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全体討議 : 下田歌子研究所シンポジウム「学祖研究の現在」(学祖研究の現在 : 下田歌子研究所シンポジウム採録)

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伊藤

  それでは後半のディスカッションを始めさせていただ きます︒先生方のお話を伺って︑私の方でいくつかの論点︑問わ れているであろう論題をまとめました︒ 一点目は︑学祖研究というのは︑明治あるいは大正の人々の考 え方をもう一度見直すといういとなみでもあるわけですが︑当時 と 現 代 と で は︑ 時 代 背 景 を 含 め︑ 異 な る 点 も 多 く あ る わ け で す︒ そのように異なるものを︑どのようにつなぎながら研究を進める べきか︑という問題です︒先ほど片桐先生は︑今の時代に学祖の 考えをいかに活かしていくかが大事であるということを強調して いらっしゃいましたし︑竹村先生は︑円了の言葉を今の言葉に言 い換える必要性をおっしゃっていたわけですが︑当時と現代とで は当然時代や社会背景が違い︑目指していたことも違うわけです︒ たとえば山田顕義の言っていた﹁国体﹂という言葉︑あるいは下 田 歌 子 や 成 瀬 仁 蔵 の 説 い た﹁ 良 妻 賢 母 ﹂﹁ 賢 母 良 妻 ﹂ と い う こ と な どが︑今の時代にはやはりそのままは使えない︒そういうもの を︑いかに現代の私たちが研究し︑そして活かしていくことがで きるのか︒そういうことが︑まず大きな問題としてあるのかなと いう気がいたします︒ 湯 浅 先 生 宛 て の ご 質 問 に も︑ ﹁ 今 の 時 代 に 役 に 立 た な か っ た ら 研究する意味がないということをおっしゃったと思いますが︑下 田歌子研究が︑現在の学校教育にどのように役立てられているの か︑あるいはその研究によって︑学校教育が抱いている問題をど のように解決していくのかを︑具体的なかたちで教えていただき たい﹂というものがありました︒そういった︑学祖研究を現代に いかに活かしていくか︑という点がまず一点目です︒ それから二点目として︑学内での学祖評価を一元化していくこ との難しさということがあるかと思います︒たとえば先ほど︑成 瀬仁蔵が﹁崇拝者﹂と言われるような人たちを中心に︑他大学な どでは考えられないほどに大事にされ ているというようなことも 伺 いましたが︑そこでは建学の精神とその人となりとが重ねられ ているからこそ︑崇拝といってもいいような扱い方︑対し方がさ れているのでしょうけれども︑建学の精神や学祖の事蹟というこ 全体討議

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とと︑学祖の人となりということには︑必ずしも一致しないとこ ろももしかしたらあるのではないかということもあります︒ある い は︑ 日 本 大 学︑ 日 本 女 子 大 学 の 例 な ど で は︑ 複 数 の 協 力 者 に よってはじめて大学ができているという面があるわけです︒それ を︑たとえば日本大学では︑山田顕義という人を学祖・創立者と して決めました︑としているわけですが︑そういうことも含めて︑ 学祖・創立者という人と︑建学の精神というものを︑どれだけ重 ねて考えられるのか︑という問題があるかと思います︒ また︑研究者によって学祖に対する評価が当然さまざまに違っ てくるわけですが︑さまざまな研究者がそれぞれの視点から捉え ているものを︑大学の統一見解としてどのように出していくべき なのか︑あるいは︑出していかなくてもいいのか︑という問題も あるかと思います︒ それから三点目は︑そのこととも関係しますが︑自校教育につ いてです︒これに関しては︑学校としてのコ ンセンサスあるいは 学 校 全 体 の 協 力 体 制 と い う も の が あ る 程 度 は 必 要 に な る わ け で ︑ その際にどのような注意や配慮というものが必要なのか︒あるい はその自校教育は︑今いろいろなかたちでそれぞれの大学が行っ ているということを伺いましたけれども︑それに対して学生さん からどのような反応があるのか︒あるいは︑どのような効果が見 られるのか︑あるいは見られないのか︑といったことも伺いたい と思います︒ それから四点目ですが︑これはすべてをまとめてと言いますか︑ 今後の私立大学のあり方についてのご意見をあらためて伺いたい と思います︒私学というのは︑創設時には︑官学とは異なる教育︑ 国立ではできない教育という点にある意味を持って︑気概を持っ て始めた学校がほとんどなわけですけれども︑現在︑現実問題と して︑私学はそのような位置を持てているのか︑というようなこ とについてです︒まさに学祖研究︑学祖の精神に立ち返るという ことの意義が問 われるわけですけれども︑そういうことについて も 議論できればと思います︒ 今ざっと四点ほど挙げましたが︑すべて重なっているといえば 重なっている問題でもありますので︑先生方にもし最初に何かご 意見や︑あるいは先ほどのお話で言い残したことなどあれば︑お 伺いしたいと思います︒ では︑ 最初に湯浅先生︑ 先ほどのご質問︑ ﹁今に役に立たなかっ た ら 研 究 す る 意 味 が な い と い う こ と を お っ し ゃ っ て い ま し た が︑ では下田歌子研究を現在の学校教育にどのように役立てられてい るのか︑その研究によって︑学校教育の問題をどのように解決し ていきたいと思っているのかを︑具体的なかたちで教えていただ きたい﹂ということについては︑いかがでしょうか︒

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湯浅

  少し補足になりますが︑研究所が昨年度設置された経 緯︑どういう授業を行っているか︑実際具体的に何をしたかとい う経緯を申し上げる中で︑二〇〇八年からの動きを紹介しました︒ まずは学生が入学してきた時にどういう教育をするかということ を一新いたしました︒やはりよりきめ細かい教育をする︑高校の 勉強ではない︑しかも実践女子大学という私立大学に入学してい るということがありますから︑なるべく躓かないようにする︑あ るいは躓きを早く修正するようにきめ細かく少人数の教育をする ということで︑いわゆる初年次教育を一新した中で︑創立者のこ とを伝えるという点を入れ込みたかったということです︒先ほど 片桐先生が︑日本女子大学に赴任された時︑成瀬成瀬とこんなに 学祖のことを話す大学があるのかということでしたが︑それはと ても大事なことで︑そういう大学にしたいと私は思っていました︒ それまではそうでなく︑入学式と卒業式で一回ずつ だったのです が ︑ 授 業 と し て 創 立 者 の こ と を 伝 え な け れ ば な ら な い と 思 っ た わ け で す ︒ カ リ キ ュ ラ ム と し て 組 む 中 で も ︑ ま ず 学 祖 に つ い て 伝 え な け れ ば い け な い ︒ 疑 問 を 持 っ た り 調 べ た り と い う こ と も そ こ か ら 始 ま る の で あ っ て ︑ そ う い う 改 革 を 行 い ま し た ︒ し か も プ ロ グ ラ ム を 設 定 し ま し た ︒ す る と ︑ さ ら に も っ と 下 田 に つ い て 研 究 し な け れ ば な ら な い と い う こ と か ら ︑ プ ロ ジ ェ ク ト 研 究 を 起 こ し ︑ 私 一 人 で や っ た わ け で は あ り ま せ ん が ︑ 仲 間 や 教 授 会 の 総 意 と 理 事 会 の 認 可 を 得 て ︑ 昨 年 度 か ら 研 究 所 が 立 ち 上 が っ た と い う こ と も ︑ 単 に 歴 史 的 な 研 究 で は な く て ︑ 下 田 の 目 指 し た こ と を い か に 学 生 に あ る い は 内 外 に 社 会 に 伝 え て い く か と い う こ と で し た ︒ 具体的にそれをどのようにしていくかですが︑たとえば下田の 目指したものを伝えるだけではなくて︑それを普段のさまざまな カリキュラムの中で︑学部が違っても共通教育として︑末端まで 血脈が通うように反映できるかというのは 難しい問題です︒下田 歌 子は一度も学校教育機関で学んだことはないですが︑大変な文 章家でしたし︑語学もできました︒和歌・俳句を詠み︑国文に通 じ︑儒学者の娘として漢籍も読み解くこともできた︒和漢洋三才 に秀でていたし︑それを背景に文章を書いていました︒学校教育 は受けていないが︑逆に言えば︑御本人が生涯みずから学び続け ていた人です︒それは生涯教育に通じるわけで︑たとえばそうい う姿勢を伝えることも大切です︒大学で学びが終わるわけではな いですから︑生涯学び続ける力をつけさせる時に︑そういう人物 像や生き方を伝えることも具体的な教育の一つだと言えます︒あ るいはまた︑下田が和歌俳句漢詩を覚えたからといって︑あるい は先生は源氏講義もされていますが︑全学部全学科で源氏を教え るのか︑という話にもなってくるわけですが︑ただやはり下田が 目指したものを︑我々が現在にも活かして具現化したいものをど

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こまでカリキュラムに落とし込んで︑学外についても何を伝え残 していくのか︑というのはまだまだこれからで︑それこそ研究と しても行わなければいけません︒ 具体的にはかなりの努力はしております︒たとえば︑実際学生 を連れて岩村に行くということもしております︒カリキュラム改 革をして﹁下田歌子に学ぶ﹂という授業をした年度から︑希望者 を参加させて︑岩村の地で学び︑現地に立ち現物を見ながら学祖 下田歌子に学ぶという︑そういった機会をなるべく増やすという 取り組みです︒下田の切り口が見えてくるような仕掛けを作って︑ そこではかなり具体的なこともあるわけですし︑生涯学ぶ力をな ぜ身につけていくべきかを下田から学ぶということです︒そうい うような︑こちらがやはり確信的にやらなければならないだろう ということは︑大事かと思います︒ 研究所ができたという大きな経緯には︑やはり一つは女性の生 き方のモデルとして︑創立者に学んで欲しいとこ ろ︑下田から学 ぶ 視点を具体的に提示することが大事だったということがありま す︒ただそれを最初全学に実施するという時に少し心配はありま した︒実践に来たから下田の話を聞かされてしまう︙︙と受け身 に捉えられるとすごくつらいことだと思っていましたが︑意外と 話してよかったと思っています︒今の学生は昔とは違う面もあり ますが︑やはり話せば素直に反応してくれる︒あるいは︑なぜ下 田はこうしたのだろう︑といった疑問を持つ︒やはりこれは授業 として始めてよかったという感想を持ちました︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ 今湯浅先生が強調された点は︑学生に下田歌子の生き方を伝え るということだったと思いますが︑それは下田歌子の特に良い面 を伝える︑つまり︑やはり学祖を顕彰するということだと思いま す︒が︑学祖を研究するという時には︑同時に︑先ほど竹村先生 のお話に国際円了学会を作られたということもありましたように︑ 学祖の顕彰というだ けではいかない面︑問題点などが指摘されて く ることも出てくるわけです︒そういったいわば学術的な研究の 進め方というものと︑やはり学祖を顕彰したいという面もあるだ ろ う と い う こ の せ め ぎ あ い に つ い て︑ 竹 村 先 生 ご 意 見 い か が で しょうか︒ 竹村

  学祖研究にはまさに今︑言われたような非常に大きな 問題がありまして︑特に本学の場合は学会組織を作ってしまいま したので︑単に円了先生を顕彰するだけではいかない状況になっ てきています︒やはり学会である以上︑円了先生を客観的に研究 する︑客観的な資料に基づいてその実像を明らかにすると︑これ は欠かせないことだと思います︒そうした時に︑けっして光の部

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分だけではなくて︑やはり光と影はあるわけでして︑殊に国家主 義的なものが強い時代に生きたこともありますので︑戦争や植民 地へのスタンスの問題とか︑調べればいろいろと出てくると思っ ています︒それを覆い隠すのでなく︑それはそれとして︑明るみ に出すべきものは出しながら︑しかし︑それを乗り越えてやはり 学祖として︑教育理念や哲学思想というものに未来を先取りする ような︑あるいはどの時代にも不変の真理といってもいいような 大 事 な こ と を 言 わ れ て お り ま す の で︑ そ れ を 取 り 出 し 時 代 に 活 か していく︒そして大学の発展に寄与すると︒だいたいそのような 考えで行っています︒ 円了先生の教育理念なりその言葉なりを墨守するというのでは︑ や は り︑ 今 日 あ る い は 未 来 に は 立 ち 行 か な い だ ろ う と 思 い ま す︒ 先ほど片桐先生が成瀬仁蔵の言葉として紹介した﹁人として︑女 性として︑国民として﹂というのも︑今日のグローバル化した状 況のなかでは︑世界人とし てという理解も必要ではないか︑とい う 意見もあるということでした︒私も︑たとえば円了先生の言葉 の中には︑自分を向上させて国家に尽くすべきだという言葉もあ りますが︑それを今日の時代においてはやはり︑公正で豊かな地 球社会の実現に尽力すべきである︑というように読み替えること も必要だと思っています︒ 資料に﹁東洋大学の名称について﹂と︑円了先生の言葉を掲げ てあります︒ 長いのですがここだけ紹介させていただきます︒ ﹁西 洋各国に東洋学校の設けあり︑また各大学に東洋学を専修する学 科あることは余が帰朝の際すでにしばしば世間に報道せしところ なれば︑いまさら喋喋を要せざれども︑我が邦においては東洋学 中の泰斗たる支那の学も印度の学も古来自然に集まりおるにもか かわらず︑今日なお一の東洋学校なくまたこれを計画する者すら 東洋大学の名称について 「西洋各国に東洋学校の設けあり、また各 大学に東洋学を専修する学科あることは余が 帰朝の際すでにしばしば世間に報道せしとこ ろなれば、いまさら喋喋を要せざれども、我 が邦においては東洋学中の泰斗たる支那の学 も印度の学も古来自然に集まりおるにもかか わらず、今日なお一の東洋学校なくまたこれ を計画する者すらあらざるは、余輩の深く怪 しみかつ大いに遺憾とするところであります。 従来我が邦にて西洋の学問を修むるには遠く 欧米に遊学してその師を尋ぬるが如く、今後 は西洋にて東洋の学問を志すものは遠く我が 邦に来りて学を求むるようにしたいと思いま す。」       (明治 29 年「新年のあいさつ」)

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あ ら ざ る は︑ 余 輩 の 深 く 怪 し み か つ 大 い に 遺 憾 と す る と こ ろ で あります︒従来我が邦にて西洋の学問を修むるには遠く欧米に遊 学してその師を尋ぬるが如く︑今後は西洋にて東洋の学問を志す ものは遠く我が邦に来りて学を求むるようにしたいと思います︒ ﹂ と︑ 東 洋 の 学 問 を 修 め る 者 は ぜ ひ 本 学 に 来 て 勉 強 し て ほ し い と︒ これが本学の名称の由来となるだろうと思うのですが︑今日では 本学は四つのキャンパスに十一学部︑文系・理系・文理融合さま ざまな学問分野があります︒そういう総合大学に発展したのです から︑どの分野でも各国から学びに来るようなそういう大学を創 るということで︑創立者の意志を発展させる︑あるいは読み替え ていく︒そうした中で︑学祖の建学の理念や精神を活かしていく ことが大切かなと思っております︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ それでは勢力先生にも今の点について伺いたいのですが︑日本 大学はまさに日本という語を学校名に冠しているよ うに︑日本の 法 律というものを考えよう︑あるいは国学的観点も含めて日本を あらためて見直そうという考えで︑山田顕義のもと

彼は國學 院の創立者でもあるわけですが

︑創られた︒そうしたことも 含めて︑先ほど﹁国体﹂という言葉についての言及もありました が︑ ﹁ 日 本 ﹂ と い う も の を 重 視 す る と い う 考 え な ど に つ い て︑ 学 内で学祖の考え方についての何かまとまった理解のようなものは あるのでしょうか︒ 勢力

  たしかに日本大学は名前に﹁日本﹂という名前を冠し ています︒そして︑そのことを多くの学生がかなり意識していま す︒私は授業で︑シンボルやア㆑ゴリーといったものについて学 生たちに話すとき︑日本大学のロゴマークを新たにデザインして みようといった課題を与えたりするのですが︑すると︑かなりの 学生が﹁日本﹂ということをすごく意識したデザインを考えます︒ 日 本 大 学 と い う こ と で︑ ﹁ 日 本 ﹂ と い う こ と を 考 え る こ と︑ 少 な くとも意識することを使 命と感じている学生が多いのかもしれま せ ん︒ 今のご質問のかぎりで言いますと︑先ほどの竹村先生のお話か ら 少 し 思 い つ い た の で す が︑ 言 葉 と い う も の が︑ ﹁ 学 祖 ﹂ と い う 言 葉 も そ う で す が︑ あ る 種 の 磁 場 を 持 っ て し ま う︒ ﹁ 国 体 ﹂ な ら ﹁国体﹂ ︑﹁国の本﹂というものをやはりどこかで意識していないと︑ 外国のものを右から左に持ってきても︑じゃあ日本語でそれをど のように受容し運用するのか︑やはりそこにはどこかで日本語と い う 一 つ の 壁 が あ っ た り す る の で︑ そ う い う 時 に ど う 考 え る か︒ ﹁ 国 体 ﹂ な ら﹁ 国 体 ﹂ と い う よ う な あ る 種 の 磁 場 の も と に︑ あ る イデオロギーができあがってしまって︑いつのまにかそのイデオ

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ロギーに縛られるというようなことが︑たとえばこの前の戦争の 時にはあったんだろうと思います︒山田顕義にしても︑その磁場 の中にいる︑あるいはその磁場を作る一端を︑もしかしたら担っ たのかもしれません︒今日の発表の中では︑まったくそうでない︑ むしろ実証的な検証とか︑神格化した言論というものを前提しな いような国のかたちの研究方法を山田が重視した点を強調しまし た︒ただし︑ある種の言葉が︑そのような方法すらも飲み込んで しまうような磁場を生み︑その磁場に人々がからめとられるとい うことは確かにある︒そうした言葉 —— たとえば ﹁日本﹂ とか ﹁国 体﹂とか —— が生む磁場のようなものの力に対する感受性みたい なものは︑やはりしっかりとふまえていく必要があるだろうと思 うのです︒それは実は学祖研究も同じで︑学祖の言ったことから 理念を抽出するという︑そこから得るものもたくさんあるわけで すが︑それによって学祖や学祖の言葉を神格化 してしまうと︑ま た それはそれで息苦しいわけです︒ ご 質 問 は︑ 日 本 大 学 は﹁ 日 本 ﹂ と い う も の を 背 負 っ た こ と に よって︑まあいろいろなことが過去あったと︑そういう総括や反 省もふまえて学内の統一見解があるか︑ということですが︑統一 見解というのは︑私にはまだ十分には理解できておりません︒先 ほどの研修でもいろいろな学祖の資料を見ていきますが︑その解 釈までには立ち入らない︒学祖と建学の精神をめぐる研修の後半 は︑日大の歴史についての研修でした︒これも国の動きともから んでさまざまありました︒先ほどの ﹁日本大学の目的および使命﹂ 改 正 の 時 に︑ ﹁ 日 本 精 神 ﹂ と か﹁ 道 統 ﹂ と い う 言 葉 を ど う 解 釈 す るかによって起きたこと︑あるいは全共闘の話とどう絡んでいた のか︑ということなども研修の資料にはあります︒そのような話 が今少しずつ出てきているところです︒ただそれを︑学校として 総括するということになると︑当たり障りのない話になってしま う可能性もあります︒ 言 葉の変遷にしても大学の歩みにしても︑歴史を立ち止まって 振り返って総括するというのは大事ですが︑その時にあまり無難 にまとめあげない︑あるいは一つのイデオロギーや︑ストーリー にまとめたりしすぎない方向というのも必要かと思います︒ 学祖の話を学生にするにしても︑こちら側の話を教え込もうと しても︑ それで喜ぶ人もいるでしょうが︑ それはやはり ﹁自主創造﹂ という理念とはちょっと違うと思います︒そういう意味で︑一人 ひとりの教員や学生がそういったちょっと振り返ってみるという ことそれ自体を楽しめる︑というような環境が必要ではないかと 思います︒ 伊 藤

  あ り が と う ご ざ い ま す︒ 先 ほ ど の 勢 力 先 生 の ご 発 表 は︑その研修での資料がすごく面白かったというところからまず

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お話しされて︑その研修内容についての刺激的な一つのご理解を 示してくださっていたんですが︑日大としてはその資料をどうい うふうに理解してもらうか︑というところまでは踏み込んでいな いということでしょうか︒細かいところは︑先生方のご理解に任 されているということなんでしょうか︒ 勢力

  今日ご登壇されている他の先生方と違って︑私の場合 は理工学部の一教員という立場で︑大学全体としてどのようなこ とがオーソライズされるのか︑というところまでは正直見えてい ないというところがたくさんあります︒ただ︑理工学部にかぎら ず︑大学が個性化していかなければならないという文科省の話も 先 ほ ど あ り ま し た が︑ ﹁ 自 主 創 造 ﹂ を 全 学 共 通 科 目 に す る と い う 話で現在カリキュラム作りが進んでいるところです︒そうなって くると︑計画段階で︑教員から︑こんなものが﹁自主創造﹂と言 えるのかというような反発ももちろんあがってきます︒そういう ものも吸い取り ながら︑大学として︑学祖というものを︑これか ら 未発掘の書簡などの資料を発掘しながら︑理解を深めていくん だろうと思います︒ ちなみに︑先ほどした私の話ですが︑研修では︑大学史を研究 されている先生方の前で一応お話ししました︒面白いとは言って いただけましたが︑素晴らしいというコメントまではありません でした︒要するに︑学祖の言葉の解釈にどこまで踏み込んで考え て い く の が﹁ 素 晴 ら し い ﹂ と い え る の か と い う 問 題 が 残 り ま す︒ この問題は学祖研究では避けて通れないところですが︑それを学 校としてどこまでコントロールするのか︑あるいは教員と学生の 自由にどこまでゆだねるのかという点が︑やはり非常に重要な課 題かなと思います︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ それでは片桐先生に伺いたいのですが︑片桐先生主宰の研究会 は﹁成瀬仁蔵とその時代研究会﹂というお名前をつけられていて︑ ﹁ 成 なる 時 とき 研 究 会 ﹂ と 略 さ れ て い る と の こ と で す け れ ど も ︑ そ う い う ふ う に 成 瀬 仁 蔵 だ け で な く ︑﹁ そ の 時 代 研 究 会 ﹂ と 名 付 け ら れ た 理 由 と︑ 実 際 に そ こ で ど の よ う な こ と を な さ れ て い る の か と は︑ おそらく今の話とも関わってくるのかと思いますので︑そのあた りを伺えますでしょうか︒ 片桐

  私は︑顕彰と研究は矛盾しない︑と思っています︒研 究をふまえた顕彰でなければならないので︑根拠のない顕彰はや はりまずいと思います︒その顕彰するもととなっている研究とい うものがなければ︑具合が悪いだろうと思っています︒さらに言 えば︑研究は検証に基づいて行われるわけで︑そういうものがな

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く︑ 勝手に︑ 成瀬はこういうような人物であった︑ というような ﹁物 語﹂を︑空想なり幻想なりで作るわけにはいかない︒そういう意 味では研究がきちんとなされた上で︑顕彰がなされるべきだと思 います︒ ただ日本女子大学においても︑実は︑成瀬仁蔵著作集が一九七 四年から一九八○年にかけて作られたんですけども︑その当時の ことをご存知の︑あるいは一生懸命それを推進された方にお聞き しますと︑そんなものは必要ない︑というのが学内のほとんどの 声だったというんですね︒それは一つには︑崇拝者の側から︑あ の成瀬仁蔵先生は研究の対象ではない︑尊敬の対象ではあるが研 究の対象ではない︑あの偉大な先生を研究するとは何ごとか︑と いう声が上がった︒で︑反対側からは︑あんなつまらない人間に なぜ大学の金を使うんだ︑ということで反対された︑と︒しかし 先ほども言いましたように︑この著作集は非常にきちんとしたか たちで︑書簡や雑誌に書いたものも含め て︑集められた膨大な資 料 を活字化したもので︑これが成瀬研究の基礎として非常に重要 な役割を果たしていると言えます︒したがって︑いわば根拠のな い崇拝︑顕彰とも違うだろうと思います︒その意味で︑私は先ほ ど竹村先生がおっしゃられたことで羨ましいと思うのは︑学会を 作られたということです︒いろいろな問題点も指摘されたり︑あ るいは影の部分を明らかにするような研究もあるかもしれないが︑ やはりそれは事実として検証されるべきものであるならば︑しっ かり明らかにするべきで︑それは成瀬にとっても同じことだろう と思います︒ 先ほど︑同窓組織桜楓会に﹁成瀬仁蔵研究会﹂があると申しま したが︑その研究会は︑以前は﹁成瀬先生研究会﹂でした︒しか し﹁先生﹂を研究するというのはおかしいだろう︑研究する前か ら す で に 顕 彰 し て い る じ ゃ な い か︑ と い う こ と で︑ ﹁ 先 生 ﹂ を 取 りました︒私も学外で話すときほとんどの場合︑ ﹁成瀬﹂とか﹁成 瀬仁蔵﹂と か﹁先生﹂を使わないで︑敬称を略して話しています︒ 成 瀬仁蔵は︑たとえば﹁自学自動主義の教育﹂ということを言 うんですが︑これを高等教育の中で言うのは非常に珍しい︒私は 教育史が専門ですが︑初等教育では︑ ﹁自学自動﹂ ︑自ら動く教育 というのが大事だ︑というのは︑大正時代に﹁新教育﹂というか たちでよく言われています︒けれど︑ 大学の高等教育の中で︑ ﹁自 学 自 動 の 教 育 ﹂ と 成 瀬 仁 蔵 は 言 っ て い る︒ そ れ こ そ 今 時 は︑ ﹁ ア クティブ・ラーニング﹂などと言われている︑それと同じような ものとして理解することができるのではないか︑というかたちで︑ 今まであまり強調されなかった︑あるいは知られていたが︑あま りその意味を現代的なところに重点を置いて理解していなかった 部分を︑きちんと検証・研究にもとづいて︑実際の文献をふまえ て語っていくということが必要だと思います︒

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た だ︑ 学 生 は︑ 大 学 に 入 っ て く る と︑ ﹁ 成 瀬 先 生︑ 成 瀬 先 生 ﹂ とみんな言っているけど︑何だろうそれは︑と不思議に思うわけ です︒高校の教科書にも出てこない︒福澤諭吉や新島襄は聞いた ことあるけど︑そんな有名じゃない人を︑この大学はたいそうな 人のようにありがたがっている︑というようなイメージを持つ学 生もいるようです︒ ﹁ 成 瀬 仁 蔵 と そ の 時 代 研 究 会 ﹂ で は︑ な る べ く 卒 業 生 で な い 方 た ち に も 参 加 し て い た だ き︑ 尊 敬・ 崇 拝 の 対 象 で あ る 必 要 の な い︑借りのないニュートラルな成瀬研究をしていければ︑と思っ ています︒そして︑学内だけで知られていて︑外では誰も知らな い︑というような現状を少しでも打破していきたい︒そのために は︑成瀬仁蔵を個人としてよりも︑その時代の中に置いて研究す る と い う こ と が 非 常 に 重 要 だ ろ う と 考 え ま す︒ ﹁ 成 瀬 仁 蔵 と そ の 時代研究会﹂とう名称には︑そのような思いが込められています︒ それからもう一つ︑現代にも通用す る成瀬の言説︑これを引っ 張 り出してきて百年以上前にこんなことを言っていたという点を 強調するのはもちろん大事だけれど︑やはり時代が違うという点 は非常に重要なことだと考えています︒たとえば先ほどの﹁国民 として﹂を︑すぐ﹁市民として﹂や﹁国際人として﹂に読み替え よ う と か︑ 単 純 に し て し ま う こ と に は︑ 私 は 反 対 で す ね︒ ﹁ 婦 人 として﹂を﹁女性として﹂と言うのは︑まあいいのですが︒やは り︑ 成 瀬 仁 蔵 に と っ て 国 家 は 重 要 で あ っ た︒ 今 だ っ て そ う な ん じゃないですか︒だからTPPはこんなに問題になるわけでしょ う︒国家の境目を取っ払っていいのかという︑そういう問題をあ らためて我々は突きつけられているわけです︒世界人とか国際人 とか︑簡単に言えない時代に私たちは今現にいるわけです︒この ように言う時には︑国民としての中身は何かということを問う必 要があるけれども︑それはともかくとしても︑成瀬は日本国家の ためということを重要視し ていたわけで︑その思いと今の我々の 思 いとは異なるかもしれないが︑しかしその根本的なエネルギー なり志向なりは︑これはやはり受け継ぐべきものだろうと思いま す︒そういうことも含めて学祖研究はなされるべきで︑限界を見 つけるのはある意味で簡単ですが︑けれどそれを簡単に読み替え ようとする安直さも不要だと思います︒簡単に顕彰したり否定し たりすべきではなく︑やはり十分吟味して︑本当にそういう言葉 を語った彼はいったい何だったのかということを︑まさに研究す べきなのだ︑そう思います︒ もう一つ︑お話しついでに天皇制の問題についてですが︑成瀬 仁 蔵 は も の す ご く 明 治 天 皇 を 尊 敬 し て い ま し た︒ 天 皇 制 と い っ て も︑ 彼 は ア メ リ カ で 教 育 を 受 け て い る の で︑ ﹁ 日 本 精 神 ﹂ と か ﹁日本固有の文化﹂だとか︑ ﹁惟神の道﹂とか︑そういうことは言 いませんでした︒しかし︑明治天皇のことは非常に尊敬していた︒

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彼は一九一二 ︵明治四十五︶ 年︑ 明治天皇が亡くなる年に︑ ヨーロッ パ視察旅行に行くため横浜まで行ったけれど︑天皇危篤と聞いて︑ 急きょ出発を取りやめて︑日本女子大学に戻った︒そしてそのす ぐ後に天皇が亡くなりますが︑その追悼式を大学でやってから渡 欧しました︒それぐらい尊敬していた︒だからといって︑天皇制 と い う も の に ど っ ぷ り は ま っ て い た か と い う と︑ そ れ は 別 で す︒ だから︑明治天皇を尊敬していたからだめなんだとか言うのは単 純すぎると︑私は思います︒現代的視点を持った研究をして︑顕 彰できるものは顕彰するということが重要ではないでしょうか︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ 今片桐先生がおっしゃった問題というのは︑おそらくこの四大 学どこの学祖にも共通する︑時代の持っている問題ということに なってくると思うのですが︑どうでしょうか︑この点について何 かご意見のある先生いらっしゃいますでしょうか︒ 湯浅

  意見ではないのですが︑片桐先生のおっしゃられたこ と は︑本学にも重なるなと思います︒下田歌子も︑ご存知かと思 い ま す が︑ 林 真 理 子 さ ん の 書 い た よ う な 側 面 が あ り ま す︒ ﹁ 平 民 新聞﹂をそのままスキャンダラスに書いていますが︑学園は別に それを隠してはいませんが︑ただそれはまったく証拠のないこと なので︑どうにも検証しようがないことなのですが︒ただやはり︑ 皇室にすごく近い方でした︒そういうことで︑戦争との関係とか︑ それからやはり﹁賢母良妻﹂の問題などがあります︒特に学内で も︑下田歌子の著作を教員によってはかなり読んでいるかもしれ ませんが︑ ほとんどの先生方は読まないので︑ ただ名前だけで﹁賢 母良妻﹂ってもう古いんじゃないのと︑ちょっと右っぽいんじゃ ないのとか︑あまり積極的に評価しない︑なんとなく教員でもそ う い う と こ ろ が あ り ま す︒ た と え ば︑ ﹁ 賢 母 良 妻 ﹂ な ど は 本 当 に そうで︑これは伊藤さんが論文でその時代の﹁賢母良妻﹂の意味 を検証してい ると思いますが︑そういうことがきちんと検証され て いかないと︑やっぱり今後につながっていかない︒そういうこ とをふまえて学生に伝えていかなければならないと思います︒そ ういうところも片桐先生のおっしゃられたことと共通するなと思 います︒ それから最後に一つだけ︑下田歌子学会はちょっと難しいかな と 思 い ま す︒ こ の 下 田 歌 子 研 究 所 の ニ ュ ー ズ ㆑ タ ー も そ う で す︒ 年三回出しているのは︑速報性を重視するからです︒それから年 報は年一回で︑まだ去年のもの一冊のみですが︑これも内輪の人 間だけが書いているわけではありませんで︑かなり広くいろいろ な情報や論を集めています︒場合によっては︑下田についての検 証も︑我々の思わぬマイナスの見方もあるかもしれない︒拒否す

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るどころか喜んで︑殊に年報では取り上げていきたいと︑そうい う研究の場にしたいと思っています︒事実であるならば︑マイナ スでもプラスでも我々は受け止めていかなければいけないし︑そ れは隠すつもりはないですし︑学問として客観的な研究をしなが ら︑その現代に活かせるものを内外に発信していかなければなら ないと感じています︒ 伊藤

  ありがとうございます︒それでは︑もうすでにいくつ かの論点が重なってきてはいるんですけれども︑学内での学祖評 価を統一すべきかどうかという問題について︑先ほどの崇拝者と 嫌悪者との問題とも関わってくるのですが︑あらためて伺いたい と思います︒私が先日︑それこそカリスマ的な創立者を持つ︑あ る私立大学で伺ったことなのですが︑その創立者の書いた文章を 後で著作集のようなかたちにした時に︑編纂した方が勝手に書き 換えてしまったところがあるというんですね︒それはなぜかとい うと︑あの先生は素晴らしい先生 なんだけれど︑どうもこの古典 の ここのところの理解には︑明らかな間違いがある︑と︒でもあ の素晴らしい先生がこんな間違いをするはずがないから︑これは 本 当 は こ う い う ふ う な は ず だ と い う こ と で︑ 書 き 換 え て し ま う︑ と︒そういうこともあるというような話を伺いました︒ そ う い う か た ち で︑ い わ ば 神 格 化 と い う こ と な ん で し ょ う が︑ 学祖を自分の思うようなかたちにしていきたいという人たちがい る︒それによって学祖の評価をより高いものにしたいという思い からなのでしょうが︑しかしそういうようなことがあればあるほ ど︑逆に反発する層というのも当然出てくるわけでして︑もちろ ん︑ ﹁ 特 に 何 も 思 わ な い ﹂ と い う 態 度 の 無 関 心 層 も い る か と 思 い ますが︑そういういろいろな考え方の人たちを︑はたしてまとめ ていくべきなのか︑どうなのかということについて︑竹村先生は 実際にリーダーとしてやっていらっしゃって︑もし何か今までの ご経験でありましたら︑伺えま すでしょうか︒ 竹村

  建学の精神というものを定めるときには︑なんらか普 遍的に理解されうるようなものにせざるを得ないだろうと思いま す︒実は︑ 現在は﹁諸学の基礎は哲学にあり﹂と﹁知徳兼全﹂ ﹁独 立自活﹂という言葉を掲げているんですが︑ 少し前は﹁護国愛理﹂ という言葉も非常に重視していました︒これについては︑ ﹁護国﹂ だから右翼だとか︑特定の政治的立場に偏っているだとか︑そう い う こ と で は な く て︑ 片 桐 先 生 も 言 わ れ た よ う に︑ も っ と 深 い︑ いろいろな時代の中での意義があることであって︑けっして否定 されるべきことではないと私も思っていますけれども︑いろいろ と誤解を招くというようなこともあって︑現在では掲げることは 避けているという実情はあります︒

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しかしこの﹁護国愛理﹂というのも︑このグローバル化した時 代にこそ︑むしろ自国の文化︑思想︑学問︑芸術︑そうしたもの を深く理解して︑そしてそれを人々に伝えていくということも課 題になるわけですし︑またけっして﹁護国﹂だけであるわけでは な く て︑ ﹁ 愛 理 ﹂ と い う︑ あ く ま で も 普 遍 的︑ 客 観 的 な 真 理 を 探 究していくもう一面をも持ち合わせているわけでして︑これはむ しろ︑現代のグローバル化した社会の中で必要なことではないか と思っています︒ですが︑さまざまな判断があって︑明示的に掲 げるということはしておりません︒そういうふうに︑本学の教育 研究活動の一番根本になる立場を明らかにするという時には︑あ る程度は普遍的にせざるをえないだろうと思います︒ し か し ︑ 円 了 の さ ま ざ ま な 面 を い ろ い ろ と 研 究 し 明 ら か に し て い く ︑ こ れ は も っ と 自 由 に な さ れ て い い こ と だ と 思 い ま す ︒ 円 了 学 会 を 作 っ て い て 羨 ま し い と い う ご 意 見 を 伺 っ て 思 っ た の で す が ︑ こ の 学 会 は 現 在 ︑ 会 員 の 自 発 的 な 会 費 で 成 り 立 っ て い る の で は な く て ︑ あ く ま で も 本 学 が 運 営 し て い る か た ち な ん で す ね ︒ な の で 多 少 の 制 約 や 限 界 が あ る ん じ ゃ な い か と 思 い ま す が ︑ し か し そ こ で は 自 由 な 研 究 を し よ う と も し て い る わ け で す ︒ で す か ら ︑ 極 端 な 神 格 化 を 目 指 す こ と は ︑ や は り 避 け ら れ る べ き だ ろ う と 思 い ま す ︒ 幸 い な こ と に ︑ 井 上 円 了 と い う 人 は 非 常 に 庶 民 的 で ︑ 大 隈 重 信 や 福 澤 諭 吉 は 士 族 出 身 です が ︑ 円 了 は お 寺 の 出 と い う こ と で 平 民 でし た の で ︑ 全 国 巡 業 し た とき も 絶 対 に 三 等 車 に しか 乗 ら な い と か ︑ ご 飯 は 握 り 飯 で ︑ 服 装 も い い服 を 着 て い る わ けで な く ︑ そ れ か ら 自 分 の 学 問 は ﹁ 田 学 ﹂ な の だ と 謙 遜 したり と ︑ 非 常 に 庶 民 的 でし た ︒ そ う い う も の が 円 了 像 とし て あ る 程 度 明 ら か に さ れ て い て ︑ 本 学 の 場 合 は ︑ 崇 拝 の 対 象 と い う よ り は 敬 愛 の 対 象 と な っ て い て ︑ そ う いう 意 味で は 神 格 化 さ れる べ き かと いう 話 題 に は ほと ん ど な っ て い ま せ ん し ︑問 題 に な っ て いな い状 況 で あ る と 言 え る と 思 い ま す ︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ 今のお話というのは︑学祖の評価というものにかぎらず︑自校 教育というものをどう展開していくかということにも関わってく るかと思います︒自校教育というと︑学内の学生さんたちに自分 たちの学校のこと︑学祖のことを知ってもらうという教育ですが︑ これにはやはり学内でのカリキュラムをきちんと構築するための 全体のコンセンサス︑協力が必要になってきます︒そういう時に︑ ど の よ う な 注 意 や 配 慮 と い う の が 必 要 な の か︒ あ る い は 実 際 に やってみて︑どういった反応があるか︑というようなことを伺っ ていきたいんですが︑湯浅先生︑いかがでしょうか︒

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湯 浅

  こ れ に つ い て は 先 ほ ど の 資 料 の 最 初 に お 見 せ し た も のに盛り込んだつもりなのですが︑二〇〇八年から学長になって︑ そこから二年間の準備期間というのは︑まさに教授会で検討して もらうための時間でした︒私はアウトラインを示しましたが︑委 員会の先生方に詰めていただいて︑それを経て教授会でこういう かたちにしようと決めてもらったものです︒もちろん学長は権限 がありますから︑ある程度はできるでしょうが︑長くこれを続け ていかなければならないとなると︑見直しをしていかなければな らない︒それには先生方みずからが選んで︑関わってくださらな いといけませんし︑学生の教育の最前線にいる先生方が︑それを いいと思ってくださらないと意味がありません︒教授会は多数決 を取りますから︑一定数の反対はありますが︑きちんとしかるべ く可決するのであれば︑反対の先生も納得できるわけです︒ その上でじゃあ始めようというかたちになって始めたのが︑ こ の 自校教育を含む初年次教育の見直しでした︒ これは︑ この頃ちょ うど全国の﹁自校教育学会﹂というのができた︑まさにそういう 時期だったので︑本学は後れてはいなかったと思います︒もちろ ん同志社のようにずっとそれをやっていらっしゃる所もあると思 いますけれど︑本学には下田歌子という創立者がいて︑これは自 校 教 育 に は 後 れ ず に や り た い と︒ 今 ま た こ れ も 見 直 し の 時 期 で︑ 先生方には知恵を絞っていただいていますが︑あるいは理事会で 建学の理念をもう一度確認されているというように伺っています︒ か つ て は﹁ 品 格 高 雅 ﹂﹁ 自 立 自 営 ﹂ の 女 子 教 育 と 言 っ て い ま し たし︑それは今でも消えてはいません︒あるいは下田の言葉とし て︑女性について﹁清らかな徳性と豊かな情操とをもって社会の 弊を正す﹂も残されています︒それから先ほどの﹁女性が社会を 変える︑世界を変える﹂という言葉も︑常に自校教育のなかで見 直していかなければならないのですが︑カリキ ュラムの隅々まで そ ういう教育理念が染み渡るかどうか︑これはすぐできることで はないし︑常に努力して︑少しずつ進めて︑また見直していくと いうことがずっと続いていくのだろうと思います︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ 勢力先生︑日本大学のような大きな大学で︑こういった自校教 育というものをするというときに︑それぞれの学部が独立性の高 い大学なわけですが︑どういうようなことが行われているのか少 し伺いたいのですが︒ 勢 力

  は い︒ 日 大 は ま さ に こ う い っ た︑ 学 祖 の 理 念 と い う ものを掘り起こそう︑今の教育に活かそうというような流れが始 まっている最中でして︑今年度先行実施している日大法学部に見 学に行きました︒日大法学部は教科書も作っていて︑シラバスも

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決 ま っ て い る け れ ど︑ 中 身 は ほ と ん ど 先 生 に あ ず け ら れ て い る︑ という授業が﹁自主創造﹂という授業で︑これが前後期一コマず つあるということで︑面白いなあと思いました︒ただ︑他の学部 だとこうはいかないかもしれません︒というのも︑マニュアル化 されたものをきちっとやりたい先生もいれば︑アクティブ・ラー ニングというものの解釈もまちまちで︑教員は何も手を出さずに︑ 学 生 が 何 か を す れ ば い い ん だ と︑ そ う い う 考 え の 先 生 も い ら っ しゃるにちがいないからです︒ で す か ら︑ ﹁ 自 主 創 造 ﹂ と い う 看 板 の 授 業 は︑ 試 行 錯 誤 が 続 く でしょうが︑少なくともこの看板自体は面白く︑この看板が︑授 業の内容や方法をおのずと試行錯誤させるように思います︒私個 人として考えている方向としては︑学祖の言葉からある種の理念 を考えていくための材料を取り出すというところまでは全学共通 で︑じゃあその理念とは何なんだろう︑その理念に迫るために大 学ができることは何な んだろう︑などと考えていくところは︑教 員 が教え込むとか︑これだけやらせればいいとかではなくて︑ま さに﹁あなたとともに﹂という目線で︑介入しすぎず放置するの でもなく︑教員も一緒になって︑その理念のかたちみたいなもの を考えていく︒それは必然的に学祖の時代にどうであったかを考 えざるをえないので︑たとえば山田の時代だったら近代化とは何 なのかとか︑志を立てるとはどういうことなのかとか︑国民とか 市 民 と か 社 会 と か 責 任 と い う 言 葉 を ど う 考 え れ ば い い の か と か︑ 山田の時代はこうだけれど︑私たちの時代はどうなのだろうかと か︑やはり他の時代を考えながら︑自分たち自身のことを照らす 鏡になってくれると思うんです︒これはもう試行錯誤せざるをえ ないわけですが︑その試行錯誤がいろいろな豊かなものを生むん だろうなと思っています︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ 今の自校教育について片桐先生にご質問がきていまして︑これ は書いてくださっ たのはおそらく日本女子大学の学生さんだと思 う ん で す が ︑﹁ 昔 の 成 瀬 の 時 代 の 写 真 展 示 な ど を 見 る と︑ 軽 井 沢 での一泊二日のセミナーで︑学生たちが成瀬の講義を実際に聴い たり︑軽井沢の自然を楽しんだり︑あるいはタゴールを呼んで講 義を聴いたりと︑非常に意義深いことが行われていた︒けれども︑ 今はそういうものが行われていても形骸化しているんじゃないか︒ 今︑日本女子大学の学生として︑学生たちの間で成瀬のことで盛 り上がっている雰囲気があまり感じられない︒これだけ大学側が やっているのにもかかわらず︑学生側にはいまいち通じていない 現状に対して︑どうしたらいいのか﹂というご質問をいただいて おります︒片桐先生の方からお答えがあれば︑よろしくお願いい たします︒

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片 桐

  痛 い と こ ろ を つ い た︑ よ く 勉 強 し て い る 学 生 で す ね︒ 今軽井沢のことが言われましたが︑私の資料の略年譜で︑一九〇 六年の広岡浅子のところに︑軽井沢三泉寮名誉寮監と書いてあり ま す︒ 三 泉 寮 は 広 岡 浅 子 の 尽 力 で 三 井 家 が 別 荘 を 提 供 し た も の で︑したがってその仲介役をしてくれた広岡浅子は名誉寮監とい うことになるわけです︒今でも三泉寮という名前で続いておりま す︒現在は一年生全員が一泊二日で夏休みに︑教養特別講義とい う授業として軽井沢で行っています︒戦前は︑当時の最高学年生 が︑卒業する年に︑軽井沢にだいたい二週間から三週間滞在した んですが︑当時は軽井沢に夏に行く

特に若い女性が行くとい うのが非常に困難だった時代に︑そういうことをやっております︒ これを戦後しばらくの間は二泊三日でやっていたんですが︑それ が一泊二日になったんですね︒これが今のご質問のポイントと重 なるわけですが︑ 教員学生ともに大変だ︑ ということで一 泊になっ た わけです︒夏休みに二十人ぐらいずつに分けて︑全員行くわけ ですから︒ たしかにご指摘があったように︑なかなかその意義を︑つまり 軽井沢というのは日本女子大学にとってこういうところなんだと いうことを︑きちんと語れる教員が少なくなっている︒卒業生の 教員は多くないですし︑卒業生でない教員はあまりそういうこと を理解していない︒したがってまずは︑教員たちがそれを理解す ることが必要なのですが︑それが十分ではない︒自校教育の専門 家の先生がいてその人に講義してもらうんじゃなくて︑できれば すべての教員が自校の歴史と伝統について︑創立者について知る ということが必要なわけですが︑それはまだ不十分です︒ 私が学部長だった頃から︑新たに赴任した先生方に︑四月一日 の発令日に集まっていただいて大学の説明などをする時に︑成瀬 記念館を見ていただいたり︑本学がどういう大学であるかという ことについての話をするということはして います︒が︑別にその 後 試験をやるわけじゃないし︑単位を出すわけじゃないので︑ど のくらいそういうことを理解してくださっているかはわかりませ んが︑そういう努力はしています︒が︑今指摘されたように︑形 骸化しているというご指摘は︑重く受け止めるべきことだろうと 思います︒ ただ︑先ほど申しましたが︑私が赴任した時は︑ ﹁成瀬︑成瀬﹂ という話は聞いたけれども︑やはりそれはあくまで一部の人だっ たように思うんですが︑大学改革の中で︑建学者の理念をきちん とふまえるべきだというような声が上がるにしたがって︑少しず つ職員や教員の中に浸透し︑かつ学生のなかにも浸透していくだ ろうという期待を持っております︒ それともう一つは︑付属の幼稚園︑小学校︑中学校︑高校があ

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り ま す が︑ や は り 付 属 の 幼 稚 園︑ 小 学 校︑ 中 学 校 く ら い ま で は︑ 成瀬や日本女子大学に関することが授業の中にしっかり組み込ま れて︑非常によく勉強しているので︑付属から来た学生はそのこ とをよく理解しています︒しかし他方︑かえって食傷気味になっ て︑大学に入ったらもうその話は聞きたくない︑というようなこ と を 率 直 に 言 う 学 生 た ち も い ま す︒ そ う い う 意 味 か ら 言 っ て も︑ やはり現代の学生にも興味を持ってもらえるような︑現代的視点 を持った創立者像というのを発見して語るべきだと思います︒神 格化なんてとんでもない︑そんなものはすぐに化けの皮がはがれ るので︑そんなことをやったってほとんどナンセンスだと思いま す︒ 学 生 が 理 解 し て︑ ﹁ う ん︑ な る ほ ど︑ そ の 人 は 私 た ち が 尊 敬 するに足るんだ﹂と多くの学生に思ってもらえるような人物像を 示すべきだし︑またそれを示せる対象であると︑少なくとも私は 成瀬仁蔵に関して思っているし︑大学としても思っ ております︒ 学 生の中に︑あるいは卒業生の中に︑どうしたら浸透していく だろうかということについては︑学生の意見も聞いたりして︑な るべくビジュアルなものを使ったり︑いろんなことをしてはいる けれども︑やはり方法よりも内容ですよね︒この人の創った大学 に 学 び︑ 卒 業 し た と い う こ と に 誇 り を 持 て る よ う に な ら な い と︑ いくら百年前は偉かったといっても︑やはりそれはそれだけのこ と︑ということだと思います︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ では竹村先生にお願いしたいのですが︑これだけ井上円了を押 し出して自校教育をやっていらして︑その学生さんへの浸透とい うことでの成果を︑少し伺えればなと思います︒ 竹 村

  本 学 は︑ 二 〇 一 二 年 の 創 立 百 二 十 五 周 年 に 大 き な 行 事をしました︒この二〇一二年に新しいカリキュラムを用意した 時に︑自校教育が入ったということになります︒これは教養教育

本学では基盤教育と言っておりますが

︑その中の ﹁哲学 ・ 思想 ﹂という枠組みの中に置かれたのですが︑必修にはしており ま せん︒その時に︑法学部は独自の考えで必修にしました︒二単 位ですが︑法学部所属の哲学の先生が担当してくださっています︒ その先生からは︑授業の一環として哲学堂に実修に行くと学生は 非常に感銘を受ける︑ということを聞いております︒また必修に しておりませんので︑全学生からすれば割合としてはそんなに多 くはございませんが︑基盤教育の中の﹁井上円了と東洋大学﹂と いう講義を受けた学生は︑創立者はこんなに偉い人だったのかと 認識して︑非常に感動するという者が大半であると聞いておりま す︒浸透という意味では︑けっして広くはないですが︑その授業 を受けた学生は︑それぞれあらためて東洋大学の意義や︑ここで

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学 ぶ こ と の 意 義 を 考 え る と か︑ あ る い は 大 学 に 誇 り を 持 つ と か︑ そういった効果は出ているようであります︒ こ れ を 必 修 に す る と︑ 教 室 も 相 当 用 意 し な け れ ば な ら な い し︑ 先生も用意しなければならないということで︑物理的にちょっと 難しいかなというのが現状です︒一学年が全学でおよそ七千人い ますので︑それは無理かと思っていますが︑全キャンパスに二単 位分ずつ用意はしており︑そしてそれなりの効果は上げていると いうところであります︒ 内容については︑特に大学として決めているということではな くて︑井上円了を長年研究してきた先生に任せていて︑チェック はしておりません︒それとは別に︑十五冊のブック㆑ットを作っ てありますので︑やろうと思えば誰でもどこでも︑一セメスター の全時間でそれを活用するということができるようになっており ます︒そのブック㆑ットの内容も︑特にチェックしたというよう なことはないのですが︑今後はそうした内容も含め て︑井上円了 研 究センターなどで多少検証してみて︑問題点があればそれは改 善するということも必要かと思っています︒ 伊藤

  ありがとうございます︒ それでは最後に先生方に︑最初に私が問題点として出しました︑ 今 後 の 私 立 大 学 が い か に あ る べ き な の か︑

創 設 時 に は 官 学 とは異なる教育ということで︑それぞれの独自性︑それぞれの志 を持って始まった私立大学というものをあらためて見直そうとい うのが現在の動きなわけですけれども︑そのことも含め︑これか ら私立大学はどういうことを考えていくべきかという点について︑ 今 日 の ま と め と い う 意 味 で も︑ あ る い は ご 感 想 で も 結 構 で す が︑ コメントをお願いできればと思います︒では︑湯浅先生からお願 いいたします︒ 湯浅

  このように﹁学祖研究の現在﹂ということで︑四つの 大学がそれぞれお話しいただける機会はなかなかなかったと思い ます︒本当にありがとうございます︒いわゆる私立大学というの は︑個性的な創立 者がいて︑建学の理念を誇りに思って教育して い る機関ですので︑ただそれは我々側のことだけではいけなくて︑ カリキュラムとして︑学生にちゃんと伝わっていくように︑いろ いろなかたちで試行錯誤していかなければと思います︒かなり抽 象的な生き方にしても︑スキルにしても︑それが学生に届いてい るということが確認できる︑学生にとってもそれが見えていると いうことを目指していきたいと︑一教員としては思います︒ 勢 力

  実 は 私 自 身 は 国 立 大 学 出 身 で す の で︑ 就 職 し て 初 め て︑ああ私立大学というのはこういうところか︑と感じた点が多

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く あ り ま し た︒ や は り そ れ ぞ れ 自 分 の 大 学 に 誇 り を 持 っ て い て︑ どんな出身者がいるとか︑そういうことにすごく関心があるんで すよね︒ 学 祖 を 一 つ の 題 材 に し て︑ 自 分 た ち の 大 学 の ア イ デ ン テ ィ ティーを考えるというのは︑意義のあることだと思います︒歴史 的・文化的に継承発展してきた各大学における教育や学問のあり 方を︑立ち止まって検証しつつ発展させていく︑いわば大きな意 味 で の 教 養 教 育 の 中 の 一 つ な ん だ ろ う と 思 い ま す︒ 学 祖 と い う︑ 実際にさまざまな巨大な問いと向きあって︑その問いと必死に格 闘した人たちの足跡を自分たちで見て︑そこから何か考えるヒン トを得られるんじゃないか︑と︒教養教育の一つのあり方として︑ 特に今日初めて︑他の私立大学でも非常に熱心にそのあたりの掘 り起こしをいい方向に活用するように進められていると伺いまし たので︑他大学のこともこれを機にいろいろと学んで︑自分の大 学に活かしたいと思います︒ 竹 村

  今 日 参 加 さ せ て い た だ い て ︑ 他 大 学 の 学 祖 の 先 生 方︑ 下田歌子先生︑山田顕義先生︑成瀬仁蔵先生︑それぞれ本当に素 晴らしい方だと感銘を受けました︒また勉強になって︑感謝して おります︒ 私 学 と し て は ︑ やは り 創 立 者 の 建 学 の 精 神 をど こ ま で も 大 事 に す る こ と ︑ こ れ が 一 番 大 事 な こ と だ と 思 っ て お り ま し て ︑ こ の こ と を 根 本 に 据 え て お か な け れ ば な ら な い だ ろ う と 思 っ て お り ま す ︒ と 同 時 に ︑ 大 学 の 今 日 の 社 会 的 使 命 と し て ︑ 教 育 ・研 究 ・ 社 会 貢 献 と 言 わ れ ま す が ︑ や は り な ん と い っ て も 学 生 に こ の 二十 一 世 紀 の ︑ い わ ば ボ ー ダ ー ㆑ ス 化 し た 社 会 ︑ こ の グ ロ ー バ ル な 社 会 を 十 分 に 生 き 抜 い て い け る だ け の 力 を つ け さ せ る こと ︑ そ こ に 現 在の 大 学 の 根 本 的 な 使 命 があ ると い う よ う に私 と し て は 考 え て い まし て ︑ ど こ の 大 学 で も 言 っ て お り ま す が ︑ グ ロ ー バ ル 人 財 の 育 成 と い う こ と は ︑本 当 に 真 剣 に 考 え な け れ ば い け な い 課 題 だ と 思 い ま す ︒ そのことと︑明治の時代に生きた学祖の思いというものを どの よ うにつなげていくか︑これを今︑腐心しているところなのです が︑意外と明治の時代というのは結構インターナショナルであっ たりグローバルであったりして︑それがその後の国家主義的な傾 向 で 閉 じ ら れ て い く と い う よ う な こ と も あ っ た よ う に 思 い ま す︒ そういう意味で︑むしろ今︑学祖の精神が活かされるというよう な状況もあるのではないかと思っていまして︑そういうかたちで 建学の精神を時代に活かすということを︑さらに進めていきたい と思っております︒ 片桐

  私立大学として︑ということをおっしゃられましたけ れど︑大学の規模とか︑あるいは創立者といっても︑個人として

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イメージがくっきりしている創立者と︑集団で創られたりという ようなところなど︑大学によっていろんな条件があると思うんで すね︒したがってあまり一般論として言えないんですが︑少なく とも日本女子大学に関して言えば︑そんなに大きいとも言えない 規 模 の 大 学 の 中 で︑ や は り 成 瀬 仁 蔵 が 考 え た こ と を 教 育 の 理 念・ 方法として活かせると思っているんです︒ じゃあそれが何なのかというと︑また話が長くなってしまいま すが︑単に理念だけではなく︑成瀬仁蔵が考えた教育方法を含め て︑現代に活かしていくということです︒成瀬仁蔵は︑帝国大学 をはじめとするいわゆる高等教育では誰も考えなかった授業のス タイルを一九一〇年頃︑いろいろ考えました︒授業の選択制とい うのを取り入れたし︑いろんなかたちでの実習実験というのも取 り入れて︑まさに﹁自学自動の教育﹂を日本女子大学でやろうと したわけです︒それは今日の教育においても非常に求められてい るものなの で︑私に言わせると︑百年経ってようやく時代が追い つ いた︑という気がするんですが︙︙︒そういうやり方を︑あら ためて今日の時代に合ったかたちで活かしていく努力をすること が︑私立大学にとっては重要なことだと思います︒これは国立大 学にはできないことであるし︑私立大学だからこそできることで あるとするならば︑それを活かさない手はないだろう︑と︒そう いう財産を大いに活用して︑特色のある良い大学教育をやってい くべきだろうというふうに思っております︒ 伊藤

  ありがとうございました︒ 本日ご登壇いただいた先生方︑長時間ありがとうございました︒ またおつきあいいただきました会場のみなさまにも御礼申し上げ ます︒本日はまことにありがとうございました︒

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