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物語の再利用と自己の再創造──デヴィッド・トロイヤーの『アペレス博士の翻訳』── 利用統計を見る

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物語の再利用と自己の再創造──デヴィッド・トロ

イヤーの『アペレス博士の翻訳』──

著者

余田 真也

著者別名

Shinya Yoden

雑誌名

白山英米文学

43

ページ

13-28

発行年

2018-02

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00009877/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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 アメリカ植民地時代から継承されている先住民の口承伝統の文字化や翻訳 は、先住民文化の理解に役立てられてきたばかりでなく、未開なものや風変わ りなものに惹かれる非先住民作家の霊感源となり、また近代以降の先住民作家 の自己成型や自己表現の手がかりとなってきた。とりわけ 1960 年代末以降に 発表された先住民の文学において、「口承伝統の創造的な再利用」は特有の創 作法として洗練され、いわゆる「ネイティヴ・アメリカン・ルネサンス」を象 る物語形式として認識されてきた。  しかし、オジブウェに帰属する現代作家 David Treuer (1970- ) は、先住民の 文学に対する評価の基準が、文学よりも先住民の部分に偏りがちな傾向─つ まり、先住民表象をめぐるオーセンティシティやポリティカル・コレクトネス の度合いに偏りがちな傾向─を憂慮して、2006 年に刊行された挑発的な文 芸評論集 Native American Fiction: A User’s Manual(以下『ユーザーズ・マニュ アル』)で、先住民文学に対する審美的な評価の必要性を説いている。さらに 同年に上梓された小説 The Translation of Dr. Apelles(以下『アペレス博士の翻 訳』)では、先住民の伝承の翻訳を主題に組み込みながら、先住民文化の表象 にとどまらない、審美批評に耐えうる作品への希求を自ら実演している。  以下、トロイヤーの試みを評価するにあたり、まずはオジブウェの口承伝統 を創造的に再利用した前例として、Henry Wadsworth Longfellow (1807-82) の The Song of Hiawatha (1855) を比較対象にしながら、『アペレス博士の翻訳』の 特異性の一端をひもとく。つぎにトロイヤーが評論集『ユーザーズ・マニュア ル』で俎上に載せている『ハイアワサの歌』と、オジブウェ作家 Louise Erdrich (1954- ) の小説 Love Medicine (1984) を事例として、先住民の文学およ び研究をめぐるトロイヤーの問題意識を確認する。以上の手続きを経由して再 び『アペレス博士の翻訳』に戻り、口承伝統を再利用する文学の系譜を大きく 逸脱するこのメタフィクションの意匠を読み解きながら、トロイヤーの企図に 迫りたい。

物語の再利用と自己の再創造

──デヴィッド・トロイヤーの『アペレス博士の翻訳』──

余 田 真 也

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1. デヴィッド・トロイヤーと『アペレス博士の翻訳』

 先住民オジブウェに帰属するトロイヤーは、1970 年に首都ワシントンで生 まれ、7 歳の時に母方の故郷であるミネソタ州北部のリーチレイク保留地に転

居して多感な時期を過ごした。⑴ベミジ高校卒業後はプリンストン大学に進学

し、文化人類学と創作を学び、創作では Toni Morrison, Paul Muldoon, Joanna Scott 等の指導を受けた。1992 年にプリンストン大学を卒業し、1995 年に小説 Little で作家デビューを果たし、さらに 1999 年にはミシガン大学で文化人類学 の博士号を取得し、ミネアポリスを舞台に都市の先住民を描いた第二小説 The Hiawatha を出版した。評論集『ユーザーズ・マニュアル』と小説『アペレス 博士の翻訳』以降は、ミネソタ・オジブウェの保留地をめぐるノンフィクショ ン Rez Life: An Indian’s Journey through Reservation Life (2012) や、第二次世界大 戦時の保留地を舞台にした小説 Prudence (2015) を発表している。またその間、 教育者としてはミネソタ大学ツインシティ校等で教壇に立ち、2010 年からは サザン・カリフォルニア大学で創作と文学の教授を務めている。創作や評論の 活動と並行して、オジブウェ語の保存および継承の活動も行い、また狩猟や罠 猟やワイルドライス収穫といった部族の伝統も守り続けているという。  トロイヤーの三作目の小説『アペレス博士の翻訳』は、プロローグと 5 巻か らなり、各巻で主人公アペレスの半生の物語と、彼が翻訳している昔の物語が 交互に進展する構成である。アペレスは言語学と文献学の博士号をもつ 43 歳 の独身先住民で、巨大な文書館 RECAP (Research Collections and Preservation / Consortium) に選別係として勤めながら、2 週間に 1 日だけ図書館のアーカイ ヴでアルゴンキン系の先住部族の伝承の翻訳に励んでいる。作者のトロイヤー を彷彿させるが、アペレスは親族や保留地から遠く離れた東部の街に暮らし、 部族との関係も希薄になっている。また勤務先の上司や同僚、図書館の司書な ど周囲の人々とも距離を保ちながら、寡黙にルーティンを守って生活している。 同僚の若い美女カンパスピに関心を抱いていたが、職場ではその思いは噯にも 出さない。  そんな孤独な生活を送るアペレスが翻訳しているのは、野生動物に助けられ て飢餓を生き延びた二人の先住民の生誕から結婚にいたるまでの物語である。 別々の場所で発見された二人の乳児は、それぞれの養父母の元で、狩猟が上手 な理想の少年ビマーディズと、罠猟の得意な理想の少女エタとして成長する。 ほどなくして知り合った二人は兄妹のように親密になり、やがて異性として惹 かれ合い、さまざまな体験の後に障壁を乗り越えて結婚する。アペレスは、た またま図書館でその物語の原稿を発見し、彼にしか訳せない言葉で記録された

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その伝承を現代に蘇らせようとしているのである。このように『アペレス博士 の翻訳』は「口承伝統の創造的な再利用」の意匠を備えた文学の典型例といえ るが、オジブウェの伝承に特化すれば、その先駆としてまず想起されるのは、 ロングフェローの叙事詩『ハイアワサの歌』であろう。  1836 年から 54 年まで勤めたハーバード大学を退職して専業作家となったロ ングフェローは、オジブウェの伝承などをもとに「ハイアワサ」という先住民 の英雄を創りだし、その神話的な生誕から、成長して部族の指導者となり、や がてキリスト教の宣教師を迎え入れつつ一人で西方へと消えていくまでを謳う 叙事詩にまとめあげた。ロングフェローが『ハイアワサの歌』を書くにあたっ てモデルにしたのは、フィンランドの医師 Elias Lonnrot (1802-84) が民間伝承 を採取して編纂した叙事詩 Kalevala (1835, 1849) といわれる。しかし『ハイア ワサの歌』は『カレワラ』のように伝承を採集・編纂・翻訳した叙事詩ではな い。むしろ同時代のインディアン管理官にしてアマチュア民俗研究者だった Henry Schoolcraft (1793-1864) が、採集・編纂・翻訳したオジブウェの伝承を主 な素材として利用しながら、オジブウェとは異なるイロコイに伝わる〈統一者 ハイアワサ〉の名前を借りてロングフェローが創作した叙事詩である。⑵  トロイヤーの『アペレス博士の翻訳』も、『ハイアワサの歌』と同様に口承 伝統を創造的に再利用した体裁をとってはいる。しかしアペレスが翻訳してい る物語は、実は先住民の伝承に由来する物語ではない。小説の終盤でアペレス の翻訳原稿を盗んだジーザスは、たまたま傍にあった書物に挟み込んで隠すの だが、その書物、つまり古代ギリシアのパストラル・ロマンス Daphnis and Chloe こそ、アペレスの翻訳しているビマーディズとエタの物語の原型なので ある。  プロローグと 4 巻からなる『ダフニスとクロエー』は、2 世紀末~ 3 世紀初 頭のギリシアのロンゴス (Longus) という作者が残した物語で、牧歌的な情景 を湛えるレスボス島が舞台になっている。山羊と羊に育てられ、養父母の庇護 のもとで成長した少年ダフニスと少女クロエーの純愛が結婚へと成就するまで に数々のエピソード─恋敵との諍い、外敵の襲撃、少年の捕囚、国家間の争 い、少女の誘拐、国家間の和解、人妻による性の手ほどき、結婚への障壁、財 宝の発見、肉親との再会─が絡む。アペレスが翻訳している先住民の物語は、 この『ダフニスとクロエー』を下敷きにして年代や場所や人物を置き換えたも のである。  先住民の伝承を小説へと再利用するのではなく、古代ギリシア作家の物語を 先住民の伝承として再利用することで、トロイヤーは先住民文学の常套手段と

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もいえる伝承の再利用という方法にひねりを加えるとともに、先住民文学の源 泉を口承伝統に見る定説の不確かさを批判的に照射している。小説『アペレス 博士の翻訳』におけるこのメタクリティカルな意匠は、評論集『ユーザーズ・ マニュアル』におけるトロイヤー自身の異議申し立てへの応答にもなっている。 次節では、とりわけオジブウェとの関連の深い文学に対するトロイヤーの批評 に寄り添いながら、『ユーザーズ・マニュアル』の議論の要諦を確認しておき たい。 2. 『ユーザーズ・マニュアル』における先住民文学/研究の批判  ロングフェローは『ハイアワサの歌』の執筆のために、スクールクラフトに よるオジブウェ伝承の英語訳を参照しているが、その英訳はどれほど元の言語 に忠実だったのか。たとえば『ハイアワサの歌』の第 3 章「ハイアワサの子供 時代」で、ハイアワサは祖母(月の娘ノコミス)から教わったという童歌を歌っ ている。

Wah-wah-taysee, little firefly, Little, flitting, white-fire insect, Little, dancing, white-fire creature, Light me with your little candle, Ere upon my bed I lay me,

Ere in sleep I close my eyelids! (Longfellow 22)

これはスクールクラフトによって記録され、Oneota, or the Red Race of America (1845) に収められた歌を、ロングフェローが叙事詩の文脈に再配置した事例で ある。トロイヤーは、現代の言語学者ジョン・ニコルズや文学研究者アーノル ド・クリュパットの研究成果に依拠しながら、スクールクラフトによるその歌 の「記録」と 「直訳」 と 「意訳」 を並置し、さらにはオジブウェ語の 「元歌」 に語学的な解説を加えながら、それぞれの表現を比較考量している。  まずスクールクラフトはこの歌を次のように記録している。 Wau wau tay see!

Wau wau tay see! E mow e shin

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Be eghaun─be eghaun─e wee! Wa wau tay see!

Wa wau tay see! Was sa koon ain je gun

Was sa koon ain je gun. (Treuer, User’s Manual 17)

次に、その記録をスクールクラフトは次のように 「直訳」 している。

Flitting-white-fire-insect! Waving-white-fire-bug! Give me light before I go to bed! Give me light before I go to sleep. Come, little dancing white-fire-bug! Come, little flitting white-fire-insect! Light me with your bright white-flame instrument─your little candle. (18)

さらに、スクールクラフトは次のように「意訳」している。 Fire-fly, fire-fly! bright little thing,

Light me to bed, and my song I will sing. Give me your light, as you fly oʼer my head, That I may merrily go to my bed. (18)

しかし、スクールクラフトが記録したオジブウェ語の元歌は、実はわずか 5 つ の言葉からなりたっているに過ぎないとトロイヤーは述べている。

waawaatesi, waawaatese’amawishin, jibwaanibaayaan, bi-izhaan, waasakonenjigan. (19)

 元歌に用いられる言葉や構造の簡潔さに比べて、スクールクラフトの二種類 の英語訳には余分な言葉が付け足され(「直訳」 では flitting, white, fire, bed, little, dancing, beast, bright, instrument、「 意 訳 」 で は bright, little, song, sing, fly, over, head, merrily, bed)、意味が過剰になり、元歌の意味が変わっている (20)。 さらにスクールクラフトの翻訳を元にしたロングフェローの叙事詩では、擬古 文調の文体に合うようにさらに言葉が追加されているばかりか、先住民の歌の 特徴である「反復」が採用され、さらに歪んだ解釈になっている。

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の適切な英語訳は次のようになるという。 Firefly, fire fly and flit for me

Fly for me before I sleep Firefly fire fly

Lantern! Lantern! (23)  ロングフェローの『ハイアワサの歌』およびスクールクラフトの伝承集の間 違いや思い込みは、全体からするとごくわずかだが、オリジナルの意味がどれ ほど容易に変わってしまうのかがはっきり伝わってくる。不案内な事柄につい てこれほど過剰に言葉を連ねることができるのだから、小説の場合にはこうし た誤解や歪曲はもっと規模が大きくなりうる。そこに口承伝統を再利用する文 芸作品の脆弱さがあるとトロイヤーは考えている (23)。部族の言葉に熟達して いない非先住民(白人民俗学者や白人文学者)による口承伝統の再利用には、 つねに誤解や歪曲の可能性が伴い、そうした誤解や歪曲を含みうる先住民表象 には、当然ながら真正性の問題が伴うことになる。  それでは先住民系作家の場合はどうだろうか。トロイヤーはルイーズ・アー ドリックを俎上に載せて、先住民作家による口承伝統の再利用にも同様の問題 が付随することを指摘している。オジブウェの下バ ン ド位集団にあたるタートル・マ ウンテン・チペワに帰属するアードリックのデビュー小説『ラヴ・メディス ン』は、多様な語り手によって数世代にわたる物語が重層的に紡がれる。オジ ブウェらしさを反映するという多様な声からなるこの小説は、非先住民系の読 者には異質な感受性を伝え、先住民系の読者には父祖伝来の感受性を伝える文 化財のような作品だと評価されているが、トロイヤーから見ればその論拠は曖 昧で、結局のところ作者自身の主張を鵜呑みにした評価にすぎない (32-33)。  『ラヴ・メディスン』がオジブウェ文化─オジブウェらしい登場人物、オ ジブウェらしい語り口や思考─を実演していると主張する批評家たちは、オ ジブウェの物語を比較対象に挙げていないが、トロイヤーによれば、オジブウェ の物語には、何度も語り直される物語はあっても、一つの話題を違う角度から 語り、真実性や意味を重層的に紡ぐというような形態のパフォーマンスは存在 しないという (49-50)。たとえばオジブウェの神話的な半神半人でトリックス ターでもあるウェナボーゾ(ナナブッシュ、ナナボーゾ)の物語の特徴を観察 しながら (54-55)、オジブウェの口承伝統と小説『ラヴ・メディスン』が、構 造も文体も物語内容もかけ離れていることを論証している。

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 ただし、このような指摘をするからといって、トロイヤーは『ラヴ・メディ スン』という作品そのものを批判しているわけではない。『ラヴ・メディスン』 に散見する多声的な語り、「インターカッティング」の手法、「シンボル」の使 用等は、先住民の伝承のスタイルにも先住民の声の多様性にも由来していない。 むしろこの小説は非先住民的(ヨーロッパ的)な小説のテクニックによって先 住民の主題を描いているのである (35-39, 46)。  トロイヤーの見地では、『ラヴ・メディスン』において先住民的であるか否 かは重要ではないが、その生産様式が先住民文化に由来していないからといっ て文化の問題がなおざりになっているというわけでもない。むしろ「概念とし ての文化」というテーマは、この小説の核を構成しているという (56)。たとえ ば『ラヴ・メディスン』のオジブウェ語の使用には「文化への憧れ」が色濃く 現れている。1 章 3 節で交わされる会話のなかで、話者の一人がタバコをねだ るときのメティス語(オジブウェ語とクリー語とフランス語の混成語)での表 現 (“ciga swa”) を紹介しているが、話者が伝えたいこと (“give me a smoke”) と その表現の意味 (“he smokes”) には乖離がある。それは文法の間違いやイディ オムの誤解というよりも、話者がオジブウェ語をよく知らないことに起因して いるという (56-57)。またアードリックの別の小説 The Antelope Wife (1998) のな かに二人の登場人物がドイツ人の囚人をさらう箇所があって、そこではドイツ 語と英語とオジブウェ語が併用されているが、奇妙なことにドイツ語は英訳さ れず、オジブウェ語は説明されるか訳されている (59)。アードリックの小説に 用いられているオジブウェ語は、英語の従属語のようで、しかもプロットやス トーリーやテーマとも関連が乏しい (60)。それは人が人との関係を構築するた めに使う言葉と表現のシステムではなく、博物館の展示品のように集められた 語彙にすぎないのである (62)。『ラヴ・メディスン』や『アンテロープ・ワイフ』 の登場人物たちは、オーセンティックな文化への憧れからオジブウェ語を使用 しており、したがってアードリックの小説には、「文化への欲望 (“the desire of culture”)」が表れているというのである (64)。⑶  このような「文化への欲望」は「自己再生・自己発見のプロジェクト」と結 びつきやすいのだが、その連関は、『ラヴ・メディスン』に限らず、多くのア メリカ先住民文学に見られる。それこそがネイティヴ・アメリカン・ルネサン スと呼ばれる文学の要諦なのであり、その主人公たちは、文化に居住するので はなく文化に憧れており、生きた現実の文化ではなく記憶として機能する文化 の概念を召喚しているのである (66)。トロイヤーはこのような議論によって、 先住民ルネサンスの文学を否定しているわけではない。むしろ「ネイティヴら

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しい」と評価されている彼らの作品は、精査すれば、先住民の口承文化という よりも、ヨーロッパ系の文学に近く、したがって、そうした先住民らしさは、 文学の評価基準にはならないということを主張しているのである。  『ユーザーズ・マニュアル』の冒頭に掲げられた「著者の注釈 (“Authorʼs Note”)」で、トロイヤーは文学研究とは書かれたものの意味や、言葉の操作や、 その背景にある伝統等に関する研究であるはずなのに、いわゆる先住民小説は そのように研究されてきていないと述べている─“So-called Native American fiction (if there is such a thing) has not been studied, as literature, as much as it should be” (3)。先住民文学の研究は作者のアイデンティティやオーセンティシティに とりつかれすぎている。しかし文学研究の究極的な目的は、「スタイル」の研 究であるはずなので、先住民文学を「文化」と見なすことを──つまりテクス トの起源から先住民文学を評価することを──いったん止めるべきだと主張し ている。⑷

It is equally as important to leave aside questions of authenticity and identity (if only for the moment) in order to re-center our interpretive efforts: to un-wed ourselves from looking at Indian fiction in terms of origination and to start thinking of it in terms of destination; that is interpretation not production. If we can force ourselves to read Native American fiction we will find style, not culture. Or, rather, we will find that, as far as literature is concerned, style IS culture; style creates the convincing semblance of culture on the page. (5)

ではトロイヤーはこうした持論をどのように自作に反映させているのか。次節 では『アペレス博士の翻訳』の形式的な側面に照射しながら作品解釈を試みる。 3. 『アペレス博士の翻訳』の意匠  先述のように、アペレスが翻訳している先住民の伝承は、古代ギリシアのパ ストラル・ロマンス『ダフニスとクロエー』を創造的に再利用した物語なのだ が、物語の枠外に位置するアペレスとカンパスピもまた古代ヨーロッパに実在 した人物に由来している。そのことは小説のエピグラフに掲げられた、16 世 紀イングランドの作家 John Lyly (1554?-1606) の戯曲 Alexander and Campaspe (1584) の引用からも明らかである。

 歴史上のアペレスは紀元前 4 世紀のギリシアの画家で、彼が寵愛した絵のモ デルがアレクサンダー大王の愛妾カンパスペーである。スケッチを描きながら

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カンパスペーに恋をしたアペレスをみて、大王はその偉大な画家に敬意を表し て彼女を贈ったという。アペレスがもっとも気に入っていた作品 Aphrodite Anadyomene は、カンパスペーがアフロディテのモデルを務めたものだともい われる。  ヨーロッパのロマンスを起源とするアメリカ先住民の伝承に加えて、ヨー ロッパに由来する登場人物(アペレスとカンパスピ)を巧みに配置するトロイ ヤーの小説は、他の先住民作家による口承伝統のリサイクルとは大きく異なる 自己言及のスタイル、もしくは「メタフィクショナルな自己空洞化(“metafictional self-undermining”)」(Robinson) の様式を備えている。この小説は文学の「起源」 (作者の民族上のアイデンティティや先住民文化表象の真正性)を「作品」よ りも重視しがちな先住民文学研究の傾向に対するトロイヤーのメタクリティカ ルな実践なのである。  作品のタイトルが示唆するように、この小説はアペレスが翻訳する物語だけ でなく、アペレス自身がいかに翻訳されるのか(愛されるのか)をめぐる物語 でもある。小説のプロローグには、ビマーディズとエタの物語の最初の章が語 られ、直後にその部分を翻訳しおえたアペレスの物思いが続く。自分にしか翻 訳できない文書を発見したアペレスは、自分が一度も恋愛をしたことがないと いう事実に心を乱され、翻訳を進めながら翻訳と愛の関連性について思いをめ ぐ ら せ る ─“he can sense there is a connection between the translation and love” (Treuer, Translation 24)。

 彼が翻訳している類い希な物語は、聞き手も読み手もほとんどいないかもし れないが、少なくとも彼という理解者がいる。しかし翻訳者としての彼自身に 関していえば、一人の理解者もおらず、まったくの孤独である─“Now, even that rare document he has found seems better off than he: at least it has one person that can understand it. As for him, he now sees he is alone” (26)。しかも翻訳者としての 彼は、あらゆる物語の外に閉め出されているように感じ始めていた。一つの場 所からもう一つの場所へと物語を移動させることが翻訳という仕事だが、翻訳 している物語の内容とは関係ないのだ。

  Like everyone else, he thinks about love. And like all readers, he has read his fair share of love stories. But as a translator he had begun to see himself as standing outside all stories, written and lived. It was his job to move them from one place to another, from one language to another, and it mattered little that a particular story was about love or about war or about anything at all. (25-26)

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独り身の自由はもはや自由ではなく、誰にも求められず、さながら幽霊のよう だと感じている。彼にしか理解できない文書を見つけたために、アペレスは自 らの孤独/不在を強く意識させられている。彼を愛する人(彼を翻訳する人) がいなければ、彼自身も存在しないに等しいのである。  アペレスは誰かを愛したかったが、どうすれば良いのかわからない。新入り の同僚カンパスピなら愛せそうだが、彼女はとても美しく、彼の半分くらいの 年齢で、仕事以外の関係が芽生えるとは思えない。ところが冬の嵐の日、帰宅 列車の不通のため足止めを余儀なくされたアペレスとカンパスピは、レストラ ンで復旧を待つ間に急接近し、博士の家で関係を結ぶにいたる。その後アペレ スがカンパスピを「翻訳」し、彼女に「翻訳」されるようになると、彼の翻訳 にも好ましい変化が生じる。かつて彼の翻訳の作業はしばしば物思いに邪魔さ れていたが、今では物思いによってむしろ彩りが豊かになっているのである。 But then, a tint had crept into the palette of his translation. And the whole of it emerged differently than he had expected. Before that time his work had been interrupted by other thoughts. Now they were colored by them. Colored, especially, by Campaspe. As the structure of his life melted under the heat of new emotions so did the sense of the translation. (139)

 いっぽうカンパスピは、アペレスについて詳しく知りたがるが、彼は自分の ことがうまく話せないので、代わりに翻訳者としての仕事について話す。翻訳 がアペレスの人生の代用だったのだが、カンパスピは話を聞くだけではもの足 りず、彼が眠っている間にこっそり原稿を読み始め、それを無断で持ち帰る。 すぐに返却するつもりだったが、印刷物持ち込み禁止の職場にうっかり原稿を 持ち込んでしまう。しかも二人の仲を嫉妬した同僚のジーザスが原稿を盗み、 手近にあった本に挟んで隠してしまい、原稿は行方不明になる。彼女はアペレ スに許しを乞いながら原稿の読後感を伝えるのだが、奇妙なことに、彼女の持 ち出した原稿には、アペレス自身の物語が書かれ、アペレスからみたカンパス ピが描かれていたという。

I was so curious. I wanted to know what you were doing. I wanted to know what the words meant, she says. once I started reading I couldnʼt stop, she says. and I was surprised! I had no idea. the translation is really your translation. it is your story. and to see myself there . . . to see me as you see me. how thrilling. (309)

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 これはどういうことだろう。原稿がアペレス自身の物語だというのは、単な る比喩ではなさそうだ。その先に続く二人の会話で、さらに奇妙さは募る。カ ンパスピは冬の嵐の箇所(二人がはじめて親密な関係を結んだ悪天候の日の記 述)が特に良かったと告げ、アペレスの甥ヴィクターの死を悼み、アペレスの 孤独に思いをいたし、それに対してアペレスも自分が孤独だったと答えている (311)。彼女のコメントを聞く限り、翻訳された伝承とアペレスの半生があた かも相互浸透しているかのようだ。  監視カメラの映像でアペレスの原稿の在処をつきとめた館長のマンガー女史 は、ジーザスが盗んだ原稿を一時的に隠すのに使った『ダフニスとクロエー』 を目にしたとき、「いかにもふさわしいわ、アペレスの人生の物語が神話のな か に 隠 さ れ る な ん て(“how appropriate. . . that the story of Apellesʼ life will be hidden inside a myth”)」(304) と考え、原稿を挟んだまま書庫に戻してしまう。 この書物と原稿の一体化は、結婚にも喩えられている─“the manuscript is to be wedded to the book in which it is hidden forever. it is a marriage after all. . .” (305)。 たしかにビマーディズとエタの牧歌的な物語と、アペレスとカンパスピをめぐ る物語は、作品のなかで並んで進行しており、二つの物語のあいだには結びつ きも感じられる。しかし奇妙さはそれだけではない。

 さらに次の一節でこの小説のそれまでの前提が根底から覆されてしまう。 I was wondering why each section sounded so different, she says.

thatʼs good, thatʼs so good of you to notice that, he says. the answer: I did not know yet who I was. I had no language for myself.

she is quiet for a while, trying to understand. he is quiet, too.

you didnʼt really find anything in the archive, did you? I found myself, he says with a twinkle in his eye. but whereʼs the original, then? what is the original? you should know that by now. (312)

原稿から受ける言葉の印象がセクションごとにまったく違う理由を尋ねるカン パスピに対して、アペレスは彼女の鋭敏さに感心しながら、「自分が何者かが まだわかっておらず、自分自身を語る言葉がなかったからだ」と弁明している。 続けてカンパスピが「本当は図書館のアーカイヴでは何も見つけなかったので

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はオリジナルはどこなの、オリジナルとはいったい何なの」という問いには、「そ の答えはすでにわかっているはずだ」と応じている。  ここにきてわれわれは、ビマーディズとエタをめぐる物語が、翻訳でも翻案 でもなく、創作なのだということに思いいたる。またカンパスピが読んだアペ レスの原稿というのは、『ダフニスとクロエー』をリサイクルした昔の先住民 の物語だけではなく、アペレスが己の半生と日常を「翻訳」した物語も含んで いたと考え直さなければならなくなる。つまりアペレスはカンパスピとの関係 を軸にしながら彼自身の成長の跡をたどるこの小説の本当の語り手でもあると いうことになる。  「翻訳」の作業を終えたアペレスは、空想のなかで文書館の書庫に隠された 彼の原稿を見つけ出すが、何が書かれているかは知っていたので、のぞき見る 必要はなかった。むしろ大事なのは、彼がついに翻訳されたということ、彼の 言葉は他の作家のものではなく、彼自身のものであり、他の読者は不要になっ たということである。

  Dr Apelles does not open it. He does not look inside. He has no need to see because he already sees. He knows what is written there, and so do you. If he were to read it, he would read his life all over again, and again it would be as though it were written in a language he did not understand. For now, he has finally been translated. His language is his own, and he needs no other readers. (314-15) 「なくしたものを見つけた (“What was lost has been found”)」アペレスは、鏡に

映る己の顔を見ながら小声で「愛している (“I love you”)」とささやく (315)。 デヴィッド・ヨーストも指摘するように、この小説の副題が “A Love Story” な のは、アペレスはカンパスピを愛することを学ぶとともに、自分自身を愛する ことを覚えたからである (Yost 71)。

 『アペレス博士の翻訳』の結末で、アペレス博士はこの小説の冒頭におかれ た「翻訳者の序文 (“Translatorʼs Introduction”)」の最初の部分を音読して、その 仕 上 が り に 満 足 し て い る ─“Satisfied with the first sentence, he turns away” (315)。「翻訳者の序文」には、翻訳者が図書館で探していた書物から原稿がこ ぼれ落ち、彼に理解できない言語で書かれたその原稿を読める人に音読しても らい、その類い希な美しい物語を翻訳することに決めたという経緯が語られ、

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そのあとに次のような一文が記されている─“I hope you accept this offering, this book, this gift of beauty, and that you read it to the end. And then, turn back here and read it again” (n.p.)。美の贈り物というべきこの物語を終わりまで読んだら、 もういちど序文に戻って物語を読み返すようにと促しているのだが、単に先住 民の昔話を読み直すことを示唆しているだけではない。行方不明になった原稿 の翻訳者アペレスと、書物に挟み込まれた原稿を発見して序文を書いた翻訳者 が、メビウスの環のように結びつくこのトリッキーな結末をつきつけられた読 者は、宙づり状態を解消するために、必然的に序文に戻って物語を読み直すこ とになるだろう。  ダグラス・ロビンソンが指摘しているように、唐突にさえ思えるその結末に いたるまでの早い段階から、実は語り手アペレスの存在がなんども示唆されて いる。注意深い読者ならば、結末にさほどの唐突感は抱かないかもしれないが、 本編の再読によって、たとえばビマーディズとエタの愛の物語の語りには、平 板な口調で表現するおとぎ話の語りと、物語作者が用いる注釈めいた語りがあ ることに気づくだろう。  またこの結末は、小説のリアリティ幻想を脱臼させる手段のひとつでもある。 ヨーロッパのロマンスを再利用した先住民の物語が、先住民文化表象のオーセ ンティシティをあらかじめ割り引かれているように、全知的な三人称とアペレ スの一人称の融合した語り(あるいは語り手の権勢の曖昧化)は、先住民文学 を安易に「文化的な起源」(作者や語り手の先住民性)に帰着させないトロイヤー の批評美学に適っている。『アペレス博士の翻訳』は、先住民文学を「文化」 として利用しようというユーザーから「文学」を守ろうとするテクストなので ある。  〈付記〉本研究は JSPS 科研費 (16K02511) の助成を受けたものである。 ⑴  トロイヤーの父親 Robert Treuer は、12 歳だった 1938 年に両親とともにナチスの 迫害を逃れて渡米したユダヤ系オーストリア人で、渡米後も諸方に移り住みなが ら結婚して 3 人の子供の父親となった (Treuer, Rez Life 4)。離婚後ミネソタ北部の リーチレイク保留地に安住の地を見いだし、そこで高校教師を務めていたときに、 看護師だった混血オジブウェの Margaret Seelye と出会って再婚した。彼女はその 後ワシントン DC のロースクールで学び、保留地に戻って部族裁判所の判事を務 めた。保留地に転居してからトロイヤーは先住民と白人の両方が通う学校に在籍

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していたが、母親はオジブウェの伝統儀式にも参加するよう勧めていたという (Smith)。以下、トロイヤーの伝記に関しては、インタビュー、書評、彼の著作 Rez Life を参照している。 ⑵  スクールクラフトは、インディアン総務局の出張所管理官だったが、先住民の伝 承研究の先駆者でもある。ミシガン州スーセントマリーに配属された 1882 年に 口承伝統の調査を開始し、混血オジブウェの妻 Jane Johnston(アイルランド系の 商人とオジブウェ女性との娘)から言葉と伝承を学び、1839 年に最初の著作を 出版し、1841 年に管理官を退いてからは東部に戻って執筆を続けた。スクール クラフトによる口承伝統の翻訳は、先住民の詩歌への関心よりもインディアンと いう主題への関心を呼び起こしたといわれる。また、ロングフェローとも交友関 係 に あ り、 ス ク ー ル ク ラ フ ト の 伝 承 集 The Myth of Hiawatha, and Other Oral

Legends (1856) の献辞は、ロングフェローに宛てられている (Krupat, Voice

102-04)。 ⑶  トロイヤーも作品のなかでしばしばオジブウェ語を用いているが、英語に訳した り説明したりしていない箇所がある。出版に際して英語訳をつけることを求めら れても断固拒否したという。オジブウェ語でなければならない理由や文脈がある のだ。たとえば第二小説『ハイアワサ号』では、ベティという薄幸な女性が大切 に守り続けている唯一の幸福な時期の記憶は、オジブウェ語でしか想起しないの で英語訳がないのである (Treuer, Interview by Kirwan)。『アペレス博士の翻訳』で は、アペレスが子供時代のおぞましい体験─猟銃自殺した白人猟師の死体を木 から降ろすために木に登って死体にロープを括りつけた記憶─を語るときに、 彼と父との会話や父と叔父の会話で使われるオジブウェ語は逐一英語に訳してい ない (Treuer, Translation 188-92)。傍でその会話を聞いている白人狩人たちと同様 に、オジブウェ語を読めない読者にはその内容はよくわからないが、その分だけ 記憶の生々しさが伝わってくるようだ。 ⑷  従来の先住民文学/研究を厳しく批判する『ユーザーズ・マニュアル』への反響 は大きく、たとえば先住民文学研究を先導してきたベテランの白人研究者からは 手厳しい反論を受けている。アーノルド・クリュパットはフィクションがナショ ナリズムや主権闘争に利用されることを認めないトロイヤーに対して、先住民小 説の社会政治的な機能を無視していると批判し、文化的なオーセンティシティや アイデンティティのために小説を読むのは間違いだというトロイヤーの主張を脱 歴史化だと批判している(Krupat, “Culturalism” 138-39)。カール・クローバーは

Ceremony や Fools Crow や Love Medicine が、消滅した世界へのノスタルジアを掻

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言及していないことを惜しみ (Kroeber 390-91)、また Sherman Alexie への批判に 対しては、『ユーザーズ・マニュアル』の後に出版されたアレクシーの作品 Flight (2007) を例にあげて擁護している (392)。シャノン・ジブニーとのインタ ビューでのトロイヤーの発言によれば、公の場で同族の作品を否定的に批評した ことに対して、先住民からは裏切り者あつかいするような反応はあったものの、 『ユーザーズ・マニュアル』の主張に対する反論はなかったという (Treuer, Interview by Gibney)。なるほど、先のクリュパットとクローバーによる反論も、 トロイヤーの主張に対する反論というよりもむしろ無いものねだりに近い。トロ イヤーが述べるように、率直な批判がなければ、先住民文学は強くならず発展も ない。事実モマディやアードリックやシルコウが 30 年以上前に切り開いたジャ ンルは、現在ではやや後退し縮小しているという (Treuer, Interview by Gibney)。

引証・参考資料

Aaron, Daniel. Introduction. Longfellow, The Song of Hiawatha. xi-xix.

Gillard, William. “Native American Fiction: A User’s Manual and The Translation of Dr.

Apelles: A Love Story.” The Literary Review. 50.3 (Spring 2007): 152-56.

Kroeber, Karl. “A Turning Point in Native American Fiction?” Twentieth-Century Literature. 54.3 (Fall 2008): 388-95.

Krupat, Arnold. “Culturalism and Its Discontents: David Treuerʼs Native American Fiction: A

User’s Manual.” American Indian Quarterly. 33.1 (Winter 2009): 131-60.

_. The Voice in the Margin: Native American Literature and the Canon. Berkeley: U of California P, 1989.

Longfellow, Henry Wadsworth. The Song of Hiawatha. 1855. Ed. Daniel Aaron. London: Everyman, 1993. H・W・ロングフェロー 『ハイアワサの歌』三宅一郎訳 作品 社、1993 年。

Robinson, Douglas. “The Translator as Lover.” California Literary Review. 24 April, 2007. <http://calitreview.com/174/the-translation-of-dr-apelles-a-love-story-by-david-treuer/> Schoolcraft, Henry R. The Myth of Hiawatha, and Other Oral Legends. 1856. Gloucester:

Dodo Press, 2007.

Smith, Dinitia. “American Indian Writing, Seen through a New Lens.” New York Times. 19 August, 2006. <http://www.nytimes.com/2006/08/19/books/19indi.html>

Treuer, David. Interview. “Language and Signs: An Interview with Ojibwe Novelist David Treuer.” By Padraig Kirwan. Journal of American Studies. 43.1 (April 2009): 71-88. _. Interview. “Thinking Souls: An Interview with David Treuer.” By Shannon Gibney. MN

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Artists. 23 August, 2006.

<http://www.mnartists.org/article/thinking-souls-interview-david-treuer>

___. Native American Fiction: A User’s Manual. St Paul: Graywolf, 2006.

_. Rez Life: An Indian’s Journey through Reservation Life. New York: Grove, 2012. _. The Translation of Dr. Apelles: A Love Story. New York: Vintage, 2006.

Yost, David. “Apellesʼs War: Transcending Stereotypes of American Indigenous Peoples in David Treuerʼs The Translation of Dr. Apelles.” Studies in American Indian Literatures. 22.2 (Summer 2010): 59-74.

リョンロット編 『カレワラ』小泉保訳 岩波文庫、1976 年。 ロンゴス 『ダフニスとクロエー』松平千秋訳 岩波文庫、1987 年。

参照

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