からの推定で,帯大岩の発生年は明和津波以前 の津波によると判断した.これに対し,加藤(1988) は,し、くつかの理由を挙げ,

r

かような巨石はし、か なる大津波でも説明できなしリと判断し,琉球石 灰岩が差別浸食を受けて残った現地性転石の可能 性が高いとした. その後,加藤 (1989)は,宮古島で発見された 「御間合書Jに記載されている津波石に関する記 述と実在する帯大岩との実寸がほぼ合致する点を 指摘,

r

帯大岩は明和津波で打ち上げられたものと 結論される」と,自身の主張を大きく修正してい る. 津波石あるいはそれに付着したサンゴ化石等を 基にした年代測定結果による津波発生年の推定は, 後藤らによっても引き継がれ,それらの集約とし て津波発生年が与えられている. これらの結果は,過去約5000年の聞に,津波石 を発生させる程の規模の津波が少なくとも 7回発 生したと推定している.その中でも,注目される のはAC.1771年の明和津波と BC.500-0年に発生 した津波と推定されるとし,後者の津波を沖縄先 島津波と命名している. 河名や後藤らの津波発生推定年は, AC. 1600年 代初頭にも津波が発生した可能性を推定させてい る.これに関しては,石垣島の梓海(フカイ)村 について,古文書「八重山島年来記」に,以下の ような記述がある. 同五(天啓.1625)乙丑 一大田兼久江大波上り,将海村流シ候付,同年 大原江引移今之将海村也, 「現代語訳:ー,大田兼久に大波が揚がり,将海 村を流してしま ったので,周年に大原へ(将海村 を)移しました. (それが)今の将海村である .J 図-2 宮古島下地島にある帯大石 (標高 10mに位置する,岩のおおよその高さは12m) この記述を拠って, 1625年に津波が発生したと判 断される場合もある.この件については,後に詳 しく説明する. 3 考古学と自然科学とが証す津波痕跡 これまで述べてきたように,従来の研究成果か らは,今日までの数千年間に 5回あるいは 7回の 津波が発生したことが指摘されており,約 250年 から 300年の間隔で津波が発生したと推測されて し、る. しかしよく考えてみると,津波石やそれに付着 しているサンゴ化石などが示す年代と津波の発生 年とが対応していなければならないとする理由は 必ずしも存在しない.約 250年から 300年という 数値は,サンゴの最大生存年にも対応する.

t

可名らを始めとし後藤らにまたがる研究成果が 示す津波発生年は,海岸に点在する巨大なハマサ ンゴや津波石に付着しているサンゴ化石等の年代 測定値に基づくものである.その測定値そのもの は科学的に信頼されるに値するとしても,その値 と津波発生年とが対応していなければならないと する理由は,明和津波の発生年を除けば存在しな し¥ 明和津波については,古文書によってその発生 年,巨石が津波によって打ち上げられた状況など が詳細に記録されており,現存する巨大な津波石 のいくつかはその記述が示す特徴とよく一致して いる.さらに,津波によって壊滅した村の再建や 村の移設の記述も,現存する村の状況をよく説明 しており,信頼に足りると判断される. 盛本 (1987)は,考古学的発掘調査によって明 和津波による災害を実証している.その際の年代 判定には,津波堆積物と推定される砂磯層とその 中に混在する沖縄産陶器などの主体的出土品が用 いられている.

(4)

以上の証拠を総合的に判断すると, 1771年付近 に現れるサンゴ化石年代値は,明和津波の発生を 示しているものと判断される. 最近,後藤らが指摘する 1600年代の津波発生に 関しては,先に説明した古文書「八重山島年来記」 による「大波による村の流出」という記述が,津 波発生年を示すものとして解釈されるとする考え もある.しかしながら,その村の存在跡を実際に 調べてみると,図 - 3に示す海岸(現在の米原海 岸)にあり,海抜5m以下の沿岸域に位置する. 梓海村跡地と推定される沿岸域を調査してみる と,海抜約40Om付近にまでも直径50cm程度の大 きさのサンゴ岩塊が,台風時の波によって打ち上 げられていることを確認できる.すなわち,梓海 村を流出させたとされる大波は台風による高潮及 び波によるものと判断される.こうした判断は, 「大波による流出J という記述が,当村を除いて 他に存在しないことからも肯定される. 図- 3 梓海村跡地と推定される場所 (破 線 で 示 す 円 内 , 標 高 を 示 す コ ン タ ー ・ 5m, 10m, 15m, 20m,以降10m間隔) 従来の研究成果が指摘する数回の津波発生を裏 付ける証拠を求め,本研究では宮古島及びその近 隣の島においてボーリング調査及び試掘調査を実 施した. 図-4"-'6に,数値付きのマークで示す位置は, ボーリング箇所を表す.これに対し,ピン記号と 英文字

(

A

,B,

C

)

で表す地点は試掘及び不発弾 探査作業に伴う掘削地を表す. これらの調査結果で見出されたのは,明和津波 によると推定される津波痕跡のみで、あった.友利 元島に示すボーリング地点3を除き,全ての地点 において,津波堆積物はただ一層のみで、あった. 友利元島のボーリング地点3においては,明ら 図- 4 宮古島・城辺友利元島地区調査地点 図- 5 下地島・伊良部島における調査地点 図- 6 伊良部島・佐和田地区調査地点 かにサンゴ磯混じりの砂層と判断される層が2つ 現れた.当地点の標高は 602mである.その地表 面から約 30cmまでの層は耕作土に当たり,その 中にサンゴ化石や陶器類の破片等が無数に含まれ ているo 30"-'100cmは暗褐色土であるo 100cm"-' 202mは砂及びサンゴレキ混じりの褐色土, 202m から 305mまでに不撹乱の明褐色土が続いている. その下は基盤岩と判断される琉球石灰岩で、あった.

(5)

友利元島では,ここに示す調査地点を補完する ために,手堀による追加試掘が合計6箇所で行わ れた. しかしながら,それらの試掘結果も全て, 津波痕跡が1つの層からなることを示した. 以上の結果から判断し,現れた津波の痕跡は多 くても2つで、あり,その内の一つは明和津波に対 応し, 他がそれ以前の津波の発生を示すものと推 定された. しかし,こうした推定には,

r

明和津波以前の津 波痕跡は明和津波によって侵食されてしまったの ではないか?津波痕跡は,連続したものでなく, 調査地点が痕跡のない箇所に当たった可能'性もあ る,あるいは津波痕跡は必ずしも残らなし、」など とする否定的な考えも投じられた. 一時,上述のような判断が下されたが,時期を 同じくして友利元島のボーリング地点3付近(海 側,標高 4-5m,汀線から陸側に 60m付近)で 考古学的発掘調査が行われた.この発掘調査は, 宮古島市教育委員会が主導するもので、あった. 当時の発掘調査によって切土面に現れた土層を 図-7に示す.互いに明瞭な相違を示す層の数は 多数確認できた.これらの層の全てを異なる津波 による堆積物と単純に判断すると,これらから 5 回以上の津波発生が推定されることになる. しかしながら,調査地点が現在の汀線位置に近 いということと,調査地点の標高が 4-5m程度 であるということが,波による影響を受けている ことを強く印象づけた.しかし,こうした海岸工 学的判定に基づいても,津波による堆積物層と波 による堆積物層とを区別することは不可能であっ た. このような判定不明の状況を打破したのも,宮 古島市教育委員会によって引き続き行われた発掘 調査である.同地点における 2期目の調査により, 無土器時代の貝斧を含む層,グスク時代 (13"'-'14 世紀代)の人骨と陶器を含む層,明和津波の痕跡 と判断される層が見出された(それらの詳細は, 本シンポジウムによる久員 ・木村氏の説明を参照 して頂きたし、)• 図-8及び9に,発掘の様子と切土面に現れた 土層を示す.図- 9に示す切土面には明瞭な赤土 系の色で汚れたサンゴ磯混じり砂層が見られる. 本層の数十 cm下にグスク時代の陶器と人骨が出 土している.このことは,この茶褐色に染まった サンゴ磯混じり砂層が,14世紀以降に堆積した層 であることを示していることになる. 同様な様相を示す層は,この層以外には現れて いない.本発掘調査場所は,無土器時代の層をも 含んでいる. しかしながら, 13世紀から 15世紀 と判断される上部の包含層と,その下部に存在す る無土器時代の包含層との問には,津波の痕跡を 示すと判断されるような汚れた砂質層は全く現れ ていない. このことは,調査地点のサンゴ磯混じり砂層が 波の作用による堆積物層(すなわち主として、海か らの作用のみによる堆積層)である可能性が高い ことを示す事実と言える.逆に,唯一現れた茶褐 色に汚れた層は,陸側に存在する赤土の影響を受 けた層であると判断される.すなわち,津波が遡 上し,後退する際に発生した濁流の影響を受けた 層と判断され,津波による堆積物層を表している と推定される. この考古学的発掘調査現場が示す津波の痕跡層 と,その陸域側で多数行われたボーリング調査や 試掘調査による結果とを総合すると,発掘調査で 現れた茶褐色に染まった層が明和津波による痕跡 を表すものと判断される.また,ボーリング調査 などで確認できた表層土中に現れるサンゴ磯混じ り土の上限標高から判断し,当地における津波遡 上高は 20m程度と推定される. これらのことを通じ,明和津波は,過去の津波 痕跡を全て洗い流すものではなかった事が示され る.また,無土器時代から今日に到るまでの堆積 層に,津波痕跡と判断される層がl唯一つだ、け現れ たということは,明和津波が,沖縄地方における 唯一の大津波で、あったことを推測させる. だが,この推測は, ー箇所における考古学的調 査と自然科学的調査が示す事象に過ぎない.この ことで, 沖縄における歴史津波の全てが説明され た訳でないと考える.しかしながら,著者らのこ れまでの調査からは,逆に従来の主張(過去数千 年間に 7回ほどの津波が発生したこと)を肯定す るようなエピデンスも全く見出されていないとい う所にも注目すべきであろう. 4.おわりに 本研究をスター トさせた当初は,ボーリング調 査や試掘調査,そして出土したサンゴ化石等の年 代測定を通じて津波堆積物層の年代が同定され, 津波の発生頻度も自ずと確定されるものであると 想定した.そのため,ボーリング調査に加えて, 手堀による追加試掘が追加され続けた.しかしな がら,それだけで津波痕跡の様相を解読すること は不可能であった.サンゴ化石の示す年代層は実 に様々であった.その解釈には困難を極めた. また,考古学的に進められた発掘調査結果など が,津波石の年代測定結果などに基づく津波発生 年の調査結果と調和的で、あったことも,さらに調 査結果の判断を翻弄させた.

(6)

図-7 友利元島における堆積物層 図- 8 友利元島における発掘調の様子 茶褐色に染まったサンゴ磯 混じり砂層 図- 9 明和津波の痕跡と判断される堆積層 (宮古島市教育委員会による発掘調査) 自然科学的手法で全て解決できると考えた筆者 らの当初の考えは誤りで、あった.問題点の解決は, 考古学的な発見がもたらせた.しかし,考古学的 考察のみからも,本研究が行ったような考察は生 まれてこない.そのためには,考古学的考察に加 え,海岸工学的考察をはじめとする自然科学的考 察との融合など,幅広い分野にまたがっての議論 が必要で、あった. しかし,何よりも,カムイ焼きという当時とし ては極めて高価と想定される陶器と共に葬られた 少女(形質人類学的考察による)が発する強力な メッセージがなければ,今回の考察はあり得なか ったと言える. 本論では,年代測定結果の記述や津波石の発生 と移動距離から判断した津波の実態など,物理的 記述を割愛した.その結果,自然科学的説明に欠 ける感は拭えない.この点については,別の機会 に詳しく議論したい. 最後に,本調査を実施するに当たっては,宮古 島・株式会社地建の仲間利夫 ・砂川一博氏をはじ めとする多くの方々の協力を得た.また,調査結 果の解釈には,沖縄県教育文化財課の盛本勲 ・山 本政昭,宮古島市教育委員会の久貝弥嗣 ・本村麻 里衣(株式会社アーケジオ),琉球大学島唄防災 研究センターの山田浩世氏との意見交換が有意義 であった. 本研究は,文科省プロジェク ト研究経費「社会 科学及び自然科学の統合による自然災害の予測と 分散機構の解明」の援助を受けている.また,本 研究の現地調査の一部は, トヨタ財団による研究 補助を受けて行われた. ここに付記し,感謝の意を表す. 参考文献 加藤祐三:八重山地震津波 (1771)の遡上高,地震, 第2巻,第40号, 377-381, 1987. 加藤祐三・日高和己・大山春・川野良信・新城竜一: 南琉球多良間島での八重山地震津波,歴史地震, 135-201. 1987. 加藤祐三:沖縄県宮古郡島における八重山地震津波 (1771)の挙動一新発見史料『思明氏家譜』付属 文書『御間合書』による検討一,歴史地震, No. 4, 47 -56, 1988. 加藤祐三:沖縄県宮古群島下地島 「帯大岩Jの起源, 歴史地震, 5号, 111-115, 1989. 加藤祐三・田村一浩・松尾憲一 :沖縄県宮古群下地 島北海岸における津波石,歴史地震, 5号,9-14, 1990. 河名俊男 ・中田高・大村明雄 ・石垣島大浜の “津波 大石"のサンゴ化石年代 :第四紀研究, 25, 155 -158. 1997. 1986. 河名俊男 ・中田高:明和津波と海底地殻変動,歴史 地震,3号, 181-194, 1987. 河名俊男 ・中田高,サンゴ質津波堆積物の年代から みた琉球列島南部周辺海域における後期完新世の 津波発生時期,地学雑誌, 103, 352-375, 1994. 木村政昭:地震と地殻変動一琉球弧と日本列島,九 州出版会, 195p., 1985. 下地和宏 :あまれ村と伝説の津波について,宮古島 市総合博物館紀要 11,1-12, 2007.

(7)

久貝弥嗣.友利元島 ・砂川元島で確認された有効虫 堆積層,宮古島市総合博物館紀要, 15号,65-75, 2011. 久良弥嗣:宮古における地震 ・津波に関する研究動 向,沖縄防災環境学会, No.1, pp.33-37, 2012. 城辺町教育委員会:友利元島遺跡発掘調査報告書 一,78p., 2004. 後藤和久 ・宮城邦昌 ・河名俊男 ・沖縄県宮古島多良 間・水納島における 1771年明和津波の年代を示す 巨大ハマサンゴ岩塊の発見,津波工学研究報告, 第27号, 97-102, 2010. 仲座栄三 ・入部綱清 ・徳久氏琉:堆積物調査が証す 琉球列島における歴史最大の津波,沖縄防災環境 学会, No.1, pp.39-45, 2012. 中田高・河名俊男:明和8年 (1771年)の地震津波 について,歴史地震 2号,141-147. 中村衛:沖縄で巨大地震・津波は起こったか?起こ りうるか?,第5回防災環境シンポジウム資料, 13-22,琉球大学島唄防災研究センター, 2011. 埋蔵文化財センター:調査報告書,第50集,嘉良掛 東貝塚 ・嘉良巌東方古墓群一新石垣空港予定地内 遺跡発掘調査報告書一, 2009. 盛本 勲:実証された明和大津波一友利元島遺跡一 (上 ・中・下),沖縄タイムス,1987. 盛本 勲:地震津波によって被覆した宮古島東南部 の近世の遺跡,沖縄考古学会2008年度研究発表会 発表要旨, 29"-'37, 2008. 山本正昭・八重山諸島・石垣島でみられた地震と津 波の痕跡一 遺跡から自然災害の痕跡を考える,考 古学ジャーナノレ577,ニューサイエンス社, 2008. 山本正昭 :石垣島を襲った巨大津波(上,下),琉球 新報, 2011a. 山本正昭:遺跡における地震 ・津波の痕跡一石垣島 東部の発掘調査成果から ,第5回防災環境シン ポジワム資料, 1-12,琉球大学島岐i防災研究セン ター,2011b.

参照

関連したドキュメント

 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

○本時のねらい これまでの学習を基に、ユニットテーマについて話し合い、自分の考えをまとめる 学習活動 時間 主な発問、予想される生徒の姿

SLCポンプによる注水 [津波AMG ③-2] MUWCによる注水 [津波AMG ③-1] D/DFPによる注水 [津波AMG ③-3]

手動のレバーを押して津波がどのようにして起きるかを観察 することができます。シミュレーターの前には、 「地図で見る日本

自発的な文の生成の場合には、何らかの方法で numeration formation が 行われて、Lexicon の中の語彙から numeration

キャンパスの軸線とな るよう設計した。時計台 は永きにわたり図書館 として使 用され、学 生 の勉学の場となってい たが、9 7 年の新 大

人間は科学技術を発達させ、より大きな力を獲得してきました。しかし、現代の科学技術によっても、自然の世界は人間にとって未知なことが