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第1回シンポジウム ナレンドラ・モディ政権下のインド

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1 モディ政権下のインド経済(佐藤隆広)

第16次連邦下院議会総選挙で歴史的大勝を収め、2014年5月26日にス タートしたナレンドラ・モディ政権の実績を評価するためには、インド 人民党(BJP)の選挙マニフェストの理解が不可欠である。選挙マニュ フェストは、(1)物価上昇、(2)雇用と起業家精神、(3)腐敗、(4)ブ ラックマネー、(5)決定と政策の麻痺、(6)貧弱な社会的インフラサー ビス、(7)信頼の危機、以上、7つの問題の克服を最優先課題としてと りあげている。そのなかでも、インフレを意味する第1と景気後退を意 味する第2の課題すなわちスタグフレーションの解決が、モディ新政権 が早急な解決を迫られた最重要課題であった。モディ新政権は、インフ レ率が2桁にまで達する高いインフレ率と4∼5%台にまで落ち込んだ 低い経済成長率に直面していたのである。 また、過去10年間続いた統一進歩連合(UPA)政権は、多数政党の 寄り合い所帯であるため利害調整に手間取り、小売部門の外資開放を始 めとして必要な経済改革が著しく遅延したり延期されたりした。また、 同政権末期には、多数の汚職事件が発覚し、国民の政府に対する信頼感 が失墜した。こうした背景のもと、BJP の選挙マニュフェストは第5の 「決定と政策の麻痺」と第7の「信頼の危機」の克服を掲げている。 スタグフレーションの長期的な解決のためには、インド経済の供給能 力を高めることが不可欠である。そのために、経済改革は重要な役割を 果たすであろう。経済改革が成功するためには、「決定と政策の麻痺」 と「信頼の危機」の克服が必要である。モディ新政権は、政権発足直後 に政府のスリム化を表明し実施した。株価は上昇し、市場が、モディ政

ナレンドラ・モディ政権下の

インド

佐藤隆広、中溝和弥、田中鉄也、堀本武功

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権に多大な期待をかけ、政権発足後の「実行力」と「信頼回復」がそれ を担保していたことは明らかであった。 モディ新政権は、スタグフレーションに対しての総供給側の対応とし て外国直接投資(FDI)誘致を戦略的に重要視している。政権発足後100 日の間に、鉄道インフラで100%、防衛産業と保険部門で49%、電子商 取引(B2B)で100%の外資出資の認可、不動産投資信託(RIET)や不 動産開発投資の規制緩和などを矢継ぎ早に打ち出した。その後において も、モディ政権は FDI の自由化を着実に実施し、ビジネス環境の世界 ランキングにおいて130位から100位にまで順位を急激に高めるような経 済改革を実行している。2017年7月には、この四半世紀の懸案であった 国内間接税体系の一本化すなわち「財・サービス税」(GST)の導入に も踏み切った。 それでは、最重要課題であるスタグフレーションの解決はどうなった のだろうか。モディ政権が発足する半年前に RBI 総裁に就任したラグ ラム・ラジャンは、インド財界の反対を押し切って、高金利政策を大胆 に採用し、景気後退を犠牲にしてインフレ退治に乗り出した。その結果、 インフレ期待の沈静化と為替レートの安定化を通じて、徐々にインフレ 率が低下するようになった。高金利政策で悲鳴をあげていたインド財界 の期待を一身に背負ったモディ政権は、金利引き下げで RBI と対立し、 ラジャン総裁を更迭するのではないか、とも憶測された。しかしながら、 モディ政権は発足直後に、ラジャン総裁を全面的にバックアップする姿 勢を明確にして、将来の金融政策の不透明感を一掃した。さらに、政権 発足4カ月後から、国際石油価格が暴落し、インドのインフレ率は大き く低下した。また、2015年度以降は7%前後の経済成長率にまで景気が 回復したのである。すなわち、モディ政権は、政権就任後わずか2年の 内にスタグフレーションを解決してしまったのである。 スタグフレーションを解決したモディ政権が狙いを定めるのは、選挙 マニュフェストの優先順位でいけば、(3)腐敗と(4)ブラックマネー である。そして、2016年11月8日、モディ首相は、突然のテレビ演説で、 500ルピー紙幣と1000ルピー紙幣を廃止することを公表した。この高額 紙幣廃止(Demonetisation)は、流通している現金通貨の85%を一挙に 廃貨にするものであり、これだけの規模のものは平常時の経済では歴史 上類を全く見ないものであった。高額紙幣廃止の目的は、モディ首相の

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演説によれば、ブラックマネーと腐敗の撲滅とテロの資金源と偽造紙幣 の根絶であった。 予想されるとおり、インド経済は一時的に急激な景気後退に陥った。 しかしながら、高額紙幣廃止直後に実施された人口多数州における州議 会選挙において、与党 BJP が圧勝したのである。UP 州とウッタラカン ド州で7割を超える議席を獲得して第1党、ゴア州とマニプール州でも 第2党となった。これが、有権者による高額紙幣廃止のみならずモディ 政権に対する信任投票の結果であった。 2018年4月現在、高額紙幣廃止による悪影響はなくなり、インド経済 は再び、高度成長の軌道に乗りつつある。しかしながら、その一方で経 済改革に逆行する動きも見受けられる。2018年度予算は、2019年4月∼ 5月に実施が予想される第17次連邦下院議会総選挙に向けたバラマキの 性格を強く持っている。また、同予算は、Make in India のために、多 くの工業製品の関税率を引き上げるという保護主義的な内容も持ち、イ ンドの経済改革を逆行させるものだ。こうした自国産業優先の保護主義 政策は、米国と中国などの世界の保護主義の動きとシンクロしており、 今後の行方が注目される。

2 モディ政治の4年間:新しいヒンドゥー至上主義(中溝和弥)

モディ政治の4年間をどのように捉えればよいか。モディ政治の特徴 は、経済成長と新しいヒンドゥー至上主義を組み合わせた両刀遣い戦略 と表現できる。すなわち、2014年総選挙で大々的に掲げた経済成長モデ ル「グジャラート・モデル」を推進すると同時に、より洗練された形で 宗教的少数派を抑圧する新しいヒンドゥー至上主義の実践を組み合わせ る方式である。本講演においては、ヒンドゥー至上主義が台頭する経緯 を、インド社会経済の構造変動、後進カーストの台頭と会議派支配の衰 退という観点から説明した上で、ヒンドゥー至上主義勢力の戦略を時代 を追って説明し、現在の新しいヒンドゥー至上主義が出現する経緯を解 き明かした。 「ヒンドゥー国家」の実現を目指すヒンドゥー至上主義勢力は、 「ガーンディーを暗殺した党」として、長年にわたりその勢力を伸ばす ことができなかった。党勢を拡大するために必要なのはヒンドゥー教徒 の信仰心に訴えかける動員であり、最初に成功した大規模な動員は、

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1966年に展開した雌牛保護運動であった。ヒンドゥー教で聖なる存在と される雌牛をシンボルに掲げた運動は数十万人を動員することに成功し たが、翌67年に実施された総選挙では思うような成果を上げられなかっ た。そこで動員の手法は、より過激な宗教暴動へと変化していく。1984 年から開始したアヨーディヤ運動とこれに伴う宗教暴動は、支持拡大に 確かに貢献したものの、中央政府の維持にはつながらなかった。ここで BJP はジレンマに直面する。すなわち、より広範な支持を集めようと宗 教的主張を弱めれば親団体である RSS の支持すら失いかねない。だか らといって宗教的主張を強め、宗教暴動にまで発展すれば、今度は中央 政府を維持することができない。2002年グジャラート大虐殺を経て2004 年総選挙で敗北した BJP にとって、このジレンマを乗り越える事が喫 緊の課題であった。 解決策を提示したのが、他ならぬモディであった。モディ政権下では、 ラヴ・ジハード・キャンペーンに始まり、雌牛保護団などの自警団組織 が暗躍し、時には「牛肉を食べた」という噂だけでムスリムが殺害され るリンチが増加している。同時に、小規模の宗教暴動も2016年までは増 加傾向を見せており、宗教的少数派に対する小規模ではあるが広範な暴 力が拡大した。これら活動の主体は自警団組織であるため、政府は直接 の関与を否定することができ、かつ小規模であるためメディアの注目も 大暴動ほどは集めない。いわば、これまで宗教暴動の際に受けたような 批判はかわしつつ、同時にヒンドゥー的価値観を広範な暴力を用いて広 めようとしている。より洗練されたヒンドゥー至上主義の展開である。 ただし、この両刀遣い戦略によって1年後に予定されている総選挙で BJP が勝利を収めると予測するのは時期尚早であろう。直近のゴーラク プル下院選挙補選が示すように、来る下院選挙で考慮すべき要因は三つ ある。第一が、2015年ビハール州で成功したような、後進カーストと指 定カーストが大連合を組む連合の成否である。第二が、「グジャラー ト・モデル」で解決を約束した雇用問題と物価上昇の解決である。最後 が、新しいヒンドゥー至上主義の今後の展開である。上記二つの条件次 第によっては、宗教対立が激化する可能性も捨てきれない。来る総選挙 において、これら三つの要因は重要となろう。

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3 現代インドのマールワーリー企業家による家族祭礼:故郷へ

の社会貢献とコミュニティの実体化(田中鉄也)

本講演は、コルカタの合同家族が経営する企業を事例として取り上げ、 マールワーリーによる社会貢献と宗教実践の社会的意義を分析するもの である。同社はサマージ・セーワーと呼ばれる宗教的な慈善活動を通じ て、自分たちを一体感を持ったコミュニティに統合しようと試みている。 本講演では、このような「コミュニティの実体化」が集団の同一性を強 めるものであると同時に、集団内の差異化を促進する効果を伴っている ことを明らかにしていく。 マールワーリーは、19世紀中頃からラージャスターンを離れ、カル カッタなど植民地経済の中心地へ移住し、貿易・金融の中核的なポジ ションを確立した商業集団として知られる。とりわけ故郷に強い愛着を 持つマールワーリーは、移住先で成功した後も慈善活動を通じてラー ジャスターンへの地域的帰属性を維持している。本講演の分析対象であ る株式会社 NIPHA もその典型的な事例である。同社はラージャスター ン州ジュンジュヌー出身の起業家によって1959年カルカッタで創設され、 彼の兄弟たちを経営に参入させることで合同家族による会社経営が進め られた。 同社は1980年代から公益信託を設立し、故郷への社会貢献として女子 大学や施薬所を運営してきた。その一方で1990年代から徐々に<家族> に焦点を置いた活動にも力を入れてきた。例えば1994年に家族誌『家の 灯明』を出版し、自分たちが誰/どこから始まったのかを探求した。同 社の創設者から五世代遡った人物(カンヒーラーム:1815−63)を始祖 と定め、彼がジュンジュヌーなどの知行地を得て、五人の息子に継承し たという起源譚が編纂された。そして始祖の息子たちの系譜をたどるこ とで「シャー・パリワール(シャーの家族)」の名義で家族名簿が編纂 された(2001年版:258名収録、2006年版:333名)。ここでシャー・パ リワールは、コルカタの合同家族を超え、全国に300名以上もの成員を かかえるコミュニティに拡大したといえる。 2000年代に入ると故郷ジュンジュヌーで家族祭礼を開催し、家族名簿 に記載された全国の<家族>が故郷に集う機会が設けられた。現在まで 家 族 祭 礼 は 三 度(2003年:98名 参 加、2006年:115名、2014年:58名)

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催された。このようにシャー・パリワールという名の下に、全国の成員 を巻き込む形でコミュニティの実体化が展開されてきた。しかしここで コルカタの合同家族が常にその支柱となってきた点を見逃してはならな い。それはコミュニティの核であるコルカタ在住の成員と、それ以外と の差異をも鮮明にするものである。例えば家族祭礼ではコルカタの家族 は中心的な役割を担い、それ以外は招待客(UP 在住の家族)や世話係 (ジュンジュヌー在住の家族)に限定されている。またコルカタの成員 のなかでも、とりわけ若年層からの参加者数が少なくなり、彼/彼女ら の間でコミュニティとしてのアイデンティティを強く意識するものと、 そうでないものとの差が目立っている。このように現代インドではコ ミュニティの同一性を鋳造し、強化すればするほど、背反的に内部の差 異化もまた促されているのである。

4 モディ外交:大国指向と日印関係の展望(堀本武功)

本講演は、インド外交の指向性と日印関係の展望を現代国際政治 特 に「インド太平洋」 の中に位置付けて解明することを目的とする。具 体的には、インド外交がモディ政権の誕生でどう変わったのか、現代日 印関係がなぜ緊密化しつつあるのかなどを検証し、インドと日印関係を 展望する。 まず、インド外交とモディ外交との連続性と非連続性である。独立後 のインドは自国のナショナル・パワー不足に対応するために「他国と組 む」という外交を展開してきた。冷戦期には非同盟と印ソ同盟、次いで 模索の時代を経てポスト冷戦期の2000年代になると、日印関係の緊密化 や日米豪印との4カ国枠組みを進めている。たしかに、2014年に誕生し たモディ政権も他国と組む外交を継続しているが、従来とは大きく異な る対外指向、すなわち、大国指向を顕在化させている。そのベースには ナショナル・パワーの増大がある。インドは、2016年、GDP では世界 第7位であり、軍事支出では世界第5位までランクアップしている。現 在、モディ政権は、グローバルなレベルでは中国とロシアと組んで米欧 主導の世界秩序の多極化を目指しながらも、当面の喫緊の外交課題とし て、リージョナル・レベル(インド太平洋)では日本をはじめ、米国や 豪州との協力関係を構築しようとしている。 なぜか。根因は中国である。中国が経済・軍事力の増大や一帯一路政

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策(BRI)などに見られるように積極的な対外政策を展開しているから である。中国は、BRI の完遂を図るため、南アジアのパキスタンやバン グラデシュなど国々におけるインフラ投資・開発を図るだけでなく、活 発なインド洋政策も進めている。インドとしては中国の動きを座視する ことができず、日印関係の強化や4カ国枠組みの実現に協力することに なる。 このようなインドの動向と日本との関係はどのような展開を見せるこ とになりそうか。これらには3要因が大きな影響を与えるものと思われ る。第1にインドは大国になる可能性が大きいが、そのナショナル・パ ワーがどの程度のスピードで強大化するかである。第2に今後の米国が どのようなナショナル・パワーを持ちつつ、対外政策を展開するかであ る。第3にはインドの内政がどうなるのか、特に人口問題や貧困の格差 にどう対応するか、いわば内政のガバナンスである。日本から見れば、 当面、インドとの関係は補完的であるとともに、便利な相手国であり、 今後も緊密な関係性が継続するだろう。しかし、日印関係は通常的な二 国間関係からインド太平洋時代に入り、多国間関係における位置付けを 濃厚に持つに至っている。従って、今後の日印間関係はインド太平洋地 域全体の経済・政治ガバナンスを実現するための公共財として構築され るべきあろう。日本は、インドも中国も強大になる前にこうした地域枠 組を早期に構築する必要があろう。 さとう たかひろ ●神戸大学 なかみぞ かずや ●京都大学 たなか てつや ●人間文化研究機構/国立民族学博物館 ほりもと たけのり ●岐阜女子大学

参照

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