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杉本一直

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メタフィクション

一重層的虚構の戦略一

杉本一直

1.はじめに

 文学作品を具体的に研究していくには,まず,分析の視点を明確にして おく必要がある。分析上の代表的な視点には次のようなものがある。時代 と地域の座標に個々の作家や作品を位置づけた上で,ある特定の環境のな かでの生成物としてそれぞれの作品を意義づけていく「文学史研究」の視 点,作家の個人的体験,特に読書経験を因子として,たとえば,ある作家 の作品がほかの作家の作品に与えた直接的な影響関係を分析していく「比 較文学研究」の視点,また,小説,叙情詩,叙事詩といった文学上のジャ

ンルを,さまざまなヴァリエーションと変遷を許容する形態上の約束事と してとらえた上で,個々の作品の形態的特徴(文体,構造)をそれぞれの ジャンルの可能性という視点から分析していく「ジャンル研究」(あるい は「構造研究」)の視点。

 研究書や論文は,多くの場合,こうした視点のなかのひとつを中心の軸 に据えて展開される。ただ,特に「ジャンル研究」,「構造研究」の視点 は,どんな文学研究にも多かれ少なかれ付随する基本的視点なので,実際 の研究書や論文では,複数の視点が互いに作用し合っていることが多い。

著名な文学研究書のなかから例をあげると,シュタンツェルの『物語の構

造』(Franz S tanzel. Theorie des Erzalens. 1979)などは純粋なジャン

ル研究(小説における語り手の形態の研究)に徹しているが,その一方で,

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 ウォーの『メタフィクション』 (Patricia Waugh. Vetafiction.1984)は  ジャンル研究(小説における虚構の重層性の研究)の体裁をとっているに  もかかわらず,結果的には,文学史研究(ヨーロッパおよびアメリカの現  代文学における一潮流についての研究)としての成果を上げているし,ま  た,それとは逆に,タナーの「言語の都市』(Tony Tanner. City of  Vords.1971)は文学史研究(1950年代以降のアメリカ文学研究)の形を取  りながら,ジャンル研究(小説の主題としての「虚構性」の研究)にもな  り得ている。いずれにせよ,こうした視点の採用の仕方が,個々の研究の  性質を決定づけると同時に,それぞれの研究者の文学研究の態度をも表明  することになる。

  私自身について言えば,おもに次のふたつの視点を軸として研究を進め  てきた。ひとつは,19世紀末から20世紀前半にかけてのロシア文学を対象  とした文学史研究の視点,そしてもうひとつは,語り手の機能,人称と時  間,虚構の枠組み作用といった,小説というジャンルに内在する構成要素  を個々の作品においそ検討するジャンル研究,構造研究の視点である。た  だし,これらふたつの視点のうち,私はどちらかといえば後者のジャンル  研究に重点を置いているので,ロシア文学の範囲外でも,たとえば,アメ

 リカ,イギリス,フランス,イタリア,アルゼンチンなど,モダニズム以  降の小説にすぐれた成果をもたらした国々の作品はつねに視野に入れるよ  うにしている。

  私が文学史研究の対象としている19世紀末から20世紀前半にかけてのロ  シア文学は,ここで紹介するにはあまりにも膨大で,また,あまりにも多  様である。ただ,ロシア・シンボリズムやロシア・アヴァンギャルドと呼  ばれる一連の芸術運動を含むこの時代の傑出した文化に関して,最近,日  本語で読める文献もかなり出てきた。主な文献を下に挙げておくので,現  代文学,現代芸術に興味をお持ちの方はぜひ参照していただきたい。

『ロシア・アヴァンギャルド』全8巻  大石雅彦他編  国書刊行会

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『ロシァ・アヴァンギャルド』 水野忠夫      パルコ出版

「ロシァ・アヴァンギャルド』 バロン他      リブロポート rロシア・アヴァンギャルド芸術』 ボウルト編    岩波書店

「ロシア・フォルマリズム文学論集1・2』水野忠夫編せりか書房

『マヤコフスキイ・ノート』 水野忠夫

『メイエルホリドの全体像』 プローン

「甦えるフレーブニコフ』 亀山郁夫

『われら』 ザミャーチン

『集英社ギャラリー[世界の文学]15 ロシアm』

集英社 晶文社 晶文社 岩波文庫 集英社

 さて,私の研究のもうひとつの基盤となっている小説というジャンルの 構造研究について,具体的な例を示しながら述べていくことにする。小説 の構造研究の視点として有効なものには,たとえば,語り手の形態,人称,

時間,プロット構成,隠喩や換喩などの比喩,メタフィクション(虚構の 重層化),ポリフォニィ(多声的文体)などがある。今回はメタフィクシ

ョンの視点から,現代小説に見られるひとつの傾向について論じてみたい。

2.メタフィクションとは

 「メタ(meta)」という接頭辞は,たとえば,形而上学(metaphysics)

や超心理学(metapsycology)に見られるように,「上位の」とか,「超え た」という意味を持つことが多いが,メタフィクション(metafiction)

におけるのともっとも近い意味でこの接頭辞が使われているのは,おそら く,言語学者ヤコブソンが重要視するメタ言語(metalanguage)という用 語であろう。ヤコブソンは言語のふたつのレベルについて言及し,言語そ のものの外にある事項について語る「対象言語(object language)」と,

言語コード自体について語るための「メタ言語(metalanguage)」との区

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別が言語学の当面する課題の解明に不可欠だと述べている(Jakobson.19 80)。身近な例をとれば,会話中に相手の使った言い回しの意味が理解で きずに「それはどういう意味ですか」とたずねるとき,言語(メタ言語)

はほかの言語(対象言語)について言及し,対話者のあいだのコードを調 整する機能を担う。この場合,シニフィアン(意味するもの)とシニフィ エ(意味されるもの)の双方を言語が担い,言語の機能は自己照射的,自 己言及的になる。

 このように自己言及的,自己照射的言語がメタ言語だとすれば,それと 同様に,自己言及し,自意識を持つ小説(fiction)をメタフィクション と呼ぶ。ウォーによれば,「メタフィクションという言葉は,フィクショ ンと現実との関係についてさまざまな問題を提起するために,人工作品と しての自らの地位に自意識的に,そして組織的に注意を向けているフィク ションの書法に与えられた名称」であり,「メタフィクションの最小公分 母は,フィクションの創造と,フィクションの創造に関する叙述とを同時 に行うことである」(Waugh.1984)。

 わかりやすい実例をひとつ挙げてみよう。アメリカの人気現代作家バー ス(John Barth)は典型的なメタフィクション作家のひとりだが,たとえ ば彼の短編『びっくりハウスの迷子J (Lost in the Ftmhouse.1966)の 語り手は,メタ言語や,ウォーの言う「フィクションの創造に関する叙述」

をたびたびテクストに挿入していく。

D「花火抜きでは,独立記念日らしくないな」とカール叔父さん。

 「とカール叔父さん」などと,いちいち台詞のあとにつけるのは,

 「カール叔父さん」のような固有名詞,もしくは「叔父」のような形 容詞的表現の場合にはまだ許されるが,「彼」や「彼女」などの,人  称代名詞の場合にはどうも古めかしく聞こえてしまう。

2)車のシートのビロードのカバーは,七月の陽光を浴びたギャバジンの

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スラックスを通し,チクチクとむずがゆく,居心地が悪い。短編の書 き出しの部分の機能とは,主な登場人物を紹介し,その相互が最初ま ずどのような関係にあるかを明確にし,中心となる筋運びの場を用意 するものである。[…]実際,たとえば「びっくりハウス」とか,「び っくりハウスの迷子」などと題した短編を想定した場合,オーシャン

・シティへのドライブの詳細などは,特に重要な関連性があるとは思 えない。書き出しにおいてまずなすべきことは・…

 上のふたつの引用文において,いずれも最初の一文は小説における通常 の叙述だが,それを引き継ぐ文は,引用1)では,今使ったばかりの文章表 現に対するメタ言語による注釈であり,引用2)では,短編小説の構成に関 する考察と自己反省をおこなっている。こうして言語が言語を意識し,叙 述が叙述を意識し,作品が作品を意識する。このバースの文章は非常に明 解で,ある意味では単純なメタフィクションの実例だが,メタフィクショ

ンとして研究されている作品には,多かれ少なかれ,こうした自己照射的

(self−reflective),自己言及的(self−referential)な側面が備わって いると考えてよい。

3.メタフィクションと枠組作用

 「虚構」という観点から考えると,先に引用したバースの文章における ような文体上のメタ言語性は,テクスト内部に虚構の枠組を現出させ,そ の結果,虚構を重層化していることがわかる。

 三人称小説の語り手にはいくっかのタイプが存在するが,19世紀リアリ ズム以降の小説においてもっとも多く見られるのは,遍在的視点を持ち,

虚構の外側で語り,しかも人格化されていないタイプの語り手(三人称小

説における機能としての語り手,あるいは,局外の語り手)である。この

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タイプの語り手は,通常,もっぱら伝達の媒体として読書の過程で消費さ れ,読者に語り手の身体や人格を想定させることはないが,バースの文章 の語り手の場合,形式上はこのタイプに属するにもかかわらず,テクスト の上で過剰な自意識を表明しつつ, 「試行錯誤しながら創作している作家」

という役割を演じることで,ひとつの人格を虚構(物語)の外側に現出さ せている。バースのほかの作品,たとえば『キマイラ』 (Chimera.1972)

や『レターズ』(Letters.1979)と同様,メタ言語が現出させるこの「作 家」はバース自身ではなく,バースが物語の外側に設定し,バースが演じ る一種の「登場人物」なのである。そのことによって,虚構に二重のレベ ルが与えられることになる。つまり,語り手(登場人物としての「作家」)

が属する一次的虚構の領域を示唆するメタ言語と,二次的虚構(「作家」

が創作している物語)を提示する通常の叙述(対象言語)との共存が,ふ たつの虚構のレベルのあいだの境界線をつねに読者に知覚させるわけであ る。このように,何らかの形でテクスト内部に虚構の境界線を提示し,虚 構どうしの内包関係を利用する手法をメタフィクションにおける「枠組化」

の手法と呼ぶ。

 枠組化の手法とひとくちに言っても,それにはさまざまな形態がある。

代表的なものを次に挙げてみるが,今見たバースの例は(a)にあたる。

(。違り手の徽の拡大、前景化によるもの

(b)創作者や捏造者を物語の登場人物のひとりに設定し,その人物を媒介と  して虚構のなかにさらに虚構を埋め込む方法(チャイニーズ・ボックス  の手法)

(c)登場人物が物語の過程で何らかのテクストを発見してそのテクストの読  者となり,「読者」という機能が相対化される手法

(d)物語自体に非常に強い虚構性と構造上の脆弱さを与え,物語が一時的な  虚構にすぎないことを読者に対して誇示し続ける方法

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 そして,興味深いことには,メタフィクションにおけるこうした枠組化 は,往々にして枠組破壊への志向を合わせ持っているのである。たとえば,

(a)タイプに属するファウルズの「フランス軍中尉の女』(John Fowles.

ThθFrench Lieutenant  s Moman.1969)では,ヴィクトリア朝時代の物語 を語る現代の語り手が,突然,不法にも自らその物語のなかに登場してい るし,また,(c)タイプに属するカルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』

(ltalo Calvino.1f on a Yinter  s Night∂Traveller.1979)では,い くつかのテキストを次々と発見してその読者となっていく主人公が,最終 的には自分自身が登場する小説『冬の夜ひとりの旅人が』を発見してその 読者となってしまう。これらはいずれも,あらかじめ設定した枠組にパラ

ドックスの要素を持ち込むことで,枠組が破壊されている例である。

 メタフィクションにおける枠組化は,虚構を構築する手続きそのものを さまざまな形でテクスト化するが,そうした構築は虚構の「内部で」行わ れているために,言い換えれば,構築の行為そのものが物語となっている ために,構築は硬化せず,流動性,可変性を潜在させている。その意味で は,メタフィクションは構築から脱構築(deconstruction)へと向かうこ とで自己完結すると言え,枠組破壊はそうした自己完結のもっとも直接的 な手段なのである。

4.メタフィクションの先達

 さて,これまでメタフィクションにおけるメタ言語的文体,そして枠組 化と枠組破壊について述べてきたが,次に,私が特に研究の対象としてい る亡命ロシア人作家ナボコフの作品をメタフィクションのひとつの実例と

して紹介していく。

 ヴォネガット(Kurt Vonnegut),バーセルミ(Donald Barthelme),バ

ースといった現代のメタフィクション作家たちの先達として,あるいは師

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として,20世紀文学史のなかでも独自の地位を占めているのが,スタイナ ーが「脱領域の作家」と称した三人の作家,つまり,ボルヘス(Jorge

Luis Borges l899年アルゼンチン生まれ),ベケット(Samuel Beckett 1906年アイルランド生まれ),ナボコフ(Vladimir Nabokov l899年ロシ ァ生まれ)である(George Steiner. Extra territoriaL l971)。19世紀 と20世紀の境目に生まれたこの三人の作家の文学は,単にモダニズム文学 というカテゴリーで捉えきれるものではなく,ポスト・モダニズム,ディ コンストラクションなどのキーワードが支配する現在の批評体系の文脈の なかで,はじめて正統な評価を得ることのできる類のものである。私はこ の三人の作家にたいして同等に興味を持っているが,ロシア文学研究者と

して特にナボコフの作品を研究の対象としている。

 1899年に生まれたナボコフは19歳の時にロシアから亡命し,イギリス,

ドイツ,フランスと移り住んだあと,1940年にはアメリカに渡り,『ロリ ータ』(Lolita.1955)を発表して文学的成功をおさめた。その後,さら にスイスに移住し,1977年にそこで永眠している。ナボコフの作品は大き く分けて1940年以前にロシア語で書かれた作品と,1940年以降に英語で書 かれた作品とに分類できる。ここでは,前期の作品から『断頭台への招待』

(Priglashnie na Kazn .1938)をメタフィクションの視点から紹介して みたい。

5.虚構の格下げ

『断頭台への招待』の形態上の特徴をまとめると,以下のようになる。

(脇語,人物擁台設定が非常に弓禽い麟性,人工性を持つ

(B)主人公が,自分のいる世界の虚構性と人工性に気づいている

(C)三人称小説としては,主人公の一人称による独白が非常に多い

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①)地の文において,語り手の視座と主人公の視座との境界が暖昧である

(E)結末において,物語の舞台が崩壊し,虚構自体が否定される

 この五つの特徴は,構造上の特徴であると同時に,たがいに連携し合っ て,いわゆる「ストーリー」とは別の次元の物語を形作る。詳しく見てみ

よう。

 (A)に関しては,リリーが「この作品のなかの現実とは,最終的に無に帰 してしまう舞台装置なのだ」と述べ(Lilly.1979),またパイファーが

「あらゆる点からして,この小説の舞台は一種の演劇的な策略(trick)で ある」と述べているように(Pifer。1980),作品のなかの事象のすべてが

「かりそめの」とか,「芝居じみた」といった形容を自ら獲得しようとし ているかのようだ。たとえば,登場人物たちはたびたび「メーキャップ」,

「かつら」,「仮面」,「扮装」などを伴って描写され,生身の人間とし ての実体を奪われているし,また,下の文章のように,語り手までもがそ うした演劇性,虚構性を隠そうとはせず,逆にそれを強調していく。

いい加減に 造されたこの部屋の限られた空間を動き回るとき,シン シナトゥスはまるで空中の光の割れ目を通り抜けて,何の苦労もなくや すやすと, に見えない 台裏に忍び込もうとするかのように歩くのだ

った。

 この作品は,通常のフィクションの手法におけるように虚構を現実に近 いものへと格上げするのではなく,その逆の方向に,いわば虚構を「格下 げ」していると言えるだろう。読者にたいして,つねに虚構自身が「私は 虚構にほかならない」という自意識を表明し続けるという,これもメタフ ィクションの戦略のひとつなのだが,そのことによって,明白な「虚構」

とそこから仮想される何らかの「現実」とのあいだに枠組化が生じるので

ある。

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 さらに,(B)に挙げたように,こうした虚構性は読者だけでなく主人公に も意識されてしまい,その時点で第一の枠組破壊が行われる。たとえば,

死刑囚である主人公は面会に来た母親に次のように語る。

 ぼくにはすっかりわかっているのですよ,ほかのすべての人々や事物 と同じように,あなたが滑稽な芝居を演じていることが。[…]なぜあな たのレインコートは濡れているのに靴は乾いているのですか。少し不注 意じゃありませんか。小道具係に伝えておいて下さい。ゆL

      f

 虚構性を強調することにより,閉じたシステムとして虚構を枠組化し,

さらに,その閉じたシステム内でのみ存在すべき主人公にシステム外から の視点を取らせることにより,作者は自ら設定した枠に裂け目を作ってい

く。

6.他者の言葉と自分の言葉

 他者によって作られた虚構に閉じこめられていると知った主人公は,そ こから抜け出すことを夢想し(この欲求はストーリーのレベルにおける脱 獄への願望と重ね合わされている),みずからの言語表現による領域へと 移住しようとする。これが(C)に挙げた特徴である。作品のテクストは,主 人公が紙に書きつけた文章,声に出した独り言,声に出さない内的独白な どに満ちあふれ,そのいずれもが「ここ」ではないもうひとつの世界,つ まり言語構築物であるもうひとつの「作品」を志向する。読者の側から見 れば,テクスト上で自らの存在の半分を他者(語り手)の言葉によって規 定されている主人公が,残りの半分を自分の言葉によって構築しようとし ているように見える。

 これまで見てきた(A)(B)(C)の特徴は,メタフィクションにおける「創作

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者,芸術家」のテーマのヴァリエーションとして処理することもできるが,

①)はこの作品に比類ない文体上の独自性を与えている。この作品は三人称 小説であり,語り手のタイプは「人格化されない機能としての語り手」で ある。現代文学におけるこのタイプの三人称小説では,語り手の視点の大 部分が主人公の視点を体現することが多い。こうした文体においては,必 然的に,一人称を基調とする主人公の内的独白が使われやすく, 「断頭台 への招待』のテクストにもかなり頻繁に内的独白が現れる。そして,この 作品は,そうした文体上の環境を通して意図的にある種の暖昧さを生じさ せている。たとえば,地の文において,主人公を指示する一人称代名詞や 三人称代名詞(固有名詞も含む)がまったく使われずに主人公の思考が描 出されるとき,それが内的独白なのか,それとも語り手が間接話法的に述 べているのかがわかりにい箇所が多く,そこに一人称が隠されているのか,

あるいは三人称が隠されているのか,という読者の側の判断をわざと遅ら せたり,困難にしたりしている。こうした特性は,確固たる媒体としての 語り手の地位を危ういものにし,主人公,語り手,読者,テクストによっ て構成される三人称小説の定型的な位置関係を崩していく。

 さらに,この作品の文体のもうひとつの特徴は,三人称を基調にした語 り手による叙述が,主人公の幻想や想像を現実描写と等価に扱うという点 にある。たとえば,

1)シンシナトゥスは全速力で壁に激突した。ところが,ほんもののシン  シナトゥスは床の上にうずくまっているだけだった。

2)「何という誤解だろう」シンシナトゥスはそう言って,いきなり笑い

 だした。彼は立ち上がって室内着や帽子やスリッパを脱いだ。ズボン

 やリンネルのシャツも脱いだ。かつらをはずすように頭を取りはずし

 た。ズボン吊りをはずすように鎖骨を取りはずした。

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 引用1)では,後半の文が一種の修正の役割をすることで,最初の文が幻 想描写であることを示す指標となっているが,引用2)では,幻想描写の指 標は省略され,現実と幻想との弁別は読者にゆだねられる。そして,幻想 と現実を等価に扱う文体によって,主人公の想像力はいわば「現実化」し ていく。

 このように, 『断頭台への招待』の文体は,主人公の主観や想像力が一 人称に基づく自分自身の言葉だけではなく,三人称に基づく他者(語り手)

の言葉をも支配し得るように設定されていると言え,文体のレベルにおい ても,虚構の枠組は徐々に崩されていくのである。

 こうして,執拗に客観性を装い続ける地の文は,しかしながら,主人公 の主観に徐々に侵害され,虚構の秩序は乱れていくが,それが作品の最後 の特徴である(E)へとつながっていく。つまり,最終章において主人公の夢 想が長引き,主人公は夢想のなかで虚構の舞台を徹底的に破壊してしまう のだが,地の文はその夢想を現実描写と何ら変わらない文体で描出し続け,

そのままテクストは閉じられるのである。

7.メタフィクションと「読者」

 「断頭台への招待』においてナボコフは,「虚構」という事象について 検討するための「虚構」を創作した。そこでは,通常の三人称小説におい ては暗黙の前提条件として主人公に与えられる「虚構」が,露出され,相 対化され,作品の主題そのものへと昇華しているのである。さらに,三人 称小説の文体の可能性を追求する行為が,そのまま,作品の独自の文体を 作り上げていることも,『断頭台への招待』の大きな特質である。虚構を めぐる虚構,文体をめぐる文体という点で,まさにメタフィクショナルな ナボコフの創作態度がそこには見られる。

 ナボコフのすべての作晶がメタフィクションと呼ぷべきものであるわけ

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ではないが,『断頭台への招待』のほかにも,「賜物』 (Dar.1937)『ベ ンド・シニスター』(Bend Sinister.1947)『青白い炎』(Pale Fire.

1969)などで,ナボコフは枠組化を構造上の基盤としてメタフィクション の試みを行っている。たとえば,九九九行の詩と,それに対する膨大な注 釈からなる『青白い炎』では,まず,ひとりの詩人の自伝的な詩において

(1)詩人の生涯が語られ,注釈において(2)Elg)」[ig6i過程,(3)⑭国王 の生涯,(4)その・王を追∨暗殺者の追跡過程が同時進行の形で語らる。結 局,四つの時間の流れがテクスト上で競合していることになるが,そのう ち,(3)と(4)は語り手(注釈者)によって捏造されたものである。読者は テクストを読み進める過程で,それらふたつの時間の流れが語り手による 捏造であると気づく仕掛けになっているが,この作品のそうした側面につ いて,ディコンストラクション(脱構築)の批評家が興味深いことを指摘 している。つまり,このようなメタフィクションを読む実際の読者は,三 つのタイプの読者を同時に演じながら読書行為を行っているのだ,という 指摘である(Rabinowitz.1979)。三つのタイプとは,捏造の部分も含め て語り手の言説全体を信頼する読者(語り手の理想的聴衆),語り手の言 説のなかから事実伝達の部分と捏造の部分とを弁別しながら懐疑的に読む  ・ 読者(語り手の聴衆),語り手との,ではなく,作者とのコミュニケーシ

ョンの媒体としてテクストを捉え,作晶の芸術性を鑑賞する読者(作者の 聴衆)である。

 ある意味で,メタフィクションとは,ドイツの受容理論に始まりアメリ カのディコンストラクション批評に受け継がれた読者論と共通の問題意識 に基づいた批評的創作行為だとも言える。そこでは,登場人物,作者(あ るいは語り手),読者,虚構の四つの要因が「テクスト内で」作用し合い,

それぞれの要因が執拗に相対化されていく。そして,登場人物,作者,読 者は,それぞれテクストのなかで演じられる「概念」に成り下がり,その 一方で,虚構は一時的に確保された相対的な「領域」でしかなくなる。こ

うして,小説というジャンルの約束事を,いわば消耗し尽くした状況で,

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あるいは執拗に露呈した状況で,メタフィクションは成立していくのであ

る。

 最後になるが,はたしてメタフィクションとは,小説というジャンルに おけるひじょうに特殊な,例外的な作品群だと考えてしまってよいのだろ

うか。このことについてウォーは次のように述べる。

 メタフィクションはすべての小説に内在する傾向,あるいは機能なの である。メタフィクションを研究することによって,事実上,小説とは 何かを研究していることになる(Waugh.1984)

 さらに,メタフィクションの特徴となっている「自己言及」,「自己照 射」への関心は,文学以外の領域においても見られる。『ゲーデル,エッ

シャー,バッハ』によって世界中の知識人を楽しませ,最近は人工知能研 究に没頭している奇才ホフスタッターの言葉を最後に引用しておこう。ふ たつの引用はいずれも「メタマジック・ゲーム』からの一節である。

 多くの体系はなんらかの方法で,自分自身を表したり参照したりする 機能や,自分自身あるいはその要素を指示する機能を,自分自身の記号 体系の中に持っている。この機能が発揮されれば自己言及になる。

 この章のタイトル(「錯綜としがらみ」)は解決しがたいもつれのイ メージを表している。ここで扱っているもつれは,システム(文,絵画,

言語,組織体,社会,政府,数学的構造,コンピュータ・プログラムな ど)が自分自身の上にもつれかかってループを描くようなものである。

これに対する一般的な呼称は「再帰性」である。それぞれの局面では,

この抽象的概念は具体的な現象となる。たとえば,自己言及,自己記述,

自己文書化,自己矛盾,自問,自答,自己正当化,自己否定,自己パロ ディ,自己懐疑,自己定義,自己創造,自己複製,自己調整,自己修正,

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自己制限,自己拡張,自己適用,自己スケジュール,自己監視などなど。

[…]パラドックスと関係しているため,再帰性を持つシステムはたんな る知的オモチャのように思われているが,これは今世紀の数学や科学の 発展を理解するにはとても重要なものである。それどころか,自然のも のであれ人工のものであれ,知能や意識の理論においてますます中心的 な役割を果たしつつある。(Hofstadter.1985)

      引用文献

Barth, John. Lost in the Iimouse. London: Secker & Warburg, 1969.

Hofstadter, Douglas R.. Metamagical Thθmas.1985.(邦訳 ホフスタッ  ター『マタマジック・ゲーム』 竹内郁雄他訳 白揚社 1990年)

Jacobson, Roman. Framemork of Langage l 980.(邦訳 R.ヤコブソン  『言語とメタ言語』 池上嘉彦他訳 勤草書房 1984年)

Lilly, Mark. Nabokov; Homo Ludens. Vladimir Nabokov: A Tibutθ」 ed・

 P. Quennell, London: Weidenfeld & Nicolson, 1979.

Nabokov, Vladimir. Priglashenie na kazn . 1938. (reprint, Ann  Arbor: Ardis, 1979.)

Nabokov, Vladimir. Pa1θ Firθ. London: Weidenfeld & Nicolson, 1962.

Pifer, Ellen. ノVabokov and the NoveL  London: Harvard Univ. Press,

 1980.

Rabinowitz, Peter.  Truth in Fiction: A Reexamination of  Audiences. Critical inquiry,4(1979),121−42.

Waugh, Patricia. Metafiction. London: Methuen, 1984.

参照

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