• 検索結果がありません。

『 赤 毛 の ア ン 』 を め ぐ る 言 説 配 置

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『 赤 毛 の ア ン 』 を め ぐ る 言 説 配 置"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに 一九五二年に村岡花子の翻訳書が出て以来、 『赤毛のアン』 (原題 『

Anne of Green Gables

』 一 九 〇 八 ) は 日 本 の 少 女 た ち に 愛 読 さ れ、 メディアミックス的受容や関連本多数の出版も経て、女性文化の一 つのモデル(型)として定着した感がある。料理や手芸の本、舞台 となった島の写真集など、多彩な情報を含めた「アン」シリーズ全 体が親しまれているといえよう。 し か し 一 部 で よ く 知 ら れ て い る よ う に、 『 赤 毛 の ア ン 』 の 英 語 圏 での人気は必ずしも高くない。欧米圏での評価より、日本での知名 度 が 高 い 作 品 は こ れ ま で に も あ る が( 『 フ ラ ン ダ ー ス の 犬 』 な ど )、 年々加熱するかに見える受容の広がりと高い価値付けは、かなり特 異 だ と い え よ う。 こ の〈 日 本 的 受 容 〉 を 取 り 巻 く 緒 言 説 に 注 目 し、 戦後から現代に至る日本の社会・文化・メディア・ジェンダーの状 況がいかに物語の受容に反映したか、特に九〇年代フェミニズム批 評とその後の展開がはらむ問題点について、考察したいと思う。   戦後日本社会と『赤毛のアン』

 

    規範性とサブカルチャー化

『 赤 毛 の ア ン 』 の 日 本 で の 特 別 な 人 気 は、 九 〇 年 代 に 国 内 外 で 注 目され始めた。注目の直接の原因は関連書籍の出版が増え、また物 語の舞台であるプリンス・エドワード島への日本人旅行者が飛躍的 に増加したことによる。最近は減少し年平均一万人以下になったそ うだが、九〇年代に島を訪れた日本人観光客は、最盛期には年間二 万人近かったという。カナダ在住のライター梶原由佳は、当時カナ ダで何度も「日本人は、どうしてルーシー・モード・モンゴメリの 『 赤 毛 の ア ン 』 が 好 き な の?」 と 聞 か れ た と い う

。 旅 行 者 数 だ け で な く 小 倉 千 加 子 が 指 摘 し た よ う に、 「 ア ン 」 シ リ ー ズ は 英 語 圏 で の 総出版部数が三百万部と言われるのに対し、日本での総発行部数は 一 千 万 部 を 超 え、 「 驚 嘆 」 す べ き 数 に 至 っ て い た

。 斉 藤 美 奈 子 は そ の状況をふまえ、 「二〇世紀の初頭に書かれたカナダの家庭小説 『赤 毛 の ア ン 』 が、 な ぜ 戦 後 の 日 本 で こ ん な に も 愛 読 さ れ 続 け て き た ( 続 け て い る ) の か は、 近 代 文 学 史 上、 も っ と も 大 き な 謎 の ひ と つ です

」とまで述べた。海外の反応としてはカナダ人ダグラス・ボー 『赤毛のアン』をめぐる言説配置 九〇年代フェミニズム批評とバックラッシュ

        

(2)

ル ド ウ ィ ン の 分 析

や、 『

The New Yorker

』 ( 一 九 九 六・ 八 ) 、 『

Canadian Children’s Literature

』 ( 一 九 九 八 ) な ど が 日 本 人 読 者 の 熱烈な人気を取り上げている。 ただし現在から考えると日本での人気をことさら「謎」と見るこ う し た 見 解 は、 「 ア ン 」 シ リ ー ズ の 読 者 を 奇 妙 な、 軽 佻 浮 薄 な 存 在 として捉え、また英語圏より人気があることがあたかも間違った受 容であるかのようなイメージを流布させた面がある。それが後述の フェミニズム批評の問題とも絡み、受容者の像にバイアスをかける ことに繋がったようだ。 その経緯を見る前にまず、戦後日本で『赤毛のアン』の特別な人 気がどのように形成されてきたかを振り返ってみる。よく言われる の は、 「 ア ン 」 シ リ ー ズ の 人 気 の 高 さ は、 訳 者 村 岡 花 子 の 文 の 上 手 さに負うところが多いということだ。村岡花子は二十代の大正期か ら少女雑誌に寄稿し続け、日本の少女文化を知悉する翻訳者だった。 『 赤 毛 の ア ン 』 は 少 女 ア ン の 活 発 な 言 動 を ユ ー モ ラ ス に 綴 り つ つ、 アンとダイアナの深い友情を語り、抒情的な美しい自然描写も含む。 これらはすべて、昭和戦前期の日本の少女小説と共通する。その上 でアンが級友の少年と互角に成績を競うという、戦後日本にふさわ し い エ ピ ソ ー ド も 描 か れ て い た。 つ ま り 日 本 の 少 女 文 化 の 一 翼 を 担ってきた村岡が、日本の少女小説のパターンを備え、かつ、戦後 の民主主義・男女共学社会に適した新しさも伴う物語を、読みやす いなめらかな訳で提供したのであり、女性読者に広く受け入れられ る条件が揃っていた。 さらに、一般的児童書のレベルを超えるような価値付けがなされ たことも見逃せない。村岡花子は原書との出会いについて以下のよ う に 回 想 し て い る。 「 私 が『 ア ン・ オ ブ・ グ リ ン・ ゲ イ ブ ル ズ 』 を 読 ん だ の は 昭 和 一 四 年 頃 だ っ た が、 ミ ス・ シ ョ ー と い う カ ナ ダ 人 (中略)の寄贈本である。 (中略)西欧諸国とのあいだがおだやかで なくなりかけた頃で、老年の彼女はカナダに帰ることになった。そ のとき、私に手ずれた『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』を残し て く れ た。 ( 中 略 ) 空 襲 警 報 が 出 る と 家 じ ゅ う の 戸 を し め て、 外 に 洩れないようにおおいをした電灯のもとで訳しつづけた

」 太平洋戦争が迫る中でやむなく帰国するカナダ人女性から原書を 譲られ、空襲の恐怖の下で訳し続けたという語りによって、まさに 戦争に抵抗する書物と翻訳であったかのような、ドラマティックな 意 味 付 け が な さ れ る。 こ の エ ピ ソ ー ド は 孫 の 村 岡 恵 理 に よ る 評 伝 『 ア ン の ゆ り か ご   村 岡 花 子 の 生 涯 』 ( マ ガ ジ ン ハ ウ ス、 二 〇 〇 八・ 六 ) で も 強 調 さ れ、 そ れ に 基 づ く N H K 連 続 テ レ ビ 小 説『 花 子 と ア ン 』 ( 二 〇 一 四 年 上 半 期、 脚 本・ 中 園 ミ ホ ) で は、 空 襲 下 で 村 岡 が 原 書 と翻訳を死守する場面が山場になった。ただし実は、初めて『赤毛 のアン』を読んだ時期については第一次大戦直後と述べた文もあり

、 や や 疑 義 が あ る。 し か し と も か く 村 岡 花 子 は、 『 赤 毛 の ア ン 』 が 訳 者の特別な経験と戦前からの時代性を負った書であるとアピールし、 現在でもそこに価値が見出されているのである。 次に『赤毛のアン』の出版元三笠書房は、昭和十年代に教養叢書 講座をいくつも出し、また『風と共に去りぬ』を日本で最初に出版 し た ( 一 九 三 七 ) 社 と し て も 有 名 だ っ た。 こ の 社 か ら 出 版 さ れ た こ とで、若い女性読者の教養書的な性質が示されたことになる。そし て売り上げが良かったこともあり、同社の若草文庫に収められ、さ らに五九年には同社の女性向き『世界若草文学全集』全三二巻の第

(3)

一 回 配 本 と し て、 全 集 の 目 玉 と な っ た。 こ こ で『 ジ ェ ー ン・ エ ア 』 『大地』 『狭き門』といった世界名作と肩を並べたのである。 いっぽう翻訳者村岡花子も、活躍の場を広げていく。小倉千加子 が指摘するように、 『赤毛のアン』出版前から村岡はすでに「親米、 親キリスト教イデオローグとして

」発言し、戦後社会を担う女性知 識人として公的な役割も増えていった。そうでありながら村岡は自 らが家庭婦人であることを折につけ語り、 服装は和服に徹した。 『赤 毛 の ア ン 』 を 解 説 し た「 緑 の 切 妻 屋 根 の ア ン   美 し い 心 の 少 女 」 (『 そ れ い ゆ ジ ュ ニ ア 号 』 一 号   一 九 五 三・ 三 ) と い う 文 で も、 「 世 界的の有名人になつたミス・モンゴメリイはあつちこつちからの招 待状攻めに逢いました。けれどもみんなことわりました。たつた一 人 の 祖

ママ

母 さ ん を の こ し て は ど こ へ も 行 き た く な か つ た の で す。 ( 中 略)相変らずお料理をしたり、洗濯をしたり、お皿洗いをしたり床 こすりをしたりしていました」と、作者モンゴメリが家事にいそし む質実な女性であったことの素晴らしさを述べている。 そうした中で『赤毛のアン』の一部が、五〇年代から七〇年代に かけて、複数の中学校国語教科書に採用された

。教育性の高い名作 と し て 公 け に 認 知 さ れ た こ と に な る。 ま た こ の 教 科 書 掲 載 に よ り、 男子学生にも知られるようになった。 こうして『赤毛のアン』は、戦後レジームにふさわしい価値を帯 びていった。カナダ・メソジスト教会が設立した東洋英和女学校で 英米文化を深く学び、多数の公的役職(文部省嘱託、日本翻訳家協 会副会長、行政監察委員会委員など)に就いた村岡花子が、戦中に 命がけで訳した、北米大陸の家庭生活を描く小説。それは反軍国主 義的であり、親米的であり、パクス・アメリカーナにおいて必須の 教養や国際的女性モデルを教える。主人公アンの果敢な自己主張や 男子少年と対等に渡り合う姿は、戦後民主主義・男女平等社会での、 教育的少女像ともなる。しかも原作者もアンも翻訳者も、堅実な良 妻 賢 母 像 か ら 逸 脱 せ ず、 旧 体 制・ 旧 秩 序 と の 連 続 性 を 保 っ て い た。 まさに『赤毛のアン』は、五〇年代から七〇年代にかけて、戦後日 本社会の理想的・規範的な少女向きの書物となったのである。 しかしそれだけであれば、時代が変われば効力も薄れたはずだと 考えられる。そこへ七〇代末、強烈なカンフル剤のような現象が起 きた。いわゆる〈メディアミックスの成功〉である。まずはミュー ジ カ ル が 上 演 さ れ( 来 日 版 一 九 七 〇、 劇 団 四 季 版 八 〇 ~) 、 さ ら に 全 五 〇 回 の テ レ ビ ア ニ メ『 世 界 名 作 劇 場   赤 毛 の ア ン 』( フ ジ テ レ ビ系)が七九年に一年間放映された。 このアニメーションは、のちにスタジオジブリで活躍する高畑勲 が監督し、宮崎駿も一部を手伝った。美しい自然風景や人物の繊細 な心理描写、洗練された音楽表現などで高く評価されている。監督 のこだわりが随所に活かされ、回によっては原作よりも感動的な補 強部分が加えられた。また高畑はのちのインタビューで、作るにあ たって客観的に、主人公から距離をとって映像化したと述べている

。 その結果このアニメは、大人や男子の視聴者にも受け入れやすい作 と な り、 『 赤 毛 の ア ン 』 の 知 名 度 を さ ら に 高 め た。 八 〇 年 代 は ち ょ うど、日本のサブカルチャーの勢力が飛躍的に伸びる時期にあたる が、 そ の 直 前 に、 『 赤 毛 の ア ン 』 に 新 た な 魅 力 が 付 け 加 え ら れ た の である。 このアニメ化以後アンは、サブカルチャーのキャラクターのよう に愛されることになる。関連書籍も次々と出版され、プリンス・エ

(4)

ドワード島への旅情を誘う写真集などを含め、ヴィジュアル面を重 視 し た 書 が 数 十 冊 刊 行 さ れ た。 『 世 界 名 作 劇 場 』 で ア ニ メ 化 さ れ た 他の児童文学は、主人公がもっと幼かったり少年だったり旅ばかり していたりするので、料理や手芸の本は展開しにくかった。その点 『 赤 毛 の ア ン 』 は、 若 い 女 性 が 手 に 取 り た く な る 関 連 本 を 出 し や す かったといえる。八〇年代以降、女性に経済力がついたこともこれ らの売り上げを伸ばし、島への観光客も増える結果となった。初め に紹介した日本での人気の高さの「謎」は、このアニメ化以降の現 象として見るとかなり解明されるといえよう。

  九〇年代フェミニズム批評と『赤毛のアン』

 

    補填と依存

しかし広範な人気を得て受容が活性化したのち、急に、作家やテ ク ス ト に 批 判 的 な ま な ざ し が 注 が れ る 時 期 が 訪 れ る。 五 〇 年 代 に いったん規範化され、八〇年代に大衆的人気を得たことで、九〇年 代フェミニズム批評の恰好のターゲットとなるのである。 まず小倉千加子の論が衝撃を与える。 九一年から雑誌 『イマーゴ』 に連載された「アンの迷走 ― モンゴメリーと村岡花子

」で小倉は、 『 赤 毛 の ア ン 』 は ア メ リ カ で は も は や 忘 れ ら れ、 日 本 人 だ け が 有 り 難がっているとし、プリンス・エドワード島で現地のガイドから聞 いたモンゴメリの自殺の話も日本人は知らずにいると述べた。モン ゴメリの自殺は、死後六〇年以上経った『赤毛のアン』出版百周年 の二〇〇八年にようやく遺族が公表するまで、牧師の妻であったた めか公けには伏せられていた。それを明言したのである。 この自殺説を核に小倉は、モンゴメリには「結婚への諦念とヒュ ブリス(深い層での思い上がり

)」があり、 「彼女は(中略)理想の 牧師夫人を演じ、二人の男の子を育て、夫の鬱病を隠し、家族の名 誉を守り、二流の作家となった

」と、夫の鬱病を世間に隠して偽善 的 な 結 婚 生 活 を 送 っ た 作 家 だ と 指 摘 し た。 ま た「 モ ン ゴ メ リ ー に とって、アンの収まるべきところは〝家庭〟であって、そこに基盤 を 持 た な い 少 女 の 有 り 様 な ど は 想 像 す る こ と は で き な い の で あ る

」 と、作中のアンも偽りの理想的家庭婦人として描かれたと批判的に 捉え、さらには翻訳者村岡花子も「妻が稼ぎ、夫がそのマネージメ ントをするという、当時にあっては変則的な夫婦の関係を隠蔽する かのように、積極的に夫を立て、夫唱婦随を演じ

」たとした。 「『赤 毛 の ア ン 』 は、 「 子 持 ち の 婦 人 型 」 の 女 性 が 最 も 幸 福 に な れ る と い う価値観の持ち主によって創作され、同じ価値観の持ち主によって 訳された。/しかし、この(中略)タイプが、彼女たちが本当に目 指していたものとは違う女性であったことにおいて、モンゴメリー と村岡花子は共通しているのである

」 この連載は十年以上たって大幅に改稿の上単行本化され

、その加 筆部分で『赤毛のアン』の日本での人気の高さも次のように総括さ れた。アンのように「結局はライバルである恋人と結婚し、 (中略) 平凡でも「幸福」な生活で補償する。 (中略) 『赤毛のアン』は、戦 後 か ら 一 九 八 〇 年 代 半 ば ま で の 日 本 人 女 性 に と っ て 自 分 の「 能 力 」 の自己評価とそれに釣り合わない「地位」の落差を補填し、自己の あ り よ う を 肯 定 す る た め に、 無 意 識 に 選 ば れ て き た 読 み 物 で あ る。 (中略)アイデンティティなど確立しなくてもいい、 「自立」も「独 立」もしなくてもいい。/「そのままのお前でいい」と肯定してく れる 「故郷」 (=親) の理想的な姿が、 『赤毛のアン』 にはある」 (「第

(5)

8章「 「ロマンチック」の呪縛」 ) つまり結婚生活に疲弊し自殺したモンゴメリを、良妻賢母的生き 方に抑圧されつつ規範的女性を描いた作家とみなし、アンを紹介し た村岡花子も同様な良妻賢母型を演じたとする。そして日本の女性 読 者 た ち は、 こ の よ う な 作 家 と 訳 者 の 手 に よ る、 「 才 能 」 に 見 切 り を付け家庭に入る女性(アン)を描く作品に未だ肯定されようとし、 自立できない人生の補填として『赤毛のアン』を読んでいる、と批 評したのである。 これは女性の自立を阻む日本社会を糾弾し告発しようとする論で はあった。しかし作家の生涯とテクストの意義を直結させ、また日 本人女性の現実的な課題から、否定すべきテクスト・主人公として 『 赤 毛 の ア ン 』 を 捉 え て し ま っ た 点 に は 問 題 が あ っ た と い え よ う。 とはいえモンゴメリ、アン、村岡花子、さらに日本人女性愛読者と 日本社会までをあざやかに斬り、それまでにない視点をもたらした 画期的な論であったことは間違いない。 こうしたフェミニズム批評が衝撃を与える時代にあって、その後 しばらく、小倉論と立場を同じくするような女性の論が続くことに な る。 ま ず 作 家 松 本 侑 子 は、 『 赤 毛 の ア ン 』 を 新 た に 翻 訳 し た 立 場 でありながら、九二年開始の連載エッセイ「アン・シャーリーの憂 う つ、 そ し て 夢

」 で、 「 モ ン ゴ メ リ は( 中 略 ) 男 性 優 位 社 会 に お も ね っ て、 男 社 会 が 期 待 す る 少 女 像 に 沿 っ た 少 女 小 説 を 描 き 続 け た 」 と 述 べ、 『 赤 毛 の ア ン 』 は「 家 の 存 続 の た め に、 自 己 の 夢 を あ き ら める若者の話である。アンが進学よりも「家」を守ることを選んだ のは (中略) 恩返しのためとも言える。けれど、 「家」 の犠牲になっ た こ と に 変 わ り は な い 」 と、 や は り 守 旧 的 で 抑 圧 的 な 面 を 論 じ た。 ま た 新 訳『 赤 毛 の ア ン 』 ( 集 英 社、 一 九 九 三・ 四 ) の「 訳 者 あ と が き 」 で は、 モ ン ゴ メ リ は「 「 男 社 会 の 秩 序 を 乱 す 女 ら し く な い 作 家、 不 道徳な作家」という批判を恐れ」 、「女の真実を書けなかった卑小な 自らへの絶望と悔い」の中で死んだ、と「男社会の秩序」に従った モンゴメリとアン像の限界を指摘している

。 次に、英米児童文学研究者の横川寿美子の論集『赤毛のアンの挑 戦 』 ( 宝 島 社   一 九 九 四・ 三 ) が 刊 行 さ れ た。 こ れ も 当 時 の フ ェ ミ ニ ズム批評に、ある程度コミットしているとみなせる。横川は、アン の世界は葛藤がなく、願望がスムーズに実現する物語であり、その ため少女が「確固たる自己を掲げ、それを主張することが広く是認 さ れ る 」 社 会 に な れ ば 読 ま れ な く な る か も し れ な い、 と 問 い 直 す

。 そして物語中でアンが安住する「女のユートピア」を、非現実的な フ ァ ン タ ジ ー ラ ン ド だ と 評 し た。 し か し、 こ の「 女 の ユ ー ト ピ ア 」 性などは、物語内でユートピアを読むことによって読者は現実に立 ち向かう力を得る、といった方向で評価することもできたはずだが、 当時はそのような捉え方は語りにくかったようである。 さらにカナダ在住ライター梶原由佳も、 『『赤毛のアン』を書きた く な か っ た モ ン ゴ メ リ 』 ( 青 山 出 版 社   二 〇 〇 〇・ 四 ) の 中 で、 手 紙 や 評伝などから、モンゴメリの人生が抑圧の中で営まれたと検証した。 ただし表題の「赤毛のアンを書きたくなかった」という言葉は、モ ンゴメリが手紙の中で愚痴的に書いた言葉をやや過大に取り上げた ものであるが、アンのお料理本やプリンス・エドワード島の写真集 などに心躍らせるファンに対し、インパクトを与えるべく選ばれた 表現であったようだ。 以 上 の よ う に 九 〇 年 代 以 降、 女 性 の 評 論 家、 作 家、 研 究 者 ら に

(6)

よって、不幸な結婚を隠したモンゴメリの人生が批判的に見直され、 彼女が描いた女性像も時代遅れではないかと問われた。またその物 語に囚われ依存するように見える日本人愛読者たちにも、疑問が呈 されたのである。もちろんこれらは、女性読者の覚醒を願うフェミ ニズムの立場からなされた主張だが、今日から見れば、狭隘な面が あったといえよう。作家自身の不幸や自殺とテクストの評価を直に 繋げるような本質主義的な見方がなされ、読者に関しても、欧米の 女性と比べて進んでいる/遅れているという、女性を分断化し空間 的・ 時 間 的 に 序 列 化・ 階 層 化 す る 考 察 が な さ れ て し ま っ た。 ま た 『赤毛のアン』以後の、 「アン」シリーズ中のフェミニズム的に評価 できる要素 ― アンがいったん諦めた大学に進学し中学の校長にま でなる点、結婚後も地域社会で活躍する点、中高年女性やオールド ミスの多様な生き方が魅力的に描かれ、女性コミュニティの豊かさ を示した点 ― なども軽視された。それらは裏返されて、次なる読 みの問題を生みだしていくことになる。

  男性論者による再評価 ゼロ年代の「幸福」論

ゼロ年代には、九〇年代の批判を丁度逆転させるように、日本の 男 た ち が ア ン を 同 様 の 観 点 か ら 肯 定 し、 〈 逆 襲 的 〉 に 語 る 時 代 が 訪 れる。いわば反動期の始まりである。 ま ず 評 論 家 小 谷 野 敦 が、 自 身 も『 赤 毛 の ア ン 』 の フ ァ ン で あ り、 小倉千加子の連載を熱心に読んだと述べながら、以下のように語っ た。 「私は大学や大学院で出会った女性たちの口から、 「アン」が好 きだとか、いわんや熱狂的なファンだとかいう話を聞いたことがあ ま り な い。 「 ア ン 」 人 気 を 支 え て い る の は、 こ う い う 超 エ リ ー ト 女 性たちではなく、二、三流の大学や短大を出た程度の、どちらかと い え ば お と な し め の 女 性 た ち だ と い う の が 私 の 印 象 だ。 ( 中 略 ) ア ンが教師として働いた後に通うレドモンド大学も(中略)日本で言 えば、地方の高校で上から五番目くらいの成績の女の子が二流どこ ろの大学へ進むようなものであり、実際に「アン」の人気を支えて いるのは、こうした階層の女性たちなのだ

」 小谷野によればアンを好きな女性たちは、才能も技能もそれへの 執 着 も な い「 飛 べ な い ア ヒ ル 」 の よ う な 存 在 で、 「 自 己 実 現 」 な ど とは無縁であり、そういう人の避難所が『赤毛のアン』なのだとい う。また「何ら確証はない」と断りつつも、モンゴメリの夫が重い 鬱病になったのは、妻が作家として成功したためではないかとも述 べた。 これは「自己実現」などできない女性を『赤毛のアン』が支えて いる、という見解であり、またモンゴメリの夫の病気も妻の成功に よると見て、 女性の「自己実現」の可能性や、 その「イデオロギー」 性を懐疑する論と考えられる。 しかし夫の鬱病に関しては、すでにモンゴメリの研究では一様に、 夫が結婚前から鬱傾向にあり、その原因は宗教的な信念によるもの で、妻の活動とは無関係に進行したと判断されている。そうした書 籍が既に幾冊か出ていたが

、それらに注目せずに論が進められてい る。 ま た 学 歴 云 々 に 関 し て は、 小 谷 野 自 身 も 十 年 後、 「 そ の 後、 一 回 り 年 上 の 東 大 出 身 の 美 し い 女 性 か ら、 『 赤 毛 の ア ン 』 が 好 き だ っ た と 聞 か さ れ た。 ( 中 略 ) ど う や ら 一 回 り 上 に は、 文 学 好 き な 高 学 歴女性というのがいたらしい

」と、自らの意見を修正している。 ともあれ小谷野論は、小倉千加子らが批判した『赤毛のアン』の

(7)

非自立的傾向を逆に肯定し、読者をそこに留まろうとする人々と見 る。九〇年代フェミニズムが批判した点に、むしろ多くの女性の取 るべき生き方が表されているのではないかと示唆したのである。 続 い て 大 塚 英 志 は『 物 語 消 滅 論 』 ( 角 川 書 店、 二 〇 〇 四・ 一 〇 ) で、 ネット上のトラブルで同級生を学校で刺殺した佐世保の小学六年生 の 加 害 女 児 が、 少 年 鑑 別 所 で「 『 赤 毛 の ア ン 』 を 読 み ふ け っ た 」 と い う 情 報

に 即 し、 「 も う 少 し 早 く『 ア ン 』 に 出 会 え ば よ か っ た、 と 思います。 (中略) 『赤毛のアン』ほど戦後の日本女性の自我形成に 寄 与 し た 小 説 は な い の で す 」 と、 「 日 本 女 性 」 に と っ て の『 赤 毛 の アン』 の特別性を示した。 佐世保の加害女児は事件前、 高見広春 『バ トル・ロワイアル』 (太田出版、 一九九九・四、 幻冬舎文庫版、 二〇〇二・ 八 ) を 愛 読 し て い た が、 そ の よ う な サ ブ カ ル 本 で は な く、 『 赤 毛 の ア ン 』 が 必 要 だ っ た と 説 い た の で あ る。 お そ ら く こ れ は 先 述 し た、 同じ二〇〇四年に出版された小倉千加子 『「赤毛のアン」 の秘密』 が、 日本女性は自立できない人生の補填のためアンを読む、と批判的に 捉えていたのと、ちょうど逆方向から評価したものと思われる。大 塚はこの時期、近代的個人の〈私〉を仮構するには文学が必要だと し き り に 主 張 し、 そ の 観 点 に 沿 っ て「 日 本 女 性 」 と『 赤 毛 の ア ン 』 の 関 係 も 捉 え た と 考 え ら れ る が、 こ の 評 価 は む し ろ、 「 日 本 女 性 」 をある型にはめる素材として『赤毛のアン』の有用性を語っている。 フェミニズム批評はここでも裏返されようとしているのである。 さらに英文学者の山本史郎は『東大の教室で『赤毛のアン』を読 む   英文学を遊ぶ9章』 (東京大学出版会、 二〇〇八・一二) という本で、 村岡花子訳の『赤毛のアン』では、アンの親代わりであるマシュウ とマリラ兄妹の兄のマシュウが死に、マリラとアンが慰め合う場面 において、マリラのセリフが省略されていることを取り上げた。そ し て 村 岡 訳 で は マ リ ラ が「 お っ か な い お ば あ さ ん 」 と い う「 類 型 」 に仕立てられているので、マリラの人柄が変わるような心弱いセリ フをしゃべらせることができなかったのだろうと論じた。 しかしこれは実は、山本本人も「わたしの想像にすぎない」と述 べているように、何の根拠もない推論である。村岡訳の省略につい ては出版の際のページ数調節のためではないか、などの見解があり、 また省略されたセリフがなくてもマリラの心中の変化は他の場面か ら充分理解できる、と言われている。しかし山本は、村岡が登場人 物 像 の 固 定 化 の た め に 重 要 な セ リ フ を 削 っ た と 断 定 し、 か つ そ の 「自分の想像のなか」の悩める村岡花子像を「たまらなくいとおし」 い、などと評している。この評価は「東大」で『赤毛のアン』を読 む、という権威化された姿勢から生まれていると思われる。ここで も『赤毛のアン』を読むのになぜか学歴が示され、その序列の中で アンを語る地位が確保される。そして最高学府の立場から、女性翻 訳家の力量不足を指摘し、読者を啓蒙する。この点で、一連の男性 が語る『赤毛のアン』問題と、ベクトルを共有している本だと考え られる。 そして最も問題をはらむと思われるのが、新たなアン・ブームを 牽引したと言われる、脳科学者茂木健一郎の本である。茂木がアン の大ファンだと公言した後、プリンス・エドワード島を訪れる日本 人男性観光客が増えたと言われるほど、影響力があったとされる。 そ の 茂 木 の『 赤 毛 の ア ン に 学 ぶ 幸 福 に な る 方 法 』 ( 講 談 社 文 庫、 二 〇 〇 八・ 一 二 ) は、 少 年 時 代 に ア ン に 夢 中 に な り、 高 校 時 代 に 原 書 でシリーズを全部読破し、幸福になる方法を学んだという話から始

(8)

まる。その方法とは「役に立つかどうか」の価値基準などで人をは からず、幸福を「個人の主観」と捉えることにあるという。つまり 人がどう思おうと自分は幸せだと思え、それを想像力豊かなアンの 生き方から学べる、というのである。そのように「幸福」を定めて から茂木は、以下のように、思いの外に保守的なジェンダー観・社 会観を述べていく。とても「個人の主観」の自由を尊重するような 意見には見えない。 ま ず、 「 脳 の 中 に は 過 去 の 歴 史 が 履 歴 と な っ て 蓄 積 さ れ て い る 」 から、過去「何千年と積み重ねてきた男女の役割の違いというのは、 時代が変わったからといって即座に変更できるものではない」とし、 「男は外で戦い、女性は次の世代を担う生命を育む。 (中略)脳に組 み込まれた過去の履歴に従って、今もそれぞれが行動している傾向 がある。そしてその際に、女性は外見が自分の立場を左右しうると いうことを、どうしても経験として持っている」と主張する。その ように女性は外見で立場が左右されるとしながら、アンの赤毛につ いては、別に赤毛のどこが悪く、他の人が「どう思うかということ は 」 書 か れ て い な い の で、 ア ン の 外 見 的 劣 等 感 は「 主 観 的 な も の 」 に過ぎず、ありのままの自分らしさと和解できるはずだ、と諭して いる。 ここには二つの問題がある。まず男女の役割が、文化として継続 されてきたというならまだしも、脳に刻み込まれていると言うのだ から、個人で変更できない生物的決定項だと思わせる。従って男性 の た め に 女 性 が 外 見 を 気 に す る の も 不 変 の 原 則 と い う こ と に な る。 しかもそう語りながら、外見の劣等感は主観的なもので、自分と和 解しろとも言う。女性は外見を気にせよ、しかしそれで悩むのは自 分のせいだ、という話になっている。一種の自己責任論といえよう。 ただしこの赤毛の話は、西欧社会における赤毛の意味を全く理解 していない、無責任な発言である。アンが赤毛を気にしたのは西欧 の文化的・社会的文脈に則り、赤毛を異端視する歴史をふまえての こ と で

、 決 し て 自 分 の 主 観 で 勝 手 に 悩 ん だ わ け で は な い。 そ れ を、 悩み傷つくのは自分のせいだとして、あなたが不幸なのは社会のせ いではない、自分の主観を変えなさい、と勧めているのである。 次に茂木はモンゴメリの「エミリー」シリーズ

の、作家になろう と努力するエミリーとアンとを比べ、欧米で人気があるエミリーよ りも、家庭を大事にするアンの生き方を勧め、それが戦後日本女性 の理想の生き方だ、正解だ、日本の男性にとっての好みだ、とたた み か け て い く。 「 い ろ い ろ 選 択 肢 は あ っ て も、 や っ ぱ り ア ン み た い な生き方が正解なのだと。 (中略) おそらく多くの日本の男性にとっ て、エミリーのような人物は、あんまり好みではないだろうという こ と で す。 ( 中 略 ) 男 性 が ど う い う 文 化 を 形 成 し て い る か で、 そ の 国の全体的な文化像も見えてきます。女性の生き方のロールモデル を考察する上では、必ずもう一方の男性の生き方というのも併せて 考えていかなくてはならないのです」 ソフトな語り口であるが、既存文化や男女の階層差、男性の女性 観などの現状を受け入れ、内面化せよ、と指導しているといえよう。 しかも「等身大の自分」の運命を受け入れて「幸福を目指」せとも 語るので、日本女性として「運命」に従い、社会も男性も何も変え ることなく、自分の心もちの方を変えて明るく幸せに生きよう、と 提言していることになる。 続 く『 赤 毛 の ア ン が 教 え て く れ た 大 切 な こ と 』 ( P H P 研 究 所、 二

(9)

〇 一 三・ 三 ) で 茂 木 は、 ア ン の よ う な 幸 せ を 手 に す る た め に は「 あ き ら め な い で 毎 日 を ち ゃ ん と 生 き 」 る こ と が 大 切 だ が、 そ の 上 で 「 大 学 進 学 を あ き ら め た 」 ア ン を 見 習 い な さ い、 と 語 る。 と い う の も「 ア ン が 幸 せ に な れ た の は、 自 分 の 夢 を あ き ら め な か っ た こ と、 そ れ と 同 時 に 自 分 に 起 こ っ た 運 命 を 受 け 入 れ る こ と が で き た か ら 」 である。あきらめないで頑張ったあと、運命を受け入れれば幸せに な れ る ― 。 そ れ な ら 初 め か ら あ き ら め て も 良 さ そ う な も の だ が、 若者が最初からすべてあきらめていては秩序も制度も維持できない だろうし、彼らに、運命を受け入れる前にしばらくはあきらめずに 励みなさい、と言う必要があるのだろう。 そ し て こ の 本 の 本 論 最 終 部 分 で は、 「 平 凡 な 生 活 の 中 に、 本 当 の 喜 び が あ る の だ 」 か ら、 「 偏 差 値 の 高 い 学 校 に 入 ら な け れ ば、 あ る いは社会的に認められなければ、幸せになれないと思い込むことは ない」と言い切っている。またしても学歴的な話が出て、偏差値は 低 い ま ま で よ い、 と 教 え、 「 平 凡 」 な 人 生 に 留 ま る よ う 教 示 し て 締 め括られたのである。おそらく著者は、こうした言説の抑圧の強さ に気づいていないのだろう。

  新たな読みのために バックラッシュを超えて

このような男性たちの論は、小倉論の批判した、能力を認められ ずに「平凡」な「幸福」で補填されようとする日本人女性を『赤毛 のアン』が「そのままでいい」と肯定してしまうという点、あるい は 松 本 侑 子 の 指 摘 す る、 「 男 社 会 が 期 待 す る 少 女 像 」 へ の「 誘 導 と 封じ込め

」という面を、そっくりそのまま転倒させ、熱く賞賛して いるといえよう。自己実現も、運命に抗う夢も、社会的成功も不要 であり、従順な主体となり、既存社会と「平凡な生活」を受け入れ る こ と が 幸 せ だ と 教 え、 そ の 最 適 の テ キ ス ト と し て『 赤 毛 の ア ン 』 が称えられる。これらはいうまでもなく、為政者や秩序の側、階層 が上の立場の者にとって、大変都合のいい理論になっている。 ど う し て こ ん な こ と に な っ た も の か と 少 し 暗 澹 と さ せ ら れ る が、 とりあえず言えることは、ソフトな装いをとったバックラッシュの 波がゼロ年代に起きていたという事実、そして九〇年代フェミニズ ムの戦略ミス的な部分を、やはり認めるべきだろうということであ る。九〇年代フェミニズム批評としての小倉論が、日本人女性は古 臭いアンなど読んでいる、と女性を分断し階層化し、また人気テク ストを教条主義的に批判したこと。そのやり方では、批評の有効性 が十年もたなかったということになろう。批判は転倒され、マジョ リティの側に立つ装いで、より強烈に性差の秩序(ジェンダー)が、 アンに事寄せて強要されたことを記憶するべきだと思われる。 では再稼働する抑圧、強化されていくジェンダーの規範に、いか に対抗すべきか。現在到来している新たなアン・ブームは救いにな るだろうか。 前出の、 孫の村岡恵理による 『アンのゆりかご   村岡花子の生涯』 は、村岡花子が女学校の給費生という経済的に恵まれない立場から、 苦労を重ねて家庭をもち、作家・翻訳家として成功する軌跡を追っ ている。それは『赤毛のアン』で孤児のアンが、地域の人々に愛さ れる良き妻・母として成長する姿と重なり合う。ただしアンがカナ ダ の 一 地 方 プ リ ン ス・ エ ド ワ ー ド 島 で 終 始 暮 ら し た の と は 異 な り、 村岡花子は文壇に迎えられ、ラジオ放送も担当し、戦後は様々な公 的役割を担い、まさに中央で立身出世する。その点でアンと共通し

(10)

つつアンを超える、今日的な女性の自己実現のモデルとなると考え られる。ただしそれはまた一方で、翻訳者の神話化を進めることで もあり、新たな陥穽に陥る危険性もある。 また『アンのゆりかご』を原案とした二〇一四年上半期の連続テ レビ小説『花子とアン』は、村岡花子を実際よりも貧しい育ちに設 定 し、 「 必 死 に 夢 を 見 」 て

格 差 社 会 を 生 き 抜 く 花 子 の 姿 を 描 い た。 階層を上昇して幸せをつかもう、それが家族のためにもなる、とい うメッセージを広範囲の視聴者に向けて発し、高い視聴率を得たの であり、バックラッシュ状況を乗り越える表象となったと見ること もできる。しかし、実話の装いをとったかなり捏造的なドラマでも あるので、これも神話化による落とし穴や、ジェンダー制度を補強 する面を備えている可能性はある。 そうした中で今後の〈読み〉の可能性はどう開かれ得るのか。ま ずはテクスト・作家・読者、どれも一面的に捉えて断罪せず

、多様 な要素を見出すことが最低限の前提になろう。テクストや読者の一 枚岩でない多様性を、常に確認すべきだと考える。 その上でバラバラに散逸してしまう多様性ではなく、ある強度を もって読みの多様性の意義を示すことが、批評の課題となる。その ためには、時代の位相の中で〈アンを読む私たち〉をいかに語るか が、一つの立脚点となろう。論客に語られるばかりだった対象とし て の 読 者 像 を、 〈 私 た ち 〉 の 像 と し て 取 り 戻 す こ と。 そ の 中 で〈 私 たち〉にとってのテクストの意味も、受容の方法も刷新してみせる こと。それは『赤毛のアン』に限らず、サブカルチャーなどを分析 する場合においても、取り組まねばならない試みに他ならない。時 代のイデオロギーの規制に呑みこまれず、テクスト受容から見出せ る裂け目を絶えず追求する ― 。カノン的名作も、そこで新たな相 貌 を 見 せ る は ず で あ る。 『 赤 毛 の ア ン 』 は こ う し た 受 容 の 問 題 を わ れわれに突きつける、極めて今日的なテクストなのである。 ⑴   梶原由佳 『『赤毛のアン』 を書きたくなかったモンゴメリ』 青山出版社、 二〇〇〇・四。 ⑵   小 倉 千 加 子「 ア ン の 迷 走 ― モ ン ゴ メ リ ー と 村 岡 花 子・ 1   ア ン へ の 助走」 『イマーゴ』一九九一・五。 ⑶   斎 藤 美 奈 子「 編 者 か ら 読 者 へ   性 と 批 評 が 出 会 う と き 」 斎 藤 美 奈 子 編 『男女という制度  

一〇。 作劇場 「赤毛のアン」 メモリアルアルバム』 所収、 徳間書店、 二〇〇五・   「「 赤 毛 の ア ン 」 ス タ ッ フ・ イ ン タ ビ ュ ー ― 監 督・ 高 畑 勲 」『 世 界 名 画 を 作 り な が ら 考 え た こ と 』 所 収、 徳 間 書 店、 一 九 九 一・ 八。 お よ び   ⑼ 高畑勲 (インタビュー) 「「赤毛のアン」 制作の全貌に迫る」 高畑勲 『映 二~七七、 三省堂『中等国語二』一九六二、 『新国語一』一九六二。   ⑻ 光 村 図 書『 中 等 新 国 語 二 』 一 九 五 九 ~ 六 二、 『 中 等 新 国 語 一 』 一 九 七   ⑺ 小倉千加子「戦後日本と「赤毛のアン」 」注⑶前掲書所収。 ころだったでしょうか」とある。 み ま し た の は、 も う ず い ぶ ん 以 前 の こ と で す。 第 一 次 世 界 大 戦 の 直 後 の ア ン 』 所 収、 三 笠 書 房、 一 九 五 九・ 四。 「 わ た く し が こ の 本 を 初 め て 読   ⑹ 村 岡 花 子「 『 赤 毛 の ア ン 』 へ の 招 待 」『 世 界 若 草 文 学 全 集 』 版『 赤 毛 の いうこと』所収、あすなろ書房、一九六九・一一。   ⑸ 村 岡 花 子「 赤 毛 の ア ン 」 一 九 六 四・ 一 一。 村 岡 花 子 遺 稿 集『 生 き る と リンスエドワード島の歴史』河出書房新社、一九九五・六。   ⑷ ダ グ ラ ス・ ボ ー ル ド ウ ィ ン、 木 村 和 男 訳『 「 赤 毛 の ア ン 」 の 島 ― プ

21

世紀文学の創造7』岩波書店、二〇〇一・一一。

(11)

⑽   小 倉 千 加 子「 ア ン の 迷 走 ― モ ン ゴ メ リ ー と 村 岡 花 子 」『 イ マ ー ゴ 』 一九九一・五~九三・一。 ⑾   注⑽前掲連載第五回「ギルバート症候群」 『イマーゴ』一九九一・九。 ⑿   注⑽前掲連載第六回「 家

うち

なる天使」 『イマーゴ』一九九一・一一。 ⒀   注⑽前掲連載第一一回「二重底の箱」 『イマーゴ』一九九二・六。 ⒁   注⑽前掲連載第一五回「隠された刃」 『イマーゴ』一九九二・一一。 ⒂   注⒁前掲に同じ。 ⒃   小倉千加子『 「赤毛のアン」の秘密』岩波書店、二〇〇四・三。 ⒄   松 本 侑 子「 ア ン・ シ ャ ー リ ー の 憂 う つ、 そ し て 夢 」『 す ば る 』 一 九 九 二・五~一九九三・一二。 ⒅   た だ し そ の 後、 松 本 侑 子 は 次 々 と ア ン 関 連 の 書 籍 を 出 版 し、 朗 読 会 を 行 い、 講 演 を し、 さ ら に 近 年 は プ リ ン ス・ エ ド ワ ー ド 島 へ の 観 光 ツ ア ー を 毎 年 企 画 し て い る。 今 や ア ン と モ ン ゴ メ リ の 伝 道 者 と な っ て い る と い っ て も 過 言 で は な い。 松 本 な り に、 偽 り の ベ ー ル を は が し た 真 実 の ア ン と モ ン ゴ メ リ の 姿、 た と え ば シ ェ イ ク ス ピ ア な ど の 古 典 が き ち ん と 作 品 の ベ ー ス に あ る こ と な ど、 大 衆 的 人 気 の 中 で 見 失 わ れ が ち な 文 学 性 を 伝えることに使命感を覚えるようになったようである。 ⒆   この論自体は、小倉論より以前(一九八八―八九)に書かれている。 ⒇   小 谷 野 敦「 実 現 す べ き 自 己 な ど な い 時 ― ル ー シ ー・ モ ー ド・ モ ン ゴ メリ 『赤毛のアン』 」 初出 『ユリイカ』 二〇〇一・九、 『聖母のいない国』 所収、青土社、二〇〇二・五。   例 え ば モ リ ー・ ギ レ ン、 宮 武 潤 三・ 順 子 訳『 運 命 の 紡 ぎ 車   L・ M・ モ ン ゴ メ リ の 生 涯 』( 篠 崎 書 林、 一 九 七 九・ 一 二 ) お よ び、 メ ア リ ー・ ル ビ オ、 エ リ ザ ベ ス・ ウ ォ ー タ ー ス ト ー ン、 槙 朝 子 訳『 シ リ ー ズ〈 生 き 方 の 研 究 〉〈 赤 毛 の ア ン 〉 の 素 顔   L・ M・ モ ン ゴ メ リ ー』 ( ほ る ぷ 出 版、 一 九 九 六・ 三 ) な ど。 後 書 に 夫 の「 ユ ー ア ン は だ ん だ ん と ひ ど い 鬱 状 態 を 示 し、 自 分 は 永 劫 に 罰 を 受 け る べ く 呪 わ れ て い る と 信 じ こ ん で し ま っ た。 特 に ど の 罪 の た め と い う の で な く、 カ ル ヴ ィ ニ ズ ム 神 学 の 予 定 説 で は、 あ る 特 定 の 人 々 は 死 後 の 地 獄 行 き が 決 め ら れ て お り、 良 い 行 い も こ れを変えられないとしていた」 (「

アン』所収、集英社、一九九三・四。   松 本 侑 子「 訳 者 あ と が き 」 L・ M・ モ ン ゴ メ リ、 松 本 侑 子 訳『 赤 毛 の  

Emily of New Moon

原題『 』以下の三部作。一九二三~二七年刊。 六・三)などに詳しい。   高 橋 裕 子『 世 紀 末 の 赤 毛 連 盟 ― 象 徴 と し て の 髪 』( 岩 波 書 店、 一 九 九 は二〇〇四年六月に起きた。   た だ し こ の 情 報 の 出 典 を、 大 塚 は 明 ら か に し て い な い。 事 件 そ の も の と『赤毛のアン』 」   小 谷 野 敦『 高 畑 勲 の 世 界 』 青 土 社、 二 〇 一 三・ 三「 第 四 章『 コ ナ ン 』

22

  ユーアンの最初の挫折」 )とある。

ジーム』所収、作品社、二〇〇八・二) 。   学 」 竹 村 和 子 編 著『 ジ ェ ン ダ ー 研 究 の フ ロ ン テ ィ ア 5 欲 望・ 暴 力 の レ い る。 ( 越 智 博 美「 戦 後 少 女 の 本 棚 ― 第 二 次 大 戦 後 の 文 化 占 領 と 翻 訳 文 し う る よ う に 自 己 成 型 を 促 す ジ ェ ン ダ ー 規 範 こ そ が 」 問 題 だ と 指 摘 し て   越 智 博 美 は、 『 赤 毛 の ア ン 』 そ の も の よ り も、 「 良 妻 賢 母 像 」 に「 同 化 本を書く」 (文・赤田康和) 『朝日新聞』二〇一四・三・二八。   「     ひ と 中 園 ミ ホ さ ん N H K の 連 続 テ レ ビ 小 説「 花 子 と ア ン 」 の 脚

[ 付 記 ]  本 稿 は 日 本 近 代 文 学 会 二 〇 一 四 年 五 月 春 季 大 会 で の パ ネ ル 発 表 を 修 正 し た も の で あ る。 パ ネ ル 発 表 に 参 加 し た 川 端 有 子 氏 と 吉 田 司 雄 氏 か ら は 有 益 な 助 言 を 多 々 頂 き、 運 営 委 員 の 武 内 佳 代 氏 や 会 場 か ら も 刺 激 的 な意見を頂いた。記して感謝申し上げる。

参照

関連したドキュメント

自己防禦の立場に追いこまれている。死はもう自己の内的問題ではなく外から

スターリングエンジンは同一シリンダにディスプレーサピストンとパワーピストンを配置するβ形と言われるタイ

名の下に、アプリオリとアポステリオリの対を分析性と綜合性の対に解消しようとする論理実証主義の  

期におけ る義経の笈掛け松伝承(注2)との関係で解説している。同書及び社 伝よ れば在3)、 ①宇多須神社

[r]

The author is going to discuss on morphological and phonological properties of, in traditional Japanese study KOKUGOGAKU, so-called auxiliary verb RAMU and related some

 そして,我が国の通説は,租税回避を上記 のとおり定義した上で,租税回避がなされた

その職員の賃金改善に必要な費用を含む当該職員を配置するために必要な額(1か所