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生活をとらえ、綴り、表現する学習の現代的再検討 : 共同学習・生活記録学習・生活史学習・住民運動学習の教育学的再検討

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生活をとらえ、綴り、表現する学習の現代的再検討

─共同学習・生活記録学習・生活史学習・住民運動学習の教育学的再検討─

姉崎洋一

はじめに 日本の社会教育の系譜に共同学習(collaborative learning)とよばれる 実践がある。その内容には、日々の生活を自覚的にとらえ返し、昨日より は今日、今日よりは明日の生活をより良くしたいという素朴な生活向上の 願いが含まれていた。 共同学習の方法は、主として若者や一般民衆(高等教育を受けていな い人々)の学びの方法であった。生活を記録し、文集をつくって、話し合 う。日々の生活(暮らし、労働、文化等々)や、生育史や家族の問題を、 話し合いを通じて、共通理解し、互いの生き方を考える認識を形づくる方 法である(注1) この方法の基礎は、学校教育の世界で、国家教育を〈異化〉する方法と して形成された。具体的には、学校教育が民衆に普及し、同時に子どもた ちに国家規範が強化されていく時期に、─それは同時に貧富差が進学機会 を分断していく時期─生活を綴るという方法(=生活綴方)を用いて、子 どもたちに、社会を理解する認識を身につけさせる方法として意識され た。例えば、1930 年代の東北の綴方運動は、国家規範を教え込んで天皇 の臣民として、良き兵士、良き母になるための少国民育成とは、異質な、 自分の目で見て、自分で調べて、自分で考えるために、科学的な物の見方 とリアリズム認識の手法を用いた(注2)。それは、当時の、日本の良心的 な教師たちによって主導され実践されたものだった。当然ながら、戦前の 抑圧的学校教育では、禁じられた実践になった(注3)

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この戦前期の運動の遺産の継承は、戦後、生活綴方復興運動として再 生した。山形県の山元村のいわゆる「やまびこ学校」実践、岐阜県中津 川・恵那地域の「夜明けの子ら」の実践が典型的であった(注4)。そこに は、日本の社会科学の弱点、すなわち、西欧の一般的な学説理解から始 まり、その解釈、模倣にとどまり、具体的な事実の実証は後にされるとい う方法に対して、子どもたちの生活事実から出発し、素朴な疑問をどのよ うに考え、解決したら良いのかを、問いかけるものだった(注5)。やがて、 この方法は、形態や方法は様々であるが、若者、大人の学習にも影響を あたえるものとなった。日本の若者の共同学習、生活記録運動が、直接 的な影響を受けたが、その後の生活史学習、公害をなくす住民の学習運 動、市民の政治学習等に、根底において引き継がれ、共通する問題意識 となった(注6) 1.「学びの共同」のジレンマ−日本の近代における集団と個人  戦後生活記録運動を民衆と知識人の相克、地域的実践空間と世界史の 軸において、とらえ返した鍵的人物に、鶴見和子がいる(注7)。彼女のプ

リンストン大学に提出した博士論文「Social Change and the Individual -Japan before and after Defeat in World War II, 社会変動と個人─第二 次大戦における敗北の前と後の日本」の第六章「サークル、ある繊維工業 労働者ライティング・グループ」は、アメリカ・欧州を意識して、より客 観的に実践を相対化した記述とされる(注8)。しかし、実践にふれながら、 女工達と交流しながらも知識人たる己と繊維女子労働者との文化的意識差 をつなぐことは、鶴見にも困難な課題だった。その克服は英語で表現する 博論において強く意識され、「自己をふくむ集団」の視点に向かった(注9) あるいは、後の「内発的発展論」において解こうとした外発性からの解放 という視点にもつながった(注 10)。日本の近代における個人と集団をどう とらえるかについては、鶴見和子に限らず、福沢諭吉、丸山真男、などに よって、これまで繰り返し問い直され、論議されてきた古くて新しい課題

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である(注 11) 日本の近代知識人の思考の基調は、初期は、遅れたアジア、遅れた日本 の後発性・後進性の指摘とその克服に主眼が置かれてきた。その場合西欧 に見られる「近代的個人」をどう日本人として形成するかに関心が注がれ た。しかし、そのような問いは、知識人の真摯な問いであっても、市井の 民の日常的問題意識とは大きな距離があった(注 12)。しかし、この「近代 的個人」をめぐる相克は、歴史的ステージと形を変え、いまや、知識人と 民衆との相克のレベルを越えて、より普遍的な「新たな市民」形成に焦点 化されてきている(注 13) 2.後期近代の転換期の課題─民衆の自己解放の学び 第二次大戦後の数次に及ぶ社会変動は、かつてのフレームワークを大き く転換させた。とりわけ、1990 年代以降の変化は、構造的と言えよう。 いわゆる「後期近代」(late modern)(注 14)の転換期は、新自由主義的 なグローバル経済による産業構造の構造転換、生産と消費における地球 規模的資源の浪費と損壊、持続的発展可能性への多くの困難の生成、人間 存在の自然的、社会的、主体的諸関係のねじれと複雑化を生み出した。社 会が「危険社会」(注 15)、「液状化社会」(注 16)といわれる所以である。人々 は、自らの生活の見通しを築くことが困難になり、「生きづらさ」を増大 させているという共通の時代認識を生み出している。とりわけ、家族、地 域社会、学校教育過程と労働の場、政治的社会的公共空間における人間的 諸関係の疎外の進展は、人々を孤立させた。まっとうな生を生き抜いてい くうえでの自助資源の有無の差は、ライフコースの格差化を強いた。ひと 握りの有資産階層への冨の集中と大多数の無産階層への貧困化の進展は、 資本主義経済の必然である。しかし、それを是正すべき社会的規制力(政 治的・社会的・文化的民主主義)は、まだ十分ではない。 日本では、言葉が熟していないが、社会において多くの犠牲を強いられ ている People(民、民衆、人民、人々、庶民)の自己解放の「多様な模

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索」の解明は、教育学の古くて新しい重要な課題である(注 17) 3.戦後民主主義の再生─生活史学習による共同と個のもやい直しの試み 近年「教育学の再定義」を掲げ、「戦後教育学の批判」を唱える一部の 言説があるが、そこには、戦後民主主義への懐疑と否定が存在する(注 18)。  執筆者はそのような認識には立たない。戦後民主主義(戦後教育学)の 有していた未熟さを指摘するのではなく、未来に向けた発展の課題を引き 取ることが重要である(注 19)。とりわけ、教育システムが産業社会の人材 養成に照準化され、その限りで教育と学習が「学校」に囲い込まれていく 時代進展の中で、「学校」に包摂されず、それを越えてめざされた民衆の 学びには、多くの汲み取るべき「宝」(treasure)が存在していると言わ なければならない(注 20) その際、戦後日本において取り組まれてきた民衆の「共同学習的」諸形 態と方法、その理論的実践的成果と蓄積についての教育学的な再定義を行 うことは重要である。このことは、具体的には、次の研究対象と目的をも つことになる。 日本においては、生活記録運動や共同学習運動が一旦途絶えていった 1970 年代から 90 年代にかけて、あらたに名古屋地域を中心に取り組まれ た「生活史学習」の歴史的実証的研究が必要になっている。「生活史学習 運動」は、学校での生活綴方実践、1950 年代の青年団を中心とした共同 学習運動、紡績工場の女性労働者たちを中心とした生活記録学習の成果を 前史としつつ、1960 年代後半から 70 年代における社会的に排除されてい た都市勤労青年の自己形成とあらたな共同化の中核的実践理論となるもの であった(注 21)。そこには、農村での青年団の共同学習運動と農村意識を 残しての繊維女子労働者の生活記録運動、さらに都市部労働者教育組織化 をつなぐ問題意識が見られた。また、青年の疎外された全体性と自己肯定 感を取り戻すべく、劣等感を克服し、協同性を培い、社会教育職員や研究 者と学びの楽しさを体験していくプロセスが重視された。具体的には、①

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話し合いによる自分と他者の理解(いまの生活、生い立ち)、②書くこと による自分と周りの世界の客観化と主体化、③学習による問題の系統的、 科学的理解(文献学習、各種の講座の受講、ワークショップへの参加)、 ④同世代と他世代をつなぐ組織化(ネットワークの構築)、⑤公的社会教 育への参加とそこからの支援、である。 この実践は、類似の「自分史学習」や「たまり場学習」と連関しつつ も、それとは、相対的に異なる学習理論仮説と組織化理論を有するもので あった(注 22)。また、それは、現代における「若者支援」における若者把 握、居場所、支援者論、プログラム編成、包括的学びのありようにも通じ ていくものがひそんでいると思われる。 同時に、この実践の現代的意味付けを行うことは、現代の若者・青年 期の社会的移行(transition)や「いまを生き抜く」学習実践への深い理 論的示唆を与えるものと思われる。また、生活史学習にたずさわった当事

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者たちの経時的変化、学習運動が与えた人生への影響などについての追跡 インタビュー調査、学習理論の学説史的な検討などは、現代のナラティ ブ学習や状況的学習理論との比較に新たな光をあてることになると思わ れる(注 23) なお、生活史学習と並行して自治体の支援と援助で取り組まれた「青 年大学」実践、「青年大学院」実践など、ノンフォーマルな対抗的大学 (counter university)プログラムの検討は、正規のフォーマルな大学教育 における学習編成に示唆を与えるものであり、ユースワーク的専門職役割 の日本的構築に通じる内容をもつものと考えられる。 しかしながら、この実践も 90 年代後半から世紀転換期にかけて勢いを 失っていく。時代の構造的変容が、この実践の主体的な力と客観的な支え 生 活 史 学 習 ︵ 生 い 立 ち ・ 生 き ざ ま ・ 生 き 方 ︶ 学 習 自 分 史 ・ 自 己 形 成 史 学 習 精 神 療 法 ・ 予 防 医 学 的 ・ 生 育 史 分 析 心 理― 歴 史 研 究 の 方 法 と し て の 生 育 史 分 析 未来 過去 主 体 客 体

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を失わせていった。その解明も必要になっている。 執筆者を含む研究者群は、1970 年代から 90 年代前半までの名古屋を中 心とした生活史学習にチューター、助言者、講師として、当時の学習共同 体の集団的一員として参画し、アクションリサーチの方法で幾らかの分析 を公刊してきた(注 24)。当時の学習当事者集団、研究者集団、青年教育施 設職員・自治体教育委員会関係者の関わりとそこで生成された「生きられ た生」と「学び」の質について、時間をおいての再評価と再定義が必要で ある。当時理論的リーダーシップを発揮した那須野隆一*をはじめ、青年 指導者集団、社会教育関係職員の関与についての歴史実証分析は、その鍵 を握ると思われる。それは、同時期の日青協を中心とした青年団の仲間づ くり実践、たまり場学習、長野県団などの自分史学習、日青協・日本青年 館の清渓塾実践、市民レベルでのふだん着学習、自分史学習、国際的にみ られるナラティヴ学習との異同を明確にするものと思われる。 4.先行研究 1)生活綴方:  日本の生活綴方研究においては、すでに数多くの研究成果が蓄積されて きた。歴史実証としての、戦前期の東北、北海道、西日本などの生活綴方 実践史研究、それらの教育的価値や方法分析、さらに戦後期におけるやま びこ学校実践の評価、山形での教育文化運動、恵那地域の生活綴方実践へ の多角的な分析などである(注25)。また、生活綴方の果たした教育内容、 方法、教科にとらわれないリアリズム認識論、表現論、教師の教育方法の 自覚化の問題、子どもをとらえる認識論、その教育学的な価値認識として の方法論などである。 本報告とのかかわりにおいては、前史としての東海教科研メンバーによ る恵那や三重県の生活綴方実践への関わり、真野典雄*などによる青年集 団における生活綴方実践の紹介、四日市や稲沢、西濃地方の紡績工場にお ける生活記録学習との連関が焦点となるところである。子どもを対象とし

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主体とする日常生活や親の暮らし、地域と学校に関する綴方表現、教師の 指導による綴方表現の質的高次化などに対して、若者・大人を主体とする 生活記録学習における話し合い、相互批評、リーダーの役割、文集作成過 程との共通性と質的差異の問題は、一つの重要な視点となる。 2)共同学習・生活記録学習 日本の社会教育、とりわけ若者集団・青年団における共同学習の教育的 価値や意味合いについても、先行研究が少なくない。日青協においては、 共同学習の成果と継承が、重要な主題となってきたことも周知のことであ る。しかしながら、それらが 1950 年代から 60 年代前半までを中心とし て、その後の展開において多くの制約をもつものであったことも、当事者 たちや研究者の指摘のあるところであった。その評価についての再検討と 批判的継承は、現代の課題である。 同時に、共同学習運動が展開された 1950 年代から 60 年代にかけて、農 村部から都市部工場に働きに出た女子労働者たちによって展開された生活 記録学習運動については、これも近年の研究の多くの発展が見られるとこ ろである。   当時の三重県四日市や愛知県稲沢の紡績工場の寄宿舎などにおける女性 労働者の話し合い学習をもとにしながら、自らの生い立ちや、母の歴史、 自分たちの生き方を書き綴る文集づくりが盛んに取り組まれた。この事に 着目した鶴見和子の紹介、四日市において生活記録学習に深く関わった沢 井余志郎などの果たした役割、女子労働者たちが加わっていた組合青年部 の活動についての現代的再評価、残された文集の内容分析、一人ひとりの 女子青年たちにとっての生活記録学習の果たした教育的意味合いが、問わ れているところである(注 26) このような、生活記録学習の役割については、女性史研究からの長野県 下伊那地方の女性たちの帰郷後の運動や活動への着目があることも、知ら れている。あるいは、本研究との関わりでは、生活史学習への共同学習・ 生活記録学習からの取り込み、影響の具体性が分析される必要がある。

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3)生活史学習 日本の青年団、青年集団における学習論、組織論、リーダー養成論、と しての「生活史学習」の果たした役割、その「生活史学習」に対してすぐ れて個性的な理論構築を行った那須野隆一の教育理論・思想の分析、具体 的にそれらにかかわった当事者たちにとっての意味合い、生活史学習に関 わったひとたちのその後の暮らしや生き方への影響などは、ようやく客観 的な評価が可能となってきている。 5.国際的な連関 1)英国 英国の成人教育分野での学習理論の展開において、過去四半世紀ほどの 間では、フレイレなどの意識化教育、多文化多民族社会における文化社会 学的な、あるいはライフストーリー研究、成人教育やユースワーク専門職 形成にかかわってのふりかえり学習理論、状況学習、活動理論、シチズン シップ教育論などが多く取り上げられてきた。同時に、新自由主義経済施 策によるコミュニティの分断と空洞化、人々のつながりの衰弱化に対して それを放置することなく、あらたな人間的なつながりをどのように成人教 育分野から再構築していくのかについて、真摯な問いが投げかけられてき た(注 27)。こうしたなかで、地域への社会的政治的文化的コミットメント を模索するためのアクティブシチズンシップ教育の取り組み、書き、読 み、聞き、話し、学び、作品化するための自己表現への学習理論への取り 組みが、専門家の助力を得ながら、成人教育センターや大学、WEA など で実践的に取り組まれてきた。

この点 で 注目され るのは、Creative Writing の 実 践 である。Creative Writing は、1970 年代の深刻な産業崩壊・失業地域での成人教育活動で の実践などをルーツとしながら、現代では、発達障害を有する若者や自らの 内面での思考や思いを充分に表せない人々への支援として、その人達の生活 を言語化し表現する取り組みなどとして発展してきている。この実践は、本

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研究と共鳴する内容をもち、多角的な検討を求めていると思われる(注 28) また、コミュニティや家族のありようをふりかえり、フィールド調査、 聞き取り、文献調査を行い、あらたな関係構築を模索する取り組みが、ビ デオなどの映像作品、本作り、Socio Drama づくりなど、広くナラティブ の方法として取り組まれていることも注目される(注 29) 2)韓国 韓国は、過去半世紀において急激な社会変動、産業構造改編を経てき た。都市化と農村の疲弊、高学歴化に向けての激しい競争社会化、高齢化 と若年人口縮小の動きは、日本を追うように、あるいはそれ以上に激しい 変化を体験してきている。とりわけ、IMF 金融危機などを機にしての構 造調整の影響はすさまじく、大企業の寡占化進展、非正規就労人口の過半 化などによって、生活水準は向上しつつも、生涯にわたる競争と長時間労 働などによる生きづらさを抱える社会になっている。この中で、学校教育 の改革とともに、生涯学習分野の改革は重要な課題となってきた。学習実 践の取り組みの中には、夜学の運動の中でなされてきた生活を記録する学 習などが(注 30)、移民労働者、国際結婚、脱北家族の学習実践につなぐ動 向として注目される。 また、地域の疲弊を克服し、あらたな農村と都市部において、地域の教 育文化村共同体づくりの取り組みが発展してきている(注 31)。他方、学校 教育の改革の取り組みにおいては、代案学校の広がりは著しく、それは、 不登校引きこもりへの対応、フリースクール運動、若者支援の活動にも繋 がり始めている。またその一部は、地域づくりの主体者形成のための学び の組織化、プログラムづくり、生活を築き直す学習、政治変革を求める学 習に結びつくものとなっている。

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6.小括 若者(民衆)をめぐる状況は、大きく変容してきた。その端的な特徴 は、「個」と「集団」の双方に、以前とは異なる様相が見られることであ る。この場合の「個」は、個人主義とは異なる開かれた世界の中の「個」 を志向し、そのためには包括的な支援とありのままの自分への解放を求め ている。他方「集団」は、旧い共同体的な規制や特定のドクトリンに囚 われた「集団」ではなく、互いの個性や生き方の違いを許容する包含的 (inclusive)「集団」である。この「自己を含む集団」への気づきを組織す るのが、現代のナラティブの学習であり、生活の現実と自分の歴史を統合 する「生活史」学習である。それは、この間の民主主義を学ぶ市民運動の 中で生成されてきた市民学習(citizenship learning)の中にも生成されて いる。この学習の機微を解明することが次なる課題である(注 32) * 那須野隆一については『人物でつづる戦後社会教育』(国土社、2015 年)88-93 頁、 真野典雄については、同 182 頁参照。 [注] 注1 日青協青年団研究所編『共同学習の手引き』日本青年館 1954、吉田昇「農 村青年の共同学習」1955、が嚆矢である。青年団の学びとして実践され、 後に一般化された。実践と理論について、三井為友、福尾武彦、宮原誠 一、千野陽一、藤岡貞彦、那須野隆一等が言及している。矢口悦子によれ ば、吉田の理論意識の中にデューイの「思考の方法」があったとしている (『社会教育・生涯学習辞典』朝倉書店 2012、ちなみに、「生活記録運動」の 項は辻智子、「生活史学習」の項は姉崎洋一が担当している)。なお、生活 記録運動のひろがりについては、北河賢三『戦後史のなかの生活記録運動』 2014 岩波書店 注2 中内敏夫『生活綴方成立史研究』1970 明治図書、講座『生活綴方』全5巻 (特に1と3)、1962 百合出版、小川太郎『生活綴方と教育』1966 明治図書 注3 1940 年2月山形での村山俊太郎の検挙からはじまった「北日本国語教育連

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盟」(北方性教育運動)、「北海道綴方教育連盟」(生活綴方運動)、「生活学 校」グループ、さらに 1941 年から 42 年にかけて「生活図画」グループ、 「教育科学研究会」、「綴方生活」、「生活学校」などの関係者が全国一斉に検 挙された(約 300 名)日本労働年鑑特集版、法政大学大原社会問題研究所 編『太平洋戦争下の労働運動』1965 労働旬報社。国分一太郎『小学校教師 たちの犯罪』1984 みすず書房、平澤是曠『弾圧北海道綴方教育連盟事件』 1990 北海道新聞社、佐竹直子『獄中メモは問う』2014 道新選書 注4 無着成恭『やまびこ学校』1951 青銅社(後に新版、1956 百合出版)、奥平 康照『「やまびこ学校」のゆくえ』2016 学術出版会、石田和男編『夜明けの 子ら』1952 春秋社、石田和男教育著作集編集委員会編『石田和男著作集』 2017 花伝社、等。 注5 上原専禄「生活綴方と社会科学」『思想の科学』1954 年8月号、臼井吉見 「『やまびこ学校』訪問記」『展望』1951 年6月号、久野収・鶴見俊輔・藤田 省三『戦後日本の思想』1959 中央公論社(後に『岩波現代文庫』2010) 注6 澤井余志郎『ガリ切りの記』2012 影書房、宮本憲一『地域開発はこれでよ いか』1973 岩波新書、同編『沼津住民運動の歩み』1979 日本放送出版協会、 同『戦後日本公害史論』2014 岩波書店、藤岡貞彦『社会教育実践と民衆意 識』1977 草土文化、同編『環境と開発の教育学』同時代社 1998 年 注7 『コレクション鶴見和子曼荼羅』全9巻、1997-99 藤原書店、鶴見和子『生 活記録運動の中で』1963 未来社、他。思想の科学、生活記録運動、内発的 発展論に多くの足跡を残した。 注8 プリンストン大学に提出した博士論文は、同大学出版会から刊行され、そ の第6章については、『コレクション鶴見和子曼荼羅』1998IIIに収録されて いる。その序文で枠組をTalcott Personsに負っていることを記している。 注9 西川祐子「「生活綴方」と「生活記録」との出会い」(西川祐子・杉本星子 『戦後の生活記録に学ぶ』2009 日本図書センター所収4章参照) 注 10 鶴見和子他編『内発的発展論』1989 東京大学出版会。宮本憲一によれば内 発的発展論の出発点は、1979 年の国連大学の委嘱を受けた「内発的発展論 と新しい国際秩序」(上智大学)とされる。(前出『戦後公害史論』743 頁) 注 11 丸山らの近代的個人を引き取って論じているのは堀尾輝久である。対談集 の形をとっているが堀尾輝久『自由な人間主体を求めて』2014 本の泉社は 示唆的である。南原繁も、この時期に、個人を理想と現実の統一として捉 えようとした数少ない思想家、政治哲学者であった。『思想』2021 年2月号。

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注 12 典型的には大塚久雄『共同体の基礎理論』1955 岩波書店、水田洋『近代人 の形成—近代社会観成立史』1954 東京大学出版会、など。

注 13 Gert J.J Biesta, Learning Democracy in School and Society, Education, Lifelong Learning and the Politics of Citizenship, 2011、(邦訳ガート・ビー スタ、上野正道他訳『民主主義を学習する─教育・生涯学習・シティズ ンシッ プ 』 勁 草 書 房 2014) Audrey Osler and Hugh Starkey, Changing Citizenship-Democracy and Inclusion in Education, Open University Press, 2005, (邦訳オードリー・オスラー、ヒュー・スターキー『シティズンシッ プと教育』2009 勁草書房) 注 14 例えば、ジョック・ヤング、木下ちがや他訳『後期近代の目眩』2008 青土社、 ウルリッヒ・ベック他、松尾他訳『再帰的近代化』1997 而立書房、参照 注 15 ウルリヒ・ベック、東廉他訳『危険社会』1998 法政大学出版会参照 注 16 ジグムント・バウマン、森田典正訳『リキッド・モダニティ――液状化す

る社会』大月書店, (Liquid Modernity, (Polity Press, 2000).)ジグムント・ バウマン、酒井邦秀訳『リキッド・モダニティを読みとく』2014 筑摩学芸 文庫、参照 注 17 この問いは、永遠の課題でもあるが、近年の挑戦的著作としてガート・ビー スタ『よい教育とはなにか:倫理・政治・民主主義』2016 白澤社 注 18 例えば小玉重夫「今、教育を再定義する意義」「公共性の危機と教育の課 題」『岩波講座 教育 変革への展望1教育の再定義』2016 岩波書店参照 注 19 『戦後日本の教育と教育学』 (講座 教育実践と教育学の再生)2014 かもがわ 出版、所収の佐藤広美、田中孝彦等の論稿は、報告者の問題意識に近い。 注 20 例えば、ユネスコ『21 世紀教育国際委員会報告書:学習─秘められた宝』 1997 ぎょうせい参照 注 21 那須野隆一「生活史学習の理論的検討のために」(社全協調査部編『自分 史・生活史学習の検討』1986)、大坂祐二「「生活史学習論」研究ノート」(北 大社会教育研究室『社会教育研究』15, 1996)等参照 注 22 姉崎洋一「都市勤労青年の学習・教育実践とその社会的性格」日本社会教 育学会年報第 29 集『現代社会と青年教育』1985 東洋館出版 注 23 筆者は、当時の資料の多くを有しているが、その分析整理は、現在の課題 である。なお、マーシャ・ロシター他『成人のナラティヴ学習』2012 福村 出版参照 注 24 注 22 文献及び姉崎洋一「愛知・名古屋の青年活動の現状と課題」第 24 回

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社会教育研究全国集会「青年問題と社会教育」分科会世話人編『愛知・名 古屋の青年活動の飛躍をめざして』1984 年、姉崎洋一「青年のたまり場論 ─これまでとこれから」『月刊社会教育』1991 年9月号、姉崎洋一「青年の 自己形成に関する理論課題ノート(その1)」『愛知県立大学児童教育学科 論集』第 28 号、1995 注 25 注4文献及び森田道雄, 「続・1980 年代の「恵那の教育」の到達点(1)-(3)」, 『福島大学人間発達文化学類論集』 第 10 号~ 12 号、 2009 注 26 辻智子『繊維女性労働者の生活記録運動』2015 北海道大学出版会 注 27 姉崎洋一「転換期の英国大学と大学成人教育の岐路─リーズ大学を中心に」 『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第 93 号、2004、姉崎洋一「転換期 の英国成人教育と新たな課題」141 ~ 146 頁、雑誌『経済』2015 年 10 月号、 新日本出版社、鈴木敏正・姉崎洋一編『持続可能な包摂型社会への生涯学 習』大月書店、2011

注 28 Rebecca O’Rourke, Creative Writing, Education, Culture and Community, Niace, 2005 

注 29 Ron Wiener(ed), Sociodrama in a Changing World, 2011, Lulu com 注 30 浅野かおるの韓国軍事独裁政権下での夜学における民衆の学習・教育運動 に関する研究での成果、筆者は、ソウル大学ハンスンヒ教授への聞き取り を行ったが、これも整理分析中である。 注 31 韓国の地域づくり、マウル共同体研究については、多くの研究者、実践家 による実践、調査の蓄積が進展中である。農村部と都市部の違いを超えて 共通する実践思想、理論の分析が求められている。『地域と教育』再生研究 会調査研究報告書「韓国農村教育共同体運動と代案学校・協同組合の展開」 第1号、2011、北海道大学社会教育研究室 注 32 例えば、木下ちがや『ポピュリズムと「民意」の政治学』2017 大月書店、 セリーナ・トッド『ザ・ピープル─イギリス労働者階級の盛衰』2016 みす ず書房、Selina Todd “THE PEOPLE”2014, John Murray、キャロリン・ M・クラーク「成人期のナラティブ学習」、シャラン・B・メリアム編『成 人学習理論の新しい動向』福村出版、2010 及び、Bradbury, H., Frost, N., Kilminster, S. and Zukas, M.(2009).Beyond reflective practice:new approaches to professional lifelong learning. Routledge.

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※ この論考は、科研費研究、基盤研究(C)研究代表:姉崎洋一「共同学習・生 活史学習の教育学的再検討―歴史・比較・実証研究」(2014-2017、課題番号: 2638106004)での日英シンポジウム、北海道大学(2017. 11. 27)での報告を基に している。

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