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成長の一般理論: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

成長の一般理論

Author(s)

狩俣, 真彦

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 5(2): 1-24

Issue Date

1965-02-01

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10808

(2)

f

ロヌトウの成長段階説

晴、

一、共産主義の位置づけ

五、結

四、資本主義のアポログl

ロストワ教授の成長段階説は、其のデビューの過 程 か'りして、実にはなやかなものがある。教授が述べている様 にーその理論の概要は、彼のサパテイカル・

J

4

7

1

を制用して、グムプ

p

y

ジの学生を対 象 として最初に展開 さ れ て いる。勿論、彼の理論の壊妊期聞を問うこと侃なれば、限りなくさかのぼる乙とも出来よう。彼自身の ι z p 自によれ 一 九 三

C

年代の中頃、彼がイエ

i

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に在学中の決意にもとづいているというから、実に三

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年の期聞がか h

ば 成 長 め 一 般 理 論

(3)

勘 定 』ζ な

T

沖 》 大 論 ・叢 伝えられるととろによると、 ロストク教授が講義をす弘めていた丁度同じ頃、 ケ ム プ n J ヅジでそ

19

ス・ドツプ が、乙れも同じく経済成長に関する講義をお ζ なっている。両教授が、同じ場所で、同時に、同じ対象にとりくむわ ︽ 2 v けで、異った立場からの接近であるだけに、かなりのチヤ

ν

シヂを覚えたものと思ばれる。 事実ロストクの成長段階説には﹁非共産党宜言と云う副題が銘うつであるが、 ても、ロストク教授の講義は可成りの盛視をきわめ、聴衆が講堂からあふれる乙とが一度ならずあった反面、ドツプ 故なき ζ とではない。何れにし の講義は事情の相異もあるが、常に参加者が数人の域を出ないと云った静かなものだったと云う。それかあらぬか、, ロストク教授の成長段階説は、きわめて楽観的に調子よく展開されており、爾来、多くの反響があり、今日に至って もなお絶えない状態である。 ロストワ教授の理論は見方によって色々の観点から接近し得る。 られている。事実ロストク教授は後進国開発について述べる機会が多いし、﹁経済成長の諸段階﹂の第四章、つまり テイク・-ズックの部分はもともと後進国の理論として展開されて来たものである ζ とは教授自身が述べていると ζ ろ ︽ 3 v で あ る 。 一例をとれば、テイク・・ズツフの理論として考え しかしながら、日本に関する限り、より多くの場合、福祉国家の理論として、解明されてきた様に恩われる。 ζ れ には次のような理由が考えられる。れいの三十八年版の経済白書には﹁先進国への道﹂というサプ・タイトルがふさ れている。戦争でいためつけられた日本経済が、戦後十八年の聞に復興し、しかも可成りの速度で成長を続けた結 果、欧米型の経済九接近してきたというわけである。勿論財務構成における企業基盤の弱さ、社会資本の立ちおく れ、農業、中小企業、流通部門における前近代性、消費生活のアシパラシス、等々の諸問題はのとされているが、経

(4)

︽ 4 V 済の重要な指標では確実に先進国に近づきつつあるのだと白書はうたいあげるのである。 してみると日本経済も、早晩、欧米なみの福祉国家に変っていくであろう。とすれば﹁日本福祉国家の条件﹂が間わ れてよいことになる。丁度其の時、ロストワ教授の成長段階説が手頃な手がかりとして都合よく準備されているとと になる。中央大学の武藤光明教授は福祉国家成立の歴史的前進条件として、ロストク教授にしたがって次の様に説明 す忍。﹁経済が成熟期にはいっているか、少なくともそれに接近していなければならない。

w

-w

・ロストクが、山 伝統的社会、間変化の基盤がおかれつつある過渡的社会、同﹁飛躍﹂の過程にある社会、凶新しい生産方法と心がま えが経済全体にひろがりつつある成熟期の社会、そして同大衆消費時代に達した社会という五つの範鴎によって各国 の経済成長残階を理解しようとした乙とは周知のとおりであるが、 ζ の方法にしたがえば、福祉国家の歴史的可能性 ︽ 5 V が現われるのは成熟期においてである。﹂というわけで日本の福祉国家の条件をロストクに従って検討される。 本稿においては、ロストヲ教授の成長段階説を特定の部分に限ることなく、まとまった全体として検討していきた い。そしてそうした意味でロストクの成長段階説を筆者なりに評価し、或いは批判したいと考えるが、あら筋は ζ う だ。すでに武藤教授の引用のところで述べられている様に、 ロストク教授は近代国家の経済発展の過程を考察するに あたって、伝統的社会、離陸への先行条件期、離陸期、成熟期、高度大衆消費時代という五段階の仮説をたて、討検 する。筆者は、いわゆる近代経済学には、歴史観、たとえばマルクス経済学における様な、といったものがないのそ 不満とするから、その意味でロストヲ教授の五段階説がそうした弱みを補う糸口を与えたのだと高く評価したい@資 る 本 。 主 次 義 に の 若 ア し が ,ーロ 歩 lジ ゆ

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ず が て) #k て 授 ロ i乙 ス よ ト っ

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3

の υ 経 あ 済 げ tζ?と 対 い す 第 る 一 疑 の 問 点 を で

ど あ

うしても解明しなければいけないととになる。何故ならば、 成 長 の 一 般 理 論 ロストク教授の成長段階部にお'けるいわば最高の段階で

(5)

神 太 論 叢 周 ある太衆消費時代は欧米諸国又は日本等において展開されているけれども、より典型的に

7

メ 歩 先 に お い て み ら れ る “ のマある。いわばロス+ワ教授はアメHJカをモデルにして意識的にか、彼の理論を展開しているのである。早挽我々 もアメ n p カ的な生活をレないといけない。それ ζ そ宿命のようなものであるとすれば拘誰しも、問うであろう。ア〆

p

カの経済とは一体、どういう経済かと。残念ながら、ひそかに考えることのみ多く、乙の点に関する筆者の決心は まだまだっきかねる状態にある。従って ζ の部分は後日稿をあらためでよりよく検討するととにして断片的に本稿マ はふれする乙とになる。皆様の御許しをあらかじめお願いする次第である 9 註 (司回目{斗付

W

-w

ロストウ箸経済段階(訳)一一頁註 モ 19 ス ・ ド ツ プ 箸 成 長 と 開 発 の 経 済 学 ( 訳 ) ロ ス ト ウ 著 前 掲 ま え が き 経 済 企 画 庁 編 昭 和 三 八 ・ 年 版 経 済 白 書 総 説 武藤発劇続日本福祉国家の条件-八頁 一 一 五 頁

- 司 直

ロストウの成長段階説

, s知 ら れ て 川 町 る 如 く 、 信 ぷ -f A ツ怯近代にお砂る経済成長

ω

程過を、,おお本そ次@様記考察する。始めあなく'終りもな r

4

永遠に同じ物語タ@Jhhv返しが続炉ていたと患われる伝統的社会に、内生的叉は外生的な衝撃によって変化が始ま

(6)

る。メタテックな社会で宿命観惚吏配されていた入々が‘ぷう予くにしで自然としたがって自己の一環境を合理的に理 解

b

始める。社会や自己の生活が適切花対処

T

る乙とによって、操作改善される'可能性のあるととに気づく。土地所 有にもとづく伝統的社会のエ

p

r

F

にぶって、田舎の別荘、召使、個人的装身具‘寺院等の不生産的浪費にそそぎと まれていた社会的剰余が、とつでかわった新しい

291

ト、ずなはち、近代産業部門にたづきわる企業家によって道 路、鉄道、学校、工場等の生産的用途に流れを変える様になる。社会組織も ζ うした生産的方向に変り始める。いわ ばそうじた過渡的準備期が、離陸への先行条件期であるが、 ζ うした変化、準備を背景に、ロヌトヲの第三段階であ る離陸が始まる。離陸は通常、政治的革命とか技術的な草進といったイシパクトを直接の契機として‘特定の主導産 業部門広集中的に始まる。ところで、乙うした特定部門におとった近代技術は、時の経過と共に次第に細分化され て、全産業分野に浸とうして行く。ロストワの成熟期にあたる。 ζ うして蓄積され高度化された生産力の行きつくと とろは、結局に・おいで高度大衆消費時代でしかあり得ない。早晩、経済の主導部門は耐久消費財産業へと移るだろ う。してみると、人々の生活もすべて耐久消費財のうえに築かれ、いとなまれるに違いない。独立した郊外の住宅‘ 自家用車、テ

ν

ピ、洗濯器等々のいわゆるギヤゼットが‘大衆消費時代を象徴する。 整理して ζ う考えでぶいだろう。﹁つまりロストクは‘近代的資本主義以前の伝統的社会に対して産業革命によ って激変していく経済社会の変革期を離陸とよび、さらに現在アメ

p

攻、西欧等が到達した豊かな社会の状態を大衆 消 費 社 会 と 名 づ け 、 ζ の三つの時期の聞にそれぞれ過渡期をおくととによって、経済発展を五つの時期に分けたので ( 1 ) あ る 。 ﹄ 以下、伝統的社会、離陸期、高度大衆消費時代に限って、検討したいと考える由縁である。 ‘ 伝 統 的 社 会 と は ロ 災 ト ク に よ 札 ば 、 ﹁歴史的にいえば、伝統的社会という言葉によって、われわれほ、中国の諸主 成長

6

4

嶋 崎 理 論 丑

(7)

沖 大 論 議 六 朝、中東および地中海の文明、中世ヨーロッパの世界等、・ニュ

lF

シ以前の世界をすべて一括している ζ と に な る 。 ︽2 v ﹂とされる。つまり伝統的社会とは産業革命前の人類の歴史がすべてふくまれる事になる。 ζ うした伝統的社会の特 徴は﹁終りなき変化の物語りであった。乙れら社会の内部および ζ れら社会の聞における交易の範囲と量とは、たと えば、政治的騒乱の程度、中央支配力の有効性の度合、道路保全の程度等によって変動した。入口は

l

そしてある程 度までは寿命も

l

収種の豊凶のみならず、戦争や悪疫の影響を ζ うむって増減をみせた。さまざまな程度の製造業が 発達した。しかし近代科学、其の応用、其の思考様式等が浸透しえなかったために、その生産性の水準は、農業にお ︽ 3 v けると同様に、限られたものであった。ただしかし、だからといって伝統的社会には金々変化がなかったという ζ と で は な い 。 ﹁それは産出高の増加をかならずしも否定するものではない。耕地面積を拡大する ζ とが出来たし、その 都度の必要に応じて交易、工業、農業等に技術革新を導入するとともできた。そしてそれらの技術革新の中には高度 に生産的なものもしばしばあった。またたとえば濯瓶工事の改良とか、新作物の発見、普及等によって生産性を引き 上げる ζ ともできた。しかし、伝統的社会に関する中心的事実は、 一人当り産出高の到達しうる水準に上限があった ということである。 ζ の上限は、近代科学および技術にその源をもっさまざまな潜在的可能性が、当時にあっては、 未定利用できる形になっていなかったという事実、ないしは未だ規則的かつ組織的に応用されるにはいたらなかった ( 4 ) という盲学実によって生じたものである。﹂ とろした社会は当然に r﹂うした生産性の限界のために、その生産力の大部を農業にそそがざるを得ないから農村社 会としてあらはれる事になる。要するに ζ うした停滞、農業社会、'宿命論といった特徴は科学と技術をとりいれてい な

- M

乙との帰結が表れているに過ぎない。﹁伝統的社会とは、その構造の発展が、ニュ

l

トシ以前の科学と技術とに 基礎をおくとともに、外的世界に対するニュートシ以前的な態度に基礎をおいた、限られた生産函数の枠内にとどま

(8)

っ て い た 社 会 で あ る 。 ζ h で ニ ュ

l

トシと云う言葉を用いたのは、外的世界はいくつかの認識可能な法則に従うもの であり、かつ生産のためにそれを操る ζ とが体系的に可能である、というととを人が広く信ずるにいたったあの歴史 ︽ 5 v 上の分水嶺を象徴するためである。﹂ 離陸期、ロストクは離陸期をコ一十年または三十年以内に集中した、短い発展段階の便宜的な名称であって、 ζ の段階で経済と、経済をその一部としてふくむ社会は、経済成長が多かれ少なかれ自動的になるように変化する。 ζ の期聞はイギ

9

スでは一七八三年から一八

O

二年までの問、ブラシスでは一八三

O

年から一八六

O

年、アメ

p

カ合衆 国では一八四三年から一八六

O

年、ドイツでは一八五

O

年から一八七三年、スヲエ

l

デシでは一八六八年から一八九

O

年、日本では一八七八年から一九

OO

年 、 ロ V アでは一八九

O

年から一九一四年までに大体当るものとみられる。 ア ル ゼ

ν

チシ、トルョ、イシド、中国は現在飛躍期を経ていると考へている。﹂とのべている。又別のととろで﹁離 陸は、生産方法における急激な変化と直接結びついて比較的短期聞に決定的な結果をもたらす産業革命ともよんでい ︽ 6 v る。ロストヲによれば離陸に必要な三つの条件として、投資が国民所得の一

O

M

m

以上をしめるとと、一つ又はそれ以 上の主導製造業部門の存在、政治的、社会的、制度的枠組がととのっている乙と、があげられている。先づ第一の投 資の源泉またはその調達についてのロストクの考えを聞く ζ と に す る 。 ζ うした資本は非生産的な形で支出文は退蔵 する人々の手からより生産的な形で支出する人々の手に所得が移動するととからお ζ る。こうした所得の移転の取る かたちは色々あり得るわけで、例へば日本およびツアーのロ

ν

アでは、大地主の地代請求権が政府公債とひきかえに とりあげられ、それによって近代部門の企業家に所得が再配分される結果になっている。中共における様な没収また は課税による方法もあり得ょう。価格イシフ

ν

により消費から利潤へ資諒を移転させるのも英国、アメ

p

ヵ、日本に 見られた資本形成の方法である。輸出によって賛本設備の輸出や外資の返済がなされたのは知られる処であり、アメ 成 長 の 一 般 理 論 七

(9)

油 開 犬 払 冊 按 1¥.' 時 抗 カ 、 ロ M 予 の 穀 物 、 ス

si

デ v d の 木 材 . パ ル プ 町 日 本 m v 絹がとの役割をつとめている。文外国資本も割合は小さいに ( 7 v しても懐妊期の長い鉄道やその他の場合には有用である。 E 次に離陸期における主導産業部門について。ロストクは、どの産業でも要するに近代科学と技術さえ応用されるな らぽ、離陸の主導部門の役割をはたし得ると考える。﹁歴史的に見れば主導部門は、綿織物から、鉄道を基盤とする 複雑な重工業の複合体と軍隊用最終製品とを経て、さらに木材、パルプ、酪農製品からついには多種多様の消費財に いた忍までの広がりをもっている。明らかに、離陸のための唯一の部門継起というものもないし、また魔術的な鍵と なる唯一の部門もない。成長しつ h ある社会が、たとえば英国、アメ

p

カ合衆国、ないしはロ

ν

アにおける構造の継 ( 8 v 起や型を操り返す必要はないのである。﹂例へば小ギヲスの離陸期の主導部門は木綿織物工業であったし、蒸気鋸の 採用による製材続いてパルプ産業がスエデシでは主導部円であったし、デジマ

l

クでは、食肉及び酪農産業が、日本 では生糸輸出が離陸の重要な役割をはたしたのである。鉄導の敷設はアメ

H

カ w ブラシス、ドイツ、カナダおよびロ 以プにおいで離陸に決定的役割をはたしている。﹁広範隠わたる輸入代替消費財の圏内生産の加速度的発展も主導部 ︽ 8 ︾ 門の役割をはたした。たと九回オ

l

ス ト ラ

9

7

、 ア ル ゼ シ テ

ν

、およびおそらく現代のトル才などがその例である。﹂ 軍 融 市 叫 拡 来 、 近 代 化 さ え も 、 ロ

ν

ァ、日本、ド千ツ等で主導部門としで離陸に貢献したと P ス

F

ヲは考えているよう で あ る . 。 第三に政治的、社会的、制度的枠組について。離陸を達成する為広肱九主導産業部門が必要であ忍とと肱以上の説 明の如

4

であるが、同時にそれが有効に離陸に奉仕する為には、社会がそれをうけ入れる様に準備が出来ていなけれ ぽならない。先行条件期を通してこうした、政治、社会構造、価値観の変更が準備されていなければな会ず、 ζ うし ﹁弗経済的表現を用いれば A 離陸が行なはれるというととは、通常、伝統的誌 た背景で離陸が可能となるのである。

(10)

会にすがりつこうとするひとびとないしは近代化以外の目標を求めようとするひとびとに対して、経済の近代化をは ( 9 ) かる人々が決定的な社会的、政治的、文化的勝利をお峰、口める事である晴﹂ なお、こうした点との関連において企業家精神の源泉主してプロテスタピプイメムがひきあいに出されるのが慣倒 ζ うした指導的精神のとり得る形は社会によって色々 ﹁ ζ うした関連から経済学者がプロテスタシト倫理に対して敬意を払うととが ますます慣例となってきている。歴史家は公式的成長模型のもつ灰色の地平線に投げかけられたとの光に対して忘思 的であってはならない。しかし、理論的に説明されなければならない経済的成長の既知の幾多の例は、プロテスタシ デ千ズムの軌道の彼方九とわれわれを連れていくのである。ナムラィ、拝火教徒、ユダヤ入、北イタ

D

ア人、トルコ

λ

、 ロ

ν

ア入および申国の官僚(ユグノ

l

、スコットラシド人および英国北部出身者はもとよりであるが)も経済成 障 な っ て い る が 、 ロストクはプロテスタジテイズムに限らず、 M ﹄ あ k u 得るのだと一般化して考える。 撞におりて指導的選良の役割を果したのであって、 ζ うしたことまでもジヨシ、ヵルグイジに帰す石 ζ とは‘できな い。より根本的にいえば、宗教的価値観ないしはその他の価値観が積極的に利潤極大化行動に貢献したと言及するだ けでは 1 ζ の重要な現象応対する社会学的根拠としては不充分である。 ζ のような選良の出現のために必要とされる ものは、単に適当な価値体系だけではなくて、それ以上のニつの条件であると考えられる。第一には、新しい選良た ちが、彼らの属し

τ

いる非利欲的な伝統的社会によって、栄誉と権力 A i の慣習的径路から閉め出されている、と自ら 感惨なければならおい。第こには、伝統的社会が、その構成員が物質的進歩(ないしは政治権力

γ

を社会順応に代は (叩﹀ る立身出世の径路として追求することを許すだけ充分に弾力的(ないしは弱体)でなければならない。﹂いづれにせ よ、離陸期のエ n d トトの企業活動の動機は社会的背景によって異なるが、しかし同時に純粋に物質的動機でなかった ととだけほたじかである&ロストグは主張するのである。筆者の感じを述べ石 ζ とを許され忍怒らば包ういいたり。 腐 長 の 一 般 理 論

:

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(11)

沖 大 論 議 十 乙んなに-般化されてしまったんでは、まったくあたりまえの ζ とになってしまい、話しのミヨクミが全くない。プ ロ テ ス タ

ν

トの倫理が論ぜられるのは︺一般的な社会の近代化という非歴史的、非地理的な関速に於てではなく、近代 ︽

u v

欧州の資本主義の形成とのか h はりに於いてである。 最后に高度大衆消費時代について。成熟期を達成した社会に於ては、生産力が高度化している為に社会の関心は供 給より消費へと移る様になる。 ζ うした社会の生産力のゆとりのとり得る形として次の三つの可能性が考えられる。 第一の方向は ζ のゆとりを軍備拡張と、海外浸略にむける ζ とであり、第二の方向は福祉国家の実現に役だてるとと であり、第三は、いわゆる大衆消費時代の実現である。歴史的にいって最初に ζ の段階に到達した国はアメ

p

カ だ か 色、アメ

9

カの例をとりあげて見ょう。フアプ

9

カシトは一八九九年から一九三七年にいたるまでのアメ

p

カの各種 製品の増加率の統計をその大きさの順にならべているが、その統計に従ふと、﹁先づ第一が自動車で一八

O

、 一

OO

M m A 巻煙草、ガ

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p

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、牛乳、ピ

l

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糖 は い づ れ も 一 、

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以上、セメ νLE 、櫨詰果実、鰻詰野菜は一、

000

m v

M m をわずかに下回る程度である。﹂つまり大衆消費時代とは大衆自動車の普及がもたらした帰結として表れる社会生 活様式なのだ。人々は郊外の住宅へ移動し始めたのである。﹁アメ

p

カ合衆国は自動車に乗って走りはじめたのであ る 。 ζ れはまさしく大衆自動車の時代であった。自動車とともに、郊外に新しく建てられた一世帯用の住宅へと大挙 して圏内移動がはじまった。そして ζ れらの新しい住宅はラジオ、電気冷蔵庫等の家庭器具によって次第に充たされ て い っ た 。 ζ れらの家庭器具は、労働移動と生産性向上とが個人少

l

ピメをほとんど払拭してしまった社会において は、必需品となったのである。 ζ れらの住宅の中でアメ

p

カ入は彼らの食糧消費を次第に憧詰

l

あるいは后には冷凍 !の形で買える高級品へと切り替えていった。自動車、一世帯用住宅、道路、家庭用耐久財、高級食品に対する大衆 A U V 市場 l ζ れらすべては一九ニ

0

年代において起 ζ ったアメ

9

カ社会の変形を十分に物語っていいる。

(12)

日本も、戦后アメ

p

カと同じ方向にむかい始めている。 ヨーロッパが耐久消費財およびサービスの局面に突入していった。アメ u y カ合衆国が高度消費時代を一種の論理的帰 第二の福祉国家の方向をえらんだ欧米諸国も、 ﹁ 今 度 は 西 結へと押し進め、そして大家族主義をとる ζ とによってその様相を変えつつあるとき、西ヨーロッパおよび日本は、 成熟期の産業組織が供給し得る財貸や手ノービスを、その口民に対して程度の差 ζ そあれひろく普及させはじめたので ある。そしてギルパ

l

ト研究によれば、戦後においてはアメ

p

カ合衆国と西ヨーロッパとの間および西ヨーロッパ諸 国閣の消費支出の差異は相対所得および相対価格によってほとんど説明しつくせる ζ とが示されている。経済学者が 噌好の相違と呼ぶもので説明されるべき部分はいちじるしく狭まった。成熟期を過ぎたすべての西ヨーロッパ社会お ( M V よび日本はきはめてアメ

p

カ的に振舞っている:::﹂とロストワはいう。 更に第一の方向をとっているツピエツトでさえも結局、アメ n y カ的に歩まぎるを得なくなる日が来るだらう、とい うのは色々の徴 ζ うがすでに

y

ピエツトに見られるのである。 ﹁現在のソピエツト連邦は高度大衆消費の時代に対し てすでに技術的には準備を整えた社会である。それは、労働力の教育と熟練をいう点では、構造的にすでに準備を整 えている。そしてそれはまた心理的にも準備を整え高度大衆消費時代を待ちわびている。そのことはツピエツト文学 ブピエツトの政治、そして住宅と耐久消費財に対する需要が自己主張を始めつつあるソピエヅト経済における諸傾向 等によっても裏づけられよう。しかし現政権はその勢いを堰き止めるために力を尽し、年間所得の揺大な増分を統制

( m v

して軍事目的および投資目的にふり向けている。﹂ 三つの方向は相対立する選択の可能性ではなく、社会的背景によって、

ニ ュ

l

ν

ズの相違があるが、しかも適当 なパヲシスをとりながら結局第三の高度大衆時代に向はざるを得ない、というのがロストクの考えの様である。 ζ の 点、不明確な部分もの ζ るが、彼が五段階説のタイトルとして、大衆消費時代とよんでいる処からしでもそう考へざ 成 長 の 一 般 理 論

(13)

噌 0・を得ないのである。 沖 太 論 議 詮 伊東光晴著大量消費時代一台頁 ロストウ著経済成長の諸段階九頁 ロ ス ト ウ 著 前 掲 八 頁 ロストウ著前掲,七頁 ロ ス ト ウ 著 前 掲 七 頁 日本文化フォーラム編ロストウ理論と日本経済の近代化一四頁ロストウ著輸出掲七八頁 日本文柑フォーラム編前掲一二九頁、其の他の部分についても 高 橋正雄教授より多くのヒントを得た ζ とを告白せ ざ る を 得 な い 。 仕ストドウ箸鵡掲七七頁 ロ ス ト ウ 箸 前 掲 七 九 頁 ロ ス ト ウ 著 前 掲 七

O

頁 この点に関レてはさしあたって、大塚教授の﹁宗教改革と近代社会﹂が参考になると考へる。 だほ篠原三代平教授も﹁経済主体性講座﹂でふれてドる。 4 国 d 点ドウ謝掲一の画質 僧 ロ ス ト ウ 前 掲 一

O

五 頁 @ ロ ス ト ウ 前 掲 一 -七 頁 僻 ロ ス ド ウ 前 掲 一 台 八 頁 倒 的 国 岡 田 ( 斗

H

出 伯 尚 附

(14)

--

共産主義の位置づけ

き て ζ ラレてロ認士タ B 五段階説を整理してみたが、感米

ω

嘩 ・ 突 を 門 川 ス L 町 タ 托 縫 っ て 位 置 づげてお

4

ととする。ま づ離陸は、ある特定主導部門にお凶切る近代技術の導入として開始窓拠るが、との段階に於材る投資率泣園長所得のお よ そ 五 % か ら 一

Q

M

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にあ允勺、イギタス記於てほ十九世紀末のニ

O

年、プタシス肱

4

ギ 叫 J スより五

O

年 お £ ・ 品 先 時 期、アメ夕方は一

A

O年頃本勿、ポイタは一八 一豆

ο

年頃、宿本棋一九世紀末が、そ品川ぞれの離陸期と見なされる。 とうして主導部聞にとりいれら札た技摘が生謹

ρ

各分野にわたって次第に浸透し、離陸期より六O年くらいすると投 資率は国民所得の一

0

M m

からニO%に達し成熱期拡いる。 三 人 当 h v の実質所得がよ号して多数のぷとびとが基礎的拡衣余枠組を越える梢費を自由に符なゑるよラになった ζ { 1 } と ﹂ が み と め ら れ 、 ζ うした基礎のうえ広澗久消費財やサ

i

どス産業を主導部何とする大衆消費時代が展開されるわ けである。グ〆タ点はニ

0

年代の始めから高度大衆消費時代にいり、三O年-代の不況、第二次戦によって一度中断さ れたが、戦後再び、太衆費が展開されてい

Z

。 ヨ

jay

パ や 旬 本 に 於 て も 戦 后 、 ζ うした大衆消費府代が展開さ批て h v るのである。従ってロストク教授の五段階 の仮説がこれ等の国々に関する限りに於てあてはまる。と仁ろで教授悼、資本主義のみならず共産主義的発展も五段 階説によって説明がつくのだと極めて意欲的に主強する。いや共産主義的盈展といラ特別な発展段階があるのではな い。むしろ社会主義革命も実は五段階説の特殊な一例にすぎないといいきった方がよいのかも知れない。表面的には 可 成 り 異 な る 嫌 に 昆 え な が ,

a m

っきつめて検討してみると共産主義的発援も、費本主義的品展と何ら本質泊五変ると と ろ . は な い ρ 成 長 の 一 般 理 論

(15)

沖 大 論 叢 . 以下ロストク教授に従ってツピエツトの発展を適して社会主義的発展をみ忍乙とにしよう。ロ V アの﹁伝統的社会 は ナ ポ

ν

ν

によって衝撃を・与足た。そして伝統的社会の基礎は、一九世紀前半に西ヨーロッパで進行中であったす べ て の ζ とについての知識がひとびとの聞にひろがるにつれ・て、ゆっくりと浸蝕されていった。一八六一年ととも に、すなわち農奴解放とともに、離陸の先行条件をつくり出す過程が次の二つの意味において加速される。-一すなわ ち、技術的な面

l

社会的間接資本と近代工業の基礎の建設!と、ロ V ア人の種々なグループの思想、態度、願望等と いったものとの両面で。かくて一八九

O

年 な い し は 一 そ の あ た り ま で に ロ V ア の 離 陸 が 始 ま る 。 同じ頃に起 ζ ったカナダの離陸と同様に、ロ V アの離陸を授けたものも、一八九

0

年代中頃に起 ζ った穀物価格の 上昇と穀物の輸出需要の上昇であった。というのは ζ れら両国における怠大な鉄道網の敷設を魅力的ならしめたもの が、まさにとれらの上昇に他ならなかったからである。それは、.一八四

0

年代におけるアイルラシドの馬鈴薯飢鑑と 西ヨーロッパの穀物一般に対する需要の圧力とが、一人五

0

年代におけるアメ

p

カ中西部の鉄道化の段階をつくり出 したのとよく似でいる。そしでロ

ν

アを第一次世界大戦の勃発までに離陸に到達せしめたものは、成長梼促す多面的 ︽ 2 v ・な衝撃を伴うどとろの鉄道に他ならなかった。﹂ 比 処 ま で は 欧 州 一 の 発 展 と 何 ら 変 ら な い ζ とは勿論である。つまり共産主義革命はすでに離陸をおえた段階でおとつ 允ととに怒る 1 ﹁次いで共産主義者たちがすでに離陸していた経済をベぞし・て農業民おいて十分輸出余剰を発展せ

b

泌ていた経済を相続した。

ν

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や彼の後継者たちが ζ の組織を彼らの好みに合わせて再組織し、そして過去の産 出高の最高額に・までそれを回復させるためには、ほぽ一

0

年聞を要じた a そしてそれから一連の豆ク年計画が行なわ れた。それらの計画は離陸としてではなく、成熟への前進として理解きれるべきである。それは工業細分化の過程と して、広い戦線にわたる工業化の前進として、理解されなければならない。 四

(16)

ス タ

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は、后進国近代化のための建築家ではなく、近代化完成のための建築家であった。:::一九二九年か ら 、 い わ ば ス タ

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の死までの

y

ピエツト経済成長の概型は、共産主義指導層のもつ目標に根ざすある種の特殊な相 異 を も っ と は い え 、 一九一四年以前の数十年間における西ヨーロッパや合衆国の概型に似ている。との時代がロ

ν

ア における鉄道后の時代であり、鋼鉄、工作機械、化学製品そして電気の時代であった:::: とのようにして、その大体の形と時期の点で、先行条件、離陸、そして技術的成熟への前進のロ

ν

ア的継起におい て 、 一般的な型にあてはまらないようなものは一つもない。ただし他のすべての国々同様に、::・::独自の特徴をも ( 3 v っ て い る 。 ﹂ 更に、現在のロ

ν

アについても他の口々に於ける様な成熟段階の特徴が見られるのである。﹁その指導者たちが、 政治的理由によって、'低生産性の農業という犠性に耐える ζ とを遷び、資本と技術と消費財製品以外の部門に集中 す る ζ とを選んでいるという事実があるにもせる、概していえば、現在のロVアは成熟した経済として判断されるべ ( 4 V き で あ る 。 ﹂ それだけではない。アメ

9

カの発展と比較した場合、時期の違いをのぞいて、ッピエツトの発展はアメ

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カに似て ( 5 ) いる。ナツタ

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のグラブをロストクが引用していると ζ ろである。したがって﹁過去一世紀にわたるロ V アの経済発 展が、工業産出において約三五年、 一人当り工業産出高においては半世紀の遅れを伴つてはいるが、アメ

p

カ合衆国 の経済発展にいちじ忍しく似ているというととである。のみなずツア

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時代の経験と共産主義時代の経験をつなぎ合 はせて考えるならば、ロ

ν

アの場合も、アメ n y カ合衆国と同様に、成長段階分折の広い枠組の中によく適合す忍。﹂ ( 6 ) というととにならう。 おもだった相異点は、アメ

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カの発展の過程におけるよりも

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ピエツ

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における投資率が大きく、しかも﹁重工業面 成 長 の 一 般 理 論 五

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油 火 論 議 六 に徹底的に投資を集中もてい患とと、及。土木利用の技街的可能性が、デメヨ蒲の場合より大きかった乙とであらう。し かしこうした相違は過渡的なものにすぎない。したがって成熟につれてこうした相違は当然にちぢまらぬばならない。 吋ロジアの産出高構成が変化せざる令えないとともたしかである。現在

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増加率がアメ

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ヵょの 高いという ζ とは為事実上ある種の部内に投資が独特忽形で集中されたととの産物なのである。もしも鉄鋼が軍事目 的のために用いられなくなれば、それは何のために用いられるでらうか。高率で成長している巨大な重工業はそれ閏 体が目的ではない。すたそれ自体マ国際的利点となるものでもない。乙の ζ とは次第にツピエヅ干の配分比率に反映 さ れ つ h ある。たとえば品質のより良い食糧供給の増加が圏内の一つの主要目哨として要されている農業、ある程 度は住宅建設へ、またある程度はそれ以外の消費財したとえばテ

ν

ピジヨシーへの配分が増加しつ h ある。ゆっくり と、全くゆっくりとではあるが、洗濯機、電気冷蔵庫、ォ

l

十バイ、自転車、そして自動車さえもがしのびより始め た J そ し て ロ リ v ア最初の衛生都市が目下建設されつ h ある。とれらの圧力が増大するにつれ、そしてソピエヅト経済 の構造が西側の高度消費型経済のそれに近づくにつれて、われわれは成長率もまたより近似してくるととを予期する ︿ 7 ) ζ と が 出 来 る 。 ﹂ ロストク教授自身の表現によれば﹁どの息子も背の高さの点でついには父親に追いつくであらう。年の違う兄弟た ︽ 8 ) a ちの背の高さの違いも年をとるにつれて、だ必光んに小さくるであるる。﹂ーという事になる。 ζ う レ て ツ ピ エ 吋 j b は大衆消費時代に入る準備がと h のっており、そレて来るべき将来に於てヨーロッパ諸国や岡 本心様配、ア

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カ的に振舞なであろうととが予想されるにもか﹄はらず、高度大衆消費時代に入る ζ とそ延期させ 否定し続けるのはどういうととだろうか。﹁つまりロジアがそのよヨな態度をとっているのは共産主義体制が近代社 会の一一つの特異形態であって成長問題の供給面にしか適心ていないからである。それはおそらくは・離陸期惚も適して

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い よ う e ただし農業における共産主義に固有な困難を考えに入れれば.、 eそのことはまだ証明されてはいない。 しかしいったん共産主義の支配が社会をしっかり捉えると

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ス タ

19

シの示したように

l

共産主義が社会を離陸から エ業の成熟へと推進し得ることは確かである。しかしその本質上九共産主義は高度大衆消費の時代においては衰えそ うに思われる。そじて ζ の ζ とがモスクワでよく理解されているとともまたほとんど確実といってよい。﹂と云う切 ︿ 9 ﹀ が教授の解答である。 4 しかしながらいづれは、プツ J ア ジ プ ロ

l

ク家型の動態がソピエツトでもお乙るにちがいない。スタ

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や古いポ ル V エグイキたちにとって代った革命の第二 eの世代が今やすでにソピエヅ干を動かす人々になっでいる。あるいは 間もなくそうなるのである。しかし、彼等の子供達、 つまり革命ロ

ν

アの三世代たちは、工業化された社会を極めて 当然のものとして受け取るにちがいないのである。彼等にとって重工業のより大きい比率やより高い成長率はもはや 魅力のあるものではなくなるだろう。個人の尊厳、私生活に於ける個人の権利、将来の夢でなく現在の生活水準等 ζ そ彼等の関心となるのだ。 ︽

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ν

アに於ても結局、大衆自動車、郊外一世帯住宅、其の他の耐久財やギヤゼツトが普及する様になるのである。 註 (司同国(斗(→ 伊東党晴箸 ロ ス ト ウ 著 ロ ス ト ウ 著 前 掲 一 七 頁 前 掲 八 九 頁 前 掲 九

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頁 ロ ス ト ウ 著 前掲一二七頁 成 長 の ↓ 般 理 論

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(19)

沖 大 論 叢 同 制 例 倒 的 ロ ス ト ウ 著 前 掲 ロ ス ト ウ 箸 前 掲 ロ ス ト ウ 箸 前 掲 ロ ス ト ウ 著 前 掲 ロ ス ト ウ 著 前 掲 八 一 三 七 頁 一 三 九 頁 一 三 八 頁 一 七 九 頁 一 八 二 頁

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ロストク教授は、五段階説が歴史的背景からくるニュ

l

アシズの相違を別にすれば、各国の経 済発展にあてはまるのだと主張しているととが明らかである。資本主義各国は勿論のとと、共産主義の発展も説明す るというのであるから、いってみれぽ、経済発展の普偏的な理論というととになる。・ -d 勿論、筆者は、ロストヲ教授が五段階説を愚閲するに当って極めてハムプルであ忍ととを忘れるものではない。念 のために教授の言葉を引用しよう。﹁私は各国経済の歴史を

l

そして時には諸地域の歴史をも!とのような一組の段 階の形に分類する乙とが可能であり、そしてそれからはある種の限られた目的のために便利でもある、という考えを 徐々にもつようになった。それらの成長段階は、結局において、経済成長に関する一つの理論を構成するとともに、. いまだいちぢるしく部分的なものであるとはいえ近代史全般に関する一つのより一般的な理論をも構成するものであ る。しかし、たとえば、一八世紀后半の英国とフル

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デョフのロ

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ァ、明治の白木と一九一四年以前の鉄道プ

1

ム の カナダ噂ア V キ ナ シ ダ

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、 ハ ミ ル ト シ の ア メ

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カ合衆国と毛沢東の中園、ぜスマルクのドイツとナセルのエググト等、 ζ う し て 見 て く る と 、

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ζ れらのものの重要な側面をその枠の中にあえてとりともうとするいかなるものの見方も、いかなる体系も控え目に ︽ 1 v いって、ある種の限界をもたざるを得ない。 しかしながら他方、五段階説はマルクスの理論にとって代るべきものとして試みられているのも事実である。マル クスの理論も結局、 義もまた、伝統的社会が近代工業技術の秘訣を習得する ζ とによってどのようにしてその構造の中に復利的関係を確 ロストワと同じく、産業社会の出現と、その帰結 ・を対衆にしている。﹁その本質に於てマルクス主 立するにいたったかという乙とに関する理論であり、かつ究極の富裕段階に到達するまでの諸段階に関する理論だか らである。マルクスの見方によれば、 ζ の究極段階はプロレタりアート独裁下の社会主義ではなくては真の共産主義で あった。そこでわれわれの諸段階

l

伝統的社会、先行条件期、離陸、成熟、高度大衆消費!と対応するものとして、 ( 3 v われわれはマルクスの封建主義、プルジョワ資本主義、社会主義、共産主義をあげるととが出来る。﹂ ところが残念なことにマルクスの理論にとり入れられたデ

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は、歴史的な制約上極めて限られたものであり、 ほとんど英国の離陸と成熟段階を基礎に彼の理論はたてられているのである。 ﹁彼はとの道具袋を一つの歴史的事 そして、それを一般 例について、すなわち英国の離陸と成熟への前進について彼が知りえたと ζ ろのものに適用し、 化し結論を導き出したのであった。彼とエシグルスが﹁共産党宣言﹂を書いた一八四八年来までに彼の全体系は完全 につくりあげられていた。すなわち、それは英国以外のいかなる国も離陸を未だ経験するにいたっていないときにつ くりあげられたのである。彼の範鴎を形づくったものは英国の産業革命、すなわち英国の離陸-そしてそれに引きつ づいて起った事態であった。マルクスが一八四八年以降に書いたものの中には何一つ真に重要なものはないのである。 英国の事例への集中が、過渡期および離陸の概念を、われわれがもっている現在の歴史的知識の範囲が許す以上に、 ( 3 } 単純化する ζ とを可能にしたのである。 成 長 の 一 般 理 論 九

(21)

神 大 論 議

従ってロストク教授から見れば社会主義的発展は五段階説の特殊な例外にすぎず、しかも極めて不幸な例外といえ ﹁共産主義は、伝統的社会からの推移に際して先行条件を強固にし、離陸を惹き起し、社会を技術的成熟へと駆 り立てることのできる有効な国家組織の唯一の形態ではない。しかし、もしも

l

今后にまってみなければわからない ζ とであるが

l

もしもそれが離陸期の数十年間における農業産出高の問題を解決できるならば、それは ζ の困難な仕 事を遂行するための一つの方法であるかもしれない。そとで共産主義は、たとえば日本の明治維新やアタチユルクのト ルコと並ぶものであり、先行条件期が十分に実力をもった企業家的商業中産階級を生み出さず、社会の指導者の中に 適当な政治的意見の一致を生み出さなかったような社会において、成長過程を惹き起としかっそれを持続させるだけ の力をもっところの一つの特異に非人間的な政治形態という乙とになる。それは、社会内部において、近代化の仕事 ( 4 ) を遂行しようとする諸要素を有効に組織する乙とに失敗した場合、過渡的社会にふりかかりうる一種の病気である。﹂ 回ストヲ教授は或る時は、 こ う し て 、 ハムプルに自己の理論を選択の一つの可能性にすぎないといっている様でも あるし、文他方ではそれこそ普偏の法別であると考へ、それにもとづいて例えば共産主義的発展を例外だときめつけ ている様な場合もある。方法論的不明確さは高橋正雄教授が、強く不満をのべている処である。 ﹁ロストワの発展理論は﹁あらゆる社会﹂の成長の段階が五つの経済的範曙の一つにいれるととができるととを主 張しているはずであるが、そういう発展段階の継起は、法則的なものではなくて、ただそれぞれ社会が﹁選択自由と 見られている、・矛盾しがちな諸国的のうちで、そのいずれかを選択した﹂結果として、事実土、いわば偶然に現われ ているだけなのであらうか。ロス b ヲが﹁歴史上の固定的、必然的な諸段階ではなく、選択の型くであ忍﹂といった り﹁マルクス体系は、古典経済学と同じく、利潤極大化の概念からみちびきだした一連の論理的帰結である﹂といっ たりしているのを読むと、五つの発展段階というのも、事実上そうなっているのだと主彊しているみたいでもあります。

(22)

しかしロストクは、すでに見たように、彼の理論を成長理論と呼び、それはマルクス主義の発展理論に代はるものだ といいーさらに﹁われわれの段階!伝統的社会、前提条件、過渡的社会、飛躍、成熟、大衆的大量消費の段階ーに対 比するものとしては、マルクスの封建制、近代資本主義、社会主義および共産主義をあげることが出来る﹂とさえい ︽ 6 v っているのだから、客観的過程としての歴史のうちに法則が存在する ζ と を 認 め て い る は ず で あ り 、 ・ : ﹂ その他いろいろの不満が、 ロストワの理論についてのぺ得ると思はれるが、善意に解して、 ロストクの気持はこう 表現していると考える。共産主義発展ではなく、 スムーズな資本主義的発展が一般的な発展の型でもあり、また好ま しい型でもある。何れ共産主義社会も資本主義発展の道を歩んだ諸国家がすでに到達した様な、大衆消費時代へと移 行せざるを得なくなる。共産主義はせいぜい離陸か成熟期に絶え得る制度にすぎず、もともと過渡的な現象である。 こ う し て み る と 、 ロストヲの理論も結局は歴史と還境の産物である ζ とをまねかれず、もともとアメ

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カの大方の 人々が考えていた事を、整理し代弁しているに過ぎないのだといえる。 ﹁ ζ の見解は、ある意味においては、自分の 国の経済社会なり産業社会に対して、かなり強い自身をもっていたアメ日ノカの、おそらく多くの人たちが漠然と考え ︽ 6 ) ておりました ζ とを、ロストクが定形化したものだともいえましょう。﹂ とうした気持の裏には、ケイシズによって救はれた資本主義の変化に対する楽観と自信がある様に考えられるので ﹁近代的民主々義社会においては失業の小さな谷聞に対してすらも政治的過程がきわめて敏感であるというと あ る 。 とをみるならば、雇用水準に関して怠惰で臆病であった一九二

0

年代、三

0

年代の政策は、もはや西欧社会において 到 底 容 認 さ れ え な い . も の で あ る ζ とは、あらゆる点からいって信ずる ζ とが出来る。そして今日ではその方面での

l

ケイシズ革命による

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技術的秘決が広く理解されている。クイシズは資本主義下における失業の辿る道についてマル クスの立てた予測を打ち破るという仕事を自らに課したのである ζ とを忘れてはならない。そして彼は大体において 成 長 の 一 般 理 論

(23)

成 功

た の 神

主 大

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, :.7.要量 L

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句、ロストウ著経済成長の鰭段階 同ロストウ議官前掲一九五頁 同 ロ ス ト ウ 著 前 掲 ニ 一 一 頁 個 ロ ス ト ウ 著 前 掲 ニ 二

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頁 両日本文化フォーラム編ロストウ理論と日本の近代化 的一橋大学一橋学会編転型期の世界経済五七頁 頁 七四頁

ヨ;A 肩問 ロストワ教授の発展段階の仮説は、その気持がどうであれ、実際には一般理論のかたちをとっている。資本主義諸 国にも社会主義国にも後進国にも通用する。あるのは、単なるユユ

l

アシスのちがいだけであり、とれは各国の歴史 背景の相違からして当然である。一最も一般的な発展の型は資本主義的な発展であり、共産主義は特殊化される事にな る。資本主義発展を一般化する。したがって共産主義的発展は特殊化される。そういう一般論の形をとづた資本主義 のアポロジーである。 ロストク教授が誇ってやまない個性の尊厳、自由、西欧民主主義という西欧的価値観や、すぐれた西欧文明を可能 にしているのは、資本主義の到達した大衆消費時代である。大衆消費時代乙そ西欧文明のいしずえなのだ。

(24)

ところでかりに百歩ゆずって、 ロストヲ教授の予言に従って我々の社会も、早晩、高度大衆消費時代に到達するの だとすれば、大衆消費時代の典型であるアメ 9 カ経済のよさとわるさを検討する必要がお ζ っ て く る 。 序 説 で ζ とわったように不完全ながら、さしあたって高度大衆消費時代の欠点のみをとりあげて見る ζ と に す る 。 ・ グ ア

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ス・ペッカードは大衆消費時代の終点とでもよぶべき未来のアメ

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カの都市を、コニュ

1

コピア市と名づけ る。パッカードの描いたニュ l コピア市はおよそ次の様な形をとっている。 建物はすべて紙でつくられる。そして春秋の大掃除のたびごとにとりはらわれ新しく建てなおされる。耐久消費財 は、長もちしない様にすべて設計されている。耐久消費財の生産工場は断崖のふちにあり、過剰生産物が難なく断崖 がらはきすてられ'る様になっている。毎週海軍記念日があり、その日は不要物を満載した軍艦が沖へ出て過制生産物 を海中にしづめる記念すべき日である。毎週月曜日は字宙ログットの打ち上げの目だ。打上げの目的は、海王星の裏 側がどうみえるかを地土に報告するにある。 -スーパマーケットヘ行く時は、生れた時に電子計算器によって準備される一生涯分の商品券をもって出かける。マ ークットいたる処に屑入れがあり、それには、例えば ζ う書いである。﹁古い時計を ζ 乙へお捨て下さい。﹂二十 回時間マ l タットは、あいているので急がしくて教会に行けない人々のため、壁に小さな礼拝堂がくりぬいてあり、 ︽ 1 v そ と で 黙 臓 を さ さ げ る と と に な る ・ 。 何れにじてもアメ

D

カの生産者やマグタ l 達は、過剰生産の恐怖で悪夢にうなされる事が多いという。しかもアメ

9

カ市民の大方はすでに身の回りの品物があまり多くなってきて、それを安楽に使い ζ な す と ・ と さ え 大 変 な と と だ と いう。﹁もしわれわれアメ

9

カ入が、ォ

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ト メ

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ヨシ化した工場、販売促進、それに広告の一斉射撃が押しつけ忍 ものを全部買って消費するととにしたら、われわれは皆、よぷんむ収入だけではな・く、よぷんな耳と目と‘その他の 長 の 一 般 理 論 成

(25)

沖 大 論 議 四 感覚器管を揺たなければならない。実際す

4t

の 要 求 に 応 ず る 唯 一 の 確 実 な 芳 一 法 は 、 ︽ 2 ) 志ったく訴しい人種をつくり出す以外にな同。﹂ ヌ

1

・ ハ

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消費者とでもいった、 , ド ア メ

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カの生産力はその消費能力を越してしまったのかも知れない、というわけでマ

l

ケターはあの手 ζ の手の消 費た考え出すのに寧日なく、生産者は生品の寿命をちぢめるのに余念がない@ だがしかし、よく考えてみると、 は 一 体 ど う い w う ζ とだろうか。そうした社会は屑やむだの上につくられた社会であり、そして、そのような社 会 は 砂 ︽ 3v 上の欄閣である、とドロ

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セイヤ

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ズはいう。福音書のおろかものがつくった街とは そ れとそニュ

l

コピアではな かったのか。しかも一方では﹁何百万の数に上る家族が疑いもなく食物と荻服に不自由している﹂とパッカードば、 ︽ 4 V プ メ 叫 ノ カ の 現 実 を 観 察 し て い る 。 ﹁生産をつづけるために消費を人工的に刺激しなければならないような社 会 ﹂と 一ロストク教授の五段階説を正しいとした方がよいのだろうか。出来るととなら、大 衆 消 費 時代やコニュ

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コ ピ ア の ダ メ

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カ大の様に、アメ

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カ的に振舞いたくないというのが大方の本音ではなかろうか。いや、 ζ ζ まで来ると、社 会科学の領域を脱し、実存のあれか ζ れかにまかした方がよさそうだ。 詮 困 白 ( ゴH 'V V y. V J~ ノ噌 )~ ノ噌 ツ ツ ツ ツ カ カ カ カ I I I I ド ド ド ド 著 著 著 著 浪 費 をつくり出す人々四頁 前掲十一頁 前掲第一説のサブタイトル 前掲十頁

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