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(1)

〈研究ノート〉

法の継受一一日本におけるドイツ憲法

斎 藤 康 輝

目次

1.はじめに

日本におけるドイツ憲法(日本の視点) 西洋体験としての明治憲法成立史

ドイツ法の継受

2. 

(1) 

(2) 

日本におけるドイツ憲法(ドイツの視点) ドイツ人からみた日本へのドイツ法継受

3. 

(1) 

憲法裁判の国際的発展 (2) 

日本の国法理論への関心 (3) 

朝日法学論集第四十号

4.  まとめ

はじめに

独語のRezeption.英語のReceptionの訳語として用いられる「継受J

は.文化.思想などの受け入れ.受容を意味する言葉であり.法的には 外国法の受容を意味する。継受という言葉を用いる場合.単なる模倣と いう消極的イメージを抱くかもしれない。しかしながら,法の進化とい う観点、から,創造と並ぶ意義がそこに認められるのだという主張も あるO 本稿では.

r

法の継受」についてその意味内容を明らかにした上

(2)

i去の継受一一日本におけるドイツ悲法

で. 日本におけるドイツ憲法の継受について若干の考察を行うo

そもそも.法の継受とは,他国の法制度をとり入れることであり.と り入れられた図を「母法図J.とり入れた図を「子法国Jといい,両国 の聞に「法系」の関係が生ずることになる。継受の分類として. (1)立法 的継受と司法的継受.(2)全面的継受と部分的継受ということがいわれ る。そして.継受の具体例としては. ドイツにおけるローマ法の継受が よく知られるところである。近世西欧におけるローマ法の継受は.ルネ サンス・宗教改革と並ぶ歴史的事件とされる。また. 日本では.律令制 における中国法の継受,明治以降の西洋法,とくにフランス法・ドイツ 法の継受第二次大戦後の憲法・刑事訴訟法などを中心とするアメリカ 法の継受などの例がある。

それではまず.法の継受の代名詞ともいえるドイツにおけるローマ法 の継受について概観しようo ローマ法は,その発展の歴史をみると.ハ ドリアーヌス帝以来の勅法を集めた「勅法議纂J(Codex) (529施行.534  新施行),主として古典期法学者の著作から採録した「学説集纂J(Di gesta)  (533施行).ガーイウスの著作を基礎とした教科書用の「法学 提要J(Institutiones)  (533施行)及び勅法議纂後の158の勅法を集成 した「新勅法J(Novellae)として結実し近世になってから「ローマ 法大全J(Corpus Iuris Civilis)と総称されることとなる。「学説議纂」

がイタリアに知られた結果.11世紀末頃 ローマ法の復興"が生じて

「ローマ法大全」は実定法源として受け入れられ.当時の社会的経済的 条件に適合するように学問的に加工されつつ,イタリアのみならず西欧 全体(とくにドイツ)に浸透し.ローマ法の継受が行われたのである。

その結果.多かれ少なかれこの法典に立脚した法が中世以降の各国法制 の骨格をなした。

ところで.日本におけるドイツ法の継受についても確認しておきた い。大日本帝国憲法(明治憲法)は.伊藤博文を中心として井上毅.伊 東巳代治.金子堅太郎らとモッセ.ロェスラーらの外国人顧問によって.

(3)

天皇主権を原則に19世紀ドイツの立憲君主制憲法.特に1850年のプロ イセン慾法を範として極秘のうちに憲法草案が作成され.明治21年枢 密院で可決.翌22年天皇によって制定・公布された。

また.民法もドイツ j去を参考にしている。旧民法は.フランス民法典 を基礎にして起草されたが.ナショナリズム的感情とイギリス法派・フ ランス法派の対立などから反対論が生じとりわけ家族に関する部分が わが図の風俗習慣に合わないとの強い批判があったため.一度も実施さ れることなくこれに代わって作られた現行民法典によって廃止された。

現行民法は.発表されたばかりのドイツ民法第l次草案をはじめ各国の 民法典を参照して作られたのである。

i去の継受は世界のいたるところで見られる現象であり.比較法学の隆 盛にともない.個々の法継受の事例研究は非常に多いといえるoしかし

ここで注意しなければいけないのは.継受の意義を解明するなど.継受 それ自体に関する研究は極めて乏しい点であるo本稿では.そうした法 の継受に関する研究状況を踏まえつつ.考察対象を日本におけるドイツ 憲法の継受に限定し, 日本側の視点, ドイツ側の視点という視座の転換 を試みつつ.法の継受の内実に迫りたいと考えているO

2.  日本におけるドイツ憲法(日本の視点)

(1 )西洋体験としての明治憲法成立史

明治初期.日本では.明治 14年の政変を契機に発せられた「国会開 設の勅諭」によって明治23(1890)年の国会開設が決まり.立憲国家 の枠組みも整えられていった。また自由党・立憲改進党が結成され,政 党勢力も活性化したD 明治17(1884)年には将来の上院の基礎をつく るべく華族令が制定され.理年には内閣制度が発足した。この後伊藤博 文の欧州での調査を経て.政府内部でも憲法草案の作成が進められ.明 22(1889)211日大日本帝国憲法が発布された。

朝日法学論集第四十号

(4)

法の継受一一日本におけるドイツ憲法

ところで.伊藤博文が憲法調査のために欧州に派遣される 11年前の 明治4年,岩倉使節団が欧州に派遣されているo岩倉使節団は. il.:  10 

ヶ月にわたって米欧の大国・小国.先進・後進12ヶ国を巡り.各国の 制度・文物を見聞し帰国した。この使節団派遣の目的は.列国への聴問.

条約改正交渉の道筋をつけること.欧米文明の視察などであったが.明 治政府が岩倉使節団を派遣する目的の重要な柱として,憲法調査の意味 合いもあったと指摘する論者もいる。すなわち.瀧井一博氏は,つぎの ように述べているo

「使節一行の任務とは.日本の今後のあり方について.欧米先進諸国から虚心坦 懐に教えを乞い.そのうえで国家としての制度改革の指針を決定し条約改正のた めの基盤作りをおこなうというものだったといえよう。この意味で.岩i't使節聞と は.紛れもなく f憲法=岡市川調査のための派遣問であった」。

また.当時の日本のエリートは.列国公法=万国公法への全l隔の信頼 があった点を踏まえ.ヨーロッパの文明基準に関し.瀧井氏はこう述べ

「ヨーロッパ中心主義の文明秩序像のもと.国際法にしたがうのはヨーロッパ文 明を継承する国々のみとされ.それ以外の国家が国際法の適用を受け.欧米諸問と 平等な取り扱いを受けるためには.r何事かをなさねばならないj と求められる。

それがヨーロッパの文明基準に則った国づくりを立味することは.いわずとも明ら かであろう。

使節団派遣の意味も.この歴史的文脈のなかで把撮されなければならない。岩倉 使節団の視察旅行はしばしば.rこの国のかたちjを探し求める旅と形容されるが.

その『かたちj とはヨーロッパ文明に承認されうるものでなければならないという 要請が強く働いていたことには注意する必要がある」。

さて,岩倉使節団派遣の後に,伊藤博文が憲法調査に派遣された。こ の派遣は,文字どおり憲法制定のための調査を行うという目的があっ た。「立憲政体調査につき特派理事欧洲派遣の勅書Jによれば.各国の 憲法や皇室.議会(上下院),内閣.司法.地方制度など.31か条にの ぼる具体的な調査項目が示されており.伊藤は明治15(1882)314

(5)

日に横浜を出発.滞欧はl2ヶ月におよび. ドイツ.オーストリア.

イギリス.ベルギーなど各国を巡り.グナイスト(Rudolfvon Gneist).  モッセ (AlbertMosseLシュタイン (Lorenzvon Stein)等から講義 を受けるなどした。とりわけ.シュタインから多くを学んだといわれて いるO 瀧井氏は.伊藤がシュタインの国家論をどう受容したかについて 以下のとおり分析するD

「シュタインにおいて凶家とは.行政による媒介を通じて外界との絶えざる相互 作用をおこない.歴史の変化に適応して進化していける有機的制1主である。この意 味で. シュタインの国家学は進化論的llil家論と特徴づけることができる。このよう llil制の進化も伊藤は受容した。だが.その:Q":味内実を換骨奪胎して.である」。

(2)ドイツ法の継受

つぎに. 日本側からみたドイツ法の継受.その意味づけを考えてみた い。受容過程研究の重要性について民法学者の植木哲教授はつぎのよう に述べている。

「日本法がドイツ法を受容する過程において.先人がどのような努力を払ってき たのかを検証する必要がある。今.逆に.11 本法は中同等における法制度の整備を 日的として参照される立場にあるが.このためにも法典継受の実態を明らかにする ことは有意義である。

u独法制度の発展段階の違いを調べることで.I日独における法解釈学における 立場の迎いが明らかとなり.同時にそれを越えた比較法研究の新たな地平が開拓さ れることになるのである」。

植木教授の指摘は正鵠を射た見解であり.とりわけ日本が子法国にも 母法国にもなり.双方向から法の継受について考える視点を確認してい る点は重要である。

また,明治憲法はプロイセン慾法の君主制原理をとり入れたという解 釈が一般的である点について,小林lI~i 三教授は,プロイセン慾法は君主 制原理をとくに明示した条文をもたず. 日本が準拠したのはプロイセン の憲法解釈であるということを指摘しているoすなわち.当時のプロイ

朝日法学論集第四十号

(6)

法の継受一一日本におけるドイツ憲法

センでは憲法そのものと憲法解釈との聞にずれがあり.憲法は変遷して いたというo

「プロイセン慾i去の君主は.r国家権力の本質的な部分ではあるにしても.一部分 を行使するだけjの存在になった.といわれた。一切の国家権力を行使する存在で なくなった. というのだ。

君主制原理を宣言した規定がないとなると.三怖の分割は.それらの規定ばかり が目立つことになる。それなのに.プロイセンに有力になり.一般的にもなった憲 法解釈は.三縮分立制的な側面に焦点を合わせたものよりも.君主制原理に見合っ た憲法論だった。

だからといって.君主制原理が純粋な形でのべられたわけではなかった。三権分 立制的を気にした解釈が工夫された。その工夫の批たるものが.権利の保有と撒手Ij の行使とを分ける議論だった。 L'v・レンネやH・シュルツェが.このような学 説をのべていた。すなわち.国王は.国家柿力の一切の権利を一身に統合し国家 権力の行使だけを格別の国家機関に分割する.というのだ。権力の保有と権力の行 使とを区別する巧妙な()論理は.プロイセン憲法に主権の所在が明記されてい ないことを.逆に拠りどころにした。それはまさに.憲法の規定よりも.規定に現

10) 

れていない君主制原理にのっとった解釈をし確定しようとしたもの.といえるJ そして小林教授は.非プロイセン憲法的解釈についてつぎのように述

Jミるo

「君主制1Jl(理を確定するためには.またほかの邦の君主制憲法の検討をとおして 行なう方式が.とられた。この検討により君主制の基本的な規定を検出して.プロ イセン憲法の解釈を補おう.とするのだ。ことに.r君主は国家権力の源泉jとす る規定を欠いたプロイセン憲法を解釈するために.バイエルン憲法のこの種の規定 (第二章第一条)を引き合いに出してそれの解釈を頼りもした。こうした側而に 注目すると.プロイセン憲法の規定にたいする非プロイセン憲法的解釈(ないしは.

III  南ドイツ憲法的解釈)というふうのことが.あるいはいえるかもしれないj

このように南ドイツの憲法を参照した例をあげ.非プロイセン憲法的 解釈を説明した上で,小林教授は.明治前半期の日本の憲法政治にとっ てのドイツについてつぎのようにまとめているo

(7)

「日本の政府エリートたちの問では終始.プロイセン=ドイツのつもりで.r ツj がi清られ.学びとられていた。

しかし ドイツ入学者たちから学んだ fドイツ j は.この"つもり"にかならず しも合致していなかった。それは.非(ないしは.反)プロイセン憲法であったり.

反プロイセンであったり.それに関連して市ドイツ的であったり.また.思いIH なかの fプロイセンjであったり.……という具合に.多梯な現われ方をした。そ れらを明治政府の関係者たちは.rドイツ jの諸側面iとして受けとり,統一的に理 解しようとした」。

以上.小林教授の問題提起を紹介した。上記のような憲法政治学的ア プローチにもとづく検討方法は.日本におけるドイツ憲法の継受を考え るさい.非常に興味深く示唆に富んだものといえようo

3.  日本におけるドイツ憲法(ドイツの視点)

(1)ドイツ人からみた日本へのドイツ法継受

さて.本草では.法の継受.とくにドイツ法が日本法に与えた影響.

日本におけるドイツ法の継受という問題をドイツ人の視点からみてみよ う。以下に取り上げるのは.ドイツを代表する憲法学者であるクリステイ アン・シュタルク教授 (Professor Dr.  Christian  Starck)が「日本に おけるドイツ憲法Jというテーマについて論じたものの一部であるoシュ タルク教授は.20055月20日.ゲッテインゲン学術アカデミーにお いて.r法の継受Jに関して,とりわけドイツ憲法が日本に与えた影響.

について講演された。その内容は.同アカデミーの年報に収録されている (Deutsches Verfassungsrecht in Japan. aus : Jahrbuch der Akademie  der Wissenschaften zu Gottingen.  2005.なお.邦訳全文は.C・シュ タルク著.蔚藤康輝訳「日本におけるドイツ憲法J朝日法学論集第38 号を参照されたい)。

まず.シュタルク教授は,明治憲法の制定についてつぎのように述べ

朝日法学論集第四十号

(8)

法の継受一一日本におけるドイツ逝法 O

「ヨーロッパに学ぶ日本の法律家たちのやりかたは.ヨーロッパや米│事lのたくさ んの著作を翻訳することだった。とりわけ. ドイツとプロイセン同法に関するヘル マン=シュルツェやルートヴイヒ=フォン=レンネの本をすすんで翻訳した。専制 的な1850年のプロイセン憲法や市ドイツ諸国の憲法が日本の状況に見合うお手本 だった。英国は成文忠法がないので.模範とはならなかった。フランスは1871 までにすでに王制慾法を有していたが, 1875年以降共和制憲法が採用されたため 模範から外された。版取における第3の植民地大国である米国も同様に共和制逝法 であった。

日本では.天皇による椀力奪取後の10年間. ドイツ憲法の継受を特酸づける傾 向を示した。とりわけ.同王とドイツ最大の公爵領を有するプロイセンのような君 主制憲法を欲する状況にあった。

西洋では明治態法と称される 1889年発布の大日本帝国憲法は.伊藤博文と井上 毅が1872年から1873年にかけてフランスとドイツで勉強して起草したものだっ た。これにはドイツ人のヘルマン=ロエスラーとアルパート=モッセが協力した。

ロエスラーは日本の政治状況に合った立慾君主制の慾法理論を主張した。この憲法 の基本構想から導かれるいくつかの規定.たとえば立法.予算の柿限に│則して議会 (二院制)は天皇に針。崩し君主制による行政および司法.さらにはIE民の椀利と

13)  義務は. ドイツ憲法と際立って一致している」。

続いて.シュタルク教授は.立憲君主制について以下のように述べて いるO

「日本の立憲君主制は.さしあたり伝統的な家父長制.そしてその後は国家絶対 的なシステムに変わっていった。天皇は総撹者として絶対不可侵の織力を行使し た。憲法は.天皇の下に組織された国家機関の権限を制限するためだけに機能する。

憲法に定められた人柿 (2232条)は西洋思想の産物であり.日本の道徳は語ら れていない。そこにあるのは.人間のための国家ではなく.天皇に体現される同家 にとっての臣民である。日本の国法理論の立憲的傾向は.1924 ~Iミから 1932 年まで に議会制統治システムを本当に実現させたが.天皇を憲法に拘束された恒│家機関で あるとみなした。こうした憲法解釈は. ドイツで勉強した東京帝l五│大学の教授がか つてl'Fいたものだった。自由主義的立憲主義の主たる提哨者である美濃部達古

(9)

は.1935年に不敬罪で起訴されたが.彼はすべての地位を失い.天Iall家機関 とみなした彼の憲法コンメンタールは発禁となった。日本では.古・ll主義的領土拡 とくに当時11i1}Jの掛かった中国に日が向いた軍国主義の憲法利JUが行われ 大戦争.

たのである。ひとびとは明治憲法のこうした展開を自ら非難することはできなかっ kl~~ の突 lI\ した権 た。軍国主義の発肢をiWし.それをじっさいに生じさせたのは.

限であった」。

そして.敗戦による米国の占領下において制定された新慾法のもとで それにもかかわらず戦後.

日本はアメリカ憲法を継受したこと.

日本において新たなドイツ憲法の継受が認められる点につき.

また.

シュタル ク教授はつぎのように述べているo

アメリカの

「第二次世界大戦における日本の敗戦は.明治憲法の終おと同時に.

影響を受けて公布された194611月3日の新憲法の土台を意味した。そこには国 家の民主化というもくろみがあった。そして.かつて明治憲法で神格的な由来を基 礎とした天皇の地位について新しい定義が与えられた。新憲法第l条はこう述べ この地位は.主 日本l五!の象徴であり日本国民統合の象徴であって.

る。「天皇.は.

権の存する11本 llill~ の総意に基く」。

日本における外l司法の継受に閑し.憲法の分野で日本の法律家は.アメリカの法 律を勉強することになった。しかしそのことは日本の憲法学の全体像を示すもの ではなし、。すでに201lt紀の1960年代からたくさんの日本の法律家はドイツ憲法を 研究するためにドイツに米ている。これはどう説明するのか。

朝日法学論集第四十号

日本人は伝統を坑悦する。

ひとびとは以前ドイツ憲法を勉強した。

したがってこの勉強を続ける。

それどころか1992年にはドイツ憲法に関する学会が創立された。

日本はたしかにドイツIIiJ様第二次世界大戦で敗戦を喫したc

ドイツは1848年から49{I~ と 1919 年の独自の民主制憲法を持ったなかで 1949 年 以降新しい憲法を作っており.その点で日本も参照できるかもしれない。

ドイツと日本の憲法の明白な共通 相違点もあるが.それはここでは問題とせず.

点を言おう。それは.議会制統治システム.不可侵の権利としての人権保障(日本 国憲法112項)およびすべての法律の違憲性を判断する位向政判所の綿限(日

(10)

法の継受一一日本におけるドイツ憲法 本国憲法81条)である。

その上.日本の法律家にとって研究関心が向くのは. ドイツにおいて(もちろん 他のヨーロッパ諸国においても).さまざまな生活領域の新しい問題を憲法上どう 解決するかということである。たとえば.政党の椀限.バイオ研究技術.環境保護.

電子マスメディアの影響や統制.最近では法治国家以前の厩史の踏破すなわち独裁 体制などである。

ドイツの連邦憲法裁判所は日本の憲法学者から高い尊敬の念でみられている。な ぜなら.その判決は法教条主義的な構造で.大きな論証資源を提示しているからで ある。学術的な160項目の連邦憲法裁判所の判例を収録した書籍が2冊公刊されて おり.それには判決の経緯.要旨が脅かれ.解説とコンメンタールが含まれる。日 本の法体家はこれを入門書としているJ

(2)憲法裁判の国際的発展

シュタルク教授は,アメリカ憲法の影響を受けた日本国憲法において な憲法裁判の分野でドイツ法の継受が可能かどうか検討している。

「日本では.憲法裁判は貧弱であると一般に言われている。もちろんそれは1946 年に受け入れた調漫性のアメリカ型モデルである点のみに原因があるわけではな い。日本において.特別な憲法裁判ともいえるオーストリア=ドイツシステムを受 け入れることが得策かどうか憲法学者たちのもとでその問題が議論されている。制 度は中身に効果を及ぼすことをひとびとは知っている。したがって. 日本の憲法裁 判の型を変えるという考察は原理的には道理にかなっている。しかしひょっとす ると日本における患法裁判の脆弱性については深い理由があるのかもしれない。

アメリカからの押し付け憲法として扱われてきたので.日本国憲法は長い間.統 合の要素は弱かった。ひょっとしたらこの憲法は. 日本の伝統や日本人の本質につ いての考慮が足りなかったのかもしれない。

しかしいずれにせよ.もし最高裁判所が.規範統制によって憲法が立法者に対し て生きた基単を示すという憲法裁判所として理解されるならば.弱い憲法から強い 憲法へと変わるだろう。

ところで.故高裁判所の裁判官は上告審裁判官である。

彼らは.側々の具体的なケースに関して過去の判例から法律の基準を決定するこ

(11)

とに熟練している。

規範統制の場合は.法律のなかで過去にではなく未来に対して適用される。

よって規範統制は.倒別の状況に関してそれぞれ具体的な決定をなす別の裁判で あるという姿勢が必要である。

裁判官は.立法プロセスがこうしたやり方で個別に規制されるとき.法律をコン トロールすることを鼓舞されるのである。

もし個々の具体的な決定の上告に時間を消耗しない特別な憲法裁判所を創設すれ ば.規範統制が良撃に行われるという完全な効果が得られるだろう。

i去の中にはしばしば基底となる思潮や伝統が働いている。

したがって. ヨーロッパにおいては古代にまでさかのぼるが. 日本において伝統 的に向位の法の観念があるかどうかということが問題となる。

とりわけ近代において.この高位の法の観念は大きな影響力をもっ。

この観念は.難しい条件の下でのみ変更可能なもので.支配者ないし民主的多数 派が法に縛られるという意味を含んでいる。

日本は明治時代にヨーロッパの伝統をさかのぼって!日いたが.それはまさに.高 位の法を否定し所定の困家機関がドイツにおいてのみならず無制限の立法権を認 められた特殊な時代の伝統だった。

基本権もまた拘束力ある尚位の法として認められるのではなく.立法によっては 16) 

じめて基本権の行使が可能になる綱領にすぎなかったJ

さらに.シュタルク教授は.基本権保護の領域での最高裁判所裁判官 の抑制的な対応についてこう述べるo

「法律のコントロールに際しての最高裁判所裁判官の控えめな態度は.内閣の立 法草案を憲法に適合するかどうか点検する日本政府の立法府組織(内聞法制局)に よって.部分的には補償されることも示された。日本では.規範とりわけ法律をコ ントロールすることを合まないような司法概念が妥当する。そのかぎりでは.司法

17)  ではなく立法すなわち政治的コントロールが行われているJ

また. 日本の最高裁判所裁判官とドイツの連邦憲法裁判所裁判官につ いてはつぎのように述べているD

「ヨーロッパとりわけドイツでは.憲法の注釈と判決の批判は重要な役割を演じ ている。この同法珂.論と連邦憲法裁判所の相互のやりとりは.述邦憲法裁判所創立

朝日法学論集第四十号

(12)

法の継受一一日本におけるドイツ憲法

25周年および50周年記念論文集に書かれている。

日本の最高裁判所裁判官は.日本の憲法理論を十分に顧雌せず.そしてまた配!蔀 しないそぶりをみせたため.二重の意味で孤立してしまった。それに比べ.ヨーロッ パのltt高裁判所や憲法裁判所は言うまでもなく.かつて日本の植民地だった韓国や 台湾では. ドイツ起源の強力な憲法裁判の発達がなんとめざましいことであるか。

もちろん米国の最高裁判所の司法権についても断慮しなければならないだ 18) 

ろう」。

(3)日本の国法理論への関心

以上.シュタルク教授の見解を紹介した。なお.シュタルク教授は.

日本法あるいは日本の統治制度に強い関心を持っておられ.とりわけ① 象徴天皇制.②政党助成法,③裁判員制度の三点に注目しているとのこ とである。とくに,②政党助成法と③裁判員制度は.それぞれドイツ政 党法. ドイツの参審制度が大きな影響を与えたものだからである。

4.まとめ

法の継受について.一般理論化することは非常に難しい作業である。

法文化の移転という問題は.母法国と子法国との聞の法文化の衝突が不 可避であり.たんに法の進化に役立つという視点のみで論ずるのはあま

りにも危険だからであるo

しかし法の継受に関する個々の事例研究がいっそう進み.法文化の 移転という問題を調和的観点から考察するならば.今後.継受の意義が もっと検討されるべきだろうo外国の先進的な立法を見倣って.自国の 法制度としてそれを採用することは,法の模倣ではなく法の創造である

という見解は.容易に否定できないものである。

(13)

1.ドイツ請でRezeptionあるLRezeptiondes fremden Rechtsという場合.

外 国i去を"11司 法 と し て 探 川 す る こ と を 意 味 し 法 制 史 上 は . 普 通 .'1'世中頃 から16世紀中頃にかけて行われたローマ法およびカノン法などをドイツ法と

して採川したことを示す。

2. Kohler. Da la  methode du Droit Compare. Procesverbaux. t.  1. pp. 232.  3.沢 木 敬 郎 ri去の縦受」立教法学第3号(立教法学会), 48ページ。

4.岩合使節i司の活動については.田中彰 f岩 倉 使 節 聞 の 歴 史 的 研 究J(岩波書 庖)を参照されたい。 liFは.r米欧回覧実記jを主軸に据え.日本の近代化 において i~il別をなす岩合使節団の意義を広い視野に立ち.長い射程で縦横に かつ周到に論じた表作である。

5.岩 合 使 節 団 派 遣 rlJ~ rl111Jは.r独 立 不 輯 ノ 体 裁j 創lBと.よるべきもの f列凶公法J.つまり国際公法であることを強調していた。すなわち.国際 公法に則って条約改正をしなければならないが.条約を改正するためには.

それに抵触する11<1内 の 体 制 を 改 革 ・ 整 備 し な け れ ば な ら ず . そ の た め に 三 年 を日途にした条約改正延期を各国と交渉する必要のあることを述べるととも に.法fIt.制度の.PI!,論や'%際をはじめとして.政治・経済・産業・教育・社 会・ 'JIUJ~~手の各分野の視察・調査を合めて.使節団派遣を提起していた J ( 米邦武嗣.111''1彰校ar米欧州覧実記(ー)J(岩波文雌).401ページ。)

6.瀧井一時I19Pとのなかの明治憲法一一この国のかたちと附洋体験一一J( 談社).23ページc

7.  11lJ.  26‑27ページ。

8.同.120ページ。

なお.Kazuhiro Takii (IIrsg.).  Lorenz von Steins Arbeiten fur japan : Oster reichischjapanische Rechtsbeziehungen II.  Peter Lang (Frankfurt am tvlain  u.  a.)TheMeiji Constitution : The japanese experience of the Vestand  the shaping of the modern state  (translated by David Noble).  International  House of japanにおいて.瀧井氏は明治期の同制の継受に論及している。

制木宵 n去学と文学・艇史学との交錯J(Joc文武), 9ページ。

10.小林附三 p則的憲法史論・序説J(成文堂), 196197ページ。

11.  1司.197198ページ。

12.同.209ページ。

13.  C ・シュタルクJ忠 商 藤 康 朗i訳「日本におけるドイツ態法」朝日法学論集第 朝日法学論集第四十号

i

(14)

法の継受一一日本におけるドイツ鑑法 38号.125‑126ページ。

14.同.126‑127ページ。

15.悶.127‑128ページ。

16.同.128‑130ページ。

17.岡.130ページ。

18.同.130‑131ページ。

19.無者が2008~r~-2009 年, ドイツ・ゲッテインゲン大学法学部で・民期海外研 修(=在外研究)を行った際.直接シュタルク教授からご教示いただいた。

20.明治鑑法に対する欧米の学者の評価は商い(伊藤博文樹 f憲法資料(上巻)J mo。それは.母法国あるいは先進国がかかえる制度上の問題を子法悶が克 服し.新たな制度(とくに制限的な議会制)を作り出した実縦を認めたから かもしれない。

(さいとうこうき・本学教授)

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