保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護法第
37条の規定
著者
高木 武
雑誌名
東洋法学
巻
37
号
2
ページ
1-39
発行年
1994-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003490/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja保健指導・助産とくに看護と
保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定
高
木
武
は し が き ﹁保険指導﹂は、形式的であるが、保健婦の保健指導であり︵翻渤︶、﹁助産﹂は、助産婦の助産であり︵調︶、﹁看 護﹂は、看護婦の看護である。看護婦には、准看護婦を含み︵桐五.︶、また看護士も含む︵胴六︶ものとする。保健婦助 産婦看護婦法第三七条は、医療行為の禁止規定とされているものである。しかし保健指導、助産とくに看護の従来の 観念からは、この医療行為の禁止の規定趣旨は、不明であり、とくに主な看護婦等の業務である静脈注射もできない エズ レ と解されている。果して、そのように解釈されるかは、疑わしい。それは、今日、わが国の社会・時代は、近代化さ れ、その要素である資本主義も展開され、日本的であるとしても民主主義も、それなりに展開し、判例も今日、学説 も、転機にあろうからである。とくに保健婦・助産婦・看護婦の教育、技能等は、往年の比ではなく、今日の医学 東 洋 法 学 一保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 二 ー医術の発展に呼応できるものであろうが、保健婦・助産婦・看護婦の制度は、わが国の医学−医術の近代化に伴 って、近代化される。保健婦はとくにはるかに遅く制度化されるが、保健指導は、はじめから近代的であり、助産婦 は、はじめは﹁産婆﹂といわれ、一般的に女性の職業とされ、漢方医に対していたが漢方的であったのであろう。し かし医学ー医術の近代化に従って、助産も、西欧的になり、ついに﹁助産婦﹂となり、近代医学ー医術を手にする 産科医・産婦人科医にその席を次第にゆずることになる。看護婦は、はじめから近代的なものとして、わが国の時 代・社会にデヴィユ⋮するが、戦争に利用されながらその制度は、展開された。そして戦後は、はじめて規則でなく 保健婦、助産婦と看護婦は、保健婦助産婦看護婦法を手にする︵羅菰肥殴︶。今日、看護婦等の人材確保の促進に関する 法律等が出現するが、これは、果して保健婦・助産婦とくに看護婦にとってよい傾向であるかどうかは分からない。 それは、同法は従来から問題視されていた看護婦が静脈注射ができるかという問題等を無視して、国民にまでに責務 を課している︵綱︶からである。そこで保健婦助産婦看護婦法の規定に焦点をあわせ、とくに同法第三十七条の規定が ハ ズ ソ あるにもかかわらず、看護婦等も、静脈注射ができることを証明しようというのである。 ︵1︶ ︵2︶ これについては、かつて筆者は、﹁保助看法第三七条と静脈注射﹂と題して、看護婦は静脈注射ができる旨の拙稿を発表 した︵看護技術・一九七〇年一〇号︶。 野田寛﹁医事法﹂︵中巻︶八○頁は、消極的であり、厚生省は、医師・歯科医師の指示があっても、看護婦は、静脈注射 ができないとするが、しかし大部分の病院等では、医師の指示の下に看護婦が静脈注射を行なっているという︵同上書八一 ー八三頁︶。しかし同書で引用されている厚生省の回答は、昭和二六年九月︸五日医収五一七号医務局長回答であり、この
︵3︶ ︵4︶ 頃は、本格的な保健婦・助産婦・看護婦の教育・養成がようやく緒についたところである。筆者は、右のようにすでに積極 的な見解をとっている︵拙稿・前掲雑誌︶が、﹁金川琢雄﹁現代医事法学﹂六心頁は、積極的である。 診療行為を絶対的医行為と相対的医行為に分け、前者は、看護婦等ができない行為であり、後者が反対に看護婦等ができ る診療補助行為に属するというのであろう。しかし、これは、形式論にすぎないようで、何ら、この問題について解決を与 えていないようである。それは、診療行為・歯科診療行為は、医師・歯科医師の行為であり、また医師・歯科医師が行うの でなければ衛生上危害の生じるおそれのある行為︵保助看三七︶のほとんども、看護婦等も補助できるであろうのに、これ を分け、絶対的医行為を医師・科医師の聖域としているようであるからである。 近代化は、経済的には資本主義に政治的には民主主義によるとし、民主主義のバロメーターとして選挙制度に注目する。 ρ閃なΦ券9触£冒①αゆ導8聾δ冨の二の鼻鼠o一く臨欝○傷Φ参p邸&、﹂逡o 。︾︾巷Φoδ﹂籍一島2Φω含o巷一琶一舅Φ導○号簿ρN &‘る法・参照 保健婦・助産婦・看護婦の法規のあゆみ 保健婦、助産婦と看護婦の法規のあゆみは、つぎのようである。 a保健婦 保健婦は、明治二〇年︵キ翻︶ごろから、アメリカの宣教師等が音頭をとって、ようやく出現するが、 アメリカの宣教師は、保健社会事業の一環として、まず看護婦の養成をはじめる。これは、社会保健事業のはじめて の試みであるというが、わが国は、その社会・時代では、経済的には軽産業が盛んになり、続いて重工業化の試みが 行われ、民主主義的には、国会開設の準備等が行われ、義務教育を四年生にする教育令や師範学校令を公布し︵遡︶、 東 洋 法 学 三
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 四 教育勅語も、やがて発され︵瑚、一︶、王政復古のスローガンよりも、富国強兵のスローガンの社会・時代に入り、国民 は、それなりに希望に燃えた社会・時代であったのであろう。一般的にその脱落者は自業自得であるとされていたの であろう。そのためか、この保健社会事業は、関東大震災が来襲し、その猛威を示し終わるまで、中断されていたよ うである︵吠な一聾︶。関東大震災の年までには、日本資本主義は、最初の世界的規模の戦争︵歓、葺卜綾↑照ー大︶のブーム にのって飛躍的に展開し、世界資本主義の担い手になる。それだけに階級的分裂がさらにすすみ、都市の労働者は、 賃金の低下に悩み、農村では、小作争議が激増する。政治的には大正一四年二九二五年には、普通選挙法が制定さ れるが、まだ制限選挙のままであるけれど、すでに都市の大衆は、日露戦争︵︵胡だ㏄四︶以来の不満をかかえ、さらに 経済的不如意を理由に、官僚に対する抵抗を行なっていた︵醐疏竣凱駒大︶。農村でも小作が立ち上っていたが、新聞 記者や評論家が世論をもり上げ、若手代議士がこれに呼応して、無産大衆、サラリーマン、学生等が民衆の主力とな って第三次桂内閣を打倒し︵弐一●一年絨肝聴⋮大︶、これを継ぐ山本内閣も、民衆に譲歩するが、かえって民衆運動によっ て倒される。やがて、最初の世界的規模の戦争の勃発によって、民衆とはまったく関係ない加藤高明が与党を率い、 政府がこの戦争に加わる。その後軍閥官僚内閣になるが、どの政党も、民衆をバックにしたためか民衆の反対運動が なくなる。これは、大戦ブームに乗ったからであろう。やがて︵駄弍穏無︶次第に、労働者の実質的賃金が低下し、職人、 旦雇い労務者、小商人、その使用人、下級サラリ⋮マン等の大衆の生活が苦しくなる。シベリヤ出兵は、これに拍車 をかけ、ついに米騒動が起きる。こうした大衆の生活難は、保健社会事業の必要な原因・理由となり、保健婦の活動 を期待するようになるのであろう。はじめは、保健婦は、とくに関東大震災の羅災者とくに負傷者・病人の保健指導
︵看護・世話も含む︶に当ったのであろうが、最初の世界的規模の戦争後には、世界恐慌に見舞われ︵鳩鷺軌︶、不景 気が続き、いつの間にか保健婦は、都市では、訪問看護が主な仕事になり、この訪問看護は、農村にも次第に推進さ れる。やがてわが国の大陸侵略への除幕になる満州事件︵蝿卸一︶が勃発し、日支事変︵耀と右︶さらに太平洋戦争︵禮 陛綾︶に及んで、保健社会事業として行われた保健指導は、戦争遂行の目的を加え、保健所法附則の規定に、保健婦は、 保健所職員とされる旨の規定をもち、はじめて、法律の規定のなかに規定されることになる︵遡︶が、さらに、保健 婦規則が制定される︵選︶。その間に、保健婦制度は、庶民・大衆の生活苦のため病傷者であっても医師にかかれな いという事情によって長足の進歩をとげるという。そしてこれは、まったく皮肉な現象であろうが、戦争がいかに庶 民・大衆の生活を一層深刻に圧迫するものであるかを示しているといえるであろう。それでも、戦争は、保健婦を戦 列につけるために、助産婦と看護婦も、同様であるが、﹁保健婦﹂を医師・歯科医師のつぎに置く国民医療法を制定 し、同法は、主務大臣が指定業務を保健婦に命令し、各業務について必要な指示ができるとし︵遡︶、同法の委任命 令として、あらためて保健婦規則が制定される︵幌一一︶。しかしその年の八月一五日、わが国は、連合国側に無条件降 伏をしたので、連合国軍総司令部と厚生省の間には、はじめは助産婦・看護婦と、保健婦を統合して規制する案もあ ったが、実情に合わないとして、分離案も出て、結局は、国民医療法の委任に基づく政令として保健婦助産婦看護婦 令が制定され、公布ー施行される︵瑠心︸︶。しかし、根拠法である国民医療法が廃止されたので、保健婦助産婦看 護婦法が制定される︵羅、一︶。こうして助産婦制度は、各社会・時代の必要によってというよりは、行政権の恣意によ って規則から法律の形式にかえて、保健婦助産婦看護婦法として助産婦と看護婦とともに法定された︵法律化︶ので 東 洋 法 学 五
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 ノ\ ある。 b 助産婦 助産婦は、保健婦や看護婦とは異なる。助産婦は、明治元年・一八六七年の太政官布告に﹁産婆﹂ の文字で、すでに規定されているが、これは、当時、医学 医術の大宗であった漢方医に、つぐ医師的存在であ ったからであろう。続いて条文形式をとる﹁医制﹂にも、また﹁産婆﹂として規定される︵遡細条ー五︶が、医制は、わ が国の医療制度の基本方針を内容とするものであり、当然、西洋医学 涯術つまり近代医学 医術的であるか ら、﹁産婆﹂の規定も、近代医学 医術の方向で規定されていることはいうまでもない︵賑欄趣明翫畢酔皿枇櫃碑︶。しか し政府は、医学ー医術の近代化に狂奔し、助産婦どころではなく、助産婦の取り締りは、もっぱら地方庁つまり 府・県に委ねる。例えば、東京府は、産婆教授所を設け、産婆営業には、認可を必要とする︵醐︶という。この頃は、 新政府は、政治的にも安定したいのに、在来の制度は、すべて近代化し、新制度を、移植しなければならないのであ ろう。よやく西南戦争︵哩︶の勝利によって、武力的抵抗を封じ、言論を武器とすることにして、自由民権運動も胎 動する。経済的には、資本の蓄積も行われていたのであろう。しかし庶民は、この社会・時代には、期待と失望を同 時にもっていたのであろう。明治三二年・一八九九年、全国的に効力のある産婆規則が制定される。この頃は、軽産 業は、産業革命も経て︵醐一一︶、重工業化も試みられ、法典編纂︵運動︶もあり、その立法の前提的存在である国会も あり、制限選挙も行われているが、臼清戦争︵瑚肛批四︶の勝利は、とくに国民の精神を昂揚するのであろう。しかしこ の産婆規則による取り締りは、依然として地方庁に委ねられている。日露戦争の勝利は、国力を宣揚し、いよいよ国
際舞台に、わが国をデヴィユーさせることになるが、戦争経済は、重工業をもすすめ、次第に都市では、無産者が増 出し、農村では、地主と小作の分裂がはじまり、日露戦争の賠償に不満をもつ者をも、合して、交番の焼き打ち、デ モストレ⋮ション等が目立ちはじめる。明治四三年二九〇一年、産婆規則は、改正される。明治二年二八七八 年では、助産婦数は、一二、○○○人、明治二一年・一八八八年では、三〇、八六〇人、明治三一年・一八九八年で は、三五、九四五人、明治四一年・一九〇八年では、二六、九五七人であるというが、おそらく助産婦数の増加は、 西洋医の普及に比しては、まだ充分でなく、庶民の経済事情からも助産婦にお産を委ねるという傾向を示す。助産婦 数の減少は、助産婦の世代交替と助産業の近代化を示し、近代医学−医術の普及により、庶民の近代医学ー医術へ の志向のはじまりであるというのであろう。さきの最初の世界的規模の戦争︵林犀一︶によって日本資本主義は、世界 資本主義の一翼を担い、昭和ー世界恐慌︵鳩灘軌︶の渦にまきこまれ、政治的には、普通選挙がはじめて行なわれ ︵鳩二竺︶、民主主義は、そのまま順調に展開すると思われたが、昭和 世界恐慌の終焉は、かえって、右翼的イ デオロギーと軍閥イデオロギ⋮を台頭させ、財閥には、日本中心の自給自足主義を用意させ、武装した中国への経済 侵略を企わだてさせ、ついに満州事件︵螺卸︸︶を勃発させ、民主主義の展開を阻止する。もともと一八八九年︵瑚年︶ の大日本帝国憲法は、近代化の経済的要素と、これに対する政治的要素の民主主義とはほど遠い存在であったから、 憲法的には、右翼的イデオロギーも軍閥イデオロギ⋮も、天皇的イデオロギーに集約され、国家的イデオロギーに変 身することは容易である。国会では、天皇機関説が問題になり︵哩︶、中国への一連の侵攻は、軍事的になる。大正 六年・一九三一年、産婆規則は、改正になるが、この年は最初の世界的規模の戦争の前後であり、とくに男児の出生 東 洋 法 学 七
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 八 は、富国強兵にはとくに意味があるから、この規則の改正は、右のような当時の将来を予想したのかもしれない。ま してこれに続く昭和八年・一九三三年の産婆規則の改正は、戦争と結びつきがあろう。しかし他方、近代化された助 産業は、医業とくに産科・産婦人科医業に従属的傾向をとるのであろう。昭和一七年二九四二年、保健婦と看護婦 とともに、医師・歯科医師にならんで、助産婦は、国民医療法に規定されるが、この頃は、すでに戦争の敗北のきざ しもみえるから、この法定の意味は、乏しいであろう。そして、看護婦とともに、同法は、助産婦に関する部分は、 昭和二二年・一九四七年に施行するものとする。しかし昭和二〇年八月一五日は、敗戦の日であり、その部分は、と くに経済的混乱の中に、﹁助産婦規則﹂として制定される︵昭和二二年︶が、同年さらに保健婦︵規則︶と看護婦 ︵規則︶とともに、﹁保健婦助産婦看護婦規則﹂として併合−統一される。しかしその委任法律である国民医療法が 廃止されるので、昭和二三年・一九四八年、﹁保健婦助産婦看護婦法﹂として制定され、公布される。その後、しば しば同法は、改正されて今日にいたる。助産婦も、前近代的時代より女性の一般的職業として、医学−医術に側に あるが、医学−医術が近代化されるにつれて、助産業も、これに従い、近代化される。しかし医学−医術が近代化 されるにつれて、というより戦後、妊婦等は、直接、医学ー医術に傾斜し、助産婦は、医学ー医術の待女になる ようである。またとくに男児の出生は富国強兵のスロ⋮ガンからは、歓迎されるということのために、戦争に間接的 に、助産業が利用され、今日、出生率低下という現実では子供の出生は、将来の、年金保険等の担税者または在宅看 護のボランティアとして、期待され、出生率の向上策が考えられているようであるが、いずれにしても、それなりの 社会・時代の行政権の恣意によって翻弄されているといえるであろう。
c 看護婦 看護婦制度は、欧米で、近代医学−医術の展開に伴って、自然発生したものであろうが、わが国 の場合、上野の彰義隊︵購府︶の傷病兵に対する看護が看護婦制度のはじまりであるとされる。戦争の場合、看護の対 象を傷病兵に限る。しかし、対象を一般傷病者とすれば、看護制度の起源は、もっとはるか以前に遡ることができよ う。看護婦制度は、その後、西南戦争︵瑚肝切b︶、臼清戦争︵朔邸些一︶、日露戦争︵瑚だ吐一こによって、等比級数的に近代 化されるのであろう。この間、これらの戦争は、日本資本主義を展開させ、重工業化の構造の変改も行い、政治的に は、大日本帝国憲法を制定し︵朔障ζb︶、制限選挙であるが、衆議院議員の選挙を行い、法律を整備し、戦争の勝利は、 門閥内閣の出現を許し、軍備拡張を求める。しかし生活苦に喘ぐ庶民は、賢明にも軍備拡張に反対である。しかし戦 争は、とくに看護婦制度の拡充の直接の理由になるにすぎず、かえって、近代医学ー医術の普及は、通常、看護婦 制度の拡充ー整備を必要とするが、それは、看護婦の養成・教育にあらわれる。しかし政府は、また看護婦の取り 締りを、府・県に委ねている。例えば、東京府は、看護規則を制定し、その取り締りにあたるという。全国的な看護 婦規則が制定されるには、大正四年・一九一九年まで待たなければならないが、この頃は、第三次桂内閣も山本内閣 も、民衆運動によって打倒され、財閥の申し子の加藤高明が与党の総師であり、軍閥官僚の内閣が続くのである。幸 か不幸か、最初の世界的規模の戦争がはじまり、わが国は、日英同盟によって連合国側につき、対独宣戦布告をし、 この戦争に加わり、経済的に大飛躍するが、この全国的な看護婦規則の制定の理由は、看護婦の職が、かつての助産 婦のように、女性の一般的職業とみられ、看護婦が全国的に増加する傾向にあるという。しかし、またまた戦争が、 東 洋 法 学 九
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 ○ 看護婦制度や看護婦規則の制定と関係するともいえよう。これは、とくに従軍看護婦を連想させるからである。戦争 ハヱ は軍備拡張を容易にし、戦後は結局わが国は制限軍拡を呑むことになる。しかしそれでも戦争となれば、従軍看護婦 が必要であることの変更がないことは、確実であろう。こうして看護婦はついに、全国的に効力のある規則︵樋︶によ って規制されることになるが、従軍看護婦への予備化の懸念は、まだ多分にあろう。そして大正工年︵一九二二 年︶と大正一四年︵一九二五年︶に、看護婦規則は、改正される。この頃、政治的には、普通選挙法が制定される ︵欣た輩節︶が、経済的には、工業生産高が国民生産高の六割を占め︵嫉訊竺︶、独占資本主義が確立する。大正二年の 看護婦規則の改正の内容は、朝鮮・台湾・関東州の看護婦免許資格者には、内地でも看護免許は、無試験であるとい うものである。これは、いわゆる外地の民度の向上の程度・種類が、内地と同じであるということを示しているとい えるが、内地は、もちろん外地でも看護婦制度が普及しその数も多くなっていることを示しているといえよう。満州 事件︵蝿卸一︶にはじまる日本の軍事的侵略は当然、看護婦を必要とし、これに続く日支事変︵瑠㌃笹︶は、ますますそ の需要を増すが、ついに連合国側に宣戦布告する再度目の世界的規模の戦争がはじまる︵耀た酎︶年に、また看護婦規 則が改正される。とくに看護婦になれる年齢は一八歳であったが、一七歳に引き下げるというものである。さらに昭 和一九年︵一九四四年︶、看護婦規則は、この一七歳を一六歳に引き下げる。これは、暴挙という他はない。それは、 昭和一九年の秋から、アメリカ軍の空襲があり︵棘︶、敗北に敗北を重ねる日本軍は、日本本土の大都市への大空襲を ハきレ 許し、日本国内を戦場と同じような状態にし、その中に一六歳の看護婦をも、活動させることを意味するからである。 国民医療法は、昭和一七年に制定されるが、看護婦を、他の保健婦や助産婦とともに、医師・歯科医師に準じて規定
し、国民医療法の看護婦に関する部分は、とくに助産婦とともに、昭和二二年・一九四七年から施行するものとする。 しかし、すでに敗戦し、連合国最高指令部も、東京に進駐したころでは、わが国の医療−医術は、欧米諸国・連合 国の医学ー医術とは雲泥の差があり、診療・歯科診療への補助行為・参加行為も、同様であり、同司令部と厚生 省の問には、保健婦、助産婦と看護婦を一括して規定するか、または、それぞれ個別的に規定するかの問題が提示さ れ、結局、国民医療法の委任による﹁保健婦助産婦看護婦規則﹂として制定される。しかしこの規則も、根拠法であ る国民医療法が廃止されたために、﹁保健婦助産婦看護婦法﹂として制定される︵囎忙駈応︶。看護婦は、その業務の性 質のため、戦争と直接、関係があるように誤解され、その制度も、利用されたが、近代医学i医術の側に、その市 ハヨ 民権を診療・歯科診療の補助者・参加者として、保健婦と助産婦とともに手にしたといえよう。 ︵玉︶ ︵2︶ ︵3︶ 師団増加案と増艦費予算は、第三六議会を通過︵大四・一九一五︶し、シベリヤ出兵や日本軍の中国駐兵を可能にし︵大 七︶、ワシントン会議︵大一〇︶は、英・米・仏・伊・日は、大戦後の健艦競争を予想し、日本以外の諸国は、日本の中国 侵略とシベリヤ出兵を問題として、結局、対英米比としての六割の主力艦と航母の保有量を日本に認めることになる。しか し反対運動が昂揚し︵大八︶、軍備拡張は、問題にならなかったようである。 厚生省は、優良多子家庭を表彰し︵昭一七︶、学徒出陣がある︵昭一八︶が、これは、文系学生の徴兵猶予停止で、理系 学生は、入営延期になる︵昭一九︶。女子末婚者は、女子勤労挺身隊員として二五歳末満も動員され︵同年︶、さらに翌年に は一四−二五歳になる。また国民登録は、男子一六ー六〇歳、女子一二ー四〇歳の末婚無職女子を動員することにする。 医療︵註を含む︶に関しては、厚生省﹁医制八十年史﹂一頁以下、教育については、海野宗臣﹁教育法﹂︵日本近代法発 達史一巻二二頁以下︶。政治については、小西四郎﹁明治維新﹂︵新日本史大系五巻︶二天頁、二二四頁、壬二︸頁 井 東 洋法 学 二
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第・ ”一槻モ条の規定 二一 上清﹁大正期の政治と社会し六 ー八頁、一〇頁、江日圭一﹁一九一四年の廃税運動し︵同上書︶五三頁、里上竜平﹁大正 デモクラシーと貴族院﹂︵同上書︶五二一頁、経済・政治・社会については、朝日新聞社﹁明治百年史﹂一頁以下による。 なお以上・以下も同様である。 二 保健婦・助産婦・看護婦の法規の判例・判示 保健婦・助産婦・看護婦の法規は、一で示した保健婦規則・産婆規則・助産婦規則・看護婦規則であり、また i法律は、当然、法規性が多く含まれているから、示す必要もないがー保健婦助産婦看護婦法︵紹、︸︶であるが、 保健婦・助産婦・看護婦は、ようやく日本国憲法︵網、一︶の下で、﹁法律﹂の形式をもつ法規を手にする。判例・判示 ハヱい も、その法規の制定の時期よりも、遅れて出現するが、つぎのようである。 営業免許取消処分不服の訴 行裁二宣告 昭和一五年三月一五日 昭和一三年︵れ︶一三四号 棄却 行録五一輯一三六頁 看護婦Aは、Bが医師免許のないことを知りながら、Bを教唆し、Xを診察させ注射をもさせ、さらに、 翌日・BにXの治療のために、往診依頼の電報を打つが、Bは、応じないので、今度は自動車にのってB を迎えに行く。Bは、無免許を理由に、断わる。そこで、看護婦Aは、翌翌日また自動車にのって、Bを 迎えに行き、Bは、これに応じ、Xを診察し、Xに注射する等の医療をするが、看護婦Aは、右の無免許
医業罪の教唆を理由に、看護婦免許取り消し処分を受けるが、業務停止または免許の取り消しの処分があ る︵議測○︶のに、重い方の免許取り消し処分を受けたので、これを不服として行政裁判所に出訴したの であろう①。 看護婦Aの教唆は、一見、悪質のようであるが、彼女も、患者本人によって秘密裏の治療を依頼されれば、右のよ うに、やむを得ず、教唆したのであろうと考えられるから、取り消し処分は、酷のようであり、その不服の訴えも、 考えられよう。したがって、棄却も、また酷であるといえるであろう。 産婆規則違反被告事件 第一審 弘前区裁 第二審 青森地裁 大審院刑二 昭和一三年九月一六日 昭和一三︵れ︶九四号 棄却 刑集一七巻一五号六六九頁 堕胎罪によって懲役八月に処されたことを理由にして、業務停止処分中の産婆Aが、C、D、Eの外 二百名の妊婦に対し助産行為を行なったために、産婆規則違反とされたものである。なお裁判所は、認 めなかったが、産婆Aは、この場合でも、別の産婆の専任指名に基づき、または助手として、その産婆 の指揮監督の下で、右の助産行為を行なった。彼女は、業務禁止または停止処分中の産婆といえども、 その業務に従事できると主張したようであり、これについても、大審院は、そのように解釈すれば、同 規則第一〇条の規定の趣旨は、全く没却され、右の前示の罪の成否は、豪も消長がないとする②。 業務停止処分の理由も、支持できるが、この判例・判示は、相当であろう。 それは、業務停止処分の意味は、まったくなくなるからである。なお産婆Aの主張は、暴論であるが、その判例・
東洋法学 ;一
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 一四 判示は、相当であろう。 産婆規則違反被告事件 第一審 熊谷区裁 第二審 浦和地裁 大審院刑一 判決 昭和七年三月七日 昭和六年︵れ︶一六〇一号棄却刑集一一巻五号二七七頁 産婆規則第一六条の規定は、産婆行為による危害を防止することを本旨とするもので、その営利の取り 締りを目的とずるものでないから、同条所定の産婆業務は、反覆継続の意思をもって産婆行為に従事する ことにより成立し、生活資料を得る目的にいずることを要せざるものである。⋮⋮所論判例は、医業につ き生活上の資料を得る目的を必要としない旨を判示したものである③。 上告趣意は、産婆の業務は、生活資剰を得る行為を反覆する意味である︵駄沁憩一一︸、痴轍︶として大審院の判例を引用 するが、この地方では、産婆がおらず、隣保相互の精神で、子供を取りあげるつまり助産をする習慣があるから、違 法ではないとする。医業・歯科医業の﹁業﹂の観念の基本は、診療・歯科診療のある行為を反覆継続することである。 しかし反覆継続でない場合は、営業とする決意を有するときは、一人に対し一回行なっても医業を行ったものであ る︵副臓匹切贈︶等することは、明治四〇年・一九〇七年の大審院の判決にもある。しかし、人の内面の﹁決意﹂、﹁目 的﹂等は、よほどのことがなければ証明できないであろうという疑念のないことは否定できないが、業は、このよう にしなければ、業があるとすることのできないであろうから、この判例・判示は、どちらかといえば、相当であろう と考えられよう。上告趣旨のいうように、生活資料を得る行為を反覆することであるという意味は、不正確であろう。 それは、産婆の行為には利得を伴い、利得を伴わない産婆の行為はないことになるからである。また、医業について、
医業は、診察して生活資料を得る行為であるという判例は、明治四三年・一九一〇年の大審院の判決にもある︵禰騨’ 芯譜を七︶。しかし、この判決のおかしいことは、明白であるのに、そのままである。なお上告趣意は、産婆の行為は、 生活資料を得る行為の反覆継続であるとしながら、慣習であるとするが、被告人が六回行い、六回中二回は、報酬が ないと強調することは、矛盾でもあろう。しかし明治四〇年を四三年の判例・判示は、罪な判例・判示であろう。 産婆規則違反被告事件 第一審 熊谷区裁 第二審 浦和地裁 大審院刑一 判決 昭和七年三月七日 昭和七年︵れ︶一六〇一号刑集一一巻二七七頁 いわゆる後産を取りだし膀帯を切り産湯を浴させる行為は、産児をの取り上げるすなわち産婆行為に属 するから、原判決が被告人の供述を、産児を取り上げた旨の供述として判示したことは、必ずしも、これ を不当といえない④。 上告趣意は、被告人の供述︵糠曝公︶をみると、何ずれも、分娩を助けた事跡をみるべきものもなく、後 産を取りだし膀帯を切断し産湯を浴させた旨の供述があるが、いわゆる﹁産児を取りあげたしの供述がな い︵誹︶という. 判例・判示を支持するが、判例・判示より上告趣意の方が、詳細であり、判例・判示の方が、やや杜撰のようである。 産婆規則違反被告事件︵欄綱翻砺⑱祉判副ひ酬瞬翻鰍鋼等︶ 業務として産婆の行為を行なうには、登録を必要とすることは、同規則の規定するところである。右の 登録を受けることは、産婆業務を行なう者の特別の義務である。特別の義務のある者は、緊急避難を認め 東 洋 法 学 一五
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 一六 るものでないことは、刑法第三七条二項の明規するところなる故に、本件事案に緊急避難を主張する論旨 は、之を採用せず⑤。 上告趣旨には、緊急避難が主張されたから、判例・判示は、このようにいうのであろうが、特別の義務のある者に は、緊急避難は、認められないことは、刑法第三七条二項に明規されているとする⑤。 これには、疑念がある。なるほど、前項の規定は、業務上特別の義務ある者には適用しないというが、この場合、 その業務は、助産であり、この者は、無免許の素人であり、無免許の助産は、禁止され、彼女は、適法には、助産が できない。むしろ特別の義務は、緊急避難に関する特別の義務であろう︵例えば、船長の義務︵搬損︶︶。それは、も し免許を受ける義務であるとすれば、およそ免許を必要とする職業・職能の者は、一般的に緊急避難ができないこと になり、緊急避難の規定の存在の意味がなくなり、これを緊急避難に関する特別の義務であるとすれば、かえって緊 急避難の規定の存在意味が持続し、その緊急避難に関する特別の義務は、緊急避難の規定の適用除外︵犀︶によって限 定され明確になるであろうからである。結局、むしろ判例・判示は、その事実︵繍曜撚鮒鰹幡鞭︶が緊急避難の要件をみた していないことを説明すべきであろうと思われる。 産婆規則違反被告事件 第一審 前橋区裁 第二審 前橋地裁 大審院刑三 判決 昭和九年三月一三 日 昭和八年︵れ︶一九九九号 破棄自判 刑集二二巻三五〇頁 じょく婦Aは、分娩後まったく虚脱の容態に陥り救急手当を行わなければ生命に危険を及ぼすべき状況 にあり、この場合、救急の手当としては﹁カンフル﹂液注射は、もっとも適切かつ有効な治療方法であり、
これを行なうことは実験法則上明白なり、また助手Bをして﹁カンフル﹂注射を行なわしめたことは、産 婆規則第七条但し書きに、いわゆる救急の手当に該当するものであり、また刑法第三七条の規定の行為で あるともみることができる。したがって原審が、同規則第七条と第八条に違背するものとして、同規則第 一六条の規定を適用し処断したことは、結局、同規則の規定の解釈を誤り擬律錯誤の不法のあるもので、 上告論旨は、その理由がある⑥。 この判例・判示は、全面的に支持できよう。その理由を示すまでもないが、判例・判示④との判例・判示⑥の事実 は、異なるけれど、判例・判示④で示した登録を受けることは、刑法第三七条第二項の特別の義務であるという趣旨 の誤りを明確にしているようである。それは判例・判示⑥の場合は、産婆は免許をもつ者であるが、判例・判示⑤の 登録を受けるという特別の義務は、不要である。したがって、判例・判示⑤によれば、特別の義務のある者には、緊 急避難を認めるものでもよいということになろう。しかし判例・判示⑥は、免許のある助産婦には、緊急避難も認め ているし、また免許のない助手Bを手足のようにして助産を補助させることも、同規則の違反でないとしている。 これらの判例・判示①から判例・判示⑥までの判例・判示は、昭和六年︵一九三一年︶から、昭和一五年︵一九四 ハお 一年︶までの間であるが、イデオロギ⋮的には、軍部と右翼が天皇を頂点とする奇妙な全体主義に就こうとし、経済 的には、武装されたオータルキー主義であり、中国人民にとっては、深刻かつ大規模な迷惑であったのであろう。大 不景気を、経験した国民のほとんどは、こうした国策に従う余地しかなく、当時の青少年は、一般的に何か国家・天 皇のために青春をかけようとさせられていたのであろう。保健婦・助産婦とくに看護婦になろうとする者またはなっ 東洋法学 一七
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 一八 た者は、こうした社会・時代の軍国主義的な雰囲気に酔わされ、とくに従軍看護婦を希求したのかもしれない。した バ がって保健婦・助産婦とくに看護婦は、軍隊外の一般の社会・時代には、あくまでも医師への従属的診療補助者に徹 することが一般的であったのであろう。それは、教育勅語にょって﹁我力臣民克ク忠二克ク孝二⋮:爾臣民父母二孝 二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ⋮⋮一旦緩急アレハ義勇公二奉シ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ﹂︵調勅︶とされ、 社会・時代は、宣戦布告戦争︵献鮮群轍鱒.︶へ、さらにその遂行へと進むが、それでも、社会・時代は、とくに女性に は内助の功、銃後の守り、夫唱婦随等を求め、家庭では夫に従い、子供でも男子をたて、職場でも、長幼上の順序も あるが上司︵錫唯が︶に従うことが求められていたからであろう。また保健婦・助産婦・看護婦の無免許医業罪がない ようであるが、これも、その医師への従属的診療補助に徹することの一般性を示している理由になるかもしれない。 ヘイソ 判例・判示①は、患者Xが、看護婦Aを教唆したのに、看護婦Aのみが教唆したというが、おかしいともいえよう。 判例・判示③、判例・判示④と判例・判示⑤は、同一事件であるが、とくに判例・判示②と判例・判示④には、この 社会・時代の看護婦や助産婦の社会的地位の実際をみるということは無理であろうか。それは、いずれにも裁判所の いま一の対応があっていいと思われるからである。なお判例・判示⑥は、余りにも遅いという他はないようである。 ︵1︶判例・判示といっても、取り締り法規の判例・判示であり、かつ大審院または行政裁判所の裁断したものであるから、そ の数も少ないことはいうまでもない。なおこれらの判例は、厚生省﹁医療行政判決集﹂第一巻︵保助看法︶による。また行 裁は、掴行政裁判所、行録は、旧行政裁判所判決録、刑集は、旧大審院刑事判例集である。
︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ 重要産業統制法は、金輸出解禁で、輸出の激減が生じ、物価の暴落の故の操業短縮・生産協定のために制定され、ロンド ン海軍軍縮条約の調印と批准は、統師権干犯問題をおこし︵昭五V、同法は中小企業を圧迫し、糸価は暴落し、米価は崩落 し、賃金の切り下げ、労働強化等が生じる。また統師権干犯問題は、軍縮賛成の世論によって鎮静化する。続いて翌年、満 州事件がおき、軍部は、内閣に圧力を加え、右翼テロが頻発し、さらに京大事件がおき、日本は、国際連盟を脱退し︵昭 七︶、海軍条約を破棄し、軍拡に就く等する︵昭八︶。 医師への従属的診療補助は、開業医にとくにみられるものであり、使用者と被傭者の関係であり、彼女は、診療の手助け、 手伝いであり、これは身分的隷属的関係の表現であり、従軍看護婦は軍属であり、それも上級者と下級者に別れ、従軍看護 婦の多くは、その下級者で占められていたのであろう。したがって従軍看護婦は、軍人でなく軍属でもさして上級者ではな く。兵以下的であり必ずしも優過されていなかったようで、職人ー労務的であるとされていたようである。開業医について は、川上武﹁現代日本医療史﹂ ︷頁以下・参照。 例えば、患者Xは、非行を前提とするような疾病であるとすれば、看護婦Aを教唆し、看護婦Aは、Bを教唆し、患者X は、両者を教唆したことも考えられる。また患者Xが医師・歯科医師ということもあるかもしれない。なお判例・判示⑤に 関しては、木村亀二﹁刑法総論﹂二七五ー二七六頁・参照、保険婦・助産婦・看護婦には、義務との衝突がある︵保助看三 七・三九等︶。 三 診療・歯科診療への補助行為・参加行為の増加ーー診療・歯科診療の解放 保健婦は、漢方医学 医術の側にある助産を営業する者として前の社会・時代から存在していたが、わが国の 医学 医術の近代化に従って次第に、助産は、近代化され、かえって庶民の近代医学 医術への志向によって、 東 洋 法 学 一九
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 二〇 ハヱい 今日のように病院の仕事になる。保健婦制度は、看護婦制度より遅く普及するが、戦前からある診療・歯科診療への 補助行為・参加行為もあるけれど、今日の社会・時代に展開されている補助行為・参加行為は、つぎのようである。 a 歯科衛生 歯科衛生は、歯科医師︵歯科医業を行なうことができる医師を含む︶の指導の下で、歯牙露出面 もしくは正常な歯茎の遊離縁下の付着物・沈着物を機械的操作によって除去することまたは歯牙・口腔に対して薬物 ハ ソ を塗布することを歯牙または口腔の疾病の予防処置として行なうことである︵噛踊︶。これは、歯科衛生の実質的意義 であるが、歯科衛生士︵姻︶は、歯科診療の補助または歯科保健指導も、できる︵岬除︶。歯科衛生士は、歯科診療の 補助の場合、主治の歯科医師の指示があるとき以外は、診療機械を使用し、医薬晶を授与し、または医療品を指示し、 その他歯科医師が行なうのではなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし臨時応急の 手当は、この限りでない︵吐一︸︶。歯科保健指導の場合、主治の歯科医師または医師があるときは、その指示を受けな ければならない︵窒︶。この場合の主治の歯科医師には、歯科医業のできる医師を含み︵に︶、主治の医師にも歯科医 業のできる医師を含むであろう。 b 歯科技工 歯科技工は、特定人に対する歯科医療の用に供する補てつを作成し、修理し、または加工するこ とをいう︵噛骸︶。しかし歯科医師の指示書に従わなければならないが、病院または診療所内の場所で、患者の治療を 担当する歯科医師の直接の指示に基づいて行なう場合は、この限りでない︵噛職︶。患者は、歯科診療の患者である。
指示書は文書による歯科医師の指示であるが、直接の指示ともいえよう。歯科技工士︵肛︶にも、業務の制限がある。 それは印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行なうのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為 である︵砿︶. c 診療放射線照射 診療放射線は、アルファ線・べータ線、ガンマ線、百万電子ボルト以上のエネルギーをも つ電子線、エックス線その他政令で定める電磁波または粒子線であり、診療放射線照射は、このような放射線を人体 に照射し、照射機器または放射性同位元素を人体内にそう入して行なうものを除く。なお照射には撮映も含み、放射 性同位元素には、その化合物と放射性同位元素またはその化合物を含む︵彰放︶。診療放射線技師は、医師・歯科医師 の具体的な指示を受けなければ、放射線を人体に照射してはならない。また、病院・診療所以外の場所で、その業務 を行なうことが禁止されている︵荒︶。 d 臨床検査・衛生検査 臨床検査・衛生検査は、医師の指導監督の下で、微生物学的検査、血清学的検査、血液 学的検査、病理学的検査、寄生虫学的検査または生化学的検査を行なうことであるが、臨床検査には右のほか政令で 定める生理学的検査が加わり、衛生検査には、これがなく、ここに差異がある︵藷衛︶。政令で定める生理学的検査は、 一定の心電図検査等である︵髄舗髄︶。なお臨床検査技師︵に︶は、保健婦助産婦看護婦法第三一条第一項︵翻灘蠕翻麟鋤諸に︶ の規定にかかわらず、診療の補助として採血ができる︵膿蠣5。
東洋法学
二一保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 二二 e 理学療法 理学療法は、医師の指示の下で︵遡酢︶、身体に障害のある者に対し、主としてその基本動作能力 の回復を図るため、治療体操その他の運動を行わせ、電気刺激、マッサ⋮ジ、温熱その他の物理的手段を加えること である︵に︶。理学療法士︵仁︶は、保健婦助産婦看護婦法第三一条第一項︵踊︶と第三二条︵灘難楯纈螂菰雛看︶の規定にかか わらず、診療の補助として業務ができ、または医師の具体的な指示を受ければ、マッサ⋮ジもできる︵卜胚︶。 f 作業療法 作業療法は、身体または精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力または社会的 適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせることである︵理酢︶。作業療法士︵鵬︶も、診療の補 助として業務ができる︵ト五︶。 9 視能訓練 視能訓練は、医師の指示の下で、両眼視機能に障害のある者に対して、その両眼視機能の回復の ため矯正訓練または必要な検査を行なうことである︵竣能︶。なお視能訓練士︵姻︶は、保健婦助産婦看護婦法第三一条 第一項︵踊︶と第三二条︵姻︶の規定にかかわらず、診療の補助として業務ができる︵↑七︶。 れ 臨床工学 臨床工学は、 生命維持管理装置は、人の呼吸、 医師の指示の下で、生命維持管理装置の操作または保守点検を行なうことであるが、 循環または代謝の機能の一部を代替し、または補助することが目的とされている装
置であり、その操作には、その装置の先端部の身体への接続または身体からの除去であって政令で定めるものを含む ︵藷1︶。政令で定めるものは、人工呼吸装置のマウスピース、鼻カニュ⋮レその他の先端部の身体への接続または身 体からの除去等ある︵璃紅飛︶。臨床工学技士︵藷蟹︶は、診察の補助として業務ができる︵娠︶。 ー 採型・適合 採型は、義肢または装具の装着部位の型をとることであり・適合は、人の身体への適切な接合 であるが、いずれも製作をも含む。義肢は、上肢または下肢の全部または一部に欠損のある者に装着して、その欠損 ヤ ヤ を補てんし、またはその欠損より失われた機能を代替するための器具器械︵礫伽︶であり、装具は、上肢・下肢の全 部・一部または体幹の機能に障害のある者に装着して、当該機能を回復させ・その低下を抑制しまたは当該機能を補 完するための器具器械である。したがって採型や適合の良否も、診療の内容にもなり、業務は、医師の指示の下で行 われる︵蟻装︶。 ー 救急救命 救急救命は、救急救命処置であるが、医師の指示の下で行なうものである。救急救命処置は、そ の症状が著しく悪化するおそれがあり、またはその生命が危険な状態にある傷病者︵重度傷病者︶が病院または診療 所に搬送されるまでの間に、当該重度傷病者に対して行なわれる気道の確保、心拍の回復その他の処置であって、当 該重度傷病者の症状の著しい悪化を防止し、またはその生命の危険を回避するために、緊急必要なものをいう︵徽急︶。 東 洋 法 学 一一三
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 二四 k 調剤 調剤は、特定の人の疾病・負傷のために、医薬品を調合等することである︵篠舗参賂︶。医師・歯科医 師・獣医師の処方せんによって行なう︵ξ。これは、もっとも早くからある補助行為・参加行為である。 これらの行為は、生物学的医学−医術つまり近代医学ー医術の系統に属し、近代医学ー医術の生み出したもの であるが、元来、医師・歯科医師の行なうことであり、独占するところでもある︵箪噛︶。しかしこの独占も.医 師・歯科医師の指導、監督、指示によって保持されているが、これらの行為は、一定の養成・学校教育を受け、それ ぞれ国家試験に合格し、かつそれぞれの免許をもつ者によって行なわれている。したがってそのそれぞれの専門的知 識も技能も、相当であることは、いうまでもない︵驚欄魏顯︶。 こうした診療・歯科診療への補助行為・参加行為とは別に展開されたいわゆる東洋医学⋮東洋医術に属するとさ れる施術行為︵鯉ん拝匹魏︶がある。施術行為は、はり術、きゅう術、あん摩術︵蹄轍舗腰儲勘諦締駄粥甜︶、マッサ⋮ジ術、指 圧術︵雛騨ヤ惚払緬裁輝惣御耐創輝︶と柔道整復術に分けられている︵揉道雛鞭噸、鉄猛構訳薩礎離ゆ麟罫猷錬勃︶が、それぞれ固有の方法 があり、固定的である特色がある。これらのそれぞれの行為を業とするには、免許が必要であり︵騎肱瞬マ勲吋引爾舗雌騨ザ 働鰍辮臆、翻欝.誘帆轡錠砂騎ガ架螺樋鰹︶。免許は、一定の学校または養成施設で、それぞれの施術に必要な一定の知識と技能 に関する科目を修得し︵驚翫輝二Σ︶、それぞれの公的試験に合格した者に対して、厚生大臣によって与えられる︵勧臥囎償 琢道︶。施術者は、外科手術と薬品を投与し、その指示を行なうことが禁止され︵驚胤噸畑︶、あん摩マッサ⋮ジ指圧師は、 医師の同意を得た場合の外は、脱臼または骨折の患者に施行してはならない︵勧凱︶とされ、はり師には、はりを施こ そうとするときには、手指と施術の局部を消毒しなければならないと規定されている︵贋︶。とくに従来、柔道整復師
は、医師の同意を得なければならず、おのずからあん摩マッサ⋮ジ指圧師は、脱臼または骨折の患者の治療をしなか ったようである。この意味においては、あん摩師、マッサ⋮ジ師または指圧師は、形式的には、その治療の範囲が、 拡張され、柔道整復師は、実質的には、医師の同意から解放されているといえよう。また反面、医師は、大幅に、柔 道整復師に、診療の範囲を許す結果になったようである。しかしこれは、由由しき問題であるかもしれない。それは、 右の生物学的近代な診療・歯科診療への補助行為・参加行為に従事する医的専門・技術者でさえ、医師・歯科医師の 指示・監督・指導の下にあり、反対に、医師・歯科医師は、わずかに、これらによって、その独占を保持しているの に、施術師とくに柔道整復師にのみに、医師の同意から解放し、かえって実質的に意味のないあん摩等マッサ⋮ジ指 圧師の施術業者には、脱臼・骨折の治療については、医師の同意を必要とする︵騎翫︶からである。なお医師・歯科医 師は、医療の目的をもち、かつ学理に背反しない絶対不能でない診療の方法をとることができるから、あん摩マッ ハ サージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律の禁止する︵じいわゆる医療類似行為も、施用・利用できよう。 ︵ユ︶ ︵2︶ 医療技術の展開は、とくに物理学・化学等の発達によるが、例えば、レントゲン、放射線等が医療に利用されることは大 正の社会・時代辺りからある。詳しくは、厚生省・前掲書二二三頁以下・参照 この規定は、﹁及び﹂が用いられているが、解釈上、﹁及び﹂では不適当であると考えられるところは﹁・﹂または﹁また はしを用いる。判例でも、﹁及び﹂を﹁または﹂と解釈するものもある。しかし以下の法律の規定では、こうしたおかしさ が目立つ。なお以下条文の羅列のようであるが、今日、診療・歯科診療の補助行為・参加行為を示すためには、やむをえな いところであろう。なお歯科衛生士は保健婦・助産婦・看護婦に含むべきであろう。
東洋法学 二五
保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 二六 ︵3︶柔道整復のみは、沿革的にみても、何故か優遇されている。拙稿・医療類似行為︵東洋法学三六巻一号︶・参照、大正九 年二九二〇年、按摩術営業取締規則の付則は、柔道を教授する者にも、同法を準用するとして、柔道を教える者に柔道整 復を行なうことを認めるが、彼らの救済の意味があったという︵厚生省・前掲書二二五頁︶。大平洋戦争後は、彼らに比べ て、剣道家は、悲惨な生活をおくったという。しかし今日は、医師からの解放があるが、これは一個の問題であろう。それ は、必ずしも、十分な医療の知識と技能のない彼らに、医行為の一部を独立的に解放しているからである。しかも、柔遵整 復師以外の施術業者には、本来のそれぞれの行為・施術を独立︵医師・歯科医師から︶してできるとし、脱臼等については、 あん摩師等は、医師の同意をまって、これ等を治療することができる︵聯鵡︶というのである。したがって柔道整復師以外の あん摩等もそれぞれの本来的施術は、もちろん医師の同意があれば、脱臼等の治療もでき、その施術の範囲を拡大したこと になる。施術についても拙稿・前掲書︵新診療室の法律︶ニニ頁以下・前掲論文︵東洋法学三六巻一号︶・参照。 四 保健婦助産婦看護婦法の診療・歯科診療への積極的行為 保健婦助産婦看護婦法は、つぎのような診療への積極的行為を認めている。 a 主治の医師・歯科医師の指示のないときは、とくに一般的に傷病者の療養上の指導を行なうことができるであ ろう︵蠣融輩解穂五︶。それは療養上の指導︵胴︶は、医師の行なう﹁療養の指導その他保健の向上に必要な指導﹂︵脹二︶で もあろうが、これは診療であることもあり、しかも、とくに、保健婦が、それを単独で行なうことになろう。 b 保健所長の指示がないときも単独で、保健指導ができよう︵胴鷹縫騨糖六︶。それは、保健所長の指示があるとき は、これに従わなければならないからである︵醐動講︸︶。しかも、この場合も、単独で保健婦は、保健指導ができるが、
保健指導の内容は診療であろう。なお助産婦の広求の義務の保健指導︵に五︶も、同様であろう。 c 助産婦は、妊婦、産婦、じよく婦、胎児または新生児に異常があると認めるときは、医師の診療を請わしめ、 自ら、これらの者に対して処置をしてはならない。ただし臨時応急の措置は、この限りでない︵だ︶。異常を認めるこ とは、診察であり、臨時応急の措置も、診療とくに治療であり、これらを例外的に認めているといえよう。 d 分娩の介助または死胎の検案をした助産婦は、出生証明、死産証書または死胎検案書の交付の求めがあった場 合は、正当な事由がなければ、これを拒否してはならないという︵肥九︶。介助や死胎検案も実質的に、診療であり、 これらの書面の作成・交付も医師の行なう行為でもある︵遜動剛︶。 e 助産婦は、自ら分娩の介助または検案をしないで出生証明、死産証明書または死胎検案書を交付してはならな い︵醐鋤看︶。出生や死産の確認、検案も、これからの書面の作成の前提であり、かつ診療である。 こうして保健婦・助産婦・看護婦法も、自ら、彼女らが実質的に診療を行なうことを認めているようであるといえ よう。 五 保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 a 保健指導・保健婦 保健指導は、医師も、医療と保健指導を掌る︵遜︶が、歯科医師も、歯科診療と保健指導 を掌る︵噛︶。保健婦は、厚生大臣の免許を受けて、保健婦と称して保健指導に従事することを業とする︵蘇動︶。保健
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保健指導・助産とくに看護と保健嬬助産婦看護嬬法第三七条の規定 二八 指導は、医師・歯科医師が掌り、保健婦は業として従事するから、医師・歯科医師と保健婦の問には保健指導をめぐ っての関係する仕方にニュアンスがある。同じ保健指導でも、保健婦の保健指導は、固有的であろう︵縣麟欄醗杜軸懸州 幽薩︶。保健婦の保健指導︵翻蹄払麻彊指︶も、医師・歯科医師のそれ︵擁羅︶と異なるであろう。保健婦国家試験は、保健 婦として必要な知識と技能について行なわれ︵↑︶、その受験科目は、公衆衛生看護学、疫学、健康管理と保健福祉衛 生行政論︵蘇渤曙施︶であり、保健婦になろうとする者は、この保健婦国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなけれ ばならない︵翻鋤︶。しかしこの保健婦国家試験の受験資格は、看護婦国家試験に合格した者または看護婦国家試験の 受験資格︵、じ者であって、後者は、さらに左の各号の一に該当するものでなければならない。左の各号は、a文部大 臣の指定した学校で六月以上保健婦になるのに必要な学科を修めた者、b厚生大臣が指定した保健婦養成所を卒業し た者、c外国の保健婦学校を卒業し、または保健婦免許を得た者で、厚生大臣がbにかかげる者と同等以上の知識と 技能を有すると認めたもの︵だ︶。これは、看護婦国家試験合格または看護婦国家試験の受験資格を基礎とするもので あるが、その基礎が同じではなく、看護婦国家試験合格者は、保健婦国家試験合格という点では、看護婦国家試験受 験資格での保健婦国家試験合格者と同じであるけれど、看護婦として必要な知識と技能については、たんなる看護婦 国家試験受験資格での保健婦国家試験合格者よりは程度は、高く、優れているといえるであろう︵セ︶。保健婦は、保 健婦と称して保健指導について相当の知識をもち、保健指導に従事することを業とする女子である︵、一︶。または保健 婦の免許をもつ者︵貌賂︶である。保健指導は、人の健康の保持の指導である。健康の保持には、現在の人の身体の状 態が疾病・負傷であっても、より一層よくなること、人の身体の機能・組織の衰弱の固定、防止、療養等も含むが、
形式的には、保健指導は、 ハユ 保健婦の行なう行為であるといえよう。 b 助産・助産婦 助産婦は、厚生大臣の免許を受けて、助産または妊婦・じょく婦・新生児の保健指導をなす ことを業とする女子である︵一、一︶。助産は、妊婦の分娩を補助することのみでなく、後産を取り出し膀帯︵燭姓︶を切り、 産湯に浴させることも含む︵醇伍顯翫︶。妊婦はいうまでもない。じょく婦は、お産の床にいる女性であり、新生児は、 生後四週間までの乳児である。保健指導は、妊婦やじょく婦については、筆を加えるまでもないが、新生児には、と くに成長への配慮が必要であろう。保健指導は、説明を省略する︵紅黙貰.︶。 助産婦国家試験は、助産婦として必要な知識と技能について行われ︵セ︶、その受験科目は、助産学概論、生殖の形 態・母性の心理、社会学、乳幼児の成長発達、助産診断学、助産技術学、地域母子保健と助産業務管理であり︵辮施鋤 、、、︶、助産婦になろうとする者は、助産婦国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならない︵襯鋤︶。その 受験資格者は、看護婦国家試験に合格した者または看護婦国家試験の受験資格︵、じ者であり、後者はかつ、a一定の 学校で、六月以上助産に関する学科を修めた者、b一定の助産婦養成所を卒業した者、c外国の助産婦学校を卒業し、 または外国で助産婦免許を得た者で、厚生大臣がa・bの者と同等以上の知識と技能を有すると認めたもののいずれ かの一に該当するものでなければならない︵に︶。助産婦国家試験でも、保健婦国家試験と同様に、看護婦国家試験合 格または看護婦国家試験の受験資格を基礎とする。したがって助産婦でも、看護婦国家試験に合格した者とそうでな い者に分けることができるが、助産婦は、助産または妊婦等の一定の者に対して保健指導を行なうことを業とする女
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保健指導・助産とくに看護と保健嬬助産婦看護婦法第三七条の規定 三〇 子である︵一、一︶。助産、妊婦等の一定の者、保健指導等は、右に示したから省略するが、その保健指導は、保健婦の保 健指導とは、対象が異なり、その内容も、同じではないことは、いうまでもない。なおその業とする助産または保健 指導は、形式的には、助産婦の行なうものであるといえよう。 C 看護・看護婦 看護婦は、厚生大臣の免許を受けて、傷病者・じょく婦に対する療養上の世話または診療の 補助を行なうことを業とする女子である︵五︶。しかし看護士︵は○︶や准看護婦・准看護士もある︵㏄L六︶が、ここでは、 看護婦に含まれることにする。看護は、療養上の世話と診療︵梱舗磁療︶の補助に分けられ︵鉱︶、または療養上の世話で あろう︵餓義.︶。療養は、人の疾病・負傷の治癒、身体の組識・機能の回復・︵より良好な︶固定、健康の保持 増進等の一または復数の目的で、精神とくに身体を休ませたり、手当を受けさせたりすることであるが、療養上の世 話は、こうした療養の上での世話であるが、世話は、療養のうえで必要な面倒をみることでもあろう。その面倒の内 容的行為は、とくに医学・医療的な観察行為、評価行為、治療行為、保健行為、看護行為、助言行為または保健指導 行為であろう。﹁とくに医学・医術的﹂というのは、生物学的・薬学的・心理学的・社会学的であり、そのうえにわ けても医学・医術的原理に基づく行為であるという意味であるが、いわゆる看護学の知識・判断ー技能を伴なうも のであり、医学ー医術的には、程度も高く・種類も多いものであろう。しかしその面倒の内容的行為には、必ずし も右のような行為のみでなく、全然、医学・医術行為でない単純な行為もあれば、単純であるが、医学ー医術的行 為もあろう。
診療の補助は、診療への参加行為といってもいいであろう。それは、補助も参加も患者の現在の疾病・負傷または 精神とくに身体の状態を治癒またはより一層、良好な状態に解放すること︵医療の目的﹀に関係することであり、補 助する者または参加する者においてのみ主観的なニュアンスがあるだけのようであるからである。診療は、診察と治 療であり、診療の補助も診療の参加も、医療の目的の下では、同義であろう。その内容的行為は、右と同じ程度・種 類のものでもあろうが、療養上の世話と診療の補助・参加の性質によっては、ある内容的行為は、多く、または少い というものであろう。例えば、療養上の世話では、保健行為、看護行為、助言行為、保健指導行為等が多いであろう が、診療の補助・参加では、診察のときは、医学・医術的な観察行為、評価行為等は、とくに多いであろう︵勘鍵し咲獅 寵剃歴ゆ酷繰濾ポ鋤嬬︶。なお今日、診察の手段として検査があることは、注意すべきであろうが、助言行為等も考えられ る。治療の時は、もちろん治療に関する行為が多く行われるであろう。またこれらの行為の準備や後始末の行為も、 考えられるが、患者の診療選択権の前には、いわゆる鼠○誰&8霧①導つまり説明して承諾を手にしなければなら ないこともあろう。例えば、医師に指示された注射が二種以上ある場合︵疑魏腿嵌抽確者︶、看護婦は、注射のそれぞれに パヱぽ ついて、その効果、副作用の有無、激痛の有無等を説明し、患者の承諾を必要とするのであろう。 看護婦になろうとする者は、看護婦国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならない︵七︶が、看護婦国 家試験の受験資格は、次の各号︵一ー︶の一に該当する者でなければならないとされ、a文部大臣の指定した学校で三 年以上看護婦になるのに必要な学科を修めた者、b厚生大臣の指定した看護婦養成所を卒業した者、c免許を得た後 三年以上業務に従事している准看護婦または高等学校を卒業している准看護婦でa・bに規定する学校・養成所で
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三一保健指導・助産とくに看護と保健婦助産婦看護婦法第三七条の規定 三二 二年以上修業した者、d外国の看護学校を卒業し、または看護婦免許を得た者で、厚生大臣が、aまたはbに掲げる 者と同等以上の知識と技能を有すると認めたものである︵、じ。とされている。aの文部大臣の指定する学校は、専修 学校または各種学校︵悩礒磐駄﹀であり、これらの学校または看護婦養成所は、︸定の指定基準をもち︵観鋤循学︶、入学 資格・入所資格は、大学入学資格と同じである︵勝融瓢郵艦蘇︶が、教育する科目は、基礎科目、専門基礎科目、専門科 トレきニング 目と臨床実習に分けられ、まさに看護学と実習に特色があるといえよう︵鋪調鯛捌︶。さらに看護婦国家試験の科目は、 解剖学、生化学、栄養学、薬理学、徴生物学、病理学、公衆衛生学、社会福祉学、関係法規、精神保健、基礎看護学、 老人看護学、小児看護学と母性看護学であり︵襯動靖執︶、看護婦国家試験の合格者は、右の看護つまり療養上の世話と 診療補助・参加行為に耐えることができるといえよう。それは、看護婦国家試験は看護婦として必要な知識と技能に ついて行なわれる。︵課鋤癒︶からである。 それは、ともかくとして、看護は、右のように療養上の世話と診療の補助・参加に分けられるが、内容的には、医 学・医術的な観察行為、評価行為、治療行為、保健行為、看護行為や助言行為、または保健指導行為であり、さらに それぞれの準備行為、後始末行為等であろう。これらのなかには、まったく医学・医術とは関係のない行為もあり、 反対にすぐれて医学・医術的な行為もあろう。以上は、看護を実質的に示したものであるが、形式的にいえば、看護 婦が行なうことが看護であるといえよう。なお実質的には看護婦は、右のようないわゆる看護ができる女子つまり傷 病者またはじょく婦に対する療養上の世話または診療の補助・参加する女子である︵群鋤︶といえようが、形式的には、 看護婦は、看護婦免許をもつ女子である︵謝陀.︶といえよう。