新渡戸稲造と道歌︵その二︶
近 藤 眞 弓 一︵ 承 前︶ 前稿 において 、 新渡戸 の 修養書 に 多数登場 する 道歌 の 意味 について 考 察 した 。 道歌 を 駆使 し 、 卑近 な 例 を 挙 げて 庶民階級 の 人々 を 教化 すると いう 石門心学 の 教化方法 と 、 新渡戸 の 修養書 における 話法 が 重 なってい るのではないか 、 という 仮説 を 根拠 づけるものとして 、 新渡戸 の 著書 に 引用 された 道歌 を 取 り 上 げたのである 。 この 仮説 を 基 に 考察 を 更 に 進 め ていけば 、 おそらく 新渡戸 は 石門心学 の 方法 を 意 識 的 に 取 り 入 れて 、 当 時 の 読者 である 青年達 に 平易 に 分 かりやすく 語 りかける 文章 を 練 り 上 げ ていったのではないかと 考 えられるのである 。 では 、 何 のために 、 敢 えて 前時代 の 手法 を 取 り 入 れたのか 。 その 理由 は 二 つ あ る と 考 え ら れ る 。 先 ず 一 つ は 、 前 稿 で も 述 べ た と お り ) 1 、 新 渡 戸 が 雑 誌 ﹃ 實 業 之 日 本 ﹄︵ 實 業 之 日 本 社 刊 ︶ に 寄 稿 し 始 め た 明 治 四 十 年 代初頭 は 、 まだ 前時代 の 影響 が 色濃 く 残 っていた 時代 であり 、 道話 も 未 だに 広 く 読 まれていた 時代 であったということである 。 江戸時代 に 好評 を 博 した 道話 は 、 明治 に 入 っても 出版 され 続 け 、 少数 で は あ る が 、 石 門 心 学 の 伝 統 を 受 け 継 ぐ 心 学 者 達 が 道 話 に よ る 教 化 を 行 っ て も い た ) 2 。 明 治 維 新 に よ っ て 時 代 が 大 き く 変 化 し て も 、 人 々 は 道 話 を 読 み 続 けることで 、 大変動 を 起 こしている 価値観 の 嵐 の 中 で 、 何 と か 前時代 との 繋 がりを 保 とうとしていたと 考 えられる 。 人々 にとって 安 心 できる 型 というものが 道話 にあったが 故 に 、 新渡戸 は 、 その 型 を 使 う ことで 自 ら 独自 の 教化 を 行 おうとしたのではないか 、 ということが 理由 の 一 つである 。 もう 一 つの 理由 は 、 価値観 の 嵐 の 中 で 途方 に 暮 れている 青年達 、 換言 す れ ば 、 新 時 代 の 新 た な 価 値 観 と 前 時 代 の 価 値 観 と の 間 で 揺 れ な が ら 、 新時代 の 価値観 に 素早 く 適応 することも 出来 ず 、 さりとて 前時代 の 価値 観 に 代 わる 確固 とした 価値観 を 見 いだすことも 出来 ないでいる 多 くの 青 年 達 に 、 前 時 代 の 価 値 観 に 代 わ る べ き 新 た な 価 値 観 を 提 示 す る た め に 、 道話 の 手法 を 用 いる 必要 を 感 じたのではないかということである 。 石門心学 を 創始 した 石田梅岩 は 、 神道 、 儒教 と 学問 の 関心 を 拡 げ 、 そ の 関心 は 仏教 にも 及 んだ 。 師 について 禅 の 体験 をも 深 めた 梅岩 は 、 その 宗教的体験 を 神道 ・ 儒教 ・ 仏教 ・ 老荘等々 の 既成 の 宗教 や 思想 を 借 りて 自由 に 表現 し 、 またその 宗教的経験 をそれらの 宗教 や 思想 によって 洗練 した 。 ) 3 こうして 、 石門心学 において 神 ・ 儒 ・ 仏 の 三教一致 の 立場 が 確立 され た 。 この 三教一致 の 立場 に 立 った 梅岩 は 、 単 にその 理論 を 学 び 修行 する ことよりも ﹁ 日常 の 実践 ﹂ を 重視 する 。 行 ひと 云 は 農人 ならば 、 朝 は 未明 より 農 に 出 て 、 夕 には 星 を 見 て 家 に 入 。 我身 を 勞 して 人 を 使 ひ 、 春 は 耕 し 、 夏 は 芸 、 秋 の 藏 に 至 まで 、 田畠 より 五穀一粒 なりとも 、 をゝく 作出 ことを 忘 ず 、 御年貢 に 不足 なきやうにと 思 ひ 、 其餘 にて 父母 の 衣食 を 足 し 、 安樂 に 養 、 諸事油 一近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) 斷 な く 、 勉 時 は 身 は 苦 勞 す と い へ ど も 、 邪 な き ゆ へ に 心 は 安 樂 なり ) 4 。 現実社会 を 受 け 入 れ 、 現実社会 における 実践 を 通 して 人 の 本心 を 実現 していくという 、 梅岩 の 現実主義的教化方法 は 、 庶民階級 の 人々 にとっ て 容易 に 受容 できるものであった 。 この 梅岩 の 社会教化 の 方法 として 用 いられたのが 道話 である 。 石門心学 の 教化方法 として 道話 が 本格的 に 用 いられたのは 手島堵庵以 来 であり 、 道話 は 已 に 石田梅岩 に 於 いてその 萠芽 を 見出 す 事 が 出来 るが 、 堵庵 に 至 るまでは 未 だ 大 なる 發展 を 見 なかつた 。 堵庵 になつて 道話 とい ふ 言葉 が 、 講釋 や 座談 などの 語 と 共 に 用 ひられるやうになつた 。 寛 政六年 、 中澤道二 の 道話聞書 が 、 八宮齋 の 手 によつて 編纂 され 、 翌 年六月 、 道二翁道話 の 初版 が 出版 されるに 及 んで 、 道話 なる 言葉 が 壓倒的 に 流行 した 。 ) 5 のである 。 以来 、 明治 という 新時代 に 入 っても 、 江戸時代 の 心学者 の 道 話 は 出版 され 続 け 、 庶民階級 の 人々 にとって 非常 に 身近 な 実践的倫理的 テキストであったと 考 えられる 。 新渡戸 はこの 心学道話 の 型 を 応用 しながら 、 梅岩 の 三教一致 に 新思想 であるキリスト 教 を 加 え 、 四教一致 とも 言 えるような 方法 で 新思想 の 理 解 ・ 普及 を 図 ろうとしたのではなかったか 。 新渡戸 が 明治政府 の 教育方 針 に 大 きな 不満 と 不安 を 持 っていたことは 、 新渡戸自身 がその 修養書 の 各所 で 言及 している 。 特 に 新渡戸 が 大 きな 不安 を 抱 いていたのは 、 徳育 の 決定的 な 欠如 にあった 。 例 えば 、 庶民教育機関 としての 寺子屋 は 江戸 中 期 の 頃 か ら 、﹁ 寺 子 屋 は 、 手 習 を 手 段 と し て 人 倫 道 徳 や 公 民 的 訓 練 を 施 す 市 民 教 育 所 と な っ た 。 ) 6 ﹂ 八 代 将 軍 徳 川 吉 宗 は 寺 子 屋 の 徳 育 に 熱 心 で あ り 、 手 習 い の テ キ ス ト と し て ﹁ 六 諭 衍 義 大 意 ) 7 ﹂ を 手 習 師 匠 に 給 付 し て い る ) 8 。 武 士 の 子 弟 は 、 武 士 道 の 基 本 と も い う べ き 四 書 五 経 を 幼 い 頃 から 段階的 に 学習 していた 。 士庶 いずれにおいても 、 学習 のテキスト に 徳育 のテキストを 使用 することで 、 教育 の 中心 は 常 に 徳育 に 置 かれて いた 。 このような 教育 のあり 方 は 明治初期 までは 継続 していたが 、 近代 学校教育制度 が 整備 されるに 従 い 、 前時代 からの 教育 は 姿 を 消 し 、 新知 識 の 獲 得 に 傾 斜 し て い く 。 こ の よ う な 教 育 の 動 き は 、﹃ 武 士 道 ﹄ の 著 者 である 新渡戸 の 目 には 不安 なものと 写 ったであろう 。 武士 の 消滅 により 武士道 が 消滅 したことを 認 めざるを 得 なかった 新渡 戸 は 、 武士道 に 代 わる 、 しかも 新時代 に ふ さわしい 人格教育 の 土台 とし て キ リ ス ト 教 の 普 及 を 考 え て い た ) 9 。 こ の キ リ ス ト 教 を 青 年 達 に 普 及 せ しめるために 新渡戸 の 手段 となったものが 、 雑誌 に 寄稿 し 続 けた 道話風 修養 の 話 であったと 考 えられるのである 。 我 が 国 には 長 きに 亘 りキリシ タン 迫害 、 キリスト 教禁教 という 歴史的背景 がある 。 人々 がキリスト 教 への 警戒 を 解 かないであろう 事 は 自明 のことであり 、 我 が 国 の 人々 がそ う 簡単 にキリスト 教 に 胸 を 開 かないことを 新渡戸 はよく 承知 していたは ずである 。 しかし 、 西洋 の 文明 ・ 文化 を 取 り 入 れるのであれば 、 その 物質文化 に 対 抗 し う る 精 神 文 化 が 日 本 人 の 精 神 的 支 柱 と し て 確 立 し て い な け れ ば 、 圧倒的 な 物質文化 に 押 し 流 されてしまう 恐 れがある 。 武士道 という 精神 文 化 は 今 や 風 前 の 灯 火 で あ り ) 0 1 、 明 治 三 十 八 年 の 義 務 教 育 就 学 率 は 95%.6 の 高水準 となり 、 明治四十年代 はすでに 前時代 の 寺子屋教育 に 代表 され る 徳育 も 行 われなくなっていた 時代 である 。 このような 状況下 で 、 明治 の 青年達 、 特 に 高等教育 を 受 ける 機会 の 無 い 勤労青年達 に 人格教育 の 新 し い 方 法 を 試 み る こ と は 、 新 渡 戸 に と っ て は 、 若 い 頃 か ら の 志 ) 1 1 を 実 現 す る こ と に も つ な が り 、 札 幌 時 代 の 遠 友 夜 学 校 ) 2 1 で の 教 育 の 延 長 と し て も 魅力 あることではなかっただろうか 。 では 、 新渡戸 の 新 しい 試 みとは 如何 なる 事 であったか 。 それは 、 武田清子氏 の 言葉 を 借 りれば 、 我 が 国 の 精神的土壌 にキリス ト 教 を ﹁ 土着化 ﹂ させるという 試 みではなかったかと 考 えられる 。 武田 二
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 清 子 氏 は ﹁ 正 統 と 異 端 の あ い だ ― 背 教 者 の 一 系 譜 ― ) 3 1 ﹂ の 中 で 土 着 化 の 概念 を 次 のように 説明 している 。 ﹁土着化 ﹂ を ﹁ 風土化 ﹂、 すなわち 、 土地 の 状態 に 化 すること 、 風土 、 境遇 に 順応 させることといった 意味 でつかっているのではない 。 ま た 、 日本 の 伝統的宗教 、 ないし 、 思想 と 結合 して 、 仏教的 キリスト 教 、 儒教的 キリスト 教 、 神道的 キリスト 教 、﹁ 日本精神 ﹂ ないしは 、 超国家主義 に 包摂 された 、 いわゆる 日本的 キリスト 教 ︵ 第二次世界 大戦中 にしばしば 唱 えられた ︶ 等 になることを 意味 することとして 用 いているのではない 。⋮ 略 ⋮ 私 はキリスト 教 の 土着化 ということ を 、﹁ 福音 ﹂ が 日本人 の 精神的土壌 に 根 をおろして 、 そこに 生 まれ 、 住 みついたもののようになること 、 しかし 、﹁ 風土的 ﹂ 的 に 順応 し 、 同化 するのではなくて 、 日本人 の 精神構造 の 内心部 に 浸透 し 、 その パン 種的 、 内発的革新力 となって 、 精神構造 を 内側 から 新 しくして ゆく 価値観 、 エネルギー 、 生命力 となることを 意味 している 。 ) 4 1 武田氏 は 土着化 をこのように 定義 した 上 で 、新渡戸 のアプローチを ﹁ 日 本人 のものの 考 え 方 、 精神構造 の 中 から 普遍的 、 人類的価値 につながる と 考 えられる 要素 ︵ 萌芽 ︶ を 選 び 出 し 、 それを 接木 の 台木 としてそこに キリスト 教 を 接 ぐことを 通 して 日本人 の ふ ところに 内在的 な 価値 を 普遍 的 なものに 開花 、昇華 させようとするアプローチである 。 私 はこれを ﹁ 接 木 的 ア プ ロ ー チ ﹂ と こ れ ま で よ ん で ) 5 1 ﹂ い る 。 新 渡 戸 の 土 着 化 は 接 木 的 というよりも 、我 が 国 の 精神的土壌 に 種 を 撒 く 、より 根源的 でダイナミッ クなものではなかったかと 思 われるが 、 武田氏 の 述 べるようにキリスト 教 が ﹁ 日本人 の 精神的土壌 に 根 をおろす ﹂ ためには 、 まず 誰 かがキリス ト 教 の 普遍性 と 日本人 の 価値観 に 潜 む 普遍性 とを 指摘 して 、 両者 を 比較 検討 し 、 人々 の 胸 の 中 に 種 を 植 え 付 ける 役割 を 果 たさなければならない であろう 。 新渡戸 が 自身一個人 のキリスト 教 の 受容 を 問題 としたのであれば 、 青 年時代 の 宗教的煩悶 が 示 すごとく 、 日本人 としての 価値観 とキリスト 者 としての 価値観 の 狭間 での 葛藤 や 相克 があったであろうし 、 接木的 アプ ローチのみで 満足 したとも 考 えられない 。 しかし 、 新渡戸 が 勤労青年向 けの 雑誌 の 寄稿 において 目指 したことは 、 キリスト 教 に 無縁 の 多 くの 勤 労青年達 にキリスト 教 の 持 つ 普遍的価値観 を 紹介 しキリスト 教精神受容 のきっかけを 与 えることであり 、 それこそを 自 らの 使命 としたに 違 いな いと 考 えられる 。 その 覚悟 がなければ 、 激務 の 合間 を 縫 って 、 その 死 の 直前 まで 寄稿 を 続 けることは 困難 であったであろう 。 そのために 最 も 有 効 と 考 える 方法 をとることは 、 決 してキリスト 教 の 純粋性 を 侵 すことに はならないと 考 えたに 違 いない 。 それ 故 にこそ 、 新渡戸 はキリスト 教 を 一 つの 独立 した 新 しい 宗教 として 紹介 することもなければ 、 青年達 に 受 洗 を 呼 び か け る と い う キ リ ス ト 教 の 布 教 ・ 宣 教 の 形 を 採 る こ と も し な かったのである 。 そして 、 当時 の 青年達 にキリスト 教 を 宣 べ 伝 える 最 も 有 効 な 方 法 と 新 渡 戸 が 考 え た 話 法 が 石 門 心 学 の 道 話 と い う 方 法 で は な かったかと 考 えられるのである 。 二 新渡戸 が 心学 の 道話 という 型 を 使 って 青年達 をキリスト 教 の 価値観 へ と 教化 し 、 キリスト 教 を 西洋 の 特別 な 宗教 としてではなく 、 我 が 国 に 昔 からある 既成 の 宗教 ・ 思想 に 一致 させて 、 我 が 国 の 思想的土壌 に 土着化 させようとした 、 とする 根拠 を 提示 するために 、 新渡戸 の 修養書 に 登場 するキリスト 教 に 関 する 記述 を 取 り 上 げていく 。 前稿 と 同様 に 、新渡戸 が 直接 その 編集 に 関 わった ﹃ 修養 ﹄﹃ 世渡 りの 書 ﹄ ﹃ 自 警 ﹄ の 三 冊 を 対 象 と し 、 こ の 三 つ の 修 養 書 に 挙 げ ら れ た キ リ ス ト 教 に 関 する 記述 を 抜 き 出 していく 。 ここでは 、 新渡戸 のキリスト 教 に 言及 した 箇所 を 便宜上五種類 に 分類 ・ 整理 する 。 また 、 キリスト ︵ 基督 ・ 耶 蘇 ︶・ キリスト 教 ︵ 基督教 ・ 耶蘇教 ︶・ 聖書 というように 、 明確 にキリス ト 教 と 判断 できる 記述 のみを 取 り 上 げることとする 。 三
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) 新渡戸 のキリスト 教記述 をどのように 分類 すべきか 、 明確 な 基準 とな る 根拠 を 教示 してくれる 先例 が 筆者 の 調 べた 限 りにおいては 見当 たらな い 。 従 って 、 仮 に 左記 の 五 つの 類型 に 分類 して 、 新渡戸 のキリスト 教土 着化 の 経過 を 見 ていきたい 。 第一類型 ⋮ 道歌 との 関連 で 記述 されている 、 キリスト 教 に 関 する 記述 第二類型 ⋮ 当時 の 読者 にとって 既知 の 宗教 ・ 思想 と 、 並列的 、 同一的 に 記述 されているキリスト 教 に 関 する 記述 第三類型 ⋮ キリスト 教的視点 、 キリスト 教的価値観 を 示 す 記述 第四類型 ⋮ 聖書 の 内容紹介 を 主 とした 記述 第五類型 ⋮ その 他 として 、 キリスト 者 やキリスト 者 の 生活 ・ 習慣 、 キ リスト 教各派 に 関 する 記述等 三 この 章 では 、 第一類型 に 含 まれる 記述 を 修養書 から 拾 い 上 げていく 。 ⒈ 両親 は 熱心 な 仏教信者 である 。 自分 は 深 く 基督教 を 信 じ 、 互 に 反対 の 信仰 を 持 って 居 る 。 従 って 時 には 親 と 議論 することもあるが 、 平 生 は 力 めて 誤解 を 避 けんとして 居 るが 、 自分 は 信者 であるから 、 夜 は 讃 美 歌 を 歌 ひ 、 祈 禱 を 捧 げ る の で 、 両 親 は 益 々 不 快 の 念 を 懐 き 、 私 に 反対 することになった 。 如何 にしたら 宜 しからうかとい ふ ので ある 。 そこで 僕 は ﹁ 宗教上 の 事 は 口舌 の 議論 で 解決 さるゝものでな い 。 互 ひに 議論 を 構 へて 、一家 の 平和 を 乱 すのは 甚 だ 間違 いである 。 又歌 なり 祈禱 なりの 如 き 形式 も 大切 なことである 。 それに 依 って 信 念 を 鞏 ふ することも 出来 る 。 然 し 殊更 に 之 を 厭 ふ 人 の 面 前 で 、 反対 の 念 を 強 めさせてまでも 行 る 必要 はあるまい 。 外形 に 現 はして 讃美 歌 を 歌 つたり 、 祈禱 を 捧 げたりしなくとも 、 心 の 中 でヂツト 信仰 し て 居 れ ば よ い で な い か 。 而 し て 基 督 の 愛 を 身 に 体 し て 行 ふ た な ら 、 両親 の 反対 も 必 らず 解 け 、 私 は 耶蘇教 は 嫌 ひだが 、 宅 の 悴 のやうな 耶 蘇 教 は 好 き だ と い ふ 様 に な る で あ ら う 。 此 程 度 に 達 せ な け れ ば 、 未 だ 基督教 の 愛 を 身 に 体 した 者 ともいはれず 、 又子 たるの 道 を 尽 し たものとも 言 はれない 。 斯 くすれば 如何 に 親 が 頑固 に 反対 したから とて 、 早晩必 らず 其意 の 解 けることがあるに 違 ひない 。 故西郷従道 候 も 耶蘇教嫌 ひの 人 であつたが 、或時 ﹃ 俺 は 耶蘇教 は 好 きでないが 、 新島 ︵ 襄氏 ︶ の 様 な 耶蘇 なら 俺 も 好 きだ ﹄ といはれたとい ふ ことで ある 。君 も 亦両親 をして 、爰 に 至 らしめる 様 に 力 めなくてはならぬ 、﹂ とい ふ て 送 つたことがある 。 仮令敵意 を 以 て 反対 するものに 対 して でも 、 自分 は 其善 と 信 ずる 所 を 行 ふ て 居 れば 、 必 らず 其誠意 が 通 じ て 、 対手 を 動 かす 時機 がが 到来 するものと 思 ふ 。 末遂 に 海 となるべき 山水 もしばし 木 の 葉 の 下 くゞるなり の 一句 は 形而下 の 身分 や 立身 にのみ 応用 する 歌 でなく 、 モツと 高 い 思想 にも 適用 が 出来 ると 思 ふ 。 ﹃ 修養 ﹄ 第四章決心 の 継続 ︵ 全集七巻一 〇 一頁 ∼ 一 〇 二頁 ︶ ここで 新渡戸 が 挙 げている 道歌 は 、 中国 の 故事 である ﹁ 韓信 の 股 くぐ り ) 6 1 ﹂ に 想 を 得 て 作 ら れ た 歌 と さ れ て い る ) 7 1 。 将 来 の 大 事 を 前 に し て 、 屈辱的 なことにも 黙 って 耐 える 、 譲歩 するというような 意味合 いでよく 引用 された 歌 である 。 新渡戸 はこの 道歌 に 、 親 の 理解 を 得 られぬキリス ト 者 の 苦悩 と 、 その 苦悩 への 励 ましを 重 ね 合 わせている 。 親 と 信仰 の 板 挟 み で 苦 し む 青 年 の 話 だ け を 述 べ れ ば 、﹁ 最 初 か ら 親 の 嫌 う キ リ ス ト 教 な ど 信 仰 し な け れ ば 済 む で あ ろ う の に ﹂ と 考 え る 読 者 も い る で あ ろ う 。 しかし 、 ここに 当時誰 でもが 知 っていたと 思 われる 有名 な 道歌 を 持 って くることで 、 信仰 に 苦悩 する 青年 の 気持 に 対 する 読者 の 想像力 が 働 きや すくなるのではないか 。 この 道歌 が 読者 の 共感 を 容易 にする 役割 を 果 た していると 考 えられるのである 。 ⒉ 昔時 の 百姓 を 御 する 方法 を 聞 くに 、 事足 らで 事足 る 様 に 思 へとの み 教 へてゐた 。 又二宮翁 の 分度論 を 称 する 者 も 、 現在 の 状態 に 甘 ん 四
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 じて 居 れ 、 決 して 上 を 見 て 不平 を 懐 くなかれと 、 い ふ ことを 繰 り 返 し 〳〵 して 教 へて 居 る 。 耶蘇教 も 世 の 中 の 栄華 を 捨 てよ 、 虫 の ふ 様 な 宝 を 世 に 積 むな 、 卑 しい 位地 に 満足 せよと 教 へて 居 る 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十三章惜 まれる 人 ︵ 全集八巻二三 〇 頁 ︶ 傍線部 の ﹁ 事足 らで 事足 る ﹂ とは 、 事 たれば 足 るにまかせて 事 たらず 足 らで 事 たる 身 こそ 安 けれ という 当時誰 もが 知 っていた ︵ 新渡戸 は 、﹃ 自警 ﹄ の 中 で 、子供 でも 知 っ て い る 道 歌 と し て 記 述 し て い る ) 8 1 ︶ 非 常 に 有 名 な 道 歌 を 念 頭 に 置 い た 文 であろう 。 新渡戸 は 、 この 道歌 をキリスト 教 の ﹁ 世 の 中 の 栄華 を 捨 て よ 、 こ の 世 で は な く 天 に 宝 を 積 め ) 9 1 ﹂ と い う 教 え と 重 ね 合 わ せ 、 二 宮尊徳 の 教 えとも 共通 している 部分 があるという 論法 で 、 キリスト 教 的価値観 を 説明 している 。 ⒊ 人 を 離 れ 、 自分独 り 閑居 して 内 に 顧 れば 、 神道仏教 、 耶蘇教 の 議 論 も 何 も 藉 らなくとも 、 我 は 罪人 なりとい ふ 観念 を 懐 かぬものは 殆 どあるまい 。 人問 はゞ 鬼 は 居 らぬと 云 ふ べきに 心 の 問 はゞ 何 とこたへん ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十七章廉恥心 ︵ 全集八巻三 〇 五頁 ∼ 三 〇 六頁 ︶ キリスト 教 の 罪 の 概念 について 、 キリスト 教独自 の 考 え 方 というより も 、 神道仏教 にも 同様 の 考 え 方 はあるという 視点 で 論 じている 。 我 は 罪 人 なり 、 という 観念 を 道歌 に 重 ね 、 胸中 に 住 む 鬼 という 意味 で 説明 して いる 。 道歌 で 表現 することにより 、 新渡戸 は 、 青年 たちがキリスト 教 の ﹁ 罪人 ﹂ という 考 え 方 を 理解 する 際 の 助 けとしていると 考 えられる 。 ⒋ 耶蘇 の 言 に ﹁ 我等笛吹 けども 汝等踊 らず 、 我等悲 をすれども 汝等 む ね う た ず ) 0 2 ﹂ と い ふ て あ る 。 耶 蘇 の 一 生 は 、 必 ら ず 同 情 者 が 少 か つたであらう 。 先生々々 と 尋 ねて 来 ても 、 聴 いたことを 勘違 したも のが 多 かつたらう 。 斯 んなことが 何故 に 分 らぬだらうと 、 思 はれた ことが 度々 あつたらう 。 孔子 でも 亦同 じで 、 真 に 其統 を 伝 へること が 出来 たのは 、 僅 に 曾子一人 であつたとい ふ 。 一時 の 同情 を 受 けな くとも 、 其是 と 信 じたことを 断行 してさへ 居 れば 、 知己 は 千歳 の 下 に 来 るものである 。 永久 に 渉 る 同情 は 必 らず 来 るものである 。 僕 の 愛誦 する 古歌 に 、 見 る 人 の 心々 に 任 せ 置 きて 高根 に 澄 める 秋 の 夜 の 月 とい ふ のがある 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十九章同情 の 修養 ︵ 全集八巻三四五頁 ∼ 三四六頁 ︶ ﹁ 聖 賢 の 受 く る 永 久 の 同 情 ﹂ と い う 見 出 し で 書 か れ て い る 。 イ エ ス と 孔子 を 例 に 挙 げ 、 生前 は 真 の 意味 で 理解 されることも 同情 されることも 無 かったが 、 右 の 道歌 の 月 と 同様 の 境遇 に 達 して ﹁ 始 めて 永久 の 大同情 を 受 け 得 る ) 1 2 ﹂ と 、 両 者 の 生 き 方 を 道 歌 に 託 し て 説 明 し て い る 。 こ の 道 歌 の ﹁ 高根 に 澄 める 秋 の 夜 の 月 ﹂ を 、 新渡戸 はおそらくイエスの 姿 と 重 ね 合 わせていたのではないかと 考 えられる 。 ⒌ 人 にまけ 己 にかちて 我 を 立 てず 義理 を 立 つるが 男伊達 なり の 一首 は 誠 に 深重 の 味 がある 。 殊 に 上 の 句 の ﹁ 人 にまけ ﹂ の 如 きは 前 に 述 べた 諸 の 宗教 の 教 へる 所 で 、 右 の 頬 を 打 たるれば 左 の 頬 を 出 すが 如 き 意 を 含 んでゐる 。 又 その 次 の ﹁ 己 にかちて ﹂ などは 勇 の 最 も 洗練 されたるものである 。 勇気 もこの 段階 に 達 すれば 最早勇猛 で はなく 匹夫 の 勇 でもない 。 孟子 の 所謂大勇 なるもので 、 西洋 の 学者 の 云 ふ モーラル ・ カレッジ ︵ 道徳的勇気 ︶ である 。 ﹃ 自警 ﹄ 第一章男一匹 ︵ 全集七巻四二四頁 ∼ 四二五頁 ︶ ここでは 、 新渡戸 が 道歌 の 新 たな 解釈 を 行 っている 。 キリスト 教 とい う 言葉 こそ 出 していないが 、 聖書 の 中 でも 有名 な 文章 ﹁ 右 の 頬 を 打 たる 五
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) れ ば 左 の 頬 を 出 す ) 2 2 ﹂ を 取 り 上 げ 、 冒 頭 の 道 歌 の ﹁ 人 に ま け 己 に か つ ﹂ と 同 じ 意味 を 持 つものと 解釈 している 。 この 道歌 の 序文 として 、前段 で 、 新渡戸 が 前時代 の ﹁ 男伊達 の 制度 を 敬慕 する ﹂ という 話 が 載 せられてい る 。 その 理由 として 、 義 と 見 れば 如何 なることにも 躊躇 せず 、 時 に 自分 の 命 を 投 げ 出 し 、 強 きを 挫 き 弱 きを 扶 ける 主義 を 懐 かしく 思 うからであ る と 書 か れ て い る ) 3 2 。 た と え 命 を 失 い 、 負 け る と 分 か っ て い て も 強 き に 向 かっていく 姿 勢 は 、 新渡戸 にとって ﹁ 右 の 頬 を 打 たるれば 左 の 頬 を 出 す ﹂精神 の 背後 に 潜 むモーラル ・ カレッジを 彷彿 とさせたのではないか 。 ⒍ 負 けて 退 く 人 を 弱 しと 思 ふ なよ 、 智恵 の 力 の 強 き 故 なり とは 、 真 の 男子 の 態度 であらう 。 男 もこの 点 まで 思慮 が 進 むと 、 先 きに 述 べたる 宗教 の 訓 ふ る 趣旨 に 叶 うて 来 て 、 深沈重厚 の 資 と 磊落 雄豪 の 質 との 撞着 が 消 えてくる 。 斯 くなると 羊 の 様 におとなしい 性 と 虎 の 如 きたけき 質 とを 兼備 する 人格 が 出 るであらう 。 ﹃ 自警 ﹄ 第一章男一匹 ︵ 全集七巻四三 〇 頁 ︶ こ れ も 、 新 渡 戸 に よ る 道 歌 の 新 た な 解 釈 で あ ろ う 。 ⒈の 道 歌 と 同 様 、 韓 信 の 故 事 に 因 ん だ 道 歌 で あ る が 、 新 渡 戸 は 、﹁ 先 に 述 べ た る 宗 教 の 訓 ふ る 趣旨 に 叶 う ﹂ 意味 でこの 道歌 を 解釈 している 。 先 に 述 べたる 宗教 と は キ リ ス ト 教 の こ と で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ に キ リ ス ト 教 が 伝 わ っ て か ら ヨーロッパの 人生観 が 一変 し 、 柔和 であることが 尊重 されるようになっ た こ と 、 し か し 、 キ リ ス ト 自 身 に 男 ら し い 気 骨 を 示 し た エ ピ ソ ー ド ) 4 2 が あることを 披露 し 、 キリスト 教 が 柔和主義 のみの 宗教 ではないというこ とを 述 べている 。 このことを 喩 えて 言 うならばということで 、新渡戸 は 、 冒頭 の 道歌 を 示 したものと 考 えられるのである 。 ⒎ 基督 がゴルゴタの 山上 で 、 かの 非命 の 最後 を 遂 げた 如 きも 、 世人 は あの 男 もたうたう 尻尾 を 現 して 、 あのざまの 死 に 方 をしたとか 、 表 向 きには 君子顔 をして 居 っても 、 蔭 では 大分不始末 の 事 があつたさ うだ 、 社会主義 も 唱 へたさうだ 、 某婦人 と 仲 がよかつたさうだ 、 謀 叛 の 目論見 さへしたさうだ 、 始終下等 な 女 や 悪党 の 仲間 につき 合 つ て 居 つたさうだ 、 折々 は 魔法 みたいな 事 をして 愚民 を 驚 かしたさう だ 、 始終猫撫声 をして 女子供 を 手 なづけたさうだ 等 、 其他 あらゆる 悪口 を 以 て 、 彼 は 見事 に 失敗 したなどと 言 つたであらう 。 焉 んぞ 知 らん 、 敗 けたと 思 う 人 が 最後 の 勝利者 たることを 。 負 けて 退 く 人 を 弱 しと 思 ふ なよ 、 智恵 の 力 の 強 き 故 なり ﹃ 自警 ﹄ 第十章人生 の 成敗 ︵ 全集七巻五一六頁 ∼ 五一七頁 ︶ こ こ で も 、 ⒋と 同 じ 韓 信 に 因 む 道 歌 を 挙 げ て 、﹁ 敗 け た と 思 う 人 が 最 後 の 勝利者 ﹂ であるという 意味 で 、 韓信 とキリストの 姿 を 重 ね 合 わせて いる 。 新 渡 戸 は 、 道 歌 以 外 に も 韓 信 の 故 事 を 修 養 書 の 随 所 に 引 用 し て い る 。 当 時 の 読 者 に と っ て 韓 信 の 故 事 は 誰 で も が 知 っ て い る 常 識 的 な 故 事 で あったようだが 、 新渡戸 は 、 この 韓信 の 故事 とキリストの 生涯 を 重 ね 合 わせ 、 そうすることで 、 当時 の 読者 にキリストの 生 き 方 を 理解 させよう としていたと 思 われる 。 イエスの 生涯 を 韓信 の 故事 に 託 して 説明 してい ると 思 われる 記述 が 多 く 見 られるのである 。 ⒏ 聖書 に 心 に 充 ち 溢 れて 言葉 となるとあるが 、 心 から 湧 き 出 たものが 真 の 言葉 である 。 言 の 葉 の 声 に 心 のあらはれて 、 やさしき 人 の 底井知 らるゝ ﹃ 自警 ﹄ 第十九章言葉 の 心 ︵ 全集七巻六 〇 三頁 ︶ 聖書 の 言葉 を 道歌 に 重 ねて 、 読者 にその 真意 を 伝 えようとした 、 これ も 新渡戸 の 道歌 の 新 しい 解釈 であろう 。 四 この 章 では 第二類型 に 含 まれるキリスト 教記述 を 拾 い 上 げていく 。 こ 六
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 の 区分 に 含 まれると 思 われる 記述 で 、 すでに 第一類型 に 含 めた 記述 もあ る 。 これらの 記述 については 、 紙数 の 都合 もあり 、 重複 して 挙 げること はしない 。 以下 の 区分 においても 同様 とする 。 ⒐ 耶蘇 が 十字架 に 就 てあらゆる 恥辱 と 苦痛 を 甞 めても 、 自分 の 信 ずる ところを 守 り 、 全 く 身 を 殺 した 時 は 即 ち 全 く 己 に 克 つた 時 で 、 全然 己 に 克 つた 時 は 即 ち 愈々世界 に 打勝 つ 時 である 。 彼 が 最後 に ﹁ 我 れ 世 に 勝 て り ) 5 2 ﹂ と 叫 ん だ 時 は 克 己 の 最 高 の 模 範 を 世 に 示 し た 時 で あ つた 。 ﹃ 修養 ﹄ 第六章克己 の 工夫 ︵ 全集七巻一四一頁 ︶ イエスが 十字架 にかかったことについて 、 新渡戸 は ﹁ 全 く 身 を 殺 した 時 は 即 ち 全 く 己 に 克 つた 時 ﹂ と 説明 し 、 克己 、 すなわち 論語 の ﹁ 己 に 克 ちて 礼 に 復 る ) 6 2 ﹂ の 最高 の 模範 として 紹介 している 。 10. 耶蘇教 に 於 ては 、 忠孝両方 に 通用 する 愛 とい ふ 一字 を 用 ゐ 、 己 の 心 にある 愛 の 情 が 君 に 対 して 現 はれる 時 は 忠 となり 、 父母 に 対 して 現 はれる 時 は 孝 となる 。 ﹃ 修養 ﹄ 第七章名誉 に 対 する 心懸 ︵ 全集七巻一四九頁 ∼ 一五 〇 頁 ︶ 11. 日本 には 忠孝 よりも 、 もつとよい 言葉 で 、 耶蘇教 の 愛 の 字 に 匹敵 す る に 足 る も の が あ る 。 只 愛 の 字 の 如 く 、 動 作 を 現 は す 力 は な い が 、 愛 に 劣 らぬ 心 の 状態 を 現 はして 居 る 。 夫 は 誠 とい ふ 字 である 。 ﹃ 修養 ﹄ 同章 ︵ 全集七巻一五 〇 頁 ︶ 10. 11 は . 同 じ 章 に 記 述 さ れ て い る も の で 、 キ リ ス ト 教 の ﹁ 愛 ﹂ の 意 味 を 当時 の 読者 に 分 かりやすく 、 忠孝 、 誠 という 言葉 を 用 いて 説明 してい る 。 特 に 、 新 渡 戸 は 、﹁ 誠 ﹂ と い う 言 葉 を キ リ ス ト 教 の ﹁ 愛 ﹂ と 同 等 の 価値観 を 有 する 言葉 として 位置 づけている 。 当時 の 読者 に 理解 しやすく 説明 しようとする 新渡戸 の 苦心 の 跡 が 伺 える 記述 であろう 。 12. 釈迦 が 山 を 出 て 説教 したこと 四十余年 、 孔子 も 亦数十年間 、 道 を 説 き 、 耶蘇 の 教 を 宣 べたのは 僅 に 三 ケ 年 であつたが 、 最 も 短 かつた 耶 蘇 にしても 、 毎日怠 らず 説教 したと 思 へば 、 千日位 は 活動 したので あらう 。 かう 計算 すれば 、此等 の 人人 の 説教 を 筆記 に 取 つたならば 、 何十百巻 の 大部 として 、 今日 に 遺 されたであらうと 思 ふ 。 然 るに 実 際 に 、 今日 に 残 つて 居 るものは 、 ポケットの 論語 とか 、 四福音書 と か 、 或 はポケット 式 の 教文位 に 過 ぎぬ 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第二十二章人生問題 の 解決前提 ︵ 全集八巻三七六頁 ∼ 三七七頁 ︶ 13. 抽象的 に 一般 の 場合 に 応用 される 思想 、 例 へば 仏教 によつて 慈悲心 を 、 キリスト 教 によつて 愛 を 、 儒教 により 仁 の 心 を 発揮 することを 教 へられる 様 に 、 総 ての 場合 に 応用 される 感情 を 養 ひ 、 云 はゞ 演繹 的 、 主観的 の 方法 を 以 て 、 人 を 怨 む 心 を 消 すことはできぬことでな い 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二五 〇 頁 ︶ 14. 伯夷叔斉 の 如 きは 其一例 である 。 昔 の 仏教徒 にはかゝる 人 が 沢山 あ つた 。 耶蘇教徒 にも 沢山 あつた 。 ﹃ 修養 ﹄ 同章 ︵ 全集七巻二五二頁 ︶ 新渡戸 は 、 仏教 、 キリスト 教 、 儒教 を 敢 えて 並列 させている 。 そして 、 慈悲心 、 愛 、 仁 の 心 を 同 じような 概念 であると 理解 されるような 記述 の 仕 方 を と っ て い る 。 13の . 文 章 の 具 体 例 と し て 、 新 渡 戸 は 、﹁ 僕 は 便 宜 の 為 に 、 愛 に 具 体 的 に 例 を 挙 げ て 見 る 。 ) 7 2 ﹂ と し て い る 。 ど れ も 同 じ よ う 七
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) な 意味 を 現 す 言葉 であり 、 どの 言葉 でも 構 わないが 取 り 敢 えず ﹁ 愛 ﹂ を 例 にとる 、 という 意味 で ﹁ 便宜的 に ﹂ という 言葉 をわざわざ 使用 したの ではないかと 考 えられる 。 15. 今日基督教 が 、 幾億万人 に 慰安 を 与 へて 居 るのは 、 耶蘇 とい ふ 人 が 、 常 に 逆境 にあつて 、 具 に 人生 の 辛酸 を 甞 めた 為 であらう 。 ゲー テ は 基 督 教 の こ と を 、 悲 哀 の 神 殿 ︵ Temple of Sor row ︶ と い ふ た 。 これは 我々 に 最 も 趣味深 い 言葉 である 。所謂逆境 があればこそ 、我々 は 人 に 対 する 情 を 覚 ゆるなれ 。 若 し 終日踊 り 跳 ねて 、 一生 を 落花 の 中 に 迷 ひ 暮 らすならば 、 何 で 人 の 情 を 解 することが 出来 やう 。 人 の 情 を 知 ら ぬ も の が 、 如 何 に し て 人 情 の 真 味 を 味 ふ こ と が 出 来 や う 。 武士 はものゝ 哀 を 知 るとい ふ 、 之 を 知 らぬは 真 の 武士 でない 。 ﹃ 修養 ﹄ 同章 ︵ 全集七巻二七二頁 ︶ イ エ ス の 受 難 を 新 渡 戸 は 逆 境 と い う 表 現 に 置 き 換 え て い る 。﹁ 人 生 の 辛酸 を 嘗 め ﹂ 悲哀 を 知 り 尽 くしているイエスの 姿 に 、 ものの 哀 れを 知 る 武士 の 姿 を 重 ねることで 、 基督教 が 多 くの 人々 の 信仰 の 対象 となってい ることの 一端 を 読者 に 紹介 していると 言 えるのではないか 。 16. 孟子 は ﹁ 文王一 たび 怒 つて 、 天下 の 民 を 安 んず ﹂ といつて 居 る 。 怒 気 とい ふ ても 、 天下 の 民 を 安 んずるが 如 きは 、 極 めて 有益 なことで ある 。 聖書 はあの 通 り 愛 を 説 き 、 温和 を 勧 めるものであるが 、 必 ず しも 怒 ることを 悉 く 悪 いと 言 はぬ 。 ポールの 言 に ﹁ 怒 ても 罪 する 勿 れ ) 8 2 ﹂といひ 、基督 も 亦怒 つたことがある 。 腕力 を 揮 ふ て 商人 を 鞭 ち 、 寺院 から 追出 したことさへある 。 又 パリサイ 人 を 叱責 したこともあ る 。 孟子 とか 基督 とかい ふ 人 は 、 殆 ど 完全 に 近 い 人 である 。 然 も 尚 且 つ 場合 によれば 怒 つたこともあり 、 又怒 ることを 、 必 ずしも 悪 い とはい ふ て 居 らぬ 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第四章怒気抑制法 ︵ 全集八巻五二頁 ︶ 17. こ の 話 ) 9 2 は オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド が 基 督 を 譏 つ た の で あ る 。 即 ち 基 督 が 熱心 に 説教 したけれども 、 終 に 衆生 を 済度 することが 出来 ない で 、 礫刑 に 処 せられて 死 んだのを 譏 ったのである 。 かの 盗賊 が 聖人 の 説法 を 聞 いて 翻然 として 悟 り 、 義人 に 生 れ 更 つたかどうか 、 そこ は 解 らない 。 基 督 す ら 礫 刑 に 処 せ ら れ て も 、﹁ 余 が 信 念 は 此 所 だ 、 余 が 動 機 は 此所 だ ﹂ と 明瞭 にはいはなかつた 。 孔子 も 天 の 蒼々 たるを 仰 ぎ 、 地 の 茫々 たるを 望 みては 、 人生 は 斯 の 如 きものであらうと 感 じ 、 天地 に 対 する 感念 が 油然 として 生 じたであらう 。⋮ 略 ⋮ 孔子 は 決 して 鬼 神 を 信 じなかつたのではない 。 唯我 が 心 の 奥底 は 容易 に 人 に 話 せな かつたのであらう 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第五章他人 の 言行 に 対 する 批判 ︵ 全集八巻六五頁 ∼ 六六頁 ︶ 18. 柔和 なれと 訓 ふ るは 独 り 耶蘇教 に 限 つたことでない 。 道徳 とさへ 云 へば 、 マホメットの 回々教 を 除 き 、 大抵柔和 の 徳 を 主 として 教 へざ るものはない 。 ﹃ 自警 ﹄ 第一章男一匹 ︵ 全集七巻四二二頁 ︶ 16. 17は . 、 い ず れ も キ リ ス ト と 孟 子 、 孔 子 の 言 行 の 底 に 相 通 ず る 点 を 挙 げ 、 両者 を 比較 するのではなく 、 キリストも 孟子 も 孔子 も 、 窮極的 な ところで 言 いたかったことは 同様 のことであると 、 三者 を 同列 に 論 じて いる 。 韓信 の 故事 と 同様 、 新渡戸 の 修養書 には 16で. 述 べられている 、 キリス ト が 神 殿 か ら 力 づ く で 商 人 達 を 追 い 払 っ た 話 ) 0 3 が し ば し ば 登 場 す る 。 キ リスト 教 は 柔和 のみを 旨 とする 宗教 であるという 思 い 込 みが 当時 の 読者 にはあったのかもしれない 。 新渡戸 は 、 柔和 のみがキリスト 教 ではない ことを 随所 で 述 べ 、 キリスト 教 の 持 つ 厳 しい 側面 を 読者 に 示 そうとして 八
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 いると 思 われる 。 反面 、 18のように . 、 柔和 の 徳 を 説 くのはキリスト 教 に 限 ったことでは ないという 記述 もある 。 19. 若 し 仮 に ソ ク ラ テ ス が 彼 を 罪 し た 軽 薄 の 徒 輩 、 正 義 を 抂 げ て 死 刑 を 宣 告 し た 裁 判 官 を 対 手 と し 、 ⋮ 略 ⋮ ソ ク ラ テ ス の 方 が 勝 利 を 得 、 七十才 で 横死 を 遂 げずに 、 九十才 までも 長命 したかも 知 れぬ 。 又耶 蘇 が 羅馬 の 知事 、 猶太 の 僧侶等 に 対 するに 、 彼 の 用 ひた 権謀術数 と 同 じ 権謀術数 を 以 てしたならば 、 あの 様 な 苦心 は 或 は 免 れたかも 知 れぬ 。 併 し 斯 の 如 くして 彼 が 苟 も 免 れんとしたならば 、 其代 り 人類 の 歴史 が 如何 に 哀 なものとなつたらう 。 我々 が 失望 し 落胆 し 悲哀 に 陥 つた 時 、 即 ち 奮闘 せんとしても 勇気 が 阻喪 した 時 、 心 を 取直 し 又 は 元気 を 鼓舞 するには 、 耶蘇 やソクラテスの 当時犬死 と 見 られた 事 実 が 、 我々 の 力 となるのではないか 。 死 んだ 聖人 が 、 凡人 を 活 かす のは 其行動 が 如何 なる 対手 に 対 しても 、又如何 なる 境遇 にあつても 、 常 に 正義 の 道 に 外 れなかつた 為 である 。 無論我々凡人 は 耶蘇 たりソ クラテスたることは 、 始 より 之 を 期待 する 所 ではないが 、 幾分 か 此 等 の 人々 の 心持 ちを 玩 味 してかゝらねば 、 世 の 奮闘 に 堪 へられるも のでない 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第九章奮闘 の 心得 ︵ 全集八巻一五七頁 ︶ 20. 聖人君子 の 如 きを 以 てしても 、 意志強 く 、 自分 の 目的 を 飽 く 迄 も 貫 徹 せんとする 者 は 、 必 らず 何人 からか 邪魔視 される 。 孔子 の 言 へる こと 又 は 為 せることは 、 盗跖 より 見 れば 、 甚 だ 邪魔 になつたに 相違 ない 。 基督 が 無遠慮 に 自分 の 思想 の 実行 を 力 めたから 、 時 の 官憲僧 侶 から 邪魔視 され 、 耶蘇 ほどにはびこる 、 嫌 なものはないと 思 はれ たればこそ 、 十字架 の 上 にその 一生 を 終 つたのである 。 又 ソクラテ スの 言 うたことや 為 したことが 、 当時 の 淫蕩浮華 なる 風俗 の 進歩 を 遮 つたから 、 彼 は 青年 を 毒 するものなりと 呼 ばれて 死刑 に 処 せられ たのである 。 ﹃ 自警 ﹄ 第八章世 に 蔓 こる 者 は 憎 まる ︵ 全集七巻四九四頁 ︶ ここでも 、 前 に 挙 げた 記述 と 同様古代 の 思想家 とキリストが 同列 に 論 じられている 。 ここでは 西洋 の 思想家 であるソクラテスと 孔子 を 並列 し て 論 ずることで 、 信仰 の 対象 としてのキリストの 姿 が 背後 に 隠 れる 形 と なり 、 当時 の 日本人 が 持 っていたであろう 、 キリスト 教 に 対 する 特殊 な イメージをより 一層希薄化 しようとしていると 考 えられる 。 ソクラテスについては 、 その 生涯 の 最後 の 姿 がキリストの 姿 と 重 なる ということもあり 、 また 、 新渡戸自身 が 自分 の 尊敬 する 人物 の 一人 であ ると 述 べているところから 、 彼 の 修養書 には 多 く 登場 している 。 21. 人間 と 人間 との 関係以上 とい ふ と 、 何 だか 耶蘇教 の 神 らしいことに な る 。 併 し 僕 は 必 ら ず し も 神 と 限 る の で は な い 。 仏 教 の 世 尊 で も 、 阿弥陀 でもよい 、 神道 の 八百万 の 神 でも 差閊 ない 。 僕 は 何 の 宗教 と い ふ ことを 、 爰 で 彼 れ 是 れい ふ ことを 好 まぬ 。 只人間以上 のあるも のがある 。 そのあるものと 関係 を 結 ぶ ことを 考 へれば 、 それで 可 い のである 。 ﹃ 修養 ﹄ 第二章青年 の 立志 ︵ 全集七巻五七頁 ∼ 五八頁 ︶ 22. 我々 は 屢々日本人 には 罪 の 観念 がないとい ふ 評 を 聞 く 。 併 し 是 は 事実 であると 思 はぬ 。 尤 も 日本人 の 罪 の 観念 は 外人 、 就中猶太人 ほ ど 強 くなくとも 、 又解釈 が 少 しく 異 ふ かも 知 れぬが 、 仏教 にも 神道 にも 、 罪 の 存在 を 教 へぬものはない 。 宗教 としては 力 が 甚 だ 弱 い 所 の 神道 にても 、 不浄 を 忌 むの 観念 に 重 を 措 き 、 常 に 之 を 清 める 為 に 斎戒沐浴 して 居 る 。 是 は 宗教 の 例 として 云 ふ までもなく 、 今 や 更 に 大和民族 の 性情 ともなつて 居 る 。 耶蘇教 にい ふ 罪 とは 意味 に 多少 の 差違 はあるとしても 、 兎 に 角罪 の 観念 を 含 んで 居 る 。 故 にその 養 ひ 九
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) 方一 ツによつては 、 耶蘇教 で 喧 しく 云 ふ 罪 の 観念 と 同 じ 力 を 、 発揮 せしむることが 出来 はせぬかと 思 ふ 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十七章廉恥心 ︵ 全集八巻三 〇 五頁 ︶ これらの 記述 は 新渡戸 らしい 表現 の 典型 ともいえる 文章 であろう 。 キ リスト 教 、 仏教 、 神道 を 並列 させ 、 その 共通点 と 思 われるところを 提示 することで 、 キリスト 教 の 信仰 や 罪 というかなり 理解困難 な 概念 をわか りやすく 説明 しようとする 試 みと 苦心 の 跡 がうかがえる 。 キリスト 教 の 神 、 仏教 の 釈尊 、 神道 の 八百万 の 神 、 いずれの 神仏 でもかまわない 。 人 間 と 人 間 以 上 の 存 在 と の 関 係 を 重 視 す べ き で あ る 。 こ の よ う な 表 現 は 、 キリスト 教 に 警戒感 、 不安感 を 懐 く 読者 にとっては 、 大 きな 安堵感 を 与 える 表現 ではなかったか 。 キリスト 教 が 新渡戸 によって 大 きな 枠組 みの 中 でおおらか 過 ぎるともいえるような 形 で 表現 されていることは 、 当時 の 人々 が 懐 いていたキリスト 教 に 対 する 警戒感 を 解 くのにかなり 大 きな 影響 があったのではないかと 考 えられるのである 。 ただし 、 このような 表現 には 、 逆 にキリスト 教 に 対 する 真 の 理解 から 人々 を 遠 ざけてしまう 側面 もある 。 当時 のキリスト 教 に 対 する 空気 が 如何 に 厳 しかったかを 伝 える 文章 としても 解釈 できるであろう 。 ま た 、﹁ 罪 ﹂ に つ い て の 新 渡 戸 の 解 釈 も 、 一 言 で 説 明 す る こ と が 困 難 な 罪 の 概念 を 当時 の 読者 が 理解 できるようにするための 手 がかりとして のみならず 、 新渡戸 の ﹁ 罪 ﹂ 概念 の 解釈 を 示 すものとして 興味深 い 記述 である 。 新渡戸 は ﹁ 僕 は 此所 で 比較宗教学 、 神学論 を 為 す 考 もなく 、⋮ 略 ⋮ 此 所 で は 此 以 上 、 こ の 問 題 に 立 ち 入 る 必 要 も な い 。 ) 1 3 ﹂ と い う 注 釈 を 付 けているが 、 優 れた 比較文化論 になっていると 考 えられる 。 23. 世 の 中 に 少 し 偉 いことをする 人 、 思切 つたことをなす 人 は 多 く 宗教 家 にある 。宗教家 とい ふ ても 仏教 とか 耶蘇教 とかに 限 つた 訳 でない 。 己 を 棄 て 、 己 の 心 、 己 の 力 を 他 に 捧 げ 一任 して 仕舞 ひ 、 己 の 身体生 命 はどうでも 勝手 にして 下 さいとい ふ 、 耶蘇教 でいへば 、 一身 を 天 に 任 せ 、 殺 すも 活 かすも 神 の 御心 に 任 せるとい ふ 様 な 、 自分 より 遙 に 偉大 なる 力 を 享 けたものでなければ 、 普通一般人 の 驚 く 様 な 仕事 は 出来 ぬ 訳 である 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十三章道 ︵ 全集七巻三九九頁 ∼ 三四 〇 頁 ︶ 24. 社 会 改 良 を 標 榜 す る 者 は 、 西 洋 に も 多 く あ る 。 殊 に 米 国 に 多 い 。 中 には 真面 目 な 宗教家 もある 。 又我日本 に 於 ても 、 仏教家 といはず 耶蘇教徒 といはず 宗教家 にもある 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十五章悪口 ︵ 全集八巻二七四頁 ︶ 25. 仏教 で 説 く 慈悲 とい ふ のも 、 他人 の 苦痛 を 痛 むことである 。 耶蘇 の 一生 も 亦悲哀 に 満 ちて 居 る 。 共 に 悲哀 に 対 して 説 かれたものであ る 。 元来人間 は 悲哀 に 同情 するものである 。 故 に 若 し 人 が 仏耶両教 の 如 く 苦 む 神 ︵ Suf fering God ︶ を 認 め な か っ た な ら ば 、 人 は 自 然 に 想像 して 、 斯 うい ふ 神 を 編 み 出 したであらうと 思 ふ 。 想像 してな りとも 之 を 出 さなければ 、 心 の 底 まで 満足 を 得 ることは 到底出来 な い 。 カ ー ラ イ ル は 耶 蘇 教 の こ と を 悲 哀 の 殿 堂 ︵ Temple of sor row ︶ と い ふ て 居 る 。 耶蘇教 が 悲哀 に 富 で 居 るからこそ 、 個人主義 の 熾 な 西 洋人 の 間 にも 、 同情 の 念 が 涵養 されたのである 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十九章同情 の 修養 ︵ 全集八巻三四一頁 ∼ 三四二頁 ︶ ここに 挙 げた 記述 では 、 仏教 とキリスト 教 を 同 じ 宗教 という 範疇 の 中 で 同列 に 論 じている 。 21は . 仏教 とキリスト 教 を 並列的 に 論 じながら 、 例 えばという 一例 の 形 をとって 、 キリスト 教的価値観 を 紹介 している 文章 である 。 新渡戸 が 目指 したと 考 えられるキリスト 教 の 土着化 を 促 す 典型 的 な 記 述 方 法 と い う こ と が で き る で あ ろ う 。 23の . 仏 耶 両 教 と い う 表 現 は 新渡戸 の 造語 ともいうべき 珍 しい 言葉 である 。 慈悲 と 悲哀 を 同 じ 概念 と 一 〇
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 して 捉 えることで 、 キリスト 教 は 決 して 特殊 な 宗教 ではなく 、 西洋人 の 例 を 挙 げながら 、 人々 にとってごく 身近 な 宗教 であるということを 印象 付 けている 。 26. 堯舜 の 時代 には 法典 がなかつた 。 而 も 尚 ほ 克 く 民 を 悦服 せしめた 所以 は 、 藪沢 を 開墾 したり 、 水利 を 計 つたりして 、 物質的治蹟 を 揚 げた 計 りでない 。 至醇 なる 情 が 露 はれたからである 。 一斎翁 の 言 に ﹁ 唐 虞 の 治 は 只 だ 是 れ 情 の 一 字 、 極 て 之 れ を 言 へ ば 万 物 一 体 、 情 の 推 に 外 な ら ず ) 2 3 ﹂ と 、 聖 保 羅 の 言 に ﹁ 愛 は あ ら ゆ る 法 律 の 守 る に 当 る ) 3 3 ﹂ と 云 ふ 意 を 述 べたのも 、 之 と 同 じことである 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十九章同情 の 修養 ︵ 全集八巻三三 〇 頁 ︶ 新渡戸 はその 修養書 の 文中 に 、 佐藤一斎 の ﹃ 言志四録 ﹄ から 多 くの 文 章 を 引 用 し て い る 。 こ こ で は 、﹃ 言 志 耋 録 ﹄ 第 二 五 一 条 の 堯 舜 の 理 想 的 政 治 の 根 本 に あ る ﹁ 情 の 推 ) 4 3 ﹂ と 聖 パ ウ ロ の 言 葉 の ﹁ 愛 ﹂ を 同 義 と し て 説明 している 。 27. 例 へ ば 孔 子 の 教 で も 、 旧 約 の 十 戒 で も 、 総 て 何 々 を す る な と い ふ 、 消極的教訓 に 傾 いて 居 る 。 ﹃ 修養 ﹄ 第六章克己 の 工夫 ︵ 全集七巻一二五頁 ︶ 28. 論語 や 聖書 を 読 み 万世不朽 の 金言 と 称 せらるゝ 教訓 に 触 れても 、 甘 い 事 を 言 うて 居 る 、 此訓 を 某 に 聞 かしてやりたいものだと 、 己 の 身 に 当 て 箝 めて 考 へるよりは 、他人 に 応用 する 心地 する 事 がままある 。 ﹃ 自警 ﹄ 第二十章忠告 の 取捨 ︵ 全集七巻六 〇 四頁 ︶ 孔子 と 旧約聖書 、 論語 と 聖書 を 同 じ 教訓 の 書 という 扱 いで 、 並列 して 論 じている 。 五 この 章 では 第三類型 に 含 まれるキリスト 教記述 を 拾 い 上 げていく 。 この 類型 に 含 まれる 文章 は 、 新渡戸 のキリスト 教 の 紹介 の 仕方 として は 、 かなり 明確 な 形 で 、 意図的 にキリスト 教的価値観 を 読者 に 提示 する という 記述方法 を 採 っている 。 それだけに 、 新渡戸 のキリスト 教理解 が 如何 なるものであったかという 根本的問題 と 深 く 関 わってくる 。 この 点 に つ い て の 考 察 抜 き に は 論 ず る こ と の 出 来 な い 諸 問 題 が 多 く 含 ま れ る が 、 新渡戸 のキリスト 教理解 やその 信仰 について 論 ずることは 本稿 の 目 的 とするところではないので 、 修養書 の 各所 にちりばめられた 文章 の 主 なものを 列挙 するにとどめる 。 ﹁ 柔和 ﹂ に 関 する 記述 29. 基督 の 伝記 を 見 ると 基督 は 誠 に 柔和 に 謙遜 で 、 小児寡婦 、 病人等 に 対 して 、 実 に 柔和親切 な 円満 な 人 であつた 。 故 に 或 は 三十三年 の 基督 の 生涯 は 陰鬱 で 厭世的 で 、 一生 ベソかいて 暮 らしたのであらう と 、 思 ふ 人 もあらうけれども 、 彼 の 一生 を 観 れば 決 してさうでない 。 彼 は 柔 和 親 切 な 人 で あ つ た が 、 或 場 合 に は 強 を 挫 き 弱 を 援 け 、 我 利々々盲者 を 罵倒 し 、 鉄槌 を 彼等 の 頂門 に 加 へたことがある 。 その 勢 の 猛烈峻厳 なる 、 百雷 も 尚 ほ 及 ばざる 観 があつた 。 或時 の 如 きは 利 を 爭 ふ 商人 が 神殿 に 店舗 を 設 け 、 神 の 稜威 を 冒瀆 したのを 見 て 非 常 に 忿怒 し 、 彼等 を 宮殿外 に 放逐 したことがある 。 之 を 小児 を 懐 い て 其頭 を 撫 で 、 寡婦 を 見舞 ふ て 、 其涙 を 拭 ひ 、 病者 を 訪 ふ て 親切 に 介抱 した 基督 に 比 べると 、 全 く 別人 の 観 がある 。 併 しこれは 矛盾 で ない 。 柔和謙遜 も 、 峻厳猛烈 も 、 其形 は 異 なつて 居 るが 、 其由 て 来 た 本体 は 一 つである 。⋮ 以下略 ⋮ ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第五章他人 の 言行 に 対 する 批判 一一
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) ︵ 全集八巻六八頁 ︶ 30. 欧羅巴 では 耶蘇教 が 普及 して 以来 、 人生観 が 一変 した 。 従 つて 人 間 の 評 価 も 亦変 つて 来 た 。 柔和 なる 者 は 幸 なりとは 、 基督 の 教訓 で あるが 、 汝 に 敵 する 者 を 愛 せよとか 、 或 は 汝 を 迫害 する 者 に 復仇 す るなかれとか 、 汝 に 一里 の 道 を 強 ふ る 者 あらば 二里 を 歩 めとか 、 右 の 頬 を 打 つ 者 あらば 左 の 頬 をも 叩 かせよとい ふ が 如 き 、 柔順温和 の 道 を 説 き 、 道 徳 上 の 理 想 と し て 之 が 一 般 社 会 に 説 か れ た の で あ る 。 併 し 之 を 実行 する 者 は 殆 ど 皆無 であつた 。⋮ 略 ⋮ 普通一般 の 人 は 自 ら 耶蘇教徒 なりと 称 しながら 、 この 柔和 の 道 を 守 らなかった 。 即 ち ニ イ チ ェ が 耶 蘇 教 を 奴 隷 の 道 徳 と 悪 口 し た の も 無 理 な ら ぬ こ と で 、 現時 の 戦争 にも 現 はれてゐる 通 り 、 基督 の 言葉 が 決 してその 儘 に 行 はれて 居 らぬ 、 寧 ろその 反対 の 勇猛 なる 教旨 が 、 耶蘇教以前 より 一 貫 して 欧州 に 盛行 してゐる 。 ﹃ 自警 ﹄ 第一章男一匹 ︵ 全集七巻四二一頁 ∼ 四二二頁 ︶ 31. 新約全書 を 見 ると 、 其説 く 所甚 だ 柔和 にして 強 みが 更 になきに 拘 ら ず 、 読 んで 行 く 間 に 犯 すべからざる 力 を 感 ずる 。 百万人 が 襲来 して も 、 毫 も 動 かざるの 心 の 強味 を 与 ふ ること 、 英雄列伝 の 遠 く 及 ぶ 所 でない 。 ﹃ 自警 ﹄ 第三章強 き 人 ︵ 全集七巻四四五頁 ︶ 32. 僕 は 近頃或人 が 僕 の 知人 を 批評 するのを 聞 いた 。その 言 に 曰 く﹁ あ の 男 は 誠 によい 男 だが 、 惜 しいことには 、 宗教家 である 為 、 弱 くて 不可 ぬ 。あれに 一層骨 ツポイ 所 があれば 、実 に 見上 げた 人間 だに ﹂と 。 この 知人 は 耶蘇教信者 たることを 思 うて 僕 はこの 批評 が 一部中 れる ことを 考 へた 。⋮ 略 ⋮ 氏 が 曾 て 心 を 宗教 に 寄 せる 前 には 、 剛情 で 始 末 にをへぬ 硬骨漢 であつたが 、 一 たび 信者 となつてからは 手 を 覆 し た 如 く 温和 な 柔順 な 、 涙 もろい 人 に 変 つた 。⋮ 略 ⋮ 基督教 の 如 く 柔 和 を 旨 とする 宗教 にては 、 はでなことが 甚 だ 少 ない 、 喧嘩 も 少 なけ れば 、 議論 も 少 ない 。 ドラマチックのことが 甚 だ 稀 なる 故 、 世 の 見 物人 より 喝采 を 受 けることなくして 世 を 過 すが 、 併 し 尚 ほ 華麗 に 世 を 渡 るよりは 此方 が 却 つて 人生 の 真味 を 味 はれると 思 ふ 。 ﹃ 自警 ﹄ 第四章外 は 柔 、 内 は 剛 ︵ 全集七巻四五四頁 ∼ 四五七頁 ︶ 33. 聖 書 に 柔 和 な る も の は 此 世 を 嗣 ぐ べ し ) 5 3 と あ る 。 こ の 世 を 承 け て 引 継 ぐものは 柔和 なるものなりとは 、 柔順 なる 人 は 永久 に 此世 の 継続 者 である 、 換言 すれば 柔順 は 永久 の 徳 なり 、 剛 いもの 、 力 を 以 て 世 を 圧倒 するものは 、 仮令一時 の 効 はあるとも 、 永久 に 継続 せぬ 。 ﹃ 自警 ﹄ 第四章外 は 柔 、 内 は 剛 ︵ 全集七巻四五八頁 ︶ キリスト 教 の ﹁ 柔和 ﹂ という 言葉 に 新渡戸 は 繰 り 返 し 触 れている 。 第 一類型 や 第二類型 で 既 に 挙 げたように 、 道歌 を 使 ってそのイメージを 表 現 し 、 他 の 思想 や 宗教 との 関連性 において 内容 を 説明 している 。 29では . 福音書 の 内容 を 物語仕立 てにして 興味深 く 読 むことができるようにしな がら 、 柔和 と 剛毅 さとの 関連 について 説明 している 。 難 しい 内容 を 軽妙 な 語 り 口 で 読 む 者 の 興味 を 引 く 物語仕立 てにするところは 、 道話 の 手法 を 借 りていると 考 えられるのではないか 。 30では . 、キリスト 教国 の 人々 、 即 ち 当時 の 先進国 の 人々 の 言行不一致 について 、 新渡戸 が 苦 しい 説明 と 弁明 を 展開 している 。 当時 の 我 が 国 の 青年達 は 、 今 まで 禁教 であったキ リスト 教 が 信仰 するに 値 する 本物 の 宗教 であるか 否 かということに 、 強 く 大 きな 関心 を 寄 せていたことであろう 。 その 宗教 の 中身 が 本物 である か 否 かを 判断 する 上 で 、 その 宗教 を 信 ずる 人 が 言行 を 一致 させているか 否 かという 点 は 、 重大 な 判断基準 である 。 禁令 が 解 かれたばかりの 宗教 であれば 、 一層厳 しい 目 が 注 がれたであろう 。 その 意味 で 、 欧州 の 人々 の 信 ずる 宗教 の 教 えと 実際 の 行動 のあり 方 の 乖離 について 取 り 上 げざる をえなかった 新渡戸 の 困惑 が 表 れている 記述 である 。 33は . 短文 であるが 、 その 直後 に 、 読者 にとって 興味深 いエピソードを 一二
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 加 えて 、 読者 の 理解 の 助 けとしている 。 そのエピソードとは 、 木村長門 守 と 茶 坊 主 と の 話 で あ る ) 6 3 。 江 戸 時 代 か ら 絵 草 紙 や 講 談 等 で 数 多 く 取 り 上 げられていたらしく 、当時 の 人々 にとっては 、たいへん 有名 な 話 であっ たようである 。 木村長門守 の 行動 は 、 新渡戸 の 述 べる 柔和 の 考 え 方 を 実 行 したようにも 解釈 できるような 話 であるので 、 おそらく 当時 の 読者 も キリスト 教 の ﹁ 柔和 ﹂ の 持 つイメージを 共有 できたのではないか 。 この 木村長門守 の 逸話 は 、 韓信 の 故事 と 共 に 、 新渡戸 の 修養書 にしばしば 登 場 する 話 であり 、 この 逸話 が 挿入 されることにより 、 道話 らしい 空気 が 文章全体 に 吹 き 込 まれる 。 キリスト 教 の 話 が 続 いて 肩 が 凝 り 始 めた 読者 がホッと 一息 つく 様子 が 目 に 見 えるような 、 新渡戸 の 見事 な 文章構成 で あ る 。 こ の よ う な バ ラ ン ス の 取 り 方 を 新 渡 戸 は か な り 配 慮 し て 文 章 を 練 っていたものと 考 えられよう 。 なお 、 キリスト 教 に 関係 する 用語 は 使用 されていないが 、 新渡戸 が 柔 和 についてどのように 理解 していたか 、 以下 の 文章 が 参考 になると 思 わ れる 。 柔和 とい ふ と 、 如何 にも 自分 に 意志 なく 、 人 の 意志 に 脆 く 服従 す る 如 く 思 ふ ものあるが 、 併 し 決 してさうでない 。 柔和 は 意志 の 弱 き 謂 でない 。 尤 も 一方 より 考 ふ れば 、 斯 く 思 ふ も 無理 はない 。 僕 の 考 では 世 には 枉 げてもよい 意思 が 沢山 にあり 、 又意志 を 表示 するに 及 ばぬものも 沢山 あり 、 或 は 意志 を 明 にする 必要 なきものも 沢山 ある と 思 ふ 。 意志 とい ふ と 言葉 が 甚 だよく 聞 ゆるも 、 何事 に 就 ても 明白 なる 意志 を 発表 するものは 神経質 か 或 は 小心 なる 厄介者 である 。⋮ 略 ⋮ 自分 から 関係 せず 、 関係深 い 人 に 譲 りて 差支 ないことが 数多 あ る 。 此所 が 即 ち 僕 の 世 を 譲 つて 渡 れとい ふ 所以 である 。 譲 つて 世 を 渡 れとは 説 くものゝ 、 事 によりては 一歩 も 枉 げられぬ こともある 。 而 して 又 かく 大切 な 事柄 に 就 ては 一歩 だも 決 して 枉 ぐ べきことでないと 思 ふ 。⋮ 略 ⋮ これより 先 は 一歩 も 半歩 も 譲 ること は 出来 ぬ 。 此場合 に 臨 み 尚譲 らせようとするものがあれば 、 断然御 免 を 蒙 つてあべこべに 溝 に 叩込 むのが 至当 である 。 而 して 此場合 に 至 り 真 の 強味 が 発揮 される 。 ﹃ 自警 ﹄ 第四章外 は 柔 、 内 は 剛 ︵ 全集七巻四五九頁 ∼ 四六一頁 ︶ ﹁ 十字架 ﹂ についての 記述 34. 基 督 は 磔 刑 に 処 せ ら れ 、 膏 汗 を 流 し て 苦 ん で 居 る 時 、﹁ 天 の 父 よ 、 我 を 斯 の 如 く 虐待 するものを 赦 し 給 へ 、 彼等 は 其為 す 所 を 知 らぬも のである ) 7 3 ﹂ と 叫 んだ 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二五 〇 頁 ︶ 35. 折々基督教 の 談 に 、 艱難 を 十字架 と 称 するが 、 基督教 から 見 れば 、 こ れ は 至 極 尤 も の こ と で あ る 。 耶 蘇 は 絶 え ず 迫 害 を 受 け て 居 た が 、 その 生涯 中 で 苦 の 絶頂 に 達 したのは 、 実 に 十字架上 の 人 となったと きである 。 耶蘇 がその 痛苦 に 堪 へたればこそ 、 基督教 は 栄 えたので ある 。 罪 なくしてこの 罰 に 処 せられ 、甘 じて 其刑 を 受 けたればこそ 、 十字架 は 耐忍勇気 の 象徴 となつたのである 。これまで 羅馬 の 法律 で 、 磔刑 ほど 恥 しい 処罰 はなかつた 。 耶蘇以前 の 十字架 は 、 人生最大 の 恥辱 を 象徴 したものであつた 。然 るに 耶蘇 がこの 刑罰 を 受 けた 為 に 、 十字架 が 尊重 せられ 、 基督教 の 人々 は 艱難 に 逢 ひ 逆境 に 陥 ると 、 即 ち 自 ら 開祖 の 例 に 法 るのであるとい ふ て 、 喜 ぶ ものが 出来 た 位 であ る 。 羅馬時代 に 基督教徒 であつた 為 に 迫害 に 逢 ふ た 人 は 、 その 為 に 却 て 勇気 を 起 し 、 昂然 として ﹁ 私 もあなたと 同 じ 刑 に 処 せられるの は 、 誠 に 栄誉 の 至 りであります ﹂ と 、 神 に 感謝 したとい ふ 例 は 沢山 ある 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二七六頁 ︶ 一三
近藤:新渡戸稲造と道歌(その2) 36. 基督 が 十字架上 の 人 となつたとき 、 今 まで 彼 に 附随 し 居 た 、 幾十 の 門弟 は 殆 ど 総 て 彼 を 捨 てゝ 遁 げ 去 つたとい ふ 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二八 〇 頁 ︶ 37. 基督 の 門弟 は 、 平生深 く 基督 を 尊崇 し 、 基督 の 行 く 所 には 、 必 らず 行 き 、 基督 の 為 とあれば 、 死生 を 共 にするとい ふ 位 に 、 熱烈 であつ たが 彼 が 一 たび 十字架 に 上 つた 時 は 、 極 めて 少数 の 外 は 逃 げ 去 つて 仕舞 ふ た 。 僕 が 爰 に 基督 のことを 挙 げたのは 、 基督教徒 とい ふ 点 か らでなく 、 この 位 に 艱難 した 人 が 少 いと 思 ふ からである 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二八三頁 ︶ キリストの 磔刑 に 関 する 記述 は 、 すでに 前 に 見 たように 種々 の 箇所 で 取 り 上 げられている 。 ここには 、 前 の 記述 と 重 ならない 文章 のみを 挙 げ た 。 ここで 挙 げた 記述 はすべて 同 じ 章 に 含 まれている 。 35では . 十字架 の 持 つ 意味 が 、 初 めての 人 にもよく 理解 できるよう 丁寧 な 説明 がなされて い る 。 36. 37は . ﹁ 逆 境 は 自 他 に 対 す る 試 金 石 ﹂ と い う 見 出 し の 文 章 に 含 まれており 、 十字架 を 逆境 の 象徴 として 取 り 上 げ 、 逆境 に 陥 った 人 に 対 する 周囲 の 人々 の 反応 とキリストの 弟子達 の 姿 を 重 ね 合 わせてみせてい る 。 ﹁ 罪 と 悔 い 改 め ﹂ についての 記述 38. 自分 を 怨 むとい ふ は 、 大 に 望 ある 心 の 状態 であると 思 ふ 。 無論後悔 するのみでは 尚未 だ 不足 である 。 基督教 で 云 ふ 通 り 悔改 めねばなら ね 。 Regr et で な く Repentance で な け れ ば な ら ぬ 。 是 に 至 つ て 後 悔 は 望多 き 心状 になる 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十章逆境 にある 時 の 心得 ︵ 全集七巻二四五頁 ︶ 39. 新約全書 を 見 ると 、 吾人 の 罪 を 借金 とも 訳 してある 。 謝罪 と 借財 とは 音 さへ 似 て 居 る 。 犯 した 罪 に 対 し 、 必 らず 一度 は 相応 の 酬 いを せねば 済 まぬことは 、 恰 も 用立 てられた 金 は 必 らず 返 さねばならぬ と 同然 である 。 ﹃ 修養 ﹄ 第十七章迎年 の 準備 ︵ 全集七巻四 〇 二頁 ︶ 40. 基督教 の 聖書 を 見 るとアダムとイヴのことが 記 してある 。⋮ 略 ⋮ 此話 は 何人 も 知 って 居 ることであるが 、 僕 が 之 を 読 む 毎 に 、 最 も 感 ずることは 、 彼等 は 造物主 の 禁制 を 破 つて 、 云 はゞ 彼等 の 情慾 に 誘 はるゝや 否 や 、 彼等 が 恥 を 覚 えたと 云 ふ ことである 。 僕 は 此所 が 大 切 の 所 であると 、 日頃思 ふ て 居 る 。 即 ち 罪 の 観念 と 恥 の 観念 とは 其 間 に 避 けられぬ 密着 の 関係 がある 。我 は 悪 を 為 したと 自覚 するのは 、 廉恥心 である 。 或 は 夫 ほど 強 くなくとも 、 己 は 未 だ 不足 である 、 ま だ 足 らない 所 があると 思 ふ のが 、 廉恥心 ではあるまいか 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十七章廉恥心 ︵ 全集八巻三 〇 四頁 ∼ 三 〇 五頁 ︶ 41. 宗教 が 非常 の 力 を 有 するのも 、 其教 の 中 に 罪 の 観念 が 含 まれ 、 常 に 教徒 に 向上 を 促 すからである 。 もし 此観念 なく 、 従 つて 廉恥心 なき も の は 、 進 歩 の 見 込 の な い も の で あ る 。﹁ 恥 を 恥 と 思 は ぬ 者 は 恥 か きたる 例 なし ﹂ 耶蘇 が 罪人 と 交 り 、自分 の 罪 を 自覚 したものを 愛 し 、 自 ら 義人 なりと 誇 る 者 を 屢罵詈 したのも 之 が 為 であらうと 思 ふ 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第十七章廉恥心 ︵ 全集八巻三 〇 七頁 ︶ 42. 新約全書 には 、 英語 に 訳 したレペント ︵ Repent ︶ と 云 ふ 字 が 屢々使 用 されて 居 る 。 日本語 には 之 を 悔 い 改 めと 訳 してある 。 この 言葉 は 、 希 臘 語 の メ タ ノ イ ア よ り 出 で 、 其 意 味 は 日 本 語 に 訳 し て あ る 通 り 、 悔 い 改 めるとい ふ ことを 含 んで 居 る 。 英語 のレペントとい ふ 字 は 只 一四
盛岡大学短期大学部紀要 第19巻 悔 とい ふ ことだけを 意味 し 、 決 して 原語 の 意味 を 尽 したものとは 思 はれぬ 。 希臘 の 語 は 悔 とい ふ より 、 改 めるとい ふ 意 を 、 多 く 含 んで 居 るさうである 。 ﹃ 世渡 りの 書 ﹄ 第十七章廉恥心 ︵ 全集八巻三 〇 九頁 ︶ 罪 の 概念 については 、 22や . 39で . 見 られるように 、 新渡戸 は 一貫 して 恥 の 概念 と 深 く 関 わっていると 主張 している 。 これは 、 必 ずしも 当時 の 読 者 に 向 けて 理解 しやすくというのみならず 、 新渡戸自身 が ﹁ 僕 は 此所 が 大切 の 所 であると 、 日頃思 ふ て 居 る 。 即 ち 罪 の 観念 と 恥 の 観念 とは 其間 に 避 けられぬ 密着 の 関係 がある 。 我 は 悪 を 為 したと 自覚 するのは 、 廉恥 心 で あ る 。﹂ と 強 調 し て い る こ と か ら も 、 新 渡 戸 自 身 の 持 論 で あ る こ と が 明確 であろう 。 新渡戸 と 異 なり 、 すでにルース ・ ベネディクト ︵ Ruth Benedict, 1887 - 1948 ︶ を 知 っ て い る 世 代 の 日 本 人 に と っ て 、 西 洋 人 の ﹁ 罪 ﹂ 意 識 と 日 本 人 の ﹁ 恥 ﹂ 意 識 を 比 較 し な が ら 両 者 の 違 い や そ の 長 短 等 について 持論 を 展開 する 新渡戸 の 文章 は 、 ルース ・ ベネディクトとは 異 なった 視点 からの 切 り 口 を 与 える 比較文化論 とも 捉 えることが 可能 で あろう 。 卑近 な 例 を 豊富 に 挙 げて 努 めて 平易 になるように 説明 している にもかかわらず 、優 れて 先見 の 明 ある 、しかも 、従来 の ﹁ 罪 ﹂ 意 識 と ﹁ 恥 ﹂ 意 識 の 捉 え 方 を 再考 させるだけの 示唆 に 富 んだ 、 斬新 な 比較文化論 とし て 捉 えることができよう ) 8 3 。 ﹁ 心安 かれ ﹂ についての 記述 43. 曾 て 英文 の 聖書 を 読 んだ 折 り 、屢々 Be of good cheer ︵ 爾心安 かれ ︶ とい ふ 句 に 出逢 ふ たことが 度々 ある 。 其後註釈書 を 読 んだ 時 に 、 聖 書全体 を 通 じて 、 この 句 が 四十回 も 掲 げてあるとい ふ ことを 見 た 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第二章快活 なる 世渡 り ︵ 全集八巻二七頁 ︶ 44. 新約 にも 旧約 にも 、 不愉快 のとき 、 艱難 の 時 、 例 へば 病気 に 罹 り 、 貧 乏 となり 或 は 罪 の 為 に 苦 むとき 、 或 は 他人 の 不幸 に 悩 むを 見 ると き 、 所在 にこの 語 が 繰返 されてある 。 普通 にい ふ 、 英語 の ﹁ チアフ ル ﹂ cheer ful 即 ち 愉 快 ら し い 顔 色 を す る こ と は 、 大 し て 困 難 な ら ぬ ことであると 思 ふ たが 、 聖書 に 屢々掲 げられてあるを 見 てから 、 成 程 これは 容易 ならぬことである 。 宗教的 に 考 へると 、 頗 る 重 い 、 且 つ 実行 せんとして 、 始 めて 其重 みが 分 ると 思 ふ た 。 ﹃ 世渡 りの 道 ﹄ 第二章快活 なる 世渡 り ︵ 全集八巻二七頁 ︶ 愉快 に 、 快活 に 、 にこにこして 、 という 言葉 は 、 新渡戸 の 修養書 の 他 の 箇所 にも 時折出 てくる 言葉 である 。 日本人 は 笑顔一 つ 示 さぬことを 得 意 と し て 、 社 交 的 な 人 を 見 下 げ 、﹁ チ ア フ ル ﹂ な 人 を 軽 ん ず る 傾 向 が あ ると 新渡戸 は 指摘 しているが 、 当時 の 青年達 には ﹁ 東洋風 の 豪傑 を 気取 るもの ﹂ が 多 かったのであろう 。 新渡戸 はこの 気風 を 日本人 の 欠点 と 見 なし 、 青年達 に ﹁ チアフル ﹂ に 世渡 りするよう 勧 めている 。 新 渡 戸 は 、﹁ 心 安 か れ ﹂ の 根 本 に あ る キ リ ス ト 教 の 信 仰 に つ い て は 一 切触 れず 、 何事 も 悪 い 面 を 見 るのではなく 、 良 い 面 を 見 るように 、 世 の 総 てのことを 悪意 にではなく 善意 に 解釈 するという 修養 を 日々重 ねるこ とで 、 世 の 中 を 積極的 に 愉快 に 歩 むことが 本当 の 偉大 さであると 説明 す るにとどめている 。 ﹁ 信仰 ﹂ についての 記述 新渡戸 は 、 自分 の 書 いた 修養書 を 読 む 読者層 が 自分 の 書 く 文章 を 理解 できるかどうか 、 常 に 慎重 に 配慮 していた 。 従 って 、 キリスト 教 につい て 多 く 触 れることはあっても 、 キリスト 教 の 信仰 に 触 れることはほとん どなかった 。 しかし 、小説 ﹃ 不如帰 ) 9 3 ﹄ の 登場人物 の 言葉 を 借 りて ﹁ 信仰 ﹂ について 記述 している 箇所 がある 。 この 引用 の 仕方 にも 新渡戸 らしい 配 一五