﹁
世
の
な
か
安
穏
な
れ
﹂
考
品
橋
事
久
家永三郎氏は﹃日本思想に於ける否定の論理の発達﹄に、次のように述べられる白 先づ太古人の思想にとって、あらゆる世界は現実世界と空間的にも性質的にも連続するものとして映じたので ある。つまり一切の世界はすべて自分等の住むこの国土の延長としてしか考へることが出来なかったのであった。 (略)現実を其の健肯定した太古人にとって現実界の否定による超越的世界の考へられないことは当然の結論で ある。されば肯定的人生観こそは前の連続的世界観の基礎づけとなってゐたのであり、両者は互に相即し、不縦 の関係を以て太古思想の基調を形成してゐたのである。(略) 大乗仏教の真髄を領解せられたる聖徳太子に於て、仏教の理解は明かに否定の論理の理解を意味してゐた。橘 夫人によって伝へられた﹁世間虚仮。唯仏是真﹂の有名なる御遺語は太子の仏教の極致を最も簡明に表現したも のであるが、世間虚仮の一語こそ肯定の論理より有しなかった太古日本思想の夢にも思惟することの出来なかっ た観念だったのである。(略)かかる苦界を出離し、抜き難き宿業を解脱せんが為には、現実世界を虚仮として ー 世 の な か 安 穏 な れ ﹂ 考 ( 尚 橋 ) 五 五龍谷大学論集 五 /、 徹底的に否定し去り、その否定の否定として導来せられたる絶対肯定の仏世界を絶対否定の彼岸に求むることは 不可避の要請であったと云ふことが出来よう。かかる彼岸が即ち﹁唯仏是真 L の世界であり、更に具体的に云ふ ならば寸寿無量にして﹂三界を遠離したる浄土としての﹁無量寿国﹂であったのである。即ち太子は先づ現実を 否定し、この否定を隔てて相見ゆる超越的世界を理想の天地として望まれたのであった。(略)否定の門こそは この絶対世界への通路として必ず潜らざるべからず処だったのであ&。 ﹁世間虚仮。唯仏是真﹂の否定の論理が、凡そ六百年後、親鷺が唯円に語った﹁煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界 は、よろづのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、た Y 念仏のみぞまことにておはします﹂へと 展開していく。親鴛は︿信﹀によって歴史的現実を相対化し、地上の権威をも否定し去るのである。﹃教行信鐙﹄の 信文類の冒頭にある十二嘆糟の二つめに﹁大信心は欣浄厭械の妙術﹂とあるが、真実心に覚醒することは、歴史の虚 仮性を認識し、より高き如来の浄土真実へ心を向けることであると理解できる。かかる聖徳太子から親鷲に至る︿否 定の論理の発達﹀こそ、私にとって悌教史研究の原点だと考えている。悌教史研究とは、虚仮なる世間
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歴史的現 た だ 実)を、仏の真実の眼によって対決し、厳しく直しみつめていく学問研究に他ならないからである D 如上の意味から し て 、 二業態香氏の次の提言は重要である。 宗教の立場は、超時代的であり、その根底は、歴史的世界を支える前歴史的地盤である。従って、社会的な歴 史条件を以て、原理的に宗教の立場を解明し得ると考えることはあやまりである。宗教を社会の反映と見ること は、宗教の主体性をはくだっすることに外ならないが、宗教は、社会・歴史以前の自己に関する人間の自覚とし て主体の確立を可能とするのであって、宗教的立場の社会・歴史との関係は反映ではなくて、対決である。それゆえに、宗教史の成立は、社会条件の反映としてとらえられるべきではなく、宗教的契機と社会的契機、超時代 的契機と時代的契機の対決としてとらえられなくてはならない円。 したがって、親鴛を研究するとき、親鷺のよって立つ超時代的立場│弥陀の本願から賜わりたる信心によって成立 する立場と、時代社会の思想と対決して、形成されていく彼の思想を明らかにすることが大切である。 八十四歳の消息の文中に、﹁世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ﹂という言があるが、親鷲の主張する︿安穏﹀とは 何であるか、時空を超えた親鷲の信の内実
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念仏の意義を考察したい。 一 九 八O
年黒田俊雄氏は、仏教史学大会の記念講演において、今日一般に日本史上寸中世﹂といわれている時代は 武士が社会の主導的地位にあった時代であり、武勇が尚ばれた時代であるという津田左右吉、村岡典嗣、和辻哲郎の 説に対し、批判を述べた。 和辻哲郎が﹃日本倫理思想史﹄上巻二九五二年)に、ただ主従関係においてのみ献身を要求する道徳││武者の 習が起点となって中世の倫理思想、公平無私の理想(人倫的理想)、神国思想(皇室尊崇の感情)、慈悲の道徳(新興 の鎌倉仏教)が発展したと説かれたのに対し、黒田氏は、 第一に、貴族・僧侶(いわゆる旧仏教の)と武士を峻別しかっ対立的な関係にあるものととらえた上で、武士を時 代・社会の主流的存在とみる見方、つまり﹁中世は武士社会﹂とする見方、 第二に、貴族・僧侶と武士とは基本的に異なる価値観をもつものであり、そのうち中世的な価値観として新しく登 場したのは武士の道徳ないし思想と新仏教とであったとみる見地が強調されること、 第三に、武士の生き方を特色づける寸武勇﹂を肯定的に位置づけ、実践的倫理ないし徳目として積極的に評価する ﹁ 世 の な か 安 穏 な れ ﹂ 考 ( 高 橋 ) 五 七龍谷大学論集 五 八 という従来の説を批判し、︿武勇﹀と対極的位置にある︿安穏﹀を積極的に論じるべきだとされた。つまり中世社会 はむしろ︿安穏﹀を求めた時代であると提言されたのである。また、中世社会において、武士とはどういう地位のも のであったかを考えるとき、黒田氏は、﹁︿武士﹀︿武者﹀などいう語は、本来一種の職能を表わす言葉であることに 注意すべきであろう
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とし、支配体制の下での存在として、﹁平安中期に武士が出現したときから、かれらは地方で は押領使、追捕使などの職、中央では摂関家の侍、さらに院の武者所、北面の武士などの地位であり、いかに勇猛で 人々に恐れられていたにしても所詮は貴族の︿侍﹀であり用心棒であり、権力者の走狗にすぎない L と さ れ た 。 当時権門体制︿ H 顕密仏教﹀の代表と言える慈円の﹃愚管抄﹄から黒田氏は寸中世を武者の世とし、末法とみ、乱 世とみ、慈円にとっては武士は本質的に悪であり、根本的に否定的な価値を意味していわヘ﹁かれは、むろん武士を 讃美などはしないが、さりとて単に嫌悪を示すのではなく、注意深く見守ってい&﹂とし、武士を︿君ノ御マモリ﹀ として位置づけようというしたたかな判断に基づく政策論を展開させたという。 如上の武士の中世社会の位置認識のなかで、黒田氏は、柳田国男の﹃日本農民史﹄(﹃柳田国男全集﹄第十六巻)の (鎌倉武士とは)﹁将軍家に直属する者を御家人と称することは徳川時代も同じであったが、違う所は彼等も亦平生 は在所に還っており、且つその殆んど全部が大名になることであった。多数の小名は有力な附近の御家人に主取りす るか、然らざれば静かに農村の生活を送って居た﹂﹁彼等は常は最も平和なる農業者であり、地主であった﹂という 言辞に注目し、﹁中世とは武勇、鍛練、忠義の武士中心の世界でなく、中世の圧倒的多数の人々が真に念願し、とき に謡歌したものは、武勇でも合戦でもなく、むしろ逆の意味あいをもっ︿天下太平(泰平)、国土安穏﹀であつわ。 L とし、中世支配社会を武家だけでなく、公家、寺社等の権門を、天皇が統括する︿権門体制論﹀を提起し、中世の仏 教を新仏教とする従来の説に異を唱え、権門体制を基軸とする︿顕密仏教﹀を主張した。平安末からの末法を克服し て、安穏平和を実現するのが顕密仏教の中世的発展であるとし、貴族、武士、寺社の各勢力が葛藤していくのが中世の実像であるとした。そこで筆者は考える。きすれば、︿安穏﹀はまづ権門体制下の顕密仏教によるものと考えられ あやま るであろう。重.要なことは専修念仏の禁止と弾圧である。顕密仏教は自らの正統性を前提にして、専修念仏の失りを 指摘して糾弾する。国土を乱す│世の中の秩序、道理、安穏を混乱させるとして専修念仏の布教を禁止するのである。 法然の専修念仏は顕密仏教の内容だけでなく、仏教の社会的立場のあやまりを指摘するもので、本来仏教の宗教的、 社会的立場の回復を実現しようとする。 ここに中世の民衆の上に﹁神道護持 L 寸撰災招福﹂の顕密仏教の︿安穏﹀の思想と、専修念仏が志向する︿安穏﹀ が考えられるのである。 仏教伝来当初、仏を蕃神(他国神)と見倣し、神仏習合が成立し、祭政一致体制のもと、仏教の民族宗教化がはか られた。この体制の権力独善の発揮は民衆への宗教的呪縛をともない、かれらの尊厳性を否定した。 専修念仏は、神々の宗教と一体の顕密仏教の︿偽﹀の本質を見抜き、かかる宗教を捨てて、本来仏教の真実性を選 取し、めざめんと立ちあがったのである。 本来自然に備わっている人間としての生命尊厳、自律、平等、連帯のことわりが、専修念仏によって歴史の上に成 立 し た 。 ﹃興福寺奏状﹄は専修念仏が歴史に革新的原理として提起した主張を反体制思想と批判し、専修念仏の禁止を執行 した。したがって守輿福寺奏状﹄の内容は、顕密仏教、権門体制の宗教的立場、歴史的立場を述べたものでもある。 次に明らかにしよう。 殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の字義を札改せられんことを請ふの状。 ﹁ 世 の な か 安 穏 な れ ﹂ 考 ( 高 橋 ) 五 九
龍谷大学論集 O 勘ふるに、略して九箇条あり。 ﹁第一に新宗を立つる失﹂とし、﹁たとい功あり、徳ありと雌も、すべからく公家に奏して以て勅許を待つベし、 私に一宗を号すること甚だ以て不当なり
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朝廷│権門の承認を得ることのない一宗を立てる私儀は不当であり、禁止するというのである。 つづいて、第二図新像失、第三軽樟尊失、第四妨万善失、第五背霊神失、第六暗浄土失、第七誤念仏失、第八損稗 衆失、第九乱国土失と専修念仏の九失を挙げ、激しく論難するロ すでにこの九失をあげて訴訟される前に、八宗同心の山門からも提出されている。山門の奏状と、興福寺が訴えた 九失の内、八宗同心の焦点となる重要な問題である﹁妨万善失﹂﹁背霊神失﹂﹁乱国土失 L の = 一 ヶ 条 の 一 部 を 掲 げ て み よ ﹀ つ 。 一向専修の党類、神明に向背する不当の事、右我が朝は神固なり、神道を敬ふを以て国の勤めとなす。謹んで百 神の本彩前るに、諸仏の漣にあらざるはなし、いはゆる伊勢大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等、皆是九釈迦・ 薬師・弥陀・観音等の示現なり。各宿習の地をトし、専ら有縁の儀を調へ、乃至その内証に随って彼の法施に資 す。念諦読経、神によって事を異にす。世を挙げて信を取り、人毎に益を被る。市して今専修の徒、事を念仏に 寄せて永く神明を敬ふことなし。既に国の礼を失す、仰って神を無みするの倍、当に知るべし、有勢の神祇定め め P の ぞ て 降 伏 の 昨 を 回 ら し て 脱 み た ま は ん ﹁ 山 門 奏 状 ﹂ 南都も同様の視点で寸興福寺奏状﹂において、﹁第五霊神に背く失 L として論難する。 念仏の輩、永く神明に別る。権化実類を論ぜず、宗廟大社を偉らず。もし神明を侍めば必ず魔界に堕すと云々。 実類の鬼神に於て論ぜず、権化の垂迩に至っては既に是れ大聖なり、上代の高僧は皆以て帰敬す。かの伝教は宇 佐宮に参じ、春日社に参じて各奇特の瑞相あり。智証は熊野山に詣し、新羅神を請じて深く門葉の繁昌を祈る。すがた 行教和尚は袈裟の上に三尊影を宿し、弘法大師は画図の中に八幡質を顕はす。是れ皆法然に及ばざるの人か、魔 界に堕すべき僧か。就中、行教和尚は大安寺に帰りて二階の楼を造り、上階に八幡の御体を安んじ、下階に一切 経論を持す。神明もし拝するに足らずんば、如何ぞ聖体を法門の上に安んぜんや。末世の沙門、なほ君臣を敬す、 況んや霊神に於いてをや。かくの知きの食言、尤も停廃せらるべし ( 第 四 妨 万 普 失 ) 一仏の名号に執して、都ぺて出離の要路を塞ぐ。或いは法華経を読む者は地獄に堕すといひ、或は法華浄土の 業困を受持するものは、是れ大乗を誘るの人なりといふ。この外華厳般若の帰依、真言止観の結縁、十の八九皆 もって棄ておく。堂塔を建立し尊像を図するが如きは、之を軽んじ之を笑ふ。上人は智者なり。自ら定めて誘法 の心なからん欺。但し門弟の中、その実知り難し。大乗を誇るの業は、罪の中、最も大、五逆罪も復及ぶ能はず。 あ﹀西方の行者、海部む所誰に在るかロ ( 第 八 乱 国 土 失 ) 仏法王法はなほ身心の知し。今や浄土の法門大に興り、専修の要行尤も盛なり。王化中興の時と謂つべき欺。 但し三学己に廃し、八宗まさに滅ぴんとす。理乱亦復如何。願ふ所は、只諸宗と念仏と、宛も乳水の知く、仏法 と王道と永く乾坤に均しからんことを。市して諸宗皆念仏を信じて、異心なしと難も、専修は深く諸宗を嫌いて 同座に及ばず。若し専修の志の知くならば、天下海内の仏事法事早く停止せらるべき欺。 これらの奏状の内容から顕密仏教は諸宗同心にて、神仏一体を標梼し、国家権力 ( H 権門体制)の繁栄と安泰を祈 願するものであった。神仏一体
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本地垂迩説による仏教は支配階級に奉仕し、体制秩序の維持のために機能するもの で、呪術的自我的非人格的性格を有するものでもあった。つまり呪術祈祷による自我の拡大、民衆を呪縛し、その尊 厳と自律を奪うものであった。かくある宗教的立場、歴史的立場から解放、自律を叫ぶ│真実性、普遍性を回復しょ ﹁世のなか安穏なれ﹂考(高橋).
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/、龍谷大学論集 -'-/、 うとする音声が称名の︿念仏﹀であった。顕密仏教の諸善万行の否定、余仏諸神不拝の徹底、及び対決の姿勢は顕密 仏教側にとって、万替を妨げ、同時に国土│王法仏法相依の権門体制を混乱させることに外ならないのである。
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専修念仏を徹底した親鷲の︿安穏﹀の思想について四つあげられる て宗教的呪縛からの解放と神祇不拝 二、悪人正機の思惣による人間の尊厳と自律 三、信による現実回帰││平等と連帯 四、自然法爾││如来とひとし まづ一の﹁宗教的呪縛からの解放と神祇不拝﹂を考えてみる。日本の歴史を貫徹する宗教的権威と政治権力の合体 は、民衆支配の宗教的利用としての宗教基盤の成立でもある。仏教が受容されても、原始宗教としての神祇信仰、民 族宗教的土台の下であり、仏教の原始、民族宗教化がはかられた。神仏習合、本地垂迩思想は、仏陀(法)を神 (霊)に変容する大きな過誤をもたらしたロ顕密仏教はこの過誤を踏襲した仏教であり、中世の現実として彪大な寺 舎、荘園寺領、末寺の数多の衆徒・神人を抱え、強訴・合戦も辞さない社会的・政治的勢力を有すものであった。 顕密仏教││寺社勢力は中世において、公家武家の諸権門に対し、相対的独自性を保持していた。この顕密仏教は 民衆の病気について、薬や養生で治癒できない病として、業病、魔病、鬼病という宗教的要因のある病を三つ指摘し、 呪術祈祷によって治そうとした。 しかし祈祷だけでも治せない病もあり、当時の医学の知識、技術で最善を尽くしながら同時に祈鵡を行ったといわ れる。このことから当時、呪術と技術、宗教と技術が未分離であったことがわか仇 oまた権門の南都北嶺の寺にて五殺豊穣の法要が四季に応じて執行されるとき、かかる祈鵡呪術の儀礼法会の内に、 民衆の願いも入りこんであり、顕密仏教が民衆に﹁招福 L と﹁繁栄﹂という名の︿安穏﹀を祈るものとして、権門の 支配を正当化す&。このように呪術と技術の未分離のもと、呪術祈鵡は、民衆の心の内に入りこむ収奪と呪縛のみな ならず、人間の尊厳をも否定するものであった。顕密仏教の王法仏法相依の民族宗教社会に対する、専修念仏の緊張 なる対決は、︿神祇不拝﹀を掲げ、国家権力の伝統、文化、宗教を相対化することで、歴史の上に、革命的意義をも たらすものであった。 しかるに正真の教意に拠りて、古徳の伝説を披く。聖道・浄土の真仮を顕閲して、邪義異執の外教を教誠すふ それもろもろの修多羅に依りて、真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誠せば、浬繋経に言はく、寸仏に帰依 せば、終にまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ L と。略出 般舟三昧経に言はく、﹁優婆夷、この三昧を聞きて学ばむと欲せむ者は、乃至自ら仏に帰命し、法に帰命し、 比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を杷ることを得ざれ、吉良日を 視ることを得ざ机 L と。己上 源信、止観に依りて云く、﹁魔は煩悩によりて、菩提を防ぐるなり。鬼は病悪を起こす、命根を奪品。﹂己上 これらの親鷲の述作から窺い知られる﹁神祇不拝﹂の宗教的立場は、邪義異執の外教たる顕密仏教の宗教的、社会 的立場を徹底的否定し去ることによって専修念仏の新しい地平を築くことにほかならないのであった。 ﹁ 世 の な か 安 穏 な れ ﹂ 考 ( 高 橋 ) ー&“. / 、
龍谷大学論集 六 回 二、悪人正機の思想による人間の尊厳と自律 平雅行氏の論文に﹁解脱貞慶と悪人正機説﹂があ街。氏は、専修念仏の弾圧を要求した貞慶が﹃地蔵講式﹄を執筆 しており、﹁利益の世に新たなるや、末代ほとんど上代に過ぎ、感応の限に満つるや、悪人かえって善人に超ゆ。﹂と 地蔵菩薩は悪人を中心的救済対象としたためにまず悪人を救うことから、貞慶にも悪人正機の思想があったと言われ る。顕密仏教にも悪人正機説があった。しかしこの悪人正機説の実体は救済の順序は悪人が先であっても価値の優劣 は劣るものとして悪人は把えられ、社会的階層差別のままの救済論であるという。 よって氏は顕密側も説く悪人正機説は善人正因説と同じ価値をもつものとした。したがって悪人正因思想こそ、専 修念仏の歴史的意義と主張される。 末法の世の人々は皆押し並べて︿悪人﹀であり、末法社会に生きながら悪の自覚を忘れ、自己の善行に執らわれる 疑心の善人でさえ、化土往生が可能であることから、まして愚悪にめざめた悪人こそ真実報土の往生を遂ぐのは必定 であるという。﹁悪人正因﹂は、寸信心正因﹂であり、二種深信の︿逆対応の論理﹀そのものと言ってよい。 筆者は﹁悪人正機説﹂の専修念仏からの視点を考えてみたい。つまりこの﹁悪人正機説﹂は社会的に悪人と呼ばわ れた階層の人々││あきぴと・猟師、さまざまのものはみな、いし・かはらつぶてのごとくなるわれらなり
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愚 悪 、 無智にて社会の底辺にあるもの、いやしまれ、さげすまれるものの尊厳の回復、如来とひとしい尊厳を獲得させるこ と、如来が真先に救わんとした正機はこのように社会的底辺、差別構造の最下層の人々であり、かかる人々に人間と しての平等尊厳の自覚︿信﹀を獲得させることが、本来仏教の急務とするということであった。また民族宗教社会的 歴史事情にて、不当な差別、弾圧を繰り返す権門l
顕密体制に対する対決、つまり﹁世をいとうしるし﹂として、平 等同朋の真実の地平を開拓することにあった。親鷺の﹃教行信証﹄を執筆しつつ東国伝道と教団形成へとぼとぼしる 情熱は、かかる専修念仏の﹁悪人正機﹂運動にあったといえる。三、信による歴史への還帰││自律と平等 従来浄土教の三類型として付現世単純肯定、来世単純肯定
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現世単純否定、来世単純肯定伺現世絶対否定絶対肯定 と呼ぴ考究された。 付は﹁現世安穏後生極楽﹂とし、現世と来世(│後生)が並列時間と把握される。同も入水往生、焼身往生の形式 を執りつつ、ハ円同様現当二世を時と時とに理解している。同は浄土を超歴史的真実、如来の常住真実の世界と領解し、 浄土から常に歴史を窺う、浄土の絶対真実による還相廻向の信心が与えられ、普遍的主体(
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非我)をもって、歴史 的現実を生きるのである。 A 自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏思﹀ ﹁としごろ念仏して往生をねがふしるしには、もとあしかりしわがこころをおもひかへして、とも同朋にもねんごろ にこころのおはしましあはばこそ、世をいとふしるしにでもさふらはめとこそおぽえさふらへ﹂(﹃末灯紗﹄) 歴史の祭政一致、王法仏法相依、権力の神聖化と人民の卑小化、人格の否定、差別構造の成立という民族宗教社会 体制のなかで、神紙を拝まず、万善諸行(顕密仏教)を否定し、唯一、本願念仏の真実を称讃する念仏称名を勧めつ つ、人民の尊厳自律、平等連帯の自覚の成立を期する│世をいとふしるし、往生をねがふしるしl
実現の場は、現世 │歴史的現実の︿いま﹀であり、信による歴史への還帰(│還相性の強調)がおこなわれるのである。 四、自然法爾││如来とひとし 自然といふは、自はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、然といふはしからしむといふことばなり。 しからしむといふは行者のはからひにあらず、知来のちかいにであるがゆへに法爾といふ。法爾といふは、この 如来の御ちかひなるがゆへに、をよそ行者のはからひのなきをもて、この法の徳のゆへにしからむといふなり。 ひとのはじめてはからはぎるなり。このゆへに義なきを義とすとしるべしとなり。自然といふは、もと す べ て 、 ﹁世のなか安穏なれ﹂考(高橋) /、 五龍谷大学論集 六 六 よりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南元阿弥陀 仏とたのませたまひてむかへんとはからわせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもは ぬを、自然とはまふすぞとき、てさふらふ。ちかひのやうは、元上仏にならしめんとちかひたまへるなり。元上 仏とまふすは、 かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆへに、自然とはまふすなり。かたちましますとし めすときには、元上浬繋とはまふさず。かたちもましまさぬゃうをしらせんとて、はじめて弥陀仏とまふすとぞ、 き、ならひてさふらふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり。この道理をこころえつるのちには、この自然 のことはつねにさたすべきにあらざるなり。つねに自然をきたせば、義なきを義とすといふことは、なを義のあ るになるべし。これは仏智の不思議にであるなるべし 正嘉弐年十二月十四日 愚禿親鷺 J¥
十
歳。目 まことの信心あるひとは等正覚の弥勅とひとしければ、如来とひとしとも諸仏のほめさせたまひたりとこそき こえてきふらへ。また弥陀の本願を信じさふらひぬるうへには、義なきを義とすとこそ大師聖人のおほせにてさ ふらへ。かやうに義のさふらんかぎりは、他力にはあらず自力なりときこえてさふらふ。また他力とまふすは、 仏智不思議にてさふらふなるときに、煩悩具足の凡夫の先上覚のさとりをえさふらふなることをば仏と仏のみ御 はからひなり、 さらに行者のはからひにあらずさふらふ。しかれば義なきを義とすとさふらふなり。義とまふす ことは自力のひとのはからひをまふすなり。他力にはしかれば義なきを義とすとさふらふなり。このひとびとの おほせのやうは、これにはつやつやとしらぬことにてさふらへば、とかくまふすべきにあらずさふらふ。 ( 御 消 息 集 一O
、血脈文集三)これらのこつの消息より︿自然法爾﹀︿知来等同﹀が、︿神祇不拝﹀︿余仏不信﹀︿鬼神不拝﹀︿国王不礼﹀︿万善万行 を廃す﹀等顕密仏教 l 権門体制を否定し、対決しつづけた論理的帰結であったことが証明され旬。 念仏弾圧の最中、顕密仏教の外道性、虚偽性の指摘、権門体制の支配からの自律 ( H 非僧非俗)の宣言をもって、 浄土真実を顕わし、伝道しつづけたのは、︿聖朝安穏﹀︿天下泰平﹀を標梼する天皇制宗教(顕密仏教)の︿安穏﹀と 真向から対決する真実の︿安穏﹀、本来仏教︿専修念悌﹀による革命的論理の究極的表現として、親鷺は﹁世のなか 安穏なれ、仏法ひろまれ﹂を時空を超えて、今も叫びつづけているのである。 註
ω
家永三郎﹃日本思想史に於ける否定の論理の発達﹄(昭和四十四年九月一日ω
二葉憲香﹃親鷺の研究﹄(昭和四十五年十月二十日百華苑)三十五頁ω
黒田俊雄﹃王法と悌法﹄﹁中世における武勇と安穏﹂一九Oi
一二七頁(二OO
一 年 十 月 十 日ω
同ω
同 6 問 的 同 胞 同ω
﹃ 鎌 倉 奮 仏 教 ﹄ ﹁ 興 福 寺 奏 状 ( 貞 鹿 ) ﹂ 三 十 二3
四十二頁(一九七一年十一月二十五日ω ω
平 雅 行 ﹁ 鎌 倉 仏 教 諭 ﹂ ( 岩 波 講 座 ) ( ﹃ 日 本 通 史 8 中世 2 ﹄岩波書底一九九二年)ω
﹃ 浄 土 真 宗 聖 典 ﹄ 化 身 土 文 類 ( ﹃ 顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 ﹄ )ω
同ω
同ω
同 新泉社)三十五頁1
三十六頁 法蔵館) 岩波書庖) ﹁ 世 の な か 安 穏 な れ ﹂ 考 ( 高 橋 ) ノ、 七龍谷大学論集 ﹂ 、 、 1