Title
旅の動機をめぐる考察
Author(s)
組原, 洋
Citation
沖縄大学地域研究所年報 = The Institute of Regional Study,
The University of Okinawa Annual Report(3): 27-48
Issue Date
1992-03-25
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9871
旅 の 動 機 を め ぐ る 考 察
1 1991年度 の交通権学会大会 は、 7月21日、松 山 大学 (松 山市)で開催 されたが、 その共通論榎 は 「地球環境観塩 と交通権」だ った。 この共通論題 を聞 いて、私が まず考 えたのは、 石垣 の新空港建設問題 である。 さ らに、今調べ て いる小笠原 で も、兄島 に空港が建設 され る計画が 進行中であ り、 それ をめ ぐって議論が白熱 してい る。 どちらで も共通 してい るのは、 自然環境 の保護 とい うことが大 きな問題 として現 われ、それが空 港建設 と正面か ら対立 してい るかのよ うに見 える ことである。 それ を法的な言葉 で言 い換 えると、 環境権 と交通権 との対立、 とい うふ うに、一 見す るととらえ られ ろ。 交通権 とい うものを生存権的側面をも有す る もの として把握す ると、環境権 とい うの も生存権 の一 種 だろ うか ら、生存権 同士の対立 とい うことにな るOだか ら、似 たよ うな権利同士の調整 とい う形 でま とめ られ ることにな る。 ところで交通権 とい う時 の交通 の中 に交通全般 が含 め られていT:のだろ うかO例 えば、私 は沖縄 における軽貨物問題か ら出発 して交通権 とい う概 念 にた ど り着 いたのであるが、その際、環境権 と 交通権 とが対立す ることが あ るな どとは全然考 え もしなか っT=のである。簡単 に言 えば、 「交通 も また環境 の一一種 であ る.望 ま しい交通機関が あ る、 とい うことは望 ましい環境が あ るとい うことの一 円容 である」 と考 えていた。 環境 に とって望 ま しくない交通 とい うものが現 に考 え得 るわけであるか ら、交通権 とい うものが 主張 された時の 「交通Jに も自 ら制約 が設 けてあ っT=はずである。基本的 には公共交通機関 を間電組
原
洋
とし、交通貧困層 を出 さない よ う、移動の 自由が 平等 に保障 され ることが基本的なテーマであった と言 えよ う。例 えばマイカーの普及 は公共交通機 関の存立 を危 うくし、結果 としていわゆ る交通事 故 をは じめ様 々な諸悪 を生 むが故 にマイナスに評 価 され る。 このよ うな制約 の仕方 は、交通機 関の 種類別 によ る もの と考 え られよ う。 その場合 は、 交通 の動横 とい うものは、 さ した る重要性 を与 え られていなか った と思 われ る。 私が本稿 において考 えてみたいのは、 この交通 の動横及 び態様 の評価 であ る. 周知 のよ うに、 「載光」 とい うものが膨 れ上 り、 一大産業 とな ってい る。戦光 のための交通 も生活 のための交通 と同様 に評価 で きる ものなのであろ うか。2
個 人の問題 として考 えてみて、生活のT=めの交 通 と、観光、ない しは遊 びのための交通 とに軽重 が設 け られ るか、 あるいは設 け られ るべ きであろ うか。私個 人に関 しては、両者 の区別 は きわめて 困難 であ る。 それは、動 かない とそ もそ も話 にな らない専門 を選択 してい るとい うこともあ る。 そ れは偶然 とい うよ りは、 当然 の蘇葉 としてそ うな ってい ろ。項序 としては遊 びが先 にあった. そ し て、今 も遊 びで あ り漬 けてい る ものが同時 に仕事 とも評価 で きる もの とな ってい るO客鞍的 には、 生活が まず無 ければ、遊 び として動 くこと もで き ないはずだ とは言 えるか もしれないが、意義 とし ては分離困群 である. そ して、私 の従事 してい る 研究 とい う仕事が世間一般 に見 られ る仕事 とは ち ょっと違 うこともよ く知 ってい る。 だか ら、私 の よ うなあ り方 は一種 の特権 と も考 え られ るであろうことも車知 してい る。 しか し、羨 ま しが られ る 仕事であるとい うことは、逆 に、 もしで きれば同 じよ うにや りたい ととい う人々が少 なか らず い る とい うことを暗示 してい る。 人類学者 の著作 のな かに 「参与的」観察 とはいいなが ら、 あちこち歩 き回 って載察す るのみであ るとい う立場 に後 ろめ たさを感 じろことを告 白的 に述べ る ものが少 なか らず見 られ ろ。 この点 に関 しては、私 はいわゆ る 「調査」の類 をあま りや った ことがな く、む しろ 形の うえでは通常 の旅行者 と何 ら変 わ らない こと の方が多か っT:O あ くまで楽 しみ としての旅がま ずあ り、その範囲内で得 られ る情報 は出来 るだ け 集 めてみ るとい う程度 に過 ぎない ことが多 いO今 後 もそ うであ り続 けるか どうかは分か らないが、 少な くともこれまでの ところはそ うである。 しか し、 この10年余 りは、意識 の上 では ともか く研究の旅 であ り、つ ま り 「観察」 とい う目的 を もって動 いて きたのであ り、 その結果、団体旅行 は極端 に少 ない。逆 に言 えば、EZl体旅行 に関 して は きわめて経廉 が貧 しいのであ る。 海外の場合 だ といわゆ る団体 に加 わ っての旅は ほとん ど一度 だけである。 ほ とん ど、 とい うのは、 個 人旅行中 に、便宜上 ツアーに参加 した ことは何 度かあるか らであ る。 そ うい うもの として思 い出 すのは、 イン ドのエ ローラの遺跡巡 り、モ ンゴル の遊牧民居住地域巡 り等 であ る。 さて、そのほ とん ど唯一 の団体旅行 は
、1
9
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年 12月に沖縄からフィL)ピン-行った時 の もので、ま だ、法人類学 の講義 を設置す る前だ っT:O この時 書いた旅行記がたまたま出て きたので、まず これ をそのままの形 で以下 に掲 げる。私 としては妙 に 強 く記憶 に残 ってい る旅なので●ぁ る。 しか し、都 合 よ く、同行者の名前 をす っか り忘 れて しま うぐ らいの時間は経 ったO今度、他 人の書 いた ものの よ うな感 じで読 み直 してみて、 この旅か ら意識的 な研究旅行が始 まった ことに気付 いた。フ
ィリピン団体旅 行!
己
Ⅰ マニ ラの国際空港 は列車 の終着駅 のよ うだ っT:0 人が ごったが えしてい るとい うだ けではない。感 じが飛行場 らし くないのであ る。普通 、空港 とい うのは、何 とな くお上品 な ものであ り、パ ッパ ッ と歯切れの良 い もので あると思 うのだが、 ここに はそれがなか った。 朝 の3
時 をまわ ってい るとい うのに、随分 人が 多 い。荷物 を持 って、 ホテルの ミニバ スに乗 るま で人垣 をか き分 けるよ うに して進 まねはな らなか った。 まさか こんなにた くさんの人すべてが送迎 のために来 てい るとは患 われない。 お蔭 で、一緒 のおばあ ちゃん とおば ちゃんがは ぐれて しま った。 この2
人は タクシーに乗せ られかか っていた。手 をひ っぼ ってホテルの ミニバスまで連 れて きて、 や っと出発。 ホテルについて室が決 ま ったのが朝4時頃だ っ た。同室 にな っT:男の人 と一緒 に室へ行 き、す ぐ にパ ンツ とシ ャツにな ってベ ッ ドに横 にな る。 じ きに寝 て しま った。眼 を覚 ます と もう、昼前 にな っていた。 同室 の人 と食堂 に行 ってみ ると、 もう朝食の時 間は終 わ って しまっていた。朝食券 で コー ヒーだ け飲 んで、 さっそ く市 内観 光 に出か ける。バ スは きの うの ミニバ スで、 日本語の話せ る女性 のガイ ドつ きであ る。一緒 について きた旅行社 の人は、 寝 そべ るよ うに して イスにすわ って、 日本 のスポ ーツ新聞 を読 んでい る。 もう1人、運転手 のほか に若 い男が乗 ったが、 これは、 こち らの旅行社 の 人のよ うであ る。 バ スはまず、戦没者 の墓地へ行 った。芝生 がや わ らかい。 ここの芝生 は水分が多 いよ うだ。石碑 がい くつ も立 ち並んでいて、そ こに、ABC順に 亡 くな った人の名が刻 んであ る。 ア メ リカ軍 人の 基地 だが、国籍 は フ ィリピンが半分位 である。 そ のた.め、名前 もラテ ン系 の ものが多 い。 礼拝堂が あった。 マ リア様 の絵が描 いてあ るが、 - 25-いつ も見 るマ リア様 とは大分額つ きが違 うよ うだ。 やさ しい感 じがない。我 々が腰掛 けだ と思 ったの は、 お祈 りす る時 にひ じを置 く台 だ った。礼拝堂 の前でガ イ ドさんが、 「あなた達 は仏教徒 ですか」 と尋 ね る。 フ ィリピンに これで 4度 目 とかのKさ んが、 「いや何で もない」 と答え、私が 「野蛮 人だ もんですか らね」 とい う。 ガイ ドさんは、キ ヨ ト ンとして我 々 をみつめ る。笑 ったのは孜 々だ けだ った。 全休に、我 々の方 はふ ざけたのばか りが集 ま っ たよ うだO ッァーの参加者 は十何名かだが、半分 は航空券 を安 く買 うだ けの 目的 の人で、さ らに、 おばあ ちゃん とおば ちゃんは、 こち らの親戚 を訪 問 しに来 た とい う話 で、結局、一緒 に見物 してい るのは男 4名であ る。私 と同室 の Aさん、 Kさん、 Kさん と同室 のHさん、そ して私。 再 びパ スに乗 って、今度 は、中国人墓地-行 く。 この町 の名所 は墓 ばか りなのか ?スラムのよ うな 所 を通 り抜 けると、金 ピカの丘 に出た。墓 の形 は 沖縄 の を大 きくしたよ うなやつで、つま り、家 の 格好 をしてい る。 そ して、太 当に金や ら銀 や らを あ りったけ使 った豪華 な ものであ ろ
。
「福」 と書 いたのが あ る。 これは、 まだ人が入 っていない墓 で、 これか ら死 ぬ人の墓 だそ うであ る。 いつの間 にか墓 を抜 けて- 一度 も降 りなか っ た一一一一一今度 は公園 に出 る。 スペ イン時代 の古 い要 塞だ とかO英雄 ホセ ・リサール もここで殺 された. 日本軍が使用 していた とい う牢屋 が あった。潮が 満 ちて くるとこの牢屋 も水 で一杯 にな り、おぼれ て死 ぬ。 ここ も一種 の墓場 だ。歩 きなが らガイ ド さんが、戦争 の ときは 日本 と不幸 な関係 だ った け れ ど、今は、 とい うよ うな ことをおずおず とい う。 我 々は何 も言 わない。 回廊 に出 ると、サ ルマター つの男が4- 5名 見 えた。 ニ コニ コは しゃいでバ スケ ッ トボールのポ ールのよ うな ものにぶ らさが ってい る。 なん じゃ いな ?回廊 の下 は川 にな っていた。 ドプ
川。 ドブ 川の中 に も男運 が い る。皆、手 に クモ を もってい る。回廊 か ら観光客が小銭 を投 げ ると、 この男達 が タモで これをす くお うとす るのであ ろ。 うま く す くえず に川の中 に落 ちて しま うと、
川 の中 に立 ってい る男が逆立 ちして、足だけを水面上 に出 し て底 をさ らう。 これで見物 はお しまいで、あ とレス トランで昼 食 にな る。油 いための ごはん、粒が小 さ くてサ ラ サ ラしてい るが、 よ くの どに通 る。 ソーメンチ ャ ンプル。 あ と魚 とカニ。特別 に妻華 とも思 えない が、 まず くもない.食事の最初 にガイ ドさんが、 「お飲物 は ?」 とい うので、 ジュースや ビールを それぞれ注文 したのだが、それ とは別 に紅茶 も出 たので、 「注文す る必要なか ったん じゃないか」 とKさんが ブツブツ言 ってい る。食事が済んで便 所 に行 くと、小便垂 に氷の塊 がおいてあった。便 所か ら帰 って、 さて、 これでお しまい とい う時に な って,私 の座 ってい る所へ私 のポー トレー ト写 真が置かれていた。 ああ、食事中にやた らとフラ ッシ ュをたいていたのは これだったのだ。ふ-む、 仲 々よ く取 れてい る、結構 だね、 と思 った とたん に、写真 を持 って きた女性が1
0
ペ ソだ とい う。
3
5
0
円だ、高 い。女 はぜ ひ と言 ってかな り粘 ったが、 阿呆 らしいので買わなか った。K
さん もA
さん も 買 わないo Hさんは買 った. Kさんが、いやな ら ノー と言 ってハ ッキ リ断 わればいい と忠告 して く れた。 さ らに今度 は、 ジュースや ど-ル代 はツア ー代金外 との ことで、 これに も10ペ ソ払 わされ る. これ位 の ものはは じめか らツアーに含 めておいて くれ りゃいいのに と、Aさんが不満 を もらす。 Aさんは、 これでマニ ラは 2回 目だそ うだが、 この前来 た時 は、ポ ー トレー ト写真6
枚 をテーブ ルの上 に置 かれて、 6
千円請求 されたそ うだ。要 らん、 と断 わ ると、 4千円でいい と言 われ、 さ ら に千 円に迄落 ちた とか。Kさんが、 コースに乗せ られてい ると徹底的 にボ ラれ るとロを添 える。例 えば、 ビールや ジュースに して も、町 で飲 めばT: ったの2
ペ ソであ る。 ホテルで飲 めば この レス ト ランよ りもっと高 くな って、1
4
ペ ソにな る。K
さ んの主唱で、 4人で安上 りにや ろ うと衆議一決す る。 そ して,Kさんが旅行社 の人に 「もう放 っておいて下 さい」 とや った ものだか ら、気 まず い雰 囲気 にな った。 ミニバスでホテルに もど り、 ロビーで明 日の予 定 を話 し合 う。 ガイ ドさん も一緒 に加 わ る。 Hさ んは何かの施設 を調査 しに来 た とかで、ガ イ ドさ んに、 目的地 に連 れてい って くれ と頼む。 ガイ ド さんが考 え込む様子 をす る。す るとHさんは 「ち ぇっ、 この人誤解 して るよ」 と古 うちした。 ま じ めな目的のために行 こ-うとい うことらしいのだが、 ガイ ドさんは、Hさん と2人 きりで行 くとい うの で、色 めいたお話 と勘違 い した らしい。 私 は是非、マニ ラの外 に も出てみたか った。東 南 アジアは、首都 と田舎ではま るで違 うとい う話 なので、マニ ラ以外 の フ ィリピン もみたか ったの だ。 といって、ガイ ドつ きなんて無用 であ る。バ スに乗 るだけの ことだ。私が こう言 うと、旅行社 の人が、 とんで もない とい う頃 をす る。一 人で出 た りした ら裸 にな って帰 って くるだろ うとい うの だ。 Aさん もそれに うな ず く。 そんなに恐 い所 な のか ?一方 Kさん も、観光 コ-スは ごめん との こ とで、結局Kさん、Aさん、私の3人でマニ ラか ら出て、半 日のバ ス旅行 をす ることに決 め る。従 って、旅行社の準備 したツアーには乗 る人が いな いので、旅行社の 人が、解散 を宣言 した。 我 々
4
人、K
さん らの室 に集 まって、雑談す る。 話 は まず 女 の こ とで あ る。 Aさ ん が 女 を買 う 様子 を教 えて くれた。飾 り窓 に女が、 2、 3
百 人 もいて、 ここか ら選ぶのだそ うだ。 こんな に多 い と、選ぶのに時間がかか る、 とKさん。一般的 に は こちらの女は、体型的 に乳が大 きい人が多 いそ うであろ。 それ と、朝 まで ちゃん と添寝 して くれ るそ うだ.値段 は一晩で1万5千 円だそ うだが、 その うち女にい くのはせいぜい千 円だそ うで、残 りは斡旋業者が取 る。阿呆 らしい。 こうい った話が一通 り済んで、Hさんが、ス ラ ムの中の中国人墓地 をみた時、及 びカネ投 げの現 場 を見た時の驚 きを語 る. この人は、外国 に出 る のが初めてなのだ。私な ど、 どちらも、 どうとい う感 じを もたなか った- これが当た り前の外国 だ とい うふ うに受 け とったのだが、初 めてだ とや は りびっ くりす る もの らしい。 4人で タクシーに乗 って出か ける. ア ンバサダ ーホテル前で降 りて、 ブ ラプ ラ歩 いてい く。 日本 語名のバ ーが多 い。 こんなにた くさんかたまって い るとは意外 だ った。 スナ ック屋 で ビールを飲む. 抜 けていてまずい。私 は半分 も飲 まず にや めた。 又、 プ ラプ ラ歩 き始 め る。人の 目は きついよ うで あ る。好意的な 目は少 ない。小指 をたてて、冷 か す。 それ もバ カに したよ うな感 じだ。 Kさんが我 々 を日本名 の クラブへ招 じ入れた。 沖縄 の人がや ってい るんだそ うであ る。 そ こで暗 くな るまで飲んでいたが、私 は もう全 く飲 まず に、 つまみをポ リポ リや っていた。私 は、 日本 人に会 いに来 たのではない。 フ ィリピン人に会 いに来 た のだ。 それがなんで 日本 人のバ ーに入 ってな きゃ な らんのだ。 そ う思 って不快 にな る。 ハシゴす る 段 にな って、私 は、
1人で飯 を食 って帰 る、 と3
人に言 った。 そ う言 って帰 ろ うとす ると、 Kさん が私 を とめて、又4人一緒 にタクシーに乗 るO ち ぇっ、やは り個 人で くるんだ った と後悔 す る。 と ころが、つ き合わされ ると思 ったのは間違 いで、 タクシーはホテルにまっす ぐ行 った. そ して私 を 降 ろす と、 3
人は又、飲 みに出か けてい った。私 はマニ ラは初 めてなので、 あぶない と思 ってわ ざ わ ざ送 って くれた とい うわけだ。有難迷惑 な話 だ。 お蔭 で飯 も食 えない。 このホテルは市 の中心 か ら かな りはずれてお り、食べ よ うと思 うと もう一度 出か けるしかない。か とい って、 ホテルのバ カ高 い食事 を食べ る気 なんて、てんか らない。仕方 な いので、晩飯 はぬ くことに した。飛行機 で出た ピ ーナツが あ ったの を思 い出 し、 これ をポ リポ リ食 べ なが ら、備 え付 けの ミネラル ウ ォーター (水道 の水 は危 いので飲 まない) を飲んだが とて も足 り ない。高級 ホテルに泊 って腹 をすかせてい る自分 がおか し くな った。 このホテルは本 当に上等 である。初 めて この室 に入 った時 Aさん も私 も思 わず うな って しま った。 室 内テ レビが あって、硬貨 を入れないで もつ くよ一
三
氾
-うにな ってい るので、 もうけ ものだ と思 って スイ ッチを入れた
。 6
つの放送 をや ってい る。 うち2
つがア メ リカの もの と聞いた.沖鞄 の米軍放送 の よ うな もの らしい。 チ ャンネル を回 して比較 して いるうちに、4
チ ャンネルが 日本 のNHK
のよ う な ものだ と判断 で きた。 とい って も、 この4
チ ャ ンネル も、 ちゃん とコマーシ ャルが入 る。 コマー シ ャルは電気製品 の、かな り安物 のが多 い。 もち ろん、 日本企業 の コマーシ ャル も随分多 い。 大統領 の演説 はお もしろか った。 とい うのは、 この国は公用語が二つ あ るので、 まず、 タガ ログ 語で2- 30秒話した後、それと同円容 の話 を今度 は 英語 で繰 り返 す。 タガ ログ語、英語 の頓 で繰 り返 すのであ る。 ニ ュース とな ると、大統領 と夫 人の 独壇場 とな る。他 にはニ ュースは何 もあ りません とい った感 じであ るo国内ニ ュースは大統領 のス ケ ジュールを要約 したよ うな ものだ。独裁 とい う のがや っとのみ込 めは じめた。 テ レビ も見疲 れたので、寝 よ うとして困 っT:。 Aさんが帰 って来 た時 に開 けてあげない といけな いのだが、私 は耳が遠 いのであ る。補聴器 をつ け ていない とロクに聞 こえない。仕方 ないので寝 こ ろんで本 を読んでいたが、Aさんは帰 って こない。 疲れて眠い。夫 を待 ちわ びる妻 の心境 だ。 その う ち、補聴器 をつ けたまま眠 って しま った。 n 'Aさんが帰 って来たのは朝 6時半 だった。女 を 貿 っT:のではな くて、酔 いつぶれて、都心 の安宿 に泊 って きたのだそ うだ。 Aさんが洗面 を済 ます のを待 って,朝食 に行 く. 1食抜 いたお蔭 で とて もおい しい。 ヴ ァイキ ング式 のセルフサ ービスだ が、 どの料理 もよい材料 を使 って ある。油 を使 っ た ものが多 いが、夕食抜 きには もって来 いだ. ロビーでブ ラプ ラしてい ると、昨 日のガイ ドさ んがや って きた。 その他 に もう 1人少女 を連れて きてい る。 この娘 も日本語 を、 ガイ ドさん よ りは た どた どし くだが話 した。昨 日の話 だ と、Kさん、 Aさん と私 の3人は 自由行動 でや るとい うことだ ったので、なぜなのかよ くわか らないが、 ともか く我 々は この娘 と一括 に出発 した。 タクシーでバスター ミナルに向か う。バス会社 はヴ ィク トリー ・ライナー。 9時前にバスは出発 した。 マニ ラ市 内 を突 き抜 けてゆ く。行先 は、 オ ロンガポ とい う街 なのだそ うだ。私は地図 を持 っ ていないので、その街が どこにあろのか知 らない。 私 としては、 とにか くマニ ラか ら出さえすれば良 いのだか ら、 どこで もかまわない。バスはやがて 人込 み を抜 けて、田畑 の間 を走 ってゆ く。乾期の せいか、何 も植 えてない部分が多い。堆牛が、草 をはんでい る。家 も、高床式の ものが多 くなる。 私 は、 これまでかな り外国の田舎は見て きたつ もりだが、 フ ィリピンの田舎は十分落 ちついてい るよ うに思 われ る。 よ く人々の実額 をみかける。 殺気 だ ったマニ ラとは大分違 う。特 に疲弊 してい ろとい う印象 は受 けない。 これで、 どうして、裸 にな って帰 るな どと旅行社 の人が言 うのかわか ら ない。要す るに、少 人数 で田舎 を旅 した ことがな いので、マニ ラや、 マニ ラ近郊 だけの印象か らフ ィリピンは危 い と決 めつ けてい るのではなかろ う か。 これな らガイ ドな しで ももちろんだが、 1人 で旅行 して もさ した る危険 はなさそ うである。危 険 とい うものは大鑑、旅行者慣 れ LT:土地 にある ものだ。 そ して、 その危険 も、 こちらでその話 に 乗 る気が全然 ないのであれば、まず大乱 ま大丈夫 なのであ る。旅行者然 とした服装 をさけ、で きる だけ現 地の人に混 じ り込む よ うにすればよい。 目 立 つ ところに危険 も生 じる。 景色については と り立 てて言 うほ どの こともな さそ うだ。 目立つのは、町 ごとに大 きな市場があ ることである。南米 もそ うだった。南米 では、市 場 を中心 に して町がで きてい ろ所が多い。市場近 くに宿 を とると、宿代 も、食事代 もバ カ安 にな る。 フ ィリピン も同様 のよ うである。窓 か ら入 るひざ Lは、1
2
月だか ら冬 であるが、暑い とい うよ り痛 い。汗 はさ して出ないO 正午過 ぎて、 オロンガポに到着 しT:。食事の場 所 を求 めてプ ラブ ラ歩 く。私 な ら入 りそ うな店 にも、Kさんは入 ろ うとしない。 この人 も、Aさん もピカビカの草枕 をは き、 きちん と折 れ目のつい たズボ ンをはいてい る。食事 もそれに相応 の もの をとい うわけだろ う。や っと、 ちゃん とした店が みつか ったO私 は メニ ューを選ぶのが面倒 にな っ て、Kさんに選んで もらった。 トリの ビフテキ、 とい うのはケ ンタッキーチキ ンみたいな ものだ っ た
。 2
人で3
9
ペ ソ、安 い。K
さん と私 の勘定 は、 あらかじめK
さんが計算してす ぐに終 った。 娘 の分 は Aさんが もって、 2人分計井 したが、 これがなか なか一致 しないよ うで、ボーイとかな り長 いや り とりをしていた。なに、
1ペ ソか、 2
ペ ソの違 い らしいのだが、 とにか くガ ッチ リした一行 なので あろ。 ゆっ くり食事 を済 ませてか ら、又プ ラプ ラと、 市場 を歩 きなが らバ スター ミナルに戻 ろ. どうや ら乗 り継 ぐらしい。今度 はエアコンつ きの特急バ スである。最初バ スを降 りた時、Aさんは しき り に尻が痛か った と言 っていた。私 もかな り痛 か っ た。2
等バスだ ったのであ る。特急バスの客 は、 やは り少 々気 どってい る。バスは2
時 に走 り出 し た. と、間 もな く停車。運転手が、 コーラやサ ン ドイッチを売 りは じめたのだ。車掌 はついていな いのである。運転手が物売 りをしてい るとい うの で、私 と、私 の前の座席 のK
さん と2
人で バ カ笑 い した。他 には誰 も笑わなか った。 私の感 じでは、行 きしな と同 じ道 を逆戻 りに走 っているよ うだ。 どこかで別 のルー トに出 るのだ ろ う。同 じ景色なので、時 々眼 をつぶ って眠 る。 看板 を見ていて当てはめが多 いのに気づ き出 した。 BAR-B-Q (バーベ キ ュー) とか、KARLIFE (
CARLIFE)
のた ぐいだ。 その う ち、 クーラーが きき過 ぎて寒 くな った. あた りを み ると、他 の人々 も寒いのか、 もぞ もぞ してい る。 Kさん も、 しき りに、冷気 の出 る穴 をい じってい たが、決然 と運転手 の方へ行 って、 クーラーを止 めて くれ るよ う要求 した。堂 々た ろ ものだ。沖縄 で、バスのクーラーが ききす ぎて寒 いのに、沖縄 の人はがまん してい る、 ところが、本土か らや っ て きた人は、寒 ければ寒 い とハ ッキ リ言 う、 とい う話 を聞いた ことが あ る。 Kさんのや り方 もそれ に近 い。 クーラーが とまって、皆、 ホ ッとしたよ うだ った。4
時頃だ ろ うか、終点 についた。私 の感 じでは 行 きの道 か らそれなか った。 とい うことは、途 中 まで引 き返 しT:とい うことにな る。 この町 を見物 す るのかな と患 ってい ると、Kさんは タクシーを ひろった。娘 は前 に、我 々3人は後 ろに乗 る。K さん も、Aさん もデブ とい うよ り大柄 で、 そのた め、窮屈 である。私 は2
人にはさまれて、真ん中 にな る。 フ ィリピンの タクシーはほ とん ど日本 か ら輸入 した中古車 のよ うで、 メーターの単位 の と ころに も 「円」 と書 いて ある。私 は この メー ター を見ていたが一 向に動 かない。 あれ っ、これは交 渉値段 でや るのかな と患 ってい るうちに、 タクシ ーの運転手 も気 づいてやた らに メーターをガチ ャ ガチ ャ回 し始 めた。 おい、 どうしたんだ とKさん が運転手 に言 ってい るうちに、 メーターは, カチ ャッと動 き出 した.私 は大笑 い した。 タクシーの 運転手 も又、おか し くてたま らない とい うふ うに 笑 うO呑気 な もんだ、 K さ ん が 、 この メ ーター 通 りに払 うぞ と念 を押す。運転手 もそれでいい と い う額 をしてい る。娘 は笑 わない。旅行中 もず っ とお じけづいた頃 をしていたO この娘 はまだ高校 生なんだそ うだ。 カネをためて、 日本 に勉強 しに 行 きたい とい ってい る。 ところが フ ィリピンでは なかなか仕事がない らしいO オ ロンガポで も、市 場 に求 人広告が あったのを じっとみていた。私の 職業 を聞 くので、大学 の先生 だ と言 った ら、本 当 にびっ くりした顔 をしていた。 こち らじゃ大学 の 先生 とい うのはよっは ど偉 い人の部類 に入 るのか、 それ と も大学 の先生 らしか らぬ きたない服 に、信 じられなか ったのか。 まあ、 どっちで もよい。昨 日、 ミニバ スで町 を初 めて回 った時、大学 が幾つ かあったが、医学部が多 いよ うだ った。 ガイ ドさ ん によ ると、 これ らの大学 に行 くのは、中国人の 子弟が多 いそ うだ。つ ま り中国人は金持 ちなので ある。 Aさんの話 では、 これ らの大学 の卒業生 は-3
2-ほ とん どア メ リカに行 って しま う。従 って フ ィリ ピンの医者 は増 えない、 こうい うことらしい。 タクシーは見おぼえのあ る場所 に出たO リサ ール 、 公園だ。 なんだ、マニ ラに戻 っていたのか。 タク シー代
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ペ ソでホテルに着 いた。 メーターな しで 走 った部分がかな りにな るので、1ペ ソチ ップ と して出 し、1人10ペ ソ とい うことにな る。Hさん とガイドさんはもう帰ってきていて、ホテルの ロビー で旅行社の人と話 していた。まず、Kさん、 Aさん と 3人で、別 の場所へ行 き、お カネの精算 をす る。 それか ら、娘 のガイ ド料 を 1人3
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ペ ソずつ出 して、 90ペ ソにす ることに決 め る。90ペ ソ とい うと、 3 千円ほ どであ る。娘 を呼ん で、 これで十分か と聞 くと、娘 は こんなに もらえるとは思 って もいなか ったよ うで 「こんなに もらっていいんですか」 と い う。なんか大旦那 にな ったよ うな気分であ る。 その後Hさん達 の方へ行 って話す。 Hさんの方 は 収連 がなか った らしい。 アテがはずれた と言 って いる。 ただ、 それまで、初 めての旅行 とい うので 元気 がなか ったのに、 この 日、帰 ってみた ら、 H さんはバ カ陽気 にな っていた。 ホテルのあのバ カ 高い ビ-ルや ジュ-ス を、ガイ ドさんや旅行社 の 人に もふ るま ってい る.A
さん、K
さん、私 も、 何 も注文 しないわけにいかな くて、 ジュースを一 杯ずつ注文 したが、す ぐにや って きた勘定 を前 に して、 こんな ところではゆ っ くりで きない とい う ことにな り、 3人だ けで外 に出か ける。 ホテルの前 に とま ってい るタクシーはポル とい うので、 それ を振 り切 って歩 き出 した ら、 日本語 が しゃべれ る運転手が い るとい うので、引 き返 し て、それ に乗 る。確 か に片言 の 日本語 を話す。聞 いてい ると、女 を安 く員 える場所 とか値段 につい て、ベ ラベ ラしゃべ り出す。私 は不愉快 にな った。 他の2
人 も同様 らしい。黙 ったまま、 ア ンバサダ ーホテル前 までゆ くO 中華料理店 に入 った。 もう何 も言 わないで もK さんが私 の分 まで注文 して くれ る。中華料理 の場 合は、料理 の種類 が倍 にな るわ けだか ら、 それは 合理的 で もある。AさんはAさんで勝手 に注文す る。 この人はあ くまで独 自の風格が あ る。 といっ て も、 どうみて も人柄がいい とは思 えないO もう 中年 である。料理 は、玉子 や きがバ カに しょっぱ い。
「これは きっと砂糖 と塩 を間違 えたんだ」 と Kさん。 日本人憎 しとばか りに、わ ざと塩 をぶ ち 込 んだのだ ろ うか ?あた りを見回す と、確 かに 日 本人 らしい客が い る。 けれ ども又、 フ ィリピン人 らしい客 もい るのであ る。別 に外人専用 とい うわ けではない。 それに して も見苦 しいのは、 この店 の中Eg人のおかみさんの人使 いの仕方だ。 フ ィリ ピン人のボーイ達 を声 をは りあげ額 をゆがめなが ら使 ってい る。客 の前で使用 人 を叱 るのは主人の 恥 だ とい うのがわか らないのかな。 食事 の前、Aさん とKさんが これか ら飲む様子 なので、私 は 1人で帰 るか らとあ らか じめ断わっ ておいた。 ところがKさんが、心配だか らといっ てホテルまで送 ろ うとす る。私 は、K
さんが余 り に しつ こいので腹 を立てて しまった。大声で「1
人で帰 るか らもういいんだよ、おせ っかいな」 と 言 ってや ると、Kさんはポカンとした表情 で私 を 放免 して くれた。繁華街 を1人で歩 き、はずれま で来 た ところで タクシーをひろって帰 った。 この 夜 もAさんは朝帰 りだった。女 を買 ったそ うだ。 私 は、 テ レビで、特 にニ ュース らしい番組 を拾 っ てみた後寝 た。 Ⅲ 次 の 日、私 は最初か ら 1人で行動す るつ もりだ った。私 の考 えでは、同行 の人達 は 1人歩 きは危 い危 い とい うが、そ うではないのだ と思 う。確か に、 いかに も旅行者風の格好 で歩 けば目につ くだ ろ うか、私 のよ うに普段着 で歩 くな ら、む しろ隊 を組 まない方が よい。隊 を粗むか ら現地の人 もか ま えるのだ と思 う。 よほ どへ ンな ことをしない限 り、危険 はない と信 じていた。 そ こで、朝食後、 ロビーに集 ま った人達 に、 1 人で行 くか らとい って、真 っ先 にホテルを出た。 港 の方へ、海岸沿 いに歩 いてゆ く、岸壁 で時々休 みなが ら、や っぱ り 1人にな って良か ったな と思う。 ちょうどカ ップルが写真 をとろ うとしてい る ところへぶつか った。男が写実 をとって くれない か、 とい う仕草 をす る。青んで応 じる。男が、私 に日本人か と聞 いて、それな ら友達 にな ろ うと言 って きたO男は、 ミンダナオか らク リマス休職 で マニ ラに遊びに来 た とい う。女 は、恋 人か と聞 く とそ うではな くて、親戚 だ とか。顔 は全然似 てい ないよ うだ。男の方 は苦 いが、女の方 はかな りふ けてい る。私 に、ホテル とホテル代 を尋 ね る。私 は個 人で旅行 してい るんだ とい うことに しておい た。 なぜ高いホテルに泊 ってい るんだ と聞 くので、 マニ ラは危 いので これは安全料 だ、パ スポー トも ホテルに預 けてあ るとい った。す ると男は、 マニ ラは危 くなんか あ りませんよ とい う。 おおむね英 語でや りと りしたが、時 々男 は 日本語 をまぜ る。 どこで習 ったのか聞いたが、は っ き りした答 えは な くて、男は笑 って ごまか した。 女 に私 と男の写真 を とって もらった後 、男が、 「友達 にな ったんだか ら一括 に食事 をしませんか
」
と言 った。応 じる。 しか しそれに して も早 いな、 まだ11時前 じゃないか。男 は フ ィ リピ ン料 理 を ごちそ うしま しょう、 とい うO タクシー とジープ ニー、 どちらが良 いか と聞 くので、 これはチ ャン ス とばか り、 「ジープニー」 と答 えた.1人で乗 るのは危険だ と言 うのでまだ乗 ってなか った。私 は、外国で も、 タクシーを使 うのは きわめてまれ で、ほ とん どバスを利用す る。 マニ ラに も、1人 で来ていれば当然、バスか ジープニーを利用 した だろ うし、利用で きるだけの情報 も集 めただろ う。 それにはまず、地図が い る。町全休 の構造 と方向 感覚 をある程度心得ておかないとダメだ。団休旅行 とい うので、その種 の準備 を全 くしなか った。 何台か ジープニーを待 ったが, ちょうどいい行 先 のがない らしい。 タクシーにす る。男が前 にす わ り、私 と女が後 にすわ る。 ちょっとへ ンなす わ り方 だ と患 う。 タクシーは リサール公園 をぬけ、 市場 を過 ぎて、左 に折 れた。後、小 さい通 りを少 しい って止 ま る。10ペ ソ50セ ンタポ。 2人が ぐず ぐず してい るので、私が10ペ ソ札 を出 した。 それ に女が50セ ンタボ硬貨 をさ っと添 える。 入 ってい った家 はふつ うの民家 の よ うだ。入 る と、ガチ ャンと戸 をしめ、鍵 をか けた。壁 に女の 写真 が3
枚張 ってあ り、土間 に机が2
つ置いて あ る。化、か に も、喫茶店 ふ うだ。普通 の うちじゃな い と直感す る。 男が、女 の写真一一セ ミ ・ヌー ドー をさ して笑 うのだが、私 の休 は こわば って しま っ た。や られた らしいな、 こ りゃ監禁 されたのだ と 患 うO男 に鍵 をしめT:のはなぜ だ とい うと、男は けげんな顔 をす る。女がす ぐに鍵 をはず した。 じ ゃ、だまされたの じゃないのかな ?少 し考 えて、 もう少 しい ってみ ることに決 め、 「信 じるよ」 と い う。奥 の階段 か ら2
階 にのぼ る。昇 り口に、小 さな子供 の靴 が あったので、やや安心 した。 2階 の室 には ソフ ァが置かれていて、我 々はそ こに座 った。 ちょっとして、別 の女がや って くる。 目が 大 きくて、親切 そ うだ。 この人は、男のオバサ ン なんだそ うで、男 は ここに泊 めて もらってい るん だ とい う。私 はアル コールは きらいだ とい って、 フ ァンタを もらう。 オバサ ンが、 ちょっ と姿 を消 した後、 ソー メンチ ャンプル風 の料理 を2
皿 もっ てあが って きた。ケチ ャップで味つ け してあ る。 今 日は夜 、デ ィス コに行 くんだそ うだ。 そ して 一緒 に夜 を過 ごさないか、 ホテ ルは解約 して、 こ こに泊 ろ う、そ うすれば、明 日の朝、空港 に見送 りに行 くか ら、 とい う。
「それは難 しいね。 だ っ て、今晩 のホテル代 は もう払 った し、夜 は友達が 待 ってい るんでね」
「け ど、デ ィス コに行 くの も 今夜なんです よ」
「それは困 る」男 は、私の職業 を聞 いT:り、 E]本 に行 こうとしてい るんだが、 カ ネがかか るん だ とい うよ うな ことをしゃべ る。 い くらい るんだ と聞 いてみ ると、 1
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ドルだそ うだ。 それに しては、上等 のステ レオが置 いてあ るじゃ ないか。 ふ ーん、 これはオバサ ンの ものか。 オ′ヾ サ ンは看護婦 なんだそ うだ。 いつ も夜勤 だそ うで、 じゃ、今寝 てな くていいのか と聞 くと、 「
5時間 で十分 よ」 ときた。 話 の途中で、女 とオバサ ンが、つづ きの隣室 に 姿 を消す。 5
分間位 だろ うか。 その後、今度 は、 - 34-男が オバサ ンと隣の室 に姿 を消す。 その間に私 は、 女にせが まれ るよ うに して、買物 のために もって きた手 さげ袋 を彼女 にや る。私が講義のための本 や六法 を入 れ るのに使 ってい る ものだ。模様 が仲 々ステキであ る。私 は、気 に入 った もの を人にや って しま う癖 が ある。 男 とオバサ ンが戻 って くると、男は私 に、君 も 休 を清 めて くれないか、 とい う。言 うところでは、 今、 ク リスマスなので、体 を清 めない と神様 がお 怒 りにな る。友達 にな った以上 は君 も体 を清 めて くれ、 とい うのであ る。 そ うい う風習のあ るのは 私は知 っていた。 エ ヴ 7ンス ・プ リチ ャー ドの編 集 した他界 の民族 の写真集 で、 フ ィリピンの カ ト リック教徒 は、罪 をあがな う意味 で体 に傷 をつ け るとい うのだ った と思 う。 どうす るのだ と聞 くと、 アルコールか何 かで体 をふ くだ け らしい。 それな らと、 ちょっとため らってか ら隣室 にオバサ ンと い く。ベ ッ ド- とい って も病院の診察台 のよ う な簡易 な ものだが、 これにす わ って ちょうだい と い う。 そ して、上半身裸 にな って くれ とい うのだ。 Aさんが、 「1人で歩 くと、す っ裸 にされ ちゃ う
」
と言 っていたの を この瞬間思 い出す。裸 になんて とて もなれない。恥 か しいか らいやだ と言 って、 オバサ ンと何度か押 し問答 したあげ く、 もとの ソ フ ァに戻 る。男が、 たのむか ら是非 とも体 を清 め て くれ、それが終 わ った ら皆 で市場 にでか け るか らとい う。私 は裸 にな るなんて絶対 にいやだ った。 パスポー トもカネのほ とん どもホテルで旅行社 の 人に預 けて あ るので、別 に取 られて困 るとい うは どの ものはない。 いや、補聴器 が あ る。 これ をは ずす と、ほ とん ど何 も聞 こえな くな って しま う。 男が何度 も頼むので、私 は、 「君 は、私 に強制す るのか」
「いいや、 とんで もない」
「じゃ、私が や りた くない とい ってい るのがわか るだろ う ?」
「しか し、僕達 は友達 にな ったんだか ら」
「友達 にな った ってい って も、私 はカ トリック教徒 じゃ ない。仏教徒 だよ」
「これは、 フ ィリピン人の習 慣 なんだよ」
「私 は フ ィリピン人 じゃないよ」
「で も、友達 にな ったんだか ら」
「だか ら、 フ ィリピ ン人は フ ィリピン人の習慣 に従 ってやればいいの だ し、私 は私 な りにす る。 どうして もと言 うんな ら、私 は外 に出 る」 3人は私 を止 めなか った。出 しなにオバサ ンに 「す みません」 と言 って握手 をしてか ら階段 を降 りた。下のテーブルで、入 った時にはいなか った 何 人かの男達がチ ェスのよ うな遊 びをしていた。 戸 は開いていた。私 は男 も一緒 について くるのだ ろ うと患 っていたので、外 に出て10メー トル位歩 いてか ら振 り返 ってみた。す ると男の姿は見えな くて、 オバサ ンが どこかの少年 に、私 を送 ってい くよ うに とい うよ うな仕草 をしていた。私は手 を ふ って、 1人で行 くか らいい と合図 した。無事で 帰 れ るのか と、 タクシーを拾 うまで不安だったが、 何 もお こ らなか った。 タクシーの運転手 に中央郵便局へや って くれ と 頼 んだ。 ところが、 ほんの ちょっと走 っただけで 市場 に出たので降 りる。市場 を見なが ら歩 く、品 物 の量が多 い。着物 な ら着物、届 き物 な ら履 き物 でかたま るよ うに して店 を出 してい る。色 と りど りだ とい えば言 えるが、特別 に驚 くには多 くの市 場 を見過 ぎてい る。 その うち、古本屋 に出た。私 は、 まさに本屋 に行 きたか ったのだ。 フ ィリピン に関す る民俗資料が ほ しか った。 ところが、 そ う い う種類 の本 はなか った。法律 の本 は意外にある. 経済書 もあるし、数学、理科 、医学 の本 もある。 ないのは政治 の本 と、社会 の実態 を知 らせて くれ るルポの類。法律 の本 だけで も買お うか と患 った が、やめた。余 り意味がない、たてまえだけ知 っ て見て も。隣 も古本屋 だ った。 さ らに幾軒か続 い て古本屋 だ った。 どの店 で もほ とん ど同 じもの し か売 ってない。古本屋 はいずれ も印刷屋 を兼ねてい
た。 十字路 に出 る。
「ナシ ョナルブ ックス トア」 と い う看板が 目に入 るO昨夜、電話帳で住所 を控 え た店 だ った。 ものす ごい人にま ざれなが らこの店 に行 ってみ る.本類 は、古本屋 で見た ものの他 に 洋書 しかない。地図 と絵ハガキを買 った。大部分 の本 は、一 々書店員 にい って棚 か ら降 ろして もらうよ うにな ってい るので、面倒 にな って本 さが L は途中でやめた。 さ らに歩 いてい るうちにチ ャイナ タウンらしい 境所 に出た。汚 ない.人 も多 くないOここでボ ン 引 きを追 い払 ってい るうちに教会 に出たので、一 休 みす ろ。 いつの間 にか もとの十字路 に戻 った。今度 は、 「ナシ ョナルブ ックス トア」 の反対側 を歩 く。 リ サール通 りである。映商館が あ ったので、 その一 番高 い席の入場券 (1人
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ペ ソ5
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セ ンタボ) を買 って入 る.申年 の ジープニーの運 ちゃんが、女学 生 に片思 いの恋 をす るが、女学生 の方 はハ ンサ ム な青年 にひかれてい くとい うお話 で、結末 の方か ら見たが、結末 は、 ジープニーの運 ちゃんが女学 生 を覧禁 し、助 けに来 た警察や友人連 とうち合 い をや る。 これで大体間違 いない と患 う。 タガ ログ 語なので、話 は全然 わか らないのだが、筋 はまず 間違 いない と確信 で きる。 とい うことは、我 々の 目でみて深遠 な、つ ま り、演技 とも思 えないよ う なすは らしい演技 とい うのが少 ない とい うことだ。 いかに も作 り話 とい う感 じ。同 じことはテ レビを みていて も気づいた。私の 目で見れば.下手 とし か思 えない。NHKの ドラマの方が まだ気が きい てい る。 あ ほ ら し くな って途 中で出た。 そ して さ らにちJ:つと歩 く。表通 りの方 は、下水が たれ 流 しなのか.道路 の両脇が水 であふれ、中央 しか 通れない ところがかな りあ る。雨期 にな っT:らど うなるのだろ う。結局何の買物 もせず に、ハ ンバ ーガーを食べた後5
時過 ぎにタクシーでホテルに R .?T=.Ⅳ
ホテルには、他の人はすべて帰 っていた。 Aさ んが妻 に戻 っていたので、私 も室 に戻 ろことにす る。Aさん とベ ッドに専 ころんで話す。 Aさん ら 3人 も、ガイ ドさん と一括 に市場 を歩 いたそ うだ。 10時半 に出たが、退屈 なので 1時半 には帰 って き た との ことである。私が フ ィリピン人の家 に連 れ ていかれた様子 を話す と、それは間違 いな くだま され るところだ ったのだ と、 Aさんは言 った。私 は、何分、何 の強制 も加 え られず、手 を振 って別 れた ものだか ら、だまされたのかどうか決 め きれな いでいた。 Aさん によ ろと、 この事のや り方 の特 徴 は、絶対 に暴力 をつかわない所 にあるそ うだ。 とい うのは、 あ とで万一 、旅行者 が脱 いだ服 か ら 貴重品 が抜 き取 られてい るのに気 づいて も、友達 だか らどうこうとい う言 い訳ができるようにして お くためだそ うであ る。大変 うま くだますので、抜 き取 られたのに気づかな ければ、だまされたのか どうかさえわか らない とい う。 この手 口に、 日本 人の旅行者が、女 も含 めよ くひっかか るんだそ う である。女 で、裸 にな る気 にな る人が い るんだろ うか ? 「女 は どうです ?や るまではいい け ど、や った 後む な し くな るで しょう ?」
「ほん とアホ らし く な るね。 なんで こんな ことす るために フ ィリピン くんだ りまで こな きゃい けないの とかね」「
H
さ んは、 よか った、よか った とい って青 んで るみた いだ け ど」
「あの人は外国が初 めてだか ら」「
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日目を過 ぎた頃か らバ カに巌気 にな ってねO興奮 して るんだろ うな」
「しか し、言 った こととや る ことがズ レて る感 じだね。今 日 も市場 で カネをパ アパ ア使 って、はたで恥ず か しか った」
「そ うで すか。 それに比べれば、Kさんなんかの方が堂 々 としてい るし、 あん ちゃんふ うに何 で もズケ ズケ 言 うよ うで、 ちゃん と引 くところでは引 いてい る ね。何 とい うか、 こう、本 当にマニ ラの女が好 き って感 じだ」
「そ うい えば、 あの人、酔 っぱ らう と目がかわい らし くな るんだよ。 で も女がかわい そ うだね。 た った千 円 しか入 らないんだか ら。」 マニ ラの人は,個 人で歩 いてみ ると、私 に対 し て反感の表情 を示す人はいなか った。笑 いが通 じ る。沖蝿 に来 た時 も、 ああ、 ここは笑 いが通 じる な、 と患 った ものだが、マニ ラはそれが よ りは っ き りとしてい る。バ カ笑 いに出会 うことさ えあっ た。旅 の動機 とい うのは、 それが小 さな旅の場合 でも、なかなか⊥言では言 いつ くせない ものだが、 今度 、私が フ ィリピン旅行 を思 いたった主要 な理 一 器-由の一つ に、革 命前の フ ィリピンをみてお きたい・ とい うことが あったのは確 かだ。私が本 によって 得 た知識 では、今や フ ィリピンは、革命的のベ ト ナムに酷似 してい るとい うのだ。 そ こで、いよい よ始 ま る革命劇 の前 に、 フ ィリピンが どうい うふ うだか一 目見てお きたい と思 った。夏 に予定 して いた旅行 が冬 にな った時 も、 この間 に今の政権 が つぶれて しま うのではないか と密 かに心配 L,T=ぐ らいだ。 実際 に来 てみ ると、予想 していT=の とは違 う状 況 もみ られ るO市場 の品物 の量 は豊富 であ る.坐 活必需品 だ けでな く、私 か ら見て もぜいた く品 に 属す る ものが売 られてい る。 そ して、今述べ たよ うに、個 人 レベ ルで接す る限 りでは人々は笑 い を 失 っていないよ うで、 一見す ると政治的な不満 も それ ほ どで もないかのよ うに感 じ られ るO その一万で、ふつ うの人の生活水準が きわめて低 い の も確 かだ。 カネの値打 ちが、わが国 と比べ て全 く違 う。 だか ら、海外旅行 が初 めてのHさんな ど 一躍大金持 ちの気分 にな って札束 をば らま くこと にな る。実際、彼 は背広 の両側 の内ポケ ッ トに ド ルの札束 を入れていた。所得水準が予想 していた 以上 に低 い (とい うよ り、所得水準 な どあ らか じ め調べなか ったので、 その絶対的 な低 さにびっ く りして しま った とい うべ きだ ろ うJo警察官の月 給が 1万 円程度 だそ うだ。生活費 が安 ければそれ でいいのか もしれないが、仕事が少 ない。植民地 時代 の習性 か、 ここの人はチ ップの受 け取 り方が 板 につ いてい るが、わずかの金 に目を変 えるのは それだけでは説 明で きないだろ う。 大統領 の暗殺未遂事件 が旅行 の ちょっと前 に も あった。Aさんが最初の旅行 の時 にガイ ドか ら聞 いた話 では、 フ ィリピンは、大統領 も含 めた13人 の手中 にあ るそ うだ。 だか ら、我 が国 とは違 って、 大統領 の暗殺 は大 きな意味 を もってい る。現在 の 体制がほんの一部の人 によ って牛耳 られてい るの は確 かであ る。 それ らの人々は、 わが国の金持 ち な どとは比較 にな らぬほ ど富 んでい る。簡単 に言 えば、富が公平 に分配 されていない。従 って又、 富 め る方が現状 を維持す るために、大多数 を黙 ら せ るためあ らゆ ろ手段 を用 いてい るだろ うことも 、容易 に察 しがつ く。 Aさんは最初の旅行 の時 に、 死刑執行 予定 日が決 った人を収監 した監獄 を見た そ うだ。 Aさんは、沖縄 との比較で説明 して くれた。つ ま り、沖縄 の米軍支配時代 も、沖縄の人は普段 は お とな しか った。少 々の不満があって もおさえて 表に出さない。 そのかわ り、ほんの ちょっとした トラブルが あって も、 それ を機会 に日頃の専横 し た不満が ドッと流 れ出 る。 その典型的な例がコザ 暴動 なのだ と。 隣の室 で物音が聞 こえた
。
「盗聴 して るん じゃ ないで しょうね」 と冗談 で言 ってみたが、本当に こんな ところでつか まった りす るとどうな るかわ か った もの じゃない。つか ま らないにして も、一 々こ うい うことを気 に しなが らもの を言 わねばな らないのが、私 のよ うな人間 には全 く不快 でや り きれない。我 々のガ イ ドさんは、以前一年間東京 に出て、四谷 の 日本語学校 に通 ったのだそ うだ。 どう りで、私な どとは遠 い、上品 な 日本語 を使 う。 このガイ ドさんは、今、お金 をためていて、彼女 の夢 は、 もう・一度 日本 に行 って勉強す ることと、 高床式 の家 を ちゃん とした鉄骨の もの に作 り替 え ることなのだそ うである。私 な ど、東京の どこが いいのか と思 うが、東京では とにか く自由に話が で きる。 それ を思 えば、 ガイ ドさんが 日本 に失望 しなか ったの もわか るよ うな気がす る。 Aさん と、有名なマニ ラの夕陽 を見 るためにベ ランダに出てみ るO今 まで話 していT=話題のせい か、 あん ま りきれいに見えない。む しろ、早 くこ の国 を出て しまいたい とい う気分 にな って しま う。 最後 の夕 食は、我 々4人 と、ガイ ドさんの5人 です ることにな った。 ホテ/レか ら空港の方 に歩い て10分位 の ところにあるレス トランに入 っT=。 K さん とHさんが注文 した。 ブ タや トリの料理。 ゴ ーヤ もあ った 。 ブ タの 骨 の中 に詰 まっていた汁 がおい しい とガ イ ドさんがすす めて くれ る。私は お腹 が きつ くてあま り食べ なか った。 Kさんの胃袋 は人 した もので、 ロース トチキ ンを2皿, もく もくとたい らげた。 それで もなお 1皿手 つかずの 皿が残 り、 これ をガイ、ドさんがおみや げにす るた め、店 の人に袋 に入れて もらう。勘定 を頼む と1 人
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ペ ソほ どにな った。 さ らに私 を除 く3
人がガ イ ドさんに この 日の案 内料 を払 う。 い くらだか知 らないが、 とにか くガイ ドさん は もうもらうつ も りではなか ったよ うで何度 も辞退 した。 それ をい いか らいいか らと言 っておさめて もらうの も、愉 快 な ことと言 わ ざるを得 ない。磨 る方が強 いのだ。 感激 したガイ ドさんは、我 々 1人 1人の ほっべ た にキスをして くれた。 フ ィリピンでキス して もら うとは思 わなか った。私 は これで、紙幣は15ペ ソ 残 るだけにな った。 ちょうど良い。 フ ィリピンペ ソは外国では紙 キ レと同 じである.債 つT:のは、 1万円 と、
10ドルだ った (円 も ドル と同 様 簡 単 に両替 で きる)。 私 は この後 、ホテルに帰 って、 メモ類 を整理 して寝 たが、K
さん と飲 みに行 った Aさんは 1時過 ぎに酔 っぱ らって帰 って きた。 H さんは、ホテルのバ ーで飲んでいたよ うであ る。 とうとう最後 の朝 にな った。 6時過 ぎ、 Aさん に起 こされ ろ. あわT=だ しく仕度 をし、朝食 を済 ませ る。 ガイ ドさんが見送 りに来て くれていた。 彼女 も一緒 に ミニバスに乗 る。親戚 の ところに行 っていたおばあ ちゃん遠 2
人 も帰 って きて乗 る。 出発。 ミニバ スの中で、ガイ ドさんは皆 に公平 に 話 しかけたO私 には、 「頑張 って下 さいね、組原 さ.ん」K
さんに、かわ って返事 を して下 さい と頼 む と、Kさんは 「はい頑張 ります」 と返事 をして くれた。 空港の前は来 た時 と同 じよ うに ごった返 してい た。中に入 る時 にまず航空券 とパ スポー トを提示。 構内で も何度 か、 これ らの提示 を要求 され る。や っと最後 に身体検査があって、出国手続 が終 りに なった。世界 の常識では、外国人の入国は難か し いが、出国は簡単 とい うことにな ってい る。 どう や らこの際は例外 らしい. こんなに厳 しい出国検 査は初 めてだ。おそ らく、何 とか出国 したい とい う人が随分い るか らだろ う。今一度、空港 の前 に 群 らが る人々 を思 い起 こしなが ら、私 は待 合室に 入 った。 この 「フ ィリピン田休旅行記」 は今 か ら10年 ち ょっ と前 に書 いた ものであ る。何が書 かれてい る か詳 しい ことは忘 れて しまっていた。 そ もそ もこ うい う原稿が あ ることを失念 していて、別 の捜 し 物 をしてい る時 T:まT:ま発 見したO 自分 で言 うの も何 だが、面白か っT=O どうな るのだろ うと思 っ た りした。 ここで私 は 「団体旅行」 の呪縛 か ら必 死 に抜 け出そ うとしてい るよ うであ る。実際、今 で もなぜわ ざわ ざEZl体 でい ったのだろ うか と思 うo 私個人 としてほ しい体験 ・情報 を得 るのには全然 向いていない。 しか し、だか らとい って団体旅行 は全て無意 味だな どとは到底思 えない。 この団休旅行 も、当時の私 としてば色々不満 の 残 る旅 であ ったよ うだ し,だか らだろ うか、以後 は、海外 で はEE体旅行 を していないのだが、 その かわ り、個 人で釆 た ら恐 らくは行 かないだろ う所 に行 っていて、 それはそれで 1つの経験 ではあ る だろ う。私個 人 として特 に興味 を感 じたのは同行 者の行動 だ った。一緒 に動 いた3
人の方 はいず れ も沖縄 出身 だったが、沖縄 におけ るウチナーンチ ュの行動 とは違 った もの を感 じたのだ った。簡単 に言 えば、 フ ィリピンに来れば本土 の人 と同 じJ: うな行動 が取 れ るんだな、 とい うことであ る。3
では、個 人で旅 をす ることの 目的 は何か、 と問 われれば、 それはカルチ ャーシ ョックだ とい うこ とにな るだろ う。団体旅行 ではそれが得 られない。 実際、例 えば1人 と2人 とで も随分違 うのであ る。2
人で もあ る意味では立派 な団休 であ る。旅先 で 友 人が で きて、一緒 に動 くことが ある。 そ うす る と、現地 の人が近寄 って釆 な くな って、そ して、 この人 と別れた途端 にまた、現地 の人が近寄 って きて あれや これや起 こるとい うことを、私 は何度 も経験 した。 それ ぐらい差 が あ る。 ところで この1 3
8-カルチ ャーシ ョック とい うのは何度経験 して も快 適な もの とは言い難 い。かつまた、何度 で もかか るものである らしい。 その ことを最近 ブ ラジルを 旅 して痛感 した。 ブ ラジルは、私が フ ィール ドの 1つ に してい る ところである。 その関係 で、一 々数 えてみない と 何度行 ったのか分か らないほ どにな ってい る。 ブ ラジルには沖縄 出身者やその子孫が大勢 いて、今 回 も、 これ らの万 々には大 いにお世話 にな ったの だが、やは りカルチ ャーシ ョックを感 じた。む し ろ、行 けば行 くほ どカルチ ャーシ ョックは深 ま る とい った方がいいか もしれない。 しか も、 日系人 と接 してい るときの方が よ りそれ を感 じるのは、 何 といって も同 じはず とい う先入観が あ るか らか もしれない。私 は、ブ ラジルの地域像 を形成す る 目的で国境地帯 を意識 して歩 き続 けて きたが、 そ の方があ る意味で疲 れない。 と t)か く、 カルチ ャ ーシ ョックとい うのは、進んで経験 したい とは思 えないよ うな代物 であ り、 に もかかわ らず相変 わ らず出かけて行 くのは癖 としか言 いよ うのない も のがある。 研究 を意識 してか らの旅の 目的 はそのよ うな も のだが、その前後 を通 じて、いつ も意識 して きた のは、住 め る場所 はないか とい うことである。 い い場所 に任 みたい とい う思 いがいつ も頭の中 にあ り続 けて きた。 これ は、比較的古い時代 の旅 の一 般的動機 と一致す るだろ う。私 に とっての桃源郷 を求 め続 けて きた とい って も良 い。1991年 の夏 に、 多分 に偶然 か ら、住 めそ うだ と思 われ る町が
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つ 見つか った。 1つは長野県 の松太市 であ り、 もう 1つは、上記のブ ラジル旅行 の際 に訪 れたシ ャブ リとい う町 である。旅 の順 は逆 にな るが、まず、 シ ャブ リを訪れた時の ことを記 そ う。 シ ャブ リはブ ラジルの最北西端 ア クレ州 にある。 訪問の主 目的は、アマゾンの森林伐採状況 を見 る ことと、 この町 でシコ ・メンデスが生 まれ、暗殺 されたのを知 った ことによるが、 もともと、ブ ラ ジルを出来 るだけ広範 に見てみよ うとい う気持 は 一貫 して持 ってお り、特 に注 目して きたのは、前 記 のよ うに国境地帯 であるので、 その一環 とい っ て もよい。 今年 の旅 をす る直前 に、 シコ ・メンデス (トニ ーグ ロス編 、神崎牧子訳、波津 博明解説) 「アマ ゾ ンの戦争 熱帯雨林 を守 る森 の民」 (現代企 画室・1991) を読 んだ。 シコ ・メンデスは、1944年 、ブ ラジル ・アクレ 州、 シ ャブ リのゴム杯 に生 まれた。 9
つの時か ら 彼 の父親 と同様 にゴム採取 人 として働 き始 めた。 19世紀以来1970年 まで、 どの ゴム林 で も学校 は禁 じられていたそ うであ る。 ところが、1962年、エ ウク リデス ・フェルナ ンデス ・タグ ォラとい う人 にあって、 この人か ら彼 は読 み書 きと政治 ・社会 問題 を学んだ。エ ウク リデスは もとブ ラジルの将 校 だ ったのだが、反乱 に加担 して逮捕 され、 2度 監獄か ら脱獄 して、 ボ リビア-逃 れ、労働者や鉱 夫 た ちの労働争議や抵抗運動 に加 わ り、弾圧が厳 しくな るとゴム林 の中 を国境 を越 え、 ブ ラジルに 戻 って来 たのである。 シコ ・メンデスは、1975年 ブ ラジレイアの労働組合 に加入 し、 さ らに シャブ リでの組合結成 に も力 を尽 くした。 組合 はまず、一般 人教育 を通 じて組織 の レベ ル を向上 させ、 よ り多 くの人 と接触 して運動 に加入 させ よ うとした。 森林伐採抵抗闘争 をす るうち、森林 の開発 に向 けて採 るべ き代案 が必要 とな った。森 の保護 だけ ではな く、経済開発 の構想 を も含んだ ものでな け ればな らなか った。 そ して、採取用保護林 とい う アイデアに遷 したのであ る。
「所有権が公的な も のであ る土地 で、 けれ どその土地 で暮 らしてい る ゴム採取 人や他 の労働者達 はそ こでの生活権 と労 働権 を もつ
」 (同書92頁) とい うものであ る。 ゴ ムだけでな く、無数 の天然資源が森 にあ る。 さ ら に、先住民達 とも連携 してい く。連帯 で きる もの とは出来 るだけ連帯 してい こうとい う基本的態度 が 見 られ る。政党 との関係 において も、 1覚 1派 とあま り深 く関わ らない よ うに しよ うとい う方向 で接 してい る。 ブラジルの社会問題 の基底 には土地問題が横 たわっている。政治権力 は、地方 で も国 レベ ルで も、 大土地所有者の手 に握 られて きた。大土地所有者 達が、牛 を飼 う牧場 をつ くるために森林 を破壊す る。 さ らに、農地改革実施 を避 け るために土地 な し農民 に未開拓のアマゾ ンへ の入植 を勧 めて きた。 牧場造成 は、まず森 を焼 き、牧草地 にす る。零細 農民 も、肥料がわ りに焼 き畑方式 に頼 る。 アマゾ ンの土地 はやせていて耕作 には適 さず、 3年 もす れば表土が栄養分 を失 って しま うのだそ うであ る。 そ うな ると別 の土地へ移動 し同 じことを繰 り返す。 このよ うな状況 の中でシ コ ・メンデスは1988年 12月22日、地主 の雇 った殺 し屋 によって 自宅 で暗 殺 された。上掲書 には、 「ブ ラジルで地主 が殺 し 屋 を雇 う場合 の相場 は、25ドル前後 といわれ る」 とある (192頁)。 今回のブ ラジル旅行 の主 目的 はブ ラジルの家族 法関係 の文献収集 で、 このあ と出来れば中米 に行 きたいと患っていた。成 り行 きで、サ ンパ ウロにあ ろマ ッケ ンジー大学 で講義 をしてい るうちに時間 がなくな り、そこで計画したのがシャブ リに行 くこと だった。開発進行地域ではマラリアがあるし、 コレ ラが流行 ってい るとい う噂 だ ったので、相 当衛生 状態の悪 い所だろ うと思 い、それな りの準備 と覚 悟 は した。 9月19日、年前8時発 のVASP 382便 でサ ン パ ウロか ら出発 した。 カンポグランジ、 クィアバ、 ボル トヴ ェー リョを揮 て年後1時半 にアクレ州都 ヒオブランコ (RioBranco)に着 いた。サンパウ ロよ り2時間遅 いので、 7時間半 かか った ことに なる。降 りるたびに 2-30分 とま るので、実際の 飛行時間は