河内の地形と地質--駅前10コースの名所案内
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(2) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). イ ドブ ッ ク は い ろ い ろ 出 版 さ れ て い る が 、 こ れ ら は 日 帰 り1日. コ ー ス と して 設 定 さ れ て い る こ. と が ほ と ん ど で あ る 。 本 論 で は 、 自 分 た ち の 最 寄 り駅 、 あ る い は 、 い つ も 電 車 で 通 過 す る お な じみ の 駅 、 そ の 駅 前 に 絞 っ た10コ ー ス を 紹 介 し た い 。 短 時 間 の 設 定 で あ る の で 、 ち ょ っ と 途 中 下 車 して ぶ ら っ と 立 ち 寄 っ て い た だ き た い 。 地 形 や 地 質 は 言 う ま で も な く歴 史 の 産 物 で あ る 。 し た が っ て こ の コ ー ス は 歴 史 ハ イ キ ン グ と も い え る 。 地 理 、 歴 史 、 そ して 地 下 地 質 を ミ ッ ク ス し た 郷 土 理 解 の た め に 本 論 が 役 立 つ こ と を 願 って い る。. 駅 前10コ ー ス (1)文 禄 堤 一 秀 吉 の 作 った 淀 川 の 堤 一 京 阪 電 車 守 口市 駅 、 南 改 札 口か ら西6番. 出 口を 出 る と 目の 前 に 「守 居 橋 」 と い う陸 橋 が 見 え. る。 駅 前 の 交 差 点 を 渡 り、 陸 橋 脇 の 階 段 を 上 る と狭 い道 路 に 出 る。 じつ は これ が か つ て の 淀 川 左 岸 の 堤 で あ り、 大 阪 と京 を 結 ぶ 街 道 で あ る(第2図)。. 第2図. 守 口付 近 にお け る淀 川 の 流 路 変 遷 と文 禄 堤 の 現 況(本 町 橋)。 黒 塗 りの 部 分 が 現 在 残 って い る 文禄堤。. 文 禄 三(1594)年 お. 、 太 閤 秀 吉 は伏 見 の 地 に城 の 建 設 を 決 め、 周 辺 地 の 大 改 造 に着 手 した 。 当 ぐら. 時 伏 見 の 南 に は 巨椋 池 と い う池 沼 が 広 が って い たが 、 池 の 中 に堤 を 築 き宇 治 川 の 流 れ を 作 りだ ひ らかた. した。 宇 治 川 は淀 で 桂 川 と合 流 し、 淀 川 とな って 枚 方 ・守 口を 経 て 大 阪 に至 る。 淀 川 は伏 見 と 大 阪 を結 ぶ 物 流 の か な めで あ り、 大 阪 八 軒 家 浜(天 満 橋)と 伏 見 の 京 橋(中 書 島)の 間 を 三 十 石 船 や さ ま ざ まな 大 き さの 荷 船 が 行 き来 した。 淀 川 の 堤 防 は陸 路 と して 整 備 され 、 京 街 道 と呼. 70.
(3) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. ばれ た。 大 坂 夏 の 陣 が 終 わ って元 和 年 間 に な る と、 徳 川 幕 府 は東 海 道 を京 都 以 西 に延 伸 させ 、 伏 見 宿 、 淀 宿 、 枚 方 宿 、 守 口宿 の4宿 を 置 い た。 これ らを 数 え る と東 海 道 は57宿 とな る。 現 在 の 守 口付 近 の 淀 川 は明 治29年 に始 ま る淀 川 改 良 工 事 に よ って 流 路 が 変 更 され た もの で あ る。 す な わ ち、 この 工 事 に よ って 大 き く曲 が って い た淀 川 の 流 れ が 直 線 化 され 、 か つ て の 淀 川 右 岸 堤 が 新 淀 川 の 左 岸 堤 に変 更 され た。 そ の た め 旧左 岸 堤 は放 棄 され 、 宿 場 の 面 影 を 残 しな が ら現 在 に至 っ たの で あ る。 さて 、 守 居 橋 か ら東 へ 歩 いて 行 くとす ぐに本 町 橋 に至 る。 こ こ も陸 橋 にな って いて 、 目の 前 に京 阪 電 車 守 口市 駅 の 中央 口が 見 え る(第2図)。. さ ら に 旧街 道 を 東 へ 進 む と右 に直 角 に分 岐 す. る道 に 出 る。 道 標 に 「右 な ら ・の さ き道 」 と書 か れ て い る。 北 河 内 の平 野 を横 断 して野 崎観 音 、 さ らに生 駒 山地 を超 え て 奈 良 に至 る街 道 で あ る。 堤 の 高 さ は、こ の あ た りが最 も高 く5mほ で あ るが 、 一 般 的 に は3.5∼4mで. ど. あ る。. 旧堤 防 と 旧街 道 は この 先 で 終 わ って い るの で 、 も と来 た道 を 引 き返 す こ と にす る。. (2)茨. 田堤 一 仁 徳 が 作 った 日本 最 古 の 堤 一. 京 阪 電 車 大 和 田駅 の 東 口 を 出て 線 路 北 側 の 狭 い道 を枚 方 方 面 に100mほ. ど行 き、 小 さな 交 差. まんだのつつみ. 点 を左 折 す る と茨 田堤 に至 る(第3図)。. 第3図. 茨 田 堤 の 位 置 と現 況. 茨 田堤 は柵 に囲 まれ て いて 立 ち入 る こ と はで きな いが 、周 辺 の道 路 面 よ り3mほ あ り、堤 の根 幅 は9mほ. どで あ る。 昭 和49年3月29日. どの 高 さが. 「伝 茨 田堤 」 と して 府 の 史 跡 に指 定 され. た。 茨 田堤 は、 日本 書 紀 の 記 述 か ら、 仁 徳 天 皇 に よ って 建 設 され た 日本 最 古 の 堤 と され る もの. 71.
(4) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). で あ る。 堤 の 南 側 に は式 内堤 根 神 社 が あ り、 境 内 に は記 念 碑 や 解 説 板 が あ る。 こ こが 本 当 に淀 川 の 本 流 あ る い は分 流 で あ り、 仁 徳 が この 地 に堤 を 築 か せ た か 否 か は定 か で な いが 、 つ い最 近 まで 古 川 の 堤 で あ っ た事 は間 違 いな い。 堤 に は 「宮 の 樋 」 と い う石 造 りの 排 水 樋 門 が 設 置 され て い た。 今 は石 造 りの 枠 が 残 って い るだ けで あ るが 、「大 正11年4月. 改 築 」と. い う文 字 が 読 め る。 これ は大 雨 や 高 潮 で 古 川 の 水 位 が 上 昇 した時 、 川 の 水 が 田畑 に入 り込 む の を防 ぐた めの もの で あ る。 樋 門 を 閉 めれ ば排 水 もで きな いの で あ るか ら、 田畑 や 住 宅 地 は 内水 災 害 に見 舞 わ れ るの が 日常 の 事 で あ っ た。 今 見 て い るの は古 川 左 岸 の 堤 で あ るが 、同規 模 の堤 が右 岸 側 に もあ る(今 は道 路)。 古 川 は淀 川 と寝 屋 川 と並 ん で 、 北 河 内の 水 運 の 要 で あ っ たが 、 昭 和30年 代 末 に矢 板 と コ ン ク リー トで 固 め られ た川 幅10数mの. どぶ 川 と な っ て しま った。 か つ て の古 川 の 河 川敷(50∼100mほ. ど)は. 現 在 で は住 宅 が 密 集 して い る。 北 河 内の 地 は土 地 が 低 いの で 満 潮 にな る と逆 流 して 川 の 水 位 が 上 昇 す る。 その た め 日常 的 に ポ ンプで 排 水 して い る所 も多 い。. (3)木. 田の 囲 い堤 一 河 内 平 野 の 輪 中 集 落 一 かや しま. 京 阪 電 車 萱 島駅 を 東 口か ら出て 寝 屋 川 を 渡 る と交 差 点 に 出 る。 こ こか ら南 東 に延 び る道 が か つ て の 木 田の 囲 い堤(輪. 中堤)で. あ る(第4図)。. 生 駒 山地 に 降 った 雨 は河 内平 野 に集 中す る。 北 河 内 は 河 内 平 野 の 中 で も一 段 と土 地 が 低 く、 普 段 で も大 阪 湾 の 潮 が 満 ちて くる と川 は逆 流 す る。 台 風 で 大 雨 にな った と き満 潮 が 重 な る と高 潮 に な り、 川 の 水 は行 き場 を 失 って 氾 濫 し、 河 内の 田畑 は た ち ま ち泥 沼 と化 す こ と にな る。 ま しめ の. た、 淀 川 が 大 洪 水 とな り、 枚 方 か ら点 野 あ た りで 決 壊 す る と北 河 内の 地 は完 全 に水 没 して 河 内 湖 の再 現 とな る。 か つ て は、 農 家 は 日常 的 に 田舟 で 田 畑 と居 宅 の 間 を往 復 す る生 活 で あ った。 この よ う な なか で 、 人 々 は輪 中堤 を 作 って 生 活 を 守 っ た。 今 日、 輪 中堤 が 最 も明 瞭 に残 って い るの が 木 田地 区 で あ る。 木 田の 囲 い堤 は、 京 阪 電 車 寝 屋 川 市 駅 南 の 木 田町 、 同寝 屋 川 車 庫 北 の 中木 田町 、 その 南 の 下 木 田町 の3つ の 集 落 を 囲 ん で い た堤 で あ っ た。 北 と西 側 の 堤 は寝 屋 川 や 淀 川 の 氾 濫 か ら居 宅 と 田畑 を 守 り、 東 側 の 堤 は讃 良 川 を は じめ生 駒 山地 か ら流 れ 出 る河 川 の 洪 水 や 土 石 流 か ら土 地 を 守 って い る。 南 の 堤 は高 潮 な ど海 か らの 逆 流 を 防 いで い る。 さて 、 道 路 を進 み な が ら左 側(北 東 側)を 見 る と ど こで も ス ロー プ にな って お り、 道 路 が 堤 の な ご りで あ る こ とが よ くわ か る。 堤 の天 端 は 、 北 側 の住 宅 地 の 面 か ら3∼4mの り、 幅 は4∼6mほ. 高 さが あ. どで あ る。 一 方 、道 路 の右 側 で は住 宅 は道 路 面 に建 って い る が、 これ は盛. 72.
(5) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 第4図. 木 田 の 囲 い 堤 と水 路 図(現 地 説 明;寝 屋 川 市 教 育 委 員 会 によ る)、水 路 の 現 況 とか ら くる親 水 公園. り土 で あ る。 こ ち ら側 は輪 中堤 の 外 側 で あ り、 か つ て は寝 屋 川 の 河 川 敷 で あ った 。 この あた り ふこ の. は江 戸 時 代 前 期 に は深 野 池 に注 ぐ寝 屋 川 の 河 口部 で あ り、 大 阪 湾 の 潮 汐 の 影 響 を 敏 感 に受 け る 地 域 で あ る。 宝 永 元(1704)年. 、 大 和 川 の 流 路 が 付 け替 え られ た こ と に伴 って 寝 屋 川 と深 野 池. の 水 位 は低 下 し、 か つ て の 水 域 は開 発 の 対 象 にな って い っ たが 、 この あた りも 同様 で 萱 島新 田 が で き た。 ず っ と南 下 す る と 「か ら く る親 水 公 園 」 に至 る(第4図)。. 木 田 の輪 中 で は、 二 十 箇 用 水 か. らの 水 を、 寝 屋 川 の 下 を く ぐる伏 越 樋 か ら取 り入 れ 、 村 の 幹 線 用 水 路 を 流 して 、 この か ら く り 樋 を通 して 寝 屋 川 に排 出 した。 か ら く り樋 と は水 位 を 調 整 す る間 門 の こ とで あ る。 輪 中堤 の 内 と外 とで 水 位 に差 が あ る と き、 二 重 の 水 門 で 水 位 を 調 整 して 船 を 通 過 させ た 。 か ら く り樋 の 建 造 時 期 は明 らか で はな いが 、 伏 越 樋 は享 保 年 間(1716∼1736)の. 建 造 で あ るの で 、 お お む ね 同. じ時 期 で あ ろ う と考 え られ て い る。 昭 和30年 ご ろ まで は三 枚 田舟 で 村 の 全 て の 田ん ぼ に行 く事 が で き た。 通 舟 は水 路 か ら寝 屋 川 を 下 り、 大 阪 八 軒 家 で 交 易 を お こな った(か. ら くる親 水 公 園. の 展 示 説 明;寝 屋 川 市 教 育 委 員 会 よ り)。 こ の よ うな 設 備 は高 度 成 長 期 後 も しば ら くは確 認 で. 73.
(6) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). き た よ うで あ るが 、 現 在 は全 く面 影 が な い。 以 上 で 輪 中堤 の 見 学 は終 了 で あ る。 も と来 た道 を 戻 って も い い し、 寝 屋 川 を 渡 って か つ て の 新 田(今 は住 宅)の. 中 を帰 って も良 い。1日 ハ イ キ ングでJR野. 崎 駅 を 目指 す 場 合 に は さ ら に. 寝 屋 川 沿 い に南 下 す る。 かわ きた. 寝 屋 川 にか か る大 平 橋 、 新 猪 鼻 橋 を 経 て 河 北 大 橋 を 渡 る とか つ て の 深 野 池 で あ る。 さ ら に行 ふ こきた. くと深 北 緑 地(寝 屋 川 治 水 公 園)入. り口 に到 着 す る。 広 い グ ラ ン ドや 遊 び場 、 公 園 が あ り、 ト. イ レも完 備 され て い る。 先 に述 べ た よ う に、 生 駒 山地 に降 っ た雨 は寝 屋 川 に集 ま って くる。 こ の 公 園 は 洪 水 を軽 減 す る た め に作 られ た 遊 水 地 で あ り、 寝 屋 川 の 水 位 が あ る一 定 値 を超 え る と、 部 分 的 に低 く した堤 防(越 流 堤)か. 第5図. ら公 園 内 に水 が 流 れ 込 む よ う にな って い る(第5図)。. 深 北 緑 地(寝 屋 川 治 水 公 園)に お け る寝 屋 川 左 岸 の 越 流 堤. 越 流 水 位 はOPで+4.75mで. あ る。OPと. い うの は 、 全 国 の 測 量 が 進 む以 前 に、 デ レー ケ に. よ っ て大 阪天 保 山 に お け る最 低 潮 位 を 持 って 定 め られ た 高 さの 基 準 で あ る。OPは 湾 平 均 潮 位(TP)と. は1.3mほ. どの差 が あ るの で、越 流 水 位 はTPで. の 場 所 の寝 屋 川 の 河 床 は お お む ねTPOmで. お よ そ+3.5mで. あ る の で、 川 の 水 位 が3.5mを. 現 在の東京 あ る。 こ. 超 え る と越 流 す る. こ と にな る。 広 い公 園 で 洪 水 を 蓄 え た あ と、 天 候 が 回 復 して 水 位 が 下 が って か ら遊 水 地 の 一 番 低 い と こ ろ(南 端)か. ら放 流 す る。 この よ うな 防 災 施 設 は寝 屋 川 で は も う一 ケ 所 、 上 流 の 打 上. 74.
(7) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 川 に作 られ て い る。 さ らに川 沿 い に南 に進 ん で 、 新 深 野 橋 の 所 か ら東 に折 れ る とJR野. (4)新. 崎駅 に至 る。. 田開 発 の な ご り一 屋 形 船 の 通 った ク リー クー. 縄 文 海 進 で 広 が っ た河 内の 海 は しだ い に埋 め立 て られ 、 河 内潟 、 河 内湖 と環 境 を 変 え て い っ しん が. た。 この 河 内湖 の 水 域 が 最 後 まで 残 っ たの が 深 野 池 と新 開 池 で あ る。 す で に述 べ た よ う に宝 永 元(1704)年. 大 和 川 が 付 け替 え られ る と、 この2つ の 池 に流 入 す る水 量 が 激 減 し、 か つ て の 水. 域 は新 田開 発 され て い っ た。 深 野 池 で は北 か ら、 深 野 北 新 田、 深 野 新 田、 深 野 南 新 田な どが 誕 生 した。 さて 、JR野. 第6図. 崎駅 か ら西 へ、 大 阪 外 環 状 線 の 下 を く ぐって 西 へ 進 む(第6図)。. 深 野 新 田 ・北新 田 ・南 新 田 の水 路 網 とわ ず か に残 る水 路(矢 万 分 の1地 形 図 に よ る). こ こ は深 野 新. 印)の 現 況 。(水 路 網 は 仮 成2. 田の ほ ぼ 中央 に あ た る。 市 営 深 野 園 団 地 と深 野 北 小 学 校 の 間 の 並 木 道 を 行 くとや が て 府 立 緑 風 冠 高 等 学 校 グ ラ ン ドの 北 側 に 出 る。 舗 装 の 違 いか ら、 この 道 路 は明 らか に2つ の 通 路 が 合 体 し た もの で あ る こ とが わ か る。 北 側 の 半 分 は並 木 道 で 路 面 は コ ン ク リー トで あ るが 、 南 側 半 分 は 普 通 の ア ス フ ァル トで あ る。 じつ は並 木 道 の 部 分 はか つ て の 排 水 路 で あ った が 、 コ ン ク リー ト で 蓋 を して 暗 渠 とな っ た もの で あ る。 ア ス フ ァル ト道 の 部 分 は排 水 路 横 につ け られ て いた 農 道 で あ る。 高 等 学 校 西 側 の 道 路 まで くる と、水 路 が顔 を 出 す(第6図. 75. の矢 印)。 か つ て は この よ う.
(8) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). な 水 路 が 縦 横 無 尽 に張 り巡 らされ て い た。 この 水 路 は新 田開 発 した低 湿 地 帯 の 水 を 抜 くと と も に、 耕 作 の た めの 荷 船 が 通 る ク リー クで も あ っ た。 野 崎 参 りは屋 形 船 で 参 ろ、 と歌 わ れ た あの 屋 形 船 も大 阪 の 中心 か ら寝 屋 川 を さか の ぼ って きて 、 最 後 は この ク リー クを 通 った の で あ る。 現 在 か つ て の 新 田 は ほ とん ど姿 を 消 し、 治 水 緑 地 と して 生 まれ 変 わ った り、 住 宅 地 へ と変 貌 した。 そ れ に 伴 って 水 路 も見 られ な くな っ た が、 こ こ は辛 う じて 昔 の水 路 の面 影 を 残 して い る。. (5)鴻 池 新 田会 所 一 新 田の 経 営 者 と農 民 の 暮 ら し一 河 内平 野 に お け る大 和 川 付 け替 え の あ と の新 田 開 発 は、 約1,170町 歩 、11,000石 高 に お よぶ 。 鴻 池 新 田 は、大 小40ほ どあ る新 田 の な か で最 も大 き く、159町 歩 を 占 め て お り、そ の 名 の 通 り両 替 商 鴻 池 の3代. 目鴻 池 善 右 門 宗 利 に よ る開 発 で あ る。 こ こで は作 物 の7割 が 棉 で あ った 。 新 田. の う ち、 水 周 りの 悪 い と こ ろ は水 田 に は不 向 きで 、 ほ とん ど は畑 で 棉 が 栽 培 され て いた 。 経 営 者 は実 棉 で 出荷 す る ほか 、木綿 に加 工 して 付加 価 値 を つ け る戦 略 を と った。 これ が 「河 内木 綿 」 と して 全 国 ブ ラ ン ドとな っ たの で あ る。 会 所 の役 割 に は 、 水 利 や 農 作 業 に必 要 な道 具 の管 理 、 年 貢 の 徴 収 、 農 産 物 や 生 産 物 の 管 理 、 新 田村 人 別 帳 の 管 理 、 村 内の 軽 微 な 紛 争 の 仲 裁 な どが あ っ た。 町 人 の 多 くは本 拠 を 大 阪 中心 に お いて い たの で 、現 地 に会 所 を設 置 し、町人 が指 名 した支 配 人 が これ らの執 務 に あ た って い た。 な お、 鴻 池 新 田会 所 で は こ れ らの役 割 の ほか 、 大 正 年 間 に は 鴻 池 銀 行 新 田派 出 所 が 設 け られ、 銀 行 業 務 も行 わ れ た。(以 上 、 東 大 阪市 文 化 財 協 会 編2004に. よ る). 会 所 へ はJR学 研 都 市 線 鴻 池 新 田駅 を 下 車 して、 東 へ100mほ. ど で あ る。 会 所 の 展 示 説 明 に. よ る と、 昭和25年 ま で は 会 所 は本 来 の 機 能 を維 持 して い た 。 昭 和51年 役 宅 部 を 除 く会 所 と東 、 南 、 西 の周 濠 が 国 の 史 跡 とな り、 昭 和55年 に は 本 屋 、 屋 敷 蔵 、 道 具 蔵、 米 蔵 、 文 書 蔵 、 御 札 、 棟 札 が 重 要 文 化 財 に指 定 され た。 昭 和60年 か ら平 成7年. ま で本 格 的 な解 体 修 理 が お こ な わ れ. た。 現 在 は東 大 阪 市 の 管 理 とな り、通 年 の 公 開 が 行 わ れ て い る(第7図)。. 観 覧 時 間 は10時 か ら. 4時 、 休 館 は月 曜 日 と年 末 年 始 。 入 館 料 は300円 で あ る。 会 所 の 展 示 は よ く整 備 され 、 当時 の 農 機 具 や 生 活 ぶ りが よ くわ か る。 展 示 の ひ とつ の 鴻 池 新 田の 経 営 状 況 が 興 味 を 引 く。 享 保 二(1716)年 円で あ っ たが 、享 和 二(1802)年. の純 益 は現 在 の貨 幣 価 値 に換 算 して4億2,600万. に は一 転 して4億1,800万. 円の 大 赤 字 とな って い る。 享 和 二 年. と い え ば江 戸 期 を通 じて最 大 の 洪 水 が 発 生 した年 で あ る(鈴 木2006・2008)。. 76. 享和二年 七月一.
(9) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 第7図. 鴻 池 新 田会 所 、 表 門 と南 の 周 濠. に. 日昼 ご ろ淀 川 の 水 位 は1丈5尺(4.5m)と. わ. じ. な り、 点 野 で 崩 れ 始 め た。 夜 にな って 仁 和 寺 まで 大. 決 壊 して 、河 内平 野 一 帯 が 水没 す る大 災 害 とな った(鉄 川 ほ か1979)。 か つ て の 河 内湖 の 再 来 で あ る。 な お、 明 治18年 に も淀 川 左 岸 が 、 今 度 は枚 方 で 大 切 れ し、 再 度 、 河 内湖 が 出現 した 。 こ れ は明 治 大 水 害 と呼 ばれ て い る。. (6)大 阪 城 一 上 町 台 地 北 端 の 名 城 一 慶 長 最 後 の 年 の 四 月 、 大 坂 夏 の 陣 で つ い に豊 臣が 滅 亡 した。 廃 嘘 同然 とな った 大 阪 城 は、 家 康 の 孫 で あ る松 平 忠 明 に与 え られ た。 忠 明 は、 大 阪 の 町 の 復 興 に努 めた が 、 この 間 、 大 阪 城 の 本 格 的 な 再 建 はな か っ た と考 え られ て い る。 元 和 五(1619)年 (1620)年2代. 大 阪 は幕 府 直 轄 領 とな り、 翌 六. 将 軍 徳 川 秀 忠 に よ り大 阪城 再 築 工 事 が起 こ さ れ、3期 に渡 る工 事 を 経 て3代 将 軍. 家 光 の 時 に完 成 した。 秀 忠 は普 請 総 奉 行 に選 ばれ た藤 堂 高 虎 に、「石 垣 を 旧城 の2倍 に、堀 の 深 さ も2倍 に」 と強 調 した と い う。 天 守 の 建 設 は第2期 広 が 築 い た。 天 守 建 物 は寛 永 三(1626)年. に行 わ れ 、 その 石 垣 は熊 本 城 主 の 加 藤 忠. の 竣工 で、 外 観5層. ・内部6階 、高 さ58.5mに. 達す. る 巨大 な 建 造 物 で あ っ た(以 上 、 大 阪 城 天 守 閣 の 展 示 よ り)。 さて 、 京 橋 口か ら外 濠 を 渡 って 大 阪 城 に入 る と、 まず 目 につ くの は 「京 橋 口桝 形 の 巨石 」 で あ る(第8図)。. こ の石 は花 歯岩 で、肥 後 石 と呼 ばれ る大 阪 城 第2の. 77. 巨石 で あ る。 産 地 は讃 岐 の.
(10) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). 第8図. 大 阪 城 京 橋 口枡 形 の 巨石 と石 材 切 り出 しの た め の 矢 穴. 小 豆 島で 、最 大 高5.5m、 最 大 長14.Om、. 厚 さ約0.9m、. 露 出面 積54.17m2、 重 量 約120ト ンで あ. る。 担 当大 名 は 岡 山の 池 田忠 雄 で あ っ た。 ちな み に、 第1の. 巨石 は 同 じ担 当 大 名 で 、 とな りの. 家 島か ら切 り出 した もの で あ る(以 上 、 大 阪 城 天 守 閣 の 展 示 よ り)。 これ は大 き い けれ ど も非 常 に薄 い、 装 飾 用 の 石 材 で 、 切 り出 した と き は天 地 が 逆 で あ った こ とが 矢 穴 の位 置 か らわ か る。 矢 穴 とい うの は 、 模 を 打 ち込 ん で 石 を割 る た め の穴 で、 幅数cm、 長 さ10cm程. 度 、深 さ10∼15cmの. 大 き さが あ る(第8図)。. 肥 後 石 だ けで な く、他 の 石 を 観 察. して も結 構 見 つ か る もの で あ る。 大 阪 城 の 石 は西 国 大 名 に命 じて 集 め られ た もの で あ るが 、 多 くは瀬 戸 内海 の 島 々、 六 甲、 生 駒 、 笠 置 の 花 歯岩 で あ る。 これ らの 花 商岩 は 中生 代 白亜 紀 に形 成 され た もの で 、小 豆 島 で は7,200万 ∼8,500万 年 前 と い う放 射 年 代 が 測 定 され て い る(日 本 の 地 質 近 畿 地 方 編 集 委 員 会 編1987)。 内濠 の 極 楽 橋 を渡 る と刻 印 石 広 場 に 出 る。 大 阪 城 の 石 に は た いて い刻 印 が 付 いて い る。 江 戸 時 代 の 各 地 の 石 切 り場 跡 に は、 運 ばれ な か っ た石(残 念 石)が 残 って お り、 印 の 主 が わ か るの で あ る。 実 に さ ま ざ まな マ ー クが あ るの で 楽 しめ る。 外 濠 か らそ びえ たつ 石 垣 は見 事 で あ り、 大 変 な 工 事 で あ っ た と思 わ れ るが 、 じつ は何 もな い と こ ろ に盛 り土 を して 城 を 作 っ たわ けで はな い。 大 阪 城 の 位 置 して い る と こ ろ は上 町 台 地 の 北 端 で あ る。 台 地 の 上 は高 さ20mの. 平 坦 面 で あ り、 周 囲 は高 さ10∼15mの. 段 丘 崖 で あ る(第9. 図)。 この よ うな地 形 を うま く利 用 して大 阪城 が建 造 さ れ て い る の で あ る。. 78.
(11) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 第9図. 上町台地東縁の崖(大 阪城公園南東隅). (7)生 駒 山 麓 の 段 丘 地 形 一 活 断 層 と海 面 変 動 一 近 鉄 石 切 駅 北 出 口 を右 に 出 て 並 木 道 を南 へ進 む(第10図)。. 図 のAか. ら 山手 の 地 形 面 を 観 察. して み よ う。 この と き、 住 宅 の 敷 地 を 見 て しま う と盛 り土 の た めデ コ ボ コ して いて 、 地 形 面 が 分 か らな い。 縦 横 に走 る道 路 面 を 見 るの で あ る。 そ うす る と、 か な り傾 斜 して い るが 、 山際 か ら平 らな 面 が 広 が って い るの が わ か る。 この 面 は近 鉄 石 切 駅 の 切 通 しを 経 て 西 側 に連 続 して い る。 これ が 中位 段 丘 面 で あ る。 中位 と い うか ら に は、 高 位 と低 位 が あ る はず で あ るが 、 高 位 段 丘 は こ の付 近 に は分 布 しな い。 低 位 段 丘 面 は 中 位 段 丘 を 取 り囲 ん で広 く分 布 す る。 図 のAか ら 南 へ 階 段 を下 りて い くと低 位 段 丘 面 に至 る。 階 段 を 数 え て 高 低 差 を 出 して み る と、15mほ. どの. 比 高 で あ る こ とが わ か る。 近 鉄 電 車 は低 位 段 丘 面 の 上 を 高 架 で 走 り、 中 位 段 丘 で は切 通 しを 通 って い る。 地 形 を 教 え る と き よ く 「家 の 建 って い る と こ ろが 段 丘 面 、 森 にな って い る と こ ろ が 段 丘 崖 」 と い うが 、 この あ た りは段 丘 崖 に も家 が 進 出 して い る。 さて 、音 川 を越 え て寺 田 医 院横 の広 場 に出 る(第10図 のB)。. こ この 石 垣 に使 わ れ て い る黒 っ. ぽ い岩 石 は生 駒 山を 作 って い る斑 れ い岩 で あ る。 石 材 で は生 駒 石 と呼 ばれ る。 近 寄 って 観 察 す る と石 の 表 面 が ざ ら ざ ら して い る。 斑 れ い岩 は通 常 、輝 石 、角 閃 石 、斜 長 石 か らで き て い る が、 この う ち斜 長 石 が 風 化 しや す くそ の 部 分 が へ こん で い るか らで あ る。 ジ ュ ラ紀 末(1億9千. 79. 万.
(12) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). 、、. 第10図. 一. 石 切 付 近 の 段 丘 地 形 と観 察 地 点. 年 前)の 貫 入 で あ る。 そ れ に対 し白 っぽ い岩 石 は花 崩岩 で あ る。 花 崩岩 の貫 入 は 白亜 紀 後 期 で、 第1期(7千7百. 万 年 前)、 第2期(7千2百. 万 年 前)、 第3期 、 第4期(6千7百. 活 動 に 区分 さ れ る(宮 地 ほ か1998・2001)。. そ の う ち第2期. 万 年 前)の. の活 動 が最 も規 模 が大 き く、 この. 時 期 の 花 歯岩 に は交 野 、 富 雄 、 天 王 、 私 市 な どの 名 前 が つ いて い る。 さ らに上 って 図 のCに 行 く。 こ こ に辻 子 谷 水 車 群 の 説 明 板 が あ る。 また 、 目の 前 に は音 川 に か か る古 び た土 管 が 見 え る。 これ は水 車 を 回 す た め上 流 か ら導 いて きた 水 路 管 で あ る。 説 明 板 に よ る と最 盛 期 に は辻 子 谷 全 体 で44台 の 水 車 が 稼 働 して い た と い う。 こ こか らさ ら に700mほ ど、 高 さ に して100mほ. ど登 る と石 切 漢 方 製 薬 株 式 会 社 の 駐 車 場 が あ り、 そ の 奥 に復 元 され た. 水 車 が 回 って い る。 水 車 の 直 径 は5mを. 超 え て い る。. さて 、 引 き返 して、 今 度 は駅 の 西 側 の 道 をDに 進 む 。 こ こで は眼 下 に大 阪平 野 が一 望 で き る (第11図)。 天 気 が 良 けれ ば西 方 に、 大 阪 城 、 京 セ ラ ドー ム大 阪 、 通 天 閣 な どが 見 え る。 北 寄 り に は、 な み はや ドー ムや 鶴 見 緑 地 、 か つ て 深 野 池 が あ っ た低 地 帯 が 見 え る。 また 、 大 きな ヘ ア ピ ンカ ー ブが 見 え て い るが 、 この 急 崖 は先 ほ どの 段 丘 崖 と 同 じで あ る。 また 、 第10図 中 に は長. 80.
(13) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 第11図. 石 切 か らの 眺 望(第10図D地. 点 か ら西 を 望 む). い階 段 が い くつ か 示 さ れ て い るが 、 同 様 に段 丘 崖 で あ る。 図 のEの あ り、 中位 段 丘 面 と低 位 段 丘 面 は20数mの. 階段 は 全 部 で140段 ほ どで. 高低 差 が あ る こ とが わ か る。. 遠 く上 町 台地 上 の 大 阪 城 や林 立 す る ビル 群 を 眺 め な が ら、 平 野 の生 い立 ち を 考 え て み よ う。 先 に述 べ た石 垣 の 石 は、 じつ は石 材 と して 山か ら切 り出 して き た もの で はな く、 低 位 段 丘 を 構 成 して い る地 層(土 石 流 堆 積 物)か に は、 海 面 が100mほ. ら取 り出 した もの で あ る。 今 か ら2∼3万. 年前の氷河時代. ど も低 下 して お り、 深 く刻 まれ た 谷 が か つ て の 淀 川 ・大 和 川 か ら大 阪 湾. をへ て 紀 伊 水 道 に通 じて い た。 地 層 は この 時 期 の 堆 積 物 な の で あ る。 この 時 代 の 地 層 は、 山沿 いの 低 位 段 丘 で は土 石 流 の 堆 積 物 が 多 いが 、 平 野 の 地 下 で は河 川 に よ って 運 ばれ た 礫 層 か らな る。 礫 層 上 面 の 深 さ は20∼30mで. あ り、 土 木 業 界 で は百 尺 礫 層 と呼 ん で い る(地 層 名 は 天 満. 層)。 百 尺 掘 れ ば建 物 の基 礎 地 盤 に到 達 す る とい う意 味 で あ る。 この 礫 層 に まで 基 礎 杭 を 打 ち 込 まな い と建 物 は地 盤 沈 下 の た め傾 いて しま う。 氷 河 時 代 が 終 わ って 、 気 候 が 回 復 す る と海 面 は どん どん 上 昇 を は じめた 。 礫 層 を もた ら した 氷 河 時 代 の 谷 は溺 れ 谷 とな り、 や が て 縄 文 時 代 に は、 上 町 台 地 で 大 阪 湾 か ら区 切 られ た 広 い 内 湾 が 広 が っ たの で あ る。 そ して 礫 層 の 上 に は厚 い泥 層 が 堆 積 した。 東 大 阪 で は、 この 泥 層 か ら ク ジ ラの 化 石 が 見 つ か って い る。 大 阪 平 野 の 地 下 深 くに は何 枚 もの 海 成 粘 土 層 が あ るが 、 この 泥 層 が 最 後 の もの で、Ma13層. と名 付 け られ て い る。 そ の後 、 弥 生 時代 に な る と海 面 が 少 し低. 下 し、 縄 文 の 海 は、 淀 川 や 旧大 和 川 が 運 ん だ デ ル タの 砂 に よ って 埋 め立 て られ て い った 。. 81.
(14) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). (8)旧 大 和 川 の 堤 跡 一 天 井 川 は いつ の 時 代 か らか 一 近 鉄 河 内花 園 駅 か ら北 に 出て 、花 園 ラボ モ ー ル を進 む(第12図)。. 第12図. こ こ は 旧大 和 川 水 系 の ひ と. 花 園 に残 る旧 大 和 川 の な ご り。 左 は周 辺 略 図 、 右 は堤 防 斜 面 に 建 つ 家 屋(図 のA地 点)。. か しわ ら. つ 吉 田川 の 右 岸 の 堤 防 跡 で あ る。 大 和 川 は宝 永 元(1704)年 流 路 に付 け替 え られ たが 、 この 間 の 経 過 は 中九 兵 衛(2004)や ワ ー ク編(2007)に. 、 柏 原 か ら西 へ ほぼ 直 線 で 流 れ る 大 和 川 水 系 ミュー ジ ア ムネ ッ ト. 詳 しい。. 旧大 和 川 は奈 良 盆 地 か ら生 駒 一葛 城 山系 を 横 断 して 柏 原 に 出 る。 河 内平 野 に入 って 、 二 俣 で 久 宝 寺 川(長 瀬 川)と 玉 串川 に分 か れ る。 久 宝 寺 川 の 方 が 水 量 が 多 く、 本 流 と いえ る。 玉 串 川 は さ らに花 園 で 吉 田川 と菱 江 川 に分 か れ て 行 く。 これ は ま さ にデ ル タ にお け る河 川 の 分 流 で あ る。 か つ て の 河 内の 海 は大 和 川 の デ ル タ に よ って 埋 め立 て られ て い った の で あ る。 デル タ を形 成 して い た時 の 河 川 は天 井 川 で はな い。 で は、 いつ か ら天 井 川 にな った の で あ ろ うか 。 中甚 兵 衛 か ら数 え て10代 目 と い う 中九 兵 衛 氏 の 研 究 に よ る と、 旧大 和 川 水 系 の 各 河 川 は 延 宝 三(1675)年 年 間 で5∼6尺. まで の50年 間 で9∼12尺. 、 寛 文 六(1666)年. 、河床 が上 昇 して い る(中 九 兵 衛2004)。. か ら延 宝 三(1675)年. まで の10. これ は 当時 の 役 所 に提 出 した 古 文 書 を. も と に して い る。 現 在 残 る天 井 川 と比 較 して 、1620年 代 以 前 は天 井 川 で はな か った と い う。 大 和 川 で は、1620年 代 か ら河 床 の 上 昇 が 始 ま り、 特 に 急 速 に 河 床 が上 昇 した の は1660年 代 か ら 1670年 代 と い う こ と にな る。 河 床 上 昇 の 原 因 は連 続 堤 の 建 設 で あ る。 例 え ば、 滋 賀 ・三 重 ・奈 良 の 山地 を 抜 けて 京 都 南 部 の 低 地 を流 れ る木 津 川 で は、 元 和 元(1615)年. に強 固 な 国 役 堤 の建 設 が 始 ま り寛 永 十(1633). 82.
(15) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. 年 に工 事 が完 了 して い る(徳 川 実 記;上. 田監 修1987・1990)。. そ して木 津 川 で は1630年 代 か ら. 猛 烈 な 河 床 の 上 昇 が 始 ま り、洪 水 が 多発 す る よ う にな った(水 本1990)。 木 津 川 の 本 流 が 天 井 川 に な っ た た め、 その 支 流 の 全 て が 天 井 川 とな って い っ た。 旧大 和 川 に お け る河 床 上 昇 も ほ ぼ 同 じ時 期 で あ り、 お そ ら く元 和 年 間 に連 続 堤 が 建 設 され た も の と考 え られ る。 元 和 元 年 と言 え ば、 大 坂 夏 の 陣 が 終 わ って 改 元 され た年 で あ り、 条 件 が 整 って 幕 府 が 大 規 模 な 土 木 工 事 を 行 い、 開 発 に着 手 した こ とが うか が わ れ る。 しか し、 自然 界 はす ぐ さ ま河 床 の 上 昇 と河 川 の 氾 濫 と い う反 応 を 示 した。 幕 府 は この よ う な河 床 の 上 昇 に対 し、 万 治 三(1660)年. 、 寛 文 六(1666)年. 防 対 策 を行 って い るが 、3回. 、 貞 享 元(1684)年. の3度. にわ た る布 告 を 発 して 砂. 目の 貞 享 元 年 の 時 に土 砂 留 奉 行 を 制 度 化 した 事 は良 く知 られ て い. る。 な お、 旧大 和 川 の 天 井 川 化 につ いて は、 堤 防 遺 跡 な どの 発 掘 か ら、 鎌 倉 ・室 町 時 代 か ら始 ま っ た と され る事 が 多 い(例 え ば、地 学 団体 研 究 会 大 阪 支 部 編1999、 大 和 川 水 系 ミュー ジ ア ム ネ ッ トワ ー ク編2007)。. しか し、 筆 者 は これ らの 堤 防 は部 分 的 な もの で、 連 続 堤 の建 設 は元 和. 期 で あ ろ う と考 え て い る。 さて 、 花 園 ラ ボ モー ル を進 む と、 右 側 が 急 坂 にな って お り、 か つ て 堤 で あ った 事 が よ くわ か る。 商 店 街 を抜 けて さ らに進 む とJAグ 点 に 出 る(第12図A地. リー ンの掲 示 板 、 パ ー マ店 、 た ば こ店 な どが あ る交 差. 点)。 こ の あ た り も堤 防地 形 が よ く残 って い る。 こ こ を左 に 曲 が る と、か. つ て の 河 床 を渡 って 対 岸 の 堤 防 に 出 る。 こ こ に道 標 が あ り、 道 沿 い に西 昌寺 、 さ ら に奥 に吉 田 春 日神 社 が あ る。 この 神 社 は享 保 五(1720)年. に建 立 され た もの で 、 本 殿 一 棟 は東 大 阪 市 指 定. の 文 化 財 とな って い る。 こ こか らは も と来 た道 を戻 って も い い し、 吉 田川 の 左 岸 側 を帰 って きて も い い(た だ し一 部 道 が 途 切 れ て い る)。 ま た、大 通 りを渡 る と、も う ひ とつ の 分 流 で あ る菱 江 川 の 名 残 の 地 形 に も 出会 う こ とが で き る。 ま た、 河 内花 園 駅 の 南 側 に行 くと分 流 前 の 玉 串 川 の 右 岸 堤 防 が 観 察 で き る。. (9)逆 流 す る川 一 大 阪 湾 の 潮 汐 は ど こ まで 及 ぶ の か 一 近 鉄 八 戸 ノ里 駅 か ら北 側 の道 を東 に行 くと第 二 寝 屋 川 に至 る。 海 に面 した平 野 の 河 川 で は、 潮 が 満 ち る と水 位 が 上 昇 して 内陸 部 へ 逆 流 し、 下 げ潮 の と き は海 に向 か って 通 常 に流 れ る。 こ の よ う な河 川 を地 理 学 で は感 潮 河 川 と呼 ん で い る。 河 内平 野 を 流 れ る河 川 は 旧大 和 川 水 系 の 天 井 川 を除 いて 、ほ とん どが 感 潮 河 川 で あ る(鈴 木2010)。. 83. こ こ八 戸 ノ里 の 第 二 寝 屋 川 で も大 阪 湾.
(16) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). で の 潮 位 変 化 を 忠 実 に 反 映 して 、河 川 の 水 位 が 刻 々 と変 化 し て い る(第13図)。. 第13図. 河 内平 野 の奥 深 くに入 り込 む 大 阪 湾 の潮 汐。 左 は第 二 寝 屋 川 新 田大 橋 に お け る河 川 の水 位 変 化 と流 速 変 化(鈴 木2010)、 右 は 同橋 か ら上 流 を 望 ん だ 写 真(2010年3月17日 、15時5分 撮 影). 年3月17日 時10分. 図 に 示 した2010. は 大 阪 湾 で の 満 潮 は7時20分. でTP55cmで. に 最 高 水 位 に な っ た 。 ま た 、干 潮 は13時15分. あ っ た が 、 八 戸 ノ 里 の 新 田 大 橋 で は8 でTP-65cmで. あ っ た が 、 こ の 地 で は14時. 20分 に 最 低 水 位 に な っ た 。 お お む ね 大 阪 湾 の 干 潮 、 満 潮 の 時 刻 か ら は1時. 間 ほ どの 遅 れ が あ. る。 その 日の 干 潮 、 満 潮 の 時 刻 を 調 べ て 、 ぶ らっ と川 を 見 に行 くこ とを 勧 めた い。 川 の 護 岸 に は 、満 潮 時 の 水 位 跡 が 明 瞭 に残 さ れ て い る の で 、干 潮 時 に 観 察 す る と干 満 の 差 が よ く わ か る(第 13図)。. ⑩. 上 町 台 地 の 西 縁 一 波 が 作 った 急 崖 一 上 町 台 地 の地 下 は、 上 町層 と呼 ば れ る砂 礫 や砂 ・粘 土 か らな る厚 さ20∼30mの. て い る。 そ の 中 部 に はMa12と. 地 層でで き. 呼 ば れ る海 成 粘 土 層 が 挟 ま れ て い る。 年 代 は10万 年 ほ どで あ. り、 間 氷 期 の温 か い 時 期 の 堆 積 物 で あ る。 生 駒 山麓 の 中位 段 丘 も 同 じ時期 の 堆 積 物 で あ る が、 山沿 い で は海 抜100mに. 分 布 して い る。 一 方 河 内 平 野 の東 の縁 で はMa12が. 地 下 に分 布 して い る(日 本 の地 質 近 畿 地 方 編 集 委 員 会1987)。. 海 抜 で40mの. も と も と堆 積 した 時 の 高 さが 同. じで はな いが 、 生 駒 断 層 に よ る変 位 が いか に大 き いか が わ か る(第14図)。 上 町台 地 は西 側 を 上 町 断 層 に よ って 断 た れ た傾 動 地 塊 で あ る。 断 層 を 境 に して、Ma12で 60m、 大 阪 層 群 の基 底 で400m、. 基 盤 の 花 商 岩 で800mほ. どの 落差 が あ る。 しか し、 こ こ に見 る. 崖 その もの は断 層 崖 で はな く、 断 層 は崖 よ り少 し西 側 を 通 って い る。 この 崖 は、 縄 文 海 進 で 海 面 が 高 か っ た時 代 に、 波 で 浸 食 され た波 食 崖 で あ る。 浸 食 され た砂 は潮 流 で 北 に流 され 、 天 満. 84.
(17) 河 内 の 地 形 と 地 質 一 駅 前10コ. 中 皇」1. 第14図. 上唖 ■咄. 月咽. ,望. ー スの 名 所 案 内 一. 生靹山帖 Ar甜1.... 河 内 平 野 の 地 下 構 造(大 阪 城 と石 切 を 結 ぶ 東 西 断 面)。 宮 地 ほか(1998・2001)を. も とに 作 成 。. 砂 堆 と呼 ばれ る砂 州 を 形 成 した。 さて 、 地 下 鉄 谷 町 線 四 天 王 寺 夕 陽 ケ 丘 駅 か ら地 上 に 出 た と こ ろが 谷 町 筋 で あ り、 上 町 台 地 の 平 坦 面 で あ る(第15図)。 谷 町筋 を少 し北 へ 行 って、六 万 体 交 差 点 か ら西 へ 進 む 。 途 中か ら急 坂. 第15図. (通称 学 園坂)と. 上町台地西縁の案内図 と口縄坂. な り、 青 々 と した森 が見 え て くる。 上 町台 地 西 縁 の崖 で あ る。. 学 園 坂 を松 屋 町 筋 まで 降 りて 、 南 に行 くと細 い路 地 が あ るの で そ こを 東 に入 る。 善 龍 寺 と い. 85.
(18) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). う寺 が あ り、 口縄 坂 の 由来 な どが 説 明 され て い る。 口縄 坂 の 階 段 を 上 る と上 町 台 地 の も との 平 坦 面 に 出 る。 これ で コー スを 一 周 したの で 元 の 駅 か ら帰 って も良 い し、 南 に、 天 王 寺 七 坂 と称 さ れ る坂 道 や 真 田幸 村 討 ち死 の碑 な どを 見 学 しな が らJR天 王 寺 に 出 て も良 い。 ま た、 夕 陽 丘 ス トリー トを東 へ 散 策 す るの も面 白 い。 傾 動 地 塊 の 名 の 通 り、 西 側 は急 で あ った が 東 側 は非 常 に緩 や か で あ る。 天 王 寺 区 役 所 、 大 阪警 察 病 院 を経 てJR環. 状 線 桃 谷 駅 ま で、1.5kmほ. どで あ. る。. お わ りに 最 近NHKで. 「ブ ラ タ モ リ」 と い う番 組 が 放 映 され た(2009年. 秋 と2010年 秋 の2シ. リー ズ)。. これ は タ モ リが 東 京 の 町 を 歩 いて 、 地 形 を 読 み 解 き、 地 名 の いわ れ や 歴 史 を 紹 介 す る番 組 で あ る。 河 内 に もぶ らっ と 出か けて 観 察 で き る名 所 が た くさん あ る。 本 論 で 紹 介 した の はそ の ほん の 一 部 で あ る。 駅 か らす ぐと い う地 点 を 選 ん で あ るの で 、 ぜ ひ、 家 族 連 れ 、 生 徒 連 れ で 歩 いて い た だ き た い。 生 徒 を引 率 して 、 あ る い は家 族 連 れ で1日. コー ス を組 む 場 合 に は以 下 の2コ ー スが お 勧 めで. あ る。 9時30分 、 京 阪 電 車 守 口市 駅 に集 合 して 文 禄 堤 を 見 学 、 駅 に戻 り電 車 で 大 和 田駅 に移 動 。 茨 田堤 を見 学 後 再 び電 車 に乗 り萱 島 駅 に移 動 。 こ こか ら はJR野. 崎 駅 ま で の徒 歩 コー ス と な る。. 萱 島駅 か ら南 に歩 いて 、 最 初 に木 田の 輪 中堤 を 見 学 す る。 そ して 寝 屋 川 沿 い に南 下 し、 深 北 公 園 で 昼 食 にす る。 午 後 は、 わ ず か に残 る水 田や 深 野 池 との 境 界 部 、 親 水 公 園 の 水 害 を 防 止 す る 設 備 な ど を見 学 しな が ら南 下 をつ づ け、 新 深 野 橋 か ら東 へ 進 む 。 こ こで か つ て の 新 田の 井 路 で あ り、 ま た、 野 崎 参 りの 屋 形 船 が 通 っ た と い う ク リー クを 見 て 、JR野 ま た、 別 の コ ー スで は9時30分. 崎 駅 に向 か う。. 、 近 鉄 電 車 石 切 駅 を 出発 、 周 辺 の 段 丘 地 形 や 水 車 跡 な どを 見. 学 後 、 大 阪 平 野 を展 望 して 近 鉄 乗 車 。 河 内花 園 駅 に下 車 す る と、 す ぐ目の 前 の 花 園 ラ ボ モー ル が 旧大 和 川 水 系 吉 田川 の 堤 防 跡 で あ る。 再 び近 鉄 に乗 り鶴 橋 に向 か う。 途 中で 第 二 寝 屋 川 を 渡 るの で 車 窓 か ら観 察 しよ う。 大 阪 湾 の 潮 の 満 ち干 が こ こ まで 及 ん で い る証 拠 を 見 る こ とが 出来 る。 鶴 橋 か らは 環 状 線 に乗 り1駅 、JR桃 谷 駅 か ら歩 い て上 町 台 地 を横 断 す る。 い ろ い ろ な 発 見 に 出会 え るで あ ろ う。 最 後 は上 町 台 地 西 縁 の 崖 を 観 察 して 、 地 下 鉄 四 天 王 寺 前 夕 陽 ケ 丘 駅 で 4時 半 ご ろの 解 散 とな る。 な お、 大 阪 周 辺 の 地 学 ハ イ キ ン グ の 案 内 書 と して は、 す で に 地 学 団 体 研 究 会 大 阪 支 部 編. 86.
(19) 河 内 の 地 形 と地 質 一 駅 前10コ ー スの 名 所 案 内 一. (1998)「 関 西 自然 史 ガ イ ド」 が 出版 され て い る。 ま た、 大 阪 周 辺 の 地 質 と生 い立 ち につ いて は 地 学 団 体 研 究 会 大 阪 支 部 編(1999)「大 地 の お い た ち一 神 戸 ・大 阪 ・奈 良 ・和 歌 山 の 自然 と人 類 」 が 大 変 参 考 に な る。 京 都 につ いて は、 京 都 地 学 教 育 研 究 会 編(1999)「 都 地 学 教 育 研 究 会 編(2010)「. 新 ・京 都 自然 紀 行 」、 京. 写 真 で 見 る京 都 自然 紀 行 」 が 出版 さ れ て い る。 本 論 と合 わ せ て. ご一 読 を勧 め た い。. 文献 地 学 団 体 研 究 会 大 阪 支 部 編(1998)関. 西 自然 史 ガ イ ド. 大 阪 か ら 日帰 り30コ ー ス。 創 元 社 。. 306p 地 学 団 体 研 究 会 大 阪 支 部 編(1999)大. 地 の お い た ち一 神 戸 ・大 阪 ・奈 良 ・和 歌 山 の 自然 と人 類 。. 築 地 書 館 。224p 東 大 阪 文 化 財 協 会 編(2004)平. 成16年 度 秋 季 特 別 展. 河 内の 新 田 い まむ か し。 国 史 跡 ・重 要 文. 化 財 鴻 池 新 田会 所 発 行 パ ン フ レ ッ ト。 京 都 地 学 教 育 研 究 会 編(1999)新 京 都 地 学 教 育 研 究 会 編(2010)写. ・京 都 自然 紀 行 。 人 文 書 院 。237p 真 で 見 る京 都 自然 紀 行 。 ナ カニ シ ヤ 出版 。211p. 宮 地 良 典 ・田結 庄 良 昭 ・吉 川 敏 之 ・寒 川. 旭(1998)大. 阪東 南部 の地質。地 域地質 研究報 告. (5万 分 の1地 質 図 幅)、 地 質 調 査 所 。113p 宮 地 良 典 ・田結 庄 良 昭 ・寒 川. 旭(2001)大. 阪 東 北 部 の 地 質 。 地 域 地 質 研 究 報 告(5万. 分 の1. 地 質 図 幅)、 地 質 調 査 所 。130p 水 本 邦 彦(1990)江. 戸 時 代 の 木 津 川 水 害 。 京 都 府 立 大 学 ・同短 期 大 学 部 編 「南 山城 学 術 調 査 報. 告 」1-13 中九 兵 衛(2004)甚. 兵 衛 と大 和 川 。 大 阪 書 籍 。307p. 日本 の 地 質 近 畿 地 方 編 集 委 員 会 編(1987)日 鈴 木 一 久(2006)京. 本 の 地 質6近 畿 地 方 。 共 立 出版 。297p. 都 府 南 部 山城 地 域 の 木 津 川 と近 世 の 水 害 。 近 畿 大 学 教 育 論 叢18巻1号10. -16 鈴 木 一 久(2008)近. 世 に お け る 山城 地 域 の 水 害 。 近 畿 大 学 教 育 論 叢20巻1号37-58. 鈴 木 一 久(2010)河. 内平 野 に お け る海 の な ご り。 近 畿 大 学 教 育 論 叢22巻1号1-18. 鉄川. 精 ・松 岡数 充 ・田村 利 久(1979)淀. 上 田正 昭 監 修(1987)山. 川:自 然 と歴 史 。 松 籟 社 。262p. 城 町 史 本 文 編 。 山城 町 。999p. 87.
(20) 近畿大学教育論叢. 第22巻 第2号(2011・2). 上 田 正 昭 監 修(1990)山. 城 町 史 史 料 編 。 山 城 町 。1090p. 大 和 川 水 系 ミ ュ ー ジ ア ム ネ ッ トワ ー ク 編(2007)大 考 え る 。 雄 山 閣 。210p. 和 川 付 け替 え 三 〇 〇 年 一 そ の 歴 史 と意 義 を.
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①規制区域内 底質 不検出 Bq/kg. ②残骸収集地点 ビーチ砂 不検出
地下水採取等対象物 質と地下水採取を行う
凡例及び面積 全体敷地 2,800㎡面積 土地の形質の変更をしよ うとする場所 1,050㎡面積 うち掘削を行う場所
活断層の評価 中越沖地震の 知見の反映 地質調査.
西山層支持の施設 1.耐震重要施設 2.重大事故等対処施設 1-1.原子炉建屋(主排気筒含む) 2-1.廃棄物処理建屋.
1-2.タービン建屋 2-2.3号炉原子炉建屋内緊急時対策所 1-3.コントロール建屋 2-3.格納容器圧力逃がし装置
既往ボーリングに より確認されてい る安田層上面の谷 地形を埋めたもの と推定される堆積 物の分布を明らか にするために、追 加ボーリングを掘