いのちを繋ぐ 言葉で繋ぐ 〜あの世とこの世を 繋ぐ「亡き人への手紙」♯1
著者 里 みちこ
図書名 平成27年度 大手前大学公開講座講義録「集う −語 り継ぐ これまで そしてこれから−」
開始ページ 5
終了ページ 36
出版年月日 2017‑12‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1160/00001823/
「繋ぐ」 皆さん、こんにちは。きょうは 「味わう」 というところにじっくり立っていただきたいと思います。 あ ち こ ち で 講 演 を す る と、 皆 さ ん 一 生 懸 命、 私 の 言 う こ と を 聞 い て 書 い て 終 わ っ て し ま う よ う で す。 書 く こ と は 大 事 で す が、 書 い て い る 時 は 頭 が 動 い て い る の で、 心 の 耳 は 半 分 ぐ ら い し か 動 か な く な り ま す。 き ょ う は「 心 の 耳 」 で 聞 い て い た だ き た い と 思 い ま す。 聴 く こ と に ち ょ っ と 重 心 を 置 い て、 ぽ わ ー ん と気を外して聞いていただくといいかな、と思います。 今 日 は、 「 詩 が た り 」 と い う 初 め て の 世 界 を 皆 さ ん に 体 験 し て い た だ き ま す。 現 代 は 言 葉 が 記 号 に な っ て し ま っ て、 「 頭 で は 知 っ て い る 」 け ど い ざ 自 分 が 言 葉 を 使 い こ な し た り、 共 感 し た り す る 力 が も の す ご く弱くなっています。 第一章 第一回
平成二十七 (二〇一五) 年
四月十八日
い の ち を繋 ぐ 言葉 で 繋 ぐ
~あの世とこの世を繋ぐ 「亡き人への手紙」 #1~
里 みちこ (さと ・ みちこ)
人 と 人 が ほ ん と に し っ か り つ な が る「 座 」 は な か な か で き な く な り ま し た。 皆 さ ん と 一 緒 に 語 り を 聞 く。 皆 さ ん と 語 る。 私 が 手 を つ な い で 心 を つ な い で、 こ の 場 所 を「 座 」 に し た い。 そ し て 皆 さ ん に 素 敵 な 驚 き を い っ ぱ い 持 っ て 帰 っ て い た だ き た い と 思 っ て、 き ょ う は い ろ ん な 作 品 を 持 ち 込 み ま し た。 皆 さ ん にはぜひ、 「感じる」 という世界を始めてほしいと思ってこの服を着てきました。 こ の 黒 い 服 も 実 は ご み 場 で 拾 っ た も の な ん で す。 手 縫 い で こ ち ょ こ ち ょ と や っ て い る う ち に 出 来 上 が っ て、 上 着 と し た も の で す。 あ る 時、 人 と お し ゃ べ り を し て て、 う っ か り お 洋 服 の 右 の 袖 に 左 の 腕 を 入れてしまいました。そのとき、こんなふうにひっくりかえして逆の着方があると気がつきました。 いかがでしょう。今から語るのにどちらを着るのがいいですか皆さん! ( 受 講 者 に た ず ね た 結 果 ) ほ と ん ど の 皆 さ ん は、 こ の 裏 返 し の ほ う が 何 か 素 敵 と 感 じ て 手 を あ げ て い た だきましたね。
(朗読) 「出会いのレシピ」 おいしい出会いをつくるのに こんなレシピはいかがです みずみずしい心を鍋に目分量 ひとが好きをひとにぎり やさしい野菜を一束入れて にくい思いは入れません
砂糖はころあいひとつまみ 塩はしおどきかくし味 ユーモア ・ ウィットふりかけて 寛容たっぷり入れましょう 熱くなったら火を弱め コトコト煮えるその音を 聴く耳木茸しづかに入れて 水をさしてはいけません こうしてできる出会いのごちそう あくしゅするたびうまくなる 言 葉 遊 び が い っ ぱ い 入 っ て い た の が わ か り ま し た か? こ ん な ふ う に す で に 知 っ て い る 言 葉 を 日 々 の 暮らしの中で、人生の中で、全部生かしていくことができます。 皆 さ ん の 右 に 見 て い た だ い て い る 作 品 は、 一 つ が 十 一 セ ン チ 四 方 の 布( 一 枚 一 枚 に 漢 字 が 書 い て あ り、 全 部 で 千 文 字 ) を 集 め 縫 い 合 わ せ た も の で す。 異 な る 千 の 漢 字 で 人 間 の 生 き 方 が 詩 に な っ て い ま す。 「 千
せん字
じ文
もん」といいます。子供たちへの授業に使うように作りました。 母の死に目に会えず、 「お母さん、ごめんなさい」 という思いで母の名前 「千
4代枝」 を生かして千字文を 作 っ た ん で す。 全 部 手 縫 い で す。 日 本 全 国、 八 歳 か ら 九 十 歳 ま で 百 人 余 の 方 が 漢 字 を 書 い て 手 伝 っ て く ださって、千字文は出来上がりました。
中 国 で 生 ま れ た 漢 字 が 韓 国 に 行 っ て、 百 済 か ら 王
わ仁
に博 士 と い う 人 が こ の 千 字 文 を 持 っ て き て く れ て、 日 本 は 文 字 と い う も の を 持 ち ま し た。 漢 字 の こ と を「 真
ま名
な」 と 言 い ま す。 漢 字 か ら ひ ら が なと カ タ カ ナ が 生まれました。全部、子供たちへの授業に使えるように作ったのです。 ( 会 場 前 方 が 全 面 の 窓 で あ る。 「 母 へ の 手 紙 」「 父 へ の 手 紙 」 が 横 へ 長 く 貼 ら れ、 そ の 下 に 関 連 す る 別 の 詩 が 一 つ 一 つ 短 冊 の よ う に ぶ ら さ が っ て い る。 ) 皆 さ ん に 見 て い た だ い て い る の は、 亡 く な っ た 父 に、 そ し て 亡 く な っ た 母 に 書 い た 手 紙 で す。 一 九 九 九 年 に「 父 へ の 手 紙 」 を 書 き ま し た。 「 母 へ の 手 紙 Ⅱ 」 は 二 〇 〇 六 年 の「 母 へ の 手 紙 Ⅰ 」 に 続 い て 去 年( 二 〇 一 四 年 )、 母 が 生 き て い た ら 九 十 九 歳 だ な と 思 っ て 書 いて、ナガサキピースミュージアムで半月ほど個展をやる時に発表したものです。 「 父 へ の 手 紙 」 に 比 べ て「 母 へ の 手 紙 」 は す ご く 大 き く な っ て、 詩 が 二 十 三 本 く っ つ い て い ま す。 「 父 へ の手紙」 には九本しかぶら下がっていない。かわいそうですね。 さ て、 「 父 へ の 手 紙 」 が 聞 き た い 人?
まだ、皆さん緊張してらっしゃるので、この詩を聞いていただきます。 ただくことにします。 へ の 手 紙 」 が 聞 き た い と い わ れ る の で す。 で は、 来 月 五 月 十 六 日( 第 二 回 ) に「 父 へ の 手 紙 」 を 聞 い て い 「 母 へ の 手 紙 」 が 聞 き た い 人? 全 国 ど こ に 行 っ て も、 必 ず「 母
(朗読) 「あなたに会うと花になる」 かぜひきそうな今日の日も
あなたに会うと花になる おしゃべりの吾がクチナシ 耳が菊 こころはフリージャ 目は薔薇に 鼻は菜の花
つんつん椿
唇よせて
チューリップ
この身宇宙にコスモスに 花がいっぱい咲きました 苺一会のタチバナし ありがとう
あなたに詩を贈り
両手あわせておじぎ草
さ あ、 お 花 の 名 前 が い く つ 入 っ て ま し た か。 聞 い て な か っ た? 数 え て な か っ た? お 花 の 名 前 を 数 えてください。 「花」 はだめですよ。 「花の名前」 だけ数えてください。私は十一入れて作ったつもりです。 神 戸 の ホ テ ル オ ー ク ラ で、 と っ て も 大 き な 教 科 書 会 社 の 東 京 書 籍 さ ん に 呼 ば れ て こ の お 花 の 詩 を 語 り ました。オクラも花が咲きます。
(朗読) 「あなたに会うと」 (ホテルオークラ版) ホテルオークラで
あなたに会うと花になる おしゃべりの吾がクチナシ 耳が菊 こころはフリージャ 目は薔薇に 鼻は菜の花
つんつん椿
唇よせて チューリップ この身宇宙にコスモスに 花がいっぱい咲きました 苺一会のタチバナし ありがとう
あなたに詩を贈り
両手あわせておじぎ草
書 籍 会 社 の 方 が「 里 さ ん、 『 あ り が と う あ な た に 詩 を 贈 り 』 の な か に「 ク リ 」 も 入 っ て る じ ゃ な い で す か。クリも花が咲きますよ」 と。 「え?私見つけてほしくなかった」 と思わず笑って言っちゃったんです。 こ ん な ふ う に い く ら で も 言 葉 の 中 に ユ ー モ ア や ウ ィ ッ ト を 入 れ 込 む こ と が で き ま す。 「 あ ー、 言 葉 が あ る お か げ で 生 き て る っ て、 い ろ い ろ 悲 し い こ と、 嫌 な こ と い っ ぱ い あ る け ど、 「 う ふ っ」 て 笑 え る ね。 一 緒に笑えるね」 。 この 「父への手紙」 と 「母への手紙」 の間、 二十二本目に 「学くんへの手紙」 という作品を書いています。 滋 賀 県 の 青 柳 小 学 校 へ 六 年 生 の 授 業 に 行 っ た 時、 授 業 を 終 え て 校 長 室 に い た 私 の と こ ろ に、 そ の 授 業 を
受 け た 男 の 子 が 先 生 に 連 れ ら れ て や っ て き ま す。 先 生 が「 里 さ ん。 『 僕 が 伝 え と く よ 』 と 言 っ た の に、 ど う し て も こ の 子 が『 直 接、 里 さ ん に 僕の 声 で お 礼 が 言 い た か っ た か ら 連 れ て っ て く れ 』 と 言 う の で、 ご 一 緒しました。いいですか?中に入れていただいて」 と。 「どうぞ、どうぞ」 と私。 校 長 室 に 入 っ て き た 男 の 子 は、 短 い 言 葉 で「 今 日 ま で 僕 は 言 葉 や 文 字 を 憶 え る も の だ と 思 っ て い ま し たが、 言葉や文字がこんなに人を楽しませて、 元気づけることを知りました。 ありがとうございました」 。 とっても美しいお辞儀を残して帰ってくれました。 こ の 子 は そ の 日 、 お う ち に 帰 っ て 手 紙 を 書 き ま す 。 あ く る 朝 、 学 校 の 担 任 の 先 生 に 「 こ の 手 紙 を 里 さ ん に 送 っ て ほ し い 」 と 言 い ま す 。 先 生 か ら そ の 手 紙 が 届 き ま す 。 電 話 も か か っ て 、「 里 さ ん 、 実 は あ の 手 紙 を 送 っ た 男 の 子 は い じ め っ 子 の リ ー ダ ー で し た 。 申 し 訳 な い け れ ど 、 あ の 子 が 感 動 し た 『 希 望 』 の 詩 は が き で ぜ ひ お 返 事 を 書 い て く れ ま せ ん か 」と い う こ と で し た 。 も ち ろ ん 、 大 喜 び で お 返 事 を 書 き ま し た。 そ し て、 「 鉄 は 熱 い う ち に 打 と う 」 と 作 品 を つ く る こ と を 提 案 し ま し た。 納 豆 の ふ た で で き た 六 メ ー ト ル × 三 メ ー ト ル の 大 き な 作 品 で す。 東 京 の 国 連 大 学 の 青 山 通 り に 面 し た 玄 関 に 飾 り ま し た。 「 裏 」 と い う 漢字と 「表」 という漢字が合体しているのが見えますか。 「表裏一体」 という作品で、 「裏」 の字は 「衣 (こ ろも) 」 の中に 「里」 が入っていますね。 「土」 と 「里」 で 「埋める」 になります。 「表」 は 「衣」 の中に 「土」 がありますね。 い じ め っ 子 の 元 リ ー ダ ー に 急 遽 リ ー ダ ー に な っ て も ら っ て、 納 豆 の ふ た の 作 品 を す ぐ に 作 っ て も ら っ た。百二十五枚で作ったのです。
い じ め っ 子 と い じ め ら れ っ 子 はも う 境 界 線 を 越 え て、 皆 で「 一 つ の 意 味 あ る 目 的 」 の た め に 納 豆 の ふ た の 作 品 を 作 っ て、 「 国 連 大 学 で 僕 た ち の 作 品 が 飾 ら れ る。 国 連 大 学 っ て 日 本 に あ る ん だ 」。 そ う い う と こ ろから社会の勉強をしていきました。 い じ め っ 子 の 元 リ ー ダ ー が 毎 年 私 の 夏 の 神 戸 の 個 展 に 来 て く れ る ん で す が、 「 里 さ ん、 僕 は も う 学 ぶ 喜 び を 手 に し た か ら、 学 校 の 先 生 にな る こ と を 決 め ま し た。 大 学 の 教 育 学 部 に 行 っ て 先 生 に な る 」 と。 い つ か、いじめっ子の元リーダーの体験をしっかり生かしてくれたらいいなと思っています。 そ し て、 そ の 小 学 校 の 子 供 た ち は 私 の 授 業 に 来 た 十 月 か ら 五 カ 月 後 の 三 月 に、 皆 で 握 手 を し て 卒 業 し ていきました。 「学ぶ喜び」って、今なかなか皆が手にしない。それはもったいないと思います。 今 か ら こ の「 母 へ の 手 紙 」 を 皆 さ ん に 聞 い て い た だ き ま す。 ぜ ひ 力 を 抜 い て、 心 ≲
Heart≳ の ま ん 中 の 耳
<ear>を 集 中 さ せ て 味 わ っ て ほ し い と 思 い ま す。 あ ち こ ち に 桜 の 花 び ら を 九 十 九 枚、 母 の 供 養 に 貼 り こ みました。 (「母への手紙」 の各所に説明や他の詩を入れて、詩がたりは進む。 )
(朗読) 「母への手紙」 お母さん、あの世に桜は咲きますか? おわかれしてから八年。生きていたら今年 「白寿」 ですね。 「来年も」 と言いながら果たせなかった桜の季節がまた巡ってきました。
桜 を 見 に 連 れ て い っ て ほ し い と 母 が 言 っ た の で す。 そ の た び に 私 は 母 に「 じ ゃ、 ま た 来 年 桜 を 見 に 行 こ う ね。 必 ず 行 こ う ね 」 と 約 束 し た の に「 次 ま た 行 こ う ね 」 と も う 約 束 で き な い。 約 束 を 果 た せ な か っ た のです。
この季節になると、あの日の桜が鮮やかに甦ります。 いつもとは全く違って見えた川沿いの桜並木。 その光景は私の人生を変える背景となりました。 二十数年前のその日は青空。 春爛漫の空気が一面に広がっていました。 膝のケガから歩けなくなっていた右脚の手術を終え、 ギプスの足を引きずりながら退院するときでした。 車の窓から見えた花吹雪の輝きが、この世のものとは思えなかったのです。
私 た ち は ぎ り ぎ り の 極 限 の と こ ろ に 追 い 込 ま れ る と、 違 っ て 見 え る 視 点 を 持 つ よ う に な り ま す。 阪 神・ 淡 路 大 震 災 を 体 験 す る 前 と 体 験 し た 後 の 桜、 違 っ て 見 え ま せ ん で し た か? 本 当 に こ の 時、 た ま た ま 通 っ た 大 阪 の 淀 川 沿 い の 桜 が、 こ の 世 の も の と は 思 え ま せ ん で し た。 「 こ ん な に 美 し く み え る の は、 生 き て い れ ば こ そ で は な い か。 そ れ な ら ば、 生き て 味 わ う 悲 し み も 引 き 受 け な き ゃ い け な い ん だ な 」 と、 な ぜ か そ の時思ったのです。
何て美しいんだろう。こんな美しいものが見られるのも生きていればこそではないか。 ならば生きて味わう悲しみも引き受けよう そんな感慨に耽ったのは 「手術の成功率は五分五分」 と言われ、失敗のことも 考えていたからかもしれません。 入院するとき、私は一冊の本を求めました。歌人 ・ 上田三
み四
よ二
じの四二歳の時の闘病記です。 上田三四二は名前しか知らなかったのです。 手術は偶然、私の四三歳の誕生日。 四二から四三歳になるときだったので、 「三四二」 という数字の名前にも験を担いだのです。 それを読み進むうち、こんな言葉を見つけました。 「病気が私に与えてくれた恩寵」 。「教訓」 でなく 「恩寵」 。 その言葉が光の矢となって入ってきました。 とすれば、いま私が感じている 「痛み」 も 「悲しみ」 も 「恵みの種」 。 そう思うと、心が高揚していくのがわかりました。 それまでの私は 「喜びだけ、美しいものだけ」 と、 ひ弱な自分に好都合な 「表」 半分の世界を無意識に追っかけていたようです。 しかし、その 「裏」 にこそ真に美しいものが隠されているのではないかと気づきました。
気づき始めたというほうが多分正しいと思います。
そうして自己との対話が始まったのです。 「そこそこ恵まれたこのままの人生でいいか?」
「いや、何か足りない……」 そんな自問を繰り返すうちに、四四歳を迎えました。 米寿の半分、 「半米寿」 です。ちょうど、その頃、父が京都の病院に入院しました。 その病院の近くには花園大学があり、そこに社会人向けの入試枠があることを知りました。 「そうだ! 半米寿のお祝いに自分を大学に行かせてやろう。 父のお見舞いにも毎日行けるし、一石二鳥」 と嬉しくなりました。 仕事を辞め、針を 「
0」 に戻し、四五歳の大学生活が始まったのです。
定 期 券 の 学 生 割 引 は 私 が 大 学 に 通 っ て い る 時、 な ん と 八 割 引 き だ っ た。 毎 日 通 う と 二 万 円 掛 か る と こ ろ が 四 千 円 だ っ た ん で す。 私 立 の 大 学 な の で、 も ち ろ ん 大 学 の 学 費 の ほ う が ず っ と 高 く は つ く ん で す が、 これは大きなきっかけになりました。 「大きくなったら何になりたい?」 と訊かれるたびに、私は 「花咲かばあさんになりたい」 と本気で答え て い ま し た。 も う ち ょ っ と 大 き く な っ て 言 葉 遊 び が 出 来 る よ う に な る と、 「 ア ル コ ー ル な し、 店 舗 な し の 花酒場のママさんをする!」 と面白がって言っていました。 「 バ ー 花 酒 場 バ ー 花 酒 場 バ ー 花 酒 場 」 と 言 い 続 け る と、 「 花 咲 か バ バ ア 」 に 聞 こ え ま し た か。 花 園 大 学 な ん て、 名 前 も い い じ ゃ な い か と 思 っ て 私 は 行 っ た の で す。 も し、 父 が 他 の 病 院 に 入 っ て い た ら、 こ の 大 学に行ったかどうかわからない。 そして大学に行ったかどうかわからなかった。 「花園大学に行ってます」 と言うと、多くの方にラグビー場ですかとよく言われました。
大学に入り、文字の奥の 「知の光」 に目を見張りました。 しかし、文字だけでなく、数字にも深遠なことが埋め込まれていたのです。 教育テレビで放送している 『一〇〇分
de名著』
は今、 「ブッダ最期の言葉」 をやっています (二〇一五年四月一 ・ 八 ・ 十五 ・ 二十二日放送) 。 出てらっしゃるのは佐々木閑
しずかさんとい花園大学の先生です。 私もかつてこの人は多分いい先生だなと思った。 ほんとにしっかり、とても分かりやすいお話をしてらっしゃる。 母の訃報が届く前日のことです。 小学三年生の教科書で、算数の定理を見ているとき、不思議な時間が訪れました
私 は 五 十 八 歳 で ラ ン ド セ ル を 背 負 っ て ジ ャ ン パ ー ス カ ー ト を は い て お さ げ 髪 を し て 小 学 校 に も 入 り ま した。一カ月に一週間、 毎月、 奥出雲の小学校に通いました。五十八歳の小学生が生まれて、 『朝日新聞』 の 社 会 面 に も 大 き く 取 り 上 げ ら れ て、 朝 日 新 聞 社 に い っ ぱ い 問 い 合 わ せ が 入 り ま す。 小 学 校 に 入 る の に はどうしたらいいか。もちろんそんな制度はなくて、どうやら私一人だけです。 二 〇 〇 五 年 の 五 月 十 八 日 で し た。 小 学 校 三 年 生 の 算 数 の 時 間 に 教 科 書 で 算 数 の 定 理 を 見 た の で す。 「 ゼ ロにどんな数を掛けても答えはゼロです。どんな数にゼロを掛けても答えはゼロです。 」すると、
四つの 「
「無から生まれた自分が 0」 が 「無」 になり、私に語りかけてきたのです。
無力のまま無心に 「いま ・ ここ」 を生きるとき 希望の点が線になり帯になり 無限に広がってゆく」 まるで母の遺言のようでした。
「 ね ぇ ね ぇ、 お 母 さ ん、 こ れ 見 た と た ん、 ゼ ロ の 四 つ の 穴 が 皆、 私 に 語 り か け て き た ん だ よ 」 と 手 紙 を 書 い た の で す。 こ の 四 つ の ゼ ロ か ら 母 の 遺 言 み た い な の が 聞 こ え て き た の が 私 に と っ て は と て も 不 思 議 で、 な ん で こ ん な こ と が あ る の だ ろ う と 思 っ た。 大 阪 が 生 ん だ 三 好 達 治 と い う 詩 人 が い ま す が、 詩 人 に はやっぱりよくあることだと本で見つけて、ちょっと安心しました。
家族も誰も側に居ないとき、一人で、眠るように静かに逝ってしまったお母さん、 ごめんなさい。最期に何か言いたかったのですね。 この世から消えて 「無」 になるときに、 「究極の言葉」 を贈ってくれてありがとう。 私も…お母さんの年齢に近づきつつあります。 残された日々を思い切り生きてゆきますね。 その物語は、私が側に行ったときお話しすることにしましょう。 ゆっくり待ってて下さいね。 お母さん、 「もいちど、ありがとう。 」 二〇一四年三月二〇日~四月一三日 ナガサキピースミュージアムにて 里みちこ
西 宮 の瓦
かわらぎ木中 学 校 の P T A 講 演 を 頼 ま れ た三 月 の こ と で す。 そ の 時 に「 父 へ の 手 紙 」 で 詩 が た り を や り ま し た。 終 わ っ て、 一 番 後 ろ に 座 っ て い る 女 の 人 が 手 を あ げ ら れ た。 「 座 っ た ま ま で い い で す よ 」 と 言 い ま し た。 ず っ と 泣 き な が ら、 早 く し ゃ べ ら な く っ ち ゃ い け な い と 思 っ て し ゃ く り あ げ る の で、 「 ゆ っ く り 待 っ て る か ら 大 丈 夫。 泣 く っ て こ と も そ れ は そ れ な り に あ な た の 表 現。 ゆ っ く り 待 っ て る か ら 大 丈 夫 で す」 と私。 そ の 人 が 一 泣 き し た あ と、 「 私 は き ょ う 来 た く な か っ た。 私 は 理 系 の 人 間 で、 詩 だ と か 言 葉 な ん て と っ て も 苦 手 な 人 間 で 来 た く な か っ た。 だ け ど、 P T A の 役 員 だ か ら 仕 方 な し に 来 ま し た。 そ れ な の に こ ん な に 泣 け て く る の は な ぜ で す か 」 と い う 質 問 で し た。 「 え ー、 困 っ ち ゃ っ た ね。 泣 い て る の は だ っ て あ な ただもん。宿題にさせてください」 と答えました。 私 は 二 〇 年 前 か ら、 大 阪 城 公 園 で 毎 朝、 詩 を 語 り 始 め ま し た。 人 間 が ど ん な 時 に も ど ん な 所 に い る 時 も、 大 事 な の は 希 望 の 心 を 持 つ こ と。 希 望 の 方 向 を 向 い て 待 つ こ と。 希 望 の 力 か ら 出 発 し て 詩 を 読 み 始 めたのです。 そ こ に 十 八 年 間 通 っ た 寿 司 屋 の お じ さ ん が 五 カ 月 後 の 夏、 詩 が た り を 聞 い て て 横 に ぶ ら 下 げ た タ オ ル で わ ぁ ー と 男 泣 き し 始 め た。 「 わ し、 う れ し い わ け で も な い。 も ち ろ ん 悲 し い わ け で も な い。 な ん で こ ん な に 泣 け る ん や 」 と 言 わ れ ま し た。 「 あ ー、 瓦 木 中 学 校 で 泣 き な が ら の 質 問 は こ れ だ っ た ん だ な 」 と 私 が 思って詩を書いたのです。
(朗読) 「涙」 この涙は
どこからやって
くるんだろう
うれしいときやかなしいときより もっと奥からやってくる 透きとおった静かな涙 そう… 水に戻ると書く涙 水から生まれたわたしたちが 自らをとりもどす涙 ずうっと忘れていた泉 わたしの心の底のそこ そこからやってくる涙
小 学 校 生 活 で 文 字 や 言 葉 を 一 生 懸 命 頭 の 中 で 覚 え て し ま う と、 味 わ う 喜 び、 感 じ る 素 敵 さ、 そ う い っ た も の か ら 離 れ て し ま う。 私 も そ う だ っ た な。 何 か を す る こ と、 し ち ゃ い け な い こ と、 し な い こ と。 そ の こ と を 私 が や っ と 気 が つ い た の は、 五 十 八 歳 の 二 度 目 の 小 学 校 生 活 で す。 生 き る 喜 び を、 生 き が い を、 人と人とつなぐ言葉の世界でやっていこうと改めて思って、ずっと続けることになりました。 「 お 母 さ ん へ の 手 紙 」 の 下 に、 二 十 三 の 詩 が 飾 っ て あ る。 全 部 ご 紹 介 で き る か わ か り ま せ ん が、 順 に ご 紹介していきます。
(朗読) 「わかれてそして」 苦みののこる拙い別れをしたのです みれんののこる淋しい別れをしたのです 痛みののこる辛い別れをしたのです そうして
ある日
突然に予期せぬ訣れがありました 取り戻せない不意の訣れがありました 諦めきれない永遠の訣れがありました いつか
みんな ある日 ある時 わかれの日
わかれて
そして そこから始まる物語
わかれて
そして
わかれて
そして
こ の 詩 一 つ だ け で も 皆 さ ん に お 話 し た い こ と は 三 十 分 か ら 一 時 間 く ら い か か る の で す が、 こ こ に こ だ わっているとなかなか前に進めません。 全 国 で 一 年 間 に 自 殺 者 が 約 三 万 人 あ る と 言 わ れ て、 た ま た ま 私 が 詩 人 に な っ た こ と で た く さ ん 出 会 っ て い ま す。 自 分 の 夫 を 自 殺 で 失 う。 や っ と 立 ち 上 が っ た と 思 う と、 ま た 子 供。 家 族 二 人 を 自 殺 で 亡 く し た人達はもうなかなか立ち上がれません。 そ う い う 人 達 に 何 か 役 に 立 つ 詩 が 生 ま れ た ら い い な。 誰 に と っ て も 必 ず 別 れ は 来 る。 そ こ か ら 立 ち 上
がって始まる物語という 「わかれてそして」 を書きました。この詩は去年、放送大学で使われました。 ちょうど今八重桜が咲いていますね。
(朗読) 「愛
さ桜
く詩
ら」 春の酸素はさくら色 深呼吸したわたくしの ほっぺにひとひら花びらひらり 桜の切り込みどなたが入れた 桜前線一歩二歩散歩 着せてあげよか花衣 一重と八重のうすぎぬを 旅のおわりは北の果て 砂に抱かれて櫻貝
校 長 先 生 か ら 頼 ま れ て だ け で な く、 私 も ぜ ひ こ の 小 学 校 生 活 の 体 験 を 活 か し た い と 思 っ て い ま し た。 朝 起 き る と、 口 か ら こ ぼ れ る よ う に こ の 子 供 た ち に 役 立 つ 詩 が 生 ま れ た の で す。 小 学 校 に 入 る 直 前、 四 月六日でした。
(朗読) 「空を見てごらん」 あいうえ
おーい
かきくけ 子どもたちよ さしすせ 空を見てごらん たちつて とびっきりの青空を なにぬね 野原に立って はひふへ ほうら力がわいてくる まみむめ もりもりわいてくる やいゆえ 夜空も見てごらん らりるれ ロマンに満ちた星空を わいうえ をいをい泣けるまで
各 行 の 始 め に、 「 あ か さ た な は ま や ら わ 」 を 入 れ 込 ん だ ら、 全 部 で き ち ゃ っ た ん で す。 ほ ん と に 天 か ら の 贈 り 物 の よ う に 生 ま れ た。 子 供 た ち が 小 学 校 に 入 っ て 生 き る 力 を 手 に 入 れ る た め の メ ッ セ ー ジ が で きて、もう大喜びしました。 三 ・ 一 一 の ち ょ っ と 前 に 私 は 会 津若 松 に 詩 が た り に 行 き ま し た。 「 夢 見 亭 」 と い う と っ て も 大 き な 美 味 し い 蕎 麦 屋 さ ん が あ る。 作 家 の 村 松 友 視 さ ん が 名 前 を 付 け ら れ、 全 国 の 蕎 麦 好 き が 新 蕎 麦 の 採 れ た 時 に 集 ま っ て き ま す。 私 は 新 蕎 麦 の お 料 理 コ ン テ ス ト の 審 査 委 員 長 も や ら さ れ ま し た。 蕎 麦 な ん て 全 然 分 か ん ないんですが。
「 里 さ ん、 新 蕎 麦 の お 料 理 食 べ て 即 興 で 詩 が で き ま せ ん か。 『 あ な た に 会 っ て 花 に な る 』 っ て 即 興 で 書 いた詩でしょう。蕎麦もやってください。 」 「えー。あ、 『蕎麦を食べてごらん』 が今できました。 」
(朗読) 「蕎麦を食べてごらん」 (受講者) あいうえ
(里)
おーい (受講者) かきくけ
(里)
ここに集う皆さんよ (受講者) さしすせ
(里)
蕎麦を食べてごらん (受講者) たちつて
(里)
とびっきりの新蕎麦を (受講者) なにぬね
(里)
のどごし違うから (受講者) はひふへ
(里)
ほうら、やっぱり違うでしょ (受講者) まみむめ
(里)
盛を食べてごらん (受講者) やいゆえ
(里)
よって食べてごらん (受講者) らりるれ
(里)
論より証拠 (受講者) わいうえ
(里)
をいをい泣けるまでたっぷりわさびを効かせてご一緒に
も ち ろ ん、 最 後 に は「 実 は『 空 を 見 て ご ら ん 』 と い う 子 供 た ち 向 け の 詩 が あ っ た お か げ で、 こ れ を 即 興
だと大嘘ついて今皆さんに喜んでいただいたんですが」 とお話しました。 去 年 の 秋、 私 は 群 馬 県 の 富 弘 美 術 館 に 招 か れ て 行 き ま し た。 そ の 時 に 星 野 富 弘 さ ん の 詩 で「 あ あ、 悲 し み や 苦 し み を ほ じ く っ て い る と、 向 こ う に 希 望 が 見 え る 」 と い う の が あ り ま す よ と 教 え て い た だ い て、 「やあ、素敵な言葉だな」 と思って帰ってきました。 私 た ち が 知 っ て る 五 十 音 は 言 葉 と し て、 日 々 の 暮 ら し の 中 で 生 き る 楽 し さ や う れ し さ だ け で は な く、 悲 し み や 苦 し み の 究 極 に 追 い 込 ま れ た 時、 力 に な る ん で す。 病 気 や 事 件 や 事 故 に 出 会 っ た 時、 そ こ か ら 見えてくる恩恵があることに上田三四二さんの本で気がつきました。
(朗読) 「創
きずから」 傷つくことから
気づく
気づくことから
築いてゆける
築く過程で
絆ができる
創の裂けめから
新しい我が生まれて
命がだんだん
立ってゆく
「 創 」 の つ く り は「
刂 りっとう
と も「 き ず 」 と も 読 み ま す。 自 分 の命 の 出 発 と し て 初 め と し て 立 ち 上 げ て い く。 何 か 素 敵 な こ と の 始 ま り は、 大体 「いやだあ」 と愚痴って怒ってぷつっと切って終わってしまう。 「創」 は 「つくる」 とも 「はじまる」
」と 言 っ て 刀 を 表 す 漢 字 で す。 自 分 の 心 が 傷 つ く 時、 体 が 傷 つ く と 思 っ て る 時
でもある。 「いやあ、これは素敵な漢字だ」 と思って詩を書きました。音の遊びで詩を書いたんですよ。 雑誌 『ミセス』 の取材を受けた時に、 「里さんは死んでも、この詩だけは絶対残りますね」 と言っていた だいて私も喜びました。 大 阪 城 公 園 で 雨 の 日 も 風 の 日 も お 正 月 も 詩 が た り を 続 け て い る と、 全 国 か ら い ら っ し ゃ る よ う に な り ま し た。 「 長 野 県 か ら 行 く ん で す が、 里 さ ん は そ の 日 い ま す よ ね 」 と 確 認 が 入 っ た り し て く る。 私 も 家 族 が い る し、 私 の 年 齢 を 考 え て も だ ん だ ん し ん ど く な っ て き て、 今 年 は 阪 神 淡 路 大 震 災 の そ の 日 一 月 十 七 日の午後から一週間の出張が入ったので、閉じたんです。 (でも、またリクエストがあり再開しました。 ) 大 阪 城 に は 私 の 樹 と 決 め た と っ て も み す ぼ ら し い 小 さ な 樹 が あ り ま す。 そ の 樹 に 向 か っ て 詩 を 読 ん で います。
(朗読) 「美しいものがあれば」 もうクヨクヨするのは
やめることにします
もうアクセクするのは
やめることにします
大空に両手をあげる
欅の樹々と
その樹に射し込む
木漏れ陽と
その陽に映える
黒い瞳と白い歯と
もうそれだけで
充分しあわせなのだから
小 さ い 頃 か ら、 「 ど う し て 皆 は こ ん な こ と で 傷 つ か な い ん だ ろ う。 ど う し て 私 は こ ん な に 傷 つ き や す い んだろう。 」そんな私を支えてくれたのは詩なのでした。 ラビンドラナート ・ タゴールというのはインドの詩人で、一九一三年にアジアで最初にノーベル文学賞 を 受 賞 し ま し た。 「 果
か実
じつ採
と集
り」 と い う 詩 が あ り ま す。 私 は 落 ち 込 み や す い の で、 そ の 詩 を 自 分 に 言 い 聞 か せ て は 元 気 づ け て い ま す。 私 は、 小 さ く あ か ん た れ で も い い か ら、 自 分 の 命 の 実 を つ け て ほ し い と 思 っ て、詩はがきでは 「里みちこ」 の 「み」 を赤くしてあります。
(朗読) 「果実採集」 危険から身を守られることを祈るのではなく 恐れることなく危険に立ち向かうような
そんな人間になれますように
痛みが鎮まることを祈るのではなく 痛みに打ち克つ心を乞うような
そんな人間になれますように
人生という戦場における慰めてくれる友を求めるのではなく ひたすら自分の力を求めるような
そんな人間になれますように
恐怖におののきながら救われることばかり望むのではなく ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような
そんな人間になれますように
成功のなかにのみ人間の慈愛を感じるような
そんな卑怯者ではなく
自分が失敗したときにこそ 宇宙の手に握られていることを感じるような
そんな人間になれますように
今 月 十 四 日 に タ ゴ ー ル 暎 子 さ ん と い う 人 と 私 は お 会 い し ま し た。 タ ゴ ー ル 暎 子 さ ん は、 タ ゴ ー ル 家 に お 嫁 に 行 っ た 日 本 人 の 方 で す。 「 イ ン ド の カ ー ス ト 制 度 の な か に 生 ま れ た、 貴 族 の タ ゴ ー ル さ ん は ど う し てあんなにいっぱい詩が書けたんですか」 と、お目にかかって私はどうしても聞きたかったのですね。 も ち ろ ん 栄 誉 や い ろ ん な 面 で 恵 ま れ て も、 そ れ な り に 苦 し み、 悲 し み が あ っ て、 あ れ だ け 深 い 詩 が 書 けるようになったと教えていただきました。 私 た ち が 生 き て い る と 他
ひ人
との 声、 自 分 の 声 を 聞 く。 心 の 声 も し っ か り 聞 い て い く。 そ れ が 生 き が い に つながる。生きる深さに、濃さに、生きているのを味わうことにつながると思って書きました。
(朗読) 「生きる音」 あー という感動 いー という後悔 うー という呻き えー という驚き おー という感嘆 そして 「ん」 という沈黙 母音は
生きるわたしの叫び
本音は
生きるわたしの羅針
こ こ ま で 来 ま し た ね( と 詩 を 指 さ し て )。 今 の 若 い 人 た ち が 失 敗 を 恐 れ て い る の で ぜ ひ 使 い た い と 西 宮 の教育委員会から連絡があったものです。
(朗読) 「わたしのいのち」 わたしのいのちの
色あいを知るために
わたしのいのちの
ありようを識るために
そして そのいのちを 高らかに謳う日のために 失敗を恐れずに
生きてみます
わたしだけの
いのちの重みを信じて
次 は 私 の 詩 の な か で 一 番 長 い 詩 を ご 紹 介 し ま す。 漢 字 の 生 ま れ た 中 国 で こ の 詩 が 広 が っ て い っ て い る のを聞いて、本人の私はとっても喜んでいます。
(朗読) 「やさしくなれたら」 やさしいということばをしらなくても やさしくなれたら
うれしいな
やさしいというかんじがかけなくても
やさしくできたら
うれしいな
そして やさしいというかんじが 人を憂うると
かくことをしって
優しくできたらよろこびだ 知ることは優しくなることなのだから 優しくなることは
よろこびなのだから
それから 人のいのちのはかなさと 己の力の小ささと ひとの世のかなしみを知るにつれて なんにもしない見えない優しさを知ってゆく 知ることは優しくなることなのだから 優しくなることは
かなしむことなのだから
そうして なんにもできない
かなしみと
なんともいえない
せつなさに
心に涙がしみてゆき 慈しみの優しい眼ざしを知ってゆく
知ることは優しくなることなのだから 優しくなることは
慈しむことなのだから 知 る こ と は「 よ ろ こ び 」「 か な し み 」「 慈 し み 」 と 言 っ た の で す が、 「 か な し み 」 と い う 漢 字 は い く つ 書 け ま す か。 一 つ は 書 け ま す ね。 二 つ は 書 け ま す か。 家 に 帰 っ て 久 し ぶ り に 埃 を 払 っ て 重 た い『 広 辞 苑 』 を 開 いてみてください。 『広辞苑』 を作った人は新
しんむら村 出
いずるという人です。一九五六年に文化勲章を貰っています。新村出さんのお
父さんは、 「まさかうちに生まれたばかりの子供が 『広辞苑』 を作って文化勲章をもらう」 とは思いもしま せんでしたでしょう。でも、とっても素敵なユーモアでこの息子に名前を付けられたんです。 お 父 さ ん は 山 形 県 令、 今 で い う 山 形 県 知 事 で す。 山
4形 で お 母 さ ん の お 腹 に 入 っ て ……( 笑 っ て い る 人 が い る か ら 分 か っ た ん だ ね )、 山
4口 県 で 生 ま れ た。 そ の ユ ー モ ア で 名 前 を 付 け ら れ た 新 村 出 さ ん が 作 っ た 『広辞苑』 に、かなしみの三つ目の漢字はちゃんと載っているので、今日見てくださいね。 無 駄 な 動 き を し な く な っ た こ と で、 大 事 な こ と が ど ん ど ん 抜 け 落 ち て き て い ま す。 知 る こ と も、 単 に 頭 へ 入 れ て 知 る こ と と は 違 っ て、 こ ん な ふ う に ち ょ っ と 驚 く と 豊 か で 楽 し く な り ま せ ん か。 こ こ で 私 か ら「 か な し い 」 と い う 漢 字 の 三 つ 目 を 教 え て も ら う よ り、 ず っ と 深 い と こ ろ に 入 る。 漢 字 の 深 い と こ ろ を 自分なりに感じ取っていただくと、もう一度学習できますね。よろしくお願いします。 「 滋 」 は 水 が ま す ま す ど ん ど ん 湧 い て い く と い う 意 味。 「 滋 賀 」 と は 琵 琶 湖 を「 賀 」 す る、 お 祝 い す る。
地 名 は こ ん な に 素 敵 に で き て い ま す。 琵 琶 湖 の 水 は 蒸 発 し て ま た 雲 に な っ て 雨 と し て 降 っ て き ま す ね。 延々循環を繰り返します。 里 み ち こ 流 に は、 ど ん ど ん 水 タ ン ク が い っ ぱ い に な る。 慈 し み の 心 を 持 て た 時、 と て も 嬉 し い で す ね。 「よいことだからする」 という時は疲れます。必ずどこかで息切れがしてきます。 言 葉 に 関 わ る 私 の 活 動 の 出 発 は 阪 神 淡 路 大 震 災 で し た。 西 宮 の 体 育 館 に 毎 日 毎 日 ボ ラ ン テ ィ ア で 通 い 続 け ま し た。 惨 状 の な か で ま っ た く 名 前 の 知 ら な い 人 と 一 緒 に 泣 く し か な い よ う な 状 況 が い っ ぱ い 起 き たんです。 あ る お ば あ ち ゃ ん が、 「 自 分 は こ う し て 生 き て、 家 族 も 誰 も 死 ん で い な い。 家 を 建 て 直 す の に 困 っ て い る 人 が い っ ぱ い。 で も 自 分 は 家 を 建 て 直 す の に 心 配 す る 必 要 が な い。 ひ と つ ひ と つ 悩 み の 種 を チ ェ ッ ク し て い く と、 何 も 悩 む 必 要 が な い と 自 分 に 言 い 聞 か せ る の に、 自 分 の 心 が ざ わ つ い て 眠 れ な い。 な ぜ な のか」 。こういう質問されてしまったのです。 私、 右 の 耳 が 聞 こ え な い ん で す が、 お ば あ ち ゃ ん は 右 に 来 た。 ほ ん と は 左 に 来 て い た だ き た い け れ ど もういいやと思って質問を考えても、言葉が出ない。一番大事なものは言葉になりにくい。 で も そ の 思 い は わ か る ん だ ね。 そ の お ば あ ち ゃ ん が 眠 れ な い。 眠 れ る よ う に な っ た ら い い な。 し ん ど いんだな、大変だな。 あ る と き、 お 弁 当 を 持 っ て い っ た ん で す、 お 弁 当 配 り の ボ ラ ン テ ィ ア を し て た か ら。 お ば あ ち ゃ ん は 首 を 横 に 振 っ た。 「 い ら な い の ね。 毎 日、 こ ん な 冷 た い お 弁 当 は 欲 し く な い ね?」 と 言 う と 首 を た て に 振
る。 気 が つ い た ら、 私 は し ゃ が ん で 言 葉 が な い ま ま、 そ の 方 の 背 中 を ず ー と 撫 で て た の。 私 が 泣 け て き た。それを見てその方も泣けて、お弁当を前ににっこり二人で笑い合いました。 人間ってこんなにつながることができる。きょうのテーマですね。 人 間 に と っ て 一 番 必 要 な も の、 そ れ は な ん な の か。 こ ん な こ と を し っ か り 考 え、 一 番 い い 学 び に な っ た の は、 阪 神 淡 路 大 震 災 の ボ ラ ン テ ィ ア で し た。 大 学 に 戻 っ て、 そ う し た 感 じ た こ と を き ち ん と 組 み 立 て て い く こ と が で き な け れ ば、 多 分 私 は 皆 さ ん の 前 に 立 っ て こ う し て 詩 が た り を す る こ と は な か っ た と 思います。 人 と 人 は、 名 前 も 知 ら ず、 年 齢 も 超 え て、 立 場 を 超 え て 一 瞬、 こ ん な に 素 敵 に つ な が る こ と が で き る。 こ れ こ そ が 人 間 に と っ て 不 安 や 恐 れ や 死 や そ う い っ た も の か ら 解 放 さ れ る 時 だ と 感 じ た の で す。 「 父 へ の 手紙」 の中にある 「たまゆらの命と命の響きあい」 です。 阪 神 淡 路 大 震 災 で、 一 瞬 に 六 百 人 近 い 子 供 た ち が 孤 児 に な っ た の で す。 「 片 親 や、 両 親 を 亡 く し た 子 供 た ち の た め に『 希 望 の 家 』 を 建 て て あ げ た い。 」 と 藤 本 義 一 さ ん の 呼 び か け が 一 九 九 七 年 の 一 月 十 八 日 に『 朝 日 新 聞 』 の 朝 刊 に 載 り ま し た( 「 阪 神 大 震 災 遺 児 ら の 心 の ケ ア に 芦 屋 市 に『 希 望 の 家 』 が 仮 オ ー プ ン 」) 。 そ れ を 見 た 瞬 間、 私 の 父 も 片 親 で 育 っ た の で、 こ の 子 供 た ち の た め に 役 立 つ こ と を し た ら、 あ の 世 に 行 っ た お 父 さ ん が ど ん な に 喜 ぶ だ ろ う と 思 っ た の で す。 父 の 何 よ り の 供 養 に な る と 思 っ て 立 ち 上 がった。 見 て い た だ き た い も の は い っ ぱ い あ り ま す。 き ょ う 皆 さ ん に 見 て い た だ い て い る 通 り、 全 部 捨 て る も
の で 作 品 を 作 っ た の で す。 ア イ ス キ ャ ン デ ィ の 棒 に 詩 を 書 い て、 子 供 た ち を 驚 か せ て、 ぼ く た ち の 授 業 に ど ん な 人 が 来 る ん だ ろ う と 想 像 力 も ち ゃ ん と つ け て、 授 業 に 行 く よ う に と 考 え つ い た の で す。 死 に 目 に会えなかった残念という思いを、何か花を咲かせたいとの思いからです。 私 た ち は 年 齢 順 に 死 ん で い き ませ ん。 寿 命 と い う も の の 前 に 私 た ち は た だ た だ ひ た す ら「 は い 」 と 言 っ て死の日を迎えなければいけない。これは佐々木閑さんの言葉です。 花 園 大 学 社 会 福 祉 学 部 に 入 っ た の で す が、 た ま に 文 学 部 仏 教 学 科 に も ぐ り こ ん で い ま し た。 そ の と き に学長の話がありました。 「 傷 つ く と き は 虚 飾 の 衣 が 破 れ る と き 」。 私 立 の 大 学 に 行 こ う と 思 っ た ら 五 百 万 の お 金 は 用 意 し な く ち ゃ い け な か っ た の で す が、 こ の 言 葉 は そ れ に 値 し た と 思 い ま す。 虚 飾 の 衣 が 破 れ る と き、 多 く の 人 は 傷ついて悲しんでるだけになってしまいます。 大 阪 城 に い ら し た 方 か ら、 「 も う そ ん な 嫌 な こ と は 早 く 忘 れ な さ い っ て 人 に も 言 っ た し 自 分 に も 思 っ て い た。 そ れ で は 生 き る 喜 び が 手 に で き な い。 里 さ ん に 会 っ て わ か り ま し た。 里 さ ん、 あ り が と う ご ざ い ます」 と言われました。それは私にとってとてもありがたい言葉でした。 大 手 前 大 学 さ く ら 夙 川 キ ャ ン パ ス の な か に お 茶 室 が あ る ん だ そ う で す。 千 利 休、 こ れ は す ご く い い 号 で す。 利 を 休 む ん で す よ。 だ か ら 刀 を 置 い て、 勝 ち 負 け の 世 界 じ ゃ な い 茶 室 に 入 る。 商 売 人 も 儲 か る か 儲からないかという利を休む。 利休饅頭を買いに行くと、利益が永久にありますよと謳っています。
実 は 私 は 呉 服 屋 の 娘 な の で す。 私 の 亡 く な っ た 母 は、 「 呉 服 屋 の 娘 で 育 て た の に、 ご み の 服 を 拾 っ て く るのはやめてくれ、そんな恥ずかしいこと」 と言っていました。 捨 て て あ る 布 を 拾 っ て え え と こ 取 り し て 縫 っ て あ る の が お 坊 さ ん の 袈 裟 で す。 今 度 か ら お 坊 さ ん を 見 る と き も、 袈 裟 が ど う し て こ ん な パ ッ チ ワ ー ク に な っ て い る の か わ か っ て 見 る と、 袈 裟 の 精 神 が ど こ か ら 来 て 汚 い も の の な か か ら で き た か、 悲 し み か ら 喜 び に と 両 方 の 世 界 に す ご い 物 語 の な か に 光 る 宝 が 隠 されてることに気がついていく。だから仏陀の糞
ふんぞうえ掃衣
という袈裟の精神です。