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馬場敬治博士とわが国の経営学 (<特集>経営学)

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馬場敬治博士とわが国の経営学

本  安

序 口  東京大学霊薬教授馬場敬治博士は去る八丹十日その六十四年の、文字通り謹厳にして誠実な経営学者としての輝かしい 生涯を閉じられた。余りにも思いがけない博士の急逝は惜しみてもなお余りあるところである。博士の経営学理論に関す        の る業績の偉大さについては、これまで何べんも指摘して来た通りであるが、数年前定年退職されたと争いえ、ますます壮         健でπ経営学並に其の関﹁連科学の仕事﹂に専念、その学説の一層の深化が今後に期待され、博士自身もまたこれを期して        おられたことを思えば、博士の急逝はわが国の経営学界にとりまことに一大損失といわなくてはならない。  改めて説くまでもなく、博士はわが国の経営学の創始者の一人であり、しかも経営学を真に理論的な学問として自覚的 に基礎づけ、独自の学説を展開された唯一の学者\いわば経営学説の建設者である。筆者が学界に志した当時、博士は少 壮の経営学者としてすでに二著を公にされており、私はその次の著書﹁経営学方法論﹂を紹介したこともあり、当初から その学風に私淑し、著書や論文を通して教えられ、考えさせられること多く、また疑問とするところもあったけれども、 長い聞直接に話す機会に恵まれなかった。そのような機会の与えられたのはやっと数年前のことである.。その端緒となつ        たのは、雑誌PRの昭和三十年九月の﹁馬場・池内両博士の所論.をめぐって﹂という特集号に掲載された、拙文であったよ      馬場敬治博士とわが国の経営学       一

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     馬場敬治博士とわが国の経営学      二 うに思う。続く十月号で、拙文に対し次の感想を漏らしておられる。﹁此の機会に本誌九月号で筆者の所論に感想及び批 評を恵まれた三毛に対し感謝の詞を述べたい。特に、単に本誌七月号の拙稿のみならず、筆者が過去三十年来公にした諸 著書を相次いで難読して筆者の研究の歩みを辿り、卑見の紹介をもして下さった未見の山本安次郎教授に対し、特に深厚 の謝意を申述べたい。殊に、過去永年に亘り経営学の樹立を目指しての筆者の努力に対し、同教授より知己の言を得たこ         とは、最も喜びとする所である。﹂また、そこで拙論に対する批評も与えられたが、博士が指名して批評されることの少い        だけに、その厚意を謝し私見についての手紙を書いたのであった。 ・その後、博士を中心にして﹁組織学会﹂や﹁綜合工業学会﹂が結成せられ、これを通して親しく学問上、の話をする機会 を持ち、親密さを増し得たことは幸であった。思えば、本年度の組織学会大会を九月二十 、二日に予定、その統一論題 についての私見に対し博士の見解を詳説された八月八日付速達便が博士の絶筆となり、これに対する九日付速達便の私の 返書も遂に見て頂けず、未開封のままとか、遺憾の極みである。親交の期間は短いといえば極めて短かかったけれども、 以心伝心、博士の謹厳にして誠実な入興、峻烈にして透徹せる科学精神、経営学に対する秘められた情熱、あらゆる学問 領域に関する該博な知識、要するに博士の学者としての偉大さを感得するには十分であったといえよう。いま、問題をわ れわれの経営学だけに限定しても、博士の学説は深遠であって、これを真に理解することだけでも必ずしも容易なわざで はない。そこにはなお知りたいこと、ただすべきことが多く、われわれもそれを今後に期していたのである。別けても、 拙著﹁経営学本質論﹂に対する忌慣なき批評がききたかった。けれども、それらすべてが不可能となったいま、本誌が経 営学特集号を出すこの機会を幸い、ここに博士の人柄と業績を偲び、その学説を紹介し、その学問的意義について改めて 考えて見たいと思う。  博士の学説は俗受けしないもので、学者の間にも理解されること少く、余り受け容れられてはいないように見えるが、

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しかし、その影響力には相当強いものがあり、それだけに学問的には却って特別な研究に値するともいえるであろう。わ れわれは批判したり、排撃したりする前に、先ずこれをよく理解しなければならないと思う。何よりも、博士の四十年に 亘る努力の跡を辿り、経営学の基礎づけに払われた苦心に思いを致し、世界の学界にもユ二三グな学説の真義を解明し、 以て博士の霊を慰めると共にわが国の経営学研究の推進に寄与せねばならないと思うのである。去る十月二十八日以来名 古屋大学で行われた本年度の日本経営学会誌会における統一論題の報告を聞いて痛感したことは、各報告者の経営学の基 礎理論の理解が如何に稀薄であるかということであった。私の興味が経営学の基礎理論にあるがためのみではない。本年 の統一論題のように時事問題で、とかく現象の表面を湿りがちなものにおいては、却って深く現象の本質を探り、経営学 の基礎の反省から出発せねばならないからである。経営学を知らないで、何の報告そやといわねばならない。古林博士の 痛烈な提言、平井博士の適切な提案も形はともあれ、内実はここに連るものと解されねばならない。この意味からも、馬 場博士を偲び、その業績、その学説の意義を考えようとするこの試みは、立場や観点の相異はともかくとして、必ずしも 無意味ではなかろうと思われるのである。馬場博士の歩みは、ある意味では、わが国の経営学の基礎理論確立の歴史であ るから、この拙文を通して、もし経営学の基礎理論の反省に少しでも役立てることが出来るならば、望外の幸いとせねば ならない。 ①拙稿、経済学、組織学と経営学、PR、六ノ九、同、組織学と経営学、彦根論叢、三〇号、同、経営組織概念と組織の論理、彦根論叢、五三号、拙  著経営学本質論など参照。 ②山本・高宮・藻利編、組織論研究、特に馬場敬治博士略年譜、参照。なお、博士が東洋経済新報製版経営学全集四五巻の責任編集者であることは周  知の通りである。 ③博士はすでに諸論文において経営学基礎理論、組織理論、経営学方法論概説の準備中であることを予告しでおられた。 ④上掲拙稿、経済学、組織学と経営学、参照。     馬場敬治博士とわが国の経営学       三

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    馬場敬治博士とわが国の経営学四

⑥馬場敬治、経営学の方法論的性格と其の中心理論の展開、PR、六ノ︸○、六頁。 ⑥ 馬場敬治、上掲論文、一〇頁、一六頁参照。私はこの批評に対する私見を述べ、博士の組織学説に対する疑問点を書き送り、  である。        二 わが国の経営学と馬場博士 詳細な返事を頂いたの  1 先駆者の時代 先ず、馬場博士はわが国の経営学界においてどのような地位を占め、その学説はどのように評価せら れるであろうか。これはもちろん摩る意味では極めて困難な問題であり、或る意味では容易であろう。とにかく、これに 答えるには幾つかの前提が満されねばならない。第一は、わが国の経営学を如何に規定し、その歴史を如何に見るかの問 題であり、第二は、これを代表諸学説の総体と見るにしても、何れを代表学説とするかの問題、つまり選択の問題であり 第三は、そこにおける馬場博士の学説の評価の問題である。ところで、これらの問題は根本においてはわが国の経営学論 や経営学.鎚の問題と密接な関連をもち、この小論のよく取扱い得るところではない。これについては別の機会に触れたこ       ともあるが、必ずしも十分ではなかったので、ここでこれを補う意味にて結論的に私見を述べ、馬場学説解明の準備とし たい。         さて、わが国の経営学の歴史一その前史は暫くおき一を顧みるとき、そこには創始の段階または先駆者の時代︵大 正末、昭和の初めまで︶、基礎づけの段階または建設の時代︵昭和の初めから第二次大戦まで︶、発展の段階または批判者の時代 ︵終戦以後︶ともいうべき三つの段階が区別せられるであろう。佐々木吉郎博士はかつて第一の段階につき次のようにい われた。そこには﹁忘れることの出来ない二人の先覚者、先駆者がある。其の一人は故上田貞次郎博士であり、他⑳一人 は渡、辺鉄蔵.博士である。上田博士は明治三十年代に経営学に想到されたのであり、渡辺博士は大正の初期に於て独逸の私         経済学に想.いをいたされ﹂たのである。周知の通り、上田博士は独自の立場から経営学の創始を試みられたが、独立の学,

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      ④ 問としての基礎づけは不可能として断念、経済学の一部門とされたのであった。渡辺博士がドイツ経営学特にシェヤー学 説導人の先駆者であったことは説明するまでもない。  2建設者の時代 このようにしてわが国の経営学は産業革命の進行と共に既に古く一橋大学や東京大学や旧高商や私立 大学を地盤とし、商業学からの生れ変りとして芽生えつつあったけれども、まだ専門の経営学者は存在せず独立の学問と してその自律性の根拠は明確にされなかった。この遺された問題がとにかく学問的な問題となるのは、日本経営学会の成 立︵大正一五年七月一〇日︶を契機に、漸く専門の経営学者が現出しだした昭和の初め以後のことであり、われわれはこれ を基礎づけの段階または建設者の時代と名づけようとするのであるが、或る意味ではわが国の経営学はこの時代を以て始 まり、それ以前を一括してすべて前史と見ることも出来るであろう。もし、このことが許されるならば、わが国の経営学 は、最初の経営学専門学当たる馬場敬治著﹁産業経営の職能と其の分化﹂︵大正一五年︶、﹁産業経営理論﹂︵昭和二年︶及び 増地庸治郎著﹁経営経済学序論﹂︵大正一五年︶を以て新時代に黙ったといってよいであろう。それはまことに基礎づけの 鍛階または達設者の時代というにふさわしく、それ以来経営学を専攻する多数の学者が輩出、それぞれの立場から経営学 の基礎づけを試み、激しい方法論争も行われ、ドイツにおける私経済学論争と名づけられるを常とする第一次方法論争及         び第二次方法論争の時代にも比すべき時代を現出したのであった。いま、この時代の模様を詳説する余裕はないが、当時 の主要な著書や雑誌論文を丹念に読むならば、この時代が如何に華やかなものであったかを理解し得るであろう。それは ともかく、この時代の中心問題を見れば、それは前の段階で上田博士が解決すべくして解決されなかった問題iいわば 経営学の自律性の問題iであったということが出来るであろう。当時においては経営学の問題は経済学に対する限界づ けの問題及び経営学の方法論的構造の問題の観を呈していたのである。それを経営学の空廻りとし、無駄骨折りと批評す るものもなかった訳ではない。けれども、それは一部の短見者の見方であって、学問の発展の一定の段階にはそれも必要      馬場敬治博士とわが国の経営学      五

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     馬場敬治博士とわが国の経営学       六        であり、新しい展開の基礎として役立つことを見落してはならない。事実、わが国の経営学の理論的基礎づけは主として この時代におかれ、今日の発展の土台となっているのである。  さて、然らば、上田博士が解決すべくして解決されなかった問題i経営学の自律性の問題1は如何に解決されたか、 少くとも解決すべく努力されたか。もちろん、そこにはいくつかの解決の道が見出される訳であるが、それをめぐっていセ くつかの学説が形成せられることとなるのである。そして、いっか述べたように、わが国の経営学は外国特にドイツ経営 学の﹁縮図﹂ともいうべく、諸説の対立を見せ、詳細に見れば一人一説ともいわれるのであるが、上述の経営学の自律性 という、見地から見れば、幾つかの主要学説に纒め得るであろう。先ず、第一にあぐべきは⊥田博士の直系たる黒地庸治郎    ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ       博士の経営経済学説である。寸地博士は上田博士のいわば独自の経営学説を主としてドイツ経営学を以て深化拡充し、こ れを文字通り経営経済学としてその自律性を基礎づけるのみならず、企業形態論、経営財務論、経営労務論︵賃銀論︶、そ の他実証的研究によって経営経済学の内容を体系化し、以てわが国における経営経済学説の伝統  いわば商大系経営学 派の伝統1を築き、今日に至るまでその影響を見せている。増益博士によれば、 ﹁経営経済学は生産経済の経営経済的        観察を任務とする独立の科学である﹂が、果してこのような規定によって、経営経済学が経営経済学として真に独立性を         もち、自律性を示し得るかどうか。もし、経営学が経営経済学として経済学に接近すれば、むしろその自律性は薄らぎ、 或いは失われるのではあるまいか。この傾向を端的に示して、上田博士の見解への接近を表明するものは、池内信行博士の ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ     経営経済学説であり、更にこれを極端にまで突き進め、経営学の.自律性を明瞭に否定するに至るものが、中西寅雄博士の ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ        経営経済学説︵旧説︶  いわば帝大系経営学派の一iであった。この中西学説はマルクシズムに立脚し、経営学を理         論経済学の一部門とし、その自律性を否定せる点に特色を示し、その後何べんかの批判によって新展開を見せているが、       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ とにかくマルクス経営学説すなわち個別資本学説という独特な学説の端緒をなしているのである。これについては別な機

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会に研究したい。  以上の諸学説は、上田博士が本来経営学を企図しながら、その基礎づけをなし得ず、止むを得ず復帰せざる得なかった 経済学への方向へ向うものであり、ただ異るのは自律性の根拠の理解であった。しかし、上田博士が企画しながら断念さ れた道は遂に不可能であろうか。換言すれば、経営経済学ではなく正に文字通り経営学の道は遂に不可能であろうか。経 営学の自律性は経営経済学の自律性の問題とすりかえられてはならないのである。経営経済学の自律性はそれが経済学に 徹底すれば当然否定さるべき運命にあるからである。それ故に、この経営学の道こそ特に探求に値するといわねばならな         い。この道もその後いろいろな学者によってさまざまに説かれ、種々の学説を区別し得るのであるが、時期的に最も早い       ヘ  ヘ  ヘ  へ だけではなく、理論的に最も深い根拠から説くのが馬場敬治博士の経営学説一帝大系経営学派の一  に外ならない。 われわれは、いろいろな対立や抗争を越えて、土田博士の為すべくして成し得ずに遺された道−経営学への道  を拓 かれたところに馬場博士のわが国経営学史上に占める地位を見、また馬場博士の経営学説の意義を見出し得るQで・あるコ 馬場博士は上田博士とのこめような関係を意識しておられないだけではなく、むしろその対抗者であり、批判者であるの は明らかである施、しかし以上述べたわが国経営学発展の内的関連からすれば、上田博士が既に古く企図しながら実現し 得なかった経営学の道を受け継ぐものは、増地博士ではなくしてむしろ馬場博士であるということが出来るのであるまい か。馬場博士自身は恐らくこのような立言を承認されないであろう。けれども、もしわが国の経営学の歴史の流れという 観点から内的関連を見るならば経営学説こそが正流であり、これを基礎づけるために努ヵされる馬場博士の経営学説こそ 却って圭田博士の伝統に立ち、しかもこれを越えるものともいえるであろう。  3批判者の時代 更に考えるに、増地博士は不幸にして.今次大戦の.犠牲となられ、戦後の経営学の隆盛と発展を見るこ とが出来な.かったが、馬場博士は戦後の新しい黒髭、われわれが発展の毅階または批判者の時代と名づける決定的時期に、      馬場敬治博士とわが国の経営学      七

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      馬場敬治博士とわが国の経営学      八 特に経営学批判において指導的役割を果され、経営学特に理論的経営学の自律性の基礎を明確にし、新時代にふさわしい 新しい学説を展.開されたのであった。馬場博士は過去四十年、間終始一貫経営学の理論的基礎確立のために努力せられ.たの であった。その歩みがわが国経営学の歴史をなすという所以である。われわれはわが国の経営学史における馬場博士のユ ニークな地位とその学説の重要さを認めねばならないと思う。馬場博士はその一生を通じ、偏.狭とも見ら.れるまで.に厳密    ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  へ な﹁科学.としての経営学﹂、﹁理論的経営学﹂に執着し、他の見解や学説に対しては仮借なき批判者であり、科学的精神の 権化であった。孤高を堅持してひたすら科学としての経営学の自律性の根拠を追求し、これを確立されたのであった。し かしこの見解は必ずしも理解されず、承認されることも少なかったが、学問の道は多数決の道ではないのであり、受け容 れられることが少いからとて、それだけで一つの学説の価値を判断することは出来ないのである。われわれは馬場博士の 入事を偲び、わが国経営学史に.おけるその独自の地位を認めると共にその学説の意義を高く評価せねばならないと.思う。 ①拙稿、わが国経営学の特性について、PR、一〇ノニ、拙著、経営学本質論、一六七頁以下参照。 ②わが国の経営学史の研究は重要な課題であり、断片的には種々の研究もあるが、統一的に纒めようと努力したものとしては坂本藤良氏﹁目本におけ  る経営学の生成と系譜、﹁PR、六ノ八、一一、一二、︵同氏著﹁経営学史﹂牧鎌︶位なものであろう。もちろん、ここでの時代別は筆者のものであっ  て、われわれも何かの形で試みたいと思う。 ③佐々木吉郎、上田博士と我が国経営経済学の発達︵上田貞次郎博士記念論文軍国一巻、経営経済の諸問題、所牧︶酋四頁。 ④平井泰太郎、上県貞次郎博士の我が国経営学における地位、神戸大学創立五十周年記念論文集、古川栄一、日本の経営学説、有斐閣・現代経営学基  礎構座第五巻など参照。 ⑤拙著、経営学本質論、三四頁以下参照。 ⑥これについては拙署、経営学本質論、二一頁以下参照。 ⑦亀井辰雄、増地博士の人となりと学説、PR八ノ四、古川栄一、上掲論文、目本の経営学説、参照。 ⑧増地庸治郎、経営要論、商工経営論、.参照。 ⑨もし可能とすれば、その根拠は経営経済の経済性ではなく経営性にある。いな、経済性は内面的にはむしろ経営性であるといわねばならない。拙著、

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 経営学本質論、二穴一頁 以下参照伊 ⑩池内信行、経済本質論と経営経済学の問題︵上田貞次郎博士記念論文集第一巻写経営経済の諸問題︶、嬉嬉、現代経営理論の反省“なお用命、経済  学、組織学と経営学、PR、六ノ九、参照。 ⑲中西寅雄、経営経済学、はいわば旧説であって、その後二十数年の研究の結果到達せられた新説については画稿、経営学の回顧と発展、PR、九ノ  三、参照。なお、この中西学説は、当時わが国におけるマルクシズムの興隆を背景とするもので、商大系経営学に対する帝大系経営学のレジスタンス  またはプロテストとも見られよう。 ⑫ 岩尾裕純、マルクス主義経営学派、有斐閣・現代経営学基礎構座第五巻、参照。 ⑬経営経済学説に対して経営学説を堅持する人としては平井博士、村本教授、小島博士、馬場︵敬︶博士などがあり、その論、拠はいろいろ異り、経営  経済学説に近いものから対立するものまである。この点拙稿、経営学か経営経済学か、PR、五ノ九、参照。 ⑭ 馬場学説と中西学説とは根本的に異るが、しかし他面において商大系経営学に対するレジスタンスというか、批判者というか、とにかくこの系統の  経営学に対抗する経営学の基礎づけの努力たる点においては同じといえよう。そのような対抗意識を、馬場敬治、、経営方法論に見出すであろう。 三 馬場博士の業績  1業績の概観 われわれは以上において馬場博士のわが国の経営学及び学史における地位と意義について一応の考察 を試みたが、それは勿論単に研究歴が古いとか長いとかによるのではない。その正流また正統を受けて立つ独創的な学説 を展開する業績の価値によるのである。馬場博士の経営学説は根本において組織学説であり、組織学的経営学説である点 において特色を示し、世界にも類例のない独創的な学説であるが、その点は後の問題とし、ただ経営学説と見てもまた特 色をもう。上述のように、目地庸治郎博士は﹁経営経済学序論﹂を以て経営経済学のわが国の先駆者となられ、この伝統 に立つものは意識的に経営経済学説を称え、経営学という言葉を使うにしても経営経済学の略称とするを常とする。これ に対して、馬場博士は終始一貫経営学説を主張して来られたからである。もちろん、馬場博士も最初は名称の問題は.余り 重要ではなく、内容こそ概念こそ重要であるとされ、経営学、産業経営学または経営経済学というように括孤付きで用い       馬場敬治博士とわが国の経営学       九

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     馬場敬治博士とわが国の経営学      一〇         られた時もあるけれども、経営学説が確立せられるにつれて経営学を経営経済学とは異るもめとして使用されたのであっ た。今日経営経済学の代りに経営学なる名称を用いる人が多いから、.経営経済学説と経営学説との区別も大して重.要でな いと考えられるかも知れないが、経営学方法論や経営学本質論からすれば、極めて重要な論点の︸つをなすのである。こ の点を理解するならば、馬場博士の経営学説の意義もまた理解されるであろう。このことを念頭におきながら、先ず馬場 博士の業績について考究しよう。  馬場博士の古い雑誌、論文は殆んどすべて以下に掲げる十二冊の著書に纒められているので、それ以後の新しい雑誌論文 を著書に続けて順番にあげることにする。われわれが馬場博士の業績を見る場合、心を打たれるのは馬場博士が経営学の 基礎づけのために打ち込まれた熱意と気魂の異常さである。私の場合などを考えて見れば、経営学を専攻するようになっ たのは必然といえば必然といえないこともないけれども、干る意味ではむしろ偶然であったようにも感ずるのであるが、 馬場博士においてはすでに高等学校の時代に志を立て、工業経済学や工業経営学への進路を決断、この計画に従って先ず 工学部電気科に進み、次いで経済学部に進まれ、やがて専門の経営学者として経営学の科学としての確立に一生を捧げら         れたのであった。この意味で、私は前に馬場博士を﹁経営学の使徒﹂とも書いたのであった。このような偉大な先覚者を もち得たことはわが国の経営学にとり幸いであったといわねばならない。先ず、博士の業績を列挙して見よう。       四月 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ 産業経営の職能と其の分化 産業経営理論 経営学方法論 経営学研究 技術と経済 経営学の基礎的諸問題 大鐙 閣 日本評論社 日本評論社 森山書店 日本評論社 日本評論社 大正 五年 昭和 二年一二月 昭和 六年 三月

昭和七年=月

昭和八年六月

昭和九年七月

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︵7︶ ︵8︶ ︵9︶ ︵10︶ ︵11︶ ︵12︶ ︵13︶ ︵14︶ ︵15︶ ︵16︶ ︵17︶ ︵18︶ ︵19︶ ︵20︶ ︵21︶ ︵22︶ 技術と社会︵第一巻︶ 化学工業経済論 組識と技術の問題 組織の基本的性質︵組織と技術第一冊︶ 組織の調整力と其の諸理念型︵組織と技術第二冊︶ 経営学と人聞組織の問題 人問組織の研究に於ける向後の展開の為に 経営学の中心内容としての組織理論に就いて 経営学の方法論的性格と其の中心理論の展開 経営学の到達点と向後の進路 理論経営学及び経営政策論の主内容に就いて バーナードの組織理論と其の批判︵上︶ 本格的なる経営学の月日を望めて 経営者問題と其の重要性 経営組織改革の中核たる分権化に就いて 経営学の動向   経営学全集のうち﹁経営学基礎理論﹂、 日本評論社

共立社

日本評論社 日本評論社 日本評論社

有斐閣

  PR五ノ七   PR六ノ七  PR六ノ一〇 経済評論五ノニ   PR七ノ九   馬場敬治編集﹁経営学全集﹂第三巻       PR八ノ八          日本工業新聞       通商産業研究七ノニ ダイヤモンド社現代体系経営学辞典     ﹁組織理論﹂、﹁経営学方法論概説﹂ 昭和一一年一二月 昭和一三年一一月 昭和一六年 二月 昭和一六年一二月 昭和二三年 一月 昭和二九年 一月  この外に、 が、どこまでできているか確かめる由もないけれども、以上にあげた諸論文特に最後の﹁経営学の動向﹂ と思われる。その他に編著・辞書寄稿もあるようであるが、ここでは経営学関係に限定する。 昭和二九年 七月 昭和三〇年 七月 昭和三〇年一〇月 昭和三一年 二月 昭和三一年 九月 昭和三一年一一月 昭和一コニ年 八月、 昭和三三﹁年二月二八日−三月]○日 昭和三四年 四月 昭和三六年 五月︵抜刷︶ の巻を執筆予定で、前二者の準備中と聞いていた         からでもその内容を窺知し得る 2業績と学説 以上の業績を通観すれば、先に述べたわが国の経営学の発展穀類に対応して博士の業績も三期、或い は見方によって二期に区別し得るようである。すなわち、第一の創始期から第一 る。便宜上前二者を一々めにして基礎づけ期と見れば、これにつづく発展期璽       馬場敬治博士とわが国の経営学 一の建設期を経て第三の発展期がこれであ 一期となるであろう。何れにせよ、博士の        二

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     馬揚敬治博士とわが国の経営学  ﹁      一二 活動はわが国経営学が創始期から建設期に転向する時代に始まり、建設期、発展期の基底を形成することに努力せられた のであった。業績に即していえば、著書︵1︶と︵2︶によって馬場博士の経営学説の骨格というか、津β。唇①≦o時とい うか、どにかく・﹁産業経営学﹂ないし﹁経営学﹂の構想が窺われる。それ以後の努力は、経営学の内容の吟味1︵1︶ ︵2︶︵4︶︵6︶ーーと経営学の方法鍛練!1︵2︶︵3︶︵4︶︵6︶1により、経営学,の基本的諸問題﹁価値の流れ﹂ と﹁組織の問題﹂の統一原理の探求であったといえるであろう。その統一原理として、先ず﹁計算価格﹂或いは﹁経営価 値﹂1︵6︶iを考え、更に﹁組織理論﹂1︵10︶︵11︶−に進み、かくて最後に﹁組織学﹂としての﹁経営学﹂   ︵12︶1に到達されたのである。この間経営学の内容の面においては隣接科学をも広く渉猟してこれを豊富ならし め、その方法の面においてはリッケルト、マックス・ウエーバー、アモンの科学論から現象学的、存在論的思考に進まれ、 かくて︵12︶に至って馬場学説も一応の完結を見ることとなる。それ以後の諸論文はこれを更に展開し、拡充し、深化せ んとするものであり、最後の論文︵22︶は馬場博士の経営学σ全貌−理論、歴史、政策  を簡潔に示すものである。  3業績の評価 以上馬場博士の業績を馬場学説の発展段階という点から概観じたが、もう一歩踏み込んでこれを世界 の経営学史ないし比較経営学の観点から見れば、次の如くいうことも出来るであろう。馬場博士は著書︵1︶によってい わゆる科学的管理法を基礎とするアメリカ経営学の批判的研究を試み、科学としての﹁産業経営学﹂を構想、やがて著書 ︵2︶を通してドイツ経営学1いわゆる経営経済学   の批判的研究によるこの構想の深化と拡充を企画され、著書 ︵3︶以降によつで方法論.的考察を進め遂に著書︵12︶を以て世界において独自の﹁組織学説﹂を樹立、理論経営学をこ こから基礎づけて、経営をめぐる諸研究∼諸学説を集大成せんとされたのである。この意味にて、馬場博士の経営学説は アメリカ経営学とドイツ経営学の批判による統一、すなわち比較経営学研究を通じての理論経営学の新形成であるといわ ねばならない。筆者は馬場博士と必ずしも同じ方法論的見地に立つものではないが、ドイツ経営学とアメリカ経営学との

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髭判的摂取によって実践理論科学としての経営学の可能性を説ぐ点においては同様であり、馬場博士の業績の意義を理解        すると共にその苦、心の程も察せられるのである。  改めて説ぐまでもなく、何事においても始めが大切である。出発点が決定的である。馬場博士の経営学的研究において もこのことがいえると思う。馬場博士がアメリカ経営学から出発ドー︵1︶ードイツ経営学を通り一︵2︶ ︵4︶ ︵ a︶一再びアメリカ経営学に帰り一︵11︶ ︵12︶1 遂に﹁組織学説﹂を完成せられた。出発点の﹂太切な.ことぽ、例 えば経営の理解にしても、ドイツのゆΦ辞δケから出発するか、アメリカのδ。・奏σqΦ匿Φ三から出発するかによって決定的 な相違を見せるからである。この点特に注意したい。この点から、 ﹁産業経営の職能と其の分化﹂における科学としての        ﹁産業経営学﹂の構想を見れば、その主要問題として次の九項目があげられている。ω産業経営における分化の過程、 回産、業職能論、の産業経営学の対象、目組織論、㈱生産管理論、囚労働管理論、㈲配給管理論、㈱財務管理論。  右のうち㈲と.回が著書︵1︶の内容をなすもので、他はその後の研究によってほぼこのプランに従って実現された こと上述の如くである。﹁それにしても、最初経営学を米英における、GD9①昌80臨]≦。。顕σqΦ日Φ巨に対する言葉として用い ながらそのもつ実用的、政策的、倫理的性格から純化して理論科学たらしめようとされた燗眼は当時としては驚くべきこ      とであ・る﹂といわねばならない。いうまでもなく、研究の進展、研究領域の拡大と深化につれて右のプランは改められ、 新しい体系が樹立され、学説に結実するのであるが、それは上に掲げた業績やこれまでの解説によって知ることが出来る であろう。いまや、われわれぽ外面的な業績の考察から内面的な学説の考察に進みそのユニークな学説の解明に努めねば ならない。  ①.馬場敬治、、経営学方法論、一吋三〇頁参照。  ②拙稿、経営学か経営経済学か、PR、五ノ九参照。  ③馬腸敬治、経営学の基礎的諸問題、序三頁以下、山本・高宮・藻利編、組織論研究、三九三頁参照。      馬場敬治博士とわが圏の経営学      二二

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  馬場敢治博士とわが国の経営学 拙著、経営管理論及び経営学本質論、参照。 馬場敬治、産業経営の職能と其の分化、序五一六頁参照。 拙稿、経済学、組織学と経営学、PR、六ノ九、二一頁参照。 一眠 四馬場博士の経営学説  1経営学と自律性の問題 これまでその業績を通して見たように、馬場博士の学説はその科学論において、方法論にお いて、また体系論においていろいろ変化し明確な発展段階を見せているので、これを要約することは困難である。しかし それにも拘らず、博士の努力を一貫するものが経営学の自律性の根拠を明らかにすること、いわゆる経営学の基礎づけに あったことは明白であり、われわれは博士の学説をその発展の最後の段階をなし最も完成された形の組織学的経営学説に 見出す外はないと思う。  そこで、先ず、経営学という名称であるが、博士においては、⊥述の如く、単なる経営経済学の別名ではなく、文字通 り独立の科学としての経営学である。更に、博士は経営学の政策学としての可能性も認められるが、その基礎として要求 される理論学の先行性を高調、理論的経営学の自律性の根拠を追求、組織学説に到達されたのである。とにかく、自律性 の問題の無視され、或いは軽視されがちなときだけに、最初の出発点からこの問題を高く掲げて首尾一貫これを追求、一        応解決されたところにわれわれは博士の学説の偉大さを見なければならい。そこで、われわれは何よりも先ず経営学の自 律性の問題から考察しよう。改めて説くまでもなく、独立の科学は独立の基本問題、独立の認識対象をもち、独立の基礎 理論を展開するものでなければならない。従って、 ﹁経営学が諸社会科学の中に伍してh其の独自の名称にふさわしく、 名実共に一つの社会科学の一部門ないしは各論に非ざる内容を持つ理論を、其の中心理論として呈示する所が無ければな

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  ② らぬ。L然るに、﹁従来内外に於ける一般経営学の書物を通観して特に感ずることは其の殆んど全部に於いて、中心となる 理論に甚だ乏しい事である。⋮:・偶々、中心理論らしいものをもつ一部の経営学書に於いても、其の中心理論の内容は、 本来、経済学の一部門たる生産論等に属する内容のものであり、これでは、単に経済学の一部門乃至は其の各論としか見 られず、これで、経済学と名称を異にする経営学を誇称することは首肯し難い所である。仮令、この方面の理論を、普通 の経済学書に於けるよりも細目に亘り詳細に展開したとしても、所詮、それが経済学の一部冊乃至各論たることには変り          はないのである。﹂もちろん、﹁経営学を唯単に経営の経済学たるべしとの主張に、全然意義を認めないと云うのではない.         が、此の主張は、内外学界の現実の進展に少しく目を蔽う嫌いがあるように感ぜられる。﹂  然らば、このような経営学の自律性に根拠を与える中心理論とは如何なるものであるか。上述の如く、博士が過去四十 年、倦まず弛まず続けられた﹁研究の結果を一言にして言えば、筆者が謂う意味での組織理論である。但し、経営学の研 究対象は、固より組織一般ではなくして経営組織であるから﹂博士においては﹁経営学は、経営組織の組織論的研究を 行う科学であって、組織論は経営学の一部門などと云うべきものではなく、経営組織という組織の組織論的研究が、即ち         ⑥       ⑦ 経営学なのである。﹂経営学は﹁経営組織の組織理論﹂である。  2経営学の自律性と組織学 右の如く、経営学が経営組織の組織理論として確立せられ、そこに自律性の基礎があると するならば、これがためには何よりも組織学そのものの確立が問題とならなければならない。いわゆる﹁組織の問題﹂が ﹁価値の流れの問題﹂と共に経営学の基本問題であることは、博士の経営学研究の出発点において明らかにせられたとこ ろである。しかしそれらは統一的に把握さるべく、この方向へ研究の進むにつれて組織問題の中心的重要性が明らかとな り、.単なる一基本問題というべきものでなく、一切の経営問題を統一する中心理論たるべきことが展開されるに至ったの である。そこに始めてわれわれは馬場博士の経営学説の完成を見ることとなるのである。馬場博士の経営学説は組織学を      馬場敬治博士とわが国の経営学      一五

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     馬場敬治博士とわが国の経営学      一六 自律性の基礎にもっことによって、経営学の世界においてユニークな地位と意義をもつのである。馬場博士の経営学説は わが国において特異の存在であるばかりでなく、世界の経営学界においても同様であることは否定出来ない。  博士の組織学がどのように展開され、どのようなものであるかは、小論にて取扱うことは不可能で、各自の研究に侠つ 外ばないが、博士自ら要約されるところは次の如くである。 ﹁筆者は、予てより、経営学をその対象のもつ性質にふさわ しき内容の学問たらしむることを念願し、之が実現の仕事に参加し得んが為に微力を傾注し、此の努力の結果として自ら 後に云 うが如き意味の組織学の構想に到達したのであり、筆者の見るところを以てすれば、経営学は此の意味の組織学と              ズ 極めて密接な関係にあるものである。﹂      ・、、−  ところで、このような﹁組織学  人間組織の理論1の名は尚新しく、之が体系的叙述は、学界における今後の研究        に倹つ.べき所尚多いものではあるが、さりとて一部の人々の想像す.る如く全然未発達の状態に在るものではない。﹂﹁組織 の問題ぽ⋮⋮之を既存の諸科学に関連せしめて言えば、経営学、組織学、社会学、社会心理学、政治学、行政学等の諸方         面よゆ研究されているのであるq﹂﹁唯既往に於いては、之等諸方面の研究を通観し、真に之を綜合する仕事が、尚殆んど 果されて居ないのであり、而して、かかる意味の綜合の仕事が完成するには、其の中枢部分として、何としても、組織に 関する一般的基礎理論の発達が必要なのであって、恐らく此の仕事が特に組織の問題に関する今後の研究として最も重要           視毒るべきであろう﹂とし、自らバーナード・サイモン理論を批判的に摂取することによって、組織学確立への努力を         されたこと上述の通りである。かくて﹁若し、此の方面の研究が次第に発達し、之が経営学に摂取されるに至る時には、 経・営学は、一方に、国民﹁経済学、他方に、社会学︵及び社会心理学︶と密接な関連を持ち、斯くで、経営学は少くとも、右        の両科学を左右に踏まえて、今目のそれより充実した内客のものとなり得ることは逆賭ずるに難くない覧とさ湘ているの である。

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 3﹂経営学とその体系 以上の如くして、博士において経営学は組織学に基礎をもち、 ﹁経営組織の組織理論﹂として特 殊組織学の一をなすのである。経営学の対象たる経営組織は﹁行政組織、政治組織、宗教組織、軍事組織、研究組織、教        育組織、その他の組織﹂と同様に一般組織の特殊形態であるからである。このようにして博士の経営学は組織学的経営学 と呼ばるべきものである。ところで、その経営学は、恰も博士の組織学が従来の組織研究の ヨ↓2集ω9℃嵩づ⇔q⇔署同。⇔oげ による原理的綜合であったように、従来の経営組織研究の 一高無勢ω9で出葛q巷℃H8。げによる原理的綜合において現成す         るのである。これが博士がその﹁現成を覚め﹂られる﹁本格的なる経営学﹂なのである。  しかしながら、このような綜合は如何にして可能であろうか。博士の学説に対する殆んどすべての批判がここに向けら        れるのも当然であろう。もちろん、綜合とは現にあるものを寄せ集めることではない。それは分析されたものが同一性原 理によって選択され、中心理論を以て統一せられることである。そしてこの中心理論が、博士においては﹁組織理論﹂で あること繰返し述べたところである。ところで、このような経営学の学的構造は実は経営ないし経営組織という経営学の 対象の現実に基礎をもつのである。博士はいわれる。﹁⋮⋮斯かる綜合的研究の可能性は、云うまでもなく、根本的には 経.営学の対象たる現実において、上記︵筆者注  ここでは下記︶の諸側面が密接に関連していると云う事実に依って支え られて居るものである。即ち、此の事実は、経営学の対象たる現実の持つ性質であり、従って、上記の諸側面を相関連せ         しめて考察することは、本来、斯学の対象の持つ性質にふさわしい取扱い方なのである。﹂このような考え方が、博士の 初期の方法論と如何に異るか明らかであろう。博士の科学論、方法論が初め新カント派のリッケルト的であり、マックス ・ウエーバー、アモン的であったものが、やがて現象学的となり、遂に存在論的となったのであった。博士における現象 学的から存在論的への発展が如何に行われたかは知る由もないが、とにかくいわゆる認識論的立場から存在論的立場への 転換は明らかであり、かかる転換によって、経営ないし経営組織の﹁現実﹂への接近が可能となり、﹁本.絡的なる経営学﹂      馬場敬治博士とわが国の経営学      一七

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     馬場敬治博士とわが国の経営学      一八         への構想も可能となったといわねばならない。私は既に古くこのことを主張して来ただけに、博士のかかる一大転換を見 てわが学界のために喜びに堪えなかったのである。  それでは、博士の﹁本格的なる経営学﹂は如何なる内容をもち、どのような体系をなすか。それは次の如き経営理論の       ⑲ 五つの理念型からなるものである。   ︵1︶﹁仕事の組織﹂︵又は組織活動︶の経営学。これは、経営学の中心対象たる経営組織の持つ諸側面の中、此の組織に於ける組織活 動の側面を中心対象とし、これを或る程度に把握したもので、大体においてバーナードのフォーマル・オーガニゼイションを中心対象と する研究である。   ︵2︶ ﹁価値の流れ﹂の経営学。これは﹁価値の流れ﹂一般の研究を意味するものではなく、経営組織における﹁価値の流れ﹂の研究 をさす。これには、②経済学上の理論に基づく価値の流れの理論、㈲会計学的色彩をもつ価値の流れの理論、⑥組織論的色彩をもつ価値 の流れの理論が区別される。   ︵3︶ ﹁組織に於ける人間関係﹂の経営学。これは経営組織における人聞関係を中心対象とし、これを或る程度把握した研究を指す。 なお、ここに﹁人間関係﹂とは単にインフォーマルな人間関係のみならす、フォーマルな人間関係も含む。   ︵4︶ ﹁技術と経営︹の経営学。これは経営組織において用いられる技術︵機械、装置、施設などの技術的手段︶と密接な関係をもつとこ ろの、経営組織内部の社会科学的事象と、これらの技術との間の関連を中心対象とし、これを或る程度に把握したものである。これは、 ㈲﹁技術と価値の流れ﹂の経営学、㈲﹁技術と仕事の組織﹂または﹁技術と組織活動﹂の経営学、◎﹁技術と人間関係﹂の経営学という 三種の理念型に細分される。   ︵5︶﹁経営と社会﹂の経営学。これは経営組織を中心として、これをその社会的環境との関連を中心対象として考察し、これを或る 程度に把握せる研究である。これはこれまでと同様に②﹁経営︵組織︶と市場﹂の経営学、㈲﹁経営︵組織︶と国家﹂の経営学、㈲﹁経 営︵組織︶と労働組合﹂の経営学、㈲﹁経営︵組織︶と文化﹂の経営学などに細分せられ得るのである。  ところで、以上五種の理念型経営学を見るに、同じく組織理論とはいってもそこには明らかに区別が見られるであろう。 そこで博士は︵1︶と︵3︶との綜合的研究を﹁狭義の組織理論﹂と名づけ、これを中核として上記の五者を綜合したも

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のを﹁広義の組織理論﹂と名づけるのである。 論であること・はいうまでもなかろう。そして、        ⑳ の機会に述べた通りである。 @@@@ @・’ @@@@ @’ @@@@o そして博士が、本格的なる経.営学しと.いわれるものが、この広義の組織理、 ここまで来れば経営学や経営組織.論についての私見とそう遠くないこと.別 拙著、経営本質論、 一八︸頁、二〇五頁、二四六頁以下参照。 馬場敬治、経営学の中心内容としての組織理論について、PR、六ノ七、七頁。 上掲論文、七頁。 ④上掲論文、一二頁。 ⑤上掲論文、七頁。 人.問.組織の研究に於ける向後の展開の為に、PR、五ノ七、六頁。 上掲論文、PR、六ノ七、六頁。 馬場敬治、経営学と人間組織の問題、三二四.頁。 上掲書、三二七頁。 ⑩上掲書、三二七−三二入頁。 ⑭上掲書、三三三頁。     も 上掲書及びバーナードの組織理論と其の批判︵上︶、経営学全集第三巻所牧論文、参照。 上掲書、三三三頁。  ⑭ 上掲論文、PR㍉六ノ七、六頁。 馬場敬治、本格的なる経営学の現成を覚めて、PR、八ノ八、 酒井正三郎、経営学はいかに転換すべきか、PR、七ノ一二、池内信行、現代経営理論の反省、参照。 馬場敬治、経営学と.人間.組織の問題、序文、.三頁。 拙著、公社企業と現.代経営学、参照。 これについては馬場.博士がPR誌上にて繰返し論じられたが、ここではPR八ノ八の論述による。 拙稿馬経営組織概念と組織の論理、本誌五三号、参照。 五 結 口  以上、紙数の制限もあって組織学の内容には立ち人り出来なかったが、 であり、どのような意味をもつかを明らかにし得たのではないか.と思う。       馬場敬治博士とわが国の経営学 ともかく馬場博士の経営学説がどのようなもの 繰返し述べたように、今日経営学という名称が       一九

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     馬場敬治博士とわが国の経営学      二〇 普及して、実は経営学でないものまで経営学と呼ばれるから、真の経営学説の意義もとかく忘られがちであり、それだけ にわれわれは、馬場博士の経営学説を高く評価せねばならないのである。この点何度高調してもしすぎるということはな い。もちろん如何なる学説も結局は自分の理解し得る以上には理解出来ないのであるから、果して以上が馬場学説を真に 理解し得たものかどうか、あやしいものである。何れ馬場学説をよりょく理解する人が、更に徹底した研究を行われるこ とを期待するものである。  さて、馬場学説の内容であるが、この学説に慣れないものは或いは奇異に感ずるかも知れない。しかしよく貯えてる見         と、われわれが経営学の内容と考えているところも、﹁経営組織の組織理論﹂ に外ならないともいえるであろう。また、,         誰が考えても、馬場博士の組織概念を理解する限り、経営学は組織学説に帰着する外はないであろう。けだし、組織学説 は単に経営諸学説の論理的綜合を示すだけではなく、経営の現実を根本的に統一的に把握するものであるからである。問         題は経営と組織との関係を如何に見るかにある。私が組織学説をそのまま承認出来なかったのも一にこの点にかかる。私         はよく.﹁経営の論理﹂とか﹁組織の論理﹂とかいうが、前者は博士の﹁広義の組織理論﹂に当り、後者は﹁狭義の組織理 論﹂に当るものである。更に、私は行為的主体存在の論理とか﹁作られたるものが作るものを作る﹂とかいうが、それは 結局博士の広い意味での組織理論に外ならないとも見られよう。経営も組織としては道具性をもつと共に主体性をもち、 環境性をもつからである。経営過程を﹁経営の自己形成の過程﹂と見るのも、博士の生産活動という﹁組織活動の体系﹂ つまり﹁組織﹂の過程に具ならない。博士においては、経営は組織であり、経営組織が経営に外ならないのである。私 は経営の全体性や統一性を組織において考え、経営組織を経営の﹁契機と見るのである。また私は経営の全構造を経営過         程と経営職能との統一を示す図によって表現するが、これも見方によっては﹁経営組織﹂そのも、のともいえよう。私見と 馬場博士との見解の湘違は結局認諾と組織との関係を如何に見るか、経営学と経営組織論とをどのように考えるかの相違

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にすぎない。この点極めて重大ではあるが、このことさえ理解すれば、言葉にこだわる必要はない。こう考えれば、われ われの経営学は組織学の外にある積りで、実は組織学の中にいたともいえるのである。われわれは組織学の形式性を恐れ て、その実質性を忘れていたのである。われわれは経営の現実を統一的に把握せんとする組織学説を理解すると共にその 限界を明確にせねばならない。われわれは組織学説を更に深く学びながら、どこまでも経営学の道を歩み、その確立のた めに微力を尽さねばならないと思う。それが馬場博士のわが国の経営学界に課せられた世界史的課題に応える道であると いわねばならない。 ①拙著、経営学本質論、二九二頁以下参照。内容的には馬場学説と大差はない。 ②馬場敬治、組織の基本的性質、その他参照。 ③馬場博士の組織学的経営学説に対する批評は専らこの点に関する。拙稿、組織学と経営学、  営組織概念と組織の論理、本誌五三号参照。 ④拙著、経営学本質論、一七六頁、二九〇頁、参照。 ⑤拙稿、経営組織概念と組織の論理、参照。 ⑥拙著、経営学本質論、二三九頁、参照。 本誌三〇号、経営学的組織概念の発展、本誌三七号、経 ’ 馬場敬治博士とわが国の経営学 二.一

参照

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