中期目標・中期計画に基づく教員養成の充実- 教育実習事前指導を中心として -
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(2) 北海道教育人学紀要(教育科学編)第56巻 第1弓一 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.56,No.1. 平成17年8月 August,2005. 中期目標・中期計画に基づく教員養成の充実 教育実習事前指導を中心として. 佐 藤 昌 彦 北海道教育人学函館校 美術教育講座. TheImprovementofTeacherEducationbasedonMid−termgOalsandplans A Case of Orientationfor Practice Teaching. SATOH Masahiko. DepartmentofArtEducation,HakodateCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概要. 本稿は,国立大学法人北海道教育大学中期目標・中期計画に基づき,学校教育教員養成課程での教員養成 の充実を図るために,教育実習事前指導における指導内容の一つを提起したものである.具体的には,教育 実習のスタート段階に当たる2年次の教育実習事前指導での指導内容として,北海道の方言を耽り上げ,そ の背景にある精神をもとに教師としての根本精神について考察した.指導内容の検討を行うに当たっては, まず,北海道教育大学函館校の教育実習計画における事前指導の位置づけを明確にし,次に,指導内容のテー. マを「北海道の方言と教師としての根本精神」とした理由を三つの観点から整理した.. 1 はじめに. 北海道教育大学中期目標・中期計画を定め,これ に基づいて教育研究等の充実を一層図ることとし. 本稿の目的は,国立大学法人北海道教育大学中期. た.中期目標・中期計画における北海道教育大学. 目標・中期計画に基づき,学校教育教員養成課程で. の基本理念は次の四つである.第一は,学術の中. の教員養成の充実を図るために,教育実習事前指導. 心として,教育及び人間に関する理論と実践を核. における指導内容を提起することにある.具体的に. に専門的学芸の絶えざる研鋳と発展を図り,時代. は,教育実習のスタート段階である2年次の教育実. と社会の切実な要請と国民の負託に積極的に応え. 習事前指導(教育実習IA)において教職への意欲. る.第二は,広く深い専門的学芸の教授と,教育. と志向性を高めるための指導内容を検討したい.. 及び人間の実際に関する実践的指導力の滴養とに. 本学は,2004(平成16)年4月,教員養成と地. よって,学習主体者としての学生の自発的な学習. 域人材養成の責務を果たすために,国立大学法人. を積極的に開発し,義務教育諸学校の教員をはじ. 61.
(3) 佐 藤 昌 彦. めとして,豊かな人間性をそなえ,創造的に課題. こと.学校教育における実践的指導力の養成は教. 解決に取り組み,地域社会で意欲的に活躍できる. 員養成系大学の重要な課題である.三つ目は,具. 人材を育成する.第三は,北海道内唯一の総合的. 体的な教師像をイメージできるように実感をもっ. な教員養成・研修機関として,また学際的・文化. て語ることができる事例を組み込むこと.理念だ. 的な分野に関して特色を有する高等教育機関とし. けを唱えて空理空論に陥らないようにするための. て,北海道内の国立大学等と連携しつつ固有の役. ものである.. 割を果たす.第四は,広大な北海道の主要中核諸. 本稿では,上記の立場に立って,「北海道教育. 都市にキャンパスを有する体制を最大限生かし,. 大学函館校における教育実習計画」「教育実習事. 北海道全域にわたって地域の教育と文化の振興に. 前指導と指導内容に関する3つの観点」「教育実. 貢献する.本稿における教育実習事前指導におけ. 習IAと『北海道の方言と教師としての根本精. る指導内容の提起は,そのような北海道教育大学. 神』」という観点から,教育実習事前指導のスター. の基本理念の実現に向けた取り組みの一つとして. ト段階における指導内容について論述した.なお,. 行うものである.特に「義務教育諸学校の教員を. 教育実習IAは主に小学校で教育実習を行い,教. はじめとして,豊かな人間性をそなえ,創造的に. 育実習IBは中学校での教育実習が中心になる.. 課題解決に取り組み,地域社会で意欲的に活躍で. また,国立大学法人北海道教育大学中期目標・中. きる人材を育成する」という第二の基本理念に関. 期計画の期間は,2004(平成16)年4月1日から. 連している.また,教育実習に関するこれまでの. 2010(平成22)年3月31日までである.. 様々な取り組みの発展的内容でもある.様々な取 り組みとは,2003(平成15)年の「教育実習の事 前指導と工作指導に関する実践的指導力の養成」 (学校数青学会第8号),「実習コラージュの作成 と発表を通じた′ト学校教育実習事後指導の試み」 (北海道教育大学附属教育実践センター紀要第4. 2 北海道教育大学函館校における教育実習 計画. 北海道教育大学函館校においては教育実習のね らいを「学習者の主体的な問題の自覚とその解決. 号),「教育実習事前指導における『授業づくり』. への意欲が重視される今後の学校教育の方向を踏. のポイントについて(1)工作指導の観点から. まえ,函館校教育実習においては,幼児・児童・. 」(北海道教育大学紀要・教育科学編・第54巻. 生徒理解を基盤とした保育・教育の実践に必要な. 第1号),「教育実習事前指導における『授業づく. 専門的な知識と方法を修得し,それにより教職へ. り』のポイントについて(2)工作指導の観点. の意欲と志向性を高め,教職への研究課題を深め. から」(北海道教育大学紀要・教育科学編・第54. ることを目的とする」とし,教育実習Ⅰ∼Ⅳまで. 巻第2号)などを指している.. の段階を設定してその充実を図っている1).Ⅰ∼Ⅳ. 今回,提起する指導内容は,2年次学生を対象 としたものであり,2年次,3年次,4年次に行. までの基本的な構造は以下のとおりである(表1).. 教育実習Ⅰ(2年4−7月)では,大学で観察. われる教育実習のスタート段階にあたるものであ. 法を学び観察課題を明らかにしてその課題を実習. る.3年間にわたる教育実習に向けて,教職への. 校で確認する.教育実習Ⅲ(2年8・9月,3週. 意欲と志向性を高めることができるように次の三. 間)では,実習生は附属校で各教室(中学校にお. つの観点から内容を構成した.一つ目は,多文化. いてはさらに教科)に複数名配属され,実習指導. 尊重の視点からテーマを設定すること.これは学. 教官の指導の下で,児童生徒とのふれあい体験を. 校教育の目的である民主的人間の育成にかかわる. 経験しながら,授業を構成する基礎力の形成を目. ものである.二つ目は,教師としての実践的指導. 指す.実施にあたっては,実習生の個別的な課題. 力を支える根本精神を滴養するための内容である. に応えるとともに,配属教室あるいは配属教科の. 62.
(4) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. 実習生グループごとに取り組む課題を決め,グ. して教師の仕事,学級での指導やその他の学校. ループで課題遂行のための検討作業を行い,それ. 行事などの参加を通して,新任教師として最低. を授業実践で試し,相互の反省を経て,新たな課. 限必要な資質の形成を目指す.. 題を明確にする.教育実習Ⅲ(3年8・9月,3. なお,教育実習IAにおける基本的展開は次. −4週間)では函館市内及び近郊4町村の公立協. のとおりである.第1回教育実習の意味,実. 力校で,教育実習Ⅱでの経験を広げることになる.. 習の概要と心構え(大学での講義).第2回附. 協力校では1クラス(教科)1名となり,実習指. 属小学校での実習のあらまし.学校・子供・教. 導教官の指導の下でより主体的な取り組みが必要. 師について(平成16年:教育実習のスタートに. となる.児童生徒とのふれあいの経験をさらに広. あたって「北海道の方言と教師としての根本精. げ,授業を構成する力,授業を展開する力,その. 神」,大学での講義).第3回笑地講師(附属. 授業を振り返り改善するための的確な視点を把握. ′ト学校副校長),観察の指示,課題提示(大学で. する力の形成を目指す.教育実習Ⅳ(4年8・9. の講義).第4回観察実習1(附属小での観察. 月,2週間)では,この実習がⅢ・Ⅲとは異なる. 実習).第5回観察実習2(附属小での観察実. 種類での実習校であることから(例えば′ト学校実. 習).第6回授業づくりの基礎(大学での講義).. 習→中学校実習,中学校実習→′ト学校実習),そ. 第7回授業観察の方法(大学での講義).第8. れまでの実習とは異なる発達段階にある児童生徒. 回指導案の書き方,授業の基本構成,授業観. を十分に理解し,また大学での最後の教育実習で. 察の基本等(大学での講義).第9回観察実習. あることから,担任教師による授業実施に協力す. 3(附属小での観察実習).第10回観察実習4. る形での授業に参加し,授業以外での学級担任と. (附属′トでの観察実習).第11回観察実習(附. 表1 北海道教育人学教育学部函館校における教育実習計画 教育実習Ⅰ. 教育実習Ⅱ. 教育実習Ⅳ. 3年(8・9月) 3、4週間. 4年(8・9月). 協力小学校 ′ト学校). 桐花巾学校 附属巾学校. B(主に. 亀田小学校. 2年(4∼7月). 履修学年/期間. 2年(8・9月) 3週間. 実習場所//. 実習校. 教育実習Ⅲ. 2週間. 巾学校). 学習者の主体的な問題の自覚とその解決への意欲が重視される今後の学校教育の方向を 踏まえ,函館校教育実習においては,幼児・児童・生徒理解を基盤とした保育・教育の実 践に必要な専門的な知識と方法を修得し,それにより教職への意欲と志向性を高め,教職 への研究課題を深めることを目的とする.. 目. 標. 教育実習への意識 形成,および人学教 育と教育実習との連 携(教材研究を小心 とした授業準備の手 法)を図る.. 附属小学校におい 教職科目等の理論 異なる義務教育段 て,1学級(教科) 的な学習と併行し, 階の学校において, 複数名の小集団で, 公立の協力校におい 授業(教科・道徳) 基礎的な教授的力量 て,授業立案・実 の部分参加及び生徒 (学習者理解に基づ 施・評価の活動を通 指導,特別活動等へ く教材研究を巾心と して,教育実践の課 の参加を通して,教 した授業準備)を学 題を把握する.それ 育実践の課題を把握 ぶとともに,教育実 により,教職への学 する.人学力リキュ 践に関する課題を見 ラム全般における理 つける.. 論と実践を統合し,. 将来の教職への課題 を見つけ,さらに実 践研究を発展させる.. (北海道教育人学教育学部函館校教育実習委員会編『平成16年度教育実習の手引き』より). 63.
(5) 佐 藤 昌 彦. 属′トでの観察実習)5.第12回 ′ト学校の授業づ. 目的,中期目標・中期計画を踏まえ,今回は北海. くり く算数・国語編〉,模擬授業の説明(大学で. 道の文化としての方言に焦点を当てた.なぜなら,. 実施).第13回グループによる授業準備(大学. 方言には,正しくない言葉,誤った言葉,悪い言. で実施).第14回授業実施(24グループ).実地. 葉として長く蔑視され続けてきた歴史があったか. 指導講師は函館市内′ト学校校長(大学で実施).. らである.昭和22年から平成元年までの学習指導. 第15回グループでの授業反省(大学で実施).. 要領をもとにそうした状況を表2に整理した.昭. 以上が教育実習IAにおける15回の基本的展開で. 和22年の学習指導要領には「できるだけ,語法の. あるが,本稿で示す指導内容は,第2回目の「学. 正しいことばをつかい,俗語または方言をさける. 校・子供・教師について」(教育実習のスタート. ようにする(′ト学校第4・5・6学年)」「ふだん. にあたって「北海道の方言と教師としての根本精. のことばにおける誤りやなまりを訂正する(中学. 神」)に関するものである.. 校第1学年)」(訂正:誤りを正し改めること)と ある.昭和26年の学習指導要領には「自分の使っ. 3 教育実習事前指導と指導内容に関する3 つの観点. 教育実習事前指導(教育実習IA・第2回目). ていることばのなかに,幼児語・方言・なまり・ 野卑なことばなどのあることに気づかせ,だんだ んとよいことばや,共通語を使わせていくように する(′ト学校第3学年)」「できるだけ語法の正し. での指導内容のテーマを「教育実習のスタートに. いことばを使い,俗語または方言を避けるように. あたって『北海道の方言と教師としての根本精. する(小学校第5学年)」「正しい語法に基づいた. 神』」とした理由は次の三つである.. 共通語を話し,俗語や方言はできるだけ避けるよ. 第一は,平和的・民主的社会の構築のために多. うにする(′ト学校第6学年)」と示されている.. 様な文化を尊重できる教師を養成したいと考えた. 昭和52年の学習指導要領にも「なまりや癖のない. からである.平和的・民主的社会の構築に貢献で. 正しい発音で話すこと(′ト学校第4学年)」とある.. きる人材の育成は,我が国の教育基本法における. 平成元年の学習指導要領には「なまりや癖のない. 根本理念であるとともに,今回の中期臼標・中期. 止しい発音で話すこと(小学校第4学年)」とと. 計画における基本理念の第2項及び北海道教育大. もに「発音のなまりとは,主に方言に現れる発音. 学の目的に重なる内容でもある.教育基本法の根. 上の特徴を指し,イとエを混合したりすることや,. 本理念とは「われらは,さきに,日本国憲法を確. カギ(鍵)と頭高に発音するところを平板にカギ. 定し,民主的で文化的な国家を建設して,世界の. と発音したりするアクセントの特徴も含んでい. 平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示し. る」とも記されている.これらはみな方言蔑視に. た.この理想の実現は,根本において教育の力に. かかわる記述である.方言が正しくない言葉,悪. まつべきものである」というものであり,中期目. い言葉,誤った言葉ととらえているからである.. 標・中期計画の第2項は先の述べたとおりであ. 方言は正しいとか間違っているとかというような. る.また,北海道教育大学の目的は「北海道教育. 問題ではない.その地域にはその方言を生み出し. 大学(以下『本学』という)は,学術の中心とし. 育んできた文化があるのである.自らの言葉や家. て広く知識技能を授け,豊かな教養を与えるとと. 族,地域に劣等感をもたせるような教育ではなく,. もに,深く専門の学芸を教授し,特に,教育に関. 共通語とともに方言の価値をも認めていくような. する理論及び実際の研究を指導し,もって平和的,. 教育を大切にしたいものである.この点に関して. 民主的国家社会の形成に寄与することを目的とす. は,1991(平成3)年の「地域の伝統的造形と鑑. る」と北海道教育大学学則第1条に示されている.. 賞教育」(上越教育大学『造形美術教育研究』4号). こうした我が国の教育基本法や北海道教育大学の. でも指摘したが,学習指導要領は学校の教育課程. 64.
(6) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. を編成する際の基準として文部大臣が公示するも. ば,看過できない極めて大きな問題であったと言. のであり,学校で使用される教科書の作成,検定. わなければならない2).. を行う上でもその基準となっていることを考えれ. 表2 学習指導要領における「方言」の扱い 小学校. 中学校. 昭. 利. 学習指導における目標). 22. □「ふだんのことばにおける誤りやな. 年. まりを訂正する」5)(第1学年). □「教科書や,いろいろな読み物の文を読んだり,ラジオを聞い [コ「どんな地域の生徒たちも小学校を たりすることによって,自分の使っていることばのなかに,幼 卒業するまでに,必要に応じて共通 児語・方言・なまり・野卑なことばなどのあることに気づか 語を正しく使えるようにならなけれ せ ,だんだんとよいことばや,共通語を使わせていくようにす ばならない」 る」6)(第3学年). 昭 利 ができる」7)(第4学年). (高等学校生徒の話す態度はどうであ. 26 □「できるだけ語法の正しいことばを使い,俗語または方言を避 るか)「だいたい共通語を話すことが 年 けるようにする」8)(第5学年) できるのであるが,親しいものどう □「正しい語法に基づいた共通語を話し,俗語や方言はできるだ しでは方言で自由に話し合うことを け避けるようにする」9)(第6学年) 好む.共通語意識・文法意識が十分 に発達しているとは言えないであろ う」11)「共通語の正しい使用を心がけ. て,アクセント語調に気をつける」12) □「全国に通用することばとその土地でしか使われないことばと □「共通語と方言などのそれぞれの違 昭 利 33 (第4学年) 年 U「必要な場合に全国に通用することばで話すこと」14)(第6学 年). □「発音のなまりや癖を直すようにすること」16)(第3学年). 昭. □「共通語と方言との関係など」20)(を. □「共通語と方言とでは違いがあることを理解し,また,必要な 理解させるようにする・第1学年). 利 43 。. □「共通語については,適切に話すこ. 享よ 年 □「必要な場合には共通語で話すこと」19)(第6学年). とができるようにすること」21)(指導. 計画の作成と各学年にわたる内容の 取り扱い). □「発音のなまりや癖を直すようにして話すこと」22)(第3学年). 昭. □「話し言葉と書き言葉,共通語と方言,. □「なまりや癖のない正しい発音で話すこと」「共通語と方言と 音声と文字,表記の仕方などについ. 利 では違いがあることを理解し,また,必要に応じて共通語で話 て理解し,また,敬語の使い方を身 につけること」26)(第1学年). 52 すようにすること」23)(第4学年). 年 □「必要な場合には,共通語で話すこと」24)(第5学年) □「必要な場合には,共通語で話すこと」25)(第6学年) □「発音のなまりや癖を直すようにして話すこと」27)(第3学年) □「共通語と方言の果たす役割につい て理解すること」32)(第2学年) [コ「なまりや癖のない正しい発音で話すこと」「共通語と方言と. では違いがあることを理解し,また必要に応じて共通語で話す ようにすること」28)(第4学年). □「必要な場合には,共通語で話すこと 平. 」29)(第5学年). □「必要な場合には,共通語で話すこと」30)(第6学年). 些 丁亡 ※「発音のなまりとは,主に方言に現れる発音上の特徴を指し, 年 イとエを混合したりすることや,カギ(鍵)と頭高に発音する ところを平板にカギと発音したりするアクセントの特徴も含ん でいる」. 「また,発音の癖に関しては,最近,ソレデーとか,∼ダケレ ドモーと語尾を強めて延ばす言い方が目立つので,(イ)の指 導事項とも関連させ,自然な聞きやすい話し方に改める必要が. ある」31). 65.
(7) 佐 藤 昌 彦. 第二は,北海道の方言の背景にある精神が教師. た.夕食後,母を見ると横になって居眠りをして. としての実践的指導力を支える根本精神に重なる. いる.幼い3人のきょうだいが,決まってかける. と考えたからである.教師の実践的指導力を支え. 言葉は『お母ちゃん,大丈夫?』だった.母に死. る根本精神は様々な視点から考えられるが,本稿. なれたら,私たちは行く所がないと思っていたか. では「温かさ」「強さ」「大らかさ」という3つの. ら,いつも母のことが気になって仕方なかったの. 観点から考えた.そして,これらの精神は北海道. だ.そして,母からの言葉は必ず『なんもさ』だっ. の方言として取り上げた「なんもなんも」という. た.私たちは母の『なんもさ』にどれだけ勇気づ. 言葉の背景にある精神と共通するものである(「な. けられたことか知れない.『なんもさ』と自分自. んもなんも」は青森や秋田などの方言でもある).. 身を奮い立たせていた当時28歳の母も今や6人の. その詳細については次の章で述べるが,ここでは. 孫のおばあちゃんになった」.どちらの文章にも,. 前述した3つの観点のなかから「強さ」に関する. 北海道の大地で,貧しい時代や病気を乗り越え,. 根拠を示すものとして『なんもさ北海道』(北海. 様々な困難にあっても,「何のこれしき」と,自. 道新聞社)に掲載された次の二つの文章をあげた. 暴自棄に陥らずにきた人間の強さ,たくましさが. い33).一つは十勝の田原隆弘氏の文章である.「ど. 込められている.. んなに苦しいときでも笑顔で言える.それが北海. 第三は,北海道の方言「なんもなんも」を取り. 道で育った人たちの強さではないかと思う.そん. 上げることによって,その背景にある精神を具体. な時に,またこの言葉がふっと出てくるものだ.. 的な姿として示すことができると考えたからであ. 私もそうだった.高校を卒業してすぐに人工透析. る.そして,具体的な教師像をイメージすること. をするほどの難病になり,一時はもうダメかも知. ができれば,教職への意欲と志向性を高め得るの. れないとまで言われた.奇跡的に,助かりはした. ではないかとも考えたからである.授業のなかで. ものの透析は一生続ける体だ.だがそれで終わら. 具体的な姿を提示する重要性については,スタン. ず,その後,何度となく合併症やその他の病気に. フォード大学で美術教育力リキュラムの開発研究. 悩まされ何度も死線をくぐってきた.もう10年以. にあたったエリオットW.アイスナー氏が著書『美. 上経つが,そのほとんどを病院ですごしてきた気. 術教育と子どもの知的発達』で次のように述べて. がする.くじけそうになり,やけになることもあ. いる34).「授業においてほとんど考慮されてこな. るが,必死に看病してくれる看護婦さんや先生,. かったにもかかわらず,重要と思われるポイント. もちろん両親にはとても感謝している.今では,. とは,教師が生徒に対して無言の暗示を与えて授. 苦しかった時の事も『なんも,なんも』と笑って. 業をしている,という点である.(中略)生徒は,. 話せる余裕もできた.『なんもさ』つてこの言葉,. 8歳になれば,教師の役割を演ずることができる.. 北海道人の芯の強さをあらわしている言葉だと私. というのは,その時期までに,生徒は既に4000時. は信じる」.もう一つは札幌の吉川由美子氏の文. 間もそうした教師の行動を観察してきているから. 章である.「明るい笑顔で手を振って出勤していっ. である.私がここで強調したいのは,生徒が学校. た父.それが父との永遠の別れになるとは夢にも. で観察することの中で,特に重要な教育的意義を. 思わなかった.交通事故であった.全身に包帯が. もつものが,教師の教えている姿である,という. 巻かれた父の遺体にすがって泣き崩れる母の声. 点である」といい,そしてまた「教帥がある特定. が,今も頭の隅から離れない.5歳,3歳,0歳,. の作品の特質を文化的に位置づけようとしている. 3人の子供たちを育てる母の苦労は,5歳の長女. のを見る時,人間と美術との関係を示す手がかり. の私にも手にとるように理解できた.一日も休ま. を,生徒は得ることができる.つまり,ある建築. ず,朝から晩まで真っ黒になって八百屋で働く母.. 家がどのように過去のある建築様式から明らかに. 洋服一枚買わず,いつも父の下着を身につけてい. 影響を受けて造られているかを教師が示した場. 66.
(8) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. 合,生徒はそこにある1つのモデルを見出してい. 批評的領域,文化的領域という3つの領域から美. るのである.人間の手によって作られたどのよう. 術教育力リキュラムを組み立てることが重要であ. な美術作品も,美術史的展開に関係しないものは. るとエネルギッシュに語る姿は,まさに教師とし. なく,1つの文化的な価値に関連しないものはな. ての1つのモデルをアイスナー氏自身が身を以っ. い.とすれば,そこには,こうした関連性を示し. て示すものであった.これらのことを踏まえれば,. 分析しようとする教師の姿,そうした分析によっ. 教育実習事前指導においても,今回取り上げた北. てすばらしい考えを見出そうと必死になっている. 海道の方言の背景にある精神を教師の実践的指導. 教師の姿があれば,そのような姿を生徒が目の当. 力を支える根本精神に重なるものとして学生に伝. たりにする時,美術の文化性を探求しようとする. えるためには,借り物ではない実感のある言葉で. 活発な精神を持つ人間のモデルを生徒は見出すだ. 語る必要があると考えたのである.. ろう.このような人間的な授業が,今のアメリカ の公立学校では非常に欠落しているのである」と. も記している.エリオットW.アイスナー氏がイ ンセア(INSEA,国際美術教育学会)の会長の 職にあった当時,上越教育大学やアメリカ(イン. 4 教育実習IAと「北海道の方言と教師と しての根本精神」 これまで述べてきた観点に基づきながら教育実. デアナ州)における美術教育研究大会で直接講演. 習IA(教育実習事前指導,第2回目)で語った. を聞くことができたが,従来の制作面に偏る美術. 内容は以下のとおりである.. 教育力リキュラムではなく,今後は,表現的領域,. 平成16年度数育実習のスタートにあたって 北海道の方言と教師としての根本精神. 北海道教育大学函館校 佐藤昌彦 はじめに. 「将来の教師をめざして全国から集まった学生諸君に,北海道で学ぶ記念として贈りたいものは何か.心の贈りものと して,北海道ならではのものを一つだけあげなさい」と関われれば,私は即座に,「なんもなんも」の精神と答えます. 「なんもなんも」は北海道でよく使われている言葉です.なぜ,この言葉をあげたのかといいますと,それは,その精 神が子供に接したり家庭をもったりするときの大切な核になると考えたからです.このことは以前話題となった長岡藩の 「米百俵の精神」と呼ばれる逸話を考えればよくわかります.これは長岡藩の大参事(家老)小林虎三郎(こばやしとら さぶろう)が三根山薄から贈られた米百俵をもとに学校を建てたという逸話です.戊辰戦争で焦土と化した長岡藩にとっ て,米百俵は藩十やその家族を飢えから救うための貴重な食料でした.しかし,虎三郎は,米を分配せよと迫る藩十たち に対して,その米をお金に換えて学校を建てるように説得したのです.藩を立て直すためには,三根山藩からの救援米を 2∼3日で食いつぶしてしまうより,学校を建て,次代を担う子供たちを立派な人物に育てることこそが最も重要だと考 えたのです. では,なぜ強硬に反対していた藩十たちが虎三郎の説得を受け入れたのでしょうか.私は,長岡藩十としての誇りに強 く訴えかけたからだと思うのです.その誇りとは,長岡藩に約300年にわたって伝えられてきた「常に戦場に在り(常在 戦場)」という精神です.「常に戦場に在り」という精神は,「いくさのないおりにも,常に戦場にある心で,いかなる困 苦欠乏にも耐えよ」(山本有三著『米百俵』新潮社,2001年)というものでした.この逸話は,人間が瀬戸際に立って判 断を迫られたとき,決断のもとになるものは,その人が何を誇りとしてきたのか,何をよしとしてきたのか,何に価値を おいてきたのか,にあるということをあらためて敢えています.「なんもなんも」は,まさに北海道の誇りとなる言葉だ と思うのです.苦しい時代を助け合って生き抜いてきた道民の精神を表すとともに,現在も脈々と人々の心に息づいてい るからです.私は,この精神を北海道で学ぶ学生諸君に贈りたい,そう強く思うのです.土壇場や瀬戸際に立ったとき, そして,いざというときなど,人生の選択の場に立たされたときの,心のよりどころになると考えるからです.また,自 らの故郷のよさをあらためて見直すとともに,赴任した土地のよさや日本のよさを掘り起こして,そこに住む子供たち, ひいては日本の子供たちに自信と誇りをもたせてほしいとも願うからです.さらに視野を広げれば,この言葉の精神は,. 67.
(9) 佐 藤 昌 彦. これからますます海外へ行く機会が増える学生諸君にと. って,互いの文化を尊重し合いながら共に平和な国際社会を築い. ていくための強い支えになるとも考えるからです.では,「なんもなんも」の精神とは何でしょうか.私なりに三つの視 点にしぼって述べたいと思います. 1 温かさと「なんもなんも」 (1)網走での「なんもなんも」. 一つ目は,なんといっても,「温かさ」です.私が「なんもなんも」と初めて山合ったのは,今から27年ほど前になり ます.北海道の風景をスケッチするため,学生時代の夏休みに道内を一周したときのことでした.函館を山発点に,留萌, 稚内,利尻,礼文,網走,知床,襟裳,そしてまた函館へと,北海道の海沿いを約一ケ月間かけてまわったのです.寝泊 りはテントでした.毎晩,野原や砂浜などに設営して寝泊りしたわけです.移動は列車です.また,食事代,列車代など, かかった費用はすべてアルバイトでためた10万円でまかないました.もう函館を出発して二週間ほど過ぎたころです.網 走の刑務所近くにテントをはりました.ちょうどそのとき,年配のご夫婦が通りかかったのです.そしてこう言われるの です.「今日は嫁が冷え込みますから,私たちの家に泊まりませんか」.私はびっくりしました.毎日テント牛括ですから, ろくに銭湯にも行かない,髪の毛はぼさぼさ,髭は剃らずに伸ばしっばなし,服装はよれよれ,私だったらそばに近寄ら ずに避けて通りたいと思うような恰好をしていたからです.私は巾し訳ないと思いながら,泊めていただくことにしまし た.その夜は,大きなカニや新鮮な魚など,東北の山育ちの私にとって見たことも食べたこともない海の辛をたくさん山 していただいたのです.お風呂にも入らせていただきました.函館を山発してからほぼ二週間,汗と填で相当に汚れてい たはずです.布団もふかふかでした.今でもその柔らかい感触を思い山すほどです.私は,たいへん恐縮しました.「こ んなにお世話になってしまい,本当にありがとうございます」と心からお礼を言いましたら,「なんもなんも」とご夫婦 で言うのです.緊張していた体のこわばりがスーとぬけました.「なんもなんも」.(なんて温かい言葉なのだろう)と思っ たものです.これが「なんもなんも」との初めての山合いでした. 現在も,たびたびこの言葉を聞きます.道を敢えてくださった方にお礼を言ったときにも「なんもなんも」.遠方から わざわざおいでくださった方にお礼を言ったときにも「なんもなんも」.急いで運転してくださったタクシーの運転手さ んにお礼を言ったときにも「なんもなんも」.この言葉を聞くたびに,網走での山来車を,感謝の思いとともに懐かしく 思い山します. (2)教え子を救う先生の温かさ. 私は,この「なんもなんも」という言葉の根っこにある人間の温かさが,ふだんはもちろんのこと,窮地に陥った教え 子を救う原動力になると考えるのです.なぜなら,子供のころから,運動が苦手で,学業もふるわず,やることなすこと 思うようにいかずに,まったくしっちゃかめっちゃかだった私が,何度,学校の先生の温かさに救われてきたかわからな いからです. 私が牛まれるとき,たいへんな難産だったといいます.母は意識不明になり,父はお医者さんから,「母体を助けるか, 赤ん坊を助けるか,どちらか一方しか助かりません」と言われたそうです.それでも,父は必死で,「両方助けてください」 と懇願したといいます.結局は,帝王切開で私はなんとか生まれることができました.しかし,母は尿毒症が悪化し,そ の後数ヶ月間にわたって入院することになってしまいました.そのような経緯で生まれたものですから,私はやせっぼっ ちで小さくとてもひ弱な子供でした.小学校に入学してからも体力的に同級生に追いついていくのが容易ではありません. リレーのチームをつくるときには,「お前がくると,負けるからくるな」などと言われていました.勉強の方はといえば, これもまたちんぷんかんぷん.勉強していても自分で何がわからないのか,それ自体がわからなかったのです.こんな日 が毎日続くものですから,学校に行くのがいやになりました.母の詣では,毎日泣きながら学校から帰ってきたといいま す.いじめられて弁当箱がこなごなになっていたこともあったといいます. そんな私をみかねて,担任だった菅野純一(すげのじゅんいち)先生が私を放課後残すようになりました.すぐに体力 はつかないけれど,勉強のほうだけでもわかるようにさせたいと考えてくださったのだと思います.そのころ30代だった 菅野先生はプロレスラーのように体ががっちりとした一見こわそうな先生でした.給食の時間になると,「チーズを食べ ると菅野純一先生のように丈夫な体になりますから,チーズが嫌いな人もちゃんと食べるようにしましょう」と全校に放 送されたほどです.ある日,やはり放課後残って敢えていただいていたときのことです.算数の言l算問題を何度やっても わかりません.先生は丁寧に敢えてくださるのですが,別の問題になるとどうしてもできません.外は暗くなって心細く なってきました.(また間違っているかもしれない)と思いながら,先生のところヘノートを見せに行きました.先生はじっ とノートを見ていましたが,何も言いません.しばらくの沈黙の後,「まだわがんねのが!」という大喝一声とともに, 先生の鉄拳が私の左の顔面にとんできたのです.冬の寒い日でした.ストーブはガンガン燃えています.煙突は熱で真っ 赤です.私の体は,その煙突にあと数10センチでぶつかるというところまでふっとびました.ようやく起き卜がって,「も う一度やり直してきます」.そう言いましたが,先生からは何の返事もありません.こわごわ見上げると,先生の目も涙. 68.
(10) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. で真っ赤でした.「昌彦をなんとかしたい」という必死の思いで先生は私に敢えてくださっていたのです. 中学校や高校でも,伸び悩みは,簡単に解決はしませんでした.高校の進路指導を担当され担任でもあった穴澤久作(あ なざわきゅうさく)先生は,私の成績低迷を心配されて家庭訪問に来てくださったほどです.ある日,穴澤先生が担当さ れている「化学」の授業に先生が来られません.「先生はどうしたんだろう?」.教室中がざわつきました.私が先生を呼 びに行くことになり,職員室に行きましたが,おられません.そのほか立ち寄られそうなところに行ってみましたが,ど こにもおられません.もしやと思って保健室にも行ってみました.ベッドの上には先生が横になっておられました.連日, 進路指導が続き,その過労で倒れられたのです.私は,こんなに疲れているのに,教え子のことを心配して家庭訪問まで してくださり,本当に巾し訳ないと思いました.それからしばらくして,ある先生から次のように言われました.「昔の 高校生は血尿がでるくらい勉強に打ち込んだものだ.この成績では昌彦も血尿がでるくらい勉強しないと大学は無理だ な」.私はその言柴をまともに受けとりました.過労で倒れられた穴澤先生の姿も浮かびました.(これ以上,穴澤先生に 心配はかけられない,ようしやってやる)と思って勉強にとりかかったのです.しかし,小さな風船に大量の水を流し込 めばパンクするのは当たり前のことです.高校三年の三学期,まもなく入試というとき,夜中,腰に激痛がはしり,而.尿 が山たのです.(こんな大事なときに,本当に血尿が山てしまった)と暗澹たる思いになりました.そして,入院.病名は, 尿路結石でした.大学は不合格.浪人生括となりました.しかし,かえって入院したおかげで私は自分自身の進路をじっ くり考えることができました.毎日,病院の天井を見ていると,さまざまなことが頭に浮かびます.進路指導の激務のな か,ご自分の体調を度外視されてまで家庭訪問に来てくださった穴澤久作先生のこと.そして,小学校時代,必死になっ て敢えてくださった菅野純一先生のこと.(教育の道に進みたい).人生の目標がぴたりと決まりました.その後,一年間 の浪人生括のあと,福島大学の教育学部に入学することができたのです.小・中・高の低迷時代を思い起こせば,考えら れないことでした.私は,あのままだったらどうなっていたかわかりません.先生方の温かさに救われた,私はその思い でいっぱいになります. 2 強さと「なんもなんも」. さて,「なんもなんも」の精神の二つ目は,「強さ」です.一つ目で「温かさ」をあげましたが,この温かさは,やわな 温かさではなく,人生の辛さや厳しさを知っている「温かさ」だと思うのです.つまり,さまざまな困難に直面しても, 自暴自棄に陥らず,その困難を克服する「たくましさ」,そして,相手をも励まし,勇気づける「強さ」が含まれている と思うのです. (1)北海道新聞社編『なんもさ北海道巳 より. 平成11年,北海道新聞社から出版された『なんもさ北海道ご には,「なんもなんも」や「なんもさ」に関する多くの方々 の文章が載っています.その中に,十勝の田原隆弘さんの文章があります.. どんなに苦しいときでも笑顔で言える.それが北海道で育った人たちの強さではないかと思う.そんな時に,また この言葉がふっと山てくるものだ.私もそうだった.高校を卒業してすぐに人⊥透析をするほどの難病になり,一時 はもうダメかも知れないとまで言われた.奇跡的に,助かりはしたものの透析は一生続ける体だ.だがそれで終わら ず,その後,何度となく合併症やその他の病気に悩まされ何度も死線をくぐってきた.もう10年以上経つが,そのほ とんどを病院ですごしてきた気がする.くじけそうになり,やけになることもあるが,必死に看病してくれる看護婦 さんや先生,もちろん両親にはとても感謝している.今では,若しかった時の事も「なんも,なんも」と笑って話せ る余裕もできた.「なんもさ」つてこの言葉,北海道人の芯の強さをあらわしている言葉だと私は信じる.. もう一つご紹介します.札幌の古川由美子さんの文章です.. 明るい笑顔で手を振って山勤していった父.それが父との永遠の別れになるとは夢にも思わなかった.交通事故で. あった.全身に包帯が巻かれた父の遺体にすがって泣き崩れる母の声が,今も頭の隅から離れない.5歳,3歳,0 歳,3人の子供たちを育てる母の苦労は,5歳の長女の私にも手にとるように理解できた.一日も休まず,朝から晩 まで真っ黒になって八百屋で働く母.洋服一枚買わず,いつも父の下着を身につけていた.夕食後,母を見ると横に なって店眠りをしている.幼い3人のきょうだいが,決まってかける言葉は『お母ちゃん,大丈夫?巳 だった.母に 牝なれたら,私たちは行く所がないと思っていたから,いつも母のことが気になって仕方なかったのだ.そして,母 からの言柴は必ず「なんもさ」だった.私たちは母の「なんもさ」にどれだけ勇気づけられたことか知れない.「な んもさ」と自分自身を奮い立たせていた当時28歳の母も今や6人の孫のおばあちゃんになった.. 北海道の大地で,厳しい自然を耐え抜き,貧しい時代や病気を乗り越え,さまざまな困難にあっても,「何のこれしき」. 69.
(11) 佐 藤 昌 彦. と,自暴自棄に陥らずにきた人間の強さ,たくましさ,そして,相手を励まし勇気づける温かさが,「なんもなんも」や「な んもさ」に込められていると思うのです. (2)再起を支えた恩師や父の励まし 私が大学時代に教えていただいた佐久間敬(さくまたかし)先生は,肺がんで53歳という年齢で亡くなられました.小 学校の教師を良く続け,40歳から53歳までの13年間,福島大学で教員の養成にあたったのです.教員養成に携わったのは 13年間という限られた期間でしたが,多くの教え子に信頼され尊敬された立派な先生でした.毎年正月には,在校生や卒 業生が先生のお宅に集まり,新年のお祝いをすることが教え子の習慣になっていたほどです.その佐久間先生が■亡くなら れたとき,ある方が次のように私に言われたのです.「佐久間先生は『昌彦を殺すわけにはいかない巳 と何度も繰り返え して言っていたぞ」.私には思い当たることがありました.念願の小学校の教師としてはりきって仕事をしていたのですが, いつも順調というわけにはいきません.思うようにいかないときもあります.ちょうどそのときは,やることなすこと思 うようにいかず,たいへん意気消沈していた時期でした.耳を疑うような,身に覚えのない誹誘中傷を受けることもあり ました.佐久間光年は,そういう私の落ち込んだ様子を知ったのです.中傷を受けていることも知りました.「昌彦を殺 すわけにはいかない」という言葉は,そのときに山たのです.卒業した後までも教え子を気づかい,そして,いつまでも 変わらず信頼してくださったことに,私はどれほどうれしく,そして,どれほど励まされたかわかりません.北海道の言 葉で言えば,「なんもなんも」と励ましてくださっていたのです.「昌彦を殺すわけにはいかない」という言葉は,■亡くなっ てもなお,天国から「昌彦,はやく再起をはかれよ」と言ってくださっているように思えました.先生の信頼を無にする ことはできない.信頼に応えたい.そんな思いで私は教師としての仕事によりいっそう力を入れて取り組むようになりま した.. 同じころ,実家の父から呼び山しがありました.やはり元気のない息子を心配してのことでした.私の様子は実家の両 親にも心配をかけていたのです.母は心配するあまり白髪が増え,体もひとまわり小さく見えるようになっていました. 勤務先のアパートから急いで実家にもどりましたが,父はずいぶん待ちかねていたようでした.実家は,山の中腹にあり ます.山の中腹ですから,見晴らしはとてもいいのです.雪をかぶった会津の山並み,阿武隈山系のなだらかな山並みな ど,遠くのほうまでよく見えます.父は,玄関先に椅子を置いて,晴れたHなどには何度もそこに座り,遠くの景色を眺 めていました.その日,父は「その椅子に座れ」と私に言います.そして,隣に座った父はこう言うのです.「ここに座 ると気持ちがいいぞ」.「いやなことも忘れるぞ」.ここまで言って黙ってしまいました.父の母(私からみれば祖母)は, 父を生んですぐに■亡くなりました.お産の経過がよくなかったからです.その後,父は親戚にあずけられて育ちました. 親戚からはたいへん温かく迎えられたのですが,やはり実の母がいないということに人知れぬ寂しさを感じていたので しょう.中学校の教師となった父は,ハンデのある中学生の指導に人一倍熱心でした.小児麻痺で片方の足が棒のように 細くなってしまった中学生に水泳を懸命に教えたり,家出した中学生を夜遅くまで探し回ったり,冬になると,大雪で交 通機関がなくなる奥地の中学年を数ヶ月間もあずかり私たち子供と同じように寝食を共にしたりしていました.そんな父 ですから,親だからというだけでなく,息子の気持ちを人間としても敏感に感じ取っていたのだと思います.しばらくし て言った言葉が,「最後の一人になっても俺はお前の味方だからな」というものでした.私は涙があふれてしょうがあり ませんでした.父が■亡くなって,もう10年目になりますが,今でもこの言葉は私を支えています. 佐久間先生の「昌彦を殺すわけにはいかない」,そして,父の「最後の一人になっても俺はお前の味方だからな」とい う言葉に込められた思いは,まったく「なんもなんも」の精神と一緒だと思うのです.教え子に,または,息子に,現状 を乗り越えていってもらいたい,気持ちを強くもって再起してほしい,という思いにあふれている言葉だと思うからです. 3 大らかさと「なんもなんも」 さて,三つ目ですが,それは,「大らかさ」ということです.「なんもなんも」には,これまで述べてきたような「温か さ」「強さ」とともに,それらを丸ごと含んだ北海道の「大らかさ」をも感じます. (1)スクーターのパンクとトラクタ一 本校の大学院生,長澤康之さんが次のような体験を話していました.渡島当別にあるトラピスト教会から函館への帰り 道,海岸線の国道で乗っていたスクーターがパンクしてしまったというのです.一番近いガソリンスタンドまではあと10 キロもあります.とぼとぼとスクーターを押して歩き始めました.しばらく行くと,後ろから一台のワンボックスカーが 止まったといいます.そして,車の中から50歳代の男性が声をかけました. 男性「どうした?おにっちゃん」.長澤さん「イヤァー,パンクしちゃって」.男性「そっかあ,んじゃあ,どうせ通り 道だから,乗ってけえ」.長澤さん「エツ!本当ですか!」(スクーターを二人で車の後ろに乗せる).長澤さん「イヤァー, 本当に助かりました.どうもありがとうございます」.男性「イヤァー,なんもなんも,話し相手ができたし,天気もい いし,気分もいいし,アッハハハハ(笑)」.その後,車の中で会話が弾み,長澤さんはスクーターがパンクしたことなど 忘れてしまうほど気持ちが明るくなったといいます.通りかかった男性の対応は,なんとも「大らか」そのものです.. 70.
(12) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. NHK教育テレビ(毎週金曜日,朝5時10分から5時50分)の『21世紀に残したい,ふるさと日本の言葉』にも,この ような大らかさを感じる「なんもなんも」が紹介されています.富良野市でメロンを栽培している宮元勝美さんのところ へ,東京から会社勤めを辞めて近所に移り住んだ農家の若林さんご夫婦がやってこられました.そのときの会話です. 若林さん「今日トラクター空いていますか?」.宮元さん「ああ,空いています」.若林さん「貸してもらいたいんで」. 宮元さん「なんもなんも」.若林さん「いつもすみません」.宮本さん「なんもだよ」.若林さん「すみません,いつも」. 宮元さん「いやいや,なんもなんも,高いトラクダーだけども(笑)」.若林さん「いつもいつも,すみません」.宮本さ ん「いやいやかえって,なんもだよ」.若林さん「すみません」.もう「なんもなんも」のオンパレードです.そのときの 状況が今そこでおきているかのように目に浮かんできます.スクーターがパンクしてしまったときの様子,トラククーを 借りるときの様子,どちらの状況からも,「どうってことないよ」「お互いさま」「気にしなくていいよ」というように, 気持ちが大きくてゆったりした北海道人の「大らかさ」を感じ取ることができるのです. (2)子供の大らかさと感化力. 大らかさは人を救います.私は,教師としてこのような「大らかさ」をいつももちたいものだと考えてきました.しか し,いつまでたっても反省の毎日です.逆に,新採用当時,担任した子供の大らかさに救われたことがあります.教室に 子供たちの写真や作品を展示していたときのことです.それを手伝っていた渡辺淳志(わたなべあつし)くんがニコニコ しながら,こういうのです.「先生,教室らしくなったね」.淳志くんは当時小学校4年生でしたが,子供ながらにも大学 を卒業したばかりの新米教師の悪戦苦闘ぶりを気にかけていたのだと思います.淳志くんのその言葉は,「先生,これま でたいへんだったね.でも,いい教室になってきたよ」というふうに聞こえたのです.私は,展示作品に画鋲をさすこと も忘れ,丸い顔がいっそう丸くなるような淳志くんの大らかな笑顔を,感激して見つめたものでした. なぜなら,私の新採用教師としての悪戦苦闘ぶりは,単一台をつぶすほどだったからです.明日の授業をどうすればい いのか.具体的にどう指導すれば,子供に力をつけることができるか.これが毎日の大きな課題でした.連日,具体的な 指導法を考え続けました.その日もいろいろと考えていましたが,どうしてもよい方法が浮かばず,隣村の先生のところ へ教科書を持って聞きに行くことにしました.「来週からこの単元に入ります.こんなふうにしようと思いますがどうで しょうか」.すると先生はこういいます.「いやあ,よく来た.よく来た.かたい話は後にして,まず,酒でも飲め!」. 私は,ちょっとぐらいならいいか,と思いながらいただくことにしました.ちょっとでも飲めば,気は大きくなるもの. 「ちょっと」が「どんどん」になりました.酔いがまわり,いつの間にか気持ちよく眠ってしまいました.気がついたと きには次の日の朝.時間は午前7時でした.勤務校まで,ここから車で約1時間.今行けば,ぎりぎり間に合う.急いで 車を運転して学校へ向かいました.道は,村と村との境にある峠道.舗装はされておらず砂利道でした.それも下り坂. 急ぐあまり,ハンドルが砂利道にとられてしまいました.「あっ」と思った瞬間,辛が土手に乗り上げ,回転をはじめた のです.車の天井に両手をつき,回転していく自分の体を支えました.ガランガランと車は坂道を転がっていきます.一 回転半して,ようやく横倒しの状態で止まりました.後続の車から心配そうに村の人たちが降りてきます.その方々に助 け山されてなんとか車の外に山ることができました.愛車を見ると,天井やドアなど,いたるところがぐしゃぐしゃにつ ぶれています.一回転半したのですから,無理もありません.体は,両手で支えたおかげで,軽い打撲ですみました.キー を回すと,エンジンはなんとか動きます.助けてくださった方々にお礼を言って,また,運転席に急いで乗り込みました. 学校では,時間が過ぎても私が来ないので,子供たちや同僚の先生方がたいへん心配していました.そこに,私がめちゃ めちゃになった車で到着したのですから,当然,大騒ぎになります.車のまわりに子供たちや先生方が集まってきました. そんな私の教師修行ぶりを淳志くんは子供心にも心配していたのです. それから数日後,村全体での教育研究大会がありました.私は図画⊥作の授業をすることになっていました.授業の講 評者は淳志くんのお父さんです.お父さんは,同じ村にある中学校の校長先生でした.物腰がやわらかく円満そうな校長 先生です.まるでニコニコした淳志くんを大きくしたような感じでした.いよいよ授業が終わっての講評です.お父さん の第一声は,「子供が学校に行くのを楽しみにしています」という言葉でした.その言葉のあとに授業の内容についての 講評があったはずなのですが,ほとんど覚えていません.笑顔で話されたお父さんのその第一声だけで,私は最高に満た された気持ちになってしまいました.新採用1年目の教員として悪戦苦闘していた私にとっては,それが十分すぎるほど の褒め言柴だったからです.実をいえば,研究授業の内容も気にかかっていましたが,めちゃめちゃになった車で山勤す るような私が教師としてやっていけるのかどうか,ということのほうが大きな不安でした.お父さんはそんな不安を察し たのだと思います.「気にすることないから,思いっきりやりなさい」という意味を込めた最初の言葉で,その不安をや わらげてくださったのです.そのとき,淳志くんの「教室らしくなったね」という言柴とお父さんの第一声の言柴とが重 なりました.私は,(そうか……)と思いました.この大らかなお父さんだからこそ,淳志くんのあの言葉が出たのだ, ということを.当たり前のことですが,「なんもなんも」は,その人が突然口に出すようになった言葉ではありません. 子供のときから,お父さんやお母さん,おじいさんやおばあさん,親戚の人々,学校の先生,近所の方々など,身近な人々. 71.
(13) 佐 藤 昌 彦. が日常使っている姿を,見たり聞いたりして育ってきたからこそ,自然に口に山るようになっているのです.言葉や行為 を通して,その背景にある人間の「大らかさ」をも学んでいるのです.まさに身近な人たちによる「感化」です.本校で 学ぶ学生諸君も,「なんもなんも」という言葉を聞くたびに,北海道の大らかさを身近に感じ取ることができると思います.. おわりに これまで「なんもなんも」の精神について述べてきました.その精神として,「温かさ」「強さ」「大らかさ」をあげま した.私は,冒頭に述べた長岡藩の事例が当時のことだけでよいとは思いません.人材育成は,どの時代にあっても最重 要課題だからです.さまざまな教育問題をかかえる現在の日本の状況を考えれば,なおさらのことです.だからこそ,「な んもなんも」の精神を受け継ぐ,人間味あふれる学生諸君が北海道内はもちろんのこと,全国各地へたくさん巣立っていっ てほしいと思うのです.北海道の風土がはぐくんだ「なんもなんも」の精神を誇りに,北海道で,日本で,そして世界で, 大いに活躍していってほしい,これが学生諸君に対する私の大きな願いです. (平成16年4月). 受講生の事後のレポートには,「故郷への誇り」 「教師像」「人間像」にかかわる記述がみられた.. ても『強く』て負けない,あらゆることに対して 『大らか』に対応できる,大人の人間になれるよ. 本稿には,それらの中から次の四つを掲載した.. う,日々努力します.そしていつの日か,『なん. ①「『なんもなんも』という言葉は,函館生まれ. もなんも』という言葉に合うくらいの人間になっ. の私にはなんてことのないいつも使っている言葉. たとき,人に対して『なんもなんも』と心から言. ですが,この言葉にこれほど深い意味が込められ. いたいです」.④「佐藤先生のお話を聞いていた. ているなんて考えたことがありませんでした.『温. ら自然と涙が出てしまいました.『教え子の心に. かさ』『強さ』『大らかさ』.これらは三つとも人. 残る先生』つて素敵だと思いました.いつも一緒. 間に必要なものだと思います.もちろん教師にも. にいなくても思い,支えることができる関係って. です.確かに『なんもなんも』という言葉は相手. 素晴らしいなと思いました.私もつい何かあると. を安心させます.初めは『なんもなんも』という. 『なんもだよ−』と口にするのですが,この言葉. 言葉が教師と何の関係があるのかわかりませんで. に含まれる思いとその精神を改めて感じることが. したが,今ではよくわかります.自分の身を投げ. できました.ここで教員をめざし『温かさ』『強さ』. 出すくらい必死に生徒と向き合う『温かさ』,ど. 『大らかさ』をもった教員に,そして人間になり. んな困難にも負けずにがんばってほしいという気. たいと思います」.全体的な検証はあらためて行. 持ちのこもった『強さ』,人を励まし勇気づける『大. うが,こうした記述は地域文化としての方言の価. らかさ』,私達は『なんもなんも』の精神を大切. 値に対する認識と教職への意欲や志向性を示して. にしなければいけません.これは教師の道に進む. いるものと考える.. 人だけではなく,どの人にも言えることです.北. 海道で生まれ育ったからにはこの精神を忘れず一 生懸命に生きたいと思います」.②「私は今教師 を志望していません.しかし,先生のお話を聞い. 5 おわりに 以上,本稿では,国立大学法人北海道教育大学. て,教師がどんなに素晴らしい職業なのかわかっ. 中期目標・中期計画に基づき,学校数背教員養成. た気がします」.⑨「私は秋出県出身であるため『な. 課程での教員養成の充実を図るために,教育実習. んもなんも』という言葉はよく使いますが,『な. 事前指導における指導内容の一つを提起してき. んもなんも』の精神を持ちあわせているかという. た.具体的には,教育実習のスタート段階に当た. ともっていないと思います.まだまだ足りないと. る2年次の教育実習事前指導での指導内容とし. 思います.私ももっともっと人間として成長した. て,北海道の方言を取り上げ,その背景にある精. いと思います.人に対して『温かく』,何があっ. 神をもとに教師としての根本精神を考察した.. 72.
(14) 中期目標・中期計両に基づく教員養成の充実. 指導内容の検討を行うに当たっては,まず,北. 海道教育大学函館校の教育実習計画における教育 実習IAの位置づけを明確にし,次に,指導内容. 11)同上,p.126. 12)同上,p.128. 13)文部省『小学校学習指導要領ご,大蔵省印刷局,195S, p.18.. のテーマを「北海道の方言と教師としての根本精. 14)同上,p.24.. 神」とした理由を三つの観点から述べた.第一の. 15)文部省『中学校学習指導要領』,帝国地方行政学会,. 観点は,多文化尊重の視点からテーマを設定する こと.これは学校教育の目的である民主的人間の. 1958,p.14. 16)文部省『小学校学習指導要領』,大蔵省印刷局,1968, p.12.. 育成にかかわるものである.第二は,教師として. 17)同上,p.16.. の実践的指導力を支える根本精神を滴養するため. 18)同上,p.20.. の内容であること.学校教育における実践的指導 力の養成は教員養成系大学の重要な課題である.. 19)同上,p.23. 20)文部省『中学校学習指導要領』,大日本図書,1969,. p.8.. 第三は,具体的な教師像をイメージできるように. 21)同上,p.17.. 実感をもって語ることができる事例を組み込むこ. 22)文部省『小学校学習指導要領』,人蔵省印刷局,1977,. と.理念だけを唱えて空理空論に陥らないように. p.7.. 23)同上,pp.10∼一11.. するためのものであった.そして,これらの検討. 24)同上,p.14.. をもとに教育実習IAでの事前指導における実際. 25)同上,p.17.. の指導内容を第四章に示した.. 26)文部省『中学校学習指導要領ご,大蔵省印刷局,1977,. 今後は,教師としての根本精神について本稿で 示した3つの観点以外からも検討を重ね,教育実. p.7. 27)文部省『小学校学習指導要領』,大蔵省印刷局,1989, p.11.. 習事前指導における授業の質的改善を継続的に. 28)同上,pp.14∼15.. 図っていきたいと考える.また,多文化尊重の精. 29)同上,p.18.. 神の滴養については,教育実習に限らず,教科に. 関する実践的指導力の養成の面からも検討してい きたい.. 30)同上,p.21. 31)文部省『小学校指導書国語編』,ぎょうせい,1989, p.5152. 32)文部省『中学校学習指導要領』,大蔵省印刷局,1989, p.11.. 33)北海道新聞社編『なんもさ北海道』,北海道新聞社,. 註. 1999.. 34)エリオットW.アイスナー『美術教育と子どもの知 1)北海道教育大学教育学部函館校数育実習委員会編『平. 成16年度教育実習の手引きj,北海道教育大学教育学部. 的発達』(邦訳:仲南律久他),黎明書房,1986, pp.214216.. 函館校,2004,pp.710. 2)佐藤昌彦「地域の伝統的造形と鑑賞教育」『造形美術. 教育研究』第4号,上越教育大学,1991,pp.5657.. (函館校助教授). 3)文部省『学習指導要領国語科編』,中等学校教科書,. 1947,p.59.. 4)同上,p.104. 5)同上,p.107. 6)文部省『小学校学習指導編(要領国語科試案)』,中. 央書籍,1951,p.132. 7)同上,p.153. 8)同上,p.169. 9)同上,p.183. 10)文部省『中学校高等学校学習指導要領国語科編(試. 案)』,北陸教育書籍,1951,p.45.. 73.
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