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明治期における小学校教員現職教育の諸問題

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Academic year: 2021

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(1)Title. 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. Author(s). 佐竹, 道盛. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 30(2): 71-87. Issue Date. 1980-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4808. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. 佐. 竹. 道. 盛. は じ め に. 我が国の近代教育史の中で, 教師像 がどのように形成されてきたかを明らかにする研究は, 単に 広く教職従事者を対象としてその職務遂行能 i i t 力の向上を名目に実施された現職教育 ( ) をも考察の対象にとり入れることに n ‐ s e r l ceedu on v ca. i duca t pre‐service e onとしての教員養成のみならず,. よっ て, より精細なものとなるのではなかろうか. なぜなら, 現職教育は教職従事者一般を対象と するものだけに, その影響が広範囲におよび, それだけ広範な教師像形成の実態が明らかとなろう し, さらに我が国の過去の現職教育は, その時, その時の差 し迫っ た政策的要請にもとづいて実施 され, その政策意図が端的に表明されるのが普通であっ たから, それを通して教師像形成の政策意 図もヴィ ヴィ ドに解明されるであろうから, 筆者がこれまでに明治期における教員現職教育の展開 過程を明らかにするささやかな論稿を公にしてきたのは, 以上のような問題意識によるものであっ 1 ) た( ,. ところで, 教員現職教育史の研究は, 以上のような教師像形成のあとを明らかにするという意義 のほかに, す ぐれて現代的な意義を有するものといえよう, 今日教育界では, 現職教育の望ましい あり方をめ ぐっ てさま ざまな提案がなされ, ようやく論議が高まる気運にある. このような情況の もと で , 過去の現職教育の実態と問題点を明らかにする研究は, われわれに現職教育の向うべき方 向について有力 な示唆を与えるものとなるであろう, 本稿は以上のような認識に立っ て, 明治期に おける現職教育の諸問題を明らかにすることを意図するものである. 明治期の現職教育は, まず188 3(明治1 6 ) 年の文部省達第16号に基き, 不況下の教育不振を教 員資質の向上を通して挽回すべく, 教員講習会の形で全国規模に展開され, さらに,18 92(明治2 5) 年の文部省令第8号以後は小学校教員講習科として恒常化していっ たが, その間, 現職教育 の時間 をどのようにして保障するか, 諸経費の負担をどうするか, 現職教育出席者の待遇をどうするか, 教員の自発活動を生かす現職教育はどのように して可能となるか, 教員の学習意欲にこたえる内容 をどう盛りこむか等々, 今日なお問題となる諸事項が関係者によっ て指摘されていた. 本稿は, こ れらの問題のほか, この時期の現職教育の全般にわたる問題点の検討を行うもの である,. 1 1. 小学校教員現職教育の展開. 「学制」 期. 「学制」 によっ て発足した近代小学校は, それに相 応の資質をそなえた教員を多数必要としたた 71.

(3) . 佐 竹 道 盛. め,「小学校ノ外師範学校アリ此校ニアリテハ小学ニ教ル 所ノ教則及其教授ノ方法ヲ教授ス当今ニ 在 りテ極メテ要急ナルモノトス此校成就スルニ非サレハ小学ト錐モ完備ナルコト能ハス故ニ急ニ此校 2 ) 」 る師範学校制度が同時に発足し ヲ開キ其成就ノ上小学教師タル人ヲ四方ニ派出センコトラ期ス{ た. しかし, 師範学校は 急増する小学校に十分な数の教員 を供給することはできなかっ た. そのため, 地方 では教員速成の方法を講ずるとともに, 従前の寺子 屋師匠のほか, 神官, 僧侶等 およそ文字のたしなみのある者は, これを動員して教員にあてるという 方策をとっ ていた. ここに, これら近代学校の教員として未だ十分な教養をつんでいない人々を, 随時招集して再教育するとい う素朴な形の現職教育がスタートしたの である. ー i度は, 以上のような 「学制」 期の現職教育の情況をよく 伝えている. 千葉県の師範 講習所橋 千葉師範学校 生徒養成ノ法ヲ設ケ各小区 (戸籍) 二員ノ師範生徒ヲ募り試験ノ上合格者ヲ入学セ シメ……然リト雄トモ僅々ノ生徒逐次卒 業スルモ管内数百ノ 公立小学教員ニ充ツルニ足ラサルラ 以テ一般土民ニシテ小学教員 タランコトラ請願スルモノアルトキハ旧ニ依テ師範学校ニ移シ其学 ヲ試ミ小学訓導准訓導或ノ・助教ニ補シ直ニ教員欠乏ノ小学校ニ充テシムルナリ 且小学教員名称等 級更正ノ際ニ方テ従前ノ教員タルモノ其習フトコロ各異ナルラ以テ授業法区々ニ 出テ精密純一ナ ラサルニヨリ師範伝習所ノ法ヲ設ケ ニ中 学区毎ニ ーノ講習所ヲ開キ師範学校教師二名ヲ派遣シ該 中学区内ノ公立小学 教員ヲ甲乙両部ニ分チ一部四週間ツ・交互二 授業法ヲ伝 習セシメ其週末ニ於 3 ) テ各自ノ伎術ヲ審案シ其等級ヲ勝降シ( このように, 現職の教員を招集して伝習させるものは, 他にも 「目下教員ノ任ニ在りテ 算術及ヒ 4 ) ●と規定した山梨県や師範学校に,「四ケ月伝習ノ 」 其他ノ学科ニ短ナル者ヲ数週間伝習スル者トス{ 6 } 」た島根県などがあげられる.さらに伝習 課ヲ設ケ各小学従前ノ教員ヲ集合シ授業ノ方法ヲ示授シ( 所の開設と平行して訓導に各学校を巡回指導させるものもある. 本県ノ如キハ東北ノ僻睡ニシテ過 歳建学ノ際良教師ニ乏シク山邑海郷ニ至テハ旧神官或ノ、僧侶ヲ 雇ヒ其員ニ充ルト難モ固ト 己ヲ得サ ルニ 出ルラ以テ鶴岡県ニハ明治七年山形置賜両県ニハ同八年 来各伝習所ヲ開キ遍ク有志ヲ募り師範学校得業生数名ヲ訓導トシ専 ラ授教講習セシメ…… 九年合 県後一層紘ニ注意シ山形置賜ノ如キハ旧来ノ教員 一旦都テ之ヲ廃シ其中授業其宜ヲ得ルモノラ抜 擢シ更ニ授業生ニ命シー等ヨリ五等迄ノ差等ヲ立テ訓導二十名ラシテ各 一大区宛ヲ (戸籍大区) 受持セシメ常ニ巡校シテ或ノ・教授ノ方法ヲ 論シ或ノ、之ヲ伝へ務メテ同轍ニ出シメンコトラ謀り猶 6 } 三ケ所ニ伝習所ヲ開キ既ニ教員タル者ト難モ伝 習未済ノモノハ必入学セシメ( 以上に見るとおり,「学制」 期の現職教育は, 教員欠乏の中 で各種のルートを経て教育界に集めら れた資質不十分な教員を再教育して, その量的確保をはかるという, いわば資質向上のための教育 機能と教員の養成機能とを未分化な形 で含んだ素朴な形 でスタートしたの である. しかも, こうし た地方の現職教育施策は, 各府県独自のものとして実施さ れたの であり, 未だ全国的な統一的施策 は現れていない. 全国規模の統一的な現職教育施策が提起されるのは教育令期のこと である. 2. 教育令期. 7 )になっ ても依然としてつ づいていっ た そのため正式 「学制」 期以来の教員の欠乏は教育令期{ , の養成機関を経ずに教職に就く者も少なく なく, その資質向上対策が教育政策上の緊急課題として 8 )は こうした事態について次 とりあげられていくことと なる. 教育令改正に関する文部省の上申( , の と お り 記述 し て い る.. 夫し小学ノ整否ノ・教員ノ良否ニ関シ, 教員ノ良否ノ、師範学校ノ 整否ニ原セリ. 師範学校ノ小学ニ 於ケルヤ, 必ズ消長ヲ同クスル者ニシテ, 師範学校衰ヘテ小学校ノ独り盛ナルハ, 各国ノ実歴ニ 72.

(4) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. 徴シテ未 ダ之レアラザルナリ. 我国普通学ヲ督励シテョリ, 今ニ及ンデ各府県師範学校ノ設ナ キ 者アラズト錐 ドモ, 其年ヲ歴ル尚ホ浅ク教員ニシテ師範学科ヲ卒業シタルモノハ, 全国ニ通ジテ 十中ノーニ過ギズ. 他ノ・旧時ノ学ヲ講ジテ, 教授ノ術ヲ知ラザル者ナリ. 且偏境僻地ニ至テノ\ 実ニ良師ニ乏シキラ以テ, 大抵僧侶, 修験, 習字師ノ徒, 少シク字ヲ識り書ヲ読ム者ノ僅カニ其 員ニ充ルノミ. 学事ノ振ハザル, 職トシテ其一原因タラズンバアラズ, こう した事態に対処するための方策の一つとして, 現職教育も中央・地方を通じて次第に具体化 の気運をみせていっ た. 中央では, 明治13年に河野敏鎌文部卿 が, 資質不十分な授業生等の教育を 9 } 次 の と お り 提 唱 して い た( .. 師範学課ヲ卒業シテ後ニ教員トナル者ノ外僅カニ小学下等ノ課ヲ履メルノ少年ヲ雇フテ授業ヲ助 ケシム各校皆然ラザルナシ之ヲ称シテ授業生又助教ト云フ蓋シ其給料ノ寡キラ利トスルナリ臣巡 視ノ際其教授ノ状ヲ察スルニ概ネ定則ノ読書算数ヲ伝フ ルニ止マリテ碧モ活機ヲ出シテ生員ヲ提 斯スルコト能ハ ズ又其授業ノ態疎漏ニシテ生徒騨習ノ便ヲ失フモノ比々皆是ナリ音授業生ノミ然 ルニアラズ師範学校ニ入りテ其学課ヲ卒業シタルノ教員ト雄往々ニシテ此弊アルラ免レズ然リト 錐其人ヲ更メテー々 良師ヲ得ントスレ バ給料乏ヲ告ルラ以テ此ヲ為スニ由ナシ故ニ之ヲ改良セン トセ バ現ニ任ズル所ノ教員授業生等ラシテ漸ヤク教授ニ慣熟シ学業ヲ進修セシムルノ道ヲ開クニ 如クハナシ臣以為ラク其方法ニアリ東京師範校ト地方師範校ト連絡ヲ相為シ東京師範校ノ教員ノ・ 各地方ノ師範校ヲ巡回シテ以テ其授業ヲ協議改良スルラ勉メ地方師範校ノ教員ノ・其府県ノ小学校 ヲ巡視シ弊ヲ去り利フ伝フルニ勉ムルコトーナリ文部省ニ於テ授業ノ方法ヲ論ゼルノ良書ヲ編纂 シテ之ヲ全国ニ頒ツニナリ こう した現職教員の教育方策は, 特に教員資質が低下し, ために父母の学校 への信頼が失われ, 子弟の就学をいとうという事態 が生じ, 学校が衰退しているという認識のもとに提起されているの であり, そこに 「学制」 期の現職教育方策との相異点も見 られるの である. 地方 では, 福島県で同じく1 3年に教員講習所による現職教育が提示されているのが注目される. 今ヤ教員ノ現状ヲ観ルニ師範学校ノ卒業証ヲ有スル者ノ・僅々十中ノーニタモ 当ラス他ノ・皆浅薄授 業拙劣ニシテ自己職分ノ要務ヲ解セサル者居多ナリ トス是以 児童教育ノ重任ヲ負荷セシムルハ真 ニ至難ト云ハサルラ得サルナリ然則善良ノ教員ヲ採ル尽ク師範学校ニ籍ラント欲スルカ 一朝一夕 ノ得テ能クスヘキ所ニアラ ス依テ各地ニ教員講習ノ法ヲ設ケ凡小学ニ従事スル教員ハ ー 歳-二次 必ス此講習ニ出席セシメ自己職分ノ要務ヨリ授業方法ニ至ルマテ反覆講究セシメハ漸次 小学教員 1 0 ) ノ学業ヲ嵩メ授業方法ヲ改良シ生徒教養ノ道ニ於テ必ス神益アルヘキラ信ス( こう した具体案の提示を背景に, 明治15年には, 文部省が府県の師範学校教諭等を東京に招集し 1 1 } この講習は て1 6年7月ま での1年間にわたっ て師範学科取調員講習を開催することとなっ た( , . 普通学務局長辻新次によれば,「維新以来多クノ年所ヲ経ザルニ小学校ノ数日ニ一 日ヨリ増加シ己ニ 幾万ノ多キニ室レリ随テ教師ノ需用 愈多ク寛ニ当路者ラシテ之ガ供給ニ困マシムルニ至りシハ淘ニ 賀スベキノ至りナリ然ルニ一方ヨリ学校ノ内部ヲ顧レバ普通教育上尤モ要用ナル生徒ノ管理授業ノ 方法等不完全ニシテ殆 ド夫ノ人ノ子ヲ賊フノ感ナキニアラ ズ速ニ之力改良ヲ計画セザレバ前ノ所謂 賀スベ キモノハ却テ憂トナルモ亦知ルベカラズ今学校内部不良ノ原因ヲ尋ルニ数種アリ ト錐モ之ヲ 要スルニ師範学校ノ教導其宜ヲ得ザルニ 帰セザルベカラ」 ざる情況にあるから,「自今小学校ノ改良 1 2 ) この ヲ計画スルニハ先ヅ師範学校ヲ改良セザルベカラズ」 として開設きれたもの であるという( . 時招集さ れた府県の師範学校教諭等は, 地方の師範学校 の改善に努めるとともに, 小学校教員の現 職教育をも担当することになるのである. さらに, 同講習終了直後の1 6年8月には文部省達第16号が発布され, 小学校教員の 「改良」 の 73.

(5) . 佐 竹 道 盛. 1 3 ) その結果府県 では帰任 した師範学 ための講習所設置が府県に対して督励されていっ たの である( , 1 4 ) 教員講習所が開設され ペスタロ ッ チ主義の開発主義教授法を中 心とする講 科取調員を講師に( , , 1 5 } 地方の講習会は 端的にいっ て 「松方財政」 下の不況の進行に伴 ない就 習が開催されていっ た( , , . 学の停滞があらわになっ て行く事態を, 開発主義教授法による実用的知識の普及を手 だてに, 父母 の教育への信頼を回復させること で改善していくために, 開発主義教授法を主要な講習内容として 実施されたもの である. 講習の実施に先進的な役割を果した兵庫県の学務 課が刊行した兵庫県教育 雛報の記事がこの間の事情をよく 物語っ ている. 従来学校ノ教授宜シキラ得サルヨリ 随テ活用ノカ鈍ク其甚シキニ 至ツテハ 三四年モ小学ニ従事セ シ 生徒ニシテ尚日常ノ請取文ヲ記スル能ハサルカ如キ実アリテ終ニハ 延テ学校ノ益少ナキノ誹り ヲ来タスニ至レリ 弦ニ於テカ 此弊ヲ矯メントシ教員ノ注意ヲ喚フハ 一般ノ輿論トナリ先ツ差当り 教授法ノ改良ヲ 必要トシ教員講習ノ途ヲ開カサルノ府県ナク我県小学ノ如キモ 夙ニ教員 講習ノ法 ヲ設ケ勉メテ 開発ノ法ニ拠り着実懇到 ノ教授ヲ施シ大ニ 面目ヲ改メシメンコトラ企図シ郡区ニ於 1 6 } テモ此趣旨ヲ 体認シ講習ノ大意殆ン ド全周シ( もとより, 教員講習にはこの時期に大きな盛り 上がりをみせた自由民権運動に対する対策の意図 7 ( 1 } も現れてはいる. 師範学科取調員講習の卒業証 書授与式 で行なわれた西周文 部省御用掛の演説 の一節にそれがう かがえる. 先ツ知行ノ ニツラ区別スヘシ而シテ知識ヲ開ク学 業ノ如キハ 荷モ学習ノ次序階級ヲ失フコトサヘ ナクハ勉メテ高尚ニ 至ラント勤メ進取ヲ専 一トナ スヘシ唯其尤モ戒ムヘキハ徒ラニ高尚ニ馳セテ 次序階級ニ依ラス其 空疎ニ失スルニ在り 是尤年少志学ノ人ニ在テ警ムヘキ 所ナリ又行ヒニ至りテ ハ周匝囲撫ノ事情ニ照準シテ不及ナルハ勿論欲セサル所ナレトモ過高ナルハ深ク戒ムヘキ所ナリ. (圏点引用者) えん曲に過 激な行動をいましめたものとみるこ とができよう,明治17年東京 府下荏原郡の講習会 に文部省普通学務局長にして大日本教育会副会長たる辻新次の命で出張した文部省一等属河村重固 の演説は, 直裁的な表現によっ て過激な運動をいましめている、 凡ソ世上ノ事其目的ノ・可ナレトモ其実施宜シキラ得ザルヨリ遂ニ其益ナキノミナラス或ノ、大害ヲ 生ズルノ弊アルコト間々コレアリ本会ノ如キ其緊要有益ナルコト前ニ述べ タルが如シト難モ若シ 其実施ノ方法ヲ誤り或ノ・奇僻ノ教育説ヲ唱へ或ノ・妄ニ成法ヲ議シテ 軽燥詑激ニ渉り実際ノ利害ヲ 顧ミ ズシテ其講習スル所架空ニ帰スルガ如キコ トアリテハ奮ニ該会ノ目的ニ違フノミナラス却テ 教育上ニ害ヲ及 ボスノ患ナキニ非ス本会ニ於テハ規則第三条ト第十二条トニ掲ケタル旨モアリ且 ツ諸君ニ於テハ固ヨリ此ノ如キ患ナキハ予ノ万保証スル所ナリト難モコロ バヌサキノ杖トシテ 紘 1 8 }(圏点引用者) ニ之ヲ 一言スルモ ノハ予ガ一片ノ老婆心ニ 外ナラズ( しかし, 地方講習の実態はむしろ開発主義に重点を置くものであっ たことは, 兵庫県下城崎美含 9年3月 4 日)に際して行なわれた郡長小西甚平の演説の一節からも 両郡教員講習の卒業式(明治1 明 ら か である.. 今ヤ厳冬将ニ去り花鳥噸笑ノ時至ラントス諸君モ 亦厳寒講習ノ苦ヲ卒ヘ テ梅花ノ 綻 ルラ楽ントス 帰校ノ 上ノ・果シテ彼ノ開発主義ニ依り活動可憐ノ花鳥ヲ能ク唖笑セシメ生々緑々ノ枝葉ヲ能ク暢 1 9 茂セシメ能ク 禾果ヲ賢実ナラシムルヤ否ヤ予ハ 割目シテ其成功ヲ他日ニ期セントス( } 県講習規則の中に, 国体維 持のための普通教育を鼓吹する福岡孝弟文部卿の演説を掲げるような 兵庫県において なお開発主義の教授が優位に立っ ているところからみて, 全国的な開 発主義の普及 浸透の様相が推察される. しかし, 講習を通して伝達された開 発主義は, 十分に定着することができ なかっ た, 福島県の教 74.

(6) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. 員 星伊七郎の日誌がそのことを端的に物語っ ている. 明治1 9年2月に, 「明日ノ実地授業博物科馬 ノ部分教授方ノ草稿ヲ要求セラ ル」「講習会実地 授業ノ景況, 古町小学校在勤大山清次君中等科六級 2 0 )多シ」 等々若林虎三郎等の 『改正教授術』 に拠っ たとみられる 生ニ鼠ノ部分ヲ 授業セラル, 批評{ 開発主義の講習を受講した星は, 帰任後鋭意その実践に努めたの であっ たが, 現実の条件がそれを は ば むこ と と な っ た.. 余ノ・教授上ノコトラ熟慮 スルノ日一日トシテ止マズ, 然し ドモ其弊未ダ一洗スルコト能ハズ 所 . 謂ル弊害 ・何 ゾ. 教授ノ際衆生ニ満足ヲ与フルコト能ハザ ルコト是レナリ 何ヲ以テ満足セ シ , ムル能ハザルヤト云フニ, 其妨害漸クニシテ之ヲ見出スコトラ得タリ. 即チ余ノ・ , 一人ヲ以テ数 級ノ教授ラナスラ以テ級毎に 一時間ヅツ附キソフテオルコト能ノ・ズ, 彼ニ十分, 是ニ五分 彼処 , , ニ二十分此処ニ三十分而シテ三十分附キオルノ級ノ・実ニ稀ナリ, 故ニ 己ムラ得ズ余時ノ・復習トナ ヒク教授時間サク, 復習時間多キトキハ目ラ倦怠ノ′ムラ生ス 己ニ倦怠心ヲ生シタル後ノ・ ス. 如止 . 欝然談話ヲ事 トシ, 手ヲ以テ戯レラナシ, 教場ノ内遊歩場ニ 異ラ ズ 此際余ノ・何ヲ以テ之ヲ制セ . ザルヤト間フニ, 余′・他級ノ教授ヲ施シオルラ以テ止ムラ得ズ此ノマ・ニ捨テ置カザ ルラ得ズ . 此級終り彼級ニ至レバ樗シキコトノ・一時己ムト錐 ドモ亦他級ニ右ノ如キ現象ヲ生ズ 必覚スルニ . 将ノ将タルノ略ナキ所ノ 致ス所ト錐 ドモ亦諸生ノ興り妨害ヲ為サザルモノト云フベカラ ズ 請フ , , 2 1 ’ 諸生 此 意ヲ 諒 シテ 余 ヲ 苦 シ マ シ ム ル コ ト ナ カ レ(. 複式の学級編制 により開発主義の実践は阻害され, 講習 の成果はあがらずに終っ ている このよ . うな情況がかなり一般的なものであっ たことは, 他の県の資料によっ ても確認される 「彼の ふ性開 . 発の教授法は輿論の帰する所にして若し之に依 ら ざれば彼の人の子を賊ふは理の尤見易きものなる に今日猶暗詞教授の法令の跡を絶たざるは一には資金乏しく して教員不足なるか為め十分の教授を 2 2 ) 施す能はさる{ 」(静岡県) とか, 「授業法は全く開発的の主義なく純然たる注入的教授法なり然れ とも熟考ふるに其開発的 を捨て注入的を取る所以のもの抑亦故あるなり是れ全く教員の不足にして 2 3 ) 一名 を以て三四級 の生徒を教 授するの致す所に外ならさるなり{ 」(鳥取県)といっ た事例 がこのこ とをよく物語っ ているといえる. こうして, 教員講習は財政窮乏やその結果としての教員不足によっ て所期の目的たる教育不振の 挽回を果すことなく, むしろすべての面で教員 の努力のみを強要する精神主義的な督励 の場となっ た観がある. もとより, 講習の成果と しては教授法研究の進展, 教育方法に関する教師の自覚の深まりなどが あげられる. たとえば, 宮城県下登米郡の演習の実況が, このことを端的に物語っ ている それは , , 「平常演習スル所ノ教育学授業法ヲ実地ニ照合シ其ノ可否得失ヲ講究スルノ趣向ニシテ各校日用ノ 表簿類各教育目ラ製作スル所ノ各学校近傍ノ地図地誌略並ニ理学簡易器械等ノ発明品 鉱物植物標 , 2 4 ) 本類ヲ出品セシメ以テ其ノ応用適否ヲ研究{ 」 するも ので, 開発主義教授法実践 のための標本の自 作品などを持ち寄り実地に即して批評し合うもの で注目すべき事例 である . 「学制」 期の現職教育は, 小学校の急増に対応すべく正規の養成機関を経ずに徴募された資質不 十分な教員を再教育するという応急的なものと して実施された 一方教育令期の現職教育は これ . , を一歩すすめ, この時期に米国を通して導入さ れたペスタロ ッチ主義の開発主義教授法 を伝達し , 教員の資質を向上させて, 懇切かつ周到な教育をなさ しめ, 父母の信頼をつなぎとめて不況下の教 育不振を挽回するために実施されたの である, ここに, われわれは 「学制」 期の応急的, 一時的な 再教育としての現職教育から, 教育令期の資質向上を主 眼とする積極的 継続的 組織的なそれへ , , の進展を見ることができるの である. なお, 教育令期の教育政策は, 自由民権対策の意図をもつ儒教主義的徳育思想の支配をもっ て特 75.

(7) . 佐. 竹. 道 盛. -した政策動向の反映は比較的稀薄 である. それは, 政府およ び 徴 づけられるが, 現職教育へのこう 府県当局が,「学制」 期以来生活遠離の内容故に 民衆の批判をあびてきた教育に反省を加え, 実用的 な知識を合理化された教育方法によっ て伝達普及させ, 民衆の支持を得るため, 特に開発主義を重 視する方針をとっ たためと見られる.. 3. 学校令期. 学校令期の現職教育 は, 明治前期の教員講習の盛行を基盤に制度的に 整備をみたことと, 私立教 2 6 育 会その他による私設講習 が活発になっ た点にその特質がみられる{ ) . 2 6 } (尋常師範学校ノ学科及其程度) は 小学校教員講習科を師範学 明治25年の文部省令 第8号{ , 校の一課程として位置 づけたが, それは 「教員ノ学力ヲ補足シ 又ノ・新ニ教員タラント欲スルモ ノニ 2 7 ) 」 るもの であり, 教員の学力を補充する補習機能と教員を養成する養成機能 必須ナル学術ヲ授ケ( を同時に認めるものであっ た. 0年10月 9 日の勅 補習機能と養成機能を併せる小学校教員 講習科の基本構造は, その後, 明治3 2 9 ) ( 2 8 }(師範教育令) や明治40年4月17日の文部省令第1 (師範学校規程) にも継 2号 令第・ 34 6号( 承 さ れ て い っ た.. 25年の文部省令第8号によっ て発足した講習科制度は, 養成型, 補習型およ び両者をあわせもつ 複 合型の三種類の講習科を発足させた点に 第一の特徴がある. 養成型は,「一ヶ年以上尋常小学校本 i ・学校本科 正教員タ 科准教員ノ職ニアリシ者ニシテ 小学校教員タルヘキ志望確実ナル者」 に 「尋常ノ 3 0 」 させることを目 ざす長野県の講習科などがそれにあたり, 教員欠乏を補 ルニ必須ノ学科ヲ講習( ) 充するためのもの であっ た. 補習型は, たとえば,「小学校教員講習科は小学校教員をして其学力を 補充せんか為に必須なる学術を講習せしむるを以て本旨とする」(明治26年東京府令第25号)よう な種類のもの であり, 設置の主旨は,「娩近人文の大に進歩すると典に教育の方法益々周密を要する こととなり小学校に於て教授すへき教科目の如きも頗繁多なるに 至りたれは教員たるもの・常に其 学術を講習するの必要 益々切 なりと謂ふへし是れ小学校教員講習科を設けられたろ本旨の一にして 完全なる資格を有せる教員をして尚且其学力を補充せんか為に必須なる学術を講習せしめんとする 3 1 ) 所以なり( 」 というものである. これを要 するに補習型の講習科は有資格教員を対象として文 化の 進歩に対応する学 術および教育方法の教授を行なうものといえる. 複合型の講習科は,「講習科ノ、教 員ノ急需ニ 応センカタメ設置シタルモノニシテ本年夏季休業中県内志望ノ訓導ヲ召集シ国語, 体操 等ヲ講習セシメタリ 之ヲ甲種講習員ト為シ又尋常小学校本科准教員ヲ養成スルノ目的ヲ以テ五十名 3 2 ) 」る宮崎県や ヲ募集……現今在学ノ者四十五名アリ之ヲ乙種 講習員トシ其講習期限ヲ六箇月 トス{ 人 尋常小学校教員タ 講習セシメ又 「小学校教員講習科ノ・町村立小学校教員ヲ召集 シ須要ナル学科ヲ 3 3 ) 」 る栃木県などがそれに あたり, 養成機能と補習機能を併せ ルヘキ者ヲ養成スルラ以テ目的トス( も つ も の であ る.. 4 慢性的な教員欠乏を 3 この時期の講習科は, 複合型も含めて養 成機能が支配的 であるといえる( } . 背景に教員の養成をはかること が緊急な課題とされた ため である. 講習科の教育内容は, 養成機能を果す課程にあっ ては, たとえば, 上記栃木県の場合, 修身・教 育・国語・漢文・算術・地理・歴史・ 理科・習字・図画・体操 ・音楽とほぼ尋常師範学校学科課程 表に準 じて設定されており, 法令準拠主義がその特徴となっ ている. 補習型の教科は, たとえば沖 縄県 で,「小学校教員 講習科ノ・本年開設シ小学校本科 正教員中ヨリ三十名ヲ召集シ本校教員ラシテ十 5 3 ) 」 たのに見られるとお 月ヨリ十二月マテ 三箇月間教育, 国語, 数学, 体操, 四科目ヲ講習セシメ( 76.

(8) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. り, 養成型に比べて, 重点的な構成をとっ ており, しかも, 教育と基礎教科とを結合する構造が明 3 6 ′ 一 8号{ ・学校教員乙種検定ニ関スル学科程度)の規定 らかである. そのうち教育は, 同県告示第1 3 7 } したがっ て 沖 するところからみて, ヘルバルト派教育学の教科書を使用 したものとみられる{ , . 縄県の補習講習は, 基礎教科とそれを効果的に教授するためのヘルバルト派教育学を結合したもの であることが明らかである. 講習学科目を重点的に選定する事例としてはさらに東京府をあげるこ とができる. 学科目の如きも現今教員となれる人々をして其学力を補習せしめんか為に特に必須なる科目にし て講師に就きて講習するを要するものを撰ひ修身歴史地理の如き教育上尤重要なる学科なるも反 りて之を省かれたり是れ決して此等の科目を講習するの必要なしとせられたるにあらす唯現今教 員となれる人々は此等の科目に就きて欠くる所寧ろ少きと之を講習するに必ずしも一々 講師を須 3 8 } た さ る と に 由 る のみ{. 生徒に俸給, 手当, 旅費等を支給する制度がかなり 一般化しているのも, 講習科の特徴の一つ で 3 9 )ス」(奈良県) 「其給料ノ一部 ある.「町村立小学校教員講習中町村ノ・其俸給ヲ支給スヘキモノト( , 若クハ全部ノ支給ヲ受ケタル者ノ・講習ヲ了ヘタル日ヨリ三ケ年間自己ノ便宜ニヨリ退職スルコトラ 4 0 ) 得ス( 」(兵庫県) とするものなど俸給支給の事例としてあげられる. 「講習科ニ入学ヲ許可シタル 4 1 ) 者ニハ該科修業期限間手当トシテー箇月金三円ヲ給与ス( 」(大阪府) ,「甲種講習員ニハ食費ヲ給与 4 2 ( } ス」「乙種講習員ニハ往復旅費ラモ支給スヘキモノトス 」(奈良) など食費, 旅費支給の一例 であ る, このように, 講習科は明治10年代の講習に比べて諸経費の公費負担が拡大され た点に第三の特 徴があるといえる, それだけ制度的な整備が進んだといえる. しかし, なんといっ ても講習科最大の特色は, 管理体制の強化 であるといえる. 以下, 講習員 の 郡市長による薦挙制, 成績の知事, 郡長への報告, 卒業後の服務義務制, 放校者の学資償還義務制 をとりあげ検討してみたい. 講習員の選定に郡市長の薦挙制をとるのは, この期の講習科に 一般的 である. 二三例示すると, 「講習員ノ・毎回郡市長ラシテ其郡市在職ノ訓 導中ニ就 キ之ヲ薦挙セシメ知事 之ヲ 命ス ルモノ ト 4 3 ) ス{ 」「講習員ハ郡市区(大阪市) 長之ヲ薦挙シ尋常師範学校長中ニ就キ適当ナリト認ムルモノニ入 4 4 ) 学ヲ許可ス( 」 ,「郡長ノ・左記ノ定員ニ依り其二倍以内ノ候補者ヲ薦挙シ毎年六月十五日マテニ尋常 4 5 ) 師範学校長宛ニテ薦挙書ヲ差シ出スヘシ( 」 等々 である. 郡市長による選抜は間接的に, 一定の教 師像を形成する機能を果したものと見られる. 講習員 成績の知事への報告も, 講習科の特色である.「講習終了ノ上ノ・其ノ氏名並ニ成績ヲ記シ県 6 4 ) テヒ其成績ヲ調査シ尚平素ノ行 知事ニ報告スヘシ{ 」(長野県) とか, 「講習期ノ終りニ於テ試験ラキ 4 7 ) 状学力等ニ関シテ意見アルトキハ之ヲ添へ尋常師範学校長ヨリ知事ニ報告スヘシ( 」と規定するも の (群馬県) などは, 典型的な事例 である. こうして報告された成績は, その後の人事行政にも影 4 8 ) 響を与えたであろうから, これまた現職教員に対し大きな規制力 を発揮したものと思われる( . 講習終了後の服務義務ないし, 指定学校奉職義務を規定するのも講習科に一般的な傾向 である. 「甲科講習ヲ修了セシ市町村立小学校教員ノ・其修了証書受得ノ日ヨリ ーケ年間ノ・現ニ在職セル小学 4 9 } 校教員ノ職ニ従事スルノ義務ヲ有スルモノトス( 」(神奈川県) ,「甲種ノ講習ヲ修了シタルモノハ五 5 0 ( ) ヶ年間管内指定ノ小学校ニ奉職スルノ義務アルモノトス 」(奈良県) ,「第一種講習ヲ了リタルモノ 5 1 ) ハ講習完了後一ヶ年間ノ・現ニ在職スル小学校ノ職ニ従事スヘキモノトス( 」(栃木県)等々 服務義務 規定の事例は枚挙にいとまないほ どである. 学資等の支給に関連して, 退校者等に対する償還義務を規定するのも少なく ない.「在学中不都合 ノ行為アリテ退校ヲ命シ又ノ・願ニ依り退校ヲ許可シタルトキハ在学中給与シタル食費ノ全部ヲ返納 77.

(9) . 佐 竹 道 盛. 5 2 ) 」る福島県,「第十九条ニ依り放校ニ処セラレ又ノ・失職ニ該当シタルモノアルトキハ入学中 セシム{ 5 3 ) 支給シタル手当金ノ全部ヲ償還セシム( 」 る大阪府や 「第二種講習員ニシテ在学中不都合ノ行為ニ 4 5 ) 依り退学ヲ命セラレタル者ノ・……前条ニ依り給与シタル学資ノ全部若クハ 一部ヲ償還セシム( 」る ものなど (栃木県) がそれにあたる. この場合も貧困な講習生などに対して大きな規制力を発揮し 5 5 } 」 ざるもの (兵庫県) や 「入学後 たこと であろう. そのほかにも, 「講習員ノ・半途退学スルラ許サ{ 5 6 ) ( )と規定するものなど (大阪府 ノ・自己ノ情願ヲ以テ半途退学ヲ許サス 」 , 講習生への規制 がさま ざ まな方法によっ て強化されている情況を明らかにしている. 以上に見るとおり, 明治25年の文部省令によっ て発足した講習科は, 明治23年の小学校令に基 5年の師範学校制度の整備に対応して, 現職教育制度を整備し, 現職 づくり、学校制度の整備や明治2 教育を恒常化する態勢をととのえていっ た. 他方講習員の在学中は勿論のこと, その前後を通じて, 各種の規制 措置 がしかれて府県知事・郡長・師範学校長を一体とす る管理体制 が整えられていっ た. しかも, こうした管理体制は, 明治30年の師範教育令や明治40年の師範学校規程によっ て, 一層強化されていくのである. 最後に, 明治前・中期を通じて次 第に整備された現職教育制度の基 盤の上に, 明治4 0年以降, 全国規模 で実施された小学校教員補習講習会の実態を検討することに よっ て, 我が国明治期の現職教育の特質を総 括していきたい. 補習講習会は,「次年度ヨリハ改正小学校令ニ依り尋常小学校ノ修業年限ノ延長実施セラル・ヲ以 テ本年 度ニ於テハ専ラ其ノ準備的施設ニ級掌シ先ツ適良ナル教員充実ノー方法トシテ各府県ニ尋常 小学校教員講習会ヲ開カシムルコト・シ其学科目, 程度及期間等ヲ指示シ以テ教員ノ学力ヲ補習セ 5 7 ) シメタリ{ 」 という経緯と手順ですすめられたものであっ た. 同講習の特質として第一にあげるべ きは, 国が国庫補助によっ て, 講習費を積極的に保障したこと である. 普通教育奨励費による講習 への補助 がそれ である. 普通教育奨励費ノ・明治三十九年ニ於テ始テ国庫ヨリ 二十五万円ヲ支出セラレシカ爾来毎年同額ノ 支出ヲ得全国普通教育ノ奨励ニ資シ其ノ発達ヲ促進セシメタルコト実ニ鮮少ナラサルモノアリ而 シテ其ノ金額中約五万円′・之ヲ文部省ニ留置キ……他約二十万円ノ・之ヲ前々年度末現在学齢児童 数ニ応シテ北海道及府県ニ下付シ予メ之力使用方法ヲ定メテ文 部大臣ニ開申セシメ其ノ方法ニ拠 りテ補助若ノ・賞典ニ充ツル等夫々 適当ニ之ヲ使用セシメタリ北海道及府県ニ於テハ文部省ノ通牒 ニ依り前年度来主トシテ義務教育年限ノ 延長ニ伴ヒ緊切ナル小学校教員講習会費又ノ・其ノ補助費 5 8 } ニ 之 ヲ 充用 シ(. こう して, 明治前期以降経費調達に苦 心を重ねてきた地方当局に対して, 財政的な支援がなされ, 講習の全国的な普及の道が開かれたの である. 第二に, 補習講習は教育内容に完全な国家的統制 をおよぼした点にその特色が見られる. 講習内 容を国定教科書にとり, その編纂趣旨の周知徹底をはかるとともに, 内容理解の徹底化をはかるな ど既定の事項を伝達する方法がとられている. 細目ノ・材料ヲ国定教科書ニ取りタル等概ネ適切ニシテ歴史講習ニ於テ王政維新以後ノ史実ヲ比較 的詳密ニ説キ地理講習ニ於テ新領土朝鮮, 満洲ニ関スル材料ヲ加ヘタルカ如キハ其宜シキラ得タ 5 9 ) ル モ ノ ト 謂 フ ヘ シ{. 第三に, 管理体制の強化が補習講習の特色としてあげられる. それは, まず講習員招集の方法に 6 0 ) 」た埼玉県の場合にそれが端的に あらわれる,「講習ヲ以テ職務上ノ講習ト為シ命令ヲ以テ招集シ( あらわれている. さ らに, 出席管理の強化と成績報告制の採用 が注目される. 普通講習会ニテハ出席日数ヲ計算スル外試験ヲ行ヒテ修了証書ヲ下付スルモノ極テ稀ナルニ今回 テフ 府県群馬・福井・富山・和歌山・鳥取・岡山・山口・愛媛・大 ノ 講習会ニ在りテハ 試験ラキ 78.

(10) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. 分・神奈川等数県アリテ特ニ愛媛県ノ・百点法ニ依りテ採点シ其成績ヲ出身地ノ県庁又ハ郡 市役所 ニ内報セシメ 他日任用ノ参考ニ供セリ富山県力他日ノ参考ニ供センカタメニ単級学校教員ノ成績 物ヲ保存セリト云ヘリ試験ヲ行ハサル府県ニ在りテモ平素問題ヲ与ヘテ答案ヲ出サシメ若クハ出 席日数ニ就キテ比較的厳格ナル調査ヲ為シツ ツアリ例ヘハ岐阜県ニ在りテハ七日以上欠席セル者 6 1 ) ニハ如何ナル事情アリトモ修了証書ヲ下付セサル規程ヲ定メタル力如キ是ナリ( 現職教員の講習への動員体制を強化するとともに, 出席を督励し, 成績を報告して人事管理の参 考に供する等, まさに講習が現職教員管理の要をなしている観を深くする. こうして明治10年代以 降次第に強化されてきた現職教員統制の諸施策が, ここに集約をみることとなっ たの である. 一方, 明治10年代の教員講習所の開設以来模索がつづいた講習教員の補欠方法については, この 時期にも抜本的解決策は未だ見出されず, 他の教員による補欠のほか, 巡回教授の採用, 学級合併, 6 2 ) このことは 教 上級児童の利用 等, 窮余の策とはいえ, 教育上問題の多い方法がとられている( , . 員講習が正常な授業をはばみ, 児童生徒およ び教員に多大な犠牲を強いていることを意味するもの で, 重大な制度的欠陥といわざるを得ない. ところで, このように講習内容や講習員管理の面で強 い統制のもとにおかれた補習講習にあっ ても一部 でその実施方法に合理化が試みられたことは注目 に値する. 滋賀県下の講習にみられる, 講習員の自発活動を重視する方法の採用 がそれで, おそら く明治前期以降の実践の積み重ねが生んだ成果なの であろう,すべての 面に統制をおよ ぼす方法が, 講習の効果をそこなうものであることが認識された結果採用された方法なの であろう.「講習ノ方法 ニ至りテハ特ニ此ニ意ヲ用ヒ従来各地ノ講習ニ於ケルカ如キ講師ノ講演ヲ専ニシテ講習員ノ・唯之ヲ 聴聞スルノ常 套ヲ避ケ本講習会ノ・講師ノ講義風ヲ廃シテ講習員ラシテ目ラ学業ヲ研究セシメ教師ノ・ 6 3 } 之ヲ示導シテ講習員ヲ目ラ活動セシムルノ方法ヲ取りタリ{ 」 というのがそれで, 従前の講習方法 への批判の中から生み出さ れたものであることは明らかである. 以上の考察によっ て明らかなとおり, 補習講習は強力な外的な規制のもとで, 教員に国定教科書 の趣旨および内容の理解を徹底させ, 教育実践を統一する方向へ教師像を形成することを企図した ものといえよう. 教員の自学および自己活動の許容も, 統制の枠内の試みにすぎなかっ た. 4. 私設講習の展開. 明治後期は, 私設講習の盛況によっ て特色づけられる. なか でも, 私立教育会の設置にかかる講 習が大きな比率をしめている. ここ で, 教員講習に重要な役割を果した私立教育会の開設の模様を, 6 4 }によっ て示すと第1表のとおりとなる 表によると 私立教育会の開設は明治10 兵庫県の報告{ , .. 第1表 兵庫県下の私立教育会 (明治2 1年5月 現在) 名. 称. 創. 設. 会員数. 名. 称. 創. 設. 尼ケ崎私立教育研究会. 2 0年 9月. 16人. 出石気多両郡私立教育会. 20. 9. 美嚢郡私立教育会. 20, 8. 48. 氷上郡私立教育会. 19. 6. 加東加西両郡私立教育会. 19. 11. 102. 多紀郡私立教育会. 20.11. 6. 会員数 71 68 100. 多可郡私立教育会. 不. 32. 津名郡私立教育会. 不. 明 不. 明. 揖東揖西両郡私立教育会. 20, 10. 105. 三原郡私立教育会. 不. 明 不. 明. 赤穂郡私立教育会. 20, 6. 70. 教育研究会(神戸). 不. 明 不. 明. 城崎郡私立教育会. 9. 2 20. 4. 82. 神東神西郡私立教育会. 21. 4. 不. 明. 美含郡私立教育会. 明. 42. (備考) 兵庫県報告 (官報第14 48号 明治2 1年5月1日) による。 79.

(11) . 佐. 竹. 道 盛. 4年) 第2表 夏期講習会 (茨城県 明治3 公私別 項 目. 主. 催. 教. 育. 講. 習. △. 講. 習. 員. 講習科目. 修業期限. 会. 計 15. 15. 数. l. 15. 16. 数. 53. 2,335. 2,388. 2. 2. I. 13. 14. 7日以下. l. l. 30 日 以 上. 2. 2. 12. 13. l. I. 2 以 下 3 以 上. 徴. l. 収. 不 徴 収 会. 講 習 費. 私. 数. そ の 他 講 習 料. ル 設. 公. l. 14. 15. 費. 724.410. 724.410. 郡 補 助. 2,093.620. 2,093,620. 県 補 助. 536.800. 755.000. 1,291. 800. 計. 536.800. 3,573.030. 4,109.830. (備考) 教育時論第59 0号 (明治34年9月 5日) による. 0年代の初めに集中していることが知,られる. 次に, 私設講習会の設置状況を明治 年代の末期から2 30年代の資料により, 夏期講習会に限定して表示すると第2表のとおりとなる.茨城県下 で34年に 開設された夏期講習会の圧倒的多数が, 教育会の開設にかかるものとなっ ている. 私設講習会と教 育会のかかわりが明 白 である. このような, 私設講習会の盛況とその起源について, 谷本富は次のように述 べて いる. 教育界に今日起っ て居る事業の中で最盛んに行はれて居ると云ふものは健かに講習会が其一つ で あらうと思ひます不日欧羅巴に参りまして我が国教育界の事業を紹介する機会も御座いましたら 健かに紹介すべきことの 一つ であらうと思います 色々 な人の話を聞き書いたものを調べると講習 会を初めたは十六七年の頃であっ た様 で御座います彼の今岡山の関西中学に 居る西村貞君が福島 県 で初めたのが近頃 講習会の初め であらうと思ひます其れと略同じ頃に 教育博物館に於て学者を 招きまして一つの 講義をしたのも今のに比べると講習会の初と申すことが出来る様であります此 頃は教育会は盛んになっ てきましたが其の盛んになりましたは私の見る所 では 二十六七年の頃か らであると思ひます特に一昨年より漉かに盛んになり小なるは数村連合し大なるは全郡を通して 連合し今は既に講習会のない処はない様に恩ひます昨年は不肖なる私も二十一ヶ所程招待を辱う した様なこと で一人 で皆廻はることは出来ませぬ で其内を五ヶ所丈け請合うて参いっ た様な次第 6 5 } でありましたが本年は昨年に 比べると亦盛んな有様 でございます( 6-7年頃のことだというの であるが, これは文部省 谷本の見るところ では講習の起源は, 明治1 達第1 6号による講習会の普及の時期に当りうな づける見解である, さらに, 明治20年代後半以降 に教育会による講習会が活発になっ たというのであるが, これも他の資料により確証される見解 で ある. たとえば, 埼玉県 では明治20年代初めに早くも, 公設講習の廃止に伴なっ て私設講習会が盛 ん に な っ て い る,. 小学校教員講習会ハ, 明治十八年二月本県乙第廿九号ヲ以テ其規定ヲ定メラレ, 小学校職ニ従事 80.

(12) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. スルモノ一般ニ講習 スル事ニナリシカ, 廿年一月県令第三十七号ヲ以テ, 小学校教員講習会規定 ヲ廃セラレタルニ依り, 更ニ私立講習会ヲ設ケ, 地形ノ便否ニ依テ郡内ヲ三部ニ区画シ, 毎区毎 6 6 } 月一回宛開会シ, 教育上必要ノ件細大トナク講習ス{ . こうした動きは, 全国的なもので斗寺に教育会主催の講習会が20年代を通じて活況をみせている. 滋賀県私立教育会ノ・県下教育ノ改良上進ヲ図ルー機関ニシテ其成績ノ観ルヘキモノ砂シトセス現 ニ会員ノ・八百五人ニシテ前年ヨリ増加スルコト六十二人ナリ本年中挙行セシ事業ノ著シキモノハ 教員講習会ヲ開催スルコトニ回ニシテ尋常′ 」 ・学校教員ニ必要ナル学科ヲ講習セシメ完了証書を与 6 7 ) ヘシ者前後百一人ノ多キニ至りタリ( 以上の他にも, 多く の事例を挙げることができる.「私立紀伊教育会ノ・本年中常集会三回臨時会一 6 8 ) 回講習会五回及夏期音楽講習会ヲ開キ( 」とか,「島根県鹿足郡私立教育会ノ・本月一日ヨリ津和野高 等小学校ニ於テ教員講習会ヲ開設セリ其講習学科ノ・教育, 数学, 理科ノ三科ニシテ講習生ノ・各小学 6 9 ) 校授業生助手等三十二人( 」 というもの等枚挙にいとまないほどの盛況である. まさしく 谷本の述 べ ている こ とを2 0年代前半について裏づけるものである. このよう な私設講習は, 強制を伴なう官制講習に比して, 大幅な自由が許容されていたようであ 7 0 ) る.というのも,明治30年代には専ら営利的目的のために運営される講習が存在するほどだから( である, ということは, 私設講習が, 自由な研修の場となる可能性がより大であっ たことを意味す る.. 特に前述の谷本の場合, この私設講習の場を最大限に活用し, 我が国の教育に新風を吹きこむ教 育理論を提起しつ づけたのであり, その意味で私設講習は, ひとり谷本のみならず今日のわれわれ からみても評価に値するものであるといえる. 因みに我が国教育界にヘルバ ルト教育学を鼓吹した 7 1 ) 7 2 } 谷本の 『実用教育学及教授法( ) と 『科学的教育学講義( 』(明治27 』(明治28 ) は, いずれも教 員講習会における講演草稿をもとに成立したのであり, さらに我が国の新教育運動の先駆的業績を 7 3 ) なすものとして知られる, 同じ著者の 『新教育講義( 』(明治39 ) もまた京都府, 市両教育会主催 の講演会における講演草稿をもとにしたものであることは周知の事実である. この講演会も私設講 習の延長線上に位置づけられるものである. このような谷本の諸業績を生み出す場を提供した私設 講習は, 官制講習の画一主義, 形式主義をのりこえた点評価に値するものといえる, 一 定の限界を もつものとはいえ, 官制講習に比してより自由な研修の場たりえたとみられるからである.. 1 1 教員現職教育の諸問題 1. 現職教育の時間の確保. 教員現職教育は, 教職従事者を対象とするものだけに, その時間をどのように確保するかは, 今 日なお重要な問題 である, 我が国 ではじめて統 一的 な現職教育制度を発足させた明治1 6年の1 6号 達のもと で, 早くもこの問題をめ ぐる模索が始まっ ていた, 埼玉県の事例によっ てこの問題を検討 して いき た い.. 7 4 ) 小学校教員講習規則を諮諭したが 議案の中で特 埼玉県は, 明治17年2月の第二回教育会に{ , , に論議をよんだのが, 講習実施日をいっにするかの問題 であっ た. 原案では,「講習会ノ・毎月 二回ト シ其一回ノ・日曜日ヲ用」 いることとされている. これに関し, さま ざまな観点からの批判 が寄せら れている. 日く 「日曜日ヲ用ユルトキハ出席スル者少キノミナラス教員力自己ノ私用ヲ弁スルハ概 日曜日ヲ用フル者ナルニ県令ヨリ公然タル規則ヲ発シ此休日ヲ奪ヒ去ルハ不都合ナレハナリ」(25 81.

(13) . 佐. 竹. 道 盛. 番) と. 現職教育の時間の問題 を考える際に, 関係者を悩ませるのが, 授業の正常な実施と研修時 間の保障とのかね合いの問題 であるが, 埼玉県の場合, これを休日をあてること で解決しようとし たの である. これに対する上記の 反論は, 教師の立場に立つとき至極当然な立論といえる, 1 6番の提案は, 上記25番議員の主張を一歩すすめ, 研修のためには, 授業を休むことも止むを得 な い と の 立 場 に 立 つ も の で注 目 さ れ る.. 日曜日ヲ用ヒシハ郡吏力講習会ヲ管督スルノ都合ニ依りタリトノ事ナレトモ日曜日ニハ教育上ニ 関スル必用ノ事続々起りテ余暇アルコトナシ……日曜日ヲ用ヒサレハ授業ヲ欠クコトラ恐ルル者 アレトモ教育ノ事タル唯々 授業ヲ為シタルノミニテハ生徒ノ進歩ヲ見ルヘキ者ニアラス教員能ク 教育ノ順序方法ヲ知ルニアラサレハ生徒進歩セサルナリ故ニ教員ヲ改良スル為ニ授業ヲ休ムモ決 シ テ 患フ ルニ 足ラサ ルナリ. ここ では, 授業時間確保の問題 が考慮されていない点, なお不十分な対応といわざるを得ない. 日曜日を教師の自己研修の時間ととらえ,それを保障する観点から日曜講習に反対する42番の提案 は, その反対論の論拠に積極的な展望をもつ点注目される. 日現時教員ノ景況ノ・之ヲ分テニ種トナスヘシ其一種ノ・教育ノ改良ニ汲々タル者ニシテ地方ノ教員 ヲ誘導シテ改進ノ途ニ就カシムルニ繁忙ナルコト実ニ意料ノ外ニ在り其 一種ノ・従来 月日慣ヲ株守 シテ改進ノ途ニ就ク能ノ・サル者ニシテ殆ト昏酔ノ有様ナキニアラス其第一種ノ者ノ・或ノ・大日本教 育会ニ入会シ或ノ・私立教育会ニ入会シ或ノ・諸種ノ教育上集会ヲ結成シ以テ教育ノ普及上進ヲ謀り 教育ノ為ニ奔走シテ常ニ暇ナキ者ナレハ講習ノ為ニ日曜日ヲ取り去ラハ間接ニ教育ノ上進ヲ妨ク ルノ弊アルヘシ且生徒ノ学カハ無暗ニ授業ヲ為シタルノミニテ進歩スヘキ者ニモアラス故ニ廿五 番ヲ賛成ス さらに, 市民的生活を保障するという観 点からなされる16番の再 度の反論は, この種の問題を検 討する際の基本的観点を提示しているといえよう. 日日曜日ノ・天下一般ノ休日ナリ我同胞三千五百万人ノ休日ナリ小学校教員ノ・如何ニ多額ノ給料ヲ 得しハトテ此一般ノ休日ヲ休マシメサルハ苛酷ト云フヘシ 以上のとおり, 交々反論が提示されたにもかかわらず, 結局原案が可決され, 日曜講習が規定さ れることとなっ ている. それにしても, 講習時間の確保を考える上 で考慮すべ き重要な観点が提示 されており, この問題について有力な示唆を与えるものといえる, この時期には, 埼玉のほか多くの県 で休日を利用する講習が制 度化さ れている. たとえば, 兵庫 5 7 ) 県下 では,「月末日曜日ヲ期シテ訓導ヲ郡役所ニ召集シ曽テ講習セシ所ヲ切瑳講究セシム{ 」と日曜 日を講習にあてている. さらに広島県の 「小学校教員練習会規則」 では, 「月次練習会ノ・数小学校及 小学巡回授業所ノ教員等郡区長ノ指示ニ随ヒ連合シテ毎月一回開会スヘシ開会ノ・可成各小学校休日 ヲ以テスヘシ{ 」 と, 休日利用をすすめている. 結局, いずれの場合も休日を利用するという比較 7 6 ) 的安易な方法がとられ, 教師の負担において問題の解決をはかる結果を招いている. こうした休日利用を長期的な休暇に転用 して成立するのが夏期講習会である. 各府県報告の学事 年報 でみるか ぎり, 夏期, 冬期の休暇を利用する講習会は, 明治1 0年代末期から盛ん であるが, こ 「 の時期には, まだ 夏期講習」 の名 称は使用されていない. たとえば 本月一日各小学校トモ夏季休業ニ際スルラ以テ師範学校教員七名ヲ各所ニ派遣シ右等ノ教員ヲ毎 郡区適宜一二所ニ招集シー箇所日数一週間乃 至二週間ツ・教授術等ヲ伝習セシメ一層其ノ普及ヲ 7 7 ) 図 レ リ(. というのがそれである. このような事例は, この時期以降, 明治20年代初期を通じて無数にみられ 7 8 )年報の報ずるところを見よう るもの である. 静岡県( . 82.

(14) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. 夏期休業中師範学校内ニ於テ二種ノ講習ヲ開設ス其 ーノ・唱歌講習会ニシテ……又其一ノ・教育学理 科算術体操ノ四科講習科ニシテ八月一日開会九月一日講習証書ヲ授与シタル本会モ開期短キカ故 ニ素ヨリ十全ノ成績ハ期スヘカラスト雛モ講習員ノ・皆現ニ教職ニ従事セル者ニシテ平素職務上ニ 於ケル短所ヲ補填シ. いずれの場合も夏期講習会の名 称は用いられていない, 夏期講習会の名 称は, 大日本教育会 で用 いたのが一般化したのではないかと推測される. 官報掲載の各府県学事年報によっ てみても, 明治 7 9 )らない 大日本教育会の夏期講習は次のよう な起源をも 24年頃までこの名称は, ほとんど見当{ . つ,. .. 明治二十年頃からヘル バルト派の教育学が次第にもてはやされるよう になり……ケルン, リン ド ネル, ライン等の著訳書が樫山紹介された, ……本会に於ても雑誌に於て, 又は会員を集め て, 是等の学説や研究の紹介を怠らず, 又本会の主催 で連続講義を開いたこともあっ たが, 明治 二十 四年八月から始めて夏期講習会を開 いた. これ本会が, 肋か世相に鑑み時局に慨して, 大切 なる 時機に際して, 如何に教育者の責任の重大なるかを感じたからであっ て, 爾来いずれも本会の年 8 0 ) 中行事としてこれを開くやうになっ た( . こうして, 明治20年代以降, 夏期講習は公私を含めて全国的な浸透をみることとなっ たの である ・た休日利用 が が,これも講習時間を授業を欠くことなく確保するために明治前期以来続けられてき , より長期的な夏期休業期間の利用に転化して, 普及定着 したもので, 教育界永年の模索の成果と い える. 夏期講習盛行 の情況は, 第2表によっ てその一端が明らかとなろう. しかし, 夏期講習はその期限が限定さ れることや, 教師の経済的, 時間的な負担を増大させ るこ と等幾多の問題を含むことは, 当時から批判の的となっ ていたのである. 2. 現職教育の実施方法. 教員講習の実施方法のいかんは, その効果に関係するだけに, 明治前期以来多くの批判と提案を 6号によっ て, 全国的に講習が普及した時期に, 教師の自己 呼びおこすものとなっ た.16年の達第1 研究を教職の重要な契機とみる観点にたっ て, 講習の他律性を批判 した函館教育協会員荘田三平の 1 8 )は 現職教育の望ましい方向を示唆するす ぐれた内容を含むものであっ た 論文( , . 授業法ヲ改良セント欲セ バ其精神ヲ改良セザルベカラ ズ精神トハ何 ゾヤ運用ノ妙理即是ナリ師範 学校並ニ小学督業ノ講習スル授業法ノ・其方法即 ー様子タルニ過ギズシテ其精神即運用ノ妙理ニア ラス運用ノ妙理ヲ得ント欲セ バ各自ノ注意工夫習練ニ依ラザルベカラ ス然ラ バ則チ授業ノ改良ノ・ 決シテ他人ニ依ルニアラズシテ専ラ自己ノ研究ニ依ラザルベカラサル事ノ・疑フベカラ ズ或ノ・之ヲ 難ン ズル者アラン日自己ノ研究ニ依テ授業ノ方法ヲ改良スルハ其説甚 迂間ニ属セリ若シ其ノ人ニ シテ妙理ヲ発見スルノ明ナキトキハ如何却テ教員講習ヲ開キ其ー様子ナリトモ之ヲ伝フルノ捷路 ヲ取ルニ若カザルナリト吾輩ノ・元トョリ教員講習ヲ無視スルモノニアラス又其書ヲ読ム ベカラ ズ ト云フニアラズ其方法ニシテ宜ヲ得 バ講習ヲ開クベシ教育ノ良書アラ バ元ヨリ博ク之ヲ観ン事ヲ 懲源セント欲スルナリ唯自己ノ研究ニ依テ授業ノ良法ヲ発見スベシト云フハ講習ト教育書. ・其 バ 方法様子ヲ伝フルニ過キズシテ其精神ヲ伝フルモノニアラザレ 進取ノ気象アル教師ノ・必ス平生 授業法ニ注意シテ種々ノ工夫ヲ為シ習練ヲ為スラ以テ目運用ノ妙理ヲ得ル事アリ之ニ加フルニ博 ク教育書ニ参酌シテ取捨折衷スル所アラ バ確乎不抜ノ見識ヲ立ツルラ得ベ シ, 教員個々の自己研究を基盤にその発展的な交流の場として現職教育を位置づけることが, ここ で はふれられていないが究極的に, 荘田の目 ざすところ であろう. 次に, 25年の文部省令第8号によっ て, 全国的に現職教育制度の整備が進んでいた時期に直 接講 83.

(15) . 佐. 竹. 道 盛. 8 2 )も視野に入れながら提示 習科の経営に当っ た東京府尋常師範学校長の野尻精一が, 私設講習を( した現職教育構想は注目に値するもの である. 野尻は講習会のもつ問題点として, 期限の制約, 他 律性等を指摘し, その改善を求めているの である. 今日デハ講習会ト云フ者ガ行ハレテ是ニ依ツテ教員ノ学識ヲ進メルコトガ余程出来テ居りマス是 テハレテ居りマス講習会ノ・数十人, 教員ガ集マツテ或 ノ・誠ニ結構ナコトデアリマスガ今日普通ニキ 一 人ノ講師ヲ階シテ其ノ講師ノ講授ヲ受クルト云フ方法ニナ ッテ居りマス是ノ・誠ニ良イコトニハ 相違アリマセヌケレ ドモ独り講師ヲ特ニ階スルト云フコトデアリマスルガ為ニ講習ノ期限ニ 限り ガ有ルコトニナリマスル何時迄モ其講師ヲ膳シテ置クコトハ出来マセヌカラ 一カ月トカニカ月ト カ云フ期限ヲ置カナケレ バナラヌコトニナ ッテ居りマス又講師ヲ聴スルト云フガ為ニ費用ヲ要ス ルコトガ多イカラシテ其点カラモ期 限ヲ眼ルヤウニナ ッテ居りマス夫レ デ講師ノ講授ラスルコト ニツキマシテモ多数ノ講習員デアリマスカラシテ均シク講師ノ口授ヲ聞クニ止マッテ講習員タル 人ガ目ラ研究シテ互ニ練磨スルコトガ十分ニ出来マセン然ルニ教員ノ講習会ト云フ者ノ・講師ノ口 授ヲ聴ク許デハ如何ニモ不十分ナ訳デ各々目ラ教育上ニ付テ経験シテ居ルコトデアリマスカラシ テ互ニ研究スルト云フコトガ必要デアリマスサレ バ今日普通ニ行ハレテ居ル講習会ノ外ニ尚他ノ 方法ニ由テ教員ノ学識ヲ高メルコトガ必要ト考ヘラレマス其 一方法トシテ数人又ノ・十数人ノ有志 ガ集ツテ或ル時日ヲ約シ講習会ヲ開イテ別段講師ヲ階スルデナク互ニ予メ調べテ置キマシテ講習 シマシテ若シ同輩丈ケテ意見ガ極ラヌトカ或ノ・分り兼ヌルコトガアリマスレ バ其レハ予メ質問ヲ 受ケルコトダケラ依頼シ置キタル人ニ就テ質問スルト云フ方法ニシマシタナラ バ学科ニヨリマシ テハ大ニ有益デアラウト考ヘマス 最後に, 明治40年代の補習講習の盛行時に, 小学校教師の好学心にこたえる高度な教育内容をと 8 3 )をかか げて結 びと した り入れた現職教育を実施すべきことを提唱 した兵庫 県教育会報の論説( い. 兵庫県は, 明治前期以降現職教育に先進的な役割を果してきただけに, 実践の中から生みださ れた貴重な提言といえる. 之を我が教育界の現状に観るも, 初等教育に従事する教育者の多くは, 未だ高等の専門教育を受 けたろものにあら ざれば, 彼等の多くは進ん で高等なる学芸を研究せんとするの志望を抱くと難 も, 之れに対する設備としては, 唯僅かに夏季又は随時の講習会あるのみに して, 所謂補習教育 の趣旨に依っ て設けられたる設備の全く欠除せるは, 折角の向学心を指導する能は ざる不親切な る制度と云は ざるべからず. 然りと難も此等教育者の為めに特に補習的の学校を設立するが如き は, 事情頗る困難なるものあれば, 各地方に之を設けんは逆ても不可能事たることを免れ ざるべ し. 是を以て吾人は現今行はる・各種の講習会の中にて, 其 一種 を選定し斯の種のものとなし以 て向学心の盛なる階級を満足せしむるの方法を講ずるは最も適切に して, 且親切 を尽したる方法 と信ずるものなり これらの批判と提案の中に, 教師の自発性を重視し, 相互学習を保障し, 絶えず学問の進展に対 応する内容を盛りこんだ, 長期的な研修の方向が暗々に示されているといえよう,. ま. と. め. 教員の現職教育は, 学制期に応 急的再教育策として発足し, 教育令期に組織的な資質向上策とし ての講習会に発展していっ た.講習の全国的普及を基盤に学校令期には講習科制度が確立し,他方公 私の夏期講習が全国的に定着した. その間管理体制の強化と講習内容の統制 がすすんだ. これに対 84.

(16) . 明治期における小学校教員現職教育の諸問題. する諸批判は, 教員の自発 生の尊重, 教員個々 の研究・実践に 基づく相互学習, 学問の進歩への直 結を原則とする研修制度を展望していたといえる .. )王. (1) 拙稿「教育令期における教員現職教育の展開」(北海道教育大学紀要第一部C第2 7巻第2号) , 同上「教育令 期における教師像近代化の施策とその現実化過程」(北海道教育大学函館分校 函館人文学会 人文論究第37 号) 0巻第1号)参照 , 同上「明治後期における小学校教員現職教育の展開」(北海道教育大学紀要第一部C第3 の こ と.. (2) 「学制」 第3 9章 教育史編纂会編修 明治以降教育制度発達史(以下, 単に 「発達史」 と略す) 第1巻22 8 頁 (3) 千葉県年報 文部省第4年報第1冊 10 0頁 明治9年 (4) 山梨県年報 文部省第4年報 1 2 4頁 明治9年 (5) 島根県年報 文部省第4年報 22 3頁 明治9年 (6) 山形県年報 文部省第4年報第1冊 273頁 明治9年 (7) ここでいう教育令期とは, 広義のそれである, すなわち, 明治12年の教育令 (狭義) から再改正教育令(明 治18一1 9年) までの時期をさす. (8) 改正教育令制定理由(明治13年12月 9日)明治文化全集第10巻 教育篇 397一414頁 昭和3年3月15 日発行 (9) 河野敏鎌 地方教育視察報告書(明治13年) 早稲田大学社会科学研究所編 大隈文書第5巻 昭和3 7年3 月 25日. 332一341 頁. (1 ) 福島県年報 文部省第8年報附録 25 0 0頁 明治13年 (1 1 ) 東京師範学校年報 文部省第11年報附録 87 2-87 5頁 明治1 6年 (1 2 ) 師範学科取調員ニ対シ演説ノ如 文部省刊行 教育雑誌第1 0号 9-1 7 0頁 明治15年11月8 日 (1 3) 明治16年8月1 8日文部省達第16号 文部省第1 1年報附録 12頁 明治16年 (1 4 ) 府県報告によれば, 師範学科取調員を講師に講習会を開催 したものとして次のような事例があげられる 福 . 島県 (同県報告官報第9 0号学事欄) 20号学事欄) 18号学事欄) , 京都府 (官報第1 , 石川県 (官報第2 , 岡山県 (官報第10 2号学事欄) 2年報) , 山梨県(文部省第12年報) , 広島県 (同県年報文部省第1 , 静岡県(同県教育 史資料篇上巻) (1 5 ) 府県における講習会の実態については, 注( )にかかげた拙稿を参照されたい, 1 (1 6 ) 兵庫県学務課 兵庫県教育雑報第55号 3 9頁 明治1 9年4月 5日 (1 7 ) 学事演説 (文部省報告) 官報第17号 学事欄 明治1 6年7月 20日 (1 8 ) 明治17年1 0月府下荏原郡教員講習会演説 河村重固大日本教育会雑誌第1 9号 1 9一3 0頁 明治1 8年5 月 31日. (1 9 ) 教員講習閉場式 (城崎美含郡報告) 兵庫県教育雑報第55号 35一3 6頁 明治1 9年4月 5 日 (2 ) 星伊七郎の日誌 明治1 0 9年2月7 日の記録 福島県教育史編纂資料第7集 2 4 9一25 0頁 昭和48年 (2 1 ) 同上 (2 ) 大日本教育会雑誌第23号 明治1 2 8年9月 87頁 (2 3 ) 大日本教育会雑誌第37号 6 5頁 明治1 9年8月 4 (2 ) 宮城県報告 官報第88 9号 1 95一1 96頁 明治1 9年6月1 9日 (2 5 ) ここでいう学校令期とは, 明治19年以降明治末期ま での時期をさす, (2 6 ) 明治25年7月1 1日 尋常師範学校ノ学科及其程度, 尋常師範学校ノ女生徒ニ課スヘキ学科及其程度改正 第4条 (2 ) 大日本帝国文部省第20年報 (明治2 7 5年分) 第1篇 処務 (28 ) 明治30年1 0月 9 日勅令第34 6号 師範教育令 第9条 (2 ) 明治40年4月1 9 7日 文部省令第1 2号 師範学校規程第3章 85.

(17) . 佐. 竹. 道 盛. 4号 小学校教員講習科規程 長野県教育史第11巻史料編5 昭和51 {30 ) 明治27年4月 5日 長野県令第1 年 6年7月 22日 9号 1 9頁 明治2 (3 1 ) 東京府尋常師範学校の教育講習科 教育報知第37 2月8 日 4 3 5号 明治27年1 (3 2 ) 学事年報摘要 (明治26年 宮崎県) 官報第3 1日 栃 木県令第32号 下野私立教育会編 改正 現行学令 桑集 明治30年3月 27日 (3 3 ) 明治29年2月2 438頁. (34 ) 全国の教員講習科の類型別の構成については, 拙稿「明治後期における教員現職教育の展開」{北海道教育大 学紀要第1部C 第30巻第1号) を参照されたい, 44 2月 24日 た だ し, こ の時 の講 習 科 は, 8号 明治27年1 (35 ) 学事年報摘要(明治26年 沖縄県) 官報第3 学事規定全書」 というのは 明治2 7年5月に同県尋常師範学校が刊行した「 臨時のものであったと思われる, , には, 講習科規則はみられないからである, ) 明治26年7月 22日の沖縄県告示第18号(「小学校教員乙種検定ニ関スル学科程度」)に掲載された「教育」 (36 の教科書の中には, 有賀長雄訳述 『麟氏教授学』 および能勢栄訳 『教育学』 があるが, いずれもヘルバルト派 教育学の紹介書として有名なものである. (3 ) ヘルバルト派教育学の教科書を使用した講習科としては長野県のそれをあげることができる. 同県では, 有 7 賀長雄訳述 『麟氏教授学』 , 湯原元一訳『倫氏教育学』 などが使用されているが, いずれもヘルバルト派教育学 を紹介したものである. 9号 1 9一20頁 明治2 6年7月 22日 (38 ) 小学教員定期講習科始業式演述 教育報知第37 5年 (3 9 ) 奈良県尋常師範学校小学校教員講習科規則 (明治29年) 奈良県師範学校五十年史 昭和1 (4 ) 明治29年2月1 0日 兵庫県令第13号 (兵庫県尋常師範学校小学校教員講習科規則) 第9条 鈴木需編輯 0 兵庫県学令集梁 明治31年9月 5日 9条 大阪府内務部第三課編纂 4 1 ) ( 明治26年3月 27日 大阪府令第67号 (大阪府小学校乙種講習科規則) 第2 改正大阪府学令法規 明治28年5月 (4 2 ) 奈良県尋常師範学校小学校教員講習科規則第3条および第4条 4日 大阪府令第30号(大阪府小学校教員甲種講習科規則)第3条 大阪府内務部第三課編 (4 ) 明治28年5月1 3 纂 改正大阪府学令法規 明治28年5月発行 4 ) 明治26年3月 27日 大阪府令第67号 (大阪府小学校教員乙種講習科規則) 第8条 (4 4号 (小学校教員講習科規程) 第5条 長野県教育史第11巻史料編5 (45 ) 明治27年4月 5日 長野県令第1 (46 ) 同上 第14条 8年 ) 明治27年1 1月 9日群馬県令第59号(小学校教員講習科規定) 第6条 群馬県教育史第2巻 昭和4 (4 7 ) 後で明らかにするとおり, 明治40年代の学力補習講習の際には, 成績を郡長に報告して, 後日の任用の参考 (48 に供する方法が採用されているから, この場合にも, 人事行政と無縁ではなかろう, 6条 神奈川 (49 ) 明治26年4月1 0日 神奈川県令第11号 (神奈川県尋常師範学校小学校教員講習科規程) 第1 6 0頁 県教育史資料編1 5 1頁 昭 (50 ) 明治29年3月 奈良県尋常師範学校小学校教員講習料規則第5条 奈良県師範学校五十年史 16 和15年 4条 下野私立教育会編 改正現行学令 1日栃木県令第32号 (小学校教員講習科規則) 第1 (51 ) 明治29年2月2 桑纂 明治30年3月 27 日 2条 福島県 2) 明治26年3月1 (5 7日 福島県令第23号 (小学校教員講習科ノ学科程度並ニ生徒募集規則) 第1 尋常師範学校第七年報 明治26年1 0月 26日発行 1条 (53) 明治26年3月 27日 大阪府令第67号 (大阪府小学校教員乙種講習科規則) 第3 7条 1日 栃木県令第32号 (小学校教員講習科規則) 第1 (54 ) 明治29年2月2 ) 明治29年2月1 0日 兵庫県尋常師範学校小学校教員講習科規則第10条 (55 6 ) 明治26年3月 27日 大阪府小学校教員乙種講習科規則第17条 (5 3頁 0年至明治41年) 第二篇 全国教育 総説 8 (5 7) 日本帝国文部省第35年報 (目明治4 (58 ) 日本帝国文部省第36年報 (目明治41年室明治42年) 第一篇 処務 普通教育奨励費 23頁 明治41年2月 28日 (5 9 ) 尋常小学校教員学力補修講習会状況第二回調査 (文部省) 官報第7399号 6 (60 ) (61 ) (62 ) 同上 6 23一62 4頁 1年5月 21日 (6 3 ) 小学校教員講習会状況 (文部省) 官報第7468号 学事欄 明治4 48号 明治21年5月1日 (6 4) 教育諸会 (兵庫県報告) 官報第14 (6 5 ) 谷本富述 広島県私立教育会編輯発行 教育学講義録 1-2頁 明治33年 86.

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