ミツバチ科学
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9
9
9
)
「ミツバ チ科学」発行
20
巻 を振 り返 って
吉田 忠晴
1
9
49
年 に新制玉川大学 が発足 し,農学部 に 昆虫学研究室が開設 された. 翌年の1
95
0
年, 故岡田一次名誉教授を中心 に ミツバチ研究がス ター トした.その研究内容の広が りは昆虫学研 究室にとどまらず,関連研究 は農芸化学科諸研 究重の重要な課題 として も取 り上げ られた. そうした経緯か ら, ミツパテ科学分野での研 究をより推進 させるため,1
9
79
年11月に玉川 学園学術教育研究所の付属研究施設 として ミツ バチ科学研究所が設置 された.その後,1
9
9
4
年 には改組により玉川大学学術研究所を構成す る研究施設 となり, ミツバチ科学研究施設 と改 称 した, 西暦20
00
年を迎えるにあたり, 玉川大学で の ミツバチ研究 は50
年 になろうとしている. ミツバチ科学研究所発足の翌年,1
980
年1
月 には 「ミツバチ科学」が創刊 され,本号で20
巻 4号 の発行 に至 ることがで きた.「ミツパテ科 学」 は初代主任 の岡田一 次先生 の意志 を継 い で,2
0
年間,1
回の欠号,合併号 もな く通算8
0
冊 となり,掲載 された論文,記事 は 1,
1
45
編に 及んでいる.この節 目の年 にあたり,
「ミツバチ 科学」 の動向を振 り返 り, さらに20
巻の総索 引を掲載す ることに した,発行のあらま し
筆者 は ミツパテ科学研究所の設立や 「ミツバ チ科学」が発行 された当時,国際協力事業団の 養蜂専門家 として南米パ ラグアイEgの養蜂振興 技 術協 力 に従事 して い た(
1
978
年7
月 か ら1
9
80
年11月 までの2
年4
か月 の間,玉川大 より国際協力事業団に出向).研究所の設立は, パ ラグアイ出発前 は具体的なものではなか った が,創刊号が航空便で送 られてきた時,研究所 の設立 と機関誌の発行が現実のものとなったこ とに,感激 した思 いが今で も忘れ られない. 創刊号か ら2巻 1号 までの 5冊の編集 は,松 香光夫助教授 (当時)によって行われ,初期の 頃の発行,編集の苦労が編集後記 に記 されてい る.パ ラグアイか ら帰国 した筆者 は, ミツバチ 科学研究所 (当時)の専任 となり,2巻2号か ら編集 に携わることにな った.1
987
年9
月よ り1年間の フランクフル ト大学派遣研究 中に あた る8巻4号 か ら9巻3号 までの4冊 は, 渡辺万里所員 (現在玉川学園アーツネッ トセ ン ター)にお願い したが,1
8
巻1
号 までの60
冊 を担当 した.1
8
巻2号か らは,中村純講師が編 集を担当 し,現在 に至 っている. 「ミツバチ科学」は,創刊号(
1
9
80
)
か ら6
巻1
号(
1
9
85
)
までは岡田一次教授,6
巻2
号か ら1
4
巻 1号 (1993)は,2代 目主任の酒井哲 夫教 授,1
4
巻2
号 か ら1
8
巻1
号(
1
997
)
は3 代 目主任の松香光夫教授, そ して1
8
巻2号か らは4代 目主任の筆者が発行者 となっている. 巣房をデザインした 「ミツバチ科学」の表紙 は, 1年 ごとに色を変え, 5色を5年周期で繰 り返す方式を1
5
巻2
号 までとっていた.1
99
4
図1
第1
5
巻3
号から表紙デザインを変更年 4月か らの 「ミツバチ科学研究施設」への名 称変更を期 に,1994年 7月 10日発行の 15巻 3号か ら 1年 ごとの色変えは変更せずに ミツバ チの生態写真 を表紙 に飾 ることにな った (図 1).20巻 3号 まで 22冊 が これ まで発行 され ているが, 特別号の2冊 を除いた 20冊はニホ ンミツパテの生態を中心 とした写真である.今 後 しば らくの間,ニホンミツバチの写真を継続 して使用する予定でいる. 創刊号 に岡田一次教授 は,『・-ミツパテ科学 研究所ができ,幅広 い養蜂科学の発展を深 く深 く念願 し,季刊誌 「ミツバチ科学」の創刊号の 運びとなった.新 しい ミツバチ専門雑誌の使命 と,今後の発展 は世界中のご支援 によってのみ 存在 し得 るものであろう』 と述べている.発刊 に際 して海外か ら7名 の研究者 と唯一 の国立 研究機関である畜産試験場の中野茂室長か ら祝 辞をいただいているのは,岡田一次教授のそれ までの実績によるものが大 きいと思われる. 国 内 の養 蜂事 情 創刊号 (1980)の最初の記事 は,日本の養蜂 事情の解説か ら始 まり
,
「日本の養蜂」 (酒井哲 夫 :以下 カッコ内敬称略)が紹介 されている. その後, 6巻 4号 (1985) に同 じタイ トルの 「日本の養蜂」(吉田忠暗)が掲載 されているが, これ は名古屋 での第30回国際養蜂会議 を前 に, 日本の養蜂をまとめたものである.国際養 蜂会議の公用5か国語 (英,仏,独,露,西語) で出版 された第30回国際養蜂会議総集録 に, 記事の全文が翻訳 された. 筆者が編集を初めて行 った2巻 2号 (1981) には,文献を丹念 に収集 しまとめ上 げた,養蜂, ミツノヽチに関す る書籍を多数出版 している渡辺 孝氏 によって 「日本における旧式養蜂の歴史」 が紹介 された.今で もニホンミツバチの文化史 に関する重要 な記事 として,ニホンミツバチの 関連論文に引用 されている. 日本各地の養蜂事 情 については,2巻 4号 (1981)の 「鳥取県養 蜂の推移」(末次晃),
「栃木県の養蜂」(下鳥大 作)が最初で,3巻 (1982)か ら5巻 (1984)に 「熊本県」(堀部清),
「愛知県」(小林忠七),
「石 州崇
」(惣田甚郎),
「静岡県」(竹下富雄),
「大 分県」(石松武雄),
「茨城県」(浅川進),
「三重 県」(水谷正一),
「兵庫県」 (俵孝),
「青森県」 (大田裏二) が継続 して紹介 されている. その 後,6年ほど各県の養蜂は途切れているが,10 巻 (1989) に 「東京」 (小畑博美知),11巻 (1990)に 「神奈川県」(柳下重幸)が掲載 され, 国内の養蜂事情 についての紹介 は1都 12県に なっている.各県の養蜂事情は年々変化 してい ると考え られ, 16巻 2号 (1995) に掲載 した 「農林水産統計か らみた養蜂産業の推移」((杜) 日本養蜂はちみつ協会)で示 されたような全国 レベル的な内容について,今後検討 していきた いと考えている. 海 外 の養 蜂事 情 3巻 2号 (1982)のカナダ ・ゲルフ大学 タウ ンゼ ン ト博士による 「熱帯地方の農村開発にお ける養蜂」の記事 は,養蜂振興のありかたにつ いて述べている貴重 な内容であり,バオバ ブの 木 につ り下 げ られた丸太巣箱が印象的であ っ た. ブラジルのケール博士か らは, 1983年に 玉川大学訪問時にお願 い していた 「ブラジルの アフ リカ蜂化 ミツパテ」を6巻 3号 (1985)に 掲載 した. ブラジルへのアフ リカ ミツバチの導 入 と,導入後の逃亡の経緯がよ く理解できる内 容である.飛行機事故 に遭遇 して他界 された京 都大学の井上民二博士 には,1990年の第 12回 ミツパテ科学研究会で講演いただき,その内容 を11巻 2号 (1990)に 「ユカタン紀行-マヤの 養蜂をもとめて-」 として掲載で きたのは,忠 い深 いものとなった. 養蜂技術協力や青年海外協力隊員 として活動 した国 々の養蜂事情 につ いて も紹介 されてい る.1巻 2号 (1985)の 「パ ラグアイ国養蜂の 現状 と問題点」(竹内一男),2巻 4号 (1981) の 「パ ラグアイにおける養蜂技術協力」(吉田忠 晴),11巻 4号 (1990)の 「パ ラグアイ国養蜂発 展の経過 と現状」(渡部和夫)は,国際協力事業 団の養蜂専門家 として指導,協力 した内容であ る.青 年 海 外 協 力 隊 で の活 動 報 告 は,3巻 (1982)の 「パ ラグアイで見た ミツバチ」(堀田康雄),8巻 (1987)の 「ネパ ールの養蜂- チェ パ ン族開発事業 の現場か ら
-
」(中村純),lo奄 (1989)の 「パ ラグアイでの養蜂技術指導」(栗 原徹),13巻(1992)の 「パ ラグアイでの養蜂技 術指導を終えて」(中村 あゆみ),
「グアテマラの 養蜂一青年海外協力隊 に参加 して-
」 (五十嵐 徹也),15巻 (1994)の 「グアテマラでの協力 活動」 (大木智之), 17巻(1996)の 「ケニヤで 見た養蜂」(高見早苗),
「コー トジボアールでの 協力活動 を終えて」(松岡満男),20巻 (1999) の 「南米 ボ リビアでの協力隊活動」 (浅 田悠樹) があ り,協力活動 を通 じた各国の養蜂事情が紹 介 されている. 民 族 学 的 な立 場 か らの伝 統 養 蜂 13巻(1992)になると,民族学的な立場か ら の伝統養蜂 についての研究 である 「西中国山地 周辺 における伝統的養蜂」(宅野幸徳)が発表 さ れた.その後,15巻 (1994)の 「対馬」(宅野 幸徳),16巻 (1995)の 「会津盆地南縁山地」 (佐治靖),
「紀伊半島南部」 (井上 ・井上), 17 巻 (1996)の 「四国石鎚山系」(佐治靖),18巻 (1997)の 「紀伊山地地方」(宅野幸徳),19巻 (1998)の 「照葉樹林文化 の一要素 と してのニ ホン ミツバチの養蜂一対馬 のハチ ドゥと-チ ド ゥガ ミを事例 として-」(山口裕文)の調査報告 が相次 いで掲載 された. 文 学 , 社 会 で の ミツパ テ 3巻4号 (1982)の 「郵便切手 と ミツパテ」 図 2 好評を博 した切手絵はがき (8枚組の中の4枚) 図 3 玉川大学 ミツバチ科学研究40周年記念特別講 演会で ミソバチのダンスについて講演するリ ンダウアー博士 (井上敦夫)は,井上敦夫氏 の貴重 な切手 コレク ションを もとに紹介 いただいた.井上氏の ご好 意 によってカラーで掲載 した切手写真 は, 8枚 組 の絵 はが きとして作成 す ることもで きた (図 2).4巻2号 (1983)には,1982年6月に他 界 されたフ リッシュ博士 の一周忌追悼記 を企画 し,一 番弟子 の リンダウア一教 授 か ら 「カー ル ・フォン ・フ リッシュ (K.Yon Frisch)20 世紀 の偉大 な生物学者」 の記事 に,貴重 な10 数点 の写真 を加 えて掲載 で きた.1990年7月 には玉川大学 ミツバチ研究40周年記念 として リンダウア一教授 を招聴 し,特別講演会 を開催 し た (図3).そ の 講 演 内 容 は,11巻 4号 (1990)に 「ミツバチの定位 と情報伝達」 と題 して掲載 した.12巻 4号 (1991)の 「斉昭公 と ニホ ン ミツバチ」,14巻 1号 (1993)の 「セイ ヨウ ミツパテ初輸入 とその行方」 は,原道徳氏 による綿密 な調査 による貴重 な記事である. さ らに15巻3号 (1994)の原道徳氏の 「稲の増 産 にハチ ミツ-明治前期 の試験顛末-」の記事 は,津田仙氏 によって考案 された 「津田縄」に, ハチ ミツを塗 りつ けて稲 の花粉交配 を行 う興味 深 い内容である. 次号の15巻 4号では, 田中 肇氏 によって 「津田縄 とその使用方法」 の図が 紹介 され,一連の記事 とな った. 蜜源植物 創刊号 のハナダイコンか ら13巻 (1992)の クズまで,45種の蜜源植物 について解説 している.著者は学内,学外でそれぞれの植物 につい て専門の先生方 にお願 い し,続 けることができ た.7巻 2号 (1986)には 「蜜源植物 としての レンゲについて」(安江多輔),9巻 2号 (1988) には 「蜜源植物 としての レンゲの利用開発」(安 江多輔)
,
「稲作転換政策 としての レンゲ栽培の 実情」(末次晃)とレンゲの復活を願 う記事が掲 載 された.蜜源の保護 に関 しては,9巻 (1988) の 「蜜源樹木の保全について」(渡辺元),12巻 (1991)の 「樹木蜜源の保残にむけて」(小野保 -)で, トチノキ, シナノキ,セ ンノキなどの 蜜 源木 の保護 が訴 え られ て い る.17巻 1号 (1996)の岡田一次名誉教授の 「ミツバチとの 対話一蜜源一」は,
「ミツバチ科学」に寄稿 され た最後の論文 となり,蜜源植物 と ミツバチ, 日 本の養蜂に思いを寄せた内容である. 花粉形態 蜜源植物の花粉形態や-チ ミツ中の含有花粉 に関する論文 は,蜜源表示の-チ ミツの分析に 重要な資料 となっている.2巻 3号 (1981)に は,幾瀬マサ教授 はかによって 「国産ハチ ミツ の含有花粉に関連 して」 が掲載 された. 2巻 4 号の北島-良民による 「日本蜜源植物の花粉形 態一写真観察を中心に-
」の論文 は,幾瀬マサ 教授の指摘で,花粉 ロを示 した花粉写真の位置 の間違いが指摘 され,印刷直前 に訂正 した懐か しい思い出がある.4巻 4号 (1983)の 「ハチ ミツに含 まれる花粉」(浅生はか)は短期大学食 物専攻学生の卒業研究をまとめていただいた. 花粉の形態に関す る私家版を多数出版 されてい る坊田春夫氏か らも11巻 3号 (1990)に 「ハ チ ミツに含まれる花粉の同定」について解説 い ただいた.素晴 らしい花粉形態写真による三好 敦夫教授の 「走査電子顕微鏡 による日本産蜜源 植物の花粉形態」は,14巻 2号 (1993)に木本 類を, 15巻 2号 (1994) に草本煩を掲載でき た.ハチ目
2巻 (1981)の 「ミツバチの雌雄の染色体」 (干場英弘)では,性を決定するメカニズムや染 色体構成について解説 された.多年に渡 りミツ バチをはじめとした社会性ハナパテ頬の研究に 従事 された坂上昭一教授か らの 「-ナバチの育 児 習 性 の進 化」に関 す る論 文 は,13巻 1号 (1992)に掲載 す ることがで きた.20巻 1号 (1999) の佐々木謙博士 による 「-チ目の卵の 発生開始 メカニズム」は,機械的刺激による未 受精卵の発生開始など,興味深い内容である. ニホ ン ミツバ チ の伝統養 蜂 日本各地でのニホンミツバチの伝統養蜂につ いては2巻か ら取 り上げている.二ホンミツバ チの飼育の盛んな地方の調査が行われるように なり,巣箱の呼び方,採蜜方法などにそれぞれ 特徴 が あ り,貴重 な記録 とな って い る.2
巻 (1981)の 「熊野路」(原道徳),6巻 (1985) の 「愛媛県」(越智孝),8巻 (1987)の 「奈良 県十津川村」(原道徳),11巻 (1990)の 「岩手 県」 (藤原誠太),
「対馬」 (大坪藤代),(吉田忠 晴),14巻 (1993)の 「神奈川県」(浅田真一), 15巻 (1994) の 「長野県伊那谷」 (岩崎 ・井 原),19巻 (1998)の 「大阪市東北部」(菅原道 夫)が報告 されている.伝統的な飼育方法か ら 可動巣板 と巣箱を用 いる飼育形態が考え られる に従 って,ニホンミツバチの生態や飼育管理に ついて解説 されている.2巻 (1981)の 「ニホ ン ミツパ テ の庭 先 飼 育」(岡 田一 次),12巻 (1991)の 「ニホンミツバチ (日本蜂)-覚え書 き Ⅰ,Ⅱ-
」(岡田一次)は,生態を詳 しく述べ た内容である.14巻 1号 (1993)の 「可動巣枠 式巣箱 によるニホンミツバチ,Apisceranaj a-ponicaRadoszkowskiの飼育法」(吉田はか)は,玉川大学農学部の紀要 に掲載 した内容を書 き改めた論文であるが, セイヨウ ミツパテの巣 箱をニホンミツパテ用に改良 したものである. 18巻 (1997)か ら 19巻 (1998)に 5回に分 け て連載 された 「ニホンミツバチーその生態 と飼 育法
Ⅰ∼
Ⅴ-
」(吉 田忠晴)は,ニホンミツバチ 養蜂の歴史,伝統養蜂,生態,セイヨウ ミツパ テとの種間相違点や青木 ・吉田によって開発 さ れた可動巣枠式巣箱 のAY巣箱 による飼育法 などが述べ られている.ダ ンス論争 ミツパ テ の ダ ンス論 争 につ い て は
,4
巻 (1983)に大谷剛博士 によ って,
「ミツパテのダ ンスは本当に言葉か-Goul
d
論文の批判-」に よって詳 しく解説 された. 二ホ ンミツパテの体色変化,防衛戦略 8巻 3号 (1987)に発表 した 「ニホンミツバ チの働 き蜂 における体色の変化」 (小野 ・鶴田) は, その後1989年 に ミツパテ科学分野の学術 雑誌であるApi
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誌 に掲載 された.20
巻 3号 の表紙 は, その体色変化の様子である,17 巻 1号(1996)の 「オオスズメバチの採餌戦 略 に対す るニホ ンミツバチの防衛戦略」 (小野正 人) は,捕食者 と被食者 の共進化 について解明 した もので,原著 はNa
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誌 に公表 された も のである. オオスズメバチの集団攻撃 に対す る ニホ ンミツバチの発熱防衛行動 は,各国で大 き な注 目を集 めた.17巻 1号 の表紙 に,オオズズ メバチを熱殺す るニホ ンミツバチのサーモグラ フィーでの可視化像 を採用 した (図 4). 二ホ ンミツバチとキ ンリョウヘ ン 7巻 1号 (1986)のニュース欄 に掲載 のニホ ンミツバチの可動巣板を観察 している写真 に興 味を持たれた熊本県八代市在住 の福 田道弘氏か ら連絡があ った.最初 はニホ ンミツバチの可動 巣板での飼育方法 についての質問であ ったが, 福田氏か ら東洋 ランにニホ ンミツバチの分蜂群 が飛来す るというこれ までに聞 いた ことのない 興味深 い話があ った (図 5).早速,5月に筆者 と小野助教授 (当時大学院生) は,八代市 にお もむ き,分蜂群 の飛来 は見 られ なか った もの の, その地域で呼ばれている 「ミツバチ ラン」 につ いての話 を聞 くことがで きた. ランとこホ ン ミ ツ バ チ の 現 象 に つ い て は,9巻3号 (1998) に 「キ ンリョウへ ンにひかれ るニホ ン ミツバチの分蜂群一八代市二見か らの レポー ト ー 」(福田道弘)を発表いただいた.その後,大 学 に持 ち帰 った一鉢 のキ ンリョウへ ンに,分蜂 群だけではな く, ニホ ンミツバチの雄蜂が飛来 1SSN0388-2217ミツノ
け科学
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1996図4 ニホンミツバチによるスズメバチの撃退方法 を科学的に解明 したサーモグラフィ画像は第 17巻1号の表紙にもなった 図5 キンリョウ-ンに群がるニホンミソバチ す るとい う大 きな発見があ り
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誌 に掲載 された.13巻 4号 (1992)の 「ニホ ンミ ツパ テ とこれを誘 引す るキ ン リョウへ ン (ラ ン)との特異 な関係」(佐 々木正己)は,Expe
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誌 の論文 にその後 のデータを加えて発表 した ものである. トウヨウ ミツバ チの4
亜種 7巻 (1986)に掲載のル ッ トナー博士 による 「トウヨウ ミツバチAPisceranaFa
br
.の特徴 と地理的変異」 の論文 は, 名古屋での第30回国際養蜂会議 で発表 され た内容 の一部 であ り, トウ ヨウ ミツパ テが4亜 種 に分 け られ た重要 な論文であ る.
ミツパテの新種
ボル ネオ島で雄蜂 の交尾器,交尾飛行時間の 違 いによ り, トウヨウ ミツバチか ら独立 の種 と な っ た サ バ ミツバ チ に つ い て は,9巻3号 (1988)に 「ボル ネ オ島 の サバ ミツバ チApis vechtiMaa,1953-最 近 の文献紹 介 を中心 に-
」(小野正人)で解説 した (サバ ミツパテの学 名ApisvechtiMaaは,後 にApiskoschevni -koyiButte1-Reepenに改 め られ て い る) (図 6). ミツバチの新種 につ いて は Sakagamiは か (1980)によ って,オオ ミツバチか らヒマ ラ ヤオオ ミツバチが独立種 と して発表 された. し か し別種扱 いには慎重 な意見が長 い間出 されて いたが,独立種 と して認 めざるを得 ない研究で ある 「ヒマラヤオオ ミツバ チ(A♪islaboriosa) の 生 態」 (B.A.Underwood)を 13巻 1号 (1992) には掲載 で きたの は感激 であ った. さ らに, ア ジアの ミツバ チの中で, コ ミツバチか らク 口コ ミツバ チが独立 の種 とな り, 13巻 1 号 の 「ア ジアの ミツパテ
」(小野正人)の記事 の 中に, 6種 の ミツバ チの カ ラー写真 を加 えて解 説 した. この写真か ら 「ア ジアの ミツパテ」 の 絵 はが きが作成 された (図 7). 1995年 にスイ ス ・ローザ ンヌで開催 された第34回国際養蜂 会議 の写真部門 コ ンテス トに出品 した ところ, 「ア ジアの ミツバ チ」 の絵 はが きは銀賞 を獲得 す ることがで きた. それ を記念 して16巻 4号 (1995)表紙 は,8枚組 み絵 はが きの内の 4枚 図6 サバ ミツバチ (中央は女王蜂) 図7 7ピモンディアで銀賞受賞 した「アジアの ミツ バチ」の絵はがきは海外でも好評 と銀 メ ダルの デザ イ ンと した.1996年 にな る と, ボ ル ネ オ 島 の キ ナパ ル 山 中腹 か らApis nulensisが新種 と して, またイ ン ドネ シアのス ラウ ェ シ島か らApisnigrocinctaが トウ ヨウ ミツバチか らの独立種 と して発見 された.Api -dologie誌 の 27巻 5号 (1997) には, この 2 種 を含 む特集が組 まれ, 18巻 4号 (1997)の 「Apidologie特 集号 ア ジアの ミツバ チ」 (中村 紘) でその内容 につ いて紹介 した.19巻 2号 (1998)の 「ア ジアの新種 ミツパ テの和名」 (玉 川大学 ミツバチ科学研究施設)で,A.nulensis にキナパルヤマ ミツバチ,A.nigrocinc
ta にク ロオ ビミツバ チの和名 を付 けた.学校教材 としてのミツバチ
学校 教材 と して の ミツバ チの利用 につ いて は,生 きた教材 と して ミツバチの生態が身近 で 体 験 で き る こ と か ら 注 目 さ れ,1巻 3号 (1980)に 「小学校理科 における ミツパテ教材」 (太 田正 臣),
「中学 生 に よ る ミツバ チの研 究」 (谷正敏),
「学校 にお ける ミソバ チの飼育 と活 用」(佐藤英文),
「雄蜂児 を用 いたテ ン トウム シ の飼育」(新 島恵子),
「生物教材 と してのナ ミテ ン トウ」(佐久間宣良)の特集が組 まれた.5巻 1号 (1984)の 「自然への関心 を高 める- ミツ バ チを使 った学習指導 の実際-
」(佐藤邦昭)で は,小学校 での ミツバ チの活用 につ いて述 べ ら れている.8巻 2号 (1985)には,中学校 での ク ラブ活動 と して ミツバ チを題材 に し,第28 回 日本学生科学賞 に入選 した 「教材 と しての ミ ツバ チ研究」 (山下孝幸) を掲載 した.女 王蜂 , 働 き蜂 ,雄 蜂 5巻 2号 (1984)の折戸金蔵氏による 「女王 蜂直接更新法」は,旧女王 と新女王の2つの蜂 群か ら,それぞれの女王蜂が存在する巣板を取 り出 し,巣箱の近 くに置 き,そこにいる旧女王 を取 り除 き,新女王の超をつまんで素早 く旧女 王 のいた位置 に放 っ方法 であ る.普通 であれ ば,他の群の女王蜂を攻撃す る働 き蜂のボー リ ングができるが,それが起 こらないという現場 のテクニ ックとして紹介 されている. この反響 は大 きく,7巻2号 (1986)に,さらに女王蜂 付 き巣板を入れ替える 「簡単 に出来 る女王蜂更 新法」 として再度紹介 された. この方法は女王 フェロモ ンと関係があると考え られるが,旧女 王の年齢 に多少の差があるものの,女王蜂直接 更新法が可能 であ ることを確認 して いる.10 巻3号 (1989)に G.ケーニガー博士の 「ミツ バチの多回交尾 と交尾棲識」を掲載 した. これ はBeeWorld誌の掲載論文 を翻訳 した もので あるが,女王蜂の交尾のメカニズムが分か りや す く解説 されている. 同 じ10巻 には, 人工授 精の操作手順を写真を用 いて説明 した 「ミツバ チ女王蜂の人工授精」(吉田忠晴),人工授精で はな く,光周制御 によって目的の女王蜂 と雄蜂 を交尾 させるという 「ミツパテ交尾飛行時刻の 光周制御一 自然交尾による純系の維持 と任意系 統間の交配 にむけての試み
-
」(佐々木 ・吉 田) と,配偶行動 に関する記事 を取 り上 げた.12巻 には,人工授精を用 いて Ej本で初めて作 り出 し た 1代雑種女王蜂についての 「-イブリッ ド・ ミツバチふ くおか-イクイー ンの作出」(深江 義忠)を掲載 した. 1個体追跡法で観察 した10巻 2号 (1989) の 「働 き蜂の働 き方」(大谷剛)は,働 き蜂の常 識的なイメージと違 って,ぶ らぶ らと仕事を捜 している個体が多いが, どの個体 も仕事に前向 きに取 り組んでいることが紹介 された. 女王蜂 との交尾のために,雄蜂が空中の特定 な空間に集合する場所の存在については,数か 国で報告 されている. 日本で最初の 「セイヨウ ミツパテ雄蜂の集合場所」 の発見が10巻3号 (1989)に予報 として,11巻 4号 (1990)に詳 しい内容が 「日本で最初の雄蜂の集合場所の確 認」 (吉田忠晴) として掲載 された.10巻3号 (1989) のニュース欄 に紹介 されているが, ト ラップに雄蜂が誘引,捕獲 された日は, ちょう どNHKの依頼によるバーコー ドの実験を進め ていた.胸部背板に超小型バーコー ドが貼 り付 けられた雄蜂が,捕獲 された集団に混 じってい たことにたいへん驚 いたが,飛行距離,飛行時 間が解明されるなど重要なデータとなった.そ の後ニホンミツバチの集合場所 について も,玉 川大学 と岩手県で確認 されている. 腐姐 病 , チ ョー ク病 ミツバチのアメ リカ腐姐病,チ ョーク病, ノ ゼマ病の病気や ミツバチへギイタダニ,スズメ バチ,ハチノスッヅ リガの害敵については重要 で,1巻-3巻の初期か ら取 り上げ られている. 1巻 4号 (1980) は,京都で開催 された第 16 回国際昆虫学会議で発表 された論文の中か らい くつかが翻訳 され,病気,害敵の特集 となって いる. その中にはGilliam博士の 「チ ョークブ ルー ド病 の防除,その可能性 と問題点」,Shi -manuki博士の 「アメ リカ腐姐病の防除一過去 と現在のアメ リカ腐姐病防除法-」の重要な論 文が掲載 されて いる.腐姐病 の予防 に関 して は,3巻 2号 (1982)の 「給餌物中のテラマイ シンと蜂体および貯蜜中への移行」 (Gilliam ・ Argauer) も重 要 な 内 容 で あ る. 13巻 3号 (1992)の 「ミツバチの腐姐病一現在の知見-」 (東量三)は,腐姐病 についての資料 としてたい へん参考 になる.12巻3号 (1991) に掲載 さ れた 「樹木抽出成分 (青森 ヒバ)を用いた ミツ バチ ・チ ョーク病防除について」(岡部 ・斉藤) は,青森 ヒバのオガクズか ら水蒸気蒸留法 によ って抽出され,香料 として天然添加物 に認可 さ れているヒバ油を, チ ョーク病の防除に使用す るという興味深い報告である.ミツバチヘギイタダニ
ミツパテへギイタダニに関 しては, 1巻 4号 (1980) の 「日本 における ミツバチへギイタダこの推移 とその防除 養蜂家 の ア ンケー トを中 心 に」(酒井 ・竹 内)で,日本 の状況 が調査 され て いる. ダニの被害 によ って働 き蜂 の超 に異常 を きたす奇形蜂 が
1
9
82
年 に発生 した (図8
)
.
そのため,4
巻3
号(
1
983
)
で は,奇形蜂多発 の要 因,奇形蜂発生 の現状 そ して防除法 の特集 が組 まれ た. その後1
0
巻1
号(
1
9
89
)
で も, ミツバ チへギイ タダニを含 む ダニ類 につ いて特 集 され,
「ミツバ チ- ギイ タダニの侵入 か ら11 年一西 ドイ ツでの経験 と展望-
」 (Koeniger・ Fuchs
),「ミツバ チ寄生者 と しての ダニ類」(
小
野正人),
「ニ ホ ン ミツバ チ はなぜ ミツバ チへギ イ タダニに抵抗性 か」 (佐 々木正 己) な ど6編 が掲載 されて い る. ミツバ チへギイ タダニの馬区 除剤 につ いて は,7
巻(
1
986
)
に 「ミツバ チへ ギ イ タ ダニ馬区除 薬 剤 バ ロテ ック ス につ いて」 (中村行雄),1
3
巻(
1
9
92)
に 「ア ビス タ ンによ る ミツバ チ へ ギ イ タ ダ ニ (Varroajacobsoni Oud.)の寄区除効果 および ミツバ チに対 す る安 全 性」(吉 田忠 暗),
「ミツバ チへギイ タダニ駆 除剤 三菱 ア ビス タ ンにつ いて」(東浩)が あ る.現在 バ ロ ッテクスの発売 は中止 とな り,巣板 問 に塩 化 ビニール樹脂製剤 をぶ ら下 げ る画期 的 な処理 方法 で あ るア ビス タ ンは,最近 ア ビス タ ン抵抗 性 の ダニが イ タ リア, ア メ リカで 出現 し始 め問 題視 され て い る.1
99
8
年4
月 の家畜伝 染病予 防法 の一部改正 によ って, これ まで法定伝染病 に指定 されて いた腐姐病 の はか に,バ ロア病, アカ リンダニ症, チ ョー ク病, ノゼマ病 の4種 が届 出伝 染病 と して追 加 され た. その ため1
9
巻3
号(
1
9
98
)
に,ShimanukiandKnox博 士 によ って 「ミツバ チの病気 とダニの認識」 に 図 8 バロア病で奇形化 した働 き蜂. 右 は正常 な個体 つ いて ま とめて いただ き, ミツバ チへギイ タダ ニを含 めた特集 を組 んだ.気管寄生性 ダニであ るアカ リンダニAcarapiswoodiによ る疾病 の アカ リンダニ症 は,今 の ところ 日本 で は未確認 で あ る. アカ リンダニの生 態 につ いて は,玉川 大学農学部 昆虫学研究室 を卒業後, イギ リス ・ カーデ ィフ大学 の修士課程 で アカ リンダニの研 究 に従事 した中村千里 さん によ って,9巻1号(
1
9
88
)
に 「アカ リンダニ (Acarapis woodi Rennie)の寄生生態」 と題 して,詳 しく解説 さ れて い る.スズメバチ,タコゾウムシ,クマ
スズメバ チ ・パ ワーの秘密 と もいえ る幼虫 の 唾液成分 につ いて は,
「ス ズ メバ チサ イ エ ンス 飲料」 と銘打 って商 品化 されて い る. その成分 や運動 への影響 につ いて は,1
6
巻 1号(
1
9
95
)
に 「スズメバ チ栄養液 の運動 への作用」 と して 阿部岳博士 によ って解説 され た. この内容 は第1
8
回 ミツパ テ科学研究会 で講演 いただ いた. スズメバ チによ る ミツバチの被害 は重 大 な問 題 で あ り,創刊号 に 「ス ズメバ チ馬区除効果 の一 例」(相原信治),
「オオス ズメバ チの誘 引捕殺 の 試 み」(岡 田一次)が掲載 され,その後,キイ ロ スズメバ チの捕獲法, オオ スズメバ チの誘 引物 質, スズメバ チの捕獲器 の報告 が あ る.6巻2 号(
1
9
85
)
には,松浦誠 博士 によ って 「スズメ バ チ類 の生 態- なぜ ミツバ チを襲 うのか-
」,1
4
巻2
号(
1
993
)
に 「スズメバ チの生態一多 様 な生活史-」 が ま とめ られて い る. スズメバ チの都市域 で の発生 が問題 にな るに従 って, ス ズ メバ チ駆 除作業 に必要 とな る防護服 の開発 が 進 め られ た.1
6
巻 1号 (1
995
)
に, 防護服改良 の変遷 につ いて述 べ た 「蜂用 防護服 の開発 の現 況 と課題」 (坂輝彦), さ らにスズメバ チ駆除 の 必需 品 の一 つ とな って い るスズメバ チ用 スプ レ ー 「スズメバ チ撃退 スプ レー,ハ チ ノ ックの効 果」 を タイ ミング良 く掲載 で きた. 九州 を中心 に レンゲの花 が食害 され, レンゲ の採蜜量 が減少 す る原因 とな ったアル フ ァル フ ァタコゾウム シは,8巻4号 に 「日本 に侵入 し たアル フ ァル フ ァタコゾウム シ」 (森本桂),1
2
巻4号 (1991)に 「レンゲの害虫- アルファル ファタコゾウムシ
ー
」(奥村正美)で生態,被害 様相,防除対策などが紹介 された.養蜂家の生 活基盤 とな る蜂群が クマによ って受 ける被害 は, 1992年には 3千群を越える数である. 16 巻4号 (1995)の米 田政明 ・米 田一彦氏 による 「クマと養蜂被害一生態 ・生息状況 と被害防除 -」 は, クマが生息す る環境 と養蜂は共存でき るはず との視点か らの論文である.スズメバチの刺傷
ここ数年,秋 になるとスズメバチの刺傷が問 題 となっている.14巻 2号 (1993)には,松浦 誠教授 に第15回 ミツバチ科学研究会で講演 い ただいた内容を,
「スズメバチの生態一多様 な 生活史-」 と して ま とめていただ いた.4
巻 (1983) に 「ハチ毒の化学」 (中島曙的),6巻 (1985)に 「スズメバチの毒」(阿部岳),12巻 (1991) に 「-チ刺 されに対す る生体反応 とそ の影響」(R.M.Rupp),14巻 (1993)には, 山形県での調査による 「農業従事者のハチア レ ルギーに関する実態調査一主 にスズメバチ, ミ ツバチ特異IgE抗体保有者-
」(高橋 ほか),17 巻 (1996)に 「日本 ・林野庁の蜂刺傷に対す る 現場での対応の試み」(佐 々木 ほか)と関連の記 事を掲載することができた. ハチ ミツ 本学農芸化学科食品製造化学研究室では,敬 越後多嘉志教授を中心に-チ ミツの諸成分や酵 素をテーマ した研究が進め られていた.1巻に はその成果 となる 「ハチ ミツα-グルコシダー ゼ」 (竹 中哲夫),
「蜂蜜 の特性 と品質 の変化」 (越後多嘉志),
「蜂蜜香気成分の検出」 (渡辺 ・ 越後),
「蜂蜜の糖,有機酸 および遊離ア ミノ酸 組成の噂好 との関係」が報告 されている.また 1巻の, アメ リカでの-チ ミツ研究の第一人者 であるホワイ ト博士か らの寄稿 「U.S.A.におけ る蜂蜜研究のハイライ ト」 も見逃せない.5巻 1号 (1984)には,日本人 によって書かれた, あるいは日本語 に翻訳 された文献,資料を 「-チ ミツの日本文献」 としてまとめた.中村純講 節 (当時大学院研究生)には,資料の収集,整 理 に苦労 をかけたことが思 い出され る.5巻 4 号(1984)の 「ハチ ミツ Honey」(越後多嘉志) は,ハチ ミツの一般解説資料 として活用 されて いる.1987年の-チ ミツ中のボツ リヌス菌 に よる 1歳未満 の乳幼児 に発症す る乳児 ポッ リ ヌス症 は,一時消費者の混乱を招 いた.ボツ リ ヌス症の権威である坂 口玄二博士 には,9巻3 号 (1988)に科学的な根拠 を もとに した 「-チ ミツ中のボツ リヌス菌について」を解説 いただ いた重要な資料である.現在では,販売 されて いるハチ ミツのラベルに「
1
歳未満のお子様 に は食べさせないで下 さい」 と明記 されるように なった. ローヤルゼ リー 創刊号 に掲載の 「ローヤル ・ゼ リー」(栓香光 夫) は,健康食品 としてローヤルゼ リー (初期 の頃はローヤル ・ゼ リーと区切 っていたが,義 近 は一語 として扱 っている)のブームが始 まっ た頃で もあり, 一般解説資料 として多 くの方々 に読 まれている.3巻 1号 (1982)の 「ローヤ ル ・ゼ リーの生産について」(小野保-)は,生 産 までの手順を写真で詳 しく解説 したものであ る.筆者が採乳ハ ウスで手順を見せて もらいな が らを撮影 したことが思い出される.ハチ ミツ と同様 に食品製造化学研究室では, ローヤルゼ リーの研究が進め られてお り,3巻 (1982)に 「ローヤル ・ゼ リーの一般化学成分 につ いて」 (竹中哲夫),5巻 (1984)に 「ローヤル ・ゼ リ ー中のタンパ ク質,ペプチ ド,遊離 ア ミノ酸に ついて」(竹中 ・越後),
「蜂蜜およびローヤル ・ ゼ リーの抗菌作用」(八並 ・越後)などの研究が ある. ローヤルゼ リーの臨床薬理 に関する報告 は, ミツバチ科学研究会での講演内容をまとめ た3巻 (1982)の 「ローヤルゼ リーの臨床」(痩 全 港),6巻 (1985)の 「ロ ー ヤ ル ゼ リ ー (Royaljelly)の臨床薬矧 こ関する研究」(田村 豊幸)がある. さらに6巻の 「ローヤルゼ リー (Royaljelly)の変異原性 に関する研究」 (田村 ほか),17巻 (1996)の 「ス トレスとローヤル ゼ リー」(池田ほか)が掲載 されている.ローヤルゼ リーの臨床薬理の研究 は少ないため,関心 が 持 た れ る 内 容 と な っ て い る.19巻 1号 (1998) は,糖尿病や高血圧の予防や治療 に可 能性を持っ物質や, ローヤルゼ リータンパ ク質 の特徴 と機能の研究論文 などが掲載 されたロー ヤルゼ リーの特集号であ る.
プロポ リス
養蜂生産物の中で,最近 とくに注 目されてい るプ ロポ リス (図9参照)は,1巻 2号 (1980) に 「ミツパテの集 めるプ ロポ リス」 (亀井正治) に始 まるが,松香 は19巻 2号 (1998)でそれ まで の関連記事 18編 の リス トを紹 介 して い る.3巻 4号 (1982)で,本学農芸化学科生物 化学研究室の瀧野慶則教授 と持 田俊二氏 によっ て, 日本で初 めてのプロポ リスに関する 「プロ ポ リス, その化学成分 と生物活性」が掲載 され た.愛媛産,秋 田産のプ ロポ リスを養蜂家 にお 願 い して数kgが採集 され, 日本産 プ ロポ リス の抗菌成分の研究が行 われた. この論文 は, 日 本でのプロポ リス研究の基礎 とな ってお り,多 くの論文 中に引用 されている.1985年 を過 ぎ ると,健康食品 と してプ ロポ リスが知れ渡 るよ うになり, 13巻 2号 (1992)に掲載 された松 野哲也博士 の 「プロポ リスに含 まれる生理活性 物質一抗 ガ ン物質の探索を中心 に-
」 は,プ ロ ポ リスに含 まれる殺 ガ ン細胞物質 につ いての研 究 だ けに注 目された.同 じタイ トルで,第14 回 ミツバ チ科学研 究会 で講 演 いただ いたが, 190名以上の聴衆が集 ま り,大 きな反響を呼ん 図 9巣枠の先端についたプロポリス だ. 日本で販売 されているプロポ リスの原料の 多 くは,外国か らの輸入である. プロポ リス製 品ではどのような原料が使 われているかの検討 は重要であ り, 13巻 4号 (1992) に藤本琢憲 博士 によ って,
「プ ロポ リスおよびその製品の 定性 と定量」が報告 された.その後, プロポ リ スの薬理作用が注 目され るよ うにな り,関連論 文が数編掲載 されている. 最近では15巻 4号 (1994),19巻 2号 (1998),20巻 2号 にプロポ リス特 集 を組 ん で い る.特 に19巻 2号 で は 「プロポ リス研究の これまで とこれか ら」 (松香 光夫),
「芳香性 プロポ リスの血圧降下作用」(池 野 ・池野),
「プ ロポ リスの組成 と生理活性 に関 与 す る物 質 の構 造 と活 性」(Palma・Malas -pina),
「ブラジル産 プロポ リス- その種類 と分 布-
」(Malaspina・Palma),
「プロポ リスはど こか ら来 るのか」(中村純)の興味深 い内容が掲 載 された. そのため19巻2
号の在庫 は全てな くなっている. ミツバチの花粉交配 2巻2号 (1981) は花粉 交配 の特集号 で あ る. イチゴハ ウスの内 と外 に飛招で きる両巣門 巣緒や,灰色 カ ビ病を抑制 す るための紫外線除 去 フィルム使用- ウスでの ミソバチの活動を調 査 した 「施設- ウス内にお ける花粉媒介用 ミツ バチの放飼 とその効果」(辻川義寿)の重要 な論 文が掲載 されている.その他, ミツバチが採集 して きた花粉だん ごを, リンゴの授粉 に応用す るという 「ミツバチ花粉 ダ ンゴ利用 による リン ゴ授粉効果」 (岡田はか), リンゴ,オ ウ トウの 授粉のスペ シャリス トであるマメコバチの普及 を願 った 「マメコバチに授粉効果 と必要数」(前 田 ・北村) の論文 は興味深 い内容である.8巻 4号 (1987)では,イチ ゴ,メロン, スイカ, ウメ, ナ シ, カキ,キウイの授粉のための ミツ バチ利用 について,現場で携わ っている7名の 方 々に寄稿 いただいた貴重 な特集である. ミツ バチに関す る花粉媒介の記事 は, しば らく途絶 え るが,18巻 2号 (1997)に,ニホ ンミツバチ を初 めて花粉交配 に利用 した 「ニホ ンミツバチ とセイヨウ ミツバチによる- ウス栽培 モモへの受粉効果」(岡田真治)で,ニホ ン ミツパ テはセ イ ヨウ ミツバチよ り低温,高湿で活動す ること が述べ られている. ニホ ン ミツパ テの花粉交配 が検討 され るよ うにな って きたが, ミツバチ以 外 に- リナ シバ リの利用 につ いて も試験が行 わ れた.13巻2号 (1992)に 「ブラジル産 カベハ リナ シバチのイチ ゴの ポ リネ一 夕ーと しての利 用」(前 田ほか)を掲載 した.実用化す るには蜂 群 の確保,受粉能力 など,検討課題 が まだ多 く 残 されている. マルハナバ チの花粉交配 現在,施設 トマ トの ポ リネー クー と して, ベ ルギー,オ ランダなど欧州か ら4万箱 のセイ ヨ ウオオ マルハ ナバ チが輸 入 されて い る.13巻 3号 (1992)の 「北 ヨー ロッパか らのマルハナ バチ利用」(和 田 ・栗原)で,セイ ヨウオオマル - ナバチが初 めて紹介 された (図 10).セイ ヨ ウオオマルハ ナバチが野外 に逃亡 した際の生態 系 に与 え る影響 を危慎す る声 も上 が り,14巻3 号 (1993)に
,
「セイ ヨウオオマルハ ナバチの 導入 によ る日本 の送粉共生 系へ の影響」 (加藤 真),18巻3号 (1997)に,
「サ クラソウと トラ マル-ナ-ナバチー植物 の種 の保全 のための ポ リネ一夕ーセ ラピーに向 けて-
」 (鷺谷 いづみ) を掲載 した.導入種 が帰化す ることによる障害 の対応策 は,有力在来種 の利用開発であ ること を,小 野 正 人 助 教 授 は15巻3号(1994)の 「マ ルハナバチの利用- その現状 と将来-」で述べ ている.18巻1号 (1997)の 「日本産 マルハ ナ バチの実用化 に向 けて」(浅 田真一)で は,日本 図10 トマ トの花上のマル-ナバチ 産 マル- ナパテの実用化 が進んでいることが記 されている. イ ンターネ ッ トの ミツバチ イ ンター ネ ッ ト時代 を迎 え た と言 われ る中 で,海外 を含 めた有用情報源 と して 「イ ンター ネ ッ トの ミツパテ
」 (中 村 純) 杏,19巻2号 (1998)か ら20巻2号 (1998)の5回 にわた り連載 した.養蜂, ミツバチ関連 のホームペー ジの情報 などが詳 しく紹介 されているので参考 にな る. ミツパ テ科学研究施設 の ホームペー ジ (URL http:〟www.tamagawa.ac.jp/HSRC/) の閲覧数 も週 に100以上 のアクセスがあ り,一 般 の方 々か らの問 い合 わせ も増 えて きて いる. 一度,覗 いて見ていただ きたい . 図書紹介 養蜂,昆虫のEg際学会 や ミツバチ科学研究会 の参加記事,海外の研究所訪問記, エ ッセイな ど,多 くの方 々の協力 を得 ている.国際 ミツバ チ研究協会 (IBRA)の発行誌 の紹介 は,毎号 に 掲載す るよ うに したが, これ も昆虫学研究室 の 3,4年生,大学院生 の協力 によるところが大 き い.国内,外国で発行 された135冊が参考図書 紹介の項で解説 されて いる. その内,1巻2号 か ら3巻4号 に掲載 され た39冊 の外国図書 は 岡田一次教授 による紹介 で,外国での ミツバチ 研究 を読者 に伝 えている. 記念特集号 20巻,80冊 の中で,
「記念特集号」 と して発 行 したのは,18巻3号 (1997)の岡田一次名 誉教授 米 寿記 念特集 号 で あ る.記 念号 と して IBRA の ク レー ン名誉 会 長 を は じめ, 16名 の 方 々か ら祝辞 や エ ピソー ドを いただ き,1925 -1997年 の業績集 が同 じ号 に まとめ られ た. その頃のお元気だ った先生 の姿が思 い出 され る 別刷資料 「ミツパテ科学」に掲載 された記事 の中で,9 編 を 「別刷資料」と して頒布 している.N0.1は 1巻 (1980)の 「教材 と しての ミツバチー観察と実験-」(佐々木正己),N0.2は 1巻の 「ロー ヤル ・ゼ リーRoyaljelly」(松香光夫),N0.3 は3巻(1982)の 「ローヤル ・ゼ リーの日本文 献」(玉川大学 ミツパテ科学研究所),N0.4は5 巻(1984)の 「ハチ ミツの 日本文献」(玉川大学 ミツパテ科学研究施設), N0.5は5巻の 「-チ ミツ Honey」(越 後 多 嘉 志),N0.6は 10巻 (1989)の 「ミツバチ女王蜂の人工授精」(吉田 忠晴),N0.7は12巻(1991)の 「ニホンミツバ チ文献集」 (玉川大学 ミツパテ科学研究施設), N0.8は13巻 (1992)の 「プロポ リスに含 まれ る生理活性物質一抗 ガ ン物質 の探索 を中心 に -」(松野哲也),N0.9は18巻(1997)か ら19 巻 (1998)の 「ニホンミツパテ-生態 とその飼 育法
-
」(吉田忠晴)である.謝
辞
最近 は,手書 きの原稿 はワープロによる打ち 出 し原稿 に,郵便 やFaxで送 られて きた原稿 はイ ンターネットで,印刷所への入稿原稿 はフ ロッピーで と様変わ りしているが,20巻の発 行 を迎え られたのは,読者諸賢,また海外研究 者か らのご支援 に負 うところが大 きい. 2000年以降 も1年1年 を積み重ねて, 日本 での ミツバチ科学の発展のためにも,継続 した 発行ができるように努力 したい. 最後 に,数回の納品後の再印刷や入稿の遅れ などに もかかわ らず,20年間お世話 にな って いる日新印刷株式会社 に感謝申 し上げる. (〒194-8610町田市玉川学園6-1-1 玉川大学 ミツバ チ科学研究施設主任)YosHIDA,TADAHARU.Historyof20volumesof '1HoneybeeScience''.HoneybeeScience(1999)20 (4):145-156.HoneybeeScienceResearchCenter,
Tamagawa Univ., Machida-shi, Tokyo, 1 94-8610Japan.
InJanuary 1980,thequarterlyjournal■t Hon-eybeeScience"startedtobepublishedandthis
edition counts as the 80th issue.The editor from 1980 to 1985 was the late Prof.Ichiji OkadawhowasthefirstdirectorofInstituteof HoneybeeScience.Prof.TetsuoSakaiandProf. MitsuoMatsukaedited8and4volumes,respec -tively.And the 4th director.Prof.Tadaharu Yoshidahasbeeninchargesince1997.
ThecoverofltHoneybeeScience"wasdesi g-nedwithcombcellsanditscolorwaschanged consecutivelyforflVeyearsterm untilNo.2of Vol.15.When the institute was renamed as Honeybee SclenCe Research Center in April 1994,the photograph ofhoneybeeshasbeen usedasacoverwiththesamecolororder.
In these 20 volumes,422 scientlfic articles withEnglishsummaries,someoftheseareorl g-inalandtheothershaveofferedgoodchanceto seethebeeworldrangedwidelycontaininghis -tory,education,chemistry,biology including botany,utilizationofbeeproducts,etc.
Fivesetsofpostcardshavebeen produced from the issues. Two ofthese were ln the articlesofttPostagestampsofhoneybeesinthe world''in 1982,and "The Asian honeybees (Apisspp.)'lin 1992,thelattersetwonasilver medalatthe34th APIMONDIA Congress.The other3sets,"Beesinclose-up"(1980),"Beeke ep-ing in Japan"(1985),and "Bees in portrait" (1990)werealsoinserted.Ninepopularrepl・ints are available from the ttHoneybee SclenCe". Theyare'-Honeybees,excellentmaterialf orob-servationsandexperiments"(1980),一一Royaljelly (1980),-lA listofJapanesereferenceson royal jelly"(1982),■■A listofJapanesereferenceson honey"(1984)..tHoney"(1984),"Instrumentali n-seminationofhoneybeequeens"(1989),HA c om-prehensivelュstOfreferencesonJapanes ehoney-bees,ApisceranaJ'aponica"(1991),"Isolationand characterization ofthe tumoricldalsubstances from Brazilian propolis"(1992),and 'tJapanese honeybees,ecology and its rearing methods" (1997).
This article describes the history and c on-tents,revleWing notonly 20 volumesofthe -'Honeybee SclenCe",butalso 21yearsofthe researchcenter(formerlyinstitute)and50years ofhoneybeeresearchinTamagawaUniversity,