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連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) 利用統計を見る

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(1)

連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2)

著者名(日)

ヨーゼフ,イーゼンゼー[著]/名雪,健二[訳]

雑誌名

東洋法学

44

1

ページ

207-193

発行年

2000-09-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000427/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

  

東訳

 廟

法 学

連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2)

著訳

一ニ

ゼ健

フ雪

ヨ名

VI“  連邦憲法裁判所は、専門裁判を経て、単純法の進化にセンセーショナル な形ではないにせよ、専門裁判に効果的に影響をおよぼす。  1.単純法および単純法の専門裁判による取り扱いが憲法に拘束される ということは、いうまでもない。憲法裁判所による干渉は、避けられない。 その干渉は、種々の法領域において、労働法から強制執行法に至るまで、 基本権を実現し、硬直化したものを和らげ、隔離を解き、分岐するものを 結びあわせ、その個々の部分に分解する恐れがある法秩序を再び憲法の中 心から内部的に統一し、法の発展におおむね有益な影響を与える。  しかし、だからといって、連邦憲法裁判所は、すべての法分野をも独占 していいのであろうか。実際に、連邦憲法裁判所は、意味論的留保にも拘 わらず、その問題を肯定し、かつある法問題が憲法的性質を有するかどう か、あるとしたらどの程度か、最終的に拘束力をもって判定するので、そ の点簡単にやってのける。  連邦憲法裁判所は、憲法の潜在的偏在に鑑みて、専門裁判所のうちの専 門裁判所一憲法のための専門裁判所一として機能するのではなくて、普 遍的な裁判所として機能する。  2.普遍的な裁判所として連邦憲法裁判所は、専門家気質の内向性に陥 る恐れはないが、ジェネラリスト気質の内向性、つまり、単純法の自律性

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      連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) を誤認し、かつ育ってきた裁判文化を苦もなく侵害する危険性に陥る恐れ がある。連邦憲法裁判所は、数十年で発展された脅迫要件についての刑法 上の裁判を無視し、座り込み問題で法律条項を自己のやり方で解釈を変え、 かつその条項を事前の明白性という要件で拒否した24)。しかも、かの法律 をいくら厳密に改正しようと、ましてや、連邦憲法裁判所からいくら指示 を受けようと、それよりも長年の伝統を有することで確固たるものになっ た専門裁判による具体化によって、かの法律がかの緩やかな文言をもった 型でも法治国家に相応しい予見可能性を維持できるのである。  3.民事上の契約法への介入は、なお一層問題である器)。契約法は、今 日、連邦憲法裁判所の後見の下にある。連邦憲法裁判所は、契約の内容的 審査権を主張する。契約上の義務は、契約当事者間の社会的(構造的)不 均衡が存在しない限りにのみ有効であるという26)。今後、すべての民事上 の契約条項は、社会的不均衡という単純明快な留保を基準にして、憲法上 の審査を覚悟しなければならない。  社会的、かつ経済的均衡の条件が欠けている場合に、連邦憲法裁判所 は、「強者だけが」より有利にならないよう契約の是正権がみずからにあ ると主張する27)。形式的には、連邦憲法裁判所が民法典の一般条項を使用 する28)。しかし、実際に、当該裁判は、法律の留保を素通りし、契約法を 直接に憲法からの演繹を基準にして判断する。基本法が極めて抽象的に言 い表している社会的国家目標は、それに関して授権を提供していない。と いうのは、その国家目標は、直接に市民を義務づけまたは権限づけるので はなくて、法律による仲介および具体化を必要とするからである。契約の 自由の社会的条件が欠けているところで、立法者は、労働法上、または借 家法上の解約告知に対する保護にあたって、あるいは一般的取引条件法に おいて行うようにそれを補充しなければならない29)。  私法およびその専門裁判上の解釈が基本権によって拘束されるというこ とは、直接に基本法の文言による(基本法第1条第3項〉。しかし、その拘 束力は、契約の当事者を含まない。その当事者は、基本法上の自由を行使        (2)      206

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 東洋法学

する。基本権は、私的自治の制限をなすのではなくて、その基礎をなして いる。基本権は、契約の内容的正当性を保障しない。  裁判所の見解によると、契約上の紛争が、基本権上の紛争に取り替えら れる。この紛争を連邦憲法裁判所が基本権への調整によって解決しようと する。すなわち、契約の当事者は、まるで基本権保護義務の前提になって いるような犯罪状況の中の行為者と犠牲者のようにみえる。  民法上の主張は今や基本権的なもの、普通多くは所有のものとなり、そ の結果、賃貸人と賃借人は、両方とも基本権における意味での所有者30) であるため、手詰まりに陥って、かつその手詰まりから憲法の優位により 相当性の原則に基づく衡量だけが導きだされるという。連邦憲法裁判所日 く、  「相互に抵触する基本権上の主張は、相互作用においてとらえられるべ きであり、あらゆる関係者にとってできるだけ広範囲に作用できるよう限 定されるべきである」31)、と。  ポスト・へ一ゲルな弁証法は、民事裁判所にとって、かなり複雑である。 法的不安定性が、まさに契約法に埋め込まれる。  連邦憲法裁判所の民事裁判についての現在までの個別的結果は、皆が公 平で、かつ正当であるかもしれなレ鋼。しかしながら、判決の主体者に問 題がある。連邦憲法裁判所は、上から、かつ外から専門裁判の発展に干渉 し、十分に確かな基準もなく、民法上の論争で決定し、一部の主張を準憲 法的地位にまでもち上げる。  永続的には、連邦憲法裁判所に仲介される基本権の単純法への放射は、 放射障害をもたらす。専門裁判所は、放射防護の必要を痛感する。  4.今日、民法および刑法の名誉保護が受けた放射障害は、何よりも一 方的な放射によるものである。つまり、それは、その名誉を侮辱された犠 牲者の利益を図る本当の基本権的保護義務の除去の下に、行為者の拒否権、 その意見の自由のみから生ずる。しかも、犠牲者の立場の方が、「個人的 名誉権」において、明示的に意見の自由の直接的制限として基本法の中に

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      連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) 上げられ、それによって「一般的法律」の相対化から守られているにも拘 わらずである。  名誉保護を抑圧することは、自由主義と一致しない。憲法上の意味にお ける「自由主義的」とは、市民の自由領域を拡大するための国家権力の制 限である。しかし、ここでは、それは国家権力と市民的自由との二者間の 関係ではなくて、名誉を侵害した者とその名誉の侵害を受けた者との間に、 紛争に対する国家の態度という三者間の関係である。基本権上の状況は、 不明解である。自由主義的な「自由優先」は、ここではあてはまらない。 連邦憲法裁判所は、全体において市民の基本権的自由の量を拡大しない。 むしろ、連邦憲法裁判所は、基本権の実質を再分配するだけである。犠牲 者の立場が減少する分、攻撃者の立場は上昇する。総括として、自由の水 準は高められない。  さらに、手続法上の問題もある。すなわち、連邦憲法裁判所は、法律上 の問題および実際上の問題の違い並びに専門裁判所の認定と評価を無視し て、みずから当事者、状況および書類をかえりみずに、ときにはグリムの 「ドイツ語辞典押によってインスピレーションをえて、名誉殿損の表現 を行為者にとって都合よさそうに、誰も気づかなかったように再解釈34) を試みる、などである。区裁判所裁判官が連邦憲法裁判所との想像力の競 争に巻き込まれることを拒否し、意見の自由の厄介な衡量手続および相互 作用手続によって過大な要求をされていると感じ、当該裁判官がその事件 を基本権に照らし合わせて正しく考えなかったというラベルをドイツの最 高の裁判所により貼られる危険を避け、厄介事や屈辱を免れ、容易な途を 選ぶ場合に、要するに、当該裁判所裁判官が直ちに無罪を言い渡す場合に、 誰が当該裁判官を批判できるのであろうか。判で押したように、みずから 超上告審ではないという連邦憲法裁判所が正規の審級となったのは、名誉 保護事件においてだけではない。審査権限の拡大は、連邦憲法裁判所が今 日その超過負担で苦しむ憲法訴願を引き起こす。  5.基本権裁判を制御する原則は、どんどん広がっていく価値の衡量で        (4)       204

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 東洋法学

ある。基本権介入の調節手段を超えて、その価値衡量は、明確な尺度や単 位が備わっていないままに、一般的な調整規準にまで発展する。無制限の 衡量は、制定法の緩和と解体をもたらす。それによって、裁判は、自己矛 盾に陥る。最初、裁判は、法律の留保に固執する。それから、裁判は、基 本権上の衡量の要請により法律をますます細かく粉砕し、結局は、法律的 合理性がとだえる無秩序でもはや一般化しえず、かつ法規化しえない個別 的事件の判決に粉砕する。  誤解のないように、一定の範囲内で衡量は、基本権を実現化するために 必要不可欠である。しかしながら、ここにもまた、「服用量次第では毒」 というパラケルススの原則があてはまる一行き過ぎの禁止も過度に配分 されてはならない。  6.連邦憲法裁判所は、あらゆる不公平において実際上の憲法違反を感 じ取っているため、その裁判を常に拡大する傾向にある。連邦憲法裁判所 は、行政裁判所の決定根拠の欠陥に少なくとも平等違反をみいだし、ある 民間の馬飼育協会の飼育本の分類において、種馬飼育場の経営者にとって 不利な(基本権について鈍感な上級地方裁判所が気づいていない)結社の自 由および職業の自由の侵害を明らかにする35)。基本権の宇宙は、バケツの 縁にかかる一滴の水に映る。医学の勉強におけるあらゆるマーク・シート 式の試験、また、あらゆるデモの許可や強制送還準備手続に介入すること のできるような最高の裁判所による衡平裁判権ができあがってくる。それ は、結果において、しばしば優れて、かつ人道的であり、当該裁判所およ び官庁にとり往々にして当惑させられ、いずれにせよ憲法解釈にとって 「一般的意味」のないものである。  最高の裁判所が地味で、主流から離れた個別的事件を救護者として取り 上げる姿には、好感がもてる。しかしながら、それによって、裁判は、偶 然性に陥る恐れがある。善意ではあるが、愛しいほどのアナクロニズムで ある。連邦憲法裁判所が目指す偏在において、お上として思いやりがあり、 細かなことにこだわったフリードリッヒ大王の統治スタイルの一側面が復

 203      (5)

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連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) 活する。 IX  連邦憲法裁判所は、ギリシャ神話のアトラスのごとく全法の宇宙をその 肩に背負おうとするが、持ち上げられない。立憲国家は、その負担を分け るべきである多数の担い手を用意するのに。立憲国家は、当該憲法裁判所 に憲法解釈の最終決定権を割り当てる。しかし、憲法解釈についての独占 権を与えてはいない。憲法解釈は、あらゆる国家機関の任務である。国家 機関は、すべて憲法に拘束され、それぞれの役割に応じて憲法解釈を踏ま えて行動しなければならない。権力分立により、立法部には最初の決定権 が、行政部には第2の決定権が、専門裁判にその次の決定権が与えられる。 最終解釈者の解釈にあたっては、白紙状態ではない。その解釈は、事前の 解釈が憲法を具体化し、憲法に何かを加えるだけに最終解釈者もそれを尊 重しなければならない。立法部および行政部の法は、その人的担い手が民 主主義的正当性をより直接的に有するためこの具体化にとってより適切で あろう。連邦憲法裁判所は、憲法か、単純法かの「二者択一」を重視し、 その基準が憲法の実体において「多かれ少なかれ」意味することを十分に 配慮しない。わかりきったことではあるが、連邦憲法裁判所も単純法に拘 束されるということを忘れてはなるまい。  基本法は、誰にも一つの審級による裁判上の保護への権利を保障してい るが、それに加えて、憲法裁判所上の審査のような基本権を保障していな い。憲法訴願は、基本法において、基本権としてではなく、権限として保 障されている。しかし、連邦憲法裁判所は、今や審査の管轄の不一致を改 善しようとして、官庁や専門裁判所とともに「分業」を導入しようとす る36)。  「憲法および法律により連邦憲法裁判所に認められた機能やその全体的 組織により、当該憲法裁判所は、…専門裁判所と同じ程度で早期に、かつ 事実に即した暫定的な個人の権利保護を保障することがその任務でもな

       (6)      202

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  東 洋 法 学 ければ、その状態にもない。連邦憲法裁判所に委託された基本権保護は、 一般的に基本権違反およびその効果が当該憲法裁判所に訴えることなく取 り除かれる基本権を尊重し、かつ擁護する専門裁判所の存在を前提とする。 連邦憲法裁判所は、出訴への途におけるこの権利保護の代理をすること ができず、せいぜいできるのは、補充性の原則によりこれを補うことであ る」37)。  連邦憲法裁判所は、ここで、みずから憲法訴願を目的上正当で、かつ能 力上正当な程度に帰す貢献をなす。その審査基準を範囲および深さにより 定義づけ、価値あるものとないものを分けるために優位を設定し、かつ憲 法訴願を健全なものとして維持するために効果的な分業の基準を展開する ことは、おおむね連邦憲法裁判所次第である。分業的に基本権を処理する ための大雑把な尺度は、以下のことからえることができる。すなわち、連 邦憲法裁判所は、 一専門裁判所の事実認定および単純法的評価(名誉殿損の表現の解釈を   含めて)を前提にし、   一般化しうる基本権問題だけを取り扱い、   立法者が規範として制定してはならないような法効果を引きだす判   決の審査に限定し38)、 一単純法の侵害から生ずる間接的基本権侵害を審査しないで、   重要な基本権違反だけを追求する39)。

X

 職業上、空想に傾かない法律家は、一つの控えめな期待を連邦憲法裁判 所によせる。すなわち、連邦憲法裁判所は、裁判所である本当の裁判所で、 かつ完全に裁判所である。  裁判所の性格は、以下のことを意味する。つまり、   法のみを基準として採用すること、   法律学的方法、少なくとも理念と要求として、裁判官としての作業

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       連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2)   の厳守、   憲法変遷と制限のない法発展について自己授権なし(連邦憲法裁判所   のヨーロッパ裁判所への助言は、その標準になりうる40))、   訴訟当事者に対する明確な距離、   これまでの、または将来の決定の潔白性への信頼を危うくしうるあ   らゆる行為をしないこと、   連邦憲法裁判所が自己について大幅に否認する41)予断に関する規則   の厳格な取扱い、専門裁判所と同じ裁判官としての潔白性、   手続の範囲内で、また、公の判決文に関してのみ公開、他の国家機   関にとって適切である自主的自己描写をしない、手続前の自己解釈、   手続後の自己是正の排除、   イニシアティブをとらない、争訟の対象による厳格な拘束、である。  裁判権の特質として、それは呼ばれるときだけ介入が許され、自発的に 行動し、法律の審査の機関であるかのように振る舞えば、その受動的性格 を侵すということをすでに160年前にトクヴィルが断言したにも拘わらず、 この最後の点も、微妙な問題である。それゆえに、当該憲法裁判所は、取 るに足らない訴願の申立てを利用して、直ちに一つの完全な法領域を占領 してはならない。例えば、連邦憲法裁判所は、ザールラント州議会議員の 職業上の収入問題をきっかけに、全国家的議会法および議員の歳費法42) に関して重要な判決を下し、ある集会禁止の暫定的執行についての争訟を きっかけに、一般に民主主義にとってデモの自由の意義に関して遠大に語 る覚書43)を作成した。  あらゆる手続法上の条件は、その範疇での唯一の裁判所に向けられ、か つこの裁判所が通常裁判所と違って、他の裁判所の監視または他者におよ ぼす影響を憂慮しなければならないことなく、自分自身に関する案件を取 り扱うというディレンマにぶつかる。それで、憲法訴訟法は、多かれ少な かれソフトな法である。権力分立の制度において、すべての機関が他の機 関の判断の下に置かれ、最終的なものだけが判断を受けることがない。

      (8)      200

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東 洋 法学

Xl  1.裁判所のただ一つの基準が、法である。この基準を政治的問題にお いて、取り下げることはできない。「政治的なもの」は、区分できるよう な分野ではなくて、すべての材料、憲法それ自体を含めてそれに変質可能 な凝集状態である。連邦憲法裁判所は、政治的爆破力を背負い込んだ法問 題の決定を避けてはならず、また、政治的争いにより惑わされず、法の非 政治的基準によってのみ法争訟を決定しなければならない。裁判官の独立 が、それに対する制度的条件を提供する。  2.連邦憲法裁判所が適用する法は、特有な法である。まさに、この法 を取り入れることによって国家的統一に導かれるとはいえ、公職にある人 や市民の善意以外に制裁力を有しない法である。そこで、国家的統一を支 え、コンセンサスを育て、社会を統合する任務が、連邦憲法裁判所に配分 されている。実際に、これらのすべてのことは、うまくいった裁判の結果 として生じうる。しかしながら、裁判の基準ではない。連邦憲法裁判所は、 統合やコンセンサス育成のための独自の権限を有するのではなくて、憲法 訴訟を決定するための権限だけを有する。また、対立する立場の間での妥 協を目指す必要もない。もちろん、すべての当事者を満足させようとして、 結局は勝者と敗者があるという真の裁判所が回避しえないものを避ける傾 向に陥る。(もちろん、たびたび判決主文の中でではなくて、理由の中で勝訴 され、または敗訴される憲法訴訟において、勝者と敗者は簡単にわかることは できず、また、勝利と敗北の程度は、量的に決めるのは難しい。)連邦憲法裁 判所は、基本法において具現化されている憲法を誠意を尽くして解釈しな ければならない。その際、同意を求めることなく、また、反論を恐れるこ となく、時代精神にとり好都合であろうとなかろうと関係ない。  連邦憲法裁判所は、「現実の政治」の圧力や誘惑に惑わされずに、1987 年になお全ドイツ国籍の憲法上の絆に固執し必)、3年後現実に追いつかれ、 その上なお、基本法への加入の方法をとったドイツ再統一において、連邦

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      連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) 憲法裁判所の裁判の中で展開した基本法が全ドイツに適用されるというこ とによって、見事に報いられる。  すべての判決は、失望と一時的な統合の弱体化を含む。そうとはいえ、 判決が、その文章の調子によって、敗北者に屈辱を与える必要はない。法 的安寧がせめて長期的にみて、法の服従だけではなくて納得に基づいてい るために、判決の理由は、その内容とスタイルにおいて同意をえようとす べきである。  3.連邦憲法裁判所は、野党の活動を可能にし、少数派を擁護し、また は社会的不均衡を調整する特別の委託を有していない。連邦憲法裁判所は、 野党と政府与党、少数派と多数派、社会的弱者と強者がその権利を獲得す る憲法だけを解釈しなければならない。この権利・正義は、進歩的解釈で もなく、また、保守的な解釈でもなく、法律学的に違う正確で、裁判上非 のうちどころのない解釈によって明らかになる。  4.裁判所というものは、行動する国家機関ほどに、その行為の結果に 対して責任を負わない。しかし、そうとはいえ、その結果は、最初から意 味がないのか。ドイツ帝国の国事裁判所は、「この裁判所がみずから適用 した客観的な法に基づいてえた結果を、その判決の政治的結果を考慮に入 れる必要はなく、…言い渡さ」45)なければならないと、考えた。実際、起 こりうる結果への無批判的迎合は、憲法的判断のスタンスを日和見的に変 えることになりうるし、制約のない価値衡量と同様に、予測しえない状況 を引き起こしうる。しかしながら、規範的内向性をもって結果を視野に入 れないことも、憲法の実効性にとり危険である。  連邦憲法裁判所は、原則として、結果の重要性を認め、かつ職業の自由 の基本権制限、環境についての保護義務、外交上の行為能力を欠いた政府 に対する憲法指示の際、結果予測の提出を要求する。基本法は、「たとえ、 国が滅びようと、憲法は執行されよ」ということを認めない。基本法は、 人道にかなった共同体を建設・保持しようとし、破滅させる委託を与えて いない。憲法解釈の基準は、基本法自体に含まれている。それらは、その       (10)       198

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 東 洋 法 学 法的保障の実効性、その制度・機関(そして、キリスト+字架像事件決定に 関していえば)の機飴性、その精神的基本の維持である。 X”  連邦憲法裁判所の改革についての法政策的提言が、現在はやっている。 それらは、とりわけ憲法訴願の事前選択によって処理能力を克服しようと する。しかし、これらの改革が市民の最高級の裁判所への直訴の機会その ものを阻止するということになるならば、それは、信頼の危機の克服には つながらないであろう。憲法訴願は、その実際的意味を超えて象徴的意味 をもつ。憲法訴願は、市民がよせる信頼の担保である。  信頼の危機は、手続法上の手段で、ましてや、規範を却下するためのよ り高い定足数の導入によって排除可能なものではない。裁判官の単純多数 によって憲法違反とみなされる規範は実際間題として維持されえないであ ろう。現行憲法の範囲内で裁判官選挙手続を法律的に変更することは、民 主主義的正当性の水準を高めることができない。候補者の公的なヒアリン グは、異端糾問と密告、選挙の屈服および党政治的な汚名をもたらし、将 来の裁判官の内心的独立にとり不吉な前兆であろう。候補者の公的なパレー ドとなれば、無神経で、世渡りがうまく、生彩のないものにとって有利に 働き、もっとも有能なものを阻止する。全体をみて、小難を逃れて大難に 会う恐れがある。最近、連邦憲法裁判所の過ち一それは、現実のものであ ろうと、憶測のものであろうと一が惑わすゆえにのみ、またはだからといっ て、当該裁判所が異例なほどに成果を収めることを可能とした法的枠の条 件を突然に変更することは、偏狭といわざるをえないであろう。何十年も 経て成績をあげた制度への立法者の干渉は、まさに改新しようとするもの の訴訟手続上の条件を破壊するということにもなりうる。  信頼は、形式的構造によるものではなくて、判決のよさによる。結局、 信頼は、裁判官個人次第である。部分的な正当性の危機の原因を担ってい るのは、判決である。その原因を取り除くことができるのは、裁判官だけ

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連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) である。 XIII  議会の裁判官の選挙委員会は、連邦憲法裁判所の信頼性に対して重要な 責任をもっている。政党の候補者選択への影響は、避けられない。法治国 家的原則である、資格能力のみによる役職への採用基準に対して、裁判官 選挙に関する特別規定が優先するので、政党の影響が直ちに許されないわ けではない。それゆえに、憲法的にみると、候補者の政党政治的出発は、 問題ではない。しかしながら、選出された者が職務につくことをもって、 あらゆる出所・背景の顧慮を免除せず、彼を提議した政党に対して距離を おかず、職権の独立を基本法が定義するような公共の福祉のみに専念する ものとして心得ていない場合には、それは、連邦憲法裁判所にとっても裁 判官にとっても憲法上問題があるであろう。後援者の期待を裏切ることを 覚悟の上、職務の変化に伴う忠誠の変化、このトーマス・ベケット効果は、 憲法裁判所の裁判官においても生ずるが、それが現れる鮮明さには違いが ある。裁判官の職務忠誠は、憲法裁判所裁判官の正当性の証明をなす。市 民が連邦憲法裁判所の閉ざされた扉の後ろで、いやになるくらい知り尽く している政党間の争いおよびその結果を法律学的に合理化したこと以外に 推測できるものが何もない場合には、それは、判決の許容にとって致命的 なことである。  この理由からみても、びっくりするくらいの割合に党員である裁判官が、 在職期間中、党員資格を停止させ、かつ政党活動や政党接触、政党界の会 合に居合わせることを自制するのは得策である。この点において、職業倫 理上の非両立性を適用すべきである。  もちろん、立憲国家は、その職務の担い手に範囲を制限した義務だけを 課し、かつその担い手に市民および私人の自由を委ねる。しかしながら、 職が高くなればなるほど、職務の義務はますますその範囲を超える。距離 を保った憲法裁判所の裁判官と積極的に取り組んでいる市民との間の敏速        (12)      196

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 東 洋 法 学 な役割の変化は、政党の中での取組みが官公庁の後光をえ、公職への従事 は偏った党派性の印象を与えることになる。公職の保持者にとり、正しい 行動は、十分なわけではない。世論がそれを疑う理由を提供しないように も配慮しなければならない。「不品行の印象が回避されるように」という カノン法の趣旨が、不文としてあてはまる。つまり、職務の担い手は、よ くない外見をも回避しなければならない。 XIV  法解釈が合理的な演繹法のみならず、常に裁判官がその人格およびその 背景を注入する意思行為でもあるゆえに、慎重さが必要である。しかしな がら、それによって、主観性や恣意性、独断や偏見への自由が与えられた のではなくて、憲法のために創造的に奉仕する義務に拘束される。裁判官 の意思が、職務のエートスによって束ねられ、かつ方向づけられる。解釈 上のエートスによって難しいテキストを理解することの不明確性がいかに 克服されうるかということを、法学者は、聖書理解の規則を提示している アウグスティヌスにより知ることができる。すなわち、   心の浄化=解釈者の気を問題から逸らすすべての主観的なものや無   関係なものの洗浄、   無力に委ねること=権力欲、虚栄、自己実現の拒絶。事件本位の態   度。奉仕への用意、   規則に委ねること=自由な民主的な基本的秩序の積極的な承認、 一尊敬=事件への愛情。飾りのない言葉でいえば、憲法を肯定する意   思、である。 XV  権力を分立している国家権力が対象となる統制制度は、最高の統制機関 の前で立ち止まる。憲法上の不信は、その前の段階にしかとどかない。最 終の段階は、基本法の全面的信頼を受け、かつ市民の信頼なしにはいられ

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       連邦憲法裁判所よ、いずこへ(2) ない。連邦憲法裁判所に向けられるのは、法的根拠もなく、その喪失に対 して制度的補充もない憲法的期待である。これらの期待は、特定の法律学 的要因に結びついている。すなわち、法律学的解釈の技術や裁判官の能力 である。その期待は、裁判官の専門的能力および職務上の完壁さ、その労 働力および判断力にかかる。この憲法上の信頼を受けているのは、結局、 法律学および法律家全体である。ここに、素性のあらゆる違いを超えて裁 判官を結びつける共通なものがある。法律学は、論証のための言葉および 判決のための合理性の枠を与える。  法を基盤にする共和国の建設におけるかなめを形成するのは、連邦憲法 裁判所である。法律家は、当該憲法裁判所に自信・自覚の根拠と標章をみ いだす。法律家が個別的事件において、連邦憲法裁判所に同意しようと、 または恨みをもとうと、当該裁判所の肩をもつ。違和感を押さえ切れない ときでも、法律家は、連邦憲法裁判所を誇りに思う。 24)By8継92,1(11ff)in Abweichung von B『V勿留73,206(230ff.). 25)Leitentscheidungen:By6粥E81,242(253丘)JZ1990,691(VVJ646盟z‘zn多z)一  ,,Handelsvertreter“189,214(229ff。)=JZ1994,408(予VJ646窺朋錫)一  ,,BUrgschaft“. 26)β冒V6粥E81,242(255);89,214(232). 27)β’V6耀E89,214(232). 28)β¶V6耀E81,242(256)189,214(233f). 29)Soweit das Gesetz die Vertragsfre圭heit beschr乞nkt,um soziale Unter−  1egenheit auszugleichen,1iegt ein Eingriff in die grundrechtliche Posi−  tion des Vertragspartners vor,zu dessen Lasten die Beschrank:ung wir−  kt.Eine solche regulare abwehrrechtliche Konstellation,die von der im  Text beschr圭ebenen Konkordanz zu unterscheiden ist,findet sich f琶r  das K廿ndigungsrecht des Vermieters etwa in:β76耀E79,283(289ff.)1  79,292(302ff)181,29(31ff)191,294(307ff). 30)Rep癒sentativ二βy6げGE89,1(5ff,)l Kollision anderer Art zwischen  Eigentum des Vemieters und Infomlationsfreiheit des Mieters:Bレ78が  GE 90,27(31ff.)=JZ 1995,152(∬励z‘z%7z−R勿盟z/E加7オ)一 ,,Parabolan一 (14) 194

(16)

7

!

:

tenne".

31) BVerfGE 89, 214 (232) .

32) Das gilt vorbehaltlos ftir den Btirgschafts-Beschlup(BVerfGE 89, 214) . 33) Beispiele :BVerfGE 85, I (19) - ,,Besprtzeln" 86 1 (13) ,.Kruppel" 34) BVerfGE 85,1 (18ff.) ; 93, 266 (295ff.) . Aus dem Anwendungsbereich der

Kunstfreiheit :BVerfGE 67, 213 (229ff.) ; 86, I (1lf.) .

35) BVerfG, Kammerbeschlu P v. 12. 10. 1995=NJW 1996, 1203.

36) BVerfG, in : JZ - Sonderheft (Fn. 6), S. 22 (27) . 37) BVerfG, in : JZ - Sonderheft (Fn. 6), S. 38 (52) .

38) ,,Schumann'sche Formel" : vgl. Ekkehard Schumann, Verfassungs - und Menschenrechtsbeschwerde gegen richterliche Entscheidungen, 1963, S.

206ff. (207) .

39) Im Ergebnis : strengere Handhabung der ,,Heck'schen Formel" : BVerf

GE 18, 85 (93) ; 42, 143 (149) - st. Rspr.

40) BVerfGE 89, 155 (209ff.) .

41) BVerfGE 32, 288 (291) ; 35, 171 (173ff.) ; 35, 246 (253ff.) ; 43, 126 (127f.) ;

46, 14 (16f.) ; 73, 330 (335ff.) ; 78, 331 (336ff.). Strenger dagegen BVerfGE

82, 30 (37ff.) .

42) BVerfGE 38, 326ff. im Verbund mit BVerfGE 40, 296ff.

43) BVerfGE 69, 315ff. = JZ 1986, 27 (Scbenke ) . 44) BVerfGE 77, 137 (147ff.) .

45) StGH in : Hans - Heinrich Lammers/Walter Simons, Die

Rechtspre-chung des Staatsgerichtshofs ftir das Deutsche Reich und des Reichs-gerichts anfgrund Art. 13 Abs. 2 der Reichsverfassung, Bd. I, 1929, S.

341 (352) .

参照

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