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90年代の沖縄観光に関する考察: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

90年代の沖縄観光に関する考察

Author(s)

松鷹, 彰弘

Citation

沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 13(1): 133-

183

Issue Date

1999-03-01

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10683

(2)

90年代の沖縄観光に関する考察

松 鷹 彰 弘

目 次 1 .はじめに 2. 1980年代までの沖縄観光 3. 1990年代における沖縄観光 4.沖縄観光の事業特性

5.

沖縄観光の課題(むすび) (資料)経済と観光の状況 (1990年"'-'98年) 1 .はじめに 本稿では1990年から98年までにおける圏内観光市場と沖縄の観光事業の動き を考察した。 90年代においてわが国の観光を支配した経済的要因として、パプ ル経済とその崩壊、円高、交通の規制緩和の3つを挙げることには概ねの賛同 が得られるのではないだろうか。考察はこれら要因の観光市場への影響と沖縄 の観光事業の対応に焦点を当てて行なった。 90年代の沖縄観光は、復帰以来の 沖縄プームによる楽観的環境から一転、終始厳しい状況におかれた。とくに94 年からの

3

年聞は、観光行政・観光産業ともに、それまでの放漫体質からの脱 却に努めたリストラの時期であった。 97"'-'98両年には「沖縄観光だけが日本列 島総不況の例外

J

といわれるほどの好調さをみせたが、それまで

3

年間のリス トラの成果であることを見逃すべきではない。 わが国における大衆観光(マスツーリズム)を、江戸時代中期(17世紀末) からの伊勢神宮などへの「巡礼」にはじまるとするならば、マスツーリズムは 世界に先駆け、わが国においてもっとも早く発達を開始したことになる。以後 さまざまな変遷を経て

2

0

世紀末を迎えた現在、パプル経済時代の澗熟期を経て q a q 句 M 唱 ・ 4

(3)

成熟期に入っているとの感を深くする。自他ともに許す「観光立県」である沖 縄観光も同様である。沖縄観光の事業特性や今後の課題などについてもあわせ て考えてみた。 2. 1980年代までの沖縄観光 まず、 1980年代までの沖縄観光の概略を復帰前、 1970年代、 1980年代に区分 して述べておきたい1)。 (l)復帰前の沖縄観光 沖縄観光は沖縄戦犠牲者の遺族や宗教団体の慰霊団によりはじまった。石川 政秀は『沖縄の観光産業勺のなかで当時の状況を次のように述べている。 「沖縄県内で観光産業が定着したのは第二次大戦以降のことで、昭和20年(1945) 夏、県民は日本軍戦没者10万人、一般住民11万人の遺体収容作業を首里、摩文 仁方面で始めたが、戦没者の遺骨はていねいに269ヵ所の納骨堂に安置された。 やがて、間もなく沖縄を訪れた他府県の遺族団は、これらの実情を各都道府県 の議会に訴え、慰霊塔をそれぞれゆかりの地に建立した。こうして沖縄観光は 遺族団の戦跡参拝から始まり、亡き人をねんごろに弔う県民の美風に心打たれ た遺族団の宣伝が戦跡参拝者の群れを全国的に広げた

J

。 観光統計は琉球政府時代の1956(昭和31)年から継続してとられているが、 同年の入込数は1万3.000人余りであった。 米軍占領下の基地経済のなかで1958年には通貨がドルに変わってこともあり、 沖縄で外国商品が安く買えるようになり、土産品ショッピングも盛んになった。 わが国では敗戦から1964年までの約20年間の問、観光目的の海外旅行は事実上 禁止されていた。だが、当時米軍政下にあった沖縄だけは例外であった。高度 経済成長下の日本には経済的・時間的余裕のある人々が増えていた。沖縄はわ が国の大衆の海外観光地第

1

号となるのである。 1954年に島内パス業者、宿泊業者などにより沖縄観光協会(現・財団法人沖 縄観光コンペンションピユーローの母体)が発足、 1960年には琉球政府工務交 通局に観光係が設置された。政府も観光産業を認知したのである。沖縄観光協 会と琉球政府は、日本政府に対して沖縄旅行者へのドル割当の増加を陳情、米

(4)

国民政府へは渡航制限の緩和と手続きの簡素化の要請などを行なった。このた め日本人観光客数は年々増加、復帰前年(1

9

7

1

年)には

2

0

万人台に達している (図ー1)。 人

- 1 復帰前の沖縄観光入込数推移 250000 製閣制掴 150000 1001。由 S町田0

1

1

57 帽 掴 帽 制 帽 個 '田1 1制Z 1嗣3 1

4 1輔S 柑 個 『観光要覧』より作成 沖縄観光は本土の各都市と那覇を結ぶ航空路線網の拡大とともに伸びてきた。

1

9

5

4

年開設の日本航空・東京一沖縄便が最初の定期航空便だが、

1

9

5

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年の空路

1/3

・海路

2/3

から

1

9

5

8

年には早くも空路・海路半々となり、

7

1

年には空路

2/3

・海路

1/3

と逆転した

(

1

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7

年では空路

9

6

.

8

%

海路

3

.

2

%

)

06

0

年代半ば 以後にはジェット機、復帰とほぽ同時にジャンポジェット機が導入されて航空 輸送力も増大した。 戦後

5

0

年以上を経た現在、慰霊団の数は多くないが、「慰霊・平和」のテーマ は高校生を中心とする修学旅行などに引き継がれて現在にいたっている

(

1

9

9

7

の沖縄への修学旅行は

1

0

2

7

2

0

9

千人である)。

(

2

)

1

9

7

0

年代の沖縄観光

1

9

7

2

年の本土復帰以後

3

年間、

1

9

7

5

年の沖縄国際海洋博覧会に向げて政府は、 道路・空港・港湾・上下水道などの集中的インフラ投資を行なった。そのうえ

135

(5)

-に航空会社と本土の大手旅行会社が競うように沖縄への観光投資を行なった。 海洋博でメイン会場となったのは過疎に悩む本部半島。ここには会場決定前 から本土企業の代理人と思われる不動産業者が横行していた。やがて土地ブー ム・建築プームが起こり、資財や労賃の高騰がはじまった。地元新聞は、「土地 買占め

J

r

土地プローカー

J

r

農業の破綻

J

r

漁業権の侵害

J

r

自然環境の破壊

J

「労働力不足

J

r

ホテルラッシュ」などのテーマで連載を組んでいる

(

r

海洋博 を点検する」沖縄タイムス

1

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7

3

3

.

.

.

.

.

.

.

4

月)。 戦後、キャピタルゲイン型ビジネスを組み込んだ観光開発のブームは2回訪れ ている。最初は田中角栄首相が「日本列島改造論」を打ち出した

1

9

7

2

年をピー クとする時期であり、沖縄の本土復帰の年とも重なっている(

2

度目は「平成 パプル

J

が発生した

1

9

8

6

年から約

5

年間…後述)。日本経済は東京オリンピック

(

1

9

6

4

年)後に一時不況

(

4

0

年不況)に陥るが、間もなく回復し、

4

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ヵ月 続く「いざなぎ景気

J

を迎える。高度成長を背景に、全国各地で土地投資・投 機が盛んに行なわれ、さらに71年8月のドルショック(円変動相場へ移行)の 後に金融緩和が進み過剰なマネーサプライが発生し、土地投機が急加速した。 日本列島改造論はこれに拍車をかげた。観光開発においても、別荘地やリゾー トマンション、ゴルフ場、リゾートクラプ施設を整備し、その不動産や会員権 を販売して収入を得るというキャピタルゲイン型ビジネスが盛り上がりをみせ た

(

W

戦後観光開発史勺)。 日本本土の観光開発プームは

7

3

4

月に地価高騰の抑制を図るため、特別土 地保有税と法人の土地譲渡所得に対する重課税が導入されたところに、

1

0

月に は第四次中東戦争の勃発により第一次石油ショックが起こり、総需要抑制、金 融引き締めが実施され、一気に終息した。だが、沖縄でのホテル開発ラッシュ は海洋博直前まで続く。 戦後の観光開発を牽引したのは、西武の堤廉次郎、東急の五島昇ら私鉄のオー ナー型経営者である。だが、かれらの沖縄への進出は東急の宮古島東急ホテル

(

8

4

年)など少数に留まっている。沖縄への観光投資は日本航空と全日空の両社 が主導して行なわれた。航空会社がホテル事業を手懸げるようになったきっか げはジャンポジェットによる空の大量輸送時代の到来である。一度に数百人分

(6)

のチケットを販売しようにも宿がネックになって売れないという現象が起きた ためであった。

TWA(

米国)はヒルトン・インターナショナルを

1

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6

7

年に買収 した。日本航空は

1

9

7

0

年に日本航空開発を設立、全日空も

1

9

7

3

年に全日空エン タープライズを開設してホテル事業に本格的に進出している

(rJALvsANA

勺)。 日航・全日空の沖縄での観光開発競争は、海洋博前、日航の沖縄グランドキヤツ スルホテル建設に対して全日空が沖縄ハーパービューホテルで応じたことから はじまる。 77年に全日空が久米島にイーフピーチホテルを建設すると、日航は 翌年、ヴィラオクマリゾートを展開する。沖縄観光の成長にともないその後、 全日空は万座ピーチホテル

(

8

3

年)、ラグナガーデンホテル

(

9

2

年)などを建設、 日航も南西グランドホテル(石垣島)、ホテル日航アリピラ

(

9

4

年)を建設(保 有・運営形態は様々)、ムーンピーチ、ヴィラフサキ、はいむるぶしとの提携を 深めた。両社は沖縄キャンペーンなどの広報・宣伝活動も競うようにして行なっ ている。 海洋博のためのインフラ整備と観光開発により、沖縄本島内と離島での周遊 観光が容易になった。航空・旅行会社は、沖縄側の観光企業を系列化におさめ、 標準化された周遊パッケージツアーを開発し、本土市場において大量かつ廉価 に販売する。沖縄の観光業者(宿泊業、旅行業、食事・土産・見学など)には、 独立志向の強い、一匹狼的存在が多かった。だが、海洋博での経験が以下のよ うな教訓を生んだ。すなわち、①観光業の繁栄は客の数で決まる、②大手旅行 業の集客力は抜群だ、③成功するには組織化しかない

(

f

沖縄観光速報

J

1

9

7

5

1

1

1

日号)。海洋博の後、県内の観光業者は一斉に本土の大手旅行会社の傘下 に入ってゆく。沖縄観光はこのような組織化によって急成長を続砂、復帰

1

0

年 を経た

8

0

年代中ごろには観光客数は

2

0

0

万人に到達する(図-

2

)

。 沖縄県も産業主導の観光開発・握興を認め、県観光振興局が

7

9

3

月の観光時 局懇談会で、①旅行業にとって沖縄は本格的パッケ}ジツアーが組める観光地 である、②航空業にとって沖縄は

80%

が観光路線であり、航空会社は積極的な 広告・宣伝活動を要する、③こんな観光地は圏内には少ないという「沖縄観光 定着宣言

J

を行なっている。

137

(7)

-人 45似X畑。 400000o 350似1OO aαlOOOO 2500000 2000000 150α1OO 間 胸 曲 50<拍剖3 0 図

-2

沖縄観光年次別入込数の推移

11

1

1

.

1

.

1

2 5 5 E E E E E喜善 ggg富 喜 苦 言 皇 室 E g g E霊EEg 『観光要覧Jより作成

(

3

)

1980年代の沖縄観光 1980年代の沖縄には、海邦国体 (87年)の成功に向かつて 70年代とは異なる 形の本土化の波が押し寄せた。天皇来沖、日の丸君が代問題など様々な分野で 本土との一体化とこれに反発する県民感情が絡み合った。国体を軸にアイデン ティティに揺れた10年間であった。復帰の混乱と狂乱物価に翻弄された 70年代 に比べて、物価は安定基調で推移、街も人もファッショナプルになり世相に明 るさが見えるようになった。 80年代初頭の沖縄観光にはピーチリゾートが導入される。一般大衆を対象と したピーチリゾートは、ヨーロッパのツアーオペレーターがジェット機やジャ ンポ機の登場による航空輸送力の増大を背景に、 1960年代に地中海沿岸各地に 開発したものである。彼らは観光地における規模と画一性の限度はどの程度ま でかなど、詳細かつ広範囲な調査を行い、ナポレオン

3

世時代の中流階級の保 養地でのライフスタイルを参考に、太陽と海、食事とワインなどを洗練され標 準化された様式で提供するシステムを開発した。このモデルでつくられるリゾー トでは地域性はほとんど重視されていないが、多少は差別化の必要もあり、ホ

(8)

ロウェイ

(

H

o

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y

1

9

8

3

)

は「モンタージ (identikit)目的地

J

と呼んでい る5)

地中海生まれのピーチリゾートを沖縄に持ち込んだのは航空会社の全日空で ある。同社が開発した万座ピーチリゾートホテル

(

8

3

年開業)が、沖縄におけ る国際水準のリゾート施設第l号であり、以後続々と建設されるリゾート施設の モデル的存在となった。リゾート施設はできたが、そこで長期滞在が行なわれ たのではない。 2泊前後の周遊観光のコースのなかにリゾート施設が取り込ま れていったのである。だが、ピーチリゾートは沖縄観光のイメージを高め、 ま た、それまで8月の盆休み前後を除いては振るわなかった夏の観光客を増加さ せ、季節変動の改善に寄与したのだった(図

-3

、後述)。観光客数は

8

0

年代後 半からはとくに好調に増加して90年代初頭には300万人台に達している。 % 60 50 40 30 20 10 図

-3

変動係数の推移 5 5 5 5 5 5 5 E書量 g E E富 喜 苦 言 書 富 E g g E E霊E 『観光要覧』より作成

139

(9)

-以上のように沖縄観光では過去

4

0

年の聞に観光目的が付加されており、①慰 霊・平和、②沖縄の自然や文化への周遊、③ピーチリゾートが三大観光目的に なっている。

3

.

1

9

9

0

年代の沖縄観光

9

0

年代の沖縄観光を以下の4つの時期に分げて概観する(表 -1と文末の資 料参照)。 ①「パプルj とその崩壊

(

9

0

.

.

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9

1

年) ②大型不況と復帰20周年イベント(92...93年) ③円高と空調化対策

(

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4

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.

.

.

.

9

6

年) ④航空の規制緩和 (97...98年) 表 -

1 9

0

年代の経済と観光の数値 実質経済成長率 円相場 国内観光 日本人海外旅行 1989 4.4% 142.82円 1.41回 966万人 1990 5.5% 141.30円 1.54回 1,100万人 1991 2.9% 133.18円 1.73回 1,063万人 1992 0.4% 124.80円 1.57回 1,179万人 1993 0.5% 107.84円 1.63回 1,193万人 1994 0.6% 99.39円 1.62回 1,358万人 1995 2.8% 96.44円 1.49回 1,530万人 1996 3.2% 112.64円 1.47回 1,670万人 1997 0.7% 122.70円 1.63回 1,680万人 1998 -2.2% N/A N/A 1,580万人 外国人来訪 沖縄観光 284万人 267万人 353万人 296万人 324万人 301万人 358万人 315万人 341万人 319万人 347万人 318万人 335万人 328万人 384万人 346万人 422万人 387万人 N/A 413万人 『経済白書

J

r

観光白書

J

r

観光要覧jから作成

(

1

)

r

パプル」とその崩壊

(

9

0

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9

1

年) リゾートマンションやゴルフ場などキャピタルゲイン型の観光開発は、パプ

(10)

Jレ経済に突入するまでの

1

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年間冬の時代にあった。この間の観光開発は、施設 の運営収入を得るインカムゲイン型ビジネスに主眼が置かれた。キャピタルゲ イン型ビジネスを組み込んだ観光開発が再び活発化したのは「平成パプル

J

が 発生した

1

9

8

6

年のことである。

1

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9

0

年までの

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年間、未曽有のパプル経済が続 き、全国各地をリゾート開発プームがおおった

u

戦後観光開発史

.

n

o

8

0

年代後 半には全国的な好景気の波が沖縄にも波及し、本島北部や八重山を中心に、海 洋博前のような土地プームの再来となり地価が急騰した。また、ゴルフ場をは じめとするリゾート開発ラッシュが起こり、自然保護問題が急浮上している。

9

0

年は、「平成パプル

J

最後の年であり、国民の消費生活は「差別化時代到来j などともてはやされ、外車や宝石など高額商品がよく売れた。一方で、「物の豊 かさから心の豊かさ」への志向が顕著になっている。この年、海外旅行者数は

1

0

0

0

万人を突破、運輸省が策定した「海外旅行倍増計画(テン・ミリオン計画

)

J

の目標をl年早く達成した。沖縄観光も入込好調、リゾートマンション・ブー ムに沸く建設と合わせて沖縄経済を牽引した。沖縄県は「リゾート沖縄マスター プラン」を発表(3月)、名護市部瀬名前岬にモデル事業的リゾート開発を行な うための第三セクター「プゼナリゾート鮒」を発足させ(

4

月)、国土庁に「ト ロピカル沖縄リゾート構想」のリゾート法適用を申請した (11月)。好調な観光 入込と沖縄県のリゾート開発に対する積極的な取り組みは、本島北部や八重山 などの土地プームをさらに誘発、地価はさらに高騰した。沖縄タイムス社は

9

0

年の

1

0

大ニュースの第

4

位に「乱開発と地価の高騰

J

をあげている。 インフレ予防措置として、金利引き上げと不動産関係融資の規制が行なわれ たことにより、景気は

9

0

年末から緩やかな減速過程に入った。個人消費には依 然底堅いものがあったが、パプルからパプル崩壊への落差感は大であった。

9

1

年の観光では湾岸危機の影響で海外旅行から圏内旅行へのシフトが起こり、海 外旅行者数が前年割れとなる一方で圏内観光は未曽有の盛況となった。だが、 米軍基地のひしめく沖縄では湾岸危機はマイナス要因となり、入込数は横這い に留まった。県内のホテルは人手不足を理由に、利用料金の値上げを行なった が、湾岸危機で需要減となった海外観光地は料金を引下げたので、沖縄観光は 割高になった。恩納村が「リゾート条例jを制定(1月)するなど自治体のリ

-1

4

1

(11)

ゾート規制が強まり、県の「トロピカル沖縄構想」はリゾート法対象事業の承 認を受けた (11月)が、パプル崩壊が拡大するにつれて観光投資計画は次々に 取り止めになっていった。このように、パプル崩壊に対する沖縄観光の施策は 行政でも産業でもちぐはぐな点がめだった。

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2

)

大型不況と復帰

2

0

周年イベント

(

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2

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9

3

年) 前年にはじまる不況は、後退期間でみても落ち込み幅でみても大型のものと なった。

9

2

年の圏内観光は前年を大幅に下回り、全国のリゾート開発計画は凍 結状態となった。一方、海外旅行はアメリカの航空会社の運賃値引き下げや格 安航空券の増加、地方空港からの海外旅行の増加などにより大幅な増加となっ た。復帰

2

0

周年にあたる沖縄では、首里城の復元など多数の記念事業の観光へ の効果が期待されたが、不況というマイナス要因と相殺される形になり入込数 は微増に留まった。観光投資計画の消失により恩納村のリゾート用地の地価も 沈静化した。同年、西暦

2

0

0

1

年の観光客数目標

5

0

0

万人などを内容とする「第三 次沖縄振興開発計画」が政府決定された。

9

3

年には不況に加えて急激な円高が起こった。圏内観光は微増であり、低コ ストで家族旅行が楽しめるオートキャンプが流行した。円高の効果で海外旅行 者数は増加したが、訪日外国人数は減少している。沖縄観光では、 NHKテレ ビ「琉球の風」の放映(

1

.

.

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.

.

.

.

.

6

月)、全国植樹祭開催(

4

月)など、前年に引き 続き復帰

2

0

周年記念イベントが多数開催されたが、前年同様、不況と相殺され て入込数は微増に終わった。県内最大の客室数をもっ「リザンシーパークホテ ルjおよび「ロワジーJレホテル」が開業し宿泊施設に需給ギャップが生じてい る。

(

3

)

円高と空調化対策

(

9

4

.

.

.

.

.

.

.

.

9

6

年)

9

4

年は景気は緩やかな回復過程にあったが、円高はさらに進んだ。運輸省は 国際航空運賃(エコノミー運賃の

PEX)

の割引率を、これまでの

1

0

.

.

.

.

.

.

.

.

2

0

%

か ら最大

50%

まで拡大した。このため海外旅行ではツアー料金が引下げられ、現 地での観光消費にも割安感が広がった。加えて、関西国際空港も開港したので 海外旅行者数はさらに大幅に増加した。一方で圏内観光は、相対的割高感から 横這いになり「観光の空洞化」が懸念された。沖縄観光も前年割れとなった。

(12)

法人需要と台湾人観光客の減少がとくに目立つた。政府はこれを憂慮し、運輸 省は沖縄ディステイネーション開発会議を設置、沖縄開発庁長官は運輸省に沖 縄路線の航空運賃値下げを要求している。 産業側では、パプル期の安易な値上げを反省、航空・ホテル・旅行業三者一 体となってのコストダウンを行い、海外旅行に対抗し得る料金体系を模索した。 郡覇市内の某大型ホテルではこの時期から

5

年間で正社員

3

割を削減するリス トラを行った

<

f

沖縄タイムス

J

1998年8月28日)。県レベルの観光行政でも94 年、県観光連盟と県観光公社を側沖縄ビジターズビューローとして統合、

9

6

年 にはさらに沖縄コンペンションセンターとオキナワ・コンペンション・ピユー ローをも加えて糊沖縄観光コンペンションピユーローを発足させた。リストラ は行政サイドでも行なわれたのである。 95年には、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり圏内観光はさらに 大きく落ち込んだ。政府は、航空法を改正し、圏内航空運賃の割り引き幅をそ れまでの35%から50%に拡大し、認可制から届け出制にした。航空各社はこれ を受けて、事前割引(早割)制度を発足させている。円相場は同年4月には80 円を割り込み、海外旅行はさらに増加し、年間の海外旅行者数は1,500万人を突 破した。年後半からは円相場が100円台に戻り、沖縄観光も後半から回復基調を みせている。大田県知事は同年10月1日、「観光立県宣言」を行なっている。 翌

9

6

年も景気は依然緩やかな回復過程にあったが、円相場の方は

1

1

0

円台を回 復した。だが、海外旅行増加・圏内観光低迷の基調は年末まで継続する。沖縄 観光は年聞を通して好調に推移した。 運輸省は国内線の規制緩和と自由競争促進を目的として航空運賃の幅運賃制 度を導入した。これは各路線毎の運航経費に適正利潤を加えた標準原価を上限 とし、そこから25%低い価格を下限として、その幅のなかで航空会社は届げ出 だけで自由に運賃設定ができるというものである。航空各社は、年間のシーズ ンをピーク・中間・オフの3段階に分けた新運賃体系への移行を行なった。ま た、格安チケット販売の大手

HIS

社が格安航空会社設立に向けた準備会社を 開設(10月)、 JTBが大手旅行会社としてはじめて格安航空券の販売に着手し ている。 -

(13)

143-(4) 航空の規制緩和 {97~98年) 緩慢ながらも回復を続けてきた日本経済は、

9

7

年に入って消費税率引き上げ に伴う駆け込み需要の反動減に加えて、秋以降の金融機関破綻による金融シス テムへの信頼低下などから景気は停滞状況となりマイナス成長を記録する。円 安傾向に加えてエジプトでの観光客襲撃事件、前年の香港中国返還の反動減な どにより海外旅行の伸び率が鈍化するなか、圏内観光は長野オリンピック開催 や羽田新C滑走路の供用開始による航空便の増加などにより回数、宿泊数、消 費額ともに前年を上回った。同年の沖縄観光でも入込数が大幅に増加した。一 連の航空の規制緩和(ダブルトラック・トリプルトラック基準の廃止、沖縄路 線の航空運賃の引き下げ、羽田空港の新滑走路の供用開始など)は、沖縄航空 路線の新規開設や増便をもたらし、季節便や深夜便も登場して消費者の選択肢 が増加した。 船舶関係でもアジア最大のクルージング会社・スタークルーズ社(シンガポ-1レ)の大型クルーズ船が3月から、台湾から沖縄への国際定期クルーズを開始 した。台湾)'{イナップル社のひめゆりパーク買収、中央投資公司のアクアポリ ス再開発など台湾企業の沖縄への観光投資が活発となった。沖縄県の「国際都 市形成構想

J

や「全県自由貿易地域

J

など国際化・自由化への取り組みが効を 奏しつつあるようにみえる。

9

8

年には不況はさらに進行、日本列島総不況といわれる状況となった(成長 率マイナス2.2%、失業率4 %突破)。その中で「金融ビッグパン

J

が幕開けと なり、航空関係では「日米航空協定

J

の新合意が成立した(

3

月)。わが国は

1

9

5

2

年、対日講和条約によって航空主権を回復し日米航空協定が締結されるが、敗 戦国であるわが国にとって著しく不利な内容であった。

9

8

年、米国の主張する 航空自由化を日本側が大幅に受け入れることにより、ょうやく不均衡の是正が 合意されたのである。これにより、日航とアメリカン航空の共同運航による業 務提携が開始され、全日空とユナイテツド・ルフトハンザ航空、日本エアシス テムとノースウエストの共同運航も予定されている。圏内航空の規制緩和では、 スカイマーク・エアラインズ(

9

月)と北海道国際航空

(

1

2

月)の両社が運航 を開始した。格安運賃を売り物とする新規参入の刺激により既存各社の経営体

(14)

質を強化し、国際競争力の強化につなげようとするものである。 圏内観光の実績数字は未発表であるが、海外旅行者数は前年比100万人減の 1580万人前後となった模様である。沖縄への観光客数は初めて400万人を突破し た。円安や景気低迷による海外旅行客の圏内へのシフトがみられるが、沖縄は 圏内観光地の中で優位な地位を占めている。 90年代半ばからのリストラと政府 の支援の成果である。なお、改正沖握法(

3

月)では沖縄型観光特定免税庖制 度及び観光振興地域制度が導入されている。

4

.

沖縄観光の事業特性 以上のように約40年の歴史をもっ沖縄の観光事業(産業と行政の活動を含む) は、日本市場を対象に開発・推進されてきたのであり、現在でも観光客の95% が日本人である。したがって、その基本的事業特性は日本人の圏内観光地であ ることに起因している。

(

1

)

月別変動 沖縄観光の事業特性の第ーは、入込において月別変動が少ないことである。 観光入込数の月別標準偏差を月平均で除すると(変動係数)、各年15%を割って おり(前掲図ー

3)

、ハワイ

(7%

前後)や京都

(6%

前後)には劣るものの、 北海道 (58%前後)や屋久島 (25%前後)と比べるとかなり小さな値になって いる(小谷達男氏は月別変動係数30%以下を「四季型の観光地

J

であるとして いる町。観光事業は基本的に季節別・月別・週別の入込変動が大きく(不連続 的生産形態)、生産と消費が同時完結的に行なわれ(生産即消費型の産業)、創 業期の投資が大きい(労働装備率が高い)という経営上の不安定要因をもっ。 したがって大勢の観光客が平均的に来訪する観光地が最良であり、経営的立地 条件に優れているといえる7)。 観光には発生需要に季節性があり(春・夏の行楽シーズン、夏休み・冬休み など)、観光地も季節性を免れることはできない(夏中心の海浜リゾート、冬中 心のスキーリゾートなど)。いかなるタイプの観光地でも通年型経営を目指す努 力なしでは季節性から脱却することはできないのである。 たとえば、共に「トロピカル

J

が売り物のハワイと沖縄では、まったく異な 145

(15)

-る方法で四季型の観光地をめざしてきた九年間平均気温では郡覇市23.10C度・ ホノルル市25.50Cと似たようにみえる両市だが、月間気温格差はホノルルの4.60C に対して那覇は12.6・

C

と大きな聞きがある。ホノルルは「常夏

J

であり、那覇 は夏蒸し暑く・冬は季節風で寒く、春には梅雨・秋には台風など四季ごとに気 候の特徴がある。ハワイは、トロピカJレ・ピーチリゾートとして最高の気候条 件をもっている。だが、観光事業推進のためには大きな欠点もあった。文化資 観光源が皆無、広大な未開発地はあるが開発資金が不足、市場まで遠い(最短 距離のロサンゼルスまで約4.000キロ)などである。ハワイ州政府とHVB(ハワ イ・ビジターズ・ビューロー)は、ラスベガスやプロードウェイの演出家・作 曲家に依頼して観光客向げのフラダンスやハワイアン音楽をつくり、開発地域 を狭く限定した観光マスタープランの推進を通じてディペロッパーに対して有 利な地位を維持した。 1960年以後のジェット機・ジャンポジェット機のハワイ 路線導入により、各市場からの時間的・経済的距離は大幅に短縮された。ハワ イの観光行政は、日本、カナダ、オーストラリア、ヨーロツパ各園、東アジア 各国などにHVBの海外事務所を開設して市場拡大をはかった。ハワイ観光の 月別変動幅は、観光市場を世界各地へ拡大して観光需要の季節性を平準化させ ることによって縮小されたのである。 四季の明確な沖縄では季節に応じた観光目的が必要である。年間のスローシー ズンには観光行政が主催する様々なイベントも行なわれている。だが、沖縄観 光における月別変動幅の縮少はツアー価格の変動によるものである。観光は生 産即消費の産業であり、工業製品のように在庫による供給量の調整ができない。 需給の調整は、生鮮食料品などと同様に価格調整で行なわざるを得ない。沖縄 観光では、市場におげる規制がなく、自由競争原理が保たれている。沖縄へ観 光客を送り込む旅行会社は大別して、大手(

3

社)・準大手 (12社)・中小(月 により200'""550社)に分げられるが、それぞれの顧客層・目的・予算が異なっ ている。沖縄観光ではシーズン毎、観光施設ランク毎に弾力的かっきめ細かな 価格体系が形成されて、各々の顧客ニーズに即して棲みわ砂のような形で入り 込みが行なわれている。沖縄観光は「神の見えざる手

J

によって需給調整が行 なわれ、月別変動の縮小が行なわれているのである針。

(16)

(

2

)

周遊観光 わが国の大衆観光(マスツーリズム)における観光行動の最大の特徴は「周 遊型」であると考える。もちろん近年、個別の観光行動では多様化が進んでい るが、その枠組みは、「旅行期間を制約条件としてそこに多くの活動が盛り込ま れれば楽しい。あるいは満足度が高いj という周遊観光のものである。大衆観 光の発祥地であるヨーロッパでは、産業革命後の工業都市での生活環境の悪化、 とくに、工場や事務所での屋内作業による日光不足が健康上の不安となり、保 養のために仕事仲間や家族とともに鉄道で海浜に出て週末を過ごした。これが 典型的ケースである。保養の効果が出てくるためには一定の滞在期聞を要する が、

2

0

世紀に入り有給休暇制度が拡大してリゾート、すなわち「活動地域を制 約条件として、そこに長期間滞在することが楽しい、満足度が高いj観光が可 能になったのである。わが国における大衆の旅行は、江戸時代の伊勢詣でなど の巡礼の旅にはじまる。巡礼は多くの社寺・神仏を訪れるほどお陰が大きいと いう多数作善の思想によるものである。ヨーロッパでも中世は「巡礼観光の時 代」と称されるほど巡礼が盛んであったが、宗教改革で迷信とされたことから 相対的に減衰してゆく。わが国では近代化以後も巡礼は否定されることなく、 観光のあり方にも周遊観光として受け継がれて現在に至っている1

-2

は(社)日本観光協会の調査による「宿泊数の推移」である。平均宿 泊数では昭和

4

3

(1

9

6

8

)

年以来横這いもしくは短縮化傾向にある。

1

泊・

2

泊 を合計すると80%を越える数字になっている。 表

-2

宿泊数の推移 (%) 泊 数 昭43和 45年 47年 49年 51年 53年 55年 57年 回年 61年 63年 平成 4年 6年 8年 年 2年 観光レクリェ-lIヨン 3,191 3,708 3,575 4,874 2,3卯 2,373 2,461 2,772 2,5お2,ωo 2,841 2,931 3,227 3,401 3,072 述べ回数 1 泊 ω.2 43.8 48.8 53.4 52.0 56.2 52.6 55.6 54.7 ω.2 58.0 55.3 57.5 61.2 62.7 2 泊 19.8 36.2お.5お目9 23.6 24.0お.2 23.4 25.9 22.8 24.7 25.3 34.0 22.0 25.5 3 泊 9.4 12.5 11.2 10.5 10.9 9.3 11.7 9.8 10.8 9.3 8.7 9.7 8.8 6.0 6.7 4 泊 3.8 5.7 4.5 4.2 4.9 4.1 4.8 4目l 3.3 3.0 3.2 3目4 3.6 2.4 2.1 5 泊 2.1 3.4 3.2 2.5 2.9 2.4 2.0 2.3 2.0 1.5 1.6 1.6 1.9 0.9 0.9 6 泊 以 上 4.7 8.4 5.1 4.6 5目4 3.9 3.7 2.7 2.5 2.0 1.9 1.7 1.7 0.8 1.0 平 均 宿 泊 数 1.8 2.2 2.0 1.9 2.1 1.9 2.0 1.9 1.8 1.7 1.8 1.8 1.7 1.6 1.6 『観光の実態と志向』より転載

-1

4

7

(17)

江戸時代の巡礼の旅は、たとえば、江戸からであれば伊勢の他に京・大坂、 四国や中園地方にまで足をのばし

2

ヵ月近くもかけての旅であった。現代の周 遊観光は、交通機関の発達により短期間に多くの活動が可能になり、旅行回数 は大幅に増加したが旅行期聞は大幅に短縮した。宿泊などの旅行費用が高いこ とも旅行期聞に対する制約条件になっている。沖縄観光でも平均滞在日数の短 縮化がみられる(図-4)0 1泊2日のパッケージツアーや本土からの日帰り出 張も増加している。 図 -4

r

県内観光客の平均滞在日数の推移j 4.8日 4.6 4.4 4.2 4.0 ト・ー・・?・・・ー-一一一一・・一一--一一一一一一...一一一...._....-.. 3.8 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 - 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 3.6 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 00 ~ ~ ~ ~ ~ ~年 『観光要覧』よ帽t銀調査部作成 図-5は1997年に沖縄県が行なった「旅客アンケート調査」における県外客 の旅行目的を整理してまとめたものである。旅行目的では観光地巡りが(44%) もっとも多く、保養・休養 (9%)はわずかである。海水浴やダイビングなど のスポーツ (17%)は、リゾート(保養に)に含めて分類する考え方もあるが、

1

.

.

.

.

.

.

.

2

泊程度の旅行日程のなかで行なわれるスポーツを、滞在型観光のイメー ジのあるリゾートに含めることには費同できない。

(18)

-5

r

沖縄観光の目的

J

不明

'

観先地巡り 44

会随・研修 71 保聾・休養 『観光要覧』より作成

'

(3) 成熟期 日本経済が成長などにおいて成熟期にあることは多言を要しないと思われる が、圏内観光市場も、倒日本観光協会の調査(図

-6

・図-

7

)

が示すように、 すでに成熟期にある。 図

-6

図ー

7

宿泊観光レクリエーション参加率

宿泊観光レクリエーション回数

{回) (.加者平鈎〉 回 t m T ・ 3 h a J F T 42 f ι S H I ' a 〆邸 r ' ι m ω 山 a . f ・ 働 想

、 .

5 ー 、 a f ' I / 8 4 ・ . 1 5 ・ ja -E V T TH a h 1 ・" S ャ

ι

l o h aJo s -E 1.43 40 20 f全体平崎} 0・ー・・・・・・・・・・・・・・

昭43 45 41柑 51日 55 51田 61 63平2 4 6 8 昭43 45 41 49 51 53 55 51 59 61 63平2 4 6 8 {年:) (洋} 『観光の実態と志向』より転餓

149

(19)

-すなわち国民の約

6

割という観光参加率は、フランスなどヨーロッパにおげ るバカンス参加率に等しく、年間

2

'

"

"

'

3

回の宿泊観光は、たとえば夏休みと年 末年始、人によっては春・秋の観光シーズンにあと

1

度などとすれば、観光回 数もそろそろ天井に差しかかっていると考えざるを得ない。 沖縄への観光客数は、

1

9

9

0

年代初頭には

3

0

0

万人に達していた。だが、以後

6

年間は、多数の復帰

2

0

周年イベントの開催にもかかわらず、年々微増の状態が 続いた。復帰以後高度成長が続いた沖縄観光も成熟期に入ったことは明白であっ た。行政と産業(航空・ホテル・旅行会社)一体のリストラとコストダウンに 加えて航空の規制緩和の恩恵も受げて、

9

7

'

"

"

'

9

8

年の好調な入り込みが全国的に 注目されるほどになった。だが、収益性の回復までには至っていない。沖縄観 光は、成熟期にある圏内観光市場への依存度の低下をはからないかぎり自らの 成熟期からの脱却は困難なのである。 (4) 内発型観光 県内でも内発型観光への取り組みが様々に行なわれている。「内発

J

の意味を 「外の力を当てにしない、依存しない

J

とする川ならば、沖縄ではそのような形 の観光は一部の離島を除いて、大きな可能性を見いだせないだろう1九 たとえば、エコツーリズムだが、わが国ではその原型を江戸時代に見ること ができる。江戸の大名たちは大庭園を競って造った。後楽園、六義園、浴恩固 などは名園として知られている。これら庭園は山中、山里、あるいは渓流、深 山といった雰囲気を色濃く備え、四季折々に、将軍の御成りや大名たちを招い て、社交と饗宴が行なわれていた13)。江戸市中に多くの名所があったことは、

f

江 戸名所記j

(

1

6

6

2

)

から『江戸名所図会j

(

1

9

世紀前半)へとつながる一連の名 所案内記が伝えている。元禄年聞から文化・文政にかげでは、天下泰平の世の 中と町人の経済力の向上を背景として町人文化が沸々と勃興し、嫡熟期を迎え た。町人たちもまた四季折々にそれぞれの名所に繰りだし物見遊山を楽しんだ川。 春は花見、夏は涼み、秋は二十六夜待、冬は雪見など、同時代のヨーロツパと 比べても遜色はない。 物見遊山は現代でも「アウトドア活動」などと呼ばれ依然活発である。四季 の明確なわが国では、わざわざ遠くまで出かけなくても、季節が変われば自然

(20)

の変化が訪れる。自然に接したいという観光需要の大部分は、居ながらのエコ ツーリズムに吸収されているのである。 グリーンツーリズムはふるさとへのあこがれがその源である。たとえば、「森 の民」といわれるイギリス人のふるさとの原風景といえば、「なだらかな起伏が 続く緑の丘陵地、くっきりと影を落とす生け垣の茂み。織や樫の木の下には谷 川が流れ、鱒が銀鱗を踊らせる。丘陵地の主役はもちろん羊たち。村々の家は ライムストーンで建てられていて、おだやかな風景美の特色となっている…」。 あのイギリスの田園である。日本人の場合、ふるさとの原風景への回帰の旅と いえば盆暮れに行なわれる「帰省

J

であろう。サトウキピやパイナップル畑の 沖縄の農園がいくら整備され美化されても、本土の人聞にとってはなつかしく も嬉しくもない。 内発型観光でもっとも難しいのは観光客の誘致である。パッケージできた観 光者のおこぽれを期待するのでは内発型の名に値しないだろう。内発型観光で は長期滞在が前提になっている。だが、滞在期間の短縮化傾向が依然進行中と いう現状に逆らうことは難しい。周遊観光と長期滞在を前提とするリゾートは それぞれ異なるニーズによるものであり両者に優劣はない。周遊観光が発展し てリゾートになるとも考えられないのである。 政府は『平成

1

0

年版・観光白書』のなかで、わが国の観光の問題点として、 圏内観光市場の停滞と外国人旅行者数が国際的にみて低い水準であることをあ げている。そして、「圏内の旅行システム及び観光地は多様化している観光者の 旅行ニーズに対応できず均一化・陳腐化し新鮮な魅力を失っている15)Jと圏内観 光産業を酷評している。今後については、圏内旅行と海外旅行の同一市場化が 進行するなかで、観光地の個性化を通じた競争力の強化を図ることが重要だと 述べている。『白書』はまた、近年の海外旅行者急増の背景には急激な円高があっ たこと、訪日外国人旅行者数は円相場に左右されやすいと分析している。だが、 『平成

8

年版観光白書』にみられるような、「円高が国内旅行から海外旅行への シフト(,観光の空洞化

J

)

を生んでおり、圏内旅行の低価格化により圏内観光 の振興を図ることが重要だ16)

J

などの観光における内外価格差を重視する姿勢か らは後退している。

(21)

-151-わが国の観光市場が成熟期にあるとするならば、圏内の各観光地が「観光地 の個性化」というような、観光地ライフサイクルにおける開拓期に行なうべき 課題に集中するのでは、圏内観光全体としての対策にはならないだろう。沖縄 観光でも新たな観光資源についてのアイディアが連日のように地元新聞紙上に 掲載されている。だが、筆者は、あれこれと開発の手を広げて総合観光地化し てしまうことを恐れる。沖縄観光における慰霊・平和、自然や文化への周遊、 ピーチリゾートの三大資源をもっと大切にもっと洗練させるべきなのである。

5

.

沖縄観光の課題(むすび) 沖縄観光は戦後まもなく、沖縄戦犠牲者の遺族団や宗教団体が自然発生的に 訪れるようになったことが端緒になっている。徐々に媒介サービスが発達する が、

6

0

年代後半からのジェット機・ジャンポ機の沖縄定期空路への導入が、高 度成長時代の日本人観光客の増加をもたらした。復帰以後、沖縄の観光事業は 国家事業として基盤整備が行なわれ、民間の事業主体が組織的に開発・推進す るものとなった。このため観光入込数は復帰後20年間で約 7倍に増加し、沖縄 経済にお砂る基幹産業としての地位を獲得する。 だが、

9

0

年代に入り、観光入込数の伸びが鈍化する。パプル経済の崩壊がきっ かけであった。入り込みの低迷のなかで、沖縄県は県内全域を対象とした開発 マスタープランを策定し、リゾート法の申請を行なった。観光産業は安易に料 金値上げを行い、市民グループはリゾート開発による地価高騰や自然破壊を懸 念して様々な住民運動を展開し、たとえば恩納村ではリゾート条例が制定され た。そのころには合計

1

5

0

件以上もあったはずのリゾート開発計画のほとんどが 雲散霧消していた。首里城の復元、全国植樹祭、 NHKドラマ「琉球の風

J

な ど復帰20周年関連イベントも、観光客の落ち込みを防ぐのがやっとの状態になっ た。乙の時期の沖縄観光事業は、行政・産業・住民ともに、市場の動きを把握 できず、どこかちぐはぐな動きに終始した。

9

4

年になると沖縄観光は、円高による「観光空調化

J

の影響を強く受けるよ うになる。円高による海外ツア}料金の引き下げに加えて、国際航空運賃の割 引率の拡大、関西国際空港の開港もあり、日本人観光客の圏内観光から海外旅

(22)

行へのシフトが顕著になった。同年の沖縄観光の前年割れは、国政レベルでも 問題になり、対策会議の開催や沖縄航空路線の運賃値下げが検討された。産業 側では航空・ホテル・旅行業者一体となったコストダウンとリストラを行ない、 沖縄県も観光外郭団体を一つに統合するなどのリストラを行なった。大田県知 事は95年10月、「観光立県宣言

J

を行なっている。 97年以後、沖縄観光にもっとも影響を与えるのは航空の規制緩和である。圏 内航空政策におげる構造規制の緩和は、沖縄の航空路線網の拡大や運賃低下と なり、不況と円安の中で海外旅行が伸び悩むなか、 97~98の両年には好調に入 込数を伸ばした。今後は、 98年3月の日米航空交渉新合意にもとづく、日米航 空会社の共同運航など、国際路線における規制緩和の影響が強く出てくると予 想される。 沖縄観光の事業特性としては、①月別変動が少ない四季型の観光地である、 ②周遊観光地である、③成熟期にあることが挙げられる。また、④内発型観光 の推進は容易でない。沖縄の観光事業は、日本の観光行政と観光産業により、 日本市場を前提として開発・推進されてきたものであり、現在でも観光客の95% が日本人である。したがって、その事業特性は日本人の圏内観光地であること に起因している。 沖縄観光の課題としては、なによりも成熟期を抜げ出すことが重要であるが、 日本の観光市場全体が成熟期にあることからすれば、日本市場への依存度を低 め、「東アジア市場への拡大

J

、そのための「コストダウン

J

が必要である17)。 (1) コストダウン 人件費カットなどのリストラには限界がある。以下の3項目が今後のコスト ダウンのポイントである。 ①規制緩和…鉄道・航空・道路など交通部門における様々な規制緩和が圏内観 光のコストダウン効果を生んでいる。沖縄観光における今後のコストダウン も航空会社会社主導で進むだろう。航空ビッグパンの進展によって、米国航 空会社の2倍といわれる日本の航空会社の運航コストがどの程度削減される か、また、日米航空会社の共同運航がどの程度進行するかを熟視しなければ ならない。 q a E d 唱i

(23)

②規模の経済…観光は沖縄において規模の経済が期待できる唯一の産業である。 内部経済でも外部経済においても規模の経済によるコストダウンをはからな ければならない。ピーチリゾートは、ビーチという収容能力が無限といえる ほど大きい立地条件にあることが事業上の利点であり、世界的に普及した一 つの要因でもある。だが、沖縄のリゾート施設は周遊コース上に分散して配 置されていて、規模の経済が生じにくい構造になっている。リゾート施設を リゾートタウンの形に集積することが規模の経済のための一方法である。港 湾・空港・道路など観光インフラの規模並大が必要なことはいうまでもない ③系列の解消…沖縄の観光企業は航空会社及び大手旅行会社を核にして系列化 されており、中途半端な規模の施設が系列ごとに存在している。施設相互の 競争が少なく、経営の近代化にも遅れをとっている所が少なくない。沖縄観 光は系列化・組織化によって成長してきたのだが、成熟期の現在ではマイナ ス面が目立つている。系列を越えた整理統合による規模拡大と競争原理の導 入が必要なのは他産業と同じである。 (2) 東アジア市場への拡大 サービスがよく安く行ける観光地は圏内市場からもアジア市場からも求めら れている。沖縄観光における市場甚大とは東アジア観光市場の取り込みである。 東アジア観光における香港、シンガポール、タイ、マレイシアなどの「観光の ハプ

J

に対して沖縄をどのように位置づげ得るかが課題である。東アジアにお ける経済先進国であるNIESと日本の5ヵ国・地域相互間の観光流動は相互に外 国人旅行者の約半分を占めるなど互恵的である(表ー 3。) 東アジアの観光ルートは西ヨーロッパのように北から南への一方通行でなく 双方向の観光流動により成り立っている。沖縄がこれら観光Jレートを通じて観 光客誘致を行なうのみではアジアの観光市場には顧みられないだろう。沖縄は、 日本市場とアジアの観光地をつなぐ一定の役割を果たすことによって東アジア の観光ルート及び市場に参画できるのである。

(24)

-3

日本とアジア

N

I

E

S

における観光交流 受付入れ 単位.千人 日本 限位 % 鱒国 願位 % 台湾 順位 % ;1;.1酪-,1.順位 % 香港 順位 % 送 日 本

。 。

1,526 41.4 823 38.1 1,119 16.5 1,369 2 16.9 り 韓 国 鈎4 l お.9

0.0 130 4 6.1 おl 5 4目9 356 4 4.4 出 台 湾 η

2 18.8 114 3.1

0.0 弱3 4 1.9 1,183 1 22.0 しシンガポール 51 1.3 43 1.2 101 3.3

0.0 340 4.2 香 潜 169 4 4.4 18 2.1 242 3 11.4 219 3.9

。 。

計 1,934 50.4 1,161 41.8 1,2邸 59.5 2訂,2 33.2 3制,8 41.5 他アジア州 ωl 15.1

18.5 341 16.3 2,860 40.1 1臼,5 20.8 アジア州計 2日,5 66.1 2,441 66.3 1,612 15.8 5,232 13.3 5,533 68目2 北アメリカ州 回4 11.8 441 12.0 312 14.1 401 5.1 919 12.1 ヨーロッパ州 414 12.4 423 11.5 iお 6.3 966 13.5 1,116 14.5 I そ の 他 144 3.8 318 10.3 侃 3.2 日2 1.5 421 5.2 dロL 3幻,7 100.0 3683 100.0 2121 lω.0 1131 100.0 8.109 100.0 各国観光統計から作成 註) 1 )詳しくは拙稿「沖縄観光の推移と土産品業についての一考察

J

.

r

沖縄大学 地 域 研 究 所 年 報

J

N

.

o

3

.沖縄大学地域研究所.

1

9

9

2

.

参照

2

)石川政秀『沖縄の観光産業.1.

3

9

頁,沖縄観光速報社.

1

9

8

4

3)永井弘『戦後観光開発史上序章大物たちの軌跡と時代背景,技報堂出版,

1

9

9

8

4

)

杉浦一機

DALvsANAJ.

地上での攻防、ホテル戦争,中央書院.

1

9

9

3

5

)

アラン・

M

・ウィリアムス&ガレス・ショー編著広岡治哉監訳『観光と 経済開発ー西ヨーロッパの経験

J

.

2

2

頁.成山堂書店.

1

9

9

2

6

)

小谷達男『観光事業論上 「第

9

章観光地とその経営

J

.

学文社.

1

9

9

4

7

)小谷達男「観光事業の性格と構成

J

.

鈴木忠義

f

現代観光論j,有斐閣双書,

1

9

7

4

155

(25)

-8)詳しくは拙稿「沖縄観光事業の国際競争力

j

.

r

沖縄短大論叢』第7巻第l 号,沖縄大学短大部.

1

9

9

2

.

参照

9

)詳しくは拙稿「団体入込表による入込分析

J

.

r

沖縄短大論叢』第

6

巻第

1

号,沖縄大学短大部.

1

9

9

2

.

参照

1

0

)

詳しくは拙稿「巡礼と観光に関する一考察

J

.

r

沖縄短大論叢』第

1

2

巻第

1

号,沖縄大学短大部.

1

9

9

8

.

参照

1

1

)

吉野正治『市民のためのまちづくり入門.1.日

1

1

まちを楽しくいきいきと

j

.

学芸出版社.

1

9

9

7

1

2

)

詳しくは拙稿「エコツーリズムについての一考察

j

.

r

沖縄大学地域研究所 年報j

N

a

1

0

.

沖縄大学地域研究所.

1

9

9

8

.

参照

1

3

)

白幡洋三郎『大名庭園.1.

r

2

章山海の佳景

J

.

講談社選書メチエ.

1

9

9

7

1

4

)

坂口福美「江戸の物見遊山

J

.

旅の文化研究所編『落語にみる日本の旅文化.1. 河出書房新社.

1

9

9

5

1

5

)

総理府編『平成

1

0

年版観光白書

.

L

r

2

章近年の観光レクリエーション の動向及びそれに対する対応

J

.

大蔵省印刷局.

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8

1

6

)

総理府編『平成8年版観光白書.1.

r

第2章観光の当面の課題j.大蔵省印 刷局.

1

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9

6

1

7

)

詳しくは拙稿

rNIES

と沖縄の観光交流

J

.

r

沖縄大学地域研究所年報.I

N

a

1

1

.

沖縄大学地域研究所.

1

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8

.

同「沖縄観光産業の動向

J

.

r

沖縄の勤労者白 書

1

9

9

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年版』糊雇用開発推進機構.

1

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9

9

.

同「クルーズによる

NIES

沖縄の 観光交流

j

.

r

日本港湾経済学会年報

J

.

日本港湾経済学会.

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9

9

.

参照

(26)

(資料)

経済と観光の状況

(

1

9

9

0

-

-

9

8

年)

*

1

9

9

0

(平成

2

)年 1 )経済の状況

9

0

年は、東西ドイツの統一、ソ連・東欧の経済改革、湾岸危機と世界経済を 激動させる出来事が続いた。また、アメリカ経済が年央から景気後退局面に入 るなど世界経済の盤大には陰りも生じてきた。こうした中でわが国経済の成長 率は5.5% と 88~89年度に引き続き高めのものとなった。 90年の経済の特徴は、 圏内民間需要が全体として堅調さを維持したこと、雇用の伸びが高かったこと、 賃金・物価が基調としては落ち着いていたこと、経常収支の黒字が縮小したこ となどである。これらは今回の景気拡大局面の特徴でもある

(

r

平成3年版・経 済白書j)

年初から4月にかげては「トリプル安

J

(株安、債券安、円安)、 8月にはイ ラクによるクウェート進攻とそれに伴う原油価格上昇、

1

0

月には株価が大幅に 下落し、「パプル崩壊」の指摘もあったが、その後も消費は堅調に推移した。消 費はこの年、「差別化時代到来

J

などと持てはやされ、外車や宝石がよく売れた。 産業構造審議会は「経済効率から生活重視へ

J

r

ゆとりと豊かさの実現を

J

など の建言を行なっている。長期好況は全国的に深刻な入手不足を招き、大学・短 大卒業予定者への求人総数は夏の段階で

1

0

0

万人を越えている。(

$1=14

1.

3

0

円、 総実労働時間:2,052.8時間)。 県経済も、日本経済の長期監大を背景に堅調に推移した。観光客は290万人台 が確実になり、建設も公共工事をはじめ民間のリゾートマンション建築など活 発であった。個人消費の順調な流れも依然として衰えを見せてない。今後成長 の速度に若干のスピードダウンがあるかもしれないが、高水準ということには 変わりなく、堅調さは当分の間続きそうだというのが、関係者の一致した見方 であった。 金融面では、前年は低金利時代で各金融機関とも量を伸ばしてきた。

9

0

年は インフレ懸念から予防措置としての金利引上げと不動産関係融資の規制があり 勾 i F 同 υ 唱i

(27)

BIS

基準達成に向げて量的抑制を図った時期だった。中間決算では銀行・証 券ともに大幅に収益を減らし、増収減益の厳しい結果となった。一方、産業界 は全体に好調な中で明暗が分かれた。明るいのはオリオンピールであり、 7月 に首都圏で販売を開始し、夏場の猛暑を背景に好調に売り上げを伸ばした。暗 の方は前年来深刻な経営危機にあるホーメルであり銀行の全面支援で危機を乗 り切ることになった。労働力の逼迫は沖縄にも起こり、ホテルと建設では64% の企業が人手不足の状態にある(琉球銀行の調査など)。 復帰国年、県民の生活水準は着実に向上したが、自然破壊、乱開発、地価高 騰など、県民は足元の揺れを感じている

(

f

沖縄タイムス

J

12月31日)。

2

)観光の状況 ①圏内観光…いざなぎ景気以来の長期の景気の拡大が続くなかで、観光需要 も堅調に推移した。圏内宿泊観光は延べ約1億9,000万人、国民1人当たり平均 1.

5

4

回と前年(1.

4

1

回)をかなり上回った。同年には「国際花と緑の博覧会

J

が開催された。圏内航空路線では、平日シルバー割引、家族割引などの割引運 賃制度が導入され、圏内

2

7

路線では航空運賃の値下げが行なわれた。

(

r

平成

3

年版・観光白書.1) ②国際観光…日本人海外旅行者数は1,100万人であり、テン・ミリオン計画を 1年早く達成した。訪日外国人旅行者数も324万人と過去最高になったが、アジ アからの旅行者が大幅に増加したためである。

IATA

は、イラクのクウェー ト侵入による燃油費の上昇を理由に日本発の国際航空運賃の7 %値上げを決定 した (10月)

(

r

平成3年版・観光白書

J

)

。 ③沖縄観光…観光客数は年明げから順調な伸びを示し、 10月を除く各月にお いて単月の過去最高を記録し、年間総数は296万人(対前年比10.7%増)となっ た。 <増加要因> ・リゾート沖縄の定着 ・花のカーニパルなどのイベントの定着 ・新規航空路線

(SWL:

東京一宮古、

JAL:

名古屋便)の開設 .台湾からの観光客の増加

(28)

-修学旅行の増加

(

r

平成

3

年版・観光要覧.1) 沖縄県は国際的観光・保養地をめざし、

1

0

年間で

1

0

地区を重点的に整備する 「リゾート沖縄マスタープラン

J

を発表(

3

月)、名護市部瀬名岬にモデル事業 的リゾート開発を行なうための第三セクター「プゼナリゾート側

J

を発足させ た (

4

月)。また

1

1

月には国土庁に「トロピカJレリゾート沖縄構想

J

のリゾート 法適用を申請した。 好調な観光入込みと積極的な観光開発政策は、活発な民間観光投資計画を促 し、沖縄本島北部や八重山には海洋博前のような土地買収ブームが再来した。 恩納村と読谷村のリゾート適地には時価の

5

倍ものオファーがあり、監視地域 に指定しでも効果が薄かった。開発が実際に行なわれれば上下水道などインフ ラへの投資が必要となり、村財政圧迫が懸念された。両村はともに観光開発規 制の意向を表明している(,沖縄タイムス

J

3月13日など)。県内各地のゴルフ 場建設計画には住民の反対運動が次々に起こっている。沖縄タイムス社の

9

0

年 県内

1

0

大ニュースに「乱開発と地価の高騰」を第

4

位にあげている。

*

1

9

9

1

(平成

3

)年 1 )経済の状況)

8

7

年以降力強い拡大を続げたわが国経済は、

9

0

年末から緩やかに景気の減速 を始め

9

1

年後半には調整過程に入り、 GDP成長率(実質)は

2.9%

となった。 個人消費は、前年までの高い伸びに比べれば鈍化したが、賃金や雇用者の依然 順調な伸び、消費者物価の安定を反映した実質雇用者所得の堅調な伸びに支え られて底固く推移した。 日本経済は難しい局面に立っている。短期的には、景気が調整過程にあり、 経済活動の減速が各部門に波及している。

1

9

7

0

年代以降、外的要因による景気 減速を経験してきたため、今回のような、自律的、内生的な景気変動に対して、 各経済主体にとまどいが見られる。そして、高い成長から調整過程に入った時 の落差感が大きく、実態以上にマインドの冷え込みにつながっている。また、 長い景気拡大の中で株価、大都市圏などの地価が経済の基礎的条件(ファンダ メンタルズ)と整合的な水準を上回って高騰し、その後下落するという、いわ

(29)

-159-ゆる「パプル

J

の発生と崩壊が起こり、その過程で金融・証券不祥事件も発生 した。今後、中期的に、金融・証券業を含む各業種において財務体質の健全化 を行なっていくことが必要となっている。更に、圏内的、国際的に

4

長期的な 問題があらためて明らかになってきている。すなわち圏内的には、企業の成長、 国民経済の成長を第一の目標としてきた日本の経済発展においてよ国民一人一 人の生活は、物質的な消費水準では豊かになったが、長い労働時間、住宅・社 会資本の立ち遅れなど、生活の質が犠牲にされてきたのではないだろうかとい う問題である。国際的には、アメリカ、ヨーロッパ、日本が競争しつつ協調し ながら世界経済を支えていく上で、相互に、相手国の経済構造の特徴のうちょ い点は取り入れ、問題点は指摘して改善を求めるという傾向が強まっている。 日本については、市場経済がどのような構造で、どのように機能しているのか、 どのような要因が成長に寄与し、どのような要因が生活の質の犠牲につながっ ているのか、どのような点が課題になっているのかを明確にし、自主的に対応 していくことが求められている

u

平成4年版・経済白書j)0 ($ 1 = 133.18円、 総実労働時間:2

007.6時間) 県経済では、農業関係のサトウキピの大幅減収、建設の住宅着工戸数の落ち 込みがあったが、百貨庖・スーパーの売上げ増と観光入込数の高水準のプラス 要因があり全体では堅調な結果となった。金融面では、預金が個人預金の郵貯 への流出で伸び率が鈍化、貸出しも不動産向けが前年割れとなるなど増勢は鈍 化している。この間、貸出し約定平均金利は長短プライムレートの相次ぐ引下 げを反映して、 4月以降低下基調となった。だが、地元金融機関の中間決算は、 貸出しの堅調な伸びに加え、貸出金利の引き上げによる預貸金の利ざやが拡大 したことなどにより大幅増益となった。パプル経済崩壊の影響で建設業と不動 産業などの企業倒産が多発し、負債総額は復帰後最大となった(日銀沖縄支庖)。 琉球銀行による沖縄経済10大ニュースのトップには「トロピカルリゾート沖縄 構想」の固による承認がランクされている。 2) 観光の状況 ①圏内観光…わが国の国民生活は、欧米先進国と比べて経済力に見合った豊 かさを実感できる生活とは言いがたい状況にある。世論調査では、今後の生活

(30)

の力点に「レジャー・余暇生活

J

を挙げるものが

37.1%

8

3

年に「住生活

J

を 抜いて以来連続して最も多く、観光レクリエーション活動への関心の高さがう かがえる。 圏内宿泊観光量の推計値は、延ぺ約

2

1,

4

0

0

万人、国民

1

人当たり平均で1.

7

3

固と前年(1.

5

4

回)を大幅に上回り、消費額も約

20%

増加した。湾岸危機の影 響で海外旅行から圏内旅行への振り替えが行なわれたことが原因の一つである

u

平成 4年版・観光白書.1)。 ②国際観光…日本人海外旅行者数は、上期では湾岸危機の影響を受げ低調で あったが、年間では

1,

0

6

3

万人となり、前年に引き続き

1,

0

0

0

万人を超えた。旅 行先はアメリカ、韓国、香港が目立ち、女性の伸び率は男性の伸び率を上回っ ている。訪日外国人旅行者数は

3

5

3

万人と過去最高となった

(

r

平成

4

年版・観 光白書.1)。 ③沖縄観光…観光客数は湾岸戦争、圏内景気のかげり、暴力団抗争の影響な どにより旅行の自粛が目立ち、 1月から3月まで前年を下回る結果となった。 4月以降もりかえしをみせたが、夏場においては、水事情の悪化や台風などの マイナス要因や格安な海外旅行の影響で伸び悩んだ。しかし、

1

0

.

.

.

.

.

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.

1

2

月には 回復した。年間累計では

3

0

1

万人(前年比

1.9%

増)となり、二次振計の目標で ある

3

0

0

万人を達成することができた。 く増加要因> ・各種イベント ・台湾からの観光客の増加 ・航空定期便の増加(J

AL:

名古屋、

SWL:

小松) ・修学旅行の増加

a

平成3年版・観光要覧.1) 湾岸危機は全国的には海外旅行から圏内旅行へのシフトをもたらし、

1

9

9

1

年 の圏内観光は空前の実績を残こす。だが、米軍基地のひしめく沖縄には湾岸危 機はマイナス要因となり、年間の入込総数はかろうじて横這いになった。 思納村議会は「リゾート条例」を可決(1月

1

7

日)し、県議会はピーチホテ ルによる海浜のプライペート化を禁止する「海浜条例

J

を議決した。ゴルフ場 の利用料金が「超テンプラ」といわれるほどに値上がりし、主要ホテルでは、

-161

参照

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