〈隠岐・山陰沿岸の民俗〉聞き書き--隠岐・竹島のアシカ猟
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(2) 一九 八 五 な ど ︺。 一方 、 北 海 道 で は、 海 獣 類 の狩 猟 に関 す る研 究 が みら れ る. 一九 三 五 ︺。 そ の他 、 岩 手 県 、 石 川 県 な ど で も ア シカ 類 に関 す る考 古 学 、 歴 史 学 、 民 俗 学 的 な 報 告 が み ら れ る. 岐 ・西 ノ島 に お け る ア シ カ猟 に つ い ては 、 昭 和 一〇 年 (一九 三 五 )、 桜 田 勝 徳 ら に よ る報 告 が 出 て いる ︹ 桜 田 ・山 口 一九 八 一、 左 古. 一九 九 二 な ど ︺。. ︹ 宮古 市教育委員会 ︹ 渡部. た だ し 、 こう し た 研 究 は個 別 にお こな わ れ た も のが 多 か った 。 ア シ カ に関 す る総 合 的 な 研 究 を 主 導 し た の は、 生. 一九 九 二、 井 上 ・佐 藤. 一九 九 三 な ど ︺。 す で に 絶 滅 し た 動 物 で あ る た め に、 そ の ア. 物 学 な ど の研 究 者 であ った 。 と く に、 中 村 一恵 氏 や 、 井 上 貴 央 氏 な ど が 中 心 とな って、 ニホ ン ア シ カ に関 す る研 究 が近年急速 に進んだ ︹ 中村. プ ロー チ は お のず と 歴 史 的 ・民 俗 的 な も のも 含 ま れ て い る。 とく に、 今 回 の調 査 地 であ る隠 岐 ・西 ノ島 で は、 ア シ. カ 猟 に 関 す る詳 細 な 聞 き 取 り 調 査 も お こな わ れ て お り 、 民 俗 の報 告 と し て も き わ め て 貴 重 であ る ︹井 上 ・佐 藤. 一九 九 五な ど ︺。. 一九 九 三︺。 これ ら の 研究 では 、 先 述 し た よ う な 各 地 の研 究 も 相 当 数 引 用 さ れ て い る。 さ ら に 、 考 古 学 か ら も 、 動 物 遺 体 を 分 析 す る試 みが お こな わ れ てき て い る ︹ 西本. し か し な が ら 、 民 俗 学 か ら な す べき こと も ま だ 多 い よう に思 わ れ る。 ア シ カ と直 接 接 し た方 は少 な く な って は い. 一九 九 五 ︺。 筆 者 自 身 も 和 歌 山 県湯 浅 町 、 同 串 本 町、 伊 豆 諸 島 ・神 津 島 、 瀬 戸 内. るも の の、 丹 念 に見 て いけ ば 伝 承 はま だ ま だ 残 さ れ て い る よう であ る。 野 本 寛 一氏 も 、 徳 島 県 鳴 門 海 峡 に おけ る ア シ カ の伝 承 を 聞 い て い る ︹野本. 海 の小 豆 島 な ど で ア シカ の伝 承 を 聞 いた こと が あ る。 今 後 は、 伝 承 の聞 き 取 り と とも に、 江 戸 時 代 な ど の文 献 も 用. い て いく 必 要 が あ る。 絶 滅 した 生 物 であ るた め 、 これ に関 す る民 俗 的 な 研 究 に は限 界 が あ る こ と は事 実 であ り、 考. 古 学 、 歴 史 学 、 生 物 学 な ど と 共 同 で総 合 的 に研 究 を お こな う 必 要 が あ ろう 。 情 報 を 共 有 しな が ら 、 ア シ カ の民 俗 に. つい て の 研究 を し て いく 必 要 が あ る と 思 わ れ る。 今 回 の 調 査 では 、 実 際 に ア シ カ と 遊 ん だ と いう 人 物 に遭 遇 し た 。 総 合 的 な 考 察 ま で は でき な いが 、 隠 岐 にお け る具 体 的 な 聞 き 書 き を 報 告 す る。. 濁.
(3) 隠 岐 の ア シカ 猟. みたべ. 昭 和 三 〇年 代 (一九六 〇 年 ご ろ ) ま で は、 隠岐 にも ニホ ンア シ カは 来 遊 し て いた 。 西 ノ島 南 部 の三度 では 、 明治 か. 一九 三 五︺。 た だ し 、 桜 田 ら は 、 三 度 を 訪 れ てお ら ず 、. ら 大 正 時代 にか け て、 ア シカ 猟 が お こな わ れ て いた。 と く に、 三度 のア シ カ猟 に つ いて は、 昭 和 一〇年 に、 桜 田勝 徳 と 山 口和 雄 が ﹁ト ド 猟 ﹂ と し て報 告 し て いる ︹ 桜 田 ・山 口. 一畿 〆 蛸. 浸. 、 \ \ 勲. \\図. 嘱鏡 二膨 薩 講. 一九 九 三︺。 井 上. 体的 な 内容 も報 告 さ れ て いる. ︹ 井 上 ・佐藤. 氏 ら は、 明 治 生 ま れ で 実 際 に. ア シカ を捕 獲 し た人 物 や、漁. 業関 係 者 から の ア シカ の目撃. 情報 な ども 丹念 に聞 き取 りを. お こな って いる。 こ の ほ か、. れ、 ア シカ猟 に関 す る聞 き取. ま と ま った 報 告 は な いよ う で. 島後 北 端 の白 島 でも、 アシ カ 度 の ト ド塚. 今 回 の 調 査 で は、 三 度 を 訪. ある。. (1 ). 猟 が お こな わ れ た と いう が、. ▲ 写真2三. 、 懸麟. 総 礪灘. 、. 一. 残 念 な が ら実 際 のア シ カ猟 経 験 者 か ら聞 き 取 り を お こな って いな い。 三 度 の ア シカ 猟 に つい ては 、 そ の後 、 さ ら に旦ハ. 縛総 鱒 鞭弄1、 強 騨聡. 潔ノ 簿. 懸 転,〆 一. 三・ 鑛 嵐驚 糊. 磁'.,. 鵬轡 鹸. 一. 瑳 ∠'. ー・ 無_. ダ. 磨 繋 洲へ 磯. b. 度 の集 落 ▲ 写 真1三. 爵 継,凋 一 一一. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 蜥.
(4) り を お こな った 。 しか し、 実 際 に ア シカ を 捕 獲 した 経 験 者 はす で にお ら ず 、 捕 獲 に つ いて は間 接 的 な 語 り し か聞 く. こと が でき な か った 。 以 下 は、 三度 の小 出 重 治 氏 ( 昭 和 二年 生 ま れ ) から う かが った話 であ る。. ア シカ の こと は小 さ い こ ろ にも ト ド と い って いた 。. ト ド は 見 た こと な い。 親 は見 た と いう 。 親 は捕 った か ど う か は聞 い て いな い。 北 に岬 が あ る。 岬 の裏 側 の矢 走. (や は し ) と いう と ころ に 、 二 六 、七 個 、 海 岸 に穴 が 開 い て い る。 奥 行 き は深 く はな い。 そ こ に ト ドが お った と い う。. 網 で捕 った ら し い。 入 口 に網 を 仕 掛 け て捕 った と いう 。 時 期 は知 ら な い。 満 ち 潮 にな る と、 穴 が ふ さが る。 ト. モド と いう 手 漕 ぎ の小 さ な 船 で出 か け た 。 石 を 積 ん で、 船 を 少 し沈 め て穴 へ入 った と いう 。. 現 在 では 、 これ 以 上 の伝 承 は確 認 でき な か った 。 三度 に関 し て い えぼ 、 聞 き 取 り から 井 上 氏 ら の研 究 を 再 検 討 す. る こと は 難 し いか も しれ な い。 あ と は、 文 献 や 資 料 な ど を 用 い て の研 究 が 必 要 とな るが 、 今 回 は そ こま で お こな っ て いな い。. 一九 九 三 ︺。 小 出 氏 は 、 こ こ で ア. 三度 の地 福 寺 境 内 に は、 ア シ カ を 祀 った ト ド 塚 が あ る (写 真 2)。 年 号 が な いた め 、 正 確 な建 立 時 期 は 不 明 であ るが 、 井 上 氏 ら は 明 治 か ら 大 正ご ろ に 建 てら れ た と推 測 し て い る ︹ 井 上 ・佐 藤. シカ の供 養 を お こな って いた と いう 記 憶 はな いと いう 。 動 物 を 供 養 す る塚 は全 国 に見 ら れ るが 、 網 に か か る か漂 着. し て死 ん だ も のを 祀 った も のと 、 食 用 に し て供 養 した も の とが あ る。 ウ ミガ メ の塚 は ほ と んど が 前 者 であ り、 ク ジ. ラは 後 者 が 多 い。 三度 のト ド 塚 は、 利 用 した た め の供 養 と いう 意 味 合 い で建 立 され た と考 えら れ る。. 248.
(5) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. ▲地 図. 二. 竹島に ついて. 竹 島 のア シカ 猟. 1. 現 在、 日 韓 の領 土 係 争 地. と な って いる 竹 島 は、隠 岐. の 北 西 一五 七 キ ロ に 位 置 す. る 。 東 西 二 つ の 島 と、 多 く. の 岩 礁 が あ り、 面 積 は 約. 二三〇平方 メー トル である。. 平 地 が ほ と ん ど な い た め、. 人 が居 住 す る に は適 さ な い. が、 島 の 周辺 は 北 と南 から. の 海 流 が ぶ つか る た め 、 海. 産 物 が 豊 か であ る 。. 江 戸時 代 か ら 米 子 の人が. 欝 陵 島 へ渡 る 際 に 立 ち 寄 る. ことが あ り、 ア ワビ など と. と も に 、 ア シ カ を 捕 り、 ア. シカ の油 を 持ち 帰 る ことが. 脇.
(6) あ った。 ただ し 、 竹 島 への渡 航 が 本 格 化 す る のは 明 治 時 代 に な ってか ら で あ る 。 明 治 三 八 年 (一九 〇 五)、 竹 島 が. 日本 の領 土 と し て編 入 さ れ た の は、 ア シカ 猟 を 契 機 と し て い る。 隠 岐 の中 井 養 三郎 が 、 竹 島 で の ア シ カ猟 の安 定 化. を 図 るた め に、 国 に対 し て竹 島 の 日本 領 土 編 入 な ど を 願 い出 た こ とを 受 け て、 政 府 は竹 島 を 島 根 県 の所 管 と し た の. であ った 。 そ の後 、 隠 岐 の人 々を 中 心 に、 竹 島 で の ア シ カ猟 や ア ワビ な ど の採 取 が 盛 ん とな った。 し か し、 第 二次. 世 界 大 戦 後 、 昭 和 二七 年 に韓 国 が 李 承 晩 ライ ンを 設 定 し て竹 島 を 取 り 込 んだ 主 張 を し、 昭 和 二九 年 (一九 五 四) か. 八 幡 昭 三氏 く. み. ら は 韓 国 軍 の部 隊 が 駐 留 す るよ う にな って現 在 に至 って い る。. 2. 隠 岐 ・島 後 北 西 部 の海 辺 に久 見 と いう 地 区 が あ る。 旧 暦 五箇 村 に属 し て いた が 、 現 在 で は隠 岐 の島 町 に属 し て い. る。 こ の地 区 出 身 で在 住 の八 幡 昭 三氏 に竹 島 の ア シ カ に つい てお 話 を う かが う こ とが でき た。 昭 和 三年 生 ま れ の方. で、 ご 自 身 は 竹 島 に は 行 った こと が な いと いう 。 し か し 、 八 幡 氏 の本 家 (板 屋 と いう 家 ) は 、 江 戸 時 代 に 竹 島 に. 渡 って いた 記 録 が あ る。 ま た、 明治 二 二年 生 ま れ の父 親 ・八 幡 才 太 郎 は、 五箇 村 の 村 会 議 員 や 久 見 の 区 長 を 勤 め 、. 戦 後 は竹 島 返 還 運 動 に取 り組 ん で き た 人 物 であ った。 さ ら に 、 才 太 郎 の弟 ・八幡 伊 三 郎 は 、 昭 和 八年 (一九 三 三 ). か ら = 二年 (一九 三八 ) にか け て、 合 計 九 回、 竹 島 に渡 り 、 ア ワビ 漁 を お こな った人 物 であ った。 こ の よう な 背 景. か ら 、 昭 三氏 は、 隠 岐 の島 竹 島 を 守 る会 会 長 を 勤 め るな ど 、 竹 島 返 還 運 動 に熱 心 に取 り組 ん でき た。 竹 島 に対 す る. 思 いは 熱 く 、 自 身 は行 か れ た こと が な い にも か か わ ら ず 、 伊 三郎 ら から 聞 いた 話 を 鮮 明 に覚 え て いる。 昭 三氏 に竹. 島 で のア シ カ猟 に つ い てう か が った 。 さ ら に 、 隠 岐 に連 れ て こら れ た ア シ カ に つ い て は、 昭 三 氏 自 身 が 直 接 か か. 二〇 一〇 ︺、 ご く. わ った 体 験 を お 持 ち であ る。 先 述 した よ う に、 日本 で ア シ カ と遊 んだ こ と のあ る方 はも う ほ と んど おら れな いであ. ろ う 。 貴 重 な 証 言 であ る。 八幡 氏 が ア シカ と 遊 ん だ と いう 話 は 紹 介 さ れ た こ と も あ る が ︹ 杉原. 蜘.
(7) 明 治 時 代 の竹 島. わ ず か な 記 述 と な って い る。 本 稿 で は、 でき る限 り 忠 実 に引 用 さ せ て いた だ く こ と にす る。. 3. ア シカ に つい て触 れ る前 に、 隠 岐 の人 々 の竹 島 と のか か わ り の歴 史 を 、 八 幡 氏 の語 り 、 八幡 氏 から 提 供 いただ い た 資 料 な ど を も と に しな が ら 、 概 観 し てお き た い。. を 持 ち 帰 って いた 。 久 見 か ら. も 石橋 松 太郎 が 竹島 に渡 り、. ア シ カ の 皮、 ア ワビ を 持 ち. 帰 って 商 売 に し て い た 。 こ の. 人 物 は、 竹 島 で ド ブ ロ ク も. 作 って いた と いう 。. 明 治 二 二年 (一八 八 九 ) の. る よ う に な った た め、 隠 岐 か. 日 朝 通 漁 規 則 に よ り、 日 本 人. 朝鮮 に出かけ て貿易 をする者. ら 欝 陵 島 へ渡 る 人 が 増 加 し. た。 明治 二〇 年 代後 半 には、. 251. 明 治 二〇 年 代 には 、 隠 岐 北 部 の旧 五箇 村 の人 々 は、 竹 島 へ渡 り 、 ア ワビ を 採 り 、 ア シ カを 捕 獲 し て、 ア シ カ の皮. 濾. . 幡 昭三 氏. エ. ▲ 写真4八. ヘ. 見 の集 落. \騨. 複. が 朝 鮮 沿 岸 で漁 業 に従 事 で き. ▲ 写真3久. 域 聖. 簿 噺 ﹂. 熊 ' 雄 ゴ 罫}. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き.
(8) も お り 、 そ の行 き 帰 り に竹 島 へ立 ち 寄 って ア ワビ を 採 る こと が あ った 。 旧 五箇 村 福 浦 の 八浦 屋 と いう 家 であ った と いう 。 以 下 は 八 幡 氏 の語 り であ る。. 父 親 よ り 少 し上 の人 は北 朝 鮮 の ほう ま で貿 易 に行 って いた 。 朝 鮮 の中 部 よ り北 へ行 く 回数 が 多 か った。 風 の関. 係 で、 北 の ほう が 行 き や す か った ら し い。 屋 根 に葺 く 杉 皮 を い っぱ い積 ん で行 った。 帰 り に は、 朝 鮮 の有 名 な 焼. き 物 を 積 ん でき た 。 こ こら に は値 打 の分 か ってく れ る人 は いな か った 。 泥 の焼 いた よう な 、 瓦 み た いな 屋 根 が 多. か った 。 弱 く て雨 漏 り し てか な わ ん か ら 、 杉 皮 を 持 って行 く と重 宝 が った 。 小 さ い船 の 両脇 に、 孟 宗 竹 を 六 本 つ. け 、 両 側 で 一二本 にし て行 った 。 いく ら し け ても 、 船 の中 に 水 が 入 って も、 竹 な の で沈 ま な い。 な ぎ に な れ ば 、. 船 の中 の水 を 出 し て、 ま た 走 った 。 夜 に、 星 が 出 る のを 待 って、 方 向 を 定 め て走 った 。 星 を 見 て方 向 が 分 か る か. と 思 って、 星 を 見 るが 自 分 に は分 ら な い。 ヤ キ ダ マ エンジ ン の前 は孟 宗 竹 を 付 け た 船 で行 った。. 明 治 三〇 年 ご ろ に は、 西 郷 港 に ア シカ の皮 が 来 る よう にな り 、 明 治 三六 年 (一九 〇 三) に は、 隠 岐 で潜 水 漁 を し. て いた 中 井 養 三郎 ( 鳥 取 県 出 身 ) が 、 竹 島 で の ア シ カ猟 を お こな う よう にな った 。 久 見 の石 橋 松 太 郎 も 中 井 に協 力. し た が 成 功 し な か った 。 こ の時 期 、 竹 島 の ア シカ を 捕 獲 し よう とす る人 が 多 く な った ため 、 中 井 は ア シ カ猟 の独 占. を 図 り、 国 に 対 し て竹 島 の領 土 編 入 と 、 竹 島 の貸 し下 げ 願 いを 提 出 。 明 治 三 八年 (一九 〇 五 )、 竹 島 は 島 根 県 の帰. 属 と な った た め 、 ア シカ 猟 も 島 根 県 の許 可 制 と な った 。 ア シ カ猟 を 願 い出 た 八名 のう ち 、 島 根 県 は ア シ カ猟 の乱 獲. を 防 ぐ た め 、 実 績 のあ る中 井 ら 四名 に許 可 を 出 した 。 た だ し、 競 争 を 防 ぐ た め に共 同経 営 を お こな わ せ る こ と にな. り 、 明 治 三八 年 六 月 、 中 井 ら によ る竹 島 で の ア シ カ猟 を 目 的 と した 竹 島 漁 猟 合 資 会 社 が 設 立 さ れ た。 こう し て、 竹 島 で の ア シカ 猟 が 本 格 的 に開 始 さ れ る こと にな った 。. 湿.
(9) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 4. 昭 和 初 期 の竹 島. 竹 島 の ア シ カ 猟 に つ い て は 、 先 述 し た よ う に、 そ の 歴 史 に つ い て の 詳 細 な 研 究 が あ る ︹井 上. 一九 九 四 、. 一九 九 五︺。 井 上 氏 の 研究 に よ る と 、 ア シ カ の捕 獲 頭 数 が 最 も 多 か った のは 、 竹 島 漁 猟 合 資 会 社 が 設 立 さ れ た 明 治. 三八 年 の約 二八 〇 〇 頭 であ った 。 そ の後 は、 日露 戦 争 終 了 に とも な う 皮 革 価 格 の暴 落 や、 乱 獲 に よ る ア シ カ頭 数 の. 減 少 な ど によ って、 捕 獲 頭 数 は減 って いく 。 会 社 は経 営 不 振 に見 舞 わ れ た た め 、 大 正 一三年 、 中 井 は漁 業 権 の名 義. を 橋 岡 忠 重 、 八 幡 長 四郎 ら に譲 った 。 昭 和 初 年 に は、 中 井 に よ る出 漁 も ま だ あ った が 、 昭 和 八年 (一九 三 三) から. は 橋 岡 が 中 心 にな って昭 和 一六 年 (一九 四 一) ま で竹 島 で の ア シ カ猟 が お こな わ れ た 。 橋 岡 は神 戸 の ア シ カブ ロー. カ ー か ら 融 資 を 受 け 、 生 け 捕 り に した ア シカ を 動 物 園 に売 却 し て い る。 こ の時 期 は、 明 治 時 代 と比 べ る と捕 獲 頭 数. も 大 幅 に 減 って いる 。 た と えぼ 、 昭 和 八年 に は 八 頭 、 九 年 に は 一九 頭 、 一〇 年 春 は 二九 頭 、 一〇 年 秋 は 二〇 頭 と な って い る。 橋 岡 ら の ア シカ 猟 は昭 和 一六 年 に終 了 し て い る。. 一方 、 久 見 の人 々 は、 生 活 の活 路 を 竹 島 に見 出 し、 昭 和 二年 より 島 根 県 に対 し て、 竹 島 の地 先 権 の許 可 を 願 い出. た 。 こ の申 請 を お こな った のが 八 幡 昭 三氏 の父 親 ・才 太 郎 であ った 。 久 見 の人 々 の願 いが かな って竹 島 の地 先 権 が. 許 可 さ れ た のは 昭 和 四年 (一九 二 九 ) の こと であ った。 地 先 権 と は 、 島 の水 際 か ら 五 〇 〇 メ ー ト ル 以内 の サ ザ エ、. ア ワビ 、 貝 類 、 海 藻 を 採 る権 利 であ る。 ア シカ 猟 許 可 と は別 物 であ った 。 一〇 年 おき に更 新 し、 今 でも 久 見 が 地 先. 権 を 持 って い る。 戦 後 は、 漁 協 の組 合 長 が 代 表 と な って申 請 し て いた 。 今 は漁 協 が 合 併 し た の で、 水 産 組 合 を 作 っ. (2). て、 そ の代 表 が 申 請 し て い る。 竹 島 の地 先 権 は久 見 だ け が 持 って い る と いう 。 ま た、 昭 和 一〇 年 代 後 半 に は、 久 見. の浜 田正 太 郎 が 、 竹 島 の鳥 糞 を 採 取 し て肥 料 と す る権 利 を 許 可 さ れ て いる。 竹 島 に関 す る権 利 は、 こ の よう に ア シ カ の み で はな か った 。. 漏.
(10) 5. 竹 島 への出 漁. 昭 和 初 期 に竹 島 へ行 く 様 子 はど のよ う な も の であ った の であ ろう か。 以下 、 八幡 氏 の語 りを 紹 介 す る。. 今 の竹 島 は ラ ン コ、 リ ャ ン コと い って いた 。 ウ ツリ ョウ ト ウ ( 欝 陵 島 ) とも い って いた。. 竹 島 には 一〇 人 か ら 一五人 ぐ ら い のグ ルー プ で行 った 。 二〇 日 から 四〇 日行 った。 六 月ご ろ と、 八 月ご ろだ っ. た 。 当 時 は 無 線 も な い の で、 帰 ってく るま でま った く 連 絡 が 取 れ な い。 送 り 出 す 家 庭 は少 な か った。 当 初 は 一人. 者 が 多 か った が 、 のち に家 庭 を 持 って い る者 も 行 く よう にな った 。 行 く 人 が 少 な いの で、 西 郷 、 島 前 でも 募 集 を し た 。 一二、三 人 が な か な か 集 ま り に く い。. 竹 島 へ出 発 す ると き 、 こ こ ( 久 見 ) へ寄 って出 発 した 。 西 郷 近 辺 の人 も 多 か った 。 福 浦 の港 に集 ま った。 そ こ. に、 弁 天 さ ん を 祀 って い る。 お 参 り を し てか ら 、 久 見 の港 へ来 て、 神 社 の お祓 いを 受 け て、 出 発 し た。 晩 の 八時. か 九 時 ご ろ に出 た 。 夜 が 明 け る ころ に竹 島 に 着 く 。 帆 掛 け 船 で行 った 。 ヤ キダ マに な った のは 大 正 の 初 め ご ろ. か 。 ヤ キダ マ の三 〇 馬 力 の船 で 行 った 。 七 、八 ト ンぐ ら い の船 だ った。 コ ンパ スを 合 わ せ て 出 発 す る 。 風 や 潮 の. 流 れ によ って変 わ る。 と き に は、 ど う し ても 竹 島 が 見 えな く て、 一日 じ ゅう 探 し 回 って、 よう やく 見 つけ た と い. う こと も あ った 。 交 代 交 代 で コンパ スを 見 て、 目 を 離 す こ と はな か った 。 薪 、 米 、 水 の ほ か、 ア シ カを 入 れ る材 料 、 小 屋 を 建 て る杉 皮 、 木 材 、 竹 な ど を 積 ん で行 った 。. 隠 岐 のな か で久 見 は最 も 竹 島 に近 い こと も あ って、 昭 和 初 期 に は、 竹 島 出 漁 の拠 点 とな って いた こ とが う かが え る。. 捌.
(11) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 6. 竹 島 で の ア ワビ ・サ ザ エ採 り と ア シカ 猟. 八 幡 氏 は 、 お じ の伊 三郎 か ら 、 竹 島 で の漁 携 の具 体 的 な 様 子 に つい て聞 いて いる。 伊 三郎 は ア ワビ ・サ ザ エ採 り の名 人 であ った と いう 。. 竹 島 周 辺 は、 三 〇 〇 メ ー ト ル く ら い落 ち 込 ん で い る。 一〇 メ ー ト ル か ら 二〇 メ ー ト ル の 深 さ の と こ ろ が 、. 三〇 〇 か ら 五〇 〇 メ ー ト ルぐ ら い続 い て い る。 水 分 が 急 に上 が ってき て上 を 流 れ る の で、 海 藻 も 長 さが 倍 ぐ ら い. あ る。 ワカ メ も 三メ ー ト ル以 上 あ る。 貝 類 が も のす ご く 繁 殖 し て い る。 小 魚 が た く さ ん いる。 そ れを 狙 って大 き. な 魚 が 来 る。 大 き な 魚 を 捕 ろう と ア シカ が や ってく る。 竹 島 周 辺 は、 潮 の流 れ が 案 外 速 い。. 西 の島 に大 き な 洞 窟 が 三 つあ る。 そ のう ち の ひと つの洞 窟 の中 で、 水 が ぽ た ぽ た 落 ち て いる。 桶 を 置 いて おく. と 、 飲 み水 に困 ら な い。 三〇 人 、 四〇 人 の飲 み水 が 取 れ た 。 風 向 き が 変 わ る と行 け な く な る の で、 汲 ん でき て お. い て、 大 き な 桶 に入 れ てお く 。 風 呂 にも 使 えた 。 洞 窟 の上 に はグ ミ の木 が 二、三 本 し か な いけ ど 水 が 取 れ た 。. 東 の島 に小 屋 を 建 て て いた 。 薪 は持 って行 った が 、 海 岸 に寄 って い る木 を 焚 いた り し てご 飯 を 炊 いた。 米 だ け. 持 って行 く と 二か 月 ぐ ら い苦 にな ら んか った と いう 。 東 の島 にち ょ っと平 ら な と こ ろが あ る。 野 菜 が 少 し は作 れ. る。 日露 戦 争 の こ ろ に は、 そ こ に監 視 所 が あ った 。 昭 和 にな って から は軍 人 は いな か った。 監 視 所 の土 台 は コン ク リ だ った 。 お じさ ん は、 こ こ で コンク リ を 初 め て見 た 。. 伊 三郎 は 昭 和 八 年 か ら 一三年 ぐ ら いに 竹 島 へ行 って いた 。 サ ザ エ、 ア ワビ を 採 る 専 門 だ った 。 と く に ア ワ ビ 。. ア ワビ を 一番 採 った と き 、 一日 に 二〇 〇 貫 ( 七 五〇 キ ロ) 採 った 。 カ ン コと いう 小 さな 船 に ア ワビ を 載 せ て いく. と 、 積 み す ぎ て、 船 のぎ り ぎ り ま で水 が き た と いう 。 せ っか く 採 った の で、 着 て いた も のを 脱 い で 、 船 を 引 っ. 張 って泳 い で、 海 岸 ま で船 を 引 っ張 った と いう 。 畳 二枚 分 ぐ ら い の ソ コゼ に、 あ ま り にも たく さ ん ア ワビ が いる. 翫.
(12) ▲ 図1八. 幡 伊三 郎 が描 いた竹 島 の図(八 幡 昭三 氏提 供) 256.
(13) の で、 数 え た と こ ろ、 一〇 七 個 お った と いう 。 ア ワビ の上 に ア ワビ が 重 な って いた と いう 。 ア ワビ 採 りを し て い. ると 、 ア シカ が し ょ っち ゅう や ってき て、 魚 を 追 いか け て食 べ て いた と いう 。 島 が 一〇 〇 個 ぐ ら いあ る。 ア シ カ は あ っち こ っち で遊 ん で い る。. 採 れ な いと き に は、 ア シカ 捕 り の手 伝 いを した 。 風 の太 いと き な ど は ア シ カ捕 り の手 伝 いを し た。 ア ワビ 、 サ. ザ エ採 り は 一人 か 二人 。 ア シカ 捕 り は 二 、二 人 。 ア シカ 捕 り は 追 い込 む 人 も いる 。 網 を 引 く 人 も いる 。 ア ワビ 、. サ ザ エ採 り は 難 し い のと 、 あ ん ま り よ け い採 り す ぎ ても 、 塩 漬 け し て加 工 し て から 持 って帰 る こ と にな る ため 。. 資料 室提 供). であ ろ う か 。 写真 5 は 竹 島 の小 屋 で あ る 。 断 崖. で、 助 け 合 いな が ら お こな っ て い た と いう こ と. 採 取 と は、 権 利 は 異 な る が 、 久 見 の 人 々 の 間. いう 。 ア シカ 捕 獲 と 地 先 権 に よ る貝 類 や 海 藻 の. 郎 も ア シカ 捕 獲 の 手 伝 いを す る こ と も あ った と. を 採 る 者 は 限 ら れ て い た と いう 。 し か し 、 伊 三. (3). シ カ猟 のた め の 人 員 が ほ と ん ど で、 ア ワ ビ な ど. と 一緒 に 出 か け て いた と いう こ と で あ ろ う 。 ア. め に竹 島 に出 か け て い た。 ア シカ 猟 のグ ル ー プ. 伊 三郎 は 、 あ く ま で ア ワビ ・サ ザ エ採 り の た. 朝 鮮 の海 女 を 四、五 人頼 ん で いた 。 ア ワビ 、 サザ エを 採 ろ う と 連 れ て き た 。 た いが い済 州島 か ら 来 た 。 船 頭 が 一人 で運 ん でき た 。. 島東 島の作 業小 屋(昭 和 9年 撮 影、 個 人 所蔵 、 竹 島 ▲ 写真5竹. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 蜥.
(14) 絶 壁 の孤 島 で あ る が 、 海 岸 に 小 屋 を 建 て て暮 ら. し て いた 様 子が う か が え る。. 伊 三 郎 は 、 竹 島 の 瀬 の場 所 な ど を 克 明 に 覚 え. て いた 。 昭 和 五 五 年 (一九 八 〇 ) ご ろ 、 当 時 を. 思 い出 し な が ら 竹 島 の地 図 を 描 い た の が 図 1 で. あ る。 航 空 写 真 や 地 形 図 など か ら は分 ら な い情. 報 が あ ふ れ て いる 。 貴 重 な 記 録 で あ る 。 伊 三郎. は、 ア シカ 捕 り の 専 門 で は な か った が 、 竹 島 の. ア シカ に つい ても 見 て いた 。. 西 の島 の横 に、 平 ら な 島 が あ る。 そ こ に ア シ カが い っぱ い休 ん で いた 。 せ ぎ 落 と され る ア シ カも いた。. き には あ ま り 捕 ら な か った と いう 。 こ の洞 窟 に は普 段 は ア シ カ は入 って いな い。. き 、 朝 早 く か ら 追 い出 し て網 を 上 げ て捕 った 。 一日平 均 、 一頭 ぐ ら い し か捕 れ な い。 簡 単 に捕 れ るが 、 お産 の と. の で、 簡 単 に捕 れ る。 生 ま れ た ぼ か り な の で、 親 と 一緒 に し と か ん と いけ な い。 洞 窟 の前 に、 晩 に網 を 張 って お. る。 入 口 で は ア シカ が 敬言戒 し て い る。 お 産 の こ ろ に洞 窟 の入 口 で網 を 張 って おく と、 赤 ち ゃ んを 連 れ て出 てく る. て、 赤 ち ゃん が 捕 ら れ る可 能 性 が 高 い か ら 、 洞 窟 で産 ん だ 。 生 ま れ て 二晩 ぐ ら いす る と、 穴 か ら 連 れ 出 し てく. い。 こ の洞 窟 で し か お 産 を し な か った。 お 産 のと き に は 血 も 流 れ る の で、 イ ル カ な ん かが 血 の匂 い で つけ て き. 西 の島 の大 き な 洞 窟 のう ち、 一つは ア シ カ が お 産 を す る 洞 窟 だ った 。 ほ か で は ア シ カ の お 産 は見 た こと が な. 影 、個 人 所蔵 、 竹 島資料 室 提 供). 大 き な ア シカ は銃 で撃 った 。 網 を 張 って追 い 回す こと も あ った 。 網 に入 る と上 げ る。 海 の中 で は泳 ぐ のが 速 い. 258. 和9年 撮 シ カ 猟 か(昭 ▲写 真6ア.
(15) の で 、 捕 ま え る の は 難 し か った と い う 。 思 う よ う に な ら ん と い っ て い た 。. 伊 三郎 の体 験 か ら 、 ア シ カ は網 で の 捕 獲 と 銃 で の捕 獲 が あ った こと が う かが え る 。 これ を 裏 付 け る資 料 と し て、. 昭 和 九 年 に撮 影 さ れ た 一連 の写 真 が あ る。 写 真 11 は、 中 渡 瀬 仁 助 が 銃 を 構 え て い る。 中 渡 瀬 仁 助 と は、 明 治 三六 年. の可 能 性 も あ る 。 写. ア シカ猟 の際 の写真. 人 数 か ら 判 断 し て、. が 、 船 に 乗 って い る. か は明 確 では な い. か 、 そ の他 の漁 な の. こ な っ て い る も の. あ る。 ア シ カ 猟 を お. 竹 島 で の作 業 風 景 で. 写 真 6 、7 、8 、9 は 、. 写 っ て い る。 な お 、. 獲 し て い る 様 子 が. では網 でア シカを捕. 一九 九 四 ︺。 ま た 、 写 真 12. に中 井 養 三郎 が ア シカ 猟 を お こな う よ う にな って 以来 の猟 師 で、 ア シ カ猟 の権 利 が 中 井 から 橋 岡 忠 重 に移 ったあ と. 島資料 室 提供). も 、 ア シ カ猟 を お こな って い る。 竹 島 ア シカ 猟 の頭 領 格 の人 物 であ った と いう ︹井 上. ア シ カ猟 か(昭 和9年 撮 影 、 個人 所 蔵、 竹 島資料 室提 供) ▲ 写真8. ア シ カ猟 か(昭 和9年 撮 影 、個 人 所 蔵、 竹 ▲ 写真7. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 鵬.
(16) '. 真 9 に関 し て は、 写 真 12. と 類 似 し た 網 を 持 って い. る こと な ど か ら 、 ア シ カ. 猟 の準 備 を し て い る の で. は な いか と 考 え ら れ る 。. 先 述 し た よ う に、 明 治. 三 八 年 には 二八 〇 〇 頭 も. のア シカ を 捕 獲 し て いた. が 、 昭 和 初 期 に は捕 獲 頭. 数 は 一〇 頭 前 後 と な って. いた。八 幡氏 の記憶 は、. そ の こと を 裏 付 け て い. る 。 伊 三郎 によ る と、 昭. 和 = 二年 ま では 岩 場 にあ ふ れ る ほど の頭 数 が ま だ いた と いう こと も 分 か る。 写 真 10 から も それ はう かが え る。 ただ. し 、 全 体 と し ては 、 明 治 の こ ろよ り ア シカ の頭 数 は相 当 減 少 し て いた と思 わ れ る。 こ の時 期 に は、 乱 獲 は し て いな. 久 見 へ来 た ア シカ. か った よ う であ る。 出 産 の時 期 に はあ ま り 捕 ら な か った 、 と いう 語 り か ら も そ れ はう かが え る。. 7. 八 幡 氏 は 、 ア シカ は隠 岐 にも 来 て いた と いう が 、 そ の ア シ カを 捕 る こ と はな か った と いう 。 隠 岐 へ来 た ア シ カ に. 260. φ職.
(17) つい ては 、 八 幡 氏 は以 下 のよ う に語 る。. 大 昔 か ら 、 久 見 にも 遊 び に来 て いた 。 昭 和 三〇 年 初 め ご ろま で来 て いた 。 とき た ま 海 岸 に来 て いた。 朝 早く 海. 岸 に行 く と 、 驚 い て逃 げ た こと も あ る。 群 れ で はな い。 た ま に沖 釣 り に行 く と、 ア シ カが 船 の そば に浮 き 上 が っ. てき た こと も あ る。 夏 が 終 わ った こ ろが 多 か った か 。 八 月末 か ら 九 月ご ろ か。 ち ょ っと寒 く な る こ ろ。 せ っかく. 呼ば な か った と いう 。. た。久見 では アシカと は. て、貴重 な語りが 出 てき. さ ら に、 ア シ カ に 関 し. う。. と いう 理 由 も あ る と い. シ カ の捕 獲 は 難 し か った. た こと と 、 海 岸 に い る ア. か った 。 頭 数 が 少 な か っ. た ア シ カ は 捕 る こと が な. て く るが 、 隠 岐 に 来 遊 し. 竹島 ではア シカを捕 っ. こ こま で来 た ア シカ を 追 い 回 し て捕 ま え る こと はな か った 。 は るぼ る来 た から 、 か わ いそう と いう 感 じだ った。 鉄 砲 の 名 手 中渡 瀬 仁 助(昭 和9年 撮 影 、 個人 所蔵 、竹 島資 料室 提供) ▲ 写 真ll. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 澗.
(18) ア シ カ の こ と は メ チ 、 あ る い は ト ド と い った 。 本 当 の ト ド は い. な い 。 ト ド よ り も メ チ と い った 。 メ チ が 八 割 ぐ ら い 。 中 学 か 高 校. ぐ ら いに 、 ア シカ と 習 った ころ か ら、 ア シカ と 言 いだ し た 。 戦 後 は ア シ カ と い う よ う に な った 。. ア シ カ の古 語 に ミ チ と いう も のが あ る 。 同 様 の呼 び 名 が 昭 和 初 期. ま で隠 岐 に は 残 って いた こと が う かが え る 。 貴 重 な 証 言 で あ ると い えよう。. と こ ろ で、 竹 島 か ら 捕 獲 し てき た ア シ カ は ど の よう に し た の であ. ろ う か。 こ こか ら は、 八幡 氏 自 身 が ア シ カ と か か わ った 体 験 も 含 ま れ る。. ア シ カ は竹 島 で解 体 し て、 皮 、 油 を 取 って持 って 帰 る ほ う が 多 か った 。 五 、六 頭 ぐ ら い、 橿 に 入 れ て 持 って. いな い。. ろ 、 毛 皮 の敷 物 に し て いた 。 畳 の代 わ り に した 。 毛 が 短 い の で気 持 ち が い い。 座 っても 感 じが い い。 今 は残 って. ア ワビ は 塩 漬 け し て持 って帰 った 。 ア シカ の皮 は塩 し て持 って帰 る。 干 せ ぼ い い敷 き 物 にな る。 昭 和 の初 め ご. 晩 に出 て朝 か 昼 に着 い て いた 。. 竹 島 か ら 帰 っ てく ると 、 よう 帰 って き た と いう こ と で、 船 着 き 場 でお 神 酒 を 飲 ん で いた 。 行 く と き と 同 じ で、. '. 鍾職. 蹴.
(19) 帰 った 。 弱 った り 、 売 れ そ う も な いと き は、 こ こ で解 体 した 。 動 物 園 に売 る の は頭 数 と し て は し れ て いる。 皮 は. 軍 隊 の背 嚢 と し て、 軍 が だ いぶ ん 買 った 。 煮 て油 に し てド ラ ム缶 に入 れ て持 って帰 った。 油 はう ま いら し い。 石. 鹸 にも 使 った 。 自 分 は食 べた こと はな い。 赤 肉 は ほ ん のわ ず か しか な い。 あ と は脂 肉 。 これ は白 肉 。 寒 いと こで. も 生 息 でき るよ う にな って い る。 赤 肉 は食 べ る。 白 肉 は脂 の塊 な の でう ま く な い。 赤 肉 は塩 漬 け し て少 し は持 っ. て帰 った 。 ち ょ っと 食 べた 。 臭 か った 気 が す る。 母 親 は好 き で はな か った 。 臭 いと い って食 わ ん か った。 肉 は売. ら な い。 塩 漬 け した のを 分 け て食 べた 。 部 落 じ ゅう も ら って食 べた 。 油 を 取 った 津 は、 肥 料 に し た。. 大 き な ア シカ は持 って帰 って飼 って いた 。 売 れ そ う も な いと 、 殺 し て分 け て食 べた 。 生 き て いる のを 持 って帰 る のは 少 な か った 。 箱 で積 ん でき た 。 全 部 は売 って いな い と思 う 。. 懸 強 こ 、;5凄 、 ド 、 嘱P. 一. 1. ギ\. 匿ム. 、 」. 生 け 捕 りに さ れ た ニ ホ ン ア. ▲ 写真14. 一一齢 轡". ミ.二. 醗. イノ. 所 蔵 、 竹 島 資 料 室 提 供) シ カ(昭. 和9年. 撮影 、個 人. こ. れ が お も し ろ く て、 ア シカ に魚 を 与 え て いた 。. て行 って や った 。 ア シ カ は 喜 ん で食 べ た 。 そ. 学 校 か ら 帰 る と、 魚 を 釣 って、 ア シ カ に 持 っ. か った。 当 時 、 こ の 向 こう に 学 校 が あ った 。. よ う に な る 。 一か 月 ぐ ら い お る と 、 逃 げ な. 飼 っ て い た 。 そ の う ち に、 ロー プ を 噛 み 切 る. し て 、 ロー プ を た す き 掛 け に し て、 つな い で. れ て 飼 って いた 。 し ぼ ら く す る と 、 箱 か ら 出. こ ( 久 見 ) の 川 で ア シ カ の 赤 ち ゃん を 箱 に入. る の は 半 年 か 一年 ぐ ら いま で。 し ば ら 良. ア シ カ は 生 ま れ て 二、三 か 月 ま で は 死亡 率 が 高 い。 赤 ち ゃん を 持 って 行 っても 買 って く れ な い。 でも 芸 を 覚 え. し. ○. 騰. 卑 り. 鑓 サ. 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 鵬.
(20) 自 分 と、 す ぐ 隣 の 同級 生 のキ シ ロウ が よ く や って いた 。 二人 が 帰. ると 、 後 を つけ て歩 いて く る 。 ぱ た んぱ た ん と つ いて き た 。 家 の. 中 へ入 る と 、 帰 って行 った 。 ア シ カが つ い て行 く と 、 母 親 が ま た. ア シカ と 遊 ん でた か 、 と 言 った 。 本 家 は海 岸 近 く にあ った 。 ほ か の 子が 餌 を や る と食 べ るが 、 帰 っても つ いて は 行 か な か った 。 利 口な も ん だ った 。. 後 か ら つい てく る ア シカ は全 部 で はな い。 一年 に 一頭 ぐ ら いな つく 。 多 い とき に は 二∼ 五頭 ぐ ら い川 で飼 って. いた 。 そ のな か で、 な つい てく る ア シカ に しか 餌 を や ら な い。 な つく と餌 も や り た く な る し、 な で て や っても 喜. ぶ 。 と く にな つい て い る の に は、 ブ ー な ど 、 名 前 を つけ て いた 。 売 ら れ る とき は、 涙 が 出 るぐ ら いだ った。 大 き. 264. シカの皮(隠 岐 自然館 所蔵). ▲写 真16ア.
(21) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. な ア シカ も 大 き な 箱 に入 れ て飼 って いた 。 大 き な ア シ カ は長 く て 一〇 日ぐ ら い。 餌 も たく さ ん いる し。 子ど も が 近 寄 ると 、 怒 ら れ た 。 ア シカ に噛 ま れ るか ら 。. 夏 にな って、 泳 ぐ よ う にな ると 、 ア シカ の首 に ロー プ を 掛 け る と、 ロー プ を 持 って いるだ け で、 さ ー っと泳 い. でく れ る。 沖 へ行 く と 、 く る っと 回 って、 そ ば へ寄 って き て 並 ん で泳 ぐ 。 自 分 の 上 に 乗 ってく れ と い う よ う に 、. (八 幡 氏 の) 下 か ら上 が ってき た 。 ロープ を 放 す と そ ば へ寄 って く る 。 ま た ロー プ を 持 つと 、 す ー っと 泳 ぐ 。 本. 当 にか わ い いも ん 。 も う 一回や って みた い。 三、四 か 月 の赤 ち ゃん だ った 。 自 分 は 一〇 歳 か ら 一二、三歳 ぐ ら いの. と き だ った 。 泳 ぐ よ う に な った こ ろ 。 ア シ カ に助 け ら れ な が ら 、. 一緒 に 泳 いだ 。 一年 ぐ ら い た つと 動 物 園 に 売 った。 三 〇 〇 円、 安. く て も 二 〇 〇 円 で 売 れ た 。 村 長 の 給 料 が 七 円 か ら 一〇 円 の と き. だ った 。 半 年 以上 た った の で な いと 買 って く れ な か った 。 一年 半. 過 ぎ る と、 覚 えが 悪 く て、 高 値 で は 買 わ ん か った。. 海 岸 に 塚 が あ った 。 ク ジ ラ が 寄 った こ と が あ る。 ク ジ ラ 塚 と. い って いた。 長 い大 き な 石 が立 って いた 。 何 も 書 いて いな か った 。. 港 湾 施 設 を 作 った 関 係 で 取 った 。 三 〇 年 よ り 前 だ った 。 今 は 残 っ. て いな い。 子 ど も の こ ろ に は あ った 。 古 い ころ に作 った も の。 祭. り は な か った。 冬 の寒 い こ ろ に 、 漁 師 が 海 へ出 ら れ な いと き 、 そ. の 辺 り で焚 き 火 を し て飲 ん で いた 。 大 漁 を 祈 って 一緒 に 祭 り を し. て い た か 。 当 時 は 神 が た く さ ん あ った 。 塚 も 多 か った 。 動 物 を. 祀 った 塚 は ほ か に は 知 ら な い。 竹 島 か ら 連 れ てき た ア シ カ を 解 体. 踊.
(22) し た と き 、 骨 を 塚 の と こ ろ へ埋 め た 。. 実 際 に体 験 した こと であ るた め 、 八 幡 氏 の語 り は、 より 具 体 的 であ る。 昭 和 初 期 に は、 や は り動 物 園 に売 却 す る. こと が 大 き な 目 的 であ った こと が う か が え る。 写 真 15 で は ア シ カ の赤 ち ゃ んが 写 って いる。 赤 ち ゃ んを 連 れ てき て. いた と いう 八 幡 氏 の語 り を 裏 付 け る。 幼 い八 幡 氏 た ち にと って は、 ア シ カ に餌 を や った り、 海 で 一緒 に泳 いだ 体 験. は と ても 楽 し いも の であ った よ う であ る。 竹 島 の こと を 熱 っぽ く 語 ら れ る とき と は異 な って、 ア シ カ と遊 んだ 体 験. を 語 る時 には 、 八 幡 氏 はや わ ら か い表 情 にな ってお ら れ た 。 隠 岐 の海 岸 に来 遊 す る野 生 の ア シ カ で はな く 、 捕 獲 し. てき た 子 ど も の ア シカ は、 飼 って い る状 態 であ った た め 、 久 見 の 子ど も た ち に と って は、 親 し い遊 び 相 手 と いう 感. 覚 であ った の であ ろう 。 現 在 、 ニホ ン ア シカ と 直 接 にか か わ った 体 験 を 持 つ人 は、 全 国的 に み ても 数 え る ほど し か いな い であ ろう 。 大 変 貴 重 な 体 験 であ る。. おわり に. 戦 後 、 島 根 県 よ り ア シ カ 猟 の 許 可 が 出 さ れ た が 、 韓 国 が 竹 島 の領 有 権 を 主 張 す る よ う に な り 、 昭 和 二 八 年. (一九 五 三) を 最 後 に、 日 本 側 か ら は ア シ カ の 目 撃 も な く な った。 韓 国 の漁 民 も ア シ カ捕 獲 を お こな った が 、 昭 和. 三 二年 (一九 五七 ) を 最 後 に ア シカ は姿 を 消 した と いう 。 動 物 園 に売 却 さ れ た ア シ カも 、 戦 争 中 に 死 ん で しま った と いう 。. ニホ ン ア シカ は絶 滅 した と いわ れ て い る。 ア シ カ に関 す る直 接 的 な 体 験 を も った 方 は少 な く な って いる。 人 々 の. 記 憶 か ら は 次 第 に薄 れ 、 日本 に固 有 の ア シカ が いた こと を 知 ら な い人 が 多 く な って いる。 今 こ そ、 列 島 各 地 の断 片. 鰯.
(23) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 的 な 記 憶 を 掘 り 起 こ し、 海 辺 の伝 承 を 語 り 継 い で いく 必 要 が あ ろう 。. (注 ). 二〇 一〇 ]。. (1 ) 隠 岐 自 然 館 が 中 心 と な っ て、 戦 前 、 白 島 の松 島 で お こな わ れ て いた ア シカ 猟 の実 態 調 査 が 実 施 さ れ た と いう (﹃ニホ ンア シ カ Q & A ﹄ 隠 岐 自 然 館 )。. (2 ) ウ ミ ウ、 カ ワウ 、 サ ギ など の糞 を 採 取 し て、 田畑 の肥 料 と し た 習 俗 は 日本 各 地 に存 在 し た [ 藤井. (3 )今 回 の 調 査 で は 、 西 ノ 島 三 度 の女 性 も 竹 島 へ渡 り 、 ﹁ト ド ﹂ を 捕 った と いう こ とを 聞 いた。 道 前 千 志 氏 の祖 母. ﹁ニホ ンア シカ の復 元 に む け て. 一. ア シ カ 猟 の変 遷 ﹂﹃海. ニホ ン ア シカ の分 布 の復 元 ﹂﹃海 洋 と生 物 ﹄. 一九 九 四. ﹁隠 岐 島 三 度 のア シカ 猟 ﹂﹃隠 岐 の文 化 財 ﹄ 一〇 八. 日 本 海 竹 島 の ニホ ン ア シ カ. ﹁ニホ ンア シカ の復 元 に む け て. 捕 獲 頭 数 の変 遷 ﹂﹃海. = 二 動 物 園 で飼 育 さ れ た ニホ ンア シカ ﹂﹃海 洋. 日本 海 竹 島 の ニホ ン ア シ カ ニ. ﹁ニホ ン ア シ カ の 復 元 に む け て. 一一. 一九 九 五. ﹁ニホ ンア シカ の復 元 に む け て. 一九 九 三. 九. で 、 明 治 二 〇年 ご ろ の生 ま れ の方 で あ る 。 こ の方 は 、 海 士 町 出 身 で 、 三 度 へ嫁 い でき た と いう 。. (参 考 文 献 ). 五. 伊 藤 徹 魯 ・中 村 一恵 一六. 四. 一九 九 四. 井 上 貴 央 ・佐 藤 仁 志 井上貴央. 一九 九 五. 洋 と 生 物 ﹄ 一六 井上貴央. 洋 と 生 物 ﹄ 一七 - 一 井 上 貴 央 ・中 村 一恵 と 生 物 ﹄ 一七 - 三. 蜥.
(24) 井 上 貴 央 ・佐 藤 仁 志 洋 と 生 物 ﹄ 一八 - 三. 一九 九 六. に収 録 ). 一六. 隠岐調査報告. ﹁ニホ ン ア シ カ の 復 元 に む け て. ﹃伊 豆 諸 島 民 俗 考 ﹄ 未 来 社. 一九 八 〇. 坂 口 一雄 一九 三 五 一九 七 三. ﹃隠 岐 島 前 漁 村 採 訪 記. 桜 田勝 徳 ・山 口和 雄. 爾. 行 一九 七 五. 一九 七 六. ﹁ニホ ンア シ カ. ﹁ア シ カ とジ ュゴ ン﹂﹃水 温 の研 究 ﹄ 一九. ﹃伊 豆 諸 島 の歴 史 ﹄ 武 蔵 野 郷 土 史 刊 行 会. ﹁悲 劇 の海 獣. 五. ニホ ンア シカ の毛 皮 お よび 皮 の利 用 ﹂﹃海. 一﹄ ア チ ック ミ ューゼ ア ム (日 本 常 民 文. そ の分 布 と 絶 滅 を め ぐ って ﹂﹃日 本 の生 物 ﹄ 三- 一二. 一九 八 九 一九 九 二. ﹁ニホ ンア シ カ の復 元 に む け て. ﹁ニホ ンア シ カ の生 息 状 況. 日 本 の近 ・現 代 に お け る ア シカ 猟 と そ の地 理 的 分 布 ﹂. 一九 九 七. ﹁北 部 日 本 の遺 跡 か ら 出 土 す る ア シカ 類 と 海 獣 狩 猟 ﹂﹃海 洋 と 生 物 ﹄ 一〇 一. 一四. ニホ ンア シ カ ﹂﹃海 洋 と 生 物 ﹄ 一四- 三. 一九 九 五. 一九 九 五. ﹃海 岸 環 境 民 俗 論 ﹄ 白 水 社. そ の過 去 と 現 在 ﹂﹃国 際 海 洋 生 物 研 究 所 報 告 ﹄ 七. 西本豊弘. 一九 九 五. ﹃島 の考 古 学 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会. 中村 一恵. 野本寛 一. 一九 八 八. 橋 口尚武. ﹁カ ワ ウ と つき あ う 民 俗 技 術. 愛 知 県 美 浜 町上 野 間 ・鵜 の山 の歴 史 民俗 学 的 考 察 ﹂﹃年 報 村 落 二 〇 一〇. 藤井弘章. 社 会 研 究 ﹄ 四六. 268. 化 研 究 所 編 ﹃日本 常 民 生 活 資 料 叢 書 ﹄ 二〇. 恵. ﹁七 ツ島 の近 世 胡 嬢 猟 ﹂﹃舳 倉 島 ・七 ツ島 (大 島 ) 遺 跡 群 細 分 布 調 査 報 告 書 ﹄ 輪 島 市 教 育 委 員会. 恵. 一九 八 五. 恵. 左古隆. 段 木 一. ﹃山 陰 地 方 の歴 史 が 語 る ﹁竹 島 問 題 ﹂﹄ 私 家 版. 千 葉 徳. 二〇 一〇. 中 村 一. 杉原隆. 中 村 一 ﹃海 洋 と 生 物 ﹄ 一七- 四. 中 村 一.
(25) 隠岐 ・竹 島の ア シカ猟 聞き書 き. 前 田正明. 一九 九 二. 一九 二九. ﹁ 近 世 のあ し か 狩 と 死あ し か 取 捌 き に つい て. ﹃宮 古 市 史. 紀 州 漁 村 にお け る役 負 担 の 一形 態. 漁 業 ・交 易 ﹄ 宮 古 市. ﹁ア イ ヌ の海 獣 猟 ﹂﹃北 海 道 立 北 方 民 族 博 物 館 研 究 紀 要 ﹄ 一. 一九 八 一. ﹂﹃紀 州. ﹁ 紀 州 田 辺 湾 の生 物 ﹂﹃大 阪 毎 日 新 聞 ﹄ 昭 和 四年 五 月 二五 日- 六 月 一日 (﹃南 方 熊 楠 全 集 ﹄ 六 、. 経 済 史 文 化 史 研 究 所 紀 要 ﹄ 一二 南方熊楠 平 凡 社 、 一九 七 三年 に収 録 ). 一九 九 二. 宮古市教育委員会市史編纂委員会編 渡部裕. (付 記 ). 八 幡 昭 三氏 か ら の聞 き 取 り は、 二〇 一〇 年 一 一月 三 日、 四 日 の 二 日間 にわ た って お こな った。 こ のう ち 、 四 日 の. 聞 き 取 り の際 に は、 民 俗 学 研 究 所 所 員 ( 総 合 社 会 学 部 教 授 ) の戸 井 田克 己氏 と 一緒 に話 を う かが った。 八幡 昭 三氏. は 現 在 、 黒 曜 石 の加 工を お こな って い る。 仕 事 の手 を 止 め て長 時 間 話 を う かが わ せ て いただ いた。 ま た、 竹 島 に関. す る貴 重 な 資 料 も 貸 し て いた だ いた 。 あ ら た め て八 幡 昭 三氏 とそ のご 家 族 に感 謝 申 し上 げ た い。 ア シカ 全 般 に関 す る情 報 は、 隠 岐 自 然 館 の鳥 井 光 文 氏 にご 教 示 いた だ いた 。. ま た 、 竹 島 の ア シカ 猟 に関 す る貴 重 な 写 真 は、 島 根 県 の竹 島 資 料 室 より 提 供 いただ いた。. 西 ノ島 でお 話 を う か が った 方 々、 資 料 提 供 を し てく だ さ った 機 関 、 す べ て の方 に感 謝 申 し上 げ た い。. ㎜.
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