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書評 : 荒武賢一朗、太田光俊、木下光生編『日本史学のフロンティア1 -歴史の時空を問い直す』法政大学出版局、2015年1月、292頁 荒武賢一朗、太田光俊、木下光生編『日本史学のフロンティア2 -列島の社会を問い直す』法政大学出版局、2015年2月、318頁

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史学のフロンティア1 -歴史の時空を問い直す』法

政大学出版局、2015年1月、292頁 荒武賢一朗、太

田光俊、木下光生編『日本史学のフロンティア2

-列島の社会を問い直す』法政大学出版局、2015年2

月、318頁

著者

麻生 伸一

雑誌名

東北アジア研究

20

ページ

175-184

発行年

2016-02-29

URL

http://hdl.handle.net/10097/62986

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 『日本史学のフロンティア 1』『日本史学のフロンティア 2』(以下、二冊含めて本書と記す)は、 荒武賢一朗・太田光俊・木下光生の三氏が十年以上にわたって精力的に活動されてきた「近世史 サマーフォーラム」および「近世史フォーラム」の成果のひとつである。  全体は二冊四部構成となっている。第一巻第一部「時代区分の変革」、第二部「日本から広が る世界」、第二巻第一部「社会秩序の構築」、第二部「生業と資源活用」とに大別されており、そ れぞれに三から五篇、合計十六篇の論文が収録されている。その内容が広範囲にわたることを明 示するため、まずは全体の目次を掲載したい。 *沖縄県立芸術大学講師

《書評》



荒武賢一朗、太田光俊、木下光生編『日本史学の

フロンティア 1 -歴史の時空を問い直す』

法政大学出版局、2015 年 1 月、292 頁

荒武賢一朗、太田光俊、木下光生編『日本史学の

フロンティア 2 -列島の社会を問い直す』

法政大学出版局、2015 年 2 月、318 頁

麻生 伸一*

Book Review: ARATAKE Ken’ichiro, OOTA Mitsutoshi, KINOSHITA Mitsuo eds.,

The Frontiers of Japanese History: Questioning again on the Space-time in

Historiog-raphy, Tokyo: HoseidaigakuShuppankyoku, 2015, ARATAKE Ken’ichiro, OOTA

Mitsutoshi, KINOSHITA Mitsuo eds., The Frontiers of Japanese History: Questioning

again on the Society in Arhipelago, Tokyo: HoseidaigakuShuppankyoku, 2015.

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第一巻 序章(荒武賢一朗・太田光俊・木下光生) 第一部 時代区分の変革 時代と構造論の超え方  ──日本の国家史を素材に(木下光生) 〈領主―民間〉関係論の再考  ──中世・近世の伊勢湾海運より(太田光俊) 「在来的経済発展」論の射程  ──「在来」・「近代」の二元論を超えて(谷本雅之) 「近世化」をめぐる諸問題(飯島 渉) 第二部 日本から広がる世界 前近代の外交と国家  ──国家の役割を考える(平川 新) 薩摩における海外文物の受容  ──貿易陶磁と媽祖信仰を中心に(橋口 亘) 蝦夷地のなかの「日本」の神仏  ──ウス善光寺と義経物語を中心に(菊池勇夫) 外交史研究の新視点  ──一八六八年の新潟開港問題と駐日イタリア外交官(ジュリオ・アントニオ・ベルテッリ) 第二巻 序章(荒武賢一朗・太田光俊・木下光生) 第一部 社会秩序の構築 古代中世における自然大災害と社会の転換  ──復旧・復興過程に着目した視点の提示(市村高男) 中世仏教史の〈分水嶺〉  ──ポスト「顕密体制」を探る(大田壮一郎) 〈障害者〉への眼差し  ──近世日本の人間観という観点から(高野信治) 商人と権力が交差する都市  ──近世後期の大坂を事例として(荒武賢一朗) 土地丈量からみる近世・近代の土地把握(矢野健太郎) 第二部 生業と資源利用 江戸時代における百姓生業の多様性・柔軟性と村社会(平野哲也) 近世後期における災害と資源利用

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 ──飢饉と温泉(高橋陽一) 漁業史研究と水産資源変動  ──資源保全史の再考から環境史研究へ(高橋美貴)  一見してわかるように、収録される論考は、近世日本を主軸としながらも、研究分野や時代、 地域ともに多彩である。しかし、「近世日本史」の研究を主とする編者三氏が、このような構成 で編集したのは意図的である。「序」によると研究会はもともと「日本近世史」という「自己の 学問分野の位置づけを検討し、研究の活性化を目指していた」が、「日本近世史という議論の枠 を脱するようにな」り、「近世史を出発点としながらも、古代史、中世史、近世史、近現代史と いう時代の壁を超えて、長い時間軸のなかで歴史をとらえようとしたり、日本史、歴史学を超え た学問分野間の議論方法を鍛えようと指向するようになった」(第一巻三ページ)という。まさ に「異種格闘技戦」を意識しながら研究会が進められたのであり、その成果を盛り込んだ本書の とりあつかう研究方法や論点も多岐にわたっている。そのこともあって、評者が本書の内容を的 確に紹介できるかは不安だが、まずはそれぞれの論考について、その内容を紹介し、そのうえで 本書の構想と意義を俯瞰してみたい。

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 第一巻第一部「時代区分の変革」は、従来の時代区分論の問題点を指摘しつつ、あらたな論点 を提示する。  木下光生「時代と構造論の超え方──日本の国家史を素材に」は、十三世紀から二十世紀前期 までの国家史を考える視点を示す。まず、これまで日本の国家史を通覧するとき、時代ごとに認 識や議論が断絶されていることを問題視している。そのうえで、「①政治権力内の力学(具体的 には集権と分権の関係論)、②対外危機からみた国家と社会の関係論、③民衆の政治参加からみ た政治権力と民衆の関係論」(第一巻一六ページ)を観点に日本史を見通すことを試みている。 ①では、十五から十九世紀までの集権と分権のあり方を論じる。集権と分権のせめぎ合いは中世 あるいは近世の特質ではなく、また時代の移行も構造的特質が発展、飛躍、継承するのではない とする。②では、対外的な危機がいかに「国家」意識を強化するのかについて、「元寇」、十九世 紀半ば、アジア・太平洋戦争の時期を並べて考えることで、その共通性と時代ごとの特徴が表れ るとする。③からは、十五から十九世紀における民衆の政治参加のあり方を示しつつ、それが必 ずしも政治参加へ猛進する直線的な欲求だったのではなく、一種の冷めた態度もあったことを示 す。これら三つの論点から導き出されるのは、それぞれの時代は断絶されたものではなく、共通 した歴史像も提示されているという理解である。このことから「積み重ねられてきた重要な研究 成果を、時代の枠に囚われずに、課題意識や研究視覚ごとにつなぎ合わせ」ることが求められる であろうと論じている。

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 太田光俊「〈領主―民間〉関係論の再考──中世・近世の伊勢湾海運より」では、伊勢湾海運史 を通して、権力による民間経済の把握と、新興勢力による体制崩壊という領主・民間関係の固定 的な認識を脱却することを目指している。これまでの研究は「領主権力が、民間の活動を掌握し て新たな体制を確立していく過程、あるいは逆に民間勢力が伸張して領主の旧体制を崩壊に導く さまを描く研究は時代を問わず非常に多い」(第一巻四七ページ)とするが、このような二項対 立の構図で領主と民間を理解することには限界があると論じている。太田氏は先行研究に依りつ つ、一人の商人のなかに権力的側面と民間的側面が共存しており、また、時間軸によりそれぞれ の側面に強弱が見られることから、権力・民間関係を弾力的なものとして理解すべきとする。さ らに、十九世紀初頭に起こった上方から江戸までの木棉輸送方法の変更をめぐる事件である「白 子廻し」一件を通して、「一つの商活動の見え方が、尾張、伊勢、江戸で異なっていた」(第一巻 六七ページ)ことを指摘する。つまり「白子廻し」一件は、ある地域では民間の新興勢力の活動 拡大として、別の地域では領主的流通の再興過程として捉えることができるのである。このこと から、時間軸・空間軸どちらから見ても、「民間的な要素と領主的な要素が混在」しており、「領 主的、民間的という枠は対立するものの、それぞれが純粋な形で現れるものではなく、商人とい う一つの存在の中にともに要素として存在するものであった」(第一巻六七、六八ページ)こと を明らかにしている。  谷本雅之「「在来的経済発展」論の射程──「在来」・「近代」の二元論を超えて」では、「在来 的経済発展」という経済発展パターンが近世から近代日本の経済社会の特徴であったと指摘して いる。論考を通して谷本氏は、在来部門が近代部門に対して相対的に自律的な産業展開を見せる という「在来的経済発展」論の可能性を提示する。近代日本の産業構造を支えたものは、業主や その家族の労働に基づくような小規模経営体を含んでおり、近代における自営業就業率は欧米と 比較しても高かったのである。また、近世後期から農業経営の中に家内工業を「合理的な就業選 択」として組み込んでいった小農の経営意識や、近代における都市部への小経営の集約が、近代 日本の経済発展の特徴であったことを描き出している。その他、近代日本の経済は近代部門と在 来部門が並存しながらも、大規模経営だけでなく、小経営への志向性も含みながら展開していた ことを論じている。  飯島渉「「近世化」をめぐる諸問題」は、歴史学という同じフィールドにいながら、対象とす る地域や時代によって研究者のあいだにおおきな溝があり、しかも「専門」が異なるという言説 が通用しやすい実状を批判的に捉え、筆者なりの「日本の近世」や「近世史」に対する見解を提 示する。まず、グローバル・ヒストリーの観点からみると、日本近世史研究には二つの潮流が見 られるとし、「一つは、日本の近世社会をヨーロッパの産業化と比較しながら、「勤勉革命」の文 脈からこれを描こうとする歴史人口学や比較経済史の立場」、もう一方は「日本の近世社会を海 域世界の中に位置づけ、日本の近世がけっして「鎖国」という閉鎖的な社会ではなかったことを 強調する立場」(第一巻一二五ページ)であるとする。また、近世はつねに近代と比較されてき たこと、近代にはもともと「同時代性」という理解が付与されており、私たちの「歴史認識の主

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体を前提とする概念」(第一巻一二八ページ)であったことを明示する。近代という枠組みの中 で歴史学の方法が確立されたことや、近代化や近代を結果として歴史が描かれたことも背景にあ るが、近世と近代では時代への向き合い方が本来的に異なっていたのである。それを踏まえ氏は、 岸本美緒氏の提起する「歴史のリズム」に注目する。近世や近代という時代区分論を超えて、ま た日本とヨーロッパとの比較史の枠組みを乗り越えるため、社会変動への対応をみる「歴史のリ ズム」という視点で研究を行う可能性を模索すべきとの飯島氏の提言は着目すべきであろう。  第一巻第二部「日本から広がる世界」では、「外」とのつながりから近世日本を相対化しよう としている。日本の「外」がいかに日本を見つめたか、日本は「外」にいかなる影響を与えたか、 双方向的なつながりの中から近世日本を捉え直す。  平川新「前近代の外交と国家─国家の役割を考える」は、諸外国の日本認識と、近世日本が西 洋諸国に植民地化されなかった理由を検討し、それを通して近世国家論を展開する。本論考の特 徴は、日本国内の研究を踏まえつつ、スペイン・ポルトガル史料を活用していることである。こ れにより、戦国期から江戸初期の日本を、東アジア世界のなかに位置づけつつ、諸外国が日本を どのように捉えていたかを提示している。諸外国から見ると戦国期の日本は統一政権の不在から 介入の余地があったが、軍拡競争社会の中で豊臣政権、徳川政権が生まれ国家意思の一元化がは かられると、朝鮮侵略のような軍事大国としての日本の姿のみが残されることとなる。これによ り、スペインなどキリスト教勢力は日本への軍事征服を断念せざるをえず布教へと方針転換して いったのである。これは「日本の国家体制のあり方の転換がヨーロッパ勢力の対日戦略に重大な 変更をもたらした」(第一巻一八四ページ)ことを示す。同時に日本が戦国末期から「帝国」と 呼ばれ、家康が「皇帝」と称された背景も、日本の軍事力に基づくものであったと論じている。  橋口亘「薩摩における海外文物の受容─貿易陶磁と媽祖信仰を中心に」では、発掘成果と文献 史料をもとに、海外から薩摩地域にもたらされた貿易陶磁や媽祖信仰のありようを示す。まず、 中世の薩摩地域の発掘成果としては稀少とされる貿易陶磁(青磁碗、緑釉陶器、褐釉陶器、青花) を紹介する。つづいて金地院崇伝『異国日記』に見える薩摩来航明国船の積載品目について分析 し、史料上「碗」や「尺盤」と記載される輸入品は、当該期の中国産磁器であった可能性がある ことを指摘する。また、近世期には、国内産陶磁器が出土品の主体となるが、清朝産の陶磁器も 見られること、鹿児島城下のみならず在村部まで出土が確認されることを述べる。「その種類は、 青花磁器・白磁・色絵磁器・陶器など多岐にわたり、碗・皿・散蓮華(匙)などの食膳具が多い」 (第一巻二〇一ページ)という。薩摩地域への清朝産陶磁器の流入の背景にあったのは琉球を窓 口とした中国貿易である。橋口氏は『琉球王国評定所文書』を根拠としながら、史料上からも清 朝陶磁器が薩摩へ持ち込まれていたことを指摘し、清朝陶磁器の「琉球から薩摩を経由し日本国 内他地域に到る」(第一巻二〇七ページ)流通ルートに注目している。媽祖信仰をめぐる問題では、 野間権現に結びついた媽祖信仰文化圏の形成を取り上げる。おそくとも十七世紀後半までには野 間権現と媽祖信仰は関連づけられ、「娘媽権現」とも表記されるようになる。また、梵字や「娘 媽大権現」「順風相送」などと記された祈祷札からは、神仏の習合した実態が明らかとなる。さ

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らに『三国名勝図絵』に、長崎滞在の唐人が祈祷札を求められていたことが見えることも踏まえ、 薩摩地域は多彩な海外との結びつきがあったと論じている。  菊池勇夫「蝦夷地のなかの「日本」の神仏─ウス善光寺と義経物語を中心に」では「蝦夷地に 持ち込まれた「日本」の神仏がどのように作用・機能していったか、和人の側の一方的意思だけ でなく、アイヌの人々の受け止めかた」(第一巻二二七ページ)が説かれる。まず、先行研究や 史料によりつつ、アイヌの人々が善光寺の如来を信仰していた可能性を示唆し、十九世紀初頭の 蝦夷三官寺創建まで「善光寺は無住であったこともあり、和人にもアイヌの人々にも開かれた共 同の信仰の場であったといえそう」(第一巻二四一ページ)であると述べている。つまり、ウス 善光寺は、近世初期からアイヌの人々のあいだでも如来信仰として受容されていたのである。義 経・弁慶伝説については、そもそもアイヌの人々にとって義経蝦夷渡り説は明確なものではなかっ たが、十八世紀後期以降になると和人の積極的な関与により義経社が創建され、アイヌの信仰に 義経が介入していくこととなると論じている。近世日本との距離によってアイヌの人々の精神世 界が改変されていく状況をみごとに描き出しているといえよう。  ジュリオ・アントニオ・ベルテッリ「外交史研究の新視点─一八六八年の新潟開港問題と駐日 イタリア外交官」では、初代駐日イタリア公使であるヴィットリオ・サリエ・ド・ラ・トゥール 伯爵および領事クリストーフォロ・ロベッキの日本におけるイタリア蚕種商人への活動支援を通 して、幕末から明治期にかけての日本・イタリア関係を考察する。横浜市場に集約されていた輸 出用の産卵台紙をできるだけ安価に入手するため、ド・ラ・トゥールは新潟開港に奔走するも、 商売の面では失敗に終わる。しかし、明治初期の日本においてイタリアの存在感を示すことには 成功したと評価する。本論考では、ヨーロッパ諸国が互いに牽制し、せめぎ合いの中で対日外交 を展開していたことが明らかにされる。イタリア史料をふんだんに用いながら明治期の日本外交 の一端を明らかにしたことは重要であろう。

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 第二巻第一部「社会秩序の構築」では、ある時代や、いくつかの時代にまたがる論点から、社 会や国家の秩序がいかに構築・再編されてきたかを論じる。  市村高男「古代中世における自然大災害と社会の転換─復旧・復興過程に着目した視点の提示」 は、「環境と人間をめぐる諸研究の現状に学び、自然災害とそれに対する人間の対応の仕方から、 古代・中世の社会の推移・転換を捉えようとする試み」(第二巻一五ページ)を通して、自然環 境によってもたらされた社会の変化・転換の実態を明らかにしようとしている。論考では、まず 九世紀から十七世紀初頭までの自然災害の中から地震・火山による災害を抽出する。そのうえで、 地球科学の成果を参考としながら、災害と政治的社会的事件、飢饉・疫病の発生を結びつけ、そ こから自然環境と社会や国家との関連を見いだそうとしている。なかでも、九世紀の東北・関東 の大地震、十一世紀末から十二世紀の大地震・噴火、十五世紀末から十六世紀初頭の大地震は、

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権力構造や土地制度の再編をもたらすほどの影響力を持っており、自然環境は時代を転換させる 要素のひとつとなっていたことを指摘し、「数十年のタイムスパンで大自然災害とその復旧・復 興の過程で社会が大きく転換していくことを示」(第二巻五二ページ)している。  大田壮一郎「中世仏教史の〈分水嶺〉─ポスト「顕密体制」を探る」で示されたのは、「顕密 体制」に代表される中世仏教のイメージと戦国期の宗教史研究が示すイメージのズレを結びつけ るための新たな概念の存在と仏教史上の画期である。大田氏は、中世仏教史研究では中世後期(こ こでは鎌倉時代後半から戦国期にいたる期間)への追究が薄いことを指摘したうえで、中世前期 から戦国期までのあいだに宗教史上の転換点があったのではないかとの仮説を立てる。その転換 点を見いだすために有効であるとして注目するのが、神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社 選書メチエ、二〇一〇年)である。神田氏の著書は「〈日本に固有なものとしての宗教〉という 視点から、天道思想を戦国期社会に生きた人々の心性として捉え、それを「見えない国教」と位 置づけた」(第二巻一〇〇ページ)ことに意義があるとし、戦国日本固有の精神世界、心性の存 在が明らかになったと評価する。ただし、この固有性は戦国期特有のものではなく、宗論(宗派 間の論争)の禁止に着目すると、十三世紀後半から十四世紀にも見られること、当該期は、新た な宗派の登場のみならず、国家と宗教の関係の変化という新しい諸宗秩序の成立が見られること から、宗教史上の画期であると指摘している。  高野信治「〈障害者〉への眼差し─近世日本の人間観という観点から」は、近世期の〈障害者〉 を取り巻く観念や社会的通念を、近世日本の道徳観や習俗・慣習から描き出すことを目的として いる。そこで示されたのは、権力者によって求められた理想的な民衆像(年貢・諸役負担能力)が、 規範意識として近世の人間観となったこと、そこに適さない人間、たとえば〈障害者〉は理想像 から遠い存在として認識され、それが差別的な処遇を受ける背景となったことである。これは、 障害の要因が、勤勉さをはじめとする道徳や規範・習俗を逸脱したことへの報いとも理解される ことにもつながる。また、近世日本の人々は、自らを優れた道徳的資質や規範観念を保持すると いう認識を持っており、近世社会には「道徳・規範観念が、それを持ち得なかったとされる障害 者を陰画として「民衆」に教諭されるという」(第二巻一三三ページ)構造も内包されていたこ とを指摘している。社会的な規範観念、権威性の集約として〈障害者〉観があることを明確に示し ている。  荒武賢一朗「商人と権力が交差する都市─近世後期の大坂を事例として」では、権力と民間社 会の結節点としての近世都市に着目する。本論考では、まず近世都市大坂の特質を明らかにすべ きと問題提起している。この見解は、研究史をまとめながら導き出されたもので、三都との比較 に基づいて描き出された大坂の認識は適切でないこと、商業のみを大坂の特徴とすることへの疑 義とともに乗り越えるべき課題として設定されている。そのうえで商都大坂という認識の成立背 景に、権力側との密接な関係があったことを指摘し、自由奔放な商業を展開していたわけではな かったと論じている。また、これまでの論点のひとつとなっていた大坂市場の「低下」について も再検討している。天保年間以降、地方廻船勢力や地域市場の台頭によって大坂の経済力は弱体

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化したとされるが、いくつかの商品流通からはそのような傾向は見られず、むしろ成長すら窺わ れる事例が提示されている。また、大坂を中心とする海運も一定の需要が認められることを踏ま えると、近世末期の大坂市場の変化は市場の質的転換として見なすべきとしている。  矢野健太郎「土地丈量からみる近世・近代の土地把握」は、近世の検地から明治六年以降の地 租改正における土地丈量を通して、近世から近代にかけての土地把握のありようの変化を分析す る。矢野氏は、地租改正の土地丈量は、法整備の不十分さから「実態としては近世の検地におけ る丈量の影響を色濃く残したもの」となり、「正確な土地の丈量は行われず、面積や境界に曖昧 さを持っ」ていたとする(第二巻二〇六ページ)。税制の公平さや土地所有権の確立をめざす地 租改正本来の理念とはほど遠いものであったのである。この矛盾は、明治十八年の「地押調査」 によって是正されることになり、ここをもって近世的な土地把握のあり方が変化するのである。 矢野氏が指摘するように、すでに土地所有の問題では、近世から近代の画期は地租改正ではなく、 土地台帳制の成立までを視野に入れた研究成果が出されている。丈量の「近代化」も段階的であ るという特徴からみても時代の移行は急激なものではなく、むしろ緩やかであったのである。  第二巻第二部「生業と資源利用」では自然環境との結びつきから近世日本を再照射する。  平野哲也「江戸時代における百姓生業の多様性・柔軟性と村社会」は、農耕を離れた小百姓の 生き方(稼ぎ・仕事)の追究を通して、百姓の生業・処世方法の多様性や柔軟性を明らかにし、 それを踏まえ村社会論を提示している。まず、農耕の不振に伴い、他に稼ぐ方法を見つけ出す百 姓の姿を再現し、生活水準の維持や向上を志向していた百姓の意欲や、農耕にこだわらない百姓 の生き方を示す。また、十八世紀中期、村外で働こうとする百姓を村側が後押ししていたことや、 欠落した百姓が二、三十年後に帰村していたことを取り上げながら、村社会が伸縮自在な構造性 を持っていたことを指摘している。本論考で描き出された百姓像は、農耕のみならず多彩な生業 の選択肢の中から自らの生き方を模索する百姓像であり、「持高の大小を超えて、さまざまな生 業で暮らしを立て、生活水準の向上を手に入れる小百姓」の姿である(第二巻二四六ページ)。「離 農・離村する小百姓」=「経済変動の荒波に揉まれ、競争に負けた没落者」や「持高の少ない百姓 =貧農」という図式では把握できないほどの、多様で柔軟な近世百姓の生き方を示したことに本 論考の重要さがある(引用同上)。  高橋陽一「近世後期における災害と資源利用─飢饉と温泉」では、地域資源の利用のあり方に 注目する。「商品経済の展開に伴って金銀銅山開発や海産物増産などが進められ、自然・人間関 係に様々な影響が及ぶ十八世紀後半」(第二巻二五一ページ)は、災害など自然環境が人間社会 に大きな影響を与える時期でもあった。高橋氏は、当該期の資源利用の実像とその意義について、 仙台藩の温泉を素材としながら検討している。本論考では、災害復興やその後の地域運営に、拡 大しつつあった民間(旅行者)の消費を活用し、「民間消費の地域財源化」(第二巻二六二ページ) を図っていたことが明らかとなった。高橋氏の言を借りると、新しい財源の開拓は「農業中心社 会から脱却した地域運営体制の構築」(第二巻二七二ページ)であったのである。  高橋美貴「漁業史研究と水産資源変動─資源保全史の再考から環境史研究へ」は、気候要素が

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数十年間隔で急激に変化するというレジーム・シフト理論や水産資源変動の枠組みを用いつつ、 ①「十九世紀末の欧米諸国および日本における水産資源繁殖政策の展開」と②「十七世紀末∼ 十八世紀前半の盛岡藩津軽石川におけるサケ資源保全慣行の成立」という課題を論じる。①では 十九世紀末の日本の資源繁殖政策は、国際的契機と国内的契機双方の影響を受けて始まったこと、 海洋水産資源は地球規模の気候変動とリンクしており、そのことが欧米諸国による海洋資源の生 態調査や繁殖事業を活発化させ、水産資源の保全という漁業政策が意識化されていくことが明ら かにされている。②では十七世紀後半から十八世紀のサケ資源の低水準期と、サケ資源保全慣行 である「瀬川仕法」の成立期が重なると述べている。これらを通して、自然環境が人間社会へ与 える影響の具体像を提示することに成功している。

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 各論考の紹介に多くの紙幅をあててしまった。本来であれば、それぞれの論考に寸評を加える べきであろうが、評者の力不足から妥当なコメントを述べることはできない。そこで以下、本書 全体の意義を考えていきたい。  本書は十六本の論考によって構成され、それぞれは緊密に連関しているようには見えないが、 近世日本を中心とした時代や地域を論じながら、ある特徴を共有している。  その特徴は、これまでの研究を批判的に捉える姿勢と、新たな研究手法・論点の創造を企図し ていることである。たとえば木下論文。木下氏はあえて別々の時代の歴史事象を取り扱いながら、 そこに横たわる共通する課題を見いだし新しい国家史像を提示する。結論では、これまでの研究 者の先行研究への向き合い方を痛烈に批判するが、異なる時代の研究の「研究視覚と問題意識」 をいかに共有できるかという問題提起は重要な指摘であろう。自己の問題関心を裏付けたり、批 判的に乗り越える必要があるのは同時代同地域の先行研究にはとどまらない。むしろ時代や地域 を超えたところに存在するのであると感じた。  また、太田論文は、時代の画期に価値観が大きく揺さぶられる民間と領主の関係について、関 係の複雑さを提示しつつ問題の多面性を提示する。これまでの二元論的な理解の限界をつぶさに 示すものであった。飯島論文は、本書のキーワードとなる近世について、その枠組みの問題点と 不安定さをつまびらかにする。遅塚忠躬が、歴史研究者は「自己の当面の価値観を絶対視するこ となく、多様な価値観の併存を許容するはずであり(中略)常に自己の価値観(世界観)そのも のの点検(修正・変更)に努めるであろう」(遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会、二〇一〇年、 四五四頁)と述べたように、本書からは研究者自身の歴史に対する態度が見える。時代の画期の 見方を変える谷本論文・大田論文・矢野論文・高橋美貴論文、固定化された概念の裾野を広げる 平川論文・橋口論文・菊池論文・ベルテッリ論文、社会の多様性を示す荒武論文・平野論文など、 本書は挑戦的な視点が多く提示されており、新鮮な読後感を得ることができる。  この新鮮さに通じるものは、研究を通して現代を考えようとする姿勢にある。歴史学研究の目

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的は、現代的な問題を解決するだけではないだろうが、研究者は社会にコミットしているので、 自らの研究課題に現代的な問題意識を持たざるをえない。しかし、この問題意識は歴史研究者の 中で共有されたものではないだろう。その意味で、本書の中には現在を意識した論考が多々見ら れたことに注目したい。たとえば、高野論文は近世的な障害者への差別構造が現在まで続くもの であると鋭く説いているし、市村論文は災害後の復旧・復興のあり方について、東日本大震災を 視野に論じている。高橋陽一論文は、災害への対応として、災害前の社会への復元ではなく、災 害への耐性を備える新しい社会構築が復興には必要であることを述べており、市村論文と同様、 東日本大震災をつよく意識した論考であった。明文化されなくとも、荒武論文や太田論文で示さ れた、権力と民間の距離感覚も現代に通じると感じた。本書を通して、研究の普遍化とは、研究 者同士の意思疎通のツールではなく、現代社会へ研究をつなげていくための方法でなければなら ないことを強く認識した。  このように、日本近世史や日本史、歴史学を相対化し、現代に通じるような普遍性を提示した ことに本書の意義はあろう。そのため、本書編集の意義や成果はどこにあるかという評価は常に 意識しなければならない。その意味で、若干気になった点を挙げれば、各論考によって広がった 課題設定や論点を提示したまま回収(集約)されていないように感じたことである。本書に掲載 された諸論考は、意識的に新しい課題に挑戦し、今後の乗り越えるべき論点を提示していると思 う。しかし、その課題設定や論点の共通性はどこにあり、また本書を見通すことで獲得するもの は何であるか、それが歴史学(あるいは日本近世史)にとってどのような意義を持つかという、 本書そのものの問題意識について、編者による解説があってもよかったのではないかと思われる。 「序」がそれにあたるのであろうが、これまでの研究史を踏まえたものではなく、「序」のみでは 本書全体を通観しきれていないのではないだろうか。  「歴史認識」があらゆる場で頻出する現在、歴史学が社会に果たすべき役割は今後より求めら れることが予想される。そのなかにあって、歴史の見方あるいは歴史に向き合うための態度を提 示する本書の意義は大きいだろう。  ここまで本書を紹介してきた。しかし、著者・編者が真摯に分析・構成されたのにもかかわら ず、評者は筆者・編者の意図を充分に汲めず要約・紹介し、また誤読による慮外な批判をしたの ではないかと恐れる。著者・編者のご寛恕を請いたい。

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