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『詩經』「禘風」詩考

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Academic year: 2021

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(1)

『詩經』「禘風」詩考

(一)

殷 代 に 於 い て 風 は 主 に「 帝( = 禘 )」 祭 と「 ( = 寧 )」 祭 に よ っ て 祀 ら れ た。 契 文 の 用 例 か ら 推 す に、 禘 祭 に よ る 風 神 祭 祀 は、 季 節 每 に 吹 く 順 風 が 雲 を 呼 び、 雨 を も た ら し、 穀 物 の 生 育 を 促 す こ と を 希 求 す る 爲 の も の で あ っ た。 ま た 寧 祭 に よ る

風神祭祀は、穀物の生育を阻む旱天や水 の引き金ともなる暴風を鎭める爲のものであった。 拙 稿「 『 詩 經 』「 寧 風 」 詩 考

(一)

」 に 於 い て は、 右 の う ち の「 寧 祭 」 に よ る 風 神 祭 祀 に 該 當 す る 詩 で あ る 邶 風・ 終 風 篇、 小 雅・ 節 南 山 之 什・ 何 人 斯 篇、 同 谷 風 之 什・ 谷 風 篇 の 原 義 解 釋 を 試 み た。 本 稿 に 於 い て は、 も う 一 方 の「 締 祭 」 に よ る 風 神 祭 祀 に 起 源 を 有 す る と 考 え ら れ る 詩、 邶 風・ 凱 風 篇、 同 北 風 篇、 檜 風・ 匪 風 篇、 鄭 風・ 蘀 兮 篇、 大 雅・ 生 民 之 什・ 卷 阿 篇 の 原 義 を 解 釋 し、 こ れ ら の 詩 に 謠 わ れ る 風 の 興 詞 が、 風 の「 穀 物 の 生 育 を 促 す 」 呪 力 に 起 因 す る も の で あ り、 そ れ が 人 閒 に も た ら す 類 感 呪 術 的 な 力 が 女 性 に 懷 妊 や 多 產 を も た ら し、 延 い て は 集 團 に と っ て の 繁 榮 を も た ら す 呪 物 と し て 謠 い 込 ま れ た こ と を 論 證する。

一五一

『詩經』 「禘風」詩考   

福  本  郁  子

(2)

『詩經』「禘風」詩考一五二

(二)

風 は 他 の 神 々 と 同 樣、 善 と 惡 の 二 面 性 を 持 つ と さ れ、 人 々 は 善 の 風( = 順 風 ) を 我 が も と に 長 く と ど め、 そ の 恩 惠 を 多 く 享 受 し よ う と し、 ま た 惡 の 風( = 暴 風 ) を 鎭 め、 そ の 被 を 可 能 な 限 り 囘 避 し よ う と し た。 殊 に 農 耕 民 に と っ て は 年 穀 の 豐 饒 を 確 實 な も の と す る 爲 に、 季 節 每 の 定 期 的 な 祭 祀 が 缺 か さ ず に 行 わ れ、 ま た 風 を 避 け る 爲 に、 不 定 期 に 風 神 祭 祀 が 行 わ

れ た。 殷 代 に 於 い て は、 そ の 定 期 的 な 祭 祀 が「 帝( = 禘 )」 祭 や「 曰 」 祭 で あ り、 不 定 期 の 祭 祀 が「 ( = 寧 )」 祭 で あ っ た。 風は順風で吹く限りに於いては、惠雨を呼び穀物の生育を促し、豐饒をもたらすと考えられていたのである。 か か る 風 神 祭 祀 は 殷 代 に の み 限 る も の で は な く、 後 代 に 於 い て も な お 引 き 繼 が れ、 樣 々 な 農 耕 儀 禮 の 中 に 密 か に 息 づ い て い た。 例 え ば、 『 國 語 』 周 語 上 に は「 先 時 五 日、 瞽 吿 有 協 風 至、 王 卽 齋 宮、 百 官 御 事、 各 卽 其 齋 三 日 」 と、 王 の 籍 田 の 儀 禮 に 先 立 つ 五 日 前 に、 「 瞽( = 盲 人 の 樂 官

(二)

)」 が 春 風 の 到 來 を 吿 げ る こ と が 記 さ れ て い る。 春 の 農 耕 儀 禮 に 先 立 っ て 行 わ れ て い る 點 が 留 意 す べ き で あ ろ う

(三)

。 ま た、 『 山 海 經 』 大 荒 北 經 に は「 蚩 尤 作 兵 伐 黃 帝。 黃 帝 乃 令 應 龍 攻 之 冀 州 之 野。 應 龍 畜 水、 蚩 尤 請 風 伯 雨 師、 縱 大 風 雨 」 と、 風 の 神 で あ る「 風 伯 」 の 名 が、 雨 を 司 る 神 で あ る「 雨 師 」 と 併 記 さ れ て い る が、 こ の「 風 伯 」 の 名 は 風 を 司 る 神 の 名 と し て、 長 く 祭 祀 の 對 象 と し て 繼 承 さ れ た。 『 史 記 』 封 禪 書 や『 漢 書 』 郊 祀 志 上 等 に 見 え る 風 伯 の 廟 や 祠 は そ の 名 殘 で あ る。 そ の 後 も 風 伯 や 風 神 を 祀 る 廟・ 祠・ 壇 が 各 地 に 多 く 存 在 し た こ と が、 多 く の 文 獻 に 記 さ れ て い る。これらが總て殷代より傳えられた風の「穀物の生育を促す」呪力を信じ、祀る爲のものであったことは言を俟たない。 翻って見るに、 『詩經』の詩の中に、 風を興詞に謠い込むことで 直接的 0 0 0 に穀物の豐饒を祈願する詩はない。しかし風の「穀 物 の 生 育 を 促 す 」 呪 力 は、 閒 接 的 な 形 で 歌 垣 詩 や 婚 姻 の 祝 頌 詩、 祖 靈 祭 祀 詩 に 關 わ っ て い る。 で は 風 の 呪 力 は、 か か る 内 容 の詩にどのように關わっているのであろうか。以下に問題となる詩篇の原義を解釋し、檢證を試みる。

先ず歌垣詩を二篇解釋する。鄭風・ 蘀 兮篇と 邶 風・北風篇である。

(3)

『詩經』「禘風」詩考一五三

      鄭風・ 蘀 兮篇 第一章    蘀 兮 蘀

兮、風其 吹

女。叔兮 伯

兮、倡予 和

女。 第二章    蘀 兮 蘀

兮、風其 漂

女。叔兮 伯

兮、倡予 要

女。 (押韻   第一章   ○=鐸部韻、◎=歌部韻。   第二章   ○=鐸部韻、●=宵部韻) 〔 語 釋 〕 ○「 蘀 」 は 毛 傳 に「 蘀 、 槁 也 」 と あ り、 こ れ を 鄭 玄 が「 槁 謂 木 葉 也。 木 葉 槁、 待 風 乃 落 」 と し て よ り、 從 來 落 ち 葉 の 意 と 解 さ れ て き た。 し か し 王 引 之 が「 蘀 、 疑 當 讀 爲 檡 。 廣 雅、 棗、 檡 也 」( 『 經 義 述 聞 』) と 言 い、 高 亨 が「 蘀 、 借 爲 檡 、 木名、 質堅硬、 落葉晩」 、 また屈萬里も或說として「詩經稗雅卷一云、 按山海經曰、 甘棗之山、 共水出焉、 而西流注於河。 其 下 有 草、 葵 本 而 杏 葉、 黃 花 而 夾 實、 其 名 曰 蘀 、 可 以 已 瞢 。 共 水 在 鄭 衞 之 問、 其 地 爲 蘀 草 所 產 」 と 言 う 如 く、 檡 に 解 す べ き で あ る。 王 引 之 の 引 く『 廣 雅 』 に 見 え る 檡 の 別 名「 棗 」 は、 水 上 靜 夫 に よ る と 和 名 マ メ ガ キ で あ る

(四)

。 マ メ ガ キ と は 柴 田 桂 太 に よ る と 中 國 に 古 代 か ら 栽 培 さ れ て い た 果 樹 で、 現 在 の 柿 と 比 べ て 花 も 實 も 小 さ く、 枝 に 鈴 な り に 實 を つ け る と い う

(五)

。 後 述 す る 如 く、 そ の 多 實 性 故 に 興 詞 に 使 用 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 ○「 叔 兮 伯 兮 」 の 句 は 邶 風・ 旄 丘 篇 に も 使 用 さ れ て お り、

こ れ に つ い て 袁 梅 が「 叔、 伯、 在 本 詩 中 是 女 子 對 其 愛 人 的 昵 稱。 相 當 于 弟 弟、 哥 哥、 阿 弟、 阿 哥 」 と、 女 子 が 思 い 慕 う 異 性 を 呼 ぶ 稱 と 解 す る に 從 う。 ○「 倡 予 和 女 」 は 陳 奐 が「 倡 予、 予 倡。 予、 我。 …… 和 女、 女 和。 女、 爾 」 と 言 う 如 く、 「 予 」 は 我 の 意、 「 女 」 は 爾( な ん じ ) の 意。 前 出 の「 風 其 吹 女 」 の「 女 」 も こ れ に 同 じ。 「 倡 」 は 高 亨 が「 倡、 亦 作 唱 」、 ま た 程 俊英等が「倡、 卽唱字。說文、 倡、 樂也。段玉裁注、 經傳皆用爲唱字」と言う如く唱で、 うたう意。 「和」は程俊英等が「和、 讀 去 聲、 以 歌 聲 相 應 和 」 と 言 う 如 く、 歌 聲 に 合 わ せ て う た う、 唱 和 す る 意。 ○「 漂 」 は 毛 傳 に「 漂、 犹 吹 也 」 と あ り、 『 釋 文 』 に「 漂、 本 亦 作 飄 」 と あ る。 飄、 吹 く 意。 ○「 要 」 は 林 義 光 が「 要 犹 會 也。 禮 記、 要 其 節 奏。 要 訓 爲 結、 爲 約、 故 有 會 合之義」と言う如く會の意で、第一章の「和」と同じく、相手に合わせてうたう、唱和すること。

〔訓讀〕

(4)

『詩經』「禘風」詩考一五四

第一章    蘀 や 蘀 や、風其れ 女

なんぢ

を吹く。叔や伯や、 倡

うた

へば 予

われ

  女

なんぢ

に和せん。 第二章    蘀 や 蘀 や、風其れ女を 漂

く。叔や伯や、倡へば予   女に要せん。 〔日本語譯〕 第 一 章   ( た わ わ に 實 を つ け る ) マ メ ガ キ の 木、 マ メ ガ キ の 木、 風 が お ま え に 吹 き つ け る。 お に い さ ん お に い さ ん、 あ な たがうたうなら私もあわせてうたいましょう。

第 二 章   ( た わ わ に 實 を つ け る ) マ メ ガ キ の 木、 マ メ ガ キ の 木、 風 が お ま え に 吹 き つ け る。 お に い さ ん お に い さ ん、 あ な たがうたうなら私もあわせてうたいましょう。 こ の 詩 の 詩 意 に つ い て、 毛 序 は「 蘀 兮、 刺 忽 也。 君 弱 臣 强、 不 倡 而 和 也 」 と、 忽( = 鄭 の 莊 公 の 太 子 忽 ) を 謗 る 詩 で あ る と す る。 こ れ に 對 し て 朱 熹 は「 此 淫 女 之 詞 」 と、 淫 亂 な 女 の 詩 で あ る と 解 す る。 朱 熹 が 詩 意 を「 淫 亂 」 ま た は「 淫 亂 を 刺 る 」 詩 と す る の は、 實 は 非 常 に 示 唆 的 で、 そ れ は 往 々 に し て 歌 垣 詩 で あ る 場 合 が 多 い。 男 女 が 互 い に 異 性 を 求 め る 行 爲 を 指 し て、 ふ し だ ら で あ る と し た の で あ ろ う。 蘀 兮 篇 は 女 性 が 男 性 を 求 め て 誘 引 す る 歌 垣 詩 で あ る。 程 俊 英・ 蔣 見 元 は 旣 に こ の

詩 の 詩 意 を「 這 首 詩 可 能 是 當 仲 春『 會 男 女 』 的 集 體 歌 舞 曲。 稱 叔 稱 伯、 顯 然 是 女 子 帶 頭 唱 起 來、 男 子 跟 着 應 和 的。 而 且 不 止 兩 個 人、 而 是 一 群 男 女 的 合 唱。 周 禮 媒 氏、 仲 春 之 月、 令 會 男 女。 於 是 時 也、 奔 者 不 禁。 若 無 故 而 不 用 令 者、 罰 之。 司 男 女 之 無 夫 家 者 而 會 之。 說 明 了 詩 的 社 會 背 景 」 と、 歌 垣 詩 で あ る と 指 摘 し て お り、 我 が 國 に 於 い て も 目 加 田 誠・ 境 武 男・ 赤 塚 忠・ 白川靜等が同樣の解釋をしてい る

(六)

。 各 章 首 二 句「 蘀 兮 蘀 兮、 風 其 吹 女 」「 蘀 兮 蘀 兮、 風 其 漂 女 」 に つ い て 毛 傳 は「 興 也 」 と 言 う。 二 句 目 に 風 を 謠 い 込 む 興 詞 で あ る。 先 ず 一 句 目 に 見 え る「 蘀 」 で あ る が、 語 釋 で 旣 に 述 べ た 如 く、 檡 ・ 棗 で、 和 名 は マ メ ガ キ で あ る。 マ メ ガ キ が 枝 に た わ わ に 實 を つ け る 果 實 だ と す る と、 こ の 詩 の 興 詞 の「 主 」 に 當 た る 呪 物 は「 蘀 」 で、 「 風 」 は そ の「 從 」 に 當 た る も の

で あ る。 興 詞 中 の「 主 」 と「 從 」 の 關 係 と は、 こ の 場 合 は 多 產 を も た ら す 呪 力 を も つ も の が「 主 」 で、 そ の 多 產 性 を 閒 接 的

(5)

『詩經』「禘風」詩考一五五

に助ける呪力をもつものが「從」ということである。 た わ わ に 實 を つ け る 植 物 の 實 が、 「 多 實 → 多 子 」 と い う 類 感 呪 術( 類 似 の も の が 互 い に 影 響 し 合 う と い う 法 則 に も と づ く 呪 術 ) 的 な 發 想 に よ っ て、 多 產 の 呪 物 と し て 興 詞 中 に 使 用 さ れ た 例 は 他 に も あ る。 例 え ば 唐 風・ 椒 聊 篇 の 例 を 擧 げ る と、 第 一 章 に「 椒 聊 之 實、 蕃 衍 盈 升( 椒 聊 の 實 は、 蕃 衍 し て 升 に 盈 つ )〔 = 房 な り の サ ン シ ョ ウ の 實 は、 繁 り 稔 っ て 升 に 滿 ち る ほ ど 〕」 と 謠 わ れ、 「 椒 聊 之 實( = た わ わ に 稔 っ た サ ン シ ョ ウ の 實 )」 の 句 を 興 詞 に 使 用 す る こ と で、 新 婦 の 速 や か な 懷 妊 と 多 產 を 言 祝 ぐ 詩 が 構 成 さ れ て い る

(七)

。 蘀 兮 篇 の「 蘀 」 も こ れ と 同 じ で、 マ メ ガ キ の 多 實 性 を 人 閒 の 多 子 性 に 關 連 づ け る と い う 類 感呪術的な發想から興詞中に使用されたものである。 先 の 程 俊 英・ 蔣 見 元 が 指 摘 す る 如 く、 こ の 詩 が 男 女 に よ っ て 唱 和 さ れ た も の と す る と、 各 章 の 前 半 二 句 は 男 子 が 謠 い、 後 半 二 句 は 女 子 が 謠 っ た も の と 推 測 で き る。 か く 考 え る と 二 句 目 の「 女

なんぢ

」 と は 蘀 樹 を 指 す と 同 時 に 女 子 を も 指 し、 四 句 目 の 「 女 」 は 男 子 を 指 し て い る と い う こ と に な る。 こ こ に 風 の「 穀 物 の 生 育 を 促 す 」 と い う 呪 力 を 兼 ね 合 わ せ て 考 え る と、 「 蘀 樹 に 風 が 吹 い て 芽 吹 く よ う に、 女 子 に も 風 が 吹 い て 新 し い 生 命 を 宿 し て 欲 し い 」 こ と を 願 う 興 詞 と 解 し 得 る。 そ の 根 底 に は 如

上 の 類 感 呪 術 的 な 考 え 方 が あ る と み る べ き で、 風 の 持 つ「 豐 饒 → 多 產 」 の 呪 力 が、 蘀 樹 に も た ら さ れ る の と 同 じ よ う に 女 子 にももたらされんことを期待する興詞ということになろう。

      邶 風・北風篇 第一章    北風其 涼

、雨雪其 雱

。惠而好我、攜手同 行

。其虛其 邪

、旣亟只 且

。 第二章    北風其 喈

、雨雪其 霏

。惠而好我、攜手同 歸

。其虛其 邪

、旣亟只 且

。 第三章    莫赤匪 狐

、莫黑匪 烏

。惠而好我、攜手同 車

。其虛其 邪

、旣亟只 且

( 押 韻  第 一 章  ○ = 陽 部 韻、 ◎ = 魚 部 韻。   第 二 章  ● = 脂 部 韻、 △ = 微 部 韻 … 脂 微 合 韻。 ◎ = 魚 部 韻。   第 三

(6)

『詩經』「禘風」詩考一五六

章  ◎=魚部韻) 〔 語 釋 〕 ○「 涼 」 は、 王 先 謙 が「 涼、 寒 貌 也 者、 玉 篇 水 部 引 韓 詩 文。 …… 白 虎 通、 涼、 寒 也、 陰 氣 行 也、 言 涼 則 寒 至 矣。 皮 嘉 祐 云、 列 子 湯 問 篇 注 引 字 林、 涼、 微 寒。 釋 名 釋 州 國、 涼 州、 西 方 所 在 寒 州 也。 是 涼 有 寒 義 」 と 言 う 如 く、 寒 い 樣、 冷 た い 樣を形容する語。○「雨」は屈萬里が「雨、 作動詞解」 、 また袁梅が「在此是動詞、 雨雪、 是下雪的意思。漢書李廣蘇建列傳、 『 天 雨 雪、 武 臥 嚙 雪、 和 毡 毛 幷 咽 之 』、 雨、 是 落、 降 之 意 」 と 言 う 如 く 動 詞 に 解 す べ き で、 「 ふ ー ル 」 と 讀 む。 ○「 雱 」 は 毛

傳 に「 雱、 盛 貌 」、 集 傳 に「 雱、 雪 盛 貌 」 と あ り、 袁 梅 が「 與 滂 字 通。 形 容 雨 雪 下 得 很 大。 詩 集 傳、 雱、 雪 盛 貌。 雱、 又 作 霶 、 、 滂 」 と 言 う 如 く、 霶 、 、 滂 に 通 じ、 雪 が ひ ど く 降 る 樣 を 形 容 す る 語。 ○「 惠 而 」 の「 惠 」 は、 毛 傳 に「 惠、 愛 」 と あ り い つ く し む こ と。 「 而 」 は 王 先 謙 が「 古 然、 而 同 字。 惠 而 好 我、 犹 言 惠 然 好 我、 與 終 風、 惠 然 肯 來 句 例 同 」 と 言 う 如 く、 形 容 詞 を 作 る 助 字 の「 然 」 と 同 字 で、 「 惠 而 」 は「 惠 然 」 の 意 で あ る。 王 引 之 も 終 風 篇 の「 惠 然 肯 來 」 を「 惠 而 肯 來 」 で あ る と 言 う( 『 經 傳 釋 詞 』) 。「 而 」 字 は 訓 讀 で は 讀 ま ず に、 「 惠 而 」 は「 惠 と し て 」 と 訓 ず る。 い つ く し む 樣 を 形 容 す る 語。 ○「 攜 手 同 行 」「 攜 手 同 歸 」「 攜 手 同 車 」 は、 聞 一 多 が 指 摘 す る 如 く 結 婚 を 暗 示 す る 句 で あ り

(八)

、『 詩 經 』 の「 行 」 字 の 用 例 に は 嫁 ぐ 意 に 解 す べ き も の も 多 い が、 こ こ は 上 に「 攜 手 」 や「 同( と も ー ニ )」 と あ る の で、 「 攜 手 同 行 」 は「 手 を 攜

たずさ

へ て 同

とも

に 行

か ん 」 と 讀 む。 第 二 章 の「 歸 」 も「 行 」 と 同 義 で 行 く 意、 第 三 章 の「 車 」 は 馬 車 を 走 ら せ て 行 く 意 と 解 す る。 ○「 其 虛 其 邪 」 に つ い て は 馬 瑞 辰 が「 虛 者、 舒 之 同 音 假 借、 邪 者、 徐 之 同 音 假 借。 野 有 死 麕 傳、 舒、 徐 也。 虛、 徐 二 字 疊 韻。 淮 南 子 原 噵 訓 注 云、 原 泉 始 出 虛 徐、 流 不 止、 以 漸 盈 滿。 正 以 虛 徐 爲 徐、 虛 徐 卽 舒 徐 也 」 と 言 う 如 く、 「 虛 」 は 舒 の 假 借 字、 「 邪 」 は 徐 の 假 借 字 で、 い ず れ も ゆ っ く り す る 樣、 遲 い 樣 を 形 容 す る 語。 屈 萬 里 が「 其 虛 其 邪、 犹 言 慢 了 吧、 慢 了 吧。 欲 速 之 辭 也 」 と 言 う 如 く、 早 く せ よ と 急 か す 意 を 表 す 句。 但 し、 屈 萬 里 は こ の 詩 を「 此 蓋 詩 人 傷 國 政 不 綱、 而 偕 其 友 好 避 亂 之 作 」 と、 酷 い 政 治 の 行 わ れ て い る 國 か ら 迯 げ よ う と す る 内 容 に 解 し て い る が 首 肯 し 難 く、 結 婚 を 象 徵 す る 句 を 謠 い 込 ん だ 歌 垣 の 詩 で あ

る と 考 え る。 結 婚 を 象 徵 す る 句 と は、 各 章 三、 四 句 目 の「 惠 而 好 我、 攜 手 同 行 」「 惠 而 好 我、 攜 手 同 歸 」「 惠 而 好 我、 攜 手 同

(7)

『詩經』「禘風」詩考一五七

車 」 で、 謠 い 手( 女 性 ) が 男 性 を 急 か す 意 と 解 さ れ る。 歌 垣 を 背 景 に 謠 わ れ た も の と 考 え る と、 女 性 が 男 性 に 早 く 自 分 を 誘 っ て く れ と 誘 引 す る 意 味 を も か け て い る の で あ ろ う。 ○「 旣 」 は 聞 一 多 が「 犹 太 也。 旣 訓 已、 已 有 太 義。 孟 子 離 婁 篇、 『 仲 尼 不 爲 已 甚 者 』。 故 旣 亦 訓 太。 『 旣 亟 只 且 』、 犹 言『 太 疾 也 哉 』 也。 荀 子 子 衜 篇、 『 今 汝 衣 服 旣 盛、 顏 色 充 盈、 天 下 且 孰 肯 諫 汝 矣』 、 韓詩外傳三、 說苑雜言篇、 旣作甚。甚與太義同」 (「詩經通義(乙) 」)と言う如く、 甚だしい意。○「亟」は毛傳に「亟、 急 也 」 と あ り、 陳 奐 が「 爾 雅、 悈 、 急 也。 釋 文、 悈 、 本 或 作 。 又 作 亟 」 と 言 う 如 く、 ・ 悈 に も 作 る。 急、 い そ ぐ 意。 ○

「 只 且 」 は 集 傳 に「 只 且 語 助 辭 」 と あ り、 王 引 之 も「 只 亦 句 中 語 助 也 」( 『 經 傳 釋 詞 』) 、 王 先 謙 も「 只 且、 語 助 」 と 言 う 如 く、 語 助 詞 で、 訓 讀 で は 特 に 讀 ま な い。 ○「 喈 」 は、 馬 瑞 辰 が「 喈、 玉 篇 作 、 云 疾 風 也、 此 後 人 增 益 字。 喈 當 作 湝 、 又 通 淒。 說 文 湝 字 注、 一 曰、 湝 、 水 寒 也。 引 詩 風 雨 湝 湝 、 卽 鄭 風 風 雨 淒 淒 之 異 文。 邶 風 傳、 淒、 寒 風 也。 蓋 水 寒 曰 湝 、 風 寒 亦 爲 湝 、 其 喈 犹 其 涼 也 」 と 言 う 如 く、 湝 ・ 淒 と も 表 記 し、 水 や 風 の 冷 た い 樣 を 形 容 す る 語 で、 第 一 章 の「 涼 」 と 同 義。 ○「 霏 」 は、 毛 傳 に「 霏、 甚 貌 」 と あ り、 陳 奐 が「 霏、 甚 皃。 甚 與 盛 同 」 と 言 う 如 く、 程 度 が 甚 だ し い こ と。 ○「 莫 赤 匪 狐 」 の「 匪 」 は、 陳奐が「匪、非也」と言う如く、否定詞の非(あらーズ)と同義。

〔訓讀〕 第 一 章   北 風 其 れ 涼 た り、 雪 雨

る こ と 其 れ 雱 た り。 惠 と し て 我 を 好

よみ

せ ば、 手 を 攜

たづさ

へ て 同

とも

に 行 か ん。 其 れ 虛

おそ

し 其 れ 邪

おそ

し、 旣

はなは

だ 亟

いそ

がなん。 第 二 章   北 風 其 れ 喈 た り、 雪 雨 る こ と 其 れ 霏 た り。 惠 と し て 我 を 好 せ ば、 手 を 攜 へ て 同 に 歸 せ ん。 其 れ 虛 し 其 れ 邪 し、 旣 だ亟がなん。 第 三 章   赤 と し て 狐 に 匪

あら

ざ る 莫 く、 黑 と し て 烏 に 匪 ざ る 莫 し。 惠 と し て 我 を 好 せ ば、 手 を 攜 へ て 同 に 車 せ ん。 其 れ 虛 し 其 れ邪し、旣だ亟がなん。

〔日本語譯〕

(8)

『詩經』「禘風」詩考一五八

第 一 章   北 風 は 冷 た く 吹 き 荒 び、 雪 を も 降 ら せ る。 私 の こ と を 深 く 愛 し て く れ る な ら、 手 に 手 を と っ て と も に 行 き ま し ょ う。ぐずぐずせずに、さあ早く。 第 二 章   北 風 は 冷 た く 吹 き 荒 び、 雪 を も 降 ら せ る。 私 の こ と を 深 く 愛 し て く れ る な ら、 手 に 手 を と っ て と も に 行 き ま し ょ う。ぐずぐずせずに、さあ早く。 第 三 章   赤 い の は キ ツ ネ( = 女 を た ぶ ら か す 惡 い 男 )、 黑 い の は カ ラ ス( = 男 を た ぶ ら か す 惡 い 女 )。 ( 誘 惑 に 惑 わ さ れ な

い で ) 私 の こ と を 深 く 愛 し て く れ る な ら、 手 に 手 を と っ て 馬 車 を 走 ら せ 行 き ま し ょ う。 ぐ ず ぐ ず せ ず に、 さ あ 早 く。 こ の 詩 意 に つ い て 毛 序 は「 北 風、 刺 虐 也。 衞 國 竝 爲 威 虐、 百 姓 不 親、 不 相 攜 持 而 去 焉 」 と、 衞 の 虐 政 を 刺 る 詩 で、 苦 し む 民 が 國 を 棄 て て 迯 げ る を 謠 っ た も の と す る。 朱 熹 も 略 毛 序 說 を 踏 襲 し て、 「 北 風 雨 雪、 以 比 國 家 危 亂 將 至、 而 氣 象 愁 慘 也。 故 欲 與 其 相 好 之 人、 去 而 避 之 」 と 述 べ る。 こ の 詩 は 旣 に 境 武 男・ 目 加 田 誠・ 赤 塚 忠・ 白 川 靜 に よ っ て 歌 垣 詩 で あ る こ と が 指 摘 さ れ て い る

(九)

。 そ の 點 は 他 詩 の 用 例 か ら も 疑 い が な い と 言 え る が、 こ こ で 考 え る べ き 問 題 は、 歌 垣 の 内 容 と 風 を 謠 う 各 章 首 二句の表現法との關係である。 前 二 章 に 謠 わ れ る「 北 風 其 涼、 雨 雪 其 雱 」「 北 風 其 喈、 雨 雪 其 霏 」 に つ い て は、 毛 傳 に は「 興 也 」 と あ る。 こ れ は 風 を 呪 物 と し て 謠 い 込 む 興 詞 で あ る の だ が、 「 北 0 風 」「 雨 雪 」 と、 良 好 と は 言 い 難 い 気 象 條 件 が 併 記 さ れ て い る。 そ も そ も 歌 垣 の 行 わ れ る 春 の 季 節 に「 北 風 」 が 吹 き「 雪 」 が 降 る の は お か し い。 つ ま り こ の 二 句 が、 情 景 描 寫 な ど で は な く、 何 等 か の 效 果 を 意 圖 し た 表 現 法 で あ る こ と は 推 測 が つ く。 こ れ は 後 述 す る 第 三 章 の「 狐 」「 烏 」 と 同 じ く、 世 閒 の 逆 境 を 象 徵 す る 表 現 で あ る と 考 え る。 則 ち 手 に 手 を と っ て 行 く 者 逹( = 相 愛 の 男 女 ) を 取 り 卷 く 世 閒 の 荒 波 の よ う な も の を 表 現 し よ う と す る 意 圖 が う か が え る の で あ る。 こ の よ う に 如 何 な る 逆 境 に あ っ て も、 連 れ 添 っ て ゆ こ う と す る 男 女 を 謠 う 句 は、 『 詩 經 』 の 詩 の 中 で

は 歌 垣 詩 や 婚 禮 の 祝 頌 詩 に 多 く 見 ら れ る も の で あ る。 例 え ば、 唐 風・ 采 苓 篇 に は「 人 之 爲 言、 苟 亦 無 信。 舍 旃 舍 旃、 苟 亦 無

(9)

『詩經』「禘風」詩考一五九

然。 人 之 爲 言、 胡 得 焉( 人 の 爲 言 は、 苟

まこと

に 亦

また

信 ず る 無 か れ。 旃

これ

を 舍

て 旃 を 舍 て、 苟 に 亦 然 り と す る 無 か れ。 人 の 爲 言 は、 胡

なん

ぞ 得 ん )」 と、 他 人 の 僞 言 に 翻 弄 さ れ て は な ら ぬ と 謠 う 句 が 見 え る。 こ の 句 は 相 愛 の 男 女 の 仲 を 裂 こ う と す る 障 を 克 服 す る こ と で、 相 手 へ の 愛 情 の 深 さ を 示 そ う と す る も の で、 采 芩 篇 は 歌 垣 に 於 い て 異 性 に 對 す る 自 己 の 愛 情 の 深 さ を 謠 う 詩 で あ る こ と わ か る

(一〇)

。 婚 禮 に 於 い て 新 婦 の 多 產 を 言 祝 ぐ 祝 頌 詩 で あ る 鄭 風・ 揚 之 水 篇 に も「 無 信 人 之 言、 人 實 迋 女( 人 の 言 を 信 ず る無かれ、 人實に 女

なんぢ

を 迋

まど

はす) 」と、 采苓篇に類似した句が見え る

(一一)

。また中國の少數民族の閒で行われている歌垣詩の中にも、

采 苓 篇 や 揚 之 水 篇 と 同 じ よ う な 表 現 法 で 男 女 閒 の 愛 情 の 深 さ を 示 す も の が あ る

(一二)

。 こ れ ら の 例 か ら 推 す に、 北 風 篇 前 二 章 の 首 二 句 も ま た 同 樣 の 表 現 法 を と っ た も の で あ る こ と が わ か る。 し か し こ の よ う な 表 現 を 使 っ た が 爲 に、 こ こ に 謠 わ れ る 風 は 興 詞でありながらその呪術的意義が稀薄となってしまった例であると言える。 興 詞 と は 直 接 の 關 係 は な い が、 第 三 章 首 二 句 に 見 え る「 狐 」「 烏 」 に つ い て 少 し く 說 明 を 附 け 加 え て お く。 「 狐 」 は、 『 詩 經 』 中 で は「 狐 裘 」 の 語 で 使 用 さ れ る 例 が 最 も 多 く、 そ れ 以 外 の 用 例 は、 本 篇 以 外 に 衞 風・ 有 狐 篇 の「 有 狐 綏 綏 」 と、 齊 風・ 南 山 篇 の「 雄 狐 綏 綏 」 が あ る。 こ の う ち 有 狐 篇 を 見 て み る と、 そ の 第 一 章 二 句 目 に は「 在 彼 淇 梁 」 と あ り、 「 梁 」 は 女 性 器 の 隠 喩 で あ る

(一三)

。 そ こ に 狐 が い る と 謠 わ れ て い る こ と と、 ま た 各 章 四 句 目 の「 子 之 無 裳 」「 子 之 無 帶 」「 子 之 無 服 」 が 服 を 脫 い で 强 引 に 誘 っ て く る 男 子 を 指 す 句 で あ る こ と か ら、 有 狐 篇 は 歌 垣 の 戲 れ 歌 と 解 釋 し 得 る。 從 っ て、 「 狐 」 は 不 埒 な 目 的 で 女 子 を 誘 う 男 子 の 比 喩 で 使 用 さ れ て い る こ と が 理 解 さ れ る。 一 方、 南 山 篇 は 婚 姻 に 關 わ る 内 容 を 謠 う 歌 垣 詩 で あ り、 こ こ の「 狐 」 も ま た 不 埒 な 男 子 の 比 喩 で 使 用 さ れ て い る。 以 上 二 篇 の 用 例 か ら 推 す に、 北 風 篇 の「 狐 」 も ま た 不 埒 な 男 子 を 指 す 比喩的表現と解すべきであろ う

(一四)

。 「 烏 」 の 他 篇 の 用 例 は 小 雅・ 節 南 山 之 什・ 正 月 篇 の み で あ る。 同 篇 に 用 例 は 二 つ あ り、 第 三 章 に「 瞻 烏 爰 止 」、 第 五 章 に 「 誰 知 烏 之 雌 雄 」 と あ る。 第 三 章 の「 瞻 烏 爰 止 」 に つ い て は、 毛 傳 に「 富 人 之 屋、 烏 所 集 也 」、 ま た 鄭 箋 に「 視 烏 集 於 富 人

之 屋 」 と あ り、 馬 瑞 辰 は「 瑞 辰 按、 烏 集 富 人 屋、 蓋 相 傳 古 說 」 と、 富 人 の 家 の 屋 根 に 烏 が 集 ま る と 言 う の は 古 の 傳 說 で は な

(10)

『詩經』「禘風」詩考一六〇

い か と 疑 う も、 特 に 根 據 を 示 し て い な い。 程 俊 英 等 は「 詩 人 以 烏 鴉 不 知 棲 止 在 誰 家 屋 上、 比 喩 自 己 不 知 結 局 如 何 」 と、 如 何 に し た ら よ い か わ か ら ぬ こ と の 比 喩 で あ る と し な が ら も、 或 說 と し て「 錢 鍾 書 管 錐 編 引 張 穆 月 齋 文 集 云、 二 語 深 切 著 名、 烏 者、 周 家 受 命 之 祥。 春 秋 繁 露、 同 類 相 動 篇 引 尙 書 傳 言、 周 將 興 之 時、 有 大 赤 烏 銜 穀 之 種 而 集 王 屋 之 上 者、 武 王 喜、 諸 大 夫 皆 喜。 凡 此 皆 古 文 泰 誓 之 言、 周 之 臣 民、 相 傳 以 熟。 幽 王 時 天 變 疊 見、 訛 言 朋 興、 詩 人 憂 大 命 將 墜、 故 爲 是 語。 是 詩 人 以 烏 象 徵 周 王 朝、 可 備 一 說。 這 章 是 詩 人 自 傷 不 幸、 憂 民 憂 國 」 と、 烏 を 周 王 朝 の 受 命 の 吉 祥 と す る 解 釋 を 擧 げ て い る。 王 先 謙 も「 漢

書 郭 太 傳、 陳 蕃 竇 武 爲 閹 人 所 、 林 宗 哭 之、 旣 而 嘆 曰、 人 之 云 亡、 邦 國 殄 瘁。 瞻 烏 爰 止、 不 知 于 誰 之 屋 耳。 李 注、 言 不 知 王 業 當 何 所 歸。 郭 鄭 同 時、 郭 之 解 詩 與 箋 意 合 」 と、 『 漢 書 』 郭 太 傳 中 の 該 句 の 解 釋 部 分 を 引 き、 鄭 箋 の 解 釋 は こ れ と 同 じ で あ る と 指 摘 し て お り、 こ れ も 國 家 が 衰 え て 受 命 の 吉 祥 た る 烏 が 降 り る 所 を 知 ら ぬ 意 と 解 釋 す る も の で あ る。 受 命 の 象 徵 と さ れ る 烏 と は、 卽 ち 天 帝 の 使 者 で あ り、 こ れ は 鳥 が 種 類 を 問 わ ず 神 聖 視 さ れ て い た こ と の 名 殘 り で あ る と 考 え ら れ る

(一五)

。 一 方、 第 五 章 の「 誰 知 烏 之 雌 雄 」 は、 烏 の 雌 雄 は 誰 も 見 分 け ら れ な い こ と を 言 う も の で、 烏 の 神 聖 性 は 全 く 認 め ら れ な い。 明 ら か に 神 聖 性 の 認 め ら れ る 烏 と、 そ れ が 認 め ら れ な い 烏 の 兩 者 が 一 篇 の 詩 の 中 に 混 在 す る の は 通 常 で は 考 え 難 い。 從 っ て、 正 月 篇 第二章と第五章は本來、成立の異なる詩であった可能性があ る

(一六)

。 で は 北 風 篇 に 見 え る「 烏 」 の 神 聖 性 は ど う で あ ろ う か。 第 三 章 首 二 句 に「 莫 赤 匪 狐、 莫 黑 匪 烏 」 と、 「 烏 」 は「 狐 」 と 併 記 さ れ て い る。 旣 に 述 べ た 如 く、 「 狐 」 は 不 埒 な 男 子 の 比 喩 で、 當 然 神 聖 性 は 認 め ら れ な い。 な ら ば、 こ れ と 併 記 さ れ て い る「 烏 」 も ま た 神 聖 性 は な い も の と 考 え る べ き で あ ろ う

(一七)

。「 莫 赤 匪 狐、 莫 黑 匪 烏( 赤 と し て 狐 に 匪 ざ る 莫 く、 黑 と し て 烏 に 匪 ざ る 莫 し )」 は、 「 赤 い の は キ ツ ネ( = 惡 い 男 ) で、 黑 い の は カ ラ ス( = 惡 い 女 )」 と、 相 愛 の 男 女 を 誘 惑 す る 不 埒 な 男 女 が 世 閒 に は 大 勢 い る こ と を 謠 う 句 で あ る。 從 っ て、 前 二 章 の「 北 風 其 涼、 雨 雪 其 雱 」「 北 風 其 喈、 雨 雪 其 霏 」 と 同 樣、 相 愛 の男女を取り卷く世閒の逆境を象徵的に表した句と解される。

前 二 章 の み を 見 れ ば、 北 風 篇 は 婚 姻 の 祝 頌 詩 と も 解 し 得 る。 し か し 第 三 章 の「 狐 」「 烏 」 を か く の 如 く 不 埒 な 男 女 の 比 喩

(11)

『詩經』「禘風」詩考一六一

と解すると、戲れ歌の要素を含むこの詩は、歌垣詩と解さざるを得ないであろう。

次に檢證する詩は、婚禮の祝頌詩(檜風・匪風 篇

(一八)

)と、これと同系統の詩( 邶 風・凱風 篇

(一九)

)である。       檜風・匪風篇 第一章    匪風 發

兮、匪車 偈

兮。顧瞻周衜、中心 怛

兮。

第二章    匪風 飄

兮、匪車

兮。顧瞻周衜、中心 弔

兮。 第三章    誰能亨魚、 之釜

。誰將西歸、懷之好 音

。      (押韻   第一章   ○=月部韻。   第二章   ●=宵部韻。   第三章   △=侵部韻) 〔訓讀〕 第一章    匪

の風發たり、匪の車偈たり。周衜を顧瞻しては、心 怛

いた

む。 第二章    匪の風飄たり、匪の車 たり。周衜を顧瞻しては、心 弔

いた

む。

第三章    誰か能く魚を 亨

ん、之が釜 を

あら

はん。誰か將に西へ 歸

とつ

がんとす、之が好音を 懷

おく

らん。 〔日本語譯〕 第 一 章   風 は 激 し く 吹 き 荒 び、 ( 新 婦 を 乘 せ た ) 車 は 速 く 驅 け 拔 け る。 ( 故 國 を 隔 て る 境 界 の ) 衜 の 隈 を 遙 か に 眺 め て は、 (乙女は別れた家族を想い)心傷める。 第 二 章   風 は 激 し く 吹 き 荒 び、 ( 新 婦 を 乘 せ た ) 車 は 速 く 驅 け 拔 け る。 ( 故 國 を 隔 て る 境 界 の ) 衜 の 隈 を 遙 か に 眺 め て は、 (乙女は別れた家族を想い)心傷める。 第 三 章   魚 を 煮 る の は 誰 だ ろ う、 ( 魚 を 煮 る な ら ) 大 釜 き れ い に 洗 い ま し ょ う。 西 へ 嫁 ぐ は 誰 だ ろ う、 ( 嫁 ぐ な ら ) め で た

いことば授けましょう。

(12)

『詩經』「禘風」詩考一六二

こ の 詩 の 詩 意 を 毛 序 は「 匪 風、 思 周 衜 也。 國 小 政 亂、 憂 及 禍 難 而 思 周 衜 焉 」 と し、 朱 熹 は「 周 室 衰 微、 賢 人 憂 嘆 而 作 此 詩」とする。以降、これらを踏襲する說と、征夫が故鄕を懷かしむ詩とする說とに分かれるようであ る

(二〇)

。 こ の 詩 が 婚 姻 詩 と 解 釋 さ れ る 理 由 は、 前 二 章 に 見 え る「 周 衜 」 の 語 が 境 界 神 を 祀 る 場 所 で あ っ た こ と と、 第 三 章 に「 誰 能 亨 魚、 之 釜 」 と、 魚 の 興 詞 が 使 用 さ れ て い る こ と で あ る。 「 周 衜 」 は 自 國 と 外 部 を 象 徵 的 に 分 斷 す る 境 界 領 域 と し て 認 識 さ れ、 詩 中 に こ そ 謠 わ れ て は い な い が、 そ こ で 境 界 神 を 祀 り、 他 國 へ 行 く 者 の 安 全 が 祈 願 さ れ た と 考 え ら れ る。 境 界 神 に

祈 り を 捧 げ る「 周 衜 」 と い う 場 所 は、 出 立 す る 者 に と っ て 親 し い 者 と の 別 れ の 場 所 で も あ っ た

(二一)

。 魚 の 興 詞 に つ い て は 家 井 眞 が 旣 に 論 じ て い る 如 く、 そ の 多 產 性 故 に 大 地 に 豐 饒 を も た ら す と と も に 女 性 に 多 產 を も た ら す と さ れ た 呪 物 で あ っ た

(二二)

。 こ れ に 加 え て 魚 の 興 詞 の 下 に は「 誰 將 西 歸 」 と あ り、 「 歸 」 は「 歸

とつ

ぐ 」 と 解 さ れ る こ と

(二三)

、 更 に そ の 下 の「 好 音 」 の 語 は、 『 詩 經 』 中 に 於 い て は、 福 祿 を 約 束 す る 言 葉、 言 祝 ぎ の 言 葉 と 解 し 得 る

(二四)

こ と か ら 推 す に、 第 三 章 に 見 え る 魚 は、 他 國 へ 嫁 ぐ 女 性 の 速 や か な 懷 妊 と 多 產 を 祈 願 す る 爲 に 謠 い 込 ま れ た 興 詞 で あ る と 考 え ら れ る。 魚 の 興 詞 が 新 婦 と な る 女 性 の 懷 妊・ 多 產 を 祈 る 爲 の も の で あ る な ら ば、 先 の「 周 衜 」 を「 顧 瞻 」 し つ つ 胸 を 痛 め る の は、 嫁 い で 行 く 女 性 と い う こ と に な り、 「 顧 瞻 周 衜、 中

心 怛 兮 」「 顧 瞻 周 衜、 中 心 弔 兮 」 と は、 他 國 へ 嫁 ぐ 女 性 が 來 た 衜 を 遠 く 振 り 返 り つ つ、 別 れ た ば か り の 家 族 を 思 い、 胸 を 傷 めるを謠う句と解せられよう。 か く 考 え る と、 前 二 章 に 謠 わ れ る「 匪 風 發 兮 」「 匪 風 飄 兮 」 は、 風 の「 穀 物 の 生 育 を 促 し 豐 饒 を も た ら す 」 呪 力 が 類 感 呪 術 的 に 新 婦 の 速 や か な 懷 妊 と 多 產 を も た ら す 興 詞 と し て 謠 い 込 ま れ た も の と み る べ き で あ ろ う。 つ ま り 匪 風 篇 前 二 章 に 風 の 興 詞 が 謠 い 込 ま れ た 理 由 は、 第 三 章 に 魚 の 興 詞 が 謠 い 込 ま れ た 理 由 と 全 く 同 じ と い う こ と に な る。 匪 風 篇 は 嫁 い で 行 く 女 性 の速やかな懷妊と多產を祈願する祝いの詩と解することができる。

次 に 解 釋 す る 邶 風・ 凱 風 篇 は、 前 二 章 に 見 え る「 凱 風 自 南、 吹 彼 棘 心 」「 凱 風 自 南、 吹 彼 棘 薪 」 が、 先 の 鄭 風・ 蘀 兮 篇 首

(13)

『詩經』「禘風」詩考一六三

二句の「 蘀 兮 蘀 兮、風其吹女」 「 蘀 兮 蘀 兮、風其漂女」と發想的にとても近い句である。       邶 風・凱風篇 第一章    凱風自 南

、吹彼棘 心

。棘心夭 夭

、母氏劬 勞

。 第二章    凱風自南、吹彼棘 薪

。母氏聖善、我無令 人

。 第三章    爰有寒泉、在浚之 下

。有子七人、母氏勞 苦

第四章    睍 睆黃鳥、載好其 音

。有子七人、莫慰母 心

。 ( 押 韻  第 一 章  ○ = 侵 部 韻、 ◎ = 宵 部 韻。   第 二 章  ● = 眞 部 韻。   第 三 章  △ = 魚 部 韻。   第 四 章  ○ = 侵 部 韻) 〔訓讀〕 第一章    凱風南よりし、彼の棘心を吹く。棘心夭夭たれば、母氏劬勞せり。 第二章    凱風南よりし、彼の棘薪を吹く。母氏聖善なるも、我令無き人。

第三章    爰

ここ

に寒泉有り、浚の 下

もと

に在り。子七人有り、母勞苦せり。 第四章    睍 睆たる黃鳥、 載

ここ

に其の 音

こゑ

を 好

くす。子七人有り、母心を慰むる莫し。 〔日本語譯〕 第一章    大きな風は南からやってきて、 小さなナツメの木に吹きつける。小さなナツメの木が若々しく茂ると(子は育ち) 、 母は苦勞のしどおしだ。 第 二 章   大 き な 風 は 南 か ら や っ て き て、 茂 れ る ナ ツ メ の 木 に 吹 き つ け る。 母 は 聰 く 善 き 人 な る も、 ( 子 で あ る ) 我 等 は 愚 か者。

第三章    淸冷な水を湛えた泉は、浚の邑にある。子は七人、母は苦勞のしどおしだ。

(14)

『詩經』「禘風」詩考一六四

第四章    カンカンと鳴くコウライウグイスは、 (吉兆を吿げる)よい音色で鳴く。子は七人、母の心は休む閒もなし。 こ の 詩 の 詩 意 は、 毛 序 が「 凱 風、 美 孝 子 也。 衞 之 淫 風 流 行、 雖 有 七 子 之 母、 犹 不 能 安 其 室。 故 美 七 子 能 盡 其 孝 衜、 以 慰 其 母 心。 而 成 其 志 爾 」 と、 七 人 の 子 を 持 つ 母 親 に 孝 行 を 盡 く し た 子 を 讚 え る 詩 で あ る と し、 朱 熹 も「 衞 之 淫 風 流 行、 雖 有 七 子 之 母、 犹 不 能 安 其 室。 故 其 子 作 此 詩 」 と 毛 序 と 略 同 じ 解 釋 で あ る。 孝 子 の 自 責 を 謠 う と す る 部 分 は 現 在 で も 略 踏 襲 さ れ て い るようである。

こ の 詩 は 第 一・ 二 章、 第 三 章、 第 四 章 に そ れ ぞ れ 異 な っ た 種 類 の 興 詞 が 使 用 さ れ て い る。 第 一・ 二 章 に は 風 の 興 詞、 第 三 章には水の興詞、第四章には鳥の興詞が見える。 水 の 興 詞 は 豐 饒 と 多 產 を も た ら す 呪 物 で あ る が

(二五)

、 下 に「 有 子 七 人 」 と、 多 子 を 示 す 句 が 見 え て い る こ と、 更 に そ の 下 に 「 母 氏 苦 勞 」 と、 母 親 の 勞 苦 を 示 す 句 が 見 え て い る こ と か ら 推 す に、 こ こ で の 祈 願 の 目 的 は 多 子、 則 ち 懷 妊 や 多 產 に あ る も の と 推 測 さ れ る。 旣 に 多 子 を も う け て い る の で は な い。 多 子 の 實 現 を 願 望 す る 意 圖 を 讀 み 取 ら ね ば な ら な い。 更 に こ こ か ら、 第一章に見える「母氏劬勞」も同樣に多子故の勞苦を指すのではないかという推測も可能であろう。

一 方、 第 四 章 に も 多 子 故 の 母 親 の 勞 苦 を 謠 う 句 が 見 え る。 こ こ の 多 子 は 上 句 の 興 詞 中 に 呪 物 と し て 謠 い 込 ま れ て い る 鳥 ( 黃 鳥 ) と 無 關 係 で は な い。 古 く は、 子 は 天 帝 の 使 者 で あ る 鳥 に よ っ て も た ら さ れ る と 信 ぜ ら れ て い た か ら で あ る。 『 詩 經 』 の 詩 の 興 詞 中 に 謠 わ れ る 鳥 は、 そ の 種 類 に 關 係 な く 神 や 祖 靈 等 の 魂 の 象 徵 と 見 な さ れ た。 こ こ で 謠 わ れ て い る 鳥 は 祖 靈 の 象 徵 で あ り、 天 帝 の 命 を 受 け て 子 授 け の 爲 に 人 閒 界 に 飛 來 す る と 考 え ら れ て い た の で あ る

(二六)

。「 黃 鳥 」 が 飛 來 し、 「 載 好 其 音 」 と 良い音色で鳴くとは、卽ち妊娠を吿げる吉兆を意味しているということになる。 以 上 に よ り 第 三 章 と 第 四 章 の 興 詞 は、 種 類 は 異 な れ ど、 使 用 さ れ た 目 的 は 同 じ で あ る こ と が わ か っ た。 か く 考 え る と 第 一・二章の風の興詞もまた、女性の懷妊多產を目的に使用されたものであることが理解されよう。

こ の 詩 は 恐 ら く 婚 姻 詩 の 範 疇 に 含 ま れ る と 考 え ら れ る が、 詩 中 に は 婚 姻 を 表 す 語 が 全 く 見 ら れ な い。 婚 禮 に 於 い て 新 婦 の

(15)

『詩經』「禘風」詩考一六五

懷妊多產を祈願する詩と解されるが、或いは子に惠まれぬ旣婚女性の懷妊多產を希求する爲に謠われた可能性もあろう。

最 後 に 祖 靈 祭 祀 に 於 い て 祖 靈 か ら 祭 主 た る 族 長 に 嘏 辭 が 授 け ら れ る 場 面 を 謠 う 詩 の 風 の 興 詞 に つ い て 檢 證 し た い。 全 十 章 からなる詩であるが、前六章は五句、後四句は四句で構成されている。そのうちの前六章のみを解釋する。       大雅・生民之什・卷阿篇

第一章    有卷者 阿

、飄風自 南

。豈弟君子、來游來 歌

、以矢其 音

。 第二章    伴奐爾 游

矣、優游爾 休

矣。豈弟君子、俾爾彌爾性、似先公 酋

矣。 第三章    爾土宇 昄 章、亦孔之 厚

矣。豈弟君子、俾爾彌爾性、百神爾 主

矣。 第四章    爾受命 長

矣、 茀 祿爾 康

矣。豈弟君子、俾爾彌爾性、純嘏爾 常

矣。 第五章    有馮有 翼

、有孝有 德

、以引以 翼

。豈弟君子、四方爲 則

。 第六章    顒顒卬 卬

、如珪如 璋

、令聞令 望

。豈弟君子、四方爲 鋼

(押韻   第一章   ○=歌部韻、 ◎=侵部韻。   第二章   ●=幽部韻。   第三章   △=侯部韻。   第四章   ▲=陽部韻。 第五章   ▽=職部韻。   第六章   ▲=陽部韻) 〔 語 釋 〕 ○「 有 卷 者 阿 」 の「 阿 」 は 曲 が り く ね っ て 入 り 組 ん だ 山 の 隈 の 意。 「 有 卷 」 は 曲 が る 樣 を 形 容 す る 語。 「 有 卷 者 阿、 飄 風 自 南 」 と は、 南 に あ る 入 り 組 ん だ 山 の 隈 か ら 飄 風 が 吹 く こ と を 謠 う 句

(二七)

。 ○「 豈 弟 」 は『 詩 經 』 中 で は 齊 風・ 載 馳 篇 の 「 齊 子 豈 弟 」 が 初 出。 「 豈 弟 君 子 」 の 句 は 總 て 雅 に 收 錄 さ れ て お り、 本 篇 の 他 に は 小 雅・ 南 有 嘉 魚 之 什・ 湛 露 篇、 同 甫 田 之 什・ 靑 蠅 篇、 大 雅・ 文 王 之 什・ 旱 麓 篇、 同 生 民 之 什・ 泂 酌 篇 に 見 え る。 載 馳 篇 に 於 い て 林 義 光 が「 豈 弟 在 諸 詩 多 爲 樂 易 之 義。 此 詩 豈 弟 獨 與 諸 詩 不 同。 …… 豈 弟 爲 闓 圛 之 轉 音。 鄭 玄 讀 弟 爲 圛 。 其 說 本 於 洪 範 之 曰 圛 、 古 文 尙 書 作 曰 弟。 闓 圛 有 二 義、 訓 爲

樂 易 者、 其 本 字 爲 愷 懌。 他 詩 之 豈 弟 君 子 是 也。 訓 爲 發 者、 其 本 字 爲 開 釋 」 と 言 う 如 く、 本 篇 及 び 雅 の 諸 篇 に 見 え る「 豈 弟 」

(16)

『詩經』「禘風」詩考一六六

は 闓 圛 の 轉 音 し た も の で、 本 字 は 愷 懌。 樂 易、 た の し む 意。 因 み に 載 馳 篇 の「 豈 弟 」 だ け は 本 字 が 開 釋。 ○「 君 子 」 は 祖 靈

(二八)

。 ○「 來 游 來 歌 」 の「 來 」 は 陳 奐 が「 來、 語 詞 」 と 言 い、 ま た 裴 學 海 が「 來 犹 是 也 」 と 言 う 如 く「 こ こ ー ニ 」 と 讀 む 語 助 詞。 ○「 矢 」 は 毛 傳 に「 矢、 陳 也 」 と あ り、 陳 で、 つ ら ね る 意。 ○「 伴 奐 爾 游 矣 」 の「 伴 奐 」 は 高 亨 が「 伴 奐、 當 讀 爲 盤 桓、 囘 還 往 來 之 意 」 と 言 う 如 く、 盤 桓、 ぐ る ぐ る と 囘 る、 め ぐ る 樣 を 形 容 す る 語。 「 爾 」 は『 經 詞 衍 釋 』 に「 爾 犹 乃 也 」 と あ り、 「 こ こ ー ニ 」 と 讀 む 語 助 詞。 「 游 」 は 聞 一 多 が 周 南・ 漢 廣 篇 の「 游 女 」 を「 游 女 旣 爲 水 神、 則 游 之 義 當 爲 浮 行 水 上、 如 洛 神 賦

云、 凌 波 微 歩、 羅 韈 生 塵 之 類。 詩 曰、 漢 有 游 女、 不 可 求 思、 下 卽 繼 之 曰、 漢 之 廣 矣、 不 可 泳 思、 江 之 永 矣、 不 可 方 思。 夫 求 之 必 以 泳 以 方、 則 女 在 波 上、 審 矣。 文 選 羽 獵 賦 曰、 漢 女 水 潛。 說 文 水 部、 泳、 潛 行 水 中 也、 爾 雅 釋 言、 泳、 游 也、 注、 潛 行 游 水 底、 方 言 十、 潛 亦 游 也、 注、 潛 行 水 中 亦 爲 游 也、 游 與 游 通。 蓋 游 與 泳 潛 對 文 異、 散 文 通 」( 「 詩 經 新 義 」) と 解 し て い る 如 く、 水 上 を 浮 行 す る 意。 『 詩 經 』 の 詩 に 於 い て「 游 」 字 を 用 い て 游 行 す る 者 と さ れ る の は、 一 は 神 や 祖 靈 で あ り、 一 は そ れ を 追 い か け て 神 游 び す る 巫 覡 で あ る。 例 え ば 水 神 祭 祀 詩 で あ る 周 南・ 漢 廣 篇 に 見 え る「 游 女 」 は、 水 神 が 水 上 を 自 在 に 浮 游 す る こ と か ら く る 附 名 で あ る し、 ま た 同 じ く 水 神 祭 祀 詩 で あ る 秦 風・ 蒹 葭 篇 に は、 「 遡 游 從 之 」 と、 巫 が 游 行 す る 水 神 を

追 っ て 神 游 び す る こ と が 謠 わ れ て い る。 本 篇 に 於 け る「 游 」 の 主 語 は、 祖 靈 を 祀 る 側 の 人 閒 で あ り、 詩 中 に 描 か れ て は い な い が、 恐 ら く は 巫 祝 で あ っ た と 考 え ら れ る。 ○「 優 游 」 は 小 雅・ 魚 藻 之 什・ 采 叔 篇「 優 哉 游 哉 」 の 鄭 箋 に「 優 游 時 安 止 於 是 」 と あ る 如 く、 ひ と と こ ろ に 安 ん じ て と ど ま る 樣 を 形 容 す る 語。 「 優 游 爾 休 矣 」 の 句 は、 水 神 祭 祀 詩 で あ る 小 雅・ 鴻 鴈 之 什・ 白 駒 篇 の「 愼 爾 優 游、 勉 爾 遁 思( 愼

まこと

に 爾

なんぢ

優 游 た れ、 爾 の 遁

うつ

る を 勉

まぬか

れ よ )」 と 略 同 じ 意 で あ る。 白 駒 篇 の 該 句 は、 「 水 神 よ、 ま こ と に 安 ん じ 居 り 給 え、 他 の 場 所 へ と 移 り 給 う な 」 と、 水 神 の 來 臨 を 歡 待 し て 永 く 一 族 の も と に と ど め よ う と す る 句 で あ る。 ○「 俾 爾 彌 爾 性 」 の「 俾 」 は 鄭 箋 に「 俾、 使 也 」 と あ り、 ま た 陳 奐 も「 俾 當 作 卑。 下 同 」 と 言 う 如 く、 「 し ー ム 」 と 讀 む 使 役 の 助 字。 こ の 句 の「 爾 」 は 二 字 と も「 な ん ぢ 」 と 讀 む。 祭 主 た る 族 長 を 指 し て 呼 ぶ 稱。 「 彌 」 は 馬 瑞 辰 が「 彌 者、

镾 之 假 借。 段 玉 裁 曰、 蓋 用 弓 部 之 而 又 省 玉 也。 說 文、 镾 、 久 長 也。 惟 久 長、 是 以 能 終。 胡 承 珙 曰、 終 者、 盡 也。 彌 其 性 卽

(17)

『詩經』「禘風」詩考一六七

盡 其 性 也 」 と 言 う 如 く 镾 の 假 借 字 で、 長 久、 永 く す る、 永 遠 に す る 意。 「 な が ー ク ス 」 と 讀 む。 「 性 」 は 林 義 光 が「 性 讀 爲 生。 俾 爾 彌 爾 性、 謂 使 汝 長 生 也。 蔡 姞 敦、 用 祈 眉 壽 綽 綰 永 命 彌 厥 生 令 終、 齊 侯 鎛、 用 求 考 命 彌 生、 皆 以 彌 生 爲 長 生 」、 ま た 于 省 吾 が「 按、 生、 性 古 通。 蔡 姞 𣪘 、 彌 氐 生。 齊 鎛、 用 求 考 命 彌 生 」( 『 澤 螺 居 詩 經 新 證 』) 、 屈 萬 里 が「 王 國 維 與 友 人 論 詩 書 中 成 語 書 云、 彌 性、 卽 彌 生、 犹 言 永 命 矣。 此 祝 其 長 壽 也。 叔 孫 父 𣪘 ( 嘯 下 )、 永 令 彌 厥 生。 蔡 姞 𣪘 ( 三 代 六 )、 永 令 彌 厥 生。 鎛( 三 代 一 )、 用 求 丂 命 彌 生 」 と 言 う 如 く、 生 で、 生 命、 壽 命 の 意。 「 彌 性 」 と は 長 生 の こ と で、 壽 命 を 永 く す る、 永 く 生 き る 意。 林 義 光 等 が 指 摘 す る 如 く、 「 彌 性( 生 )」 は 金 文 に も 見 え る 語 で あ る。 ま た こ の 語 を 含 む 第 二 章 か ら 第 四 章 の 句 の 構 成 を 見 る と、 通 常、 『 詩 經 』 の 詩 句 が 四 字 句 で 構 成 さ れ る こ と が 多 い の に 對 し て、 四 字 句 と 五 字 句 が 混 在 し て い る。 更 に 押 韻 法 も 亂 れ て い る こ と な ど か ら、 こ の 詩 の 第 二 章 か ら 第 四 章 は 構 成 的 に は 金 文 に 比 較 的 近 い よ う で あ る。 ○「 似 先 公 酋 矣 」 の「 似 」 は 魯 詩 は「 嗣 」 に 作 る。 毛 傳 に「 似、 嗣 也 」 と あ り、 ま た 陳 奐 が「 似 讀 與 嗣 同 」 と 言 う 如 く、 嗣

ぐ 意。 「 酋 」 は 馬 瑞 辰 が「 酋 之 言 久 也、 就 也、 久 則 有 終、 就 亦 終 也、 故 爾 雅 訓 爲 終 」 と 言 う 如 く 久 で、 永 く す る、 永 遠 に す る 意。 「 ひ さ し ー ク ス( フ ス )」 と 讀 む。 こ の 句 は 小 雅・ 鴻 鴈 之 什・ 斯 干 篇 の「 似 續 妣 祖( 妣 祖 に 似 續 せ ん )」 や、 周 頌・ 良 耜 篇 の「 以 似

以 續( 以 て 似 し 以 て 續 せ ん )」 と 略 同 義 で、 祖 先 祭 祀 を 繼 續 し て 絕 や さ な い 意

(二九)

。 本 篇 で は 君 子( = 祖 靈 ) か ら の 嘏 辭 と 解 す べ き で あ る の で、 祖 先 祭 祀 を 繼 續 せ よ、 と い う 意。 ○「 爾 土 宇 昄 章 」 の「 土 宇 」 は 鄭 箋 に「 土 宇 謂 居 民 以 土 地 屋 宅 也 」 と あ り、 于 省 吾 が「 按、 土 謂 邦 國。 土 宇 犹 今 人 言 邦 家 」( 『 澤 螺 居 詩 經 新 證 』) と 言 う 如 く、 邦 家 の 意。 「 昄 」 は 林 義 光 が「 昄 、 明 也。 韓 詩 賓 之 初 筵 篇 威 儀 昄 昄 、 昄 亦 明 辨 之 意。 昄 辨 古 同 音 」 と 言 う 如 く、 昄 も 章 も あ き ら か な 樣 を 形 容 す る 語。 邦 家 の 威 儀 が あ き ら か で あ る こ と を 言 う。 ○「 孔 」 は 鄭 箋 に「 孔、 甚 也 」 と あ り、 甚 で、 は な は だ し い 意。 ○「 百 神 爾 主 矣 」 は 鄭 箋 に 「 使 女 爲 百 神 主、 謂 羣 神 受 饗 而 祐 之 」 と あ り、 百 神 の 祭 主 と し て 祭 り を 祐

たす

け る こ と を 言 う。 ○「 爾 受 命 長 矣、 茀 祿 爾 康 矣 」 に つ い て は 鄭 箋 に「 茀 、 福、 康、 安 也。 …… 受 壽 長 之 命、 福 祿 又 安 女 」 と あ り、 「 茀 祿 」 は 福 祿 の 意、 「 康 」 は 安 ん ず る 意。

該 句 は 永 く 長 壽 を 受 け、 福 祿 の も た ら さ れ ん こ と を 祈 る 意 で あ る。 ○「 純 嘏 爾 常 矣 」 の「 純 」 は 鄭 箋 に「 純、 大 也 」 と あ り、

(18)

『詩經』「禘風」詩考一六八

大 の 意。 『 說 文 』 糸 部 に「 純、 同 醇、 厚 也 」 と あ る 如 く、 「 純 」 に は 厚 の 意 が あ り、 こ こ か ら 大 の 意 が 生 じ た 者 と 考 え ら れ る。 「 嘏 」 は 馬 瑞 辰 が「 因 祭 祀 受 福 曰 嘏、 而 大 義 担 專 屬 於 福。 以 漢 人 爾 雅 注 例 之、 當 曰、 嘏、 福 之 大 也、 傳 但 曰 大、 而 福 義 自 見。 …… 又 賈 子 禮 篇 曰、 祜、 大 福 也。 嘏 與 祜 音 竝 同、 嘏 亦 爲 大 福 」 と 言 う 如 く 祜 で、 大 福 の 意。 「 常 」 は 陳 奐 が「 常 犹 長 也 」 と 言 う 如 く 長 で、 「 な が ー ク ス( な ご ー フ ス )」 と 讀 む。 ○「 有 馮 有 翼 」 は 林 義 光 が「 馮 翼、 戴 震 云、 馮、 滿 也。 廣 雅、 馮、 滿 也。 謂 忠 誠 滿 於 内。 翼、 盛 也。 廣 雅、 翼 翼、 盛 也。 謂 威 儀 盛 於 外 」 と 言 う 如 く、 「 馮 」 は 滿 で、 滿 ち る 樣、 「 翼 」 は 盛 で、 さ

かんな樣を形容する語。 「有」 は形容詞や副詞を作る助 字

(三〇)

。該句は威儀の立派なことを表す。○ 「孝」 は 『尙書』 太甲中 「奉 先 思 孝 」 の 孔 安 國 傳 に「 以 念 祖 之 德 爲 孝 」 と あ り、 祖 先 を し の ん で 思 う こ と を い う。 ○「 德 」 は『 詩 經 』 の 詩 に 於 い て は、 人 閒 が 神 や 祖 靈 に 對 し て 行 う 奉 仕 や そ の 態 度、 或 い は そ の よ う な 人 閒 に 對 す る 神 や 祖 靈 の 恩 惠 を 指 す こ と が 多 い。 こ こ は そ の 前 者 で 解 す べ き で あ ろ う。 『 詩 經 』 が 經 典 の 一 つ で あ る が 故 に、 詩 中 の「 德 」 は、 こ れ ま で 行 動 規 範 と し て の 德、 衜 德 の 意 に 解 さ れ て き た 經 緯 が あ る。 し か し『 詩 經 』 の 詩 の「 德 」 字 に は、 そ の よ う に 解 し 得 る 用 例 は 實 は 殆 ど な い。 ○「 以 引 以 翼 」 は 高 亨 が「 引、 當 讀 爲 寅、 敬 也。 翼、 亦 敬 義 」 と 言 う 如 く、 「 引 」 も「 翼 」 も 敬 で、 敬 う 意。 ○「 四 方 爲 則 」「 四 方 爲 綱 」 の「 爲 」 は 裴 學 海 が「 爲 犹 之 也。 之、 口 語 作 的。 爲 訓 之、 犹 于 訓 之 也。 詩 卷 阿 篇、 四 方 爲 綱。 假 樂 篇、 四 方 之 綱、 文 義 同 此。 又、 四 方 爲 則。 殷 武 篇、 四 方 極、 文 義 同 此。 極 犹 法 也 」 と 言 う 如 く、 之 で、 「 の 」 と 讀 む。 我 が 國 で は 境 武 男 が「 四 方 爲 則 」 を「 四 方 の 0 則 な る 」、 「 四 方 爲 綱 」 を「 四 方 の 0 綱 な る

(三一)

」 と 訓 讀 し て い る。 ○「 顒 顒 」 は 毛 傳 に「 顒 顒、 溫 貌 」 と あ り、 溫 和 な 樣 を 形 容 す る 語。 次 の「 卬 卬 」 と と も に 祭 主 た る 族 長 が 祖 靈 を 祀 る 態 度 を い う。 ○「 卬 卬 」 は 鄭 箋 に「 志 氣 則 卬 卬 然 高 朗 」 と あ り、 氣 高 い 樣 を 形 容 す る 語。 ○「 珪 」「 璋 」 は 高 亨 が「 珪、 一 種 長 條 形 上 端 尖 的 玉 版。 璋、 長 條 而 一 端 作 斜 銳 角 形 的 玉 版。 珪 與 璋 都 是 古 代 貴 族 朝 聘、 祭 祀、 喪 葬 所 用 的 禮 器。 此 句 指 君 子 的 品 德 如 珪 璋 的 可 貴 」 と 言 う 如 く、 兩 者 と も 祭 祀 儀 禮 に 用 い た 玉 器 で、 「 如 珪 如 璋 」 は 玉 器 の よ う に 貴 い こ と を い う。 但 し、 高 亨 が こ れ を 下 句 の「 君 子 」 を 指 す と 解 す る の

は 誤 り で、 「 君 子( = 祖 靈 )」 を 祀 る 祭 主 た る 族 長 を 讚 え る 句 と 解 す べ き で あ ろ う。 ○「 令 聞 」「 令 望 」 は 高 亨 が「 令 聞 令 望、

(19)

『詩經』「禘風」詩考一六九

好 聲 譽 好 名 望 」 と 言 う 如 く、 い ず れ も よ き ほ ま れ の 意。 ○「 鋼 」 は 高 亨 が「 鋼、 法 」 と 言 う 如 く、 法 の 意。 第 五 章 の「 則 」 と同義。 〔訓讀〕 第一章    卷たる有るは阿、飄風南よりす。豈弟の君子よ、 來

ここ

に游び來に歌はん。以て其の音を 矢

つら

ねよ。 第 二 章   伴 奐 と し て 爾

ここ

に 游 び、 優 游 と し て 爾 に 休

いこ

へ。 豈 弟 の 君 子 よ、 爾

なんぢ

を し て 爾 の 性 を 彌

なが

く せ し め、 先 公 に 似

ぎ て 酋

ひさし

ふ せ よ、と。 第三章    爾

なんぢ

の土宇 昄 章たり、亦 孔

はなは

だ之れ厚し。豈弟の君子よ、爾をして爾の性を彌ふせしめ、百神 爾

ここ

に主たれ、と。 第 四 章   爾

なんぢ

の 命 を 受 く る こ と 長 く、 茀 祿 爾

ここ

に 康

やす

ん ぜ ん。 豈 弟 の 君 子 よ、 爾 を し て 爾 の 性 を 彌 ふ せ し め、 純 嘏 爾

ここ

に 常

なが

く せ よ、 と。 第五章    馮たる有り翼たる有り、孝有り德有り、以て 引

うやま

ひ以て 翼

うやま

ふ。豈弟の君子は、四方の則。 第六章    顒顒たり卬卬たり、珪の如く璋の如く、令聞あり令望あり。豈弟の君子は、四方の鋼。

〔日本語譯〕 第 一 章   南 に は 曲 が り く ね っ た 山 の 隈、 そ こ か ら 吹 く 飄 風。 樂 し め る 祖 靈 よ、 ( 巫 は あ な た の 御 靈 を 追 っ て ) 神 游 び し、 (あなたの御靈を招かんと)歌をうたう。だからどうか我等に良き言葉を與え給え。 第 二 章   ( 祖 先 の 御 靈 よ ) 巡 り 巡 っ て 游 行 し、 ( 我 が も と に ) 安 ん じ 居 り 給 え。 樂 し め る 祖 靈 よ、 ( 祭 主 た る 族 長 に 祖 靈 が 次の嘏辭を下され祝福された) 「おまえはおまえの壽命を永遠にし、 祖先の祭祀を繼續して絕やしてはならぬ」と。 第 三 章   お ま え( = 祭 主 た る 族 長 ) の 治 め る 邦 家( の 威 儀 が ) 明 ら か に な ら ん こ と を、 ま た 大 い に 豐 か な ら ん こ と を( 祈 る) 。樂しめる祖靈よ、 (祭主たる族長に祖靈が次の嘏辭を下され祝福された) 「おまえはおまえの壽命を永遠にし、

百神の祭主として(神々をよく)祀れ」と。

(20)

『詩經』「禘風」詩考一七〇

第 四 章   お ま え が 永 く 長 壽 を 受 け、 福 祿 の も た ら さ れ ん こ と を( 祈 る )。 樂 し め る 祖 靈 よ、 ( 祭 主 た る 族 長 に 祖 靈 が 次 の 嘏 辭を下され祝福された) 「おまえはおまえの壽命を永遠にし、祖靈の下された大いなる福祿が永く續けよ」と。 第 五 章   ( 祭 主 た る 族 長 が 祖 靈 を 祀 る 態 度 は ) 堂 々 と し て 立 派 で あ り、 祖 靈 を し の び 誠 實 に 奉 仕 し て、 愼 み 敬 う こ と を 忘 れない。 (かくも立派な祭主に嘏辭を下された)樂しめる祖靈は、四方の國を守る法である。 第六章    (祭主たる族長が祖靈を祀る態度は)いとも温和でいとも氣高く、 玉器の珪や璋のように貴く、 良きほまれがある。

(かくも立派な祭主に嘏辭を下された)樂しめる祖靈は四方の國を守る法である。 こ の 詩 の 詩 意 を 毛 序 は「 卷 阿、 召 康 公 戒 成 王 也。 言 求 賢 用 吉 士 也 」 と、 召 の 康 公 が 成 王 を 戒 め る 詩 と す る。 朱 熹 は「 此 詩 舊 說 亦 召 康 公 作。 疑 公 從 成 王 游 歌 於 卷 阿 之 上、 因 王 之 歌、 而 作 此 以 爲 戒 」 と、 召 公 が 成 王 の 歌 に あ わ せ て こ の 詩 を 作 っ た と する。 卷 阿 篇 の 詩 意 に つ い て は 解 釋 が ま ち ま ち で

(三二)

、 第 一 章 に 見 え る「 風 」 の 興 詞

(三三)

が 詩 全 體 に ど の よ う に 關 係 し て い る か に つ い て 言及する者はない。唯一、赤塚忠だけがこの詩を「殷代の風祭りを繼承している」と指摘してい る

(三四)

こ の 詩 は 第 二・ 三・ 四 章 の 四、 五 句 目 に「 俾 爾 彌 爾 性、 似 先 公 酋 矣 」「 俾 爾 彌 爾 性、 百 神 爾 主 矣 」「 俾 爾 彌 爾 性、 純 嘏 爾 常 矣 」 と、 祖 靈 か ら 祭 主 に 下 さ れ た 嘏 辭 と み ら れ る 句 が あ る こ と か ら、 祖 靈 祭 祀 詩 を 内 容 と す る 詩 で あ る と 解 さ れ る。 風 の 興 詞 は 第 一 章 に 見 え、 語 釋 で 旣 に 述 べ た 如 く「 有 卷 者 阿、 飄 風 自 南( 卷 た る 有 る は 阿、 飄 風 南 よ り す )」 と、 入 り 組 ん だ 山 の 隈 か ら 飄 風 の 吹 く こ と が 謠 わ れ て い る。 更 に 附 け 加 え る な ら ば、 第 一 章 に は「 音 」 字 が 使 用 さ れ て お り、 こ れ も 先 に 述 べ た 如 く、 檜 風・ 匪 風 篇 や 邶 風・ 凱 風 篇 に も 見 え て い た も の で あ る。 繰 り 﨤 し に な る が、 こ れ ら の 詩 は い ず れ も 婚 姻 に 關 わ る 内 容 の 詩 で、 「 好 其 音 」「 好 音 」 と は 妊 娠 を 吿 げ る 吉 兆 の 言 葉 で あ り、 ま た 福 祿 を 約 束 す る 言 葉 で あ っ た。 な ら ば 祖 靈 祭 祀 詩 で あ る 卷 阿 篇 の 中 に こ の「 音 」 が「 以 矢 其 音( 以 て 其 の 音 を 矢

つら

ね よ )」 と 謠 わ れ て い る の は、 祭 主 が 祖 靈 に 福 祿 を 約 す る 言 葉、

卽ち嘏辭を求めていることに他ならない。

(21)

『詩經』「禘風」詩考一七一

卷 阿 篇 は 祖 靈 祭 祀 に 於 い て 嘏 辭 を 求 め、 そ れ が め で た く 授 け ら れ た こ と を 喜 び、 祖 靈 と 祭 主 た る 族 長 を 讚 え る 詩 で あ る と 解せられる。

(三)

『 詩 經 』 の 詩 の 中 に は、 風 を 興 詞 に 謠 い 込 む こ と で 直 接 的 に 0 0 0 0 穀 物 の 豐 饒 を 祈 願 す る 詩 は 存 在 し な い。 し か し 風 の 興 詞 が 使 用されている詩の一部は、 閒接的ではあるが穀物の豐饒を祈願する目的で謠われたものであることが理解されたと思う。 「閒 接 的 に 」 と 言 う の は、 「 類 感 呪 術 的 に 」 と 換 言 し て も よ い。 そ の 代 表 的 な も の は『 詩 經 』 の 詩 に 於 い て は 歌 垣 詩 で あ る。 早 春 の 季 節 に、 男 女 が 掛 け 合 い で う た を 謠 い、 誘 引 し 合 い、 戲 れ 合 う 眞 の 目 的 は、 配 偶 者 を 求 め る 爲 で は な か っ た。 子 を 多 く も う け、 「 多 產 → 豐 饒 」 と い う 類 感 呪 術 的 な 發 想 に よ っ て、 穀 物 の 稔 り を 助 け る 爲 で あ っ た。 風 は 人 閒 に「 多 產 → 豐 饒 」 を 授ける呪力をもつものとして、歌垣詩の中に興詞として謠い込まれたのである。

婚 姻 の 祝 頌 詩 や 祖 靈 祭 祀 詩 に 風 の 興 詞 が 使 用 さ れ る 場 合 の 祈 願 の 目 的 は、 歌 垣 詩 の 場 合 と は む し ろ 逆 で あ っ た。 風 の 豐 饒 を も た ら す 呪 力 が 更 に「 豐 饒 → 多 產 」 と い う 類 感 呪 術 的 な 發 想 に よ っ て、 女 性 に 懷 妊 や 多 產 を、 延 い て は 宗 廟 祭 祀 を 中 心 と する祭祀集團に繁榮をもたらすものとして、婚姻の祝頌詩や祖靈祭祀詩の中に興詞として謠い込まれたのである。 農 耕 民 族 は か つ て 農 作 物 の 稔 り を 確 實 な も の に す る 爲 の 技 術 と 呪 術 を 持 っ て い た。 や が て 技 術 が 高 度 に 發 逹 す る と、 そ れ に附隨して行われていた呪術的な行爲は、その存在意義が稀薄となり、輕視され、多くは忘れ去られてしまった。 醫 療 技 術 が 發 逹 す る と、 こ れ と 同 じ こ と が 起 き る。 醫 術 も ま た、 技 術 と 呪 術 と が 渾 然 一 體 と な っ て い た 時 代 が あ っ た。 そ こ に は 理 に 适 っ た 技 術 も あ れ ば、 怪 し い ま じ な い も あ っ た。 や が て 醫 術 が 發 逹 し、 妊 娠 や 出 產 が 呪 術 な ど で は も た ら さ れ る

も の で は な い こ と が 廣 く 知 ら れ る よ う に な る と、 そ の よ う な 行 爲 は 行 わ れ な く な り、 形 骸 化 し た 行 事 や 娛 樂 へ と 形 を 變 え、

(22)

『詩經』「禘風」詩考一七二

やがて忘れ去られてゆく。 殷 代 よ り 傳 え ら れ た 風 の 祭 祀 も こ れ と 同 樣 で あ っ た と 思 わ れ る。 恐 ら く そ れ は『 詩 經 』 の 中 に 興 詞 と し て 謠 い 込 ま れ た 時 點 に 於 い て、 旣 に 形 骸 化 し て い た の で あ ろ う。 殊 に『 詩 經 』 が 儒 者 の 經 典 と さ れ、 新 た な 解 釋 を 附 與 さ れ て か ら 以 降 は、 風 が 詩 の 中 に 謠 わ れ る 意 味 に つ い て、 疑 問 の 目 が 向 け ら れ る こ と は 殆 ど な か っ た は ず で あ る。 故 に 風 の 興 詞 が 歌 垣 詩 の 中 に 謠 われ、婚姻の祝頌詩や祖靈祭祀詩の中で謠われた眞の理由は、殆ど傳えられることはなかったのである。

註 (一)『二松學舍大學論集』第五八號(二〇一五年三月)所收。 (二)「瞽」は韋昭注に「樂太師、知風聲者也」とある。盲人の樂官のことである。 (三)「『詩經』「寧風」詩考」一二七頁。 (四)『中國古代の植物學の硏究』(角川書店 一九七七年)一七五頁。 (五)『資源植物事典・增補改訂版』(北隆館 昭和二四年)七二六頁。 (六)目加田誠は「男が歌で女を誘うと、女が歌でそれに答えて、そこで戀が成り立つ。今も中國邊地に殘る風習だそうである。誘う水あらば、いなんとぞ思う、たわむれの歌」(『詩經譯注』(目加田誠著作集第二卷、龍溪書舍 昭和五八年)一八六頁)、境武男は「伯(太郎さん)よ、叔(三郎さん)よ、と呼びかける相手は、士人に對してよせる慕情の表現である。……ただ民歌は、そのような個人的抒情ではない」(『詩經全釋』(汲古書院 一九八四年)二二九頁)、赤塚忠は「あけすけな挑み歌」(『詩經硏究』(赤塚忠著作集第五卷、硏文社 昭和六一年)一〇頁)、白川靜は「女の誘引の歌。風に吹かれて散る葉は、誘うものあらばの比喩。叔でも伯でもよい。誘うものには靡こうという調子の歌」(『詩經國風』(平凡社・東洋文庫 一九九〇年)二七二頁)と、皆蘀兮篇を歌垣詩と解している。これに對し、高田眞治は「この詩を、誘う水あらばなびかんとする女心を咏ずるものとするのは、現代人の感覺に會いそうに思われるが、再考するに首肯しがたいものを覺える」(『詩經』上(漢詩選、集英社 一九九六年)三三二頁)と、歌垣詩と解釋することを否定している。 (七)唐風・椒聊篇の詳しい解釋とサンショウの多實性については拙著『『詩經』興詞硏究』(硏文出版 二〇一二年)三七八~三八二頁を參照。 (八)聞一多は「谷風篇一章曰『攜手同行』、二章曰『攜手同歸』、三章曰『攜手同車』、歸卽『之子與歸』之歸、此新婦贈壻之辭也。古詩十九首之十六曰『良人惟古歡、枉駕惠前綏、願得常巧笑、攜手同車歸』、說親迎事而語襲此詩、是其明證。詩又曰『同行』者、犹同歸也。女子謂嫁一曰适、行亦犹适矣。有女同車篇一章曰『有女同車』、傳曰『親迎同車也』、而二章曰『有女同行』、丰篇爲親迎而女不至之詩、而三章『駕予與行』與四章『駕予與歸』竝擧、是二詩之行亦竝謂嫁。以此推之、本篇及蝃蝀載馳竹竿諸篇之『有行』、皆謂适人耳」(「詩經通義(甲)」)と述べる。 (九)境武男は「人目をしのんで迯げだす男女。北風雪花の中を『手を攜えて』という女子のことばが前二章の『北風篇』であり、それが民謠化されて、さらに『赤いは狐、黑いは烏』の末章が付加せられたもののようである。後の衞風有女同車篇では、警戒すべき男としての狐が歌われている」(註(六)前揭書一三七頁)と解する。目加田誠は「『序』に、衞の君臣が暴虐で、百姓は相攜えて國を迯れたことという。朱熹もまた國家の危亂まさに迫ろうとするとき、仲の良い人と共に去ってこれを避けようとするが、その禍がすでに近づいていて、一刻も犹豫できぬことをいうとする。但し『北風』『雨雪』は冬の情景であり、狐や烏もその閒に、餌をねらって人里近く寄ってくるのでそれを冬の農閑期に女のもとに誘いよる男にたとえ、これに女たちが戲れる意味の歌と見

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