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(話 し合 い)の学習活動 と人間関係

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(1)

(話 し合 い)の学習活動 と人間関係

は じめに

松 本 修

国語科 の授業では話 し合い とい う活動が学習過程の重要な位置 に置かれることが多い。その学習 指導上の効果 と問題点 については実践的 には よ く理解 されて い るもの と思われ るが、問題点のひ と つに、学習内容その もの と直接 には関係 のない人間関係上の要素 が話 し合いの過程 に影響 を与 えて しまうとい うことが あ る。 これは、国語科 における学習内容 が、個 々人のものの考え方な どの内面 的な価値 にかかわ る ことが多 く、 そのため、個人 と個 人の人間関係 を こえて、内容のみを対象化 し て話 し合 うことがむ ずか しい とい う事情 があるためで あろう。次の二つの感想は、いずれ も文学教 材の解釈 をめ くって話 し合 い活動が行 われたあ と、生徒が書 いた もので ある。

班 で話 し合 うのは、初 めて じゃないけ ど、友達 の意見 の良い所 を今 まで書いていたが、「こう マ マ

した らいい と思 う」 とい うような事 を書 く事 は少なか ったので 、ち ょっと書 きず らか ったです。

( 吉野弘 「夕焼 け」の学習時 にお ける中学 1 年生の感想 )

̀ ̀ 非現実の境界線" を私は本文の 49 行 目と 5 0 行 目の間に した。理 由は単に 49 行 目の 「あま りにす ぐ帰れて しまう・ ・ ・ ・ ・ ・ 」が どうして もひ っかかっていたか らだ。ふつ うな らなにかもうち ょっとつけ くわえてもおか しくない し、テルがうとうとと眠って しまって と考えても変 じやない。その後の ̀ ̀ 変異' 'という言葉 もなんだか文 としては現実 っぱ くない し、「早 く家に帰 りた くない」テルが、そ う思 うあま りに、「まわ りの全てが敵 に見える怖い夢」を見て、その中で、同 じ年 くらいの少年た ちに助けてもらう、 とい うふ うに解釈 しても決 しておか しくない と私は思ってプ リン トに ̀ ̀ 夢" と いう表現を一切 かかずに、みんなに見せた ら、ものす ごい意見ばか りもらった。面倒なので説明も しなかったが、みんなすべて ̀ ̀ 現実' 'す ぎる意見ばか りでなんだかつ まらなかった。 どれもこれ も 人のあげ足ばか りとった り、 自分の考えのお しつけばか りで、みんな同 じだった。

世 の 中考えは一 つ じゃない んだか ら、 もっと考 えがい っぱいでて きて よい と思 った。( 黒井千 次 「子供のいる駅」学習時 における中学 3 年生の感想)

どち らの感想 も、 国語科の授業 におけ る話 し合い活 動 にお いて学習者が直面する人間関係上の困 難について語 ってい る。 しか し、 この ような困難をこえて話 し合 い活動が行 われて きてい るのは、

国語科 における教材価値 ・学習内容その ものが教材 と学習者 との関係 の中に浮かび上が るもので あ

り、その必然的結果 として教材価値 ・学習 内容が、個 々の学習者 に固有のものであ りつつ学習の行

われ る空 間におけ る学習集 団の 中でその意味が問われ るものであ るとい う本来的な性質があるか ら

(2)

で あろう。要す るに、 国語科 の学習において何を学ぶ かは、学習者の教材への働 きかけ とともに、 I 他 の学習者への相互の働 きかけにおいて決 まって くるとい う事情があ る。

コ ミュニケー シ ョン能力の育成その ものが国語科の 目標 として掲 げ られ る今 日、国語科の学習は このような相互の働 きかけを通 じて行われつつ、そ こに生 じる関係上 の困難 を克服 し、相互の働き かけの力そのものを身 に付 けさせてい く方向でかたちづ くられることが期待 されてい る。国語科の 学習時 における話 し合 い活動 には人間関係の要素が絡 み合 うが、逆 に話 し合い活動を通 じて人間関 係 の困難を克服 してい くことが求め られてい るとい う逆説が成 り立つわけであ る。

「夕焼 け」の学 習 における話 し合 い活動

例示 した二つの感想 の うち前の方は、崎見宣人氏 ( 静岡県袋井市立袋井中学校教諭)の 『国語科 における自己評価 に関す る研究』 *1の中で論 じられている 「夕焼 け」 (吉野弘)の研 究授業 におい て得 られたものであ る。崎見氏は、 自己評価 を文章 による自由な振 り返 りの記入を通 じて行 わせる ために、解釈の対立 と交流の現れ るような授業過程を構想 した。解釈 とその交流の過程で、何度も 相互評価 と自己評価 を ワー クシー トに記入させるとい う作業が含 まれてお り、 これ によって評価の 様相 を明 らかに しよう としてい る。 この構想 を、群馬 県の昭和村立昭和 中学校の本多和恵教諭に実 践 して も らい、学習記録 とともに、授業のようすを VTR に記録 し、分析 したものが上の論文の中 心部 をな している。

この授業過程 において現れ た先の感想をめ ぐるで きごとを崎見氏の記述に従 ってみてい くことに しよう。話 を見えやす くするために、「夕焼 け」の全文をまず掲げてお こう。

夕焼け

吉野 弘 いつ ものことだが

電車は満員だった。

そ して

いつ ものことだが 若者 と娘が腰 をお ろ し

と しよ りが立 って いた。

うつむいていた娘 が立 って としよ りに席 をゆずった。

そそ くさととしよ りが座 った。

礼 も言わずにと しよ りは次の駅で降 りた。

娘は座 った。

別 の としよ りが娘 の前に 横 あいか ら押 されて きた。

娘は うつむいた

(3)

しか し ■ 又立 って

席 を

その としよ りにゆずった。

と しよ りは次の駅で例 を言って降 りた。

娘 は座 った。

二度 あることは と言 う通 り 別 の としよ りが娘の前に 押 し出された。

か わ い そ う

可哀想 に 娘は うつむいて

そ して今度は席 を立たなかった。

次の駅 も 次の駅 も

下唇 をキュ ツと噛 んで

か ら だ

身体 をこわば らせて‑ 。 僕 は電車 を降 りた。

固 くなって うつむいて 娘は どこまで行 ったろう。

や さ しい心の持 ち主は いつで も どこで も

われにもあ らず受難者 となる。

な ぜ

何故 って

や さ しい心の持 ち主は

他 人のつ らさを 自分のつ らさのように 感 じるか ら。

や さ しい心 に責 め られなが ら 娘 は どこまでゆけるだろう。

下唇 を噛んで つ らい気持 ちで

美 しい夕焼 けも見ないで。

( 光村 図書 『国語 2 』平成 9 年度版 による)

先 にあげた生徒 の感想 が現れたのは、第 4 時の 「 「僕」 とい う人物は、「娘 」 の ことを どう思 っ

てい るだ ろう。」 という検討課題 につ いての学習過程のあ とにおいてであった。この課題 について

の各 自の解釈 について、グループ内の他の学習者に意見を書いて もらい、その書いて もらったこと

について の話 し合いが持たれた。先の感想 を書いた T という生徒は、 Ⅰとい う生徒の解釈 に違和感

を感 じなが らその ことを指摘 することがで きなかった。そのため、先のような感想 をも らしたので

(4)

ある。

「夕焼 け 」 をめ ( oるや りとりにおける問題点

このや りとりについて、崎見氏は次のよう卑 こ分析 してい る。 * 2

抽 出生 Ⅰは、第 1 時における初読の段階の気づ き として、 ワー クシー トⅠに次の ように記述し てい る。

夕焼け とはかんけいがない詩

あ とにふれ るが、テ クス ト内容 と題名 との関連に対す る疑問は、 Ⅰにとって強 く残 ったようで ある。

ワー クシー ト Ⅱ‑A では、「僕」の 「娘」 に対す る想 い として、次のように記述 している。

お年寄 りに席 をゆずるなんて心が優 しい人

また 、 Ⅰは、第 2 時 における前半部分の精読後、ワー クシー ト Ⅱ‑B に次のように記述 している。

娘は、心優 しい と思い ました。あ と、娘は、 二回も席 をゆず ってい るのだか ら、他の人も ゆず ってやればいい と思います。

前節で述べたように、「僕」が どのように 「娘」 を見つ めているか とい う視点か らではな く、明 らか に、 Ⅰ自身の価値判断か ら記述がされている と考え られ る。 これ に対 して、授業者は、「こ れは、 Ⅰさんがそ う思 うのですね。では 「僕」は、どう思 っているので しょう。どう して娘を 「や さ しい」 と言 っているので しょう。」 と朱筆 を入れ たが、 Ⅰは、「二度 もお年寄 りに席 をゆずっ たか ら。」 と書 き加 えるに とどまっている。

また、第 3 時 におけ る後半部分の精読後 には、「僕 」 の 「娘」 に対 す る想 いの再検討 として、

ワー クシー ト Ⅲ‑A に次のように記述 してい る。

ママ

僕は娘の ことを優 しい心の待ち主 と思 って る と思い ます。だ って三度 目は席 をゆずってい ない として も、二度 も席をゆずったのだか らえ らい (やさ しい) と思います。

ワー クシー ト I I‑A ・B に記述 した内容 とほぼ同 じであ り、表面上は 「僕」の視点か ら書いてい なが らも、 3 回の うち 2 回席 をゆずったか ら 「やさ しい」 とする、 Ⅰの主観が極 めて強 く介在 し てい る。 Ⅰに とって、前半部分および後半部分 を精 読す る学習は、脈絡 としてほ とん どはた らか なかった と考えることがで きる。

さ らに、第 4 時における 「相互評価」の段階で も、 Ⅰは、他 の学習者の ワークシー トに、次の ように記述 している。

・私 も、娘は、やさ しい心の持 ち主だ と思い ます。だ って、二度 も席 をお年寄 りにゆずった か らや さ しい心の持ち主だ と思います。三度 にゆずれなかったのは、はずか しくなったの だ と思い ます 。( W に対 して)

・私 も、「僕 」 は、「娘」の ことをや さ しい と思 って い ると思 い ます。三度 目ははずか しく

て ゆずれなかった として も、二度 もゆずったのだか らやさ しい と思いま した 。(Tに対 し

て)

(5)

評価対象 として異な っている学習者に対 し、同様 の記述がなされているこ とか ら、 ここでも Ⅰの 主観が極 めて強 く介在 していることは明 らかである。 しか し、 こうした Ⅰの考え方を、他の学 習者が無批判に受容 して しまっている。

・「二度 も席 をゆずったのだか らえ らい」 とい う所 は、良い と思い ます。根拠 は、私な ら、

どんな時で も席はゆずれない と思 うか らです。(T)

・三度 目は席 をゆずってない として も、二度 も席をゆずった ところは、す ごい と思います。

私 だった ら、多分、はずか しくてゆずれない と思 ったか らです 。( W)

・「え らい」 とい うところと 「や さ しい」 とい うところをイコール としたのは、いい と思い ます。なぜな ら、え らい ことをするとき、優 しさが生 まれ ると思 うか らです。(N)

T 、 N は、先 に述べたように、それぞれ表現に即 した解釈 を しているにもかかわ らず、 Ⅰの考え 方を認 めているのである。ここでは互いの解釈の差異を基盤 とした衝突が起 こっていないため、

相互評価が機能 していない と考え られ る。「相互評価」 あ とのワー クシー ト Ⅲ‑A に対する Ⅰの 振 り返 り ( 「自己評価 」 Ⅱ)は、次のような ものであった。

私は、三度 目は、ゆずっていないけ ど娘は、優 しい心の持 ち主 と思 っていました。みんな の意見な どき くと、ほ とん どの人が、「私 も、やさ しい心の持 ち主だ と思 う。」 とか、かい て くれた人が多か ったので うれ しかったです。

相互評価 がその機能を果た していないため、 Ⅰの解釈には何の変容 も見 られないのである。

このため、 Ⅰが、題名 「夕焼 け」の象徴す るもの として、ワー クシー トⅤに記述 した内容は、

極 めて表面的なものであった。

私 は、「夕焼 け」 とは、娘がお年寄 りに席 をゆず った ときが夕方で、「夕焼 け」が出てい たのだ と思い ました。

また、 Ⅰは、「相互評価 」 の段階で、 N の解釈 に対 して次のように記述 してい る。

私は、「他人のつ らさを 自分 のつ らさの ように」 か ら感心 しま した。 この詩は、「夕焼 け とちがう詩で した。(下線は引用者 による。)

ワー クシー トⅠの段階でテクス ト内容 と題名 との間に懸隔を感 じた ことが、 ここでも再度記述さ れてお り、 これもまた、 Ⅰにおいて解釈の変容が起 きて いない現れで あると考 える。

Ⅰにおいては、テ クス ト内容や、授業 における学習内容、他の学習者の解釈等が脈絡 としては た らかず、 Ⅰ自身の主観が強 く介在 し続 けたため、解釈 の変容が妨 げ られた と考 え られる。

本来な ら、 このようなかた くなな学習者 にこそ、異 なる解釈 とのせめ ぎあいを通 じて、 よ りよい 解釈 に向かって変容を とげるとい う自己の乗 り越 え と更新 を体験 させたいものである。 しか し、何 段階にもわたって設 け られた相互評価 ・自己評価 を通 じても Ⅰの解釈は基本的には動かなかった。

Ⅰは W に対 して 「三度 にゆずれなかったのは、はずか しくなったのだ と思い ます」 とコメン トして

いる し、 N に対 して も 「私は、「他人のつ らさを自分 のつ らさのように」か ら感心 しま した」 とコ

メン トしている。もう少 しで、善意によって他人か ら突出する自分への こだわ りを持つ娘の傷つ き

やすさにも想いがいた り、「僕」 とい う語 り手 を介在 させた 「娘」像 を描 くことがで きる要素を拷

っている。にもかかわ らず、他の生徒か らはその ことが指摘 されず、解釈は揺 るがなかった。この

ことには Ⅰとい う生徒のパー ソナ リテ ィや他の生徒 との人間関係 が反映 されて い るもの と思われ

(6)

る。崎見氏 はこの点 について次のようにまとめている。 * 3

抽 出生 として と りあげた T は、単元の学習の終 了時に、本実践授業の進 め方 に対する感想 とし て、次の ように記述 している。

班で話 し合 うのは、初 めて じゃない け ど、友達の意見の良い所 を今 まで書いていたが、「こ ママ う した らいい と思 う」 というような事 を書 く事はす くなかったので、 ち ょっと書 きず らかっ たです。

本実践授業 においては、相互評価 を活性化 させるために、 ワー クシー ト Ⅲ‑A の記述内容を踏ま えて、解釈の交流 に衝突が起 こるようなグループを意図的に編成 した。 しか し、本項 ( 1 )で述 べたように、明 らか に解釈の差異が認め られ る Ⅰに対 しても、 これ を受容 する姿勢 をと り、自ら は表現 に即 して客観化 された解釈 を して いるにもかかわ らず、 自身の主観 を介在 させた相互評価 を行 っている。その背景には、 ̲ T の こう した抵抗感 があったのであ る。こう した抵抗感 を持つ学 習者の間では、相互評価 を十全 に機能 させ ることがで きない。 Ⅰにおいては、相互評価 が脈絡 と してはた らかず、解釈 を変容 させ ることがで きなか ったと考えられ る。すなわち、 Ⅰの解釈にお ける問題点の背景 には、 こう した学習集 団そのものの持つ人間関係 上の問題 があったのである。

Ⅰの解釈 に対 する相互評価 において、 Ⅰの解釈 を無批判に受容する評価を書 き込んだ T 、 W 、 N の三人の学習者は、その三人の間では互いの解釈 に対 する評価をそれ ぞれの考えを提示す る形で示

し合い、それぞれ 自分 の解釈 をよ り深いもの に変容させていることが崎見氏の研 究か ら読み取れる。

ただ、 Ⅰに対 しては、他の学習者も Ⅰの解釈 をその まま支持するかの ような評価の ことば を書 き込 み、 Ⅰは 自らの解釈 を変容 させることな く、稚持 し、その ことに満足 していたわけである。

したが って、崎見氏 の指摘 する 「抵抗感 」は、 よ り具体的には Ⅰとい う学習者の持つパー ソナ リ テ ィ、 Ⅰと他の学習者 との人 間関係 に起因するもので あると言えよう。 これは、崎見氏の構想 した ような解釈の交務 を伴 う学習 にとっては阻害要 因としてはた らく要素 ということになる

話 し合 える共同体 へ

しか し一方、 この ような人 間関係上の問題 は、まさにこのような話 し合いの過程 を通 じて解決さ れなければな らないはずである。このような認識は、こんにち幅広 く共 有されつつ あるものである。

た とえば、 田近淘‑氏は次の ように述べている。 * 4

対話 について考 えてみよう。自立 と強制の営み としての対話は、決 して な しくず しの仲良 し関 係では成立 しない。それぞれが 自立 しつつ、おたがいの他者 として の異質性 を受容 して いかなけ ればな らない。異質性の受容 とは、しか し他 者の主張を無条件に受け入れ るとい うことではない。

共生を支えるのは相互理解だが、 しか しそれは、他 者を受け入れ他 者に従 うとい うことでは決 し てない。共生 としての対話、あるいはデ ィスカ ッシ ョンは、そんななまや さ しいものではない。

おたがいに く対他者) と して明確 に自己主張 し、 自己のアイデ ンテ ィテ ィーを確立 していかなけ

(7)

ればな らない。ほん とうの他者 との出会 い、ほん とうの他者理 解のチャンスは、その時初 めて生 まれ るので ある。

また、汐 見稔華氏 も次 の ように述 べている。 * 5

問題 なのは、教師 が 「正解」を知 って いて、いずれその解釈 にむかって生徒たちを導 いて い く のだ ろ う、 とい う予 断 を与 える授業 なのである。そ うした授業 は生徒たちが必ず忌避す るように なる。そ うではな く、何 が正 しい解釈 か、その正 しさをめ ぐって、 クラスで解釈の葛藤 と競争が 起 こるよ うにす るこ とが、今 日求 め られてい るのである。

ここで 言 う 「葛藤 と競 争 」 が 自然 に行 われ るようになれば、学習者はそれぞれ独立 した個人 とし て立ちなが ら、解釈 を行 う主体 と. して の立場 を共有す ることがで きるようになるはずであ る。そ こ で行われ る解釈 の交涜 においては、解釈 の成立 と深化 とい う内容的な価値が追求され ると同時 に、

田近氏の言 う 「ほん とうの他者 との出会 い 」 「ほん とうの他者理解」が実現 され ることで、人 間関 係そのものを構築す るコ ミュニケー シ ョン能力の育成 とい うもう一つの価値 が追求され ることにな る。

Ⅰとい う学習者 にかかわ る周囲の学習者がこのようなコ ミュニケー ションを行 うことがで きなか った最大 の原 因 として 考 え られ るのは、 T の感想 にあ る通 り、不慣れであった ことであろ う。 こう した学習活 動が幾度 か積 み重ね られ るこ とによって、 Ⅰのパー ソナ リテ ィや人間関係上の特性 を乗 り越 えて、学習者相互 の コ ミュニケー シ ョンが成立 してい く可能性 がある。そもそも T が この よう な感想 を書いた こと自体 が、 Ⅰに対す る T の本音を隠 した ままの受容的対応 について、 T 自身が反 省を持 って いる ことの証で もある。同様 の学習活動が繰 り返 し組織 されるこ とによって、学習者相 互のコ ミュニケー シ ョン活動 におけ る反省的実践が成立 し、 コ ミュニケーシ ョンの共同体 として学 習集団が成長す ると同時 に、個 々の学習者のコ ミュニケー シ ョン能力がたかめ られてい くことが期 待で きる。

「子供 の いる駅 」の学習 におけ る話 し合 い活動

冒頭 に例示 した二つ の感想 の うち後 の方のものは、私 自身が上越教育大学附属 中学校で 3 年生を 対象 に行 った授業 * 6 にお いて、最後 に書かせた 「 「子供のい る駅 」私論」の 中に書 き込 まれたもの である。私 の この授業 においても、解釈 の対立 と交流がグルー プ学習や全体討議 において現れ るよ うな学習過程が構想 されて い る。黒井千次のこの小説 は、 SF ない し幻想小説 としての性格 を持 っ てお り、切符 をな くした主人公が同 じ境遇 の子供たち と駅 に住 んでいるとい うような結末 にな って いる。

冒頭の感想 を書いた生徒 は、「現実 と非現実の境界は どこか」とい う課題 を選択 した グループで、

互いの意見を見せ合い なが ら、それぞれが他の生徒の意見について意見を述べ合い、書 き込む とい

う活動を行 った。 この グルー プは、書 き込みの作業そのものを優 先させ、内容に立ち入 った話 し合

(8)

い とい うものはあま り行われず、話 し合いそのものはやや低調で あった。 このグルー プがそもそも そのような方法 をとった こと自体、 このグループにお ける人間関係のむずか しさを暗示 しているか も しれない。

しか し、話 し合いにおいて も特 に目立 った対立は起 きていない し、書 き込 まれた学習 シー トを見 て も対立は読み取れないのであ る。

学習 シー トにおけるこの生徒 Y の記述 とグループメンバーの意見は以下の ような ものである。

説 明 これではあま りにす ぐ帰れて しまう・ ・ ・ 。 J

ところが、そ うはな らなかった。

テルが 「変異」に気づ く。

⇒行 くときのコ トを全然おぼえていない‑>非現実の世界。

根拠 あれだけ母親 に 「キ ップ」 について言われていて、 しかも一度 「キ ップ」 をちゃん と使 えているのにその記憶 がまった くないのはおか しい。

意見 1 「キ ップ」が使 えた ことの記憶がない とい うことは どういうことなのか。

どの部分でわか るのか。

2 キツプを どこにや ったか覚えていない ことがなぜ非現実なのか。

3 どこか らなのかてい じして下 さい。明確 に。

4 ・ ただ書かれていないだけで 「おぼえていない」 というわけではない と思 う。

5 私もそう思 うこの ごろデス。

一人は 同意 してお り、他の意見 も、根拠 を詳 しくす ることを求めているのみである。話 し合いの ようすの トラスク リプ トを見 る と、先 に意見 シー トの記入を して しまってい るので、それをもとに 意見のや りとりが行 われてお り、Yの解釈 をめ i ・って、具体的なや りとりが行われて い るわけでは ない。 したがって、 Y の この感想は主 に意見の シー トに対する反応で あると思われ る。 この ことは 次に用いた学習 シー トでの記入が、他のメンバーに対する反論のような形 になってい ることか らも うかがわれ る。そ して、修正点 として、「完壁 に 「記憶」がない と否定 じゃな くて 、 「〜 じゃないだ ろうか」 に変更」 とい う記入 を行 っている。本人の表現が不十分 なことに対 する意見 を受け止めら れず、話 し合いの運営の仕方のために十分補 う機会 を失 った ことによって、不満が残 り、それが感 想 に現れた とい う経緯 だ と一応は考えることがで きる。学習者の表現力な どによっては、読みの交 義が本来のね らいとは異なる結果 をもた らす ことが あるとい う側面を見るこ とので きる例である。

学習内容面では、話 し合いの運営の仕方を改善す ること、それ によって、 Y に対す る他の学習者

の意見に対 してその場で補足 した り反論 した りする機会が与えられることによって、 Y の不満は解

消するだ ろう。 しか し、すで に述べたように、 この集団はそのような方針を とることがで きないよ

うな人間関係上の問題 を抱 えていた可能性 もないわ けではないのである。その場合、話 し合いの運

営の仕方 を改善することその もののために、 どのような活動があるべ きか というもう一つの問題 に

直面することになる。

(9)

話 し合 える共同体 とは

「ほん とうの他者 との出会い 」 「ほん とうの他者理解」が実現 されることで、人間関係そのもの を構築す るコ ミュニケーション能力の育成が問われているということをすで に述べた。 この ことの ためには、話 し合 う活動 自体が重視 され、繰 り返 されていかなければな らないことも確認 した。 し か し、一般 には、 この ような活動を行 う以前に、何 らかの 「指導」が必要であると考えて しまうの が教師の立場であろ う。た とえは、「子供のいる駅」での学習 において、学級担任で あった ら、 Y のい る学習集団に直接 あ らか じめ何 らかの指導を行 うというふ うにである。 しか し、 これはいわゆ る生徒指導 ( 本来 これは生徒 に対する生活指導 と呼ぶべ きであるが)を教科指導の領域 に持 ち込む ことであ り、根本的な問題の解決にな らないばか りか、教科の授業の役割 を後退 させ、 コ ミュニケ ーション能力の育成の重要な部分か ら国語の教師が手を引 くことをも意味 しかねない。

だが一方で、ただ話 し合いをすれば、話 し合 える共 同体 を作 り上げ、コ ミュニケー シ ョン能力の 育成 がで きるとい うもので もあ るまい 。「い じめについて話 し合 い ましょう」 とい うような活動を ただ繰 り返 しただけではい じめがな くなることにはつなが らないのである。

Y は、他の学習者の意見が、直接 自分 の考え方そのものの内部 に深 く関与するもの として理解 し てい る。だか らこそ過剰 とも思える反応を示 してい るのである。 もし、話 し合いの内容が、その学 級におけるい じめについて というようなものだった ら、 Y の反応はもっとかた くななものになる可 能性がある。文学作 品の解釈 をめ ぐるや りとりにおいては、その議論は、なかは個人の内面にかか わ りなが ら、 しか しなかばは虚構ので きごとに対 する判断 として外在化されたものにかかわってい る 。Y に対 してはその ようなゆ とりを持 たせ ることが まず必要になる。教師が Y の解釈 を とりあげ、

十分な補足 をさせなが ら、話 し合 いの現場 において Y の解釈 に対する一定の評価 を与えると同時 に、

その解釈 を再び検討の対象 と して学習集 団に返す ことが重要である。なぜな ら、 Y の解釈 が固定 し て しまい、 Y がそこに安住することがあってはな らないか らである 。 文学作 品の解釈 にあっては、

どんなにす ぐれた解釈 において も同 じようにこの ことが言えよう。そ して、 Y の解釈が変容するこ と自体が肯定的 に評価 されてい くことが次 に求め られ る。そ うすれば、あ くまで作 品の解釈 とい う 学習の文脈 においてコ ミュニケーシ ョンのあ りようそのものが対象化 され、改善されることにつな がってい くと考えられ る。

佐藤学は、次のように述べている。 * 7

思考の多様性 を尊重 し、それぞれの異質性の理解 を通 して、 自分 自身の思考を吟味 し合 うこと。

この場面で紡 ぎ出されている社会的関係は、教室を 「デ ィスコース ・コ ミュニテ ィ ( 探求 し議論 し合 う共 同体) 」へ と再組織す る実践 の方向を示 してい る。

上記のような意味 と関わ りを築 き上げる認知的 ・社会的過程は、同時に、倫理 的過程でもある。

ここでいう倫理的過程 とは、 自己のアイデンテ ィテ ィーを見つめ直 し、よ りよい 自分へ と導 く過 程 を意味 している。 自己の編み直 しである。

話 し合 える共 同体の構築や、コ ミュニケーション能力の向上には、それにかかわ る 「関係の中の

(10)

自己」 それ 自体 の乗 り越 え と更新 が求 め られて い る。 学習 の文脈 にお け る学 習 内容 にかか わ る評価 は、 その よ うな 更新 され ゆ く自己 とい う動 的 な 自己像 の肯定 につ なが る。 Y の過 剰 な反応 は、動か ざ る 自己へ の執 着 に起 因す る もので あ り、 そ の執 着 を払拭 す るには、学習 に よ って編 み直 され る自 己 と関係 その もの に、 肯定 的 な評価 を与 え る しか な い 。その よ うな契機 を捉 え、 あ くまで学習 を通 して Y の意 識 を変 えて い くべ きなので あ る。

おわ りに

国語科 の授業 、特 に文 学作 品の解釈 の交流過 程 にお いて、 話 し合 い活動 を繰 り返 し設定 す ること の重 要性 、 そ して そ の過 程 にお いて 自己の乗 り越 え と更新、 自己の編 み直 しの過程 その ものが評価 されて いか なけれ ば な らな い こ とにつ いて述 べ た。

教科 の教 師 と して の 立場 か ら、 かつて高校 教 師 と して の私 が望 んだ のは、 い わゆ る生徒指 導 を必 要 と しな い学校 だ った 。 い わ ゆ る生徒指 導 は、授 業 成 立 のや む を得 ざ る前提 と して のみ許 容 され る べ きだ とも考 えた 。 しか し、 考 えて みれ ば、教科指 導 その ものが学習 者の倫理 に働 きか け ることが で きなか った こ とそ の もの の 方 が問題 で あ ったの だ。 国語科 の学習 は、 コ ミュニ ケー シ ョン能力や 心 の教 育 *8 とい うよ うな こ とば を今 日的 キー ワー ドと しつつ 、新 たな編 み直 しを求 め られて い る。

(まつ も と お さむ 上越教 育大学 助 教授 ・国語 科教 育)

*1 崎 見宣 人 『国語 科 にお け る 自己評価 に関す る研 究』 1 99 9. 3. ( 上越教 育大学修 士論文) 授 業デー タ

日時 1 998 年 9 月 29日〜 1 0月 2日 全 5 時限

対 象 群 馬 県利根郡 昭和村 立 昭和 中学校 1 年 1 組 ( 36 名) 指 導 者 本 多和 恵教諭

' 2 崎 見宣 人 前掲 pp. 99‑ 1 01 . ただ し、学習 者 の イ ニ シャル を便宜 上単純化 した。

* 3 崎 見宣 人 前掲 押. 1 03‑ 1 04.

' 4 田近 淘 ‑ 「国語 学 力 論 の地 平 をひ ら く‑ (自立 と共生) の国語 教 育の確 立のた め に‑」 田近 淘‑編 集 代 表 『国語教育 の再 生 と創 造 ‑ 21 世紀 へ発信 す る 1 7の提 言 ‑』 教 育 出版 1 996・ p. 1 4.

* 5 汐 見稔 幸 「教 室 を解釈 の葛藤 と追求の場 に」『月刊 国語 教育』21 8. γo l . 1 9. No . 2. 東 京法令 出 版 1 99 9. 5.p. 1 7.

* 6 授 業 デ ー タ

日時 1 99 8年 7 月 6日〜 7月 1 7日 全 6 時限 対 象 上越教 育大学附属 中学校 3 年 3組 ( 36 名) 指 導者 松 本修

詳細 は分析検討 中で あ るが、 一部 につ いて は次 に発 表。

(11)

松 本 修 「 「子供のいる駅」 をめ ぐる (読み)の交 涜」『学 図 国語研 究』 No . 1 6 0. 学 校 図書 1 999 ・ 4・ pp

・5

‑ 8・

' 7 佐藤学 ・稲垣 忠彦 『授業研 究入 門』岩波書店 1 9 96.p. 2 0.

・ 8 松 本 修 「コ ミュニケー ション教 育のあ り方 と心の教育 」『日本語 学 』vo l . 1 7.No. 8 明治 書 院

1 99 8. 7. pp. 37 ‑ 4 4. 参照

参照

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