1 8 0 4 年 、イ ギ リ ス の 技 術 者 ト レ ビ シ ッ ク は 世 界 初 の 蒸 気 機 関 車 を 完 成 さ せ る が 、実 用 に 耐 え う る 性 能 で は な か っ た 。一 方 、鉱 山 で 使 う 機 関 車 を 研 究 し て い た ス チ ー ブ ン ソ ン は 鉄 道 会 社 の 技 師 と し て 招 か れ 、1 8 2 3 年 頃 ま で に 十 数 台 の 蒸 気 機 関 車 を 試 作 。1 8 2 5 年 9 月 に は 彼 の つ く っ た「 ロ コ モ ー シ ョ ン 号 」が 38台 の 車 両 を ひ い て 、 ス ト ッ ク ト ン と ダ ー リ ン ト ン の 間 を 完 走 し 、本 格 的 な 旅 客 用 鉄 道 へ の 道 筋 を つ け た 。 さ ら に 、開 業 を 5 年 後 に 控 え た 鉄 道 会 社 で 使 う 蒸 気 機 関 車 を 決 め る た め の レ ー ス で は 、息 子 と と も に 製 作 し た「 ロ ケ ッ ト 号 」が 優 勝 し 採 用 さ れ る な ど 、公 共 鉄 道 の 実 用 化 を 成 し 遂 げ た 功 績 は 大 き く 、 ス チ ー ブ ン ソ ン は「 鉄 道 の 父 」と 称 え ら れ る よ う に な る 。 参 考 ・ 引 用 / 集 英 社 刊 「 学 習 漫 画 世 界 の 伝 記 ・ 別 冊 世 界 の 発 明 ・ 発 見 事 典 」
モノづくりの偉人たち vol.05
本 誌は環 境 に や さ し い 植物油 イ ン キ を 使用 し て い ま す 。 日 立産機 シ ス テ ム ニ ュ ー ス 第 9 6 号 2018年1 月 1 日 発行 (隔 月 発行) 発行 株式会社 日 立産機 シ ス テ ム 営業統括本部 営業企画部 〒 101-0022 東京都千代田区神田練塀町3番地 AKS ビ ル TEL.03-4345-6041 編集発行人 荒川 徹http://www.hitachi-ies.co.jp
本誌 に 対 す る 電話 で の お 問合 せ の 際 に は お か け 間 違 いの な い よ う お 願 い いた し ま す 。 環 境・省エネに貢 献する日立産機システム
建設業法 に お け る 株式会社 日 立産機 シ ス テ ム が ○ 平成27年7 月 19 日 国土交通大臣許可 (般-27) 第4603号 管工事業、 機械器具設置工事業、 電気通信工事業、 消防施設工事業 ○ 平成27年7 月 19 日 国土交通大臣許可 (特-27) 第4603号 電気工事業 躍進する企業を訪ねて vol.138株式会社アンレット
社名の由来は“守り神”、スローガンは“地球環境を守る”。 ルーツ式にこだわるブロワと真空ポンプの専門メーカー。ジ
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縄文杉
日本 鹿児島県 屋久島 平均的なスギの寿命は5百年ほどといわれていますが、 豊富な水に恵まれながらも栄養が乏しい山地に育つ屋久杉は成長が遅いため、 2千年を超える巨木が多く自生しています。 中でも日本一太いスギとされる縄文杉は、推定樹齢はなんと2000~7200年。 世界遺産である屋久島のシンボルです。 表紙の写真世界の巨木
Tree No.05 日 立 産 機 システムニュースvol
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96
JAN
2018
ジョージ・ スチーブンソン George Stephenson 1781年 -1848年 株式会社 日立産機システム 取締役社長荒谷 豊
野球解説者山本 昌
さん
2 0 1 8
年 新 春 対 談
な(笑)、と思ってしまいます。 荒谷 確かにプロ野球というトップ アスリート集団の中で、50歳まで活 躍するのは並大抵のことではないと 思います。体力、筋力、精神力、視力 など、よく衰えることがなかったです ね。 山本 衰えはありました。でも、それ を何とか技術でカバーしようという 気持ちでやってきました。練習方法 や考え方を自分なりに工夫しながら、 置かれた境遇の中で何とかしようと いつも考えていましたし、練習も毎年 入団してくる20歳前後の若い選手と 同じ量だけやり、投手としての体を維 持してきました。 荒谷 何か特別な健康管理をされ ていたのですか。 山本 50歳までできた健康な体を くれた両親にまず感謝しなければい けませんが、指導者の方々や周囲の 人たちに恵まれていました。入団29 年目に一度だけインフルエンザにか かりましたが、練習は28年間皆勤賞 ものです。そう考えると、体調管理は 高いレベルでやれていたと思います。 荒谷 私は子どもの頃からプロ野球 ファンです。昌さんのことはずっと応 援していたので、お目にかかれると あってとても楽しみにしていました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 2015年10月7日、史上初の 50歳での登板を最後に引退される まで、中日ドラゴンズ一筋に活躍さ れ本当にすごいと思います。この間、 最多勝3回、史上最年長41歳での ノーヒットノーラン達成、通算200勝 を42歳で達成。プロ生活32年、実働 29年は歴代最長だそうで、さらに プロ通算219勝のうち140勝を30歳 以降に記録されるなど、その球歴は まさにレジェンドそのものです。 山本 そう言っていただくと恥ずか しいかぎりです。現在、野球解説者、 スポーツコメンテーターとして活動さ せていただいていますが、その立場 で振り返ると、自分のことながらよく もこんな厳しい世界でやってこれた 苦しいトレーニングも、朝の洗顔のよ うに習慣にしてしまえば苦にならなく なります。 荒谷 1988年8月。セントラルリー グで首位を争っていた中日ドラゴン ズに、無名の若手投手が突如現れ、 スクリューボールを駆使して、あっと いう間に5勝し優勝に貢献したこと を思い出します。鮮烈な印象でした。
株
式
会
社
日
立
産
機
シ
ス
テ
ム
取
締
役
社
長
荒谷
豊
野
球
解
説
者
山
本
昌
さ
ん
2 0 1 8年 新 春 対 談 50歳まで投げ続けた 球界のレジェンド、 奇跡の球歴 MASA YAMAMOTO YUTAKA ARAYA「悔いはあっても後悔はない」
野球の神さまも認めた、
ひたむきに歩んだ32年間。
球界のレジェンドと呼ばれる元中日ドラゴンズの山本昌さん。 1984年にドラフト5位で入団して以来、50歳を越えるまで日本を代表する左腕投手として活躍されてきました。 2018年の幕開けに当たり、日立産機システム情報誌「VoltAge21」にお招きし、 その栄光の歴史と挫折にも負けない生き方を通して、 荒谷社長とともにビジネスの世界にも通じるこだわりの流儀についてお話しいただきました。 飛躍のきっかけとなった フロリダでの 運命的な出会い 2006年9年16日 ノーヒットノーランを達成 (写真提供:ベースボール・マガジン社)な(笑)、と思ってしまいます。 荒谷 確かにプロ野球というトップ アスリート集団の中で、50歳まで活 躍するのは並大抵のことではないと 思います。体力、筋力、精神力、視力 など、よく衰えることがなかったです ね。 山本 衰えはありました。でも、それ を何とか技術でカバーしようという 気持ちでやってきました。練習方法 や考え方を自分なりに工夫しながら、 置かれた境遇の中で何とかしようと いつも考えていましたし、練習も毎年 入団してくる20歳前後の若い選手と 同じ量だけやり、投手としての体を維 持してきました。 荒谷 何か特別な健康管理をされ ていたのですか。 山本 50歳までできた健康な体を くれた両親にまず感謝しなければい けませんが、指導者の方々や周囲の 人たちに恵まれていました。入団29 年目に一度だけインフルエンザにか かりましたが、練習は28年間皆勤賞 ものです。そう考えると、体調管理は 高いレベルでやれていたと思います。 荒谷 私は子どもの頃からプロ野球 ファンです。昌さんのことはずっと応 援していたので、お目にかかれると あってとても楽しみにしていました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 2015年10月7日、史上初の 50歳での登板を最後に引退される まで、中日ドラゴンズ一筋に活躍さ れ本当にすごいと思います。この間、 最多勝3回、史上最年長41歳での ノーヒットノーラン達成、通算200勝 を42歳で達成。プロ生活32年、実働 29年は歴代最長だそうで、さらに プロ通算219勝のうち140勝を30歳 以降に記録されるなど、その球歴は まさにレジェンドそのものです。 山本 そう言っていただくと恥ずか しいかぎりです。現在、野球解説者、 スポーツコメンテーターとして活動さ せていただいていますが、その立場 で振り返ると、自分のことながらよく もこんな厳しい世界でやってこれた 苦しいトレーニングも、朝の洗顔のよ うに習慣にしてしまえば苦にならなく なります。 荒谷 1988年8月。セントラルリー グで首位を争っていた中日ドラゴン ズに、無名の若手投手が突如現れ、 スクリューボールを駆使して、あっと いう間に5勝し優勝に貢献したこと を思い出します。鮮烈な印象でした。
株
式
会
社
日
立
産
機
シ
ス
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ム
取
締
役
社
長
荒谷
豊
野
球
解
説
者
山
本
昌
さ
ん
2 0 1 8年 新 春 対 談 50歳まで投げ続けた 球界のレジェンド、 奇跡の球歴 MASA YAMAMOTO YUTAKA ARAYA「悔いはあっても後悔はない」
野球の神さまも認めた、
ひたむきに歩んだ32年間。
球界のレジェンドと呼ばれる元中日ドラゴンズの山本昌さん。 1984年にドラフト5位で入団して以来、50歳を越えるまで日本を代表する左腕投手として活躍されてきました。 2018年の幕開けに当たり、日立産機システム情報誌「VoltAge21」にお招きし、 その栄光の歴史と挫折にも負けない生き方を通して、 荒谷社長とともにビジネスの世界にも通じるこだわりの流儀についてお話しいただきました。 飛躍のきっかけとなった フロリダでの 運命的な出会い 2006年9年16日 ノーヒットノーランを達成 (写真提供:ベースボール・マガジン社)大きな力になりましたね。 山本 新しい球種を覚えるために、ア イクさんが大リーグの有名な投手を 何人も紹介してくれたのですが、一つ もモノにならなかったんです。そんな時、 チームメートの陽気な内野手が遊び で投げていた変化球を見て、その場で 教えてもらい試してみると手応えがあ りました。次の試合で投げたら屈強な 見るからに威圧感のある相手打者が 何と空振りしたんです。教えてくれたの は大投手ではなく4軍の内野手。そう 考えるとこれも運命的な出会いでした。 荒谷 何かを学ぼうと、必死になって いたから引き寄せた運だったのでしょ うね。 山本 はい。また、留学中の半年間で 150回投げさせてもらいました。日本 では4年間で50回も投げていなかっ たので、大切な実戦経験を積むことが できました。さらにナイトゲームを数多 く経験したことも財産でした。日本では 練習や二軍の試合は日中に行われる ことが多いので、たまのナイトゲームで 山本 入 団してからの4年 間は毎 シーズン終了後に、今年こそクビと言 われるかも、とハラハラしていました。 鳴かず飛ばずだった1988年春、米国 フロリダ州のベロビーチで行われた春 季キャンプに参加し、そのままロサン ゼルス・ドジャース球団傘下の4軍の チームに、留学という形で残されまし た。右も左もわからない中、最初は敗 戦処理投手として投げていました。 荒谷 帰国後の活躍を考えると、この 時期に驚くような進化、成長を遂げた と思いますが、その秘密は何だったの でしょうか。 山本 当時は進化したという実感は ありませんでした。ただ、ドジャースの オーナー補佐兼国際担当だったアイ ク生原さんに、投手としての基礎を徹 底的にたたき込んでいただいたことは 忘れられません。アイクさんは私の野 球人生を決定づけてくれました。また、 技術的には左投手独特のスクリュー ボールという球種をマスターできたこ とがあります。 荒谷 スクリューボールは当時の日 本では投げる人はいなかったので、初 めて見た時は驚きでした。まったく新 しい武器をいち早く身に付けたことは はカクテル光線の中の捕手がすごく小 さく見えて、ストライクが入る気がしな かったものでした。 荒谷 海外での厳しい経験が昌さん を飛躍させてくれたのですね。当社で もグローバル化を推進するために、で きるだけ若いうちに海外の仕事の仕 方や文化を学ばせるようにしています。 昌さんのように、海外で暮らしながら 戦い続けるという経験はかけがえのな いものだと思います。 山本 そうですね。何かにトライして 成功したら、次にもっと難しいことに挑 戦する。それができたら以前には難し かったことが、できて当然のことになり ます。この姿勢を身に付けたことが成 長だったのかなと思います。 荒谷 成長のきっかけはフロリダ留学 でしたが、その後ずっと野球を続ける ですが、それまでのコーチング技術の 中では見えていなかったことを言葉に し、わからせる力が小山先生にあった のでしょうね。理論を現実的なモノに 結びつけるためには、スポーツではト レーニング、メーカーでは設計力が必 要で、試行錯誤しながら何かをつくっ ていくという面では通じるところがある と思います。昌さんは、それまでの投手 がやってこなかったことをやられたと 言えますね。 山本 自分は皆さんに導いてもらった だけです。自信がないので、言われてい いなと思うことを素直にできるんです。 自信があったら最多勝の翌年に「小山 先生、一緒にフォームつくりましょう」 とは言えません。4軍の内野手に変化 球の投げ方を教えてもらうこともでき なかったと思います。 荒谷 あくまでも自分の実力を正確 に把握されていますね。仕事でも、自 分の実力がわからないと打つ手を間 違えます。自分の実力を知り、足りなけ れば勉強して新しい技術を取り込む。 営業なら、もっとお客さまにいい提案 ができるように工夫する。昌さんも同じ ようにされてきたと思います。それに チャレンジ精神がおありだと思います。 思いました。3日たつと体が絶好調に なり、驚いたことに投げたボールが飛 び抜けてよくなったという経験をしま した。以来、先生と相談しながら、毎年 毎年、投球フォームの改善にも取り組 みました。 荒谷 投球フォームをあえて変えるの は勇気がいることだと思いますが、モ ノづくりという視点で見ると毎年技術 をレベルアップさせていくことと同じな のでしょうね。 山本 そうかもしれません。こうやって 体を使ったらもっと力が出るとか、膝 の角度をこれだけ変えたらもっといい 感じで投げれるとか、それまで知らな かったメカニカルな理論を身に付ける ことができました。その結果、1997年 には最 多 勝を獲 得 。小山先 生に出 会った30歳以降で140勝を積み上げ、 50歳まで投げることができました。 荒谷 体をいかに使い、いかにケアし ていくかを理論的に学んだことで、投 手寿命が飛躍的に延びたわけですね。 私たちの工場でも「見える化」が重要 ことができた秘訣は何だったのですか。 山本 投手としての体を維持し、進化 させるという面ではスポーツトレー ナーの小山裕史先生と出会えたこと が非常に大きかったと思います。2年 連続で最多勝を獲得したあと、1995 年に膝を痛め、2勝5敗と成績も振る わなかったのでオフに手術を受けまし た。翌年、リハビリをしていたら、小山 先 生が 開 発したマシンが球 団のト レーニングルームにあったので、試し たところ感触がよく、シーズン終了後 に直接お目にかかることにしました。 荒谷 どんな方だったのですか。 山本 最初は、正直、ちんぷんかんぷ ん。この人 何を言っているんだろう (笑)、と思ったくらいです。柔軟性と強 さ、しなやかな動き、スピード、加速度 などの向上に効果がある、と言われて いますが、当時は見えない部分が見え てきたような感じがしました。珍しいト レーニングだなと思いながら先生の指 導通りにやってみると、「あれ、いい じゃないか、こんな感覚初めてだ!」と 勢いの力で 勝利を重ねた20代から、 理論の力で勝ち続ける投手へ
大きな力になりましたね。 山本 新しい球種を覚えるために、ア イクさんが大リーグの有名な投手を 何人も紹介してくれたのですが、一つ もモノにならなかったんです。そんな時、 チームメートの陽気な内野手が遊び で投げていた変化球を見て、その場で 教えてもらい試してみると手応えがあ りました。次の試合で投げたら屈強な 見るからに威圧感のある相手打者が 何と空振りしたんです。教えてくれたの は大投手ではなく4軍の内野手。そう 考えるとこれも運命的な出会いでした。 荒谷 何かを学ぼうと、必死になって いたから引き寄せた運だったのでしょ うね。 山本 はい。また、留学中の半年間で 150回投げさせてもらいました。日本 では4年間で50回も投げていなかっ たので、大切な実戦経験を積むことが できました。さらにナイトゲームを数多 く経験したことも財産でした。日本では 練習や二軍の試合は日中に行われる ことが多いので、たまのナイトゲームで 山本 入 団してからの4年 間は毎 シーズン終了後に、今年こそクビと言 われるかも、とハラハラしていました。 鳴かず飛ばずだった1988年春、米国 フロリダ州のベロビーチで行われた春 季キャンプに参加し、そのままロサン ゼルス・ドジャース球団傘下の4軍の チームに、留学という形で残されまし た。右も左もわからない中、最初は敗 戦処理投手として投げていました。 荒谷 帰国後の活躍を考えると、この 時期に驚くような進化、成長を遂げた と思いますが、その秘密は何だったの でしょうか。 山本 当時は進化したという実感は ありませんでした。ただ、ドジャースの オーナー補佐兼国際担当だったアイ ク生原さんに、投手としての基礎を徹 底的にたたき込んでいただいたことは 忘れられません。アイクさんは私の野 球人生を決定づけてくれました。また、 技術的には左投手独特のスクリュー ボールという球種をマスターできたこ とがあります。 荒谷 スクリューボールは当時の日 本では投げる人はいなかったので、初 めて見た時は驚きでした。まったく新 しい武器をいち早く身に付けたことは はカクテル光線の中の捕手がすごく小 さく見えて、ストライクが入る気がしな かったものでした。 荒谷 海外での厳しい経験が昌さん を飛躍させてくれたのですね。当社で もグローバル化を推進するために、で きるだけ若いうちに海外の仕事の仕 方や文化を学ばせるようにしています。 昌さんのように、海外で暮らしながら 戦い続けるという経験はかけがえのな いものだと思います。 山本 そうですね。何かにトライして 成功したら、次にもっと難しいことに挑 戦する。それができたら以前には難し かったことが、できて当然のことになり ます。この姿勢を身に付けたことが成 長だったのかなと思います。 荒谷 成長のきっかけはフロリダ留学 でしたが、その後ずっと野球を続ける ですが、それまでのコーチング技術の 中では見えていなかったことを言葉に し、わからせる力が小山先生にあった のでしょうね。理論を現実的なモノに 結びつけるためには、スポーツではト レーニング、メーカーでは設計力が必 要で、試行錯誤しながら何かをつくっ ていくという面では通じるところがある と思います。昌さんは、それまでの投手 がやってこなかったことをやられたと 言えますね。 山本 自分は皆さんに導いてもらった だけです。自信がないので、言われてい いなと思うことを素直にできるんです。 自信があったら最多勝の翌年に「小山 先生、一緒にフォームつくりましょう」 とは言えません。4軍の内野手に変化 球の投げ方を教えてもらうこともでき なかったと思います。 荒谷 あくまでも自分の実力を正確 に把握されていますね。仕事でも、自 分の実力がわからないと打つ手を間 違えます。自分の実力を知り、足りなけ れば勉強して新しい技術を取り込む。 営業なら、もっとお客さまにいい提案 ができるように工夫する。昌さんも同じ ようにされてきたと思います。それに チャレンジ精神がおありだと思います。 思いました。3日たつと体が絶好調に なり、驚いたことに投げたボールが飛 び抜けてよくなったという経験をしま した。以来、先生と相談しながら、毎年 毎年、投球フォームの改善にも取り組 みました。 荒谷 投球フォームをあえて変えるの は勇気がいることだと思いますが、モ ノづくりという視点で見ると毎年技術 をレベルアップさせていくことと同じな のでしょうね。 山本 そうかもしれません。こうやって 体を使ったらもっと力が出るとか、膝 の角度をこれだけ変えたらもっといい 感じで投げれるとか、それまで知らな かったメカニカルな理論を身に付ける ことができました。その結果、1997年 には最 多 勝を獲 得 。小山先 生に出 会った30歳以降で140勝を積み上げ、 50歳まで投げることができました。 荒谷 体をいかに使い、いかにケアし ていくかを理論的に学んだことで、投 手寿命が飛躍的に延びたわけですね。 私たちの工場でも「見える化」が重要 ことができた秘訣は何だったのですか。 山本 投手としての体を維持し、進化 させるという面ではスポーツトレー ナーの小山裕史先生と出会えたこと が非常に大きかったと思います。2年 連続で最多勝を獲得したあと、1995 年に膝を痛め、2勝5敗と成績も振る わなかったのでオフに手術を受けまし た。翌年、リハビリをしていたら、小山 先 生が 開 発したマシンが 球 団のト レーニングルームにあったので、試し たところ感触がよく、シーズン終了後 に直接お目にかかることにしました。 荒谷 どんな方だったのですか。 山本 最初は、正直、ちんぷんかんぷ ん。この人 何を言っているんだろう (笑)、と思ったくらいです。柔軟性と強 さ、しなやかな動き、スピード、加速度 などの向上に効果がある、と言われて いますが、当時は見えない部分が見え てきたような感じがしました。珍しいト レーニングだなと思いながら先生の指 導通りにやってみると、「あれ、いい じゃないか、こんな感覚初めてだ!」と 勢いの力で 勝利を重ねた20代から、 理論の力で勝ち続ける投手へ
から、こんなことをしたら野球の神さま に助けていただけないなと考えながら 行動をしていました。プロ野球の世界 では力の接近した者同士が真剣勝負 をするわけですから、ほんのちょっとし たことで勝ち負けが決まると思ってい ました。自信がないから、勝ち続けてい ても何で勝てるんだろう、いつ勝てな くなってもおかしくないな、と思ってい たほどです。 荒谷 日本を代表する投手でありな がら、ここまで謙虚でいらっしゃるのか と驚きです。最近のビジネス環境では グローバルな競争がますます激しくな り、スピード感をもって大胆に会社を リードしないと世界の動きについてい けませんが、トップとして昌さんのよう な実力を理解して手を打っていく謙虚 さは必要です。 山本 謙虚というより、正直、自信が なかっただけです。よくぞ32年もプロ の世界にいたなと思っているんです。 ただ野球が好きでしたし、こんなに すばらしい世界にいて一年でも長く やらなければ損じゃないか、と思って いました。 荒谷 野球が好きだったことが最大 のモチベーションだったわけですか。 山本 野球が大好きだというだけで は、長く続けることはできなかったと思 います。「昌さんから元気をもらってい ます」「励みにしています」と言ってい ただけるファンや同世代の方たちのた めに、少しでも長く続けようと思えたこ とも大きな力でした。自分だけではす ぐ挫折しそうになるのですが、周りに そうさせてもらえなかったのはありが たいことです。チームと名古屋のみな さんにかわいがってもらえ、本当によ かったと思っています。 荒谷 周囲の期待に応えながらチャ レンジすることで生きがいを感じてい ければ、うまくいくのでしょうね。 山本 ええ。野球でも会社の中でも、 必要とされる存在でありたいと思えば、 何をすべきかがおのずと見えてくると 思います。一生懸命やっている人がど んどん引き立てられる組織は強いので ビジネスでも見ならう点が多いと感じ ました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 ところで打者を抑え込むコツっ てあるんですか。 山本 野球は確率論だからコツでは ないと思います。ヒットを打つ確率、 ホームランになる確率、凡打する確率、 三振の確率、あらゆる確率は局面局 面で変化するので、自分に有利になる ようサイン通り1球1球投げるだけです。 荒谷 私たちの仕事も確率に左右さ れます。まずお客さまからの引き合い がないとご発注につながりませんが、 野球の打者のように3割ご発注いた だければ一流だと言っています。2割 ならもっと引き合いを増やす取り組み が必要で、それはやはり足を使って動 くことです。引き合いが少ないのであ れば、受注率を上げるためにお客さま にいい提案をしていかなければなりま せん。 山本 そうですね。野球でもまず自分 の足で走ることが大切です。無駄のな い効率的なトレーニングも重要です が、まずは走るべきだと思います。 荒谷 地味ですが足腰を鍛えること は大切ですね。 荒谷 ふだんの生活の中で、野球を 続けるために心がけてきたことはあり ましたか。 山本 人として選手として、ちゃんとし たことをしようといつも思っていました。 ふだんの行動もグラウンドでの行動も、 しっかりしておけば周りの皆さんが味 方になってくれることがあります。自分 は大した素質もなかったし、臆病です
山本 昌
M a s a Y a m a m o t oProfile
通算成績 581試合 219勝165敗5セーブ 防御率3.45 188cm/87kg 左投げ左打ち 1965年8月11日生まれ。神奈川県茅ヶ 崎市出身。「球界のレジェンド」の異名を持 ち数々の大記録を達成してきた名投手。 現役32年間を中日ドラゴンズ一筋で活躍 してきたフランチャイズプレイヤー。1984 年に日本大学藤沢高校からドラフト5位 で入団。入団4年目のアメリカ留学を機に 才能が開花し、シーズン途中に帰国すると すぐさま1軍に定着し、無傷の5連勝で リーグ優勝に貢献する。その後はチーム のエースに成長。3度の最多勝に輝き、 1994年には沢村賞を受賞。2006年には 史上最年長41歳でのノーヒットノーラン も達成し、以降も数々の歴代最年長記録 を樹立してきた。2008年には通算200勝 を歴代最年長の42歳で達成。2015年に 史上初の50歳での登板を最後に現役を 引退。50歳での現役、プロ生活32年、実 働29年はいずれも歴代最長で、プロ通算 219勝のうち半分以上の140勝を30歳 以降に記録。また40歳以降でも46勝をあ げ、記録にも記憶にも残る投手として知ら れる。引退後は野球解説者、スポーツコメ ンテーター、企業や学生向け講演の講師、 ラジコン、クワガタのブリーダー、競馬やス イーツなど多彩な分野で活躍中。 山本 昌 オフィシャルウェブサイト http://yamamotomasa34.comPRESENT
山本昌さんの 直筆サイン入り ボールを プレゼント! 本誌同梱のアンケート用紙をご返送いただいた 方の中から抽選で10名様にプレゼントいたします。 はないでしょうか。 荒谷 同感です。私は、全社員に、3つ のキーワードを使って自分も周りも成 長できる働き方を訴えています。 Aggressive : 積極的にやりましょう。 (受け身にならないように) Creative : 創造的に自分で考えてや りましょう。(指示待ちにならないように) Initiative : 率先してやりましょう。 (誰かがやってくれると思わないように) というような意味です。 山本 わかりやすいし、すごくいい言 葉だと思います。 荒谷 ありがとうございます。成功す るためには準備が必要ですし、行動力 を発揮しなければだめです。知恵を 絞ってお客さまにいい提案をするなど、 できることをすべてやってこそ成果が 上がり、さらに上のステップをめざすこ とができると考えています。だから、み んなが自らのモチベーションを高め、 楽しく生きがいをもって働ける環境づ くりにも心を配っています。 山本 大切なことは、野球でも仕事で も同じですね。 荒谷 さて、2018年はどんな年にさ れていきますか。 山本 いつかはもう一度ユニフォーム を着て日本一をめざしたいと思ってい ます。野球解説者としては3年目にな るので、将来につながるよう幅広く勉 強をしていきます。また、日本の国民的 スポーツである野球がもっと盛り上が るように、小学生や中・高生たちに少 しでもアドバイスできれば、と願って います。 荒谷 当社は今年が中期経営計画 の最終年度に当たるので、事業基盤 をさらに強化し計画通り目標を達成 するとともに、次の成長につなげてい きたいと考えています。昌さんは、自ら の力をよく理解した上で怠りなく準備 をし、新しいことにもチャレンジして結 果を出されてきたことがわかり大変感 銘を受けました。 山本 ありがとうございます。これから も野球界に、ぜひ貢献していきたいと 思います。 荒谷 ぜひご活躍ください。いつかは ドラゴンズのユニフォーム姿を拝見し たいですね。 山本 頑張ります。今日はとても楽し かったです。 荒谷 こちらこそ。本日は本当にあり がとうございました。 何気ない ふだんの心がけや行動が 勝利につながるから、こんなことをしたら野球の神さま に助けていただけないなと考えながら 行動をしていました。プロ野球の世界 では力の接近した者同士が真剣勝負 をするわけですから、ほんのちょっとし たことで勝ち負けが決まると思ってい ました。自信がないから、勝ち続けてい ても何で勝てるんだろう、いつ勝てな くなってもおかしくないな、と思ってい たほどです。 荒谷 日本を代表する投手でありな がら、ここまで謙虚でいらっしゃるのか と驚きです。最近のビジネス環境では グローバルな競争がますます激しくな り、スピード感をもって大胆に会社を リードしないと世界の動きについてい けませんが、トップとして昌さんのよう な実力を理解して手を打っていく謙虚 さは必要です。 山本 謙虚というより、正直、自信が なかっただけです。よくぞ32年もプロ の世界にいたなと思っているんです。 ただ野球が好きでしたし、こんなに すばらしい世界にいて一年でも長く やらなければ損じゃないか、と思って いました。 荒谷 野球が好きだったことが最大 のモチベーションだったわけですか。 山本 野球が大好きだというだけで は、長く続けることはできなかったと思 います。「昌さんから元気をもらってい ます」「励みにしています」と言ってい ただけるファンや同世代の方たちのた めに、少しでも長く続けようと思えたこ とも大きな力でした。自分だけではす ぐ挫折しそうになるのですが、周りに そうさせてもらえなかったのはありが たいことです。チームと名古屋のみな さんにかわいがってもらえ、本当によ かったと思っています。 荒谷 周囲の期待に応えながらチャ レンジすることで生きがいを感じてい ければ、うまくいくのでしょうね。 山本 ええ。野球でも会社の中でも、 必要とされる存在でありたいと思えば、 何をすべきかがおのずと見えてくると 思います。一生懸命やっている人がど んどん引き立てられる組織は強いので ビジネスでも見ならう点が多いと感じ ました。 山本 ありがとうございます。 荒谷 ところで打者を抑え込むコツっ てあるんですか。 山本 野球は確率論だからコツでは ないと思います。ヒットを打つ確率、 ホームランになる確率、凡打する確率、 三振の確率、あらゆる確率は局面局 面で変化するので、自分に有利になる ようサイン通り1球1球投げるだけです。 荒谷 私たちの仕事も確率に左右さ れます。まずお客さまからの引き合い がないとご発注につながりませんが、 野球の打者のように3割ご発注いた だければ一流だと言っています。2割 ならもっと引き合いを増やす取り組み が必要で、それはやはり足を使って動 くことです。引き合いが少ないのであ れば、受注率を上げるためにお客さま にいい提案をしていかなければなりま せん。 山本 そうですね。野球でもまず自分 の足で走ることが大切です。無駄のな い効率的なトレーニングも重要です が、まずは走るべきだと思います。 荒谷 地味ですが足腰を鍛えること は大切ですね。 荒谷 ふだんの生活の中で、野球を 続けるために心がけてきたことはあり ましたか。 山本 人として選手として、ちゃんとし たことをしようといつも思っていました。 ふだんの行動もグラウンドでの行動も、 しっかりしておけば周りの皆さんが味 方になってくれることがあります。自分 は大した素質もなかったし、臆病です
山本 昌
M a s a Y a m a m o t oProfile
通算成績 581試合 219勝165敗5セーブ 防御率3.45 188cm/87kg 左投げ左打ち 1965年8月11日生まれ。神奈川県茅ヶ 崎市出身。「球界のレジェンド」の異名を持 ち数々の大記録を達成してきた名投手。 現役32年間を中日ドラゴンズ一筋で活躍 してきたフランチャイズプレイヤー。1984 年に日本大学藤沢高校からドラフト5位 で入団。入団4年目のアメリカ留学を機に 才能が開花し、シーズン途中に帰国すると すぐさま1軍に定着し、無傷の5連勝で リーグ優勝に貢献する。その後はチーム のエースに成長。3度の最多勝に輝き、 1994年には沢村賞を受賞。2006年には 史上最年長41歳でのノーヒットノーラン も達成し、以降も数々の歴代最年長記録 を樹立してきた。2008年には通算200勝 を歴代最年長の42歳で達成。2015年に 史上初の50歳での登板を最後に現役を 引退。50歳での現役、プロ生活32年、実 働29年はいずれも歴代最長で、プロ通算 219勝のうち半分以上の140勝を30歳 以降に記録。また40歳以降でも46勝をあ げ、記録にも記憶にも残る投手として知ら れる。引退後は野球解説者、スポーツコメ ンテーター、企業や学生向け講演の講師、 ラジコン、クワガタのブリーダー、競馬やス イーツなど多彩な分野で活躍中。 山本 昌 オフィシャルウェブサイト http://yamamotomasa34.comPRESENT
山本昌さんの 直筆サイン入り ボールを プレゼント! 本誌同梱のアンケート用紙をご返送いただいた 方の中から抽選で10名様にプレゼントいたします。 はないでしょうか。 荒谷 同感です。私は、全社員に、3つ のキーワードを使って自分も周りも成 長できる働き方を訴えています。 Aggressive : 積極的にやりましょう。 (受け身にならないように) Creative : 創造的に自分で考えてや りましょう。(指示待ちにならないように) Initiative : 率先してやりましょう。 (誰かがやってくれると思わないように) というような意味です。 山本 わかりやすいし、すごくいい言 葉だと思います。 荒谷 ありがとうございます。成功す るためには準備が必要ですし、行動力 を発揮しなければだめです。知恵を 絞ってお客さまにいい提案をするなど、 できることをすべてやってこそ成果が 上がり、さらに上のステップをめざすこ とができると考えています。だから、み んなが自らのモチベーションを高め、 楽しく生きがいをもって働ける環境づ くりにも心を配っています。 山本 大切なことは、野球でも仕事で も同じですね。 荒谷 さて、2018年はどんな年にさ れていきますか。 山本 いつかはもう一度ユニフォーム を着て日本一をめざしたいと思ってい ます。野球解説者としては3年目にな るので、将来につながるよう幅広く勉 強をしていきます。また、日本の国民的 スポーツである野球がもっと盛り上が るように、小学生や中・高生たちに少 しでもアドバイスできれば、と願って います。 荒谷 当社は今年が中期経営計画 の最終年度に当たるので、事業基盤 をさらに強化し計画通り目標を達成 するとともに、次の成長につなげてい きたいと考えています。昌さんは、自ら の力をよく理解した上で怠りなく準備 をし、新しいことにもチャレンジして結 果を出されてきたことがわかり大変感 銘を受けました。 山本 ありがとうございます。これから も野球界に、ぜひ貢献していきたいと 思います。 荒谷 ぜひご活躍ください。いつかは ドラゴンズのユニフォーム姿を拝見し たいですね。 山本 頑張ります。今日はとても楽し かったです。 荒谷 こちらこそ。本日は本当にあり がとうございました。 何気ない ふだんの心がけや行動が 勝利につながる躍 進 す る 企 業 を 訪 ね て
vol.138
ル ー ツブ ロワ・ル ー ツ 式 真 空 ポンプ 専 門 メー カ ー
新機種のドライルーツ式真空ポンプ「FTP型シリーズ」の制御盤に設置された日立製インバータ パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプ「FTP型シリーズ」 躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット ことが欠点でした。後発メーカーとして特色を出そうと、あえて 製造がむずかしい3葉式ロータにし、騒音と振動を低減しま した」と、代表取締役会長の横井隆志様は当時を振り返りま す。この挑戦が効を奏し、同社はまたたく間にルーツブロワの 分野でその名を知られる存在へと成長することができました。 現在、同社のルーツブロワは累計生産台数120万台を 誇り、シェア60%と業界トップ。この製品を採用した自動車 関連企業では、エアブロー工程において70%の省エネを 実現したという例もあります。 この3葉式ルーツの技術を応用し、さらに多段ルーツ式 真空ポンプの生産を1985(昭和60)年にスタート。「排気系 に油・水を使わないドライ真空ポンプを」というお客さまの 声を受けたドライルーツ式真空ポンプは、多段式にすること で真空度を上げることに成功し、さまざまな産業分野で使 われています。 「これまでの環境分野での技術貢献により、平成20年度 に愛知ブランド企業に認定され、平成24年度にはグッドカ ンパニー大賞優秀企業賞を受賞しました」と、横井会長は 胸を張ります。ルーツ式にこだわって地球を守り、
部品メーカーから完成品メーカーへと進化
株式会社アンレットは、「先端テクノロジーの発展を支え、 地球環境を守る」をスローガンに掲げ、一貫してルーツ式に こだわって水用ポンプ、ブロワ、真空ポンプ、粉じん回収機 などを開発・製造し、発展を遂げてきました。 同社は、1944(昭和19)年に機械加工事業を立ち上げ 創業。戦後は、水用ポンプの開発・製造に着手しました。 1953(昭和28)年には油用ロータリーポンプを開発し、その 後、大手自動車部品メーカーのエンジンとマッチングさせた ルーツ式ポンプを相手先ブランドで販売。ルーツ式とは、 断面が“まゆ型”をした2軸の回転翼をそれぞれ逆方向に 回転させて、空気や液体を送るシステム。1963(昭和38)年 には同製品を自社ブランドで販売するまでになりました。 飛躍のきっかけは、液体用ポンプから空気を送るルーツ ブロワへと開発・生産の軸を移したこと。このルーツブロワの 成功の背景には、技術陣の頑張りがありました。「当時の他社 ルーツブロワは2葉式ロータでしたが騒音と振動が大きい株式会社アンレット
モノづくり現場では、エアブロー用低圧ブロワ・空気輸送用ブロワや、 真空乾燥、真空成形、吸着搬送などに使われる 真空ポンプが幅広く活躍しています。 守り神を意味する「アムレット(an amulet)」という言葉から生まれた 「アンレット(ANLET)」の名を冠した株式会社アンレットは、 ルーツブロワとルーツ式真空ポンプの分野において、 独自の技術力と多種多彩なラインアップで圧倒的な存在感を放つ専門メーカーです。 今回は、開発と製造での強みを活かして成長を遂げてきた同社の取り組みと、 製品の静粛性や省エネ性、制御性などに貢献している 日立産機システムの製品をご紹介します。社名の由来は“守り神”、スローガンは“地球環境を守る”。
ルーツ式にこだわるブロワと真空ポンプの専門メーカー。
ルーツ式エアブローパッケージ 株式会社アンレット 代表取締役社長 横井啓人 創 業 1944(昭和19)年 所 在 地 愛知県海部郡蟹江町 宝1丁目25番地 従 業 員 数 240名 主要営業品目 ルーツブロワ、 ルーツポンプ、 ルーツ式真空ポンプ、 粉じん回収機などの 製造販売 http://www.anlet.co.jp躍 進 す る 企 業 を 訪 ね て
vol.138
ル ー ツブ ロワ・ル ー ツ 式 真 空 ポンプ 専 門 メー カ ー
新機種のドライルーツ式真空ポンプ「FTP型シリーズ」の制御盤に設置された日立製インバータ パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプ「FTP型シリーズ」 躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット ことが欠点でした。後発メーカーとして特色を出そうと、あえて 製造がむずかしい3葉式ロータにし、騒音と振動を低減しま した」と、代表取締役会長の横井隆志様は当時を振り返りま す。この挑戦が効を奏し、同社はまたたく間にルーツブロワの 分野でその名を知られる存在へと成長することができました。 現在、同社のルーツブロワは累計生産台数120万台を 誇り、シェア60%と業界トップ。この製品を採用した自動車 関連企業では、エアブロー工程において70%の省エネを 実現したという例もあります。 この3葉式ルーツの技術を応用し、さらに多段ルーツ式 真空ポンプの生産を1985(昭和60)年にスタート。「排気系 に油・水を使わないドライ真空ポンプを」というお客さまの 声を受けたドライルーツ式真空ポンプは、多段式にすること で真空度を上げることに成功し、さまざまな産業分野で使 われています。 「これまでの環境分野での技術貢献により、平成20年度 に愛知ブランド企業に認定され、平成24年度にはグッドカ ンパニー大賞優秀企業賞を受賞しました」と、横井会長は 胸を張ります。ルーツ式にこだわって地球を守り、
部品メーカーから完成品メーカーへと進化
株式会社アンレットは、「先端テクノロジーの発展を支え、 地球環境を守る」をスローガンに掲げ、一貫してルーツ式に こだわって水用ポンプ、ブロワ、真空ポンプ、粉じん回収機 などを開発・製造し、発展を遂げてきました。 同社は、1944(昭和19)年に機械加工事業を立ち上げ 創業。戦後は、水用ポンプの開発・製造に着手しました。 1953(昭和28)年には油用ロータリーポンプを開発し、その 後、大手自動車部品メーカーのエンジンとマッチングさせた ルーツ式ポンプを相手先ブランドで販売。ルーツ式とは、 断面が“まゆ型”をした2軸の回転翼をそれぞれ逆方向に 回転させて、空気や液体を送るシステム。1963(昭和38)年 には同製品を自社ブランドで販売するまでになりました。 飛躍のきっかけは、液体用ポンプから空気を送るルーツ ブロワへと開発・生産の軸を移したこと。このルーツブロワの 成功の背景には、技術陣の頑張りがありました。「当時の他社 ルーツブロワは2葉式ロータでしたが騒音と振動が大きい株式会社アンレット
モノづくり現場では、エアブロー用低圧ブロワ・空気輸送用ブロワや、 真空乾燥、真空成形、吸着搬送などに使われる 真空ポンプが幅広く活躍しています。 守り神を意味する「アムレット(an amulet)」という言葉から生まれた 「アンレット(ANLET)」の名を冠した株式会社アンレットは、 ルーツブロワとルーツ式真空ポンプの分野において、 独自の技術力と多種多彩なラインアップで圧倒的な存在感を放つ専門メーカーです。 今回は、開発と製造での強みを活かして成長を遂げてきた同社の取り組みと、 製品の静粛性や省エネ性、制御性などに貢献している 日立産機システムの製品をご紹介します。社名の由来は“守り神”、スローガンは“地球環境を守る”。
ルーツ式にこだわるブロワと真空ポンプの専門メーカー。
ルーツ式エアブローパッケージ 株式会社アンレット 代表取締役社長 横井啓人 創 業 1944(昭和19)年 所 在 地 愛知県海部郡蟹江町 宝1丁目25番地 従 業 員 数 240名 主要営業品目 ルーツブロワ、 ルーツポンプ、 ルーツ式真空ポンプ、 粉じん回収機などの 製造販売 http://www.anlet.co.jp躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット
開発にともに取り組んだ実績をベースに、
IoT化に対応した次世代の製品開発に挑戦
「パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプの開発では、 最初はライバルメーカーとの差別化やコスト面で苦労が あり、まさに手探り状態でした。そこで東朋テクノロジーさん と日立産機システムさんにお声をかけました。モータやイン バータなどを通じて長いお付き合いがあり、それぞれの実績 や技術力、ブランド力、全国規模のサービスネットワークにも 魅力を感じました」と、横井会長。 竹田様は、「トライ&エラーを繰り返す中、日立産機システム さんの制御盤の試作品が非常に使いやすく、希望が見えま したね。社内テストを通してさまざまなトラブルが発生しまし たが、その都度、解決に協力していただきました。お客さま に納入後もトラブルがあった時には、3社の担当者が一緒 に現場へ伺い、その場で解決したこともありました。別の お客さまからは、納入後に制御内容を変更したいとのご要 望があり、これも短期間に対応できました」と語ります。 同社の工場設備にも多くの日立製品をご採用いただい てきたので、以前からレスポンスの良さ、誠実な対応に満足 いただいていたとのこと。横井会長からは、「今回のプロジェク トの成功でより信頼性が増し、次の製品開発にも協力いた だいています」、とのお言葉をいただきました。 新製品とは、パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプの 制御システムをネットワークにつなぎ、高性能化を図るた めに日立産機システム製のIoT対応産業用コントローラ HXシリーズを搭載した真空ポンプのこと。加速する産業界 のIoT化に対応するために開発を急ぎ、すでにプロジェクト は山場を越えています。 「IoTに対応できる真空ポンプ市場は、これからさらに拡大 するのでコスト競争力が重要です。東朋テクノロジーさんと 日立産機システムさんには、機能面はもちろんのことコスト の面でもどんどん提案をいただきたいですね」、と竹田様。 「当社は専門化したメーカーなので、大手にはない強みを 活かし、愛知ブランド認定企業に恥じない製品をつくっていき たいと思います。売り上げ100億円を達成し、これから100年 続くような企業にすることをめざしていきます。そのためには、 お客さまのご要望に応える製品を一緒につくっていただき たいですね」と、横井会長は期待の言葉を述べられました。 日立産機システムは、東朋テクノロジー様とともに、これ からも新製品の開発や生産力向上に向けて、さらに貢献し てまいりたいと思います。静粛性、省エネ性に優れ、制御性が高く
メンテナンスも容易な真空ポンプ
同社では、お客さまのさらなるニーズに応えるためにさま ざまな課題に挑んでいます。 「まずは短納期対応です。最近は、お客さまによって求め られる仕様が異なるケースが増えている上に、JIS規格や お客さまが関連する業界独自の規格が年々厳しくなってい ます。安全基準、保安基準、環境基準などにそれぞれ対応 した設計をするためには、どうしてもリードタイムが長くなり ます。それを短納期化するために作業の改革を進め、平準化 を図り、メンテナンスフリーや低騒音、長寿命・省エネ、もち ろんコストダウンの要求にもしっかり応えていきたいと考え ています」と、横井会長は取り組みを語ります。 そんな同社の業界での存在感を高めたドライ真空ポンプ は、クリーンな空気や環境を維持でき、省エネ性も高く、さま ざまな業界のモノづくり現場での需要が高まっています。 「真空ポンプは1段では真空度が上がらないので、多段 式にし、ケーシングも2つ割にしています。多段にすればする ほど高い真空度を実現できるのですが、そのためには高い 加工精度が求められます。これまでに蓄積したノウハウを 駆使して製造面での技術的課題を乗り越えてきました」と、 独自の強みを紹介される横井会長。今、最も期待を寄せて いる新製品がパッケージ型ドライルーツ式真空ポンプです。 2014年から開発に着手し、真空ポンプ内のモータを制御 する日立産機システム製のインバータと、工場の稼働状況に 合わせて真空ポンプの台数を自動制御するプログラマブル コントローラ(PLC)を搭載した製品です。モノづくり現場 において、多くの真空ポンプが同時に稼働する状況下で 集中管理や稼働状況を把握し、予防保全やコスト管理に 活用したいというお客さまの切実なニーズに応えたもの。 「この真空ポンプは、低騒音、省エネ・省コスト、優れた操 作性やメンテナンスコストの低減に大きく貢献できるので、 納入したお客さまから高い評価をいただいています」と、 執行役員 技術部副部長の竹田昌史様も手ごたえを実感 されています。 この製品の開発初期段階から、特約店の東朋テクノロ ジー様と日立産機システムは、お声をかけていただきました。 パッケージ型真空ポンプ 開発担当者 技術部 課長 林晋司 (左) 執行役員 技術部 副部長 竹田昌史 (中) 技術部 課長 横井亮知 (右) ルーツ式真空ポンプのIoT化を実現する日立製IoT対応産業用コントローラ「HXシリーズ」 ルーツ式真空ポンプに継続的に 採用いただいている日立製制御盤 代表的製品のルーツブロワ 多段ルーツ式真空ポンプ ルーツブロワに搭載された日立製モータ 日立製のホイスト(左)とモートルブロック(右) 代表取締役 会長 横井隆志 様躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット
開発にともに取り組んだ実績をベースに、
IoT化に対応した次世代の製品開発に挑戦
「パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプの開発では、 最初はライバルメーカーとの差別化やコスト面で苦労が あり、まさに手探り状態でした。そこで東朋テクノロジーさん と日立産機システムさんにお声をかけました。モータやイン バータなどを通じて長いお付き合いがあり、それぞれの実績 や技術力、ブランド力、全国規模のサービスネットワークにも 魅力を感じました」と、横井会長。 竹田様は、「トライ&エラーを繰り返す中、日立産機システム さんの制御盤の試作品が非常に使いやすく、希望が見えま したね。社内テストを通してさまざまなトラブルが発生しまし たが、その都度、解決に協力していただきました。お客さま に納入後もトラブルがあった時には、3社の担当者が一緒 に現場へ伺い、その場で解決したこともありました。別の お客さまからは、納入後に制御内容を変更したいとのご要 望があり、これも短期間に対応できました」と語ります。 同社の工場設備にも多くの日立製品をご採用いただい てきたので、以前からレスポンスの良さ、誠実な対応に満足 いただいていたとのこと。横井会長からは、「今回のプロジェク トの成功でより信頼性が増し、次の製品開発にも協力いた だいています」、とのお言葉をいただきました。 新製品とは、パッケージ型ドライルーツ式真空ポンプの 制御システムをネットワークにつなぎ、高性能化を図るた めに日立産機システム製のIoT対応産業用コントローラ HXシリーズを搭載した真空ポンプのこと。加速する産業界 のIoT化に対応するために開発を急ぎ、すでにプロジェクト は山場を越えています。 「IoTに対応できる真空ポンプ市場は、これからさらに拡大 するのでコスト競争力が重要です。東朋テクノロジーさんと 日立産機システムさんには、機能面はもちろんのことコスト の面でもどんどん提案をいただきたいですね」、と竹田様。 「当社は専門化したメーカーなので、大手にはない強みを 活かし、愛知ブランド認定企業に恥じない製品をつくっていき たいと思います。売り上げ100億円を達成し、これから100年 続くような企業にすることをめざしていきます。そのためには、 お客さまのご要望に応える製品を一緒につくっていただき たいですね」と、横井会長は期待の言葉を述べられました。 日立産機システムは、東朋テクノロジー様とともに、これ からも新製品の開発や生産力向上に向けて、さらに貢献し てまいりたいと思います。静粛性、省エネ性に優れ、制御性が高く
メンテナンスも容易な真空ポンプ
同社では、お客さまのさらなるニーズに応えるためにさま ざまな課題に挑んでいます。 「まずは短納期対応です。最近は、お客さまによって求め られる仕様が異なるケースが増えている上に、JIS規格や お客さまが関連する業界独自の規格が年々厳しくなってい ます。安全基準、保安基準、環境基準などにそれぞれ対応 した設計をするためには、どうしてもリードタイムが長くなり ます。それを短納期化するために作業の改革を進め、平準化 を図り、メンテナンスフリーや低騒音、長寿命・省エネ、もち ろんコストダウンの要求にもしっかり応えていきたいと考え ています」と、横井会長は取り組みを語ります。 そんな同社の業界での存在感を高めたドライ真空ポンプ は、クリーンな空気や環境を維持でき、省エネ性も高く、さま ざまな業界のモノづくり現場での需要が高まっています。 「真空ポンプは1段では真空度が上がらないので、多段 式にし、ケーシングも2つ割にしています。多段にすればする ほど高い真空度を実現できるのですが、そのためには高い 加工精度が求められます。これまでに蓄積したノウハウを 駆使して製造面での技術的課題を乗り越えてきました」と、 独自の強みを紹介される横井会長。今、最も期待を寄せて いる新製品がパッケージ型ドライルーツ式真空ポンプです。 2014年から開発に着手し、真空ポンプ内のモータを制御 する日立産機システム製のインバータと、工場の稼働状況に 合わせて真空ポンプの台数を自動制御するプログラマブル コントローラ(PLC)を搭載した製品です。モノづくり現場 において、多くの真空ポンプが同時に稼働する状況下で 集中管理や稼働状況を把握し、予防保全やコスト管理に 活用したいというお客さまの切実なニーズに応えたもの。 「この真空ポンプは、低騒音、省エネ・省コスト、優れた操 作性やメンテナンスコストの低減に大きく貢献できるので、 納入したお客さまから高い評価をいただいています」と、 執行役員 技術部副部長の竹田昌史様も手ごたえを実感 されています。 この製品の開発初期段階から、特約店の東朋テクノロ ジー様と日立産機システムは、お声をかけていただきました。 パッケージ型真空ポンプ 開発担当者 技術部 課長 林晋司 (左) 執行役員 技術部 副部長 竹田昌史 (中) 技術部 課長 横井亮知 (右) ルーツ式真空ポンプのIoT化を実現する日立製IoT対応産業用コントローラ「HXシリーズ」 ルーツ式真空ポンプに継続的に 採用いただいている日立製制御盤 代表的製品のルーツブロワ 多段ルーツ式真空ポンプ ルーツブロワに搭載された日立製モータ 日立製のホイスト(左)とモートルブロック(右) 代表取締役 会長 横井隆志 様躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット
お 客さまの ベストパ ートナ ー をめざして
日立産機システム 製品関係者
企 業 周 辺 の 文 化 を 訪 ねる
し ぃ な り ぃ
愛 知 県
蟹 江 町
川とともに歴史を刻み、
発展を続けてきた水郷のまち。
町内を流れる佐屋川沿いの桜並木の散歩道 には、町民の俳句や短歌などの板碑が建ち 並んでいます。散歩しながら文学に親しめる、 まさに自然の文学館です。 汽水魚ボラの幼魚、イナでつくられた蟹江の 名物料理。一見、普通の魚の丸焼きですが、 中にはギンナンやしいたけを練り込んだ豆 味噌がぎっしりと詰まっています。 ❺ 文学散歩道 ❷ 龍照院 ❹ いな饅頭 愛知県の西南部に位置する蟹江町。中世 にさかのぼれば一面海に囲まれた土地 で、海辺には柳が茂り、蟹が多く生息して いたことから「蟹江」と呼ばれるように なったと伝えられています。戦国時代に は伊勢湾の海上交通路の要塞地として、 江戸時代には漁業基地としても栄え、賑 わいを見せました。蟹江川、日光川、善太川、 福田川、佐屋川など多くの川が流れ、今も 水郷の町らしさを感じさせます。 平安時代末期、1182(寿永元)年に仏師僧教円 によって造立されたという龍照院の御本尊 十一面観世音菩薩像は国の重要文化財です。 毎月一回ご開帳されます。 健康と保養の温泉として、愛知県下で唯一 日本名湯百選に選ばれた尾張温泉。加水、加温、 循環を一切行わない、源泉100%かけ流しの 良質な“いで湯”です。 ❸ 尾張温泉 冨吉建速神社・八剱社の祭礼は、8月第1 土曜日の「車楽船行事」と、「神葭流し」の一 連の行事で構成。2012年に国の重要無形 民俗文化財に、2016年にはユネスコ無形 文化遺産に登録されました。 ❶ 須成祭 日立インバータ WJ200シリーズ 主な特長 トリップ抑制機能の充実 低速域からの高トルクを実現 誘導モータ/PMモータ※が駆動可能 ※Ver2.0以降対応1
2
3
過電流抑制機能4
お問合せ : 日立産機システム ドライブシステム事業部03-4345-6072
http://www.hitachi-ies.co.jp/products/inv/wj200/index.htm
小型インバータにおける、 優れた制御性能と、さらなる使いやすさを追求。 独自のセンサレスベクトル制御で0.5Hzで200%の高始動トルク を実現します。カスタマイズ可能なプログラム運転機能を搭載。 周辺回路の簡略化で盤の省スペース化にも貢献します。また、簡易 位置決め機能の搭載により、搬送用途などに最適です。 取材・写真協力 : 蟹江町 政策推進室 ふるさと振興課 アンレット様のドライルーツ式真空 ポンプは、騒音・振動が少ない上に 扱いやすく省エネ性に優れています。 現在は、この高い競争力の真空ポンプ をIoT化するために、当社の産業用 コントローラHX シリーズを搭載した 新型真空ポンプ開発のお手伝いさせ ていただいており、東朋テクノロジー さんや中部支社のシステムエンジニア ともども、お客さまに喜んでいただけ るよう全力で取り組んでまいります。 真空ポンプ業界における IoT化の推進に貢献していきます アンレット様のドライルーツ式真空 ポンプの制御システム開発は、中部 支社の技術力が問われる重要な案件 でした。初めは思うような性能を出す ことができませんでしたが、何度もチャ レンジし、お客さまにご納得いただくこ とができました。現在は新型真空ポン プに搭載するIoT対応制御ソフトの 開発を進めていますが、お客さまにご 満足いただけるよう、支社の力を結集 して取り組んでいきます。 支社のソフト開発力で貢献した 高い省エネ性能 アンレット様は、社会人としての基 礎を一から教えていただいたかけが えのない存在であり、当社にとっても、 主力製品に多くの日立製品をお使い いただいている大切なお客さまです。 近年は、ドライルーツ式真空ポンプの 開発を日立産機システムさんとともに お手伝いさせていただく中、幅広い製 品を採用いただきました。これからも 開発段階から頼りにしていただける 存在としてご期待に応えていきます。 開発段階から頼りにしていただける パートナーをめざします 東朋テクノロジー株式会社 商事部 産機営業2課 統括課長 馬場隆 株式会社 日立産機システム 中部支社 第二営業部 ドライブシステム第一グループ 課長代理 五十嵐悟 株式会社 日立産機システム 中部支社 サービス・エンジニアリング部 エンジニアリンググループ 主任技師 篠原啓治 (中) 株式会社 産機テクノサービス 中部サービス部 システム課 システム係 技師 鈴木俊幸 (左) システム課 制御係 朝熊将史 (右) 愛 知 県 蟹江町 だんじりぶ ね みよし躍 進 する 企 業 を 訪 ねて 株式会社アンレット