不生と随喜廼向
!大乗仏教成立の実質的条件!
津 田
呉 一︑はじめに・一つのアポロギアとして
本稿は当初︑名古屋大学教授加藤純章博士の還一麿記念論集へ寄稿するために︑﹁不生︑大乗仏教成立のための
第二の条件﹂という題名において計画されたものであった︒私は最初この論集への寄稿の諾否を打診されたとき︑
西十年来の陪友である加藤博士の慶事を︑心からよろこび︑当時の私の一番の関心事であった﹁不生﹂という問題
について加藤誇士の学問に対して最低隈恥じる必要がない程度の︑要するに私としては最高にスマートな論文を
書いてそれを博士に戴呈しようと考えたのである︒当時の私は︑それより大分前に私が獲得していたところの︑
大乗仏教の成立のための論理的な前提条件であるところの︿生のジャ
iタカ的解釈﹀という説に依然として固
執し︑専らそれに視点を置いて︑この論理に対する原理的な謂察を欠いたが故にせっかく大乗仏教︑という自意
識をもちながらいつのまにかもとの︿ブッダの宗教﹀の出家主義︑現世否定主義に立ち戻ってしまった﹁般若経﹂
の体系︑それに対してその論理を明確に︑原理的に把握した﹁華厳経﹂︑という函式によってインドにおおける仏
教の︑ゴ
i
タマ・ブッダの立場から大乗への最初の
2 E s ‑
な震関を見ていたのであるが︑了度年号が昭和から
平成へと変わった頃︑或ることを機縁にしてそれまで等閑に付してきた﹃八千頚般若﹂に改めて目を向け︑そこ
国際仏教学大学院大学研究紀要第四号 平成十三年三月
九 五
不生と随喜廼向(津田)
九 六
において改めて﹁不生﹂という大きな開題に打ち当たったところであったのである︒
当時の私にとっても︑﹁不生﹂ということがすでに巨大な︑そして仏教の思想を根本的に理解する上で決定的
に重要な問題であることは充分に想像の行く事であった︒私はそれまでの私自身の仏教思想史理解の単純な図式︑
すなわち︑その中において﹃華厳経﹂をその︿生のジャ
iタカ的解釈﹀という大乗の論理的前提に対する明確
な認識の設に︿仏教思想史の最初の展開﹀であり︑且つ︿大乗仏教の典型﹀と規定する単純明快な国式(当持の
私はその単純な均整を図式それ自体の莫理性の保証の如くに考えてそれを大いに誇りにしていたものであったが)
のせっかくの均整を自ら山崩して︑﹁般若経﹂をその﹁不生﹂という根本的な事態への気づきの故に︿仏教思想史
の最初の展開﹀とし︑それに後続する﹃華議経﹂の規定を改めて︿大乗仏教の典型﹀だけに限定しようという新
しい図式を構想し︑その最初の見取り図を加藤博士の記念論集に寄せようと思ったのである︒
しかし︑いざ書き誌じめてみると︑私のこの企国はたちまちにして挫折した︒その数年間それについて勉強し
続け i 考えつ守つけてきた筈の﹁不生﹂という開題は︑いざそれについて何かを言おうとすると途端にその困難な
本性を現むし︑私は壁のようなその国難さを前にして手も足も出ないという状態に追い込まれたのである︒もち
ろん私はその壁を突破すべく︑出来うる援りの努力を継続した︒例えば私は一九九九年九月に龍谷大学で関寵さ
れた印度学仏教学会の第五十回学衛大会で﹁不生・﹁般若経﹂の﹁大いなる発見とという発表を行ったがそれな
ども何とかしてこの壁に突破口を開けようとする努力の一つであった︒しかし︑それらの努力はことごとく挫折
し︑編集者の忍訴に忍謝を重ねた上での一九九九年十月十八日という絶対期誤において︑私はついに論文を仕上
げることが出来なかったのである︒
記念論集はこの私一入の遅滞によってその出販が当初の予定よち大幅に遅れていたのであるが︑今年になって
﹁アピダルマ仏教とインド思想﹂という大掛となって遂に世に出た︒そして︑この謹の出版物として辻異到の或
功を以って査に迎えられた︒その間私は一方においてその成功を心から喜ぶものであると共に︑他方で一種の苦
しみを覚えていた︒私は他ならぬこの﹁不生﹂という問題について︑そして︑加藤薄士の論集のために︑どうし
ても論文を書きたかったのである︒私のこの苦しみは︑過司︑加藤博士からその大加を一部恵与されたとき︑一
つの極点に達した︒しかし︑その苦しみはその題点において私に窮余の一策を患いつかせた︒私辻本紀要出版の
絶対期限から逆算して比較的短い期限を定め︑その間において私自身の精神的身体的な国窮をその極点に高める
ならその極点において何ほどかの理解が私に(﹁八千領般若﹂のキーワードを使うなら)まさに﹁ひらめき顕わ
れ る
﹂ (
官 三
F g t )
のではないか︑という漠黙とした可詑性を実地に試してみようと考えたのである︒私はこ
れからの二還問︑文字通り貧乏蝦なしである私にそれでも許されるかぎりの時間とエネルギ
iと を
︑ こ
の ﹁
不 生
﹂ ︑
そしてこの数年間にわたしに自ずと得られることになった﹁しかも︑随喜・廼向﹂という問題に集中してみよう
と思う︒そしてその成功不成功に関わりなく︑その関に書くことが出来たかぎりのことをともかくも一つの論文
として印騨に尉し︑それを遅ればせながらその還暦を祝して改めて加藤博士に献呈したいと考える︒その努力の
結果としてもし幸いにして︿不生︑しかも︑随喜・廻向﹀というこの問題に関するわたしの理解に云何程かの進
震が見られるなら私にとって辻望外の喜びとなるであろろ︒さらにそれがわたしの非力とその非力による挫折と
が名古屋大学関係者︑ことはその中心となって論集の完成に心血を注がれ︑またこの私に対しては忍酎の限りを
尽くしてくださった和田喜弘教授︑そして誰よちも加藤博士御自身が被った多大の︑いや︑多大の︑というあち
きたりの言葉で済ますには大きすぎたご迷惑に対する万分の一のお詫びのしるしとなるならば︑私の喜びはそれ
に 遇
︑ ぎ
る も
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な い
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一
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四
5 )
不生と髄喜廻向(津田)
ブ
L戸じ
不生と随喜廼向(津田)
ブ
Lノ又
一 一
︑ ︿ 生 の ジ ャ
i
夕方的解釈﹀・大乗仏教の或立のための論理的な前提条件
今ではもう十三年も話のことになるが︑私は﹁﹃般若経﹄から﹁華厳教﹂へ﹂という論考において﹁八千領般
若﹄の所語﹁常時菩薩品﹂と﹃華最経﹄﹁入法界品﹂との一つの比較検討を仔ったことがある Q この検討辻︑当
時仏教学界の一部で話題を呼んでいた松本史朗氏(当時︑爵津大学講師)の
Z E E ‑
乱含批蛇﹂が私にも向け
られ︑その一環として私の﹃華厳経﹂理解が批判的に問題にされたその批判に対する反論としてのものであった︒
当時︑私は︿ゴ l タマ・ブッダの宗教﹀から始ってサンヴァラ系密教において完結し︑その完結において現出
ザ イ ン
するその有意味的な全体像のその意味において︿ゴ
iタマ・ブッダの宗教﹀における︿存在の畳一理﹀︑すなわち
︿女性単数の昏号
59
の無明と明との再極構造﹀の糞理性が証明される︑というインド仏教思想史を構想しつつ
あったのであるが︑この全体的な講想の中において私は﹁華厳経﹄の思想棒系を︿インド仏教思想史の最初の展
開﹀︑且つ︑︿大乗仏教の典型﹀であると規定したのである G
私のこの規定に対して松本氏は不同意であったのであち︑その理由は﹁大乗の典型を探るために辻︑大乗の興
起に関わる経典のとしての﹁般若経﹂の原始形態及びしきりに大乗を強調する﹁法華経﹂などが萌究の対象とな
るべむ﹂である︑という︑或る意味でまことに正当なものであった︒しかし︑この批判の根底に存する松本氏の
﹁華厳経﹄及び﹁般若経﹄に対する思想的な理解に賛同することができなかったため︑私は松本氏の批判を承け
て改めて﹁般若経﹂の﹁原始形態﹂たる﹁八千領般若﹂に対して虚心に向き合う︑というよりも︑逆にことさら
にそれを批判的に(粗探し的に)眺め︑それによって私昌身の論理を弁証しよう︑という方途を採ったのである︒
松本氏の理解と辻︑﹁華議経﹂を唯識説と一諸にき
m E
g t
ぐむ含に含め︑それを仏教本来の正しい立場としての
﹁ 空
を 説
く ﹂
﹁ 穀
若 経
﹂ の
S
﹁
ミ 三
m Z 包
m w
( 中観思想)﹂に対して︑﹁仏教ではない﹂︑要するに外道・邪説である
ところの﹁有の立場﹂であると見倣すものであった︒しかし︑当時の私の認識からするなら︑松本氏の理解とは
丁度逆に︑﹁華厳経﹂が空の思想を説くものであるのに対して︑﹁般若経﹄こそは最も純然たる有の立場︑まさに
( F P Z ぐ 包 l
9
に立つもの︑しかも︑その有の観念は﹁仏教ではない﹂どころか︑︿ゴ
iタマ・ブッダの宗教﹀に
おけるそれ(有の観念)をそのまま忠実に継承したものであるのであり︑そしてさらに言うならば︑その有の観
念は空ということと﹁再立し得ない﹂ところの﹁存在論的区定﹂をなすものなのではなく︑そのやが密なのであ
あ り か た
る︑すなわち︑その有の或る独特の存在機制が︑本来の意味における(﹁中観思想﹂の祖・龍調が﹁中論﹂にお
いて本来︑その事態をこそ空という言葉によって意味していたところの)空ということであったのである︒
このような基本的認識に基づく私の長論︑要するに﹁華厳経﹄に対する私の規定の再確認の内容は︑大略次の
如きものであった︒その﹁原蛤形態﹂における﹁般若経﹂︑要するに﹁八千嶺般若﹂︑の段階における﹁般若経﹂
の人々は︑たしかに邑覚的に大乗仏教の思想運動の中に身を重いた人々であった︒その大乗とは︑およそ仏教徒
にとって唯一絶対の立場である筈の︿ゴ
iタマ・ブッダの宗教﹀からの号
E s ‑
な(私の用語法において︑︿両立
不可龍︑且つ︑二者択一不可避﹀な関係における)︑したがって危機意識にみちた︑いわば確信犯的な華民であっ
たのであるが︑﹃殻若経﹂の人々が︑その危機意識にもかかわらず︑その危機意識を支える或る論理(それが私
のいう︿生のジャ
iタカ的解釈﹀であるわけであるが)の認識において一点欠けるところがあったため︑時の
経過とともに大乗の本質としての︿和他行の宗教﹀の立場から自ずとブッダ本来の立場であるところの(有の特
定の本震と構造︑要するに上にふれた︿無明と明との南撞構造﹀の規定住に従って︑︿現法的交行﹀によって無
み よ う ヨ
i
ガ ヨ
1
ガ 明日渇愛のア:ラヤ的流れに意志的に逆行し︑明の極に合入しよう︑という)︿論調の宗教﹀へと退行してしまっ
た の
で あ
る :
・
: G
不生と臆喜廼向(津田)
ブ
Lブ
L不生と随喜廼肉(津田) 一
00
レー
ペン
その︿生のジャ
lタカ的解釈﹀であるが︑それは次の如き論理としてある︒
み よ
︑ っ
ゴ
タマ・ブッダ(釈尊)はまず︑その覚りの根本体験における(四禅・三明におけるその三明の第一たる)
lしゅくみょう 初夜・憶宿命智において自己の輪廻の生の連鎖の総一体を永劫の過去に遡って観見し︑その自らの人間的な生の
ゲシヒトリッヒ
(歴史的な)総体を畢寛無意義なる苦であったと鎮惜した︒ついで彼のこの自らの生の霊史性の認識は一切衆生
の上に拡大され︑そこに世界の観念をその本来的な︑いわば︑同時性
( 2 0 F O Y 5 E m E
E
︑国みに︑この詞特性
は後の華厳教学における自己規定としての﹁海印定中同時煩現の説﹂という言葉に反映されている)的な存在桔
し ょ
︑ ヲ と
において現出せしめる(中夜・衆生生死智)︒そして彼の観照はさらに進展し︑役をしてその世界の存在住の本
質︑要するに有の特定の本質と特定の構造と特定の存在機制とを了告せしめるに到る︒国みになぜわれわれが有
もその様にブッダの覚りの内容を推知し得るのか︑というなら︑彼は後刻その覚りの内容(後夜・撮尽智)を広
く衆生に開示したのであるがその苦・集・滅・道の四諦という糞理は︑夙に述べたように﹁世界の唯一なる課源
からの人間の生起とその同一の根源への掃滅というふふ形而上学的図だ﹂の典型的な一形式をなすのであり︑そ
してその形市上学的図式をその根拠の位層において支配しているのはその世界の存在性の本質としての有の特定
の本糞と特定の構造と︑特定の存在機割に植ならないからである︒
因みに︑仏教においては︑その根源への帰滅は﹁時のさだめに従って﹂﹁必然的口﹂起るのではなく︑必ずブツ
ダの教によって間開示された事態の認識にもとづく決断にしたがって(なぜなら︑プッダの教命はあくまで仮言命
ぎょう 令なのであるから)実践される意志的な行(現実には四請の道請における苦楽中道としての八正道︑その本質に
おいては︿現法的発行﹀)の結果として実現さるべきものなのであり︑その実践とは︑その原理をプッダ自身の
言葉で言い産すならば︑その﹁現法的発行﹂(パ 1
ワ ﹁
律 蔵
﹂ ﹁
マ ハ
1 ヴアツガ﹂略号 ζ ︿︑六・一二︑一四︑一
む み よ ヮ
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( 芸
品 き
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冨 戸
∞ ・
ヨ ー ガ
︑ ヮ
ω )
に合入せんとするものなのであるが︑したがって︑このような実践を可龍にしている有とは︑その本質にお
いては禁明ないし明︑構造においてはその︿無明と明との南極構造てそして︑その存在機制においては︿世界
・ 普
遍 の
春 F
E たる無明が誰か或る一人の人間の︿現法的交行﹀︑
の存在性の本質として唯一
て性行為をしないことによって明へと変ずる(渇愛は滅するてさらにいうなら︑その人以外の人々にとっては
同一のものである筈の蕪明は依然として舞明のままに留る(渇愛は存続しつづける)﹀という︑蓋し驚くべきもの
要 す
る に
一 生
に 亘
つ
で あ
る 筈
な の
で あ
る ︒
ところで︑ブッダのその﹁現法に発行を行ぜよ﹂という教命は人詞に対してその人間性の本質に巽向から逆行
せよと命ずるもの
( 3 t s g
向
山 富
己 ︑
﹁ 世
流 に
逆 ら
う ﹂
︑ 冨
︿ ・
∞ ・
ω )
であり︑それが人間には結局うけ容れられな
いものであることはブッダが最初かち察知していたことであった(であるから︑後は︑当初︑説法を露躍したの
であ(か))︒案の如く︑やがて人々は自らの現下の人間的な生にその意義を再獲得すべく模索を開始する(この︑
人間性の動機にもとづく︑人間性の意義の再獲得のための思想的な努力が︑思想運動としての大乗仏教であった)︒
そして彼らはブッダの信号の内容ないしは教に対して一つの解釈を投入する事によって︑その人間性再言定のた
めの論理を獲得するに至った︒そして︑その解釈とは次の如きものであった(と私は想像した)のである︒
ブッダ自身は邑らの過去世における輪廼の生の達鎖の総体(それが彼の悟りの体験における初夜・憶宿命智の
内容であったわけであるが)を︑畢寛無意義なる苦に也ならなかった︑と観じた︒であるから彼は同じ事惑の下
にある(そのことは︑同じく梧りの体験における中夜・衆生生死智によりて認識されている)世の人々に対して︑
彼らがもしその畢寛無意義なる苦の状態から解脱する事を欲するなら︑未来世を待たず今この生において出家し︑
︿現法に党行を行﹀ずることによってその輪廻の生の連鎖から解説せよ(実に︑ブッダが罷った有の莫理からす
プッダ るならそれは可能なのであるから:::)と教えた︒しかし︑それに対して︑釈尊が仏・無上正等覚者であること
不生と随喜廻向(津田)
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不生と随喜廼向(津田)
o
を全く自明のこととして信じつつも︑その教命(それは勿論仮言的の命令ではあるのであるが)に敢えて逆らっ
てもあくまでこの世に習ることを設する彼ら(大乗の人々)辻︑こう解釈したのである︑釈尊は御吉身の過去置
のそれらを含めて︑われわれ人間の生を畢寛無意義なる苦であると言われた︑しかし︑少なくとも釈尊御自身に
とっては︑それらの生は︑苦であった事は確かであるにしても︑決して無意義のものではなかった︑いやそれど
ころか︑それら泣すべて釈尊が菩提に到達して︑仏となられるために諮むべき必須の階梯であったのだ︑と:::︒
従って︑もし吾らが吾らの宗教的な生の目標を︑釈尊が吾らに教えられた浬襲から釈尊御自身がそれに到達せら
れた︑そして本来はそれを吾らには期待しておられなかったところの菩提へと変更するならば︑そしてもう一つ︑
カ
1 7
吾ら自身の現下の人間的な生の本質(それは釈尊からするなら愛欲をその本質とする渇愛の自然の発露としての
人間的な愛ないしはその行為なのであるが)を︑その菩提にいたるための実践(すなわち菩提心てその現実態
において︑ジャ
lタカ物語における菩薩としての釈尊の生の本質がそれであったところの︑践の前に苦しむ他者
に対する︑慈悲という京理にもとづく抜苦与楽の亘接的犠きかけ・利飽行としての菩護行へと規整するならば︑
吾らの現下の人間的生は︑その(釈尊が達成されたのと陪じ)菩提へ至る長い道程のうちの︑しかも欠くことの
一致として生きるに値する︑いや︑その苦をも含めて積撞的に生き尽くさねばならないものとして︑
で き
な い
︑ その意義を再獲得されるべきものであろう:::︒
これが当時の私が大乗仏教の成立のための︑唯一の︑そして必須の(論理的な)前提としてその存在を想定し
レー
ベン
た︿生のジャ
lタカ的解釈﹀であった︒
三︑︿開放系﹀の視位と﹁八千頚殻若﹂の﹁個性﹂
この論理は﹃八千領殻若﹂を成立せしめた人々の間においても︑広く了解されていた︒その証拠はこのテクス
トの諸処に見出す事ができる︒しかし︑それは(このことは私自身の思想史的な認識からしてそれを言うことが
できるのであるが)彼らによって原理的に‑認識されていたのではなかった︒しかし︑この論理がその京理的な尖
端︑すなわちヨ 1 ガ的行としての発行と慈悲の原理からする也者に対する抜苦与楽の宣接的動きかけ(プラクシ
ス)としての利他行・菩薩行との号主
35
可(私の用語法において︑この号泣
F o p ‑ 5 1
とはそれら
A
B 両項が
︿再立不可能︑立つ︑二者択一不可避﹀という特殊な関係にあることであり︑さらにその先にプラクシスの亘接
性という原理的な自覚が存するのであるが:::)において自覚されていないとき︑﹁殻若経﹂の人々の本来の立
場でなければならなかった筈の菩薩行の立場は︑自ずと︑もとの︿ブツダの宗教﹀の発行の立場へと退行するの
である︑荷故なら︑彼らがこの現実世界内における復ら自穿の人間的な生の意義が肯定されんがための存在論
的な根拠の原理として採択した(あるいは︑発見した)般若披羅蜜は︑その実質において︿ブッダの宗教﹀にお
ける有︑まさに松本史朗氏の用語法における(四百宮︑私の言葉において︿女性単教の舎
R5 9
の無明と明との
再援講造﹀というときのその︿女性単教のき号言︒﹀に組なちないのであち︑彼らの現前にあるその︿女性単教
のき号言︒﹀は現に無明日目渇愛なのであるからして︑彼らが一たぴ彼らの大乗の自覚における論理的前提として
の利他行・菩薩行の必然性の認識を忘れたならば︑その現謡の存たる舞明日渇愛は彼らの実践をその宗教的な向
上の志向において宣ちにその有(無明 2 渇愛)本来のア i ラヤ的な生成の﹁流れに逆らう﹂(前出)意志的な行
為としての党行へと規定するからであ足︒﹁華厳経﹂の人々は彼らの嬰剖にある﹁般若経﹂にこの退行を看取し
不生と随喜廻向(津田)
ζ〉
不生と随喜廼向(津田)
o
1m
たのである︒そして︑現にその退行を明らかに示しているところの常時菩薩の求法物語(現行の﹁入千領般若﹄
の第三十章以下の部分)に対応させつつ善財童子の求詰物語を改めて造り上げ︑それを通じて彼ら自身の大乗仏
レi
ペ ン
教の理念ないしはその成立のための議理的な条件としての︿生のジャ i タカ的解釈﹀をその完壁なかたちにお
いて表現したのである︒であるから私は︑そこにおける︿ブッダの宗教﹀と大乗仏教との弓
E o
巴言可について
の彼らの自覚の明確と徹底の故に︑﹁華厳経﹂(その実体は﹁入法界ロ巴
CS
込2
3 F
守
mO
号︒に他ならないので
あるが)の体系を︑︿インド仏教思想史の最初の展開﹀(なぜなら︑最初の展開とは︑当時の私の思想史の構想か
らするなら︑本質的に号
E s ‑
なものでなければならなかったのであるから:::)であり'︑豆つ︑︿大乗仏教の
典型﹀である︑と規定したのである︒
ところが︑その論考﹁﹃殻若経﹂から﹁華厳経﹂へ﹂を書いた直後︑私の仏教思想史理解は︿開放系﹀の複位
へと︑文通り開放された(すると︑それ以前に私が構想していた仏教患想史は︑自働的に︿閉鎖系﹀のそれとな
る)︒この︿開放系﹀というのは︑︿関鎖系﹀の仏教思想史が仏教の思想史というものを上に述べたような人間性
の動機にもとづき︑人間の思考の原理(いわゆる根拠律)にもとづく人間の思考によっていわば内発的に展開し
たものとして再講或しようとするものであったのに対して︑その詞一の思想史の当体を︑(当時調然の機会に私
が知ることを得たフッサ i
ルの片一一討を借りていうなら︑)その﹁歴史性を貫く目的論的理性が自己を告知する﹂
その過程として理解しようとするものであった︒
ところで︑その﹁自己告知﹂する﹁目的論的理性﹂(答︒
‑ c m z c Z 3 2
ロ叫んとは︑われわれの弘教思想史に
おいては︑われわれ倍々の人間(私の用語法における︿男性複数の舎号
59
﹀)の(ブッダの悟りの内実における
衆生生生死智的な)総体としての士一狩(詩じく︑︿中性単数の舎号
E9
﹀ )
を そ
の ﹁
身 体
性 と
生 剣
﹂ と
し ︑
そ の
E か F から﹁頭一つを出しが)﹂苦言三
Z 5 2 0 F (
万有内在持論的)な枠なのであるが︑この枠の概念の枠組みは仏教の
プルシャ のよく知られた﹁原入の歌﹂(一 0
・ 九
O )
における巨大なアントロ
lポスたるプルシャ(官三塁︑この言葉は端的に入詞を意味する︒持が殊更に人
間と呼ばれるところに︑私辻大きな意味を見出すのである
ii )
の観念はおいでほぼ完全なかたちで与えられて
いるのであり︑プッダ以後の仏教の思想史的な展開は最初から用意されているこの概念枠のそれぞれの中に︑議
次︑所応の内実が充填されてゆく過程にほかならないのである︒
インド仏教思想史においては︑この過程はタントラ仏教の完成惑としての般若・母系タントラ(そこでは般若
経典において仏の悟りの基盤であったところの般若波羅蜜はダ i キニ!と稽される務教の女性たち H 母たちの集
団と等置され︑後者との性的議伽によって却身に菩提の証得が計られる)の﹁ヘ
i
ヴアジュラ・タントラ﹂
( 出
ぐ )
か ら
更 に
号 E s
‑
に展開したサンヴァラ系密教において一つの完結を一不し︑その完結において私のいう
︿ 開
放 系
の 命
題 ﹀
開 祖
ゴ
l
タマ・ブッダから遥かに先行して︑すでに﹁リグ・ヴェーダ﹂
3 し A
台、..
〈 も 〈
汝 、
一一‑,は 自
2汝 は 怠
自 の
ら らず か
汝
の
汝
父
のな 、 父 で、
る 、 あ 、
J
ミ 、 る 、
き L '‑/
一一で あ
、 る 、 /
をわれわれに一不す︒因みに︑この A 命題(その原文は
152
言
9
B S Z g
三百である)は出︿の文字通りの 末尾(‑一匹・品の第四パ
1 ダ)に示されるところの﹁言葉による﹂濯頂としての﹁第四濯頂﹂のその真理の
﹁一一一日葉﹂そのものなのであり︑タントラの行者は般若・母タントラの本質をなす第三・殻若智謹頂が成立した︑
すなわち郎身に成仏が実現した筈のその直後にこの第四濯頂の﹁言葉﹂を授けられ(ということは︑そこにおい
てタントラ仏教が邑らの方法論的な本賞を昌己否定した︑ということなのであるがてその﹁言葉﹂ の獲得を出
不生と穏喜廻向(津田)
一O 五
不生と斑喜廼向(津田)
ζ
コ
フ可
発点として︑︿プッダの宗教﹀の︿現法的発行﹀という行の観念にほぼ対中ゆするところの︿一生︑死ぬまで苦し
ピ l
タ ぎ ょ う み ず か み ず か
い聖地巡礼を続ける﹀という行の過程に入る︑そしてこの﹁自ら﹂する︑自力の行の過程によって︑自らの﹁父﹂
であるところのプルシャになるというのが︿反密教としての密教の完成態﹀たるサンヴァラ系密教の成仏の構想
であったのであち︑そして︑このインド仏教思想史の完結においてわれわれに﹁告知﹂されたこの︿開放系の命
題﹀は(仏教学というものの学的な権利からするならこのように言うことが出来るのであるがてその︿
A ( E
直 接
法 )
︑ し
か も
︑ B
( れれ命令法)﹀という弁証法的構造が奇しくも現代プロテスタント神学︑要するにま・プル
トマン及び K ・バルトの所謂弁証法神学が言い当てている所の﹁キリスト者の実存﹂としての﹁亘接法と命令法
の弁証法的統斗)﹂という事態(もっとも︑このことをもう一段っきつめると︑それは﹁恩寵のみ﹂︑﹁信のみ﹂と
いうプロテスタント的な原則を超えてしまう︑さらに云えば︑神の存在が人間の行為によって逆規定される︑と
いう事態に立ち至ってしまうことになるわけであるが::)に一致することからも或る程度予想される通り︑多
分その究極的なかたちにおいて神(大プルシヤ)と人間(小プルシヤ)との関係を︑あるいは︑神における人間
ぎ ょ う の生の(信託知における無時間的な究極的なれれ務末論的な実現︑しかも︑一生に亘る行の︑それも全春在的な力
行の持続という)枠組みを示しているのであるむ
しかし︑事態はここ(インド仏教患想史の完結における︿開放系の命題﹀の告知)で経るのではない︒仏教思
想史はこのインド仏教患想史を承けてそれに履行的に後続する日本仏教思想史の尖端において︑もう少し具捧的
に言うなら︑法熱源空の︿一生に亘って専穆念仏し︑韓終正念に撞楽世界からの弥陀の来迎を期す︑あるいは︑
その極楽世界への往生を期す﹀といういわゆる多念義的な救済の構想からの円庄の巳に展開したところの親驚の︑
︿一念の行信における讃超・自然法菊﹀という一念義的な構想(それは事実︑上に触れたブルトマン︑バルトの
い ち に ん 現在終末論の構想に対応している:::)が︑さらに︑親鷺自身の︿一入﹀性の自覚(それを一不すものが︑﹁歎異
い ち に ん 抄﹄結文における︿一人﹀の言葉︑﹁弥詑の五劫思惟の顕をよく/¥案ずれば︑ひとへに親驚一人がためなりけ
ぎょう り﹂であったわけであるが)を契機として改めて法然的な多念義的な行の観念(ただし︑そこにおいては︑念仏
という持殊宗教的な行の観念はその神の投企における人間の或る本質的な行為の持続へと開放されている)へと
取り戻されたところにおいて︑われわれに︑現代に生きるわれわれ自身の思想の一つの可能的な原理であるとこ
ろの神の観念をその生ける現実的な形姿において﹁告知﹂する︑いや︑現に﹁告知﹂しているのである
cその﹁自己告知﹂において︑その神︑いわ︑は︿開放系の神﹀とは︑われわれ人間(人類)の(﹁中部・怖骸経﹄
の表現によるなら)﹁種々或壊挺﹂より現在にいたる衆生生死智的総体を身体とし︑いかし
V︑その唯一の身体の
極徴的な一部分である筈のわれわれ個々の人間とそれぞれ一対一に対応する巨大な入神︑本初より永遠の未来に
亘って﹁三世常恒﹂的に存在する存在の持であちつつ︑しかも︑個々の人間のそれへのそれぞれの投企によって
それぞれ蕪時間的に︑しかも︑その究極的な完全性において現戒し︑個々の人間の刻々の行為によって刻々にそ
の巨大な存在性を支えられ︑さらに言うなら︑その一人の入の一生に亘る行為の持続の末に︑多分︑その人の臨
終においてカイロス的に現成するという︑その意味における(天に在す父なる神が子なるキリストという人にな
る︑のではなく︑それとは逆に︑われわれ普通の人間がそれぞれ自らの﹁父﹂であるところの神になる︑という
意味においての)生成する神であるのであるが︑仏教の思懇史がこの神のその﹁自己告知﹂なのである︑という
プルシャ とき︑その仏教思想史を形成する各体系は﹁ワグ・ヴェーダ﹂の﹁京入の歌﹂において既に用意されているその
神の概念枠に対してのそのうちの所応のものに内実を充填するものとしてあるのであり︑その点においてそれら
各体系のそれぞれの思想的な﹁橿性﹂︑すなわち︑﹁他によってうばわれることのなどそれ独自の存在意義が成
立 す
る の
で あ
る ︒
では︑このようにその思想的な﹁個性﹂をいうとき︑﹁八千額般若﹂と﹁華議経﹂を比較検討する︑とはどの
不生と随喜廻向(津田)
一O 七
不生と麗喜廻向(幸田)
一O A
ようなことになるのであろうか︒それはすでに︿閉鎖系﹀の思想史理解の場合のように或る事態の理解の進展の
過程を一本の﹁右肩上がり﹂の亘線として表象し︑その上において﹃入千額放若﹂を﹁華厳経﹂より未発達のも
の︑あるいは後者を前者からさらに進歩したものとして倍値評倍しようする態のものでなく︑両者を理解的に先
行する仏教の思想史的な全体像の上に量いてそれぞれの﹁個性﹂を持定し︑それらの﹁個性﹂を対比してそこに
形成される新たな関連性の意味を改めてその事態の全体的な把握の上に取り戻す︑という循環的な理解の深まり
の一鶴たらしめる如きものでなければならない筈であろう G
では︑私が現段稽において有している︿開放系の仏教思想史﹀の全体像の中に置かれたかぎりでの﹃八千領般
若﹂の思想的な﹁橿性﹂とは何なのであろうか︒私はすでに最初に触れた論考三般若経﹂から﹁華議経﹂へ﹂
に お
い て
﹁ 不
生 ﹂
( S
戸仲間)包与)ということを﹁﹁般若経﹂に於けるすべての議論の唯一なる最終根拠︑すべての
議 論
が 十
九 ﹂
か ら
導 出
さ れ
る 最
終 の
前 提
﹂ と
し て
﹁ 天
か ら
降 り
来 (
か )
﹂ 根
本 的
な 設
定 で
あ る
と 言
っ た
の で
あ る
が ︑
今 ︑
改めてその﹁八千填般若﹂の﹁値性﹂を︿不生と随喜廻向﹀︑より正確には︿不生︑しかも随喜廼向﹀として捉
え︑それを大乗仏教の成立のための実質的な条件︑としたいのである︑いや︑私自身のこれまでのインド仏教思
想史全体復が示すところの最も単純な均整(私はこれまでその単純な均整を︑それが私自身の理論の巽理性を録
証しているものであるかの加くに愛してきたのであるが:::)を自ら崩して︑この︿不生︑しかも随喜廼向﹀と
いうことの自覚的な設定の設に﹃八千領殻若﹂の体系をその全体後における︿大乗仏教の最初の展鹿﹀として︑
そして﹁華厳経﹂の体系を︑それが大乗仏教或立のための論理的前提たる︿配ンのジャータカ的解釈﹀を原理的
に確認したものであることからして︑そして︑﹁八千領般若﹂においてその規定に一種の未分明なあいまいさを
残していた﹁随喜廼向﹂という実践をその統一的な世界復の中で本質的に︑涼理的に再把握したものであったと
いう点において︑︿大乗仏教の典型﹀として規定したいのである︒
では︑その︿不生︑しかも槌喜廻向﹀ということは︑まず事実的にどのようなこととしてあるのか︒上記
﹁﹃般若経﹂から﹃華厳経﹂へ﹂において﹁不生﹂ということが﹁般若経﹂における根本的な設定である事を言っ
て以来︑私泣一貫してこの﹁不生﹂ということを自ら理解すべく相志の努力を継続してきた︒しかし︑この間︑
その理解の進屡はまことに笹かなものであった︒私はいく度かこの﹁不生﹂ということについて論文を書くこと
を試み(時には公言してその度に挫折してきた︒この事情は現在においても変わりない︒であるから本稽にお
いて私はこの﹁不生﹂という問題枠を︿不生︑しかも随喜廼向﹀という問題枠へと拡大したその枠内において︑
その事態の全体像を棲成すべきいくつかの要件を私自身が気づいている範囲において項目的に列挙し︑まずその
党 文
原 文
を 掲
げ (
︿ 巳
身 内
H
による刊本があるにも持らず党文を︑しかも︿包身内戸から抜出したままのかたちで掲
げる事は必要である︑何故なら現段階において我々に必要なことは︑原文そのものをできるだけ正しく理解しよ
うとすること︑そして︑その理解の根拠と経過とを︑自己及び抱者による検討が容易であるようなかたちにおい
て提示することであるからである)︑それに私自身の訳を隙し︑最少限のコメントを階す︑というかたちにおい
て︑現設諸におけるこの︿不生︑しかも随喜廻向﹀という事態に関する私自身の理解の大筋を提示する事にしよ
︑ っ ︒
四︑不生と題喜廻向︑大乗仏教の或立のための実質的な条件としての::・
a
摂本的な設定としての﹁不生﹂ということ
﹁不生﹂ということは︑﹃八千填般若﹂第一章において︑﹁菩薩もまた不生であるならば︑なぜ菩薩は難行を行
不生と髄喜廼向(津田)
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{市町←
1yad api ayuf?
man sariputra evam aha ‑anutpado bodhisattva iti / evam etad ayu守mansariputra, evam etat / anutpado bodhisattva iti //
sariputra aha ‑kirp. punar ayu1;)man subhute bodhisattva evanutpada
l),
utaho bodhisattvadharmaapy anutpadah?
subhutir aha ‑bodhisattvadharma apy ayu
f?
man sariputra anutpadal,l /sariputra aha ‑kirp. punar ayu
f?
man subhute bodhisattvadharma evanutpadal),
utaho sarvajnatapyanutpadal,l ?
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山
hutiraha ‑sarvajnatapy ayu守mansariputra anutpadahaha‑‑kimpumr ayueman S11bhf山sarvajaataivaI111tpadab
,
Utahosanrainatadharmaapy aI111tpadab?aha ‑sarvajnatadharma apy ayu
f?
man sariputra anutpadal,l /aha‑ki
中
punarayuf?
man subhute sarvaj白
atadharmaevanutpadal,l, utaho prthagjano 'py anutpadal,l?aha ‑prthagjano 'py ayu
l?
man sariputra anutpadal,l /aha kirp. punar ayu
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man subhute prthagjana evanutpadal,l, utaho prthagjanadharma anutpadal,l?aha / prthagjanadharma apy ayu
f?
man品riputraanutpadal,l / (Vaidya. p.14, 1. 27 ‑‑‑‑p.15, 1. 5)(﹁・:長老舎利弗は是の如く云った︑﹁菩棄は不生である﹂と︒まことにその通りである︑長老舎利弗よ︑ま
ことにその通りである︑菩薩は不生である︑ということは::﹂
舎利弗は問うた︑﹁然らば長老須菩提よ︑菩能性のみが不生なのであるか︑それとも菩薩の諸法もまた不生
な の
で あ
る か
? ﹂
須菩提は答えた︑﹁菩薩の諸法もまた︑長老舎利弗よ︑不生である︒﹂
舎利弗詰謂うた︑﹁然らば長老須菩提よ︑菩麓の諸法のみが不生なのであるか︑それとも一切知者である
こともまた不生なのであるか?﹂
須菩提は答えた︑﹁一切知者であることもまた︑長老舎利弗よ︑不生である︒﹂
(舎利弗はさらに)問う︑﹁然らば︑長老須菩提よ︑一切知者であることのみが不生なのであるか︑それと
も一切知者であることの諸法もまた不生なのであるか?﹂
( 須
菩 提
は )
答 え
る ︑
一 一
一 切
知 者
で あ
る こ
と の
諸 法
も ま
た ︑
長 老
舎 利
弗 よ
︑ 不
生 で
あ る
︒ ﹂
問う︑﹁然ら述︑長老須菩提よ︑一切知者であることの諸法のみが不生なのであるか︑それとも異生もま
た不生なのであるか?﹂
答う︑﹁異生もまた︑長老舎利弗よ︑不生なのである︒﹂
問う︑﹁然らば︑長老須菩提よ︑異生のみが不生なのであるか︑それとも異生の諸法もまた不生なのであ
る か
? ﹂
答う︑﹁異生の諸法もまた︑長老舎利弗よ︑不生なのである︒﹂)
この文中に見出される S3 旦
ES (
一 切
知 者
で あ
る こ
と ︑
一切知者性)という語をその前後におけるぎ
( F r
不生と随喜廼向(津田)
1
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illl~思栴~1十6~K-赴1~崎時(sarvajñatãpyanutpadaI̲l)。
EZ1J8厳榊e惜支出Jトモ世1~ì♀!{ð(sarvaj五atadharmaapy anutpadal;) 0
g 醐〈牡 1~ 1t6~持制下 J崎沖 (prthagjano'py
anutpadal;)。R岡〈州e純潔4制~)斗制下)~!{ð(prthagjanadharma apy anutpadal;)。
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白
atapyanutpad叫,sarvajnata‑dharma apy anutpadaI̲l, prthagjano 'py anutpadaI̲l prthagjanadharma apy anutpadaI̲l, nanv ayu$man
subhilte anupraptaiva ayatnena bodhisattvena mahasattvena sarvaj
五
atabhavati /evamukte ayui?man subhutir
ãyu~mãnta 中 sãriputram
etad avocat ‑naham ayusman sariputraanutpannasya dharmasya praptim icchami, napy abhisamayam /napy anutpannenadharme
I).
aanutpannaprapti
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prapyate /alla‑kirp punar ay11smarl S11bhate ar111tparulerla dharm叫aanutpanna prapti
l:l
prapyate, utaho utparトnena dharme
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aanutpanna praptil)
prapyate?aha ‑kirp punar ayuf?man sariputra anutpanno dharma utpanna
1:).,
utaho anutpanna eva dharmo'nutpannah?
aha ‑kim punar ayu号manS11bhatelltpada eva dharmo'TIlltpadab,Utaho aI111tpado dharma lltpadab7
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utpadodharmo 'nutpado dharma ity ayuf?man sariputra napratibhãt~
jalpitum /aha ‑anutpado 'pi te ayusman subhute (na) pratibha
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iputr悶apratibhanam / evamevayu守mans鈎ariputr悶aatya叩nta中pratibhati // (Vaidya, p.15,
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1不生と髄喜廼向(津田)
1m
(需二)﹁それでは︑長老須菩提よ︑不生なる法によって不生なる証得が証得されるのであるか︑それとも︑
生じたる法によって不生なる証得が証得されるのであるか?﹂
(答二)﹁それでは(逆に問︑つが)︑長老舎利弗よ︑不生なる法が生じたのであるか︑それとも︑不生なる法
こそが不生なのであるか?﹂
(爵一一一)﹁それでは︑長老須菩提よ︑生という法が不生なのであるか︑それとも︑不生という法が生なのであ
る か
? ﹂
(答三)﹁生という法が不生という法である︑ということは︑長老舎創刊弗よ︑説かるべき(虞理の言葉)とし
てひらめき現われ(ることは)ない︒﹂
(関西)﹁不生ということもまた︑汝に対して︑長老須菩提よ︑説かるべき(異理の言葉)として︑小いかかみ一
c
︑ ( 抽 出 )
現われない(のではないか?と
(答思)﹁不生こ十が(または︑不生だけが)︑長老舎利弗よ︑(翼理の)言葉なのである︒不生じ十が(また
は︑不生だけが)︑長老舎利弗よ︑ひらめき現われるのである︒不生こそが(または︑不生だけが)︑長老舎
利弗よ︑(唱導さるべき)明白な農産なのである︒かくの如にくして︑長老舎利弗よ︑(不生という量一理が)
究極的にひらめき現われるのである︒﹂)
ポ ジ ン ョ ン
︻ 引
毘
2}において﹁不生﹂ということが彼ら﹃般若経﹄の人々の根本的な設定であることは答三︑間呂︑
答自に集中的に現われている官︒
tF pt
l(
ひらめき現われる)というキ ワ
iド及び答酉においてき三志
( Z F
に対して三度繰返して附されている
2 9
という強調によって示されている︒このパツセ 1 ジにおいて有三
F F p t
誌先行する諸訳において﹁見せかけのこと(もの)であ混﹂(平川彰)あるい辻﹁ただかかかふいかだけで朽﹂(梶
こ の
山雄二という嵐にどちらかと云うなら否定的なニュアンスにおいて捉えられているが︑それは実は︑此テクス
トのそもそもの冒頭において﹁世尊﹂(釈迦牟尼仏)が対告衆の須菩提に対して発する
{ 引
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3
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伊 丘 ‑ 志 印 出 詑 凶
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巴 戸
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鈴 主 汁= 汁 芝 ぐ 附 釦
F言
問ypg
汁 汁 ぐ か } 戸 ] 足
︒ い 山 叫 ん さ ん 可
︒ 言
E h r H
戸三ミ
m q g
弓 (
︿ 己
込 山
1 9
w H
Y p
‑ ‑
H j
H ・ ∞ )
(須菩提ょ︑諸の菩薩摩薩は般若波羅蜜から姑めて(その同じ)般若波羅蜜へ一日出で行くのであるが︑
ことについて汝に(糞理の言葉が)ひらめき現われよ!)
そ の
という言葉からもわかる顛く︑きわめて肯定的なものなのである︒事実︑これに続いて舎科弗は須菩提の説示が
須菩提自身の﹁般若の明自な巽理有三
5 5 5
の力の加持によって﹂のものなのか︑それとも仏の威神力による
ものなのかと間い︑須菩提はその説く所はすべて﹁如来のプルシャとしての活動﹂
( S F Z
己主三宮
2 2 5 3 )
によるものであることを確認している︑すなわち︑有印江吾川目立とは︑すでに脹の誌に在す﹁世尊﹂たる教主・
釈迦牟尼で誌ない︑どこか天の高みに在す知られざる仏・如来の加持によって究極の巽理の言葉がひらめき現わ
れることを意味しているのである︒そして︑({引用
2 }
に戻るが)﹁不生である﹂という言葉こそがその究極の
真理の言葉なのである︑というのである︒
では︑その
﹁不生﹂とはどのようなことであるのか︒
b
世界が﹁不生である﹂とはどういうことであるのか
前一項における{引用?︼を整理して得られた﹁不生﹂についての六層の命題は︑
Nd
三
え さ
( ﹁
一 体
二 重
町 民
﹂ )
的
不生と罷喜廻向(津田)
三
E不生と随喜廼向(津田)
ノ 、{
に同一であるところの二つの世界を提示している G ひとつは菩薩たちと一切知者計仏たちと︑そして異生たちが
形成する世界︑もう一つはそれら菩藍たち︑仏たち︑異生たちの﹁諸法﹂の世界である︒この(れはこれら二つの)
世界は︑まず直観的には︑それを異生ないしはその諸法の世界(それがゴ
iタマ・プッダがその悟りの根本体験
においてその根諒的な存在相において観ることを得た﹁衆生生死﹂の世界︑すなわち︑遥常の意味における実在
世界であるのであるが)を菩麓ないしはその諸誌の世界が包含し︑さらにそれを一切知者日仏ないしはその諸法
の世界が包含する︑という三重層の世界として表象することができる(図
I )
︒
1 1
国