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英語を用いた国際コミュニケーション力の育成 : 小学校における英語学習カリキュラム作りに向けて

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英語を用いた国際コミュニケーションカの育成

一 小学校における英語学習カリキュラム作 りに向けて

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年3月

31

日受理)

大 橋

NorlakiOhashl Keywords:小学校英語,国際 コミュニケーシ ョンカ,スキル ,母語 のメタ認知

公立小学校-の英語学習-の導入 を成功 させ るには適切 なカ リキュラムを構築す ることが必要 である。その ために, まず 目標 の検討 を行 った。 直接的な 目標 として 「国際 コミュニケー シ ョンカ」 を設定 し,その育成 には了母語 のメタ認知」 を可能 にす る ことと, よ り良き母語使用者 を育てることが必要であることを指摘 した。 同時に,英語 を教材 として使用す ることの適切 さにつ いて も検討 し, 日本語 と英語 の違い, コ ミュニケー シ ョンスタイル の違いが大 きい ことと,利用可能 な リソー スが豊富 であることが英語 を学習す る利点 とした上で,個別言語 間に優劣がない ことを意識 させ ることが重要であると指 摘 した。

じ め

本稿 を手は じめ として考察 したい ことは, 日本の学校 教育 における英語教育の位置づ け と, 日本 の小学校 での 英語学習の在 り方である。 現状では,小学校 で英語 を使 った活動 をす ることは必 須 ではないが,何 らかの英語活動 を総合 的な学習の時間 を中心に行 ってい る小学校が多 くある。文部科学省 によ る小学校英語活動実施状況調査結果概要 (平成

1

7

年度 ) に よる と, 「英語活動」 を実施 した学校数 は,調査対象 の

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校 の うち

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パーセ ン ト)であった。 また, 中央教育審議会初等 中等教育分科会 (以下, 「中 教審」 と言 う)では,小学校 での英語学習必修化 に関す る議論 が行 われてい る。 しか しなが ら,現在 の小学校英語活動 は, 目標 をそれ ぞれの小学校が決定 し,その 目標 に基づいて活動 を行 っ てい ることか ら, 目標 は学校 ごとに さま ざまであろ うと 推測 され る。 また,中教審で も必修化 の是非, 目標等 に ついて さま ざまな意見があるよ うだ。 この よ うな中にあって,英語学習の小学校- の導入 を 成功 させ るには, 中学校以降の学校教育 ・英語 教育-の 接続 を考慮 したカ リキュラムの開発 が必要であ る。 その ために,初等教育 ・中等教育 ・高等教育 を見通 した英語 学習 の 目標 を明確 にす ることは価値 がある と思 われ る。 この 目標 の明確化 を 目指す第一段階 として, 日本 の学校 教育にお ける英語教育の位置づ けを 「スキル」 と 「国際 コミュニケーシ ョンカ」 に着 目して考察す る。 なお,議論 の 中で,学習者 として想 定 してい るのは, 母語が 日本語 であ り,英語 を外 国語 として学習す る 日本 人である。バイ リンガルや 日本語以外 の母語 を持 つ学習 者 は想定 され ていない。 また,学習す る場所 は, 日本 国 内を想定 してい る。

1

スキル

国際コミュニケーション

カ」

とは

文部科学省 のWebペー ジに公 開 され てい る資料 (中教

(2)

審教育課程部会 外国語専門部会 (第14回)配付資料)に, 小学校段階の英語教育の 目標 については, ① 小 学校段 階 では,音声や リズム を柔軟 に受 け止 めるのに適 してい ることな どか ら,音声 を 中心 とした英語 の コミュニケー シ ョン活動や,

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(外 国語指導助手) を中心 とした外 国人 と の交流 を通 して,音声,会話技術,文法な どの スキル面を中心に英語力の向上を図ることを重 視す る考 え方 (英語のスキル をより重視す る考 え方) ② 小学校段階では,言語や文化 に対す る関心や 意欲 を高めるのに適 してい ることな どか ら,英 語 を使 った活動 をす ることを通 じて,国語や我 が国の文化 を含 め,言語や文化 に対す る理解 を 深 め るとともに

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や留学生等 の外国人 との 交流 を通 して,積極的にコミュニケーシ ョンを 図ろ うとす る態度の育成 を図 り,国際理解 を深 めることを重視す る考え方 (国際 コミュニケー シ ョンをよ り重視す る考え方) が考 え られ る。 とある。本論 では, ここで用い られてい る表現 を基 に, 「スキル」 「国際 コミュニケーシ ョンカ」を次のよ うに定 義す ることとす る。 ス キ ル 音声,会話技術,文法な どを中心 とした 英語力 国際 コミユ 国語や我が国の文化 を含 め,言語や文化 ニケ-シ ヨ に対す る理解,積極 的 に コ ミュニケ-ン力 シ ヨンを図ろ うとす る態度,及び,国際 まず ここで明確 に しておきたいことは,「スキル」と「国 際 コミュニケー シ ョンカ」は,相反す る力ではない とい うことである。 中教審 において行われている議論 は,小 学校教育において, この 2つの どち らに重 きを置 くべ き か とい うことであって, 「あち らを立てれ ば こち らが立 たず」とい うことではないだろ う。 筆者 の考 えでは, 「国際 コ ミュニケー シ ョンカ」の育 成 こそが英語教育の 目的であ り,その 目的の達成 には, 外国語のスキル を身 につけることが必要である。そ して, 本 当の意味での 「国際 コミュニケーシ ョンカ」 を身につ けるためには,母語の学習及び母語 を通 しての学習のみ では不十分であると考えている。 松畑 (2002)は,英語教育の 目標 を次のよ うにま とめ てい る。 英語教育の 目標 は,次の

2

つの面か ら総合的に考 え られ るべ きものです。 ① 直接的 目標 :英語 を通 しての異文化 コミュニ ケーシ ョン能力を育てること ② 究極的 目標 :よ り良き 日本人 ・地球市民を育 てること 語嚢力 とか文法力 とい う個別的能力は,異文化 コ ミュニケー シ ョン能力 の下位 能力 です。 異文化 コ ミュニケーシ ョン能力 を育てることを通 して,究極 的には,よ り良き 日本人 ・地球市民を育てることに つながるものでなければな りません。 ここで言 う 「究極的 目標」は,英語教育が 「つながる」 ものであって,教育全体の 目標のひ とつであ り,英語教 育のみに限定 された 目標ではない と思われ る。 また, こ こで言 う 「異文化 コミュニケー シ ョン能力」 とは, 「国 際 コミュニケーシ ョンカ」 と呼んでよい ものであると考 える。 そ して, ここで言 われ てい るよ うに, 「スキル 」 はその下位能力であると言 うことができる。 この松畑 の考 えを基に,スキル,国際 コミュニケーシ ョ ンカ,英語教育の究極的 目標の関係 を図示す ると図1の よ うになると考 えた。 この図は原型であ り, これ を出発 点 として考察を進 めた。

(3)

究極的目標

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より良き日本人 .地球市民を育てること)

国際コミュニケーション力

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他の要素

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スキル

言 語 や 文

積極 的態

他 の要 /

他 の要 素

図1 英語教育の目標 (1)原型 図1における,「他の要素1」 - は,英語教育以外の 学校教育の直接的 目標 をあ らわ し

,

「他 の要素 (

1

)

」-・は, その下位能力 をあ らわす。 「他 の要素1

として想定 し てい るのは,言語に関係す るもの以外の知識 な どである。 例 えば,地理 ・歴史 ・経済 ・数学 ・芸術 ・科学等のいわ ゆる 「幅広い教養」を想定 してい る。実線 の矢印は,(下 位)- (上位)の直接的関係 を,点線 の矢印は間接的関 係 をあ らわ している。 この表 に示 した よ うに,下位能力 が2つ以上の直接的 目標 に関係 している場合 もあると考 える。 「他の要素」の内容 については,国際 コミュニケー シ ョンカに関わるもののみを考察す ることにす る。

2

国際コミュニケーションカの育成について

前段で, 「国際 コ ミュニケー シ ョンカ」の育成 が英語 教育の究極的 目標 を達成す るための要素のひ とつである と述べ た。 しか し, 「国際 コ ミュニケー シ ョンカ」 は, その下位能力 として語嚢力や文法力 といった個別 の能力 (スキル) を含んでいるものであるか ら, 「国際 コミュニ ケーシ ョンカ」の育成 とい う目的の達成 には,外国語 の スキル を身につけることが必要である。また,図1で示 した よ うに 「国際 コ ミュニケー シ ョンカ」の育成 には, スキル以外の要素 も必要であると考 える。それ らのスキ ル以外の要素について,本節 では述べ ることとす る。 大津 (2005)は, 筆者 は言語教育 の 目的 (「なぜ学校 で言語 を教 え るのか」とい う問に対す る答 え) を次の よ うに考 え ています。 ・- (中略) -・ 【目的1】言語 は人間にだけ, しかも,人間に平等 に与 えられた,種 の特性 であ り,個別言 語間に優劣はない ことを学習者 に気づか せ る。 【目的

2】

言語の面 白さ,豊か さ,怖 さを学習者 に 気づかせ る。 【目的3】言語 を使 って 自己の思考 を表現 し,同時 に,他者 の言語表現の意図す るところを 的確 に判断す ることの大切 さを学習者 に 気づかせ,それ を実践す る力 を養成す る。 と述べている。大津は

,

「小学校-英語教育 を導入すべ し」 とい う命題 に対 して,否定側 として,その対案 を提 出す るとい う立場で 「言語教育」について述べてい るのだが, 示唆に富む ものであると考 える。 さらに,【目的

2】

に,大津 は次の よ うに説 明 を加 え ている。

(4)

目的 2のためには,言語 を客体化す る,あるいは, 意識化す ることが求 め られ ます。言語 についての意 識 なので, 「メタ言語意識」と呼ばれ るこ ともあ りま す。 -・ (中略) -・また,言語 を意識化す る能力 を 「メタ言語能力」と呼びます。 メタ言語能力 の育成 を 支援 し,言語 の面 白さ,豊 か さ,怖 さを学習者 に気 づ かせ る と同時に,後述す る 目的3のために供す る こ とが言語教育 の重要 な 目的です。 大津 の言 う 「言語 を客体化す る

こ とが,個人 が持つ 第-言語 (母語) とい うシステムを意識化 させ ,言語 間 に優劣 はない とい う気づ きに もつ なが る と考 える。 こ こ では,大津 は,母語 を含 めた 「言語

教育 について述べ てい るが,母語教育 のみ を取 り上 げてい るはず はな く, 外 国語教育 を含 めての論 であ るこ とは間違 いない。 この論 か ら考 え られ ることは,母語 とい うフィル ター を通 してのみ外界 を受容 し,内面で思考 ・思惟 し,外界 に働 きか ける とい う精神活動 を行 う限 りにおいて,言 語 を客体化 ,あ るいは意識化す るこ とは きわめて難 しい と い うこ とであ る。言葉 を変 えれ ば,比較すべ き対象 を知 っ て初 めて 自分 の世界 にあ るものに気付 くとも言 えるだ ろ う 。 例 えば,相手か ら今週末 に食事 の誘 い を受 けた とす る。 あなたは,家族 を外食 に連れ て行 く約束 を してい るので, 断 りたい と思 う。 その ときに, 日本語 で考 え,伝 える と すれ ば,次 の情報 を どの順 に伝 え よ うとす るだ ろ うか。 ① (誘 って も らった の に断 る こ とを)詫 び る又 は, 誘 って も らった ことを感謝す る ② 行 きたいのです が とい う気持 ちを述べ る (ことも ある) ③ その 日は家族 と先約 がある と,理 由を述べ る ④ 行 けない ことを告 げる ⑤ 詫 び なが ら, あ るい はお礼 を言 い なが ら,次 の 機会 が あれ ば是非 ご一緒 したい気持 ちを伝 え る 又 は, 「次 の機 会 に」 と言 い なが ら話 をぼか して終 え る ①②③④⑤ の順番 ではないだ ろ うか。若干 のバ リエー シ ョンは あ るだ ろ うが,② ③ ④ の順 は不動 で はない だ ろ うか。少 な くとも,④ は比較的後 回 しに され るのでは なかろ うか。 そ して,その順 が身 に しみ込んでお り,変 更す る と違和感 があるのではないだ ろ うか。 しか し,英 請 では,②④③ が普通 の順 ではないか と私 は思 う。英語 で表現す るな ら

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- な どとな るのではないだ ろ うか。最初 の発言 は

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か も知れ ない。このほかに も, い くらかのバ リエー シ ョンがあ る と思 うが,少 な くとも, 比較 的早 く 「行 けない」 と言 い,その後 で理 由を言 うの が標 準だ と思 う。 私 は,表現 の優 劣 を言 ってい るので はな く, 「行 けな い ことを告 げる」 までに, どれ だ けの 「前置 き」的な こ とが述 べ られ るか とい う点 に両言語 で の コ ミュニ ケー シ ョンス タイル に差 が見 られ る と考 えてい るので あ る。 英語 では,理 由を述べ るのは後 でいいわ けで,まず結論 として 「行 けない」ことを伝 える。 その前置 き としては, 詫 び る又 は感謝す る程度 である。一方, 日本語 な ら,先 に 「行 きたい ところなのです が」 とか, 「あい に く」 な どを多用 して,結論 を言 う前 に,相 手が結論 を察す るこ とができる ヒン トを与 え続 ける。 さらに,理 由 らしき も のが結論 に先行 して登場す るこ とが多い。 しか も,理 由 が述 べ られ る場合 で も, 「家族 の ・・・」 な どを理 由に せ ず, 「野暮 用」 だ とぼか した り,場合 に よって は理 由 らしきものが無い ことさえあ るだ ろ う。 それ で も,結論 に到達す る前 には 「この前 も誘 って も らったのに」だ と か,「あなたには 日ごろか ら一方 な らぬお世話 になって」 な どが語 られ,少 しで も 「行 けない」 の出現 を遅 らせ よ うとす る。実 に美 しい心配 りで ある。聞いてい るほ うも, 「行 けない」 と言 われ る心 の準備 が完 了 してか ら,や っ と断 られ る とい う具合 である。相手 の心 を傷っ けまい と す る 日本 の美 のひ とつだ と思 う。 ここで言いたいのは, この美 しい 日本 的言 い回 しの世 界 だ けに留 ま るな ら,言葉 を使 って コ ミュニ ケー シ ョ ン してい る とい う感覚 は得 に くいだ ろ うとい うこ とであ る。 また, 日本語 とい うシステムが存在す ることも意識 され ないだ ろ うとい うことで ある。言葉 を換 えれ ば, 日 本語 を使 って思考 し,思考 の順 に言葉 を発 し,その結果 日本語 での コ ミュニケー シ ョンを行 うとい うこ とが, 自 分 とい う存在 と一体化 してお り,その活動 を客観 的 に見 るこ とはできないだろ うとい うこ とで ある。英語 とい う 別 の言 い回 し,別 のシステム を知 って初 めて, 日本 的言

(5)

い回 しの心配 りや美 しさに思いがいたるのではないだろ うか。 一方,英語でのコミュニケーシ ョンスタイル も意識 さ れ,た とえ 日本語で思考 しようとも,英語式に情報 を伝 えた り,あるいは,使 う言語が英語であった り,さらに, 両言語の うちどちらの言語やスタイルを使用す るか判断 する場面があった りす る場合は,言語 (システム),コミュ ニケーシ ョンスタイルが,意識 され ることになる。 この ように,個人が少なくとも

2

つのシステムやスタイル を 利用できる力があれば,それ らの存在やそれ らを使 った 活動を客体化することが容易 となると考える。この うち, 本論では,自分の母語のシステムを,あるいは母語を使 っ ている自分を,客体化 して客観的に見る力 を 「母語のメ タ認知」 と呼ぶことにす る。 文部科学省の

『英語が使 える 日本人』の育成のため の行動計画

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3

月)の 目標のひ とつには, 「英語 によるコミュニケーシ ョン能力の育成のため,すべての 知的活動の基盤 となる国語 を適切に表現 し正確 に理解す る能力 を育成する」 とある。 ここか ら言 えることは

,

「英 語による国際コミュニケーシ ョンカの基盤 となるものは 母語である」 とい うことだろ う。国際コミュニケーシ ョ ンカを育成するとい う観点か ら,母語能力 と英語のスキ ル とを相互に高めるために英語教育を位置づけることが 必要であると考える。そ して,英語のスキル を身に付 け ることによって 「母語のメタ認知」ができると考えてい る。

3

英語という言語を指導に用いることについて

ここまでの議論 を行 う中には

,

「言語

「外国語

「英語」 が混在 している。 これまでは混在 したままで論 を進 めた が,ここで教材 として使用す る言語 を英語 とす ることに ついて検討 しておきたい。 英語 を教材 として使用す ることは,既成の事実 として 中学校か らほとん どの生徒が英語教育を受 けていること を考えれば議論の余地がないよ うに見えるが,既成の事 実であるがゆえに留意 してお くべきこともあると考えて いる。 ここで,少 し考察を行っておきたい。 まず,外国語の中か ら英語を選んで教 えることの根拠 を概観す ると,次の2点に集約できるだろ う。 (1) 国際的に広 くコミュニケーシ ョンの手段 として 使われていること (中学校学習指導要領 (平成

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年12月)解説 一外国語編-)

(2)

極 めて広 く英語学習が行 われ てい る実態 (改 訂 中学校学習指導要領 の展開 外国語 (英語)料 編) 特に,(1)の状況を して英語 を 「国際語」 と言わ しめ る状況が生 じてい る と考 え られ る。統計 にもよるが, 英語使用者は10億人を越 え,その過半数が非母語話者で あるとい うことはほぼ共通に認識 されているところであ る。そのよ うな状況下では, 田中 ら

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が言 うよ う に, 「英語の規範に対 して寛容でなければな らない。 と い うよりむ しろ,規範の決定権 を誰 も持 ちえない とい う ところに本来的な意味での 『国際語 としての英語』があ る。」はずである。 しかるに,英語 を外国語 として学んでいる日本の人た ちは, 「英語できますか?」とい う問いに対 して, 「できま せん

「少 しな ら

「まだまだ勉強中です」な どと答 える 場合がほとん どだろ う。筆者 はいまだ 「完全にマスター しま した

「大丈夫です

と明言す る人 に会 った ことが ない。 このよ うな返答がよくなされ る背景には,何事 も 謙虚に言 うとい う日本的な姿勢の影響 もあろ うが,む し ろ,英語の母語話者が話 し,書いている英語 とい う標準 があって,それを目標 として発音や文法を学習 している とい う意識があ り, さらに, 「勉 強」の対象であ るので, 正 しい とか間違っているとい う概念が入 り込みやすい と い うことがあると考える。言葉 を換 えると,母語話者の 英語が規範であ り, 「標準」であって,そ こか らの逸脱 は価値が低い ことであるとると考 え られている とい うこ とである。 さらに,特 に話 し言葉 において顕著だ と思われ るが, 「標準」か ら見て稚拙 な発音,単純す ぎる語嚢,誤 った 構文な どは,発言 内容 が, あるいは思考 が,稚拙 であ るとか誤 って いるとい う印象 を聞き手に与える とい うこ とがある。母国語でコミュニケーシ ョンを行っている場 合 を想像すれ ば, うなずいていただ ける と思 う。 さら に,外国語 を使 っている場合 にこれ を当てはめるのは無 理 であることにも賛同いただける と思 う。 しか し, 「印 象」 とは直感的なものであ り,また, これまで母国語 に おいてそのよ うな印象 を持つ経験 を私たちは繰 り返 して

(6)

きてい るQそのため,発言 内容や思考 には何 ら問題 がな く,言葉 の使用 においてのみ困難 を抱 えてい る話 し手の 発言 を,母 国語 の使用時に受 ける印象 と重ねたままで 「問 題 あ り」 と直感 的に判断 して しま うことが起 こ りうる と 思われ る。 立場 を逆 に して,話 し手側 か ら見れば, 自分 の使 う英語 が稚拙 であることが相手 に どうい う印象 を与 えてい るかを 自分 の母語使用の経験 か ら想像 して しま う とい うことも起 こ りうる。 この よ うな経緯 か ら,大人で あるほ ど英語 を話す ことに消極 的になって しま うと想像 す る。逆 に, 「標 準」 の英語 を話 してい る場合 は,発言 内容 まで正 しく価値 が高い と判 断 して しま うとい う 「ハ ロー効果」を生 じてい る場合 がある と考 える。 この よ うな こ とが起 こるの も, 「標 準」 を英語 の母語 話者 に求 め るか らで あ る。 これ か らの世界 で人 々が コ ミュニケー シ ョンに利用 しよ うとしてい るのは, コ ミュ ニケー シ ョン・ツール としての英語 であって

,

「米語

「イ ギ リス語

「オー ス トラ リア語」 -・ではないのである。 まず, この 「標 準幻想」 を捨 て ることが大切 であると考 える。 目指すべ きは, 日本人 同士だけでな く母語話者 に も理解 され ること,そ して,様 々な人々が使 う英語 を理 解 できることであると考 える。 も うひ とつ検討 してお きたい ことは,英語の学習があ る種 のブームになってい る背景 に,国際的に広 く使 われ てい る英語 は,個人的な交流 レベル だけでな く,子 ども が将来就 く仕事 で も大いに役 に立っ とい う認識があると 思われ ることである。す なわち,英語 の有用性 ・経済性 を認 める立場 である。 これ に対 して,大石 (2005)は

,

「英 語帝 国主義」について, フ ロ リア ン ・クル マスの2冊の 著書, 「言語 と国家一言語計画な らびに言語政策の研究」 (山下公子訳,岩波書店,1987年)と 「ことばの経済学」(諏 訪功他訳,大修館書店,1993年) を次の

3

点で批判 して い る。 (1) (有用性 ・経済性) を根拠 とす る,英語 を頂点 とす る近代西洋語 の称揚 には,西欧人間 としての 優越感 と限界が感 じられ る。 (2) ここには一切 ,超越 意志 の こもった哲学 ・思 想 ・文学 ・文化人類学等 々の包含 しているラデ ィ カ リズム もイ ンターナ シ ョナ リズムもユー トピア ニズム も見 られ ない。 (3) ここには,西欧語,特 に英語が (有用性 ・経済 性) ゆえに支配的言語 となるに して も,その こと に奉仕 してい る言語心理的側面の省察が一切 ,見 られ ない。 そ して,次の よ うに概括 してい る。

英語 の (有用性)は (強者)の論理である。 "未 開発" "後進""第三" (世界) "前近代"等々-の抑圧的機 能 を果たす。 ② 英語 の (有用性) は (現実肯定主義)の論理であ る。すべてのラデ ィカル な反 ・西欧近代合理主義的 な思想 と運動 に逆行す る。 ③ 英語 の (有用性) は非英語国民の被虐的幻想等々 が膨張 させ て しま う論理 である。 ④ 英語 の (有用性) は 「多言語状況」が "まずい" 状況である とす る脅迫的論理が逆 に強調 したがる論 理 である。 ⑤ 英語 の (有用性) は英語 が人類全体の文明教化的 な理想 の言語 であるとす る擬似 国際主義が強調 した が る論理 である。

英語 の (有用性) は英語文明を第一文明 とす る擬 似 国際主義が強調 したがる論理である。

英語 の (有用性) は多言語多民族多文化共生の真 の国際主義 の可能性 を封 じて しま う可能性 のある論 理 である。 大石 は, 「つ ま る ところ,多言語多民族多文化共生社 会 にふ さわ しい散開的多元的言語学習 をもって理想 ・理 念 としたい」 と述べて, 「言語ユー トピアニズム」 を唱 えてい る。 ここで述べ られ てい るよ うに,外国語 の中か ら英語 を 選択 して学ぶ とい うことを無批判 に受 け入れ るのは危険 が ともな う。 その危 険 とは,英語 とい う言語 に優越性 を 認 め,英語 を母語 として,あるいは母語話者 の よ うに使 用できる人 に優越性 を認 め,西欧 ・アメ リカの文明に優 越性 を認 めることである。 この よ うに書 けば,前出の大

(2005)が提 唱 した言語教育 の 目標 の うち, 「【目的1】 言語 は人 間にだ け, しか も,人 間に平等 に与 え られ た, 種の特性 であ り,個別言語 間に優劣 はない ことを学習者 に気づかせ る」 とはまった く逆の態度 を育てているとい う危険なのだ とい うことに気づ くのである。

(7)

究極的目標

(

より良き日本人 .地球市民を育てること)

より良き母語使用者を育てること

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他 の 要 素

国際コミュニケーション力

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スキル

言語や文化

積極的態度

他 の 要 素

図2 英語教育の目標 (2) 以上の観点か ら,英語 が国際的に広 くコ ミュニケー ションの手段 として使われていることが英語を教えるべ きであることに直結す るものではない と考えている。 一方,実務的な観点か ら考えると,英語以外の外国語 を教えようとした場合には,不都合が生 じると考えられ る。その理由は,教材 ・教師等の利用可能な リソースが, 英語の場合 と比べて極端に少ないことである。つま り, これまで外国語学習 といえば英語学習 とほぼ同意であっ た とい う状況が自己の再生産を行ってお り,その再生産 サイクルから抜け出す ことができない状況が生 じている とい うことである。 ここで,実務的な理由から英語を選んで教えることが, 母語のみならず外国語をも学ぶ ことによって本当の意味 での国際コミュニケーシ ョンカを育成 しよ うとす る意図 に反 して,英語の優越性を刷 り込んでいるとい う逆の効 果を同時に持っているとい うジレンマに陥る。 これに対 処するには,英語を学習するときには,常に 日本語の学 習, 日本語力の向上が 目指 され もべきだ と考えるOそ う することによって,いたず らに英語を称揚 した り,英語 を通 して入る情報や英語 を母語 とす る人々の習慣等を過 大評価することを避 けられ ると考えている。 そのように考えると,松畑 (2002)の英語教育の 目標

直接的 目標 :英語 を通 しての異文化 コミュニケー ション能力を育てること

究極的 目標 :より良き 日本人 ・地球市民を育てる こと の間にもうひ とっ 目標が存在 し, 中間的 目標 :より良き母語使用者 を育てること があるとい うことになるだろ うか。あるいは,究極的 目 標の 「より良き 日本人 ・地球市民」に 「より良き母語使 用者」が因子 として含まれると考えることもできる。 こ の 「より良き母語使用者」の育成 を目指 して英語教育が 行われるなら

,

「標準幻想

「英語帝国主義」を克服 し

,

「よ り良き日本人 ・地球市民」の育成に近づけると考 える。 そ う考えれば,英語を教えることには有益な面がある。 それは, 日本語 とは大きく異なる言語 システムであると い うことだ。語嚢 ・音韻 ・文字だけでなく,統語法が大 きく異なっている。 さらに大きな問題 として,前述 した ようにコミュニケーションの作法 (コミュニケー シ ョン スタイル)が異なっているのである。対比によって差を 意識 させたい とい うことなら,その差が顕著であるほど 使いやすい教材であるとい う結論になるだろ う。 日英の

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コミュニケー シ ョンスタイル については別 の機会 に詳 し く検討 したい と考 えてい る。 この節 の議論 をま とめると,英語 を学ぶ理 由は 2つ に 集約 され るだ ろ う。 (1) 日本語 とは,語桑 ・統語法 ・音韻 ・文字 ・コ ミュ ニケー シ ョンス タイル等 が大 き く異 な るが ゆ え に,言語 の意識化 に有効であること (2) これ までの英語教育の歴史か ら,利用可能な リ ソースが豊富であること そ して,英語学習 を通 して, よ り良き母語使用者 を育 てる とい う方 向性 が大切 であると考 える。

お わ

り に

小学校 での英語学習 を考 える第一段階 として,本論で は国際 コ ミュニケー シ ョンカ とスキル の関係 ,及び英語 学習 を通 した国際 コ ミュニケー シ ョンカ の育成 について 考察 した。今後 は, 「母語 の メタ認知」の育成 に向けて, まず, 日英語 にお けるコ ミュニケーシ ョンスタイルの考 察 を深 めたい と考 えてい る。

インターネット資料

文部科学省 中教審教育課程部会 外 国語専門部会 (第

1

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回)議事録 ・配付資料 (http://www.next.go.jp/b_menu /shlngi/chukyo/chukyo3/slryo/015/06032708/003.htm)

参考 ・引用文献

大石 俊一. 「英語帝 国主義 に抗す る理念- 『思想』論 としての 「英語

㈱ 明石書店 (2005) 大津 由紀雄 . 「小学校 での言語教育

.

大津 由紀雄 編著 (2005).『小学校 での英語教育は必要ない

!

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慶鷹義塾大学出版会㈱ (2005) 田中 茂範 (編集 主幹)ほか. 「幼児 か ら成人 まで一貫 し た英語教育のための枠組み

.A

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C

L

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編集委員 会編著. リーベル 出版 (2005) 平 田 和人

.

「改訂 中学校学習指導要領 の展開 外国語 (英 語)科編

」.

明治図書 出版㈱ (1999) 松畑 照一. 「英語 教 育人 間学 の展 開

.

開隆堂 出版 ㈱ (2002) 松畑 照一

.

「英語 コ ミュニケー シ ョン文法 のカ リキュ ラム ・教材研 究 開発 に関す る研 究

.

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1

4-H1

6

年度科学研究費補助金 (基礎研究

(

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)(

2

)

)

研究成果報告書 (2005) 文部科学省

.

「中学校学習指導要領 (平成 10年 12月)解 説 一外 国語編

-」

.

東京書籍㈱ (1998) 山田雄一郎. 「計画的言語教育の時代

」.

大津 由紀雄 編 著 (2005),『小 学 校 で の英 語 教 育 は必 要 な い

!

.慶鷹義塾大学出版会㈱ (2005)

参照

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