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ディートリッヒ・ロルマン編著「ドイツにおける行刑-現状と改正-」(二): 沖縄地域学リポジトリ

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Title

ディートリッヒ・ロルマン編著「ドイツにおける行刑−

現状と改正−」(二)

Author(s)

比嘉, 康光

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 13(1): 122-138

Issue Date

1973-06-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11053

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『ドイツにおける行刑ー現状と改正J (2)

130 16 病 気 と 悪 い 運 命 と 責 任 病 気 と 悪 、 運 命 と 責 任

-4

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デ ィ ー ト リ ッ ヒ ・ ロ ル マ ン 編 著 「 ド イ ツ

に お け る 行 刑 一 現 状 と 改 正 一

J

(二)

Strafvollzug in Deutschland, Situation und Reform.

Herausgegeben von Dietrich Rollmann

1967

Fische.r Buecherei, 841 Band.

比 嘉 康 光

編 者 の 序 言 ディートリッヒ・ロルマン 〔一〕 受 刑 者 の 報 告 〔 二 〕 論 文 ル一ドルフ・ジーフェルツ「自由刑の執行における改革の努力の歴史について」 マックス・ギューデ「刑法及び行刑法改正における刑事政策的な目標設定」 ユルゲン・パウマン「刑法学者の対案の視野から見た行刑法改正」 ギュンター・プラウ「刑務所における労働J (以上第

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巻 第

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号) ヴァルター・へルマン「行刑における自由時間と教育」 マックス・ブッシュ「行刑における特典」 ユルゲン・ギュンディッシュ「拘禁施設における刑罰と保安処分」 ギュンター・ズッティンガー「性の問題と自由剥奪J (以上本号) ヴアルター・へルマン

行 刑 に お け る 自 由 時 間 と 教 育

行 刑 は 自 由 刑 の 被 判 決 者 を 再 社 会 化 す る 任 務 を も っ 。 そ の 方 策 の 価 値 は 、 そ れ が この目標にいたるか、またはそれにとって有害かどうかできまる。某刑務所の受刑 者のグループとの討論の際、ある者は、

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才にもなってなお「愚かな若者のように」 刑務所で教育されるといって、「教育的行刑」に激しく反対した。だが多数意見は、 教育という概念は拒否できるが、しかし、服役中に各人に「何かが起るであろう」、 つまり、入所時と閉じ状態では出所せぬであろうということであった。 教育されることに反対する受刑者は全く正しく、教育的行刑というスローガンは

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繰りで且つ疑わしい。刑務所を「美徳の道へ」引戻す教育的施設と考える成人受刑 者はいない。だが、現在なおきわめて権威的且つ懲戒的になされている行刑が受刑 者の内心的態度を強く要求していることは疑いがない。だから刑務所は、将来受刑 者が内外の諸要求によりよく応えるために、必要な「自立への援助」を与えること を一貫して目指しているのである。 また、自由刑終了時には受刑者は入所時と同じではないという意見も正しい。壁 と鉄格子の背後でも固有の教育が実現せられるのである。それは、隠離と人生から の疎外という不自然な世界で起るが故に、おそらく自由な生活におけるよりもより 強く人簡に感銘を与えるものである。 行刑手段の意義は刑務所の「風土J(Klima)に依存する。そこは被拘禁者の善意 が未だ芽のうちに窒息し且っすべての人間的接触を不可能にするほど冷やかでト、反 生活的で、非人格的でありうる。しかしまた、受刑者に休息と運動の空間を与える 全く別の雰囲気もある。これは受刑者の人間的尊厳を認めさせ、彼の塞ぎ、こんだり 偽ったりせねばならぬような感情を取去る。またこれは受刑者の連帯を発生させ、 信頼を受けたり与えたりする可能性をつくる。この特則の「教育的雰囲気」は刑務 所生活の全体を通じて作用し、刑務所のすべての処置の信頼性と説得力は結局はこ れにかかっているのである。 この特別の雰囲気の中で受刑者自らを開放させることが、自由刑執行開始時の刑 務所の第一の任務である。入所時の者がもっ反抗心に行刑という権力手段で対抗す ると、一部の受刑者はそれを直接的な攻撃にまで高め、遂には喜ばしくない結果に さえ至る。また一部の受刑者にあっては、それは敗北と自己放棄に終り、そして内 心面で受刑者を遮断して執行の目的を達成させない「擬死反射J(Totstellreflex ) に至る。だが、受刑者の初期の反抗的態度は理解できるのであって、彼らとの静か な対話と忍耐によってその現在の立場を理解させる努力が必要である。 未だに今日の受刑者処遇は、すべての犯罪者は意織的に社会に反抗しそれに敵意 をもっ人間であるという前提に基づいている。しかし、多くの受刑者は態度不安定 で、しばしば些細な自己価値感情に満ち、また、人生において継子扱いされたとか、 ノーマルな市民生活の諸要求に十分に応えられない失敗者だと感ずるのである。彼 らの社会不適合な態度は、時にはその平均下の知能または精神的倫理的な能力の不 十分な成熟によって惹起される。だから、これらの諸関係が正し

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認織され、かっ

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-123-ぞ れ に 対 す る 方 策 が と ら れ て は じ め て 、 か か る 精 神 的 社 会 的 に 脆 弱 な 受 刑 者 に も 行 刑の積極的影響が期待できるのである。 更に、行刑においては精神的活動の諸形態が常に大きな意義をもっ。たとえば、 行 刑 官 の 協 力 の 下 に 自 ら 修 養 す る 研 究 サ ー ク ル 、 能 力 の あ る 受 刑 者 の 下 で 職 業 補 導 教 育 や 個 人 的 な 生 活 形 成 あ る い は 世 界 観 的 な 問 題 な ど に つ い て 論 ず る グ ル ー プ 、 ま た 、 肉 体 の 運 動 を 通 し て 受 刑 者 に 一 つ の 和 解 を 得 さ せ る こ と の で き る ス ポ ー ツ の グ ループなどがある。スポーツによって受刑者は当然の生ける規律に親しみ、かっフ ェアプレーの精神を体得する。更に最近では、新しい心理学的経験に基づく「グル ー プ カ ウ ン セ リ ン グ 」 も な さ れ て い る 。 そ れ は 、 受 刑 者 に 過 去 の 誤 ま っ た 態 度 を 深 く理解させ、自己の性格を認織させ、また、実現可能な希望とそうでないものの区 汚リをわきまえさせるのである。 かようなグループ教育による施設教育の可能性はきわめて大きく、受刑者がそれ に参加すればするほど、益々施設の雰囲気への影響は強くなり、制度的問題性に対 する対応もより確実にっくりだされるのである。 自 由 ( 休 憩 ) 時 聞 を 行 刑 の 有 意 義 な 部 分 に し よ う と の 目 的 か ら 、 様 々 の 催 し 物 が 刑 務 所 で な さ れ て い る 。 こ れ は 刑 務 所 生 活 の 単 調 さ を 緩 和 す る し 、 ま た 、 受 刑 者 が その自由剥奪の間鈍麻せぬための団壌でもある。若干の刑務所では、それは行刑の 全体概念の一部分として受刑者をしてわれらの文化の価値に与らしめるものと考え られている。 受 刑 者 に 過 当 な 要 求 を す る の で は な く て 、 彼 ら に と っ て し ば し ば 疎 遠 な 文 化 的 価 値 の 領 域 へ 彼 ら を 一 歩 一 歩 導 き 入 れ る な ら ば 、 そ こ こ こ に 全 〈 新 し い 世 界 が 開 け て いるということが常に体験されるのである。演劇、音楽会、絵厨展覧会、文芸講演、 テ ー プ レ コ ー ド 、 映 画 、 ラ ジ オ 等 は ま さ に そ の た め の 重 要 な 手 段 な の で あ る 。 こ れ によって受刑者の交友態度は開放的となって更に改善され、新たな興味が育ち、そ して、共同感情を引き立て且つ行刑官に対する人的関係を緩和する雰囲気が生ずる のである。 しかし他方では、空間的・財政的及び官僚的な考慮、治安の必要、創造的精神の 欠 亡 、 適 切 な 人 材 の 不 足 等 々 の 大 き な 隙 害 が 行 刑 の 行 手 に 立 ち は だ か る 。 だ が 一 般 に承認せられることは、受刑者が自由における生活を成就できるようにする行刑の 正当な任務が重要であるという点である。

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若干の刑務所は、 20年来、受刑者に共同責任 (Mitverantwortung) を負わせる 行刑による諸経験を蓄積してきた。受刑者の現在の生活の形成への受刑者自身の積 極的参加が自由刑の基礎を掘りくずし且つその懲戒的構造を解体させるという懸念 は、これらの刑務所の経験に照らして理由がないとされる。むしろ、成人受刑者は、 自分の問題について一定の対話とそれについての決断の自由なしには、その社会有 害的な態度から脱け出ることは全くできないとされるのである。彼がその刑期の関 消極的態度と無口でいなければならないとすれば、社会とその規範は彼にとって益 益陰うつなものとなり、ノーマルな生活への再組入れの準備をする行刑の可能性も また小さくなるのである。市民的態度は理論や教化によって習得できるものではな く、それはただ日常の相互関係においてのみ経験され

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っその価値においてのみ認めら れるのである。だから、実際的な公民教育 (StaatsburgerKunde)のためのできる だけ多くの実践分野を発見すべきである。受刑者には、その弱い共同感情を強化す るために、その負担能力に応じて責任 (Verantwortung)が負わせられるあらゆる 可能性が認織せられねばならない。それが特に明らかであるのは受刑者労働である が、自由時間も多くの可能性を提示する。そこでは受刑者は種々の労働共同体の実 施に従事する。たとえば、自由文庫の司書はその「お客」の読書棺談に応じ、 「放 送委員会」は次週のラジオ番組を編成し、若干の受刑者はスポーツまたは唱歌につ いて責任を負い、小さなグループが牧師とともに次回の礼拝について考え、公民的 研究サークルは刑務所外の専門家と基本法について討議し、若干の受刑者が祭の催 し物を準備し、施設内新聞の編集者は次号の新聞をつくるというふうにである。か かるすべてのことにおいて受刑者は成功もするしまた失敗もする。要するに、彼ら は、現実の人生におけるように、常に対決と決断の中にいるのである。受刑者の積 極的態度に対しては、刑務所側は当然彼らを刑務所生活の様々な問題に参与させる 絶えざる用意がなければならない。そうあってこそ受刑者は争いある問題の整理に 際してその「専門的知識」と共同の考えがまじめに受入れられ、またそれが刑務所 での共同生活にとっても真に意義のあることを感知できるのである。かくして彼は 過去の人生から離れることができ、また、そこにおいて何が正しく何が誤りであっ たかということに対するよりよい理解を得るのである。 上述の諸例は、刑罰の威厳を消し去りそして行刑の他の任務を失敗に帰する「教 育作業」が刑務所を支配しているという印象を与えたかも知れない。たしかに、刑

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-125-務所の高い収容者数にあっては、相対的に広い就業の可能性を与えることは必要で ある。他方、刑務所は熟考と枕黙のための常に十分な空間が受刑者のためになけれ ばならぬことをよく承知している。また、すべての真の教育的努力の任務は、人間 に気晴らしをさせるだけでなく、精神を集中させ且つ沈潜させるということでもあ る。ただかくしてのみ、刑務所における自由時間も今日の受刑者が明日の成熟した 且つ責任を負う市民となることに寄与できるのである。

マックス・ブッシュ

行刑における特典

行刑の諸問題の考察は、ドイツにおいては、心理学的・社会学的及び教育学的認 識の基礎や法的考慮の土台の上ではなく、それは、犯罪者とその処遇についての数 世紀来の観念と偏見が当然の事実として受入れられたという仕方でなされている。 行刑における「特典J

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については、犯罪者はその犯罪によっ て自由を失うだけでなく、自由の市民に当然の「特典」を要求する権利をも失うと いうことが無意識の出発点であった。かかる観点からは、きちんとした監房や健全 な食事、医療の供給や福祉的援助、教育と自由時間、通信及び接見の許可等々は、 すでに、受刑者が本来何らその請求の権利をもたぬ「特典」であるということにな るのである。

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日の服務及び執行規則

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からは行刑 の有意義な一連の可能性が「特典」として考えられているということは明らかであ る。受刑者の外界との接触は輿論においては依然として特典であるが、この法律は 手紙の交換や訪問者の応待においてはすでにかかる見解からかなり進んでいる。し かしこれらの権利の剥奪が懲戒的処置として行刑の内部で許されていることは、「特 典」との類以性がなお残存することを意味する。 服務及び執行規則

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号は特典の許可条件を次のように規定してい る。「労働において品行方正で間断なく勤勉且つ入念である場合、とくにそれらか積 極的な協働を推論させるかぎり、刑務所長は受刑者に特典を漸次増大的に与えるこ とができる。その特典は行刑の目標並びに施設の安全と秩序に一致せねばならず且 つ取消されうるム与えられる特典は以下のとおりである。 親しい人々の写真の手交

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絵や花で房内を飾付けること 広げられた発信許可 文筆活動 文房具の戸府寺 自己の紙の使用 自己の書物・楽器の所持及び演奏 職業的な補習教育にのみ奉仕するのではない新聞や雑誌の購読 拡張された接見許可 副食物、晴好品及び身体の養生のための特別の医薬品の供給 スポーツ、コーラス、オーケストラ、ラジオ、映画、テレピへの関与 語学、速記、装飾文字、タイプ等の欝習への参加 デッサンをしたり、絵を描いたり、手細工をすること(但し、受刑者がそれに必 要な材料を自分で購入した場合) 自己作業。 以上の種類と範囲を越える特典は監督官庁の同意が必要である。 これらの特典は一定の傾向をもっグループに分けられるが、まず監房をより倒人 的且つ快適なものにする可能性からみることにする。ここで関われねばならぬこと は、この可能性が清潔と整頓並びに施設の安全と一致する範囲で何故最初からつく られなかったのかということである。受刑者が自分の房を身内の写真や花で飾つて ならぬということは、草創傘の応、報思想に相応するものなのである。 受刑者が刑務所に住みなれて、再ぴそこへ舞戻るために新たな犯罪を犯すという 危険は実際には存しない。自由の剥奪は、小さな慰楽では服役中であることの事実 を打消せないほどに、依然として強烈な害悪なのである。 DVollzOは発信及び接見についてそれが拡張される場合のみを「特典」のカタ ログに入れている。一般的な接見許可は6週間に少なくとも一度、最低15分間とさ れ、手紙の発信は2週間に一度、受信は随意とされている。親戚や友人逮との速絡 の強化が必要であるが、その可能性の限界は残念ながら行政にある。現行の規定に よると、手紙は検閲され、接見は監督されるのである。 ところで、発信及び接見の本来の問題は別のところにある。それは、面会を受け 手紙の交換をする相手方をもたない受刑者がかなりおり、従って、かかる受刑者に

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文通及び接見の相手を見つけてやることはまさに再社会化を目ざす行刑の利益だと いうことでめる。 再社会化に奉仕する「特典」としては新聞や雑誌の購読もある。これによって受刑 者は身内の範囲を越える社会の生活とその変化に対するコンタクトをもつことがで きるのであり、この意味から、ラジオの聴取は一定の時聞は大部分の受刑者に許さ れている。 また、ほとんどすべての刑務所は受刑者に誤楽映画や教育映画を見せている。テ レピは技術上の困難から一般的にはまだ許されていない。受刑者がこれらによって 受ける印象は自由の生活におけるそれよりも深いものである。 刑務所は、受刑者が批判的判断能力を獲得し且つ現代の大量伝達手段を正しく用 いることを助ける。たとえば、ある刑務所の受刑者のあるグループは三文恋愛小説 の批判的分析から次第に質の高い文学へと認識が高まっていったのである。 更にあげられる「特典」はスポーツである。刑務所外でスポーツをしている受刑者 の歓呼や試合の応援や拍手などを聞くとき、世間では、今日の行刑は真剣昧がなく 且つ「温和すぎる」という考えが容易に出てくる。だが、スポーツは受刑者に公正 の精神を教育し、その自己意識を高め且つ健康維持にも役立つのであって、建設的 な行刑にとっては利益なのである。ところが世間では、危険な犯罪者は殺害せよと の古い観念に由来する考えがいまだに残存しており、だから、犯罪者の身体が弱っ て短い命しか期待できぬほうがむしろ良かろうという思想に傾きがちである。勿論、 この種の犯罪克服闘争は犯罪者の人間的尊厳をも保護する基本法とは全然一致しな しミ。 講習、趣味、コーラス、オーケストラ及び自由時間内のその他の活動への参加も 自由における生活を準備する可能性をもっ。労働時間中に犯罪が犯されるのはまれ であって、広範な余暇をうまく利用できないときに犯罪への誘惑に駆られるのであ る。たしかに受刑者がすべて何らかの趣味を刑務所でもつことになるとは限らない。 だが、彼らは後に社会においてその余暇をいかに過すかを学ぶことはできるのであ る。 また、補習教育も再社会化の重要な手段であり且つ将来の職業生活において自己 の地位を維持する助けとなるものである。 行刑の任務についてDVollz057号は規定する。「自由刑の執行は、一般を保護し、

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されているのではなくて、むしろ、ほとんどより厳格な Arrestとして、すなわち、 労働や寝床の剥奪、飲食物の削減及び自由な運動の禁止等の下で執行されている。 こ の こ と は 再 び 行 刑 に お け る 規 範 と 実 際 と の 矛 盾 を 示 す も の で あ る 。 も し 単 純 な Arrest が効果がないというのであれば、そのことは執行規則において表現される べきであろう。 ギュンター・ズッテインガー

性の問題と自由剥奪

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年代において精神分析学の認識が婚大するにつれて、自由剥奪における性の問 題が広く考察され且つ諭せ'られている。ところが、それは理論的な考慮や異常な具 体的事例から出発して、たいてい思弁的であるか一面的である。 受刑者には、明らかな性的顕示性のほかに、多くの態度があって、それらは、多 かれ少なかれ、たいてい性的な刺激や欲望や目標及び錯乱と明らかに関係がある。 刑務所において常にみられるそれらの最も重要な現象形態は以下のとおりである。 まずオナニーであるが、それは被拘禁者のほとんどがやっている。女子は男子よ りもまれである。オナニーはセックスの欠乏、すなわち、倒錯的性行為の可能性の表現 であるだけでなく、精神的な孤独に代る満足でもある。拘禁の最初の段階では、オ ナニーは憂うっからのがれることに奉仕する。次の段階では、最初の憂うつは通常 克服されて、刑務所の状態への慣れが始まる。オナニーはセックスの緩急弁であっ て、最初より回数は少なくなるが、やがて接触のない自我中心的な受刑者の自己目 的となる。数年後の第三段階では、性的衝動は目標不安定となり、しばしば向性の ノ号ートナーに向けられる。 強い性的緊張は夢精、性的な空想や夢想、それからオナニーにいたるが、時がた つにつれ、とくに想像に乏しい受刑者にあっては、人間の代りのものに刺激をおぼ える強い傾向がある。たとえば、裸体や美人の写真を集めたり、性的な魅力という 点から映画やテレビを見たり、猿せつな落書を房の壁にするなど。 これよりも現実的で且つ理解できるのは、多くの受刑者が異性の受刑者または刑 務所外の異性とつながりをもとうとすることである。トリックや口実を使って相手 に見られようとしたり、エロティックで性についての手紙を書いたり(受刑者の秘 密通信)、女囚部で洗われる洗濯物やつくろい物が通信手段となったり、または、フ

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ェティシズムの目的に使われたりする。陰部の露出や狼談も接触のための手段とさ れる。さらに、安や女友逮への恋文がある。これはその淫活な内容の故に時折留め 置かれざるを得ない場合があるが、手紙はその書き手の不道徳に対するよりも、む しろ拘禁による彼の幼稚化の程度に対する徴表なのである。他の受刑者、行刑官ま たはその他の人間に対する非難は、性の抑圧の形を示す。注目すべきは、たとえ相 当の不貞の疑いがあっても、離婚の意思は被拘禁者には全くまれであって、むしろ、 刑務所外にいる配偶者のほうにあるということである。 同性愛の関係は刑務所においてはしばしば盛んで、ある。 a)それは性的態度の第 三の発展段階において見られ(上述)、 b)比較的早〈同性愛者の聞に現われ、そし て、 c) しばしば落着きがなく、攻撃的で、節操のない、また、刑務所において代 りの体験と満足を求める、そのような多くのノイローゼで精神病的な被収容者にお いても見られる。組織化された、そして、部分的にはすでに儀式化されたテロ支配 が刑務所に存することが知られており、そこでは若い魅力的な、女性的な印象を与 える受刑者が持定の古参の受刑者によって「保護」され、食事や晴好品などを与え られて甘やかされ、そして、残酷な強姦にも似た攻撃をうけるのである。かくして 同性愛、友情、嫉妬、所有権の主張や「結婚」とか売春等々に基づく依存関係がで きあカfる。 真の同性愛者と拘禁によってそうなった者との区別は、長い拘禁によってのみで なく、社会にいる潜在的な同性愛者が拘禁という特別の条件の下で初めて同性愛的 行為をすることや同性愛の傾向を意識することによっても、なくなるのである。異 性聞の性関係における通常の接近方法や伝達方法が同性愛の場合にもとられる。た とえば、エロティックで性的な、しばしば過剰なほどの親交、手紙、嫉妬、肌への 触れ合いからオナニーによる性交まで、後には開会行為など、それらが便所や礼拝 の際、作業室、共同の自由時間の際、集団房の中などで行なわれる。話がしたいと いう感情に応じて、女囚の場合にはレスピアン的な傾向と関係が、男囚のホモセッ クスの場合よりも頻繁に起るのである。 受刑者が一つの房で昼夜をともにする雑居拘禁は明らかに性的逸脱と道徳的額廃 の培養基である。受刑者逮は共通の目的もないのに互いにうまくやって行くことを 強制されることになる。さらに、その幼稚な心理的組織が原因で、自由においては 社会に同化しなかった犯罪者が、雑居拘禁においては直ぐに受刑者仲間に同化して

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これらの処分に対する法的基礎がすでにして疑わしい。ただ未決拘禁における棚 だけが刑訴119条5項にその規定をもっている。他の保安処分とHausstrafenの 場 合には、ただ未決拘禁に対する法的基礎のみが刑訴119条3項 に 与 え ら れ で あ る に すぎない。しかし、詳細は未決拘禁執行規則 (Untersuchungshaftvoll zugsordnung ) に委ね与れている。これは行政上の命令であって、法の序列では下位に属する。こ の法的性格が個有の行刑における特別の保安処分とHausstrafenの場合に問題とな るのである。すなわち、ここには一般的な規定がないのである。 DVollzO が鎮静 房収容、脱衣その他の同様の重い処置に対する根本的な法的支柱となっている。種 種の執行規則によって許されている処置(例・受刑者を裸で鎮静房へ収容するなど) は、連邦憲法裁判所によって人聞の尊厳に反して許きれないと宣言されるであろう。 しかしともあれ、連邦の統一的な行刑法によって明確な法規定を設けることは「法 治国家原理の不可避的命令」である。 保安処分とHausstrafenは理論的には一応明確に区別されている。前者は逃走や 自己傷害または事物穀損等の危険の回避に奉仕し、後者は行刑の秩序に対する有資 的違反を予想している。しかし、)Polizei(と)Strafe (のこの区別は刑務所の 狭さと精神的緊張の下では実現されない。鎮静房のぞっとする狭さが、すでに、こ の保安設備への収容は刑罰目的にもつながること、「鎮静」は受刑者に再び反抗させ ぬための付加的害悪であることを推測させるのである。かくてハンプルグの調査委 員会は、鎮静房収容の記録に照らして、受刑者の厚かましい不作法な振舞がかかる 処置に対する原因であったことを確認せざるを得なかった。 刑訴、未決拘禁執行規則及びDVollzOの諸規定に照らして柳がかけられるのは、 受刑者が暴力を振いまたは反抗する危険、逃走及び自殺の危険のある場合である。 かかる危険が他のあまり痛烈でない処分によって回避されないときに、柳がたとえ 相当性の原則に照らしてのみ行われるとしても、それでもなお行刑官には広い裁量 の余地が残されているのである。 柳の方法は様々である。両手を前または背後に、あるいは両の手足をペットに縛 ったりする。柳は、その言渡の際、とくにその使用の期間について、厳しくコント ロールされねばならない。それは健康を害するし、また、精神的にみてもきわめて 問題である。ハンプルグの例の如き6ヶ月の柳は勿論のこと、数週間のそれでも決 しで弁護されるものではない。自殺の危険や暴力に対処する手段は別に存し、万一

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の 場 合 に は 鎮 静 房 が あ る 。 こ れ は 表 現 の 腕 曲 的 と は 裏 腹 に 、 そ の 目 的 を は る か に 越 え、そこへの収容は品位を落す仕方でなされ、ひんぱんに収容され且つ長期に及ぶ。 暴 れ 騒 ぐ 受 刑 者 に 加 え ら れ る こ の 保 安 処 分 (Sicherungsmassnahme)の主たる害悪 は 、 受 刑 者 の か か る 異 常 な 態 度 (abnormesVerhal ten)に 精 神 病 的 ( psychopa-thisch)な 、 ま た は 、 明 ら か に 精 神 病 (Geisteskrankhei t )だとされる根拠が十分 に は 認 め ら れ な い に も か か わ ら ず 、 こ の 処 分 が 加 え ら れ る と い う こ と で あ る 。 従 っ て 、 ハ ン ブ ル グ 未 決 監 で

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月 に 、 殴 打 さ れ て 乾 燥 し き っ た 熱 い 房 の 中 で 乾 び て 死 ん だ ハ ー ゼ の 例 は 決 し て 偶 然 で は な か っ た の で あ る 。 受 刑 者 の 基 本 的 な 性 格 が 異 常 な 傾 向 に は な く て も 、 こ の 「 た で 坑J(Schacht ) の 鎮 静 房 に 収 容 さ れ る こ と に よって、彼は容易に異常な反応を示すことになるのである。だから、裸の石造または コ ン ク リ ー ト の 牢 獄 が 精 神 病 者 に い か な る 影 響 を 与 え る か 明 ら か な の で あ る 。 そ れ 故 、 医 者 の 指 導 の 下 に 変 質 受 刑 者 (abartige Gefangene)に 相 応 の 処 遇 を 与 え る 精 神病者収容施設をつくることは最も重要である。 以上の問題以外の場合に対しては、鎮静房は二つの方向で改革されねばならない。 ま ず ー っ は 、 か か る 隔 離 房 へ の 収 容 が 刑 罰 と な っ た り 、 ま た こ の 隔 離 房 が 継 続 的 な 設 備 と な っ て は な ら な い と い う こ と で あ る 。 数 ヶ 月 の 「 滞 在 期 間 」 は 受 刑 者 の 騒 ぎ の 具 体 的 危 険 と は 何 ら 関 係 が な い し 、 む し ろ 、 そ れ は 騒 ぐ 受 刑 者 が 看 守 に か け る 迷 惑 に 対 す る 応 報 と な る の で あ る 。 二 つ に は 、 地 下 牢 よ り も 神 経 科 病 院 の 隔 離 房 を 指 向 す べ き だ と い う こ と で あ る 。 木 の 寝 床 (Holzpri tsche )や普通の快い壁の色は房 の 応 報 的 性 格 を 取 り 去 る で あ ろ う し 且 つ 現 在 の 全 く 隔 離 さ れ た 「 坑 」 よ り も も っ と 鎮静的に作用するであろう。 懲戒による最も寛大な罰は、受刑者に認められた特典の制限または剥奪である。 し か し 、 文 房 具 や 自 己 の 書 物 の 所 持 、 新 聞 の 購 読 等 の 剥 奪 処 分 は 受 刑 者 の 精 神 的 な 作 業 と 補 習 教 育 を 著 し く 阻 害 す る も の で あ っ て 、 従 っ て 、 こ れ ら は 特 典 で あ っ て は な ら ず 、 む し ろ 、 再 社 会 化 に 留 意 す る 現 代 行 刑 に お い て は 当 然 の こ と で な け れ ば な らないのである。 最 も 厳 し いHausstrafeはArrestである。 こ れ は 受 刑 者 を 絶 え ず 隔 離 し て 特 別 の 房 で 執 行 さ れ る 。 外 界 と の 接 触 は 緊 急 の 場 合 に 限 ら れ る 。 受 刑 者 が 共 同 の 催 し 物 に出ることは許されず、書物も取上げられる。 Arrest は 未 決 囚 に 対 し で は2週間、 既 決 囚 に 対 し て は 4週 間 続 け る こ と が で き る 。 こ れ は 実 際 に は そ の よ う な 形 で 適 用

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されているのではなくて、むしろ、ほとんどより厳格な Arrestとして、すなわち、 労働や寝床の剥奪、飲食物の削減及び自由な運動の禁止等の下で執行されている。 こ の こ と は 再 び 行 刑 に お け る 規 範 と 実 際 と の 矛 盾 を 示 す も の で あ る 。 も し 単 純 な Arrest が効果がないというのであれば、そのことは執行規則において表現される べきであろう。 ギュンター・ズッテインガー

性 の 問 題 と 自 由 剥 奪

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年代において精神分析学の認識が増大するにつれて、自由剥奪における性の問 題が広〈考察され且つ論せ.られている。ところが、それは理論的な考慮や異常な具 体的事例から出発して、たいてい思弁的であるか一面的である。 受刑者には、明らかな性的顕示性のほかに、多くの態度があって、それらは、多 かれ少なかれ、たいてい性的な刺激や欲望や目標及び錯乱と明らかに関係がある。 刑務所において常にみられるそれらの最も重要な現象形態は以下のとおりである。 まずオナニーであるが、それは被拘禁者のほとんどがやっている。女子は男子よ りもまれである。オナニーはセックスの欠乏、すなわち、倒錯的性行為の可能性の表現 であるだけでなく、精神的な孤独に代る満足でもある。拘禁の最初の段階では、オ ナニーは憂うっからのがれることに奉仕する。次の段階では、最初の憂うつは通常 克服されて、刑務所の状態への慣れが始まる。オナニーはセックスの緩急弁であっ て、最初より回数は少なくなるが、やがて接触のない自我中心的な受刑者の自己目 的となる。数年後の第三段階では、性的衝動は目標不安定となり、しばしば向性の ノTートナーに向けられる。 強い性的緊張は夢精、性的な空想や夢想、それからオナニーにいたるが、時がた つにつれ、とくに想像に乏しい受刑者にあっては、人間の代りのものに刺激をおぼ える強い傾向がある。たとえば、裸体や美人の写真を集めたり、性的な魅力という 点から映画やテレピを見たり、狼せつな落書を房の壁にするなど。 これよりも現実的で旦つ理解できるのは、多くの受刑者が異性の受刑者または刑 務所外の異性とつながりをもとうとすることである。トリックや口実を使って相手 に見られようとしたり、エロティックで性についての手紙を書いたり(受刑者の秘 密通信)、女囚部で洗われる洗濯物やつくろい物が通信手段となったり、または、フ

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-133-ェティシズムの目的に使われたりする。陰部の露出や狼談も接触のための手段とさ れる。さらに、妻や女友達への恋文がある。これはその淫蕩な内容の放に時折留め 置かれざるを得ない場合があるが、手紙はその書き手の不道徳に対するよりも、む しろ拘禁による彼の幼稚化の程度に対する徴表なのである。他の受刑者、行刑官ま たはその他の人聞に対する非難は、性の抑圧の形を示す。注目すべきは、たとえ相 当の不貞の疑いがあっても、離婚の意思は被拘禁者には全くまれであって、むしろ、 刑務所外にいる配偶者のほうにあるということである。 同性愛の関係、は刑務所においてはしばしば盛んである。 a) それは性的態度の第 三の発展段階において見られ(上述)、 b)比較的早く同性愛者の閑に現われ、そし て、 c) しばしば落着きがなく、攻撃的で、節操のない、また、刑務所において代 りの体験と満足を求める、そのような多くのノイローゼで精神病的な被収容者にお いても見られる。組織化された、そして、部分的にはすでに儀式化されたテロ支配 が刑務所に存することが知られており、そこでは若い魅力的な、女性的な印象を与 える受刑者が特定の古参の受刑者によって「保護」され、食事や晴好品などを与え られて甘やかされ、そして、残酷な強姦にも似た攻撃をうけるのである。かくして 同性愛、友情、嫉妬、所有権の主張や「結婚」とか売春等々に基づく依存関係がで きあカfる。 真の同性愛者と拘禁によってそうなった者との区別は、長い拘禁によってのみで なく、社会にいる潜在的な同性愛者が拘禁という特別の条件の下で初めて同性愛的 行為をすることや同性愛の傾向を意識することによっても、なくなるのである。異 性聞の性関係における通常の接近方法や伝達方法が同性愛の場合にもとられる。た とえば、エロティックで性的な、しばしば過剰なほどの親交、手紙、嫉妬、肌への 触れ合いからオナニーによる性交まで、後には同袋行為など、それらが便所や礼拝 の際、作業室、共同の自由時間の際、集団房の中などで行なわれる。話がしたいと いう感情に応Uて、女囚の場合にはレスピアン的な傾向と関係が、男囚のホモセッ クスの場合よりも頻繁に起るのである。 受刑者が一つの房で昼夜をともにする雑居拘禁は明らかに性的逸脱と道徳的類廃 の培養基である。受刑者逮は共通の目的もないのに互いにうまくやって行くことを 強制されることになる。さらに、その幼稚な心理的組織が原因で、自由においては 社会に同化しなかった犯罪者が、雑居拘禁においては直ぐに受刑者仲間に同化して

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-134-いくという現象がみられる。独居拘禁が性の問題を解決するのではないが、しかし、 多くの場合にその影響を軽減する。だが他方では、オナニーから自殺にいたるまで の、隔離によって起る態度を促進することになる。自然のセックスの抑制は、壁の 内外の社会環境に対する受刑者の関係をも変えるところの、情緒及び感情の増大を 惹起するのである。 ほとんどの被拘禁者は性の問題と対決するが、その解決は画一的でなく多層的に、 状況によるよりも個性に条件づけられるものとしてなされるものなのである。 多くの動物の場合、自然且つ通常の他行為の阻止は人間のそれに似たまたは全く 相同の態度を惹起する。セックスの前戯と性行為の必然的な同時性がなくなり、向 性愛行為となり、または、巽性(メスまたはオス)の面前でもオナニーをしたり、 あるいは「強姦」さえみられる。 人間にとっては、監禁 (Gefangenschaft)は生命的、情緒的及び社会的領域での 不自由をもたらす失望的な状況を示す。受刑者がその人格構造に照らして適当な代 償を得ることができないにせよ、また、刑務所環境においてはかかる可能性がない にせよ、通常に代償を求める傾向が阻止される限り、この失望的な状況はしばしば 体験と行為の幼稚化にいたるのである。それは社会からの離反と脱出という状態を 結果し、且つ、倒錯的な、子供じみた自己本位のセックスの形態の発達を助ける。 長い拘禁だけが性的倒錯を生じさせるのかどうかは疑問であり且つ明らかにするこ とが困難である。蓋し、われわれは犯罪者の人格構造を、とくにいわゆる性の領域 において、拘禁前または拘禁時にほとんど詳しくは知らないからでめる。 かくて、基本的には、拘禁による性的体験と態度の展開は個別的に全く異なって 経過するということができる。刑務所において一様且つ不可避的に現われる性的態 度(オナニ一、感情の豊富化、攻撃性、同性愛)が、すべての受刑者にとって閉じ 意味と結果をもっということはできないのである。重要なことは、失望的状況と性 的症状ではなくて、個人人格によるその加工なのである。多くの被拘禁者は性的に 目立った態度にも拘らず、出所後には間もなく再び正常な態度に戻るのである。と ころが他の受刑者にあっては、拘禁がなければそう簡単には生じなかったであろう 異常な体験や態度への道がそのまま残る。注目すべきは、性犯罪者一この概念は異 質のものも含みうるーが他の犯罪者と全く同じように反応するということである。 多くの者にとっては自己のセックスが刑務所においても主要な問題であるが、他の

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-135-一部の者にとってはそれは無意味なものである。拘禁の副作用は、パートナーに対 する性欲や生殖カや態度の障害である。 とくに性の問題が行刑にとって重要な理由は、これが少年行刑において目ざされ る教育作業に低触し且っそれを著しく害し、または全く不可能にするからである。 教育的には眼界のある状態で、少年行刑では性の問題を知的且つ道徳的に、ある いは心理学的にはすでに古い「意思強化」の観念に相応して解決しようとする。ま たは、性の問題を無視して行為と体験の幼稚化へ間接的に寄与するのである。 行刑において性的諸関係に対してとられる処置には限界がある。なぜなら、受刑 者のセックスを抑圧して誤った方向へ強制したり、または、絶対的な必要以外にこ の領域へ介入することは、人間的にも法的にも弁護されないからである。行刑の任 務は、受刑者が幼稚な体験と行為の水準及び無名の群衆化の状態へ落込んで行くの を~fUJ::することである。 以下に若干の重要問題について筆者の態度を明らかにし、そして、執行の現状下 における発展の可能性を示唆しよう。 ①定められた肉体労働が有利に作用するということは明らかであるが、それは 性的欲求の抑圧によるのではなくて、むしろ、労働が隔離と孤独感情を軽減し、か くてセックスの話題を受刑者の視野からはずすことになるからである。同じことは スポーツやその他の自由時間の利用についてもいえるのである。 ②夜間の収容は原則として独居房によるべきである。例外は医学上または心理 学上の適応(病気、自暴自棄、自殺の危険等)の場合にのみ認めるべきである。夜 間以外の集団収容は、有意義な活動(労働、自由時間、歓談等)がなされるときにの み適切である。 ③房は、社会的孤立を促進する陰うつな諸影響を軽減するために、一般におけ るよりももっと楽しいものでなければならない。房の単調さが受刑者を「内省」さ せて道徳的に強化するというのは誤謬である。とくに若年受刑者の場合にはエロテ ィックな表現が大目にみられるべきである。たとえば、妻や女友達の写生画や樹本 写真などであって、これらは異性に対する正常な関係(気持)を含んでいるのであ る。ただ挑発的で淫蕩な写真だけが除かれるべきである。ラジオ、映画、テレピ等 は受刑者にとって外界と接触する重要な手段である。これらは非倫理的な表現があ るからというよりも、教育的な不充分さとそして感傷と際物の傾向がある場合にコ

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ントロールされるべきである。性的・情緒的なつながりのある人聞との手紙や接見 による接触は行刑における保安思想によってあまりにも頑固に制限されているが、 手紙や会話の内容よりも、持続的な接触の事実こそが重要なのである。 ④男子刑務所とくに少年行刑において女子の訪問があることは確かである。こ れらの女子は受刑者との接触もまた距離を保つこともできねばならない。彼女らは メーキャップは許されぬが、しかし魅力がないようにということではない。逆に、 女子刑務所への男性の訪問は、女囚の強い感情的な変節する関係のゆえに男子の場 合より問題である。 ⑤ 執行中の同性愛が裁判所によって処罰されることは不正且つ不公正である。 処罰されるのは、偶然当局の耳に入った場合のみである。とくに同性愛が目立つ場 合には、居房の転換や懲戒などで十分である。

開放行刑においては、集団収容は不可避的であり、また、合目的でもある。 それから、書物、文具、ラジオ、テレピなどで房を快くすることも必要である。大 事なことは、執行の緩和(開放施設)と休暇の規定とを結びつけることである。し かもそれは、休暇が褒賞として与えられるという意味ではなくて、規則的に与えら れる休暇が不始末をおかした場合には拒否されるという意味においてである。 ⑦ 刑 務 所 に お け る い わ ゆ る 結 婚 休 暇 (Eheurlaub) の問題の評価は困難である。 しかし、処罰されていない配偶者を考慮して、かかる休暇の必要性が多くの国々に おいて痛感されている。原則的に結婚休暇が保障されている国々は、南米諸国、メ キシコ、ソ速である。制限的または特定の条件つきで認めている国々は、ベルギー、 デンマーク、ギリシャ、イギリス、ガテマラ、インド、アイルランド、日本、カナ ダ、ミシシッピー(アメリカで唯一)、フイリッピン、スウェーデン、チェコスロパ キアなどである。そこでの実際はかなり異なっている。夫婦が刑務所の適当な部屋 に泊められるとか、短期間一諸に住むことを許されたり、また、数時聞から数日ま での休暇が受刑者に与えられたりというようにである。多くの国々においては、夫 婦や異性の友達、ときには売春婦とさえも会うことが原則的に金刑期を通して可能 かつ保障されている。しかし、それがやっと刑期の終りに認められている国々もあ る。また、結婚休暇の取扱いが法律に基づく国もあれば、規則による国あるいは単 に慣習による国もある。 結婚休暇の思想はきわめてもっともであるが、それがあまりに細かく規定される

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場合には実践困難である。今日、休暇の一般的規定を結婚休暇の観点のもとでも大 胆につくることが最も目的に適っているであろう。 ⑤ 刑 務 所 に お け る 性 「 教 育 」 は 、 被 収 容 者 が 性 の 関 係 、 自 分 の 願 望 、 悩 み 及 び その他の問題(オナニーなど)について意見を述べあるいは熟慮する用意のあるこ とを前提とする。このような話合いは価値あることではあるが、きわめて現実的な 性的且つ社会的にダイナミックな衝動と葛藤が、規範的あるいは目的的考慮、良心 または意思の育成によって調節されるとは期待できないのである。服役中の「教育」 の一般的問題性がここに示唆されているのである。

医学的、心理学的及び精神療法的な処置が個々の受刑者において問題になる。 強い性的欲求をもった被拘禁者にその同意によって鎮静剤が往々効果的に与えられ る。心理学上の援助は、主として性的に誤った発達を阻止するために与えられる。 また、それは受刑者の自己価値感情を強化し、且つ、刑務所の内外で彼の社会生活 の現実lこ対する諸関係を維持固定しようとする。 行刑における性の問題を論ずることは、頑固な刑罰及び行刑体系が人間一般の生 物学的・社会的現象を正しく評価しないでそして教育的努力を妨げる困難性を人工 的に作出していることをその論議が示す限り、それは啓発的である。性の問題は一 般的な再社会化の問題の本質部分なのである。 さで、効果的な処遇方法を発展させるためには刑事学的研究が必要であって、そ れは亜文化の発生と効果に関する問題を扱うことになろう。性の問題性もここで扱 われる。性的態度は、犯罪者が自らと社会に対して社会的に適合した耐えうる関係 を発見するための用意と能力にたいする指針であるがゆえに、性の問題は刑事学的 研 究 に よ き 手 掛 り を 与 え る も の で あ る 。 ( 未 完 )

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